作者のページに戻る



 サルドバルドの攻撃を受けている同盟国イースペリアの支援任務を帯び、ラキオススピリット隊はイースペリアの街に入った。
 第一部隊の『求め』のユート、『存在』のアセリア、『献身』のエスペリアは、エーテル変換施設の破壊。
 第二部隊の『消沈』のナナルゥ、『理念』のオルファリル、『月光』のファーレーン、『失望』のヘリオン、『曙光』のニムントールは、赤スピリットの神剣魔法の火力と黒スピリットの機動力を利用した陽動及びその援護。
 第三部隊の『赤光』のヒミカ、『大樹』のハリオン、『熱病』のセリア、『静寂』のネリー、『孤独』のシアーは、エーテル変換施設へのルートの防衛及び脱出路の確保。
 それぞれの任務に、各部隊は分かれた。

 イースペリアの支援、というには、エーテル変換施設の破壊を主目的とした今回の作戦はおかしい。
 それはラキオススピリット隊の殆どの者が感じてはいた。
 けれど、疑問を持っても何が出来る訳でも無い。
 所詮スピリットは道具であり、人間の定めた任務を果たす以外に存在を認められない。
 エトランジェ『求め』のユートにしたところで、義妹を人質に取られている現在、ラキオス王の言いなりになるより他に無い。
 結局のところ、スピリット隊は、この世界の人間にとって都合の良い道具であり、それ以上でもそれ以下でも無いのだ。

 斬!!
 風斬り音は死神の言祝ぎ。
 『熱病』が煌き、袈裟懸けに切り裂かれたサルドバルドスピリットが倒れる。
 びくりと最期に一つ痙攣し、完全に動きが止まる。
 深い傷口から噴出していた血も、心臓鼓動の停止に伴い、勢いを失って自然に流れ出るのみとなる。
 緩やかに広がるその血溜まりも、やがて死体と共に金色のマナとなり霧散していった。
 後には何も、残らない。
「こっちは片付いたわ。そっちはどう?」
「ああ。問題無い」
「こっちもOKです〜」
 ラキオススピリット第三部隊の面々が、イースペリアに侵入していたサルドバルドスピリット達を倒し、一息つく。
「……それにしても、エーテル変換施設の破壊なんて、国王は何を考えてるのかしら? そんな事したらイースペリアが大変な事になるのは目に見えてるのに……」
「ヒミカ。それ以上は止めておきなさい。何処で誰が聞いているか分からないわよ」
「あ、ああ。そうね。ごめん、忘れて」
 セリアの忠告を受け、余計な考えを振り払う様にヒミカが頭を振る。
 出来る事は、与えられた任務を遂行する事。それだけだ。
「ヒミカは優しいですからね〜」
「何言ってるのよ、ハリオン」
「いえいえ〜。ヒミカは優しいですよ〜。ね、セリア」
「それは私も同意だけど、ヒミカは優し過ぎる。過ぎた優しさは身を滅ぼすわよ。特に、こんな時代にはね」
 セリアの答えに、ハリオンはちょっと困った様に笑う。
「優しい事は良い事なんですけどね〜」
「自分ではそんな事無いと思うんだけど。っと、休みはお終いみたいね。もう一波、来るわよ」
「そうみたいね。ネリー、シアー、休憩は終わり。戦闘の準備して」
「「はーい」」
 神剣反応を確認し、気合を入れ直す。
 間を置かず、サルドバルドスピリットが姿を見せた。数は5。丁度一対一になる。
 皆、目を見張るほど綺麗な女性の姿でありながら、ハイロゥは禍々しく黒く染まり、目には理性の光が感じられない。神剣に心を呑まれている証拠だ。
 サルドバルドスピリットが駆ける。ラキオススピリットが迎え撃つ。
 殺し合いが、始まった。
 ヒミカ、セリア、ハリオンは優位に戦闘を進めていた。
 問題は年少のネリーとシアー。
「ふふん〜♪ 剣の扱いは得意なんだから」
 ネリーはサルドバルドスピリットと互角以上に斬り結んでいた。
 元来戦闘の素質は充分にあり、年少といえどネリーの剣の腕は決して悪くない。
 戦場特有の高揚感も手伝って、ネリーは相手に飲まれる事無く戦う事が出来ていた。
 その一方で、シアーは危機に陥っていた。
「死ねッ!! 死ねッ!! 死ねッ!! 死ねッ!! 死ねェーーーーーッ!!」
 サルドバルドスピリットが目に狂気を浮かべ、叫ぶ。
 容赦無く殺気をぶつけてくる相手に、シアーは思わず怯んでしまう。
「ひっ!! 来ないで、来ないで〜〜〜!!」
 シアーの実際の剣の腕はネリーに劣らない。
 だが、相手が悪かった。
 戦場に於いて、理性を捨てて襲い掛かってくる相手は決して少なくない。神剣に心を呑まれていても、そうでなかったとしても。
 型も何も無くむやみやたらと神剣を打ち付ける相手に、しかし戦場慣れしていないというシアーの弱点が露呈してしまった。
 怯えに囚われて体を硬くしてしまったシアーに、サルドバルドスピリットは容赦無く襲い掛かる。
 実力が全く発揮出来無くなっているシアーには、例え出鱈目で稚拙な攻撃であろうとも、平常ならば難無く捌ける攻撃であろうとも、防ぐ事は出来無い。
「死ねえッ!!」
「ひゃんっ!?」
 甲高い金属音と共に、シアーの永遠神剣『孤独』が撥ね上げられて宙に舞った。

「ちいっ!! 邪魔だあっ!!」
 ヒミカが、対峙していた相手の腹に『赤光』を突き刺す。
 同時に魔力を込め、『赤光』を通して火炎魔法を直接撃ち込む。サルドバルドスピリットは瞬時に膨れ上がり、そのまま爆散した。
 飛び散る肉片の飛礫と血の雨の中を、びちゃびちゃと血溜りを撥ね上げながらヒミカは突っ切る。
 顔に血濡れの肉の欠片がぶつかるのも、全く意に介さず。

「どきなさいっ!!」
 セリアが流れるような動きで、目の前の相手に『熱病』を打ち込む。
 急くが故にどこまでも力み無く、研ぎ澄まされたシャープな剣閃。力を込めるのと、本気を尽くすのとは異なる事をセリアは体現する。
 ヒュンッという鋭い風斬り音と共に『熱病』が振り抜かれ、僅かに遅れてサルドバルドスピリットの首が地に落ち、更に遅れてサルドバルドスピリットの首無し死体が崩れ落ちた。
 その時既に、セリアは純白のウイングハイロゥを広げ、飛び出していた。
 虚空を見上げる生首に一瞥もくれる事無く。

「避けないでくださいねぇ〜」
 ハリオンが『大樹』を構えてほんの少しだけ腰の位置を落とす。
 刹那、疾風迅雷二連突き。
 一撃目でサルドバルドスピリットの神剣を問答無用で弾き飛ばし、二撃目で無防備となった相手の左胸を抉り穿つ。
 心臓を撃ち抜かれて即死した相手から、突き刺した速さと同じ速さで『大樹』を引き抜くと、槍投げの要領で素早く構え、体をバネの様にしならせる。
 的は当然シアーを狙う相手。

 しかし、三人よりもなお早く、一人のスピリットが飛んでいた。
 イースペリアスピリット隊の制服に身を包んだ青スピリット。
 今にもシアーを斬り裂かんとしていたサルドバルドスピリットの頭に手をつき、まっすぐに倒立する。
 深い藍色のショートカット、切れ長の碧い瞳、すっと通った鼻筋、すらりと美しい曲線を描くボディライン、天に向かいしなやかに伸びる足。
 まるで時が止まったかと錯覚する様な一瞬の静止を経て、頭を持った手を離さないままに、眩しい程に白く光を返すウイングハイロゥを使って体を捻り、横方向に半回転。
 サルドバルドスピリットの頸骨が折れる、ごきり、という音が生々しく響く。
 イースペリアの青スピリットはすっと音も無く着地し、首を捻り壊され体の正面に後頭部を向けたサルドバルドのスピリットはどさりと倒れた。体はうつ伏せに、顔は空に向けて。
 その後ろでは、ネリーと対峙していたサルドバルドスピリットに、小柄なイースペリアの緑スピリットが攻撃を仕掛けていた。
 隣に立つネリーよりも更に小さい体、持っているのは体と反対に巨大な斧型の永遠神剣。色素の薄い黄緑色の髪は後ろで三つ編みにされ、ちょこちょこと動く体の後について揺れている。
 その幼いイースペリアの緑スピリットが、自分の体の倍以上もありそうな、不釣合いに大きい斧型神剣を思いっきり振り下ろす。
「えーいっ!!」
 可愛らしいとも形容出来そうな、どこか舌足らずな掛け声と共に繰り出される単純にして強力な一撃に、サルドバルドのスピリットは攻撃を防ごうとした神剣もろとも、脳天を真っ二つに叩き割られた。
 相手の死を確認した幼いイースペリアの緑スピリットは、ぐちゃり、と音を立てて死体から神剣を引き抜く。
 割られた頭から灰白色の脳を零れさせながら、サルドバルドスピリットの死体が転がった。
 やがて、頭を割られた死体も、首を折られた死体も、爆散し肉片と化した死体も、首を切り落とされた死体も、心臓を抉り抜かれた死体も、全て金色のマナ霧と化していく。
 後には何も、残らない。

 イースペリアスピリット隊の制服に身を包んだ二人は、ラキオススピリットには見覚えのある顔。
 イースペリアスピリット隊副隊長『氷河』のネオンキャリングと、隊員『風月』のクーン。
 同盟国であるイースペリアスピリット隊とラキオススピリット隊は、時折作戦を共にするので互いを見知っている。
 仮にそうでなくとも、イースペリアのこの二人は戦場ではかなり有名な存在で、この大陸で戦場に立つ者ならば、一度は耳にする名前だろう。
 凛とした佇まいのネオンキャリング・ブルースピリットは、イースペリアスピリット隊の副隊長。
 副隊長とはいっても人間の隊長は唯のお飾りなので、事実上、隊の中心。
 冷静な洞察力と判断力に加えて勝機を見定める直観力、そしてチャンスに臆さぬ決断力と勇気。類稀なリーダーシップすらをも併せ持ち、ラキオスに負けず劣らず個性的なスピリットが揃う部隊を固く纏め上げている。
 基本的に寡黙ではあるが他を拒絶する雰囲気は無く、纏う空気はどこか温かい。戦場では穏やかな微笑を湛えて仲間の不安を打ち消し、年上のスピリットにも年下のスピリットにも慕われている。
 その持つ神剣『氷河』は、青スピリットのものとしては非常に小さい短剣(ナイフ)型の第六位神剣だが、華麗な剣術と体術は見るものを圧倒する。
 イースペリア女王のアズマリアからの信頼も厚い。
 ラキオススピリットの面々も共に戦場に立つ度に、彼女の能力の高さを見せ付けられている。
 スピリットの絶対数が少ないイースペリア隊が、圧倒的にスピリット数の多いサルドバルドと戦いながら今まで持ちこたえているのは、彼女の力による部分が非常に大きい。
 なお、一見完璧に見える彼女は実は非常に酒癖が悪く、ほんのちょっとでもアルコールが入ると笑い、叱り、泣き、脱ぎ、踊る。翌日の本人は何も覚えていない。
 それゆえ、イースペリアスピリット隊ではネオンキャリグのいる場所でのお酒はご法度である。
 小柄な少女の方が『風月』のクーン・グリーンスピリット。
 一言で言えば天才。
 聡明、明晰、怜悧。知を称える言葉であればその殆どが当てはまる。
 博覧強記にして数千という本の内容を諳んじる事が出来る他、数学、科学等にも造詣が深く、彼女の日記にはスピリットという立場上発表出来無い数式や各種科学理論が書き綴られている。
 仲間内での通称は『歩く図書室』。イースペリアスピリット隊でも、年少ながらネオンキャリングと共に作戦立案の中核を担っている。
 そして彼女は頭脳面のみならず、実際の戦闘においても非常に優れたセンスを発揮している。
 彼女の持つ斧型第六位神剣『風月』は体の小さな彼女にはアンバランスに大きく、仲間から「『風月』がクーンをくっつけて歩いてるみたい」と言われた事もあるが、小さな体を思い切り使っての『風月』の破壊力は、先程サルドバルドスピリットを一撃の下に屠った通り。
 戦場において、ちょこちょこと歩く小さな姿に彼女を甘く見た者は、必ず後悔する。或いは後悔する間も無くマナの霧と化す。
 その実は内気な性格の女の子で、趣味は読書と裁縫(ぬいぐるみ作り)。
 年齢を考慮しても体は小さく、黄緑色の髪は緑というよりもよりも金髪に近く、後ろで三つ編みにまとめられている。きらきらと輝くエメラルドグリーンの大きな瞳は、体格や髪型と相まって可愛らしいマスコットの様な印象を見る者に与える。

「ネオンキャリング!! 助かったわ」
 微笑むセリアに、ネオンキャリングは表情を崩さない。
「どいてもらえるかしら」
「え?」
「私達の目的は、エーテル変換施設の防衛。ここを通して」
「……それは、出来無い」
 ネオンキャリングの落ち着いたアルトボイスに、セリアは目を伏せて答えた。
「ならば、私達は貴女達と戦わねばならない」
「っ!!」
 ラキオス隊に緊張が走った。
「ネオンキャリング、貴女、本気?」
「冗談だと思っていてもいいわ。例えそうでも容赦はしないけど」
「クーンも?」
「はい。わたしもです」
 ネオンキャリングも、クーンも、まっすぐにラキオス隊のメンバーを見据える。
 固い意志の瞳。
「サルドバルドの攻撃を受け、帝国の妨害を受け、掛け替えの無い数多の仲間達の後押しの上にようやくここまで来た。ここは是が非でも通らせて貰うわよ」
「帝国!? 何でサーギオスが!?」
「何ら不思議は無いわ。私達は戦争をしているのだから、いつどこが敵になってもおかしくは無い。でしょう? ラキオスのみんな」
 空気がぴんと張り詰める。
「やーっぱり、こうなってたわね」
 その空気にそぐわない、緊張感の無い声と共にグラマラスな赤スピリットが姿を現した。
「全てはネオンの予想通りって訳か。悪い予想っていうのは、どうしてこうも当たってしまうものなのかしら。……いえ、ネオンの予想は良くも悪くも外れる事は殆ど無かったわね」
 抑揚に溢れる良く通る声。
 やれやれといった感じで優雅に首を振りながら、ネオンキャリングの横に立つイースペリアの赤スピリット、『嫉妬』のルルイル。
 緩やかなウエーブをえがく鮮やかな紅色の長髪が、さらさらと揺れて光を返す。
 長身にして肉感的な体は艶かしく女を主張し、左目の下の泣きぼくろが色っぽさを更に際立たせる。
 長い睫毛の下の、ほんの少しだけたれ目がちなルビー色の眼差しは、蠱惑的ではあるが媚は無く、寧ろ挑発的。
 唇には鮮やかな薔薇色のルージュが引かれ、つややかに濡れ光る。耳には小さな紅い宝石のピアス。
 スピリット服の前を大きく開け、そこから豊満な胸がこぼれそうになっている。
 青い血管すらも透けて見えそうな白い肌に包まれた胸のみならず、滑らかな鎖骨も、細い首も全てが女を主張している。
 ボディラインは、しなやかでありながら女性としての柔らかな曲線を描く。
 幻想的幽玄な美しさとは対照を成す、はっと目を奪う様な鮮烈な美しさ。病的な美しさとは無縁な、肉感的な美しさ。
 ともすれば淫らで下品になりそうなところだが、その雰囲気や立ち振る舞いには気品すらある。
 化粧も顔を弄り作るものでは無く、自らの魅力を強調し引き出さんとするものであり、それは自らの魅力の在処を認識し、かつ自信が無ければ出来無い事。
 女としてのフェロモンを全身から発している様な、スピリットとしては異質な存在。美女揃いのスピリットの中にあってなお羨望の眼差しを受ける赤スピリット。
 『嫉妬』は彼女の持つ神剣の名前だが、その姿は嫉妬される側のもの。
 軽い言動で不真面目な印象を他人に与えるが、実際の頭の回転は非常に速い。作戦立案にも時々参加している。
 ただ、物事を深く考える事は出来るけれども、あまりしない。理論よりも自分の感覚に重きを置いた生き方をするタイプ。
 ちなみに低血圧で、朝に弱い。
 生真面目なエスペリアなどは、共に戦った時には実力を認めながらも色々と文句を言っていた。
「王城の方は?」
 ネオンキャリングが横に立ったルルイルに訊ねる。
「私が見たとこ、持って後一時間。帝国の支援でしょうけれど相手の実力もかなりのものだし、何より数が違いすぎるわ」
「そう」
「タイムリミットは一時間……」
 ルルイルの言葉を横で聞き、思わず一人ごちたクーンに、ルルイルは再び口を開く。
「いえ。時間制限は忘れて、全力でここを突破する事だけに集中なさい、クーン。今という時の先に未来はある。ならば今という時にこそ、全心魂をそそぐべきよ」
「……うん。解った」
 イースペリアスピリットの代表格三人が並び立ち、ラキオススピリット隊と向かい合う。
「……ルルイル、貴女も私達と戦うって言うの?」
「ええ。私、これでも一応イースペリアスピリット隊所属ですもの」
 ヒミカの問いに、美貌の赤スピリットがにっこりと微笑む。
「お子ちゃま達を引っ込めなさいな。私の神剣魔法の威力は知ってるでしょ?」
「あー!! ネリーの事、お子ちゃまって言ったーー!!」
 ルルイルのお子ちゃま発言にネリーがふくれる。
「ネリー、シアー、貴女達は下がってなさい」
「えー」
 ネリーがむくれて見せるものの、彼女も愚かでは無い。
 ヒミカ達の表情に真剣を見て取り、しぶしぶといった感じながら、ネリーとシアーが後ろに下がる。
 同盟国であるがゆえ、共に戦った事も数度ある。
 だから知っている。ルルイルが、ナナルゥをも越える実力を持った、イースペリアナンバーワンの神剣魔法の使い手である事を。
 マナの制御容量という点ではナナルゥに譲るものの、総合の完成度ではナナルゥ以上。
 それは群を抜いた潜在能力を持つとはいえまだ年少のオルファリル、神剣魔法の比較的苦手なヒミカを越えて、現時点、ルルイルがラキオススピリットの誰もが及ばない神剣魔法の使い手だという事を意味する。
 今のネリー達では、その魔法の一撃をくらうのすら危険だろう。唯でさえ彼女は派手な広範囲攻撃を好むのだ。
「忠告に感謝するべきなのかしら?」
「くすっ。そんなものは不要よ。無駄な殺しは美しくない。そう思っただけだもの」
 優雅に髪をかき上げ、ルルイルは応えた。

 油断無く『熱病』を構えながら、それでもセリアは一縷の望みを託してネオンキャリングに問う。
「どうしても引けない?」
「ええ。貴女達は信用してるけど、ラキオスという国は信用していないの。申し訳無いけれど」
「くっ……」
 歯噛みする。
 セリアにだって当然解ってはいる。自分達に与えられた任務が不条理なものである事くらい。
 エーテル変換施設が破壊されたら、イースペリアは大打撃を受ける。
 ましてや、イースペリア救援に来てのこの任務は、絶対におかしい。何か裏がある。
 葛藤するセリアに、今度はネオンキャリングが言葉を投げかける。
「私達はスピリットであり、私達に求められるのは与えられた任務の成功のみ。違うかしら?」
「……それはその通りだけれど……」
「それに……」
 珍しく少しだけ言い淀んだ後、しっかりと前を見据えて言葉を続けた。
「本当は与えられた任務なんてどうでもいい。私達に唾を吐く、この国の人間達がどうなろうと知った事じゃ無い。私はただ女王陛下とスピリット隊の仲間達を護りたい。それだけの、でも命を賭けるに足る理由だわ」
 ネオンキャリングの言葉に、セリアはまたも継ぐべき言葉を失った。
 高潔なアズマリア女王がイースペリアを捨てて逃げるなど、どんな危機であれ、いや、危機であればあるだけする筈が無い。
 そうである以上、イースペリアを護る事のみが、ネオンキャリング達の活路なのだ。
 沈黙するセリアにほんの少しだけ表情を和らげ、それでもネオンキャリングは続ける。
「そういう事よ。私達には私達の護りたいものがある。貴女達には貴女達の護りたいものがある。それが相容れないものである以上戦うしか無い。私も貴女達は好きだけど、ここだけは譲れない。だから全力でいくわ」
 凍てつく殺気が迸り、言葉以上にネオンキャリングの本気を証明する。
「……確かに、そうね。私達も、譲れない」
 そう、セリア達にも守りたいものがある。
 ようやく見えてきたといってもいい。
 エトランジェ『求め』のユートが見せてくれる「何か」。
 希望とも換言出来る様な何かが、セリア達にも見えてきている。
 だが、ここで作戦を失敗したりしたら、それも潰える。
 与えられた任務を放棄して、おめおめと逃げ帰れるような立場では無いのだ。エトランジェやスピリットは。
「覚悟が決まったようね」
「ええ。私達は戦うしかない。そこにしか道は無いわ。お互いにね」
「「いくわよ!!」」
 ハリオンがネオンキャリングに、ヒミカがクーンに、セリアがルルイルに、それぞれ飛び出した。
 ラキオスの三人の定石通りの攻め。
 一撃の攻撃力が高い青スピリットには、防御力の高い緑スピリットを。
 魔法抵抗の弱い緑スピリットには、魔法攻撃が得意な赤スピリットを。
 魔法を主力とする赤スピリットには、魔法を打ち消せる青スピリットを。
 イースペリアの三人は、この定石を外した。
 あえて、ラキオスの三人の定石通りの攻めを、不利とされる属性の面々が迎え撃った。

 ハリオンが動きを止める。
 攻め込めない。踏み込めない。動けない。
 ネオンキャリングの第六位永遠神剣『氷河』は短剣型。リーチは、槍型の第六位永遠神剣『大樹』を持つハリオンに圧倒的な分がある。
 だがネオンキャリングの体術はそれを補って余りある。
 大振りの隙に懐に潜り込まれたら、ハリオンには為す術が無い。
 とん、とん、とネオンキャリングが軽いステップを踏む。『大樹』の間合いのほんの僅か外で。
 ハリオンが迂闊に攻撃した瞬間に、空振り、敗北のルートが確定する。
「さすがね。自分の間合いを完全に理解してる」
 ネオンキャリングが賞賛の声を発した。
「そちらこそです〜」
 ハリオンはおっとりとそれに返す。
 迂闊に動けないのはネオンキャリングも同様。
 ハリオンが自分の間合いを完全に把握しているという事は、即ちネオンキャリングがその間合いに入ったならば確実に迎撃するという事。
 完璧に自分の間合いを把握し、踏み込ませないハリオンと、相対しただけで相手の間合いを見て取り、その寸前で隙を窺ったネオンキャリング。
 一度も剣を交えぬ内から、互いの力量を並ならぬものと二人改めて確認する。
「でも、こっちには時間が無い。もたついてはいられないの。多少強引でも、いくわ」
 とん、とん、ととん、っとん、とんとん、ととん、っととん。
 ネオンキャリングはステップのリズムを変える。
 直後、『氷河』を投擲。
「えっ!?」
 槍と短剣。
 圧倒的にリーチで勝っていた筈のハリオンの、その間合いの外から神剣を投げる事で、ネオンキャリングは間合いの優劣をあっさりとひっくり返した。
 叩き落すにはもう遅い。リズムを狂わされた事で、ハリオンには投擲のタイミングが掴めなかった。
 顔面に迫り来る『氷河』を首を捻り傾け、避ける。『氷河』がハリオンの頬を掠めて後方に飛んでいく。
 ほっとする間も無く、ハリオンは下から殺気を感じ、体を思い切り逸らす。
 直後、一瞬で間合いを詰めていたネオンキャリングの拳が、今までハリオンの頭のあった場所を切り裂いた。
 左のアッパーカット。くらっていたら顎は完全に破壊されていただろう。
 後ろに跳び退るハリオンに、矢継ぎ早の肝臓を狙った左中段廻し蹴り。
 ハリオンは反った体を引き戻し、まっすぐ後ろに跳び退る。直線的に後ろに下がるのは、本来ならばあまり褒められる動作では無いとはいえ、今はこれ以外に道は無く、ゆえにこれが唯一最良の選択肢。
 ネオンキャリングは鋭い旋転をそのままに右の後ろ廻し蹴り。
 再び体を反らせ、霞むスピードの蹴りの風圧を顔面に感じながらも、ハリオンはなお懸命に下がる。
 ハリオンが体勢を整える前に、ネオンキャリングは突っ込んだ勢いと、回転の遠心力をそのまま乗せて、追い討ちの跳び横蹴り。
「せりゃあっ!!」
 掛け声と共に繰り出された弾丸の様な蹴り足を回避しきれず、ハリオンはシールドハイロゥでこれを防御。
 ネオンキャリングはそれすらも押し込み、シールドハイロゥごと左足刀をハリオンの腹に叩き込む。
「く〜っ!!」
 シールドハイロゥで防ぎ、威力を殺していてなお重い衝撃がハリオンの臓腑に木霊する。
 しかし、ただでは終わらない。
 ハリオンはネオンキャリングの蹴りの威力を利用して一気に間合いを離し、そのまま自分の間合いにまで離れた瞬間に『大樹』を横薙ぎに一閃。
 後ろに跳び退りながらの攻撃なので、例え避けられても攻撃の隙に再び踏み込まれる危険は少ない。
 攻撃の直後に合わせられた『大樹』の一閃を、ネオンキャリングは受けるしか無い。
「ちいっ!!」
 左手甲で『大樹』を滑らせるが、獲物を狙う『大樹』の一撃は鋭く重い。それだけでは大きく軌道を曲げるには至らない。
 強引に上方向へとベクトルを加える。『大樹』の威力がネオンキャリングの左腕に伝わり、肉が軋み、骨が砕ける。
 限界まで『大樹』の軌道を変え、更に体の柔軟さを最大限に発揮してなんとか命を拾う。
 腹にハイロゥ越しの一撃を入れた対価は、左腕の骨一本。
(悪くない!!)
 折れた左腕に構わず、ネオンキャリングは純白のウイングハイロゥを大きく広げ、ハリオンに再度突進する。
(機は逃さない。腹に一撃叩き込んだ。動作の要たる呼吸がまだ上手くいっていない今が絶好の勝機!!)
 そう思い踏み込んだ瞬間、ネオンキャリングの肌がぞわりと粟立った。
 気付くのでは無く、感じた。危険地帯に迂闊に踏み込んでしまった事を、肌感覚で理解した。
 ハリオンはネオンキャリングの行動を読んでいた。呼吸をせずに力を溜め、迎撃の姿勢を整えていた。
 呼吸をしようにも思う様に出来ず、中途半端な呼吸での攻撃では力が入りようも無い。
 ならば、前回の呼吸を使い切って攻撃するしか無い。
 とっさの判断というよりも、戦場に立ってきた経験が体に自然に取らせた反射行動。
「はっ!!」
 ハリオンには非常に珍しい、間延びしない掛け声。
 肺の中の残っていた僅かな空気全てを吐き出しながら放つ、起死回生の迎撃二連突き。
 ネオンキャリングは一撃目を体勢を崩しながらも回避。二撃目は『大樹』に刃の側面から右拳を刹那の見切りで叩き込み、その勢いを利用して辛うじて避ける。藍色の髪が旋風に舞う。
 戦場で培った直感がネオンキャリングに無ければ、勝負はついていた。それほどまでの紙一重。
 転がりながら、間合いを離して立ち上がる。そのまま素早く大きく回り込む。
 ハリオンは乱れた呼吸を整える為に、追い討ちが出来無い。
 位置を180度入れ替えたネオンキャリングが、『氷河』を突き刺さっていた木から引き抜く。
 再度『氷河』を投擲。
 しかし今回の『氷河』の軌道は直線では無かった。
 円軌道。
 『氷河』には紐状に変化させたハイロゥが繋がっていた。
 ハイロゥは訓練によって形態を変化させる事が可能。それを知識として知っているつもりではいたハリオンだが、この様な使い方は見た事も考えた事も無かった。
 既成概念に全く囚われない戦い方をするネオンキャリングを相手に、リーチの有利は無い事をハリオンは改めて認識する。
 死神の鎌の如く首を狩ろうとする『氷河』を、姿勢を低くしてやり過ごす。
 ネオンキャリングは更にハイロゥを伸ばす。
 近くに立つ樹に紐状にしたハイロゥを引っ掛ける事で『氷河』の円軌道を変化させた。
 同時にネオンキャリング自身も、ハリオンに向かい、駆ける。
 二方向からの攻撃に、ハリオンは後ろに跳躍する。
 今回の『氷河』の軌道は低く足元を狙っており、姿勢を低くしてかわす事は出来無い。ハイロゥの長さを変化させられたら前後移動は意味を成さない。
 今回の『氷河』攻撃をシールドハイロゥで防いでも、ネオンキャリングの体術を注視しながらでは、続くであろう他方からのハイロゥ経由の『氷河』攻撃を捌き切れない。
 だから、ジャンプで避ける。相手は一人、一方向に限定するのが鉄則。
 ネオンキャリングが声無き感嘆を漏らすのは、この戦いで何度目か。
 初見の筈の戦術に、ハリオンはハイロゥの伸縮、ハイロゥ経由での『氷河』による同時攻撃までをも読みきった。
 ネオンキャリングは『氷河』をハイロゥから切り離し、これをキャッチ。
 ハリオンの着地地点に再び駆ける。
 緑スピリットのハリオンは、ウイングハイロゥを基本的に使えない。
 それでもハイロゥによる軌道制御に先んじて、ネオンキャリングは自分のハイロゥを妨害の為に準備しながら疾走する。
 ハリオンの着地と同時に、ネオンキャリングがハリオンの間合いに入り、『大樹』と『氷河』がぶつかり合った。
 チチチチチチチチチチチチチチチチチチチチチ!!
 無数に弾ける白刃の輝線。
 刃は見えず、金属光のみが大気を刻む。
 二つの刃が触れ合い、金属千鳥の鳴き声を上げる。
 剣がいなされた瞬間、隙が出来る。
 隙が出来た瞬間、殺される。
 故に、剣が触れ合った瞬間、流される前に剣を引く。
 故に、剣と剣が触れ合うのは一瞬。
 限界まで張り詰めた瞬間を無数に繰り返す。
 唯一つのミスも許されず、お互い唯一つのミスもしない。
 だが二人の距離は少しづつ詰まる。
 そもそも武器の形状が違う。
 ハリオンで無くば長大な槍型永遠神剣『大樹』を、ここまで繊細に舞わせる事など出来はしない。それでもやはり、短剣型の永遠神剣『氷河』よりも早く振り回せる道理は無い。
 加え、本来ならば力と技、重い一撃必殺を得意とする青スピリットの中にあって、ネオンキャリングは黒スピリットを凌駕する速さを持つ。
 じりっ、じりっと二人の間合いが狭まる。少しずつ、少しずつ。だが、確実に。
 ハリオンは後ろに下がれない。
 精神的なものが理由では無い。相手の強きに臆するハリオンでは無い。
 移動とは即ち足捌き。
 連打は大地を両の足で踏みしめてこそ初めて可能な事であり、移動の為に足から僅かにでも力を抜けば、それに伴い『大樹』の連打も僅かに遅れる。
 死を確定するには、その一瞬で充分過ぎる。
 ネオンキャリングが移動出来るのは、『氷河』を『大樹』よりも素早く動かせるというアドバンテージがあるがゆえ。
 ネオンキャリングが間合いを詰める。二人の体が少しずつ近づく。
 金属音のペースが上がる、などという事は無い。
 何故なら、既に剣は二人の限界速度でぶつかり合っているから。これ以上、速度を上げる余地など無いから。
 ネオンキャリングがハリオンの撃つ槍の雨を弾きながら、必殺の間合いに入る寸前、剣閃が一つ長く煌いた。
 正確にネオンキャリングの心臓を狙って打ち込まれた『大樹』は軌道を逸らされ、ネオンキャリングの体の左に流れる。
 『大樹』は大きく流れた。同時にハリオンが大きく前に踏み出し、『大樹』の勢いをも利用して思い切り突っ込んだ。ネオンキャリングの間合いを、一気に突き抜ける為に。
 死の間合いを肉薄するまで引き付けたのは、一瞬でもネオンキャリングの間合いにいる時間を減らす為。
 ネオンキャリングの間合いには、いられない。
 その中では全てが必殺にして、次の攻撃の布石。
 神剣攻撃は黒スピリットのスピードで繰り出され、青スピリットの破壊力を持って目標を解体する。
 一流の料理人が材料を捌くのにも似て、迷い無く斬るべき部位を斬り、死を作り上げる。それは芸術的とも言える殺戮。
 多彩で鋭利な足技に、下手な防御は通じない。肘や膝、肩も頭も全てが凶器。そこに加わる投げ技、絞め技、極め技。左腕が折れていても、その危険性は微塵も揺るがない。
 青スピリットとしては間合いが狭いのに反比例し、ネオンキャリングの間合い内部における攻撃は恐ろしく高密度。
 当然ながらその間合いでは、槍は威力を発揮出来無い。
 ネオンキャリングの間合いで、ハリオンが縦横無尽の死の刃をいつまでもかわしきれる訳が無い。
 過去、味方としてこれ以上無く心強かった技の数々が、今、敵としてハリオンに牙を剥く。
 『氷河』が、射程に捉えたハリオンの肝臓に、寸分違わず差し込まれる。
 ハリオンは『大樹』の柄で、これを防御。
 ネオンキャリングが、形状を紐型に変化させたハイロゥでハリオンの腕を捕らえようと狙うが、これもハリオンはシールドハイロゥで弾き返す。
 ネオンキャリングは止めとばかりに折れている左の手刀で、ハリオンの首を狙う。
 折れて攻撃力を失っていた筈のネオンキャリングの左手は、氷で覆われ本物の刃と化していた。
 『大樹』は先の攻撃で胴の位置まで下げさせた。今から上に持ってくる事は不可能。
 シールドハイロゥもネオンキャリングのハイロゥを防いでいる為に使えない。
 狙い澄まされた氷の刃が、ハリオンの首を捉える。
 ハリオンが首を逸らすが、ネオンキャリングの氷の手刀は一薙ぎに頚動脈を切断し、気道をもすっぱりと斬り裂いた。
 大きく裂けた傷口から、朱色がどくりと溢れ出る。
 けれど、ネオンキャリングはそこに痛恨の表情を浮かべた。
(浅かった!!)
 勢いそのままに、鮮血の尾を引きながらハリオンの体はネオンキャリングの間合いを離脱。
 途端、ハリオンの体が淡い緑の光に包まれ、傷が回復する。
 回復魔法アースプライヤー。
 今の攻撃に全力をかけていたネオンキャリングは、アイスバニッシャーを使うのも間に合わない。
 ネオンキャリングにも、ハリオンの狙いは読めてはいた。
 その上で攻撃に賭けたネオンキャリング。
 マナシールドによる防御を捨て、回避、回復魔法に賭けたハリオン。
 ネオンキャリングが、ハリオンの脳髄を斬り裂いて即死させしめられなかった時点で、ハリオンの賭けは成功した。
 気道に入りかけた血に僅かに咳き込み、服を己の血で真っ赤に染め上げながらも、ハリオンが追撃に備えて油断無く構える。
 思わずといった感じで、ネオンキャリングが呟く。
「……本当に上手い。もう感嘆の言葉すら浮かばないわ」
「はぁっ、はぁ〜。それはお互い様です〜」
「それでも、血は結構な量が流れた筈よ。次の攻撃は、防げるかしら? 逃げ切れるかしら?」
 回復魔法では傷を回復する事は出来ても、体力の回復や血の補充までは出来無い。
 実際、今の一撃でハリオンの体内からはかなり大量の血が流れ、貧血に近い状態にある。
 体を動かすのに必須の、酸素循環の要が削られている。体力もかなり奪われている。それらは相乗してハリオンを蝕む。
 即死はさせられなかったとはいえ、ネオンキャリングの攻撃は確実にハリオンを追い詰めている。
「弱りましたね〜」
 ハリオンは眉を寄せて困った表情を作り、それでもおっとりマイペース。
「では、攻撃を受ける前に、今度は右手と足を封じさせて貰わないと〜」
 互いに微笑。
 そして再び金属千鳥が鳴き出した。

「アポカリプス!!」
 獄炎が荒れ狂う。
 青スピリットが赤スピリットに対して決定的有利を取れるのは、神剣魔法を打ち消すバニッシュスキルのゆえ。
 だがルルイルの神剣魔法は、セリアのバニッシュスキルで打ち消せるレベルを超えていた。
 ぶすぶすと煙を上げる焼けた地面。
 全力でマナシールドを展開したものの、セリアのダメージは尋常では無い。
 火傷で全身がじくじく痛む。肺が焼け付くようで、呼吸すら痛い。
「くっ!!」
 定石無視。しかしイースペリアの三人のそれは、十分に勝機を持っての定石外しだった。
 セリアは今になってそれを痛感する。
(判断を誤った? いえ、勝機はまだ充分にある。何とか踏み込んで剣での勝負に持ち込めば、勝てる)
 けれどそれはルルイルにも充分解っている事。
 セリアに踏み込まれる前に、魔法を発動する。攻撃は最大の防御。間合いを詰める暇は与えない。
「いくわよ!! ファイアボール!!」
 火球が打ち出される。
 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13!!
「なっ!?」
 火球の威力に、数に、セリアは驚愕する。
 驚愕はそれに留まらない。
 あまりの高温に白い光を放つ火球は、セリアの周りを囲んで静止した。
「逃がさないわよ☆」
 ルルイルが、ばっと腕を振った途端、13の灼熱火球全てが一斉にセリアに襲い掛かった。
 逃げ道は無く、全ての攻撃が一撃と化す為にその破壊力は飛躍的に跳ね上がる。
 セリアはシールドを張りながら、全力で突破をかける。
 全火球を一度にくらってはひとたまりも無い。僅かでも攻撃を受けるタイミングを拡散させる。
 生き残る為の唯一の手段。
 全身から黒煙を上げながらも、何とか灼熱の包囲網を突き抜けた。
「……流石ね、セリア。普通の相手ならとっくに2回は死んでるわよ」
 何とか攻撃を凌いだセリアに、ルルイルの苦しそうな声。
 その時になって、セリアは気付いた。
 ルルイルの両腕が酷く焼け爛れ、魔法を発したルルイル本人も苦痛に喘いでいる事に。
「つぅ……っと」
 セリアの視線を感じ、ルルイルは笑みを作る。
 汗が、形の良い顎を伝い滴り、地面に落ちる。
「ふふっ。私もまだまだね。人に無様な顔を見せるなんて」
「ルルイル、貴女。その腕は……」
「大した事無いわ。魔法が私のレベルをちょっとオーバーしてるだけだから」
 制御しきれない熱が腕を焼き、圧倒的マナ消費の為に命が削れる。
 だがそうでもしなければ、セリアのバニッシュスキルを凌駕した魔法は使えない。
「貴女、こんな戦い方をしていたら……」
 セリアの半ば呆気に取られたような言葉に、ルルイルは艶然とした笑みで返す。
 こんな戦い方をしていては、確実に死ぬ。
 それすらもルルイルには承知の上の事。
 死ぬ前に倒す。
 相手はラキオスのセリア・ブルースピリット。命を惜しんでルルイルに倒せる相手では無い。
「姑息に醜い生き方なんて、私は嫌。やっぱり女は美しく生きなきゃね」
 信念を貫き、精一杯に生ききる。今という瞬間に全てを賭ける。
 咲く花が如き峻烈な生き様を、ルルイルは実行する。それがルルイルの生き方。
 一種の享楽主義と言う事も出来よう。
 しかしそれは、美しく咲き誇り、鮮やかに散る。華やかなる時期を思い切り生ききる。そんな自然の美しさをも内包していた。
 焼け付いた手で髪をかき上げる。
 優雅に、美しく。
「さ、もう一発、いくわよ」
 既に痛みも感じない指で、ルルイルはゆっくりと、先刻まではつややかに濡れていた自分の唇をつぅっとなぞる。
 それはルルイルの、どこまでも美しくある事を自分自身に誓う儀式。
 今はもう乾きひび割れた唇であれど、ルルイルはそれにこそプライドを持ち、改めて精神を統一する。
「くっ!!」
 誤算。それは自分の甘さだったとセリアは痛感した。
 順当に戦えば、自分の方が上。
 そう思っていた。冷静に互いの力を見極め、そう判断したつもりだった。
 その油断の結果に機先を制された今の状態がある。
「くううぅぅっ!!!」
 ルルイルの美貌が堪え切れない激痛に歪む。
 腕からぶすぶすと煙が上がる。
 白くしなやかだった指が、今や赤黒くぐずぐずに焼け爛れ、見る影も無い。
 蛋白質を焼く嫌な臭いをさせながら、それでもルルイルは魔法を完成させた。
「アポカリプス!!」
 セリアも全ての力を込めてガードを固める。
 マナが瞬く間に冷却され、氷の鎧と化してセリアを包む。
「フローズンアーマー!!」
 回避は不可能。
 今や、セリアの勝利の可能性が在るとすれば、それはルルイルの攻撃を防ぎきったところにのみ在る。
 ルルイルの死が先か、セリアの死が先か。
 命を賭した攻撃に、命を賭した防御。
 炎の色に染まる世界。
 大地が融け、大気が爆ぜる。
 全てを焼き尽くさんと炎が荒れ狂う。
 灼熱の宴がようやく収束し、焼けた世界の陽炎の中、セリアはまだ、生きていた。
「はあーーっ……はあーーっ……」
 力を使い切り、足に力が入らず、よろけながらも『熱病』を杖代わりに何とか体を支える。
 焦熱の残滓に揺らめく大気の向こうで、ルルイルもまだ生きていた。
「……貴女も私も……まだ生きてるわね。……ホント、驚きだわ」
 ルルイルもよろけながら、傍らの永遠神剣『嫉妬』に手を伸ばす。
 最早ルルイルの両の手は半ば炭化し、使い物にならない。
 握れない神剣『嫉妬』を抱え込むようにして、ルルイルはセリアに向かい、駆けた。
 丁寧に手入れされていた長髪は焼け焦げ、皆が羨んだ体は火傷だらけ。ルージュの代わりに煤、香水の代わりに自分の焼けた臭い。
 洗練された歩き方も今やふらつきながら、それでもルルイルは駆けた。
 セリアは対応しようにも、体が上手く動かなかった。
 ファンタズマゴリア屈指の神剣魔法の使い手による、命をも削った攻撃を受け続け、まだ生きている事すら奇跡の様なもの。
 その奇跡は、セリアの心の強さが呼び起こしたものだとしても、もう体の方が付いて来ない。
(くっ!! 私にも護りたいものは……あるのにっ!! 動けっ、私の体!!)
 ふらり、ふらりと。
 セリアの体はやはり思う様に動かない。
「これで、終わり!!」
「駄目ーっ!!」
「!?」
 セリアは、何がおきたのか解らなかった。
 目の前に、自分を庇うようにシアーが飛び込んできた。
 そのままぶつかればシアーを貫けた筈のルルイルは、咄嗟に体を捻って『嫉妬』の軌道を逸らした。
 体勢を崩したルルイルを、ネリーが斬った。
 全部見えていた。
 全然思考が追いつかなかった。
 斬られた腹から臓物の花を散らしながら、くすっとひとつ柔らかく笑って、ルルイルが倒れる。
「ル、ルルイルッ!?」
 セリアがルルイルを辛うじて抱きとめる。
 考えての行動では無い。それは反射的で本能的な行動だった。
 二人分の重みに、唯でさえ限界の来ていたセリアの足が耐え切れる筈も無く、ルルイルと一緒になって倒れこむ。
 一緒に倒れたから、セリアには解ってしまった。ルルイルの体には、もう力が篭っていない事が。
「何で? どうして!?」
 訳も解らずセリアが叫ぶ。
 何故自分が死んでいないのか。
 何故ルルイルが死のうとしているのか。
 何故ルルイルはシアーを貫かなかったのか。
 何故ルルイルはこの状況で、こんなにも優しく笑っているのか。
 何も解らなかった。
 ルルイルはそのセリアの声が聞こえていたのか、聞こえていないのか、上手く焦点の定まらない目でネリーとシアーを見る。
 べっとりと血の付いた『静寂』を取り落とし、がたがたと震えるネリー。
 ネリーにしがみつき、涙を零して震えるシアー。
 そんな二人にルルイルは優しく、そしてやはり艶やかに笑ってみせた。
「自分を省みずに……他人を思える純粋さって……綺麗よね」
「ルルイル……!?」
「そんな美しいもの……私が壊せる訳……無いじゃない」
 そのルルイルの穏やか過ぎる笑みに、ネリーとシアーはぼろぼろと涙を零して駆け寄った。
 そこに倒れているのは、もう大好きな姉を殺そうとする羅刹では無かった。
 自分の生き方を最後まで貫いた女性だった。
「ごめん、ごめんなさいっ!! ごめんなさいっ!!」
 ネリーとシアーは何を言うべきかも解らずに、ただただ泣きながら謝った。
 命を賭した戦闘に割り込んでしまった事を。斬ってしまった事を。殺してしまった事を。
「謝る必要は……無いわよ。……泣いてちゃ駄目でしょう? ……可愛い顔が……台無しじゃない」
 涙を拭ってやろうとし、頭を撫でてやろうとし、けれどルルイルの腕はもう動かなかった。
 ほんの僅かな自嘲を交え、それでも優しく艶やかな笑みはそのままに。
「……騙し、騙され、疑い、殺す。……そんな醜い世の中で、心から美しいと思えるものを……久しぶりに……見たわ。……ありがと」
 ルルイルの黒く崩れ落ちた手は、グロテスクに咲いた腹の傷は、消えゆく命の灯は、もう回復魔法でも追いつくまい。
 明らかな致命傷を受けながらも、ルルイルは最期まで苦しげな表情は見せまいと優美な笑みを絶やさない。
「……最期のお願い……きいて……貰えるかしら?」
「何? 何でも言って」
「私から……うくぅっ……離れて」
 咳き込みかけ、最後の力を振り絞って胃から逆流する血を飲み込む。
 口から血を吐くなど、ルルイルの自尊心が許さない。
「例え一瞬でも……他人に死に顔見られるなんて……嫌なのよ……お願い」
 それは最期まで美しくあらんとするルルイルの矜持。
 セリアがルルイルの体を地面に横たえ、ネリーとシアーの肩を借りながら一歩下がる。
「ありがとう。……セリア。貴女、急にいい女になったじゃない? ……今なら、私、……貴女に惚れるかもね。
 そしてお二人さん。……お子ちゃまって言った事、謝っておくわ。……ごめんなさいね。……じゃあね、小さなレディ達」
 ルルイルの全身が炎に包まれた。
 ルルイル最期の神剣魔法は、優しく艶やかな笑みと鮮烈な炎の光を三人の脳裏に焼き付け、消えた。

 ヒミカがクーンに押し込まれる。
 神剣魔法が然程得意では無いヒミカは、しかし剣の腕において赤スピリットの規格から外れているといっていい。
 炎を纏った流麗な神剣攻撃は、ファンタズマゴリアの赤スピリットの中でも随一のものだろう。
 そのヒミカが、小さな体で大きな斧型神剣を振り回すクーンに押されていた。
 ヒミカの力がクーンに劣るという訳では無い。寧ろ、ヒミカの方が剣の腕は上。
 だがヒミカには、幼いクーンを殺す事が躊躇われていた。
 ヒミカの脳裏に過ぎし日の思い出がよぎる。
 …………。
 ヒミカがイースペリアに出向した日。
 一つの任務を終え、宿を借りる為にルルイル、クーンと並んで戻る道すがら。
 ルルイルがいつも通りの軽い調子でクーンに語りかけた。
「いつも思うんだけど、『風月』がクーンをくっつけて歩いてるみたいよね。全く、どっちが本体だか判んないわ。ほら、お貸しなさいな」
「そんな、いいよ」
「クーンがどう思おうとダメ。私がどう思うかが問題なんだから。子供にそんなの持たせてるのは、見っとも無いじゃない」
「そんなの、めちゃくちゃだよー。じゃあ、斧担いでる自分は美しい!! ってルルイルは自分で思うの?」
「ええ。誰かの為に何かする。これほど美しい事はそう無いでしょう?」
 ひょいっと、クーンの『風月』を取り上げると、ルルイルはそれを肩に乗せた。
 女性とはいえルルイルもスピリット。比較的力の弱い赤スピリットとはいえ、人間とは力の桁が違う。
 それを言えばクーンもなのだが、身長の倍ほどもある『風月』を引き摺らない様、ぶつけない様にちょこちょこと歩く姿は、実際はどうあれ傍目には大変そうに見えるのだ。
「あーん。返して、返してったらー」
 ぴょんぴょんと周りを飛び跳ねるクーンに、ルルイルは艶やかに笑う。
「くすっ。クーン可愛い。でも、やっぱり私がおっきな斧担いでるのは、見た目にどうかと思えてきたわね」
「ほらー」
「じゃあ、ヒミカ、パス」
 ルルイルは『風月』をヒミカに投げる。
「うわわっ」
 重量のある『風月』を慌てて受け取るヒミカ。
 ルルイルは、今度はそれに気を取られたクーンを抱えあげる。
「え? わ、わーっ!?」
 そのままルルイルはクーンを肩に乗せた。
「あはは。どう? こっちの方が見た目にもいいでしょ」
「どうって、わわっ!? おろしてー」
「いやよ」
「あーん。ヒミカさん、何とか言ってくださいー」
「えーっと、ルルイル。『風月』は私が担いでいく事になるの?」
「ええ、そうよ。だって、似合うじゃない」
「へ?」
「逃げるわよ。しっかり掴まってなさいね、クーン」
「え、え、わーーーーーっ!?」
 ヒミカが言葉の意味を咀嚼し終えた時には、ルルイルはクーンを肩車したまま走り去っていた。
「こ、このっ!! 待て、ルルイル!!」
 日が暮れるまで、三人は笑い、はしゃぎまわった。
 その夜、遊び疲れたクーンが寝た後に、ルルイルがヒミカのいる客用の部屋にやってきた。
「今日は、ありがとうね」
「え? 何の事?」
「一緒に遊んでくれた事よ」
「あはは。ルルイルがこんなに楽しいやつだとは、思わなかったわ」
 そのヒミカの言葉に、ほんの少し寂しそうな顔を浮かべ、ルルイルはヒミカの言葉への返答にはちょっとずれた、けれど心からの言葉を返した。
「クーンは本当はこんな場所にいるべき子じゃない。子供らしく遊ぶ事も出来無い、大天才ヨーティア=リカリオンに匹敵する才能を世の中の為に発揮する事も出来無い。そんな血生臭い、醜い戦場には、あの子はいるべきじゃないのよ」
 ああ、そうか、とヒミカは納得する。
 クーンが年相応の子供でいられるよう、クーンの為にルルイルは無邪気にはしゃいだのだ、と。
「じゃあね。夜更かしはお肌の大敵だから私ももう寝るわ。お休みなさい、ヒミカ」
「ああ、お休み、ルルイル。明日は早いわよ」
「えー。私、朝苦手なのよねー」
 ひらひらと手を振りながら、ルルイルは客室から出て行った。
 他人を想う気持ちとそれを行動に移す事。それはルルイルの考える美しさの条件なのだろう。
 美しさという絶対の価値基準を持ち、それを外面だけで無く内面にも貫くルルイルは、ヒミカの目から見てもやはり美しかった。
(これが家族ってものなのかな)
 ヒミカは二人の関係を心底羨ましく思い、純粋に憧れた。
 …………。
「くっそ!!」
 どうしようもない状況に思わず罵声をあげながら、振り下ろされる『風月』を逸らす。
 巨大な斧型神剣『風月』は、到底まともに受け止められるものでは無い。
 『風月』をしっかり捌ききっているのがヒミカの剣技の確かな証左。
 けれども、決定的な場面で今一歩必殺の間合いに踏み込めないヒミカでは、全力で神剣を振るうクーンを倒せない。
 ヒミカがクーンを殺さないように手加減して戦える程には、二人の戦闘力に差は無い。
 幼いとはいえ、力学、戦術、そして戦闘センス。天才の名を欲しいままにしているクーンである。
 全ては計算の内。
 優しい事。それがヒミカの弱点。それがクーンの勝機。
 弱点を迷わず突く。クーンにとって普段なら躊躇われる作戦でも、今回だけは躊躇わない。
 天秤にかかっているのは大好きな姉であるネオンキャリングやルルイル、そして沢山の仲間達の命。
 その為ならば、幾らでも汚れてみせる、罪を背負ってみせるという悲壮なクーンの決意が、剣筋を迷いの無いものにし、ヒミカを追い詰めていた。
(くそっ!! 冷静になれ!! 集中しろ!! 余計な事を考えるな!!)
 その思考こそが余計なものであると自分で気付きながら、ヒミカの迷いは出口を見つけられない。
 ヒミカの迷いを含んだ瞳と、それと対照的にはっきりとした決心を秘めるクーンの瞳が交錯する。
 決意の光を返すエメラルドグリーンの瞳に、ヒミカの記憶が呼び戻される。
 …………。
 野営地の夜。
 夜中にヒミカがふと目を覚ますと、クーンのすすり泣く声が聞こえた。
「どうした、クーン」
「え、あ、な、何でもないです」
 目をこすりながら、自分の布団に潜り込むクーン。
「そんな顔して、何でも無い訳あるか。いいから話してみなって」
「ですが……」
「私なんかじゃ頼りにはならないかも知れないけど、話すだけで楽になる事もあるしさ」
「頼りにならないなんて、そんなことは……夢を、みたんです」
「夢?」
「はい。怖い夢です。今まで私が斬り殺してきた人たちがっ、出てきてっ」
 思い出したのか、クーンは再び震えだした。
「じっと見てるんです。わたしの事をっ。何も言わないで、ずっと、ずっと見てるんですっ」
「もういい、クーン。もう大丈夫だから。思い出させて、悪かった」
 ぽろぽろと涙を零して震えるクーンを、ヒミカは抱きしめた。
 そのままクーンの頭を撫でながら、落ち着くまで抱きしめていた。
「ご、ごめんなさい、ヒミカさん。迷惑かけちゃいました」
「気にするな。じゃ、寝ようか」
 ヒミカは自分の布団をあけて、クーンを手招きする。
「え?」
「いいからいいから。ほら」
 不安な時には、誰かに触れていたいもの。それを知っているヒミカは、半ば無理矢理気味に遠慮するクーンを引きずり込んだ。
 クーンも本当はそれを望んでいたのだろう。すぐにおとなしくなった。
「あ、ヒミカさん。ちょっとだけいいですか?」
「ん? 何?」
 もぞもぞと布団から這い出たクーンは、自分の寝ていた布団からぬいぐるみを持って、再びヒミカの布団に潜り込んで来る。
「そのぬいぐるみは?」
「この子はネオンと一緒に作ったんです。ヤーシェっていうんです。いつも一緒に寝てるんです」
 ぎゅっとそのぬいぐるみを抱きしめ、クーンが言う。
「へー。ネオンがね。ちょっと意外かも」
「そんな事無いですよ。ネオン、すっごくぬいぐるみ作るの上手いんですよ。まるで魔法みたいに上手なんです」
 クーンは、自分の部屋に沢山のぬいぐるみが置いてある事を、その一つ一つに名前が付いている事を嬉しそうにヒミカに話した。
 それらのぬいぐるみは皆、自分とイースペリアスピリットの仲間で作ったものだという事も弾む声で話した。
「ルルイルはですね、くすっ」
「そんなに笑うほど不器用なの?」
「いえ。ルルイルは凄く器用なんですけど、センスがいまいちで。縫ったりするのは上手なんですけど、出来たぬいぐるみは何だかよくわかんない生き物になるんです」
 笑うヒミカに、でも、と、クーンは続けた。
「ルルイルの作ったぬいぐるみも、大事に部屋に飾ってあるんです。そしたら結構かわいいかなーっても思えてきたんです」
 そのうちにクーンは話し疲れたのか、すぅすぅと穏やかな寝息を立て始めた。
 子供特有のちょっと高い体温を感じながら、ヒミカはそっとクーンを撫でた。
 クーンからほんの少し、好物だというミルクの甘い匂いがした。
 …………。
「わたしは、負けませんっ!!」
 小さな体を思い切り使いきってクーンが『風月』を振り回す。ヒミカを殺す為に。
 一度攻撃を止めたならば、重さのある『風月』を再び動かすのに時間がかかる。だから止めない。
 遠心力がかかればその分速度と威力は増す。だから思い切り遠心力を乗せて振り回し続ける。
 ヒミカの動きから、狙いを察知する。動作の癖を見切って次の動きを先読みする。
 振り回すという動作の隙を洞察力でカバーする。
 戦いの中で相手の情報を読み取っていく。情報を集めて勝利の方程式を組み上げる。
 本来思考は致命的な行動の遅れに直結するが、クーンはそれを無意識の域にまで昇華している。
 逆に、千々に乱れる思考に囚われ動きに精彩を欠くヒミカは、次第に追い込まれていた。
 戦う時間に比例してクーンは強くなる。実感としてそれが理解出来る。
 最初はまだヒミカから見て隙もあった。迷いが無ければそこで決まっていただろう。
 だが、ヒミカにはクーンを殺す事が出来無かった。
 そして今や互角の攻防。もうすぐクーンが優位に立つ事になるだろう。
 最早必殺の筈の三連撃(トリプルスイング)も危なげ無く防がれてしまう。
 それどころか、迂闊に一度見せた技を出したら、その隙に遠心力を乗せた強烈な一撃をくらう事になる。
 新しい技を出せば出すほど、更に追い込まれる。
 そんな危険の差し迫った状況下でも、ヒミカの心の乱れは収まらない。
 …………。
 待機任務の日。
 何千という本を暗唱出来るクーンが、ヒミカの語る即興のお伽噺に真剣に耳を傾けていた。
「めでたしめでたし」
「……ふ〜〜〜〜っ」
 物語が終わり、ヒミカが話していた間中ずっと息を止めていたのではないかと思えるほど大きな息を、クーンが一つ吐いた。
「すっごくドキドキしました。でも、最後にはみんな幸せになって良かったです」
「あはは。即興にしては上手く出来たかな?」
「本当にすごいですよ、ヒミカさん」
 夢見る様に瞳を輝かせて物語の余韻に浸るクーンに、ヒミカはちょっと照れくさくなる。
「私から見れば、クーンの方がずっと凄いと思うんだけどね。その年で私なんかよりもずっと頭いいし」
「いいえ。わたし、本当にヒミカさんを尊敬してるんですよ」
「ははっ。お世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃないですよ。こんなステキなお話を考えられるのもですし……以前「いい風だね。一年のうちチーニの月にしか吹かない風がある。何だか無性に嬉しくなるよ」って言ったの覚えてらっしゃいますか?」
「え? 私そんな事言ったっけ?」
「はい。わたしははっきりと覚えてます。その言葉にすごい衝撃を受けましたから。でも、ヒミカさんが覚えてなかったらいいんです。それこそ、わたしがヒミカさんを尊敬するところなんですから」
「そうなの?」
「はい。意識することも無く、世界の美しさを感じ取れる。そんな繊細な感受性がうらやましいです」
「それは買いかぶりすぎよ」
「そんなこと無いです。わたし、ヒミカさんの言葉にはいっつも驚かされるんです。こんなふうに世界を見る事ができる人がいるんだ、って。「胸につかえそうな夕焼け」とか、「街毎に違う空の色」とか、わたしには見えてないものがヒミカさんには見えてる」
「そうなのかな? 自分じゃ良く判んないけど」
「虹を見ながら歩いてて樹にぶつかったり、星を見ながら歩いてて転んだこともありましたよね」
「あ、あはは。それは流石に覚えてるわ」
「それすらも羨ましかったんです、わたしは。自分を忘れるほどに、わたしも世界を美しく感じてみたいって思いました」
「そんなに褒められると、何だかくすぐったいな」
 自分では只の間抜けと思える行為すら、天才と呼ばれる相手に手放しで褒められて苦笑いするヒミカに、向日葵の様な笑顔で、凄くいい事を思いついたというようにクーンは言う。
「そうだ!! ヒミカさんは作家さんになるべきです!! みんなにもこの感動を知って欲しいですから!!」
 …………。
「くっそおーーーっ!!」
 ヒミカのファイアエンチャント。『赤光』の纏った赤熱の炎が踊る。
 今まで見せていないこの技が、今やヒミカの奥の手ともいえた。
 しかし、やはり今一歩踏み込みきれなかった。
 ここで決めねばと解ってはいる。だが、出来無かった。
 ヒミカの優しさ。命を取り合う戦場においては致命的な甘さにして愚かさ。
 その優しさを、ネオンキャリングとルルイルも理解していた。
 実のところ、クーンをヒミカにぶつけたのは、確かにヒミカの優しさゆえではあるが、それはクーンが優位に戦えるからという理由では無い。
 クーンだけには助かって欲しいという、ネオンキャリングとルルイルの切なる思いであった。
 最悪の場合、自分達は倒れてもヒミカにならクーンの事を任せられる。ヒミカならクーンを殺さずに倒そうとしてくれるだろう。上手くいけばクーンは、ヒミカに保護してもらえる、と。
 誤算はクーンが強過ぎて、ヒミカがクーンを殺さない様に手加減して倒せなかった事に尽きる。
 小さな天才は、二人の姉の計算すらも超えてしまっていた。
「えいっ!!」
 クーンは全ての思い出を飲み込んだ上で、ヒミカに刃を向ける。
 絶対に消えない罪の刻印を心に刻み込む事を、重い重い十字架を一生背負う事を覚悟して。
 そうしなければ、ネオンキャリングが、ルルイルが、イースペリアの仲間達が守れないから。
 イースペリアスピリット隊か、ラキオススピリット隊か、どちらか一方の選択肢しか、選べないから。
 だから、クーンは大好きなヒミカを殺す為に、全力で刃を振るう。
 『風月』を打ち振るい、『赤光』を迎撃する。
 神剣同士が激しくぶつかり合い、文字通りの火花を散らした。
 『赤光』を包んだ炎、その火の粉の一つが、クーンの持つ『風月』の柄に付いているマスコットの紐を炙った。
 そのエヒグゥのマスコットは、クーンがネオンキャリングと一緒に作ったもの。
 紐が切れ、マスコットが宙に舞う。
「あっ」
 クーンの注意が一瞬逸れた。ほんの僅かに動きが止まった。
 当たらない筈の攻撃だった。
 とすっ。
 軽い感触。
「こふっ」
 小さな体が『赤光』に貫かれていた。
 どすり、と『風月』がクーンの小さな手を離れ、地面に勢い良く突き刺さった。
「えっ?」
 ヒミカにあったのは、困惑だった。
 神剣が肉を突き抜けた感触。神剣の先に力無くぶら下がる小さな体の重み。
「ク、クーン?」
 ヒミカの戸惑った虚ろな問いに応える声は無い。
 虚ろに見開かれたままのクーンの幼い瞳。
 その瞳に光がもう灯っていないのを見て、ヒミカは慄然とした。目を逸らせない残酷な現実が、そこに在った。
 天才の瞳は、ヒミカの混乱に対して、単純明快な解をはっきりと突きつけた。
 紐が切れて宙を舞っていたエヒグゥのマスコットが、とさりと乾いた音を立てて地面に落ちた。
 クーンの亡骸が、『風月』が、さらさらと金色の霧に変わり、地面に落ちた小さな手作りのマスコットだけが、その場に残った。
 それだけが、この戦場に残った彼女の全て。あまりにもちっぽけな、少女の生きた証。
 ネオンキャリングとルルイルの、クーンだけには助かって欲しいという思いは、ここに完全に潰えた。
「ぅ……うおああああああああああああああああああーーーーーーーーーっっ!!」
 クーンの死、殺してしまった自分、理不尽な世界、どこにぶつけて良いかも解らないぐちゃぐちゃになった思考に、覚悟も出来ぬまま突き付けられた現実に、ヒミカは我知らず、天を仰ぎ叫んでいた。
 それに応える声は、やはり無かった。

 ネオンキャリングが、ハリオンに向けて放とうとした蹴りの軌道を変化させて地面に叩き付け、その勢いで一息に宙返りしながら跳び、気配を感じた背後を確認しながら距離を取る。
「……ヒミカ」
 ネオンキャリングの後ろにいたのはヒミカだけでは無かった。
 満身創痍ながらセリアも。それに肩を貸す形でネリーとシアーも。
 並ぶラキオススピリット達の表情を一見し、ネオンキャリングはクーンとルルイルの戦いの結果を理解した。
 静かに着地し、ラキオス隊に向き直る。
「そう。二人とも死んだの……」
「もう、やめて、ネオンキャリング。これ以上は……」
「その先は言うな」
 セリアの言葉をぴしりと遮る。
「その先の言葉は私のみならず、私達イースペリアスピリット隊全員への侮辱よ。それだけは、許さない」
 この戦いを続けた先にある結末をネオンキャリングが解っていない筈が無い。その上でなお、ネオンキャリングは戦う事を選ぶ。
「不器用よ。貴女達全員。……不器用過ぎるわよ」
「……ありがとう、セリア。それ、最高の褒め言葉よ。私達みたいなのにとってはね」
 心から誇らしげに静かに笑い、再び表情を引き締める。
 迷い無く、ネオンキャリングはラキオススピリットの面々に『氷河』を向けた。
「勝負よ、ラキオススピリット隊。私が、イースペリアスピリット隊よ」
 ネオンキャリングはラキオスのスピリット達に向け、純白のウイングハイロウを広げて飛翔した。

 それからほんの僅かして、戦いの音は止んだ。

 ネオンキャリングは目を覚ました。
 傷が回復している。
 何があったか思い出そうとして、斬り倒されたところで意識が途切れている事に気付く。
(傷の回復も、連れて行かれなかったのも、ラキオスのみんなのお陰か)
 ラキオススピリット隊に刃を向けたネオンキャリングがラキオスに連れて行かれたなら、どんな酷い扱いを受けるか解ったものでは無い。
 ましてや、ラキオス王の思惑に気付いていたとすれば尚更に。
「……」
 傷は治っていても、体は動かない。
 どうしようもなく涙だけが出てきた。寂莫たる世界で、倒れたまま涙だけを流した。
 その時、近くに落ちていた『氷河』が警告を発した。
 絶望的なイメージが頭に流れ込む。
「折角の好意を無駄にしてしまうみたい。わざわざ助けてもらったのにすまない、ラキオスのみんな」
 ネオンキャリングは目を閉じた。
 自分を信頼してくれていたアズマリア女王を思い出す。
「アズマリア様。申し訳ありませんでした」
 クーン、ルルイル、そしてイースペリアスピリット隊の仲間達を思い出す。
 瞼の裏に浮かぶ幻視。
 みんな、みんな笑っていた。
 思わずネオンキャリングの顔にも、ふっと笑みが浮かぶ。
「再生の剣よ。願いが通じるのならばどうか……」
 ネオンキャリングは最後まで言う事が出来無かった。
 マナ消失の光がイースペリアを覆い、ネオンキャリングの体を巻き上げ、かき消した。
 この日、イースペリアという国は事実上ファンタズマゴリアから消滅した。

 戦争はまだ、終わらない。


作者のページに戻る