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 久しく会う者との出会いには、得てして何かしらの感慨がわくものだ。
 それは丸々一ヶ月ぶりに顔を合わせた、ラキオス王国のエトランジェ二人にも言えることで。
 千歳は格別に冷たい眼差しを横に向け、気まずさからかこちらに向こうともしない悠人の背中に生温かい再会の言葉を投げかけた。

「ロリ」

 ―――ぴくっ

 ・・・・・・再会の言葉というより、最低な言葉に悠人の背中が震える。
 手ごたえを浅く見た千歳は言葉を重ねた。

「・・・・・・ペド」

 ―――ぴくっぴくっ

 先程よりは大きな手ごたえ。 千歳は口元にそっと意地の悪い笑みを浮かべた。

「幼児趣味の変態」

 ―――ぴくっぴくっ、ぴくっ

 悠人の背中が更に震える。 今にも爆発しそうな感情を、ぎりぎりの所で押さえ込んでいるのだろう。
 そんな無駄な努力に止めを指すべく、千歳は鼻でせせら笑いをして顔を背けた。

「・・・・・・所詮、碧の類友か」


「それはちょっと待てぇっ!」


 ついに不本意な呼称にたまりかねた悠人の絶叫が、スピリットの館に響き渡る。
 そっち系統では限りなく真性に近い悪友、碧光陰の趣味と同類項にくくられるのは、さすがの悠人も嫌なようだった。









 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    一章 : 夢幻世界の少女たち

第三話 : すれ違う心








  スピリットの館  広間

「だから、あれは事故だって言ってるだろ! 少なくとも俺のせいじゃない!」
 彼が弁明しているのは、無論浴場での一件のことだ。
 確かに彼にとってあれが事故だったと言い張る気持ちも千歳には理解できたが、それはそれ、これはこれだ。
「鼻の下伸ばしてたくせに」
「してないっ!」
「あ〜、はいはい。 そういうことにしてもいいわ」
「なんだその言い方は・・・・・・っ」
「ま、あんたの性癖はさて置いて」
「ぬぬぬ・・・・・・」
 千歳は眉を思い切りしかめて、今は城に囚われているはずの親友の義兄、高峰悠人に尋ねた。

「・・・・・・それで、もう一度聞くけど。 なんであんたがここにいるわけ?高嶺」
「それは、こっちの台詞だ。 お前こそ、なんでここにいるんだよ。海野」
 悠人も負けず劣らずしかめっ面で、千歳のことを睨む。

「そう来る? ま、いいけど。 私は放課後に学校の屋上にいて、気がついたらこの世界のどこかの洞窟でぶっ倒れてたのよ。 その間に何があったのかは全く 知らな いし、分からない。 あんたは?」
 屋上、という言葉に悠人は意外そうな顔をしたが、千歳の三度目の問いかけにしぶしぶと口を開いた。

「俺は・・・・・・光陰たちと神社に行ったんだけど、そこに佳織がいて。 時深・・・・・・そこの巫女さんに会ったんだ」
 悠人の話によれば、その時深という少女と話をしている内に悠人は酷い頭痛がしだしたのだそうだ。 それを見た時深が持っていた刀を振るうと真っ白な光が あ ふれ、次に気がついた時にはこちらの世界の森で倒れていたらしい。

 千歳はあまりに荒唐無稽な話に、真剣な顔の悠人に向けてぽつり呟いた。
「・・・・・・頭、大丈夫?」
「なっ、なんだよそれ!」
「いや、だって急に真っ白な光があふれてとか・・・・・・ほとんど三流カルトとかの怪しい宗教のノリじゃない」
「それがホントなんだから仕方ないだろ!?」
「いや、それだけならまだしもさ。 あんたが言ってる神社って神木神社でしょ?」
「え? ああ、そうだけど・・・・・・」
 祖父が宮司をする神木神社の大体の内情は千歳の耳にも入っている。 そして、悠人の話にはおかしな点があった。

「時深、なんて巫女。 神木神社にはいないわよ」

「え・・・・・・っ、な、なんでそんなことがいえるんだ?」
「あそこの宮司してる人、私の祖父」
 もともとそれほど大きなものでもない神社。 夏祭りや新年の祝い事などには町内会から人手を借りる事はあるが、普段はほとんど親族で切り盛りしているの だ。
 千歳自身も小さい頃から神社の仕事をこまごまと手伝わされている。

「あんたの話のような巫女なんていないし、バイトの人を雇ったなんて聞いた覚えはないし」
「で、でも! 本人がそういってたんだぞ。 この神社で世話になってる者だって」
「だから、そんな事になれば私の耳に入らないわけがないんだってば」
 千歳はそう言いくるめるが、悠人は納得がいかない顔をしていた。
 そして、どう説明したものかと頭を痛めていた千歳の背後で、扉が開く音が聞こえた。

「申し訳ありません。 お待たせしてしまいました」
「おまたせ〜〜〜っ」

 エスペリアとオルファが広間に入ってきた。
 堂々巡りになりかけた会話に終止符を打ち、二人は彼女たちの方を見る。
 悠人はエスペリアの方をちらりと見、次にやや困ったような顔をオルファに向けた。 最もそれは千歳も同様だった。
 千歳の脳裏に、浴場でオルファからかけられた耳慣れぬ言葉が反芻される。

 ―――『ママ』

 オルファは確かに今朝まで自分をお姉ちゃん、と呼んでいた。
 もし、何かがあったとするならばレスティーナと会話した後に彼女と別れた数時間の間の事だが、一体どんな事があれば自分の呼び名があんなふうに変わると いうのか。

 取り敢えず千歳は一番嫌疑をかぶせやすい人物に尋ねる。
「そういえば高嶺、あんたこの子に何したの?」
「なんだよ、その言い方! 俺はこの子に会った事もないぞ!」
「ええ、だから初対面のオルファにあんたが一体なにを吹き込んだのか、と聞いているのよ!」
「俺はなにもしてないっ!」

「こ〜ら〜、パパもママもケンカしちゃだめっ!」

 オルファの言葉にぴたりと静まる悠人と千歳。 決してオルファにたしなめられたからではなく、彼女の自分たちの呼び方にその原因があるのは言うまでもな い。
 千歳は必死になってこのオルファの言葉に説明がつくような理由を考えた。


 @ 実はここの言葉にお姉ちゃん、という意味に近い『ママ』という呼び名がある。

 A『追憶』の力による汎言語状態に何らかの不備が出ている。

 B やはりこれは隣に立つロリコン坊主の類友の仕業である。


 冷静に考えようとすればするほど空回りする己の思考に、千歳は頭を痛めた。
「こら、オルファ。 失礼な事をしないで、ちゃんとユート様にご挨拶なさい」
「うん!」
 エスペリアがなだめるとオルファはにっこりと頷いて、悠人の方を向く。

「パパ、オルファの名前はオルファだよ♪」

 悠人はオルファの言葉にややためらうように話しかけた。
「聞きたいことがあるんだ。俺は・・・・・・」
「パパだよ!」
「・・・・・・高嶺?」
「ええと・・・・・・」
 オルファの言葉に千歳の悠人に向ける視線の温度が更に下がる。 悠人はその殺気に圧されたか、千歳の方を意識的に見ないままエスペリアに問いかけるよう な 視線を送った。
 エスペリアはふるふる、と首を横に振っている。

「な、なあ、オルファ。 パパってどういう意味なんだ?」
 悠人の声には本気で現状が理解できないという響きがあった。 どうやら、本当にオルファの変貌はこの男のせいではないらしい。
「えへへ。 それじゃ、ゆっくりと言うね!」
 オルファは悠人の疑問を理解しているのか判断のしづらい笑顔で言う。

「パパ、会いたかったよぉ」
「うん」
 パパ、という言葉にナチュラルに返事を返す悠人をぎろりと睨む千歳。 無論、オルファに気が付かれるようなへまはしない。
「今日は飛んできたんだよ!」
「・・・・・・えーっと」
 オルファの言葉に悠人は余計に混乱した顔になる。
 おそらくは、これは彼らの初対面でかわした会話なのだろう。

「ユートは佳織のお兄ちゃん! ユートはオルファリルのパパ!」

「っ!」
 オルファの言葉に、千歳ははっとした。
 やはり城にいるというのは、千歳のよく知る佳織に間違いなさそうだ。
「えへへ〜」
 オルファは楽しそうにはにかんだ笑みを浮かべている。

「あのさ、パパって父親って意味だぞ?」
 悠人はそれほど驚いた様子を見せていない事から、やはり彼にとっては佳織が城にいることは既知の事実であるようだ。
「そだよ♪」
 オルファの声は明るい。
 悠人はまだ釈然としていなかったが、オルファはまったく気にした様子がない。
「ねぇ、パパ! オルファ、お腹減っちゃったよ。 ママもオルファも、ラースからの道中なにも食べて無くって・・・・・・」

「ママってどういう・・・・・・それに、オルファはお城でお菓子を食べたでしょ」
 千歳の言葉に、オルファはぎくっと肩を震わせたがすぐに立ち直った。
「あ、あれはごほうびだよぉ! ごほうび! オルファ、ちゃんとエスペリアお姉ちゃんのご飯が食べたかったんだもん!」
 拗ねたような顔を千歳に見せて、オルファはエスペリアにすりよってご飯の催促を始めた。

「こ、こら、オルファ! ユート様の質問に答えなさい!」
 エスペリアが慌ててオルファをたしなめる。 悠人はエスペリアの言葉にうんうんと頷いていた。
「ええと、どこから話したらいい?」
「できれば、最初の最初から頼む」
 悠人はどこかぴりぴりしたように身を乗り出した。
「最初かぁ〜。 そうだなぁ」
 オルファはう〜んと考え込み、千歳の顔を見てそうだと話し出す。
「オルファね、この前おっきなお星様が落ちてきたのを見たんだよ!」
「は?」

 突然の話題転換に三人はついていけなかった。
「ネリーたちは見てなかったんだけど、オルファ気になっちゃって。 ホントはラースに行くのはもう少し先だったんだけど、どうしてもって王女様にお願いし て そこに行ったんだ。 そしたらそこにママがいたの!」
「・・・・・・私が?」
 千歳は始めて聞く自分とオルファの出会いの話に驚く。
「うん、ママが永遠神剣持ってたからラキオスに送ってね、ママはずっとオルファがラースで看病したんだよ!」

 悠人が千歳の顔を覗きこみ、千歳は黙って首を縦に振った。
「それで、ママが元気になったからラキオスまで送ってきたんだけど・・・・・・あ、そうだ! その前に、ラースでリュカって娘に会ったんだよ!」
 ぽんと手を打ってオルファは自慢げに言葉を続ける。
「オルファ、お歌を教えたんだけど、帰ってきちゃったから全部は教えてあげられなかったんだ」
「オルファ、話が脱線していますよ」
「あ、そうか。 あれ〜?」
 エスペリアに再びたしなめられると、オルファはぺろりと舌を出した。
「どこまで話したっけ?」
「ラースから帰って来たところからですよ」
 しっかりなさい、と言うようなエスペリアの言葉は優しい。

「そうそう♪ えと、お城で王女様に報告してね。 そぅ! そこでカオリに会ったんだ♪」
 オルファの言葉に悠人は一瞬目を見開き、急にオルファの肩をつかんだ。
「会ったって、佳織と話したりしたのか!?」
 オルファはその剣幕に驚いたが、悠人はオルファの細い肩を握り締めたまま離さない。
「オルファ、佳織はどうしてた!? 無事だったか?ひどいことをされては・・・・・・」

 ―――ばきっ

 千歳は無言で悠人の後頭部に鉄拳を入れた。
「いだっ! な、なにするんだよ海野!」
「少しは落ち着きなさい。 佳織のことになるとすぐに見境なくなるの、よしなさいよね」
「なんだとっ・・・・・・そうだ、海野! お前も佳織に会ったんじゃないのか!?」
「落ち着きなさいと言ってるでしょうが!」
「ユート様。 落ち着いてくださいませ!」
 千歳とエスペリアが二人がかりで悠人をたしなめる。
「パパ、痛いよぉ」
 オルファの苦痛の声に、まだ握りしめていた細い肩を慌てて悠人は手放す。 手の離れた所は、彼の手形に赤く変色していた。
「あ・・・・・・わ、悪い・・・・・・!」
 とたんに罪悪感に顔を曇らせる悠人に、千歳はもっとしっかり謝れと視線で呼びかけた。

「ご、ごめん、オルファ。 痛かったよな・・・・・・」
 瞬と言い争った後、佳織に申し訳なさそうにしていたのと同じ顔をして、悠人はオルファに謝った。
 オルファはまだ肩が痛そうだったが、悠人が頭を下げると何でもないというように首を横にふった。
「ううん、だいじょうぶだよ。 パパ、カオリのことが心配なんだよね」
 オルファは優しい。
 はじめ、彼女のことを疑った千歳にもどこまでも親しく接してくれたオルファの姿を、千歳は眩しく感じた。
「カオリ、元気だったよ♪ 王女様がカオリの話し相手になりなさいって」
 オルファの言葉に悠人はほっと安心したような顔を見せた。

 それからの話によると、オルファはカオリと打ち解けて、様々な話をしたのだそうだ。 その中で家族、と言う言葉にオルファは心打たれるものを感じたらし い。 佳織は悠人の兄だから、オルファはそれとは別なものがいいと言って最終的に『パパ』と言う事になったらしい。

「それで、なんで私が『ママ』になるの?」
「うん、ママはカオリのお姉ちゃんみたいだったんだ、ってカオリがいってたの! だからオルファ、女の『パパ』はどういうの?って聞いたんだ♪」
 千歳の問いにオルファは当然のように答える。 しかし一応は花も恥らう乙女である身としては、とても複雑な心境だ。

 オルファの話からすると、佳織は既にかなりしっかりとこの世界の言葉に精通しているようだった。 パパよりもしっかり喋れる、とオルファが言うとエスペ リ アが慌ててたしなめ、悠人は苦笑してかまわないと言っていた。

「佳織がね、ずっとパパのこと心配してたよ」
 そして、悠人はここでずっと佳織のことを心配していたのだろう。 謁見の間で千歳が感じた印象からすれば、悠人は彼らにかなり反抗的な態度に出たに違い な い。
「そのあとね、色々なお話したんだ。 パパのこととか、キョウコのこととか、あとオルファに似ているコトリのこととか!」
 コトリ、というのはおそらく佳織と同じ部活の夏小鳥のことだろう。
 千歳も佳織の親友である彼女を見たことがあるが、快活で明るいところが確かにオルファの雰囲気に似ていた。

「最後はカオリ泣いちゃって、オルファもなんだか悲しくなっていっしょに泣いちゃった」
 オルファの言葉に千歳は苦笑する。 全くもって昔と変わっていない佳織の泣き顔が容易に想像できたから。
「オルファはパパとママの近くにいるって話したら、はげましてあげてって」
 悠人はオルファの言葉に、とても悔しそうな顔をしていた。 自分には佳織に何も出来ないのがはがゆいのだろう。
「カオリが『おにいちゃん』なんだから、オルファは『パパ』って呼ぶぅ♪」
 オルファの言葉に、エスペリアが優しく微笑んだ。
 彼女は精一杯、自分なりに二人をはげまそうと思い立ったのだろう。
「・・・・・・オルファ」
「そっか、ありがとな。 オルファ」
 悠人もオルファの心意を察したようだった。 感謝の意を込めて、赤い髪を優しく撫でている。
「えへへ♪」

 オルファもご機嫌な様子だったが、千歳はそれに割り込むように声をかけた。
「えっと、オルファ。 あなたの気持ちはよく分かったんだけど、できれば私のことは前みたいに『お姉ちゃん』って呼んでくれない?」
「え? なんで、なんで?」
 オルファは本当に不思議そうに尋ねる。 千歳はどう説明したものかと、しばし頭を痛めた。
「んと・・・・・・説明するのは難しいんだけど。 オルファは私のことお姉ちゃんって呼ぶのはもうイヤ?」
 千歳はわざとずるい問いかけ方をしたが、オルファは納得がいかないように首をかしげた。

「ヤじゃないけど、オルファはママが好きだから! ママと家族がいいから、ママって呼びたいんだけど、それじゃダメなの?」
 そう尋ねるオルファの目は悲しそうに潤んでいる。 千歳は内心ため息を吐き出して、オルファに優しく笑いかけた。
「・・・・・・いいえ、ダメじゃないわよ。 オルファがそう思ってくれて嬉しいわ」
 そう言って、千歳はオルファの体をぎゅっと抱きしめる。 そのまま体を少し傾けて、エスペリアに見えないように小さな肩越しに悠人をぎろりと睨みつけ た。  間違っても貴様と家族なんてまっぴらだ、と言う意思を眼力に込めて。
 底冷えのする殺気に悠人の首がかくかくと縦に動いた。 心なしか、その顔は青い。 千歳は鷹揚に頷くと、オルファから腕を離して何事もなかったように悠 人に 話しかけた。

「それで、城にいるのは佳織に間違いないわけね?」
 その言葉に悠人の表情が一瞬で引き締まった。
「ああ。 俺がこの目で見た・・・・・・海野は会っていないのか?」
「ええ。 レスティーナ『殿下』からお言葉をいただいただけ。 佳織の命が惜しければ、ってね」
 千歳の言葉に悠人の顔に悔しげな影がおちる。 おそらく、似たような事が彼にもあったのだろう。
「・・・・・・じゃ、お前も剣を渡されたか?」
「そこにあるわよ、ほら」
 テーブルに立てかけてあった『追憶』を千歳が取って見せると、悠人は神妙な顔になった。
「なら、手を貸してくれないか海野。 俺は佳織を守るためにも、もっと力が必要なんだ」
 頼む、と悠人は千歳に頭を下げる。

 ―――ああ、この男は。

 千歳は苦笑をかみ殺した。 佳織のことを守るためには、自分たちは国王の言いなりになるしかない。 それは即ち、これから自分たちがスピリットたちを殺 めて いかなければならないと言うことだ。
 悠人がその手を血に染めて、佳織はどうして喜ぶものか。
 自分の妹のことを何も分かっていない、と千歳は言いたかったが、それが無意味なことであることも分かっていた。 二人に今できるのは、彼らの言いなりに なって佳織を生かすか、彼らに逆らって佳織を危険にさらすかしかないのだ。
 そして、見知らぬものの命と親しいものの命を比べれば、どちらに天秤が傾くかなど言うまでもないことだ。 それにしても、ともなう罪の重さを全く無視す れ ば、の話になるが。
 だがそれでも、やらなければならないのだと千歳は理解だけはしていた。

「私が助けたいのは、私の旧友の高嶺佳織」
 千歳は悠人の瞳を見返してはっきりと言った。
「あんたの手助けをしたいんじゃない。 あの娘を助けるために、私はこの剣をとるわ」
「・・・・・・それで、十分だ」
 悠人は千歳の言葉にゆっくりと頷いた。

「はいは〜い! オルファはパパのためにもがんばるぅ!」

 その時、オルファがしゅたっと片腕を高く上げて宣言する。
 二人の間に流れていた硬い空気が、あっという間に打ち解けたものになった。
 千歳は苦笑を、悠人は微笑してオルファに感謝の意を示す。
「さんきゅ、オルファ」
 悠人の言葉にオルファがきょとん、とした顔をする。
「さんきゅ?」
「私たちの言う、『ウレーシェ』ですよ」
「悪い、つい癖でつかっちまった」
 エスペリアが教え、悠人がこちらの言葉で言い直すとオルファは納得して頷いた。
「あ、そうなんだ! 気にしないで、パパ!」
 千歳は今のやり取りに不自然さを覚えたが、すぐにそれが両方の言語が全く同じように自然に理解できてしまうせいだと気がついた。

「・・・・・・便利すぎるのも、考えものね」
 千歳のぼやきに、エスペリアが不思議そうな顔をした。
「どうかなさいましたか、チトセ様?」
「ん? いいえ、大したことじゃないわ。」
 千歳は自然にそういったが、オルファは不思議そうに千歳の顔を覗きこんだ。
「あれぇ? そういえばママの言葉、急に上手になってるね!」
 オルファとラキオス城内で分かれるまで、千歳は片言のまま会話をなんとかこなしていた。 しかし今は、『追憶』のおかげで自然と彼らと言葉を交わすこと が できている。
「あぁ、それはこれのおかげよ。 私が話していれば、自然に言葉を翻訳してくれるの」
 その言葉に、悠人とエスペリアの目が驚愕に大きく見開かれた。

「チトセ様。 あなたはすでに永遠神剣と意思の疎通が取れていらっしゃるのですか!?」
「え! 海野、それホントか?」
 二人がなにを驚いているのかが分からない千歳は、不思議そうに尋ね返した。
「そうだけど、それって当たり前なんじゃないの?」
 現に、悠人は『お前も剣を渡されたか』と言っている。 佳織は分からないが、悠人もまた永遠神剣を既に持っているはずだと千歳は思っていた。
「・・・・・・・・・」
 エスペリアは急に深刻そうな表情で口をつぐんでしまった。
「ね、ね、ママの永遠神剣は何ていう名前なの?」
「本人は第五位『追憶』っていってるわ。 けどはっきりいって、使えない駄剣よ」
 千歳の言葉に、またもや抗議の波長が『追憶』から発せられた。 無論、千歳は相手にしない。
「使えない?どういう事だ?」
 悠人の言葉に、千歳は無言で『追憶』を投げ渡す。 突然のことに慌てたが、悠人は何とか黒塗りの鞘をキャッチした。

「抜いてみなさい」
「は?」
 千歳の言葉に、きょとんとした顔を見せる悠人。
「剣を抜いてみなさい、と言ってるのよ」
 重ねられた千歳の言葉に、悠人は訝しげに柄を取りぐっと両手でひっぱった。

「あ、あれ?」

 悠人は訝しげな表情でもう一度鞘を引き抜こうとするが、やはり剣が抜けることはない。
 一分ほど顔を真っ赤にして様々な方法を試したが、その刀身はわずかばかりものぞかなかった。
「な、なんだよこれ。 ぜんぜん抜けないじゃないか!」
「そ。 だから使えないってさっきから言ってるでしょ」

 ―――主殿、それはあまりなお言葉ではないか―――

「うるさい!」
 ―――げしっ

「ぐげっ!?」
 しつこい声にたまりかねて、千歳は悠人ごと『追憶』を蹴り倒した。
「わっ! パパっ!?」
「ユ、ユート様っ!」
 オルファとエスペリアの慌てた声に、千歳もはっと我に返る。
「あ、悪い高嶺。 さっきからこいつがうるさくて、うるさくて」
「うるさいって、この剣がか? 俺にはなんにも聞こえないぞ、全く・・・・・・」
 床に倒れた悠人がぶつぶつ言いながら起き上がった。
「よく分からないけど、テレパシーみたいなものね。 感情なんかは、ほとんど私たちと変わらないわよ。この剣」
 千歳がため息をついて『追憶』を拾い上げた。 その隣では、まだなにか言いたそうな顔で悠人がこちらを見ている。

「チトセ様」
 エスペリアが硬い表情で千歳の顔を見た。
「その剣を握ってから、お体の具合はいかがですか?」
「体? 大丈夫だけど、なんで?」
 ふと、千歳は別れ際にヘリオンが『追憶』に自我があるのか、と尋ねていたことを思い出した。
「・・・・・・いえ。 何でもありません。 失礼をいたしました」
「・・・・・・・・・」
 千歳は黙って頷いた。 この場でエスペリアを問い詰めてもいいが、彼女は何も言わないだろうと薄々察する事ができたからだ。

 ―――もし、主殿。 儂のことをそれほどまでに無視なされて何が楽しいか?―――

 『追憶』の声に千歳はいやいやながら心の中で返事をした。

 ―――少し黙ってなさい『追憶』。

 ―――いやいや、先ほどから聞いておれば儂のことを使えぬ、使えぬと。 いくら主殿とあれども実に聞き捨てならん―――

 憮然とした感情が千歳の脳裏をかすめる。

 ―――確かに、儂の力は同位の神剣の中でも下位。 されど、つい先ほど主殿の窮地を救う力を譲渡したのはだれだとお思いか?―――

 ―――あんた、私の奴隷になったんでしょ。 それくらいは当たり前にこなしなさい。

 ―――ぬ・・・・・・・・・。―――

 絶句。まさにそんな感じで『追憶』の声が急になくなり、不機嫌だった千歳もそんなにショックだったかと少しだけ罪悪感を覚えた。

 ―――あ〜、えっと。 それにだいたいね。 私、あんたのせいであの場で大恥かきかけたのよ。 分かってるでしょ?

 謁見の間での千歳の滑稽な振る舞いを嘲る文官たちの笑い声が脳裏によぎって、千歳の気分は一段と悪くなった。

 ―――・・・・・・確かに、主殿があの場で辛酸を舐められた事は存じておる。 されど、それは儂の落ち度にはあらず―――

 ―――欠陥商品みたいな特性もってて、よくそんな事をいえるわね。 って、さっきは聞く暇がなかったけど、あんたはどうして『抜けない剣』なワケ?

 ―――お言葉ながら、主殿はなぜ自分の腕が二本あるかと聞かれたことはおありか? また、腕の数が少ないものを見、彼らを人でないなどと思われる か?―――

 腕が二本あるから人間なのではない。 腕が二本なければ人間でないとは言い切れない。 『追憶』の言いたいことが千歳にうっすらと分かってきた。

 ―――つまり、あんたは自分が『抜くことができない剣』っていう姿がノーマルである永遠神剣だって言いたいの。

 ―――しかり。 重ねて言えば、永遠神剣は様々な姿があり、それを一概にまとめて言うことはできぬ。 よって・・・・・・―――
「おい。 おい、海野!」
「・・・・・・ん?」
「どうしたんだよ、きゅうに黙り込んじまって」
 いつのまにか悠人が千歳の顔を覗きこんでいた。

「ああ。 今、この剣と話してたの」
「剣と・・・・・・。 なんて言ってるんだ?」
 悠人は少し興味深そうな顔をしていた。
「何でも、永遠神剣には決まった形がない。 それが自分の場合は『抜くことができない剣』って言う形の永遠神剣なんだって・・・・・・エスペリア、永遠神 剣ってのはみんなこんな感じなの?」
「えっ!? え、えっと・・・・・・そうですね」
 唐突に話を振られたエスペリアは指を口元に当てた。
「私も永遠神剣について多くは知りませんが・・・・・・チトセ様の持つ神剣に似たものは存じておりません」
「・・・・・・じゃ、やっぱり変わり者なんじゃない。 こいつ」

 主の結論に『追憶』はやはり不満そうだった。
「ま、それでもね。 この『追憶』を持っていれば、私は攻撃を無効化する障壁を作ったり、魔法みたいなものを跳ね返したりする事ができるみたいだから。  足 手 まといにはないわよ」
 千歳は謁見の間での話を簡略に話した。
 エスペリアはその内容よりも相対した二人が大した怪我もなかったことを知って、ほっとしたようだった。

 そこで話にちょうど良い区切りがつき、エスペリアはそろそろ夕食の準備をしなくてはと言った。
「ユート様とチトセ様はつもるお話もございましょうから、どうぞごゆっくりなさって下さい」
 オルファも『おてつだいする〜♪』と、エスペリアに続いて台所へと行ってしまう。
 悠人は彼女たちの背中を見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「・・・・・・オルファみたいな子がそばにいれば、佳織も少しは元気でいられるかな」
「問題なのはスピリットたちじゃなくて城の人間ね。 どこまで『丁重に』佳織を扱っているかは分からないけど」
 千歳の言葉は悲観的だったがあながち間違いといえないことは理解でき、悠人の顔が曇った。

「なんで、佳織を連れて逃げなかったの?」
 悠人は千歳の恨みがましい声に悔しそうな、そして苦しそうな顔をした。
「俺が目を覚ました時、この館にいたんだ。 多分、佳織はもうその時には城に・・・・・・」
「最後に会ったのは?」
「城の中で一度だけだ・・・・・・くそっ! あいつら、俺たちを見世物みたいに!」
 何があったかは、その悠人の様子から容易に察する事ができる。
「なるほど。 それであんた、あいつらにつかみかかろうとしたわけだ」
「・・・・・・そうだ。 でも、急に苦しくなってダメだった・・・・・・海野はどうだった?」
「王女様の挑発にまんまと乗せられたわ。 ひっぱたいてやりたくなった瞬間にぐらり。 ま、すぐに落ち着けたから少し気分が悪くなっただけで済んだけど」
 レスティーナの挑発的な言動は、おそらく千歳に悠人と同じ制約があるかを確認するためのものだったのだろうと千歳は思っていた。

「多分、私たちはラキオスの王族に敵意・・・・・・いえ、王族を傷つけようとすれば、その瞬間に『あれ』がくるものだと見ていいでしょうね」
「そうか? 俺には、近づいただけでもダメなように思ったんだけど」
「ただ話している時なら、数歩手前まで普通に近づけたわ。 あんた、絶対殺意丸出しだったんでしょ」
「うっ・・・・・・」
 思い当たる節があったのか、悠人は言葉に詰まった。
「待てよ? それならあいつらに構わないで、ただ佳織を連れて逃げるだけならできるってことじゃないか」
「ええ・・・・・・理論上は可能ね」
「それなら・・・・・・っ!」
 悠人は一条の光明を見出したが、千歳はそれをあっけなく否定した。
「無理よ」
「なんでだよ!」
 何で逃げなかったって聞いたのはお前だろうと、悠人は千歳に食ってかかる。

「あのね、それはこの世界に来た時の話。 むざむざ佳織をあいつらに捕られたのかって聞きたかったの。 今は状況が違うわ」
 千歳としては、この世界に来た時に悠人と佳織が一緒だったなら逃げることができただろうにと思っていたが、実際には悠人が目覚めた時にすでに佳織は城の 中だった。
「城にいる兵士なら、私たちでも大丈夫でしょうね。 私もあんたも、永遠神剣を持っているらしいし」
「・・・・・・・・・」
 何故か悠人は千歳の言葉に返事をしない。 少々疑問に思ったが、千歳はまずは彼を納得させるのが先だと思った。

「でも、城の人間に顔が知れた今じゃすぐに追っ手がかけられるわ。 最悪、エスペリアたちと戦うことになるかもしれない」
「・・・・・・っ」
 それを望まない以前に、おそらく今の千歳の実力では彼女たちに勝つ事はできない。 よくて引き分け、あのアセリアという少女なら自分など相手にもならな い だろうと千歳は思っていた。
「ま、とは言っても今の立場はそれほど悪いものじゃないわ。 確かに奴らは佳織を人質に取ってるけど、逆をいえばそれ以外に私たちに強制力を持つものがあ る ようには見えないしね」
「・・・・・・そうだな、あいつらにとっても佳織はたった一枚の切り札なんだ」

 あんたにとってもね、と千歳は心の中で呟く。
「ひとまず、様子を見るしかないわ。 私も明日から訓練に加われって・・・・・・ったく。あの娘たちの体力にどれだけついていけるのか、自分でも不安だ わ。  あんたも、もう訓練に参加してるの?」
「ん、あ、あぁ。 まぁ、な・・・・・・」
 悠人はそう言ったきりなにやら考えてこんでいたが、しばらくして思い切って話しかけてきた。

「なあ、海野。 俺にどうやったら神剣と話すことができるのか教えてくれないか?」
「・・・・・・はぁ?」
 千歳はその突拍子もない言葉にあっけに取られた。
「何言ってんの。 あんた、自分の神剣持ってるんでしょ?」
 てっきり
「い、いや、な・・・・・・」
 悠人は言いにくそうに自分がまだ永遠神剣を使いこなせていないこと、そしてここ最近の訓練でもまったく神剣が覚醒する様子のない事を話した。

「・・・・・・・・・マジ?」
「そ、そんなにあきれ果てた顔しなくてもいいだろ!?」
 悠人は傷ついたようにうめいたが、うめきたくなったのは千歳も同じだった。
「高嶺。あんた、私たちがどれだけ役に立たない存在か分かってる? 私だって、『追憶』の力を使ってやっとあの子達のサポートに回れそうな程度だって言う のに。 まして神剣を使えないだなんて、そんなのお荷物以外の何者でもないじゃない!」
 千歳は言い知れぬ腹立たしさを包み隠さず悠人にぶつけた。

「あんた一体、何してるのよ! 佳織はみすみすさらわれて、あの娘たちにも迷惑かけて! おまけに神剣も使えないただの厄介者!? そんなんで佳織を助け ようですって? 笑わせないでよ!」
 自分の言っていることがどれだけ理不尽であるのか、千歳には分かっていても罵声を止める事ができなかった。 他人と接する時は平気で仮面をかぶっていら れ るのに、なぜこの男を相手にするとこれほど我慢がならなくなるのか、千歳にはまったく自分のことが分からくなった。

「分かってる・・・・・・だから、俺は何とかしたいんだ! 佳織を助けたいのは本当の気持ちだ。 だから、頼む。 海野」
 悠人の眼差しは真摯なものだったが、千歳はどうしても彼の助けをしたいとは思う事ができなかった。
「・・・・・・あんたが使えないなら、必要以上に馴れ合う気はないわ。 私が戦うのでも何でもしてやるから、あんたは足さえ引っ張らないで、何もしないで い て頂戴」

 冷たく言い放つと、食器を手に戻ってきたエスペリアに声をかけた。
「エスペリア。 私、思ったよりも疲れていたようだから、今日はもう寝かせてもらうわ。 私の部屋はどこになるの?」
「えっ! に、二階に上がって右の突き当たりの部屋ですが・・・・・・あ、あの。 夕食はどういたしましょうか?」
「・・・・・・ごめんなさい、明日の朝食は必ずいただくから」
 千歳が頭を下げると、エスペリアはどうしたものかとおろおろとしてしまう。
「チトセ様、何かお気に召さない事でも・・・・・・」
「何もないわ・・・・・・疲れてるだけ。 おやすみなさい」
 できるだけだれの顔も見ないように、千歳はさっさと広間から出て行った。 千歳が後ろ手にノブを放した時、玄関の前に一人の少女が立っているのに気がつ い た。

 白い鎧を装着した青い髪の少女。
 それは、謁見の間で会ったアセリアという少女だった。
 千歳は一瞬身構えようとしたが、すぐにそれを馬鹿らしく思って腕を下ろす。

「・・・・・・あなたも、ここに住んでいるの?」
 何気ない千歳の問いかけにアセリアはしばし沈黙し、やがて一つ頷いた。
「ん」
 どこかテンポのずれている返事に苦笑して、千歳はもう一度問いかける。
「ヒミカさんの具合はどう?」
「・・・・・・?」
 なにを聞きたいのかが分からないといった風に、アセリアは首をかしげた。
「あの試合の後、体に差し障りなかった?って、聞きたいんだけど」
「・・・・・・・・・ん」
 またしばらく考えた後、アセリアはこくりと頷いた。

「よかった・・・・・・あ、私もこれからここに住むことになるそうだから、よろしく頼むわね。 私は千歳」
「・・・・・・ん。 アセリアだ」
 始めて少女の口から出てきた『ん』以外の声は、とても綺麗な響きがあった。
「そう。 あ、もうすぐ夕食ができるそうだから。 あなたも行った方がいいわよ」
 千歳はそう言うと、階段を探しに少女に背を向けた。 だが数歩歩いたところで、意外な事にアセリアから声をかけてきた。
「・・・・・・食べないのか?」
 少女の呼びかけにぴくりと方を揺らし、千歳は振り返らないまま返事を返した。
「・・・・・・ええ。 今日は疲れてるから、寝かせてもらうわ」
「ん」
 アセリアは一つ頷くと、千歳が出て行ったドアから広間に入ってしまった。
 千歳は自嘲気味な笑みを唇に貼り付けて、見つかった階段から二階に上がっていった。

 ※※※

 自分の部屋は簡単に見つかった。
 部屋の中はラースの館よりも幾分か広めで家具も一式取り揃えてあったが、全体的な雰囲気がとてもよく似ている。
 千歳はテーブルに置かれたオイルランプの火を灯すと、その上になくしたと思っていた私物がまとまって置かれているのに気がついた。

「まだ残っていたんだ・・・・・・」
 千歳はそっとその上に散らばるこまごまとしたものの中から、古びた赤いお手玉をそっと手に取った。 千歳にとっては思い出のあるお守り代わりの品だった の で、それが無事だった事に正直ほっとした。
 オルファの話から察して、千歳が持っていたものはまとめてラキオスへ送られていたのだろう。

 しかし、他のものはそれほど喜ばしいものではなかった。
 さほど重要なものがあるわけでもないし、これから不可欠となるものもなかった。 重宝していた眼鏡はフレームが歪み、何より千歳にはもう必要がないもの に なっていた。
 一通りの確認を終えて、千歳はお手玉だけをポケットに入れてベッドの縁に座り込んだ。


「はぁ・・・・・・」

 大きなため息をはきだして、ごろりと背中だけをシーツに預ける。
 千歳は今、この世界に来てから一番落ち込んでいた。 やっと自分を取り巻く状況が分かったというのに、光明のひとかけらさえ見えてこない。

 旧友の佳織は人質に取られ、自分はおかしな剣と共に戦えと言われ、同じような境遇のもう一人は全く役に立ちそうにない。
 異邦人たる千歳に普通に接してくれるのはスピリットたちだけで、この世界の人間にとって自分はただの剣奴。
 正に八方塞だ。

 千歳は取りあえず、可能不可能はさておき自分のなすべき事を考え始めた。

「・・・・・・まず、私の立場の向上」
 下層の身分では、それだけでできる行動に制限がかかりすぎる。
 武勲を立てて、という概念がこの世界にあるかは分からないし、取りあえずあの城の連中との間に友好関係を築ける相手を探すのが手っ取り早い方法だろう。
 一瞬、オルファたちに友好的に接していたレスティーナの顔を思い浮かべたが、彼女の立場を考えるとあれが本心からの行動かが判断つけづらい。

「次に、『エトランジェ』についての情報収集」
 少なくともエスペリアやレスティーナの話し方からして、千歳たちとは別のエトランジェの原型たる概念がこの世界には存在する。
 それに関する情報を仕入れないことには、元の世界に戻る算段もつかないだろう。 最も、それがどれだけ集まったところで有力な打開策が見つかる保証もな い が。

「後は・・・・・・」
 悠人たち兄妹が同時にこの世界に来たのは、おそらく二人が元の世界でもここに来る直前に傍にいたからだ。
 そう考えれば、千歳の記憶に残る元の世界での最後の記憶にある人物もまた、この世界に来ていると見て間違いないだろう。
「瞬・・・・・・」
 千歳はぽつりともう一人の旧友の名前を呟いた。
 彼がこの世界に来ているとしても、それはおそらくラキオスではない。 どれだけ離れた場所に『着いた』のかは分からないが、元の世界に帰る時までには見 つ け出さなくてはいけない。

「あぁ、どれも難しすぎるわ」
 千歳はシーツに顔を押し付ける。 髪が背中に引っかかって痛かったが、そんなものも気にならなかった。

 ―――主殿―――

 ベッドに立てかけられた『追憶』の声が唐突に千歳の脳裏に響いた。
「・・・・・・何」
 面倒くさそうに千歳は返事を返す。
 下らないことだったらへし折ってやる、と無言の脅迫の意味合いもある。

 ―――警戒されよ。 この館に良からぬモノがおる―――

「なんですって・・・・・・」
 聞き捨てならない言葉に、千歳はがばっとシーツから身を起こした。
「どういうこと?」

 ―――主殿がここに入った時から、儂は一つの気配を感じておった。 今、この部屋に来てより明確に分かる。 おそらく、儂と同類のものじゃな―――

「同類・・・・・・永遠神剣って事ね」

 ―――うむ。 しかし、そやつの持つ力、恐ろしく強い。 この儂を軽く凌ぐほどに・・・・・・されど、今は何故か弱っておるようじゃ。 まさしく手負い の獣、 といった所かの―――

 『追憶』の言葉に偽りの影はなく、千歳は事態を少し重く見た。
「それは今、私の脅威になりそうなものだと思うの?」

 ―――いや。 今は眠りについておる・・・・・・この分では契約者の声にも応えられぬであろう―――

 千歳はすぐに、その話に該当する存在に思い当たった。
 契約者と会話のできない、強力な永遠神剣といえば・・・・・・。
「高嶺の奴の永遠神剣、ね」

 『追憶』も千歳の考えに同意する気配を見せる。

 ―――この波動から見て、あれは第四位の神剣。 あの飢えと怒りに駆られた力を振るう者が敵であれ味方であれ、いささか面倒な事となるは必定―――

「第四位? あんたが確か第五位・・・・・・って言ってたから、神剣はその位階が高いほど強力ってこと?」
 エスペリアはエトランジェの持つ永遠神剣が強力であると言っていたが、その委細までは聞いていなかったことを千歳は思い出した。

 ―――・・・・・・・・・おそらくは―――

 『追憶』は何故かその問いにすぐに答えようとしなかった。それにその答えもはっきりとしない。
「おそらく?」

 ―――主殿、儂とてすべての事柄を見知っておるわけではない。 儂に確かに分かるのは、儂が永遠神剣であり、その第五位『追憶』であると言う事。 その ほか の知識は虚ろであり、ただ漠然とした本能程度でしかないのだ―――

「・・・・・・そう。 考えてみれば、私もあなたのことをほとんど知らないのよね」
 城では千歳の力となってくれた『追憶』だが、その正体についてはうかつな事に未だ考えたこともなかった。
 意思を持った器物、主たる者に異能の力を与える兵器。 そういうものがこの世界にはあるのだ、と言って済ませることもできるが、それを千歳はよしとしな かった。

「ねえ、『何となく』でいいから答えなさい。 あなたは自分を生物だと思う?」

 ―――儂は今此処に在る、という事を告げる事はできるが、それをもって『生きている』と言い切れるものではあるまい―――

 まあそんなものかもね、と頷いて千歳は再び問いかけた。
「それじゃ、さっきあなたは高嶺の神剣が飢えている、って言ったわよね。 あなたにもそういった・・・・・・そうね、食べたいとか、何かをしたいって欲求 は あるの?」
 
 ―――ふむ・・・・・・。―――

 『追憶』の言葉がしばし途絶え、しばらくしてから答えが返ってきた。

 ―――かすかに感じることができる。 儂もまた、あの剣と同じようにマナを得んとする欲望があるのは確か―――

「マナ・・・・・・たしか、この世界のエネルギー源だって言ってたけど・・・・・・!」
 千歳はふいにエスペリアの言葉を思い出した。
 彼女はこうも言っていた、『マナの塵と消えるまで』と。 そうなるとあの少女たちもまた、マナとやらによって構成された肉体をもっている可能性がある。
「『追憶』・・・・・・ひょっとして、あなた、スピリットたちを『食べる』・・・・・・要するに、『殺し』たいと思っているわけ?」
 千歳の言葉は重かった。 もしそうであるならば、千歳は軽々しくこの『追憶』を振るうことはできなくなる。
 だが、返って来たのは千歳の不安を解消する言葉だった。

 ―――否。 確かにマナを求めておるが、儂の場合は我が身の内に十分なマナが在る。 つまりは、飽食しておるのだの。ゆえに、わざわざ妖精を狩ろうなど とは 思わぬ―――

 その言葉に千歳は深い安堵を覚えた。
 続く『追憶』の話によると、悠人の神剣は元々持っていたマナを失っているのだそうだ。
 ようやく先ほどの、飢えた獣という表現に合点がいった。

 ―――そうだの。 それ以外に儂のもっと大きい欲求をあげるならば、それは儂自身の欠乏を埋めること・・・・・・かの―――

「欠乏? マナは持っているんでしょ」

 ―――うむ。 しかし、我が身には主殿と同じく、何らかの制約がかけられている。 解く術も分からぬし、それがいかなる制約であるのかさえも儂には知れ ぬ。  しかし、それが儂の力の解放を妨げておるのは間違いのなき事―――

「私と、同じ・・・・・・?」
 困惑する千歳の様子に『追憶』はわずかに苦笑するような思いを伝えてきた。

 ―――詮無きことを申した。 主殿には係わり合いの無き事。忘れられよ―――

「係わり合いのないって・・・・・・ちょっと!?」

 ―――・・・・・・・・・。―――

 千歳はもう少し問い詰めたかったが、『追憶』の声はそれきり途絶えてしまった。
 取りあえず、今の会話の中で得た情報で重要なのは高嶺の神剣が危険なものであるかもしれないという事。 そして、『追憶』の力が万全なものではない、と いったところか。

 ますます立場が悪く思えてきて、千歳は余計に気分が悪くなった。

「・・・・・・もう、寝よ」

 半ば投げやりな呟きをはき捨てて、千歳は髪を解き、上着を脱ぎ捨てるとそのままベッドに突っ伏した。
 結局、疲れた体のまま風呂にも入れず、ご飯にもありつけないままに眠る事になってしまった。
 これの半分以上は自分の意地が引き起こしたことだと十分理解していたから、余計に千歳には腹立たしいものがあった。


「ホント、私ってヤな女よね・・・・・・」


 自己嫌悪に落ち込みながら、千歳はごわごわした毛布を引き寄せた。
 明日は髪がひどい事になっているだろうな、とぼんやり考えながらまぶたを閉じる。
 ゆらゆらと揺れる炎の舌をまぶたの裏に感じながら、千歳の意識はするすると眠りの淵へと落ちていった。


 ※※※


 次の日から、千歳はラキオス城にいるスピリットたちの訓練に加わった。

 訓練所には第一詰所のエスペリアたちのほかに、ヘリオンやヒミカ、そしてまだ名も知らぬスピリットたちがほとんど毎日通っていた。
 もっとも訓練中に会話をする事もないので、千歳はほとんどオルファやエスペリア、そしてたまにヘリオンくらいとしか話をしなかったのだが。

 とりあえず千歳に課せられた課題は『追憶』を使いこなす事だった。
 幸い『追憶』は千歳に従順に力を貸してくれるが、体がその力についていかないのだ。精神と身体のずれを自覚し、それを矯正していくのはかなり難しい事 だった。 なまじ、武道をかじっていただけにわずかな感覚のぶれが気になってしまったのもその一因のようだ。

 それに切ることの出来ない神剣を持つという要素も加わって、千歳の攻撃面での能力はゼロに等しかった。 業を煮やして、『追憶』で力任せに練習用の藁苞 を 五本へし折った時にはエスペリアに叱られてしまった。

 一方のヒミカの攻撃を受け止めた障壁はかなりスムーズに展開する事ができ、またその耐久性が護りの力に特化したグリーンスピリットと同等かそれ以上と褒 められた。 そこでエスペリアに部隊行動時における防御担当の動きを教えてもらったのだが、彼女が意外と熱血タイプの人間(スピリット?)である事を、身 を もって思い知らされてしまった。

 そんな日々が続く中、千歳は極力悠人との接点を絶っていた。 食事の時は顔を合わせない位置に座り、さっさと食事を詰め込んで席を立った。 オルファが 話し かけてきた時も、それに悠人が加わってくると何かと理由をつけてその場を離れた。
 その顔を見れば理不尽な怒りの矛先にしてしまいそうだったし、城に囚われている佳織のことを強く思い出してしまうからだ。

 そんな生活に慣れ始めた数週間後・・・・・・千歳に二度目の転機が訪れることになる。



 スピリットの館  千歳の部屋

 ―――カーンカーンカーン!
 明け方の冷えた空気を裂いて警鐘がラキオス王城に響き渡った。
「・・・・・・っ!」
 訓練に疲れ果てて惰眠を貪っていた千歳はベッドから飛び起きて、急いで上着を羽織った。 道場での朝稽古での習慣がこんな所で役立つとは思わなかった。
 乱れた髪に手櫛をかけていると、ドアの向こうからオルファの声が聞こえてくる。
「ママ、起きてる?」
 千歳もドア越しに聞こえるように大きな声で返事を返した。
「えぇ! もう起きてるわ・・・・・・でも、もう少し待って・・・・・・」
 中ほどまで編みこんだ髪を乱雑に紐で縛り、灰色の外套と『追憶』を手に取る。 千歳がドアを開けると、そこにはオルファがしきりと目をこすっていた。  眠そ うだが、衣服はしっかりと整えてあるのはさすがというべきか。

「何事なの?」
「さぁ、オルファ分かんない。 でも、これがなったらお城に行かなくちゃ行けないんだよ」
 二人が傍で話していると、廊下の向こうからエスペリアの姿が現われた。 彼女の格好には一部の隙もなく、警鐘の鳴る前から着替えていたのではないかと思 う ほどに完璧だった。
「チトセ様とオルファ。 もう、用意はできていますね。 これより謁見の間に向かいます。 至急、玄関前へ集まってください」

「は〜い!」
「わかったわ・・・・・・」
「・・・・・・あ! チトセ様、少々お待ちを」
 くるりと二人が背を向けると、エスペリアはやや慌てたように千歳に近づいて振り向く前にその髪に手をかけた。
「せっかく綺麗な御髪なのですから。 ちゃんと、まとめておきませんと」
 乱雑に縛った紐を解くと、エスペリアは素早く丁寧にそれを一本の三編みにまとめてしまった。
「はい、これで大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう・・・・・・でも、こんなことしてる場合じゃないんじゃ?」
「いえ、あれは緊急召集の警鐘ですから。 最低限の身なりを整えていかなければ返って無礼になりかねません。 さ、終わりましたから、どうぞ。 私はユー ト様を お連れしてから参りますから」
「あ〜っ! オルファもパパのところに行きたい!」
 オルファが駄々をこねるが、エスペリアはそれを厳しくなだめた。
「いけません。 あなたは早くお行きなさい」
 その声は硬く、エスペリアの表情は厳しかった。
 こんな顔もするのだな、と意外に思いながらも千歳もオルファをなだめる。
「ほら、一緒に行きましょうオルファ。 すぐに皆も来るでしょうから」
「む〜〜〜」
 オルファはしぶしぶといった感じで千歳に右手を突き出す。 その可愛い妥協点の提示に、千歳は軽く微笑んでその手をそっとつないだのだった。


 ラキオス城  謁見の間

 二度目に訪れた謁見の間に、あのラキオス王の姿はなかった。
 代わりに、レスティーナが玉座の前に立ち、膝をつく千歳たちに凛とした視線を投げかけていた。
「我が国に所属国家不明のスピリットたちが侵入しました」

 彼女はまず簡潔に事態を述べると、次に王は同盟諸国との会議のために城を離れているため自分が今回の指令を下す事を告げた。

「敵の狙いは、ラースに建築されつつあるエーテル変換施設であることは間違いない」

 レスティーナの言葉に千歳の血の気がさっと引いていった。 あそこを守っていたのは、間違いなくハリオンたちだろう。 彼女たちが守る場所に侵入者が押 し入 り、その討伐令がこちらにまわされたという事は、彼女たちの身の上に何かがあったという事に他ならない。
 彼女たちの安否が気遣わしかったが、それを尋ねたところでレスティーナが答えることはないだろう。

「エトランジェとスピリットは早急にラースへと向かい、国籍不明のスピリットを完全に消滅させよ」

 レスティーナの言葉に迷いはなかった。 そして、自分でも不思議な事にその言葉に対する驚きは千歳にとってとても小さいものだった。

「・・・・・・おそらくは、バーンライトの兵であろう」

 告げられた国家名は、エスペリアにも教えられたラキオスの敵対国の名前だった。 話に寄れば戦争がなかったこの数十年来、こうした細々としたスピリット 同 士をぶつけた争いが続けられているらしい。

 わずかに表情を緩めて、冷たい表情でレスティーナは犠牲を厭わずに施設を死守するように宣告した。
「そなたたちの命よりも、はるかに重いものなのだからな」

「・・・・・・ふ」
 千歳はわずかに喉の奥で笑った。
 そう、これがこの世界での戦の形式なのだと。
 レスティーナの顔に演技の色はない。 この表情とオルファたちに見せた表情、どちらが彼女の本心であれ、今の王女の言葉は間違いなくこの世界の人間の総 意 であることは間違いなかった。

 エスペリアが代表して拝命の意を示し、レスティーナがその姿勢を褒め称えていた。 簡単な戦意高揚の儀礼のようなものだろう。

「エトランジェよ」
「ハッ!」
「ハ、ハッ!」

 千歳は素早く、悠人はやや遅れて返事を返した。
 厳しい眼差しが向けられ、冷徹なる王女の言葉が投げかけられる。
「決して他の者たちの足を引っ張らぬように」
「・・・・・・・・・」
 二人はその言葉を黙って聞く。 千歳には続く言葉はあらかた予想ができていた。

「そなたたちの働きが、そなたたちの運命を左右する事を忘れなきように・・・・・・」

 その言葉の中に、佳織が含まれていることを悠人も察したのだろう。 わずかに隣から歯軋りする音が聞こえてきた。
 千歳は軽く息を吐くと、顔を上げて神妙な声で告げた。

「お任せください、殿下。 我が身を盾としましても、ラキオスに勝利を捧げましょう」

 これは千歳にとっての誓約の言葉。
 この身を盾としても、千歳は彼女たちを守りきってみせる。 命を奪う覚悟は未だ終わらずとも、スピリットたちを死なせまいと言う意思は本当だった。
 悠人が千歳の宣言にやや戸惑っている気配が分かったが、気に止めはしなかった。 レスティーナは千歳の瞳を検分するように見つめたが、わずかにまなじり を 下げて言った。

「よかろう。 その忠誠、此度の任務でしかと示すがいい」
「ハッ!」
「そなたも、よいな」
 レスティーナの言葉に一拍の間をおいて、悠人の返事が返った。
「ハッ」
 彼の怒りが顔を見なくても千歳には分かった。
 なぜなら、千歳の心の中にもまた冷たく激しい炎が渦巻いていたからだ。


 ―――そう・・・・・・だ・・・・・・憎、む・・・・・・。―――


「!」
 千歳の脳裏にかすかに暗い欲望が浮かぶ、だがそれは千歳自身のものではなかった。
 自分の神剣に意識を走らせたが、先ほどの声の主ではないとすぐに気がついた。

 ―――違うわね。これは、高嶺の・・・・・・?

 悠人の手には、無骨な棍棒のような斧剣が握られていた。
 千歳の造形美を凝らしたものとは全く逆の赴きをもつ、破壊を具現する機能美をもった永遠神剣。 それこそがかすかに漏らしている声の主であることを察 し、 千歳の背筋はひやりと冷えた。
 飢えた獣、『追憶』の評価が的を得ていた事に千歳は身をもって思い知らされた。

「さっそく、支度にかかれ」

 レスティーナの言葉に、はたと千歳の意識は現実に引き戻された。

「整い次第、アセリア、エスペリア、オルファリル。 そしてエトランジェたちはラースの街へ」

「ハッ!」

 今度は、悠人の方が早く返事を返した。
 千歳もやや慌てて、続くエスペリアの言葉に倣った。

「ラキオスに勝利を・・・・・・」

 その言葉に鷹揚に頷いて、レスティーナは退出していった。 膝を上げるエスペリアに続いて、千歳も体を起こした。
 顔をわずかに横へ向けると、隣でいまだ動かぬ悠人の姿がある。

 そしてその顔には、かつて瞬に向けていた暗い狂気の影がうっすらとだがにじみ出ていたのだった。



 リュケイレムの森

 ラキオスとラースを結ぶ街道。
 ついこの前オルファたちと訪れた街道を、千歳たちは徒歩で歩んでいた。
 ラース奪還を命じられたのは第一詰所の全員だったが、驚いた事に他のスピリットたちのついてくる様子はなかった。
 エスペリアによるとラースを占拠したスピリットたちの戦闘力を考え、少数精鋭による一転突破が望ましいのだそうだ。 また、敵の伏兵のことを考えるとラ キ オスになるべく多くのスピリットたちを残したほうが得策であるのだそうだ。

 悠人以外の者は皆、永遠神剣の力を用いているので進行の速度も速かった。 未だ己の神剣を使いこなせていない悠人は、エスペリアの助けを借りてなんとか 着 いてきている。
 ラースに向かう道にも敵の部隊が配置されていると聞いていたが、幸いな事にこれまでは順調に進んでいた。

 進行は先頭がアセリア、次にエスペリア、そして最後尾のオルファに挟まれるようにして悠人と千歳がいた。
 中堅を任されているのではない、単に千歳たちが彼女らに庇われているのだ。
 そんな配置にやや不満を感じながらも、戦闘に関して素人である千歳はおとなしくエスペリアの指示に従っていた。

 千歳は腰にエスペリアに用意したもらった剣帯に『追憶』を吊り、灰色の外套に身を包んでいた。 腰でかちゃかちゃと鳴る音に合わせて足を進めていると、 何 となく疲れが少なくなるような気がする。・・・・・・無論、錯覚だろうが。

 ラキオスを出立して一時間弱、かなり足が慣れてきた頃に、エスペリアの顔に緊張が走った。

「・・・・・・ユート様、チトセ様! お下がりください!」

 空を裂く音と共に、エスペリアの周囲に光の盾が現われる。 その言葉に千歳が反応する前に、エスペリアは皆の前に進み出て呪文の詠唱を始めた。
 緑色の光がエスペリアの前方に結界を織り成すと同時に、凄まじい速度で飛来した槍がそれに弾き返された。

「・・・・・・っ!」
 千歳は素早くエスペリアの後方に隠れ、『追憶』を剣帯から引き抜いた。
 アセリアとオルファもまた、各自の永遠神剣を抜いてその身に光芒をまとう。 次の背常に、光はアセリアの背中に翼となって、またオルファの周囲に光球と なって浮かんだ。
 それがスピリットたちの護りで、ハイロゥというらしい事を千歳は訓練の合間に聞いていた。

 エスペリアが跳ね返した槍が放物線を描いて森の奥へと消えていく。
 次の一瞬、アセリアはその方向に向けてハイロゥの翼を広げ、彼女の神剣『存在』を振り上げる。
「アセリアッ!」
 悠人の声が、彼女を呼び止めるように木々の間を木霊する。

「ハアアアアァッ!」

 澄んだ気合と共にアセリアが疾走し、一本の樹木に向けてその剣を振るった。
 その陰に隠れていた一人のグリーンスピリットが倒れる木の陰から飛び出す。 アセリアの剣はその腕を捕らえ、槍を持つ反対の腕を切り落としていた。
「くうっ!」
 片腕を失ったとは思えないほど素早い動きで緑の少女は街道に姿を現し、再び槍を投擲する構えを見せる。
 しかし、その前にオルファがその体勢を整え、術を完成させていた。
「よ〜し、敵さんやっつけちゃうよ〜〜〜っ!」
 張り切った声と共に、その手に浮かんだ焔が礫となって今まさに槍を投げんとする少女に襲い掛かった。 礫は狙い違わず、すべてが少女の体を打ち抜いてい く。

「あぐうっ! あ、ぅ・・・・・・」
 ―――パアアアアァァァ
 少女の体がぐらりと傾き、その体が崩れ落ちるように消える。 後には、うっすらとした金色の光の残滓が漂っていたが、それもまたすぐに消えてしまった。

「く・・・・・・・・・っ」
 千歳は唇をかんだ。
 目の前で一つの命が失われたからではない。 それを嘆こうとする自分を叱咤するためだ。
 もし千歳が彼女らを止めようとすれば、今度はオルファたちに死者が出るだけであり、自分がそれを望まないことは分かりきっていた。

 意識を『追憶』に集中する。
 そして誓った、自分はエスペリアたちの助けになって見せるのだと。
 それに反応して、千歳の脳裏に周囲に隠れた永遠神剣の気配が伝わってくる。 そして、前方の一点に集まりつつある、先ほどオルファが放ったのと同等のマ ナ の流れを感じ取った。
 千歳は瞬時に不可視の糸を展開し、その流れに介入していく。

「この場に集いしマナへと告げる・・・・・・」

 千歳は一歩進み出て、こちらに向かい来る炎の礫の力を捻じ曲げた。

「真なる覇者の声を聞き、我が言霊とくだれっ!」

 そしてその力を一気に解放する。 同時に炎の渦が千歳たちのいる前方で巻き起こった。 甲高い悲鳴が響き、それから逃れるようにして数名の影が姿を現 す。
 そこへ、アセリアとエスペリアが各々の永遠神剣を持って突撃した。

 体勢を崩された敵のスピリット隊は二人の攻撃の前にあっけなく崩れ去ることとなった。

 一分もせずにすべての敵を殲滅し、エスペリアとアセリアはスピリットたちの返り血を浴びてこちらに戻ってきた。
 その衣服に浴びた紅は、金色の塵となってその亡骸と共に跡形もなく消えていった。
「ありがとうございました、チトセ様・・・・・・ユート様。 ご無事で何よりです」

 エスペリアはまるで食器の片づけを手伝った時の様に、折り目正しく千歳に礼をする。 その時には、彼女の持つ槍型をした永遠神剣『献身』は汚れなき真白 い 輝きを取り戻していた。
「・・・・・・・・・」
 千歳は返事をしないままに行き場のない嫌悪感と罪悪感に苛まれて、唇を食い千切った。 顎を伝う血は消えることなく、ぽつりと地面に染みを作る。

 ―――彼女たちを殺したのは、エスペリアたちじゃない。 私だ。

 その思いが、心を深く抉っていた。
 エスペリアは千歳の様子に、辛そうに口をつぐむしかなかった。

「ママ、やったね! 敵さんみんな死んじゃったよ!」
 オルファの声が遠く聞こえる。
 千歳はオルファの顔を見る事のできぬまま、口にたまった血液をぺっと吐き捨てた。

「・・・・・・行きましょう。 五つの気配が消えたから、多分この先で仕掛けてくるつもりよ」

 そう言うと、千歳は『追憶』の柄を強く握りしめて一足先に歩みを再開した。



 両の目より止めどなくあふれる涙を、決して誰にも見せないために。




・・・・・・To Be Continued



【後書き】


 悠人との行き違い、そして主人公の初任務前編をお送りしました。

 命は尊いものであると言われながら、戦時においては儚く、そして無意味に失われてしまいます。 誰だから、どんな奴だから、死んでもよいという事は本当 に あるのでしょうか? 欺瞞と思いながらも時折考えてしまう事はありませんか?
 作者も考えた事はありますが、すぐに思考がまとまらなくなり、やがて思いつめるのを放棄してしまいました。
 クェドギンではありませんが、割り切る事は容易くても、諦めずに答えを求める人こそが『真に気高き者』といえるのかもしれません・・・・・・多分。

 補足ですが、オルファは彼女の弁の通りゲームよりも早い時期にラースに行きました。
 よって、佳織に会ったのも千歳と共に帰還した当日とお考え下さい。

 さて、次回はこの任務を終えるまで書き上げてしまいたいものです。
 ・・・・・・本当は、今回『求め』君も覚醒する予定だったのですし。


 嗚呼、もっとヘタレを書きたい!(心の叫び)


 ・・・・・・コホン。
 さて、迷いを心に持つ悠人と千歳は、この任務をいかなる形で締めくくるのでしょうか。

 次回作でお会いしましょう。



NIL      


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