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『漆黒の断獄者』

 それは、何の変哲も無い、ただ、幸せな、幸せな時だった。
 厳格だが、優しい父。
 いつも暖かく見守ってくれていた、母。
 そして――
「望お兄〜ちゃん♪」
 そして、最愛の妹に囲まれ、俺は、幸せだった。
 決して裕福とはいえない生活だった。
 それでも、家族の暖かさ、それを感じられることだけでも幸せといえる日々だった。
 ……奴らに、出会うまでは。

 ある夏の日に、俺たち家族は避暑のため、希少な自然が満喫できる高原に出かけていた。
「うわ〜っ! 涼しい♪ 望お兄ちゃん、早く行こう!」
 俺は妹の聖に手を引かれ、目の前に広がる草原を走り回った。
 黒く艶やかなツインテールの髪を揺らしながら走る聖を、途中で疲れた俺は
 その場に腰を下ろし、見つめていた。
 聖の着ている黄色のワンピースは、お気に入りの服であり、この草原の緑のおかげで
 より美しいように見える。
 後ろでは両親が、子犬のように跳ね回る聖を、優しく、優しく見つめていた。
 思わずこぼれる、俺の笑み。

 思えばこれが、俺の心から漏らした、最後の笑みだったのかもしれない。

「望、聖、そろそろ戻るよ」
 父の声がした。
「荷物を置いたら、また来ようね」
 母も、それに続いた。
「はーい!」
 声に呼ばれ、聖は俺を通り過ぎ、両親の元へと一目散に向かった。
 俺も、青く、どこまでも広がる空を見つめるのをやめ、立ち上がり聖に習って
 向かおうとした。
 向かおうとしたのだが――
「――ッ!?」
 突如、地が唸りを上げて揺れ、俺はその場に倒れこんでしまった。
 地震にしては、異常なほどの揺れだった。
 続けて、どこからとも無く聞こえてくる、爆発音。
 その爆発でおきたと思われる爆風が、俺たち家族の髪を、服を乱暴になびかせる。
 何がおきたのかと思い空を見上げると、信じがたい光景がそこにあった。
 いや、ここまで生きていて、こんな光景に出くわしたことはまず無い。
 自分と同じくらいの少年が、空中に浮いているなんて、信じられなかった。
 手には、白く大きな剣のようなものを持っている。
「なにッ!? まだ、こんなところに人が……ッ!」
 空にたたずむ藍色の髪をした少年は、俺たちを見ると、そういった。
「く……ッ! 『統べし聖剣』! これ以上この世界での戦闘はやめろッ!」
「うるさいぞ『聖賢者』! 僕よりもそんな脆弱な奴を取るというのか!」
 もう一人、空中を走って少年がこの場に現れた。
 真っ白な髪に、手には赤く、毒々しい色をした剣を握りながら。
「ふざけるな! これは俺たちが巻き込んでいい人たちじゃ――」
「……戦いに集中できていない貴様を倒したところで、僕は満足できない」
 白髪の少年が、俺たち家族を見た。
 俺は本能で、何をしようとしているかを悟った。
「父さん! 母さん! 聖! 逃げろッ!」
 体を起こして、遠方にいる家族に声をかけた。
 しかし……遅すぎた。
「消えろ……究極のオーラの爆発でなぁッ! オーラフォトン・ブレイクッ!」
「ッ! オーラフォトン・ノヴァッ!」
 二人の少年の手から、白いものが放たれた。
 それは俺たち家族の上空で重なり合い、そして、全てを消滅させるエネルギーとなり、
「お兄ちゃ――ッ!」
 わずかな聖の言葉を残して、俺の目の前の草原は消滅した。
 俺は離れていため、爆発の影響をまともに受けずにすんでいた。
 俺はただ、爆風で吹き飛ばされただけだった。
 叩き付けられ、全身を強打し、俺は、気を失った。

 目が覚めると、俺の目の前には灰色の雲だけが写った。
 すぐさま激痛とともに体を起こし、あたりを見渡す。
 先ほどの出来事がうそだと信じたかったから。
 認めたくなかったから。
 父が、
 母が、
 聖が、
 消えてしまったということを――
 しかし現実は無情だった。
 俺の目の前に入ってきたのは、美しかった緑の草が炭化し、染め上げる荒野だけだった。
 俺は呆然とした。
 現実を受け止めるまで、少し、時間がかかった。
 俺の頬に、一筋の水滴が流れた。
 それは俺の涙ではなく、季節外れの、雨粒だった。
 すでに俺には、泣くという行為を許せるほどの力は残っていなかった。
 その場に膝を折り、崩れ、うつむいたまま嗚咽だけが上がる。
 雨が、俺の涙の代わりに流れてくれた。

『……深い悲しみの正体は……あなたですか?』

 不意に、声がした。
 誰かに話しかけられるわけでもなく、頭に直接話しかけられる感覚だった。

『自分は、永遠神剣第二位『断獄』……あなたの力になれるものです』

 ――力――

 俺は、欲しかった。
 ただ純粋に、俺から幸せを奪った奴らへ復讐するための、力が……ッ!

『あなたのその深い悲しみ……自分が力に変え、あなたに深い悲しみを植え付けた、
 ロウエターナルとカオスエターナルへの復讐の手助けをいたします……』
「……なぜ、俺にそんなことを……?」

 言っていた。
 この声の主の意図が読めなかったから。
 無償で俺に、力を貸すなんて、虫のいい話だった。

『……自分はもう、止めたいだけです。自分は、悠久に近い時を戦い続ける運命。
 自分は、もう嫌なのです……ともに戦い、ともに生きてきた人たちとの別れは、辛い。
あなたにも、わかるでしょう……ですが、自分が自分であり続ける限り、
その悲しみから抜けることができない……だから、自分の手によって、この、
無意味な戦いを終わらせたい。目的は、あなたと同じです』
「……その、ロウとカオスを倒すことが……お前の目的でもある……」
『目的が合致しているのですから、問題ないと思いますが……』
「……一つ、言わせてくれ『断獄』……」
 俺は無表情のまま、いつの間にか目の前に浮かぶ、巨大な、すっきりとした外見の
 黒い剣を見つめ――
「……よろしく、頼む」
『……すみません……』
「何を、謝る必要がある? これから、ともに歩んでいくんだろ?」
 手を伸ばし、俺は『断獄』を握り締めた。
『自分の選定に乗れば、あなたは人ではなくなり、自分と同じ、永遠の戦いに
 身を落とすことになります……追い詰められているあなたにつけ込むような真似を
してしまい……』
「……んなこと、気にするかよ。むしろ、そっちのほうが好都合だ」
 体に力がみなぎってくるのが、わかった。
「奴らを殺し続けることが生甲斐、なんていうのは悪くないと思っている……」
 これが、『断獄』の力……
 そして、俺たちの感覚は重なっていく。
 記憶が重なり、お互いの嬉しかったことも、悲しかったことも、全てが共有されていく。
 『断獄』の悲しみが、深い悲しみがわかる。
 俺と同じだった。
 主人に死なれる。
 その別れを何度も、何度も繰り返してきた。
 深い。
 『断獄』の悲しみは。
 俺が想像していたよりも、深く、重く、押しつぶされそうな、感覚だった。
 俺なんかの比じゃない。
 ただ一度だけ、家族を失った俺の悲しみの比じゃなかった。
「……今一度……これから、よろしく頼む。さあ、行こうか……俺たちの手で、
 全ての争いに終止符を打ちに行こう……ッ!」
『……はい。我が、主よ……』

 これが、俺と『断獄』の出会いだった。
 その後、俺たちは志を共にする者達と出会い、協力することにした。
 俺は最前線で、ロウとカオスを殺した。
 俺の力は、この二つに対して最大限に発揮される。
 そして俺は――

「……ん……夢……懐かしい、ものだな」
 背中を木の幹に預け、望は眠っていた。
 脇においてある『断獄』を包んだ布を確認して、現実に戻ってきたと実感する。
 今、望は先日行われた大規模な戦闘で受けた傷を、自分達のグループをまとめている
人物に半ば強制的に休息を取らされていた。
 働きつめだったが、ロウエターナルとカオスエターナルを消すことが、
 それを忘れさせてくれていた。
 だが、つい油断したときにぶっ倒れてしまい、今に至ると。
 この世界はマナも豊富で、体の疲れが一気にとれていく。
 それに今腰を落ち着かせている村の近くには、なにやら凶暴な動物が住み込んでいる
らしく、そいつらの相手をすることを条件に宿と食事を用意してもらっている。
このおかげで、腕が鈍ることは無かった。
「ノゾム〜ッ!」
 遠方から、望の名を呼ぶ少女の声。
 まもなく、声の主の姿が望の瞳に写される。
「……エリスか……」
 気だるそうに呟く望。
 彼女は望が腰を落ち着かせている宿屋の娘。
 村で奇妙がられている望に対して、唯一話しかけてくる人物であった。
 村の用心棒をしているのに、金を要求せず、ただ寝る場所と食事だけを要求する望を
 妙だと思わない人はいなかった。
「ノゾム、また空なんか眺めてたの? よく飽きないわねぇ」
 エリスの容姿は、そっくりだった。
 もう、数えるのが嫌になるほど昔にすごした、『家族』という輪の中に入っていた少女に。
 なるべく、彼女とは会わないようにしていた。
 話さないようにしていた。
 にもかかわらず彼女は望によってくる。
「……お前も、よくもまぁ飽きずに俺のところにやってくるな……」
 そしてこのようにいつも、望のほうが折れる。
「だって、村の約束じゃない。宿の提供と、食事の提供」
 そういって、エリスは手に持ったバスケットを突き出す。
 言われると、すでに太陽は高々とのぼり、昼時である。
 今日は村に対する襲撃も無く、朝からここにいたので時間の感覚が失せていた。
「……律儀で、それでいて変な奴だな……お前は」
「いいじゃない、別に……あたしの、好きでやってるんだから」
 ――ああ、なるほどな……
 と、いまだに若さを保つ外見とは裏腹に、長い、長すぎる時を過ごした望は、
 彼女のしぐさを見て悟った。
 彼女は頬赤らめ、自分に向かってバスケットを突き出している。
 その瞳を少し拝見すると、かすかだが恋慕の感情が見えた。
 嫌な気分ではなかったが、それ以上に無関心なことだった。
 もう、自分は他人を愛することなどできない。
 わかっていたことだ。
 最愛の家族を――妹を失ってから、自分のそばにおいておくと決めたのはただ一人。
 この首からさげられる、銀のロケットに入った、あの頃の少女――
「……じゃ、いただくよ……」
 開けてみると、なにやらいつもより量が多い。
「……追加サービス。一緒に食べてあげる人」
「……快く、お受けいたしますよ」
 今日から、俺の食事に向かい合ってくれる人が増えた。
 何年ぶりだろうか。
 一人とは違う環境で食事をするのは。
 心のどこかに、うれしいという感情あったのかもしれない。
 しかし、それ以上になることは無い。
 彼女には悪いが、すでに望はその域まで達していた。
「……それにしても、あんまり美味くないな……このサンドウィッチ」
 もっさりとした、なんとも言えない口当たり。
 どうやら、間に挟む具の選定に問題があったらしい。
 もうひとつ頬張ってみると、今度は味わったことの無い、珍妙な味が広がった。
 まさかサンドウィッチを食べて、甘辛い煮魚を食わされるとは思っていなかった。
「あたしの手作りなんだから、文句言わないでよ」
「……今度からは、ちゃんとしたものを食わせてくれ……」

 それからというもの――

「お疲れ様ね、ノゾム」
「……別に。これが取引だからな」
 望が仕事をし終わったとき、ただ一人だけで迎えてくれた。
「みんな寄り付かないけど、実際ノゾムにはみんな感謝してるんだよ」
「……そうか」
「だから……その、できるだけ、長い間いて欲しいな。ノゾムには」
「……なるべくな」
 といった具合にエリスはいつも以上に積極的に話しかけてくるようになった。

「朝だよ! ほらほら、早く起きないと体腐っちゃうよ〜ッ!」
「……なんだ、お前は……」
 まだ日が昇りかけたころに、エリスが部屋に押しかけてきて叩き起こしにかかってきた。
「いいから早く起きなさいな! 朝ごはん、冷めちゃうか――ッ!?」
 望が身を起こすと、視界に写るエリスの表情が見る見るうちに赤くなっていく。
「……? おい、どうしぶはッ!?」
 で、次の瞬間には望の顔面めがけ投げつけられる、何故かエリスの持っていた木箱。
「この……変態ッ!」
 捨て台詞を残して、エリスは去っていった。
 何がエリスにこのような行動をさせたのか、悟ってくださいまし。
「……生理現象だバカ野郎が……割に合わないっつうの」

 そんなこんなで、時は過ぎゆく。
 望の傷も癒え、本調子とほとんど変わらないだろう。
 この世界と、別れる日が近づいてきていたのだ。

「……お前は無茶するんじゃねえ」
「えへへ……ごめんね、ノゾム……」
 背負ったエリスに、望は酷く気だるそうに話しかける。
 今日は戦闘に赴いたところに、何故かエリス乱入。
 直後にエリスが狙われるのは当然のことであり、そのおかげでいつもより掃討に
 時間がかかってしまった。
 その後、何かと問いただせば、どうやら昼食を届けにきたという。
 それを聞いた望は、怒りを通り越して、もはや呆れていた。
 たったそれだけのために、攻撃を受け、足を怪我してしまったのだから。
「……俺がいなくなった後は、こうやって助けられるわけじゃないんだぞ?」
「大丈夫だよ。ノゾムは、ずっとこの村にいてくれるもん……きっと……」
「……俺はもうすぐ、旅立つ。だから、もう……」
 エリスの手に力がこもる。
「……ずっとここに住む……っていうのはノゾムの選択肢には無いの?」
「……ああ。だが、安心しろ……どうせ、俺が旅立ったあと、俺の事などすぐ忘れる。
 寂しい、何てことは無いさ」
 ――それが、エターナルとしての宿命だからな。
 とはいわなかったが、今のうちに突き放しておいたほうがいい。
 下手に情が移れば、別れる時期が見出しにくくなる。
 だからあえて、冷たい言い方をして、彼女を自分から遠ざけなければいけない。
「そんなこと無いもん……望が、望がいなくなったあとでもあたし、ずっと覚えてるもん!
 村の人たちがみんな忘れても、あたし……絶対に望のこと忘れないんだから!」
「……それは、俺が村から出て行った後の話だな」
「あ……」
 そこから、エリスは村に着くまで黙ってしまう。
 ――これでいい。これで……聖の影から離れることができる……
「ほら、ここからなら歩いていけるだろ」
「…………」
 降ろすと、酷く落胆したエリスはとぼとぼと家への帰路についた。
 それを確認して、望はその後姿に向かって、
「……じゃあな、エリス。飯、もっと上手くならないと嫁の貰い手が見つからないぜ」
「――ッ!」
 言い放った。
 エリスはハッとして振り返る。
 望の姿は、無かった。
 生い茂る木々だけが、エリスを見つめている。
「……初めて……」
 一筋の涙。
「初めて、名前呼んでくれたのに……あたし、まださよなら言ってないよぉ……ノゾム」
 最後に、エリスは小さくそう呟き、崩れた。

『これで、よかったのですか? 主……せめて、最後の挨拶くらい交わしても……』
「……珍しく、お前と意見が合致しないようだな」
 空中で、望はエリスの姿を見ていた。
 背中には、布を剥いだ黒い鞘に納まる『断獄』。
 エターナルとしての能力を覚醒させ、すでに半分この世界から飛び出ようとしていた。
 すぐに村から離れるように空中を走り始める望。
 もうすぐ、この世界と他の世界とを繋ぐ門が開かれる。
 その場所へ、向かうために。
「これ以上この世界にいたく……エリスを見ていたくない。理由は、
お前ならいわなくてもわかるだろう、『断獄』」
『……愚問でしたね。そろそろ、門が開き――ッ! 主……エターナルの反応です。
 この反応は……カオス。どうやら、先日消した奴らの仲間のようです……。
 力は、たいした事ありませんが……村が危険です』
「ッ! やつらめ……ッ! 俺を狙って村を……ッ!」
 急停止し、望は村へと体の方向を向ける。
 同時に、怒りのボルテージが徐々に上がっていく。
「『断獄』、行くぞッ!」
『わかりました、我が主よッ!』

 村に着くと、
「…………」
 すでに、遅かった。
 木製の家は神剣魔法により焼かれ、地に転がるのは村人の死体。
 望をかばっていると思い、殺されたのだろう。
 そんなはず無いのに。
 この村で唯一望のことを気にかけていたのは――
「ッ! エリスッ!」
 彼女だけだ。
 しかし声を上げると、別の獲物がかかった。
「あなたが、秩序も混沌も関係なく消して回っているというエターナルですか」
 若い男の声だった。
 手に持つのはもちろん、意思を持ち、エターナルという存在を確立するために必要な
存在である、永遠神剣。
「まったく。あなたが僕達の仲間を殺さなければ、こんな手荒な真似はしなかったの
ですけどね……やられっぱなしでは、こちらの気も納まらないもので……」
「……それで、村を焼き払ったと……?」
「ええ、そうです。でもまあ、あなたをおびき出すためでしたら、安い犠牲でしょう!」
 男が跳躍する。
 手に持ったシャムシール型の神剣を構え、猛然と。
 望はそれを神速を思わせる速度で『断獄』を抜き、受け止める。
 そのまま二人は斬りあいながら、空中に上ってゆく。
 お互い剣技は一歩も譲らない。
 金属音だけが無機質に響き渡り、渾身の一撃でお互い距離をとった。
「さすが……とは言いませんよ。正直、がっかりです。この程度の力だったなんてね……」
 男の周りのオーラが変わる。
 どうやら、手を抜いて力量を測っていたらしい。
 余裕だが、その余裕が納得できる実力だと望は思った。
 第三位にしては、かなり強力である。
 なりたての第二位などの力よりも、数段上の力だ。
 しかし――

「お父さん! お母さん! や……いやぁあああッ!」

 聞きなれた、少女の声に視線が奪われる。
 その先に見えるのは、目の前に横たわる血まみれの人形を見て、泣き叫ぶエリスの姿。
 望の中で、何かが弾けた。
 余所見をしたのをいいことに、男が望に向かって斬りかかる。
 が、望に動く気配は見られない。
 『動く必要などなかった』のだ。
 弾かれる、男の神剣。
 望の周りには、薄いオーラの膜が張っていた。
 そして男を睨む望の瞳には、溢れる涙が浮かんでいた。
「……貴様らは……貴様らはいつもそうだ……ッ!」
「ひ――ッ!」
 望の静かな、それでいて威圧のこめられた声に、男は情けない声を上げた。
 そして、身動きが拘束される感覚に襲われる。
 望から発せられる力は、先ほどまでの比ではない。
 この力は第二位――いや、それ以上にも匹敵する力であろう。
 これが、『断獄』の特殊能力……持ち主の悲しみの深さに応じて力を増していく、
 『断獄の鉄槌』。
 今の望は、目の前で両親を失ってしまった少女の気持ちを理解し、
 そしてそれを力へと変えていく。
 家族を失う痛み。
 それは深く、痛いほどの悲しみを与えてくれる。
 『断獄の鉄槌』はそれを吸収し、力として今、吐き出している。
「失う者の悲しみを知らず、ただ、自分達の目的だけに全てを奪い、何も残さない……ッ!」
 スッと音も無く『断獄』が構えられる。
「……ロウもカオスも関係ない。俺は、お前達全てを殺し、戦いを終わらせる。
 今の『断獄』に斬られれば、貴様はマナへと還ることは無い……全てのものに、
等しき死を与える……俺は、全てを断獄する者……『漆黒の断獄者』、稲垣望だ!」

敵を消すのに、さほど時間はかからなかった。
『断獄の鉄槌』が機能していたので、腕慣らしにもならない相手達だった。
「……エリス……」
 しかし、今一番傷ついているのは、誰でもない、エリス本人だ。
 望はエリスの下に降り立ち、
「ノゾ……ム……お父さんと、お母さんが……」
「……こんなことをしていて、身勝手かもしれないが……」
 そっと、頬に手をやった。
 優しく、愛でるように……
「強く……強く生きてくれ。俺みたいにならないって、約束してくれ……」
「……うん……」
 まっすぐに見つめる望の視線に、エリスは素直に首を立てに振った。
「お前の無念は俺が必ず……必ず晴らしてやるから……生きる希望を失わないでくれ」
「ん……」
 そして望は口付けをしてあげた。
 今、望が思いつく、エリスに対しての精一杯の励ましだった。
「……辛くなったら、これを見て俺を思い出せ。俺との、生きるという約束をな」
 衣服の一部を千切り、望はエリスに渡す。
 そして、望の体が光に包まれ始める。
 門が開き、この世界から旅立つ証拠だ。
「じゃあな、エリス……」
「まって……ッ!」
 引き止めるように叫ぶエリス。
 そして少しいいにくそうに、無理矢理な笑顔を作って、言った。
「……またね、ノゾム」
「……ああ、またな。今度は、美味い飯を食わせてくれ」
 望も、できる限りの笑顔で、答えてあげた。
「……うん……約束……約束だよ……」

 世界全体で見れば小さな事件だったが、村の一つが今夜、消えてしまった。
 山火事か何かだろうか。
 村全体が焼け落ち、駆けつけた近隣の村人達によって生存者の捜索がされたが、
 たった一人の少女しか見つからなかったという。
 少女の名は、エリス。
 彼女は両親の遺体のそばで横たわっていたという。
 村を失い、両親までも失った彼女はみな、失意にかられると思っていた。
 しかし、違った。
 彼女は生きる希望を、失ってはいなかった。
 遠い昔に、誰かと約束したという。
 強く、強く生きると。
 手に持った布を抱きしめ、彼女はそういった。
 その瞳には、涙を浮かべていた。
 その誰かとは、わからない。
 しかしとても優しく、とても強く、とても暖かく……
 いつまでも、いつまでも一緒にいたかった人だということは憶えていた。
 彼女はその約束を生きる糧にし、生きていた。

 そして何かと、料理の勉強をし、腕前が引き取られた村で一番になるのは、
 そう遠くない話であった。

 数年後――

「はぁ〜い、お待ちどうさま」
 村の一角にある、小さな料理屋。
 料理屋とはいっても、基本的にテーブル席など無く、注文を受けてから料理を作り、
お持ち帰りといった形式のものであった。
が、味が良いのと、早く安いことが噂を呼び、この村の名物になりかけている。
 そこを切り盛りしているのは、まだ若い女性であった。
 名前は、エリスという。
 そう。
村が全焼し、その村で唯一生き残った少女は今、磨いた料理の腕を生かし、
 念願の料理屋を経営できるほどになっていた。
 どうして、ここまで料理にこだわっているのかは、正直本人にもわかってなかったが。
「エリスちゃん、今日も元気いっぱいだねぇ」
「はい! それが、あたしの取り柄ですからね♪」
 常連となったおばさんに声をかけられ、エリスは天真爛漫な笑みを作りながら、
 返事をした。
「でも……その布はどうしていつもつけているんだい? もう、ボロボロじゃないか」
「あ〜、これはですね、あたしの生きる意味なんですよ。ずっと昔……ホント、
いつか覚えてないくらい昔に、誰かと約束したんだ。辛くなったらこれを見て、
生きるっていう約束を思い出せ、って。だから、いつも肌身離さず持っているの」
「注文、いいか?」
 と、世間話をしていると突然、声をかけられる。
「あっ、すみません。ご注文は?」
 声をかけてきた、黒い短髪に片方の袖が破れている青色のシャツを着た青年に
 少し焦りながら対応する。
「……サンドウィッチ」
「少々お待ちくださいね」
 慣れた手順で、素早くサンドウィッチを一つ二つ三つと完成させていく。
「はい、お待ちどうさまです」
「…………」
 青年はお金をカウンターの上に置き、出されたサンドウィッチを受け取った。
 そして振り向き、無愛想に去っていった。
 ――はて? 見ない顔だけど……なんで、懐かしい感じがするんだろ? おかしいなぁ。
 疑問がよぎった。
 しかしよくよく見ると、破れた袖……というより、シャツの色と、
自分の身につけている布の色とは、よく似ていた。
――……そんなはず、無いよね。
そう自分に言い聞かせ、次の分の仕込みに入ろうとすると――
「ふむ……これだったら、俺が嫁にもらってやってもよかったかな……エリス」
「――ッ!」
 どこかで聞いたことのあるような声が、店先で聞こえた。
 懐かしい。
 あの時、村が焼け落ちたときに自分に優しく語りかけてくれた、声。
「ノゾムッ!?」
 思わず口走って、聞いた事の無い名前を叫んでいた。
 しかし、誰もいなかった。
 気配すらない。
 確かに、声がしたのだが……
「あっ、あれ……? なんで、あたし泣いてんのよ……やだなぁ。分けわかんないよ……」
 涙の意味がわからなかった。
 しかし、心のどこかで喜んでいる自分がいた。
 その理由もよくわからない。
 腕に巻きつけた布を握り締め、エリスはもう一度、
「ノゾム……」
 涙声で、呟いていた。
 ふと、カウンターに置かれる紙を発見する。
 それを手にとって開くと、汚い字で、一言。

「約束……美味い飯、ありがとう」

 そう、書かれていた。
 エリスには、誰が書いていったかわかったが、よくわからない。
 酷く懐かしく、酷く嬉しく、そして、酷く胸を締め付けられる感覚だけが、残った。

「……今回の件、少々拝見させてもらった。どおりで遅いわけだのぉ」
「……覗き見とは、あまり趣味いいものじゃないな。翁」
 門を抜けた先でまず出迎えてくれたのは、望のいるグループをまとめる、翁という人物。
 相当な実力者であるとともに、この個性的なメンバーをまとめている統率力を
 持ち合わせた人物で、この翁にだけは望も簡単に頭はあがらなかった。
「そう苛立つでない。次の作戦が決まったからの、伝えておこうと思っただけだ。
 帰ってきてすぐにすまないがの」
「……悪い、翁……後にしてくれないか? 跳躍で、少し疲れた」
 もちろん、そんな理由ではなかったが、本心を語りたくない気分だった。
 翁は信用できる。
 だが、この事ばかりは、直接話したくなかった。
 それを知ってか知らずか――いや、たぶん前者であろう――翁は、
「わかった。では、少し休んだら来てくれるかの?」
 落ち着いた笑みを望に向け、答えた。
「ああ……一眠りしたら、部屋を伺わせてもらう」
 振り向き、この世界で自分に分け与えられている部屋への帰路に着く望。
「……時が押しているわけではないが、規模は大きい。秩序、混沌の実力者……
 それに他の危険エターナルも集め、一斉掃討するものだからの。これで勢いをつけ――」
「詳しくは後でいい。それじゃあな」
「……引き止めてすまなかったの。ゆっくり休んでくれ、望」

『主はやはり、翁さんに頭が上がらないのですね』
 背負った『断獄』が望に話しかけてくる。
 珍しく、愉快そうに。
「……認めたくないけどな。あいつは、つかみ所が無い。が、悪い奴ではない。絶対にな」
 二人の付き合いは、今回の作戦に当たるメンバーの中でも長い部類に入る。
 というか、さまよう望に声をかけ、『悲哀』に誘ったのは翁であった。
 現在、望が一番心を許せているのは、翁であろう。
 自覚もあった。
「まあ、今は体を休めたい。ちょっと、気疲れしちまった」
『慣れないことしましたからね』
「……一言余計だ」

 望は、まだ知らない。
 この作戦で、もう二度と会えないと思っていた人物に会うことになるとは……

                   ショートストーリー 『漆黒の断獄者』 終了

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