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 In The Dream・・・・・・

「ほら、二人のためにがんばって作ったんだよ」
「わぁ、とってもきれい・・・・・・」
「ふん、なんだ。 ただのぼろじゃないか」
「言ったわね、しゅん? でもね、あんたにこんなこと出来る?」


「すご〜い! すごい、すごい! もっとやってよ、ちぃちゃん!」
「よぉし、じゃあ次は七つ。 いってみるわよ」
「くッ・・・・・・こ、こんなもの、できたってどうってことないじゃないか」
「あっそ、じゃあんたは外で砂でもいじってなよ」
「ちぃちゃん! そんなこと言っちゃダメ! しゅんくん、いっしょにおしえてもらおうよ、ね?」

「・・・・・・」

「じゃあさ、これの作りかた教えてあげる。 そしたら家でもれんしゅうできるでしょ?」
「あ、いいなぁ! おしえておしえて!」
「・・・・・・かおりが言うからだからな! べつに、ぼくがやりたいわけじゃないんだぞ!」
「分かってるわよ、しゅんのいじっぱり」
「なんだとぉ!?」
「二人ともケンカしちゃダメっ!」



 ・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。









 永遠のアセリア二次創作            

龍の大地に眠れ

    一章 : 夢幻世界の少女たち
第一話 : 紅き髪の娘
(全日本語版)











  不明

 ―――ちゅんちゅん、ちちち

 小鳥のさえずりが聞こえる。 まぶたの裏からでも明るい日差しがわかったが、千歳の身体は気だるい疲れに重く浸っていた。
「・・・・・・も少し寝てよ」
 千歳はぐっ、と毛布を握り丸まるが、手に広がるごわごわした布地の感触に眉をひそめた。
 はて、自分の布団はこんなにも寝心地が悪かっただろうか。

 そう思ってひくひく鼻を動かすと、馴染みのない臭いが鼻腔をくすぐった。
「・・・・・・?」
 半覚醒のまま、むくりと千歳が起き上がったると、額の上から濡れた布がぼとりと落ちた。 無言でそれをつまむ。布地は水気をはらみわずかにしっとりとし ていたが、既に人肌の温度まで熱を持っており、頭を冷やす効果は見込めそうになかった。

「ここ、どこ・・・・・・?」

 千歳は安っぽいペンションにでもありそうな、木目の浮かぶ床のある部屋の質素なベッドに寝かされていた。 近くにある机には、骨董品のようなオイルラン プが置かれている。
 少なくとも、千歳が知る人間にこのような家を持つものはない。 瞬の別荘、の割にはなんとなく庶民的過ぎる感が否めない。
「って、あれ?」
 ふと千歳は自分の目元を触った。 しかし、そこに慣れた感触はない。
「なんで、見えるの・・・・・・」
 そう、千歳は掛けなれていた眼鏡がないにも関わらず、目の前に広がるものすべてがクリアに見えていた。 道場でも、試合や練習の時などは外していたが、 必ず輪郭がぼやけるようになっていたにも関わらず。

 不思議な現象に頭をひねりながら千歳が上半身を起き上がらせるのと、扉の向こうから誰かが走ってくる音が聞こえるのはほぼ同じ時のことだった。

 ―――がちゃ

「あ・・・・・・」
 ノブが回されて入ってきたのは、水の入ったたらいを持つ十代半ばほどの少女。 明るい赤という見慣れない髪と瞳をした少女の目は、快活そうな輝きを宿し ており、千歳は子猫のようだとぼんやり思う。
 水をこぼさないように慎重に歩きながらドアを閉めると、千歳と少女の眼差しは家具の配置のせいもあり、ばったりと合ってしまった。
 少女は目を見開くと、次の瞬間ぱあっと喜びの笑みを浮かべて千歳の下へ駆け寄ってきた。

「お姉ちゃん! 目がさめたの!?」

 嬉しそうな顔をした少女はたらいをベッドの脇のテーブルに置くと、千歳に笑いかけてくる。
「からだの具合はどお?」
「え、っと・・・・・・」
 千歳は大いに困った。 少女がしゃべっているのは聞いた事もない言語だった。
 ヨーロッパかどこかの言葉の響きみたいだったが、それを特定する事は千歳にはできない。
「日本語は、分かる?」
 千歳はゆっくりと少女に聞いたが、彼女はきょとん、とした目をしていた。
「・・・・・・Can you speak English?」
「なぁに?」
 自分では流暢なほうにはいると思う発音で尋ねたが、これもダメ。

「・・・・・・あー。 Verstehen Sie Deutsch?」
「・・・・・・?」
 これしか喋れないくせに無謀にも試したドイツ語すら通じず、千歳の努力はすべて無駄に終わった。
「・・・・・・だめね、これは」
 軽い絶望にひしがれる千歳は指先でそっと頭を抑えた。
 しかし、少女は言葉が通じないことが分かっただろうにも関わらず、今もニコニコと笑っている。
「お姉ちゃん! オルファの名前はオルファリルって言うんだよ! お姉ちゃんのお名前はなんていうの?」

 ・・・・・・いや、単に分かっていないだけかもしれない。 うかつに答えると変な誤解を起こしかねないと千歳は思い、首をかしげ困った顔で少女に笑いか けるしかない。
 少女もようやくそれが分かったのか、少し考えるような素振りを見せ、もう一度先ほどの言葉をゆっくりと繰り返した。

 まず自分の胸を指し、
「オルファの名前はオルファリル、です」
 次に千歳に手の平を向けて。
「お姉ちゃんの、お名前は?」

 千歳は何となく、この少女がやりたいことが分かった。
 少女の言葉に出てきた中の発音の似たものに見当を付けて、千歳は少女に手の平を向けた。

「あなたの名前は、オルファ?」
「うんっ!」

 『オルファ』という言葉を強調して言うと、少女はぴょんぴょんと飛び上がって何度も頷いた。
 千歳は少し笑うと、自分の胸を指す。

「私の名前は、千歳」
「ツト、エ?」
「ち、と、せ」
 千歳、と繰り返して言うと、少女は花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。

「ツィ、トォ、スェ!」

 オルファは千歳の手を取って、きゃっきゃと喜んでいる。
 発音が微妙に変なのが心残りだが、千歳はオルファとの意思疎通ができたことに心底安心していた。

 だが、現状が把握できないのは今もまだ同じ事だった。 自分はどうして言葉も通じない外国にいるのか。 なぜ、この部屋に寝かされていたのか。そして、 どうやら今まで自分の看病をしていてくれたらしいオルファ。 彼女は一体何者なのかを。
 彼女の髪を見ている内に思い出したが、多分彼女は千歳を助けてくれた少女に間違いないだろう。 この鮮やかな色は今でも記憶の隅で覚えている。
 しかし、この髪は本当に、なんなのだろうか。 千歳の知る中で、オルファのような色合いをもつ人種は存在していない。
 千歳が知る赤毛というのは佳織の様なそれに近い茶髪の事だったが、オルファの髪の色はバラの花のような見事な赤だった。 美貌というにはまだ幼い綺麗な 顔立ちも、透き通るような白い肌もアジア系や白人のそれはどこか違っている。
 染色しているのかどうかを見極めるために千歳はじっくりとオルファを観察したが、直ぐにその赤い髪の毛も、瞳もこの少女元来のものであると結論付けた。

 とりあえず千歳はベッドから離れて、この家の人間と接触したほうがいいと思った。
 しかし、毛布を払いのけて起き上がろうとすると、オルファは慌てて様に千歳の腕を取り、早口に何かを言いながらベッドに押さえつける。
「まだ寝ていろ、ってこと?」
 おとなしく毛布をかぶりなおすと、オルファは毛布の上に落ちていた手ぬぐいをとり、たらいで洗ってもう一度千歳の頭にそれを乗せた。
 ひんやりと心地よい冷たさを感じると共に、千歳は自分に熱があることにようやく気がつく。 確かに、何を始めるにしてもまずは体調を整えなければ意味が ない。

 しばらくオルファは毛布の中から千歳の手を取り出し、ぎゅっと小さな両手でそれを握りしめた。
 早く元気になってね。
 オルファがそう言いたいのだと理解するのに、言葉の違いはさしたる障害ではなかった。
 千歳はせめてもの感謝の気持ちを伝えるために、精一杯の微笑を浮かべる事しかできなかった。


  目覚めて後、3日後・・・・・・  朝

 千歳の身体はようやく調子を取り戻し、オルファの介護の末やっと寝床から出る許可を与えてもらった。
 不思議な事に、今まで千歳のいる部屋にはオルファを除いて誰一人として近づかなかった。 朝方や夕方などには階下から複数の物音が定期的に聞こえてくる 事からも、ここにいるのはオルファ一人ではないはずなのに。
 更に不可思議な事は、定時ごとにオルファがもってくる食事。 味に文句はないが、それに使われている食材は、どれ一つとして千歳の知るものとは少しずつ 違っていた。

「・・・・・・まさか、オズの世界にご招待ってわけ?」
 手鏡を見ながら髪を一つに編んでいた手を止めて、ポツリと呟く。
 千歳はそれなりに読書をしているし、そっち系統のファンタジーも何冊か呼んだ事はある。 別にそれらにかぶれているわけではないが、響きにすら馴染みの ない言語、時代遅れとも見えるこの部屋の造り、そして見たことのない食べ物。 どう考えても正統な理屈で説明しきれない事ばかりで、そんな言葉もはきたく なるというものだ。
 最大の疑問は強度の近視だった千歳の目が、この屋敷に来てからというもの視力が急激に戻ったことだ。 今では、窓の外の森のざわめきまでも見通す事すら できる。 ごくまれに網膜が傷つく事で、光の屈折の関係から視力が戻る事があるらしいが、千歳に起きているこれは明らかに異常だ。
 加えて、千歳は今自分がどのような立場にあるのかが、未だに皆目見当もつかなかった。

「お姉ちゃん!」

 明るい声と共に、オルファが部屋に入ってきた。 赤い髪のツインテールがぴょこぴょこと揺れる。
 彼女は最初の内は四苦八苦して『チトセ』と言おうとしていたのだが、いつの間にかそれを放棄して『ルルゥ』と呼ぶようになった。 時々は、たどたどしく 『ツィトォ・・・・・・』などと呼んだりもするので、名前を覚えていないわけではないとみえる。 おそらくは便宜上の呼び名と言う事なのだろう。
「おはよう、オルファ」
 千歳は通じていないことを分かりながら、オルファに日本語で話しかけた。 そうしたほうがオルファも言葉を返しやすく、擬似的な会話が成立するからだ。
 この三日間少しでも多くの言葉をオルファの口から聴き出しながら、千歳は一生懸命その法則性を探していた。

「おはよう、お姉ちゃん! 今日は、オルファたちといっしょにご飯食べよ!」
 オルファがどれだけ話してくれても、聞き取れるのはほんの少しだけ。 しかも意味は分からないものばかり。
 今のところの収穫は、『キス』が『はい』。 『ラ、ヨテト〜』が『私が〜』。 『イス〜』が『〜です』をそれぞれ意味しているのだろうというぐ らいのこ と。 だがそれも、何度もオルファが話しをする時に、自分をさしたり千歳をさしたりしてくれているおかげで気がつけた事なのだが。

「体はだいじょうぶ?」

 オルファが心配そうな顔で顔を窺う仕草をする。 顔をあわせるたびにされている質問なので、意味は推測できた。
 大丈夫? 気分はどう? と、言うところだろう。
「―――キス」
 ええ、大丈夫。 そう言うつもりで返事を返したが、発音がおかしかったのかオルファは急にくすくすと笑いだす。 そして今度は、突然千歳の袖を取ってク イクイと引っ張り始めた。

 どこかに連れていく、という事だろう。
 いつもはこの時間帯にもってきてくれる朝食が手にないことから、連れて行きたい所は大体の予測がついた。


 ※※※


 オルファに手を引かれながら、千歳はじっくりと自分のいた館を観察していた。
 その家は予想以上に広く、そしてたくさんの個室が設置されていることに千歳は驚くしかない。 千歳がちらりと窓の外を除くと、ドーム一個分ほどの広さの 草原と、微妙な遠距離に見える家並みがあった。 規模から言って村、と言うところだろう。 少し窓際の壁に近づいて歩くと、この建物がその村に続く道沿い に存在している事が分かった。

 ―――なぜ、こんな中途半端な位置にこんな屋敷が・・・・・・?
 訝しげに思う千歳を余所に、オルファは彼女の腕を引いたまま階段を下りていった。
「みんな〜〜〜! お姉ちゃん、元気になったよ〜〜〜!!」
 一階の部屋の一つに飛び込んだオルファが、早口で何かを話している。 千歳は彼女に続いてその部屋に入り、どうやらここは食堂らしいと判断した。

 大きなテーブルには幾つかのイスが並び、そのうちの三つにはオルファと同じ年頃の少女たちが三人座っていた。 三人はそれぞれ驚き、あるいは興味津々な 様子で千歳のほうを見ている。
 内の二人はスカイブルーという、オルファと同じく千歳になじみのない髪の色をしており、もう一人の少女だけは黒髪であったが、濃い茶色というよりも夜空 の色と言った方がしっくりくる様な色だった。
「お姉ちゃん、みんなはオルファのお友だちだよ! みんな! お姉ちゃんにごあいさつしよっ!」
 オルファは始めの言葉を千歳に、後の言葉を少女たちに言った。
 彼女らのうち、青い髪をポニーテールにまとめた少女が元気良くしゃべりだす。
「ネリーだよ!」
 彼女の隣にいた、同じ髪の色をおかっぱにした少女がおどおどと言う。
「・・・・・・シ、シアーです」
 最後に、闇色の髪をツインテールにした少女が緊張した様子であたふたと言った。
「わっ、わたしの名前は、へ、ヘリオンですっ!」

 千歳は軽く思考を働かせた。
 まずオルファの様子から、彼女たちに自己紹介を進めたのだろうと思う。 『ラ、ヨテト〜』以外の一語が名前だと仮定して、最初の子がネリー、次の子がシ アー。 初日で『ニノウ、セィン、ヨテト』が名前に関する言葉である事を確かめているから、残りの言葉から判断して最後の子がヘリオンという事になる。  ・・・・・・多分。

「ラ、ヨテト・・・・・・千歳。 始めまして」
 千歳が自分のことを指差してゆっくりしゃべると、ネリーたちは驚きの表情でわぁっと歓声を上げた。 オルファはえっへん、と胸を張って何かを自慢してい る。
「みなさ〜〜〜ん。 ご飯ですよ〜〜〜」
 おっとりとした声が奥・・・・・・おそらくは台所からすると共に、いい臭いが食堂に漂ってきた。
 奥にある扉から、緑色の髪を伸ばした女性がお盆一杯の料理を持って現われた。
 今度は緑?
 なんてすさまじく失礼なことを考えながら、好い加減に自分の一般知識も捨て去ってしまった方がよさそうだと千歳は諦めを決める。


 ―――さようなら、私の常識。 グッバイ、フォーエバー。


 一人黄昏ていると、オルファが怪訝な表情で千歳の顔を覗きこんできた。
「お姉ちゃん?」
「あ、何でもないわ、何でも・・・・・・」
 何でもない、と言うふうに手をひらひらと動かすと、オルファもあいまいな笑みを浮かべてくれた。 この子は実に良い子だ。いろんな意味で。
 その後オルファの紹介で、その女性の名前がハリオンということを知った。 千歳よりもいくつか年上の、おそらくこの中で最年長者であることは間違いな い。

 やがて、ハリオンが持って来てくれた食事がテーブルに並び、合計六人での食事が始まった。
 千歳はとりあえずいただきます、と一礼してパンを手に取った。 小さくちぎり、少し臭いをかいだ後で口に入れる。 香草でも練りこんであるらしくパンは とてもよい香りがしたが、その香草を含めてパンの味は千歳の知るものとはやはり違っていることが分かった。
 幾つかの料理を慎重に口に運びながらも、やがて千歳は自分がオルファ以外の少女たちの視線を一身に浴びている事に気がついた。
 ネリー、ヘリオンは言うまでもなく、シアーそしてハリオンまでもがこちらをちらちらと窺っている。
 どうしたものかと思っていると、ハリオンから声がかけられた。
「おいしいですかぁ〜?」
「ん?」
 千歳が首を傾げて見せると、ハリオンも困った顔をしてしまった。

 と、オルファが千歳の袖を引き、目の前で実に良い顔でパンをかじって笑う。
「これ、おいしいよ!」
 ネリーたちもそれを見てくすくすと笑い、スープを飲み、あるいはサラダを食べて、同じ事をし始める。 千歳もぴんときて、パンを持ち上げてヘリオンに笑 いかけた。

「ヤスハム」

 おいしいですよ、と。
 そしてどうやら、それで正解だったらしい。
 オルファたちは大きな声で笑い出し、ハリオンも柔らかい表情でほっと胸をなでおろす仕草をしていた。

 それからは、ネリーたちも次々と千歳に話しかけ始めた。
 大半が意味の分からないものだったが、千歳は何とか彼女たちの満足する反応を返そうと努力した。
 食事が終わった後も、一同は食堂のテーブルについたまま話し合っている。 千歳が堂反応すればいいのか分からない時には、オルファがフォローを入れてく れて何とか場の空気は保てていた。
 千歳は自分からも色々と尋ねたい事があったのだが、どうするにしてもまずは言葉が話せない事にはどうしようもならない。
 ひとまずは受け手に回るしかないのだとはやる心を抑え、千歳は自分に言い聞かせていた。

 ネリーたちも千歳のことをいつの間にかルルゥ、と呼んでいた。 時折、彼女たちがハリオンにも『ルルゥ、ハリオン』と呼びかけている事から、お姉ちゃ ん、と言う感じの意味合いなのかもしれない。
 千歳が皆と食事がどうか、居心地はどうかということを話していた後に、突然ネリーが興味津々と言った様子で千歳に聞いてきた。

「ね、お姉ちゃん。 エトランジェってホントにハイペリアから来るの?」
 ハイペリア、と言う言葉を聞くと、千歳よりもシアーやヘリオンの方が反応していた。 オルファをちらりと見ると、こちらも目を輝かせて千歳の顔を見てい る。
「ハイペリア?」
 千歳が鍵となったであろう言葉を口にすると、ネリーは勢い良く何度も頷いた。 意味が分からない、と言うふうに首を傾げて見せると、ネリーは天井を指差 す。
「ハイペリア」
 それを見たオルファは、それは違うとばかりに首を横に振り、千歳に窓の外を指さして「ハイペリア」と言った。

 ―――天井、窓、外・・・・・・空?
 意味が通りそうな言葉を考えるが、どれもしっくり来ない。
 千歳が考え込むと、オルファたちも同じ仕草をしてう〜んと考え始めた。
「そ〜だっ!」
 突然、ヘリオンがぽんと手を叩くと、ぱたぱたと食堂を飛び出してきた。 千歳が首をかしげてヘリオンが出て行ったドアを指差すと、四人はふるふると首を 横に振る。

 しばらくしてヘリオンが戻ってくると、机の上にばさばさと何かを広げ始めた。 それは十数枚ほどの紙と茶色の羽ペン、そしてインクの並々と入った瓶だっ た。
 ネリーたちはそれを見て歓声を上げ、ハリオンはヘリオンの頭をなでている。 千歳も、これはいい考えだと思った。
 そして、彼女らを代表してシアーが一生懸命に何かを書き出す。
 数分後、千歳は彼女が書いた絵を見させてもらう事ができた。

 まず、書いてあるのは子供の書きそうな風景画。 地面があって、その上に何人かの人が立っている。 髪型から察してオルファたちのことだろう。一人を指 差して、オルファが「ラ、イスカ、ヨテト!」といってニコニコしていた。
 不思議な事に、絵の中の彼女らの手には必ず何かが握られていた。 棒のような長いもの、あるいは細い線のような十字架。 それがなにを意味するのかは分 からなかったが、彼女たちに共通するものなのだと言う事を千歳は察した。
 そして、その絵に描いてある雲。 その上にはもう一つ大地が書かれて、その上には豪華なお城、と言うイメージの建物がかかれている。
「ハイペリア!」
 ネリーが嬉しそうにその城を指差していった。
「・・・・・・天国?」
 千歳はそんな言葉を思いついて、次に絵の中央にあるものに目を向ける。

 そこには、逆さまになっている人間の姿が書かれていた。 ちょうど空の城の真下の空間に描かれていたその人物は、頭に一本に束ねた髪を持ち、ブレザーと スカートをイメージしたと思われる服を着ている。 そして、その手にはオルファたちと同じく、一本の長い『何か』を握っていた。

「・・・・・・・・・」
 千歳は急激に心が冷えていくのを感じた。
 震える指先でゆっくりとその人物の絵を指す。 明るいネリーの声が、何故かとてもとても遠く聞こえた。
「それ、お姉ちゃんだよ!」

 ―――それ、お姉ちゃんだよ!
 言葉の意味を理解した時、千歳は足元の床がガラガラと崩れ去るような錯覚を覚えていた。


  同日  夕方

 ショックに何もいえなくなってしまった千歳を案じたのか、ハリオンはオルファに自分を寝室に戻すよう言ったらしい。 オルファも終始何も言わなくなった 千歳を心配そうに見ていたが、千歳は何も言わないままにもぞもぞとベッドの中に潜り込んでしまった。
 オルファにすまないとは思ったが、千歳は一言でもしゃべればパニックに陥ってしまいそうだった。

 ―――ここは、地球じゃない。

 ぼんやりと見当はつけていても、はっきりとその事を形にして見せつけられると物凄くショックな事だった。
 ハイペリア。 それは自分のいた世界のことを指している言葉に違いない。
 彼女たちの認識では、自分はそこから『落ちて』来たということなのだろう。

 千歳は今までに神隠しの話を祖父から何度も聞いたことがあったが、まさか自分がそんな目に遭うとは考えた事もなかった。
 問題なのは、彼女らにとって自分が『ハイペリア』から来たと言うのは周知の事実である、と言う事だ。 オルファたちの様な少女らにさえ、自分の現状は はっきりと認識されている。 もしかしたら、自分と言う存在の事をほとんどのものが知っていると考えた方が良いのかもしれない。
 柄でもないが、いわば自分は昔話にあるような地上に落ちた天女の様なものなのだろう。
 ・・・・・・もしくは、生け捕りに成功した宇宙人、と言った所なのかもしれないが。

「・・・・・・うぇ」
 どこかのトンデモ本にあった両脇を抱えられたグレイの姿を自分に置き換えて、千歳は一人ぐったりと脱力した。

 さて、そうなるとますますオルファたちのことが分からなくなる。
 自分が異質な存在である事は彼女たちも分かっているのが判明したが、ネリーたちは誰一人として千歳の事を気味悪く思っている様子がない。
 それほどまでに自分のような存在が珍しくはないのか、いやそれにしては彼女たちは自分のことを興味深く観察していた。
 千歳は彼女たちの姿を思い出しながら、試行錯誤を繰り返す。

 彼女たちは、オルファ以外全員が色違いの全く同じ服を着ていた。おそらく何かの制服と言う事なのだろう。 そして、朝食の風景を思い出してみても、この 屋敷にいるのはあの少女たちだけであるのだということも分かる。 この屋敷はもっと多くの人間を収容する事ができるにも関わらず。
 街から中途半端に離れた場所にある屋敷に住む、たった五人の少女たち。
 千歳の価値観からすれば、凄まじく不自然な存在だった。

「まさか」
 しかし、ふとその総ての疑問を解決する答えに思い当たった千歳は、自分の考えに愕然とした。
「オルファたちは、私の監視役なの・・・・・・?」

 ハイペリアから訪れた珍しい『生物』。
 そう自分を定義付ければ、見る見るうちに今までの疑惑に答えが見つかっていく。
 街から隔離された屋敷。逃げてもすぐに見つかる身の隠し場所がない草原。 そして、自分を逃がさないための監視役。
 考えれば考えるほど、胸の悪くなるような考えが千歳の頭の中をよぎっていった。

「お姉ちゃん・・・・・・?」

 その時かちゃりとドアのノブが回り、オルファがおずおずと部屋の中に入ってきた。
「・・・・・・ごめん、一人にしてくれないかな?」
 千歳はドアに顔を向けないまま言ったが、オルファは静かに部屋の中に入ってきた。 ベッドのすぐ傍に立つ気配を感じても、千歳は顔を合わせることができ なかった。
「お姉ちゃん。 オルファ、お姉ちゃんに元気になって欲しくて・・・・・・」
 優しい口調で何かをいっているが、千歳は理解しようとする気になれない。 ふと、毛布が大きくめくられてもぞもぞと何かが入り込んでくる気配がした。
「!?」
 さすがに驚いて千歳が寝返りを打つと、そこにはベッドにもぐりこんできたオルファが照れくさそうに笑っていた。
「・・・・・・オルファ?」
「オルファが悲しい夢を見た時にね。 エスペリアお姉ちゃんがよく、こうしてくれるんだ」
 千歳が名前を呼ぶと、オルファは何かを言いながらぎゅっと千歳の身体に抱きついてきた。 小さい身体なのに、千歳はオルファの体温で身体が温まっていく 事のが分かった。
「エヘヘ♪ お姉ちゃん・・・・・・はやく、元気になってね!」
 オルファは千歳の顔を見上げてきれいな笑顔を見せる。
 その顔を見て、千歳は今まで自分が考えていた事を急激に恥じた。 行き倒れていたところを助けてくれ、今まで自分を助けていてくれたこの少女のことを疑 うなど恩知らずも甚だしい。
 例えこの世界の人間が自分どのように思われても、千歳はオルファの事を恨む事など論外であると己に言い聞かせた。

 その晩、千歳はオルファと一緒に一夜を明かした。
 こんな風に誰かと寝るのは佳織や瞬とお泊り会をした時以来だなあと思いながら、千歳はまんざらでもない気持ちで腕の中の小さな身体をずっと抱きしめてい たのだった。


  目覚めて後、16日後・・・・・・  朝

 あの日の翌朝、オルファと共に食堂に降りた千歳を待っていたのはずらりと並んで自分に頭を下げるネリーたちの姿だった。
「チトセさま〜、申し訳ございませんでした〜〜〜」
 ハリオンの言葉に続いて、残りの三人も揃って頭を下げて「ごめんなさい」と言う。
 千歳がやや慌ててそれを制し、気にするな、という仕草を何通りかジェスチャーで示すと、彼女たちもほっとした様に笑いかけてくれた。

 それからの日々は、千歳は彼女たちと共にその屋敷の中で過ごしている。 時折貧血が起こったように目眩がする事があるので、自ら街に出たいとは言い出さ なかった。
 一日の大半を食堂でそこにいる少女たちと話していたが、だんだんと彼女たちの生活体系を掴むことができた。

 オルファを除く四人が交代で、一人は朝食を食べた後に屋敷から出てゆく。 その時に、彼女たちの腕に剣が握られているのを見て、最初は酷く驚いたもの だった。
 ネリーとシアーは異常なほどに大振りの両刃剣。ヘリオンが日本刀を思わせる片刃剣。 そしてハリオンだけが身長よりも長い槍。
 彼女たちはそれぞれの武器を持って街の方へと歩いていき、夕方になるまで決して帰らないのだ。

 残った三人はしばらく屋敷でくつろいだ後、屋敷の外で訓練を始める。 それも、それぞれの持つ本物の武器を使用して、だ。
 オルファと共に千歳は彼女たちが剣を振るう姿を間近に見て、正直寒気がした。
 彼女たちの身体能力は千歳の数十倍、と言っても過言ではない。 まさしく目にも留まらぬ速度で大地を駆け、振り下ろしが見えない剣劇を幾度も繰り出す。 しかも真剣を振るう事にためらいがなく、その訓練の内容がれっきとした『殺す』為のものであることが千歳には衝撃だった。
 どうやらこの世界では帯剣は普通、しかも彼女らにとって『死』は千歳の世界よりもはるかに近いものらしい。

 日が中天に差し掛かると昼食が始まり、しばらくするとまた訓練。 そして夕方、朝に出て行った娘が帰ってくると夕食が始まり、また別の誰かが夜の街へ赴 く。
 残った少女たちと会話をしている間、千歳はずっと彼女たちの正体を知りたい気持ちで一杯だった。

「お姉ちゃん?」

 朝食後、椅子にもたれかかったままぼんやりと考え事をしていた千歳に、オルファが不思議そうな顔を向けてきた。
「大丈夫、ですか?」
「ん・・・・・・キス」
 シアーが心配そうな顔をするので、千歳は少し困ったように笑うしかない。
「私、少し、考える、つまらない、それだけ」
 たどたどしく、千歳は覚えたこの世界の言葉を繋ぎ合わせた。
 ここしばらく千歳がとにかく頭に叩き込んだのは、彼女らの話す文章ではなく動詞、名詞といった単語だった。 なんとか覚えたい言葉を会話で引き出し、そ れを何度か繰り返してもらう。 そんな傍目から見ると滑稽な方法で、千歳は彼女たちと会話を続けている。

 あれから、彼女たちは自分の事を案じてか『ハイペリア』の話題をその口から出なかったので、千歳は現在の自分の状況を未だに分かっていない。 このまま ではいけないとも思ったが、彼女たちと暮らす日々はとても楽しく、この現状を壊してしまうのではないかということが千歳は怖かったのだ。

「ちょっと待ってようね。 すぐにハリオンお姉ちゃんが食後の今日のお茶を持ってきてくれるから!」
 ネリーが明るく千歳に言った。
 ノクラス、と言う言葉の意味はまだつかめないが、時間の長さに関する言葉であろうことは何となく見当がつく。
 そして想像通り、ヘリオンは金属製のティーポットを持って台所から戻ってきた。

「さぁさ、お待たせ、しました〜」
 ほやほや、という感じがぴったりくるハリオンの言葉は千歳に聞き取りやすく、とてもありがたかった。 反対に、興奮すると極度にどもるヘリオンの言葉に は良く頭を痛めさせられている。
「ウレーシェ」
「どぉいたしまして〜」
 千歳がそう言うと、ハリオンはにっこりと笑ってカップに紅茶を注いでくれた。
 この世界の紅茶はとても種類が多く、味もバイタリティがあって飽きる事がない。
「紅茶」
 千歳はカップの水面を指差して言う。 もちろん、オルファたちの言葉で。
「スプーン、砂糖、ミルク、お皿・・・・・・ポット!」
 食卓の上にあるものを順々に指しながらその名前を確かめると、オルファはぱちぱち、と手を叩いた。

「あったり〜! すごいよ、お姉ちゃん! こんなにお勉強するのが早いなんて!」
「ありがと。 みんな、おかげ、オルファ、たち」
 千歳の言葉に、ネリーが嬉しそうに笑い、シアーが恥ずかしそうに顔を赤くそめる。
 そうして紅茶を飲んでいると、二階から剣を片手に持ったヘリオンが降りてきた。
「わ、わたし、そろそろ警備の時間なので・・・・・・。もう、い、行ってきますねっ」
 やや緊張したようにヘリオンが言うが、早くて後半が聞き取る事ができなかった。
「まだ、時間はあるでしょ〜。お茶を一杯飲んでいきましょうよ、ね〜?」
「は、はい!」
 ハリオンが紅茶を薦め、ヘリオンはそれを飲んでからいく事にしたらしい。 しかし、彼女がティーカップを受け取ろうとしたとき、唐突に玄関のドアが乱暴 に叩かれた。

 ―――だんだんだん!

「ひぁっ!?」
 ―――がしゃん!
 ヘリオンはその音に驚いて、カップを手から取り落としてしまった。
 いつもならばすぐさまそれを片付けるハリオンは、顔を青くして扉のある方向を見ている。 ネリー、シアーは身を寄せ合って表情を曇らせ、ヘリオンは割っ てしまったカップと扉を交互に見つめておろおろとしていた。 オルファでさえ、口を横一文字に結んで固い顔をしている。

 千歳が知る限り、この屋敷に訪れるものは今まで誰一人いなかった。 それを不思議とはさほど思わなかったが、今はむしろ何故この屋敷を訪れたものがいな かったのかよりも、何故千歳が知る限り最強の力をもっている彼女らが一人の来客にここまで怯えるのかをおかしく思っていた。

 ドアを叩く音は、回を重ねるごとに苛立たしげなものに変わっていく。
 千歳はこの無礼な来訪者に文句を言いたくなって席を立ったが、ハリオンが慌ててそれを止めた。
「チトセさま、ダメですぅ! 貴女がお行きになると、困った事になってしまいますから〜〜!」
 千歳はその必死な顔に渋い顔をしてまた椅子に座る。
 ハリオンはほっとすると、千歳が何かを尋ねようとする前に小走りで玄関へと向かっていった。
「オルファ?」
「オルファ、お客さんすぐに変えると思うよ。お姉ちゃんここで待ってようよ、ね」
 オルファは千歳の腕をぎゅっと握ってぎこちなく笑った。
 客はすぐ変える、だから待っていた方がいい。 オルファの言葉の意味をそう取った千歳はおとなしくする事にしたが、玄関から聞こえてきた声はだんだんと こちらに近づいてきた。

「もう一人のエトランジェを確認しろとの、陛下のご命令なのだ!」
「今はまだ困るんですよ〜〜。 どうか、こんな事はおやめください〜!」
「黙れ、無礼な! スピリットごときが口出ししていい事ではないっ!」
「キャアッ!」

 ―――ばたん!
 勢い良くドアが開かれる。
 入ってきたのは、茶色い皮でできた防具を身につけた一人の男だった。
 千歳は男を観察するが、見た所男の佇まいは酷く隙だらけで、オルファたちは元より千歳の相手にもならないだろうと思った。
 男は不遜な態度で食堂を一瞥すると、千歳に目を留めて突然怒鳴りつけた。

「間違いない、貴様がもう一人のエトランジェだな!」
 男の発音は早い上に乱暴で、ほとんどが聞き取る事ができなかった。
「チ、チトセ様はまだこちらの言葉がよくお分かりにならないんですぅ・・・・・・」
「うるさいっ! スピリットが口を挟むな!」
 ―――ぱあん!
「キャアッ!」
「ヘリオンっ!」
「フンッ!」
 苛立たしそうに千歳を睨む男にヘリオンがおずおず話しかけると、男は五月蝿いとばかりにヘリオンを張り倒した。

「っ! 止めなさいっ!」
 千歳は更にヘリオンを足蹴にしようとする男に怒りのまま席を立つと、自分にも殴りかかろうとする腕を取って、合気術で一息に投げ飛ばした。
 重心を崩された男が驚愕の声をあげる間もなく、木の壁に叩きつけられる。
「なにぃっ!?」

 ―――ばきっ!!

「へっ?」
 しかし、驚きの声をあげたのはむしろ千歳の方だった。 何故なら男がぶつかった分厚い木の壁は激突した場所から大きくひび割れ、えぐれるように陥没して しまったからだ。
「う、嘘っ!?」
 どれほど鍛えているとはいえ、いくらなんでも自分はこんな馬鹿力なんて持っていない。
 だが千歳のそんなうろたえを余所に、男は呻きながら立ち上がると千歳を睨む。
「ゴホッ、ゴホッ・・・・・・。 き、貴様! エトランジェのくせに抵抗する気か!」
 咳き込みながらも、まだ高圧的に叫ぶ男に、千歳はカチンときた。 日本語でも構わぬと怒りの声を男にぶつける。
「五月蝿い! その子に謝りもせず、何をぐちゃぐちゃ言ってる!」
「ヒッ!」
 怒りをあらわにした千歳の表情に、男は途端に怯えだした。

 その時、ハリオンがようやく食堂に戻り、事態を察したのか慌てて男に何かを話しかけた。
「あのぉ、わたしが話を承りますので、あなたは早く帰ったほうがいいですよ〜〜。 チトセさまはまだ、ご自分のことをご存知ありませんから〜」
「・・・・・・くっ!」
 男は歯噛みすると懐から丸められた洋紙を取り出して、ふらふらと立ち上がってそれをハリオンに渡した。
「ゴホッ・・・・・・。 スピリットも、エトランジェも、せいぜい下賤同士で乳繰り合っているがいいさ!」
 男は最後にハリオンに向かって何かをはき捨てると、腰を抑えながらぎこちなく玄関の方へ歩いて行った。

 ―――ばたん。
 玄関の扉が閉まる気配がすると共に、ネリーとオルファが千歳に飛びついた。
「お姉ちゃん、やったぁ! あたしとってもすか〜っとしちゃったよ!」
「びっくり! オルファ、ホントにびっくりしちゃった!だってお姉ちゃん永遠神剣持ってないのに!」
 やった、やった、と小躍りしそうな雰囲気で二人はぴょんぴょん跳びまわる。
 千歳はその様子に困惑しながら、ぺたんと床に座り込んだヘリオンに手を貸した。
「ヘリオン。 どこか、痛い、在る、否?」
「あっ、ありがとうございますっ!」
 ヘリオンが立ち上がると、シアーが心配そうに彼女をイスに座らせた。

「申し訳ありませんでした、チトセさま〜」
 千歳が次にハリオンを気遣おうとすると、逆に彼女の方から頭を下げてきた。
「何、ハリオン、謝る、分からない。 あなた、謝る、何も、無い!」
 千歳が慌てて言うと、ハリオンは首を横に振って男の残した書簡を広げた。
「チトセさま〜〜。 あなたに国王陛下からの召集が命じられたそうです〜。 近日中にラキオスへあなたの身柄をお運びしなくてはなりません〜」
 急に聞いたことのない言葉が連発されて、千歳はやや面食らった。
「ごめんなさい。私、分かる、無い、あなた、言う、意味」
 千歳のたどたどしい謝罪にハリオンも困った顔をして何度か説明を繰り返すが、どうも要領を得ない。
 お互いどうしたものかと考えている内に、オルファがぷうっと頬を膨らませて千歳の手を引いた。
「お姉ちゃん、こっち見て! オルファの事、無視しないの!」
「あ、ごめん、オルファ」
 千歳は慌ててオルファの頭をなでた。 そのとたん、オルファのふくれっ面も元に戻り、またにこにこと笑い出す。
 一方、ネリーはいつの間にか男が投げ飛ばされてへこんだ壁に指を這わせながら、しきりと感嘆の声をあげていた。

「シアー。 あなた、地図を持ってきて下さいますか〜?」
「あ、は、はい!」
 ハリオンが何かを頼むとシアーはぱたぱたと食堂から走り去り、すぐに大きな紙の筒を持って戻ってきた。
「チトセさま〜。 この地図をご覧くださいますか〜」
 オルファとネリーに振り回されていた千歳は、ハリオンの言葉によいしょと腕にすがりつく二人をぶら下げてテーブルに近づいた。 それを羨ましそうに見つ めるシアーとヘリオンの視線が痛い。
 理由は分からないが、どうやら千歳はこの世界に来て結構力持ちになっていたらしい。

 ハリオンがテーブルに広げたのはかなり使い込まれた、茶色く変色した地図だった。
 やはりと言うか、千歳の知るような大陸は一つとしてない。 いや、むしろ地図にある大陸は一つしかなかったのだ。
 地図は絵が多くあしらわれた中世の様な地図であり、所々に巨大な怪物をイメージしたそれがずんと山脈や森の一部に居座っている。

「さて、チトセさま〜。 わたしたちは今、ここにおります〜」
 ハリオンはそう言うと、北部にある森の一部を指差した。 その下には小さな集落の絵とアラビア文字と音符を合体させたような字が描かれている。
「それ、ラースの村だよ!」
 オルファがテーブルに身を乗り出して言った。
 それに頷いたハリオンは男が持って来た書簡を指し、次にひょいと窓を指し、自分の頭上を弧に描いて反対側を指差した。
「何?」
 千歳が首をかしげると、そっとシアーが窓の外にある太陽を示した。

 ―――太陽、移動、太陽、移動。
「何日かしたら・・・・・・?」
 千歳が呟くと、ハリオンは千歳の手を取って指を総て握らせ、それをまた開いた。
「十日後に、ね」
 分かった事を伝えると、ハリオンはもう一度地図を指差した。 先ほどの集落と、その北西の道を通って大きな城の絵の間を行き来させた。
「チトセ様はぁ、ラースから、ラキオスまで、行かなければなりません〜」
 そう言うと馬の手綱を握る仕草をして、最後にとんとん、ともう一度お城の絵に指を戻した。
「私は、行かなくちゃいけない・・・・・・。 えっと、名前、は、私、行く、城の、ラキオス?」
 私が行く城の名前はラキオスというの?と言う意味合いで尋ねると、ハリオンはゆっくりうんうんと頷く。

 つまり簡単にまとめると、千歳は十日後に、今居る屋敷から、ラキオスという城に行かなければならない、と、言う事になる。
「なぜ、私が、行く、か、ラキオス、に?」
「ん〜〜〜」
 ハリオンは千歳の問いに少し困った顔をすると、千歳を指し、上から下に指を下ろし、また城を示す。
「チトセさまは、ラキオスのエトランジェであられますぅ」
「ムスル・レナ?」
「はい〜。 『ハイペリア』よりこの世界に訪れし方々のことですぅ」
 ハイペリア、多分自分が来た世界の言葉を意味する言葉。
 そこから来た者の呼称が『ムスル・レナ』と言う事なのだろう。
「あなたは、私たちスピリットと同じく、永遠神剣によって選ばれた方なのです〜」
 ハリオンはテーブルに置かれたヘリオンの刀に指を向けた。
「そして国王陛下は、わたしたちスピリットの力と、チトセさまのようなエトランジェさまの力を必要とされています〜」
 誰かが千歳の―――ムスル・レナの力と、ハリオンたち、ラナ・レナの力を必要としている。 そこまでの事は理解する事ができた。 不意に、剣奴、と言う 言葉が頭をよぎる。
 千歳はそっと、隣で地図を覗き込むオルファの顔を見つめた。 こんな少女たちの力を使う、その強さを言うのではなく、その非人道的な扱いに千歳は胸を痛 めた。

「だれ、か、ソゥ、ウナーマセク、とは?」
 千歳は極力、声音に怒りを含ませないよう努力したが、彼女たちの顔を見る限りやはり不機嫌さはにじみ出てしまったらしかった。
「こ、国王陛下は、ラキオスで一番えらいお方です」
 イスに座っていたヘリオンがおずおずと言った。
 肝心の部分が理解できなかったが、今までの会話の流れから少しは推測する事ができる。 千歳が王冠を頭に乗せる仕草をすると、彼女の頭がぶんぶんと上下 に揺れた。 どうやらこれはこの世界にも共通らしい。

「オルファリルとヘリオンはお姉ちゃんといっしょにラキオスまで行くんだよ!」
 しゅたっとオルファの右腕が上がると、ネリーがそれに不機嫌そうに声を荒げた。
「ずるい! ネリーもシアーも一緒に行く〜〜〜っ!」
「ふふ〜ん。 これに書いてあるもんね!オルファとヘリオンのみどうこうせよ、って!」
「う〜〜〜っ!」
 オルファが書簡を目の前に突き出すと、ネリーは悔しげに唇をかんだ。 一方ではシアーが悲しげにヘリオンの袖を引いて彼女を困らせている。

「みんな〜〜〜。 チトセさまと二人を困らせちゃ、いけませんよ〜」
「は〜い!」
「む〜〜〜」
「・・・・・・はい」
「は、はい!」
 ハリオンがやんわりと全員をなだめて、その場はお開きとなった。
 ハリオンとシアーの心配そうな表情を気にかけながら、千歳は今までの平穏が崩れ始めた事を感じ始めていた。


  目覚めて後、26日後・・・・・・  朝

 無礼な訪問者の来訪から十日後。
 千歳は部屋で縫い物をしていた。 手元のテーブルには裁縫道具、色とりどりの布切れ、そして豆の実が入った器が置かれている。
 すべて、ハリオンに頼んで屋敷にあるものを分けてもらったものだった。
 針山がかさかさしたスポンジのようなものでできていたり、千歳の知らない織り方をした布があったりと細かい差異があったが、すべて千歳が作るものにさほ どの影響はない。

 千歳はオルファたちと生活している中で、ある日彼女たちは『遊ぶ』と言う事を多く知らないことに気がついた。 空いている時間はお喋りや、読書、あるい は各自の剣の手入れをしているが、逆にそれ以外の時間の潰し方をあまり知らないようにも見える。
 いくつか質問してみたところ、案の定彼女たちは千歳の言葉に全員が頷いていた。

 これはこの世界の常識を知らない千歳の一人よがりかもしれないが、オルファたちにはもっと楽しい事、興味を持てることを教えてあげたかった。
 彼女たちと比較するのは難しいかもしれないが、千歳は似たような二人を既に知っていたから。

 小さい袋にした布の中に少しずつ豆を詰めていく。小豆ほどの豆がじゃらじゃらと千歳の手から流れ落ち、程よい量が詰まったのを見計らってそれを止め残り の布をきっちりと縫い合わせた。
 縫い止めし、小刀で余った糸を切ると掌で心地よい重さのお手玉がじゃらりと音を立てる。
「これで二十、と・・・・・・」
 そう呟いて千歳がベッドの上にお手玉を放ると、既に完成していた色とりどりのお手玉に新たな色が加わった。
 一人に四つあげるとして、これで全員分が揃ったことになる。
「ふぅ、さすがに少し疲れたかな」
 軽く肩を回し、こりをほぐす。千歳の徹夜の努力の結晶が、千歳の前に広がっていた。

 もう、千歳がこの世界に来てから一ヶ月近くが過ぎようとしている。
 今日はオルファ、ヘリオンと共にこの屋敷を離れ、ラキオスに向かう日であった。 昨晩はオルファたちが腕を振るってくれた豪華な夕食が振舞われ、最後ま で一緒に行きたいとしぶっていたネリーとシアーは別れを惜しむように何度も千歳のコップにジュースをなみなみと注いでくれた。
 ハリオンが言うには、じきに彼女たちもラキオスに向かうらしかったが、彼女たちはそれに満足できていないようだった。

 見ず知らずの自分にここまで親しくしてくれた彼女たちに、千歳はせめて何かを形として返したかった。
 が、自分の私物は学校の制服以外すべてが失せていたので直接あげられるものがない。 考えた末に、千歳が選んだのが昔よく作った玩具の一つだった。
 材料さえあればもっと凝ったものもできたかもしれないが、生憎と現状ではこれを作るので精一杯だ。
「ま、喜んでくれるかどうかは分かんないけどね」
 制服のスカーフを風呂敷代わりにしてお手玉を詰め込みながら、千歳はすこし苦笑した。


 ※※※


 千歳が朝食には少し早めの時間に食堂に赴くと、台所ではエプロンをつけたオルファがせっせと動き回っている姿があった。
「あ、お姉ちゃん!おはよ!」
「おはよう。 今日は、オルファの、当番、なの?」
 オルファたちの協力のおかげで千歳はゆっくりと喋れば、何とか日常会話にも苦労はなくなっていた。

 オルファは身に着けた緑色のエプロンをちょい、とつまんでにっこり笑う。
「そだよ♪ もうすぐできるから楽しみにしててね!」
「そう? でも、手伝わせて、くれた方が、私は、うれしい、けど?」
 千歳はスカーフをテーブルに置くと、そう言って厨房を覗いた。

 始めの頃はこの屋敷にある設備に、千歳は驚くばかりだった。 コンロと同じような簡単に火が使える調理台。 ボイラーも無くいつでも使える熱い湯が張っ たお風呂。
 全体的な水準こそ及ばないものの、文明発展の段階としてみればここの文明は地球を凌駕しているということができる。

「う〜ん。 それじゃあ、お姉ちゃんはテーブルをふいてくれる? オルファはおさらを用意するから!」
「分かった」
 千歳は後半の言葉の意味は分からなかったが、素直に頷いていた。
 料理に関しての言葉は覚えるのが難しい。 煮る、煮込む、焼く、焦がす、漬ける、洗うなど、とにかく語数が多い上に、千歳の全く知らない言葉までが交 ざっているのだ。 食材に関しては言うに及ばず。 ほとんど類似したものがある物以外はすべて一から覚えなくてはならない。

 ちなみに十日前、『男が』『その背中で』陥没させた壁は、ハリオンが修理するのを千歳が手伝ったので今はもうその跡はない。
 手伝ったのは決して罪悪感からではない。 壁が壊れたのはあの男のせいだし、それが屋敷に居させてもらっているものの義務だと思ったからだ・・・・・・ 多分。

「あ、そうそう。 ご飯食べたら、いよいよラースに行くけど、お姉ちゃん体はもう平気?」
「ええ。 でも、ラキオスまでは、どうやって、行く、の?」
「もうすぐ、ラースに『ばしゃ』が来るんだよ!」
 ちなみに千歳が馬車、と認識しているのは街道を通る行商らしき人影の乗っていたものだ。 しかしまあ、何と言うか荷台は千歳が知る物に近いが、それを引 いているのが微妙に『馬っぽく』ない。 かといって他に呼びようもないので、今では便宜上それを馬車と認識している。

「馬車で、ラキオスまで、どれくらい?」
「え〜〜〜っと。 多分、明日のお昼にはつくと思う」
 この世界の馬車の速度はほぼ、千歳の知る乗り物の速さと変わらない。 それと先日見た地図上での距離を思うと、どうやらこの大陸の広さは広く見積もって もオーストラリアと同じ程度といった所だろう。
「この世界は、私が、居た所より、小さいのね」
「へぇ! ハイペリアはとっても広いの?」
 オルファは興味津々といったふうに、千歳の言葉に反応する。
「私の、知る限り、ここより、大きな、大陸が五つと、百より、もっとたくさんの、国があるわ」
「ひゃくっ!?」
 がちゃん、と台所から何枚かのお皿が割れる音がした。 そんなに驚かせてしまうような事だっただろうか。
 千歳は慌てて台所の様子をうかがった。
「あちゃ〜〜〜」
「オルファ、大丈夫!?」
「あ、お姉ちゃん。 うん、へいきだよ」
 オルファは見事にまっぷたつになったお皿を前でぺろんと舌を出した。
「ごめんなさい、そんなに、驚くと、思わなかった、から」
「ううん。オルファもちょっと、びっくりしちゃっただけだよ。 でも、ハイペリアってやっぱりすごいねえ」
 二人で皿の片づけをしながら、オルファは照れくさそうに笑う。

「この世界に、他の、大陸は、ないの?」
「オルファはしらないな〜〜〜。 あ、でもねでもね!」
 ぴょんと二つにまとめた赤い髪が自慢げに揺れる。
「オルファね、ネリーたちと約束してるんだ! いつか『龍の爪痕』の向こうに行こうって!」
 そう言うオルファの顔は誇らしそうな、千歳には懐かしい表情をしていた。
 何にせよ夢をもっている事は良い事だと千歳自身も思っていたから、それを応援する意味も込めてにこりと微笑む。
「それは、とても、素敵ね」
「うん!」
 皿の破片を二人で片付け、オルファが用意した質素な朝食を食堂に運んでいると、二階の部屋から三人の少女たちが降りてきた。
「チ、チトセさん。 おはようございますっ」
「ます〜〜〜♪」
「お姉ちゃん、おっはよ〜!」

「おはよう、三人とも。ハリオンは?」
 いつもは食事当番以外の者は皆互いを起こしあって食堂に来るはずなのだが、この日は一人の姿が無かった。
「ハリオンお姉ちゃん。 疲れてるから、まだ寝るって・・・・・・」
 シアーがおずおずと言うと、二人もそれに続く。
「お姉ちゃん、昨日の夜ヘンなやつ見たんだって」
「森に逃げ込まれて、見失ったそうです」
 そう言えば、昨夜屋敷を出て行ったのはハリオンだった。 ヘンな奴というのが少し気になったが、それを尋ねる前にネリーが千歳の持ってきていたスカーフ の塊に目をつけていた。

「あれ? お姉ちゃん、これなに?」
「ああ、それは、私が作った。 オルファたちに、あげる、ため」
「ほんと!?」
 ネリーが興奮した口調で千歳の顔を見上げた。 千歳が頷いてスカーフの結び目を解くと、オルファたちの目に色とりどりのお手玉が飛び込んできた。
 わあっと、それぞれの口から驚きや喜びの声が飛び出す。

「わぁ!」
「きれい・・・・・・」
「どうやって使うんですか?」
「本当にあたしたちにくれるの?」
 それぞれがお手玉の一つを触りながら、興味津々といった感じでそれに触ったりひっくり返したりしている。
「これは、“オテダマ”っていう。 私のいた所に、あった、楽しむための、道具」
 おもちゃ、と言う言葉がどういうのかが分からなかったので、千歳はとりあえずそう言った。 そしてとりあえず四つのお手玉を手に取ると、ひょいひょい、 と投げ始める。 右から左へ、また左から右へ。 上へ、横へと玉を投げ、持ち替えを繰り返す。

 オルファたちの目は千歳の手から放られるお手玉の動きに釘付けになっていた。 さらに速度を上げると、玉を追いかけようとして四人の首がきょろきょろと 動く。
「どう?」
 千歳が玉をすべて受け止めると、全員が羨望の目で千歳を見た。
「練習すれば、できるように、なる。 やろうと思えば、もっと、たくさん回せる」
 一人四つ、という千歳の言葉と共に素早くオルファたちは千歳のスカーフに群がった。

「あたし、これも〜らいっ!」
「こ、これと、これと・・・・・・」
「あ〜! オルファもそれ欲しい!」
「あ、こ、こっちの方がいいかな?」

 思っていた以上に千歳のお手玉は好評で、あっという間に千歳がもっていたものを除いてすべてのお手玉が少女たちの手の中に消えていった。
 そしてオルファまでもができたばかりの朝食も放って、それぞれのお手玉を使って練習を始めるのを千歳は笑いながら黙って見つめていたのだった。


  同日  昼

 千歳は朝食を食べた後、私室で横になっていたヘリオンに今までのお礼と感謝の言葉を告げて屋敷を後にした。 ベッド脇のテーブルに残りのお手玉をのせる と、ハリオンはすまなそうに布団から顔を出して、千歳に何かのおまじないらしい言葉を別れに手向けてくれた。
 ネリー、シアーは玄関先でずっとオルファたちを羨ましそうに見ていたが、千歳が手を振ると泣きそうな顔でぶんぶんと手を振り返してくれた。

 そうして、千歳はこの世界に来てから世話になった屋敷に別れを告げたのだった。

 始めて屋敷の外に出た千歳は、首に巻きつけるような形の外套をヘリオンから貰い、それを制服の上に羽織っていた。 薄い灰色の生地を紺色の糸で縁取りさ れているそれは、意外と制服にも合っている。
 この世界の季節などはまだ分からないが、この日はやや風の冷たい陽気だったので正直ありがたかった。
 隣を歩くオルファは赤いドレスを、ヘリオンは黒を基調にした制服を着ている。 そして、二人の手にはやはりそれぞれの剣が握られていた。ヘリオンの持つ 剣は何度か見たことがあったが、千歳はオルファの持つ剣を見たのは始めてだった。
 それは千歳の知るどの種類の剣とも違い、短棒のような柄の上下に、四角い両刃の肉切り包丁のような刀身がそれぞれついている。 あえて名を呼ぶなら双 剣、とでもいおうか。
 正直、使い方は千歳が見てもさっぱり分からない。
 それより、そんな刀身むき出しの刃物を持ち歩いていて扱いは心配じゃないのかとか、腕が疲れないのかと言う事の方が気になってしまっていた。

「お姉ちゃん?」
「え?」
「大丈夫ですかぁ?なんだか、ぼうっとしちゃって」
 気がつくと、千歳は二人から怪訝な目で見られていた。
「・・・・・・ん、平気」
 気まずさを隠して短く返事をすると、なぜかオルファがくすりと笑った。
「お姉ちゃん、アセリアお姉ちゃんみたい!」
「だれ?」
「ラキオスにいるスピリットのお姉ちゃん! オルファのせんぱいなんだよ!」
 オルファが元気良く答えると、ヘリオンも頷いた。
「口数は少ないですけどぉ・・・・・・優しい人なんです」
「そう・・・・・・ラキオスにも、ラナ・レナがいるの?」
「うん、ラキオスにはアセリアお姉ちゃんとエスペリアお姉ちゃんと。 あとね、あとね、王女さまがいるんだよ!」
「と、いうよりも、ラキオスにほとんどのスピリットが集まってますね」
「へぇ」
 千歳はなんとなくその理由に推測が着いた。 オルファたちは一人一人でも強力な戦闘力を持つ。 この国(聞いたところでは国の名も首都と同じくラキオス というらしい)の王族はそれを極力自分たちの手元に置いておきたいのだろう。

「あ〜楽しみだなぁ。 久しぶりにエスペリアお姉ちゃんのご飯が食べられる〜〜〜♪」
 オルファは歩きながら器用にくるくると回って喜びを表現する。 同時に手に持つ剣がぶらぶらとゆれてえらくおっかないと思ったのは千歳だけの秘密だ。

 そんな話をしている内に、オルファたちに連れられた千歳は村の近くまで辿り着いた。
 村の入り口付近にはには高見台と、それに寄り添うようにしてやや大きめの石造りの建物があった。 その門の周りにいるのは、先日屋敷を訪れた男と同じ服 装の人間たちだ。
 オルファたちは村に入ろうとせず、その手前の大きな木の傍に立ち止まった。
 ヘリオンはやや緊張した面持ちで、千歳にこれから馬車をひいて貰って来ると言った。
「一人で、平気、なの?」
 千歳は以前抵抗もせずに兵士の男に殴られた事を思い出したが、ヘリオンは意外と強情に自分の役目だからと言い張った。
「・・・・・・気をつけて、ね? 何かあったら、すぐ、戻って、来て?」
「あ、は、はい! ありがとうございますっ!」
 ヘリオンはこくこくと首を振ると、オルファに目配せして千歳たちの下を離れていった。
「じゃ、じゃあ、ちょっと行って来ます!」

 小走りにヘリオンが走っていくのを、千歳は心配しながら見送った。
 そんな千歳に、オルファはことさら明るい声で袖を引いてくる。
「ねえねえ、お姉ちゃん! オテダマおしえて、オテダマ!」
「・・・・・・ええ」
 千歳は心にくすぶるものを振り切り、そっと木の根に腰掛けてオルファの手から四つのお手玉を受け取った。
 流石に四つでは大した芸もできなかったが、オルファはそれでも千歳の掌で踊るお手玉の動きに一喜一憂してくれた。

 しばらくして、オルファに二つを握らせ上手に投げるこつを教えていると、千歳たちに近づく影があった。
「あ、あの・・・・・・」
「?」
 千歳が顔を上げると、質素な服に身を包んだオルファより幼い少女がこちらを見つめていた。 髪と瞳はこげ茶色で、千歳は久方ぶりに見た『常識』範囲内の 姿の人間にやや気を緩ませた。
「なに?」
「あ、えっと・・・・・・」
 少女はもじもじとオルファと千歳の手を見つめて、物欲しげな顔をしている。 オルファもそれを察したのか、笑顔で少女に問いかけた。
「これ、オテダマっていうんだって! お姉ちゃんが作ってくれたんだけど、おもしろいよ〜。 いっしょにやらない?」
「い、いいの?」
「うん! ね、オルファの名前はオルファだよ、あなたのお名前は?」
「・・・・・・リュカ」

 それから、オルファはリュカといっしょにお手玉の練習をし始めた。
 千歳はなかなか戻らないヘリオンの事が気になったが、自分一人であの建物に入れるかが分からなかったのでこの場で待つしかなかった。
「ね、お姉ちゃん! またお手本みせて!」
 オルファがリュカに貸していた分のお手玉を合わせて千歳に渡し、千歳はまた何度目かのお手本を見せる。 途中で回転を逆にしてみせると、オルファもリュ カも手を叩いて喜んだ。 リュカも始めは緊張していたが、オルファと話している内に二人はすっかり打ち解けていた。
 リュカは千歳の制服にちらちらと目を向けて、感心したように言った。

「すごいなぁ・・・・・・ねぇ、オルファはスピリットで、お姉ちゃん、エトランジェなんでしょ? 二人とも私たち人間と同じみたいだけど、やっぱり違う んだね」
 それは無邪気な問いかけだったが、千歳にはやや違った意味に聞こえた。 『私たちとは違う』それは、この世界の人間にとって千歳もオルファも異端である ということなのだろうか。
 しかし、それを尋ねるにはリュカはとても幼すぎた。
 オルファは千歳の疑問をよそに、明るい声でリュカに抗議する。
「え〜、そんなことないよ! オルファたちだってご飯食べるし、ご本も読むし、それにお歌だって歌えるんだよ!」
「おうた! 聞きたい、聞きたい! お母さん、おんなじうたしか歌ってくれないもん!」
「オルファの、歌なら、私も、聞きたい」
「え、そう?じゃあ、オルファが一番好きな歌をうたうね!」
 千歳もそう言うと、オルファは照れたように頬を染め、そっと息を吸い込んで歌いだした。


「暖かく、 清らかな、 母なる光・・・・・・

 すべては再生の剣より生まれ、マナへと返る

 たとえ、どんな暗い道を歩むとしても

 精霊光は 必ず私たちの足元を照らしてくれる・・・・・・」


 オルファの声は幼さを残していたが、とても綺麗な良い声をしていた。
 千歳にはその意味をすべて知ることはできなかったが、耳に心地よい旋律を楽しむ事はできた。

「清らかな水、 暖かな大地、 命の炎、 闇夜を照らす月・・・・・・!」
「?」
「っ!?」

 しかし、オルファの歌は千歳の予期せぬ形で止まることになった。

 ―――カンカンカンカン!―――

 最初に、物見台から鐘を打ち鳴らす音が聞こえた。 この世界の事情に疎い千歳でさえ、何かが起きているのが分かるように。
 傍にいたリュカの顔がさっと曇り、オルファはお手玉をポケットにしまうと足元においていた双剣を手に立ち上がった。
「オルファ?」
「お姉ちゃん、だいじょうぶだよ。 オルファが敵さん、み〜んなやっつけちゃうんだから!」
 オルファはいつもと変わらない笑みを浮かべていたが、千歳は何故かその表情に鬼気を感じた。
「リュカも、お姉ちゃんといっしょにいてね! 敵さん、もうすぐここに来るから!」
 オルファの言葉に、リュカは短い悲鳴をあげて怯えだす。 千歳はそっと彼女に近づいてその体を抱きしめると、リュカも震えながら千歳の腰に手をまわし た。

「・・・・・・きたっ!」
 オルファの声の一拍後に、千歳の視界にある森から緑色の影が飛び出してきた。
「え、ハリ・・・・・・オン?」
 千歳はその影の持つ髪の色に今朝別れを告げた少女の姿を重ねたが、すぐに違うと分かった。 こちらに近づいてくる者は、ハリオンには無いどこか機械的な 動きと冷たい瞳をしていたからだ。 何より彼女は千歳が知る限り、オルファと自分に向けてこんなにも純粋な殺気を放つような人ではなかった。

 森から走り出た少女はオルファを見、次に千歳をどんよりと曇った瞳で見ると、感情をうかがわせぬ声音でぼそりと呟いた。

「ラキオスのエトランジェとスピリット・・・・・・殺す」
 ムスル・レナという言葉がエトランジェと、ラナ・レナという言葉がスピリットと千歳の脳内で響いた。 また不思議な事に、千歳は『殺す』などと言う言葉 をまだ知らなかったにも関わらず、少 女の唇が動いたとたん、その意味を一瞬の内に把握する事ができた。
 だが、そんな事はどうでも良かった。 そんな些細な事を気にできなるくらい、次に起こったことは恐ろしかったのだから。

「ハアアアアァァッ!」
 少女がその手に持った槍を頭上で水平に構えた瞬間、千歳は本能の告げるままリュカを胸に抱き、横っ飛びにその場から逃れた。 オルファが剣の腹で背中を 押してくれたため、彼女たちから五メートル近くは離れる事ができた。

 ―――バキッ! メキメキメキ・・・・・・ズ、ズン!
 一拍を置いて、千歳が倒れこんだ隣に中ほどからへし折れた木が大きな音を立てて倒れこんだ。 すぐにそれがつい先ほどまで千歳たちが背を預けていたそれ だと知り、千歳の顔から血の気が引く。
「ウソ・・・・・・でしょ?」
 オルファの隣にある切り株に深々と突き刺さった槍を見て、呆然と呟く。 しかしそんな千歳の思いをあざ笑うかのごとく、その槍はぼうっと緑色の光の粒子 をあげて飛びたち全く物理法則を無視して少女の手に戻った。

「お姉ちゃんは・・・・・・!」
 オルファの声にはっとその目を戻すと、そこには彼女の頭上に輝かしい光芒が輪になって出現していた。
「ころさせないよっ!」
 舌っ足らずな声と共に、それが二つの球状の『何か』となってオルファの周囲に浮かぶ。
「・・・・・・ムッ!」
 それを見た少女の頭上にも、こちらは闇でできた輪が浮かび、盾のように姿を変えた。

「永遠神剣のあるじ、『理念』のオルファリルの名において命じる!」
 オルファの声と共に、彼女の周囲に急速に真っ赤な靄が集まり始める。
 永遠神剣、その言葉が千歳の心の何かに反応した。 だが、千歳はまだ知らぬ言葉を聞きながらも、オルファの様子を黙って見ることしかできない。

「マナよ、その姿を火球に変え、敵を包み込めっ!」
 次の瞬間、少女の周囲を囲んでいた靄が小さな手の上で凶悪な焔と化した。
 まるでドッヂボールの玉を投げつけるように、ためらい無くオルファはその手を緑の少女へと向ける。

「ふぁいあ〜ぼ〜るっ!」

 ―――バーンッ!
 少女が飛びのいた一点に、炎が炸裂した。
 魔法、そんな言葉が頭をよぎる。
「っ!」
 千歳のいる場所にまで熱気が風となり、慌てて倒木の陰に隠れた。
「お、おねえちゃん・・・・・・」
 胸に抱きしめていたリュカが、泣き出しそうな顔で千歳を覗き込んでいる。
「だいじょうぶ、私が、ついているわ」
 なんとか安心させようとリュカの頭をなでながらも、千歳は自分に出来ることなどないのだととっくに分かっていた。
「それより、ここを動いちゃダメよ。 オルファの邪魔になるわ」
 リュカは青ざめたまま、こくりと首を下に振った。
 かくいう千歳もとっくにパニック寸前になっていたが、リュカの頭を抱きしめて必死に己の正気を保っていた。

 緑の少女はオルファから距離をとりながらも、なんとか千歳に近づこうと素早く動き続ける。
 一方のオルファは、次々と火の玉や炎のつぶてを放ちながら、それを当てようとやっきになっていた。
 双方次の手がないままに周囲にはオルファが放った炎の跡が、どんどん増えていった。

「こんのぉ〜〜〜っ!」
 何発目かの炎の弾をかわされ、オルファは業を煮やす。 が、それがまさに致命的な隙となった。
「オルファ、危ない!」
「え、えっ!?」

「フッ!」
 今度は槍を持ったまま、少女は素早く地を蹴った。 その狙いは千歳ではなく、オルファ自身。
「きゃぁっ!」
 オルファはとっさに双剣で鋭い突きの一撃を受けたが、そのまま穂先を横薙ぎに受けてなす術も無く飛ばされてしまった。

「ハアアァアアッ!」
 少女が槍を構えなおし、倒木に隠れる千歳に向かってまた飛び上がった。
「お姉ちゃ〜〜〜ん!」
 オルファの声が遠くに聞こえる。
 太陽の逆光を背に受けながら、自分に鋭い槍の穂先が近づいてくるのを千歳はやけにゆっくりと感じていた。


 ―――死ぬ。


 理性の中枢がすぐに訪れるであろう自分の運命を告げる。


 ―――死ぬ、私が?


 何故かそれを不思議と思う部分が心のどこかにある。


 ―――だって、これは死ぬでしょ。

 ―――もうダメ、ムリ。避けられるわけない。


 ―――はぁ。 ごめんなさいね、リュカちゃん。

 ―――痛いかな。 でも、すぐに痛くなくなるわね。だって死ぬんだし。








 ――――――シヌ?


 ―――ドックン!―――

 刹那、千歳の意識を押し退けて、何かが恐ろしい速さで心を蝕んだ。


 ―――バカ、ナ

 ―――コノワレガ、シヌ?

 それは千歳には似つかない、深淵の底から湧き上がるような本能の叫びだった。

 ―――ソンナワケガナイ

 ―――ワレガコロサレルダト?ワラワセルナ





 ―――コンナ、ヨウセイゴトキニ!!





 

 その一瞬、千歳は自我を完全に失っていた。

 緑色の死に向けて千歳の片腕が無造作に、高く、伸ばされる。
 そして、鉤爪のように曲げられた指先が槍の刃に激突した。
 ―――バアアアンッ!
 激しい光が散ると同時に、すぐ傍にさし迫っていた影は跡形も無く消えた。


「アアアアアッ!?」
 高い驚愕の声が空中を舞う。 少女の身体は先ほどのオルファよりもはるかに高く、また遠くまで飛んでいた。 その身体は人形のようになす術も無く、固い 地面 に打ち付けられる。

 その鈍い音を耳に、片腕を振り下ろしていた状態で固まっていた千歳ははっと正気に返った。
「・・・・・・え?」
 しかし、その唇からは意味のない音しか漏れなかった。
「わ、私、いったい・・・・・・?」
 呆然と自分の指を見るが、手には痣どころか爪割れ一つない。
 そんな千歳の耳に、オルファの声が飛び込んできた。

「も〜う、ゆるさないんだから! 死んじゃえ〜〜〜っ!」
 再び視線をかすめる真紅に、千歳はとっさに振り返った。 だから千歳は見てしまった。

 呻きながら起き上がろうとする緑の少女が、オルファの放った一際巨大な火球に、あっという間に飲み込まれていったのを。

 ―――ズ、ズ、ズン・・・・・・!―――

「・・・・・・っ、あ・・・・・・あ・・・・・・」
 とっさにリュカの頭を強く胸に押し付け、彼女にその光景を見えなくするぐらいしか千歳にはできなかった。
 火が掻き消えた後、当たり一面を覆った煙がゆっくりと晴れていく。
 そこには、力なく緑色の髪を中ほどまで燃やした少女が倒れ伏していた。

「リュカ―――っ!」

 その時、村の方から一人のまだ若い女性が、リュカの名を呼びながら走り出してきた。 彼女は倒れた少女など目もくれず千歳の下に走り寄ると、リュカの身 体を奪い取った。
 自分でも驚くほどに、千歳の腕は力なくリュカを手放していた。 虚ろな瞳でリュカを見ると、彼女は母親らしき女性に腕を引かれていた。

「あれほど言ったのに! スピリットにもエトランジェにも近づくなって! どうしてこんな馬鹿な事を・・・・・・!」
「お母さん! お姉ちゃん、リュカのこと守ってくれたんだよ!? そんな風に言わないでよ!」
「馬鹿! 馬鹿な子だよ、本当に・・・・・・はやく! 家に帰るんだよ!」
「はなして、はなしてよぉ・・・・・・っ! オルファ! お姉ちゃん!」
 リュカの声にのろのろと差し出した千歳の手は、リュカの母親によって払いのけられた。

「汚らわしい! あたしの娘にさわらないで!」
「・・・・・・っ」
 その瞳にあったのは、激しい拒絶と、明らかな恐怖。
 自分に向けられる槍よりも鋭い感情に、千歳はその手をぽとりと落とした。

「お姉ちゃん、おねえちゃぁん・・・・・・!」

 母親に引きずられるのと逆の腕の袖口から、ぽろりと二つのお手玉がこぼれる。 ふっくらと膨らんだお手玉は、リュカの母親に踏みにじられてみっともなく 潰れてしまった。
 リュカの泣きじゃくる声が小さくなり、やがて聞こえなくなると、千歳はよろよろとおぼつかない足取りで歩き出した。

 焼き焦げた地面の中心に、未だその少女は倒れ伏していた。
 うつぶせになったまま、かすかに上下する少女の背中はとても小さく見える。
 千歳は無言のまま、その少女の身体を仰向けにした。
「・・・・・・っ」
 少女の服は胸部を中心に完全に炭化していた。 むき出しの肌はすべてケロイド状の火傷で爛れている。
「ひどい・・・・・・」
 その言葉が何をもって言っていたのかは、千歳自身にも分からなかった。

「お姉ちゃん、だいじょうぶだったんだ! よかったぁ、オルファ心配しちゃったよ〜〜〜」
 オルファの明るい声を背中で聞きながら、千歳はそれに答えずに静かに言った。
「・・・・・・オルファ、水と、布、それと、薬を、たくさん。 急いで、持って来て」
「どうしたの? お姉ちゃん、ケガしたの? それとも、のどかわいちゃった?」
 オルファの無邪気な問いかけに、千歳は声を荒げた。
「はやくっ! はやくしないと、この子、助からない!」

 千歳の声にオルファが困惑するのが、その顔を見なくてもよく分かった。
「え、え〜〜〜? だって、それ敵さんだよ。 お姉ちゃんだって・・・・・・」
「いいから、はやくっ!」
 まだ何か言いたそうなオルファを、怒りすらはらんだ声で黙らせる。
「う、うん・・・・・・わかった」
 オルファはやや躊躇したが、やがて千歳に背を向けて村へと走り出していった。

 その時千歳の声に反応したのか、少女の瞳がうっすらと開いた。
「気がついた!? 動いちゃ、ダメ。 今、すぐ、手当て、する!」
 千歳は自分の羽織っていた外套を脱ぐと、少女の身体をそれで包み込んだ。 火傷した体から熱を逃がさないようにするつもりだったが、爛れた肌に布が当た るだけ で少女は苦しそうに息を吐いた。 見る見るうちに薄い灰色の生地が赤く染まっていく。
「死んじゃだめ、死んじゃだめ・・・・・・っ」
 千歳は唇に歯を立てながら何度も呟いた。
 たとえ自分を殺そうとした少女でも、目の前で命が失われようとしている事に千歳は激しく心をかき乱された。
 唇からは赤い雫が、自分の眼からは透明な雫が滴って少女を包んだ外套に染み込んだ。

「――――――」
 ふと、少女の唇が動いた。
 しかし、ひょうひょうと息が漏れるようにしか聞こえない。
「なに? 何がいいたいの?」
 千歳が耳を少女の口元に近づけると、本当にかすかな声がやっと届いた。

「け、ん・・・・・・は・・・・・・? わ・・・ぁ・・・しの、け・・・・・・は?」

 ―――私の剣は?
 何度もそう繰り返している事を知り、千歳は周囲を見渡す。
 おそらくは少女のもっていた槍のことだと思ったが、千歳の周囲にはその欠片すら見当たらなかった。
「・・・・・・ないわ。 貴女の剣は、どこにもない」
 千歳が少女の耳元ではっきりと言うと、緑色の瞳が急に和らいだ。
 固く結ばれていた唇が緩み、現われなかった表情が顔一杯に広がっている。


「あ、ぁ・・・・・・やっ・・・と、かぃ・・・・・・ほ・・・・・・さ、れ・・・・・・た」


 その言葉を最期に、少女の瞳の焦点が失せる。
 胸の上下も止まり完全に少女の身体は動かなくなった。
「・・・・・・え?」
 千歳の唇から何度目かの驚きの声が漏れる。

 少女の身体から、どんどん金色の霧があふれだしたのだ。
 しかも、少女の身体が見る見るうちに透明になっている。

 そして、少女の身体はあっという間に千歳の腕から掻き消えた。
 ぱさり、と千歳の腕に外套だけが落ちる。 それには、千歳の涙と血の痕だけが残されていた。

 千歳には何が起こったのかを理解するなどできなかった。
 ただ、これだけは分かった。 自分を殺そうとした少女は今、逆に自らの命を散らせた事を。

「――――――」

 もう、千歳の目からは涙は流れなかった。 ただ、震える腕で自分の外套を抱きしめたまま、千歳はオルファたちが再び戻ってくるまでの時間を、静かに一人 その場に座り込んでいたのだった。




・・・・・・To Be Continued



【後書き】


 全日本語版、と言いながらも主人公の台詞はそのままです。
 看板に偽りあり、とお怒りになるかもしれませんが、ここまで変えると本文の違和感が大きくなってしまうのでどうぞご寛恕を。
 あくまでもこちらは付属、本編の理解を深めるためのものです。

 少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。



NIL      

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