01


永遠のアセリア
―The Spirit of Elernily Sword−
 
 [-The World End-]   







序章T







最近、良く夢を見る。―――――赤い、赤い、悪夢を。







踏み込んで来る男の拳を片手でいなしながら、

木刀を喉へと潰さない程度の勢いで突き刺す。



「――――ガァ!」



「洋二!!」



突き刺さり、倒れこむ洋二と呼ばれる男に、

少し下がった位置に居る仲間が声を掛けるが、――――遅い。

喉を押さえて蹲る洋二を冷たい目で見据えながら、その首筋に木刀を軽く打ち込む。



ガン、と勢い良く頭を地面にぶつけて、

そのまま気を失う男に三人目と呟き、彼は残りの敵とも云えぬ雑魚を眺める。





「糞!なんつー化け物だよ!?」



「金持ちの餓鬼が、調子こいてんじゃねぇぞ!」





三人も仲間を瞬く間にやられた割には未だに戦意は衰えていないらしい。

脳の容量が足りないんだな、と軽く決め付けて木刀をだらりと垂らしながら呟く。



「僕には勝てないと解らないのか?

今なら見逃してやる。さっさと其処に倒れているゴミどもを連れて僕の視界から失せろ」



「――――おお、言う言う」



向かってくる敵意に、どうでも良いと言わんばかりの態度と口調。

そう言い捨てる彼に、背後に控える大柄の男は朗らかに笑い、

残った二人は憤怒に顔を赤くして此方に目を剥く。



「舐めんなよ、秋月!」



「インターハイ優勝だかなんだか知らねぇが、粋がってんじゃねぇぞ!!」



二人は懐からナイフ、と言っても戦闘用のモノではなく作業用のバタフライナイフ等の類を取り出してそう喚く。明確な武器を出した瞬間、液体窒素並みに冷徹な視線と化した眼で二人を眺めながら、秋月と呼ばれた少年は木刀を持つ手に力を入れる。



「ハッ、年少送りをビビるなんて思うなよ」



「もう二度と木刀なんざ、触れない―――――」



眼に痛いような金髪に染めた男を最後まで喋らせる事無く、

彼は駿足の速さで踏み込み。

その速度は男達の認識よりも遥かに速い。

反応する時間さえ与えられず、脇に目掛けて、今度は手加減の無い一撃を一閃する。



「――――遅い」



ゴキリ、と鈍い音を発てて、肋骨が折れる感触と共に金髪の男は血を吐く。

その瞬間、血の匂いと色に、―――――身体が震えた。



世界が赤く染まる。

身体中の血液が沸騰しているかのように熱い。







血、血、血、血、赤、赤、赤、赤―――――――――









喉がカラカラに渇き、何かを強く求める。

それは単純な暴力にも、性交にも似た、甘く、狂わしい何か。

己の中の獰猛な獣性が目覚めだす。



「がふぅ!!」



脇腹を押さえて屈み込む金髪の男を見て、

最後の一人である赤毛の男が歯を剥いてナイフを振りかざす。



「あああああっ!!」



一閃、振るわれる銀光を狂乱した様に充血した真紅の瞳が捕捉する。

頭を右に軽く一つ分動かす、それだけで目標から外れたナイフは頬を一線たりとも傷付けることなく躱される。



「畜しょ―――――!?」



最後まで台詞を紡ぐことなく、その顔に、正確には口元に容赦ない突きが穿たれる。

ガァと黄ばんだ歯の欠片と血を吐き散らしながらコンクリートの地面に倒れこむ男。

血反吐を吐いて転がる男から興味をなくしたのか彼は別方向に足を向ける。



「糞、痛てぇ・・・・?」



肋骨を砕いた一閃に、膝を付いて悪態を付く金髪の男。

ふと、視界が暗くなり、不思議に思って見上げると、







木刀を振り上げ、酷薄とした笑みを零す、少年の姿があった。







「あ、や・・止め・・・・」



――――バキィィイ。



懺悔の言葉は風切り音を発てて振り落とされる木刀の一撃に掻き消された。







どれだけ時間が経ったのか、いや然程経ってもいないのか。

その興奮冷め切らない彼の視界が急に揺れた。



「秋月、もう寄せ!」



何時の間にか居て、後ろから羽交い絞めする男の声と共に視界が正常に戻る。



「・・・・あ・・・ぐぁ・・・もう・・やめ・・」



眼下には先程まで此方に強い敵意を向けていた赤毛の男。

先程までの面影はもう無く、ボコボコに腫れ上がった顔を様々な液体で埋め、

絶対的強者に震えて懺悔を請う憐れな姿。



―――――興奮が冷めていくのを感じる。



"―――――『衝動』の感覚が長くなっている、か"



「チッ!」



手に付いた血と赤く染まった血染めの木刀。

それに先程の興奮は無く、言いようの無い嫌悪感と共に力一杯投げ捨てる。



動く者の無い裏路地の中で、コンクリートに叩き付けられた木材の音が痛い様に耳に響く。







「お、おい、―――秋月」



地面に置いていたカバンを拾い、

そのまま早足で立ち去る彼の後を一人の男が追い掛ける。



裏路地を出れば、其処には雑多と言うほど人に溢れた空間が眼に入る。

現在時刻は午前七時。

通学、通勤時間の時間として様々な人種が溢れ返り、皆が思うがままに歩き回っている。



そんな景色が一瞬、ぐらぁと歪み、

倒れそうになるのを咄嗟に路地の壁にもたれる事でやり過ごす。



大きく深呼吸して、気分を入れ替える。

――――喧嘩の、『衝動』の後に来る嫌悪感は何時まで経っても慣れない。



「――――クッ」



何かを自嘲する様な笑みを浮かべるとその空間に何食わぬ顔で混じり、

―――――彼、「秋月 瞬」は漸くゆっくりと歩き出した。



彼の顔を見た人間が驚き、戦々恐々とした眼差しで此方を避けて歩き出す。

その様子にふと疑問を感じながらそれでも他人にあまり興味が持てず、そのまま歩き出すと・・・・



「おいおい、秋月よ。その顔のまま行くと途中で警官に捕まるぞ?」



「碧か。――――何の話だ?」



隣から聞こえた野太い声に視線だけ隣に向ける。

其処には頭を野球部の様に丸刈りに近い短髪にした大柄な男が居た。



「碧 光陰」。彼の隣のクラスの人間。

成績は優秀。但し、寺の家系だが素行は悪く、軽く問題視されている生徒の一人。

そして高校二年からここ一年、

何故か何かと自分に付き纏う男であり、先程の喧嘩も観戦していた男である。



興味を失った様に、視線を元に戻す瞬に光陰が苦笑しながら説明する。



「顔に血が付いてるぜ。一戦やらかしたのがバレバレだ」



くい、と制服の袖で頬を拭うと、言われた通りに袖が血に汚れた。

それを見て光陰は、おいおい、と言う顔付きになる。



「そりゃ、それで汚れは取れたが、・・・・・制服はどうするんだ?」



「捨てる。生憎、僕には代えの制服等腐るほど用意できる」



「そりゃ、秋月財閥の一人息子だしな。だが、物は大切に扱えと教わらなかったか?」



その言葉に、視線を再び光陰に移す。



この男は事あるごとに自分に何かしら言ってくる。

文句や、悪態、もしくは心無い美辞麗句等は良く聞くが、

この男の様に授業ではない意味で、何かを教える様な言い方をしてくる人間は少ない。



それは時折鬱陶しく感じるが、少しだけ、彼のささくれた心を和ませた。

そう、このような物言いをするのはこの男と、二人だけ――――



いや、一瞬前に考えた事を否定する。

本当の意味で自分を癒せる存在など、一人しか居ない。

そして、見方によってはその二人は自分と彼女の間の邪魔者でしかない。

そして邪魔者は―――――



フゥと、心の中に一瞬浮んだ危険な考えを洗い流すように、

身体の中に溜まった、淀んだ空気を吐き出す。



「改めて言われると特に教わらなかったな」



「相変わらず、荒んだ生活環境だな」



「お前もな」



俺、と自分を指差し大げさに驚く。



「頭脳明晰、運動神経抜群の模範的生徒の俺にか?」



「頭脳も運動神経も僕の方が連中の評価は高いし、生活態度は比べるまでも無い」



事実だった、実際の運動神経は互角程度だろうが、

成績を付ける段階には彼の方が上になっている。

何故か、それは酷く簡単な話で、彼が「秋月家」の嫡子であるからだ。

地元の名士であり、政界を含め様々な業界に顔が利く秋月家はゴマをする相手に困らないのだ。



最も、秋月家の権力を使うのは後にも先にも、ただ一人の少女の為だけで、

彼自身が望んで己の為に使った事などなかったが。



因みに頭脳に関して秋月瞬は学年主席。先の全国模試でも二位。

学校内での上位でしかない光陰とは比較にならない。



「可笑しいよな、秋月に比べると俺なんか聖人君主なのにな」



「ふん、大差無いだろ。寧ろお前の方が悪い」



その言葉と同時に二人の足が止まる。



「――――俺はお前ほど苛烈な喧嘩はしてないぜ」



「――――僕は小学生相手に二股などしない」



暫し、無言になった後、彼は眼を逸らしながら笑顔を貼り付けた顔で口を開く。



「い、いやだな、秋月君。一体何処でそんな法螺―――――」



「昨日、岬から僕に電話があった」



その言葉にピシッと石化する。

それを知って知らずか、淡々と言葉を続ける。



「ああ、今伝言を伝えておいてやる。覚悟しておくように、だそうだ」



笑顔のままダラダラと冷や汗を掻き出しながら、

回れ右をして逆方向に歩き出す光陰の後ろ襟を早業で瞬が掴む。



「岬に借りは無いが、お前には色んな意味で借りがある」



「――――頼むッ、行かせてくれ。

このまま学校に行ったら俺の命日になる!!

それに小学生だとは知らなかったんだ、マジで。

中学生くらいだと思ってたんだよ!!」



必死で弁解する光陰に、なんでもない風に瞬が明後日の方向を見ながら呟く。



「今回、岬は本気らしいな」



「本気にならないで―――――――!」





















「ま、連中、お前の事が気に食わないんだよ。

容姿とか家とか運動神経とか頭とか女にモテるとか、

つまり全部だな。ってか、俺もモテて―――――!」



「・・・・・何が言いたいんだ貴様は?」



往来で叫び出す男を冷たく眺めながら呟く。

学園へと進む為の横断歩道。

信号は切り替わったばかり。

赤いランプがその存在を高々と宣伝する様に真紅に輝いていた。



信号の前には学園の直ぐ目の前である為に、当然学生で溢れている。

だが、その雑多な空間は瞬と光陰の場所だけ避けて空白の空間が出来ていた。



警戒。好奇。嫉妬。尊敬。

様々な感情が織り合った視線が二人、特に瞬の方に向かう。



"――――こいつも不思議な奴だよな"



アルビノ。

白髪、赤眼の色素欠乏症の人間。

それ自体は決して人より劣る要因ではない。



――――だが、生まれついて「他人と違う」と言うレッテルを貼られて生まれた者。





人間はその種の生存本能から他者と合わせたがる考えを持つものが多い。

そして自分と違う者を排除しようとする性質も。



寺の息子であり、精神面の人間の暗部を色々観察してきた光陰であるからこそ想像できない。

そういう連中の中でも、よりその反応が顕著とも言えるのが、

実益以上に見栄で生きる上級家庭の人間である。

そんな中に生まれたのだ。常に異端扱いされたというのは想像に難くない。

だと言うのに―――――――



"どうしてこいつは、こんなにも強く在れるんだろうな"



過剰とも云える大勢の視線を浴びながら、萎縮する所か歯牙にもかけていない。

まるでそれが当然であるかのように、彼は其処にあった。

髪の毛一筋に至るまで隙が無く、何処からどう見られても構える事の無い。



不思議な男だった。

大抵の人間よりは己の能力は優れていると自覚している光陰だが、

瞬という存在にはそう感じられない。寧ろ計り知れない類である。

そういう意味では性別は違うが、高峰悠華と彼は似た者同士だなとさえ思う。



瞬と悠華。性別も、性格も、何もかもが正反対でありながら、

その実、彼等は良く似ている。

この二人が手を取り合って協力する事があれば(ある筈無いが)、

彼等に勝てる存在など想像の埒外である。



無論、此処で言う「勝つ」とは単純な能力の話ではない。

人間として、否、生物としての素質とも言うべき何かである。



"ま、そんな二人を誑し込む佳織ちゃんは偉大ってとこか"



「・・・・碧?」



考えに沈んでいた光陰に怪訝そうに瞬が声を掛ける。

その声は不機嫌そうだ。



自分から話し掛けたのに違う世界に行った光陰を嫉妬する、

そんな今日子の様な可愛さがあれば面白いが、この無愛想な男に限ってそれは無かった。



ただ単に、「黙るくらいなら話しかけるな、鬱陶しい」とかそう言う感じだろう。



愛されてないなぁ、とほろりと心の中で涙しながら光陰は口を開く。



「あ・・・いや、ついつい本音が出ちまった。

ま、連中の下らん嫉妬ぐらいお前も解っているだろ? 少しは手加減してやれよ。

出ないと、お前いつか・・・・・」



冗談に交えて真剣そうな顔で言う光陰。彼の言いたい事は瞬にも解る。



――――――いつか、人を殺める。



それは瞬自身、良く解っている事だった。

昔から、あるものを見た瞬間、自分は切れる。

元々、武道もそんな精神を鎮めるために始めたものだが、

結局、全国優勝の腕前になっても成果は現れなかった。



「・・・・・血だ」



「ああ、血を見ると興奮するってやつか。相変わらず特殊な性癖だな」



「性癖・・・・か」



昔から、血を見る度に異常に興奮し、医者に見せても直らなかった。

だが、誰かを殺した事は無い。

何故ならそれを制止するかのように少し後に強い嫌悪感が現れるからだ。



異常体質。―――――そう言って良いだろう。



この自覚症状が出始めたのは瞬が小学生の低学年の頃かという年齢である。

それ以来、彼は殊更佳織に執着しない様にした。

自分でも理解しているからだ。――――今の自分が危険であることを。

血を見ると抑えられない程、増幅する獣性とも言える感情。



もし、何かの途端に、佳織が血を流したら?

そしてその場に佳織しか居なかったら?



それで少しでも佳織を傷つければ、瞬は一生後悔する。

だから今は腹正しい限りだが、佳織を預けている事を容認しているのだ。













「なに、辛気臭い顔してんのよ、瞬!」











バン、と勢い良く頭を叩かれ、視界が揺れる。

だが、絶妙なバランス感覚で瞬は前のめりに倒れそうになるのを何とか堪える。





――――そして丁度、大型トラックが排気ガスを巻き上げて眼の前を勢い良く通過した。



「―――――」



「―――――」



「―――――」



瞬は黙った。光陰も黙った。周囲の人間も黙った。

そして、今一人の人間を殺しかけた女子高生を全員一斉に眺めた。



「たはははは、・・・・・・・ごめん」



恐ろしく寒い雰囲気が辺りを包む。

其処には冷や汗を浮かべ、愛想笑いをする奴が一人。

ふぅ、と瞬は小さく嘆息し、呟いた。



「岬」



「な、なにでしようか、秋月様」



「――――殺人未遂の刑期を知っているか?」































「ごめんなさい。今度何でも好きなもの奢りますから」



「――――ほぅ」



校門へと向かいゆっくりと歩き、

明後日の方向を眺める瞬にペコペコ謝りながら隣を歩く女子生徒がいた。



彼女の名前は「岬 今日子」。

光陰と同様に高校入学以来、瞬と浅からぬ因縁を持つ相手だ。

成績は学業の方には見るべきものはない。

だが、それに反して運動神経は抜群で、幾つもの部活の助っ人を即席でやるほど卓越している。



瞬や陽気だがその腕っ節から女子生徒から少し敬遠気味の光陰と違い、

表裏のない性格(瞬曰く、単純馬鹿)は男女ともに人気が高く、

協調性と積極性に溢れた活発な美少女であり、そして光陰の彼女(の様な存在)でもある。



「僕に奢るだと? 大きく出たな岬」



今日子の言葉に瞬は無機質だった顔を、ニヤリと皮肉気に歪ませる。

それを見て、今日子はうっ、と詰まった。



「グランドホテルとは言わないが、三ツ星レストランクラスは覚悟しろよ?」



「ごめんっ!他のにしてくださいぃ!!」



「おいおい、秋月よ。あまり今日子を虐めてくれるなよ」



半ば泣きそうになりながら謝る今日子に傍から苦笑気味に光陰が突っ込む。



「そうだな。『幼女ハンター・碧』もそう言うぐらいだ。僕も大目に見てやろう」



「――――そういや、光陰。あんたにあたしちょっとだけ話があるんだけど?」



くるっと首だけ光陰の方に回して、ニッコリと笑う今日子。

それを見て光陰はだらだらと大量の冷や汗を掻き出す。



「今日子よ、助けてやったんだから、少しは大目に見てくれないだろうか・・・?」



「♪」



「いや、俺もほんの軽い気持ちで声を掛けただけなんだ」



「♪」



「そ、そのだな。結構出るところ出てたし、ちゅ、中学生くらいかと・・・・」



「♪」



「きょ、今日子、聞いてるか?」



「うん♪。彼氏の今生の遺言を聞けないほど冷たい女じゃないわよ、あたし?」



「ひょ、氷河期だ、氷河期のブリザードの女が此処に居る・・・・!」



「―――因みに、放課後覚えておきなさいよ」





そんな二人の掛け合いを見ながら、瞬はふと思う。



――――この二人は何故自分に干渉するのだろうか、と。



飄々とした光陰も良く解らないが、

極普通のさばさばした性格の今日子に至ってはより不明だ。



別に不快な訳ではない。他者との関係を拒絶し易い瞬にしては珍しいが、

事実、瞬はこの二人との関係を積極的に切りたいとも思わないのだ。



"――――こいつ等は、あいつがらみの人間なんだが"



自分と高峰悠華の確執はこの二人も良く知るところだろう。

何しろ顔を会わす度に険悪な雰囲気となる。

だが、それでも相変わらず光陰は自分に売られた喧嘩の観戦(時に参加)をするし、

今日子は今日子で当然と言わんばかりに隣のクラスまで来て宿題を教えて貰おうとしたり、

一人で静かに食事をしているところを賑やか気に割り込んでくる。



この二人は間違いなく高峰悠華の友人であり、佳織を誑かす側の人間である。

しかし、同時に瞬にも悠華と同じ様に楽しげに話しかけ、時には佳織との仲を持ったり、

無駄な事に瞬と悠華を仲良くさせようとさえ画策する。



ああ、考えるまでも無いな。――――こいつ等は。



相変わらずのパターンで、口論し、ハリセンを放ち、喰らっている二人を観察し、

何十回目結論を出すと、そんな瞬に気付いた様に二人が漸く漫才を止める。



「どしたの?」



「おう、何か悟ったような顔だな」



「――――ん。ああ・・・・・・お前らが「変人」と呼ばれる人種であることを再確認していた」



「「――――お前(あんた)にだけは言われたくない」」



































黒板に白い文字列が書き連ねられる。



――――退屈な時間だった。



数学の公式を淀みなく教員が書き連ね、受験を控えた年である為か、

多くの学生が真剣な表情でノートに書き連ねている。

だが、瞬はまるでシャーペンを動かさず、参考書を流し読みしていた。



瞬にとって高校三年間の学習など、秋月家の英才教育で入学前に済ませている。

だから、黒板で今解説している事など、遠の昔に理解している。

それでも数学の授業なら計算式を解くだけで力になるので、何時もは教科書の問題を適当に解いているのだが、今日はそんな気にもならなかった。



"―――――夢か"



最近、同じ夢を繰り返して見ている様な気がする。

気がするというのは夢の内容を欠片も覚えておらず、

現実に戻ったときに残るぼんやりとしたイメージから来る感想でしかない。



赤い夢。剣の夢。戦いの夢。

漠然と、印象で思い出せるのはこんな所だ。



何度も何度も繰り返してみる悪夢。

そう、悪夢だ。最後に自分は誰かを殺し、誰かに殺される。



ずぶり、と腹から、背中を突き抜ける剣の感触。

そして、身体の細胞の一つ一つを蒸発させる様な凄まじいエネルギー。



悪夢なのは死ぬことだけじゃない。

そいつは、自分を殺す相手は、何時も自分を哀れんでいた。

この秋月瞬と戦い、殺し、そして力及ばず崩れていく自分を哀れみの眼で見ているのだ。



「――――ちっ」



訳も無く苛付く。所詮は夢の話だ。その程度で腹を立たせるなど馬鹿げている。

馬鹿げているが、その自分を殺す奴の雰囲気が、

自分が嫌うあの女に良く似ているのが最高に気に食わない。



気晴らしに窓の外を眺める。

蒼穹に飛行機雲が一筋流れ、何処までも青い空が其処に在った。



ぼう、と我知らずそれを眺めていると、ポンと頭の上に何かが置かれた。



「?」



視線を上げると、其処にはにんまりと笑った今日子と、その手に持った二つの弁当箱があった。



「岬・・・・? 何でお前が此処に居る?」



「相変わらず、随分と失礼極まりない男ね、あんたも。

三ツ星レストランではありませんが、あたし特性の弁当を持ってきたのよ。

少しは感謝しなさいよ」



弁当? と首を微かに傾げ、腕時計を見る。

何時の間にか授業は終わっていた。



「ああ、もう昼食の時間か」



「そういう事。どうせあんたの事だから、一人虚しくパンでも食べてるんでしょう。

光陰も待ってることだし、屋上行かない?」



「別に碧が何処で如何しようが僕の知った事じゃないが・・・・」



何時もならこのまま断る事が多い。

だが、例の夢の所為で気分が滅入っているし、なにより―――――





"―――――暇だしな"



















騙された、というのは屋上に来た瞬間に理解した。



「何であんたが此処に居るの?」



「それは、こっちの台詞だ。貴様が何故、こんな所に居る?」



瞬の目の前に立つのは肩ほどのくせ毛の黒髪を無造作に垂らした女性。

美少女、といって良いだろう。

切れ長い目尻は、やや釣り上がり気味で気の強そうな印象を受ける。

身体は全体的にスレンダーな体型で全体的にバランスが取れており、長い足がスカートから映える。

「高峰 悠華」。それが彼女の名前だった。





「あははは、どうせ昼食を取るならさ、大勢の方が楽しいじゃない」



「僕がこいつとの食事を楽しめると思うなら、――――岬、お前の感性は腐ってるぞ?」



「こいつと同じ意見だって言うのは不本意だけど、それに関しては同感」



乾いた笑いを浮かべて仲を取り持とうとする今日子を冷たい眼で射抜く二人。

それを見て、やれやれと肩を竦めながら出てきた光陰が口を挟む。



「俺も今日子と同感でな。好い加減、お前ら少しは歩み寄ったらどうだ」



「――――冗談。何で私がこいつと仲良くしなきゃならないのよ」



「佳織ちゃんだって何時までもお前ら二人の不仲なんか見たくないだろうに。

佳織ちゃんの為にも少しは引いてやれよ、悠華」



佳織の為、その言葉に苛立っていた悠華の顔が更に硬質化する。

それを見て、失敗したかと光陰は嘆息する。



「佳織を護るのは私。

今までも、これからも、私で佳織を護り続けてみせる。

佳織の為に、こんな奴必要じゃない」



「ほう、――――貴様、面白い事を言うな」



悠華を視認した時点から目を背け、

光陰が話しかけた事からこれ幸いと勝手にベンチに座り、今日子の持ってきた弁当を本人の了承無しに開きだそうとしていた瞬は悠華のその言葉は聞いた瞬間、再び其方に眼をやった。



酷薄な笑みを浮かべた瞬。その冷たい眼差しに当たられ、悠華も睨む視線を強くする。



「佳織を護る、だと。――――疫病神の貴様がか?

笑わせるなよ、高峰悠華。

僕は佳織の笑顔を沢山知っている。

貴様が知らない、貴様が隔離をしてから一度も眼にしていない笑顔を知っている。

貴様が現れるまで、―――――佳織は幸せだった」



「なに・・・!!」



断言する瞬に、悠華は憎悪の眼差しを向ける。

憎しみとか言うレベルではない、殺意の段階まで昇華された眼差し。



瞬の言葉は悠華も理解している。

疫病神。それは彼女自身が自分自身を持ちいてそう呼んでいた言葉だ。

自分の交通事故で両親を失い、引き取ってもらった先では佳織の両親を飛行機事故で失い、

佳織自身も奇跡的に生還したが、後一歩で死ぬ事になったのだ。



悠華の佳織への優しさは佳織への負い目だといっても過言ではない。

佳織の全てを奪ってしまった要因が自分ではないか、

自分の「不幸」が佳織に今の状態を呼び込んだのではと何度も自問自答し、

そして得た結論が、失ってしまったのなら、

自分の全てを以って佳織を幸せにすると言う答えである。



悠華の佳織への過保護はある意味で常軌を逸しているところがある。

恐らく、佳織の為なら悠華は己の行為の全てをその一点から正当化できる。

どれだけ苦しくても、どれだけ悲しくても、佳織が救われるなら悠華は自分の全てを犠牲に出来る。



だからこそ、自分自身の想いの原点である「負い目」を突かれた時、

かって感じた自分への怒りを思い出し、どうしようもなく視野が狭まる。



「ちょ・・・ちょっと瞬。言い過ぎよ」



「言いすぎなものか。

本当なら、こんな女、生きている事すら不快なんだ。

疫病神など、あの事故で一緒に死ねば良いとすら思っている」



「黙れっ!」



「お、おい。抑えろ、悠華!」



ぎりと歯が折れるほどに悠華は強く歯をかみ締める。

その様子に気付いたのだろう。光陰が即座に羽交い絞めする。

光陰の行動が少しでも遅かったら悠華は瞬に飛び掛っていただろう。



だが、光陰に抑えられていようが如何しようが関係ない。

じりじりと体格差のある光陰を引き摺るように動きながら、瞬の方へと近付く。



「疫病神が、僕を殴るつもりか?

出来るものならやって見せるが良い。

尤も現代社会の中、暴力でしか言論を黙らせられない時点で、

貴様は犬畜生にも劣る存在だと自分で認めたようなものだがな」



「言いたい事は―――――!」









「駄目。――――――お姉ちゃん!」



現れた少女に、瞬は興が削がれた様に、ふんと吐き捨て瞼を閉じる。

其処には先程までの話題の中心となっていた「高峰 佳織」が其処に居た。



「高峰 佳織」は一年生だと言う事を考慮に入れても一際小さな身長をしている。

治まりの悪い長い髪を、「ナポリタン」と彼女が呼んでいる奇妙なヘルメット状の帽子の様な物体で包み、押し込んでおり、その大きく愛らしい眼に眼鏡を掛けた文学少女の様な趣のある美少女である。



悠華の方は未だ怒りが冷め切らないようだが、現れた彼女の最愛の義妹、「高峰 佳織」の存在から、怒りを内に押し殺す。





「ふん。これで解ったろ、岬。所詮、僕とこいつは相容れない。

無理に仲を取り持とうとしたところで、齟齬が生じるに決まっているんだ」



「いや、まぁ、あたしだってそんくらい解ってるけどさ」



ふぅと溜息を吐きながら、今日子は佳織の方を眺める。



「あ、あの、秋月先輩。私なんです。今日ちゃんにお願いしたのは」



「な、佳織!?」



その言葉には悠華も知らなかったのであろう。驚愕した顔で、佳織と瞬を見ている。



「ああ、佳織。すまなかったね、下らない言い争いを聞かせてしまって」



先程までの酷薄としていた顔や無表情は何だったのか、

実に朗らかで優しげな笑みを浮かべ、佳織の方を優しく見ている瞬が居た。



「二重人格が・・・・・」



額を押さえて嘆息する今日子をきっぱりと無視し、瞬に微笑みながら佳織の真意を聞く。



「佳織。確かに僕は君の願いなら何だって聞いてあげるつもりだ。

だがね、佳織。僕とその女は先天的に合わないんだ。

佳織の願いだから聞いてあげたいが、友情と言うのは一方方向では結べないし、

気が合わないもの同士で無理に結んでも其処には悲劇が在るだけだ。

佳織、君は賢い子だから解るな?」



「・・・・・はい」



少し、しょぼくれた顔になる佳織に瞬は胸に痛みが走った。

この中の面子で一番、不仲である瞬と悠華の仲を取り持つのに熱心なのが佳織だ。

大好きなお姉ちゃんとお兄ちゃんに仲良くして欲しい、それが佳織の願いなのだろう。



「良い子だ」



そう言って頭を微かに撫で、佳織の顔が薄っすらと赤く染まる。

それを見たら、瞬の中に潜む強引と言える保護欲が生まれる。

無理やりでも佳織を引っ張っていき、自分の力だけで大切に護りたい感情。





"――――未だだ"





それを無理やり押さえつける。





"未だ僕は『衝動』を克服していない"





そう、だからこそ、未だ佳織を無理に引っ張って行く訳には行かず、

あの腹正しい女に預けなければならないのだ。



瞬は気付かないが、結果的に瞬にとってやや消極的とも言える態度が、

佳織にとっては良い印象で受け取られ、落ち着くきがある、とか思われたりしているのだが。





佳織は悠華を愛している。

自分の身を犠牲にしてでも佳織の幸せの為に努力し、佳織に優しく在る姉を嫌いになる事など出来ない。



だが、同時に、瞬の事も佳織は大好きなのである。

悠華の以前から幼馴染として存在し、再び高校で出会ったときはスラリとモデルの様にカッコ良く成長した少年。頭脳明晰、運動神経抜群。そして何より佳織を第一に考え、佳織に優しく接してくる少年を思春期の佳織が想いを抱かない筈が無い。



一方は愛する大事な家族。

一方は幼馴染の想い人。



どちらを選択する事も佳織には出来なかった。



「あ、あの今度の日曜日、吹奏楽部の大会があるんです。それで―――――」



「知っているよ、佳織。是非行かせてもらう。

ただ、少し予定が込み入っていてね。

佳織の演奏は聞けそうだが、最後まで居る事は出来そうに無いんだ。

だから、最後に君を迎える事は出来そうに無いが・・・・許して欲しい」



「あ、いえ。秋月先輩は家の事でも忙しいでしょうし、構いません」









そんな二人の会話を横目で聞きながら、悠華は少し落ち込んでいた。



「なんで佳織はあんな奴を・・・・・」



「まあ、佳織ちゃんも思春期って奴だな。そろそろ姉離れの時期なんじゃないか?」



「冗談抜かすな。あんな奴になんで・・・・・!!」



光陰の軽い冗談を真に受け、顔を赤くして怒る悠華。



それを見ながら、はぁ、と今日子は溜息をついた。

それは何処か憂鬱そうで、

思春期の少女らしからぬ、女の「憂い」とも云える様な魅惑的な表情をしていた。

だが――――――



「どうしたんだ、今日子? 何か悪いものでも食べたのか?」



「そうだぞ、いつものがさつな今日子らしくない」



「・・・・・・あんた達がどういう眼であたしを見ているかが良く解ったわ」



額を痙攣させ、ふふ、と笑う今日子の表情に、悠華と光陰の背には寒気が奔った。



「で、ど、どうしたんだ? 今日子さん」



「ああ、まぁ、ね」



その視線は先程から会話を続ける秋月と佳織を眺め続けている。



「あいつにとって佳織ちゃんが特別なのは解るけど、さ。

あたしはあれの十分の一も優しくされないから、女として色々想うところがあってね」



「あんなのに優しくされたら気持ち悪いだけだろ」



「いや・・・・・気持ち悪いまで言うか?」



きっぱりと言う悠華に少しだけ冷や汗を流し、佳織の努力の報われなさに涙する光陰。



「まぁ、実際問題。今日子もあいつにとって特別だろ。

確かに優しくはしてないかもしれないけど、

今日子を見ている目はあいつが他の女や私を見る眼よりは暖かそうだけどな」



宿敵同士だから、何となく解ると言う悠華。

それに対しては同感だったが、彼氏を自認する光陰としては色々複雑である。



「そっか、そうだよね」



少し機嫌を取り戻す今日子を理解不能の生物の様に眺める悠華だった。

どれだけカッコ良かろうが、悠華にとっては瞬など宿縁じみた敵でしか無いのだから。



その後、弁当を食べずに帰った瞬が食べる筈の今日子特性弁当を悠華が処理する事になり、

その恐怖の中身を見た瞬間、彼女が瞬に更なる敵意を燃やしたのは別の話。















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