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第T章 日々の名残


<何処かの世界、仮の宿―シルトの月 中の5日・夕刻>

「じゃ、次の問題だ」
 ユウトはそう言うと、ほんの少し意地悪く笑った。
 今度は少し難しい問題らしい。エスペリアの顔も自然と真剣なものになる。
 基本的な会話はマスターしたものの、まだまだ気は抜けない。異なる言語を理解するためにはそれ相応の努力が必要となるのである。
「二兎を追うものは一兎も得ず。さて、この言葉の意味は何か?」
 ユウトの口から発せられた問いは、しかしいつもエスペリアとのコミュニケーションで使っている聖ヨト語ではなく、日本語によるであった。
 そう。エスペリアは今、日本語の特訓を受けているのである。
 まず単語を覚え、簡単な小文を聖ヨト語に直すというステップを踏んで、基本的な会話が出来るようになったのがつい最近のこと。今やっている『ことわざの意味を自分で考える』というのは言わば応用段階であった。
 なにしろ、まず文を聖ヨト語に直した上でその意味を自分で考えなければならないのだから、思考力がつくのは間違いない。この特訓をやっていれば実際の会話でも役に立つことだろう。
 もちろん、解ければの話だが。
「ウリィ(えぇっと)……」
 エスペリアの整った眉が悩ましげに寄ってくる。なるほど、これは確かに難しい問題だ。
 だが、解けないほどではない。
 数秒逡巡した後、彼女は顔を上げて答えた。
「分かりました、ユートさま」
 兎とはファンタズマゴリアで言うところの角が生えていないエヒグゥのようなものだ、とユートから教わったことがある。ハイペリアでは昔、よく狩りで食肉用として捕らえられていたらしい。
 二匹のエヒグゥを追いかけても、一匹も捕らえることは出来ない。
 それが意味するところは、すなわち……
「何事も欲張って一気に解決しようとしてはいけない、ということですね?」
 オルファが飼っていたハクゥテを思い出す。なるほど、確かにハクゥテが二匹逃げ出したとしても一気に捕まえるのは不可能だろう――1匹ですらあんなに苦労したのだから。
 家庭菜園で手塩にかけて育てたハーブが食い荒らされている所を、懐かしく思い出すエスペリア。
 彼女の思考はともかく、正解していることには間違いない。ユウトは感心したように声を漏らした。
「大正解だ。……すごいな、こんな短期間で言葉をここまで理解するなんて」
 エスペリアが、ハイペリアの言葉――ユウトは自分が使っていた言葉、すなわち日本語だと解釈した――を教えてほしいと言って来たのはわずか二ヶ月前のことである。午前、午後はエターナルとしての任務につかなければならないので、特訓の時間は夜のわずかな間しかない。それを踏まえればエスペリアの呑み込みのよさは驚異的としか言いようがなかった。もちろんこの二ヶ月の間、特訓の時間において神剣は一度も使っていない。
 褒められたことが気恥ずかしいのか、エスペリアは少し頬を赤らめてしまった。
「そんな、私など……ユートさまの方がすごいです。何も分からない状況で、聖ヨト語を習得してしま ったのですから……」
 初めてファンタズマゴリアに飛ばされた時のことを言っているのだろう。ユウトは苦笑した。
 あの時はとにかく無我夢中だったから上達も早かったのだろう。もっとも上達と言っても義妹の佳織とは比べるレベルにも追いつけなかったし、未だに文字も読めないままなのだが。まぁ、ファンタズマゴリアにはもう『蓋』がされてしまったから、覚える必要がないと言えばないが。
 ファンタズマゴリア。今となっては、思い出の中にしかない土地。
 そこまで考えユウトは、ふぅ、とため息をついた。
「そっか……もうそんなに経つんだな」
「……え?」
 怪訝そうに目を細めるエスペリア。彼女にユウトは返答した。
「俺がエスペリアに会って、佳織の為に戦って、エターナルになって……ファンタズマゴリアを離れる ことになって、さ」
 高嶺佳織。今となっては、思い出の中にしかいない女性。
 それも……ユウトとエスペリアの中だけの。
「ユートさま……」
 ユウトの口から発せられた『佳織』と言う言葉に、エスペリアは目を伏せる。
 佳織という女性が嫌いだったわけではない。彼女がそうしたのは、たった一人の家族までをも失ってしまったユウトの悲しみを再認することになってしまったから。
 佳織の中にはもう、思いを寄せていた義兄――高嶺悠人の記憶はない。その記憶は、ユウトがエターナルになった時……『高嶺悠人』から『聖賢者ユウト』になった時に消え去ってしまったはずだ。
 ――エターナルとなったものは世界と時間から孤立する。故に年をとることも、誰かから記憶される   こともない――
「エスペリアはさ、その……後悔とか、してないか?」
 珍しく歯切れの悪いユウトの言葉。それは『自分がそうだったから』ということではなく、『エスペリアを巻き込んでしまったから』ということなのだろう。
「アセリアやオルファから忘れられて……帰る場所を失ってまで、エターナルになることを選んで」
「……………」
 ほんの少しの沈黙。
 難しい質問だとエスペリアは思う。ユウトにとっても、自分にとっても。
「……辛くない、といったら嘘になりますけど」
 彼女はしばらくして答える。以前のように笑顔で本心をごまかすこともできるけれど、あえて本当の気持ちを。
 ほんの少しだけ、ユウトに対しては正直になろうと決めたから。
 ……勿論、家族とも戦友とも思っていた仲間から忘れられたのは寂しい。それは彼女にとってファンタズマゴリアにいた形跡を消されてしまったも同じなのだから。
 コミュニケーションが苦手で不器用だったアセリア。
 天真爛漫な妹のようだったオルファ。
 いつのまにか頼もしい味方になっていたウルカ。
 常に気高く、他人への配慮を忘れなかったレスティーナ。
 皮肉屋なヨーティア。寡黙なイオ。そして、同じ戦場を駆けぬけたスピリット隊の仲間たち。
 もう彼女たちの記憶の中に、エスペリアという存在はない。それが悔しく、ほんの少しだけ悲しい。
 だけど。
「でも私は……例えばトキミさまがエターナルになる前に時間を戻してくれると言ったとしても、やっ ぱり同じ道を選んでいたと思います」
 それでも彼女は微笑む。それが自分の決めた道であるが故に。
 もしも運命があるのならば、それはとっくの昔に決まっていたのだろう。そう、ユウトと会ったあの日から。
「私が選んだんです。エターナルになって、ファンタズマゴリアを守ることと……ユートさまのお世話 をすることを」
 そこまで言って一転、エスペリアは小さなため息をついた。
「はぅ……。最初の目的はなんとか達成できましたけど、次の目的はいつまで続くことやら……」
 微妙に楽しそうな呟きだった。それがユウトには少し不満でもある。
「なんだよ、エスペリア。俺は立派に一人立ちしてるぞ」
「嘘です。洗濯も炊事も、掃除だってろくにできないんですから」
 まるで歌に節つけるようにエスペリアは言う。
「お茶だって、美味しく淹れられないでしょう?」
 分かってる。ユウトは戦いならいざ知らず家事はまるでダメで……
 エスペリアはそのユウトの世話を焼くことを、何よりも楽しんでいる。
 それが出会ったときからずっと変わらない、二人の関係。少しくらい関係が進んだからといって変わったりはしない。
 ユウトにはそれが不満でもあり、同時に嬉しくもあった。
「私は、ユートさまが心配です」
 そして彼女は言う。エターナルになることを決意した時と同じことを。
 その顔は確かな誇りと喜びに満ち、穏やかな笑みを形作っていた。
 ふと、窓からさわやかな風が入ってくる。夏の香りを含んだ風に揺れるエスペリアの漆黒の髪。
「……分かってるよ」
 彼女の笑顔を見るのがなんとなく気恥ずかしく、ユウトはそっぽを向いて言う。出来るだけぶっきらぼうになるように、不機嫌を装いながら。
 この光景をトキミが見ていたらなんと言っただろう。嫉妬もするだろうが、やはり呆れ顔で「ヘタレ」と言うに違いない。
 しかしいつも言うことが出来ない分、今日くらいは自分の気持ちを伝えてもいいはずだ。
「俺はどうも、エスペリアがいないとダメみたいだからさ。その……これからも支えてくれたら、嬉し い」
「……はい」
 エスペリアの瞳が、熱く潤んだ。
「微力ながら、お供させていただきます」
 そのまま二人はみつめあった。心地よい沈黙。互いの鼓動すらも聞こえてきそうな、そんな空間の中で。
 紡がれた、言葉は………。

「はいは〜い、そこまでっ。いい雰囲気だけど、キスとかハグとか禁止ね?横にいる約一名が、ささや かな殺意を覚えるからさ〜」

『!!?』
 それまでの世界をぶち破るかのように聞こえてきた能天気な言葉に、二人は文字通り飛び上がった。さすがは愛し合う二人である。リアクションも瓜二つ……いや、問題はそこではない。
 声のした方向を振り返ると、いつの間にか部屋の壁にもたれかかり、ニヤニヤと笑っている長髪の女性の姿があった。ユウトが気づいたのを確認し、ひょいと手を挙げてみせる。
「や、お二人さん。久しぶり」
 含み笑いすら浮かべる彼女と対照的に、ユウトはまともな反応すら出来ない。顔を紅潮させたまま叫ぶ。
「リ、リアノっ!!いつのまにっ!!」
 見知った顔だった。それもそのはずである。
 彼女の名前は『福音』のリアノ。共に戦うカオス・エターナルの一員にして、ユウトたちのチームのリーダーでもある。今は別任務でどこかへ行っているはずだったのだが……ここにいるところを見ると、いつも通りさっさと済ませてきたのだろう。相変わらず、性格に似ずに有能な人物である。
「ん、ついさっき。『エスペリアはさ、その……後悔とか、してないか?』ってな所から」
 その有能な人物は表情や口調などもまねて、先ほどのユウトの台詞を言ってみせた。羞恥心からユウトの顔がこれ以上ないほどに真っ赤になる。
「全部じゃないか!そんな前から、盗み聞きを……」
「人聞きの悪いこと言わないの。私はちゃ〜んとドア開けて入ってきたわよ?ついでに言うと気配も消 してないから、気づかなかったのは私のせいじゃないわ」
 あ、それだけ二人の世界に入ってたってことかしら?なんてことを言いながら、リアノはさも楽しげに笑う。いつもユウトをからかっているリアノのことだ、いい物を見たと内心ほくそえんでいるに違いない。
 ……傍目から見ても、それは十分に分かるけれども。
「に、任務はもう、終われたるであ?」
「……言えてないわよ、エスペリア」
 一つため息をつき、そしてリアノはいつもにやにや笑いに顔を戻した。
「やれやれ、いつまで経ってもアツアツねぇ。キスとかしたの?お姉さんちょっと妬いちゃうなぁ」
「妬くなっ!」
「そ、そうですリアノさま!アツアツだなんてそんな……私がユートさまの言葉を教えてもらっていた  だいていただけで、キスはしてません!」
 二人の反論が重なる。そのうちエスペリアは何だか文法がおかしかったりするが、これは言葉を覚えたてだから……というのは関係ないだろうか。
 いずれにしろ、助詞が一つ違うと言うことは案外恐ろしいことである。
 しまったとユウトが思ったときには全てが遅かった。
「キスは……ねぇ。じゃ、それ以上のことはしたんだ」
「バルゥッ(えぇっ)!?」
 にやにや笑いが止まらないリアノ。指を組んだまま硬直してしまうエスペリア。
 あとはいつものパターンだった。
「わ〜、わ〜、エスたんやらしいっ!18歳未満禁止の世界ねっ!」
「ちちちちがいますリアノさまっ!私は別にそんなつもりで言ったのでは……」
 反撃の暇など与えない。リアノは斜め45度の上空を見つめると、まるでエスペリアのまねをするかのように指を組んだ。
「あぁ、我らを導く永遠神剣よ。私の仲間、『聖緑』のエスペリアをここまで変えてしまったのは何な のでしょうか?世界ですか?私ですか?それとも、ここにいるヘタレですか?」
 ……凄まじい言いようである。しかし特訓でもリアノに一度も勝ったことがなく私生活でも頭が上がらない以上、ヘタレと言われても仕方がないかもしれない。
 少なくとも、ユウトにこの事態を収拾する方法は一つしか思いつかなかった。
「なぁリアノ……頼むから、このくらいにしておいてくれないか?」
 懇願。
 偉大なる十三本が一つ『聖賢』を手に入れ、若くしてロウ・エターナル達から恐れられている『聖賢者』ユウトも、戦いから抜ければただの実直な青年に過ぎなかった。
 リアノは硬直して指一本動かせなくなってしまったエスペリアを見やると、満足そうにうなずいた。
「そうね。ま、エスたんの恥ずかしがる顔も見れたし。このくらいにしとくかな」
 どうやらエスペリアの恥ずかしがる所が見たかったらしい。ならばその目的は十二分に達成されたと言えるだろう。エスペリアは今、レッドスピリットの髪に勝るとも劣らないほどに真っ赤になっていたのだから。
 これには温厚なエスペリアもムッときたようだった。
「……ご冗談はお止めくださいリアノさま」
「だから、止めたんじゃない」
「そういうことではなくて、習慣の問題です」
 エスペリアの抗議ももっともだった。一年間ずっと――世界が違うので365日ではないが――リアノはこんな調子なのである。何度注意されてもリアノは知らん顔だし、かといってエスペリアが適応することも出来ない。
 今日も今日とて、リアノはにやっと笑って不敵に言う。
「あらあら。エスたんがうろたえるのは、身に覚えがあるからじゃない?」
「……もういいです」
 エスペリアがついに根負けした。よってリアノに軍配が上がる。
 過去に何度も通った道だった。リアノとチームを組んでからの日常とでも言うべき光景である。
 ……それはそれで、嫌な日常に違いなかったが。
「で、リアノ。仕事はどうだった?」
 話を逸らすために、ユウトが言う。もっともこれは個人的な興味もあったので、まるっきりの逃げでもなかったが。
 リアノに与えられていた仕事とは、とある世界に介入、破壊しようとしているロウ・エターナルの討伐だった。大して大きくもない世界だったのでリアノ一人で出向いたわけだが、相手のロウ・エターナルたちは確か三人はいたという報告を受けている。
 いかにリアノと言えども、ロウ・エターナルを三人も相手にするのは骨が折れたのではないだろうか。ユウトは、そう思っていたのだが……
「ん、楽勝。揃ってマナの塵に返してやったわ」
 事も無げにリアノは答える。
 まるで台所の隅にいたゴキブリを退治してやった、とでも言うかのような気楽さだった。これにはさすがに二人とも目を丸くする。
「倒したって……ロウ・エターナル三人をですか?」
「じゃなきゃ、私ここにいないじゃない」
 ――それはまぁ、そうなんだけど。
 リアノはうん、と一つ咳払いをして続けた。
「でも厳密に言えば三人じゃなかったかな。非人間型エターナルが一人いたしね。二人と一匹、ってと こかな」
 ほら、あんたたちが戦ったっていうントゥシトラ、あれみたいな奴。そういって彼女は手をひらひらと振ってみせる。
 ントゥシトラのようだということはつまり、大きな目玉と戦ったということになる。エスペリアは頭にソーン・リームで戦ったあの異形の姿が浮かんだのか、その瞬間顔を真っ青にした。潔癖症の彼女は、ああいうグロテスクな化け物が苦手なのである。
「まぁ、敵の神剣はみんな第三位だったからね。そんなに苦戦しないで帰ってこれたってわけ」
 ……ちなみに誤解のないように記しておくと、彼女の神剣、『福音』も第三位だった。つまり神剣の力量的にはだいたい同じラインにたっているということである。
 それなのに何故、彼女は三人もの敵を平気で薙ぎ倒して帰ってこれるのだろうか?
 彼女いわく、「天才だから」ということらしい。懐かしの人物を連想する台詞であった。
「んで、二人は今特訓中?ハイペリアの言葉を覚えてる途中だったっけ?」
「あ、はい。ユートさまに教えていただいていました」
「ふ〜ん。ユウトに……ねぇ」
 お前にそんな特技があったのか、とでも言いたげな視線を向けると、リアノはぽつりと呟いた。
「さすが、聖賢者」
「……それを言わないでくれ」
 ユウトは少しすねたように答える。
 いつも感じるのだが、『聖賢者』という二つ名はユウトには少なからずコンプレックスだった。だいたい人間であった頃劣等生で通っていたユウトの知識レベルは、普通の高校生以下なのである。『聖賢』という永遠神剣を持っているだけで『聖賢者』と呼ばれるのには閉口した。
 そう。『聖賢』を持っていれば、ヘリオンでもオルファでも『聖賢者』なのだ。
 ――『聖賢者』オルファリル……
 ユウトの頭の中に、ふと妄想が浮かぶ。
 『『聖賢者』オルファ、参上〜っ!』
「…………」
「……ユートさま?どうかされましたか?」
「…………いや」
 ギャップが激しすぎた。
 ユウトは勝手に繰り広げた妄想を、頭を振って払った。
 できるだけ自然に、会話を続ける。
「そういや、どうしてエスペリアはハイペリアの言葉を習おうと思ったんだ?」
「え?」
「は?」
 きょとん、としたように固まるエスペリア。そして同じくこちらを凝視するリアノ。
 二人の反応の意図が見えずに、ユウトは戸惑いながらも続けた。
「あ、いや、俺達って神剣の力を使えばどんな言葉でも分かるだろ?わざわざ覚える必要ないじゃない か」
 その問いに、
「はぅ……」
「………はぁ」
 エスペリアはいくらか悲しげに。リアノは呆れて物も言えないという風に。
 二人が、同時にため息をつく。
「鈍感男、ここに極まれり……ってか、極めてもいいことないのにね。……可愛そうに、エスペリア」
「……私、実は嫌われてるんでしょうか?」
「こ、こらっ、落ち込まないの!そのうちいいことあるからね、ね?」
「……………ルゥ」
「え?二人とも、どうしたんだ?」
 どうやら分かっていないのはユウトだけのようだった。
 なんとか話についていこうとするが、全く何を言っているのかが理解できない。助けを求めるようにリアノに目を向けると、彼女は一つ息をつき、ついでにユウトを軽くにらみつけて、言った。
「……ヘタレ」



<ハイペリア、志倉付属音楽大学――8月3日・夕刻>

「え、と……ごめんなさい」
 そう言って少女は、目の前にいる青年にぺこりと頭を下げた。
 青年は、きざったらしい笑みのまま固まっている。まるでその瞬間を見計らって液体窒素でもぶちまけられたかのように身じろぎ一つしない。
 この青年はここ――志倉付属音楽大学でも屈指の美青年だった。もっとも天は二物を与えずとはよく言ったもので、容姿に反して人間性はあまりよくない。しょっちゅう遊び歩いては女をとっかえひっかえしている、言うならば女たらしである。
 彼は自分の容姿に絶対の自信を持っている。夕日に照らされるグラウンドというシチュエーションも青年に味方している。一つ年下のうぶな下級生など、簡単に丸め込んでしまうはずだった。
 だった……のだが。
「あ、はははは……佳織ちゃんは、彼氏とかいるのかな?」
 現実を認めようとしない青年のプライドが、見苦しく彼を食い下がらせた。目の前の少女――高嶺佳織に恋人がいないことなど分かっている。これはかわされることが分かっている攻撃。言わば布石に過ぎない。
「……いませんけど」
 きた。予想通りの答えが。
「ならさ。僕と付き合ってくれよ。……ダメかな?」
 追い討ちをかけるかのように青年はにっこりと笑う。無駄に白い歯がきらりと光った。
 爽やかさも彼の武器の一つである。これを出して、篭絡できなかった女性は一人たりともいない。
「でも、先輩って確か今年で卒業でしたよね?ここの卒業テスト厳しいんですから、しっかり練習しな いと」
 そう言って佳織は、幼さの残る顔で微笑した。
「私なんかにかまってちゃ、ダメですよ」
 いきなり無敗伝説が崩された。
 敵もさるものだった。しかし青年は諦めない。
「でも」
「それに私も、フルートの練習と勉強で忙しいし」
「だから」
「もうすぐ小鳥の誕生日だから、ケーキも作ってあげなきゃいけないし」
「ちょっと」
「あ。あと、それと……」
 そこで佳織はちょっと顔を赤らめて、言った。
「私、付き合ってる人はいないけど……好きな人はいるんです」
「――――――っ」
 そこで、最後の一撃が放たれた。至高の笑みと共に。
 その言葉は彼のディフェンススキルを易々と突き破り、精神に多大なダメージを与える。
 がっくりと何かが崩れ落ちる音。しかし次の瞬間校門で手を振っている親友を見つけた佳織は、その音の正体に気づかない。
「あっ、小鳥!そういえば一緒に帰る約束してたんだった……ごめんなさい、先輩。きっと他に、いい 人見つかりますよ」
 そのまま、振り向きもせずに走り出す。故に彼女は気づかなかった。最後の一言が、ついに青年にとどめを刺した事を。
 後に残されるは、「相手が悪かった、相手が悪かったんだ……」と必死に自己マインドコントロールをかけようとする青年と、それを面白そうに、または気味が悪そうに見下ろす外野だけであった。
 ――余談ではあるが。
 彼はこの時、生涯年下だけは狙わないと、心に誓ったらしい。

                     *

「お疲れ様、佳織っ」
 行ってみれば校門で待っていた親友、夏小鳥は全てをしっかり目撃していたようで、笑顔と共にそう第一声を発した。
 もっともその笑顔には、こういう場面にはありがちなからかいや皮肉といったものが全く見られない。驚くほどに邪気がないのだ。大学生になってもこんなに無邪気に笑えることが出来る人間を、佳織は他に知らなかった。
「う〜ん、あんまりお疲れ様でもなかったような……」
 そんな親友のおかげで佳織は、告白された後でも普通に笑っていることができる。いつもは気づかなかったが、小鳥の存在は自分の中で案外大きいのかもしれない。
 佳織は、心の中でこっそりそう思った。
「じゃ、帰ろっか、佳織。愛しき我が寄宿舎へ!」
「うん」
 大空へ拳を突き上げる小鳥の横に並んで、静かに歩き出す。
 小鳥とは高校時代からの付き合いである。性格が同じとは言いがたかったが、楽器の演奏という共通の趣味を持っていることもあり、目指すところも同じだったのだろう。二人は当然のように仲良くなり、当然のように同じ大学――ここ、志倉付属音楽大学を志望した。
 難関として知られている大学にあって二人とも合格できたのは、ひとえに二人の才能と努力が認められたからだろう。合格発表の日には、二人して抱き合って喜んだものだ。
 そして……二人は今、ここにいる。佳織の好きなファンタジー小説のように胸をときめかせる冒険があるわけではないけれども、ここにはその代わりに穏やかな時間がある。
 それだけで佳織は、『なんだか幸せ』と思えてしまうのだった。
「……でも、ちょっとかわいそうだったかな?」
 ふと、ぽつりと小鳥が言った。……先ほどの青年のことだ、と佳織が気づくまで少しかかった。
 その口調は、けっして佳織を責めているわけではない。しかしやはり罪悪感めいたものがあるのか、佳織の胸は少し痛む。
「……うん。そうだね」
 静かに同意して、しかし。
「でも、私は……自分の気持ちに嘘はつけないから」
 佳織ははっきりとそう言った。
 積極的に意思表示をするわけでもなく、ともすれば消極的とも見られがちな佳織にしては珍しく強い言葉である。
「……佳織?」
「あ、うぅん!何でもないよっ?」
 訝しそうに尋ねてくる小鳥に、佳織は激しく首を振った。
 激しい否定。佳織がいつもはしないことの一つである。そしてそれをしたとき、佳織はひどくうろたえているのだということを小鳥は長年の経験から知っていた。
 では、何にうろたえているのだろう?
 ――……ま、いっか。
「あ、そういえば佳織」
「え、何?」
 少し前を歩いていた佳織が振り向く。高校時代からほんのすこし長くなった髪が、ふわっとたなびく。
 そんな彼女に向かって、小鳥は。
「さっき言ってた好きな人って、誰?」
 ごてん。
 目の前で、佳織が壮大にひっくり返るのが見えた。
 歩いているのでもなんでもなく、静止した状態から転倒する。物理法則を無視したこの反応は、佳織だからこそ出来る大技である。おぉう、と思わず小鳥はつぶやいてしまった。
「こ、小鳥!いきなり何言うの?」
「え、ちょっと気になりまして」
 事も無げに言う小鳥。分かっている。分かっているのだ。彼女に悪意はない。
 だがしかし……いきなりこんなことを言われて驚いてしまった佳織を、誰が責められよう。
「ねぇ、誰誰?誰なの、佳織?」
「え、え、えぇ?」
 目を白黒させる佳織。
「そ、そんなこと……」
「私と佳織の仲じゃない!教えてほしいな〜」
 目をきらきらと輝かせる小鳥。こうなった彼女を止められるものはいない。……これも分かっている。長年の付き合い、というやつだ。
 だからこそ佳織は、はぅ、と一つため息をついた。
「小鳥。一目惚れって、あると思う?」
 一つ尋ねる。
「う〜ん……私はちゃんと恋愛しましょう派だけど、でもでも、それもありじゃないかな?」
 だってドラマチックじゃない、と小鳥は続ける。何となく予想できていた回答だった。
「それで、佳織はその一目惚れをしちゃったの?」
「う……うん」
「誰に?」
 さぁ、そこだ。
 佳織は少し首を傾げると、微苦笑した。
「えっと……よく分からない」
「え?よく分からないって……、佳織ぃ」
 驚いたような呆れたような顔をして小鳥が言う。しかししょうがないのだ。
 その人とは昔、本当に道で一回会っただけなのだから。
「だから、本当に一目惚れなんだよ?」
 そう言って佳織は、昔会ったその人の事を語り始めた。

 ――それはまだ佳織が志倉付属音楽大学に入学する前……高校生だった時のこと。小鳥との約束に遅れまいと走って家を飛び出した時にぶつかったのがその人だった。いや、ぶつかった、というのは正確な表現ではない。図らずしもその人の胸に飛び込んでしまったのだ。
 その人は驚いたように佳織を受け止め――つまり抱きしめ――彼女に言った。
『危ないな、転んだら大変だぞ』
 上目遣いに見た彼の目は、驚くほどに澄んでいた。
 まるで佳織が幼い頃からずっと見守っていてくれたかのように、優しい瞳。ぶっきらぼうに切られた黒い髪。そして……ひどく懐かしい雰囲気。
 それを見た瞬間に佳織の顔は紅潮し、そして興奮した彼女は初対面なのにも関わらず、彼に自分のことや家族のことをいろいろと話してしまったのだった。
 そして佳織が少し目を話してしまった瞬間、彼は忽然と何処へか消えてしまった――

「――かっこよかったな〜……」
 そう言って、佳織は一つ息をついた。
 ため息の類ではない。どちらかと言えば気疲れというよりも感極まったような息である。なるほど、一目惚れというのはあながち嘘でもないようで、佳織の頬はほんのりと赤くなっていた。
 そして、感極まっている人物が横にももう一人。
「く〜〜、いいねいいね〜!」
 拳を握り締め、顔を紅潮させて目を閉じる小鳥である。
 ――あ……やっちゃった。
 軽い後悔を感じた瞬間、それはやってきた。
 ……いや、それは偶発的なものではなく、起こるべくして起こったのだった。
「風のように現れて、風のように去るっ!あ〜、白馬の王子様の典型的なパターンだよね!そんなお約 束はご都合主義だなんていう人もいるけど、私は気にしないっていうか、あなただから許せるってい うか、それでもあなたについていきます〜なんて思ったり思わなかったり!!」
 小鳥トークが炸裂する。
 大学生になってから慎みが出てきたのか長らく聞いていない長口上だったが、さりとて懐かしいものでもなかった。佳織の顔が、自然に微苦笑の形を作る。
 ――これさえなければ、すごくいい子なんだけど……
 小鳥には、興奮すると息継ぎも忘れて延々と喋り続けるという困った癖がある。悪癖というにはささやか過ぎ、それ故に二人の溝ともなりえないようなものだったが、だからといって慣れることもできない。
 もっともこのマシンガントークに合わせて会話できる人間がこの日本に何人存在するのか、甚だ疑問ではあったが……
「あの、小鳥……」
「いいな〜、私もそんな人と恋愛してみたいな〜。見つけたら、私もアタックしてみようかな?」
「えっ、えっと、小鳥!」
 無意識のうちに声を出してしまう。
 冗談めかして言っていた小鳥も思わずびくっとするほどの大声であった。しかし誰よりも驚いていたのは、訳が分からないままに大声を出していた佳織本人である。
「ど、どうしたの?佳織」
「あ、えと……」
 小鳥の言葉の何が引き金となって、自分はあんな声を出してしまったのだろうか。
 一瞬の疑問を急いで掻き消して佳織は笑顔でごまかした。
「……ほ、ほら、明日から小鳥はどうするのかなって」
 とっさに出てきた言葉がそれだった。
 明日から佳織たちは、晴れて夏期休暇に入る。そのために彼女たち寄宿舎生は、故郷に帰るかそれとも寄宿舎に残るかという選択を迫られていた。比率で言えば前者が7、後者3がといったところなのだが。
 小鳥は不自然な佳織の様子に首を捻りながらも、しっかりと答えた。
「私はバイトとかがあるから、こっちに残るかなぁ」
「そう、なんだ……」
 そういえば小鳥は親からの仕送りは学費だけにとどめ、他の生活費は近くの定食屋でアルバイトをして捻出していた。親にできるだけ迷惑をかけたくないという彼女の優しさである。自分も見習わなければと思う佳織だが、今は勉強に専念しろと言う両親に甘えていた。
「佳織は?実家に帰るの?」
「う〜ん……」
 本当のことを言うなら小鳥にこの話を振ったのは全くの成り行きなので、佳織自身は帰省について全然考えていない。しかし小鳥がバイトでいないなら寄宿舎にいても暇なだけだろう。
 いつも仕送りなどで世話になっている分、こんな時くらいは両親に元気な姿を見せてあげてもいいかもしれない。それに正直なところ、一人っ子の佳織としては親が懐かしくなってきた頃でもある。
「私は……帰ろうかな。こんな長い休み、次は冬休みくらいだし」
「じゃぁ、私のお母さんによろしく言っておいてね。今度休みが取れたら帰りますって」
「うん」
 そこまで話し終わる頃には、もう寄宿舎へと着いていた。ちなみに佳織の部屋は一階で、小鳥の部屋は三階である。入ってすぐ正面にある階段で、「じゃぁ、楽しんできてねっ」「うん」二人は別れる。
 と。
「あ、そうだ!」
 小鳥が振り返り、言った。
「その一目惚れの人、見つかるといいね〜っ!」
「……え?」
 あっけに取られている間に、小鳥はぱたぱたと階段を駆け上がっていく。
 それをぽけっと見送ってから、ようやく佳織は彼女の言葉の意図に気づいた。
 ――あ、そうか。
 一目惚れの人と会った街に帰るのだから、もしかしたらその人に再会できるかもしれない。それは確かに安直な考えではあったけれども、だからといってそんなに的外れなことではないはずだ。
 夕陽が差し込んでくる窓を見上げ、佳織は目を細める。びっくりするくらい綺麗な夕焼け。オレンジ色に染まる空。
 会ったのは朝方のことだったはずなのに、何故か夕陽を見ると彼を思い出す。そして胸が苦しくなる。苦しくて、切なくてたまらなくなる。
 ――もう一度、会えれば。
 佳織は思う。もう一度彼に会うことができれば、この胸のもやもやも消し去ることができるのだろうか……と。
 夕陽はゆっくりと沈みかけ、もうすぐ夜になろうとしていた。
 


<何処かの世界、仮の宿―シルトの月中の5日・夜半>

 かちゃかちゃ、と皿の触れ合う音がする。
 エスペリアが皿を洗っているのである。今日は彼女の機嫌がいいのだろうか、時折皿の音に混じって小さな歌が聞こえてきたりもした。
 ユウトも手伝うと言ったのだが『台所は男子禁制です♪』と楽しげに言われ、すごすごと居間に戻って彼女が淹れてくれた茶を飲んでいたのだった。ならばリアノが手伝う分にはいいのかといえば、彼女は最初から家事はエスペリアに任せきりにしているようで、ソファーにぐでっと横になっている。
 まぁ、いつもの光景と言えばいつもの光景であった。
「あ〜、つまんない」
 横になりながら、リアノがぼそりと言う。
 これもいつものことだ。ユウトは無視を決め込んで茶をすすった。
 誰も聞いていないのに、リアノの独白は続く。
「待機してかれこれ何年か経ってるはずなのにな〜んも音沙汰なし。訓練、訓練、訓練の毎日……やっ と出番が回ってきたら新米のロウ・エターナルをいびり倒せときた。日々の刺激はどうなるの?もっ と強い敵とか出てこないわけ?」
 ……一部、トキミが聞いたら卒倒しそうな台詞が混ざっている。顔をしかめて、ユウトは注意しようとカップを置いた。
「リアノ、不謹慎だぞ。何も起きないなら起き『うっさい。あんたの一般論なんか聞きたくないわ』」
 一蹴、沈黙……
 ここで何も言い返せないのが、ユウトのユウトたる由縁である。勝者に尻尾を振り、ただただ茶をすすることしか彼にはできなかった。
「だいたいね〜、あんた達もあんた達よ?エターナルになってからずっと任務漬けで休暇もらってない でしょ?さすがにそろそろ休暇もらってもいいんじゃない?」
「う……ん」
「私がローガスに言っといてあげるから、今度エスペリアと二人でどこか行ってきなさいな。あの子も あれでなかなかストレス溜めやすいんだし、もっと労ってあげなきゃダメよ?」
 それはとても乱暴と言うかぶっきらぼうな口調。しかしその言葉からは、リアノなりの優しさというものがうかがい知れた。
 ――そっか……心配してくれてるんだな、リアノも。
 ユウトは知っている。いつも二人をからかい、だらしない素振りすら見せるリアノだが、いつも自分とエスペリアのことを気にかけてくれていることを。
 だからユウトは言った。
「……じゃぁ、今度ハイペリアに行きたいな」
「え?」
 一瞬、驚いたような表情を見せるリアノ。
「……なんだよ。何か驚かせるようなこと言ったか?」
「あ、いや……どうして?」
 取り繕うように笑顔を見せて、彼女が尋ねる。
 どうしてと言われても、そんなに大したことはない。生まれ故郷がどうなったのか知りたくなるのは当然のことだし、そこに帰りたくなるのもまた自然なことだろう。
 そう……強いて言うならば。
「いや……エスペリアが急に俺に言葉を教えてほしいって言ったの、もしかしたらハイペリアに行きた いからじゃないかと思ってさ。どんな所だか、気になってたみたいだし」
「……ふ〜ん」
 その言葉にリアノはひどく感心する。
 ――鈍感は鈍感なりによく考えてるじゃない。
 とても近い所までいっているが、正解には後一歩およばない。だがここはユウトを褒めるべきだろう。
 ユウトが、エスペリアと一緒にハイペリアに帰りたいと思うのも。
 エスペリアが、ユウトと二人っきりで『愛する人が生まれた地』を見てみたいと願うのも。
 行動としては一緒のことである。もちろんニュアンスは違ってくるが。
 ――まったく……妬けるわね。
 ほんの少し微笑み、リアノはソファーから立ち上がった。
「さってと。それじゃ、私もエスペリアにお茶でも淹れてもらおうかな〜♪」
「……自分で淹れろよ。自分で」
「冗談。どうして私が手間暇かけてまで、エスペリアが淹れてくれたのより数段不味いお茶を飲まなき ゃいけないのよ」
 ユウトの呆れた声を軽く受け流し、リアノはキッチンへと足を進めた。
 
 ――その、刹那に。

「―――っ」
 ぴくん。
 リアノの肩がほんの少し揺れ……そして彼女の歩みが止まる。
「リアノ?どうし……」
 尋ねかけて、そこでユウトは気づいた。
 リアノの目が変わっている。ただの女性のものから、有能な戦士のそれへ……!
 いつもの彼女から考えれば信じられないほどの変わりようだったが、ユウトはその豹変を過去に何度か見ていた。
 それも決まって、戦場で。
「ユウト、エスペリア」
 彼女は静かに呟いた。静かではあるが、力強い声である。その声に気づき、エスペリアも洗い物をやめて姿を見せた。
「何でしょう、リアノさま?」
 その表情は硬い。リアノの目が、これから起きる全てのことを物語っているからである。
 果たして、リアノは口を開いた。
「神剣用意。警戒態勢に入って……何者かが、この世界への門を開こうとしているわ」
『……!?』
 二人が驚愕したことは間違いなかった。しかしそれでも体が勝手に反応し、傍らに掛けてあったそれぞれの神剣を掴む。
 リアノは何も掴まない。行動する必要すらもなかった。彼女の得物はすでに準備されているのだから。
「敵……か!?」
「さぁね。相手が門から抜けるまでは神剣反応が把握できないから、敵か味方かは分からない。ただ」
 一旦言葉を区切り、そしてリアノは言った。
「味方がこちらに来るなら、事前に連絡があるはず……戦闘準備だけは、怠らないで」
 リアノははっきりとは戦う、と言っていない。しかしこの発言は戦いを意味するものである。
 三人の間に緊張が走る。長い長い静寂……
 そしてその果てに、『それ』はやってきた。
「きゃっ……!」
「う……!?」
 突然の光の爆砕。それは三人を傷つけることなく辺りを包み込む。
 世界を侵食する術式。それは徐々に実体化し、ある一つの気配を顕現させる。
「くっ……門が、開くわっ!!」
 リアノの叫びと共に……
 光が砕け散り、そしてその中に一人の少女を降臨させる。
「え……」
 途端、ユウトは目を丸くした。……否、驚愕したのはユウトだけではない。エスペリアの口からも、驚きの声が漏れる。
「あ、あなたは……」
 門から降り立ったのは、二人のよく知っている人物だった。
 ふわり、とたなびくぬばたまの髪。それを結ぶ朱色の結い紐。握られている儀式用のような短剣。
 そして、目も覚めるような緋色の巫女装束……
「お久しぶりです、ユウトさん。エスペリア。それに、リアノ」
 たおやかに礼をしてみせる彼女に向かって、リアノは半分呆れたようにぼやいた。
「トキミ……。驚かせるんじゃないわよ」
 彼女の名前は『時詠』のトキミ。時と門を自在に操るカオス・エターナルである。それ以上にユウトとエスペリアにとっては、共にファンタズマゴリアを守るために戦った大切な仲間でもあった。
 そう……トキミは『仲間』なのだ。
「……はぅ」
 どっと疲れたように、エスペリアがその場に座り込んでしまう。ずっと槍を構えて集中しっぱなしだったのだからそれも無理はない。もっとも疲れたのはユウトも同じだった。体力的にではなく精神的に、である。
「ったく、ご大層に家の中に門なんか開いちゃって……いきなりどうしたのよ。あなたがこっちに来る なんて連絡、聞いてなかったわよ?」
 その言葉に、トキミは静かに首を振った。
「急用……だったものですから」
「急用?」
「えぇ」
 リアノの誰何の声に短く頷き、トキミは告げる。その目は鋭く、声は重い。
「皆さんにお伝えしなければならないことがあります」
 胸に手を当てたまま。しかし死刑宣告でも告げるかのような声で。
「先日、安置場所が正体不明のロウ・エターナルに襲われ……そして第二位永遠神剣『叢雲』が奪われ ました」

 

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