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―――無償の奇跡は存在しない―――
―――あるのは代償をともなう契約のみ―――
―――汝が対価を支払うのならば―――
―――我は力を・・・・・・。―――
―――我は汝の『求め』に応える力を貸そう―――
それが始まりの言葉。
この舞台の幕を落とした、最初の一太刀。
わたしはあの時、なにを求めていたのだろう。
彼女との今を『求め』たのか、彼女との明日を『誓い』願うのか。
・・・・・・・・・それとも・・・・・・・・・
無力だったわたしは、あの懐かしき過去をただ『追憶』していただけだったのか・・・・・・・・・。
永遠のアセリア二次創作
龍の大地に眠れ
一章 : 夢幻世界の少女たち
第四話 : 『求め』願う者
リュケイレムの森
ラースへと向かう行程は半分ほど踏破されようとしている。
もう太陽はすっかり顔を出し白昼の陽光は惜しみなく大地を照らしていたが、悠人たちは日差しが届きにくい森の中を歩いていた。
街道を離れ、森の中を歩き出したのはそろそろ本格的な敵の襲撃が始まる頃だと踏んでいたからだ。
そして案の定その予測は当たり、つい先ほどブルースピリットの敵部隊との交戦があった。 高い攻撃力を持つブルースピリットの攻撃に、アセリアたちはや
や怪我を負ってしまった。
それでもアセリアの攻撃とエスペリアの防護により何とか二人を倒したところで、その部隊が撤退を始めた。
ここでしとめるが良策と見て追撃したが、気がつくと周囲には隠密していた神剣の気配が多数現われたのだった。
「!!」
「くっ!」
それに最初に気がついたのは、最も神剣との繋がりが強いアセリアと他の神剣の力に強く反応する『追憶』を携えた千歳だった。
続いてエスペリアもまた、自分たちが挟み撃ちにあったことに気がつく。
「ユート様! 気をつけてください! 敵の伏兵です!」
神剣の気配が読めない悠人も事態を知り、緊張した面持ちになった。
「アセリア! オルファ!」
気遣う声には、自分に出来る事がないことへのわずかな苛立ちが含まれているようだった。
「うん! やっつけちゃうんだからっ。 パパ、見ててね♪」
「・・・・・・ん!」
オルファは明るく笑ったが、アセリアは厳しい顔で『存在』を構える。
千歳は気配を現した神剣の波動を数え取り、エスペリアに告げた。
「キトラの方向、三。 ラートの方向に六!」
「まず、背後の敵を殲滅します! アセリアは前方の敵を撹乱して。 オルファ、神剣魔法を!」
エスペリアは千歳の報告を受け瞬時に部隊へ指示を出すと、自ら『献身』を振りかぶって敵へと突撃した。
「マナの支配者である神剣の主として命じる・・・・・・」
オルファはすでに詠唱を始めている。
しかし、その前に後方の部隊の一人がアセリアの隙をかいくぐり、こちらに突進してきた。 その狙いは勿論、動く事のできないオルファだ。
「させないっ!」
千歳はオルファの前に走り出すと、片手を突き出し前方の空間に意識を集中した。
「障壁よ!」
―――ギイイィィン!
編み出された銀色の華が、火花と細かい花弁を散らして敵の攻撃を受け止める。 ヒミカとの試合の時とは比べ物にならない、格段に重い一撃だった。
千歳は障壁越しに強く押し返される感覚を覚える。 それは、目の前の相手が自分を殺そうとしていることの証。
恐怖を覚えながらも、千歳は何とかのその一撃を凌ぎきった。
目の前の相手がエトランジェであることを察したのか、ブルースピリットの少女は一撃が受けきられた事を知るとすぐさま後退した。
ヒット・アンド・アウェイ、それがスピリットたちの一般的な戦法であるらしい。
「ママ、どいて〜〜〜っ!」
オルファの警告に、千歳はさっと横に体を避けた。
一拍おいて、つい先ほどまでいた空間を巨大な火球が飛んでいく。
あっという間に敵の一人が炎に巻き込まれてしまうと、動揺した他の者たちもすぐさまエスペリアによってしとめられた。
その間アセリアは敵六人を翻弄し、その半数をしとめていた。
そして、その上にエスペリアとオルファが加勢に加わった彼女たちにもはや勝機はなかった。
千歳は最後の一人が金色の霧となって消えたのを見て、押し寄せてきた安堵と恐怖に大きく息を吐き出した。 膝が笑ってしまったので、手ごろな木の幹に背
を預ける。
「戦いは終わりました。 剣を下げても大丈夫ですね・・・・・・」
そこへ、エスペリアたちが草木を掻き分けて戻ってきた。 アセリアは『存在』を鞘に戻し、エスペリアは『献身』を片手にしている。
「お怪我はありませんか? ユート様、チトセ様」
エスペリアは優しく尋ねる。 歳は肩で息をしながら軽く手を上げてみせたが、悠人は返事をしなかった。
「・・・・・・ユート様?」
それを不審に感じたのか、エスペリアは悠人を気遣わしそうに近づいた。
しかし、悠人はびくりとその細い指先を恐れるように後ずさった。 その顔は、先ほど千歳がしていたそれによく似ている。
悠人はすぐにはっとして、エスペリアに首を横に振った。
「ち、違うんだ。 俺・・・・・・」
彼のどうすればいいか分からないといった表情を察して、エスペリアは少し寂しそうに、けれどどこまでも折り目正しく頭を下げた。
「・・・・・・申し訳ありません。私たちも少し休みます。 どうか、心を落ち着けてくださいませ」
悠人が畏怖を抱いているのは、エスペリアたち自身ではないだろうと千歳は察する事ができた。
「エスペリア・・・・・・ごめん・・・・・・」
悠人は心底すまなそうにうな垂れた。
「お気になさらず。 ユート様たちは初陣なのですから」
落ち着いたら呼んでくださいと言い残し、エスペリアはその場を離れようとした。
「パパ〜♪ どうだった、オルファの活躍!」
そんな時、オルファが無邪気に悠人に詰め掛けた。
その顔には無邪気な微笑しかなく、それがかえって千歳にはいたわしく思えてしまう。
「オルファ、こちらに来なさい」
エスペリアは悠人の褒め言葉を待っているオルファに、言い聞かせるようにして呼びかけた。
「え〜! せっかく敵さんやっつけたのにぃ!」
「いいから!」
「・・・・・・ぶ〜〜〜」
厳しくたしなめられてオルファはぷっくりと頬を膨らませ、エスペリアに手を引かれていった。 アセリアも黙ってそれに続いていく。
千歳は息を整えると、その場に立ち尽くす悠人に顔を向けた。
「高嶺」
千歳が悠人に声をかけるのは、実にスピリットの館で再会して以来のことだった。
「・・・・・・あの娘たちは、私たちを守ってくれたの。 それは、分かってるわよね?」
非難も侮蔑の色もない千歳の声音に悠人は大きく頷く。 それに安心して大きく息を吐き出すと、千歳は幹から腰を上げた。
「なら、私の言いたい事は何もないわ」
そして、エスペリアたちが消えていった方向へ足を向けるが、背後から悠人の声がかかった。
「・・・・・・お前は怖くないのか、海野」
それが彼女たちのことではなく、すぐそばにある『死』のことを言っていることは二人の間に説明は要らなかった。
「怖いわよ・・・・・・まだ、足が震えてる」
千歳は正直に答えると、草木を掻き分けてスピリットたちの姿を探し始めた。
休むといった手前それほど遠くへ行くはずもなく、エスペリアたちの姿はすぐに見つかった。
どうやら二人の少女にエスペリアが何かを言っているようだった。
人の気配に赤い髪がこちらにくるんと振り返り、それが千歳であることにいち早く気がつく。
「ママ〜〜〜♪」
オルファは嬉しそうに駆け寄り、千歳の腰にぎゅっとしがみついた。千歳は微笑を浮かべて、その頭を撫でてやる。
エスペリアもこちらに気がついてオルファを再びたしなめようとしたが、千歳がそれをそっと手で制した。
「ごめんなさいね、あいつもちょっと気が立ってるだけだと思うから」
千歳が先に謝ると、エスペリアは慌てた様子でとんでもないと首を横に振った。
「そんな、どうか謝らないで下さいませ・・・・・・チトセ様は」
「私は平気・・・・・・じゃないけど、もういいの」
千歳はオルファの体を離すと、そっと腰の『追憶』に手を添える。
「これは私の剣。 そしてこれもまた、あのスピリットたちの命を奪った剣」
「・・・・・・・・・」
「だから、あれは私の罪でもある」
「チトセ様・・・・・・」
「一人で背負い込まないでね、エスペリア」
千歳は精一杯の微笑みを浮かべる事しかできなかった。 そうでもしないと、目の前の少女に本当に申し訳なくて。
「ママ、オルファも敵さんいっぱい殺したよ♪ 褒めて、褒めて!」
オルファが千歳に甘えるように体を摺り寄せた。
千歳は一瞬言葉を失ったが、そっとしゃがみこんで小さな体をぎゅっと抱きしめた。
予想外の千歳の行動に、オルファはやや戸惑ったような声をあげる。
「ママ・・・・・・?」
「・・・・・・ありがとう、オルファ」
千歳はオルファの頭をそっと撫でた。
今、この少女に自分の倫理を説くことは無意味であることが、千歳には分かってしまった。 だから代わりに口に出すのは、せめてもの彼女たちへの感謝の言
葉。
「私たちを守ってくれて、本当にありがとう」
「・・・・・・うん♪」
オルファが満足そうに頷く。
エスペリアにそっと目配せすると、彼女もまた千歳と同じような表情で黙って頷いた。
「・・・・・・って、あれ? アセリアは?」
そこでやっと、千歳は先ほどまでいた青き少女だけがいつの間にか消えていることに気がついた。
エスペリアもあっと周囲を見渡すと、素早く『献身』を手に取った。 数秒後、呆れたような、困ったような顔をする。
「いました! あの子ったら、いつの間にユート様の傍に・・・・・・チトセ様。 ちょっと失礼しますね」
そう言うと、エスペリアは元いた場所へと向かって歩き出した。
「もう、お姉ちゃんたちずるいんだからぁ。 ママ、オルファたちも行こ!」
オルファは千歳の手を引いてエスペリアを追おうとする。 千歳は苦笑しながらも、自分の腕を引く力に逆らわずにいた。
しかし、元いた場所に戻る途中でふと顔を横に背けたオルファが唐突に驚愕の声を上げた。
「あ〜〜〜っ!」
そして千歳の腕を離して全力の疾走を始める。
「え? ちょ、ちょっと、オルファ!?」
千歳はエスペリアたちとはぐれないかと心配になったが、放っておくわけにもいかず慌てて小さな背を追った。
千歳が追いついた時には、オルファは一本の若い木の前でせかせかと何かをしていた。
「オルファ! 急に走り出して、危ないでしょ!」
千歳はやや怒った声を出したが、オルファは満面の笑みを浮かべて振り返る。
「ママ! 見て見て!」
オルファが丸っこい両手を千歳の前に広げる。そこに、桃に似た果実がいくつか転がっていた。
「ネネの実だよ! こんなに見つけたんだ!」
見れば、隣の木には同じ実がたわわに実っている。
千歳はそれが、オルファの好物である事をラースの館で知っていた。
「・・・・・・へぇ、こんな場所になっていたの」
「うん! オルファもびっくりしちゃった」
オルファは嬉しそうにそれをポケットにしまい、やや高い枝の実を取ろうと爪先立ちをする。
千歳も幼い頃に裏山を駆け巡り、よく山桜やらグミの実を取って食べたものだ。 それを思い出して、千歳はそっとオルファの脇の下から手を添えてその体を
持ち上げた。
「あっ! ママ、ありがと♪」
オルファはよく熟れた実をもう数個もぎ取ると、千歳に一つを差し出した。
「はい! これ、ママの分ね!」
「ありがとう・・・・・・けど、少しとりすぎじゃない?」
一人一つには多すぎ、二つには少なすぎる量を取ったオルファに疑問を向けると、少女は明るく言った。
「ううん! これでいいんだよ、パパの分と、お姉ちゃんたちの分と、オルファの分」
そしてオルファはにっこりと笑った。
「それと、ネリーたちの分!」
千歳はその答えに、きゅっと胸が締め付けられた。
敵に占拠されているはずの施設を守っていたスピリットたち。 今頃は、一体どうしているのだろうか。 指令が下されたに時感じたものが今になって、猛烈
な心配となり千歳の胸をよぎった。
「ヘリオンお姉ちゃんも、甘いものが大好きなんだよ♪ きっと喜んでくれるよね!」
「・・・・・・ええ、ええ。 きっと、みんな喜ぶわ」
千歳は胸の痛みをこらえて、オルファとそっと笑いあった。
「でも、もう行かないとね。 エスペリアたちが心配するわ」
「うん!」
二人が戻った時には悠人もかなり落ち着いたようで、その顔色もだいぶよくなっていた。
戻ってきた千歳とオルファに、エスペリアが進行の再開を告げる。
オルファは明るく返事をすると、早速ネネの実を皆へと分け始めた。
「ほら、これネネの実だよ! あっちで見つけたんだ〜」
まず、近くにいたアセリアによく熟れた実を手渡す。
「はい、あげる♪」
「・・・・・・ん」
『ん』のイントネーションに感謝の意が込められているように思ったのは、千歳の勘違いだろうか。
「はい、パパもエスペリアお姉ちゃんも」
「ありがとう、オルファ」
「さんきゅ」
受け取って、悠人はオルファの頭を撫でた。 その様子に、先ほどの気落ちした気配は見えない。
「もう、大丈夫みたいね?」
「・・・・・・ああ。 ありがとな、海野」
あんまり率直な言葉に、千歳は今までの自分の意地っぱりな行動を思い少し動揺してしまった。
「べ、別にあんたのためじゃないわよ」
「エヘヘ♪ オルファよく分かんないけど、元気出してね!」
そう言うと、オルファは千歳の手を引いてアセリアの下へと走り出した。
そのポケットには、まだ三つのネネの実がある。
そのことを知る千歳は、どうかオルファが彼女たちにそれを手渡せるように心の底から願っていた。
※※※
やがて中天に指しかかろうという頃、一行は森を抜けて再び街道にでた。
北から南へと抜ける道を南へ曲がろうとした時、千歳はふと心惹かれるものを感じて後ろを振り返った。
「・・・・・・? チトセ様、どうかなさいましたか?」
エスペリアは不思議そうに、目的地とは反対の方向を向いて動かない千歳を見た。
「エスペリア、あっち・・・・・・この道の向こうに、何があるか分かる?」
千歳はエスペリアに答えぬまま、問いを問いで返した。
「あちらの方角、ですか? この先は特に街も何もないはずなのですが・・・・・・」
困惑の表情で答えるエスペリアに、千歳はわずかに眉をひそめた。
千歳も特に、神剣の力を感じるわけではない。 ただ、妙にその方向が気になるのだ。
考え込む二人に、オルファが明るい声で会話に参加してきた。
「あ、そっちの方向なら、オルファついこの前、行った事があるよ!」
「ある!? どうだったの? 何かなかった?」
その言葉に、千歳はオルファに詰め寄った。
オルファはその剣幕にやや驚いたが、千歳もまた彼女の言葉に驚かされることになった。
「向こうにはね、おっきな洞くつがあるんだよ。 ネリーたちと行った時、その奥にママが倒れてたの!」
千歳は声を失った。
自分がこの世界に召喚された場所がこの向こうで、自分はそれに何かを感じている。 それは、明らかに何かの符丁と思われた。
「そう言えば、聞いた事があります。 バートバルト海の果てからやってきた、傷ついた水龍が眠っているといわれる洞窟」
エスペリアはやや感慨深そうに告げたが、すぐに困った顔になった。
「・・・・・・ただ、目撃されたという記録はありませんが」
「龍?」
千歳は不思議そうに聞き返す。
この世界にも龍と呼ばれる存在があることにやや驚いていた。
「はい、目撃証言があるものをあげれば、リクディウスの魔龍、シージスの魔龍などがありますが、いずれも莫大なマナを保有し、強大な力を持つと伝えられて
います。 ・・・・・・それが、なにか?」
「・・・・・・いいえ、何でもないわ。 神剣の気配も、マナの動きもないし。 今はそれより、ラースに向かいましょう」
千歳はそういって歩き出したが、歩みを進めながらも背後を進む悠人の方へと近づいていった。
「高嶺」
「な、なんだ?」
声が硬いものになり、悠人はやや驚いたように千歳に尋ね返した。
「あんたがこの世界にいる前にいたのが、神木神社だって言ったわよね?」
「ああ、そうだけど」
「何か、やらなかった? 鳥居に悪戯とか・・・・・・蔵に忍び込んだりとか・・・・・・」
「なっ、そ、そんなこと、するはずないだろ!?」
やや憮然とした声で、悠人はきっぱりと千歳の言葉を否定した。
「なんで、急にそんなこと考えたんだ?」
「・・・・・・・・・」
話そうか、話すまいか、千歳は少し考えたがこれが何かの符丁となるかもしれないと思い、やがて口を開けた。
「あんたの最後にいた場所が、神木神社。 そして、私が最初にいたのが龍の洞窟。 少しできすぎているとは思わない?」
「・・・・・・? どういう意味だよ、それ?」
悠人は未だ理解ができないといった風に尋ねる。
千歳は知らないのかと、立ち止まって悠人の顔を見つめた。
「あぁ。 そういやあんた、地元の人間じゃなかったものね。 知らなくてもしょうがないか」
考えてみればすぐに思い出せたが、悠人は姓こそ佳織と同じ高嶺だが、彼自身は子供の頃に引き取られた養子であった。
そのことに触れられるのが不快だったのか、やや悠人の目が厳しいものになる。
「なんだよ、それ。 俺がそうじゃないからって、なんか関係あるのか」
千歳は息を吐き出すと、たった一言告げた。
「神木神社の本尊も、龍よ」
「!」
御本尊自体は祖父が大切に保管しており、血族の千歳すら目にしたことはないがその程度のことは知っていた。
地元の人間ならば、昔話程度に『神木の龍神様』の話も子供たちに聞かせたことがあるはずだ。
「おい、それじゃ・・・・・・」
「っく!?」
悠人が何かを言おうとしたその時、千歳は唐突に背後を振り返った。
スピリットたちも、同時に同じ一点を注視する。
「な、なんだ・・・・・・?」
神剣が覚醒していない悠人でさえ、異常な程のその気配に気圧されているようだった。
強力な永遠神剣の気配が、急速にこちらへ向けて近づいていた。
その力は、今まで相手にしてきたスピリットとは正に桁違い。
木々を透過して、殺気がビリビリと叩きつけられているのが分かった。
―――暗き、力・・・・・・。―――
突然、『追憶』が千歳に意思を送り込んできた。
―――主殿、あれは危険だ。早急にこの場を離れられよ―――
「・・・・・・もう、手遅れよ」
千歳は苦々しく、樹木の間から見える赤い髪を見つけて呟いた。
「あのスピリットは危険です! 下がってください!」
エスペリアの危機迫った声音に、悠人も緊張を深める。
「やばい、すぐに追いつかれるぞ・・・・・・!」
「オルファ、アセリア、御二人をお願いっ!」
エスペリアは『献身』を構え、自ら圧倒的な力の差があるレッドスピリットへと単身向かって行った。
「・・・・・・ん!」
アセリアが、素早く千歳たちの前に背を向けて立ち塞がる。
「エスペリアお姉ちゃん!」
前に出ようとするオルファを、わずかに振り返ってエスペリアが押しとどめた。
「下がって、オルファ!」
盾型のハイロゥを顕現し、エスペリアが突進する。
接近する速度は、両者共に同じぐらいであった。 しかし赤き少女がその手に持つ双剣を振り上げた途端、エスペリアははっとして緑色の結界を編み上げた。
―――ごぅ!
「きゃあああぁっ!」
だが、敵の攻撃を易々と受け止めていたそれは、レッドスピリットの一撃を防ぎきれずエスペリアの片腕を切り裂き、その体を衝撃で弾き飛ばした。
向かい風を受けながら、千歳は木の幹に激突したエスペリアに向けて赤の少女が神剣魔法を紡ぎ始めていることに気がついた。
速い。 千歳の知る限り、神剣魔法は絶対的な隙を生み出すため部隊行動での使用が通例だったが、目の前で編み上げられる魔術は驚異的な速度でその全貌を
現しつつあった。
―――グリーンスピリットは神剣魔法への耐性が低い!
千歳はその事実に思い当たって、アセリアが止める間もなく『追憶』の力を全開にすると、全力でエスペリアの元に疾走した。
オルファが背後で自分を引き止めているのが分かる。 しかし、エスペリアを見殺しにする事など出来るはずもなかった。
「この場に集いしマナへと告げる!」
不可視の糸を幾重にも打ち出しながら、走る足は緩めることはない。
「真なる覇者の声を聞き・・・・・・っ!?」
―――ダメ、絡み取れない!?
その魔術は、千歳の全く知らぬ構成のそれだった。
火球や礫とは違う。形の無い、根本的な『炎』の力の前に、千歳の展開した糸たちは行くあても無く虚しく空を切った。
赤き少女の口から最後の言葉が紡がれた。
「インフェルノッ!」
そして、完成された圧倒的な力が放たれる。
千歳はとっさにすべての糸の支配権を捨て、倒れているエスペリアを抱きしめて真横へと跳んだ。
紅蓮の光芒が視界をかすめ、離れた場所へと千歳が体ごと倒れ伏した瞬間、凄まじい激痛が千歳の体を貫いた。
「あ、ぅあっ、っぁああああああっ!」
恥も外聞も無く、その痛みに泣き叫ぶ。
千歳の肩から二の腕までそして腰から下の左半身が、完全に焼き爛れていた。 真っ赤な肉が真っ黒に燃えた衣服の成れの果てからのぞいている。 傷跡から
金色の粒子が徐々に零れ落ちるのを、千歳が理解する事は無かった。
―――痛い、いたい、イタイ、イタイ、イタイ!
目から涙があふれ、喉からは嗚咽しか漏れない。 千歳は絶対的な恐怖と苦痛に心を塗りつぶされた。
あたりを七転八倒して、傷を打ち付けて更にその激痛に悶え苦しんだ。
だれかが自分の体を押さえつけようとするのを全力で跳ね除ける。
「ママ、ママ、ママッ!」
赤い髪が視界をかすめ、次の瞬間押さえ込まれた。
千歳はその痛みに絶叫を上げるが、次の刹那、視界を緑色の粒子がかすめた。
「大地の活力よ、傷つきし者の力となれ。 マナよ、傷を癒して・・・・・・!」
痛みが嘘のように消えていく。
くぅ、と肺に残った空気を搾り出すように千歳は呻いた。
「アースプライヤー!」
肩を覆う外套の衣擦れに、千歳はやっと正気を取り戻した。
「あ、ぁ・・・・・・生き、てる。 私、生きているの・・・・・・?」
「ママ〜〜〜っ!!」
オルファが胸に取りすがっていることに、ようやく気がついた。 見れば、その横には傷ついたエスペリアが弱々しく微笑んでいる。
「あぁ、良かっ、た・・・・・・チトセ、さ、ま・・・・・・」
「っ! エスペリア、あなた・・・・・・!」
千歳は瞬時に、エスペリアが自分に癒しの力を施してくれた事を知った。
―――自分以上に傷ついているというのに!
「ママ、はやくはやく! ここからはなれなくっちゃ!」
オルファの声に、千歳ははっとして周囲を見た。
生木が燃え盛り、沸騰した樹液がじゅうじゅうと音を立てている。 閑静な森は、死の紅に彩られてその大気を揺らしていた。
オルファは猛る炎の壁に近づくと、永遠神剣『理念』を一振りした。 それに応じて炎が道を譲るように、真っ二つに裂ける。
千歳は自分にも治癒を施してよろよろと立ち上がるエスペリアを見ると、急いでその体を抱き上げた。
「チ、チトセさま・・・・・・」
「喋らないで、舌を噛むわ!」
その後オルファのおかげで、何とか千歳たちは悠人たちの所へ戻る事ができた。
ぼろぼろになって戻ってきた三人を、緊張した顔のアセリアと今にも泣き出しそうな悠人が出迎えてくれた。
既に、あの恐ろしい神剣の力は感じられない。 千歳たちをしとめたと見たのか、それとも他に理由があるのかは知りようもなかった。
エスペリアは千歳の腕の中で弱々しく顔を上げ、悠人の顔を見るとうっすらと笑った。
「ュ・・・・・・ートさま。 ・・・・・・ご無事で、したか?」
炎を切り分けた後、しんがりを勤めてくれたオルファが心配そうにエスペリアを見た。
千歳はエスペリアへのすまなさと、己への情けなさで今にも涙が出そうになる。
「く・・・・・・ぅ。 申し訳ありません」
がくり、とエスペリアの首が落ちる。 慌ててオルファが千歳につめよった。
「お姉ちゃん!」
「大丈夫・・・・・・気を失っただけよ」
細い体を草むらにそっと横たえて、千歳はようやく他人のために一粒の涙をこぼしたのだった。
※※※
それからエスペリアの様子を見るため、全員その場に留まっていた。
幸いな事に敵の追撃は無いが、千歳はこれまで以上に『追憶』の力を引き出して他の真剣の気配に気を配っていた。
千歳はエスペリアの衣服を緩め、オルファは携帯用の水で湿らせた布を用いて血の気の引いている顔を優しく拭う。
千歳は自分がまねいた、自分の浅はかな行動を心から悔いていた。
あの時、千歳がエスペリアを助けようなどとしなくても、彼女は自分の力で切り抜ける事ができたかもしれない。 それを自分という怪我人を増やしたせい
で、彼女は自分にかけるべき治癒すら余計に費やしてしまった。
もし、自分がもっと周囲への警戒を強めていれば、あのレッドスピリットの接近前にその脅威を察し、逃げおおせる事ができたかもしれない。
もし、自分たちさえいなければ、スピリットたちはもっと素早い行動を取れていたのではないか。
もし、もし、もし・・・・・・・・・。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
しかし、それでも千歳は考えてしまう。 もっと自分の取るべき道があったのではないかと。
そして、エスペリアの様子を心底心配そうに見守る悠人もまた、千歳と同じ顔をしていた。
「ぅ・・・・・・」
まぶたをそっと拭われたエスペリアが、小さく呻いて意識を取り戻した。
「お姉ちゃん!」
オルファが彼女の顔を覗き込もうとするのを制して、千歳はオルファに指示を出した。
「オルファ、水を! 水を出して!」
「あ、うん、わかった!」
素早く荷物の中から携帯用の水を出したオルファは、それをそっとエスペリアの口元に運んだ。
意外にもしっかりした指が、その手から水を受け取る。
ゆっくりと喉を鳴らして水を飲み込むと、エスペリアは悠人と千歳を見て柔らかく微笑んだ。
「ご無事で、・・・・・・なにより、です・・・・・・」
その言葉の弱々しさにラースで息絶えた少女を思い出して、千歳はぎゅっとエスペリアの胸に取りすがって嗚咽を漏らした。
「なんで、なんでだよ・・・・・・」
悔しそうな、やり切れなさそうな声が後ろから聞こえた。
「なに言ってるんだよ・・・・・・っ!」
怒りさえはらんだ声で、悠人がエスペリアを睨んでいた。
「あんな危険な奴と、なんで一人で戦おうとしたんだ!」
悠人の怒りの声。 けれどそれは瞬に向けられたものとは違い、エスペリアへの想いとそれゆえの激情を伴ったそれだった。
その言葉にエスペリアは困ったように微笑んで、もう一度水を口につけると千歳の背をそっと起こした。
「ユート様。 私たちは戦うためにいます」
その言葉に迷いはない。
「それが私たち、スピリットの役目なのです。 ユート様と、チトセ様は、人です。 私たちは、人を護ります・・・・・・それが、私たちが存在している理由
ですから」
アセリアも、オルファも、その言葉に異を唱えようとしないことが千歳には悲しかった。
「御二人のために、私が消えることなど・・・・・・」
そして、こんなことを笑顔で言い切れてしまうエスペリアが、千歳には辛くてしょうがなかった。
「大した問題ではありません」
千歳は首を横に振った。
「違うわ、エスペリア・・・・・・それは、違うの・・・・・・」
それっきり、弱々しく千歳は乾いた唇を閉ざす。 それをエスペリアは子供の駄々をたしなめる時のように、千歳の頭にそっと手を滑らせた。
それ以上の言葉が出てこない口を呪いながら、千歳は肩を震わせてうつむいてしまった。
「―――俺のために、消える事が問題ないだって?」
悠人の声は静かだった。
エスペリアの声と同じように。
「自分が死ぬだけで佳織が助かるなら、俺だって喜んで死んでやる!」
ただ、その言葉はエスペリアのように氷のような冷たさを持つものではなく、炎のように熱を帯びていた。
「でもそれじゃダメなんだ! 俺が生きてなきゃ佳織は助けられないんだよ・・・・・・生きて、戦い続けなきゃ!」
「パパぁ・・・・・・」
二人のかもし出す空気に、オルファはその瞳に涙をためて悠人を見つめた。
「だから、勝手に、勝手に消えようとなんかするなよっ!」
悠人の顔は哀しみに彩られている。その唇からは、搾り出すように一言が押し出された。
「―――俺を、置いて行かないでくれ!」
千歳はその言葉にびくりと肩を揺らした。
悠人が言っているのは、ただのエゴだ。自分の好き勝手で、他人の決意を踏みにじろうという。
だが、悠人にとっても、千歳にとっても、その言葉は彼女たちへの真実の願いだった。
「そうよ。 お願いだから、死ぬなんていわないで」
頬をつたう涙を拭わないまま、千歳は翠の瞳をひたと見据える。
「遺されていく人間は、悲しいの・・・・・・それが誰であっても。 スピリットでも、エトランジェでも関係ない」
千歳は喉の奥から声を絞りだした。
「悲しいのよ・・・・・・」
エスペリアはわずかに目を見開いて、悠人と千歳を交互に見つめた。
「・・・・・・御二人は、私たちに生きろと・・・・・・と、仰るのですか?」
信じられない、というよりもどうしよう、といった表情で。
「スピリットである私たちに」
千歳はゆっくりと、縦に頷いた。
悠人は言う、エスペリアたちは一緒に生きる人間だ、と。
エスペリアは言う、それは違う、自分たちはスピリットなのだ、と。
そんなの関係ない、千歳は強くそう思った。それは悠人も同じだった。
「俺はエスペリアが・・・・・・みんなが死ぬのが嫌なんだ!」
悠人は千歳の方をちらりと見る。
「海野の言う通りだ、人間もスピリットもない!!」
「・・・・・・・・・」
エスペリアはきゅっと唇を結んだ。
「・・・・・・同じなんだよ。 何も違うもんか」
そして、自分の手に持つ永遠神剣を悠人は強く握りしめた。 未だに主の声に応えない無骨な刃は、今も千歳に『追憶』を介して不気味な威圧を与えている。
しかしそれを知らない悠人は、エスペリアに強い視線を向けて詰め寄った。
「なぁ、エスペリア。 俺の神剣は眠っているって言っていたよな?どうやったら叩き起こせるんだ?」
彼の瞳は雄弁だった。
―――守られるだけなんて嫌なんだ、俺も剣を取る。
「・・・・・・高嶺、あんたの気持ちはわかるわ。 でも・・・・・・」
そんな悠人の言葉に、千歳はなんとか喉を落ち着けて振り返った。
「本当にそれでいいの? 佳織はあんたを待ってるのよ・・・・・・あの娘を、血にぬれた手で迎えに行くつもり?」
残酷な事を言っていると、千歳は自分でも分かった。 けれど、悠人と千歳では立場が違うのだ。
一人は彼女自身に選ばれた家族、一人はただ彼女の身を案じるだけの古い友。
―――あんたは何もしなくていい。
千歳がかつて悠人に告げた言葉は、私がやるから、という意味も込められていたのだ。
それを知っているのか、悠人は真剣な顔で千歳の眼を見て一つ頷く。
「それでも俺は、一人だけ見ている事なんてできない」
バカ、と口の中で呟いて千歳は顔をそらしてしまった。 悠人はわずかにすまなそうな顔をして、またエスペリアに向き合う。
しばらくの間二人の間に沈黙が流れて、ついにエスペリアは重々しく口を開いた。
※※※
「―――上手くいくと思う?」
「分かりません。 でも、これ以外に方法は・・・・・・」
エスペリアが出した案とは、睡眠状態にある悠人の永遠神剣を他の永遠神剣によって揺さぶりをかけるというものだった。
この役目に選ばれたアセリアは長いキャリアを持ち、今いるメンバーの中では永遠神剣の意思を聞くことができ、そしてそれを使いこなしている面でこの役目
に最良の人物だった。
本当は『追憶』とのほぼ完全な意思疎通が取れている千歳も適任だったかも知れないが、本人がそれを望まない事を察したエスペリアがアセリアと彼女の永遠
神剣『存在』を推したのだ。
今、千歳たちの前では二本の永遠神剣がその切っ先を合わせていた。 向かい合う悠人とアセリアの目蓋は伏せられて、先ほどから微動だにしない。
残された三人はする事もなく、ただ彼らの帰還を待つより他になかった。
「もう、二人の神剣は完全に共振してるわね」
「はい、後はアセリアがユート様の神剣を目覚めさせる事ができれば・・・・・・」
千歳は先ほどから絶えずエスペリアに話しかけていた。
そうでもしないと、不安で押しつぶされそうだったからかもしれない。
そんな時、無邪気な声が千歳たちの緊張を吹きとばしてしまった。
「ね〜、ね〜。 パパとママってどういう関係なの?」
「はぁ!?」
「こ、こら、オルファ!」
思わずあっけに取られる千歳と、何故だか顔を赤くしてたしなめるエスペリア。
「どういうって、何が?」
「だからぁ、パパもママもカオリのことが大切でなんでしょ? なのに、なんか二人ともこぉ・・・・・・うまくいってないみたいな感じがするんだもん。 ほ
ら、『おしどりフーフ』ってやつだよね!」
「ブッ!」
「きゃっ!チ、チトセ様!?」
はしたなく噴き出した千歳を、エスペリアが慌てた顔で背中をさする。
一体佳織はオルファとどういう会話をしているのかと思い、千歳は非常に頭を痛めた。
「ケホッ、ケホ・・・・・・オ、オルファ、それ、全然意味が違うから」
「え、そ〜なの?まぁ、気にしな〜〜〜い♪」
千歳は先ほどの緊張も忘れ、胆力を根こそぎ奪われたように感じてぐったりと脱力してしまう。
「ママ、どしたの?」
これが他の人物が言ったのなら馬鹿者と頭の一つでも張り倒すところだったが、悪意なき小悪魔があんまり不思議そうな顔をするものだから、千歳は怒る気す
ら失ってしまった。
そして何故か、千歳は彼女たちになら話してもいいかと思った。
「・・・・・・まぁ結論から言えば、みんなツいてなかったたのよ」
苦笑を浮かべて、千歳は独白するように語り始めた。
「佳織は私の友達だった。 今のオルファよりも小さかった私と、あの子、それとどうしようもない意地っ張り。 三人だけで私たちはよく遊んでいたの」
三人はとても仲が良く、誰が欠けてもその関係は成り立たなかった。
千歳にとっても佳織はお気に入りだったし、自意識の強い瞬との喧嘩も嫌いじゃなかった。
「けど、ある日大きな事故が会って、佳織の親御さんが死んじゃって、佳織自身もひどい怪我をしたらしいわ・・・・・・勿論、私たちは彼女が運び込まれたと
ころに駆けつけた」
何とか瞬と二人で辿りついた病院の玄関にはマスコミが殺到し、門の前の警備員にあえなく千歳たちは門前払いにされてしまった。
「そのとき私と一緒にいた奴の家がワケありでさ。 佳織や私と遊んでいた事が知られちゃったらしくって、次の日から学校にさえ来なくなった・・・・・・そ
れは佳織も一緒だったけど」
以来、一度も家を訪れる事がなくなった二人。
千歳はきっと彼らがまた遊びに来てくれると信じていた。
彼らの席は、いつの間にか教室から消えていた。
それでも千歳はたった一人で、彼らが遊びに来た時のために色々なおもちゃを作りながら軒先でじっと待っていた。
「私一人じゃ、あいつらの家に行けなかった。 もう遊びに来ない、って言われるのが怖かったから」
それすらも諦めたのは、小学校を卒業する頃。
神社の軒先で、何年もかけて作ったおもちゃの山をみんな燃やした。 真っ赤な舌がどんどん思い出を食べていくのを見つめながら、千歳はすべての思い出に
蓋をする事に決めた。
―――もう、あの日がもどることはない。
「諦めてあいつらの思い出ごと全部捨てたら、心の中も空っぽになっちゃった」
そして、そんな抜け殻のような千歳と友達になる物好きもいなかった。
「でも、それでいいって思ってた。 けど・・・・・・二年前にあいつらに再会して、そんな言い訳も全部ふっとんだ」
しかし、すでに佳織は千歳のことを忘れ、瞬は千歳のことが見えなくなっていた。
その時に感じたのが、果たしてどういう感情だったのか千歳は今も思い出すことができない。
「もうその時には佳織は高嶺を・・・・・・あいつを選んでいたのよ」
千歳は顔を上げて、目の前に佇む少年を見すえる。
「―――チトセ様」
千歳の瞳に渦巻く暗い感情を察して、エスペリアはそっと声をかけた。
「あぁ、勘違いしないでねエスペリア。 別に私はあいつのことを怨んでるわけじゃない」
そっと肩をすくめて、千歳はエスペリアに笑いかける。
「ただ・・・・・・悔しいだけ」
「・・・・・・・・・」
エスペリアは何かを言おうとしたが、その前に千歳は大きな力の波動を感じて、弾かれたように顔を横へ向けた。
「!」
変わらずに相対して佇む二人。
相変わらずその眼が開く事はなかったが、悠人の永遠神剣だけが今までにない程の気配を振りまいていた。
何が起こったのか、三人はすぐに理解した。
「エスペリア、これは」
「はい。 間違いありません、ユート様の永遠神剣が・・・・・・!」
その声に応じるかのようにアセリアが眼をゆっくりと開き、続いて悠人がその眼を開いた。
オルファが嬉しそうに悠人にかけよる。
「パパッ! だいじょうぶ、だいじょうぶ?」
「・・・・・・あ、ああ。 大丈夫みたいだ」
悠人はオルファを安心させるように大きく頷いた。
「よかったぁ〜。 パパ、ず〜〜〜っとぼんやりしちゃってるんだもん」
「・・・・・・『求め』は、目覚めたようですね」
エスペリアの声は、安堵と、哀しみがあふれていた。
千歳にはその理由が分かった。悠人の持つ真剣から感じる、『追憶』をはるかに上回る力。
―――敵であれ味方であれ、いささか面倒な事になるは必定―――
千歳がスピリットの館に着いた晩、『追憶』が告げたことを思い出す。
確かに、悠人は彼の望んだ『力』を手に入れた。
しかし果たして、それが正解であったのか千歳には判断がつかなかった。
「アセリアの剣、エスペリア、オルファ。 それに海野の剣が感じられる」
悠人は新たな感覚を掴もうと、神剣の柄をぐっと握り締めた。
それだけで彼の体を巡る強力なマナの波動に、千歳はわずかに身震いした。 それは彼女にだけは分かってしまったからだ。
まだ、『求め』の力が万全ではない事に。
「中途半端でこれなら・・・・・・あれは一体どれだけの力を秘めているというの?」
誰にも聞かれないように、千歳はそっと呟く。
二人の不安を余所に、悠人の顔には喜びがあった。 やっと傍観者ではなくなったこと、自分が自分の道を切り開ける事に。
「これなら、戦うことができる!」
「そうね。 おめでとう、高峰・・・・・・今からそれを示してもらおうかしら」
千歳は『追憶』の感覚に、新たな神剣の気配を感じとっていた。
敵は幸い先ほどのレッドスピリットではない。 けれど、エスペリアも万全ではない今の状況では十分脅威となりうる数だ。
悠人の神剣についてあれこれ考えている暇はなくなった。 今は、全力で生き伸びなければならぬ時。
千歳の言葉に首をかしげた悠人も、すぐにその真意を汲み取った。
「囲まれた・・・・・・しかも、二部隊以上」
おそらく、先ほどの襲撃者からの情報を得ていたのだろう。 『追憶』の気配探知をもって認知する前に、敵は悠人たちを挟撃していた。
「全部で六。 エスペリアが抜けるから、私が守りを引き受けるわ」
千歳は前に踏み出して、静かに『追憶』を構える。
エスペリアは申し訳なさそうに謝るが、それを咎めようとする者はいない。
悠人は覚悟が決まったようだった。
敵を殺す覚悟ではない、みんなで生き抜くための覚悟だ。
千歳もまた、覚悟はできていた。
命を奪う覚悟ではない、その罪を背負うための覚悟だ。
「アセリア、オルファ、海野・・・・・・力を貸してくれ!」
悠人の言葉に、オルファは嬉しそうに頷く。
「まっかせて!」
アセリアはわずかに微笑む。
「ん・・・・・・わかった」
四人はエスペリアを中心として永遠神剣を構える。
千歳はわずかに首を曲げて、悠人に話しかけた。
「ずっと思ってたんだけどさ」
「・・・・・・なんだ?」
訝しげな悠人の声。
「あんたも佳織も高嶺だから、苗字で呼ぶのってどうもヘンなのよね」
ほんの少しだけ少し笑って、千歳は悠人に目配せした。
「だから、これからはあんたのこと悠人って呼ぶわ」
悠人はわずかに目を見開くと、すぐに微笑を漏らして面白そうに言い返した。
「それじゃあ、俺もお前を名前で呼ばなくちゃいけないかな?」
「好きになさい・・・・・・足手まといにさえならなければね!」
千歳の言葉は相も変わらず辛辣だったが、悠人は落ち込みも怒りもせずに神剣を握る。
「俺にはいま戦う力がある・・・・・・ずっと欲しかった力があるんだ!」
四人は視線を交わしあい、そっと頷きあった。
「何とかやってみよう、俺たちで」
悠人の声が落ちる。軽く息を吸い込んで、気合のこもった一声がリュケイレムの森に響き渡った。
「―――行くぞっ!」
悠人の声と共に地面に光でできた魔方陣が広がり、そこより赤い光芒が渦を作って全員の体を取り巻いた。 それは炎の力とは全く異なる、暖かい戦意を鼓舞
する波動だった。
あのレッドスピリットさえ上回る超高速の魔法。 先ほどまで庇われていた者が使う力とは思えなかった。
迫り来る三人の敵に対して、アセリア、悠人、そして千歳が地面を蹴ってそれぞれの敵に切り結ぶ。
千歳は『追憶』に精霊光を纏わせてブルースピリットの一撃を食い止めた。 悠人が放った光の加護か、千歳の腕はかなり安々と神剣を跳ね返す。
背後に下がろうとした敵の腹部にもぐりこみ、千歳はスピリットの下腹部に蹴りを入れた。
一撃がうまく入って、後ろへ下がろうとしていたスピリットは体制を崩し背後の木に激突した。
「うおおおおっ!」
そこに、『求め』を振りかぶった悠人が襲いかかる。 その動きはスピリットとは比較にならぬほど稚拙、だがそのパワーとスピードは段違いだった。
胸を袈裟懸けに断たれ、少女は一瞬の内にマナの霧となる。
千歳はそれを確認する前に、エスペリアの所へ一足の元に跳び戻った。
迫り来る火球を見据え、再び『追憶』に精霊光を纏わせる。 そして激突の瞬間、千歳は『追憶』を思い切り振り上げた。
「はあぁっ!」
オルファが『理念』で行ったことの応用は驚くほど上手くいった。 炎の玉は『追憶』の太刀筋に分かれ、少し離れた草むらを焦がした。
程なく、それを放ったスピリットにアセリアの『存在』が牙をむく。
あっという間にアセリアと悠人によって攻撃手を失った敵部隊は、悉くオルファと千歳に神剣魔法による狙撃を破られて『存在』と『求め』により程なく全滅
した。
『求め』を操る悠人の力は凄まじかった。
足手まといどころかその攻撃力はアセリアに匹敵し、強固な精霊光の盾を打ち破ることのできる敵は誰一人としていない。
その強靭な力の前に、千歳はエスペリアが言ったスピリットを上回るエトランジェの潜在能力をとくと実感させられる事になった。
ラース
やっとのことで再び訪れたラースの村は、不気味なほどに静まりかえっていた。
人々は固く戸を閉ざし、兵士たちですら問題の施設から逃げ延びて、宿舎の部屋に閉じこもっていた。
これがこの世界の姿か、そう思うと千歳はぎりぎりと歯噛みした。
町に来るまでにも少なからぬ襲撃があったが、その中にあのレッドスピリットの姿もなかった。 いささか拍子抜けに思っていたけれど、もし彼女たちにあの
脅威が襲いかかっていたらと思うと不安でしょうがなかった。
当然のことながら、ネリーたちの姿は村のどこにもない。
「エスペリア、施設を守っていたスピリットたちはどこにいると思う?」
千歳は進軍までになんとか調子を取り戻したエスペリアの方へと顔を向けた。
「・・・・・・そうですね。 おそらく、まだエーテル変換施設の中枢を警固していると思われますが・・・・・・」
エスペリアは何かを言いよどむが、千歳は言わなくてよいと首を横に振った。
オルファも先ほどから少しそわそわしている。やはり、ネリーたちのことが心配なのだろう。
「なあ、ここにもラキオスのスピリットがいたのか?」
「ええ。 グリーンスピリットが一人とブルースピリットの姉妹が二人・・・・・・防衛には最適な組み合わせなんだけど・・・・・・」
悠人の問いに、千歳が答える。
ブルースピリットは高い攻撃力を持つだけでなく、神剣魔法を無効化する事ができる。 加えて、防御力の高いグリーンスピリットが防衛に徹すればかなりの
足止めができるはずなのだが・・・・・・。
「取りあえず、ここで止まっていても仕方がありません。 ユート様とアセリアは周囲を警戒していて下さい。 チトセ様とオルファ、そして私が施設内を見て
まいります」
「わかったわ」
「了解だよっ♪」
エスペリアの言葉に、千歳は正直感謝した。
効率だけを見るのなら、連れて行くのは千歳よりもブルースピリットであるアセリアの方が良い。 彼女が千歳とオルファを選んだ理由は聞くまでもないこと
だった。
「じゃ、そっちは頼んだわよ。 たか・・・・・・悠人」
「ああ、お前たちも気をつけていけよ」
この二人ならば、正面から向かってくる相手に敵はないだろう。
しかし、その分こちらは決定的な攻撃力に欠けた部隊になる。 それが分かっていた千歳は、慎重にエーテル変換施設の内部へと足を進めていったのだった。
ラース エーテル変換施設内部
エーテル変換施設の内部は、研究所と発電所が一緒くたになったような造りをしていた。
書類などが積まれたデスクの上は無残に荒らされており、清閑なオフィス然としていたであろう一角はほぼ全滅の様子だ。
ここまでされて、反撃した様子も見えないことに千歳の胸に不安が膨れ上がっていった。
「ねぇ・・・・・・」
「大丈夫です。 スピリットたちはここを捨てて、中枢部に立て篭もっているのでしょう」
中枢部に到達された方が被害は大きいんです、とエスペリアは説明口調で教えてくれる。
「大丈夫だよ、ママ! ハリオンお姉ちゃん、強いもん!」
オルファに諭されるように言われて、千歳はどちらが子供なのかと少し苦笑してしまった。
「そうね。 きっとネリーもシアーもオルファが来るのを待っているわよ」
「うん♪」
二人の会話に少し柳眉を下げて、エスペリアは先に進もうと言った。
「この区域に残存している敵戦力はいないようです。 これより、中枢部へ向かいます」
「えぇ、行きましょう」
千歳は意気込んで、施設のさらに内部へと足を踏み入れた。
ラース エーテル変換施設中枢部
施設のさらに内部には、千歳が見たこともないような場所が広がっていた。
周囲はまるで遺跡のような石積みの造りになり、その壁面を幾何学的な紋様が蔦のように這いまわっている。
「・・・・・・これが、エーテル変換施設」
千歳は驚愕に目を見開いて広い回廊をきょろきょろと眺めた。 ここの造りは迎撃に向いて、多数の岐路が存在している。
電力とは全く異なる力を用いた文明である事は知っていたが、ここまでとんでもないものだとは思っても見なかった。 やはり、少し侮っていたのかもしれな
い。
「凄い。 ここにいるだけで力が湧き上がって来るみたい」
「ここにはマナが集中していますから。 神剣の力もより強くなります、ご注意ください」
エスペリアの呼びかけに頷いて、さらにきょろきょろとしようとした刹那、千歳は『追憶』をさっと抜き放った。 ・・・・・・鞘はそのままだが。
「前方に敵、数は・・・・・・二人!」
その言葉が終わるか終わらないかの内に、前方で炎の力が集中してきた。 同時に、ブルースピリットが双剣を構えて突撃してくる。
「私が参ります! チトセ様、援護を!」
「まかせて!」
『追憶』を水平に構えて、千歳は不可視の糸を長く遠くへと飛ばした。
今までとは違う標的を糸が絡めとり、その制御を奪っていく。
「この場に集いしマナへと告げる・・・・・・」
千歳はあれからずっと、あのレッドスピリットとの対峙の時の事を悔やんでいた。
あの時神剣魔法を跳ね返す事ができれば、エスペリアも自分も軽傷ですんだはずだったからだ。
あれを二度と繰り返さないように、千歳はいかなる手段を講じればよいのかを試行錯誤していた。
そして千歳は、ある方法を見いだしたのだった。
「ファイアボルトッ!」
「ワードリバース!」
スピリットの詠唱に重なって、千歳の声が回廊へと響いた。
はるか前方より生まれた炎の礫は、凄まじい速度で空を切り千歳の狙い違わずエスペリアと切り結ぶブルースピリットへと吸い込まれていく。
「!?」
スピリットは驚愕の表情を貼り付けて、仲間の神剣魔法によって金色の霧へと消えた。
同じく何が起こったのかという表情で固まったレッドスピリットもエスペリアによって討たれる。
「・・・・・・終わりましたね」
「やったぁ! ママ、すご〜い!」
全員が無事でいたことに安堵の息を吐き出し、千歳たちは互いに微笑みあった。
「でも、ここにも敵がそれほどいるわけじゃなさそうね」
「そうですね。 おそらく、敵はすでに目的を達成したのでしょう」
「ここに残っているのは牽制、あるいは捨て駒ってところね・・・・・・」
嫌な話だが、それでも手加減をするわけにはいかない。
それから数体のスピリットを撃退して進むと、やがてエスペリアたちの目の前に到達点とおぼしき空間が見えてきた。
と、再び神剣の気配を感じて、一同はさっと身構える。
「あら? あらあらあら〜〜〜?」
そこへ、何と言うかとってもほやほやした声が聞こえてきた。
普通なら脱力したところだろうが、千歳たちにはこのイントネーションに聞き覚えがあった。
「ハリオン!」
「ハリオンお姉ちゃ〜〜〜ん!」
千歳とオルファが喜びの声を上げる。 それに安心したのか、こちらに歩み寄る人影の声がさらにほやほやする。
「やっぱり、オルファにチトセさま〜。 おひさしぶりですぅ〜〜〜。 こんなところで会うなんて、奇遇ですねぇ〜」
奇遇もへったくれもないものだが、千歳はハリオンに駆けよってその手をぎゅっと握った。
「よかった、あなたが無事で! ネリーとシアーは?」
「はいはい。 二人とも少し疲れてしまいましたから、奥で休んでますよぉ〜」
どこまでも緊張感のない声で、ハリオンは奥に続く道を指差した。 確かにそこに神剣の気配があった・・・・・・が、その気配はあまりにも強すぎた。
千歳は小走りに光が見えるほうへと走る。 やがて広い空間に出たとき、千歳の足は縫いとめられたようにぴたりと静止してしまった。
「な・・・・・・っ!?」
千歳の目の前に現われたのは、青い光を放つ正八面体のクリスタル。 それを家屋を貫くことができるほどに巨大な永遠神剣が貫いていた。
到底持つ事などできないであろうそれが自分の手にある『追憶』と同類である事は、それが刻む波長で間違いようもなく分かってしまった。
手元には数台の装置があるが、どのように使うものなのかはさっぱり分からない。 それ以前に、浮遊しているクリスタルの中で心臓のように鼓動するマナの
流れがどのようなことをなしているのかさえ、千歳には想像する事もできなかった。
「あ、おねー・・・・・・ちゃん」
寝ぼけた声が足元から聞こえてはっと我に返ると、千歳の足元には制服のあちこちをすりきらせたブルースピリットの姉妹が横になっていた。
千歳は慌てて彼女たちの枕元に座り込んで、その顔を交互に見つめる。
「あぁ、シアー怪我はない? ネリー、もう起き上がって大丈夫なの!?」
「へーき・・・・・・ハリオンお姉ちゃんが全部治してくれたから・・・・・・」
「そうなの? ・・・・・・って!」
ネリーは立ち上がると、よろよろと千歳の方へ倒れかかってきた。 だが千歳がとっさに受けとめると、意外と元気に抱きついてくる。
「エヘヘ〜〜〜。 ひさしぶりのチトセおね〜ちゃ〜ん♪」
「あ、ネリーずるい・・・・・・」
シアーも対抗して、ふらふらと千歳の体に倒れこんできた。 避けるわけにいかず、慌ててその体も受け止めた。
「あ〜〜〜っ!! ネリー、シアー! ママに勝手に抱きついちゃダメッ!」
「あ、オルファもいる・・・・・・へへ、来てくれたんだ」
ネリーは嬉しそうに走ってきたオルファにも片手を広げるが、オルファはぐいとその手をひっぱって千歳の体から引き離した。
「わぁ! なにするのさ!」
「ダメダメダメ! パパとママに勝手に抱きついていいのはオルファだけなの〜〜〜っ!」
「なぁんでぇよぉ〜・・・・・・っていうか、パパとママってだれ?」
三人が無事だった事に心底安心しながらも、キャンキャンと激しく言い争いを始める二人と幸せそうに自分の胸に顔をうずめるシアーを見比べて、千歳はこの
状況をどうしたものかと困り果ててしまう。
「こら! 三人とも、何を遊んでいるのですか!?」
エスペリアが眉間にしわを寄せてこちらに近づいてきた。 その後ろから続くハリオンは、なぜか一言も声を発しようとしない。
「まったく、無事だったからといってそのように気を緩ませていては・・・・・・」
エスペリアのお説教が始まってしまった。
オルファ、ネリー、シアー、そして外套の裾を離してもらえない千歳までが一列になってエスペリアの前に並ばされる。 一旦こうなると彼女の話が終わるま
で迂闊に口を挟めないのは、訓練の時に身をもって味わっていた。
一縷の望みは一人お説教対象外のハリオンだけなのだが、彼女はなぜか口をもごもごさせて何も喋ろうとしない。
エスペリアの話が任務遂行時の正しい心のあり方から休憩時のマナーについてのことに移行してきた頃、やっとハリオンが動きを見せた。
といっても口を挟んでくれたわけではない、その手を口に添えてぷっと何かを吐き出したのだ。
それをみたネリーが、突如けたたましい声をあげた。
「あ〜〜〜っ! ハリオンお姉ちゃん、ネネの実食べてる!」
ハリオンの手に出された小さな種を目ざとく見つけて、ネリーはずるいずるいと彼女に詰め寄った。
「あら〜。 これ、オルファちゃんに貰ったのよ〜。 せっかくの貰い物なんですから、食べられるうちにおいしく食べておかないと。 ね〜〜〜?」
「オ〜ル〜ファ〜〜〜」
「あなたたち・・・・・・!」
その剣幕に一瞬言葉を失ったエスペリアはすぐに気を持ち直し、オルファにすりよるネリーにさらなるお説教を始めようとする。
しかし、それを黙ってみていられるほど現状は暇ではなかった。
「エスペリア! ほら、ここでじっとしている暇はないでしょう? はやくアセリアたちに合流しないと!」
「あ、そ、そうでした! 申し訳ありません、チトセ様」
「あぁ、謝らなくていいから。 ね? それより早く!」
「はい・・・・・・あ、少々お待ちくださいませ」
エスペリアは備え付けてある装置の手前に行くと荷物から手帳を取り出し、それと照らし合わせながら何らかの捜査を始める。
思ったよりも時間はかからず、オルファが渡したネネの実がネリーたちの口の中に消えた頃、機器から軽い駆動音が聞こえてエスペリアが戻ってきた。
「お待たせしました。 この区域の敵もすべて排除したようですので上へ戻りましょう」
なにをしていたのかを聞いてみたかったが、この世界の常識を知らない自分が聞いても理解できないだろうとすぐに諦めた。
「ええ、そうしましょう」
誰が千歳と手をつなぐかでもめている三人を隠すように立ち、千歳はエスペリアに深く頷いたのだった。
ラースの村
千歳たちがエーテル変換施設から出てくると、そこには憮然とした顔の悠人が表情をうかがわせないアセリアを横に、一平卒の男となにやら言い争っていた。
「だから言ってるだろ! 他の奴らは今、エーテ・・・・・・えっと、エーテル・・・・・・とにかく、あの建物に行ってるんだって・・・・・・ほら、戻って
きたじゃないか!」
「本当だろうな? まさか、敵と謀ってラキオスから逃げ出そうとしていたのではないだろうな!?」
「だれがそんなこと・・・・・・!」
何があったのか説明も要らないほどに分かりやすい光景に、千歳は前に出ようとするエスペリアをそっと引き止めて兵士に話しかけた。
「もし」
「なんだ・・・・・・貴様もエトランジェか、何か文句でもあるのか!?」
「いえ。 私ごときが口を挟むのもおこがましいことですが、その者はまだ自分の身の程を存じておりません。 この者に代わり私がこうしてお詫びいたします
ので、どうかこの場はお見逃しください」
千歳は深く頭を下げて、兵士の顔を立てる。
そこで、その兵士の腰にぶら下がる見覚えのある紋が入った書簡を見つけた。
「ふ、ふん! どうやら貴様は自分のことがよく分かっているようだな」
「恐縮です・・・・・・時にあなた様の携える書簡は、もしや私どもへの通達ではありませんか?」
千歳の言葉に、兵士ははっと腰にさした書簡を取り上げて、何やらもごもごといいながらそれを千歳の前に突き出した。
「本城よりスピリット隊に伝令を伝える!」
その兵士の話によればやはり敵の本隊はすでに逃亡しており、この施設にあった実験情報を持ち出しているらしい。 機密漏洩を防ぐためにも、敵部隊を一人
残らず殲滅するように、とのことだった。
手渡された書簡を恭しく受け取り、千歳はかしこまって兵士に言う。
「ラキオスに勝利を・・・・・・」
「う、うむ!」
兵士は一つ鷹揚に頷こうとして、かえって滑稽に首をかくかくと揺らして去っていった。
その後姿を見送って、千歳はため息をつくと書簡をめくりながら悠人に呆れた声で言った。
「あんたもね、あの程度の小物といちいち張り合うんじゃないわよ。 迷惑を被るのはこっちなんですからね」
「う、海野? 今の全部演技だったのか!?」
悠人はまだ遠慮があるのか、千歳の名前を呼ぼうとしなかった。
「当たり前でしょ・・・・・・エスペリア、考えてみたら私これ読めないわ。 ごめん」
何を馬鹿なことをと悠人を一瞥すると、開いてしまった書簡をエスペリアに手渡す。
千歳は『追憶』の力が備わってからも極力こちらの言葉の学習を進めていたが、文字は相変わらず駄目だった。
エスペリアは、こちらは地でかしこまって書簡を受け取ってその内容を一読した。
少し険しい顔をすると、その場にいる全員に視線を向ける。
「・・・・・・これより、私たちはアキラィスに追撃戦を決行します」
その言葉にハリオンだけが驚いて、まぁと言う。もっとも、その顔に緊張感と言うものは皆無だったが。
「アキラィスっていうのは?」
悠人にしては的確な質問をしたので、千歳はわずかに眼を丸くした。
「これより南、サルドバルト領にある街です。 そこに、多数のスピリットが逃亡した模様と言われています」
「サルドバルト・・・・・・ラキオスとは違う国でしょ? 勝手に進行しても大丈夫?」
「はい。 今回は事後承諾ということになりますが、軍事同盟国なので問題はありません」
エスペリアはすらすらと悠人たちの質問に答えていく。
「・・・・・・でも、殲滅と言ったってもう森の中に逃げ込んでいるかもしれないじゃないか」
悠人は周囲に広がる森を一瞥した。深く生い茂る森。 そこに逃げ込まれては追うのも見つけるのも非常に苦労する。
「それも大丈夫です。 ラセリオとエルスサーオに駐屯しているスピリットたちが、それぞれ探索に出ています。 私たちの任務はアキラィスに南下した本隊で
すから」
エスペリアが述べたのは、両方ともラキオスの南西に位置する街であるらしい。
しかし、本隊と言う言葉が引っかかった。
「多分、いるわよね」
「・・・・・・おそらくは」
「いるだろうな、確実に」
「・・・・・・ん」
千歳の言葉に、四人は躊躇わず首を縦に振った。
恐ろしいほどの力を持つレッドスピリット。 彼女はほぼ間違いなく、敵の本隊にいる事だろう。
あの力を思い出したのか、アセリアの無表情にわずかに感情が表れたように見えた。
エスペリアは唇に指を当てて何かを考えていたが、オルファに向き直ってここに残りなさいと告げた。
「え、え〜〜〜!? なんでぇ?オルファもいっしょに行きたいよぉ!」
「・・・・・・いけません。あなたはここで彼女たちと新たな敵への防衛に徹しなさい」
オルファは眼を丸くしたり、膨れたり、泣き出しそうな顔になりながらエスペリアに食い下がるが、彼女はがんとして首を横に振らない。
エスペリアの心の内を察することができた千歳は、そっとオルファの後ろに行くとその肩を抱いた。
「オルファ、お願いされてもらえない?」
「なんで・・・・・・? ママまで、オルファの事キライになっちゃったの?」
悲しそうにこちらを見つめるオルファを千歳はぎゅっと抱きしめた。
「馬鹿ね、そんなはずがないでしょう」
「でも、でもぉ・・・・・・」
「オルファ。 ハリオンたちはずっとここを守ってきて、私たちよりずっと疲れているわ。 もし、敵が私たちのいなくなった途端にまたここを攻めてきたらど
うなるの?」
千歳の言葉に、オルファはびくっと肩を震わせる。
「お願い。 私たちが戻るまで、この村を守って・・・・・・ここには、あのリュカもいるのよ?」
かつて遊んだ少女の名に、オルファはしばらく黙り込んでしまった。 その心の内では、納得しようとする気持ちと置いていかれたくないと言う気持ちがせめ
ぎあっているのだろう。
「オルファ」
悠人が、赤い髪に厚い掌を乗せて優しく話しかけた。
「みんな一緒に、あの家へ帰ろう。 な?」
オルファは潤んだ瞳で悠人と千歳を見比べると、小さく微笑んで頷いた。
千歳はオルファが落ち着いたのを確認して、そっと彼らの傍を離れた。
「ごめんね、悪い役を押しつけちゃって」
「いえ、とんでもありません」
いつでもエスペリアは、ふわりと微笑みかえしてくれる。 そんな彼女だからこそ、誰もがつい頼りがちになってしまうのかもしれない。
「でも、私もオルファを残していくのは正解だと思うわ」
「はい、あのスピリットの相手はまだオルファにはつらすぎますから・・・・・・」
レッドスピリットは神剣魔法を得意とするが、加えて炎自体への耐性も高い。 あれだけ強力な炎を操る敵の前には、オルファは決定的な戦力とはなれないだ
ろう。
二人は軽く頷き合うと、アセリアと悠人に向けてアキラィスへの出発を告げた。
※※※
街道沿いに出現した敵にそれほど脅威となるものはいなかった。
アセリアが敵部隊に突撃し、エスペリアが攻撃を防御する。 そして千歳が相手の神剣魔法を逆手にとって状況を一気に有利に運び、体制を崩した敵を悠人が
一刀両断にしていく。
やがて遙かかなたに連なる家々の影を見つけて、エトランジェ二人は始めてラキオス以外の国に足を踏み入れたのだった。
アキラィス 郊外
先ほどから悠人が『求め』を握る手に力を入れているのが、千歳には気配で分かった。
誰もが同じように険しく眉を寄せて目の前の街を見ている。
通常は検問として機能しているであろう一角に人の気配はなく、そのまま素通りで通れるようになっていた。 遠目からは抵抗の気配もなく、街に被害がある
ようには見えない。
ただ、その中心から感じる神剣の気配だけが、悠人たちに緊張を与えていた。
「・・・・・・いるわね。 しかも多分、ここの中央」
「おそらく、街の広場に待ち構えているものと思われます。 ここから二手に分かれましょう」
「わかった。 それじゃ、作戦通りにな」
「しくじるんじゃないわよ」
「ああ!」
悠人は千歳の言葉に力強く頷いた。
悠人はエスペリアと共に町の中に消えていく、それを確認して千歳はアセリアに目配せした。
「よし、私たちも行きましょう」
「・・・・・・ん。 行こう」
アセリアは『存在』を鞘に収める。
そして千歳の手を取ると、ハイロゥの羽を広げて城壁の上へと飛び上がった。
着地の瞬間に精霊光を操り、衝撃を緩和する。 そしてアセリアと千歳はそれぞれ左右に分かれ、屋根の上を疾走した。
高さの違う屋根の上を飛び移りながら、迂回しつつ『追憶』の力を徐々に弱めていった。
街の一角ではエスペリアと悠人が敵部隊と交戦しているようで、激しい戦闘の気配が伝わってくる。
千歳は慎重に、慎重に街の広場に面する屋根に姿を隠した。 アセリアも反対側の屋根の一角に隠れているのがほんのわずかなマナの流れで察する事ができ
る。
やがて、悠人とエスペリアが広場にたどりついたことを『追憶』が知らせてきた。
「エスペリア、一気に片をつけるぞ!」
「はい!」
二人の声と共に赤い精霊光が広場を包み込んだ。 同時に巨大な炎の力が膨れ上がり、悠人たちに向けて襲い掛かっていく。
千歳は素早く身を乗り出し、気配を殺したまま不可視の糸を展開。 複数の細く脆い糸を長く強靭な一本に纏め上げた。
悠人が前方に精霊光の盾を作りレッドスピリットの一撃を食い止める。 単純な構成だが、その防衛力は馬鹿にならないものがあった。
赤き少女は受けきられた神剣を反転させ、盾の受け切れない部位を狙う。 今度は『求め』が激しい火花を散らして神剣を受け止めた。
しかし、さらに少女は体を捻りあげて下から上へと更なる斬撃を加える。
さすがの悠人もこれは受けきれないかと思われたが、エスペリアが割って入り二人は少女から間合いを取った。
「マナよ、渦巻く炎となれ・・・・・・!」
その隙をついて少女の声が詠唱を始める。
凄まじい速度で、森を炎獄に変えたあの力がわきあがろうとした。
その時、凛とした声が千歳のいる反対側の屋根より響く。
「紡がれる言葉、そしてマナの振動すら凍結させよ」
アセリアが、『存在』の力を解放してそこに立っていた。
突き出された腕からは、清水が氷塊へと変わるような冷気があふれ出す。
「アイスバニッシャー!」
一瞬にして広場に存在するマナの動きを凍りつかせて、集まりつつあった炎の力も霧散してしまった。
一瞬動きを止めた少女に向けて、アセリアが真白き翼を広げて切りかかる。
「てやああああっ!」
「クウッ!」
―――ガギイイィィン!
永遠神剣が噛み合い、赤と青の少女が切り結ぶ。
悠人と互角の力を精錬された剣技で繰り出していくアセリアに、少女はわずかに押されていた。
それにエスペリアが加わり、アセリアと息のあった連携を取った。 後衛にまわった悠人はさらに精霊光の加護でアセリアたちの戦意を引き上げてサポートす
る。
そして、すでに千歳もその目的を遂げていた。
少女が一瞬の隙をついて、アセリアの肩口に神剣を一閃しエスペリアの傍から跳びすさった。 かなり追い詰められているが、その動きはまだかなり素早い。
エスペリアがアセリアの肩を抑えて治癒を施す。
その間に、再び少女はマナを炎の力に変換させていった。
まさにその時、千歳は『追憶』を通じて少女自身に繋がった強靭な糸へと力を流し込み始めた。
神剣魔法とは、周囲のマナを呼び集めて己の力とする技。 より多くのマナが体内に流れ込んでも、少女はそれを気にするはずもない。
だが、強制的に他人の魔術に割り込む千歳には、代償に体に燃えるような苦痛が走っていた。 痛みに歯を食いしばりながら、それでも千歳は巨大な炎の力を
支配していく。
「この場に集いしマナへと告げる。 真なる覇者の声を聞き、我が言霊とくだれ」
徐々に形成されゆく炎に介入し、その方向性を捻じ曲げる。
それに気づかない少女はついに、渾身の力で完成された炎を解き放った。
「インフェルノ!」
「・・・・・・ワードリバース!」
炎が顕現する。
そして、少女を取り巻く空間が一気に炎上した。
「キャアアアアァァァァッ!」
レッドスピリットとはいえ、己の力にエトランジェの力を上乗せされた炎を受けてはただではすまなかった。
悲鳴を上げて体を包む焔を何とか振りほどいた時には、『求め』の刃が少女の体に迫っていた。
―――斬!
がくりと少女の膝が落ちた。
傷からあふれる血液が金の霧となり、体を取り巻いていた漆黒のハイロゥが風に消えていく。
前のめりに倒れようとした一瞬前に、驚異的な力を誇った少女の体は完全に消滅していた。
千歳はその様子を見つめながら肩で息をしていた。
かつてないほど集中し、緻密に練り上げた神剣魔法で千歳は気力を根こそぎ失っていたのだ。
「おわ・・・・・・った・・・・・・」
『追憶』に感知される神剣の気配は、もうラキオスのスピリットたちの他には存在しない。
―――勝った。
喜びはない。
脅威が消えて、千歳はただ腑抜けたようにその場にへたりこむことしかできなかった。
※※※
―――ワードリバース
千歳が『追憶』の力を引き出して始めて使った神剣魔法。
相手の使った魔術を己の力として行使するという特異な能力は、永遠神剣に馴染んでいるこの世界の人間をも驚かせた。
当然、類する魔術もないためにアドバイスのしようがなく、千歳は訓練の時も神剣魔法についての学習は後回しにしていた。
結果、それが仇となってリュケイレムでの失態を招き、千歳はラースに到着するまでその解決策を考え続けていたのだ。
始めは放たれた炎そのものを千歳の意思を込めたマナの糸で操っていたが、あのレッドスピリットの使った無形の力の前には及ばなかった。
侵食する対象を掴みきれないならば、ワードリバースは完成されない。
そして試行錯誤の末、千歳はラースにたどりつく頃ある方法を考え出していた。
神剣魔法により編み出されたものではなく、神剣魔法を編み出す『術者自身』を侵食すればよいのだと。
神剣魔法を扱う者の気配を探るのは、『追憶』の力を使えば容易くできた。 そして根本から方向性を捻じ曲げられた魔術はより確実に、そして緻密に千歳の
意志に従ってくれた。
完成された千歳の術があの神剣魔法にも通用するであろうことをラースのエーテル変換施設で眼にしたエスペリアが、今回の作戦を考え出したのだ。
「あのレッドスピリットは攻撃も神剣魔法も非常に強力です。 ですから、それらをそれぞれで押さえ込まなくてはいけません」
「攻撃か・・・・・・あれを受け切れるとなると、エスペリアか、海野か、俺だな」
アセリアは攻撃力こそ強いが、防御壁を張る事があまり得意ではない。
「魔法を抑えるならアセリアか私よね」
「はい。 ですから今回は、チトセ様とアセリアには別行動を取っていただきます」
「別行動?」
高速の詠唱魔法を止めるには、アセリアと千歳の両者が妨害を行う必要があるとエスペリアは言っていた。
そのため、二人はそれまで気づかれぬよう気配を消して両翼に潜んでいてくれと続ける。
「そして一度妨害されれば、次に敵はアセリアを標的にするでしょう」
「今度はアセリアの動きを抑えて、それからまたあれを使うだろうな」
「・・・・・・相手の攻撃をしのぎ切れなければ二人が危険よ。 始めからアセリアも攻撃に出て、私だけで別行動をとったほうがいいんじゃない?」
「いえ。相手のダメージを考えて、できる限り体力を消費させる方が得策です。 それにアセリアも伏兵となることで、それを迎撃した敵の油断を誘うことがで
きます。 アセリア、あなたのやるべき事は分かりますね?」
「ん。 やってみる」
始めに悠人たちが敵を攻撃、相手が神剣魔法を使った時にアセリアが妨害、続いて参戦。 そしてアセリアが攻撃を仕掛けている内に千歳が相手とのラインを
つなげ、第二弾を敵にぶつける。
二重の罠。
それがエスペリアの考えた作戦だったのだ。
※※※
「チトセ・・・・・・チトセ・・・・・・」
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえて、千歳はうっすらと眼を開けた。
まつげがくっつくかと思うほど近くで、青い瞳がじっとこちらを見つめている。
「ア、アセリア・・・・・・?」
千歳はアップで迫る無表情な顔にやや引き気味に後ろへ這った。
「・・・・・・起きた?」
「え、ええ」
口元が引きつりながらも何とか普通に受け答えするが、まだ近くにあるアセリアの顔のせいで心臓がばくばくいっている。
別にそっちのケがあるわけではない、こんなに近くで人に見つめられると言う事がこれまであまりなかったからだ。 加えて、スピリットたちは総じて造作が
整っているものだから思わず目が離せなくなってしまう。
「ねてるみたいだっから、起こしにきた」
アセリアの言葉に、千歳は自分があのレッドスピリットが倒されたのを見て、気が緩んだことを思い出した。
「あ、そうか私・・・・・・ごめんなさい、手間を取らせて」
「・・・・・・ん」
アセリアは同意というより、気にするな、といった風に首を振る。 それからしばらくして、思い出したように千歳に問いかけてきた。
「チトセも、怖かったのか?」
「え?」
アセリアの言葉に、千歳は眼を丸くして尋ね返す。
「ユートが言ってた。怖いんだって、自分がだれかを殺すなんて『りある』じゃないって」
「・・・・・・そう、あいつそんなこと言ったんだ」
千歳はわずかに頬を緩めて、青の双眸を見つめかえした。
「私はちょっと違うわね。 戦っていた時は怖かったけど、今は何より自分が生き残れたことが嬉しい」
「うれしい・・・・・・チトセは、生きてると嬉しいのか?」
あんまり率直な言葉に千歳は少し苦笑する。
「そうね。 こうしてアセリアたちと生きていていられるのは、けっこう嬉しいわ」
何年も閉まっていた悪戯心を久しぶりに出して、千歳はきょとんとした様子のアセリアへ顔の高さに腕を差し出した。
「ね、アセリア。 ちょっとこうやって手を出して」
「・・・・・・? こうか?」
ひょいと白い手甲に包まれた手が差し出され、それにぽんと掌をぶつける。
「・・・・・・?」
「ハイペリアのやり方。がんばったなっていう時にやるの」
「がんばった・・・・・・うん、チトセもがんばった」
「アセリアもね」
千歳は体をゆっくりと起こして、アセリアともう一度ハイタッチした。
「チトセ様―――! ご無事ですか―――!」
「お〜い! 二人とも、早くおりてこいよ〜〜〜!」
エスペリアと悠人の声が屋根の下から聞こえてくる。
どうやら彼らにも余計な心配をかけてしまったようだ。
アセリアと視線を交わしあい、二人は一息に屋根から飛び降りた。
エスペリアがすぐ傍に落ちてきた千歳たちに驚いて、小さな悲鳴をあげる。 それをくすりと笑って、千歳は悠人に向き直った。
「ま、あんたにしてはよくやったんじゃない?」
「なんだよそれ、褒めてるのか?」
千歳の言葉に、悠人はむっと口を尖らせた。
「そんなの、決まってるでしょ」
きゅっと唇を吊り上げた千歳に、すぐに悠人も同じように笑いかえした。
「さて、用も済んだことだし。 はやくオルファを迎えにいかなくちゃね」
「そうだな、アセリア、エスペリア・・・・・・千歳。 行こう!」
瞬以外では始めて同世代の異性に呼ばれた名前をくすぐったく感じながら、千歳は共に生き残った友たちへ自然な笑みを浮かべたのだった。
・・・・・・To Be Continued
【おまけ】
ラース 郊外
「それにしても疲れたわ。 ねえ、エスペリア。ラキオスに戻るのは明日にして、今日はここの詰め所で一泊していかない?」
「駄目ですよ。 一刻もはやく殿下に報告を済ませなければならないのですから」
「・・・・・・お、俺も一度、こっちの詰め所に泊まってみたいんだけどな」
「ユート様のお言葉でも、駄目なものはダメです!」
一気に緊張が抜けたエトランジェ二人は、ラースへと帰る道筋までですっかりダレていた。 神剣の力で体力を取り戻すことができても、気力の方は本人にし
かどうする事もできない。
「私たちはラキオスに遣える身なのです・・・・・・それをどうか御二人も」
「ええ、ええ。 わかってる。 よぉ〜〜〜く、わかってるわ」
エスペリアの説教を聞き流しながら、千歳は近づいてくる懐かしい館の影に眼を細めた。
「もうすぐだな・・・・・・そういえば千歳は、こっちに来てからあの館であの娘たちとずっと一緒だったのか?」
「そうよ。オルファとあの三人と、今はラキオスにいるヘリオンって娘がいたの・・・・・・はぁ、あの頃のオルファはお姉ちゃん、お姉ちゃん、って呼んでく
れたのに・・・・・・」
千歳はずっしりと肩を落として、重いため息を吐き出す。
その光景に憐れみを抱いたのか、悠人は慰めるようにぽんと千歳の肩に手を置いた。
「ま、まあ。 子供の言うことなんだから、そんなに思いつめるな」
「えぇ、ありがとう・・・・・・ところで」
千歳はと一瞬で『追憶』を抜き放ち、その刃(にあたる部分)で悠人の首筋にぴたりとあてた。
「名前で呼ぶことは許したけど、変な勘違いはするんじゃないわよ。 身の程をわきまえないと・・・・・・」
すすす、と黒塗りの鞘が悠人の首筋をなでる。 刃がないと変な所で便利だ。
「寿命が縮むわ?」
「・・・・・・・・・肝ニ命ジマス」
ロボット口調で返事をする悠人。
千歳は鷹揚に頷いて、『追憶』を腰に戻した。 下らない使い方をするなと『追憶』がうるさいが、すべて無視する。
「パパ〜〜〜! ママ〜〜〜!」
聞き覚えのある声に顔を向けると、オルファが元気に走ってきていた。後からネリーとシアーもこちらに駆けてくる。
すぐにこちらについた三人は、オルファは悠人に、姉妹は千歳にそれぞれ抱きついてきた。
悠人も千歳も笑みを浮かべてその体を抱きとめた。
なんだかんだと言っても、この年頃の少女たちに甘えられてそれほど悪い気はしない。
オルファは色々な事を悠人に喋りかけていたが、何故かネリーとシアーは千歳の顔を見つめて何かを言いたそうにしている。
「・・・・・・? どうしたの、二人とも」
千歳が少し怪訝な顔で二人を見ると、ネリーが思い切って千歳に話しかけてきた。
「あの・・・・・・ネリーたちね。 みんなが帰ってきたら、その、言いたいなって思ってたことがあるんだ」
「オルファといっしょに考えたの・・・・・・」
シアーが姉の言葉に続く。それにおされてさらに意気込み、ネリーが千歳の外套をぎゅっと握った。
「ね、ねぇ! 言ってもいいかな?」
「ええ、もちろん。 何が言いたいの?」
ネリーたちが捨てられそうな子猫みたいな顔で聞くものだから、千歳は深く考えもせずに頷いてしまった。 後で痛烈に後悔するとも知らずに。
ネリーとシアーは深く息を吸い込んで、格別に大きな声で千歳に叫ぶ。
「おかえりなさい、ママ!!」
―――ピシッ―――
何か大切なものが、千歳の心の中でひび割れる音がした。
石像のように固まったまま動けない千歳を置いて、言っちゃった言っちゃったと嬉しそうにネリーたちは千歳の腰にしがみついてぴょんぴょんはねる。
心底、同情するような悠人の眼差しをムカつくと思いながら、千歳は心の中で今は亡き母親への手紙を綴っていた。
拝啓、多分天国にいらっしゃるお母様。
お元気ですか?
私は旧友を人質にとられたり、その義理の兄と共に剣を取らされたり、はたまたその剣がどうしようもない駄剣だったりと大変ですがなんとか元気です。
この度、貴女の娘はなぜか三児の母と相成りました。
断っておきますが私の身は潔白です。
生まれてこのかた、決して邪まな者に身体を触れさせた事は一度としてありません。
良き祖父に見守られて十数年、途中ちょっとひんまがった性格で清く正しく生きて参りました!
でも。
この子達にママと呼ばれ、あんまり悪い気がしない愚かな娘をどうぞお許しください。
【後書き】
この作品を読んで下さったすべての方々へ感謝を。
そして、ここまで読んで下さった読者の皆様へ心の底からの感謝を。
かなりの長さになってしまいましたが、そのおかげでなんとか任務終了までこぎつける事ができました。
今回のメインは戦闘風景でしたが、やはり難しいです。 読者の方々を退屈させないよう心がけていきたいと思います。
作者としましては今回、悠人がけっこう活躍できたのでけっこう満足です。 ヘタレっぽいのも少し出せましたし。
少しはお互いの事を認め合うことができたエトランジェ二人が、今後どのように成長していくのか。 楽しみです。
ちなみに、神木神社の御本尊云々に関しましてはゲーム中にはない、この作品のみのオリジナル設定です。
ゲーム未プレイの方々は、お間違いのないようお願い致します。
さて次回は、ラキオスへの帰還です。
王女への報告を済ませ、千歳はこの世界に召喚された時の奇妙な符号『龍』についての調査を開始するが・・・・・・。
難航する資料探し、非協力的な人間たち、そして何よりも千歳には読めない聖ヨト語。 悉くが千歳の決意を踏みにじっていく。
三人の娘を引き連れて、千歳ママの奮闘が始まる・・・・・・!
次回作でお待ちしましょう。
NIL
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