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 第二十五話 嵐の前の静けさというもの(前編)

 

 美紗と空也の件は、まあ、新しく戦力が補強されるということでラキオスには快く

 受け入れられた。これにより、すべて、真美の計略にはまったことになる。

 明人も観念したらしく、もう真美を責めることもなかった。

 その日から一週間。

 それぞれ思う所があるが、相手側――つまり『世界』側についているエターナル達は

 余裕なのか、ミニオンを使った攻撃にも出てくる気配も、ほとんど無い。

 時たまなにかを思い出したように小規模な戦闘しかけてくるだけである。

 ハーミットの話によると、そろそろ集まってくるマナも限界に達してきているらしい。

 決戦は、近いという。

 そんな中、一時の静けさが――まるで嵐の前の静けさという名の平穏が、ラキオスの

 メンバーに訪れていた。

 

『アセリアの場合』

 

 アセリアはちょっと困っていた。

 別に体を動かすことは好きだし、訓練も嫌いじゃなかった。

 それに今は、強くならなくてはいけない。

 あの黒い男――確か『黒き刃タキオス』とかいう男に勝つためにも、今は必至に

 体を『永遠』に合わせるため、訓練をしなければならない。

 なのに、今の状況はちょっと――いや、結構困っている。

「勝負してッ! 蒼い牙ッ!」

 

 

 この一週間、アセリア、エスペリア、オルファ――はもともとエターナルだったので

 すでに『再生』との相性はバッチリ、ウルカの実質三人は、スピリットから

 エターナルに成り立てで、まだ完全に力を使いこなせていないという。

 真美からそう言われ、三人ともまだ力の限界が来ていないことを知り、

 三人はお互いの力を高めあっていた。

 そして本日は休養を貰っているはずなのだが、やはり体を動かしていないと落ち着かず、

 ウルカは早朝に、しかも他の訓練場で今日は訓練しているらしく、誘えなかった。

 エスペリアは雑用をしてくれているので誘えず、オルファは……

 さすがに剣を振り回す練習につき合わすわけにもいかないし。

 明人はなにか、レスティーナに呼び出されていたり、空也は空也でアズマリアに

 呼び出されていたり、美紗は……うん。邪魔をしてはいけない空間を漂わせ、

 セリスとお出かけをしていた。

 だからエスペリアの作った美味しい朝食をとった後、一人で訓練場に向かってみると、

「やぁあああッ!」

「うりゃあああッ!」

「お姉ちゃ〜ん、アリアちゃ〜ん、がんばって〜♪」

 先客がいた。というかいまくった。

 その三人が一番目立つが、他にも数人、色とりどりの妖精が美しい光を飛ばしながら

 輝いている。

 顔見知りだったということもあり、その三人は一発でわかった。

「ふ――はぁッ!」

「あまい、あまーいッ!」

 ネリーの上段――と思わせたフェイントの中段に狙いをつけた斬撃。

 だがアリアはそれを読み、弾きながらそのまま反撃に出る。

 ネリーが上体を反らし、勢いに任せてハイロゥを羽ばたかせバク宙をして距離をとり、

再び刃を合わせにかかる。

 しかしこうして客観的に見てみると、ネリーの成長が著しいということがよくわかる。

 最初は、入隊したてのころはまだ剣の扱いを覚えた程度。

 そして最初の――バーンライト攻略のときは、敵スピリットより少し強い程度だった。

 それから徐々に実戦で力をつけ、イオという優秀な訓練士も加わり、

今ではブルー・スピリットの中でも最高クラスといえる実力者といえよう。

 他のスピリット達も、大陸中の精鋭が集まったようなものだから質は悪いはずがない。

 その中でもちゃんと輝きを誇っているネリーと、シアーも同じといえよう。

 姉と同じように――いや、そういうのは失礼だろう。

 ネリーを実の姉と慕い、いつも後ろについて回っていた弱気な妹シアーも、

 今は応援する側に回っているが、一度訓練に参加すればネリーに勝るとも劣らない、

性格とは裏腹に力強い剣技を披露してくれる。

 その相手をしているのは、ネリーよりも一回り小さなマロリガンの天才少女、アリア。

 その昔はアセリアと一文字違いを気にして――ではなく『ラキオスの蒼き牙』として

 アセリアに突っかかってきた少女。

 しかしその実力はそれに見合うものだった。

 一度は大陸最強と謳われたアセリアに膝をつかしたほどだ。

「ん? あ〜ッ! アセリアさんだぁッ!」

 そんな様子をボーっと見ていたら、どうやら剣を振るっていた他のスピリットに

発見されてしまったらしい。

 エターナル、ということでアセリアは注目の的だ。

 本人に自覚はないがその容姿も、スピリットの中でも群を抜いているアセリア。

 声に気付いたこの訓練場にいるすべてのスピリットの視線がアセリアに集まる。

 その中でも、特にアリアの視線が鋭く突き刺さった。

 そして振るう剣を止め、うっすらと出てきた汗を拭い、アセリアの元に歩み寄る。

 他のスピリットはアリアの剣幕に道を作り、左右に分かれる。

「…………」

「…………」

 なぜか睨み合いに発展してしまった今の状況。

 目の前に来ることは来たが、アリアは何もいわず、アセリアを睨みつけるだけだった。

 そして――その沈黙を破ったのは、

「アリアさ、アセリアさんと勝負したいんだって」

「うん……確か、そういってたよ……」

 ネリーとシアーの二人だった。

 そのとき、アリアの手が素早く動く。

 目にも止まらぬ速さで、ネリーとシアーが制止する余裕もない速さで、

『大気』を振りぬく。

 ここにいるスピリットの大半は、この速度についていけていないだろう。

 ついていけている一部のスピリットが、あっ、と小さな声を上げる。

 しかしアセリアは焦ることなく、その真空波が起きる場所まで予測して、身を引いた。

 ほとんど動いていないように見えるが、動かなかったら前髪が少しだけ

持っていかれただろうか。

 本人は意識していないが、間合いが少しだけ伸びている。

 風の切る音が、起きた。

予想はもちろん的中。

 ギリギリの位置だった。

 コンマ数秒のやり取りに、周りのスピリットの表情が固まる。

 そして再び睨み合うアセリアとアリア。

「……勝負、して!」

 アリアがようやく、声を上げた。

「勝負してッ! 蒼い牙ッ!」

 記憶にないはずの、名前を。

 覚えているはずのない、アセリアの、二つ名を。

 それを聞いたアセリアは、困った表情を作った。

 そして、思い出す。

 確かに、約束はした。

 だけど、その約束が果たされることはなかった。

 色々と忙しくて、さらに自分がエターナルになってしまったため、

果たすことのできなくなってしまった、この、小さな妖精との、約束――

「ちょ――アリア? なに、言ってる、の?」

「その名前……なに?」

「勝負っていったら勝負なのぉッ! 約束したんだもん! 真剣勝負するって!」

「そんな約束、アセリアさんがしてるわけないじゃん! 落ち着きなよアリア!」

「そ、そうだよぉ……あっ、ご、ごめんなさいアセリアさん……」

 と、なぜか謝るシアー。

 訓練しに来たというのに騒がせてしまった、と思ったからだろうか。

 しかしアセリアは、

(……『永遠』……)

『なに?』

(……力、抑えること、できる?)

『? え、ええ、まあ、それぐらいなら。もしかしてあなた』

 『永遠』に語りかけ答えも待たず、

「ん。勝負、しようか」

 アリアの願いを、聞き入れた。

「ほら、アセリアさんも困っ――え?」

「そ、そうだよぉアリアちゃ――へ?」

 

 

 ただ、体を動かしに来ただけだった。

 確かにそれだけだった。

 しかし今、この訓練場はアセリアとアリアの独壇場だ。

 

 ――真剣勝負――

 

 その言葉が表す、ピン、と張り詰めた空気が広がった。

『……はい。これぐらいで、いいのね』

(ん。ありがとう、『永遠』)

 アセリアの力が、エターナルになる直前までのもに下がる。

 エターナルの力で戦ったら、言っては悪いがアリアは相手ならないだろう。

 それはスピリットから、エターナルになったアセリアが一番よくわかっている。

 しかしこの状態になると、体から余分な力が抜け、妙に楽になった。

『これも体を慣らすための一環、だと思っておくわ。エターナルの力を全て

発揮するには、こうやって力を落とし、同調を図る、と言う方法もなくはないわね』

 あとで他の三人にも教えてあげなさい、と、最後に『永遠』は付け加えた。

 なるほど。『永遠』の言うとおり、こちらの方が体にしっくりと来る。

 力は抑えられ、エターナルの力を使うときよりも弱いが、同調率は高いだろう。

 やはり、こっちの力のほうが使い方に慣れているからだろうか。

「えっと……真剣勝負、ですけど、お互い怪我のないように、お願いしますね」

 なぜか審判、というか説明役に選ばれてしまったシアーが、たどたどしく確認を取る。

 アリアはすでに臨戦態勢。

 髪は逆立ち、瞳孔が収縮し、先ほどネリーと戦っていたときとは雰囲気がまるで違う。

 それを見て少々怯えた表情を作り、シアーが、

「そ、それじゃあ、始めてください……ッ!」

 戦いの火蓋を切った。

 

「はぁあああ……ッ!」

「ん……ッ!」

 お互い同時にハイロゥを展開する。

 そして同時に跳躍。

 火花が散り、続けて金属音が鳴り響いた。

 二人の姿は、先ほどアリアの太刀筋が見えたスピリットが、かろうじて捉えられるほど。

 ほとんどのスピリットは――ネリーとシアー以外は音と火花が散る所しか見えていない。

「はぁッ!」

 空中でアセリアの斬撃が走り、アリアを捉える。

「くぅッ!?」

 高速移動中の一撃に、アリアは思わず受け損ない、バランスを崩した。

 そこに反す刀でアセリアは切りかかる。

 しかし――

「あ、まい!」

 再び起きる金属音。

 それも、アリアは受け止めたのだ。

(ッ! ……やる!)

 アセリアは思わず心で呟いた。

 以前のアリアだったら間違いなく決まっていた一撃だろう。

 攻撃と素早さのバランスが高水準で纏まっているアリア。

 しかしその一方で、その素早さを生かした回避運動から防御、と言う概念が

 薄れていたのだ。

 だからあの時――イースペリア崩壊の時、アセリアはクラスが違うのに、

一矢報えたのだろう。

 しかし今は違った。

 バランスを崩しながらも、アセリアの鋭い斬撃を受け止めた。

 確実に、強くなっている。喜ばしいことだった。少しだけ頬が緩むのがわかる。

 先の反動で一時的に距離をとるアリア。

 その空中で姿勢を正し、地に足が着いた瞬間、アリアは足に力をこめ、

「今度はこっちの番!」

 目いっぱいに踏み切り、アセリアに突貫する。

 おお、と思わずネリーは声を上げていた。

 その速度は先ほどよりも速い。

 アセリアの実力に刺激されたのか、アリアはネリーの知る力以上のものを発揮していた。

 今まで見てきた中で、この突撃が一番速い。

 アセリアも、同じだった。

 今まで戦ってきたどのミニオンより、さすがにアリアの速度は速い。

「うおりゃああああッ!」

 そして今まで受けてきた中で、一番重く、速い一撃。

 それが何度も、何度も襲い掛かってくる。

 だが、アセリアはそれを受け流す。

 シアーが思わず、すご……、と呟いた。

 乱暴に振り回しているだけに見えるアリアの剣技は、実際のところそうではない。

 鮮麗されたその攻撃は、アセリアに反撃の隙を与えないほどだ。

 右に振りぬいた瞬間、もう刃が返っており、さらにそれを受け流しても上方、下方、

 全方位から攻勢に出てくる。

 空中での攻防が続く中、

『ここね。アセリア、今!』

「ん、わかってる」

 アセリアと『永遠』の短い会話が交わされる。

 その隙を、アセリアは虎視眈々と狙っていた。

「なにが――ッ!?」

 剣を振りぬいた直後、アリアの体が再びバランス崩れる。

 確かにアセリアはアリアの剣を受け止めた。

 なぜ? とアリアは思考をめぐらすと、アセリアの美脚が見えた。

 この一瞬の間に振りぬき、この速度が乗った状態で吹っ飛ばしたのだろう。

 背中からアリアは着地し、すぐさま跳ね起きる。

 対峙する形で、アセリアが立っていた。

(……まだ、本気じゃないの……ッ! 今のだって、叩きつければアリアを気絶させれた)

 ギリ、とアリアは奥歯をかみ締める。まだ手加減されていると思うと、やはり悔しい。

 そして自らの神剣『大気』に力を集中する。

 これがを見せれば、いくらアセリアでも本気を出してくれると信じて。

 これが、今持てるアリア最大の技。

 エア・スラッシュを発展させた最終形態。

 グッと『大気』を握る手に力をこめ、

「いっくよぉッ!」

 逆手に持ち替え、低く姿勢をとる。

「エアッ!」

 地を蹴る。

 超高速の青い弾丸となって、アリアが突っ込む。

「クロスマッシャーッ!」

 速度に乗り、その体勢から一回、斜め下から上に薙ぐ。

 真空波が放たれ、アセリアに迫る。

 そのまま『大気』を手放し、半回転した後に逆の手で掴んで、そのまま突っ込む。

 そして、最初に放った真空波に追いついた。

 が――

「そこまでです」

 凛とした声が訓練場に響きわたった。

 思わず、ビクッ、と身を強張らせ、動きを止めてしまうアリア。

 この声は、唯一、アリアが苦手とする人物の声だった。

 美味しいご飯を作ってはくれるが、訓練中は鬼のような厳しさを見せる人――

「そこまでですよ、アリアちゃん」

「イオ、お姉ちゃん……」

 それは白い妖精――イオ・ホワイトスピリットだ。

 その姿を確認すると、ウィングハイロウが萎縮するように縮み、マナが拡散され、

 速度が落ち止まる。

 放った真空波も、四散し、すでにマナへと還っていた。

「じ、邪魔しないでよイオお姉ちゃん!」

しかし今の状況で苦手とかを言っている場合じゃない。

せっかくの真剣勝負を邪魔され、怒りを覚えたアリアは文句をたれる。

だが、
「……どちらにしろ、このまま闘ってはあなたの負けですよ」

「え――ッ!」

「ん。よく、がんばった」

 アリアの背後で、対峙していたはずの人物の声。

 そしてポン、と肩を叩かれる。

 その声には、ネリーとシアーも、他のスピリットも、そしてアリア自身も、

呆然とするしかなかった。

「え……あ……そんな!? だってあっちにいたはず、なのに……」

 いた。

 確かにいた。

 同じ、蒼く長い髪をした、薄い影が。

 数秒置いて、その影は消える。俗に言う、残像、というものだろう。

「さすがはエターナル、というわけですね。これほどまで長い時間の残像を残すほど

の速度……すばらしい一言です」

「ん……別に、そんなこと無い。アリアが強かったから、本気で闘っただけ……

 本当にアリアが強かったから、あたしも本気でいった」

 そして肩に乗せた手を頭に移動させ、サワサワとアリアの頭をなでる。

「『強くなったな』。ん……本当に」

「アセリア……さん」

 アリアの我慢していた、何かが崩れた。

 ぽろぽろと涙をこぼし立ち尽くす。

 次には振り返り、アセリアに抱きついていた。

 ――なぜ、自分は思い出せないのか。

 ――確かに約束したはずなのに。

 そんな思いが、アリアの中で渦巻く。

 まだ幼く、しかしまっすぐな性格をしているアリアにとって、その事実は

 胸を締め付けるほど悔しい事柄だった。

 この勝負をする前の言葉だって、意識せずに出てきたものだった。

 心の奥底にあるはずなのに、霞がかったように思い出せない、約束。

 

 ――強くなった――

 

 この言葉が、聞きたかったはずなのに。

「なんで……なんで思い出せないのよぉ……なんで……なんで……ッ!」

「ん……」

 アセリアは、今度こそちょっと困った表情を浮かべ、アリアを受け止めていた。

 そしてよくわからないまま、アリアの背中に手を回した。

「アリアは強くなった。今は、それだけでいい……強くなる理由も、きっと、見つけれる。

 あたしも、そうだった。最初は何もわからなかった。だからアリア……今は、

それでいい……と思う」

 思い出せないのは、仕方が無い。

 しかし、アリアは、覚えていた。

 昔交わした、なんの取り留めの無いやり取りを。

 それだけ、自分のことを思っていたと、そう思うとアセリアは妙に嬉しくなって、

 同時に申し訳なくなり、悲しくもなったが、やはり一番最初の感情が大きかった。

「うぅ……ヒック……うん……」

「そうですよ、アリアさん」

 そこに、イオが話しかけてくる。

「私の目から見ても、あなたは強くなっています。もっと自分に自信を持ってもいいと

思います」

「そ、そうだよぉ! アリア、絶対強くなってるから!」

「う、うん……アリアちゃん……強いから」

 そうですよぉ、アリアちゃん絶対強いんだから、と、ネリーとシアーを筆頭に

声が上がる。

「アリア……」

 最後にアセリアが、

「また今度、一緒に剣を合わせよう……楽しみにしてる」

 笑顔で、アリアを見つめた。

 

『エスペリアの場合』

 

「んん……ん、朝、ですか……」

 エスペリアは朝日に刺激されようやく、まどろみから開放された。

『おはよう、エスペリア……それにしても、その格好は……』

 そして相変わらず、眠るときの癖が抜けていないことを『聖緑』の言葉で

思い知らされる。

 いい加減、直さなくてはいけないだろうか。

 この下着で眠ってしまうのと、なんだ、その……寝相がとても悪いことを。

「……直そうとは、思っているんですけど……小さいときから、ずっとこうなんです」

 見られているわけではないのに、少し気恥ずかしくなる。

『そうなの……でも、いつもしっかりしている分、ここで気を抜いておくのが、

 ちょうどいいのかしらね』

「そう、なんでしょうか……あっ、早く朝ごはんの支度をしないとアセリア達が

 起きちゃいますね」

 と、ちゃんと服を着込み、『聖緑』を持って部屋をあとにする。

 ちなみに言っておくが。

エスペリアの下着姿はヒロイン四人組の中でも群を抜いて色っぽいですよ?

 

 

「ふぅ……これで、最後ですね」

 パン、と水気を含んだ洗濯物を広げ、物干し竿にかけていくのは、エスペリア。

 ここ数日、大きな戦いが無かったので実に充実した日々が送れている。

 まず、つい最近までしていたはずの家事が、酷く久しぶりに感じられる。

 それが楽しいのなんのって。

 今だって、この清涼感溢れる洗濯物に囲まれ実にいい気分だし、今朝だって、

最近よく反応を示してくれるアセリアや、他のみんなに朝食をつくるのも、

 すごく楽しかった。

 ここ最近オルファがたるんできているような気もするが、その寝ぼけた表情も

 また可愛らしく見えてしまう。

 ウルカは……そういえば今朝、妙に明人と顔があわせづらいように見えていたが、

 何かあったのだろうか?

 確かウルカはエスペリアが起きるよりも早くに起き、朝の訓練に出かけたはずなのだが。

 ……ただ、不可解な点があったとすれば明人が妙に体の痛みを促していたということか。

 なにか問題でもあったのだろうか。

 そういえば、珍しく本日は空也というお客も朝早くから来ていた。

 でも断る明人を無視して一緒にオルファを起こしに行き、頭にたんこぶを作って、

 「なんでオレ、ここにいるんだっけ?」とか言っていたような気がする。

 まあ、なんとなく事情はわかるような気がするので、深くは考えないでおこう。

 それよりも――

『ホント……気持ちいいわ……』

「そうでしょう? 久しぶりの休日ですし、こういうことをすると気分が晴れますから」

 館の壁に立てかけてある、『聖緑』も気分よさそうにしてくれている。

 エプロンドレスで手を拭きながら、エスペリアは『聖緑』の元に歩み寄る。

 そのそばに、洗濯物を入れていた籠を、代わりに置いた。

『ええ、本当に……こんな気分になったのは久しぶり……ふふっ、エスペリアと私の

 同調率が上がってきた証拠ですね』

 その声も、どこか嬉しそうだ。

 どうやら二人の相性は、良好らしい。

 まあ、同じような性格をした二人だからそれも当然か。

 それにしても、最近は体が慣れてきたのか、エターナルになった直後の感覚が

戻りつつある。

 直後の力は相当なものだったが、あの時、戦ったときは随分と力が抑えられていた。

 やはりこういったことで、まず、神剣の力に体を慣らすのが一番なのだろうか。と、

 エスペリアは思う。

「さてと。家事ももう、お昼まで何もありませんし……あっ、そういえば……」

『ん? どうかしたの、エスペリア』

「いえ……そういえば、忘れ物がこの世界にあったのを思い出しまして」

 そういいつつ、エスペリアは頬が緩んでいくのがわかった。

 そうだった。

 覚悟を決めたときからすっかりと記憶の地層に埋もれてしまってた、大切なものたち。

『忘れ物?』

「はい……わたしの、大切な子供達です」

 

 

 第一スピリット館。

 少し前まではセイグリッドが一人で住み、その少し前は、もう誰の記憶にも無い誰かが

 住んでいた場所。

 最初期に建てられた館で、他の施設よりも年季が感じ取れる。

 しかしそこに広がる緑の鮮やかさは、どのスピリット館よりも美しいといわれていた。

 特にハーブの種類が豊富で、庭も広く、心休まる場となっている。

 よくセリス達、ひなたぼっこ組がここの近くで眠っているのだ。

「♪〜♪〜♪」

 本当に楽しそうな笑顔を浮かべ、エスペリアはそのハーブ達の手入れをしている。

 こちらも、久しぶりだった。

 もう楽しくて仕方が無く、鼻歌が自然と出てきてしまう。

「……『聖緑』と、一緒にお茶ができればよかったのに……」

 と、思わず本音も漏れてしまった。

 できれば、きっと楽しいひと時となるだろうことは考えるまでもないことだった。

『それはちょっと……でも、この調子で同調率が上がれば、私はエスペリアが

 感じたことをそのまま感じることができるし、あるいは――』

「あるいは?」

『……ううん、なんでもないわ。今は、このときを楽しみましょう。私も、草木に

 囲まれるのは好きですから♪』

 ちょっと腑に落ちない言い方だったが、まあ、『聖緑』のことだからそのうち

 話してくれるだろう。

 しかし。

 他にもちょっと気になることもあった。

 自分が放っておいた間、いったい誰がここの世話をしてくれていただろうか。

 セイグリッドには、暇を見つけては簡単な手入れのしかたは教えていたが、

 それだけの知識でここまで綺麗に――しかもちょっとだけ園の範囲が広がっている――

 できるとは思えない。

 一週間とちょっと。

 前は作戦で出ているときは剣を握れなくなってしまったスピリットに頼んでいたけど、

 今はそういったスピリットも事情が事情なので、いないはずだ。

 いったい誰が――

「あらら? 先客ですか?」

「あなたは……エスペリアさん?」

 そんなことを思っていると、声が二つ、エスペリアにかけられた。

 振り返ると、赤色の長身の妖精と、緑の妖精の姿があった。

 麦藁帽子に軍手、そして肩にタオルかけ、手にはスコップや肥料などの入った

 籠をさげた、農作業姿のミリアとクォーリンだ。

 どうやら先ほどの疑問の正体は、この二人らしい。

「あら。クーちゃんお気に入りのこの場所、他にも手入れできる人いたんだ。ていうか、

 手入れできるなんて正直すごいわね」

「本当に……ここまで完璧に手入れが出来るなんて……すごいです」

 意外そうな表情を浮かべ、クォーリンを見ながら言葉を放つミリア。

 そのクォーリンも、意外だと表情が語っている。

「あなたたちが、ここの手入れを?」

 軟らかい笑みを浮かべ、エスペリアは二人に話しかける。

「え、あっ、はい! その、いつからあったかは知らないのですが、ここのハーブ、

 とても手入れがいきとどいていて、それに……育てるのが難しいハーブがいっぱいで、

 なんだか楽しくなってきて、ミリア姉さんに手伝ってもらいながらお世話を

 していたんです」

「そうですか……ありがとうございますね、この子たちの面倒を見てくれて」

 と、エスペリアがお礼を言うものの、二人は何のことやら、といった雰囲気だ。

 それもそのはず。

 二人はエスペリアとは『初対面』ということになっているのだから。

「えっと……エスペリアさんは、ハーブがお好きなんですか?」

 クォーリンがエスペリアに話題をそのままに話しかける。

「ええ。ここを見ていますと……ほんの少し前だというのに、昔を思い出すんです……

 あっ、これは」

 と、エスペリアの目に入ってくるのは、自分が育てていたとき、一度は瀕死まで

 追い込まれたが、奇跡的な回復を見せ、蘇った、あの高級ハーブが三株に増えていた。

 これは特に育成が難しく、同時に同じ場所で育てられることはごくごく稀らしい。

 エスペリアがそれに気付いたのを見て、クォーリンは嬉しそうに目を輝かせた。

「やっぱり、詳しいんですね! そうなんですよ、これ、育てるのが特に難しいんですが、

 私がここを見つけたとき、そのときからずっと、ずっと元気で、前に育ててくれていた

 人がどれだけ大切にしていたか、よくわかるんです……この子も、そう言っていますし」

「クーちゃんの神剣は『自然』の名前のとおり、自然と心を通わすことができるのよ。

 少し羨ましい能力なのよね」

 と、ミリアがクォーリンの頭を撫でながらそう言う。

「み、ミリア姉さん! は、恥ずかしいですから頭を撫でるのは人前ではしないでって」

「いいのいいのいつもやってることじゃん」

 しばし、二人の暖かいコミュニケーションが行われ、ようやくミリアの手を

 はがすことに成功したクォーリンが続ける。

「……でも、なんか一人で寂しそうだったから、女王様に頼んで二株ほど、

 増やしていただいたんです……きっと、大切にしてもらっていたんだと思います……

 私以上に、ですね。ちょっと、悔しいかな? 草花の声が聞こえるのに、

 負けちゃうなんて……」

 それを聞いてエスペリアは、なんとも嬉しい気分になった。

 この二人は、自然を大切にしてくれている。

 それも、誰が育てていたかわからないハーブ園を見つけ、ちゃんと整備してくれたし、

 園の拡大もしてくれた。

 この二人ならば、この世界を去った後でもここを任せることができるだろう。

 ここに育った、まるで自分の子供のようなハーブ達を、任せることができる。

 そう思うと、嬉しくなってくる。思わず、頬が緩んでしまうほど。

「……それにしてもさ、隊長さんといいあなたといい、なんていうかさ、初めて会った

 気がしないわよねぇ」

 うーん、と唸りながらミリアはいう。

「そう、でしょうか? ……きっと、気のせいですよ。わたしも、草木が好きですから、

 親近感がもてたのでしょう」

 と、核心を笑顔で流すエスペリア。

 この世界に、エターナルとして帰ってきて一番、このセリフに近いことを言われたのは、

 エスペリアだった。

 その優しく、慈愛に満ち溢れた心は、ラキオスのスピリット隊員すべてのお姉さん、

 といっても過言ではなかっただろう。

 だからこそ、捕虜となり、神剣を握ることのできなくなってしまったスピリット達も、

 エスペリアのことをかすかに覚えていた。

 何度も繰り返してきたやり取り。

 それが、この、「きっと、気のせいですよ」と言う言葉。

 その後にもっともらしい理由を付け加えられているため、他のスピリットは反論の

 余地が無かった。

「……本当に、それだけかな? いや……少なくとも、私は違うわよ」

 だが、ミリアは違った。

「それだけじゃあ、自己紹介もしていない私達にそんな態度、あなたとれないでしょう?

 私は、あなたがそんな失礼な人には見えないわね」

「み、ミリア姉さん! そんなこといったら私達だって」

「それもあるわ。私達だって、いきなりこんな馴れ馴れしい口調で話しかけるなんて、

 初対面の人にはしないわよ。エターナルのあなたなら、何か知ってるんじゃない?」

 ――やはりあなたは……頭がきれますね……。

 確かに、と頷くしかない。

 自分も、この二人も、礼儀を重んじる方だった。

 だからこそ、初対面という『設定』になっている自分を含めた三人が、こうも砕けた

 やり取りをするものだと思っていないだろう。

 自分の失敗に気づかなかった。やはり、久しぶりにここに来て舞い上がっていたのか。

 ……どうする?

 エスペリアは自分に問いかけた。

 と、そのとき――

「ふぇ? あっ、せ、先客です……か?」

 ちょっと控えめな声と、

「ありゃ? もしかして、ダブルブッキング?」

 それとは逆の明瞭な声。

 その声の主は、

「あら? セリスちゃんとミサさんじゃないですか。どうしたんですか? 二人して」

 の二人だ。

 ちなみに今のは、二人の姿をいち早く察知したミリアが言ったものだ。

「ひなたぼっこ、今日はお休みじゃなかったの? セリスちゃん?」

 さらに語りかけるミリア。

 その質問に、セリスは少々困った表情を作って、答えた。

「えっと、あの、ミサお姉ちゃんと二人でひなたぼっこしたかったですので……

 な、なんでかはわかんないですけど……その……」

 もじもじと、顔を真っ赤にして俯いて、実に気恥ずかしそうに話すセリス。

 その姿を見て毒気を抜かれたのか、ミリアはふぅ、とため息をついて、

「まあ、そんな細かいことうだうだ言ってるの、私の性にあわないから、もうやめとくわ。

 それに、なんだかんだいってもいいお友達になれそうだしね。私、草花が好きな人に

 悪い人がいるんなんて思ったこと無いのよ」

 エスペリアに向き直り、屈託のない笑顔でそう言った。

「……そうですね。あっ、エスペリアさん、今から時間がありましたら、一緒にお茶、

 しませんか? スピリット館でわたしが手塩にかけて育てたハーブ、ご馳走しますよ」

 クォーリンもミリアに続き、笑顔でのお誘い。

 そんな二人に誘われ、エスペリアは、

「……はい。ご一緒させてもらいます♪」

 断るという無粋なマネをするはずが無い。

「じゃあ、私とクーちゃんは先に戻って着替えてるから、ちょっと時間を置いて四号館に

 きてね、エスペリア」

「美味しいお茶菓子も用意しておきますから。あっ、ちなみに意外と思いますが、

 そのお茶菓子は全部、ミリア姉さんの手作りで、味は保証しますよ」

「クーちゃん、最後の訂正しないとエスペリアにハーブティご馳走したあとすべて

 引っこ抜かれてるかもしれないわよ?」

 と、二人はこの場を立ち去る。

 それを見計らって、美紗がエスペリアに珍しく小声で話しかける。

(どうしちゃったの? ミリア、なんか様子変だったけど……もしかして、感づかれた?)

(……いえ、大丈夫です。あの人は、そんな細かいことにこだわる人ではないのでしょう?

 わたしより、ミサ様のほうがよく知っていると思います)

(そりゃまあ……一緒に暮らしてるからね……)

(でしょう? では、わたしも一度、支度を整えますので……)

 それに、どこか嬉しそうな口調でエスペリアは答えた。

 先ほどから、嬉しくなってばかりだ。

 とりあえず今は、あの時の戦い――『不浄』のミトセマールとの戦いのことは、

 忘れよう。

 ヘタに考えても、今は根本的な力が追いついていないのだから。

 こういった、休息を取れるときにとって、心と体をしかり休め、しかるべきときまでに

 追いつき、追い越せばいい。

 

『今を、楽しむ』

 

 その言葉を、心に刻んで――

 

『オルファの場合』

 

『ほらリュト――あ、違った……オルファリル、オルファ! いい加減に起きなさい』

「んんぁ〜……眠いぃ〜……『再生』、もうちょっとだけ眠らしてよぉ……」

『ダメよ。これ以上寝ていたら、聖緑の主に迷惑をかけてしまうわ』

「でもぉ……」

『でも、ではありません。ほら、体を起こして、オルファ』

 まるで母親と娘のような会話だ。

 ベッドの上でオルファと『再生』の心理戦が繰り広げられている第一スピリット館。

 日はとうの昔に顔を出し、そろそろ他のみんなも活動を始めていく時間帯。

 そんな中で、オルファは未だに覚醒しきらない目元をごしごしとこすり、

 普段の活発な行動力とかけ離れた、とてもゆったりとした動作で身を起こす。

 薄い寝間着は少しはだけ、肩が露出しているし、角度からみればまだ発育途中の

 部分も見えてしまうだろうか。

 ちょっとだらしない格好で身を起こしたオルファに、『再生』がさらに言葉を重ねる。

『まったく……早く覚醒しなさい。寝間着もちゃんとして、早く朝ごはんを食べに

 行きましょう』

「はぁ〜い……うにゅ……ん〜ッ!」

 飛び起き、立ち上がって一気に伸びをするオルファ。

 しかし、

「はふぁ……ダメぇ……やっぱり眠いよぉ……」

 それだけで覚醒するほど、眠気は甘くなかったようだ。

 『はだけた格好』のまま、寝ぼけ眼で『再生』を握り、廊下に出る。

『ちょ――ッ! オルファ!』

「大丈夫だよぉ……別にクウヤおにいちゃんがいるわけじゃないし……」

 何気に失礼な言葉だったがそのとき――

「見るなくそぉおおおッ!」

「ッ! うわなにこの役得はグぁああああアアア!?」

 先ほど話題に上がっていた人物の声、というか悲鳴。と、撲殺音が同時に聞こえてきた。

 オルファはうつろな視線を横に向けると、

「あ、パパ……と、クウヤおにいちゃん?」

『……いたのよ、その要注意人物が』

 体があったら、やれやれとでも首を振っているだろうか。そんな『再生』の声だ。

 そこには後頭部に大きなたんこぶをこさえ気絶する空也の襟首を掴む明人の姿があった。

 なにがあったかは、ご察しください。

 不機嫌そうな意識を発する『聖賢』がいるということで。

「お、オルファ、早く服直せよ……俺、こっち向いてるから」

 と、明人も一応赤い顔を背けながら、オルファに向かって注意する。

「ん〜……はぁ〜い……」

 明人に注意されると、テキパキとまではいかないがちゃんといわれたとおり、

 服装を正すオルファ。

 なぜ私のいうことは聞けなくて? と『再生』が文句を言ったが、オルファは

 眠気の方が勝り聞き流される。

「もう、いいか?」

「うん……ふぁ……あ……」

「……起こしにきて、ハズレだったか……いや、こいつを連れてきたのが、

 そもそもの間違いだっただけか……こいつ、今日は厄日かなにかか?」

 空也を掴む手とは逆の方で、明人は頭を抱える。

 その明人の顔にも、少々不可解な所があった。

 何故か腕の一部分に、痣が。普段は長袖なので気付かないが、今は少し見える。

『おはよう、でいいのかしら? 聖賢……それと応報も』

『ああ。おはよう、再生』

『ふぁ……あ……おはようございます〜、再生〜』

 と、神剣の三人(?)も簡単な挨拶を済ます。

「とりあえず、もうみんな集まってるから早く行こう、オルファ」

「うん……」

 

 

「おはよう、オルファ。今日もまた、よく寝ていたんですね」

「ん。おはよう、オルファ」

「おはようございます、オルファ殿」

「おはよ〜……」

 と、いまだに眠気の抜けない声のまま、オルファは食器を並べるエスペリア、

 そして食事を待つアセリアとウルカに挨拶をした。

 自分の席に着くと、オルファはもう一度、大きな欠伸をする。

 あと十数分もすれば眠気も取れるはずだが、今、この時間が一番眠くなるときだ。

「あ――ッ!」

「ッ! う……」

 と、そのとき。

 なぜか聞こえてくる、微妙に歯切れの悪い声。

 オルファが視線を、その声の主である明人と、ウルカに向ける。

 二人ともなぜだか顔を真っ赤に染め、気恥ずかしそうに目線を合わせることが無い。

「ウルカさん、アキト様、どうかしたのですか?」

「あっ、いや! な、なんでもないよ、エスペリア」

 とはいうものの、動揺しまくりの明人。と、顔を赤らめるウルカ。

 しかしその間にも、着々と朝食はアセリアの胃のなかに収まっていっている。

「ん……やっぱりエスペリアの料理……美味しい……♪」

 表情を少し緩め、アセリアは飲み込むと同時に言い放つ。

「あら、ありがとうね、アセリア♪」

 アセリアの言葉を聴いて、実に嬉しそうに返事をするエスペリア。

 それを見てオルファと明人は、慌てて着席をし、エスペリアの美味しい朝食を

 ほおばり始めた。

 

 

「あははは♪ まてまて〜♪」

『ちょ――オルファ! そんなに振り回さないで!』

 案の定、朝食をとり終わってから数十分。

 オルファはラキオス城の敷地内にある少し広めの草原で、『再生』片手に振り回し、

 元気いっぱい駆け回っていた。

 そのオルファのお相手をしてくれているのは、小動物――ハクゥテだ。

 オルファに負けないすばやい身のこなしでかけるハクゥテも、相当楽しそうだ。

 じゃれ付かれていた明人に近寄ったときに、押し付けられたようなものだったが、

 実際その明人に感謝してもよいぐらい、オルファはこの時間を楽しんでいた。

「えへへ〜♪ つっかまえたぁ!」

 と、オルファがようやくハクゥテの小さな体を捉え、抱きかかえる。

 頬を摺り寄せる笑顔のオルファ。

「……よく考えたら、もう、会う事ができなくなってたかもしれないんだよね……

 ハクゥテ」

 急に、寂しげな眼差しをハクゥテに向けるオルファ。

 エターナルになる前、来夢に見せるために捕まえたはずのハクゥテ。

 しかしその姿を、自分の手で見せる機会は、訪れることが無かった。

 それに多分、自分が世話をしていた期間より、他の人達が世話をしていた時間の方が、

 長いだろう。

 そう思うと、とたんに寂しさがこみ上げてくる。

「……ッ! わわわッ! く、くすぐったいよぉ」

 そんな表情をオルファが作った瞬間、ハクゥテがその頬を慰めるよう舐め始めた。

 まるで、本当にオルファの心を読んだようなタイミングだった。

「えへへ……もう、しょうがないなぁ。それじゃあ、もう一回、かけっこ〜♪」

 と、オルファはハクゥテをおろし、再び駆け出すその小さな体を――

『ッ! だ、だから私を振り回すのは止めなさいって! や――』

 『再生』を振り回しながら、再び追いかけだした。

 

「あー、疲れたぁ♪」

『ホント……さっきまでボーっとしていたと思ったらいきなりこれですもの……

 私も疲れたわ……私でも気分が悪くなることがあるってことがわかったし……』

 げんなりとした声を上げる『再生』と、それとは対照的に満足げな声を上げるオルファ。

 さて。

 ハクゥテも疲れたらしく眠ってしまったので、とたんに暇になってしまった。

 せっかくの休日なので、どうやってこれから遊ぼうかと考え、これ以上は止めなさいと

 『再生』に突っ込みを入れられていると、

「やーだーッ! やだったらやなのーッ! いーやーだーッ!」

「大隊長あなた子供ですか! その年になって地面に腰つけてだだこねないの!

 みっともない!」

 ……なぜか、今朝のオルファと『再生』のような会話が聞こえてきた。

 何事かと思い、オルファはその声が聞こえてきた方へと向かう。

 そこには、

「なんで! あたしたち交代のときまでまだ時間あるじゃないぃッ!

 なんで今帰らなきゃなんないのよ! オーボーよオーボーッ!」

「しょうがないじゃないですか! 前線部隊から救援の要請なんです!

 私たちが担当している区域からなんですから、その要請に答えるのは当然でしょう!」

「でも!」

「でもではありません!」

 ……妙にデジャヴを感じる光景があった。

 腕を引っ張られ、引きずられる形なのは、フェイト。

 それを引っ張っているのが、その参謀役でもある、アイラ。

「まだあたしアキト君とあんまし話してないじゃん! ああ、もう! 今日こそあたしの

 魅力でアキト君を落とそうと思ってたのにぃッ!」

「まだそんなこと言ってんですか! どう考えても大隊長に勝ち目無いでしょう? 

 アセリアさんにエスペリアさん。ウルカさんにマミさんまでいるんですから、

 大隊長の付け入る隙なんてありませよ!」

「……一人、抜けてない?」

「抜けてません」

「だってほら、アイラちゃんお気に入りのあの」

「オルファちゃんは違います。絶対に違います。ていうかあれに手を出したら、

 アキトさん犯罪ですよ犯罪。ロリータコンプレックスと言うやつです。あんな小さい

 ツルペタ少女も珍しいと思いますが、あれに手を出していいのは私だけです。

 いいですか大隊長? ああいった娘を抱きしめ、頬で温もりを感じ、

 悦に入っていいのは私だけなんです」

「……ずいぶんと独りよがりな考え方ね、アイラちゃん」

 まったくだ。

 オルファの明人に対する思いは、本物である。

 誰になんと言われようと、これは真剣な思いだ。

 それゆえに、今のアイラの発言にはちょっとムッと来るものがあった。

「でも……私が見た限り、オルファちゃん自身が、普通にアキトさんのこと

 思っちゃってるというのが残念なんですよ」

 が、今度は一変してばつの悪そうな表情を作るアイラ。

 どうやら先ほど断言はしたが、オルファの気持ちについては予定外に敏感に

 感じ取っているようだ。

「なるべく私も、無理やりな抱擁はよしたいんですけどあの容姿はもうその衝動すら

 抑えれないほど愛らしくって愛らしくって愛らしくって……何度か本気でアキトさんの

 背中をぶすりといきそうになっちゃうくらいなんですよ……」

「さらっと鼻血出しながら怖いこといわないのアイラちゃん」

「だってぇ……」

 さあ、ここまでくると立場がいつのまにか逆転らしい。

 なんだかんだ言っても、お姉さん的立場にあるのはどうやらフェイトのほうらしい。

 今度駄々をこね始めたのは、鼻血を拭うアイラだった。

「あーもう。その話は向こう行ってから聞くから。それじゃあ、あたしはみんなに

 このこと報告してくるから、アイラちゃんはテキトーに暇してる隊員みっけて

 つれてきて頂戴。あっ、あとクリスはあたしみたく引きずってでも連れてきてよね」

「了解、いたしました大隊長……。はぁ……なんか話しているうちに虚しくなって

 きましたよ……」

 

『面白い、人達ね。今の二人、スピリットだというのに神剣に飲まれず、あそこまで

 自我を形成しているなんて。正直興味がもてるわ』

「うん……」

 何の前触れもなく、オルファのテンション急降下。

『? どうしたの、オルファ? 急に元気がなくなっちゃってるけど』

 それにいち早く気付いた『再生』が声をかける。

 しかしその低くなってしまった空気と同じぐらい重い言葉が、オルファの口から

 出るなんて誰が予想しただろう。

「あのね、『再生』……オルファ、あとどれぐらいミニオンを倒さなきゃ、ダメなの?」

『……唐突な質問ね。じゃあまず、私の問いに答えてくれるかしら?

 どうしてオルファは急にそんなことを思ったの』

「……ミニオンの中にだって、フェイトおねえちゃんやアイラおねえちゃんみたいに、

 自分の存在を確認できてる人がいるかもしれないのに……それをオルファが殺すのって、

 なんだか、とっても悪い気がしたから……」

 少し、『再生』は理解するのに時間がかかった。

 先ほどまで、その容姿相応の無邪気さ、元気さで走り回っていたテンションとは

 思えない。

『……確かに、ミニオンの中にも自我を持つものがいるかもしれないわね』

 少し考えたあと、『再生』は答えた。

「じゃあ」

『でも』

 抗議の声を上げるオルファを遮り、『再生』は続ける。

『そのミニオンたちは、この世界を滅ぼそうとしている敵なの。わかるわよね?

 そのミニオンたちを放っておいたら、せっかく、この世界で神剣の呪縛から

 解放されかけている多くのスピリットたちの未来を断つこととなる』

「……うん……それは、わかってるんだけど」

 わかってる。

 そうは言うものの、納得できない表情のままのオルファ。

 オルファは、自分の生い立ちを知らず、スピリットとして生まれ、育ってきた。

 そして育つ過程で、スピリットを殺すことなどなんとも思わない風に育てられた。

 しかし明人と、大切な人達とめぐり合い、徐々にスピリットとしてではなく、

 『人』として扱ってくれる優しい人達に出会ったから、その考えも変わった。

 変えることが出来た。

 そして、エターナルとして覚醒。

 初めて孤独というものを味わい、初めて自分の気持ちを見直すことができ……

 生命を司る永遠神剣第二位『再生』と出会い、その重さをやっと理解することが出来た。

 それ以来、オルファの幼い心では葛藤が渦を巻いていた。

 それに押しつぶされないだけでも、オルファが強い心を持っているということがわかる。

 もちろん、そんなオルファを主として、大切なパートナーとして、『再生』は守り、

 支えてやりたいと思っていた。

 だからこそ、本音でぶつかりたいとも思っている。

『……犠牲を出さずに得られるものなどないの。今のあなたなら、わかるはず……。

 ですけど、安心なさい。じきに時が来て、この戦いも終わる。私の出来損ないである

 この世界すべてのスピリットの母である、永遠神剣第二位『再生』破壊すれば、

 この世界で新たに戦うためだけの存在であるスピリットが出現することがなくなる』

 すでに見据えたこの戦いの先に待つことを、『再生』は告げた。

「……そのあと、みんなはどうなるの? ネリーは? シアーは?

 ヒミカおねえちゃんやニムや他のみんなは……どう、なるの?」

『わからないわ。もともとスピリットは人との間に子供は持てない。そしてスピリットは

 女性しか生まれない……今の代で、スピリットは絶滅するように思えるけど、多分、

 大丈夫だわ。『再生』が破壊されれば、種を絶やさぬために何かしらの自己防衛本能が

 働くはずだから』

 確信はなかった。

 しかし、この世界にある『再生』が、オルファの持つ『再生』のイミテーションで

 あれば、今のことにも頷くことができる。自身のことは、一番よくわかるはずだ。

 オルファもわかっているからこの会話に突っ込みを入れなかった。

 この世界に、どうしてスピリットが生まれたか。

 そのスピリットを生み出しているのは、なんなのか。

 すべて真美と、『再生』から聞かされていたから。

「ほんとう?」

『ええ。私は、あなたに嘘をつく必要なんてないですもの』

「……ありがと、『再生』。えへへ……『再生』って、なんかお母さんみたい♪

 エスペリアもそうだけど……ううん、エスペリアとはちょっと違う……けど、

 なんだかうれしいなぁ♪」

『あっ、ちょ、急に頬を摺り寄せないで……く、くすぐったいわ……』

 とは言うものの、まんざらではない感じの声を上げる『再生』。

 オルファの珠のような瑞々しい肌が、オルファの背丈を五割り増しした感じの

 乳白色をした『再生』にすりすりとこすられる。

 そのオルファの表情も、まるで母親に抱かれ、その胸に顔をうずめ甘えているように

 見える。

「くふふ〜♪ もしかして『再生』、照れてる?」

『そ、そんなことは――』

「……なにしてるの? オルファちゃん」

 そんな(はたから見たら本当になにをやっているのかわからない)光景に第三者、介入。

 それは先ほどまで駄々をこね、そして実際は凛とした性格のギャップを見せ付けていた、

「あっ、フェイトおねえちゃん」

 だ。

 酷く怪訝そうな瞳をオルファに向けている。

 どうやら、今のオルファの行動は相当不可解だったらしい。

「今ね、『再生』と話してたの。フェイトおねえちゃんとアイラおねえちゃんって、

 やっぱり面白いね、って♪」

「……もしかして、見られてた?」

「うん♪」

「っちゃ〜……オルファちゃん、このこと、みんなには黙っておいてね?」

「うん、わかった!」

「よし、いい子いい子。それじゃあ、また二日三日ぐらいここあけるんで、アキトさんに

 よろしく言っておいてね♪」

 歯切れのいい返事に気をよくしたフェイトは、オルファの頭をひと撫で。

 そしてアイラが見たら後ろから神剣でぶすりといきそうな行為――つまり、フェイトの

 このもてあましたナイスバディにオルファを抱き寄せる――をして、宿舎へと向く道に

 足を伸ばした。

「フェイトおねえちゃん」

 その後ろ姿に、オルファが声をかける。

 フェイトが振り向く前に、続けた。

「絶対に、絶対に帰ってきてね! パパも、オルファも、みんなも待ってるから!」

 フェイトは無言でそのまま、歩みを進める。

 だが雄々しく『樹林』を持った腕を上げるその姿は、オルファの問いかけに答えていた。

 背中が語ってる。

 

「アキトさんに告るまでぜってえ死なないってば!」

 

 と。

 ……まあ、動機はどうあれ、フェイトの意志の強さの右に出るものはそういないだろう。

「さってと」

 ――クキュゥ……

 決してハクゥテなどの小動物の鳴き声ではありません。

 この申し訳程度に聞こえてくるかわいらしい音の発信源は、実はオルファからである。

『……そういえば、結構な時間、経っているわね。もうそろそろ、お昼かしら?』

「えへへ〜……ちょっと、恥ずかしかったよぅ」

 オルファの小さな腹部から、再び聞こえてくる風の囁きのような音。

 そういえば聞こえはいいが、これが明人だったり空也だったりしたら間違いなく、

 なんの躊躇もなく腹の虫の音と無駄に潔く表記されていただろう。

 日はすでに高々と昇りきっていた。

 現実世界の言葉を借りれば、そろそろ正午。お昼時である。

「午後から何してあっそぼっかなぁ。……うん! ネリー達と一緒にあっそぼーっと!

 たしか訓練って、午前中だけだったよね♪」

『はぁ……もう、何も言わないわ。好きにしなさい。でもオルファも少しは訓練したら?』

 

『ウルカの場合』

 

 水を打ったような静けさが、肌に突き刺さり、心地よい。

 まだ夜の抜けきらない空気が、肺を満たし、気持ちを落ち着かせる。

 仄かな朝日を浴びて微かな輝きを放つ葉が、周囲を彩り、非常に美しい。

 ここは、第一スピリット館最寄りの訓練場。

 周りを森に囲まれ、時折吹く風が静かな音楽を奏で、精神を集中させるのに

ぴったりな空間を形成する。

 そのことから、この訓練場に朝から訓練にやってくるスピリットも少なくない。

 だが、今この場にいるのは、ただ一人。

 早朝という時間。太陽は、まだ申し訳程度に顔を出しただけのような時間。

 まだ赤みを帯びている太陽光が受け、煌くのは、青みがかった銀髪。

 シルクのような滑らかさを持つ、褐色の肌。

 そして閉じられた鋭い瞳。

 体にピッタリとフィットした黒いボディスーツ。

 腰に携えた鞘に納まる『深遠』に手をかけ、ジッと精神を集中させている、ウルカだ。

 たなびく長い銀髪が、風の洗礼を受けて一層大きくなびいた。

 それに便乗し、周りを囲む木々から、青々と茂る葉が数枚さらわれ、ウルカの下に

舞い落ちてくる。

 その葉の一つが、音もなく真っ二つに裂かれた。

 続けてもう一枚、また一枚と、ウルカの前後左右に展開する木の葉が弾け飛んだ。

 正面以外は、ウルカの体から放たれる気迫によりその耐久度を軽く弾き飛ばされていた。

 額にうっすらと浮かぶ汗が、その集中を静かに物語る。

「フ――ッ」

 最後に、一声。

 気合とともに、居合いを抜いたままの体制で止まった。

 同時に、玉となった汗が宙を舞い、朝日に乱反射する。

『体の調子は、どうだろうか?』

 短く問いかけてくる、『深遠』。

「……上々です。随分と、この力に体が慣れてきました」

 鞘に『深遠』を戻しながら、ウルカもまた、短く答えた。

『……主は覚えが早い。こちらとしても、ありがたいことだ』

「それは、どうもありがとうございます」

『この調子であれば、すぐにでも全開で戦える。そうすれば、主があのような輩に

負ける要素はない。保証しよう』

 と、背後で人の気配が一つ。

 ウルカが振り返ると、そこには、アセリアに負けないほど美しい青髪を持った

 ブラックスピリット――かつて、ウルカを隊長とした遊撃隊でその力を振るっていた、

 永遠神剣第六位『蒼天』の主、クリスがいた。

「おはようございます、ウルカさん」

「はい。おはようございます、クリス殿」

 音もなく歩み寄ってくるクリス。

 砂利を踏みしめる音も、地面に転がる枝を踏む音も立たせず近づいてくるクリス。

 妙な緊張感だ。

 まるで、そう、敵対するものと対峙したときのような感じだ。

 その意味を、まもなくウルカは知ることとなる。

 ウルカの間合い半歩手前ほどの位置で、クリスの足並みが変わった。

 ぐっと踏み込まれ、次には、金属音が鳴り響く。

 ウルカが『深遠』を盾に、クリスの『蒼天』すべてを断ち切りそうな鋭利な刃先を

受け止めている。

 火花を一瞬散らした後、先に鍔迫り合いを放棄したクリスが空気を切り裂き、

 半回転しながら刃を中段に走らせる。

 それを見て、ウルカは『蒼天』の間合いギリギリの位置まで身を引き、

 避けながらそのまま反撃に移る。

 刹那のタイミングで鞘に戻した『深遠』を使い、居合い抜きをクリスの腹部へと放つ。

 ……手ごたえは、確かにあった。

 しかしそれは生身へ直撃させたという感覚ではなく、硬質な物体に防がれた感じ。

 ギチギチと音を立て、ウルカの斬撃を受け止めているのは、クリスの鞘。

 カグヤのように、攻撃の一環として鞘を使う例はほとんどない。

 だが実際の所、ブルースピリットとブラックスピリットの神剣に多い剣型や刀型の

 神剣についてくる鞘は、並大抵の攻撃ではびくともしないほど耐久性に優れている。

 それを理解した上での防御。

 そして平然とやってのける勝負強さと、裏づけされた実力。

 これぞ、ウルカ、セイグリッドに続く遊撃隊ナンバー三の実力だ。

 余所見をしている暇はない。

 今度はクリスが牽制に、体を正面に捻りつつ伸びのある蹴り。

 一瞬判断が遅れ、その蹴りはウルカの頬を霞める。

 そのまま、クリスは見事としか言いようのない足技でウルカに反撃の隙を与えない。

 この剣技以外の実力も、クリスの強みでもある。

 この手の攻撃で致命傷など到底期待できない。

 しかし神剣を使った攻撃はどうしても技のあとに隙が生じる。

 もちろん手足を使った格闘技でも隙はできるが、神剣を振り回しているときよりは

マシである。

 故にここで相手を封じ込めることが出来たら、戦況は一気に傾き、主導権を

握ることが出来る。

 これは普通のスピリットに言えること。

 しかし今、対峙しているのは――戦いの、天才だ。

 ウルカが一瞬の隙を見抜き、打ち抜かれた足首を手の平で絡めとった。

 クリスは片足一本の状態になり、必然的にハイロゥを出現させバランスをとり、

 立て直そうとする。

 ウルカの瞳が細くなり、口の端が少しつりあがる。

 絡めていくクリスの足を開放し、残像を残すほどの速度でウルカが動く。

 クリスが反応できない速度でウルカは背後に回りこみ、残った一本の足をすくった。

 一瞬の無重力。

 だが、それを感じているのもコンマ数秒。

 その真上に、ウルカが純白のハイロゥを羽ばたかせ、出現し、

「か――ッ!」

 踵落としで地面に叩きつけた。

 その衝撃により、クリスの肺から強制的に空気が排出。

 詰まる声にならない声を上げた。

 が、まだ終わらない。

 叩きつけられた瞬間に、クリスの姿が消える。

 ウルカの目線が左に動いた。

 燃えるような真っ赤な瞳が、ハイロゥを羽ばたかせるクリスの姿を捉え、そして――

 

 長いようで、短い攻防。

 結果は、お互いの首筋にそれぞれの神剣をつきたてる、引き分け、というものだった。

「……突然、申し訳ありませんでした」

 顎から滴り落ちる汗を拭おうともせず、クリスが言った。

「いえ……手前も、最後は楽しんでいましたゆえ……」

 ウルカも、頬を伝って地面に垂直落下をし始める玉のような汗を浮かべ、言った。

「主導権は、完全に私にあったはずなのに……よく、あの固めから抜け出せましたね……

 これはもう、さすがとしか言いようがありません。型も美しいですし……」

「いえ、手前などまだまだ……」

 そういいつつ、二人はお互いに剣を鞘に納めた。

「そういわれますと、全力を出しきったこちらとしては……複雑な気分になりますよ」

「い、いえ! 別にそういう意味で言ったわけでは」

 瞳を細め、少々困った表情を作りながらクリスが『意地悪』そうに言うと、

 ある意味、予想通りの反応が返ってくる。

 先ほどまでの武神の煌きと風格はどこへ行ったのか。

 両手を胸の辺りで突き出し、酷く慌てて、必至の弁解に入る。

「……ふふっ、冗談、ですよ。ウルカさんって、やっぱり面白いですね」

「そう、でしょうか……手前はそのような自覚はありませぬ故……よくわかりません」

「以前、ですね」

 突然、話題を変えるクリス。

「私には、憧れの人がいました。その人はとても不器用で、とても自分に厳しくて、

 とても……仲間思いの人でした」

 それは、クリスの自身の中にある、断片的な記憶。

 断片的ではあるが、しっかりと、クリスの中に根を張り続ける、大切な、記憶。

「私は今でも、その人の背中を追い続けています」

 それは暖かくも――

「私は今でも、その人の強さに憧れています」

 今は、冷たい――

「その人の、心の強さに追いつくことが、私の目標です」

 だが、何物にも変えがたい――

「ウルカさん。本当に、あなたは違うのでしょうか。その人とは」

「…………」

 大切な記憶。そして、問いかけ。

 ウルカは、答えることが出来なかった。

 最初に出会ったとき、クリスは一歩踏み込み、こちらに飛び掛かってきそうになるのを

 必至に抑えているのがわかった。(体が前方に傾き、震えていた)

 そのときの会話、そのときはしっかりと、『違う』ということが出来た。

 しかし今は、そんな雰囲気ではない。

 どうするか。

 ウルカは誰がなんと言おうと、良くも悪くも真っ直ぐな、真っ直ぐすぎる性格。

 ……まあ、つまりだ。

 『嘘をつく』という行為自体が、ウルカの中ではタブーに等しい存在なのだ。

 それは相手が真剣であればあるほど、その思いは強くなる。

「……手前は」

 しかし、

「……手前は、違いますよ。手前は、クリス殿の追いかける人物とは天と地の差……

 手前はまだまだ、力も心も弱い若輩者です」

 このクリスの問いかけに答えることは、

「手前にそのような影を見るなどという真似は、やめておくといいです。

もう、クリス殿はその人を超える、心の強さを持っているのではないでしょうか」

 自らが兼を捧げた人への思いを貫き通すという、覚悟を決定付けられるものであった。

「そんなこと」

「あります」

 遮るウルカの凛とした、しかし柔らかい声。

「……手前は、誇りに思いますよ」

「え……」

 そして、クリスを抱き寄せ、感触を確かめるように背中に回す。

「このような、志を高く持てる仲間とともに、戦えることを」

 

 ――このように慕われていた、手前は幸せ者です。

 

「そして、嬉しく思います……クリス殿」

 

 ――そしてもう、手前の影など追う必要はないのです。

 

「あなたは」

 

 ――あなたは、

 

「もう十二分な強さと思いを持っていますから」

 

 ――手前などとうに超えているのですよ。

 

「……なに、してるんですか?」

「へ? あっ、せ、せせせセイグリッドさん!?」

 熱い見方を間違えたらかなりヤバメの抱擁が行われているこの場に、

 第三者予期せず登場。

 怪訝そうな声と表情で目前の光景を伝えてくるセイグリッドに、

クリスは慌ててウルカから離れる。

「こ、これはですね!? その! えっとですね!? あの!?」

 と、ヘリオンよろしくな感じで慌てふためくクリスの姿は実に珍しい。

「……大丈夫ですよ。ワタシは、そういうのもありだと思っていますから」

 と、笑顔で凄まじい勘違いのセイグリッド。

「?」

 と、なにを言っているのか、免疫のないウルカハ小首を傾げるだけ。

 さあ、こうなるといよいよセイグリッドの独壇場。

「さて、クリスさん……ちょっとこちらに。なにがあったか、ゆっくりじっくり、

 話してくださいね?」

 

 

 とりあえず、クリスをセイグリッドにとられてしまったため、手が空いてしまった

 ウルカは、先の訓練(?)でかいた汗を落とすため、大浴場へと足を運んでいた。

 それにしても、ラキオスの大浴場は本当に広い。

 一人ではいるのは少し寂しい気分になるが、他に誘うべき相手も、この時間では

 ぐっすりと夢の中であろう。

 ……誘うべき、相手?

 ウルカは、ふと、ある人物の顔が思い浮かんだ。

 そして次には首をブンブンと左右に振り、あらぬ妄想を吹き飛ばした。

 何故ここで、最初に明人がでてくる?

 それは、明人へ向けられる好意は本当だし、隠すつもりもないが……

 腕に装備されたガンレットをまずはずし、細くもしっかりとした健康的な腕が見えた。

 腰に装備されたレザーマントを取り、たたみ、備え付けの籠の中へきちんと置く。

 慣れた手つきで体にぴったりとフィットしたスーツを取り払い、スレンダーな肢体を

 露わにする。

 そのまま、少々褐色の頬を紅色に染めた状態で、

「あー、いい湯だな、空也」

「そうさなぁ。これで誰か他の隊員が入ってきたら嬉し恥ずかしハプニングなのにな」

 扉を、開けれなかった。

 手をかけようとした状態で

「ん? 明人、なにか脱衣所で物音しなかったか? もしかして、もしかするんじゃ……」

「そうか? ……いや、何もしてない。してないから」

「本当かぁ? んじゃ、確かめてきても文句はねえよな?」

「ッ!?」

 まずい。

 ざぶんと湯船から上がる音が聞こえた。

 今、身を隠すものといえば脇に見えるバスタオルのみ。

 会話からして、空也がこちらへと向かってくる。

 さあ、どうする。

 思考時間、数秒ほど。

 ……今回ばかりは、美紗に申し訳ないが、

「御免ッ!」

「へ――ぶしッ!?」

 グーで空也の顔の中心を貫くことにした。

 開いた瞬間、鮮やかな右ストレートが空也に襲い掛かり、避ける暇も与えず、

 ぶっ飛ばした。

 もんどりうちながら、大浴場を勢いよく空也が強制後退。

 しかし撃ちぬいたために、空也の意識を根絶させることは出来たが、

 残った明人の視線はもろに浴びてしまう結果となる。

 交錯する視線。

 固まる表情。

 お互い、生まれたままの姿だ。よくよく見ると、明人はなぜか全身痣だらけだ。

 今はそれはおいておこう。そんなことにかまっている状況ではないのだ。

 これが、お互いの思いを確かめ合う前だったならば、

 

「アキト殿。入っておられたのですか」(空也は数に入っていません)

「う、ウルカ!?」

「これは丁度よかった。お背中をお流しいたしましょう」

「い、いいよ。俺ももう、でるし」

「いえいえ。手前などに気を使わずに……それではお隣、つからせていただきます」

「あ、ああ……」

 

 などというウルカらしいセリフとともに一緒に入浴ぐらいしていただろう。

 だが今は、

「い」

「う」

 ほぼ同時に、

 

「いやぁあああ!?」

「うわぁあああ!?」

 

 悲鳴を上げた。

 それとついでに、

 ――ボグルァッ!

 と言う効果音。

 ようやく、肌でのふれあいが恥ずかしいものだと、ウルカは知った瞬間であった。

 

 

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