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<お詫びと訂正>
 『叢雲』は第一位永遠神剣でした。ここに訂正をしておきます。

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第U章 舞い降りた剣


<ハイペリア・神木神社――8月4日・早朝>

 降り立った地は、神木神社の階段。
 季節は夏。ユウトにとっては久しぶりのセミの声が二人を迎える。
 懐かしい故郷。しかしそれにも関わらず、ユウトの顔は明るくなかった。
 ――まさか、こんな形で戻ってくるなんてな……
 奪われた第一位永遠神剣『叢雲』の回収と、それを奪ったロウ・エターナルたちの意図を探り出すこと。それがユウト達のチームに与えられた、新しい任務であった。
 討伐しろ、とは言われていない。
『あれほど強固だった護衛を倒して『叢雲』を奪ったエターナル達です。まだユウトさんたちでは太刀打ちできないでしょう』
 トキミの言っていることは理解できた。護衛のエターナルとは訓練で刃を交えたことがあったが、エスペリアはおろかユウトですらも歯が立たなかったのだ。その護衛を全滅させてしまったということは、そのロウ・エターナルたちは少なくともユウトの手に負える相手ではない。
 悔しい現実だった。
 しかし上位のカオス・エターナルは他の任務で出払って以上、動けるのはユウト達のチームしかいない。だからこれが最善の手ではないと分かっていても動かなければならないのだ。ユウトとしても自分の故郷に敵であるロウ・エターナルが侵入していると知った以上放っておくことなどできない。
『せめて、クルトかトワがいれば状況が違ったんでしょうけど……』
 トキミの呟きが、脳裏によぎる。
 『双極』のクルト。『星辰』のトワ。ユウト達のチームリーダーである『福音』のリアノと共に『混沌の五覇』と呼ばれているエターナル達である。カオス・エターナルの盟主たる『運命』のローガスに認められ、そして普通のエターナルならば10人いても薙ぎ倒すことのできるほどの猛者ばかりだった。
 彼らの名前が出ると言うことは即ち、彼らでないと渡り合えない敵であるということだ。それは結果的にいかに敵のレベルが高いかを示すことであった。敵のエターナル――彼か彼女か、それとも彼らなのかもすら分からなかったが――のために、護衛たちは一人残らず倒されていたのだから。
 ……そのせいなのだろう。エスペリアが先ほどから、冴えない顔をしているのは。
 ――無理もない、か。
 消滅させられた護衛の中には、『風舞』のフィリエルという名も入っていた。エスペリアの友であり、風に関する神剣魔法に関しては師でもあった女性である。彼女は当時エターナルになりたてだったエスペリアを親身になって世話してくれ、また落ち込んでいた時は励ましてもくれた。
 エスペリアにとっては、エターナルになってから初めてできた友だったのだ。それが死んだというのは想像以上のショックだったのだろう。あくまで表面上には出していなかったが、彼女の横顔には抑えきれないほどの悲しみが滲み出ていた。
 せっかく愛する人と二人きりで故郷に戻ってきたというのに、その彼女が沈んでいるのでは意味がない。ユウトは静かに、本当に静かにため息をつく。
 リアノは今はいない。
 何故なら……
『じゃぁ、私は別働隊としてロウ・エターナルの探索をしておくわね。見つけたらすぐに連絡するから、二人はそれまでアツアツのデートでもしときなさいな』
 ……だそうなのである。
 これにはユウトも驚いた。第一位永遠神剣が奪われ、しかも故郷にロウ・エターナルが侵入している今となって、デートも何もない。当然憤慨しながら、自分も探索を手伝うと言った。エスペリアもだ。
 しかしそれを、まじめな顔でリアノは拒んだ。
『気持ちは嬉しいけど。『聖賢』も『聖緑』も探索には向いてないわ。あなたたちだってそんな技術、ないでしょう?はっきり言って、二人がいてもいなくても結果は変わらないのよ』
 役立たずの烙印を押されたような気がした。
 よほどユウトが悔しそうな顔をしていたのだろう。リアノはふっと顔を和らげ、言ったのだった。
『……だから、休めるときに休んでおかなきゃダメ。今はできないことがあっても、時間を積めばきっとできるようになるから、焦るのもダメ。……いいわね?』
 戦力としてのあなたたちには十二分に期待してるんだから、と彼女は微笑んだ。
 まるで子供を諭すような声と笑顔だった。自分よりも数周期長く生きているからだろうか、いつもとは違ってその時のリアノからは母性的な優しさを感じた。思わずユウトが今は亡き二人の母を思い出してしまうほどに。
 ……そこまでで終わっていればいい話だったのだが。
 ここがリアノらしいというか。その次の彼女の口からは、こんな言葉が飛び出してきた。
『ま。そ〜いう訳だからがんばって、お二人さん。エターナル同士でも子供を生んだ例はあるから♪』
『…………………』
 ユウトは言葉を失い、エスペリアは口に手を当てたまま赤面する。
 今までの言動も雰囲気も何もかも、全て台無しだった。
 ――絶対に、半分くらいは楽しんでるよな。
 それがリアノの性格だと分かっていても、渋面になってしまうユウトである。
「これからどうしましょうか、ユートさま」
 物思いに耽っているユウトに、横からエスペリアが問いかけてくる。相当なショックを受けているはずなのに、彼女の顔には悲痛の色がない。自分に与えられた任務を遂行することでフィリエルの無念を晴らそうと考えているのだろう。
 やはりエスペリアは、強い。
「そう……だなぁ」
 『聖賢』は今のところ、『聖緑』と『福音』以外の神剣反応を捉えていない。先日リアノに言われたように、『聖賢』もその主たるユウトも探索には向いていないのだ。探し回るにしてもきっと無駄骨に終わってしまうに違いない。
 ――少し後ろめたい気もするけど。
 ここはリアノの言う通り探索は任せて、連絡があるまでエスペリアとゆっくりするしかなさそうだ。
「じゃぁ、街にでも言ってみるか」
「はい」
 エスペリアが後ろからついてくるのを確認し、ユウトは階段を下り始める。眼下に臨むは、自分が育ち日々を過ごしてきた街。
 トキミの説明によると、ユウトが最後に佳織と会ってからここでは更に三年程の歳月が経っているようだった。ちなみに佳織は今関東方面にある志倉付属音楽大学に通っているので、この街にはいない。
 成長した佳織に会えないのは少し残念だけど、これでいいのだろう。今回ハイペリアに戻ってきたのは佳織に会うのが目的ではなかったし……
 ……何より高嶺佳織と『聖賢者』ユウトは、もはやただの他人なのだから。
 ほんの少しの胸の痛み。それを押し殺しながら、ユウトはエスペリアと共に、長い長い階段を下っていった。


<ハイペリア・高嶺家――8月4日・正午>

「………はぁ」
 佳織のため息が、彼女以外に誰もいないリビングに響く。
 延々と繰り返されている行為でだった。これで一体何回目になるのだろうか?
 答えは、35回目である。
 何のことはない。自分のため息を延々と数えているほど、彼女にやることが無かっただけなのだ。
 ……もちろん、それに何の意味も無いことは分かっているけれども。
 ――うぅ。どうしてこうなっちゃったんだろう?
 ほんの少しの後悔などを覚えてみたりもしたが、それは考えても詮無いことである。
 しかし、誰が予想するだろうか?
 久しぶりに我が家に帰ってみれば両親は旅行中で、家がもぬけの殻になっているだなんて。
 不審に思ってカレンダーを調べ、「お父さんと北海道旅行♪」という母の字を見つけたのが約十分前のこと。それから佳織は長旅の疲れと精神的疲労が重なって、今の今まで床にへたりこんでいたというわけだった。
 ――本当にいつまで経っても仲がいいんだから、二人とも……
 確かに自分は、帰ってくると電話で伝えなかったけど。
 確かに今年は、両親の25回目の結婚記念日がある年だけど。
 この展開はあんまりじゃないかと佳織は思う。カレンダーに引かれた矢印の長さを見る限り、両親は昨日家を出発して、あと一週間は戻ってこないつもりのようだった。見事なすれ違いである。
 一週間分の外出届を寄宿舎に提出してきたのに、一日目にしてやることがなくなってしまった。あらかじめ予約しておいた飛行機のチケットもやはり一週間後のものなので、大学に帰るという選択肢も彼女にはない。
 これからの一週間、自分は何をして過ごせばいいのか……
 ――決めた。
 佳織は一つの決意を拳に込め、立ち上がった。
 いつまでもへたり込んでいる訳にはいかない。やることがないなら作ればいいのだ。
 ――勝手に部屋の模様替えしちゃえ。
 自分がこの一週間をよりよく過ごす為に。そして何より、帰ってきた二人を困らせてやる為に。
 えらく後ろ向きな決意に後押しされた佳織は、迅速に行動を始める。自分に何も言わずに勝手に旅行に行ってしまった両親への、ささやかな復讐のつもりなのだ。
 ……本当にささやかで、実害がない所が佳織らしかった。


<ハイペリア・商店街――8月4日・正午>

 ユウトは気づいていた。周囲から向けられている無数の視線に。
 その視線はいつまで経っても消えることなく二人へと向けられる。
 ……否。性格には二人にではない。ユウトの隣を伏目がちに歩くエスペリアにである。
 男からは好奇の、女からは羨望と嫉妬の眼差し。
 ――まぁ、そりゃそうだよなぁ。
 ユウトはいつも間近にいるので逆に気づかないものだが、エスペリアはかなりの美人だった。スピリットたちは皆そうだったが、その中でもエスペリアは、そう言えば群を抜いていたような気がする。ぬばたまの髪、透き通るような白い肌、そして吸い込まれるような翠の瞳。それらの要素が相克することなく組み合わさり、道行く人を振り返らせる程の姿を構成していた。
 だが、エスペリアが人目をひく理由はそれだけではない。
 ――もっと早く気づくべきだったな……
 思いながらユウトは、風になびいて揺れるエスペリアのレースのスカートを見やった。
 そう。現代日本において、メイド服は目立つ。とんでもなく目立つ。決してエスペリアに似合っていないわけではなく、むしろ似合いすぎてすらいたのだが、それだけに異質感の様なものを全身から発しているかのようだった。
 まるで傍らを歩いているユウトが主人のようなのである。
「おや、異人さんかね」
「ほんにまぁ、めんこいこと」
 二人組の老人に話しかけられて、ぎこちない笑顔で挨拶しているエスペリアが見える。自分で教えておいて何だが見事な日本語だ……などと思っている場合ではなかった。
 彼女は老人たちをやり過ごすと、表情を曇らせてユウトへと話しかけた。
「あの、ユートさま?」
「どうした?」
「なんだかいろんな人が、私のことを見てるようなんですが……」
 やはりエスペリアは気づいていたようだった。行きかう人が皆が皆振り向いて自分のことを見ていくのだから、それもまぁ無理のないことではある。
 ユウトはどう言ったものかとほんの少し逡巡した後、結局正直なところを言うことにした。
「この世界じゃ、エスペリアが着てる服は珍しいんだよ」
「そうなんですか?」
 いささか驚いたように、それでいて納得したような表情を浮かべて彼女は呟く。生まれてこの方メイド服以外の服を着たことのない彼女だが、周りの様子を見てなんとなく受け入れられないような感じがしたのだろう。ただこれまでの人生にあけるファッションセンスが根こそぎ否定されたのと同義であるから、今のエスペリアは何だか肩身が狭そうに見える。
 ――どうしましょう。私、こんな服しか持っていないのに……
 エスペリアの心の声が聞こえてきそうである。
 ユウトは苦笑する。そんなつまらないことで悩んでいるのがおかしくて、彼はこう切り出した。
「そうだな……じゃぁ、代わりの服でも買いに行こうか」
「は、はい…………え?」
 できるだけ自然に言ったつもりだったが、返ってくるのは戸惑うような声である。しかしそれも仕方のないことかな、とユウトは思う。
 エスペリアはまだ、何かを与えられることに慣れていない。物も優しさも、献身的な彼女は、今までただ与えるだけだったはずだ。
 だからユウトは、できるだけこういうところから慣れさせていけば、と思うのだ。
「そんな……よろしいんですか?」
「あぁ。今まで世話になったことを考えれば、このくらい大したことじゃないさ」
 それに、とユウトは続ける。
「いつもと違ったエスペリア、見てみたいからさ」
「……ユートさま」
 その一言で今まで沈みがちだったエスペリアの顔が、ふっと明るくなった。少し頬が紅潮して入るけれども、それは間違いなくユウトが好きな……暖かな、笑顔。
「じゃぁ、お言葉に甘えて……」
 と、言うが早いかエスペリアはユウトの手をとった。ユウトの手を包む、エスペリアの手のひらの温かな感触。
「え、エスペリア?」
「行きましょう、ユートさま!」
 そんなにユウトに服を買ってもらえるのが嬉しいのか、いつも物腰が柔らかな彼女には珍しいはしゃぎようだ。ユウトの手を引き、早く行こうと催促する。
 ここまで喜んでもらえるなら、よかったな……なんてちんたらと感慨に耽っている場合ではなかった。意識が向いていないときにいきなり手を引かれて、ユウトは思わず転んでしまいそうになる。
「――だぁっ!!」
 ……というかそのものずばりに転んでしまったことは、聖賢者の名誉のために伏せておこう。
 うん。


<ハイペリア・オープンカフェ――8月4日・夕刻>

 結局、エスペリアの新しい服は白いワンピースとなった。
 純粋に彼女に似合う物を追求した結果である。ユウトだけでは分からなかったので店員にも見てもらったところ、エスペリアのイメージを崩さずに引き立てるにはこれが一番だろうと判断したのだった。
 ワンピースなんか着て戦闘の時に動きにくくないか、というユウトの意見もあったが、それよりも自分らしい服が着たいというエスペリアの意見が尊重された。それに何より、今までドレスタイプのメイド服で戦えていた以上、ワンピースで戦えない道理はどこにもない。
 その後……試着でワンピースを着て見せた彼女は、ユウトの目を奪った。
 「似合い……ませんか?」と伏せ目がちにエスペリアに尋ねられ、無言のままぷるぷると超高速で首を振るユウトの姿は、大いに店員たちの笑いを誘ったものだった。もっとも本人たちは何故笑われたのか分からずに、きょとんとした顔をしていたが。
 そして、今。エスペリアはユウトに買ってもらったワンピースに身を包み、オープンカフェの椅子に一人でちょこんと座っている。
 ドリンクバーに飲み物を取りに行ったユウトは未だに帰ってこない。こんなことなら自分もついていくと頑固に主張するんだったというささやかな後悔を胸に、「はぅ」、彼女はため息をついた。
 と。
「わ〜〜、すっごーいっ!」
 突然、足元から何か声が聞こえてくる。
 ……足元?
 怪訝に思い、声のしたほうを見て……エスペリアは目を細めた。
 彼女が座っている椅子の前に、いつの間にか緑色のリボンをした女の子が立っていたのだ。
 足元、という先ほどの思考は訂正しなければならないだろう。座っているエスペリアのちょうど腰くらいの位置に頭がある少女は、きらきらとした目をしてエスペリアを見上げている。
「ねぇねぇお姉ちゃん、どうしてお姉ちゃんの目は緑なの?」
「え?」
 ほんの少し考えて、エスペリアは納得した。
 この世界にスピリットはいない。一般的にこの世界の――とエスペリアは思っているが、実はこの国の、の間違いである――人の目は黒のようだし、この少女は緑色の目をした人が珍しいのだろう。
 そう言えばオルファも珍しいものを見ると、「あれなぁに?これなぁに?」と無邪気に尋ねてきたものだった。エスペリアはふと微笑ましさを感じ、少し屈んで少女と同じ高さに目線を合わせた。
「私は、違う世界から来ましたから」
 冗談めかして言った言葉だったが、しかし少女は本気にしたようだった。いっそうに目を輝かせながら、「すっご〜い」と連呼する。
 言ってしまってから、少し軽率な発言だったでしょうか、と思う。しかし純粋な少女に言う分には大丈夫だろう、とエスペリアは踏んだ。自分がエターナルである以上、この世界から出ればすぐに自分のことは忘れてしまうだろう、という読みもある。
 ……それはほんの少し、悲しいことでもあるけれども。
「ねぇねぇ、腕からビーム出せる?空とか飛べる?」
「ウリィ……」
 少し考える。空を飛ぶのはアセリアの領分だし、腕からビームを出すのはユウトの仕事だろう(多少の語弊があるかもしれないが)。しかし何もできないと言うのも癪だし、何より少女の期待を裏切るのは気が引けた。
「それは、できませんけど……多少の傷なら、魔法ですぐに治して差し上げられますよ」
「戦わないの?」
「基本的には回復役ですね。時々戦うこともありますけど」
 そんな場面はめったに回ってこない。リアノとユウトが大抵の敵なら倒してしまうからだ。その戦闘でも二人はほとんど傷を負うことはないので、回復役といっても実際は補欠要員のようなものだった。
 だが、そんなことを少女が知る由もない。
「わ〜っ、『せーぎのみかた』って本当にいたんだぁ!」
 歓声を上げる少女。エスペリアには少女の言うところの『せーぎのみかた』なるものはよく分からなかったが、無邪気に喜ぶ彼女を見て悪い気はしなかった。
「それで『せーぎのみかた』さんは、ここで何してるの?」
「人を待ってます。もうすぐ来ると思うんですけど……ところで、あなたは?」
「え、私?私はね、お母さんと……」
 元気よく答えようとした少女だったが、そこで唐突に言葉を止めた。何かに気づいたようにぽかんとしてきょろきょろとあたりを見渡す。
 何をしているのか、とエスペリアがいぶかしんでいると。
 そこで少女の目が、じわっと潤んだ。
「……はぐれちゃった……」
「はぁ……」
 思わず間の抜けた声を上げるエスペリア。
 疑いようがないくらい完全無欠な迷子だった。
「えっと」
 ほんの少しの間逡巡する。ユウトにはここで待っていろと言われたから、ここを動くのは極力避けるべきだろう。何よりエスペリアはここではまるっきりの外国人なのである。地理に明るくないのは勿論だが、なにより目立ちすぎる。
 しかし。
「ひっく……お母さぁん……」
 自分が迷子であると言うことを遅ればせながら認識し泣き出してしまった少女をそのままにしておけるほど、エスペリアは悪人ではなかった。
 強いて言うなら、思わず手を差し出してしまうほどの善人だったのだ。
「泣かないでください。あの……私も一緒に探してあげますから」
「……ほんと?お母さん、見つけてくれる?」
 若干ぐずつきながらも、何とか少女が顔を上げる。
 その問いに、エスペリアは笑顔で答えた。意味が分からないながらも、現段階で少女を最も安心させることが出来ると思われる言葉を。
「はい。『せーぎのみかた』にお任せください」

                      *

「あれ?」
 何故か必要以上に混んでいるドリンクバーから戻ってきた頃には、テーブルはもぬけの殻になっていた。エスペリアの姿も、勿論ない。
 どこにも行くなと言っていたはずだが、待っている間に退屈してどこかに行ってしまったのだろうか。エスペリアの性格上珍しいことだが、しかし現実を見る限りそうとしか考えられない。
「やれやれ」
 どこに行ってもエスペリアの『聖緑』の気配を探れば居場所は分かるのだが、それでも面倒くさいことに変わりはない。ユウトは一人ごちながら二つのカップを置き、代わりに立てかけてある、布でぐるぐる巻きにしてある物体をとった。
「出番だぞ、『聖賢』」

                      *

 母親探しは、思ったよりも難航した。
 勿論道も何も分からないエスペリアにも問題があったが、何より
「え、お母さんの特徴?綺麗だよ。でも、ピーマン残すと怒るの」
 ……少女の説明が要領を得なかったのが、最大の問題であろう。しかしすぐに泣き止んではくれていたので、エスペリアとしても気が楽であった。
 そして、艱難辛苦の旅路を経て。
「桜、どこに行ってたのっ」
「ごめんなさいっ、お母さん!」
 ようやく母親を見つけることができた。その瞬間に桜、と呼ばれた少女――そう言えば名前も知らなかった――は母に抱きつく。
 その光景にエスペリアは、静かに微笑んだ。
 声をかけようかとも思ったが思いとどまった。せっかくの桜の家族の再会を、自分のような他人が邪魔するのもどうかと思ったからだ。
 それほどまでに、二人の顔は嬉しそうで……
 ……エスペリアに大きな喜びと同時に、ほんの少しの羨望をも与えた。
 ――桜さま……本当に、嬉しそう。
 これがきっと、家族というものなのだろう。仲間とも恋人とも違う、とてもとても強い絆で結ばれている関係。
 スピリットであるエスペリアに家族はいない。家族というものに焦がれたこともなかった。
 だからこれがきっと初めての、家族に対する憧れ。
 ――私も……家族が欲しい……です。
 こんな風に甘えられる、家族が。
 でもそれはきっと無理なことだろう。彼女が焦がれる母はいない。今から作ることもできない。エスペリアが願うのは、はじめから存在しえない願望。
 だから彼女は微笑む。家族がいる桜を祝福するかのように。
「本当にありがとうございました。見知らぬ方なのに、わざわざ……」
「いえ、お気になさらないでください」
「ほら、桜。お姉さんにさよならしなさい」
「うん。お姉ちゃん、ばいば〜い!」
 桜は元気に手を振ると、母親の手をとって歩き始めた。エスペリアも笑顔で手を振り返す。
 と、少し歩いたところで桜の足が止まった。
「あっ、そうだ!」
 くるり、と振り返って。桜は顔いっぱいに満面の笑みを咲かせる。
「いつも守ってくれてありがとう、お姉ちゃんっ!」
「え……?」
 怪訝な表情を浮かべるエスペリアの前で、母の手を引いて桜は行ってしまった。少々あっけにとられた後に、彼女はある一つの事に気づく。
 ――そうか。
 桜の言っていた『せーぎのみかた』というのは、皆を守ってくれる人のことだったのだ。
「桜さま……」
 くすぐったいような嬉しさに、エスペリアはもう一度微笑んだ。それは彼女がその瞬間に、ある一つの事実にきづいたからでもある。
 確かに、エスペリアに家族はいない。今から母親を作ることもできない。
 だが、それでも。自分が母親になることはできる。新しい家族を作ることはできるのだ。
 それは……
 ――ユートさまと私の、子供……
 心なしか、彼女の頬が紅潮していく。
 それはユウトに恋人でも仲間でもなく、家族としての絆を求めていることを意味していた。スピリットであった頃は思いつきもしなかったことだ。ただユウトのことが好きで、ユウトに好かれていればそれで十分だと思っていたのに、いつの間にかそれだけでは足りなくなってきている。
 それはエスペリアのユウトに対する気持ちが、更に前進していることに他ならなかった。
 自分とユウトの子供。どんな子が生まれるのだろう?やんちゃで少し頼りなくて、勉強させてもすぐに居眠りしてしまって。
 エスペリアの中で芽生えつつあった願望。それは子を産み、育て、ささやかなことに一喜一憂しながら過ごすという、当たり前すぎる願い。
 それはエターナルである以上とても難しいことかもしれないけれども、だからといって不可能なことではないはずだ。
『ま。そ〜いう訳だからがんばって、お二人さん。エターナル同士でも子供を生んだ例はあるから♪』
 ――はい。がんばります、リアノさま。
 記憶の中のリアノの言葉に勇気をもらい、エスペリアは決意を固める。
 ……いや、どちらかと言えば、がんばってもらうのはユウトの方なのだけど。
「ふふふ」
 夕暮れの中、彼女は静かに微笑んだ。


<ハイペリア・廃ビルの屋上――8月4日・夕刻>

「はぁ」
 リアノはふと息をつき、荒々しく髪をかき上げた。腰に届くほど長い金髪はふわっと宙になびき、赤い夕陽と見事なコントラストを描く。
 本来ならば、絵になるような美しい光景……しかし肝心のリアノが疲労気味では、絵にならないどころか様にもならなかった。
「どうしても慣れないわね、ハイペリアの暑さってのは」
 この世界には何度か来たことのある彼女だったが、自然の暑さではない都市特有の熱気には閉口していた。夕刻を迎えて和らぎつつはあるものの、恐らくは今夜も明日もうだるような暑さになることだろう。
 その暑気によってかどうかは知らないが、今日の探索では何もロウ・エターナルの痕跡を見つけることはできなかった。明日こそ涼しくなってくれなければリアノの士気にも関わってくる。
「『福音』、あなたの力で何とかならない?神剣魔法か何かでさ、涼しくなる魔法とか一発どかんと」
【ありません。……自分で何とかなさい、リアノ】
 途端に頭の中に響いてきた乙女を連想させるような声に、リアノの顔が露骨に曇った。
 声の主は第三位永遠神剣『福音』。リアノと共に戦い、運命を共にするパートナーである。その関係は契約と同時に始まり、現在進行形で今まで続いていた。
 だというのに、その口調には容赦がない。いや、だからと言うべきだろうか。
「んにゃ、無いとは思ってたけどさ。何かの間違いであったりしたらめっけもんじゃない」
【……そんな他力本願なことだからいつまで経っても成長しないのです、あなたは】
「はっは、何言ってんの。契約者は神剣を信じ、神剣は契約者を信じる。当ったり前でしょ?」
【頼るのと信じるのは、全くの別物です】
 そう言って『福音』はため息をついた。神剣でもため息ってつくんだ、とリアノは思う。こんな所まで無駄に人間くさい仕草をして見せるのだから、まったく『福音』は芸が細かい。
 感心するリアノをよそに、『福音』の悲哀は続く。
【……あなたと契約してから、後悔の連続です。私はもっと実直な契約者が良かったというのに……何の気の迷いで、あなたのようないい加減な人と契約してしまったのでしょう?】
「前世の因縁じゃない?」
【そうですね。きっと起源の永遠神剣が、とんでもない何かをやらかしたのでしょう】
 冗談だったのに、普通に反応されてしまった。どうやらこの悩める永遠神剣――というのも変な表現だったが――の苦悩は相当に深いらしい。
 その様子がおかしくて、思わずリアノは失笑してしまった。
 ……その、まさにその時だった。
「――――っ!?」
 瞬間、うなじに電流が走るような感覚。
 怖気が走るような鳥肌が立つような気配を感じ、リアノはばっと振り返った。風を切り、リアノの金髪がなびく。
 辺りに広がるは先ほどと変わらない風景。しかし先刻のある一瞬を境に、確かに世界は変質していた。少なくとも、カオス・エターナル『福音』のリアノの認識の上では。
「……っ」
 息を一つ。それだけで豹変した世界に合わせて、彼女もまた変質する。体からは一切の隙が消え、代わりに纏われるのは純然たる闘気である。
 彼女をここまで豹変させたもの、それは……
【この波動は……回帰性永遠神剣】
 契約者に合わせて戦闘状態に入った『福音』が、強い口調で告げた。
 回帰性永遠神剣。それは全ての世界の崩壊を望み、起源の永遠神剣への回帰を願う神剣のこと。
 すなわち、主なエターナルの勢力は二分される。回帰性永遠神剣を握るロウ・エターナルと、非回帰性永遠神剣を執るカオス・エターナルに……
 リアノは捉えていた。数キロと離れていない場所に点在する、吐き気がするほどの破壊欲求に満ちた神剣反応を。
「『福音』、ユウトの『聖賢』に接続。ロウ・エターナルの正確な場所と数を教えて。すぐに現場へ向かうように。……私は、先行するわ」
 捉えたロウ・エターナルの反応は複数だった。それを知っていてなお、リアノは告げる。ユウト達が来るまで、自分ひとりで相手にすると。
 まだ実力も状況も分からない中でのその選択は無謀としか言いようがない。しかし『福音』は止めなかった。リアノの『五覇』としての力も勿論信頼してはいたが、それだけではない。
 『福音』は知っていたのだ。リアノをカオス・エターナルたらしめている、ある一つの信念を。
 しかし、だからこそ『福音』は言わずにはいられなかった。
【……取り乱さないでくださいね、リアノ?】
 珍しく心配そうな『福音』の声が聞こえる。
「…………」
 一瞬の沈黙。
 ややあって、その言葉にリアノは微苦笑で返した。
「わぁってるって。私もそんなヘマなんかしやしないわよ。契約者を信じなさいな」
 それはいつもの彼女。軽くていい加減な、それでも何故か『混沌の五覇』の一員で神剣を振り回してばかりいる『福音』のリアノ。
 自分が何の気の迷いか選んでしまった……運命を共にする契約者。
【分かりました。……私が戻ってくるまで、武運を】
 そこまで言って、そこで『福音』の意識は深く沈んでいく。『聖賢』へと接続するためだ。この状態ではリアノも『福音』も、互いの行動に干渉することはできない。
 そう……絶対に。
 それを見届けてから、リアノは呟いた。いつもの彼女からはうかがい知れぬほどの、怒りと憎しみと嫌悪と……そして殺意の篭った声で。
「見つけたわよ……ロウ・エターナル」
 そこには、既にいつものリアノはいなかった。
 たんっ。リアノの足がモルタルの床をける。エターナルの驚異的な身体能力は彼女の体を軽々と持ち上げ、隣のビルの屋上へと着地させる。
 ぱさり。着地の衝撃によって金色の髪が踊り、リアノの視界に入った。それをかきあげながらリアノは、ぎり、と歯を噛み締める。
「今度は、逃がさない」
 その言葉をリアノは何度言い続けただろう。幾星霜、気の遠くなるような時間を、彼女はこの言葉と共に戦い続けた。
 しかし、それでも終わらない。『次回』は訪れない。限りない『今度』を繰り返しながら、リアノはまた限りない永遠を戦い続けていくのだろう。
 だって。
 彼女の脳裏では今もなお、全てを奪っていった白い闇が嘲笑い続けている……

                   †

 ――鐘は鳴ったし、客人は訪れた。
   さぁ、パーティーを始めなくちゃ……――

<ハイペリア・校舎のグラウンド――8月4日・暮れ時>

 ……不意に、意識が覚醒する。
 それは、まどろみから覚めたときのような気持ちのいい目覚めではなかった。まるで眠っているところを無理やり叩き起こされたような不快感。心なしか頭痛までした。上下の感覚が曖昧で、意識も混濁としている。
 それでも佳織は、意識をはっきりさせる為に目を開いた。
「あ、れ……?」
 そこは、佳織が学生時代に通っていた高校だった。
 佳織はいつの間にかそのグラウンドの真ん中に立っていたのである。もう時間が遅いからだろうか、辺りには自分以外誰もいない。
 意識が無かったということはつまり眠っていたのかと思っていたが、しかしまさか自分が立っているとは思わなかった。しかも、よりにもよってこんな場所に。
 ――私、今まで何を……
 記憶が酷く曖昧だ。家に帰ってきて両親がいないことに気づき落ち込んだ所までは覚えているが、その後の記憶がさっぱり抜け落ちている。
 佳織はお世辞にも記憶力がある方だとは言えなかったが、だからと言って家から離れた学校までやってきた経緯を全く覚えていないはずは無かった。あまりにも不自然だ。不自然すぎて、いやな予感すら感じる。
 佳織が一抹の不安を覚えたときだった。

「……なるほど。アイルの神剣魔法も、なかなか捨てたものではないな」

「え……!?」
 背後からの声。
 誰もいなかったはずなのに……佳織は戸惑いつつ振り向き、そしてまた驚愕する。
 『誰か』がいた。
 それも、二人も。
 男性と女性それぞれ一人ずつ。男は栗色の目で、女は漆黒の瞳でそれぞれ佳織を見つめている。
 そしてその手には……武器が握られていた。
 男が長弓。そして女は無骨な片手剣をその手に持っている。
「ひっ……」
 考えるまでも無く、体が拒否反応を起こした。無理も無い。普通の人間として教育を受けた佳織にとって武器を持っている人間はそれだけで異常であり、接触するべきものではないからだ。
 二人に背を向け、校門に向かって走り出そうとする。
 二人と佳織の間にある距離は約200メートル。逃げ出すには十分な長さだった。
 だが、しかし。

 ドォォォォォン!

「きゃぁっ!?」
 瞬間巻き起こった爆風に、なす術もなく巻き込まれ、佳織は軽々と吹き飛ばされた。彼女の小さな体はグラウンドにしたたかに打ち付けられる。肺が詰まるような感覚。痛みと苦しみが、同時に佳織へと襲い掛かった。
「あ……ぅ……」
 思わず呻き声が漏れる。涙さえも滲んできた。
 ――何……どうしたの、これ……?
 パニック状態に陥っていた彼女は知る由も無いことだったが、実はこの爆風は男が引き起こしたものだった。
 あの瞬間、男は長弓を用いて光の矢を紡ぎ、放った。そして佳織から着弾点を大幅にずらし、引き起こした爆風だけで佳織の動きを封じたのだ。……そう。その圧倒的な力の、ほんの片鱗だけを用いて。
 その気になれば佳織を塵も残さず消し去ることもできた男だったが、最大限の手加減により佳織には目立った傷は無い。だが、所詮は戦いと無縁な一般人である。この痛みだけで、佳織はしばらく立ち上がれないだろう。
「動くな」
 身じろぎをする佳織に、男は非情な声で言い放った。
「次は……当てるぞ」
「―――っ!!」
 佳織の喉から、声にならぬ声が漏れ出る。
 殺される。自分はきっと殺されてしまうのだ。その確信を拒否するかのように、彼女はいやいやと首を振った。
 しかし……男が次の瞬間に言ったのは彼女が想像してもいなかった言葉。
「安心しろ。お前の命を取るつもりはない。……そのペンダントさえ、渡すのならな」
「……?」
 ――ペンダント?
 佳織は反射的に胸へと手をやった。そこには彼女が慣れ親しんだ、冷たい感覚がある。
 それは、彼女が物心ついたころから持っていたペンダントだった。出所がはっきりせず、両親さえ存在を知らなかったような怪しい代物だが、何となく安心できるような気がして、佳織は常に肌身離さずそれを着けていたのだ。
 このペンダントを渡せ、ということは強盗なのだろうか。佳織はまじまじとペンダントを見てみるが、そんなに値打ちのあるものだとは思えない。しかしそんなことはこの際関係なかった。ペンダント一つでこの身が助かるのなら、それを拒む理由は無い。
 彼女は訳が分からないままにうなじに手を回し、鎖の留め金を外そうとして……
「っ…………」
 ……できなかった。
 このペンダントを渡さなければ間違いなく自分は殺されるだろう、ということは理解していた。それでも佳織はペンダントを渡すことはできなかったのだ。彼女にも理由は分からない。
 ただ、このペンダントは命に代えてでも守らなければならない、という強迫観念が佳織の胸を占めていた。
 そうしなければ……命よりも大切な何かを、失ってしまうような気がしたのだ。
 留め金を外す代わりに、ぎゅっとペンダントを包み込んだ佳織の小さな手。それは戦う力を持たぬ彼女が、絶対的な狩人たる男に対して出来る唯一の反抗である。
 それを見やり、男は呟いた。その目に鋭き光を宿して。
「渡すつもりはない……か。ならば前言どおり、お前を殺してペンダントを奪うことにしよう」
 その言葉は、有無を言わさぬ死刑宣告。
 男を拒絶したなけなしの勇気をそこで断ち切られてしまった佳織は、恐怖に駆られて固く固く目を閉じた。それでも冷たい死の気配は、ひたり、ひたりと忍び寄ってくる。
 ここで終わりだ。自分は殺される。限りなく理不尽な存在に、限りなく理不尽な理由によって。
 もう駄目だ。
 爆裂音か裂帛音かは分からないけれども、確実に自分に死をもたらす音が、もうすぐ無情にもここら辺一帯に鳴り響くはずなのだ……!
 佳織は息を呑み、来る死の瞬間に備えた。

 しかし、その音が轟くよりほんの少しだけ早く。
 何処よりか響いた清廉なる祝詞は、邪に支配された世界を作り変える。
「……たるマナよ、盾となりて小さき命を守れ――シャイニングプロテクターッッ!!」

 ドォォォォン!
 先ほど同じ爆発。同じ音。より凄まじい衝撃。それらが牙となり、佳織に襲い掛かる。
 しかし佳織は揺るがない。吹き飛ばされない。膝をつくことすらしない。爆風になびく黒髪を押さえながら、それでもその場に立ち続ける。
 何故なら――

「ふぅ……ギリギリセーフ、ってなとこかしら?」
 
 ――彼女の目前にはいつの間にか、極彩色の障壁を携え、男の光の矢を防ぐ女性の姿がある――

「あ…………」
 惹きつけられたように、佳織は女性を凝視する。簡素なオフホワイトのシャツにジーンズといった出で立ちのその女性の姿は、得意な姿の持ち主だった。
 顔立ちは日本的であるにも関わらず、腰まで伸ばされた髪の色は金。
 そして両手に握るは、彼女の背丈ほどもある大剣……
「悪いわね、ユウト……」
 ふと、女性が笑った。にやりと口が動き、そのまま言葉を発する。

 ――それは長き夜の始まりを告げる、宣言たる言葉――

「……カオリちゃんのナイト役は、私が貰うわよ」


                  
               ――to be continued for the third
     『The Dansing Femeles In The Night』
 

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