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第十話 心の壁

「アズマリア女王って、いったいどんな人物なんだ?」
 ゆれる馬車の中、明人は向かいに座るレスティーナに問いかけてみる。
 二人の目的地は首都、イースペリア。
 レスティーナと同じ、女王が治める大国だ。
「アズマリアですか? あの方は、若く聡明で……心の優しい、とても良い人ですよ」
 微笑み、レスティーナは明人の質問に答える。
「民衆に慕われていて、それに……」
 ここで、レスティーナの微笑は明らかに含み笑いへと変わった。
「それに……なんだ?」
 どうしたものかといった表情で、再び明人は質問する。
 レスティーナが本気で笑っている所を、明人は初めて見たから。
「ふふっ……すいません。つけば、わかりますよ」

 一日置いて、レスティーナと明人はイースペリアの首都へとたどり着いた。
「ここが私達の国、イースペリアです。レスティーナ女王、エトランジェ様」
 馬車の窓から顔をのぞかせるこの青き妖精は、イースペリアの領内に入ってから
 護衛についてくれているスピリット隊の隊長。
 名前は『鉄血』のパーミアという。
 彼女がイースペリアの守衛隊長と言う事に、明人は少なからず驚いていた。
 こう言った役目は、大抵人間が引きうけているものだと思ったから。
「道中、お疲れ様でした。城につきましたら、ご自分の家だと思っておくつろぎ下さい」
「ありがとうございます、パーミア」
「い、いえ……お礼を言われるほどの事は、していません……」
 レスティーナの笑顔に少々気圧されるパーミア。
 理由は、よくわからない。
 何故か城に近づく度に、明人の謎は多くなっていく。
「レスティーナは知り合いなのか?」
「はい。何度かアズマリア女王には会いに来ていますが、その都度、彼女達に護衛して
 もらっているんです。……さっ、参りましょう」
 謎多きまま、明人は城へと入っていった。
 すぐ後ろをパーミアが浮かない表情でついてくる事に、気付かずに。

「ここが、アズマリア女王にお通ししてくださいと言われました場です」
 明人達の目の前には大きな木製の扉。
 パーミアに案内され、たどりついた先である。
「案内まで、わざわざありがとうございました。アキト、あなたからどうぞ」
「へっ? お、俺からでいいのか?」
「ええ。というか、あなたに先に入って欲しいので……」
 ここでまた、くすくすっ……と笑って見せるレスティーナ。
 もうツッコミをいれるまでも無い。
 言われるままにやろうと明人は決めていた。
 聞くよりも実行した方がいいと自分達の世界で誰かが言っていた事を思い出したから。
「……じゃあ、失礼します」
 扉に手をかけ、いざ明人が開けてみせると――
「レスティーナ! 久しぶりぃッ!」
 女性の声。
 一瞬にして、明人の視界が真っ黒になる。
 扉を開くと同時に、誰かが飛びついてきたのだ。
「うわぁッ!?」
 部屋の中から飛びついてきた女性に、明人は無抵抗のまま捕獲された。
 確かにふくよかとは言えないが、女性の胸が明人の顔面に押し付けられる。
 当然、明人はこの不意打ちに顔を真っ赤に染め上げるだけで声が出ない。
 が、流石に踏みとどまった。
 このまま押し倒されるのは男の面子として避けたかったのだろう。
「しばらく見ないうちに体、ごつくなったわねぇッ! トレーニングでもしたの?
 それに声も野太くなっちゃって――って、あれ? レス、ティーナ……?」
「ふふっ……アズマリア、それくらいで離してもらえますか? 大事な戦力が、
 鼻血でも出して倒れられてはこちらとしても困りますので」
 背中に手を回し、さする女性が顔を上げると、目的の人物が目の前で笑っている事に
 気付きやっと明人の存在を確認する。
 小柄な体と長い黒髪をゆっくりとまわし、黒く大きな瞳で明人の後ろ頭を見た。
「わっ、わわわっ! し、失礼しました!」
 ――どうでもいいから早くどいてくれ!
 もごもごと声になら無い声を出す明人。
 それがたたったのか――
「あ……ッ! ん……くぅ……ひゃん!?」
「――ッ!?」
 その振動に刺激され、アズマリアに微かに艶かしい声を上げる。
 それを聞き焦るのは男として当然か。
 明人は再びもがく。
 再び上がる声。
 嫌な悪循環である。
「……パーミア、ひっぺがしてください……お願いします」
「……はい」
 少し間を置いて、レスティーナが凄みのある声を上げた。
 それを聞くと、やれやれといった様子で、パーミアは二人に近づき――

「と、とりあえず……みっともない所見せてしまい、申し訳ありませんでした……」
 部屋の中に入ってみると、アズマリアはとりあえず謝罪をした。
 入ってすぐの豪華なソファーにアズマリア、パーミアが腰掛け――
「いえ、こちらもはしたないマネをして……申し訳ありませんでした」
 キッと明人を睨みつけ、レスティーナは作り笑いで返す。
 その視線の先には――頬に、ピンク色の手形のついた明人の姿が。
 何があったかは、お察しください。
 レスティーナの後ろに見え隠れする黒き陰を考慮した上で。

 アズマリア――
 彼女はレスティーナと同じようで、少し違った立場の人。
 レスティーナは王位継承者として迎えられたが、ここ、イースペリアでは
 複数もの女性がマナの祝福により選ばれる特殊な形式により女王を決めている。
 外見は、レスティーナよりも少し小柄な身の丈で、大きな黒い瞳に
 長い黒い髪が特徴であった。
 そのせいか、実際より幼く見える。
 ……彼女の実年齢は、レスティーナよりも十ほど上の二十七歳なのだ。
 正直な話し、レスティーナと同い年かそれ以下に見える。不思議なものだ。
 彼女とレスティーナの関係を一言で言い表すと、親友といったものが一番正しい。
 これまでも何度かイースペリアに親善目的でレスティーナは訪れていた。
 一番初めに来た時――すでに、二人は何かを感じていた。
 二人の会話は、盛り上がった。初めてあったのにも関わらず。
 熱心に自分の考えを話すレスティーナに、アズマリアは酷く共感した。
 ――彼女が女王になれば、きっと……今より良い関係が築けるだろう……

 その考えが、今現実になろうとしている。

 そして気を取り直し、彼女達はこれからについて話し合った。
 真剣に話し合う二人に、明人は何も言えなかった。
 さすがは一国を担う人物達。気持ちの切り替えが早い。
 特に、アズマリアの話しているときの真剣な眼差しは先ほどまでの子供っぽい
 ものではなく、実年齢どおり。
 この変化も、明人の驚く要因にもなった。
 大きな瞳の奥に見えるのは、強い意思を持った眼差しだった。
 思わず、見惚れてしまうほど彼女が輝いて見えたのだ。

「……何はともあれ、用件は了承しいたしました。……お父様の事、残念でしたね……」
 大体の事を話し終え、今度は個人的な事に入った。
 アズマリアの表情が暗くなる。
 だが、レスティーナは無理やりに笑顔を作り、答えた。
「……いえ。今は、悲しんでいる時ではないですから……そんな事は言っていられません。
 気遣ってくれて、ありがとう……アズマリア」
「ううん。そんな事無い。困った時は、お互い様だよレスティーナ……
 相談なら、いくらでものるからね」
「はい。これからお互い……今まで以上に、良い関係を築いていきましょう」
 そして、女王同士の固い握手が結ばれる。
 友情を確かめ合うため――
 これからの、国同士の友好関係を保つために――
 互いに硬く握り合った。
「……それじゃ、あんまし城を開けてちゃダメだね。パーミア、帰りも護衛よろしく」
 アズマリアの表情が崩れ、その視線はパーミアへと向けられた。
「はい。了解しまし――」
 名前を呼ばれると、パーミアが立ちあがり、言葉を放とうとすると……
「そんな硬い挨拶は、無し! ほら、もっと肩の力抜いてっていつも言ってるじゃん!」
 アズマリアにより制された。
「え――あ、あの……それはさすがに……」
「そうですね。そう、いつも肩をはっていてはいざと言う時に気疲れしてしまいますよ」
 そこにレスティーナの無くてもいい援護射撃。
 こんな所でも、二人の仲のよさが見て取れる。
「や――そ、そんなことは……」
 明人は、なんとなくわかった。
 何故にパーミアが浮かない表情をしていたかを。
 この後、明人はパーミアに切実にかたられることとなる。

「……あの二人には……いつも、ああやってからかわれるんです……毎回、来る度に……」

 泣き出しそうな勢いで、パーミアは明人に語った。
 これまでも何度かこういう事があり、ちょっとレスティーナの事が苦手になったらしい。
 肩の力を抜け、もっと気軽に話そう。と、アズマリア。
 それに嬉しそうに便乗する、レスティーナ。
 人これを、トラウマという。
 まぁそんな新たな出会いもあり、明人とレスティーナは帰路についた。
 ちなみに、今の語りは別れる際に明人だけにこぼしたものである。

 ――それから数日後――

 この大陸の中心に広がる砂漠――ここはダスカトロン大砂漠とよばれ、
 マナが非常に稀薄で、草木も生えない死の砂漠となっていた。
 この中に『デオドガン商業組合』があり、各国の商人たちが中継地点として
 活用している場所。
 この上方にとられた『ヘリヤの道』といわれる場所は、ラキオスからマロリガンへ
 移動できる唯一の道である。
 この道から外れれば、間違い無く熱砂の砂漠を迷う事になる。
 そしてその前例にもれる事は無く、レスティーナと明人、それに向き合う形で座る
 エスペリアとウルカを乗せた馬車はこの道をひたすらに走っていた。
 マロリガン共和国の首都――マロリガンへと向かうために。

「……にしても、暑いな……ここは」
 明人は着ている服を前後に動かしながら、新鮮な空気を汗ばむ体の表面に与える。
 こうでもしないと、やってられないといった感じだ。
 レスティーナも、冷静な表情を作ってはいるが額にうっすらと汗を浮かベている。
 だが、それ以上に――
「そう……ですね……。ここの地域は、極端にマナが少ないので……」
「ですから……戦闘になれば体力の消耗が激しく、回復もおぼつかなくなりますね……」
 この二人にかかる負担は大きかった。
 明人はまだ暑いだけと感じるが、スピリット達はそうもいかない。
 マナが稀薄だという事は、そのマナで構築されているスピリットに多大な負担を受ける。
 特に、エスペリアは草木と大地を司るグリーンスピリット。
 この砂漠という場にいるだけで、体力の消耗は他の属性のスピリットより激しい。
「……大丈夫か、エスペリア、ウルカ」
「は、はい……。わたしは、大丈夫ですよ。心配していただき、ありがとうございます」
 そうは言うものの、かなり辛そうなエスペリア。
 ウルカも無言だが、額ににじみ出る汗が、逆に心配を募らせるものになる。
「ごめんなさいね……もう少しの辛抱ですから」
 エスペリア、ウルカの様子を見て、レスティーナが気遣う。
「い、いえ! 本当に大丈夫ですから、そんなお気遣い無く……」
「……手前も、これしきの事では根は上げられませぬ故……」
「……あまり無理をするなよ、二人とも。辛かったら言えばいいんだから」
 明人の問いかけにも、二人は「はい……」と気の無い返事をして俯くだけであった。
「みなさん、もう少しでこの砂漠を抜けられます。そこで、一旦休憩にしましょう。
 確か、オアシスがあったはずです」
 馬車のを操る騎手が、そんな事を言う。それを聞いたエスペリアとウルカの表情は、
 目に見えて明るくなった。

 レスティーナと明人が、マロリガンの大統領――クェドギンとテーブルを挟み、
 対峙して座っている。その明人達の後ろにはエスペリアとウルカが立っていた。
 マロリガンまでの距離は、実際サルドバルドよりも遠い。
 しかし、今回はこちらの方が圧倒的に立場は低い。
 なにせ、協力を求めに行く側なのだから。

「……では、こちらの和平は受け入れられない……という事ですね」
「ああ、残念だがな。こちらに何のメリットが無い取引に応じるほど、酔狂な考えを
 持ち合わせてないので。煙を、いいかい?」
「……はい。かまいません」
 クェドギンは話しがついた事を確認すると、タバコを一本咥え、火をつける。
「日が浅く若い女王様には酷かも知れないが、こちらも自分の国の事で手一杯だ。
 すまないが、この和平は結べない」
「なぜですか? ともに協力し、共通の敵である帝国を相手にしようというのに――」
「ラキオスの戦力など、たかが知れている。それに、もしも協力して帝国を
 打ち破ったとしてもだ。どう考えてもこちらの被害の方が大きくなる。
 そんな事をこうむるくらいなら……初めから無かったことにすればいいだろう」
「……ならばここに記してあるとおり、我が国ラキオスは十日後、マロリガンに対して
 宣戦布告をします」
 レスティーナの透き通るような声が部屋に響く。
 クェドギンは、少々飽きれたような表情を作り、煙を吐いた。
「なら、これ以上ここにいるのは無駄な事。女王様とそのナイト達を入り口までご案内だ。
 誰か――」
「なぁ、大将」
 クェドギンが言いかけると、不意に入り口の扉が開き、誰かが入ってくる。
 エスペリア、ウルカの二人はとっさに神剣を身構えた。
「――ッ! 空也……」
 それは明人には聞き覚えがあった声……空也であった。
「クウヤ、その呼び方はやめろといったはずだ。今は調停会議の真っ最中だろうが」
「まぁ、いいじゃないか。どうせ、もう決裂させたんだろ? んでだ。
 その入り口まで送って行く役は、オレに任せてくれないかい?」
「……フッ。久しぶりに会った友人と、話でもしたいのか? そこにいる、
 お前と同じエトランジェのな」
「そうだなぁ。大丈夫、裏切ったりはしない」
 空也がさらりと言い放つと、クェドギンは表情を緩め――
「わかったわかった。それじゃ、安全に送り届けてやってくれよ」
 その意見を承諾した。

 空也に連れられ、入り口まで案内される明人達。
「久しぶりだなぁ。元気してたか? 来夢ちゃん」
 ニッといつもの表情で明人に笑いかける空也。
「俺じゃないのかよ……まぁな。そっちこそ、なんか肌の色艶がいいみたいだけど」
 その笑みに、明人も笑みで返す。
 確かに、空也の肌はいい具合に焼けておりさらに健康的な感を与えるものだった。
 それも当然か。
 こんな砂漠の近くで住んでいれば。
「わかるか? いやはやこの世界はいいもんだねぇ。可愛い娘が沢山いて全然飽きねぇ。
 そういや、お前の所にも一人、可愛い娘いたな。ほら、髪が真っ赤で小さい――」
 空也が言うのは、多分オルファの事であろう。
 あの時――この世界で初めて接触した時に空也と顔を合わせたのは、ウルカ、オルファ、
 明人の三人だけなのだから。
「んな事言ってると、また美紗にどやされるぞ? って、そういや――」
「おお! この前はお目見えできなかったけど、お嬢さん、お名前はなんと?」
「は、はい?」
 明人の言葉半ばに、空也は早速エスペリアに声をかけ始めた。
「人の話をきけってば!」
「そちらは……おお! この前の武人さんではないか!」
「……いい加減にしろッ!」
 あくまで無視を続ける空也に対し、明人は『求め』を引きぬいて――
(な――ッ! け、契約者! やめ――ッ!)

「そ、それじゃ、ここまででいいだろ。当然だが、帰りにスピリット達に襲わせるなんて
 卑怯なマネはしないから、安心してラキオスへの帰路についてくれてかまわないぜ」
 今日のツッコミ役は、明人だった。
 空也の横っ面には、くっきりと『求め』の跡がついている。
 美紗のハリセン代わりといってもいいだろうか。
「んじゃ、達者でな……明人」
「……空也、一つ訊いていいか」
 振りかえる空也を、明人が引きとめる。
 先ほど訊けなかった事を、訊くために。
「……あぁ。答えられる範囲ならな」
 一瞬、ピンと空気が張り詰める。
 明人はその空気を吸い込み、ゆっくりと話し始めた。
「美紗は、今どうしてるんだ? ここにいないのは、少し変だと思うんだが」
 空也は少し考えた後、質問に答えた。
「……美紗は今、神剣と戦っている。今言えるのは、これだけだ」
「――ッ! じゃあ美紗は今……」
「オレが言えるのはここまでだ。明人、オレとお前はもう敵同士だ。
 戦場で剣を交える相手だという事を忘れるなよ…じゃあな」
 少々声を冷たくし、空也はそう言い残し帰っていく。
 もう、振り返る事は無かった。
 先ほどの笑顔が、まるで嘘だった様に。
 明人は、改めて自分と空也達に厚い壁が存在することを確認する。
 戦場で出会えば神剣を交えるという、心の壁の厚さは計り知れないものだった。

「クウヤ、今の人達は……」
 明人達がいなくなった後、まもなく声をかけられた。
 青い髪をツインテールに結ったブルースピリットの少女に。
「……オレの、親友さ。今は、ラキオスでエトランジェをやってる」
「まぁったく、女々しいねぇ。そんなんでアレと刃があわせれるのかい? 隊長様よぉ」
 続けざまに、真っ黒な髪を後ろで纏め上げたブラックスピリットの少女が姿を現す。
「クウヤにそんなこと言っちゃダメでしょ、カグヤ!」
「ガキがピーピー騒ぐんじゃないよ」
「アリアはガキじゃないもん! なんなら、一勝負、やる!?」
「ああ、かかってきなよ。お・こ・ちゃ・ま」
「あ〜もう。その辺にしとけ、二人とも」
 神剣を構えかける二人を見、後ろ頭を掻きながら空也は呆れた様に言放つ。
 ――まったく……これが、ウチの秘密兵器か……
 心の中で、そう呟きながら。
 マロリガンで密かに訓練を受けている、通称『稲妻』と呼ばれる特殊部隊。
 それが、この口喧嘩をする二人が所属する部隊。
 そしてその中でも、最高の能力を持った四人の内の二人である。
 でも、こうやって見るとただの姉妹にしか見えない。
「でもクウヤぁ……」
「アリア、カグヤ、今度の作戦の会議すっぞ。特にアリアはまだイースペリア領の地形、
 把握して無いだろ。もう、突入隊で憶えてないのお前だけだからな」
「う……」
 そう言われると、アリアに言葉は出てこなかった。押し黙ってしまう。
「そう言うこった。ったく、そう言う所がおこちゃまなん――ッ!」
 カグヤが言った瞬間――火花が、散った。
 それは、空也の神剣『因果』とアリアの神剣『大気』が重なった時に表れたものだった。
 アリアの瞳の瞳孔は開ききり、青い髪の毛は逆立っている。
 呼吸も荒く、『大気』を振る腕に迷いは無かった。
 空也の防御壁でも、貫かれんばかりの勢いである。
「あ……く、クウヤ……」
 スッと血の気が引いていくように、アリアの表情は戻る。
「まったく……アリア、さっさと行くぞ。それとカグヤ、アリアを煽るんじゃない」
「……了解。悪かったよ」
 構えるカグヤに向かって、空也は言った。
 この二人は、部隊のブルースピリットとブラックスピリットの中でも
 最高の力を持っている。
 故に、口喧嘩でも発展したら間違い無く殺傷ものとなるのだ。
 特にこの二人は――幼いながら力が強いアリアが背伸びしようとし、
 カグヤがそれを貶すと言った形で何度、空也がこうやって仲裁に入ったことか。
「今回は、一応お前等二人が作戦の要なんだ。もう少し仲良くしてくれ」
 ――すまねぇな、明人……
 声に出さない、空也の心の叫びだった。
 今度の作戦で……マロリガンは、イースペリアを潰すから。

「マロリガンとの和平は、残念ながら結ばれませんでした……しかし、ここで引き下がる
 訳にはいきません!」
 明人達が帰還するやいなや、休む間もなく修復途中の城内で唯一無事だった
 謁見の間に重臣などが集められ、レスティーナが玉座の前に立ち、演説を始めた。
 その場には、明人の姿もあった。
「我が国、ラキオスは今ここに……マロリガンへの宣戦を表明します! ……アキト」
「はい」
 明人はレスティーナに呼ばれ、返事をする。
 一歩前に歩み出て、レスティーナの姿を目の前に捉えた。
「今日から九日間、スピリット隊を率いてマロリガンとの戦いに備えなさい。
 ……頼りに、していますよ」
 その小さく言ったセリフの最後のほうは、つい先ほどまでのキリッとしたものではなく、
 親しみを込めた、本当に信頼をする者へ向けられる優しい言葉だった。
「はっ。その信頼に応えられますよう、全力を尽くします」
 明人はその言葉を聞くと立ち膝つき、頭を下げる。
 言葉も少々硬いが、この場では仕方ないだろう。
 さすがに重臣たちの前でタメ口などはきけない。
「そう言ってもらえると、嬉しいです。では、スピリット達の事をよろしくお願いします」
 しかしもう、明人をさげすむような視線はこの場に無い。
 レスティーナの計らいもあるが、全体的にエトランジェに対しての印象はよいものに
 変わってきているようだった。
 国を護ってくれる、英雄という。

「ん〜……戦いに備えろ……ってもなぁ」
 エスペリアの淹れてくれたお茶をダイニングですすりながら、明人はぼやく。
 あの時は威勢よく言ったものの、どうすべきかはいまだに決めかねていた。
「早いに越した事はありませんが、焦っていても何も思いつきませんね」
 と、そこにエスペリアがお茶を持ってやってくる。
 そのトレイの上には、クッキーのようなお茶菓子も乗っていた。
「街に出向いてはいかがでしょうか。いい気晴らしになるかもしれませんよ、アキト様」
「……そうだなぁ。じゃ、エスペリア。あとの事はよろしく頼む。出かけてくるから」
「はい。夕飯までには、帰って来てくださいね」
 そう言って明人はお茶を一気に飲み干す。透き通るような感覚が、何とも清々しい。
 明人はエスペリアの提案どおり、城下町へと出向くことにした。

「へぇ……城下町って、こんなに賑やかだったんだ。知らなかったな」
 明人は城下まで足を運び、そして街の活気に圧倒される。
 宣戦布告の情報ははまだここまでここまで来ていないのか、
 街は賑やかでいくつもの露店が見える。
 その中には何やら香ばしく、甘い香りを放つ店もあった。明人の胃袋が刺激される。
 小物も売っている場所もあり、その出来ばえに目を引かれる。
「これはこれで、なかなか気が紛れる――」
「ひゃ!?」
 わき見をしていた明人の前方に、何かがぶつかるような衝撃が加わった。
 それと一緒に短い悲鳴が聞こえる。
 誰かとぶつかったらしい。
「あっ、ごめん。大丈夫か?」
「あいたたた……」
 明人が前を向きなおすと黒髪の少女が一人、尻餅を付いて腰をさすっていた。
 髪は頭の両側でまとめ、一見すればショートに見えるが実際は相当長いであろう。
 まぁ、この状況からしてよそ見をしながら歩いていた明人からぶつかったのだろうか。
 明人はその少女に手を差し伸べて、起こそうとする。
 が――
「あ、ああ〜ッ! あ、あたしのヨフアルがぁあああッ!」
「え?」
 明人の手にはわき目もふれず、ぶつかった拍子に四散した紙袋の中身をみて、
 絶叫を上げる少女。
 その四散した中身は明人達の世界で言う『ワッフル』にそっくりだった。
「ちょっと、どうしてくれるのよ! 私に至福の一時を与えてくれるヨフアルを
 ダメにしちゃって!」
 目を見開き、本気で怒っている少女に明人は何も言い返せない。
 どこと無く、明人は見た事あるような顔だったがあり得ないのでその考えは却下した。
「あ、いや……ホント、ごめん。俺がよそ見してたから」
 ここまで文句を言われると、謝る事しか出来ない。
 明人は頭を下げて、謝罪をのべる。
「って、あ……そ、そうね。じゃあ本当に悪いと思ってたら……弁償して頂戴、ヨフアル!」
 と、何故か明人の顔を確認するとその少女の態度はいたって落ち着いたものになった。
 今まで顔を確認する事すら忘れる勢いで憤慨していたのだろう。
 しかし、それだけで怒りが収まるとは考えにくい。
「う……弁償、っていっても俺、金持ってないんだ……ごめん」
 こんな事態になるなんて思っていなかったため、明人は無一文で街に出てきたのだ。
 それを聞くと、少女はやれやれといった表情を作った。
「……仕方ないわね。じゃあ、あそこのお店で買えるだけ買ってきてよ。はい、お金」
 と、少女は腰についた砂を払いながら起きあがり、明人の手に金色のコインを手渡す。
「わかった。えっと、名前は?」
 明人が訊くと、少女は一瞬困ったような顔をして、答えた。
「わたし? わたしは……レムリアよ」
「了解、レムリア。俺は――」
「アキト君でしょ?」
 今度は明人が名乗るよりも早く、レムリアは答える。
「へ――ッ? な、なんで俺の名前を知ってるんだ?」
「ホラホラ、そんな事は後で後で。早くヨフアル買ってきてよ、ヨ・フ・ア・ル♪」

「ア〜キト君、こっちこっち!」
 レムリアの明るすぎる声が、裏路地に響く。
 それは後方から追ってくる少年に向けてのものであった。
「お、おい! なんだよ、いきなりついて来いって! どこに行くんだよ!」
 明人がヨフアルを買ってきた後、ヨフアルの入った袋を抱え、
 レムリアはついて来いといって裏路地へと入りこんで行ったのだ。
 明人はその場に呆然と立ち尽くすわけにもいかず、
 慌ててその後を追いかけているというわけだ。
「ついてこればわっかるよ〜!」
 と、明人の質問の答えになっているかどうか微妙な返答のレムリア。
「なんなんだよ、一体…」
 裏路地にある、どこに続いているかわからない階段の先に、光が見えた。
 昇りきった、そこに見えたのは――
「……ここは……」
 そこは街が全て見渡せる高台だった。レムリアの姿も、そこに見える。
「へっへ〜ん♪ ここは、わたしのとっておきの場所なのさ。ここで食べるヨフアルが、
 一番美味しいのよ♪ ……ほらほら、突っ立てないでアキト君もこっち来なよ」
 高台の最先端にすわり、足を空中に投げ出す様に座るレムリア。
 片手でヨフアルの入った袋を、もう片方の手でヨフアルを口元に運びながら明人を呼ぶ。
「なぁ、さっきの質問の続き、してもいいか? レムリア」
 呼ばれ、隣まで歩み寄る明人。
 甘く、香ばしい匂いが鼻腔の中へと侵入してきた。
「ふん。ひひふぉ」
 口にヨフアルを含みながら、レムリアはなんとも不鮮明な返答をする。
「……なんで、俺の名前をしてるんだ? 俺から言ったつもりは無いんだけど」
「なんでって……そりゃ、アキト君有名人だもん。国を護ってくれてる、英雄だってね。
 それにそんなにいかつい剣を腰に下げていたら、誰だってエトランジェって気づくよ」
 ヨフアルを飲み込み、明人の神剣を指差しながら今度は普通に返答するレムリア。
 一瞬、物凄い嬉しそうな顔をして。
「……そんな大層な事、俺はしてないよ。ほとんど国を留守にしてるくらいなんだから」
「そんな事無い無い。アキト君が前線で敵を食い止めてくれてるおかげで、
 国の人達みんなが安全に暮らせてるんだもん。感謝感謝。はむ……」
 そしてレムリアは二つ目のヨフアルを口に含む。
「そう、なのかな……」
 今までは、来夢の安全のためだけに、剣を振るっていた。
 だが最近――というよりはラキオス城が襲撃されて以来、その考えは揺らいできていた。
 そりゃ、自分にこんな扱いをしてきた王族や重臣の事が許せるとは思っていなかった。
 だけど、この国ラキオスにはそんな人達ばかりではないのだ。
 来夢を逃がしてくれた兵士やレスティーナ、他にも大勢の人がいるこの国の人々。
 そう――それが、自分が護らなくてはいけない存在になってきたのだ。
「……アキト君、はい、これ♪」
 難しい顔をしている明人に、レムリアがヨフアルを差し出す。
「え? あっ、これは」
 考え事を中断して、明人は思わず受け取ってしまった。
 感触は、意外と硬い。ビスケットのような感触だ。
「美味しいよ? ヨフアル。ほら、一口いってみなって」
「いや、だからなんで俺に?」
 見当違いの返答に、もう一度訊いてしまう明人。
「ん? これを買って来てくれたバイト代と……いつもこの国を護ってくれてる、
 お礼かな」
「そうなのか――って、俺がこの国護ってる価値ってこんなものなのかよ?」
「このヨフアルには、それだけの価値があるって事だよ♪」
 そこまで言われると食べてみるしかない。
 明人はレムリアと同じように一口、食べてみる。
 すると、口一杯に甘さが広がった。味は果物か何かのシロップだろうか。
 ……とにかく甘い。その匂いや味はなんとなく桃に近いものがあった。
 ハッキリ言って、女の子が好みそうな味である。
「甘い……な。これ、とにかく甘いぞ……」
 故に、男性である明人の口にはあまり合わなかったようだ。
 少々くどすぎたらしい。
「そこがいいのよ♪ あたしはこの味と、この国が大好きなの♪」
 とても嬉しそうな顔をしてレムリアが言う。
 この笑顔はヨフアルが作らせるものではなく、本当に国が好きだから、
 出来る笑顔なのだろう。
「この国が好き……か」
 明人は少し考え、今度はすぐに答えが出た。
 ――自分も、なんだかんだいってこの国が好きなんだろうな。
「アキト君は、この国の事好き? 嫌い?」
「……好き、かもな。さっきの露店のおじさん、サービスしてくれたからよ」
 もちろん、こんな理由な訳ではない。
「はっ? そ、そんな事だけで!?」
「はははっ。嘘だ、嘘。ホントにいい国だと思うよ、ラキオスは」
 久しぶりにみせる笑顔で明人は言う。ここ最近忙しかったから、
 このよう様に笑ったのは本当に久しぶりだった。

 この後、妙に話しが盛り上がった。レムリアは明人と意気統合し、話しこんでいた。
「レムリアはどこに住んでるんだ?」
「わたし? えっとぉ……あそこらへん、かな」
 明人の質問に答えるべく、レムリアの指差す方向は見事に住宅街のど真ん中。
 かなりアバウトなものである。
 目は虚ろで、会っているかどうかは定かでは無い。
「へぇ……親父さんとかは、何してる人なんだ?」
「……この前、死んじゃったの……」
 明人の表情が、一変した。
「――ッ! ご、ごめん……深入り、しすぎちまって……」
 自分も、そうだったから。
 何も他人にこうやって質問されると、かなりの虚無感と絶望にとらわれると言う事を、
 明人は……知っていたから。
「……ううん。気にしないで……わたし、一人じゃないから」
 スッと立ちあがり、街を一望するレムリア。
「みんなが……支えてくれる、みんながいるから、わたし、平気なの」

 時間が経つのも忘れ、初めて会ったのに、そんな感じがしなかった。
「……あっ、もうこんな時間……帰らなくっちゃね」
 いつのまにか、日は沈んできており、黄昏時に入っていた。
 街並みは夕焼けに照らされ、赤く染まる。
 どことなく、明人達の世界で見れた街の風景と似ていた。
「俺も、そろそろ城に戻らないとな」
「……じゃ、アキト君。また、会えたら会おうね」
 愛くるしい笑顔を浮かべ、レムリアは階段を降りて行く。
「ああ。またな、レムリア。今度もここで会えたらいいな」
 純粋に、そう思う明人。
 彼女との時間は、単純に楽しかったから。
「うん♪ バイバ〜イ♪」

「ただいま。遅くなって悪い」
 明人が帰ってきたのは、もう辺りの日は落ちかけていてた時間帯だった。
 夕方の赤色のほとんどが、夜の黒に飲まれている時間だった。
「おかえりなさい、アキト様」
 スピリット館に帰ってきた明人を出迎えたのは、いつもどおりの姿をしたエスペリア。
 夕飯の準備の中を抜け出してきたのだろう。少しだけ、エプロンドレスが汚れていた。
「あっ、パパ〜♪ おっかえり〜♪」
 続けてオルファもこの場にやってくる。明人に飛びつきながら。
「あれ? オルファも手伝ってたのか」
 その服装はいつもの服ではなく、まぁ、俗世間に言う『メイド服』だろうか。
 オルファはそんな服装だった。
「うん、そうだよ。……あれ? パパ、なんか甘いにおいがするよぉ?」
「あっ、これは……」
「これは……そうだ! ヨフアルの匂い!」
 オルファは顔を明人の胸に押し付け、微かなヨフアルの匂いをかぎ分ける。
 凄いものである。
「アキト様、夕食の前に買い食いはいけませんよ。せっかく、腕によりをかけて作った
 スープが食べていただけなくなってしまいますから」
「ご、ごめん……そうだ。エスペリア、今後の訓練だが、明日から早速始めたいと思う。
 みんなに伝えておいてくれないか」
 本来の目的を忘れる所であった。
 明人は街から館まで帰る時に、決めていた。
 行動を起こすなら、早い目の方がいいかなと。
「了承しました。すでに、日程の目処はたってますよ」
「なんだって?」
「及ばずながら、少々お手伝いをさせて頂きました。アキトさん」
 奥から、おちついた雰囲気の声がした。白色のスピリット、イオの声だ。
 少し遅れて、真っ白な肌に真っ白な服装――そして、少しウェーブの掛かった
 ロングヘアーをした姿を現す。
「イオさんが、これからの訓練の日程を考えてくれたのです」
「ハーミット様が、勝つ見こみがあるなら少しでも勝率を上げよといわれましたから。
 あの……出過ぎた、マネでしたでしょうか?」
「いや、そんな事は無い。正直、助かるよイオ。うちには訓練師や戦術指南役が
 あんましいなくてな」
 というか、明人はほとんど会ったことが無かった。だけど、連戦を勝ちぬく事で
 実力は十分についていた。
 だから、今ではあまり必要とは思っていなかったがそろそろそれもまずい。
 専門家が居なければ、スピリットや明人達の実力は伸びにくい。
 それは同時に他の国に遅れをとってしまう事になる。
「昔は、一人戦術指南役の方がいたのですが……」
 何かを思い出すかのように、エスペリアは言った。どこと無く、寂しそうな表情で。
「エスペリア……?」
 明人が気づき、心配そうに話しかける。気がきくようになったものだ。
「い、いえ! 何でもありません……そういえば、イオさんには他にもいろいろと
 お手伝いしてもらいまして」
 慌てて話題を変えるエスペリア。不自然だが――次にはもう、うやむやになっていた。
 そのきっかけを作ったのは、もちろんオルファだ。
「それでねパパ、イオお姉ちゃん、料理すっごく上手なんだよ!」
 オルファが少々興奮気味に言う。それほど上手いのか、と明人は思った。
「そうなんです。ですから、お手伝いしてもらった……というよりは、
 わたし達がお手伝いをしたといった方が正しいですね」
 エスペリアもこう言うからには本当なのだろう。
「ハーミット様がああいった性格なので、家事全般は私が引き受けていたのです」
 少々困ったような顔をして、イオが語る。
「あ〜、なるほどな」
 それには妙に納得ができてしまう明人。
 なんとなく、ハーミットの生活態度が見える気がした。
 研究に没頭し、食事も周りの整理も怠る典型的な科学者タイプの人間だろう、と。
「……そう言えばアセリアとウルカとセイグリッドは? 三人の姿が見えないんだが」
「アセリアは部屋で神剣のお手入れで、ウルカさんは少し夜風に当たってくると
 言っていました。セイグリッドさんは――先ほどから、見ていませんね……
 多分、ウルカさんはお庭にいると思います」
「じゃあ、俺はウルカを呼んでくるよ」
「はい。お願いします」
「アキトさん、帰ってますか〜?」
 ふと、入り口の方から声がする。それは、セイグリッドのものだった。
 すぐに明人は入り口へと向かう。
「よっ。どこ行ってたんだ?」
「え、あ……そ、そんな事よりもアキトさん……ちょっと、お付き合い願えますか?」
 明人の姿が確認できると、セイグリッドの顔が――紅く、紅く染まった……。

 明人と別れたセイグリッドは一人、夜空に瞬く星を眺めていた。
 今、誰とも顔を合わせたくなかった。
 こういう結果になるという事は、大体想像できていたのに。
 ――あ〜あ。やっぱり、ワタシじゃダメなのかなぁ。
 そう声に出したくなるが、惨めになるだけかなと思い、止める事にする。
 セイグリッドは、明人に自分の思いを告白した。
 思いつく全ての言葉を使い、明人に対して自分の気持ちを伝えた。
 しかし、返ってきた返事は――

「……ごめん。俺にとって、セイグリッドは大切な仲間だ。だから……
 だから、それ以上に思う事は、できないと思う。本当に、ごめん」

 不器用なりに言葉を選んで、断ってくれた。
「これが、アセリアさんやエスペリアさん……オルファにウルカさんだったら、
 どんな反応してたんだろう……」
 今度は思わずそう呟いてしまう。

 ――わかっていた――

 この四人に、明人が心惹かれているという事は。
 だけど、自分の気持ちが伝えれて――
 そしてキッパリと断ってくれたことが、なにより嬉しかった。
 助けてもらった時から溜め込んでいて、二度と伝えれないと思っていた気持ちを、
 伝えることが出来たのだから。
 ――あとは、四人に任せよう。
「ワタシにできなかった事……アキトさんの、支えになってあげてくださいな……」
 誰に言うわけでもなく、セイグリッドはそう呟いていた。
 誰にも顔を合わせたくない理由――
 それは、この泣き顔を誰にも見られたくなかったから……

 くすくす……

 風に乗って、微かな笑い声が聞こえてきた。
「――ッ! 誰ッ!?」
 思わず涙を拭い、『刻印』に手をかけるセイグリッド。

 くすくす……

 もう一度笑い声がすると、背後に気配を感じた。
 振り向いてみると、白いローブを身にまとった白髪の少女が一人――浮いていた。
 手には、杖らしきものが握られている。
 ――何者……気配が、まったく読めなかった……
「そう殺気立たないで欲しいですわね。ワタクシは、あなたの命の恩人なのですから」
 完全に姿を現すと、少女はそう言った。
 身の丈は、かなり小さい。手に持った杖といい勝負、セイグリッドの胸らへんだ。
「え――ッ!」
 突如、セイグリッドの体の自由は利かなくなる。
 動かそうとも、手足が反応しない。
 言葉を放とうとしても、パクパクとあごが上下するだけである。
「でも……所詮、あなたはワタクシに創られた玩具にしか過ぎませんわ。
 そろそろ、動いてもらいますわよ」
 セイグリッドの視界が、真っ暗になった。
 聴覚もだんだんと無くなっていく。
「……あな……役目……『拘束』を……させる事……目覚めよ……『撃滅』……」
 この少女の声は、どこか聞き覚えのあるものだった。
 しかし、セイグリッドの意識は、答えを見つける事が出来なかった。
 それより先に、深い深い闇が、セイグリッドの精神を――飲み込んだから……

 ウルカは、森とスピリット館の間に位置する庭にたたずんでいた。
 ここは少し館から離れており、とても静かな場所。
 そこでウルカは目を閉じ、自分の記憶を掘り返していた。
 来夢を連れ去った、スピリットの事を……
「あの髪の色……あれは、間違い無く……『蒼天』のクリス……」
 『蒼天』のクリス
 ウルカが遊撃隊時代の、部下の一人だったブラックスピリットの少女だ。
 ウルカに続く実力の持ち主で、卑怯な真似を嫌うウルカと同じ武人タイプ。
 しかし、先日来夢をさらっていったのは――
 彼女の特徴として、ブラックスピリットであるにもかかわらず、
 真っ青な長い髪をしている所がある。
 もちろん、他のスピリットにこのような特徴を持つ者は、ウルカの記憶には無かった。
 だから――
「ウルカ、ここにいたのか」
 考えるウルカの元に、明人がやってきて話しかけてくる。
「アキト殿……お帰りになられたのですか」
 目を開き、明人に穏やかな視線を向ける。
 明人に余計な心配をかけたくない、ウルカの気持ちがそうさせているのだ。
「ああ。さっきな。それより、そろそろ夕飯だから館に帰ろ――?」
 スッ――と、音も無く背後に気配が感じられる。
 明人とウルカはとっさに気配の方向へと目を向けた。
 今までに感じた事の無い、スピリットの感じだったから。
 だが、予想に反してその場に立ち尽くすスピリットの姿は――
「セイ、グリッド?」
 顔を出した青き月に照らされ、艶やかな光を放つ黒髪がなびくセイグリッドが、
 そこにいた。
 敵でない事が確認され、少し安心した明人がため息を一つつく。
「どうしたんだ? もしかし――」
「! 危ない!」
 一瞬、明人は何が起きたか理解できなかった。
 ウルカに突き飛ばされ、無重力を感じながら腰をつく。
 その状態から、ガチリという金属音が聞こえてきた。
 それは、神剣同士がぶつかる音だった。
「く……ッ! 何を、いたしますか……ッ! セイグリッド殿!」
「……『拘束』の……主……」
 ウルカの目の前に迫るセイグリッドの顔――それは、どこまでも無表情だった。
 発せられる声にも、まるで生気が感じられない。
 例えるなら……そう、人形といった表現が正しい。
 仲間になって、見せてくれるようになった嬉しそうな笑顔、輝くような瞳――
 その全てが、嘘だったようになくなっているこの顔を見れば、容易にわかる事だった。
 それに、言葉を交わさずとも太刀筋をあわせればわかる事だった。
 だから……
 ――何者かに……操られている?
 そう言った考えに至る結果となった。
 その考えをすぐに行動に移す。
「アキト殿! 近くに、誰か気配を隠し……セイグリッド殿を操って――ッ!」
 言葉半ばで、ウルカは吹っ飛ばされる。
 半端じゃない力で、思いっきり仰向けに吹き飛ばされたのだ。
「まずは……足を止める……」
 跳躍したと思うと、セイグリッドの神剣はすでにウルカの位置を捉えていた。
 この斬撃は地面を削るにだけに終わる。
 ウルカは足を狙った攻撃を両足を振り上げて避け、そのまま反動を使い体制を立て直す。
 もう『漆黒の翼』とは呼べない、純白の翼を広げて威嚇し始めた。
「ここは、手前が引き受けます! です、から――ッ! お願いします!」
 攻撃を受けつつも、明人に何者かが裏で糸を引いているという事を伝える事が出来た。
「『撃滅』……滅せよ……ッ! 漆黒の力……ダーク・インパクト……ッ!」

 ウルカから言われた事を、いったん整理してみると……
 どうやら気配を隠し、セイグリッドを操っている奴がこの場にいるらしい。
 ――どうだバカ剣……何か、変わった気配はあるか……?
 明人は『求め』に問いかける。
 が、
(……ある。だが契約者よ……この気配とは、関わらない方がいい……)
 返答は、こういったものだった。
 当然、明人は反論を述べる。
「そんな悠長なこといってる場合じゃない! いるんだろ……! 早く、教えろバカ剣!」
 焦りの見える明人。
 その理由は――

「グ――ッ! これは……ッ!」
 紙一重で避けているものの、ウルカの銀髪がセイグリッドの斬撃で削り取られた。
 戦況は、あのウルカが――押されている。
 仲間という意識があるため、ウルカは上手く攻勢に出れていないのだ。
「本気で来ない……? なら……もう一度……ッ! ダーク・インパクト……ッ!」
 操られるセイグリッドは、容赦が無い。
 しかし、超高速で唱えられる神剣魔法、ある意味迷いの無い剣筋の強力さは、本物だ。
 今の状態なら、確実にセイグリッドはウルカをうわまっているだろう。
 
 仲間どうしで、傷つけあう所を見たくないからだ。
(……わかった。決めるなら、一撃でいけ……ッ!)
 研ぎ澄まされる感覚に身を任せると、森の木々の間に気配が一つ見つかった。
 力は、完全に押さえられている。
 ウルカでも見つける事が出来ないほど、完全に押さえられた気配だった。
「そこか! いくぞッ! 新しい技、試すぜ!」
 その場に向かって、明人は一直線に空中を走る。
「だぁあああッ!」
 振り下ろされる『求め』。
 それは地面へと接触すると、大爆発を起こした。
 オーラフォトンを圧縮し、敵に接触したと同時にそれを開放するという荒業だ。
 明人も使ってみて、初めてこの威力に驚かされる。
 以前、戦闘が起きた時――あの、ソーマと初めて会った時――に、使ってみろと
 いわれていたが、使うまでも無く戦闘が終わったので、結局使わず終いに終わっていた。
 そのため、この森の一角を荒野に変える威力に、驚きを隠せなかったのだ。
「終わった……か?」
 一応、明人は訊いてみる。
 しかし、普通ならこの爆発に耐えれるはずはない。
 グリーンスピリットの強固な防御も、確実にぶち抜き、消し飛ばすほどの威力はある。
 しかし――『求め』の返答は、期待していたものではなかった。
(いや……まだだ!)
 明人の視線は、自然と上空へと向けられる。
 逃げ場といえば、そこしかないからだ。
 その考えは、見事に的中する。
「あらあら……野蛮な事、このうえないですわね」
 フワフワと無重力を感じさせながら、そこに少女は浮いていた。
 イオに負けず劣らず美しい白髪。
 まるで法師のような服装。
 実際、少女の身長が低いのもあるが、その手に握られる身の丈ほどありそうな杖。
「でもまぁ、そういう所は嫌いでは無いですわよ? 『求め』の主……」
 少女はゆっくりと、下降してきた。
 まだあどけなさの残る顔に、含みのある笑みを浮かべながら。
「まったく……そんなスピリット相手にてこずるなんて……やはり、玩具は玩具でしか
 ないというわけですわね」
 セイグリッドの動きは、この少女が現れた時から止まっている。
 セイグリッドだけでは無い。
 明人もウルカも、その場から動けないでいた。
 なぜなら――この少女から発せられる力は、まさに別次元のものだったから……。
 どうあがいても、自分たちのとどかない、高い次元のものだったから……。
「ワタクシ、予定が狂うのが一番嫌いなんですよ? ……あの女みたく……ッ!」
 一瞬、少女の顔が歪んだ。
 言葉の最後に見えた、『あの女』の事でも思い出したのだろうか。
 だとしたら、余程恨みを持ってるのであろう。
「ですから……」
 少女は杖をウルカへ向けた。
 すぐさま、杖の先に光の弾が生まれ、放たれる。
「――ッ!?」
 それはウルカを包みこんだのち、消え失せた。
 ウルカは何事かと目を丸くする。
 今のところ、身体的な変化は見られていない。
「……そこの玩具は、差し上げますわ。もう用済みですし。それでは、
 生きていたらまた会う事もあるでしょう。ご機嫌よう」
 
 くすくす……

 風とともに聞こえてくる笑い声に飲まれるかのごとく、その少女は消えていった。
 最初から、何も無かった様に。跡形も無く。

 この変化は、突然であった。
「――ッ!? あ……ぐ……!?」
「ぐ……ッ! あ……ッ!」
 ドサッという音が二つ聞こえる。
 それは、ウルカとセイグリッドが時間差で倒れる音だった。
「ウルカ! セイグリッド!」
 思わず、明人は二人のもとに駆け寄っていた。

                              十一話に続く…

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