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第一六話 『禍根』

「はぁあああッ!」
 セイグリッドの高速の一線が、敵スピリットを弾き飛ばした。
 あたりに気配を飛ばしてみると、今ので最後だという事がわかる。
 この北の街道を守る敵の数は、それほど多くなかった。
 今回は、その敵の采配に感謝する事になる。
 しかしそれはあくまで、歴戦を勝ちぬいてきたセイグリッドだからこそ言える、
 『それほど多くない』であるからして、他の三人はへとへとだった。
「みんな、大丈夫?」
 セイグリッドは額に薄っすらと浮かんだ汗を拭いながら、見渡してみる。
 ただ、息の上がる声だけが、返事として返ってきた。
 もう余裕の文字は、一つも無かった。
 シアーはなんかはもう、その場にへたり込んでしまっている。
(……みんな、頑張りましたからね……)
 それでも、これ以上戦闘が続けば、まずい事になるだろう。
 作戦を開始して、すでに二十時間は超えていた。
 それまで休み無しに動いたのだから、ネリー、シアー、ヘリオンの体力は
 すでに限界を突破している。
 それでも、その体に鞭打って戦ったのだ。
 ここは一旦、途中にあった元イースペリアの街に戻って、休息を取らねばなるまい。
 戦場で無茶をすれば、それは確実にミスに繋がり、死へと誘われる。
 セイグリッド自身も、そう言った経験があったから、この判断を取ったのだろう。
 悪いと感じながらも、あとは、明人達中央の部隊に任せることにした。
「みんな、一旦拠点に戻りましょう。そこで休息を取り、十分回復した所で――」
「……おい、みんな、聞こえるか!」
 突然、雑音混じりの聞いた事のある声。
 それは、あの、ハーミットの声であった。
「え……あっ、これは、なんなのですか?」
 三人を見てみると、どうやら、同じ声が聞こえているらしい。
 驚きと疑問の混じった表情が伺える。
「詳しい事はあとだ! イオの力でそっちの状況の把握は終わっている。
 もう、領内にいるほとんどのスピリットの反応は消えた。あとは戦意喪失した奴らだ。
 もう敵意を持った奴ら、あんた等の神剣全員を通じて『いない』と断言できる。
 すぐに、迎えたらマロリガンの首都に向かってくれ! 時は一刻を争う!
 マロリガン中のマナが、首都に集められていやがるんだ!」

「……あなたで、最後です」
 『赤光』を喉元に当てられ、すでに目の前のスピリットに敵意は感じられなかった。
 周りには金色のマナと、気絶している者が半々であった。
 もちろん、ラキオスの部隊に犠牲者など、一人も出てはいなかった。
 それでも、今回は激戦であった。
 このデオドガン商業組合付近には、これでもかといわんばかりの部隊が配備され、
 ヒミカ達を苦しめた。
 しかし、今回は個々人の能力の高さが、命運を分けた。
 まず、全員長期戦にも対応できるスタミナと集中力を養っていた事。
 これが年少組だったならば、一度は拠点に戻らねばこの二十時間以上の戦闘は
 耐えられなかっただろう。
 あと、二人組に戦力を二分されたとしても、そのコンビネーションの良さが幸いした。
 ヒミカとハリオンのコンビは、攻守ともにお互い完璧にこなし、
 敵にスキをまったく与えない戦いを展開した。
 セリアとナナルゥは、セリア前衛、ナナルゥ後衛のパターンをきっちり守り、
 確実かつ、大胆に敵の陣形を崩していった。
 明人の全員の実力を把握した采配に、ヒミカは感謝した。
 とは言っても、ヒミカはすでに滴るような汗を拭う気力も無い。
 ハリオンも、『大樹』を杖代わりにして何とか立っている様子だった。
 セリアは珍しく、その場に膝をつき、荒い呼吸を上げている。
 ナナルゥは表情には出ていないが、その瞳には明らかな疲労が伺える。
 全員、体力も気力も限界だった。
 すでに抵抗勢力は、見られない。
 多少後方に抜かれてしまったが、拠点を守るパーミア、ファーレーン、ニムントールの
 三人には物足りない数であろうと、ヒミカは踏んでいた。
 とりあえず、この二十時間を越える長さの作戦を、自分たちは一人も倒れることなく、
 こなす事が出来た喜びに浸りたかった。
「おい……そこにいる四人……聞こえるか?」
「え……これは、ハーミット……さん?」
 突如、声が聞こえてきた。
 それは、あのハーミットの声だった。
「理由は、後で話す。でも今は、ニーハスにいる奴らに、これだけは伝えてくれ。
 マロリガン中のマナが、首都に集められていやがる。
 セイグリッド達には無理言って向かってもらったが、あんた等は遠い。
 このままだと……」

「……これで、周辺の気配は無くなりましたね」
 ふぅ、とため息をつくパーミア。
 先ほど、南のデオドガンから敵部隊が二つ三つほどこちらへと向かってきたが、
 どうやらヒミカ達がやられたわけではなかったらしい。
 スキをつかれ、抜かれたものだと判断できる。
 言っちゃ悪いが、そこまで強くは無かった。
 全員、気絶させて捕らえる事が出来るほど、パーミア達の圧勝だった。
「あの、パーミアさん……頬の傷、見せて下さい」
「え? あっ、ありがとう、ニム」
 少し頬が熱いと思ったら、どうやら浅く斬られていたらしい。
 いざ戦闘になると、感覚が鈍ってしまう所が自分の悪いところだな、と再認識する。
「……はい。治りました」
 自分で確認してみると、完全に痛みは引き、何事も無かった様になっていた。
「パーミアさーん! 周辺の哨戒、終わりましたよー!」
 と、遠方からファーレーンの声。
 パーミアは初め、戦闘が終了した瞬間にファーレーンの姿が確認できない事に驚いた。
 が、すぐにニムントールが「哨戒、ファーレーンさんの癖なんです」と説明を
 加えてくれたおかげで落ち着く事が出来た。
 ニムントールによると、ファーレーンは人一倍、仲間の事を気にかけ、
 その仲間が安全なら、哨戒という行動に労力は感じられないと言うか
 体が勝手に動いてしまうらしい。
「そうしたらですね、この娘達が……」
 ウィングハイロゥを閉じ、ファーレーンは来た方向に目をやって見せる。
 そこには数人のスピリット達が、怯えた様子でこちらを見ていた。
 話しを聞くと、どうやら戦意を失い、もう戦いたくないと隠れていた所を、
 ファーレーンに発見され、ここまで連れてきたと言う。
 しかし、その中に当然だがラキオスの内情を知るものなどいない。
 それ故に、これほどまでの怯えを見せているのだろう。
「……大丈夫ですよ」
 パーミアが、スピリット達の前までたどり着く。
 まだ全員、こちらの年少組と大差ない容姿をしている。
 怖がるのも、当然だろうか。
「ラキオスは、きっとあなた達を受け入れてくれます――いえ、必ず受け入れてくれます。
 さっ、怖がらないで……」
「そうだよ。ニム達の隊長さん、バカがつくくらい優しい人だから」
「あらあらニムったら……でも、アキトさんには悪いですが、そうかもしれませんね」
 優しく笑う三人に、『稲妻』少女達は少しずつだが、警戒心を解いていった。
 まもなく、南よりヒミカ達の部隊が、この場へとたどり着くことになる。
 ハーミットから知らされた、受け入れたくない現実を、知らせるために。

 もう少しで、マロリガンの首都が見えてくる。
 色々あったが、ついに、ここまでたどりついた。
 『稲妻』と出会い、空也と斬り合い、美紗と死闘を繰り広げたこの戦いに、
 終止符を打てる場所が。
 早朝に始まったこの作戦も、日が落ちてからどれくらい時間が経っているだろうか。
 まあ、途中で休憩していたら意外に時間が経っていたと言うこともあるが、
 作戦が始まってすでに二十時間は経っているだろう。
 隣りには、共に最後の決戦へと向かってくれる、エスペリアが息を上げて走っている。
 その翡翠の瞳には、この戦いの終わりが予感できる今に、少なからず感じる喜びが
 映し出されていた。
 ふと、あたりの様子がおかしい事に、明人は気付いてしまった。
 この付近に生えている木々が、なぜか異様に成長していっている事に。
 青々と茂る葉が、急激に大きくなり、そして、枯れていく様が見えたのだ。
「エスペリア、何かおかしい」
 立ち止まり、名を呼ぶ明人。
 意識を集中させてみると――
(契約者よ……いい所に気が付いたな。確かに、ここにはマナが溢れすぎている)
 『求め』の言う通りだ。
 この場には何故か、マナが溢れかえっていたのだ。
「……このマナの量……ッ! まさか――」
「エスペリアの予想どおりだ」
 突然、ハーミットの声がクリアで聞こえてきて、明人は驚く。
 ちなみに他の神剣とは違って、『求め』には一度呼びかけているから、
 こんなにクリアに聞こえるのだ。
「そんな……そんなことが……」
「おい、エスペリアの予想どおりって――」
「悟ってやれよ、隊長さん。エスペリアの予想したとおり、このマナの急速な高まりは、
 『マナ消失』が起きる予兆みたいなもんなのさ」
 青ざめるエスペリアと、ハーミットの的確な指摘。
 認めるには、十分な要素であった。
「しかも、今回はイースペリアの比じゃない。大陸が丸ごと一個、飲み込まれちまう。
 だから隊長さん、エスペリア……あいつを、あのバカを、止めてくれ!」

 首都にたどり着くと、悲惨な光景が広がっていた。
 まずは城下町で逃げ惑う人々。
 何も知らされていなかったのか、明人とエスペリアの存在にすら気付かないほど
 混乱の真っ只中に合った。
 そこを通りぬけ、城内につくと――
「……ッ! こ、これは……」
 明人は思わず、顔をしかめて口元を覆う。
 そこには、人間の死体が山ほど転がっていた。
 斬られ、苦痛の表情のまま固まった者、下腹部をえぐられ、内臓を吐き出している者、
 神剣魔法に焼かれ、すでに原型をとどめていない者など。
 ありとあらゆる死体が、散乱していた。
「…………」
「エスペリア、急ごう」
 慈愛の瞳は、そんな死体から決して背けられることはなかった。
 深い悲しみだけが、募って行く。
 そして――その悲しみを、
「もう……」
「え?」
「もう、終わらせましょう……こんな……こんな悲しい事を!」
 決意へと、変えた。

 地下へと続く階段。
 降りきると、青白い光を放つ壁と床が目に入ってきた。
 材質はよくわからない。
 金属でも、岩でも無い、ひんやりとした空気を作りだすものであった。
 奥に気配を飛ばす。
 人の気配が一つと、異常なほど強い、スピリットの反応が幾つもあった。
「まだ、残ってたのか……」
「ここまできたら、もう、避けられません」
 敵の反応が、動いた。
 すぐさま二人は展開する。
 神剣魔法が、二人目掛けて間もなく踊りかかってきた。
「邪魔を……するなぁあああッ!」
 足が地に付くと同時に、明人は跳躍する。
 その奇襲を受けた敵スピリットは、『求め』の刃により消滅し、取りこまれた。
「やぁあああッ!」
 エスペリアも、二度、三度と間髪無く斬りこみ、敵の胴を二分にした。
「……なんだ、こいつら……」
 先制を決めた明人とエスペリアが、お互い背を預け合流する。
 周りを囲んだ敵スピリット達はみな、異常なほど、殺気立っていた。
 まるで、獣の様に。
「……こいつは、マナ結晶ってやつを使って、一時的に神剣の力を増大させるものだ。
 しかし、このあと間違い無く副作用で……死ぬね」
 明人の疑問には、ハーミットが答えてくれた。
 以前、それはサーギオスで研究していた事だったから――。
「くそ……そこまでやるかよ……ッ!」
「アキト様、きます!」
 敵の一角が、急に崩れた。
 その敵スピリットが消えると、ブラックスピリットの少女が、長く艶やかな髪を
 なびかせていた。
 続けて、他の敵スピリットは神剣魔法を放とうとする。
「やらせないよ! 凍っちゃえ!」
「その言葉……紡がせてもらいます……ッ!」
 間もなく、その神剣魔法は双子のインタラプトスキルにより消沈され――
「野に放たれる、燎火のごとく、全てを飲み込む太刀を! 星火燎原の、太刀ッ!」
 小柄なツインテールの少女が、打ち払って行った。
「間に合いましたね……アキトさん」
 それは、セイグリッド達だった。
 あの時ハーミットに言われ、少しの休憩をはさみ、ここまでたどりついたのだ。
「セイグリッド……」
「ここは、ワタシ達が引き受けます。ですから、奥へ行ってください! お願いします!」

 明人を奥に送り出したものの、セイグリッド達はすでに限界を超えている。
 先ほどは不意打ちからだったのである程度倒せたものの、今は完全に押されていた。
 すでに、汗を拭う事すら辛い。
 ヘリオンとシアーは、枯れた呼吸で何とか立っているといった感じだ。
「ネリーちゃん、あの二人、護りながら戦える?」
「……無理かも……だけど、やんなきゃダメだから……ッ!」
 グッと『静寂』を握りなおすネリー。
 まだ、全員目は死んでいない。
 いざとなれば、自分を犠牲に、ここにいる三人を逃がそうとセイグリッドは考えていた。
 一度は死んだ身。明人を生かすために、捨てた体。
 ならば、もう一度……この娘達の未来のために、自分を犠牲にする事など――
「お〜お〜、苦戦してるみたいだな。手ぇかすぜ? 麗しき、武人のお姉さん」
「――ッ! あなた……達は」

 もう、二度とあのような光を見てはいけない。
 しかも今度は大陸全土を巻き込む規模のものだ。
 だから……
「俺が、止めてやるよ……ッ!」
「……早かったな。ラキオスの、若き英雄よ」
「……クェドギン!」
 目の前には、あの時――マロリガンを訪問した時に見た、クェドギンが立っている。
 背後には、国の中心であり、今、『マナ消失』を起こそうとしている変換炉があった。
 周りは、意外と広い。
 天上まで、約二十メートルはあるだろうか。
 広さも、下手な訓練場並に広い。
「まさか、あんたがこんな事をするような人間だと、思ってなかったぜ。
 あんたならわかるだろ。今自分がやっている事が、どんだけ無意味な事かを」
「……来訪者よ。一つ、俺の戯言に付き合って見ないか?」
 見据える明人に畏怖する事も無く、クェドギンは返事が来る前に、続けた。
「俺は、この出来すぎた運命に、逆らいたいだけだ」
「出来すぎた……運命……?」
「そうだ。各国の緊張状態にある中、来訪者が、それぞれの国に降り立つ。
 そして、それぞれが動くタイミングが、まるで何かで計られた様に、
 無駄が無く、そして、淡々と進んで行っている」
「……何が言いたい」
「つまりだ。今、俺達がいるこの世界は、一つのステージ、踊り場だと仮定する。
 そしてその裏には、必ず、筋書きを書いたものがいるはずだ。
 そんな奴に俺は、躍らされつづけるのはまっぴらごめんだ。だから」
 スッとクェドギンは、淡い光を放つ球体と、一本の永遠神剣を手に取る。
 白色の、美しい刀身を持った永遠神剣だ。
「俺は、そんな運命に逆らって、貴様等を倒す。この『禍根』は、唯一人が持てる
 永遠神剣……そしてこいつには……」
 『禍根』と球体が、合わさった。
 すると、物凄い光りが、クェドギンを包み、明人の視界を覆う。
「いずれ、お前達にもわかる! 俺が……この世界の運命に抗いつづけた訳をなぁ!」
 そして、クェドギンの反応が、消えた。
 代わりに、クェドギンの場所に、別の反応が感じられた。
 白い、スピリットだ。
 長い白髪を、後ろで一本にまとめ、整った顔立ちは酷く無表情。
 そして、純粋な殺気だけが、明人達に向けられている。
 その少女は明人とエスペリアの事を視認すると――漆黒のウィングハイロゥを展開した。
「……敵……抹殺……邪魔者……消す……ッ!」
 呟き、少女は突撃してくる。
 とっさに、エスペリアが一歩前に出て防御壁をはった。
 がしかし――
「――ッ!? そん――きゃあああッ!?」
 まるで、灼熱の刃で氷塊をえぐるかのごとく、少女の神剣『禍根』は、
 エスペリアの防御を撃ち貫いた。
 その時発生した衝撃が、エスペリアの体を大きく後方へと吹き飛ばし、壁に叩きつける。
「か……は……ッ!」
 そのエスペリアには見向きもせず、続けて明人に斬りかかってくる少女。
 その行動はまさに、自動人形。
 殺戮だけを行うために作られた、人形の様だ。
「くうッ!? なめ……るなぁッ!」
 刃を重ね、明人が一歩前に出る。
 少女の方に圧力が掛かり、明人は振りぬく。
「…………」
 力では、確かに勝っていた。
 速度も、申し分無いものだった。
 しかし今回ばかりは、相手のほうが一枚上手だったらしい。
 崩れた体制のまま、少女はハイロゥを自在に操り、高速で身を引いていた。
 距離が開く。
 するとまた、少女が行動に出た。
「……全てを巻き込む……マナの流動……いけ、ライト・バースト……ッ!」
 このように覇気の無い声とは裏腹に、辺りのマナがまがまがしく歪む。
 そして、まるで嵐の様に荒れ狂い、明人目掛け襲いかかってきた。
「――ッ! マナよ、オーラとなれ。光の盾となり、我等の身を守れ! レジストッ!」
 明人が手を横に薙ぐと、光の障壁が展開し、嵐を受け止める。
 だが、明人にかかる負担は、予想外のものだった。
 嵐の威力は凄まじい。
 ふんばってはいるが、徐々に足は地へとめり込んで行く。
 それほどの圧力が、明人に掛かっているのだ。
 だが、今ここで抜かれるわけにはいかない。
 後ろには、壁に叩き付けられ、呼吸する事すらままなら無いエスペリアがいるのだから。
 無防備なエスペリアに、こんなものを浴びさせるわけには、いかない。
「……無駄……これで……消えろ……ッ!」
「ぐぅ!? うううッ!」
 さらに威力が強まった。
 明人のオーラフォトンが、きしむ。
 すでに明人も持てる力の限界にきていた。
 ――もう、ダメなのか……ッ!
 そう諦めかけた、時だ。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうしたんだ? オレは、こんなへっぴり腰な奴に
 美紗を頼んだ憶えは無いぜ? マナよ、オーラとなりて我等を守る輝きとなれ。
 トラスケードッ!」
 親友の声。
 同時に、負担が一気に軽くなった。
「神剣魔法を上手く扱えないのは、精神がたるんでる証拠だぜ? 明人よぉ」
 横に顔をやると、いつもどおり、余裕たっぷりの空也の顔があった。
「空也……ッ! もう、動いて大丈夫なのかよ?」
「まあな。それに、オレだけじゃないぜ」
 と、明人と空也の背後から、四つの影が飛び出す。
「クウヤ、あいつをやればいいんだね! カグヤ、遅れないでよね!」
「なにいきがってんだよ、その言葉、そっくりそのまま返すぜ、アリア!」
「この大陸の運命は、お姉さんの肩にかかってる……う〜ん、燃えるわねぇ!」
「負けられない、戦い……ッ! わたしからいきます!」
 クォーリンが、まず大上段に『自然』を構え、
「地中に眠りしマナよ、今、神剣に宿りて我に仇なす敵を討て! ランド・ブレイクッ!」
 打ち下ろすと、マナの衝撃が地中を走った。
「……ふん……」
 少女はその衝撃波を、『禍根』を横に払って相殺する。
「続けて、いっくよぉッ! エア・ブレイドッ!」
 上方から、アリアの真空波が少女に降り注ぐ。
 それを少女が確認した所で、すでに体には切り傷が見られている。
 無意識で張っておいた防御壁に阻まれなかったら、今頃少女は倒れているだろう。
「私のために、炎よ、踊って! ダンシング・フレイム!」
 ミリアが『炎舞』を地に突きたてると同時に、幾本もの火柱が姿を現す。
 うねり、まるでそれ自体が意思を持っているかのごとく。
「さあ、彼女のために、死のロンドを踊ってあげるのよ!」
 ミリアの指先が、少女に向けられると、火柱は一斉に、少女に襲いかかる。
 当然、回避しようと少女は足に力を入れるが、反応しない。
 目をやると、足は、砕けた瓦礫に絡みとられ、その場に固定されていた。
 先ほどの攻撃を思いだし、クォーリンの方に少女は視線を向ける。
「これが、『自然』の力だよ! 大地は、『自然』の味方なんだからね!」
「……くっ……」
 間もなく、紅蓮の炎が少女を包み込んだ。
 しかし、それでも少女は消滅しない。
 今度は意識していたため、先程よりも強力な防御壁が作り出せていた。
 それにより、頬が少し火傷を負った程度に終わる。
「これで終わりと思うな……その程度で、あたしの剣が止められるかい!」
 炎が晴れると、間髪いれずにカグヤの『閃光の太刀』が決まる。
 少女の防御壁が、崩れ去った。
「『因果』、遠慮する事はねぇ……今までで、一番でかい力をぶつけるぞ!」
(いわれずともだ……存分に、やれ! 主よ!)
 空也の体が、金色のオーラに包まれ、
「はぁあああッ!」
 掛け声と、ほぼ同時。
 まるで旋風のような一撃が、少女を切り裂いた。
「が……ぐぅ……ッ! コロス……ッ!」
 それでも少女は倒れない。
 胸から深くえぐられ、すでに立っているだけでも辛いと言うのに。
「……明人、一番おいしい所だ! お前の手で、決めてやれ!」
「うぉおおおッ!」
 同じく白色のオーラを纏った明人が、空也の影から光の帯を残し、突撃する。
 マロリガンと、決着をつける刃を振り下ろすために――。
 音は、不思議としなかった。
 鮮血も、飛び散る事は無かった。
 ただ、明人の一撃は、少女の左斜め半身を、完全に消滅させていた。
「……あとは……未来……お前達で……掴み……取るんだ……来訪者……達よ……」
 マナの塵となる直前、少女は、確かにそう言っていた。
 その口調はまるで、消えたクェドギンの様だった。
 いや、空也も明人も、先ほどの言葉は、クェドギンが言ったものだと、信じていた。
 辺りには、金色のマナだけが、天に上っていく輝きが、見えた。

 あとは、暴走した動力炉の停止のみ。
 力を使いきったマロリガン勢とエスペリアを休ませ、明人はハーミットの指示に従い、
 解除にあたっている。
『よ〜し、次でラストだ。その仕掛けから予想できるけど、最後はパスワード式だ。
 そこに……』
「なんていれればいい?」
 確かに、ハーミットの言う通り最後は文字を打つ部分があった。
 そして珍しく、ハーミットは悩んでいる様だった。
『……あいつの、一番好きだった言葉……気高き者……』
「それでいいんだな?」
『いや、そう思うけど、多分、イオだ』
「へ? な、なんで急にイオなんだよ」
『……それが、本当の答えなんだ。あいつは、あたしがこれを解除する事を知っている。
 だから……昔亡くしたあたしとあいつの……大切な娘の名前で、
 止めて欲しいんだと思うんだ。だから、イオ。これで、全部の解除が終わったよ」
 しんみりとした、寂しい声だった。
 明人は、ハーミットとクェドギンの関係について、深く訊こうとはしなかった。
 ハーミットなら、話して良い事であれば積極的に話してくれるだろう。
 だから、明人はあえて訊かない事にする。
 この二人には、言葉では言い表せられ無い、強い絆が、感じられたから。

 ハーミットの読みどおり、最後のパスワードは、イオだった。
 マロリガンは、これで、完全にラキオスの手によって、おとされた。
 これにより、大陸を支配しているのは、北のラキオス。
 そして、南のサーギオス帝国だけとなった。

 明人は、親友と肩を並べ、拠点へと戻る帰路についている。
「やっぱ、お前には勝てないなぁ……あ〜、なんか微妙に悔しい」
「そんなゲーム感覚で言うなよ。……いいじゃないか。みんな、無事だったんだから」
「……そりゃそうだ。……なあ明人よ、ちょっと、礼を言わせてくれ。
 美紗を助けてくれて……本当にありがとう」
 マジな表情の空也。この表情は、滅多に見れるものじゃない。
「……礼なんていいよ。俺は、みんなが無事。その事実だけで、もう十分だ」
「……っへ、明人、これからはいくらでも力を貸すぜ。そして、帝国をぶっ潰そう」
「ああ、よろしく頼む」
 がっちりと握手をし、笑い合う明人と空也。
「お〜い! 二人だけで何やってんのよ〜! あたしだけのけ者なんて、やだかんね!」
 遠方より、もう一人の親友の声。
 夕焼けを背負い、その影は手を振りながら、こちらに猛然と向かってくる。
「……あいつの回復力はどうなってるんだよ……」
 呆れた様に、言放つ明人。影の主――美紗に聞こえないとわかっていながら。
「でもまあ、いいんじゃねぇか。どうせ、オレ達のじゃじゃ馬姫には何言っても
 変わらないぜ?」
「……それもそうだな」
「明人! 空也!」
 間もなく、両手を一杯に広げ、二人にラリアットするかのごとく美紗は抱きついてきた。
 二人共、それを笑顔で受け止める。
「相変わらず、元気そうだな」
「当然よ、明人! 元気は、あたしのとりえだかんね!」
 涙目の笑顔。
 それは妙に暖かく、そして、懐かしい感情を明人の胸によみがえらせる。
 これからは、この二人と共に戦って行ける。
 そして秋一を打ち倒し、来夢を助け、全員で帰還する事が出来る。
 何よりの喜びだ。
 今、明人が望む全てを叶えるための布石が、そろった。
「もう、『空虚』なんかに精神飲まれないから大丈夫よん!」
(……よく言う……今に、ぼろが出るわね)
 澄んだ、それでいて冷たい女性の声がした。
「だまらっしゃいな! あんたなんかにはもう、二度と負けないよ!」
(ふん……せいぜい頑張る事ね。まあ、わたしもしばらくは力が弱まるけど……
 回復したら、覚悟なさい)
「覚悟すんのはそっちの方よ! 今度あたしの心ん中に入ってきたら、
 頭ぶっ飛ばしてやつんだから!」
 どうやら、美紗の言いまわしからすると、これが『空虚』なのだろう。
(……まったく、騒がしいのが来たものだ)
 『求め』のあきれ果てたような声。
(そう本当の事を言うな……しかし、『空虚』がここまで言葉を発するとは……
 変わったな、奴も)
 今度の声は、『因果』である。
 『求め』より少し若く、精悍な声であった。
 ギャーギャー騒がしい美紗に、二人(?)とも少々呆れてはいるが、以前のような
 嫌悪感は無い。
 一応、仲間として認め合ったと言う事か。
 今の敵は、サーギオスの秋一が持つ『誓い』のみである。

「バカな奴だよ……ホントに……」
 ハーミットは一人、自室で酒を煽っていた。
 報告によると、クェドギンは明人達の目の前で消滅したと言う。
 ふと、今も若いがさらに若い頃の記憶が、よみがえって来た。
 あの……あいつと一緒に過ごした、帝国での、事だった。

 この頃は、自分はただひたすらに、研究に没頭していた。
 エーテル技術の開発。
 そしてそれのさらなる発展。
 気が付けば、一つの研究室を任されていた。
 これらの研究と共に、もう一つ、加えて研究していたのが、スピリットについてだった。
 この時はまだ、スピリットも実験段階でしか使われておらず、まだまだ研究対象として
 見ている部分が多かった頃だった。
 その時に、ある青年が、自分の研究室に配属された。
 他の研究室で優秀な成績を叩きだし、ここに配属される事を自ら望んだ青年――
 クェドギンが。
 彼が配属されてから、随分とハーミットの日々は変わった。
 まず――自分に、意見してくる奴が、やっと現れたと言う事だ。

「だから、この理論は俺の方が正しいんだ! 見ろ、結果もちゃんと出ている!」
 ハーミットに突き出す研究結果。
 確かに、数値はハーミットの出したものよりも五割ほど大きい。
 より、効率的なエーテル変換施設の研究内容だった。
 しかしハーミットはそれに見向きもせず、
「い〜や、その理論の元を作ったのはあたしだ。こいつは今までで一番良い結果に
 終わっているが、もうあと十回くらい試して見ろ。何が言いたいか、わかるはずだ」
 そう言放った。
 そう言われて引き下がるクェドギンでは無い。
 ならばやってやろうじゃないかと言って、戻り、そして――
「……そんな、バカな」
 意気消沈した。
 ハーミットの言う通りだった。
 この装置は、良い時と悪い時の差が激しい。
 今国に求められているのは、安定した変換施設。
「どうだい? 何が言いたいかわかっただろ。あんたは天才かもしれないが、
 さらに上を行く大天才には勝てないのさ」
 ニヤニヤと笑いながら、ハーミットが結果の載っている用紙を奪い取る。
「でもま、悪くない理論だ。……ここの計算」
 その中で、一つの計算式を指差して見せるハーミット。
 思わず、クェドギンはそこに目をやった。
「この微妙なズレを、こっちの式に応用させると……どうなった?」
 あえて答えを言わないハーミットの問いかけに、少しの思考後、クェドギンは――
「――ッ! 安定軌道に……のる」
 答えを導き出した。
「そう言うこった。……なあ、クェドギンよぉ」
「なんだ」
「今晩、酒を一緒に飲まないかい? あんた、なかなか面白い男だ」

 この後、何度も討論を交わした。杯も交わした。
 そしていつしか二人は――

「……あんたは、あたしが唯一認められる男だよ……」
 かなり酔っているのか、ハーミットの瞳はどこか虚ろだ。
「なんの……話しだよ」
 クェドギンも、そろそろ切り上げた方が良いかと思い、今は飲むのを中断している。
「ったく、これだから研究者は鈍いんだよねぇ……」
「だから、何がだよ」
「……あたしが、あんたに惚れちまったって事よ……」
 ハーミットの頬の赤さは、酔いだけではないようだった。
 あえてクェドギンと目を合わせようとせず、グラスを見つめ、言放った。
「……は?」
「……悟れ、ボンクラ……女の口から、二度も言わせるんじゃないよ……
 あたしは、あんたに惚れちまったんだよ……」
 酔いの覚めるような言葉に、クェドギンの反応は遅れた。
 そしてそこに追い討ちをかける様に、ハーミットは言葉を続けた。
 いつから惹かれていたか、よくわからない。
 しかし、自分と真っ向から討論してきたクェドギンに、ハーミットは妙な嬉しさを
 持っていた。
 そして酒を飲み交わす内に、いつのまにか、こういった感情が自分の中に生まれていた。
 もちろん、クェドギンも、ハーミットの事を憎からず思っていた。
 最初は――そう、一番初めは目標として。
 次に、追い越さなくてはいけないライバルとして。
 そして、いつのまにか自分も、ハーミットの事を女性として意識し始めていた矢先に、
 こんな事を言われたのだ。
 反応が鈍るのも仕方が無い。
「……返事、頂戴よ……」
「俺は……」

 二人が付き合い出したことは、一瞬にして研究室に広まった。
 ハーミットだ。
 とりあえず、彼女は浮かれるタイプだったらしい。
 さすがに仕事にはミスはなかったが、何かとクェドギンにいちゃついてくる。
 わからない方がおかしいくらい、堂々とした態度であった。

 そんな二人の元に、新たな研究対象が、送られてきた。
 白い、妖精だった。
 スピリットとして初めて、他の色の種類が発見され、その研究に、帝国内で
一、 二を争う優秀さを持った二人が選ばれた。

「はいるよ」
 白い妖精に与えられた部屋に、ハーミットとクェドギンが入ると、
 彼女はビクッと身を強ばらせ、怯えをもった瞳を二人に向ける。
 明らかに、こちらに対して恐怖心を持っている行動だった。
 確か、ここに連れてこられる前には、随分と酷い扱いを受けていたという。
 神剣の力も上手く使えず、抵抗することも出来ずに貴族の慰みものにされていたらしい。
 人が怖くなるのも無理はないだろう。
「大丈夫だよ。あたし等は、あんなクズみたいな人間とは違う。よし、約束しよう。
 あたしはあんたに、絶対酷い事はしない。あんたが嫌だったら、実験もしない。
 まず、一緒に話しでもしようや。な?」
 偽りのない、笑顔。
 ハーミットに、裏表なんて、存在しない。むしろ表だけの存在だ。
 それを感じ取ったのか、少女は、ゆっくりと口を開いた。
「……あ、あの……」
「なんだ?」
 クェドギンが反応する。
「本当……です、か? もうあたし……痛い事しなくても……いいんですか?」
 震えるような声だった。
 まだ、完全に緊張が解けたわけではないらしい。
「ああ、大丈夫だ。俺から言えるが、こいつの頭の構造は単純だ。嘘なんかつけない。
 もちろん、俺も嘘をつくなんて無駄な事はしたくないからな」
「一部聞き捨てなら無いが、そういうこった。えっと、名前、なんて言うんだい?」
「……ありません……この子は、『禍根』ですけど……」
「……そっか。じゃ、イオでいこう」
「え?」
 突然の提案に、ついていけない少女。
「あんたの名前だよ。いつまでもあんたじゃ嫌だしね。だから、これからはイオ」
 
 最初は、ハーミットの事も警戒していたが、徐々に慣れていき、クェドギンの強面にも
 驚かなくなった。
 その事をネタにクェドギンからかわれ、そしてその時初めて、イオは笑顔を見せた。
 そして、その頃からイオは、積極的に実験に参加してくれるようになった。

「イオ、ちょっと我慢してね……ったく、なんでわざわざこんな非効率的なものしか
 寄越さないんだよ……ほい、きつくないかい?」
 イオに装着しているのは、スピリットが神剣の力を発動させた時に見せる変化を
 数値に表す装置。
 しかしそれは、どう考えてもイオのサイズギリギリのもの――いや、むしろキツイ。
「はい……ちょっと、胸の辺りが苦しいですが、なんとか」
「……なんか悔しいわ……」
 目を細め、自分の胸部を見下ろす。イオに比べて、随分と貧相な。
「そ、そんな事無いですよハーミットさん。ほら、小さい方が良いっていう人もいるし」
「イオ……そりゃフォローになってないって。じゃ、始めるよ。痛くなったら、いってね」
「はい、わかりました」

「お、お酒……ですか」
 目の前に置かれたグラスに入った液体を見つめ、イオはいった。
 実験後、ハーミットに誘われ、自室へと連れてこられたと思えば、今に至ると。
 ハーミット自身は、すでに飲みまくっている。
「そうだよぉ。飲むと、気分が良くなってくるし。まあ、飲んで見るがいいよ」
「は、はぁ……じ、じゃあ一口だけ……」
「バカヤロウ! なに飲まそうとしてんだハーミット!」
 イオが手に掛けた瞬間、怒声。
 クェドギンが、ノックも無しに入りこんで、イオからグラスを奪い取る。
「お前、何未成年に飲酒を勧めてるんだよ! それにこんな強い酒飲めるわけないだろ!」
「あ〜もう……あんたの考えは堅い! だからあんたはあたしを超えられないんだよ!」
「んな事関係あるか! 大体お前は酔うとだなぁ!」
 無茶苦茶な理論を吹っかけられ、クェドギンが怒るのも無理は無い。
 そんな二人のやり取りを、イオは、本当に楽しそうに、見つめていた。
 二人を見ていると、心が休まる。
 初めて――そう、本当に、初めて心が許せた相手が、この二人で良かったと、思った。

 しかし、そんな生活も、長くは続かなかった。
「おい、ハーミット。イオを、見なかったか?」
「……他の研究所に移された」
 ハーミットの瞳に、輝きは無い。声にも、覇気が見られない。
 疲れきったような、そんなような瞳と声だった。
「は? なんでいきなり……ッ! まさか、あの実験にイオが!?」
「なんだ、あんたも知らされていたのか。そうだよ、お達しがあったから、引き渡した」
 次の瞬間には、クェドギンはハーミットの頬をはたいていた。
 乾いた音が、部屋にこだまする。
「なんで……だよ! なんで、イオを『マナ結晶』の実験に差し出したんだ!」
 『マナ結晶』
 一時期だけ、帝国内で行われていた、最悪の実験。
 スピリットは、自らの神剣で命を絶つと、その体は純粋に近いマナの結晶になる事が、
 わかってしまったために行われた実験。
「……上からの命令だ。仕方、無いだろ……」
「それだけか! 本当に、それだけなのかよ! 答えろよ、ハーミット!」
「答えられるわけ無いでしょ!」
 珍しく、ハーミットの口から、大声が放たれた。
「あんたは……あんたはあたしの気持ちを無視して、イオに……ッ!」
 酷く痛々しい、ハーミットの涙。
 こぼれる度に、心の痛みが増して行くようだった。
 ハーミットは、見てしまったのだ。
 ある晩、イオとクェドギンが、同じ部屋にいた事を。
 そして――
「だから、あたしはイオに嫉妬した! 悪いか! このボンクラ!」
 再び、乾いた音が響いた。
 今度は、ハーミットが放ったものだった。
 ハーミットの嗚咽と、上がった息遣いだけが、しばし聞こえてくる。
「……本当に、それで気がすんだのかよ……」
 静かに、クェドギンは言放った。
「え……」
「今回は、何も言わなかった俺が悪い。だが、これだけ言っておきたい。
 俺は、イオには手を出していない。本当だ、誓おう」
「そんな事……言われても……」
「……俺が、自分の娘だと思っている奴に、手を出すと思うか?」
「――ッ!」
「お前も、同じだろ。イオの事を、俺達は本当の娘だと思っている。わかったか?
 ……ハーミット、イオを連れて、帝国を出よう。いいな?」
 無言で、ハーミットは頷いていた。

 ハーミットとクェドギン。
 そして、イオ。
 この三人の絆は、すでに深い、家族というなのもので、結ばれていた。
 ハーミットもそう思っていた。
 だけど……やはり、その時は許せなかったのだ。
 普通にふるまい、二人と会話して行く度に、傷ついた。痛かった。耐えれなかった。
 そこに、悪魔のささやきが入ってきてしまったのだ。
 心はすでにボロボロになっていたハーミットは、イオを、引き渡していた。
 イオはその時、少し寂しそうな表情をしながら、
「それでは、行ってきます。ハーミットさん、また、あとで……」
 と、言っていた。
 もう二度と、会えなくなるのに――

 自分達の研究資料を処分し終わり、イオの連れてかれた先に向かった二人。
 しかし、全てが、遅すぎた。
 二人の目の前に映るのは、深々と『禍根』を胸に突きたてた、イオの姿。
 だが、ここで何かがおかしい事に気付く。
 本来、成功していれば、すぐにスピリットの体がマナ結晶となり、
 逆に失敗していれば、その場でスピリットは消滅するはずだ。
 しかし、イオは、二人の姿を見ている。
 そして――
「逃げて……逃げてください……ハーミットさん……クェドギン……さん……」
 か細く、言い放った。
「ば、バカ言ってんじゃないよ! あたしは、あんたを助けなきゃいけない! だから」
「……無理です……あたしはもう……だから、お願い……ここから、逃げて……」
 何故、逃げろというのか、わからなかった。
「あんたを置いて逃げれるわけ無いよ! あたしがこんなことしなけりゃ――」
「いいから逃げてください! お願い……します……ッ! お願い……ッ!」
 必死の表情で、イオは言っていた。
 クェドギンに肩を引っ張られ、ハーミットはようやく動いた。
 涙をあとに引き、二人は、帝国を脱出した。
「……いつも優しくしてくれて……本当に……本当にありがとうございました……
 ハーミットさん……クェドギンさん……ううん……ママ……パパ……バイバイ……」
 イオは、笑顔のまま、その場に崩れた。
 最後に見れた、最愛の人達。
 その人達には、この笑顔が見せたかったのに……。
 
 ハーミット達が帝国を脱出して間もなく、研究所一帯が、消滅した。
 イオの神剣が暴走した事により起きた、小規模なマナ消失に近いものであった。
 やっと、イオの言葉が理解でき、そして、ハーミットは泣き崩れた。
 かけがえの無いものを、失ってしまったのだから……。

「……あたしが感傷に浸るなんてねぇ……」
 長いようで、短い。
 よく言ったものだと、ハーミットは思う。
 あの時過ごした時間が、まさに、それであったから。
「でも、それも悪くないってやつよな。イオ」
「はい、なんでしょうか、ハーミット様」
「一応、言っておくね。アセリアを治す方法が、見つかった。あいつとあの娘の死、
 絶対に、無駄にしないさ……」

                          第十七話に続く……

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