・・・・・・・・・あれ?

 あ。じいちゃん、おはよ・・・・・・けほっ、けほっ!
 う〜っ、あたま痛いよぉ〜〜〜。体だるいよぉ〜〜〜。
 え?夜中の道ばたで倒れてりゃ風邪もひくって?
 そっか。わたし、あそこでたおれちゃったんだっけ・・・・・・。


 あだっ!!


 じ、じいちゃん、信じらんない!
 こんなにか弱くて、かわいい孫むすめの頭なぐるなんて!

 ―――なに?
 心配かけさせたんだから、これくらい当たり前だって?
 ・・・・・・えへへ。そっか、心配してくれたんだ。
 うん、ごめんなさい。


 ねぇ、しゅんとかおりは・・・・・・。


 ううん、やっぱりいい。
 あの二人がいなくなるなんて、あるわけないもんね。
 ね、そうだよね?
 はやく治して、かおりのおみまいに行かなくちゃね。

 ・・・・・・え?かおりの病院、変わっちゃったの?

 まあ、平気よ。
 しゅんならかおりの行った先のことも知ってるでしょ。
 きっと、しゅんのやつ、あたしをほっぽいて一人で『ぬけがけ』してるわよ。
 へへっ。もし、わたしが治るまでこっちに一度も来なければ、またかおりの前で泣かせてやるわ。
 ―――うん。それでまた、三人であそぶんだ。

 なんで、そんなにくらい顔するのよ、じいちゃん。
 だいじょうぶ、心配ないってば。


 わたしたち、約束したもん。
 


 ―――ずっと、ずっといっしょにいようねって!


 









 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    一章 : 夢幻世界の少女たち

第六話 : 絶望は何処に







 ラキオス城  謁見の間

 あの任務から初めての招集がかかると、千歳はいち早く王城に向かった。
 赤い絨毯の上に堂々と立つ千歳は、先ほどから遠巻きに離れてこちらを見ている人間たちの視線を感じていた。
 侮蔑の視線、好奇の視線、様々な感情がない混ぜになった視線があった。その中で、始めから服従的な態度をとってきた異邦人である千歳は特に好奇の視線を 集めている。

「あ・・・・・・チトセ様」
「遅かったわね?もうすぐ始まるわよ」
 千歳は遅れて入ってきたエスペリアをちらりと見る。
 その後には、『求め』を腰にぶら下げた悠人の姿もあった。

 あの夜以来、『追憶』はその自我をなくしたように、千歳の声にもまったく応えなくなっていた。
 神剣による術のサポートなどが必要な技術はないので戦力としての影響はないが、代わりに『求め』の気配を監視する事ができなくなっていた。
 これは非常に問題であったため、千歳はなんとかこの剣を元の駄剣に戻そうと様々な手段を講じた。しかしその努力が実った事は一度もなく、何故か千歳はそ の度に気落ちしてしまっていた。
 この事実はエスペリアにも話していない。
 戦力としての千歳の力が失われたわけではないし、彼女にそれを伝える事は必ずしも得策とは思えなかったからだ。

 やがて国王入室の合図が鳴り、千歳たちはその場に膝をついた。
 今回の召集について、エスペリアも多くを知らないそうだった。ただ、スピリット隊に新たな任務が下されることだけは間違いない。
 現われたラキオス王はどっしりと玉座に座り込むと、鷹揚に千歳たちに話しかけた。

「エトランジェよ、時は来た。さぁ、我らのために働いてもらう時が来たぞ」
 その声はさすが王族というべきか、広い空間の隅々まで響く良い声をしている。
 千歳の横に膝をつく悠人は、話しかけられてだけで歯ぎしりしていた。この分では、またエスペリアと千歳が受け答えをする事になりそうだ。

「この王都より北に向かった、リクディウス山脈に龍が住む洞窟がある」
 ラキオス王の言葉に、千歳はぴくりと反応した。
 この世界の『龍』なる存在に、千歳は少なからず興味を抱いていた。自分たちがこの世界に招かれた時の符丁であり、何らかの鍵である可能性である龍。これ までに千歳は自分の入ることのできる場所の資料を調べまわっているが、それがスピリットたちよりも遙かに強力な存在であり、この世界においての神獣に近い ものであるということ程度しか未だに知らなかった。

「―――そこに赴き、マナを解放してくるのだ」
 その言葉に、周囲から驚愕の声が上がった。目を見張るもの、中には猛然と王に抗議するものまでいる。
 今の言葉の意味が分からぬほど鈍くない千歳も、その意味を知って目を見開いた。
 千歳はかつて『四神剣』の勇者たちが龍を退治したと伝えられていることは知っていたが、それに永遠神剣を手にしたばかりの自分たちに挑めと、まるで子供 の遣いとでも言うような王の言葉には納得ができるはずがなかった。それに挑めと言われても、ただの無謀にしか過ぎないのではという気持ちが強い。

 王は落ち着いた声で、動揺する臣下たちをなだめている。というよりも、臣下たちの反論をその一声ではねつけていたのだ。
「確かに・・・・・・今までリクディウスの魔龍は、我が国の守り龍として祭ってきた。しかし・・・・・・」
 そんな無意味なものを存在させる事はできなくなったのだ、と王は言う。
 わずかに千歳は目を見張る。守り龍、というのはこの王国の国旗にもその姿がある、言わばこの国の象徴だ。その存在を無意味、と一言の元に言い捨てる王は 余程の器の持主か、それともただの暗愚か。

 ―――少なくとも、王女は反対のようね・・・・・・。

 先ほどからレスティーナの顔色は暗い。他人ではそれと気づかないかもしれないが、同性の千歳には少女のもつ特有の憂いを王女の顔から見取っていた。
 王はそれに気づく様子もなく、龍という存在の不用さをとくとくと説き、龍を倒せばその体を構成するマナはすべてラキオスのものとなる、と言い放った。
「それに・・・・・・」
 王はにやりと悠人の顔を見る。
 顔を上げていた悠人は、間違いなく正面から王と視線が合っただろう。

「そのための、エトランジェなのだ・・・・・・」

 その一言に、周囲から感嘆の声が上がる。
 暗愚か、と千歳は心の中で呟いた。
 今現在のエトランジェ二人の実力は、スピリットたちにも劣る。それは訓練の現状を知っていればすぐにでも分かることだろう。そんな状態、しかも開戦が近 いこの時期にさらに戦力を失うようなことを平然と命じる王の感性は、あまりにも無謀な大博打を打ちすぎていた。
「エトランジェよ、無論やってくれるな?」
 その弱者を弄るための言葉の幼稚さに不覚にも眩暈を起こし、千歳は返事をするのが遅れてしまった。
 しまった、と思うには遅く悠人が怒りをぶつけるために立ち上がりかける。
 その服の裾を、とっさにエスペリアがひいて悠人の気を引いた。

 ―――ナイス、エスペリア!

 悠人ははっとエスペリアの顔を見、そしてこちらの顔を見た。千歳は小さく頷く。
 千歳は悠人が落ち着いたのを確認し声を出そうとしたが、その前に思いもよらぬ声が謁見の間に響いた。

「ラキオス王の命、しかと承りました」

 目を見開いて横を窺う、信じられない事に悠人が冷静に受諾の言葉をラキオス王に言っているではないか。
 王もこれには驚いて一瞬恐れるような目を悠人に向けるが、すぐに鷹揚に頷いた。
「うむ。よく言った・・・・・・そなたはどうじゃな?」
 今度は千歳に目を向ける。千歳は平然と、いつも『人間』との受け答えの時のように告げた。

「既に、この身はラキオスの剣と捧げたもの。私ごときが立国の勇者の偉業に倣えるとは、光栄の極みにございます」

 その言葉に、周囲からまたどよめきがおこった。エトランジェがこの国の伝説を引用したことが余程意外だったのかもしれない。
 国王は初見以来、変わらない千歳の態度を見て心を落ち着けたのか、安心したように頷いている。
「それでこそ、我が国の誇るエトランジェ。スピリットと共に、明朝出立せよ」
「ハッ!」
「ハッ!」
 エトランジェ二人は深く礼をする。
「我が剣『求め』に誓い、龍討伐の命を果たします」
 王が失敗は許さないと念を押すと、悠人ははっきりと宣言する。

 ―――へぇ、意外とやることはやるのね?

 千歳はわずかに悠人の事を見直した。
 この場で任務を受けるか否か、ということは佳織を人質に捕られている限り選択の余地はない。二人にできるのは思い上がった人間たちに適度に頭を下げつ つ、彼らの隙を狙う。それだけだ。
 一同が謁見の間を離れようとした時、レスティーナが悠人を呼び止めてきた。
 また、初任務の時のように釘をさすのかと思いきや、意外なことに王女は悠人を気遣うような言葉をかけた。

「あなたの身体はこの国全体のもの・・・・・・必ず、無事に帰ってくるように」

 その言葉に悠人が頷くのを合図に、スピリット隊は謁見の間を離れたのだった。


 スピリットの館  広間

 千歳は悩んでいた。
 本当にこの任務を受け、明日言われるままに出立するを良しとするか否かに。

 改めて千歳が見た本の中での挿絵の『龍』は、ほとんど怪獣映画のノリな巨大さを持つ生物だった。
 どこまで誇張があるかを謀り知ることなどできないが、少なくとも今の自分や悠人の手に負えるものではないということはほぼ確定的だろう。
「私か悠人がオルファたちの足ひっぱって、全滅じゃあ死んでも死にきれないわよ・・・・・・第一、私たちが死んだら佳織は・・・・・・」
 嫌な想像が浮かび、頭をふってそれらを振り払っていると、突然背後から何者かに抱きつかれた。
 とはいっても。その心地よい軽さや、視界の端をかすめる赤い髪で、それが誰であるのかはすぐに分かったのだが。
「―――オルファ?」

「すっご〜いっ♪当ったりだよ、ママ!」

 一発で当てられたのが嬉しかったのか、背中を抱きしめたままオルファはぴょんぴょん跳ねる。まとめた髪が引きつれて、後頭部に鈍い痛みが走った。
「いたっ、オルファ、いたいってば」
「あっ、ごめんね」
「ふぅ・・・・・・今日はなんでそんなにご機嫌なの?」
「え〜?決まってるよぉ!さっきのパパとママ、すっご〜くかっこよかったんだもん!オルファ、ほれ直しちゃったよ〜」
「そぅ?それは、ありがとう。でも・・・・・・女性にかっこいい、っていうのはあまり一般的な褒め言葉じゃないわ」
 無邪気な言葉に千歳は苦笑をかみ殺しながら、背中から降りたオルファと向き直る。

「そ〜かなぁ?ママ、パパと同じくらい背も高いし、なんだか、すごくきりっとしてるから、やっぱり『かっこいい』だよぉ!」


 ―――ズキッ!!


 千歳の触れられたくないコンプレックス其の一、高身長。
 冷やかし混じりに言われた時は容赦なく殺るが、まさかオルファにそうするわけにできる筈もなく、ただ乾いた笑い声を漏らすだけで精一杯だった。
「あ、はは、は・・・・・・そう」
「・・・・・・?ど〜したの、ママ?つかれてるの?」
「―――は、は。似たようなものね」
 引きつり笑いの千歳の頬に、心配そうなオルファの指がかかった。
「だいじょうぶ?オルファ、お歌うたってあげようか?」
「あ〜。い、今はいいわ。それより今の、悠人の奴にも言ってくるんじゃないの?」
 こういう話題でオルファが千歳を褒める時は、同じように悠人のことも褒めたがっている時だ。
「あ、うん!もっちろん、そうだったんだけど・・・・・・」
 案の定、千歳の予測は正しかったようで、オルファはきょろきょろとあたりを見回し始めた。
「あれ〜?パパ、こっちにいないの?」
「帰って来てすぐに、自分の部屋に行ったんじゃない?」
「う〜ん。そだね、じゃ、オルファ、パパの所に行って来る〜♪」

 ぱたぱたと走り去っていく元気な後姿を見送って、千歳は頭をかいた。
 先ほどまで感じていた深刻な空気が、あっけなく風化してしまった。これもオルファのおかげかと、赤き少女に心からの感謝を送る。
 水でも飲もうかと、千歳が台所に入ろうとした時にエスペリアが戻ってきた。
「すいぶんと遅かったわね。どこに行っていたの?」
「・・・・・・申し訳ございません。少し、用があったもので」
「・・・・・・・・・」
「あ、何かお飲みになりますか?今、用意をいたしますね」
 うっすらと笑むエスペリアの様子は、どこか普段と違っていた。その微笑みは、リュケイレムの森で見たあのあきらめを交えた悲しい表情にどこかに通ったも のがあったのだ。
 しばらくしてティーセット一式を携え戻ってきた少女に、千歳は短く尋ねた。

「何か、あった?」
「いいえ、何も?・・・・・・はい、どうぞ」
 エスペリアはすっと顔を伏せて、千歳と視線を合わせることを避ける。
 そのふるまいが余計に何かがあったことをうかがわせたが、千歳はあえて言及せずにカップを受け取った。カップを取り上げると、綺麗な色の水面からただよ う香りは、バニラに似た匂いが鼻先をかすめた。
「いい香り・・・・・・これって、たしか・・・・・・シナニィ、だったかしら?」
「残念でした!これはルクゥテです。似ていますけど、ルクゥテはシナニィよりもひなびた香りがするんですよ」
 お茶の話になると少しは気が乗るのか、エスペリアの表情から少し憂いが消えたように見えた。
「あぁ、そうだったの。まだ、一回も当たらないわね」
「それが普通ですよ。ユート様も、始めはなかなか上手くいかなかったのですから」
「・・・・・・別に、あいつと張り合ってるわけじゃないんだけど?」
 ちょっと膨れてお茶をすすっていると、苦笑をかみ殺すような呼吸音が聞こえてきた。
 紅茶の種類当ては、悠人とエスペリアがこの館で出会ってから続けていたもので、千歳も面白そうだからと初任務以来ちょくちょくと試しているのだが、悔し いことにまだ一度として当たったことがない。

「ところで、さ」
 お茶の水面が半分ほどの大きさになった頃、ぽつりと千歳が呟く。
「聞きたいことがあるの、いい?」
「はい、なんでしょうか」


「明日の任務。生きて帰ってこられると思う?」


「・・・・・・・・・」
 ぴくりと肩を震わせたが、エスペリアはその問いに答えようとしなかった。
「答えられないかしら・・・・・・それじゃあ、こう聞くのならどう?明日、私と悠人が、あなたたちの足手まといにならないと思う?」
「チトセ様・・・・・・。いいえ、チトセ様たちは私が命に代えましても、お守りいた」
「そんな気休めを聞きたいんじゃないわ」
 千歳はぴしゃりと言い放つ。その厳しい眼差しをエスペリアに向けず、虚空を睨みつけていた。

「あの王の言い方からすると、龍っていうのは私たちの同じようにマナで構成された生物の一種なのね? そして、スピリットの場合は、保有するマナの量に比 例してその強さが上がっていく・・・・・・もしこれが龍も同じなら、現時点でのマナ不足を補うに足るほどのマナを持つ生物は、一体どれだけ強力な存在だっ ていうの・・・・・・?」

 エスペリアはそのときはたと気がついた。千歳のカップの縁にかかる指が、細かく震えていることに。
 そっとエプロンの裾を握りしめた後、エスペリアは真剣な面持ちで口を開いた。
「―――勝算は、あります。昔、ダーツィ大公国のスピリット隊は、アト山脈の魔龍シージスを討ち滅ぼしました。その力は、アセリアや私と大きな差はない筈 です。ユート様の持つ『求め』もまた、かつて幾度となく龍を屠ってきた永遠神剣です。明日の行軍には第二詰め所のスピリットも加わります・・・・・・相手 がリクディウスの魔龍であっても、決してひけをとる戦力ではありません」
「本当に? 本当にそう思う? でもどれだけ私たちが命を張ったところで、城の奴らにしてみれば任務が成功しようと成功しまいが、どうでもいいんでしょう よ。今回の任務にしても、どっちに転んだところだって、今までと同じようにバーンライトと戦争すればいいんだからね。なんで私がそんな奴らのため に・・・・・・!」

 千歳はぎりぎりと歯を食いしばっていたが、はっと己の言葉を理解して、頭を横に振った。
「―――ごめんなさい。あなたにあたるつもりじゃなかったの」
「お気になさらないで下さい、チトセ様は・・・・・・」
「ううん、いいの。私、少し部屋で休んでくるわ。夕食ができたら呼んでもらえる?」
「・・・・・・かしこまりました。どうか、よい夢を」
 エスペリアに詫びと感謝の意味を込めて薄く微笑み、千歳はティーカップをテーブルに戻した。


 スピリットの館 廊下

 千歳が自分の部屋に向かう途中、半開きになったドアが途中目に入ったので立ち止まった。場所は、先ほどオルファが向かったはずの悠人の部屋であった。
 中から話し声がかすかに漏れているところから見て、まだオルファは室内にいるのだろう。
 悠人はオルファを叱ることになれていないし、母代理として自分が注意をしたほうがいいかと思い、そのドアを軽くノックしてノブに手をかけた。

「オルファ、いるんでしょう?前にエスペリアに言われてたじゃない、開けたドアはちゃんと閉めて・・・・・・」
 千歳は軽くオルファに注意を促してから去るつもりだったが、顔を覗かせた隙間から現われた光景に言葉を失う。

 その次の刹那、千歳はとっさに『追憶』の柄に手をかけ、オルファにつかみかかる悠人に飛び掛かった。
 その眉間は苦しそうにしわを刻み、いく粒もの汗が額ににじんでいる。悠人が錯乱しているのではないことは、一目見たときにわかった。
 今まさに、『求め』がその力を解放させ、彼の意思を奪おうとしているのだ!

「ママッ!?パパが・・・・・・!」
「その子から離れなさいッ!」

 唐竹割りに振り下ろされようとした『追憶』は、しかし千歳の意思に反して狙いの一寸手前でぴたりと静止した。見れば、青白い靄のような精霊光が、千歳の 腕に絡み付いて離れない。
 意志を失った『追憶』と、『求め』の力の差が歴然と現われたのだ。
「なっ!?」
 千歳は絶対的な力に阻まれ、それ以上進まない己の剣を驚愕の眼差しで見る。
 その時、脳裏で弦が弾かれたような音が響いた。


 ―――ピイイイイィィィン


「な、に・・・・・・?」


 ―――ピイイイイィィィン


 徐々に明瞭になっていく音階は、だんだんと千歳の心の奥底までも反響していく。
 千歳には知る術がなかったが、それは永遠神剣同士の共振によるものであった。

 ―――ピイイイイィィィン

 ―――忌まわしき拘束は失せた。古の姫よ、我が前に平伏せ・・・・・・!―――

 『求め』の声が千歳の脳裏を揺るがした。それはあの日よりも格段に強く、千歳の心を蝕まんと脈動した。
「くぅ・・・・・・ああっ!」
 フラッシュバックのように、過去の映像が網膜にちらつく。


 ―――ピイイイイィィィン



 ―――瞬と佳織と、三人で遊んでいた幼き日。

 ―――佳織の家族が飛行機事故に遭い、三人がばらばらになったあの運命の日。



 ―――心を覗かれてる!?
 目を見開き、この不可思議な現象に抗おうとするが、指先一つ動かずその対抗策はまるでない。
 千歳の葛藤をよそに、走馬灯はなおも続いている。



 ―――縁側に座り込み、一人黙々と玩具の山を作っていたあの頃。

 ――― 一人、また一人と自分から離れていく人々にも無関心のまま、己の殻に閉じこもっていった日々。

 ―――すべてを灰と変え、過去に終止符を打った日。

 そして――――――。



 ―――ピイイイイィィィン


「やめ、て・・・・・・」
 ―――見たくない、思い出したくない!
 千歳は顔を逸らそうとしても、心を覗かれている以上それは意味を成さなかった。
 だが、最悪の記憶が引きずり出されるかと思ったその瞬間、心の奥底で何かががちりと音を立てた。





 ――――――どくん!


 心臓が、不自然に脈打つ。
 千歳の心の中で、『求め』のものではない、ましてや『追憶』のそれとも違う声が響いた。






 ―――リョガイモノメ、ミノホドヲシレ!!



 ―――ピイィィィ・・・・・・ヴン!



 波が乱れ、悠人と千歳をつないでいたパルスが解ける。
 ぐらり、と千歳の体が傾くのと同時に、悠人が頭を振って叫んだ。

「止めろぉ・・・・・・ォォォッ!!」

 悠人を束縛しようとしていた『求め』の力が押さえ込まれる。
 神剣の力から脱した二人は同時に肩を落とし、その場にへたりこんだ。
「パパ、ママ・・・・・・?」
 オルファの心配そうな声が聞こえて、千は動悸が激しい胸を押さえ顔を上げた。
 千歳は弱々しい笑みを向けることしかできなかったが、悠人はこれまでも『求め』の強制力に抗ってきたせいか、幾分か余裕のある表情でオルファを見返し た。

「大丈夫だ、もう大丈夫だから・・・・・・千歳、平気か?」
「―――えぇ。なかなかに得がたい体験をさせてもらったわ」
 満身創痍の身の上でも皮肉を言える自分に、千歳は内心苦笑した。
 それでもオルファは安心したのか、ほっと息をついて笑顔を見せてくれる。
「よかったよぉ〜。パパもママもとっても苦しそうだったから、オルファ、ホントに心配しちゃったよ」
「そっか、心配かけてごめんな」
「本当に、ね・・・・・・」
「ううん! 二人とも元気なら、いいよ!」

「・・・・・・悠人」
「なんだ?」
「あんた今、何も見なかった?」
「何のことだ?」
「―――いえ、何でもないわ」
 オルファに励まされながら表面上は笑顔を取り戻していたが、千歳は心に闇を背負っていた。


  今、『求め』の拘束に抵抗したのは千歳自身ではなく、ましてや彼女の永遠神剣ですらなかった。
 ファンタズマゴリアを訪れて、初めてラキオスに向かう直前のことが思い出される。
 未だ神剣をもっていなかった千歳は、しかしあの時に一体のスピリットに抗したのだ。
 何故、と考えるのは意図的に避けていたが、先に感じたものはありありと思い出すことができる。

 深く、暗い、計り知れぬ力。

 あれが自分のものだと思えない以上に、思いたくない。
 一体自分の身に何が起きているのかを考え、千歳はわずかに身震いする。


 不安要素はそれだけではない。
 前回、自分が『求め』から受けた強制力は、その大部分が『追憶』により阻まれていたのだということは薄々察することができた。
 しかし、あれだけの侵食に自我を壊さないことがどれだけの忍耐を必要としたのかを身をもって味わい、千歳はかなり自分が楽観的だったことを知った。
 悠人と『求め』が反発しあう限り、彼は常に、かなり不安定な状態に置かれるのだろう。

 改めて、この様に不安定なエトランジェ二人を連れての任務の成功が遠く感じられた。
 今この時、自分たちがここにいるのは自分たちのためにも、エスペリアたちのためにもならない。

 そう考えた千歳は、一つの決心をその胸に固めたのだった。


 ラキオス城 廊下

 ファンタズマゴリアの夜はハイペリアの夜よりも格段に暗い。
 所々に灯されている照明がかろうじて頼りない炎を揺らしているが、電灯のそれとは比べるべくも無いものだった。
 千歳はその中を慎重に、ラキオス城内の中でもかなり深部に位置する場所を進んでいた。
 途中幾人かの警護とはちあわせそうになったが、下賤とされるスピリットたちの侵入が許されていないのか、この辺りの警護はすべて呼子を持っただけの人間 の兵士だったので先制を取るのは容易だった。

「ぐ・・・・・・っ!?」
 ―――ばたっ。

 今も、首筋に手刀を叩き込まれた憲兵がまた一人、千歳の前に膝を折った。
 面倒ごとをスピリットに頼り切っている人間たちは弛んでおり、『追憶』の力で夜目を馴らせただけの千歳にさえ一太刀くれることさえできなかった。
 倒れた兵の荷物から捕り物用の縄を取り出し、衣服を裂いて猿ぐつわをかませて灯りの届かない場所に引きずっていく。
「―――もうすぐね」
 一連の作業が済んで一言呟くと、千歳は一人きりの行軍を再開する。

 ―――階段を上って左、二つ目の角を右へ・・・・・・。

 オルファからそれとなく聞き出した道順をなぞらえながら、千歳は慎重に歩みを進めた。
 彼女が向かっているのは、佳織が囚われている筈の一室だった。

 無論、千歳が城のこの区域に足を踏み入れたのは初めてのことだったが、下調べは丹念に行っていた。
 オルファとの会話の中で聞き出した道順を頭に叩き込み、訓練の合間にラキオス城の周辺を丹念に調べ上げてその目安をつける。
 そしてある日の夜、エスペリアとの勉強会の際『うっかりと』彼女の衣服にお茶をぶちまけて、彼女が自室からいない間に部屋中を調べ上げた。エスペリアが 最古参のスピリット隊隊員であることは聞き出していたし、非常時を想定して彼女が城の間取りを押さえている可能性が高いと踏んでいた。そして何とかラキオ ス城の見取り図を見つけだした千歳は、エスペリアが戻るぎりぎりまでその概要を頭に叩き込んだのだった。

 そしてついに、それと思われる扉の前に千歳は立った。
 隣が王女の部屋であるということを聞いていたから、何度もドアの数を数えなおす。
 間違いがないことを確かめると、そっと扉に張り付き、そのノブに手をかけた。鍵がかかっているだろうからこじ開けようと思っていたそれは、千歳の予想に 反してかちりと音を立て一回りする。

「開いてる・・・・・・?」

 不信感を覚えたが、城の人間たちの心理を考えれば、神剣を持たないエトランジェごときに大層な警備など不要だとでも思ったのかもしれない。そう、自分を 納得させてドアの隙間に体を滑り込ませた。
 ゆっくりと、カーペットの上をすり足で進む。
 部屋の隅に備え付けられていたベットの上をそっと覗けば、そこには赤みを帯びた茶髪を伸ばした少女が、ぐっすりと眠っていた。

 ―――佳織だ。
 千歳は久方ぶりに見た幼馴染の健康そうな様子に、泣き出したくなる程の安堵を覚えた。
 が、すぐに気を引き締めて彼女の肩に手を伸ばした。ぐずぐずしている暇はない。自分が気絶させた兵士たちが目に入れば、すぐに騒ぎになる・・・・・・。
「佳織。起きて、起きなさい・・・・・・!」
「う、んぅ・・・・・・?」
「お願い・・・・・・目を覚まして!」
「・・・・・・・・・ぇ?」
 小声の呼びかけに応えてうっすらと、佳織のまぶたが開いていく。
 ぼんやりと暗がりの中に浮かぶ顔を見上げて、それが誰だかが分かった途端、大きく目を見開いた。
 叫びだしそうになる佳織の口元を、千歳は瞬時に片手で押さえ込んだ。

「――――――!!??」
「落ち着きなさい! 私が誰だか、分かるわね?」

 ―――こくこく

「―――よし、いい? まだ夜中だから、大きな声を出しちゃ駄目よ」
 そう言って、そっと佳織の口から手を離すと、今度は佳織が自分の口元を手で押さえた。
「う、うみのせんぱい? ウソ、ほんとに・・・・・・?」
「えぇ、私よ。佳織、本当に、よく無事で・・・・・・」
 心の中が一杯になってしまって、思わず身を起こした佳織の体をぎゅっと抱きしめてしまった。
 あの頃よりも大きくなっていたが、佳織はやはりあの頃と変わらない。
「オルファから聞いてはいたけど、やっぱり心配で心配で・・・・・・ひどい事はされなかったのよね? 城の人間は本当に禄でもない奴らばっかりなんだか ら・・・・・・」
「あ、あの、わたし、大丈夫です。ホント、大丈夫ですから。でも、どうして海野先輩がここに?」
 佳織のその言葉にきゅっと眉根を引き締めて、千歳は体を離すと強い口調で言った。


「・・・・・・佳織、よく聞いて。今から、この国から逃げるのよ」
「えっ・・・・・・?」


 困惑の表情を浮かばせる佳織に、千歳はなおも言い募る。
「城の奴らが、馬鹿げた任務を押し付けてきたのよ。前の任務よりも、成功する確率は低い。悠人も私も、生きて帰れる保証はないわ」
「・・・・・・!」
「悠人の奴も、私も、この世界に来てから不可解なことが多すぎる。今の状態が続けば、最悪、オルファたちまで害を被るわ。そうならない内に、逃げなきゃい けないの!わかって!」
 千歳の言葉に佳織はしばらく口をつぐんで思案していたが、やがて決心を固めたのか小さく頷いた。

「―――わかりました。でも、お兄ちゃんはどこに?」
「あいつは第一詰め所の方よ。後で私が連れ出すわ。でもまずは、あなたを連れ出さないことには何も始まらない。わかったなら、早く準備して」
「・・・・・・はい!」
 佳織はベッドから抜け出すと、棚に入っていた制服に着替え始めた。何分暗がりの中なのでかなり手間取っていたが、ものの十分とせぬ内に支度は整った。

「終わりました!」
「よし、それじゃ行くわよ」
 佳織は千歳が差し出した手を取り、その手に引かれながらドアに向かった。
「でも・・・・・・どこに行くつもりなんですか?」
「あまり綿密な計画があるわけじゃないの。この脱走にしても、なにせ任務がいきなり明日だって言われたものだから、今日やるしかなかったの・・・・・・ご めんなさい」
「い、いいえ!責めてるんじゃないんです!」
「まぁ、とりあえずはリュケイレムの森に逃げ込むしかないわ。その後、サルドバルトを経由してソーン・リームっていう自治区近くまで逃げ込むのがベスト ね。本にあったんだけど、あの辺は食料になるものが多くて、けっこう険しい山地になってるらしいから逃げるのにはうってつけ・・・・・・!」
「あっ!?」
 ドアをくぐった途端、二人は同時に言葉を失った。
 そこに二人を待ち構えるようにして、一つの人影が立ちはだかっていたからだ。冠を脱ぎ、幾分か質素な格好をしていたが、そこにいたのはまぎれもな く・・・・・・。


「・・・・・・レスティーナさん」


 佳織が小さく呟く。
「どこにいくのですか、カオリ、チトセ」
「・・・・・・ちょっとした散歩よ。王女様もいかがかしら」
「遠慮いたしましょう。散歩をするには、いささか遅すぎる時間です」
「あら、残念。でも私たちは行くの。そこをどいていただけません?」
「あ、あの、あの・・・・・・」
 佳織が何かを言おうとするのを、千歳はそっと押しとどめて自分の背にかばった。

「エトランジェであるあなた達がラキオスから放れ、生きていくことはできません。それに今のあなたならば、スピリットたちでも拘束して連れ帰ることが可能 でしょう。逃亡は、無意味です」
「そうかしら。今なら・・・・・・いえ、今だからこそ、十分逃げ切れる可能性があると思うのだけれど」
「・・・・・・・・・」
 千歳の言葉に、レスティーナは口をつぐむ。
 その反応に、千歳は自分の予見が正しかったことを確信した。
「ラキオスは一枚岩ではない・・・・・・。多分、腹心の中に敵国と通じている人間がいるんじゃない?」
「なぜ、そう思うのですか?」
「簡単よ。私がラキオスへ向かう直前の襲撃、スピリットが減ったところを襲われたラース。どっちにしても、タイミングが良すぎるわ。どこか身近な場所から ラキオスの情報が流れているとしか思えないもの」
 佳織は驚いたように、千歳とレスティーナの顔を見比べた。

「王が龍討伐をこれほど突然決定したのも、そのためなのでしょう?情報を漏らさない内に、即刻片をつけようとした・・・・・・でも、遅からず敵国にこの話 が伝われば必ず妨害が起こるわ。今、私たちが逃げるのを追えば、ちょうどその背中は龍討伐を妨害しようとするバーンライトに晒されることになるわよ。はた してその時、同盟は頼りになるのかしら?」

 千歳はもはや、堅苦しい敬語を使うのをやめていた。
 ここまでくれば千歳の謀反は明らかだし、これ以上茶番を演じることもないと思ったからだ。
 レスティーナは無礼な口を叩くエトランジェに露ほどの嫌悪も見せぬまま、冷静に口を開いた。
「そなたの言う通りです。確かに、今のラキオスはまとまった国家とは言えません。・・・・・・ですが私がそれにも、またそなたの謀反をも予測せず、何の手 も打たずにいると思いましたか?」
「・・・・・・くっ! うまくいきすぎだとは思ったけど、やっぱりそういうことだったの」
 千歳は顔を苦々しげに歪める。
 おかしいと思うべきだった。ほとんど行き当たりばったりなこの計画が、ここまでさしたる障害も無く進められたことに。

 運がよかったのではない。彼女の手のひらの上で、千歳はここまで誘導されていたのだ。

 喰えぬ彼女のことだ、おそらく千歳がこの場から逃げ出そうにも、すでに何らかの手を打っている可能性が高い。
「どこまでがあなたの予想範囲内だったのかしら―――私がオルファから佳織の部屋を聞きだそうとすることから? それとも今日、私がこうして城に忍びこむ ことがまさにあなたの狙いだったわけ?」
「そなたが考えているほどに、私は策を講じたわけではありません。ただ、そなたが見かけ通りの忠義を持っているわけではないということ。そして、今回の任 務に疑念を抱いている様子であると言うこと。この二つをあわせて考えれば、特に今夜、何らかの行動にでる可能性が高かった。それだけのことで す・・・・・・もっとも、このようになることを望んでいなかった、と言えば嘘になりますが」

 レスティーナの言葉に、千歳は訝しげに眉をひそめた。
「望んでいた?」
「はい。そして、そなたを見極めるためにも」
「・・・・・・意味がよく分からないわね」
「ユートは・・・・・・良くも悪くも、分かりやすい気性の持主です。カオリを人質に捕られれば怒り、常に私たちの理不尽に対しても反抗してきました。しか し、そなたは・・・・・・」
 レスティーナはわずかに言いよどんだが、すぐに気を持ち直して話を続けた。
「カオリを人質に取られた時も、そなたに対する侮蔑の中でも、常に服従的な態度を取ってきました。しかしそれは、こちらの油断を誘いながらも、牙を隠し 持っているように思えてなりませんでした。オルファたちと親しくしていると聞いても、それが本心からのものなのか、それとも他に目的があるの か・・・・・・その判断すらつけかねたのです」

 千歳は苦く笑った。
 彼女にわかる筈などないだろう。自分自身、どちらが目的であるかなど分からないのだから。
 何をしてでも佳織を助けたいと思う心、オルファたちと健やかな時を送りたいと願う心。その両方は、常にせめぎあっていたのだ。

「けれど結局、そなたは一度として自ら命を奪うことはしませんでしたね。あなたを面として罵倒した者も、あなたに非道を強いてきた人間たちにも。今回にし ても、あなたが倒した者たちは皆生きています」
「・・・・・・それはどうかしらね。わざわざ殺すのも煩わしかった、っていうことかもしれないじゃない」
「いいえ。不要に殺めず、奪わずにいることは、それをせぬことに比べれば雲泥の差があります。それにエスペリアも、そなたたちがリュケイレムの森で言った ことを話してくれましたよ。―――『死は悲しいもの』そなたはそう言ったと」
 余計なことをと思い、千歳は心の中で舌打ちする。
 会話を続けながらこの状況を打開する策を考えたが、どれもだめだった。レスティーナを人質に取ることは『制約』のために不可能。彼女の伏兵がどれだけ待 機しているかもわからないため、この場から逃げ出すこともほぼ無意味。佳織と二人だけなら逃げ切れるかもしれないが、彼女は悠人を置いて行くことを良しと しないだろう。


 千歳は自分の完敗だと認めた。認めた瞬間、今までの鬱憤が怒りの波となって襲ってきた。


「あ―――、もぅ! 認めてやるわよ! えぇ。私はあんたたちが、反吐が出るくらい嫌いよ。佳織やオルファたちさえいなければだれがこんな国にいるもんで すか! 殺してやりたいって思ったこともあったわ・・・・・・でも、だからといって・・・・・・本当にできるわけないじゃない・・・・・・殺すなん て・・・・・・絶対にしたくないのに・・・・・・」

「・・・・・・ちぃちゃん」
 今にも泣きそうな佳織の声が聞こえる。いつの間にか、その呼び名が昔のそれに戻っていた。
 泣き出したいのは自分も同じだったが、今この時だけは意地でもそれをしたくなかった。
「私を捕らえなさいよ。―――ただ言わせてもらえば、この離反は私だけの罪よ。悠人の馬鹿はこのことを知らないし、今だって無理やり連れてきたんだから佳 織に咎はないわ」
「っ! ダメ、ダメだよ、ちぃちゃん! レスティーナさん、わたし、分かってました、わかっていて着いてきたんです・・・・・・!」
 佳織が必死に前に進み出ようとするのを巧みに妨げながら、千歳はぎりぎりと歯を食いしばりレスティーナを睨みつけている。
 王女はじっと二人の様子を見詰めていたが、ふと、目元の険を和らげて信じられない事を口にした。


「私は今回のことで、そなたを咎めるつもりはありません」


 千歳は眉をひそめた。
 願ってもない言葉だが、鵜呑みにするには危険すぎる。
「私は、あなたたちの寝首を掻こうとした人間よ・・・・・・それにここまで来て、今さら私があなたにしたがうと思っているの? 佳織を人質にしたあなたた ちに? オルファたちに苦痛を押し付けているあなたたちに? ・・・・・・私に、あのスピリットたちを殺させた、あなたたちに?」
 千歳の血を吐くような苦痛を帯びた声に、レスティーナは痛々しげに口元を曲げていた。
 佳織は何かを言いたそうに外套の裾を握ってくるが、千歳は肩で息をするのに精一杯だった。

「私は・・・・・・」
 レスティーナは何かを悔やむように目を伏せる。
「今の私は、ラキオスの王女として、そなたに謝ることはできません。それが、無意味である内は」
「―――私だって、上っ面だけの侘びなんて聞きたくもないわよ」
 嘲るように口を歪めたが、千歳はレスティーナの次の行動に凍りつくことになった。


 王女は深く腰を曲げ、自分に頭を下げてきたのだ。


「私にできるのは、こうしてそなたに願うことぐらいなのです・・・・・・お願いです、チトセ。どうか、彼女たちと共に戦って下さい」


「・・・・・・・・・」
「レスティーナ、さん」
「たとえそなたたちがいなくなっても、おそらく明日の龍討伐は強行されるでしょう。そうなれば、アセリアたちは間違いなく消滅させられます・・・・・・エ トランジェの、そなたたちの力はどうしても必要なのです」
「そんな、あの王が龍討伐を思い立ったのはエトランジェがいるからこそでしょう? 私たちさえいなくなれば・・・・・・」
 龍討伐も自然とお流れになるはずだ、千歳はそう思っていた。しかし、レスティーナは重々しく首を横に振る。

「父様にとって、スピリットは消耗品に過ぎません。今回の作戦が成功しようとしまいと、父様にとっては薪の一束が失われた程度にしか感じぬでしょう」
 あまりの非道な表現に、佳織と千歳は息を詰まらせる。だが、あの王ならばやりかねないということが千歳には薄々察することができた。
「彼女たちが無事に帰ってくるには、スピリットたちのものよりも上位の永遠神剣が必要となります。ユートの『求め』と、そなたの『追憶』が」
「・・・・・・私たちの力はとても不安定なのよ、エスペリアたちの方が戦力としては上だわ。足手まといがついていったら余計に」
「それは違います! そなたも気づいているはず・・・・・・彼女たちは確かに強い、けれど、自分の身を省みることを知らないのです」
「・・・・・・・・・!」
 千歳はレスティーナの言葉の正当性に反論を返すことができなかった。

 リュケイレムの森で見た、の彼女たちの姿が思い浮かばれる。
 淡々と一連の作業をこなすように敵を討つアセリア。自分の身を案じることなく、皆の盾となり続けるエスペリア。遊戯を楽しむようかのごとく無邪気に命を 奪うオルファリル。
 彼女たちのことも案じているつもりだったが、自分こそ彼女たちの力にしか目を向けずにいたことを思いしらされた気分だった。

「彼女たちを守り、彼女たちを支える者が必要なのです・・・・・・それは、ユートにも」
「この子の前で、あいつの話をしないで!」
「ちぃちゃん、いいの! わたし教えてもらったの、お兄ちゃんたちが、何をしてるか」
「でも、佳織」
「ごめんなさい、わたしのせいだよね。わたしさえ、捕まっちゃったりしなければ・・・・・・」
 佳織の頭を強く引き寄せ、それ以上喋るなと耳元で囁いた。わずかに震える肩を抱いて、千歳は強く目を瞑る。


 佳織のために、エスペリアたちを切り捨てたつもりだった。
 こうすることが皆のためだと思っていたのに、容易くその決心は打ち砕かれてしまった。
 彼女たちがあの金色の靄と消えるところなど、想像すらしたくない。
 これを弱さというべきものなのだろうか、と千歳は思う。


「また、助けられなかったな、私・・・・・・ごめんね、佳織」
「ちぃちゃん―――」
「もう少し、待っていてくれないかな?」
 きっと、迎えに来るから。
 そう言って少しだけ微笑むと、佳織は泣き出しそうな顔で抱きついてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・・・」
「心配しないで。あの馬鹿は、生きて帰すから」
 しばらく柔らかい髪に包まれた頭を撫でた後、千歳はそっと佳織から離れる。レスティーナに鋭い視線を投げかかると、彼女はそれを真っ向から受け止めた。

「・・・・・・感謝します、チトセ」
「あなたに従うんじゃない。私がそうすることを決めただけよ」
「それでも、かまいません。どうか、皆、生きて帰って来てください」
 レスティーナの言葉に、千歳は皮肉に唇を緩める。
「さっき言っていたけど、咎めなしってことはこのまま帰ってもいいのかしら?」
「その通りです。そなたが倒した兵たちの身柄はすでに回収されていますので、気にすることはありません」
「―――あっきれた、本当に今日は完敗だわ」


 それからどのようにスピリットの館に帰って来たか、千歳の記憶はおぼろげだった。
 それが心の中にぽっかり空いた喪失感のせいなのか、それとも佳織が別れ際に見せた涙のせいなのか、それを知るよしさえなかった。
 わずかに覚えていたのは、帰って来たときになぜか悠人とエスペリアが広間にいたことと、どこへ行っていたのかと聞かれて、ただの散歩だと答えたくらい だった。


 ※※※


 ラキオス城  裏門

 翌日、龍討伐はいきなりの頓挫を迎えた。
 案の定敵国の妨害が入り、具体的にはバーンライト軍スピリット隊がラキオスの軍事拠点の一つ、エルスサーオを狙っていることが、今朝未明に明らかになっ たのだ。ラキオスに最も近い都市には、すでにかなりの規模の人員が集められているらしい。
 情報部はなにをしていたのかと王は大変立腹の様子だったが、龍討伐の命令も撤回はしなかった。
 それゆえに、悠人たちと共に発つことになっていた第二詰め所の龍討伐候補者たちは、すべてバーンライト軍の迎撃の為にエルスサーオへ向かうことになって しまった。
 なんでも龍のマナを得るには、変換施設の効果範囲内で龍を打ち倒さなければいけないらしい。敵にエルスサーオのエーテル変換施設を押さえられれば、龍を 倒したとしても敵国に多くのマナを奪われ損をしてしまうそうだ。

 エルスサーオに向かう部隊の指揮を執ることになった兜をかぶった女性は、出立直前に悠人たちに挨拶をしてきていた。
「どうか、皆様もお気をつけて」
「ファーレーン。あなたたちもどうか無事に帰還して下さいね」
 ラキオス軍では珍しいブラックスピリットの一人だという女性は、緑がかった濃い灰色の瞳を細めて、勇ましい出で立ちとは反する女性らしい笑みを浮かべて 頷いた。
 エスペリアとファーレーンはしばらく何かの打ち合わせをしていたようだったが、やがて遠くで集合していたスピリットたちの中から一人の少女が走り出して きた。
「お姉ちゃん、時間」
「あ、ニム。ありがとう。それではエスペリアさん、エトランジェ様。私たちはこれで・・・・・・ほら、あなたもちゃんとご挨拶なさい」
 ニムと呼ばれたグリーンスピリットの少女は、じろりと悠人たちを一瞥するとやる気がなさそうに呟いた。
「・・・・・・めんどくさい」
「こ、こらっ!」
「まあまあ、そんなに目くじらを立てないでいいからさ」
 ファーレーンが慌てて叱ろうとするのを、悠人がやんわりとなだめた。
 腰をかがめて少女の高さに目線を合わせ、悠人は優しい言葉をかけようとする。
「もうすぐ出発だろうけど、ニムちゃんも元気でな」
「・・・・・・・・・」
 しばしの沈黙。表情のまったく揺るぐことのない少女の口が、わずかにいらだたしそうに開く。

「・・・・・・ニムはなれなれしい男、キライ」


 ―――あ、ヘコんだ。


 がくりと膝が落ちる悠人の姿を、実に面白いと思ったのは残念ながら千歳だけだった。
 エスペリアとファーレーンが慌てている隙に、怒られる前にとニムはさっさと走って行ってしまう。
 なかなか将来有望な少女だと、千歳は感心してその後ろ姿を見送った。

 エスペリアがなだめ、ファーレーンが謝り、最後に千歳がこづいて。ようやく気を取り直した悠人は、乾いた笑いをもらしながらよろよろとアセリア たちが待つ方へ去っていった。
 千歳は二人にそれぞれの出発を促した。
「さ、お互いもう行きましょうか。・・・・・・マナの導きがあらんことを」
「は、はい。それでは。マナの導きがあらんことを」
「はい、それでは」
 エスペリアと千歳はこの世界のまじないの文句を別れに、ファーレーンの背を見送った。

 戻ってみると、悠人は深刻な顔でラキオス城を見上げていた。いつもより余計に大きく見えるこの城の一角に、佳織はいたのだ。
 悠人の思いを察したのか、エスペリアは気遣わしげに悠人の顔を見る。
「行きましょう。バーンライトも、魔龍を狙っているようです・・・・・・なるべくいそがねば」
「ん・・・・・・なら、ユート。急ごう」
 スピリットたちは皆、以前の任務の時と同じ顔をしている。
 オルファでさえ、いつもと同じようにニコニコとしていた。そこに、死地へ赴く者の陰はない。
「パパ、ママ!がんばろ〜ね♪」
 皆の声にはっと振り向くと、迷いを振り切るように悠人は頷いた。
「わかった、行こう!」
 こうして二つの部隊はそれぞれの目的地に向かい、見送る者もなく城門をくぐったのだった。


 リュケイレムの森

 先の任務とは違い、今回は完全に獣道の進軍となった。
 しかも平坦な地面はほとんどなく傾斜続きの道であるため、体力の消耗も激しい。昼ごろまでに一行は三度の休憩を取っていたが、それらはすべてエトラン ジェ二人のせいだった。
 幼い頃は裏山を駆け回っていた千歳もこれは昔取った杵柄とはいかず、木の根につまずき、湿気た木の葉に足を滑らせながらなんとかアセリアたちについてい くのでやっとだった。
 悠人も似たようなもので、つい先ほども一枚岩の上から滑り落ちそうになったのをアセリアに助けられていた。二人とも何度かオルファに励まされ、苦笑しな がらその度に礼を言っている。

 昼食をとった後の進行の最中。ふと、後方を歩いている悠人とアセリアの姿がないことに気づき、千歳はエスペリアたちを呼び止めた。
「・・・・・・どうしたのでしょう?」
「また、足を滑らせたのかもしれないわ。ちょっと見てくる」
「あ、チトセ様!」
 千歳は岩をひょいと飛び越えてもと来た道を引き返した。

 すぐに二人の姿は見つかった。どうやら何か話をしていたようだ。
「どうしたの、二人とも。エスペリアたちが待ってるわよ」
「あ、悪い。ちょっと・・・・・・いや、なんでもない」
「?」
 悠人はそう言うと、急に歩いて行ってしまった。
 取り残された千歳が不思議に思って見れば、珍しいことにアセリアの眉間にしわがよっている。
「どうしたの、アセリア? エスペリアを呼んできましょうか?」
「・・・・・・チトセは、どうして戦う?」
 アセリアは千歳の言葉に返事を返さず、そんなことを聞き返した。その瞳は不思議そうと言うより、確認を求めているようだった。
「それは、命令としてではなく、という意味で?」
「・・・・・・ん」
 アセリアはこくりと頷く。
「ユートにも聞いた・・・・・・でも、まだよくわからない」
 千歳は少し考えたが、やがてアセリアに笑いかけた。
「きっと、アセリアにも分かる日が来るわ・・・・・・自分に、何よりも大切なものができた時」
「たいせつなもの・・・・・・?」
 不思議そうに首をかしげて、アセリアは腰の『存在』にちらりと目を向ける。

「わたしには、この剣しかない・・・・・・剣が戦えといえば、私は戦う」

 アセリアのその言葉に、千歳は声に詰まってしまった。
 この世界では、自分たちもスピリットたちも戦うための駒。そんな現実を目の前の少女に見せつけられた気持ちだった。


 ※※※


 木々が少なくなり周囲に岩場が目立ってきた頃、エスペリアは立ち止まってここが最後の休憩場所だと告げた。
「最後ってことは、やっぱり?」
 少し息を荒くした千歳は、確認するために尋ねる。
 この山を登り始めてから感じていた気配は、よりはっきりと、より強大にすぐ間近に迫ってきていた。
「はい。この先に守り龍の寝床とされる、洞窟があります」
「こんな所に洞窟ねえ・・・・・・自然にできたとも思えないし、龍が岩でも削ったのかしら?」
「いえ。この近辺の岩はとても丈夫で、神剣の力を使ってもわずかにしか削ることができません。一説では、龍の守護がかかっていると」

 エスペリアの説明に、腰を落ち着けた悠人が不思議そうに尋ねかける。
「なぁ、なんで守り龍っていわれているんだ?」
「・・・・・・バルガ・ロアーからの使者を討ち滅ぼしましたゆえに、そう呼ばれているそうです」
 聞いた事のない響きに悠人と千歳は首をかしげた。
「バルガ・ロアーからの使者?」
「世界の裂け目から現われる虚無。マナを食う虚無から、世界を守ると伝えられています」
 千歳はその言葉に、やっとレスティーナがこの作戦に反対していたもう一つの理由を知った。
「―――そんな龍を倒しては、よくないことが起きるんじゃない?」
 千歳の言葉に悠人も頷いていたが、オルファは無邪気に言った。
「それがおっしごとだよ、ママ♪」
 なんの疑問も抱かない、ただ与えられた任務をこなすだけ。そのオルファの行動理念に千歳は偽善と思いつつも心を痛めた。

 それにしても、と千歳は近くから感じる巨大なマナの気配に顔をめぐらせる。
 あれこそが、自分たちが戦いを挑もうとしている龍なのだろう。
 覚悟していたとはいえ、とんでもない力の差はありありと感じることができた。

「・・・・・・悠人」
「ん、なんだ?」
 何かの手取りを話し合っているエスペリアたちの目がそれている間に、千歳はそっと悠人に耳打ちした。
「やばくなったら、あんたは逃げなさい」
「なっ、なに言ってるんだよ!」
「馬鹿、声が大きい! いい? あんたには分からないだろうけど、私たちにはここからでも龍の気配が感じられるのよ。はっきり言って、私たちのかなう相手 じゃない」
「そんな、戦う前からそんなことを言ってたんじゃ・・・・・・」
「事実よ、認めなさい。王はあんなこと言っていたけどさ、開戦が近い現状で貴重な戦力にそうそう手出しはできないわよ・・・・・・佳織のためにも、あんた は生きて帰って」

 千歳の言葉に、悠人は当然ながら納得が行かないという顔をしている。
「でも、『求め』の力があれば・・・・・・」
「えぇ。あんたの『求め』が私の『追憶』よりも強いことは知ってる。・・・・・・でも、その力は悠人のためにも、オルファたちのためにもならない」
「!!」
 千歳の言葉に、悠人はびくりと肩を振るわせた。
「やっぱり、知って・・・・・・いたのか」
 わずかに震える声。悠人が気落ちしているようにも見え、千歳は少し声を和らげた。
「その剣に意思を奪われないようにしているだけでも、苦痛なんでしょ?」
「・・・・・・ああ」
「昨日、私も少しあれをくらっちゃったから言えるけど・・・・・・あれを押さえ込んでいるだけでも、あんたはたいしたものよ」
 千歳は悠人の肩を軽く叩いた。


「剣なんかに支配されないで。私たちは剣じゃない。人よ」


 その言葉に、悠人はぴくりと肩を揺らす。しばらくして、泣き笑いのような表情で振り返った。
「千歳・・・・・・お前、いいやつだな」
「そんな勘違いをしないで欲しいわね―――あんたが『求め』にすぐに負けるようなやつだったら、間違いなく私があんたを殺していたんだから」
 飾らぬ言葉の持主、それが本来の海野千歳だ。
 これまでのことでそれを知ったのか、悠人は苦笑するように首を横にふった。
「俺さ、こっちに来てからもみんなに迷惑かけてばっかりだ・・・・・・アセリアやエスペリア、それに千歳・・・・・・昨日は、オルファに助けられた」
「そんなの、私だって同じよ・・・・・・」
 二人はしばらくの間沈黙を守ったが、悠人が先に口を開いた。


「俺は佳織のために戦う・・・・・・だから、エスペリアたちに全部押し付けるつもりはない」


「それは、今の自分の力を知った上で言っているの?」
「あぁ。それに、このバカ剣をふった時から覚悟はできてる・・・・・・何の迷いもないわけじゃ、ないけどさ」
 千歳はわずかにため息をついて、立ち上がった。
「・・・・・・あんたが覚悟を決めるのはいいけどね、足手まといにはならないでよ」
「なんか、いつもそればっかだな、お前」
「一番、そうなりそうなのがあんただからよ・・・・・・ったく」
「あ、おぃ!」
 ぼやきながら離れようとした千歳の背中を、悠人が押しとどめた。
「何?」
 悠人は少し言葉を捜しているようだったが、やがて静かに口を開いた。

「――― 千歳もさ、無理すんなよ」

「・・・・・・気持ちだけ、受け取っておくわ」
 その言葉の後、エトランジェ二人はそれぞれの永遠神剣をじっと見つめて何も喋ることが無かった。
 そして全員が息を整えた後、一行はついに巨大な洞窟に足を踏み入れたのだった。


 守り龍の寝床

 山頂付近の洞窟内部は、千歳の想像以上に広かった。
 洞窟というよりも、山の外面をくりぬいたような巨大な岩のドーム。千歳はそんな印象を受ける。
 壁面には鍾乳石に似た石の塔が立ち並び、それに付着した光ゴケの灯りが幻想的に周囲を照らし出していた。
 悠人たちはその最深部で、その到着を待っていたようにこちらに首をもたげる巨大な陰と向かい合っていたのだった。

『愚かなる人間どもよ・・・・・・』
 深く、落ち着きに満ちた声が、巨大な陰から放たれる。
 千歳は『追憶』で強化した視界の中で、その陰の全貌をしかと把握できた。
『か弱き妖精たちを連れて、ここに何をしにきたのだ』
 陰はその体内から息吹のように噴き出す、明滅するマナの輝きに照らされている。
 それは、千歳が見た伝記の挿絵などとは比べ物にならないほどの脅威を感じさせる存在だった。

 暗く蒼く浮かび上がる巨大な体躯。闇の帳のような翼。
 絵などより遙かに雄大な姿だったが、何よりも千歳に印象深かったのは、その金色の星の様な瞳だった。
 それは人の及ばぬ叡智を宿す秘宝の如く、到底獣の持ちうるものではなかった、

 ―――綺麗。
 千歳は純粋にそう思った。

『何をしに来たのかと、聞いている』
 不機嫌そうな咆哮が壁面を揺さぶる。
 はっと我に返った千歳は、自分が龍の瞳に見惚れていたのかと今更に気がついた。
「我々はラキオスの使者です。偉大なる守り龍よ」
 エスペリアが一歩進み出て、龍に呼びかける。その声が震えそうになっているのを、千歳は人事のように聞いていた。
「私たちは、あなたを滅ぼすために参りました」
『・・・・・・大地の妖精よ』
 一本一本が剣のような牙が並ぶ口が裂けるように開く。
『何故、我と戦う?それが義務だからか?それとも自らの意思か?』
「―――私の意思です。私はラキオスのスピリット。ラキオスの意志が、私の意志です」
 エスペリアの言葉に、千歳はわずかに眉を寄せる。
 駄目だ、と思った。この存在は、そんな事を言う者に情けをかけるような生易しいものではない。
 龍は怒りも、機嫌を曲げた様子もなく、その様なスピリットを今まで何度も相手にし、滅ぼしてきたとこともなく言った。
『自我を持たぬ事。それも、罪の一つなのだから』
 エスペリアは決意に唇を引き締めて、龍に挑もうと宣言しようとする。
「待って、エスペリア」
「・・・・・・!チトセ様」
 それを、千歳が押しとどめた。
 横手から『献身』を抑えられたことにエスペリアは一瞬驚きの顔を見せるが、千歳はかまわずに龍の下へ進み出た。

「守り龍よ!私は、異界よりこの地に訪れた者です!どうか私の言葉を聞いて頂きたい!」

 『人間』に対する卑屈な態度ではいけない、本当の礼をもって振るわねば。千歳は自分に言い聞かせる。
 この存在と人間は対等ではない。代々祖先たちが祭ってきた存在と話しているのだと思うと、心臓は興奮に高鳴った。
『ふむ。今回は人間を送り込んできたのか。今までは妖精だけであったのに』
 龍はその瞳で、じろりと千歳と悠人を一瞥した。
『汝らも、また虜のようであるが』
 千歳はその言葉に頷いて、さらに声をあげた。
「そうよ。私の大切なものがこの世界の人間たちに奪われている・・・・・・。その娘を救うためには、今あなたの持つマナが必要なの!」
『それゆえに、我と戦うか』
 龍の言葉に、千歳は首を横に振った。

「お願い!あなたのマナを・・・・・・その片腕でいい、それを、私たちに下さい!」
 その言葉が余程意外だったのか、龍はしばし声を失ったようだった。
 千歳は畳み掛けるように声を出す。
「あなたの持つマナは、とても大きい。その片腕分のマナだけでも、おそらく王は納得するはず!そうすれば、私たちはあなたと戦う必要がなくなるの!」
『・・・・・・愚かな。我がその様なことをすると本気で思うのか』
 呆れをはらんだ声に一瞬詰まるが、千歳は何とか声を出す。
「ただでとは言わない。・・・・・・この世界ではどうかは知らないけど、私の世界では龍に捧げ物をして、その加護を願うのですが」
 千歳は自身の胸に手を置いて、はっきりと告げた。


「私の命を、あなたに差し上げます」


「チトセ様・・・・・・」
「おい・・・・・・!」
「シッ!」
 千歳は何かを言おうとしたエスペリアたちを後ろ手でさっと制した。龍はまだしばしの沈黙を保っている。
「私は永年に渡り龍を祭ってきた一族の娘。神としてきた方に命を捧げることに迷いはありません」
 嘘だった。死の恐怖はひたすらに千歳の心を苛んでいる。
 しかし、この勝ち目の薄い勝負に挑んで彼女たちと共に無意味に命を散らすよりも、自身が命を失ってでも彼女たちを帰した方が心残りは少ない。レスティー ナとの約束を破るのは心苦しいが、これが千歳の最大限の譲歩だった。
 龍はゆっくりと首をもたげ、千歳の顔の近くまでに下げた。
 呼吸をする度に、千歳の編みこまれた髪が後方へと宙に流れる。間近で見た金の瞳は、やはり美しいと千歳には感じられた。
 いつ目前に並ぶ牙で引き裂かれてもおかしくないというのに、千歳の心はこれ異常なく落ち着いていた。この龍の持つ雰囲気が、あれ以来聞かなくなった『追 憶』の声に似たものを感じたからかもしれない。

『小さき娘よ・・・・・・』
 先よりもわずかに感じが変わった声で、龍が口を開いた。
 幾人かの同級生男子よりも背が高い自分を小さいと言ってくれるのは、後にも先にもこの龍だけだろう。
『我は自ら望んで命を欲したことはない。・・・・・・そなたの覚悟、不快ではないが、我には受けかねる』
 そう言うと、龍の首はまたもとの位置へと戻っていった。
「そう、なの。ごめんなさい」
『何をあやまる?』
「二つよ。あなたに望まない命を押しつけようとした私のエゴと、もう一つ・・・・・・」
 千歳は『追憶』に手をかけた。いまだあのどこか間の抜けた忠義者の声が聞こえないことが、やけに寂しい。
「あなたに、剣を向けなければならなくなったこと。決して本意ではない、でもこの娘たちをあなたに殺させるわけにはいかないの」
 千歳はわずかに顔を後に向けて、エスペリアに勝手をしてごめんなさい、と謝った。
 エスペリアはわずかに顔を横に振ると、再び『献身』を構えなおす。

「・・・・・・全力で挑みます。私たちは負けません」

 それは、あまりに虚しい言葉。
 今こうして対峙しているだけでも確定された死が千歳の脳裏に浮かぶというのに、エスペリアにそれが分からないはずがない。
『よかろう・・・・・・我を滅ぼしてみよ。愚かであることが人間たちの性なのだからな』
 龍の言葉にまったくだ、と千歳は苦笑してしまう。

 ―――ばさっ!

 一瞬にして全員の体を影が覆う。
 龍の翼が広げられたのだ、目の前に広がる広大な闇を見て千歳はそれを知った。


『我はサードガラハムの門番―――ゆくぞっ!』


「ユート様は下がっていてくださいっ!」
 エスペリアの言葉が悠人の耳に届くか届かぬかの刹那、凄まじい突風が千歳の体を吹き飛ばした。
「キャアアァァッ!」
 悲鳴を上げた次の瞬間、手首を強い力でつかまれた。
「っ!ア、アセリア、ありがとう!」
「・・・・・・ん!」
 片手にオルファを抱いたアセリアが、もう片手で千歳の体を支えてくれたのだ。一方では、エスペリアが悠人を岩の影に逃がしている。
「・・・・・・いく!」
「え?っと、あぶない!」
 風が収まったと思うと、ハイロゥをすでに現したアセリアは千歳とオルファを投げ出して『存在』を抜いた。
 千歳が慌ててオルファの体を抱きとめると同時に、巨大な影が千歳たちを覆う。

 気づいた時には遅く、エスペリアに、巨大な鉤爪が間近に迫っていた。
「―――逃げて!」
 エスペリアはとっさに防壁を張ったが、龍の爪は容易く緑光の障壁を破りその体を吹き飛ばしていた。
「くぅ・・・・・・ッ!」
 小さく悲鳴を上げても、エスペリアは空中で体制を整えて着地する。自分から攻撃の流れに逆らわず跳んだのだろう。だが、その肩には笠懸けに生々しい傷跡 がついていた。

「ヤアアアアァァァッ!」
 腕を振り下ろした体勢の龍に、アセリアの『存在』が襲い掛かる。

 ―――どしゅっ!

 深々と、白銀の刀身が蒼い手甲を貫く。が、龍は気にした様子もなくその腕を見下ろすと、高々ともう片腕を振り上げた。
 それを見た千歳の腕の中のオルファが、とっさに片腕を突き出す。

「死んじゃえ〜〜〜ッ! ふぁいあ・ぼるとっ!!」

 いくつもの炎の礫が龍の顔を打ち抜く。すべてが着弾し、煙がもうもうとあがった。
「やったか!?」
 悠人の声が後ろから聞こえ、千歳は大声で叫んだ。
「―――まだよ!!」
 その叫びは警戒を呼びかけるためのもの。千歳自身も、オルファを腕に抱えてすぐさまその場を飛び離れた。
 一拍置いて、千歳たちがいた場所を紅い輝きを交えた真白き光芒が貫いた。地面を削り、冷気をはらんだ破壊の力が凄まじい爆発をおこす。

 ―――ズガアアァァァァァン!!

「くうっ!」
「きゃあっ!」
 龍の吐き出す凍結の息吹に、アセリアもエスペリアも回避を取ったがかなりのダメージを受けていた。
「ママ、お背中ケガしてる!」
 オルファの言葉に首を傾ければ、岩場に身を隠した千歳の肩を凍りついた岩の欠片が貫いていた。
 それを引き抜こうとするオルファの手を千歳は慌ててつかむ。
「うッ・・・・・・駄目!抜けば、余計に血が流れてしまうから」
「あ、う、うん!」
 かなり低温の異物が、体の中から体温を奪っていくのはなかなかに気色が悪い痛みだった。千歳は歯を食いしばって耐え、オルファに肩口を強く縛ってもらっ た。

 悠人がエスペリアに駆け寄っていくのが、視界の片隅に移る。
「エスペリア!大丈夫かっ!!」
 最初の攻撃でかなり深刻な怪我を負ったはずのエスペリアは気丈に返事をしたが、やはりその声はかすれていた。アセリアもあの後龍から手痛い一撃を食らっ たようだ。
「くそっ!なんだよ、戦いにならないじゃないか!」
 悠人の言葉に、千歳は声を振り絞って叫んだ。
「逃げなさい、悠人! これじゃ、あんたが居たってどうしようもないわ!!」
 その言葉に息を呑む気配がする。エスペリアたちにも撤退を呼びかけようとした時、再び龍の―――門番サードガラハムの厳かな声が響いた。
『人間よ、なぜ汝は戦わない?その腰の剣は、ただの棒切れにすぎないのか?』
 悠人が歯噛みするのを、嘲るようにサードガラハムは喉を鳴らす。
『所詮は人間か。妖精たちにすべてを任せ、自らはその盾の影にいる・・・・・・いや』
 門番は、オルファを腕の中にかばう千歳にその金色の瞳を向けた。
『汝の覚悟は賞賛に値した。惜しむらくは、その無力さか』
「ふ、ふ・・・・・・違いないわね」
 自嘲の笑みを、千歳はサードガラハムに向ける。
 救いたいなんて偉そうなことを言っても、結局自分は誰一人救うことはできないのか。

『―――さらばだ。小さき娘よ』

 その一言に、千歳はとっさにオルファの体を岩の隙間に押し込む。
 それが、千歳にとってまさしく致命的な隙を作ってしまった。
「っ!障壁よっ!!」
 一拍遅れて精霊光を目前に展開した直後の視界は、一面の蒼に塗りつぶされた。

 ―――パアアァァァン

「ぐは・・・・・・っ!?」
 不完全のまま編み上げられた銀色の華は、一瞬にして粉々に砕かれた。まともに龍の尾を腹に受けた千歳は、あっという間に後方へ吹き飛ばされる。『追憶』 が手からはなれ、どこかに転がっていった。
 体が宙に浮き、ぐるりと視界が回転したと思うと、背中から岩壁に叩きつけられる。

「千歳っ!!」

 ―――くそ、元気そうに叫ぶんじゃな・・・・・・っ!?

 全身の感覚がにぶるほどの痛みに、千歳は理不尽な怒りを悠人にぶつけようと口を開く。が、吐き出したのは言の葉ではなく血の塊だった。
「ガハッ・・・・・・!ぐ、ぶ・・・・・・」
「―――ッ!チトセ様―――ッ!」
 石壁に手をついて何とか立ち上がろうとしたその場にずるずると座り込む。千歳のスカートを、鮮血が暗く濃く染め上げた。下半身の体温と感覚が消えてい く。どうやら内臓と脊髄がいかれたらしい。
 息を吸い込むと気道に血が流れ込んでむせ返り、空気を求めてまた溺れていく。

 ――――――死ぬ。

 あっけない、なんて生易しいものではなかった。
 所詮人なんて構造的には血と肉の袋。内部から破壊しつくされれば、これは当然の帰結といえよう。
 余計な抵抗をしなければ楽に逝けたかもと、皮肉に紅く濡れた唇を歪める。
 サードガラハムはまた悠人に何かを言っているようだ。しかし、もう千歳の耳にはその声は聞こえない。あの小憎らしい『追憶』の声が聞きたいと素直に思っ たのは、最期を迎える人間の諦めだったのだろうか。

 ―――ここまで、か。
 この身体も金色の霧と消えれば何も残らないのかと思うと、少し寂しかった。


 ―――悠人、頼むから、オルファたちと逃げて・・・・・・。

 ―――お願い・・・・・・。




 ―――あぁ、寒い・・・・・・なんだかすごく、寒い・・・・・・。

 ―――あの日と同じ。私は倒れて、何もできないまま・・・・・・。





 ―――かおり・・・・・・助けられなくて、ごめんね。






 ―――さよな、ら、しゅ・・・・・・・・・。





 ・・・・・・・・・。


 ・・・・・・。


 ・・・。




 ―――トクン―――


 ※※※


 サードガラハムの門番は、岩壁に背を預けて動かなくなった小さい身体を見つめた。
『憐れな・・・・・・おとなしく受けておれば、苦しむ間もなかったであろうに』
 本当に憐れんでいるのか、そうでないのか、この声からは悠人は知ることはできなかった。
「そんな、千歳・・・・・・?嘘だろ?」
 呆然と、少女の桜色の唇を紅が染めていくのを見る。
 あの館で再会を果たし、この世界で彼女と交した声が走り去るように思い出されていく。


 ―――なんで、あんたがここに居るワケ、高嶺?
 ―――そんなんで佳織を助けようですって?笑わせないでよ!
 ―――・・・・・・あの娘を、血にぬれた手で迎えに行くつもり?
 ―――そ、そうなの。悪かったわね、悠人。

 ―――剣なんかに支配されないで。私たちは剣じゃない。人よ。


 佳織と引き離されて、自分と同じ境遇で、元の世界を思い出させる唯一の存在だった。
 オルファたちにママって呼ばれて、困った顔をしながらも笑っていた少女だった。
 自分の知らない佳織を知っている、少し羨ましくて憎ましくも感じる奴だった。
 けれども、彼女がいなくなってしまったなどとは、悠人は絶対に信じたくなかった。
「エスペリア!あいつに・・・・・・」
「・・・・・・駄目です。今龍に背を向ければ私たちは確実に全滅します・・・・・・」
 エスペリアは唇を噛みしめて首を横に振る。その顔は、大きな焦燥と悲しみに満ちていた。『また、私は・・・・・・』そんな呟きが、悠人の耳をかすめた。
 制服の裾からこぼれ始める金色の輝きを視界に捉え、悠人は目をそらす。自分が知る者の命が失われる。また、自分は何も出来ないのか。悠人の心は深く、深 く悔しさに囚われる。
『人間よ、我はすぐにその妖精たちを消滅させ、あの娘に止めを指す。無論、汝もマナの霧としよう』
 龍の巨大な顔が、再び悠人たちを見据えていた。
『哀れな妖精たちに命令を下した者たちも滅ぼすとしようか』
「なんだって!?」
 聞き捨てならない言葉に怒りを乗せて、悠人は叫ぶ。そんな龍は悠人に、平然と宣言した。
『小さき者の都を火の海としよう』
「・・・・・・!」
 ぎり、と歯を食いしばる。
 虚勢だが、妹を巻き込むことを平然と告げる龍への怒り、そして今目の前で失った一つの命を前にして、悠人の心は強い感情の炎に焼けた。

 ―――絶対に、許さない・・・・・・!

 『求め』の柄を、指が白くなるまで強く握る。
「バカ剣、目を覚ませ! 俺が契約者だって言うなら・・・・・・っ!」
 蒼い刀身が、ほのかな焔を帯びる。あの憎々しいほど平然とした声が、脳裏をよぎった。

 ―――我が、力を・・・・・・求める、か?―――

「いいから、力を貸せッ! こいつをどうにかする力を!」
 肯定の意思を返す悠人に、『求め』はさらなる代償を求める。

 ―――ならばより、多くのマナを・・・・・・汝の血と肉。そして、汝の運命を捧げよ」

 口を開きかけた悠人に、細波のように声が聞こえてくる。


 ―――私たちは剣じゃない。人よ。


 自分を責めるように、諭すように聞こえる脳裏の声に一瞬つまるが、悠人はそれを振り切って叫んだ。
「力が手に入るなら何でもいい!支払ってやる!だから・・・・・・俺に、力をよこせっ!」

 ―――よかろう。汝の求め、しかと受け取った!

 その言葉と共に、『求め』から強力な力が流れ込んでくる。
 神経の先端までもが研ぎ済まされる感覚、血の一滴までもが沸き立つ衝動。
 リュケイレムの森で目覚めた力が、今悠人の身体の隅々までもに流れている。
 そして、悠人は『求め』を振りかぶり、龍に挑みかかってゆく。
 壊せ、破壊しろ。その声が『求め』のものなのか己の欲求なのかも、悠人にはわからなくなっていた。
「うおおおおおっ!」
『む・・・・・・っ!』
 裂帛の気合と共に肉薄する悠人の姿に、サードガラハムはわずかに動じたように見えた。
 巨大な腕が振り下ろされるのを紙一重で避け、悠人は『求め』を振り下ろす。狙いは、アセリアの『存在』がつけた傷跡。

 ―――ざしゅっ!

 片腕に十字の傷が入ると共に、悠人の身体を返り血が濡らした。少量の飛沫が目に入ってしまい、わずかに隙ができた所を跳ね飛ばされる。
 入れ替わるようにして、アセリアが再び龍の懐に潜りこんでいった。
「ぐうっ!」
「ユート様・・・・・・!」
「っ! さんきゅ、エスペリア」
「いえ。お怪我を治療致します・・・・・・」
 吹き飛ばされた身体を、後方に控えていたエスペリアが受け止めてくれた。ざっくりと切り裂かれた悠人の腕を見て、治癒をかけようとする。
「―――! ダメだ、離れろ!」
 それを悠人が止め、とっさにオーラフォトンのフィールドを形成した。赤い輝きを放つ精霊光に、氷点下をはるかに下回る冷気が激突する。
「きゃあああっ!」
「うっ・・・・・・っぐ!」
 幾分かは中和されてダメージは少なくとも悠人は自分の体を襲う、引き裂かれる様な冷気に体力を一気に奪われた。

 ―――痛い・・・・・・ッ。でも、こんな所でッ!!

 皮膚が凍りつきそうになるのに精霊光を活性させてなんとか耐え切ると、悠人は再び『求め』の柄を強く握りしめた。身体に走る痛みも忘れ、獣のような雄叫 びを上げて突進する。
「でやあああぁぁぁっ!」
 龍の身体はその大きさゆえに悠人たちの攻撃を一々受け止めることはできない。鎧のような皮膚は中々傷つけられなかったが、それを差し引いても永遠神剣で 龍にダメージを与えることは可能だった。
 サードガラハムの血を浴びるごとに、『求め』の破壊欲に満ち満ちた悦びが伝わってくる悠人はそれを拒まずに、己が感情としてそれを受け止めていた。



 ※※※



 ―――とくん―――


 始めにあったのは、本当にかすかな鼓動。
 途絶えたはずの脈は、蔦を伸ばすかのように体内に広がっていく。
 霧となりかけている指先が、ぴくりと震える。
 わずかに開かれた瞳に、闇の帳が落ちてゆく。

 すべての拘束から解放された『それ』は、うっすらと自身の覚醒を自覚した。




・・・・・・To Be Continued



【後書き】

 お久しぶりです。
 まずは長らく更新が停滞しましたこと、申し訳ありません。
 そして、これからも更新がかなり遅くなりそうです。真に申し訳ありません。
 諸々の事情により、執筆速度が格段に落ちたせいです。決して創作意欲が失せたわけではありませんので、ご理解いただければと思います。

 この六話は、今までの中では最短ですが、今までの中で一番てこずりました。七話はこれ以上の困難が予測されます。
 なんとか早く新しい作品をお届けしたいです。

 これからもこの作品を楽しんでいただければという願いを込めて、今回はここでお別れを。




NIL