第二十六話 平和なひと時――破られて
「うおわッ!?」
急に感じる無重力。
さあ、どうしたんだ俺は。と明人は自問自答した。
必死になってまず、視線を泳がせる。
外はまだ、暗い。日の光すら見せないまだ深夜とも言える時間だ。
そんな悠長なこと考えている場合ではない。
なんでこんな世界が反転した視界になっているのかが問題であろう。
その思考から秒も経たずに叩きつけられる体。
衝撃で、半ば強制的に目が覚める。
「いててて……な、なんなんだいったい……ッ!」
しかし間抜けな表情を作る暇すらない。
目の前に立つ、人影を見て。
ここは、戦いで培った本能でその場から飛びのき、間合いを離す。
「誰だ。事と次第によっちゃ、容赦はしないぞ」
明らかに敵意を含ませた声。相手の正体がわからない。未知の相手だ。
警戒しろと感覚が訴えかけてくる。
それを聞いて、ゆらりと、影が揺れ動いた。
髪は、肩よりも少しだけ長い程度。
身長はそこそこある。
しかし妙なのは、まったく気配が感じられないと言うこと。
神剣の持ち主であれば、それこそ一発でわかるはずだ。
空也の持っていた『因果』が気配を消す能力を持っていたように、
それと同じ能力が神剣の主にあれば話は別だが。
「反射神経、状況判断能力はなかなか。エターナルとは、これまた戦闘に特化した
能力者というわけか」
柔らかい、拍子抜けしてしまうような声で影が言った。
「いや、こんな手荒なマネですまない。まず、そのことを詫びよう」
殺意は、敵対心は、ない。
……どうやらこのまま警戒していても杞憂に終わりそうだ。
「で、あんたはいったい何者なんだ」
警戒心を少し緩め、明人は影に訊く。
「私は、つい最近ここ、ラキオスの訓練士として雇われたミュラーというものだ。
今後、よろしく頼むよ。エターナル殿」
「いや、明人でいい。その呼ばれ方は、いまいちしっくり来ないんでな」
「それでは、アキト殿。私としては、あなた達エターナルに非常に興味がある。
こんな朝早くにたたき起こしてなんだが、私からの訓練、受けてみる気は無いかい?」
『ほほう。ちょうど、よい機会ではないか明人よ』
黙っていた『聖賢』は、なぜだか乗り気のようだ。
「なんというか、この前の戦い、少し拝見させてもらったんだが……まだ、アキト殿には
無駄が多い。悪く言えば、基礎がなっていない未熟者、といった感じだ」
『よく見ておられる、この武人……もっと言ってやるべきだ』
(うっせ。黙れ『聖賢』)
……ちょっと『聖賢』はこのミュラーと言う、声からして多分、まだ若い女性のことが
気に入ったようだ。
普段とはまた違った態度と取れる。人間臭い。
「だから、このままだと少し危うい部分が否応無しに出てくるだろう」
流しているが、なんだかとっても馬鹿にされている雰囲気。
「俺があんたの訓練を受ければ、そんな簡単に強くなれるのか?」
「なれるとも」
ある程度棘を含ませた声の明人の質問に対し、あっけらかんと答えるミュラー。
「そうだな……一人じゃ寂しいだろうから、もう一人連れてくるよ。準備が出来たら、
第二訓練場奥の森まで来てくれ」
「うおわッ!?」
はい。
まず何が起こったのか冷静に、考えてみようか。
昨晩オレは、特に何にもしていない。無実だ。身の潔白は証明されている。
じゃあなんで、こんな深夜ともいえる時間帯にオレは無重力を味わっているのか。
……や、だから決してやましいことなど何一つとしてしていない。してないって。
そりゃ、社交辞令的にミリアとか、クォーリンとかに風呂上がり色っぽいな〜、
とか言っていたような気がするけど、そのとき隣に美紗はいなかったはずだ。
この一瞬でここまで考えられる空也を凄いとしておこう。
顔から床に落ちて、鼻をさすりながら涙目で身を起こす空也。
「いててて……な、なんなんだいったい……ッ!」
思わず体を硬直させ、飛びのく。
目の前に立つ、人影を見て。
いったい誰だ? まさか美紗が朝這いに来ましたよ、とかぬかすわけない。絶対に。
「誰だ。事と次第によっちゃ、容赦はしないぜ」
だったらなおさら、誰だかわからない。危険な、未知の相手といえよう。
それを聞いて、ゆらりと、影が揺れ動いた。
髪は、肩よりも少し長い程度。
身長はそこそこある。
しかし妙なのは、まったく気配が感じられないと言うこと。
神剣の持ち主であれば、それこそ一発でわかるはずだ。
「最初の無駄な思考はどうかと思ったが、なるほど……あっちのエターナルより
戦いなれているみたいだね」
柔らかい、拍子抜けしてしまうような声で影が言った。
「いや、こんな手荒なマネですまない。まず、そのことを詫びよう」
殺意は、敵対心は、ない。
……どうやらこのまま警戒していても杞憂に終わりそうだ。
とりあえず警戒の色を解こうか。
「じゃあ訊くが。おたくはいったい何者だ? まさか、オレのファンとかじゃないだろう」
「そうだね。私は、ミュラー。最近、ラキオスに協力することになった訓練士だ。
今後とも、よろしく頼むよ。エターナル殿」
「……その呼び方、とりあえず止めてくれないか? オレは別に、自分がエターナルだ、
って宣伝したくてここにいるわけじゃないんだからな。空也でいい」
「これは失礼。……ふふっ、面白いな、君達は」
ミュラー――多分女性だと思われる――はくすくすと笑う。
「それではクウヤ殿。このあとできれば」
ハイここからちょっと精神声で。
『なんなんですかもう空也さんッ! 人がせっかく気持ちよく寝ているのに
なに騒いでるんですかいくら普段は温厚でぽわぽわしてると思われている私でも
さすがに怒っちゃいますよ! 睡眠欲を妨害された人がどれほど凶暴になるか――』
ハイここまで精神声で。
「と、いうわけだ。ん? どうしたんだい、クウヤ殿」
頭を抱えている空也に話しかけるミュラー。
えっと。
とりあえず、『応報』のセリフに対して突っ込みを入れておくと、
していると思われているのではなく、事実しているのだ。
え? そんなことに突っ込みを入れている場合ではない?
「……すまん。今ちょっとオレの神剣が騒ぎ立ててな……もう一回、頼む」
『誰のせいで! 誰のせいでこんな無駄な体力使ってると思ってるんですかぁッ!』
「……お前だったのか」
「なんだぁ? オレじゃ役不足だってのか、明人……ふあ……ぁ……」
行く途中、ばったりと明人と空也は合流した。
なんでも同じ人物に叩き起こされたとか。
「しっかし、一体全体何者なんだ、あのミュラーとか言うやつ」
空也は『応報』を担ぎながら、再び大きな欠伸をして見せた。
「そうだな。けど、只者じゃないことは確かだ」
今は、少しひんやりとした空気の中、森の獣道を歩いている。
基本的に一本道なので、詳細は知らせていないが、多分このまま進んだ所がミュラーの
指定した場所であろう。
『だからなんでこんな時間に叩き起きなくちゃダメなんですかぁ〜。
……空也さんのバカァ〜……』
「オレだって好きで起きたわけじゃねえよ……ああ、もう。やる気の無い声上げるなって」
『ですけどぉ〜……酷いですよぉ……睡眠はですねぇ……』
間延びした、空也に抗議する『応報』の声。
あのときの憤慨はどこに行ったのか、この時点ではいつもどおりの口調。
改めて聞いてみると、なんか、物凄い勢いでやる気を奪われそうな声だ。
『まったくだ……今回ばかりは、明人や応報の主が言うこともわかるぞ』
「だよな……」
先ほどまでの腹立たしさも、奪われていることに驚きだった。
「意外と早かったね」
『聖賢』の言葉に耳を傾けていると、耳どおりの異常によい声が二人に投げかけられた。
歩み寄ると、仄かな月光に照らされ、ようやく、シルエットではなくミュラーの姿が
明らかになった。
少し、褐色を持つ肌。
白い髪は、それを受けてさらに際立つ。
細く微笑むその瞳は黒く、やんわりとしている。
そして何より、その姿は、贔屓目をいれずとも、美人といえよう。
まさにスピリットにも負けず劣らず。
「さて。まずは、訓練の内容を説明しようか」
そう言って、ミュラーは明人と空也に一本ずつ、木刀を投げ渡した。
「私が満足するまで、打ち込んでみてくれ」
そのミュラーの手にも、木刀が一つ、握られている。
「ただし、神剣の力を借りずにだけどね。それとも、神剣の力を借りなくては木刀を
振るうことすらままないのかな?」
さすがにこのセリフには、二人ともカチンと来るものがあった。
「……言ったな。『聖賢』、言われたとおりだ。絶対に手出しするんじゃないぞ」
『わかっている。もとより、手を出すつもりなどない』
キッと睨む明人。
「だと。つうことで、お前は寝てても大丈夫らしいぜ、『応報』」
『ホントですか。じゃあ、ゆっくりさせてもらいますぅ……おやすみなさぁい……』
いつもと同じ調子に見えるが、見る人が見れば空也が怒っているのに
ようやく気付くぐらいか。
どちらにせよ、今二人の目の前に映るのは、敵対するエターナルより優先すべき、
「行くぞ、空也ッ!」
「ああ。お前に言われなくても、そのつもりだッ!」
共通の、敵だ。
「ほら、どうしたんだい。もうへばったのかい?」
ミュラーの声が木霊する。
日は、ほんの少しだけ顔を覗かしている。二時間ほど、時が過ぎただろうか。
明人と空也はすでにグロッキー。木刀を杖代わりに何とか立っている。
いきがっていた二人の気迫はどこへといったのか。
汗をぬぐうこともせず、ただひたすら肩で息をし、体が呼吸を求める。
そして、そんな明人達とは対照的に、顔色一つ変えず、また汗すらかいていない
ミュラーが続けた。
「わかったかい? 君達に足りないものが、なんなのか」
訊かれずとも、理解させられたことだった。
実戦の中で、二人とも剣の扱い、つまり戦いを覚えた。
それも生半可ではない、常に死と背中合わせの状況で、何度も、何度も。
それにより二人の戦闘力は比較的高い位置でまとまっているといっても良い。
だがしかし。
この状況からして、それがただの驕りだったと言うことを思い知らされた。
このミュラーという女性――下手をすればその力で、スピリットと互角に渡り合える
力を持っているのかもしれない。
明人も空也も、このラキオスの主力二人がまるで赤ん坊の手を捻るかのように
あしらわれたのだ。
「まずは戦いにおける集中力。これが真剣だったら、私は君達を五十八回殺していた。
体がそれを理解しているはずだ。それだけ油断があったと言うことだな」
もはや二人に返事をする気力すら生まれてこない。
「そして……そうだな。君達は今までなんの苦労もせずにここまで来たのだろうな」
急に、ミュラーの放つ声の温度が低くなる。
「ッ! ちょっ……まてよ! お前にそんなことを言われる筋合いは」
「自分よりも弱い敵と戦い、そして自分は強いと、そう思っていたのだろう?
……だから防御が甘すぎる。この程度で英雄などと名乗るのであれば、今すぐ帰れ。
お前達のために無駄な兵を与えることなどできんよ、未熟者」
視線は相変わらず、柔らかな視線だ。今はそれが、気が狂いそうなほど腹立たしい。
そして、その視線が物語る。
悔しかったらまず、文句を言いたいのならまず、私に一本決めてみろ、とも。
「私の言葉に偽りがあるのかな? エターナル……アキト殿、クウヤ殿。それとも、
力ずくでわからしてくれると私としては手っ取り早くてありがたいかな」
「……明人、オレらが食い下がるのは畑違いなもんだ」
いきがる明人を、空也がなだめる。
「空也ッ!」
「お前は単純だけど馬鹿じゃねぇ。わかってるから、オレは止めてるんだ」
踏みとどまる明人。
悔しそうな表情のまま、明人はミュラーを睨みつける。
だが、その眼光は腐っていない。強敵を目の前にしてなお、抗おうとしてくる。
その二人を見て、ミュラーは小さく笑う。
(そうだ。未熟なら、成熟するまで己を高めればいい。まず、そのことを
知ってもらいたかったんだ。向上心があるのとないとでは、成長の度合いが違うからね。
そのための汚れ役であったら、幾らでも私は買って出よう)
あえて言葉には出さない。
だけど、空也の方が大体悟ってくれたらしい。
この二人はいいコンビだろう、とミュラーは思う。
熱血漢で、相手を引っ張っていける明人。
それを上手く抑制し、調節することができる空也。
打てば響くであろう。この二人は、他のエターナルよりも、特に。
だからこそ、自分が目をかけたのだ。
「さっ、今朝はここまでだ。まだ誰もいないだろう風呂でもつかり、英気を養ってくれ」
「はあ……ようやく、落ち着いたな」
「ふう……よーやく、落ち着けたな」
明人と空也が交互に、温まった息を吐く。
そして訪れるのは、静寂だった。
お互いの裸体を見て、まず苦笑。
もちろん、体中にちりばめられたアザだらけの肌を見てからのことだ。
あのミュラーの剣筋は、間違いなく本物だ。
今まで見てきた剣技の中で最も綺麗で、隙がない。
どんな力をもってしても、こちらの攻撃はいなされ、逆にこちらの防御は
ことごとく打ち抜かれる。
人間と言う種族に限定すれば、もはや最強ではないのだろうかと明人と空也は思う。
むしろこれを超える人間を見て見たい。
「……うわっ、マジだぜ明人」
「なにがだ?」
「体のアザ。お前の人体急所、ほとんど突かれてるぜ。しかも、しっかり五十八箇所」
今までそんなシュールなことをしていたのか、空也。まだ風呂の入る前に。
しかし、
「ミュラー……か。悔しいけど、あいつの言ってることは、正しい」
「……だな。オレ達は、ちょっと舞い上がってたのかも知れねえな」
明人と空也の間に、同じ空気が生まれる。
ミュラーの一言一言は重く、二人の心にのしかかってきた。
自分よりも弱い敵――エトランジェとして授かった力で、スピリットと戦ってきたこと。
そして隊長として、味方を護ることで、自己満足を得ていたのかもしれない。
だけど、今は、違う。
「いや、変わってやるさ……あいつを見返せるように」
言われ、気付くだけでも未熟だ。
しかし気付けたら、また成長のチャンスがやってくると言うことと同じことだ。
もしかすると、そのことをミュラーは伝えたかったのかもしれない。
「そうだな。目先の戦いにとらわれて、もっと大切なこと、忘れてたのかもな」
「ああ。俺も空也も、護るべき相手に護られてちゃ世話内もんな」
ニッ、と二人は笑いあった。
そしてようやく、湯船へとたどり着く。
木製の桶を使ってお湯をすくい、肩からかぶる。
二度、同じ行為を行ってからようやく足から湯船へと進入した。
「あー、いい湯だな、空也」
「そうさなぁ。これで誰か他の隊員が入ってきたら嬉し恥ずかしハプニングなのにな」
何バカなこと言ってるんだよ。
そんなことを空也に伝えるべく、声を放とうとした瞬間、
――カコン、カコン――
――シュルシュル――
――ジー……パサァ……――
――トテトテトテ――
そんな具体的な音がしたようなしていないような。
「ん? 明人、なにか脱衣所で物音しなかったか? もしかして、もしかするんじゃ……」
どうやら変態は気付いたらしい。
美紗が見たら間違いなくおよそ人の出せる音じゃない効果音でぶん殴っていただろう、
そんな顔で。
「そうか? ……いや、何もしてない。してないから」
とは言うものの、苦しい。
ますます変態は調子に乗る。
「本当かぁ? んじゃ、確かめてきても文句はねえよな?」
何バカなこと言ってるんだよ!(語気強め
そういう前に――そろそろ表記を戻そう――空也はざぶんと音を立てて湯船から上がり、
脱衣所へ向かう。
追いかけようにも完全に出遅れた。
数秒の間があったあと勢いよく――すみません表記戻します――変態はその名に恥じぬ
緩みきった表情で扉をスライドさせ、
「御免ッ!」
「へ――ぶしッ!?」
勢いよく帰ってきた。
湯船を水切りしながら跳ね、そして壁に叩きつけられ、気絶。
鼻頭が赤くなり、鼻血を出している。間抜けなことこの上ない。
しかし明人にとってはそんな変態にかまっている場合ではない。
空也を殴り飛ばしたままの体勢で固まる、頬を真っ赤に染め、表情を固める
ウルカをどうにかしなくては。
交錯する視線。
固まる表情。
お互い、生まれたままの姿だ。
これが、お互いの思いを確かめ合う前だったならば、
「アキト殿。入っておられたのですか」(空也は数に入っていません)
「う、ウルカ!?」
「これは丁度よかった。お背中をお流しいたしましょう」
「い、いいよ。俺ももう、でるし」
「いえいえ。手前などに気を使わずに……それではお隣、つからせていただきます」
「あ、ああ……」
などというウルカらしいセリフとともに一緒に入浴ぐらいしていただろう。
だが今は、違う。
「い」
「う」
なんといっても、お互いのことを好きと認め合っている。
ウルカが動く。
明人は反応が遅れる。
そしてほぼ同時に、
「いやぁあああ!?」
「うわぁあああ!?」
――ボグルァッ!
腹部に思い切りのよい、肝臓打ちが決まっていた。
その衝撃で、もちろん、明人も意識が遥か彼方へと、ぶっ飛んでいった。
明人の意識が戻りかける。
「……本当に、すみませぬ……アキト殿……」
瞼をまだ閉じているため、声だけが聞こえてくる。
「手前は、その……肌でのふれあいがこのように恥ずかしいことになるなど、
知らなかったもので……ああ! どうしましょう……なぜ、このようなことに……」
……ああ、なんだ。
ウルカも、アセリアと同じだったんだ。明人は思う。
それにしても、
「……ウルカ」
状況が酷似しているのはもはや必然か。
膝枕はありがたい。
しかし状況が状況だと言いたいのもまた事実。
「あ、アキト殿! お目覚めになられましたか……今回の件、本当に、
申し訳ありませぬ……」
「いや、それはいいんだ。それよりも、なんだ、その……なんでまた、この体勢?」
さすがに服は着たらしいが、それでも、いつものスカートがないので肌が近い。
もちろん、アセリアのときよりもだ。
「それは……ハーミット殿が、こうすればアキト殿が喜ぶと……それに、アセリア殿も
同じようなことをしたと聞いています」
不意に聞こえる不可解な言葉。
ちょっと待てよ。このことはアセリアに――うあ、止めろとは言ってなかった。
「……誰から聞いた?」
一応、無駄だと思うと訊いてみる。
「? アセリア殿、本人からですが……嬉しそうに話してくれましたので、
手前もと思いまして」
はあ、とため息をついて明人は身を起こした。
「あっ……もう、よろしいのでしょうか……?」
というウルカはどこか寂しそうだった。
ここまで求められて断れるか、このヘタレ。そんなのは天が許しても作者がy(削除
言った後、ウルカは顔を伏せる。ちらりと見えるのは、真っ赤な頬。
「……できることならば、その……最後まで」
据え膳食わぬは男の恥か。
いや突っ込みどころはアセリアがそこまで話したということか。
さあ、明人。ここはようやく、ヘタレという汚名を返上するチャンスだ。
「ウルカ……」
そんなウルカに明人のテンションは上がる。(どうやら据え膳は、食うらしい)
ウルカの朱に染まる頬に手を当て、こちらを向かせる明人。
そのままグッとお互いの顔を近づけさせ――
「うぁ……目がちかちかする……」
ガラっという音とともに無情にも横滑りし、開くドア。
この変態、どうやら場の空気まで読めないらしい。
「ん……? なにやんってんだ。明人、ウルカ」
この一瞬で、明人、ウルカの両名は間合いを離し、空也の方に向かって正座をしている。
「な、なんでもないぞ空也!」
「そうか? なら別にいいんだが……なんかみょーに居心地悪いからオレ、
先に上がってるぜ、明人。ウルカと、しっぽりのご予定なんだろ? このあと」
服を着込み風呂場をあとにする二人。
結局、明人も空也もあの場を撤退することに決めたらしい。
「気、別に使わなくてもよかったんだぞ? 明人」
「そんなわけじゃない。ただ、ウルカが……」
『その……今ではなく、今度アキト殿のお部屋で、ゆっくりと……』
とか言ってくれるんだもんな。
そう、空也には聞こえないようウルカは明人にそっと耳打ちしていた。
そう言われるともう、さすがの朴念仁である明人も悟るしか――
「……〜〜〜ッ!?」
急に、背筋に悪寒が走った。
別に風呂上りだからというわけではない。
幾ら朝方だからといってそこまで冷え込んでいるわけではない。
じゃあ、なんだろうか。
この、ある意味貞操の危機的な悪寒は。
「どうしたんだ? 明人。急に身震いなんかしやがって」
「い、いや……なんか、俺の部屋の方向からすっげぇ嫌な予感がするんだよ……」
「は? ……んじゃあ、オレが確かめてきてやろうか? お前がそんな逃げ腰に
なるなんて珍しいから、余程のことなんだろ」
「……じゃあ、頼めるか? だけど、何かあったらすぐに帰って来いよ」
「引き際ぐらいわきまえてるつもりだ。安心しろ、オレには『応報』が付いてるからな」
『スゥ……スゥ……ふへぇ……いぞ〜ん……えへへぇ……一緒に寝ましょーよぉ……♪』
自信満々に言う空也を尻目に、微かに聞こえる寝息と、はっきり聞こえる寝言は、多分、
気のせいではないと明人と『聖賢』は感じ取っていた。
「さってと。引き受けたはいいが、見事なまでになーんにも感じないな」
ようやく太陽が顔を微かに出し始めたか。
わずかな煌きが目に刺さる。
第一スピリット館の玄関口をくぐり、無意識にオルファの部屋へと向かう体を鞭打って、
強制的に明人の部屋へと向かう指令を脳から伝達させる。
美紗の顔を思い出せ。
強力になったあいつの力は、オーバーロードした力はエターナルを消滅させるのに十分、
事足りるものだろう。
……恐怖が本能に打ち勝った。
ようやくまともに足が進めることができる。
階段をゆっくりと上がって、
「なんで……そんな……私の完璧な奇襲がこのような古典的な手に引っかかるなんて」
ぽそぽそと聞こえてくるそんな声。
どこかで聞いたことがあるようなないような。
少し記憶をまさぐりながら歩みを進め、
「ん? 誰かいるのか」
なぜか開いている明人の部屋の扉を覗き込むと、そこには紅白の巫女服を着た、
「って、あれ? 真美さん――」
「シャラップ」
――ズガンッ――
首筋に叩きつけられる意識をバルガ・ロアーへと突き飛ばす一撃。
瞬間的に、空也は意識を持っていかれていた。
嫌な予感が、消えた。
それと同時に、空也の戻りが妙に遅いことに気付く。
なにかあったのではないだろうか。と、わずかながら心配の感情が生まれてきた。
しかしまだ抜けきらない恐怖。何かがいることは、確かだ。
慎重に歩みを進める。
まだ、誰も起きていないはずだし、眠りも深いだろうから多少、声を出しても
起きないであろう。
階段を上り、自分の部屋に歩みながら歩みを進める明人。
「おーい、いったいどこの俺の部屋まで行って――って空也!? どうした!
何があった!?」
倒れた親友の姿が目に飛び込んできた。
慌てて駆け寄り、肩を揺らし、呼びかける。
「うぅ……あ……? オレは、いったい……」
間もなく返事が返ってきた。
今日は何かの厄日なのだろうか、空也は。
「何があった。敵襲か? いや、ここまで巧みに気配を消す奴なんて……」
「そういわれりゃ、そんなような気がする……でも、あいつじゃねぇ……よな」
どうやら頭をやられたらしい。記憶が定かではないようだ。
「本当に、わからないのか?」
「ああ、どうにも、記憶が曖昧なんだよ……」
「……お前は最初、どこに行こうとしていた?」
「そりゃもう、オルファちゃんの部屋に」
どうやら、本物の空也らしい。
これでもかといわんばかりに爽やかに、ハッキリと即答してくれた。
「一応、警戒はしておこう。で、朝食までどうする?」
「ん〜。まあ、特に何にもないからちょっと今朝の復習でもするかな」
「わり、ちょっと飲み物持ってくるわ。明人、先行っといて」
と言ってから数分。
空也は第四スピリット館に歩みを進めている。
我が彼女、美紗はこの時間はぐっすり夢の中のはずだ。
そして朝食ギリギリの時間になって当然のように起きてくるのが日課だ。
しかしその寝起きでも変わらないあの食欲はどうにかならないものだろうか。
見ているこっちが胸焼けしてくる。
とかなんとか思っていると、寝癖と見間違えてしまいそうなほどツンツンとした髪。
そしていつもどおりのちょっとつりあがった瞳。
目が合った。
どうしよう。
……よし。ここはちょっと受け狙いでいこうか。
「うわっ、美紗が普通に起きていやがる!?」
「あたしが起きてるのがそんなに意外か!」
――ズビシィッ!
しまった。
なぜか今日はちょっと不機嫌だったらしい。
「……顔、どうした?」
「ちょっと朝から手堅くコミュニケーションをして、失敗した」
明人が思わず言ってしまうのも無理はないだろう。
空也の顔には、長方形の跡がくっきり。
「……誰とは訊かない。体動かすには支障は?」
「そりゃ問題なしだ。慣れっていう奴だよ」
「なら、いいさ」
今朝使っていた木刀と同じものを空也に投げ渡す明人。
「エターナルになってから、一度も手合わせなかったからな。軽く行くぞ、空也」
「おお、かかって来い」
「……軽くっていっただろ、空也……」
「それ以上に明人……てめぇが動くからだろうか」
『もともと、体が疲れておるのに無茶をするからだ、ばか者どもが』
『自分の限界はぁ、ちゃんと見極めなきゃダメですよ〜?』
ぜぇぜぇと呼吸も荒く、空也の持ってきたお茶を喉に通しながら二人は神剣に諭される。
ようは必要時以上に本気でお互いかかった、ということだ。
「……でさ。今日、これからどうする?」
明人が問いかける。
「ん〜……特に予定もないから、街でもぶらぶらしてみるか、オルファちゃん観察日記
でもつけるか」
「とりあえずお前、俺に付き合って街をぶらぶらするに決定な」
「ああ、わかったわかった。そんな宿敵を見つけたような目でみんなよ。冗談だ、冗談」
ケラケラと笑って答える空也。
しかしこの男。
どこまでが冗談でどこまでが嘘かわかりにくい男だ。
予定以上に体を動かし、明人と空也は第一スピリット館に帰宅。
リビングに入ると、エスペリアが出迎えてくれた。
「おはようございます、アキト様、クウヤ様」
「ああ、おはよう、エスペリア」
「おはようさん、エスペリア」
どうやら、もうすでに食事の支度は進んでいるらしい。
おいしそうな香りが、早くから目を覚ました体の食欲をそそる。
「珍しいですね。アキト様達がこの時間に外から帰っていらっしゃるなんて」
「ちょっと、今日は早くに目が覚めたから空也と体を動かしてきたんだよ」
実際はちょっと、といえるほどの時間帯ではないが。
「ん……おはよう、エスペリア、アキト……それとクウヤ」
そこに、アセリアも目を覚ましてきたらしい。
相変わらず薄手のネグリジェで、恥じらいというのがあまりないというか。
「おはよう、アセリア」
「昨晩はよく寝れましたか? アセリア」
「……なーんかオレの扱い悪くね? アセリア」
「そんなことない。だって、クウヤだし」
淡々と話すアセリア。
「あとはオルファだけなのですが……最近、成長期なのでしょうか……よく眠っている
というか、ちょっと寝坊が過ぎるといいますか」
頬に手を当て、少々困った表情を浮かべるエスペリア。
エターナルに成長期もなにもあったものじゃないが、オルファは最近、
よく寝よく食べよく学びよく遊びよく戦っている。
特に睡眠時間が長いような気がする。
まるで、本当に成長期に入った女の子のように。
「仕方ないな。じゃあ、オレが起こしてきてやるよ」
「なに当然のように言ってんだよ、空也」
「別にこれぐらいの役目でお前に労力をかけるわけにもいかんだろう」
「……あのな、空也。親友として一つだけ、重要な突っ込みを入れておいてやる」
ポン、と空也の肩に手を乗せ、囁くようにそっと事実を述べる。
「美紗にこの世界から蒸発させられるぞ?」
「じゃあ、お前が起こしに行くのにたまたまオレが付いていくっつうことなら、
大丈夫だろ」
それでもめげない空也。
この変態、本当に消されてもオルファの寝巻き姿や寝顔などが見れたら、
本望とか言い出しそうな勢いだ。
そんな親友に向かって明人は、
「……お前のその度胸に負けました」
最大の賛美をもってして、答えた。
そして、事件は起きた。
別段、なんも考えずにオルファを起こしに行くつもりだった。
妙にウキウキしている、ニムが見つけたら絶対に「気持ち悪い」と言って逃げるほどの
笑顔でいやがる空也を脇に引きつれて、眠り姫のいる部屋へと歩み寄る。
さあ、これ以上嬉し恥ずかしハプニングはもういらない。
明人はなんとなくわかっていた。
この状況でそれが起きたら間違いなく、この横で変態よろしくな表情で
今にもスキップしそうなステップを踏む馬鹿が喜んでしまうから。
そうなったら――
「ん? どした? 明人ぉ♪ 早く行こうぜ、行っこうぜ」
「……気持ち悪い風に呼ぶんじゃない」
意地でもこの馬鹿を止めようと思う。
そう思っていた。
オルファの部屋の扉が唐突に開かれるまでは。
『ちょ――ッ! オルファ!』
「大丈夫だよぉ……別にクウヤおにいちゃんがいるわけじゃないし……」
そして出てきたオルファの格好を見るまでは。
まさかオルファが服を半分ほど、はだけさせて部屋から出てくるまでは。
思っていたが、『絶対潰す』に変わった瞬間だった。
「見るなくそぉおおおッ!」
「ッ! うわなにこの役得はグぁああああアアア!?」
最後の最後まで、やつはオルファを見て幸せそうだった。
そう。
次には文句を言わせる隙すら与えない『聖賢』勢いで空也の頭を側面で
ふっ飛ばされていたとしても。
「あ、パパ……と、クウヤおにいちゃん?」
『……いたのよ、その要注意人物が』
体があったら、やれやれとでも首を振っているだろうか。そんな『再生』の声だ。
そこには後頭部に大きなたんこぶをこさえ気絶する空也の襟首を掴む明人の姿があった。
「お、オルファ、早く服直せよ……俺、こっち向いてるから」
と、注意を促す明人。
「ん〜……はぁ〜い……」
どうやら寝ぼけた感情でも聞き取ってくれたらしく、テキパキとまではいかないが
ちゃんと服装を正すオルファ。
『まったく……私のいうことはきかないのに、なんで聖賢の主の言うことはきくのよ……』
という『再生』の愚痴は、どうやらオルファには通じなかったらしい。
「もう、いいか?」
「うん……ふぁ……あ……」
「……起こしにきて、ハズレだったか……いや、こいつを連れてきたのが、
そもそもの間違いだっただけか……こいつ、今日は厄日かなにかか?」
空也を掴む手とは逆の方で、明人は頭を抱える。
『おはよう、でいいのかしら? 聖賢……それと応報も』
『ああ。おはよう、再生』
『ふぁ……あ……おはようございます〜、再生〜』
と、神剣の三人(?)も簡単な挨拶を済ます。
「とりあえず、もうみんな集まってるから早く行こう、オルファ」
「うん……」
そう言って、片手に空也を引きずり、片手でオルファの手を引いて、この場から退散。
「おはよう、オルファ。今日もまた、よく寝ていたんですね」
「ん。おはよう、オルファ」
「おはようございます、オルファ殿」
「おはよ〜……」
と、いまだに眠気の抜けない声のまま、オルファは食器を並べるエスペリア、
そして食事を待つアセリアとウルカに挨拶をした。
自分の席に着くと、オルファはもう一度、大きな欠伸をする。
明人も続いて席に近づくと――
「あ――ッ!」
「ッ! う……」
ウルカと目が合ってしまい、思わず視線をそらしてしまう。
さすがに今朝のこともある。
ウルカって意外と大胆違う違う違う今はそんなことではない。
それにしても空也ってまた記憶潰されてるな。スッカリオルファの半裸姿も忘れ――
だから、違うって。
「ウルカさん、アキト様、どうかしたのですか?」
「あっ、いや! な、なんでもないよ、エスペリア」
エスペリアに突っ込まれて慌てる自分が恥ずかしい。
自分でもわかるほど顔を真っ赤に染めている。
ちなみに空也くん、あのあと「なんでオレ、ここにいるんだっけ?」と言い、
不思議そうな表情でこの館から出て行った。
そんなサブ情報は置いておいて。
その間にも、着々と朝食はアセリアの胃のなかに収まっていっているのだ。
「ん……やっぱりエスペリアの料理……美味しい……♪」
やんわりと笑みを浮かべ、嚥下と同時にそう言い放つアセリア。
「あら、ありがとうね、アセリア♪」
アセリアの言葉を聴いて、実に嬉しそうに返事をするエスペリア。
それを見てオルファと明人は、慌てて着席をし、エスペリアの美味しい朝食を
ほおばり始めた。
しかし朝から濃い一日だ。
空也は第四スピリット館の玄関をくぐりながら思いをはせる。
まず、記憶が曖昧なので時間の感覚がずれてしまいそうだ。
今日は朝だけで三回も気絶してしまった。記録更新だろう。
「あっ、おかえりなさいクウヤさん。それにおはようございます」
「おう、ただいま。ミリア。ついでにおはよう」
そんな空也をまず出迎えてくれたのが、割烹着と三角巾を装備したミリアだ。
「あっ、クーヤ。おかえりー。どこいってたのー?」
「ちょっと体動かしにな」
続いて、アリアがメイド服でお出迎え。
手には、まだ何も入っていない白いスープ皿。どうやらミリアのお手伝いらしい。
「ただいまー」
「ただいまですー」
と、そこに二つの声が空也の後ろから聞こえてきた。
声からして、美紗とセリスだろう。
まもなく、二人の姿が現れる。
「あっ、おかえりなさい。もうちょっとまっててくださいね。すぐに準備終わりますから」
意外かもしれないが、この館の家事はミリアに一存されている。
洗濯や食後の後片付けなどは他のメンバーもお手伝いに借り出されるが、
基本的にはミリアがすべてを仕切っている。
「ミリアお姉ちゃん、スープお皿に移しとくね!」
「あっ、ありがと、アーちゃん」
「ミリア姉さん、パン、運んでおきますね」
「お願い、クーちゃん。ついでにアーちゃんと一緒にスープもお願い」
「ああ、それはあたしがやっとくよ、ミリアの姉貴。食器も並べ終わったことだしな」
ミリアに仕切られて着々と準備が進む中、一人取り残された感のある空也は、
「う〜ん、やっぱりスピリットってのは、エプロンドレスが似合うものなのかねぇ」
「カグヤちゃんサンキュ〜♪ クウヤさんは変な色目を使わずちゃっちゃと
手伝ってくださいな」
とか茶化してみるものの軽く流され、手伝いを強制される。
「はいクーヤ。これお願いね」
「……はい」
と言って水をアリアから手渡される。
なんか、最近自分の扱いが悪くなってきた感があるようなないような……
そんな気分を味わいながら、空也もこの朝食の準備を手伝わされることとなった。
口は、災いの元。
空也はちょっとその辺を考え直そうかと、そう思う。
一人寂しく、皿洗いをしながら。
朝食中のある一言により、空也は強制皿洗い当番を請け負うことで許しを得ていた。
「よう、大将。ちゃんとやってるかい?」
そこに、微妙に似合うメイド服姿で笑顔を浮かべたカグヤがやってきた。
「……やらなきゃオレは夕飯抜きなんだろ? カグヤ」
「だろうな。ミリアの姉貴は言ったことはちゃんと実行すっからな」
そう言って、おもむろに空也の横に並び、汚れたお皿の浮かぶ桶の中に手を入れる。
「一人じゃ大変だろうから、手伝ってやるよ。このあと予定があるんだろ?」
「まあ、な。だけどお前、いいのか」
話す間も手は動かす二人。
「別に。まあ、なんだかんだで自主トレぐらいしかやるこたぁないからね……」
「もったいねえな」
「……は?」
空也の唐突なセリフに、カグヤは間の抜けた声を上げる。
そんなカグヤを尻目に、空也は続けた。
「まあ、力を伸ばすのは悪いことじゃねえ。だけどな、せっかくいいもん持ってるのに、
それだけなんてもったいねえなって思ったんだよ」
「な、なんだよ……その、いいもん、って」
「ん? なんだ、気付いてないのか? お前、かなり美人だと思うぜ。オレ的にはよ」
『うわっ……空也さん、そのセリフ女ったらしの言うセリフですよぉ』
まったく、『応報』の言うとおりだ。
そんな美紗がもしも、この場にいたらハリセン一閃、空也は返事がないただの屍に
なっていただろうセリフを投げかけられ、カグヤは顔を真っ赤にして俯く。
慣れていないのか、本気で初々しい反応である。
「……に、言ってんだよ大将ッ! か、からかうんじゃねえよ! あたしには剣しか……」
微かに聞こえる、少し沈んだ声。
「と、とにかくいきなり変なこと言うんじゃねえよッ!」
また口が災いした。
カグヤはそうはき捨てると、汚れた水を空也にぶちまけてこの場を去っていった。
しかし、ちょっと気になることもある。
「……なあ、『応報』……今のカグヤ、ちょっち変じゃなかったか?」
『そういわれると、なーんか元気なさそうでしたねぇ。それよりも空也さん』
「なんだ?」
『風邪はひきませんけど、寒くありません? 身も、心も』
「なあ、エスペリア。一つ、訊いていいか?」
「なんでしょうか? アキト様」
空也とは打って変わって、穏やかな食後を過ごしている明人。
その空也との約束にも、少しだけ時間がある。
エスペリアの淹れてくれたハーブティを楽しみながら、明人は今朝の人物について
少し訊くつもりだった。
ちなみに他のみんなは、アセリアは訓練場へ。オルファは目が覚めたのかハクゥテと
遊んでくるといって出かけ、ウルカは……確か街へ出かけるといっていた。
真美は、今朝から姿を見ていない。故になにをしているかわからない恐ろしさがある。
「ミュラー、って名前に聞き覚えないか?」
「ミュラー……え? なんで、ですか?」
「知ってるのか?」
「はい。ミュラー・セフィス。剣の扱いにおいては大陸一の腕前と謳われ、
またの名前を『剣聖』。そしてその容姿は美しいが、何十年も前からその容姿は
変わっていないといわれています、生きた伝説ですが……あっ、確かレスティーナ様に
伺ったとき、ラキオスに訓練士として協力してくれているといっていました」
なるほど。
納得できる説明だった。
「……そうだったのか」
「? アキト様?」
「いや、なんでもな――」
「何かありましたら、言ってくださいね。わたしでよければ幾らでも相談に乗りますので」
やんわりとした、すべてを包む暖かい笑みを向けてくるエスペリアに言葉を遮られる。
なんか、どんな隠し事をしても見透かされそうなような気がする。
「……ありがとな、エスペリア。いつもいつも、俺、ダメだな。心配かけて」
「そんなことありません。わたしはアキト様のためなら、どんな苦労も厭わないですから」
思わず抱きしめたくなるほど、エスペリアを愛しく感じた。
だがまあ、我らが直情的主人公高瀬明人。
「キャッ! あ、アキト……様」
頭と体が繋がっているので。
「ありがとな、エスペリア。本当にいつも、助かってる」
「あの……み、見られたら」
「大丈夫だって。他のみんなは出払って――」
「おいーっす。迎えに来たぞー」
そこにムードブレイカー、空也、推参。
またも親友の手によって桃色フィールドを完膚なきまでにぶっ壊され、
明人は再び正座で空也を向かえるはめとなったのは、いうまでもなし。
「なあ、最近節操ないだろ? お前、四人に手を出すのはさすがにまずいと思うぜ?」
『そのとおりだ。永遠、聖緑、再生、深遠……いい加減一人に決めたらどうだ? 明人よ』
『大体ですねぇ。そういう一夫多妻制みたいなのはぁ、倫理的に問題ありなんですよぉ?』
街を練り歩く明人は、説教に耳を痛めていた。
空也には本日二度目の目撃。
『聖賢』にはやることなすこと全て見透かされ。
あげく『応報』にも諭されるというなんとも情けない状態である。
と、そろそろそんな言葉達も流すことができるようになってきた頃、
見慣れた顔が二つ、視界に飛び込んでくる。
「セリア、ナナルゥ」
「あっ、アキトさん……それにクウヤさんも。奇遇ですね、こんな所で会うなんて」
「ああ、本当だな」
「……こんにちは……」
「おー。こんちは、セリア。ナナルゥ」
その二人が買い物袋を腕に抱え、ばったりと正面からかち合った。
「相変わらず、二人とも仲が良いな」
こうなったら意地でも話題を変えてやる。
明人は少々二人に申し訳ないと思いながら話題を振った。
「そう、ですか……?」
「ああ、そうだとも。まるでオレと美紗みたく熱々だぜ?」
「ありがとうございます、クウヤさん。あっ、ところでアキトさん、
マミさんがなにやら探していましたよ」
空也の茶化しもあっさりと流され、セリアは明人をしっかりと見据え、話しかける。
「へ? 真美のやつが?」
「はい。セイグリッドを探しているといっていましたけど、アキトさんの間違いかと
思いましてアキトさんも街へ向かったと一応、伝えておきましたが、あの調子だと多分、
聞いていなかったと思います」
「……あれ? 俺、セリアに街に出るって言ってなかったような」
「見かけたんですよ。ですが、向かう方向が逆だったので会わなかったと思います」
「……なあ、セリア」
「なんでしょうか? アキトさん」
「もうちょっと、軽く話してもらってもかまわないんだけどな。
ほら、ちょうどそこのナナルゥに鼻の下伸ばしてる変態みたいに」
「失礼なことを言うな我が親友よ。誰もナナルゥの胸になんて興味惹かれてないぞ?」
もう、誰かこの変態を止めてくれ。(by作者
そういうものの、目が説得力皆無だ。逃げてくれ、ナナルゥ。
「……それでは。アキトさん、ちゃんとそこの狂犬に首輪、つけておいてくださいね。
ラキオスの正規軍の評判が落ちるから。それにナナルゥに変なことを教えられても、
困るわ」
案外あっさり、明人の言葉を受け入れるセリア。
明人は内心に嬉しさを押さえ、答える。
「ああ、任せろ、セリア。そんなことは俺がさせないよ。美紗に告げ口すりゃ、
一瞬で黒こげさ」
「それは良かったです。それじゃあ、私たちはまだ買い物がありますから」
「……なあ、いい加減オレの評価を無闇に下げるような発言は止めてくれないか?」
「それでは、また……」
そんな空也の言葉を聞いてくれるものは、この場に誰一人としていなかった。
もう一つ。
この城下町に出歩いて誰もが予想していないサプライズ。
明人、空也の両名はただひたすらに、街並みに目を泳がせていた。
ミニオンとの戦いが激化していく中、久しぶりに訪れた休日。
セリア、ナナルゥ以外にも沢山のスピリット達の笑顔が、ここにはあった。
いずれ、レスティーナが統一した国ではこのような光景も普通になると、明人も空也も、
願ってやまなかった。
そんなときだった。
明人は空也と別れ、ヨフアルを買いに出かけ、空也は座って休めるベンチと飲み物の
確保に向かった矢先だった。
ポフン、と軽くぶつかる感覚が横に。
ヨフアルを買ってから一分も経っていない。
「きゃん!」
コンマ数秒遅れ、少女の声が耳に飛び込んでくる。
何事かと思い、目をその方向に向けた。
「いったたたたぁ〜……」
そこには、どうやら自分にぶつかったことにより尻餅をついてしまった少女と、
「あ、あ、あぁああああああああッ! あた、あた、あたしのヨフアルがぁああああ!」
昔、どこかで聞いたことのあるセリフ。
そして地面に散らばる焼きたての、ヨフアル。
誰とは、あえて言わない。
言わずともわかるだろう。
「……レムリア?」
黒く美しい髪を丸く纏め上げ、街娘と同じシンプルな服装。
それを見て、思わず、こっちの名前で呼んでいた。
「へ? あ、え……あ、アキト、君!? なんで!? どうして!?」
「それは俺が訊きたい……」
頭を抱え、うなだれる明人。本気で頭が痛いのは、もはや気のせいではない。
だから。今日はどんな厄日だって。
絞りたてネネの実100%ジュースを二つ持ってベンチを探していると、
『厄日というよりはぁ、水難が出てるんでしょうかねぇ?』
突如、同じくネネの実100%ジュースが空也の脳天に気持ちいいぐらい
ピンポイントで飛来し、ここにネネの実の香りを放つエターナルが一つ、完成した。
まず、順序良く物事を判断していこう。
さすがに一人で飛んでくるはずがない。
それは当然だ。
ネネの実に恨みなど与えた覚えがない。
だとしたらまず、こんなことをしてくれたやつがいるということだ。
見つけたらどうしてくれようか。
ここは一度、男としてびしっと言ってやろう。
そうだ。いい加減直角で落ちている自分の評価を戻すため、ここは一つ、びしーっと、
男らしく――いや、漢らしく決めてやろうではないか。
「すみませーん! こっちにジュース飛んできませんでしたかーッ!?」
……どうやらこの諸悪の根源は何も知らず、こっちへ向かってきてくれたようだ。
しかし今の声、どこかで聞いたことがあるようなないような……
走りよってくるのは、少女だった。
それはもう、小柄で、黒髪の似合う少女だった。
だがしかし。
空也は知っていた。この少女の容姿を。
どんな偶然だと。また、どうしてこんなところにこんな人物がいるのかと。
珍しく思考が固まってしまう。
「ごめんなさい! ほんっとーにごめんなさい! ちょっと足元の注意を怠ったとき、
手から離れちゃって――」
「そんなことはどうでもいい」
空也は少女を制する。
どうやら、いつもの護衛はいないらしい。いたら真っ先に空也の下に来て
謝っているだろう。
「なんで、こんなところにいるんだ? アズマリア」
「……へ?」
間の抜けた声とともに少女――元イースペリア王国女王、アズマリアは顔を上げ、
ようやく空也の存在を確認。
その姿、レスティーナと同じく、街娘。
「女王が城を空けるのはさすがにまずいんじゃないか?」
「だって……このヨフアルの味がわたしを呼んでるんだもん……はむ、はむ」
微妙に言い訳になっていない言い訳を、レムリアはヨフアルをほおばりながら述べる。
あのあとすぐ、レムリアの絶叫を聞きつけた野次馬に囲まれる前に広場を脱出。
そして無意識に二人は、街並みが一望できる高台へと足を進めていた。
「一人でか?」
「ううん。アズマリアも一緒に」
パーミアが頭を抱えている姿が目に浮かんだ。
どうにもこの二人のお守りは苦労が絶えないようだ。
「アキト君は? 一人?」
「いや、空也と一緒なんだが……」
ここまで言って、思い出す。
そういえば自分、連れがいたんだ。
今頃、主人の帰りを待つ忠犬のごとく待っているかもしれない。
それはさすがにかわいそうだ。
急ぎ、戻ってやらなくてはという感情が浮かんできた。
「そういえばさ、アキト君」
唐突に、レムリアが質問を投げかけてくる。
「なんで、そっちの名前で呼ぶの? 教えてないはずだけど……レムリア、って」
いい加減学習しろ、自分。空也と美紗のときの二の舞じゃないか。
無意識に飛び出していたこの呼び方を、さも当然のように続けている時点で、気づけ。
このままではレムリアもエターナルになると言い出し凄まじいステータスで、
ディスティニーフォトンとかなるものを操り、そしてそのあげく、
対HP効果1000%の殺人コロッケを――
「でも、街ではそっちで呼んでくれると嬉しいけどね。だからこれ以上追求しないよ」
にっこりと、微笑みかけるレムリア。
そこにあるのは、年相応の、輝かしく、無邪気な笑顔。
あの時最後に見せてくれた、夜空に煌く星よりも遥かに美しい、笑顔だった。
明人は気付いた。
来夢の世界と存在を護り、この世界でこの先、紡がれるであろう未来という物語を
絶やさないため以外にも、まだあったということを。
この笑顔を、忘れなかったから。
この笑顔を、護りたいと願ったから。
それ以上に、自らを犠牲にしても、この世界のことを考える少女のことが――
愛しかったからだ。
「……レムリア」
「なに? アキト君」
「アズマリアはいいのか? 放っておいて」
しばしの沈黙。
「あ〜ッ! すっかり忘れてた!」
アズマリアにちょっと同情。
まあ、自分も空也のことをすっかり忘れていたという点では、同じであるが。
「どうしよう……今頃、忠エヒグゥみたいにわたしの帰りを待っていたら……」
この世界にもそんな逸話があるのか。明人は心の中で突っ込みを入れる。
「……でも、今はアキト君と一緒にいるほうが、いいかな」
「え」
「ねえ、アキト君。運命、って信じる?」
またも唐突な質問だ。
明人の返事を聞く前に、レムリアは続けた。
それは、
「昔々に、一人の少女と一人の少年がいました。少女は街でヨフアルを買って、
少年とぶつかって弾き飛ばされ、ヨフアルを地にばら撒いてしまいました」
覚えているはずのない、
「しかし少年は心がとても優しかったのです。代わりのヨフアルを買ってきてくれました。
そして少女と少年は人目のつかない、静かで、美しい景色の場所で、
ヨフアルを食べながら楽しくお話しました」
そんな、鮮明に覚えているはずのない、
「日も暮れてきて、別れの時間です。二人はまた会えたらいいな、といって別れました」
初めて街で出会ったときの、記憶。
思いが強ければ強いほど、その記憶は残る。
空也や美紗のときに、真美から聞いたことだ。
しかし、そのときとは明らかに違う。
空也と美紗は、うっすらと、覚えていただけだった。
「わたしはね、運命って言う言葉、好きなの。だって、その少女は――
運命の人に、出会えたから」
儚げに、しかしどこか嬉しそうな表情で、レムリアは言った。
「そして、最後の約束を、その人は、守ってくれたんだよ。だから言わせて、アキト。
……よく、戻ってきてくれました。おかえりなさい、アキト」
どう答えようか、明人は悩んだ。
悩みはすぐに、解決された。
運命を信じた少女。
それにある意味、巻き込まれた形になる少年。
二人の昔話は、今も続いている。
――今、この瞬間も――
運命。
それは本当にあるのかもしれない。
だから明人は、答えるべき答えが見つかった。
「……ただいま、レスティーナ。俺は、ちゃんと約束を護ったよ」
「……? あ、あれ? わたし、さっきからなに、言って――」
「いいんだ。いいんだよ、レスティーナ」
急に、レムリア――レスティーナは動揺し始めた。
どうやら先ほどまでの言葉は、無意識に吐き出されていたのだろう。
そんなレスティーナを、明人は優しく諭す。
「またさ、ここでヨフアルを食べよう。戦いが終わったら、もう一度な」
「え……あ、うん! じゃあ、約束だよ? はい」
そういって小指を出してくるレスティーナ。
「指きり。昔教えてもらった、約束を護るっていう儀式なの。いいでしょ?」
「……ああ」
明人はしっかりと、同じく小指を絡ませる。
誠心誠意を持って、明人は応える。
この少女にとって約束は、思い出と結びつけるための、大切な――
大切な、行為だったから――
さて。
これは今世紀最後のサプライズではないのだろうか。
頭からジュースをかぶるなんていうことも十二分にそれに値するが、
「何でこんな状況にオレは陥れられているんだ」
立ち上る湯気。
そして腰にタオルを巻いてある意味全裸の自分。
空也はわけがわからなかった。
アズマリアに手を引かれ、高速で突っ込まれた場所が、空也達の世界で言える
ホテルという場所だろうか。
暖かな木製の作り。
風呂もそれにもれず、ラキオスの風呂場のような雰囲気だ。
そんなことはどうでもいい。
どうやらまた、『応報』は眠ってしまったらしく、反応を示さない。
「おっまたせー。クウヤクン」
「ッ!? あ、アズマリ――ッ」
元気いっぱいの声でアズマリア登場。
抑えることができない鼻血が空也から噴出した。
アズマリア、意外と着やせするタイプらしい。
その外見に見合わない、確かな膨らみを誇るタオルに包まれた胸部。
無邪気な笑顔がそのギャップをさらに大きくする。
「きゃあ! く、クウヤクン! 登場いきなりでそれはないと思うんだけど!?」
「……ああ、すまねぇ……」
鼻元を抑えて俯く空也。情けなさ、さらにクラスアップ。
「ホント、今回はごめんね。こんなことするつもりはなかったんだよ?」
「それはわかってるさ。だが、いきなりこういう場所は、まずいんでないかい?」
「大丈夫だよー。偽名使ってるし、レスティーナだって――……って、あぁ!」
急に声を張り上げるアズマリア。
「レスティーナそういえばヨフアル買いに行かせたままだった! どうしよう……」
「……ああ。オレもそういや、明人放っておいたままだったか……」
いきなりこんな状況に叩き落されたので、すっかり忘れてた。
このままでは、明人が忠犬のように自分のことを待ち続けてしまうのではないだろうか。
すぐさまその考えは、明人のことなので無視して帰りそう。
「あー、でも……なんだかんだでその二人、合流してそうじゃない?」
ケラケラと笑いながら、アズマリアは心配そうな表情を一転させ言い放つ。
「楽観視はできないけど、なんとなくそんなような気もしないでもないな」
「そうだよねー。あたし達、見たいにさ」
「お客さーん。痒い所はありませんかー♪」
だから。
何でこんな状況になってるんだよ。(by空也
最初は背中を流してくれるだけだったのに、いつのまにか頭も洗われている。
丁寧に奉仕してくれる姿は、ぐっと来るものがある。
多分、狙ってのことだろう。
アズマリアは、空也がエターナルになる前に好意を寄せていた。
本気で婿に貰ってあげますとも言っていた。
それにまだ、ほとんど初対面である空也にこんなことをするほど浅はかな女性では
ないはずだ。
レスティーナに負けないぐらい聡明で、国のことを何より今も愛している女王――
それが、空也の知るアズマリアという女性だった。
「こういうのって、なんか新婚さんみたいだよねー♪ 結構楽しいかも♪」
「あのよ、アズマリア」
「ん? なに? クウヤクン」
「もう、この辺にしとけ」
「え――」
アフロのように広がる泡を乗せたまま、空也はアズマリアに言い放つ。
「あくまでこれはオレの予想で、ヘタすると自惚れになるかもしれないけどな……
オレにはもう、決めたやつがいるんだよ。ずっと、隣にい続けてくれることを、
願うやつがもう、な」
アズマリアの手と、表情が固まる。
それでも、次には笑顔を作って答える。
「そう、だよね……でもクウヤクンって、正直、あたしのタイプなんだもん。
実直で、どこまでも真面目で、優しくて、面倒見がよくて、頭が切れる……
今まで見てきた男性の中で、どこをどうとっても一番なの」
最後にくれた、あのセリフとともに、アズマリアは肌を合わせてくる。
「お願い……一度きりでいいから女王じゃなくて、普通の女の子のように、させて……
今日だけでいい……今日を過ぎたらもう、こんなことしない。女王で居続けるから。
だから……だからあたしを、優しく、抱いてください……」
背中に柔らかな感触を感じながらも、空也は表情を崩さず、答える。
「ダメだな、アズマリア」
空也にしては珍しい、感情のこもった声だった。
「そんなこと、オレはできない。オレにはする資格もない。アズマリア、
答えがわかっているのに質問するのは、よくないことだぜ?」
「……ちぇ。やっぱり無理だった?」
「ああ。こう見えても、オレはすんげぇ一途なんだよ」
「うん、知ってる。ここであたしに襲い掛かってきてたら、逆に幻滅してたわよ」
離れるアズマリア。
「あたしの認めたクウヤクンは、こんな色仕掛けに引っかかるような人じゃないもんね」
桶で湯船から湯をすくい、頭からかぶるアズマリア。
水気を含み、艶やかさを増す黒い髪の下、晴れやかな笑顔で、アズマリアは言う。
「うん! 今ので未練なんかぜーんぶ洗い流しました! じゃ、先に上がってるね♪」
「……ああ」
アズマリアが退出するのを確認して、空也は盛大に、鼻血をぶっ放した。
理性限界。それが決壊した結果だった。
ああ、これさえなければ空也の株はどーんど上がったはずなのに。
「なあ、空也」
「なんだ? 明人」
「今日はお前と連帯行動が多いが、今一番、お前の顔に血の気がない。というか、青いぞ」
それぞれレスティーナ、アズマリアと別れたあと神剣の力を使うことなく奇跡的に合流。
で、明人が空也を一目見た瞬間の感想が、それだった。
「そんなことないぜ? ……ああ、すまん。強がり。糖分くれ、糖分」
そう言って空也は明人のもつ袋に手を突っ込んだ。
抜くと、これまた奇跡的にレスティーナの魔手から逃れたヨフアルを掴んでいた。
「なにがあったかは突っ込まないよ。アズマリアと一緒だったっつうのも、美紗には
黙っといてやる」
「それはありがたい。そんな噂が立った時点で、オレはこの世界から放り出されちまう」
もさもさと空也はヨフアルを頬張る。
平和だった。どこまでも、際限なく。
人もスピリットも関係ない。
ただ、この平和がいつまでも続けばいいと願う。
この戦いが終わったあとも、ずっと、この光景が続けばいいと願う。
自分がいなくなったあとも――ずっと、ずっと――
数日後――
「かはっ!」
明人は短く、息を吐き出す。
ミュラーの握る木刀が、明人の防御の隙をつき、鳩尾を貫いたからだ。
今は劣勢だが、大分、明人はミュラーの動きに付いていけるようになっていた。
本日は今のでまだ九発目だ。
あれから毎日毎日、ミュラーと打ち込みを続けていた。
「ふむ。いい動きをするようになったじゃないか」
「……ああ。いつまでも、腐ってられないんでな。それに……護るべき相手に
護られてちゃ、世話ないんでね」
あくまでミュラーに対抗しようとする明人。
ミュラーはそれを見て、微笑む。
「いいよ。今日はもう、やめて置こうか。いや、もうこれ以上、私が教える必要はないね」
「え……あ、なんだって?」
「十分だよ。君はもう、戦える。技術が少し足りてなかっただけだからね。
でもその少しが、戦いに影響を及ぼす。それを私は埋めたかっただけだから」
外套を翻し、ミュラーは明人に背を向けた。
「自信を持て。そして、仲間を大切に思え。それが、今の君に一番の力となる」
その後ろ姿を、明人は黙って見送る。
空也はもう教えることは無いと明人よりも先に言われ、上がっている。
「やれやれ……歳はとりたくないねぇ。説教臭くなってしまうよ。でも、また君みたいに
まっすぐで純粋な子が私の力を求めてきたら、弟子にしてみるのも悪くないかもね」
そう、最後に言い残して。
「あいつ……」
剣聖と呼ばれる所以。
今ならわかる気がする。
木刀とはいえ、剣を合わせるだけで、思いが伝わってきた。
口よりも剣でものを語る。その言葉が今まで会ってきた中で一番似合う人物だった。
自然と、明人は礼をしていた。
『これからの戦い……ミュラー殿に教えていただいた経験が生かされるであろう。
今のお前の行動は正しいぞ。明人よ』
『聖賢』は最初からわかっていたらしい。
むしろ明人は、初日の浅はかさを痛感する。
初めから、ミュラーは自分達に期待していた。
だからこそ、戒めた。
「……まだまだ未熟だな、俺……」
『そう思えるのであれば、まだよい。慢心することなく、これからも精進に励むことだ』
「ああ、わかってる。わかってるよ、『聖賢』」
「カグヤさんの様子ですか?」
「ああ。ちょっと、気になってな」
空也は久方ぶりにのほほんとくつろいでいた。
そして、ハーブティを淹れてくれたクォーリンにここ数日、気になっている
疑問を投げかけた。
最近、カグヤの様子がちょっとおかしいのだ。
いや、いつもどおりといえばいつもどおりなのだが、時折、そう、戦いの話しになると、
気が滅入っているように見える。
「……クウヤさんに気付いてもらえてよかったです」
「は? なんで?」
「カグヤさん、今、スランプなんです。それに加えて、その……クリスさんと
手合わせしたときあしらわれて、ずっと辛そうなんです……」
なるほど。
人一倍、真剣勝負にこだわるカグヤ。
神剣の力を抜いて、ただ純粋に剣の腕前を評価すれば、旧マロリガン四人の中でも
群を抜いているといえる。
「そうだったのか……それよりもあいつが?」
「はい。私、見ていたんですけど……神剣の力を抜きにして、クリスさんの戦闘能力は、
すばらしいです。私なんか、足元にも及びません……対抗できるとしたら、
クウヤさんをを含めたエターナルの皆さん……あとは、セイグリッドさんぐらいでは
ないでしょうか。神剣の力を使えばミリア姉さんとか、ヒミカさんとか
ファーレーンさんもすばらしい戦闘力を持っていますね」
単純な戦闘能力は、どうやらクリスがスピリットの中では一番と遠まわしに述べた。
「そっか。だからあいつ、あんなに落ち込んでいたのか。……と、ちょっとまて」
「なんですか?」
「それはわかった。けど、オレに気付かれてよかった、には繋がらないだろ」
はあ、とため息を大きくつくクォーリン。
「……ほんっとに、男の方ってこういうのに鈍感なんですかね……
ミサさんがいなかったらどうなっていたことか……」
「? だから、なんなんだよ」
「私の口からいうのも気が引けますがね。カグヤさん、クウヤさんのこと、
好きなんですよ。確実に」
「へ?」
「伝えちゃいましたから。あとはご自分でどうにかしてみてくださいね」
というわけで。
「大将、あんた、こんな所で油売ってていいのかい?」
「いーんだよ。別に敵襲があるわけでもなしに」
空也とカグヤは肩を並べ、城下町を散策していた。
別にもう、スピリットがこの場にいることに違和感などない。
むしろ最近は、その数が増えている傾向にある。
マロリガンで保護したスピリット、サーギオスで保護したスピリットの中でも
戦いを嫌ってしまった精神の幼いスピリット達をよく見かける。
「いや、なんだ、その……大将の隣があたしなんて、不釣合いじゃないのかい?」
なんともかわいい事を言ってくれる。
「なに変なこといってんだよ。よーく周りを見てみろ」
「あ?」
言われ、キョロキョロと周りを見渡すカグヤ。
別になにも考えず、普通に歩いているつもりなのに、やたらと視線が交わる。
「な? みんな、お前のこと見てんだろ?」
「はぁ?」
「だから、この前言ったじゃねえか。お前は自分が思ってる以上に美人なんだよ」
ポン、と顔を真っ赤に染まりあがるカグヤ。
「ば、ばばばば馬鹿言ってんじゃないよ! こ、これは全部大将見てただけだ!」
とても気持ち悪いことを言ってくれた。
視線が交わったほとんどが男だというのに。
「……クォーリンから聞いたぜ。お前、クリスに負けたんだってな」
「ッ! っのヤロ……なんで」
「いいじゃねえか、別に。お前の生きる道は、一つじゃないんだから。
ほれ、周りを見てみろよ」
「うるせぇよ! てめぇにわかるのかよあたしの気持ちが! あたしは剣だけに
生きていたんだ! それがこのざまだ! その気持ちが、わかるのかよ!」
声を荒上げるカグヤ。
しかし空也は、いたって冷静だった。
「ああ、わかるさ。何やっても勝てない奴ってのは、世の中に入るんだよ」
――そう……結局の所、まだ、あいつに完全に勝てたわけじゃない。
空也の脳裏に、明人の顔が浮かんだ。
美紗の中に、微かに残っているであろう、明人への恋愛感情。
それを忘れろと、強要することなどしない。
いつか自分がそれすらの握りつぶして、美紗の心をこっちに向けなければ。
しかし今は、
「勝てる気がしないんだよ、本当にな……」
「……大将……」
空也の気持ちを悟ったか。
激情が引いていくカグヤ。
そのタイミングだった。
街の入り口付近からだろうか。
マナの流動が感じられる。
それは微かのものだった。まるで、神剣魔法の出来損ないのような。
しかしもう一つ、確かなものも感じられる。
エターナルだ。しかも、よりにもよって、あいつだ。
放っておくわけにいかない。
空也とカグヤは、急いで進行方向を定め、走り抜けた。
「ちっ、胸くそ悪いんだよ」
その男は、一瞬で『敵』と判断されていた。
すでに男の容姿はラキオスのスピリットに伝えられていた。
戦えなくても、もし見かけたら、報告をしてくれと伝えられていた。
「こんなみみっちい炎で、俺様が止まるとでも思ってたのか?」
「あ……」
震える少女に近づく男。
その少女は、戦いを嫌ったスピリットの一人だった。
神剣とは一心同体なのでいつも一緒に行動していた。
そして、男に出会った。
消えかけた勇気を振り絞って、少女は男に対して攻撃を加えた。
「邪魔だ。どけ」
「いや……」
目の前に立つ男が、その視線だけで射殺されそうな睨みを利かしてくる。
しかし、少女は引くことはなかった。
「誰もお前の意見なんか聞いてねぇんだ。俺様がどけと言ってるんだ。だからどけ」
「いや……ッ!」
「……んだてめぇ、そんなに死にたいのか?」
「あうッ!」
男は少女の頭を掴み、そのまま持ち上げる。
「いいか? スピリットのお前がエターナルの俺に勝てる要素なんてねぇんだよ。
……潰すぞ? その頭」
「いや……いやいやいやッ!」
「……ちッ!」
「きゃん!?」
舌打ちをして、少女を小脇に投げ捨てる男。
「……なんでだよ? お前、怖くないのか? 自分が死ぬかもしれないんだぞ」
「だって……このままあなたを通したら……街の人が、殺されちゃうから……ッ!
スピリットの私達に優しくしてくれた人達は……殺されたくないから……ッ!」
また立ち上がり、少女は神剣を構えた。
すでにその手も震えている。
今、少女を駆り立てているのは、差別なく接してくれた、ラキオスの城下町の
人々に対する、思いのみ。
「だから、私はあなたを通したくない! 通りたかったら、私をマナに還してからに
してください!」
「……ああ、そうかい。そんなことのためにお前は立ち上がってきたのか」
籠手型の永遠神剣第三位『再来』の力を発動させる男――レイジス。
少女に近づき、そして――
「だったら一回、死んでみるか?」
「ッ! けふ――ッ」
少女の腹部に、拳を突き立てた。
短く息を吐き出しつつ、目を見開いた少女から嫌な音が聞こえてくる。
「あぐぅ……げぇ……うぁあああ……あぁ……ッ」
腹部を押さえながら、少女はその場にうずくまり、口から血を吐き出し、
目じりに涙を浮かべながら今度こそ、動けなくなった。
「俺は弱い者苛めは嫌いなんだ。だが、お前は俺の前に立ちはだかるといった。
その度胸は認めてやる。お前を、一人の戦士としてな」
見下ろし、そして振り返るレイジス。
「殺すのだけは勘弁してやるよ。俺が用があるのは、とりあえず王族の連中だけだ。
てめえの大切な街人には手はださねぇ――ッ」
その片足が、小さなものに掴まれた。
少女は口から血を吐き続けながらも、レイジスを止めていた。
「おね……女王様は……やめ……ッ! お願い……ッ」
血液で喉が詰まっているのか。上手く少女は声を放つことができない。
一応、レイジスは加減をしていた。他のスピリットに発見されるまでは持つ程度に。
ロウ・エターナルの中でも珍しく人間らしい感情を持つレイジス。
自分より弱い相手に対して本気を出すことはない。
まして相手はスピリットだ。
ある程度情報として知っていたが、虐げられていたスピリットを救ったのは
この国の女王だという。
随分と、その女王はスピリットに慕われているようだった。
「くそッ! たまに自分の性格が嫌になるぜ……」
レイジスは先ほどと打って変わって、優しく少女の手を包み、はがす。
そして少女の腹部に手を当てる。
「あうぅ……ッ!」
少女は激痛で表情を歪ました。
肋骨がほとんど落ちている。そして折れたものが内臓を突き刺している。
手加減の仕方を、どうやら間違えたようだ。
レイジスの手に光が灯る。
それに呼応して、少女の腹部から痛みが引いていく。
「あ……え……あの、これは……」
「勘違いすんな。俺は、てめえみたいな弱い存在を痛めつけるのは趣味じゃないんだよ」
あらかた回復がすむと、レイジスは立ち上がり、再び街中へ向かう。
「あの!」
「……なんだよ。俺は、エターナルだけを潰しに来ただけだ。履き違えんなよ」
「……応急処置だかんな。さっさとお仲間のところにでも連れて行ってやれ」
レイジスは誰とは言わず、声を上げた。
物陰に、動く影が二つ。
「カグヤ、あの娘を頼む」
「ああ、わかってる」
ブラックスピリット――カグヤが少女のいる方向へとハイロゥを羽ばたかせる。
「一番見られたくないやつに見られちまったな」
「だが、お前はウチの隊員を傷つけたことには変わりない。手加減は、してやれねえぜ?」
『応報』を手元に出現させ、構える空也。
「……場所、変えるぞ」
「ほー。あの娘との約束かい?」
「んなもんじゃねえよ! ここだと力が発揮しにくいだけだ。行くぞ、コラ」
「この辺でいいか」
ラキオスから少し南下し、バーンライトに近い荒野に、二人は移動していた。
遮蔽物もほとんどなく、ただ実力のみが試されるのにうってつけの場所といえよう。
「ああ。ようやく、てめぇとマジでやれる……ッ!」
両手に装備した『再来』に炎が灯る。
空也もそれに便乗し、戦闘モードに移行する。
空也の周りに強く、風塵が巻き起こった。
「オレはそんな面倒なこと、正直やりたくないんだがな」
「なんだ? じゃあ今からお前の大切なスピリット全員潰しに行ってもいいんだぞ?」
「そんなことできるのか? って聞き返してみてもいいか?」
少しレイジスは考え、そして――
「……さあ、楽しもうぜぇッ!」
ごまかし、突っ込んできた。
どうにもこのレイジスという男、ただの戦闘狂ではないらしい。
レイジスの拳と空也の棒が重なる。
レイジスは受けられた瞬間、反対の手でさらに追撃をする。
空也は『応報』を器用に操り、それも完全に受ける。
「しょっぱなから飛ばしてるな……ッ」
「お前を潰しにきたっつうのは嘘じゃないんでな」
至近に見えるレイジスの表情は、それはそれは楽しそうだった。
瞳孔が収縮し、狂喜に満ちた瞳は先ほどの感情が嘘のようだ。
レイジスの拳に灯る炎が勢いを増した。
「いくぜぇ! 焦熱のぉ……ッ!」
そのマナのたまり方は異常だった。
とっさに空也は、身を風の防壁により包み込む。
「発破ぁッ!」
「――ッ!」
たまったマナが爆炎となって破裂する。
その衝撃は空也という質量を軽々と吹き飛ばし、地面に叩きつける。
しかし空也は、風の防壁が守ってくれたおかげで外傷はほとんどない。
立ち上る煙をかき分け、レイジスが突貫してくる。
右の一撃を受け流し、左のバックナックルを避ける。
コンビネーションを避けきったところで今度は空也のターンだ。
『応報の形状である棒のリーチを生かし、回避運動そのままにレイジスに攻撃を加える。
レイジスはそれを見ることなく避ける。
避けられるのは大体予想が付いていた。
続けて空也は『応報』をレイジスの側面から叩きつける。
もちろんこんな攻撃に反応できないはずがない。
受け、そして弾き飛ばすレイジス。
その勢いを乗せたまま、空也は自らの背後に『応報』を回し、半回転しながら
レイジスの額を狙う。
さすがにこれは予想外の攻撃だった。
慌てて首を横にずらし、緊急回避。
そして強引に、間合いを詰める。
「おるぁあああああああッ!」
レイジスの強打。
しかし、
(ミュラーのやつより、弾道が素直すぎるな……ッ!)
まっすぐすぎだ。
よほど自分の力に自信があるのだろうが、空也も防御に関しては負けていない。
オーラフォトンに加え、風の障壁も用いてその攻撃を真っ向から受け止める。
かざされる『応報』。
その数センチ先で引き止められる『再来』。
場は、硬直したかに思えた。
何かが超高速で近づいてくる。
その数は単騎。
空也にはよく知った気配だ。
なにが起きた。あのじゃじゃ馬姫に。
なんであいつがこの場にやってくる必然性があるのだ。
雷のような進行。いや、もうそれすら生ぬるい速度だ。
すぐに姿が見える。
砂煙と紫電を舞い上がらせ、そして彼女は足をぐっと踏み込み、天へと舞い上がった。
「マナよ、小さき雷となれッ!」
標的は――二人。
『依存』を装着した両手の中に、マナの塊が出現した。
「ライトニング・ブラストッ!」
「ちょっとまて美紗まだオレここにいる――ちっ、『応報』ッ! 構うな、全部包んでくれ」
『この人もですかぁ?』
「そうだよ! おいレイジスッ! 黒焦げになりたくなかったら防御壁展開しろ!」
「な――てめッ! 俺に指図してんじゃ」
「黙ってオレの指示に従え戦闘狂ッ!」
「あいつが出たんだって!? だったらパーサイドもいるんでしょ!
さあ、決着つけようじゃないのッ!」
そんな理由で来たのか我らがじゃじゃ馬姫――『紫電』の美紗よ。
「……今回はお前一人だろ?」
「あのクソ生意気な女は連れてきてねえよ」
レイジスの綺麗な銀髪が少しこげ、縮れている。
しかし空也の機転により、お互いの身は無事だった。
「だけど、何で俺を守ったりしたんだよ、おい。あのまま放って置きゃ、
俺を潰せたかもしれなかったんだぜ」
すでにお互い戦意はなかった。
なかなかなバッドタイミングで来てくれたものだ。
「ウチの隊員を傷つけたつっても、命まではとらなかった。むしろ助けてくれたな。
だから、今のでチャラっつうことでいいだろ」
「……ケッ、後々、その言葉、後悔することになるぜ」
「そんなことはないぞ。どーせお前達はオレと美紗の手によってやられるんだからな」
と、いつのまにか隣まで来ていた美紗の肩をグッと引き寄せる。
「ッ! ちょ、なにいきなりやってくれてんのよッ!」
――ボグズゥッ――
だから、およそハリセンで出せる音じゃない音を出しちゃいけませんって。
「……俺と戦う前に、その女に殺されたってオチはなしだぞ」
「大丈夫よこれでも一応、手加減してんだから」
黙らされた空也に代わって、美紗がどこまで真実か怪しい言い訳を述べた。
「それよか、あいつにちゃんと伝えといてね。正面から叩き潰してあげるから、
覚悟しといてって」
「ああ、はいはいわかったわかった。……あと、最後に教えといてやる。
もうすぐあのテムオリンが本格的に動く。決着のときだ」
レイジスは最後にそう言って、爆炎の中に消えた。
それは、何の変哲もない、戦いを忘れた日々だった。
しかし、均衡はすでに音を立てて軋み始めていた。
一人のスピリットがラキオスへ帰路についている。
その足は、速い。
自身も深手を負っているにもかかわらず、翼を羽ばたかせ、向かう。
誰でもいい。
誰でもいいから、早くこの事実を伝えなければ。
「お願い……お願いだから持ってよ……ッ! フェイト……アイラ……ッ!」
あの二人に託されたクリスは、全力を持って、自分の軍に在籍しているエターナルに
伝えなければ。
エーテルジャンプを起動させる暇もなかったが、戦況が硬直している中、
敵に遭遇することもなく向かうことができた。
距離も、もう数時間も掛からないだろう。
それまで、自分の体が持てば、だが。
いや、持たしてみせる。
それがあの二人と、一緒にサーギオスの巡回に向かったほかのスピリット達に
報うことができる唯一の手段だ。
「やぁあああああ……ッ!」
「くッ!?」
アセリアの『永遠』を『聖賢』で受け止める明人。
その一撃が来るたびに、防御を弾き飛ばされる。
しかし、
(ミュラーよりは、軽いッ!)
丁寧な攻めだった。
故に、隙が見出せる。
明人は強引に『永遠』を後ろに受け流し、間合いを一歩踏み込んだ所にもっていく。
「ッ!」
アセリアは珍しく、虚をつかれた表情をする。
が、すぐにいつもの表情に戻った。むしろ、微笑んでいる。
「と――」
「ってない……アキト」
『まだ一歩、足りぬな』
アセリアと『聖賢』から、敗北を告げる一言。
ハイロゥを使って急加速。明人の『聖賢』がアセリアの残像を切った。
そのまま前のめりにバランスを崩す。
『ハイロゥを使わない、ってルールはなかったわよね』
『情けない……この程度の手に引っかかるとは、まだまだよのぅ』
これにて勝負あり。アセリアの『永遠』の切っ先が明人を、捕らえ。
『これで私の勝ち越しは決まったも同然ね。さっ、賭けマナを出して頂戴。聖賢』
『むぅ……やはり、明人を信じた我が無謀であったか』
「ちょっとまて。俺とアセリアの特訓でなにを賭けてるんだよ、お前ら」
『冗談だ。この程度でいちいち取り乱すな。人間としての器が知れるぞ、明人よ』
悪質な冗談だった。
「アキト……もう一回……」
そんなやり取りを微笑ましく(?)見守っていたアセリアが促す。
「あ、ああ……わかったよ、アセリア」
お互い、もう一度『聖賢』と『永遠』を握りなおす明人とアセリア。
明人は今、アセリアに付き合って神剣のとの同調率を上げるため、特訓中。
アセリアの見つけた少し力を落としてみると、同調率が上がるという方法で
今は模擬戦闘を繰り返している。
ちなみに戦績は、今ので十二戦三勝九敗。
見事なまでに、明人の負け越しである。
アセリアはやはり、強い。
しかしまるで歯が立たなかったあの頃よりは、自分も力をつけてきているのだろう。
「ん……きて、アキト……」
「ああ、いかせて貰うぜ。アセリア」
「まってください!」
二人しかいないはずの訓練場に響く声。
その声の主は――
「クリス――ッ! お前、どうしたんだ!?」
傷だらけだった。
明人達の姿を確認して安心したのか、その場に崩れるクリス。
駆け寄り、その体を静かに抱き上げる。
力なく半開きとなった瞳が、明人を捉えた。
「アキトさん……今すぐ、サーギオスに……ッ! 敵、エターナルが……先日……」
「……わかった。アセリア、クリスをエスペリアのところに連れて行ってくれ」
「うん。アキトは?」
「俺はエーテルジャンプですぐにサーギオスに向かう。エターナル相手だ。
いくららフェイト達でも、持たない」
「あたし達も、すぐに行く……無茶は、しないで……」
「ああ、わかってる」
「ふっ……スピリットの分際でよくやる。なかなか愉快だぞ」
金色の霧が、辺りに立ち上る。
まだやられてはいないスピリット達の傷口から、流れ出たものだった。
その中心に、立っている三つの人影。
一人は厳つい顔つきに、鍛え抜かれた筋肉に、褐色の肌。
鋭い眼光は目前に唯一立っている二人のスピリットを見据え、放さない。
「これでもあたし達、精鋭なのよ。あんたなんかに負けてたまるもんですか」
「……物理的に無理でも、私がひっくり返して見せますよ。あなたの好きにはさせません」
そう強がって見せるフェイトとアイラ。
強がって見せるものの、状況は芳しくない。
むしろ、最悪だ。
勝てる見込みのない戦い。しかし戦わなくてはならない状況。
さらに傷ついた仲間のためにも、早期に決めなくてはいけない。
このエターナル――確か最初に、律儀にもタキオスと名乗っていた。
タキオスは次元が一つ、二つでは事足りないほど高次元の存在。
やはり、エターナルという存在は、バケモノ並みの戦闘能力だ。
「ひっくり返すとは……これまた面白いことをいってくれる」
「まあ、ほどほどにやりますよ。自分の能力以上のことをしようとしても、
無駄なことですからね。だから私にあまり期待しないでください」
そう言って、フェイトを一瞥するアイラ。
仕掛けます、とその青い瞳が語っていた。
「絶氷の剣……『氷河』、行きますよ」
ウィングハイロゥが、エーテルの粒子を散布し、アイラの体を持ち上げる。
「あなた、次には倒れています。ああ、冗談ではなく、私の技、氷陣刃で」
アイラの神剣『氷河』に青いものが薄っすらと浮かび上がる。
「いいだろう。どれ、その一撃とやらを受けてやろうではないか」
タキオスは絶対的余裕からだろうか。
どうやらタキオスから仕掛けてくるつもりはないらしい。
「見事、我が絶対防御を抜いてみせよ」
「……後悔しても」
アイラが構え、そして空中を滑るように突進していく。
刹那の勢いで間合いを詰めた。
技の射程内に捕らえる。
タキオスは防御をするそぶりは見せない。
……その余裕が命取りになることを、今教えてやる。
アイラは心の中でそう言っていた。
「知りませんからね。……凍れッ!」
突き立てる刃が氷河のごとき冷たさを持つ。
これはブルースピリット特有の神剣魔法、エーテルシンクのキャンセル効果を含ませた、
アイラの得意技の一つである。
氷の刃がタキオスの盛り上がった筋肉に突き刺さ――
「ッ!?」
らない。
見えない壁によって止められていた。
「どうした? 我を倒すのではなかったのか? 妖精よ」
「そんな余裕、見せてられるの?」
アイラが止められたその瞬間、フェイトが波状攻撃に掛かる。
「エア……スマッシュッ!」
フェイトの持つ『樹林』の切っ先に、緑マナが集中する。
それを加速度にのして、一気に目標へと走らせる。
しかし――その攻撃をもってしても、タキオスの体に傷をつけることができない。
「ふむ……貧弱な攻撃だ。その程度の攻撃ではいくら当てても、俺は倒せんぞ?
ふんッ!」
タキオスが気合一声。
衝撃波が二人を吹き飛ばす。
「さて。では、今度はこちらからいかせてもらおうか」
黒いオーラフォトンが、タキオスの周りに集結する。
「せめてこの一撃は耐えて見せろ。さあ」
丸太のような太い腕が、アイラに狙いを定める。
それに気付いたフェイトが、間に割ってはいる。
「行くぞぉおッ!」
放たれる球体のようなもの。
「きゃ――ッ!?」
フェイトは防御壁を展開させるが、見えない何かで拘束される。
「大隊長ッ!」
「あうぅ……ッ! くぅ……ッ!」
フェイトは痛ましいまでの圧力を感じつつも、耐えた。
そこに、さらに追い討ちがかかる。
アイラは反応できなかった。
フェイトはかろうじて、反応できた。
「空間ごと貴様断つ。これに、耐えれるかぁ!」
その巨体に似合わない俊敏な動きで、タキオスはフェイトの目前に、いた。
巨大な鉈のような神剣を振り上げ、そして、本当に空間ごと断ち切ってしまいそうな
豪速で振りぬく。
「ッ! きゃぁあああああッ!」
フェイトの防御壁が、粉々に打ち砕かれた。
それでも防げない衝撃波が、フェイトの体を切り刻む。
背後に飛ばされ、庇ったはずのアイラをも巻き込み吹っ飛ばされる。
「……ふむ。少々、加減を間違えたか」
ドン、とタキオスは巨大な凶器を振り下ろす。
「ケホッ、ケホッ! だ、大隊長……すみません、私が油断して」
「気に、しないで……くぅ……ッ!」
「ッ! 大隊長……今ので肋骨、折れていますね」
「……大丈夫よ。それよりもアイラちゃん、あれ、あいつにかましてやるから時間作って」
わき腹を押さえ、フェイトは立ち上がる。
「あれって……――ッ! まさか大隊長! 無理です! その体で――ああ、もう!
言っても聞かないんですよね」
続けてアイラも、苦い表情を作りながら腰を上げた。
「ほう。まだ、立ち上がるか」
「ええ。まだ、勝機はあるから、ね」
フェイトの台詞を聞いて、タキオスは実に愉快そうに笑った。
「面白い事を言う妖精だ。いや、実にいい。実に消すのが惜しい妖精達だ」
一通り笑うと、タキオスから尋常なまでの殺気が放たれる。
「ならばその勝機とやらで、俺を、見事に打ち倒して見せよッ!」
爆風のような突進。
フェイト、アイラはお互い左右に素早く分散し、迎え撃つ。
「あなたの相手は、私がして上げます。さっ、かかってきてください」
「蒼い妖精よ。自らを死に招くとは……面白い。やってやろうではないか」
(大隊長……無茶はしないでくださいよ……私なら、どうなってもいいですから)
タキオスが暴風のような斬撃を繰り出してくる。
パターンさえ読めれば……いや、遊ばれている。
どうやらこのタキオスという男、フェイトにただならぬ期待を向けているようだ。
「どうした? 逃げ回るだけか?」
「ええ。あなた相手にまともな攻撃が通るとは思えないので」
上体を深く沈め、ギリギリで斬撃をアイラはかわす。
「ですが、大隊長は別ですよ。あの人は、まともじゃないですから」
「なに?」
「オッケー、アイラちゃん!」
アイラとの会話に気をとられていたタキオスに、片手に緑色のマナの塊を
もったフェイトが迫る。
「もう一段、加速ぅッ!」
これはタキオスも意外だった。
まさかグリーンスピリットの得意とする風を操る術を持って、
ウィングハイロゥ顔負けの加速をして見せるとは思っても見なかった。
一気に懐に入られる。
「破壊の脈動……ッ! 弾けてッ! デストロイ・プライヤーッ!」
緑に光る球体を、タキオスの神剣を握る腕に押し付ける。
それはタキオスの体内に吸収され、やがて消滅した。
「あぐ――ッ!」
「大隊長ッ!」
瞬間、フェイトの腹部に強烈な一撃。
タキオスが反対の腕でフェイトを、思い切り吹き飛ばしたのだ。
慌ててアイラが落下点に先回りし、受け止める。
「あっく――ッ! あぁあああ……ッ」
しかし落下の衝撃で、肋骨をさらに刺激してしまう。
フェイトに激痛が襲い掛かった。
「……これが貴様らの言う、まともではない攻撃? ……まったく、期待外れにも
ほどがある」
フェイトとアイラは戦慄を覚えた。
段違いの力が、タキオスから放たれている。
「消えろ。儚い妖精達よ」
気付けばほとんど、距離はゼロだった。
ああ、殺られた。
二人に確実な『死』が訪れるのはもはや、必然だった。
覚悟を決め、瞳を閉じるフェイトとアイラ。
しかし、いつまでたってもそれはやってこない。
代わりに響く、
――ギィンッ――
という金属音。
「二人とも、大丈夫か!」
その声を聞いて、フェイトは、その人物に惚れ直した。
アイラは、無事にクリスがたどり着けたことを喜んだ。
「ぬぅ……貴様は……ッ!」
「『聖賢』ッ! 押し返せッ!」
弾き飛ばされ、本日初めてバランスを崩すタキオス。
白刃を振りかざし『聖賢』の主――『聖賢者明人』はそれを追う。
「いくぞッ!」
『聖賢』を肩に担ぐようにして、明人は地を滑走する。
たちまちに、タキオスを射程内に捕らえた。
振り下ろされる『聖賢』。
だが、タキオスもただやられてばかりではない。
タキオスは自らの巨大な永遠神剣『無我』をもってして受け止める。
そして力に任せ、明人を弾き返した。
「面白いやつが出てきた……貴様、名は? 俺は、永遠神剣第三位『無我』が主……
『漆黒の刃』タキオスだ」
「……俺は、明人。『聖賢者明人』だ」
言いつつ、『聖賢』を握りなおす明人。
ここにくるまで、力の変動を感じ取ってはいたが、今でも本気ではないだろう。
それでも、十分、スピリットでは対抗できない力だ。
本当に、間に合ってよかったと思う。
「アキト……ふむ。貴様の名、覚えたぞ。さあ、聖賢者よ」
さらに力が膨れる。
『明人よ……第三位とて油断をするな。これほどまで成熟した力を持つものはそういない。
すでに、ヘタな第二位の担い手以上の力を持っているであろう』
そのヘタな第二位の担い手とは、自分のことだ。
そのぐらい、いわれなくてもわかっている。
だが、足りない力は、技術でカバーしてみせる。
ミュラーに言われたこと――
自分の力に自信を持て。そして、仲間を大切に思え。
それが今の自分にとって、一番の力となる。
「俺を楽しませてくれ! いくぞぉおッ!」
「かかって来い! 漆黒の刃ッ!」
黒白のオーラがぶつかり合う。
タキオスの重さと力の両立された鋭い一撃を、明人は冷静に受け流す。
受け流した刃のまま、鋭い突き。
しかしタキオスの防壁によってそれは阻まれる。
このタキオスを覆う絶対防御のオーラは、並大抵の攻撃では打ち抜けない。
(なら、それ以上の攻撃でいってやるッ!)
踊りかかってくる巨大な刀身。
紙一重でかわしたつもりだったが、頬が薄く切り裂かれる。
さらに襲ってくる斬撃が、肩を霞め、腹部をえぐろうと寄せてくる。
しかし全て、致命傷にならないように避けた。避けきった。
攻勢がやむと、距離をとる明人。
この距離からでもわかる。隙がまったくといっていいほどない。
ただ、自然体で立っているだけというのに、すでにその姿にすら威厳を感じる。
(『聖賢』、あいつの防御を抜けるぐらいの力、出せるか?)
『任せておけ。力の調節は、我が行おう。明人は自らの手で奴の隙を付け』
なんだかんだで、頼もしい相棒だった。
「どうした? 臆病風にでも吹かれたか? 聖賢者よ」
「……まだまだぁッ!」
『聖賢』の切っ先にオーラフォトンを集中させ、刀身に手を当て安定させる明人。
その体勢のまま、再びタキオスの元へ滑走する。
今度は完全に受け手に回るタキオス。
明人は『聖賢』を振り上げ、刃を合わせた瞬間――
「今だ! 爆ぜろッ!」
「ッ! ぬぅ……ッ!」
刀身に溜めておいたオーラフォトンを炸裂させ、タキオスの目をくらませる。
そのまま明人は『聖賢』を軸にしてタキオスの背後に回り込み、
振り向きざまに一太刀を見舞う。
放ったオーラフォトンも即座に再構築させ、タキオスの絶対防御を抜くのも
たやすい威力を持たせる。
しかし、相手は自分よりも歴戦をくぐってきた猛者であった。
明人の行動を先読みし、体を半回転させ『無我』の刃を向けてくるタキオス。
両者、とっさの判断。
明人はかろうじて防御に成功し、吹き飛ばされるが距離が開いただけ。
ダメージはない。
一方のタキオスは、まだ視力が戻らないのか目元を押さえている。
「なかなかに面白い小細工だ。なるほど。『聖賢』もただの馬鹿を主に
迎えたわけではないようだな」
口元を少し緩め、回復した眼光で睨みつけてくるタキオス。
その殺気の量に、思わず身震いしてしまう。
「いいだろう。俺の本気をもってして、相手をしてやる」
マナが、タキオスを中心にして揺れ動く。
タキオスが、マナを吸っているのだ。
それに比例し、感じる力が際限なく上昇していく。
しかし、一定値まで達した所、タキオスの体に変化が訪れる。
「ぬ……これ、は……ッ!」
『無我』を握る腕の組織が、明らかにおかしなマナの流動を示す。
そしてそれはすぐさま、激痛となって腕を裂き、血液とマナを噴出させる。
「がぁあああ……ッ! これは……ッ」
「よーやく、効果が表れたみたいね……まっ、実践投入少ないから効果がまちまちなのは
仕方ないか」
フェイトが細く微笑む。
「しってる? 過剰な回復魔法は、やがてその体を構築するマナすら暴走させる。
普通はそんなことしない。無駄だからね。だけど、それを攻撃として使えば……
どんな相手にも効果のある攻撃になるんじゃないのかな、って思ってね」
「スピリットごときがぁ……ッ! 俺に、手傷を負わせたか……ッ!」
「言ったはずですよ? 大隊長は、まともではありません、と」
「……それだけ聞くとあたしが頭おかしい人みたいじゃない」
「事実そのとおりじゃないですか。こんなバケモノにて傷を負わせたんです」
「しょうがないじゃないの。力は異常だけど性格はまともはまともよ。それ言ったら
アイラちゃんだって」
ミニコントの繰り広げられる反対側で、タキオスが苦々しい表情を作る。
「まさか俺が退かされるとは……いや、実に心躍る戦いであった。今この勝負、
お前たちの勝ちだ。誇ってもよいだろう」
「別に、そんあ誇りなんていらないわよ。帰るならとっとと帰って頂戴」
タキオスの表情に、笑みが浮かんだ。
「わかった、敗者は勝者に従うのみ。だが、次あったときは……ふっ、それはないか」
最後にそういい残し、タキオスは背を向け、その姿を消した。
「……もしかして、ばれてかな?」
「……ばれてたかな、ではないです!」
「アイラ、フェイトになにかあるのか?」
オーラを押さえ、通常モードに移行しながら明人は二人の元に駆け寄ってくる。
「先ほどの攻撃には、欠点があるんです。放った後、その術者の腕が……
使い物にならなくなる可能性が高いんです!」
「なん……だって!?」
「そうなのよ、アキトさん……これ、まだサーギオスにいた頃にさ、まだヒラ隊員だった
ときに編み出したんだけど、本当に死にそうになったときに使って、一ヶ月ぐらい
腕が使い物にならなくなっちゃったの。そのときは本当に集中してたけど、今は……ね」
フェイトはわき腹を押さえる。フェイトの肋骨は、ほとんど折れていたのだ。
「……ゴメン……でも、こうでもしなきゃ……勝てなかった……ちょっと、
頑張りすぎたみたい……オヤス……ミ……」
コテン、と目を閉じて静かな寝息をたてるフェイト。
「アキト様ッ!」
聞きなれた声が、明人の事を呼ぶ。
それは今、この状況で一番、力になって欲しい人物――
「エスペリアッ!」
『聖緑』を抱きしめるように担ぎ、エスペリアが駆け寄ってくる。
「どうして、ここに」
「クリスさんの容態からして、こちらの方が怪我人が多いと思ったんです。
この予感が、当たってよかったです」
「ああ、エスペリアさん。私達は大丈夫です。だから他のみんなを、先に。
多分、大隊長が目を覚ましてても同じ事を言ったでしょうから、
この発言は隊長命令です。よろしくお願いします」
「はい。アイラさん、すぐに戻りますので、その間、我慢をお願いしますね」
エスペリアはそう言い残し、傷ついた仲間の元へと向かった。
「……アイラ」
「私は、本当に大丈夫です。……ですが、アキトさんにもし、エトランジェと同じ能力が
あるのであれば、大隊長の応急処置をお願いしたいです」
「任せてくれ。エスペリアほどじゃないが、それぐらいならできる」
明人は屈み、『聖賢』を眠るフェイトにかざす。
(……どうだ? 『聖賢』……腕、治せそうか?)
『……腕を構築しているマナがまったく安定していない。このままでは、
分解の可能性もあるだろう。……すまない。我の知識ではどうすることもできぬ』
「……そうか」
フェイトの身を案じながらも、明人は悟る。
もう、決戦のときは、近い。
先ほどのような力の持ち主が仕掛けてきた。
多分、あちら側はこれで終わらせるつもりだったのだろう。
だが、こちらだってただ手をこまねいて見ているだけではないのだ。
飛躍的に自分達の能力は上がっている。
今日の戦いの中でも、明人は確実に成長していた。
戦い方さえ覚えれば、さすが第二位の担い手といえるほどの力を持っているといえよう。
「次、相手が手をうってきたときですよね。この戦い、終結するのは」
「ああ。絶対に、負けられない戦いだ。生還してこそ、意味のある戦いになると思う」
「……やっぱり隊長は、隊長ですね……どんな存在になっても、変わらない……」
ポソっと、アイラが呟いた。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何も。隊長の言うとおり、負けられなく、そして生き残らなくてはいけない戦い
ですねと思っただけです」
アイラの奥底に浮かぶ、ある人物。
フェイトが心から慕った、隊長。
それが誰なのか見当は付く。フェイトの好みはわかっているつもりだ。
フェイトが好意を寄せるのはまず、外見から。そんな人物は大陸中で限られている。
だから――
だからこの明人というエターナルは、昔、このスピリット隊を率いていた人物と
容易に想像できる。
あえてそのことは言わない。
戦いが終わって、じっくり話すつもりだったから。
この日を境に、決戦へと戦況は一転した。
ソーン・リーム自治区方面からあふれ出てくるエターナルミニオン。
この世界での終焉への戦いが、始まったのだ。
最終話に続く……