第4話 Someday in a new life
―聖ヨト暦330年 チーニの月 緑よっつの日 朝
ラースの町周辺 リュケイレムの森
森の木々の間を何かが猛スピードで通り抜けていく。
やがてふわりと静かに止まったのは秋也だった。
秋也がこの世界に来てから、こちらの暦で約ひと月。
最初は力をコントロールできずに何度も転んだりしていたが、毎日のように《真理》にしごかれた結果、日毎に力の使い方を覚えて徐々に流れるような動きに洗練されてきた。
「ま、こんなトコか。にしても、朝の森は本当に静かだな。耳鳴りがする」
少し不満げに言いながらも木々の間から覗く朝日に照らされて秋也は眩しそうに、しかし心地よさそうに目を細めた。
【すごいですね、秋也は】
訓練中は指示や指摘以外にあまり口を開くことのない《真理》が不意に声をかけた。
「何が?」
【私の予想よりもずっとあなたの成長が速いという事です。もっと時間がかかると思っていましたが、今ならこれだけでもその辺のスピリットに負けることはまずないでしょう】
秋也は軽くため息をついてから、
「別に俺はすごくない。ただお前に言われた通りの事をしてきただけだ」
額ににじんだ汗を手で拭いながら不機嫌そうに答えた。
【今の自分に満足しない。いいですね、やはりあなたを選んでよかった】
《真理》はどこか誇らしげに言った。
「そいつはどーも。それより、次いくぞ」
時計をそばの木の根元に置くと目を閉じ、2,3度深呼吸をしてから集中し始めた。
マナは秋也の中でエーテルに変わり、エーテルはオーラへと変わる。
やがて手に集められたオーラフォトンは形作られ、光が収まるとそこには一振りの剣が握られていた。
《真理》には人でいうところの肉体というものを持たない。
だから主である秋也のイメージを元に形あるものとして実体化する。
ちなみに、最初に出会ったときの姿 ‐1枚の光る羽根‐ もまた秋也のイメージを借りた姿だという。
しかし実際には言うほど簡単な事ではない。
強いイメージと高い集中力を要するため、秋也は《真理》を長時間実体化させることができなかった。
秋也はしばらく剣を振っていたが、それはやがて最初から何もなかったように消えてしまった。
「はぁ、はぁ」
いったん呼吸を整えてから、先ほどよりも汗をかき、額にくっついた前髪をかき上げた。
そして時計を拾い上げた。
始めてからほんの2,30分が過ぎただけだった。
【これでは実戦で5分ともちませんよ】
《真理》から厳しい評価が下される。
「分かってる」
特に落ち込んだり、怒ったりする様子もなく秋也は答えた。
ったく、なんつーか。
「……使えねぇ」
しかしつい本音が漏れてしまった。
【な!? 使えないとは何ですか!?】
もちろんそれを聞き逃す《真理》ではなかった。
【秋也。私があなたにとってどれだけ有用な存在か、理解してもらえていないようですね?】
その声には明らかに怒りがこめられていた。
「いや、別にそういうつもりはな…【おだまりっ!】」
秋也の言い訳はいとも簡単にかき消された。
お、おだまりって。
【そこに座りなさい】
先ほどとはうって変わった《真理》の静かな迫力に秋也は黙って従った。
当然正座で、手はひざの上に固定された。
【いいですか? これから私以上に秋也に相応しい神剣などいない、という事をじっくり教えてあげます。心して聞いてください】
「…はい」
秋也はやや口を尖らせて返事をする。
禁句、だな。‘使えない’。
その後しばらく《真理》の講釈は続いた。
―同日 昼
酒場
「それじゃ僕は出かけてきますから」
いつもより少し遅い食事の片づけを終えた秋也はエプロンを外しながら言った。
「またか、随分熱心だな。姫は」
姫、とは無論秋也のことである。
元の世界では隠している事も、この世界ではその必要がないのでわざわざ変装する意味もない。
だから素顔のままでいたら顔と立ち振舞から店の客にそう呼ばれるようになり、定着してしまった。
最初はさすがに恥ずかしかったが、好きに呼んでいいとした手前やめてくれとは言わなかった。
「ええ、まぁ。夕方には戻りますから」
秋也はそう言うと店を出て行った。
―町の図書館
ラースは規模の割に大変にぎやかな町だった。
その理由はこの町が持つ、2つの顔にあった。
ひとつは商業の町。
友好国との国境に程近い町は両国の商人と品物が行き交うため、活気にあふれていた。
もうひとつは学問の町としての顔だった。
エーテルの研究所が置かれ、王都からも学者や技術者が訪れる。
その影響から、町には誰でも利用可能な図書館があり、秋也は力の訓練と同様にここへ通うことを日課としていた。
「こんにちは」
すでに顔見知りとなった女性館員に声をかけた。
「君は本当によく来るね。今日はどんな本をお探し?」
「昨日読んでいたのと同じ本と、他のエーテル技術に関する資料が読みたいんですけど」
「わかった。いくつか見繕って、持って来るからその辺に座ってて」
「ありがとうございます」
秋也は適当な椅子に腰を下ろすとこれまで自分が目を通してきた本の内容を思い浮かべた。
歴史、地理、伝承、永遠神剣とスピリット、そしてマナとエーテル技術。
決して酔狂などではなく、自分が今いる世界について知るため、そして他の方法で元の世界へ帰るためのヒントになりそうなものを探すためだった。
もちろん全てをじっくりと読んだ訳ではないし、文字にも相当苦労していたが、《真理》や親切な館員のおかげで思ったよりも早く作業は進んでいた。
その中のいくつかに秋也は目をつけていた。
勇者については自分と同じように別世界から現れた人間がいたという話が史実として記されていた。
またどれほどの脚色がされているかは別としても壮大な英雄譚など、それらにまつわる話はいくつか存在していた。
そして、それらをただの伝説やおとぎ話の類とすることができない根拠でもある永遠神剣とエーテル技術。
秋也は特にエーテル技術、永遠神剣と同じくマナをその源とする‘万能の力’こそが元の世界へ戻るためのカギになるのではないかと考えていた。
「お待たせ」
かけられた声で秋也が我に返ると机の上にはすでに何冊かの本が重ねられていた。
秋也は早速その内の1冊に手を伸ばし、しばらく目を通していた。
違う。知りたいのはこんな事じゃない。
「あの」
秋也は先ほどの館員を呼び止めた。
「ん?」
「こういうエーテル技術の基礎理論じゃなくてなんと言うか、もっとこう、込み入った内容の本が欲しいんですけど」
「あぁ…」
彼女は秋也の隣に座った。
「残念だけど、それはできません」
「どういう事ですか?」
彼女はそれとなく回りを見渡し、誰もいないことを確認してから声を潜めて話し始めた。
「近くに研究所があるでしょ? ここは元々そこで保管しきれなくなった本や資料を置いておくための場所として作られたの。だから中には私達でも持ち出すのが難しいぐらい厳重に保管されている物もある。だからこれ以上君の希望に沿うのは、ね」
軽い口調でそう言って少し困ったような顔をした。
「そうですか」
秋也は彼女の事を気にすることなく、本の山に目をやった。
どうせこれ以上欲しい情報も手に入らないし、次の手を考えるか。
「それに君、要注意人物だし」
秋也はその言葉で再び現実に引き戻されると、落ち着いて目の前にいる女を見つめた。
そして、
「何ですか? それ。僕、そんなに挙動不審に見えます?」
仕事で培った、素敵な笑顔で答える。
「見えないね」
「毎日ここで本を読んでいるだけですけど?」
「だからよ」
「?」
「ひと月近く通い続けるなんて珍しいから。少し調べたけど、この町に来たのもちょうどその頃だって? ‘お姫様’」
「なるほど」
表情にはあまり出していないが、秋也は内心ではかなり焦っていた。
誰でも利用できるとは言え、他に町の人間が利用しているのを見た事がないので自分が目立つ存在だという自覚や、ある程度そういう目で見られるだろうという予想もしていた。
だが、自分エトランジェである事に関しては別だった。
それについては細心の注意を払い、話す時は《真理》の力を借りてほぼ完璧な受け答えをし、回りの人間を観察して不自然でない行動を心がけてきた。
だからもしそこに触れられた時は……とも考えた。
秋也はゆっくりと息を吐き出す。
少なくとも動揺を見せるわけにはいかなかった。
再び彼女に視線を向けると、どこか楽しそうだった。
「ところで、まだ何か?」
「難しい顔で何考えてるのかなーって」
「仕事は?」
少し余裕がなくなってきた秋也の、面倒くさそうなその言葉には‘失せろ’という副音声が込められていた。
「ちゃんとしてるよ」
「僕と喋っているだけなのに?」
「それはいいの。だって、君を見ているのが仕事だから。あ、見張ってるって言った方がいいか」
秋也の焦りをよそに、彼女は少し幼く笑ってみせた。
「……普通は自分からは喋らないと思いますよ、そういう事」
少し拍子抜けした秋也はため息をついた。
「そうでもないかもよ?」
彼女は少し真剣な顔を見せた。
「一応先手を打っておこうと思って。君は頭がいいから大した意味はないかもしれないけど」
それからまた笑顔に戻って、
「ま、何かあっても私の責任じゃないけどね。それより毎日じゃなくてもいいから、これからも来てくれると嬉しいな。君みたいに普通の人が来てくれないと頭の固い学者ばっかりでつまんないからさ」
秋也の肩を叩いた。
秋也は、そうですね、と少し考えてから答える。
「前向きに検討します」
そう言ってから立ち上がった。
「またねー」
ひらひらと手を振る彼女に面倒くさそうに応えて秋也は背を向けた。
―同日 夕方
酒場
秋也とダンの2人は少し早めの夕食を済ませ、店の準備をしていた。
「なぁ姫?」
ダンはカウンターでグラスを拭きながら、テーブルから椅子を下ろしていた秋也に声をかけた。
「はい?」
「お前の料理を客にも出ってのは、ダメか?」
「ダメです」
秋也は即答する。
「俺なんかよりよっぽど上手いし、手際もいいからそうしてくれると助かるんだが」
「お断りします。僕はオヤジさんみたいに一歩離れた所から見ているんじゃなくて、お客さんと同じ空気の中にいたいんですよ」
秋也は作業を続けながら答える。
「あんな酔って騒いでる連中の中にか?」
ダンは笑いながら尋ねると秋也は手を止め、まっすぐに彼を見た。
それに気づいたダンが顔を上げると、秋也は少し淋しそうに笑っていた。
「あんな風に集まってバカみたいに笑ったり、騒いだりっていうのはもう何年もしてないんで楽しいですよ。まぁ、確かに酒臭いのはちょっと嫌ですけど」
「そうか」
ダンはそれだけ言うとまたグラスを拭き始めた。
「それに」
秋也の言葉に再びダンが顔を上げると、
「僕の料理を食べたら、皆オヤジさんの料理食べなくなっちゃいますよ? 僕はいつまでここにいるか分からないんですから」
今度はわざとらしい笑みを浮かべていた。
「それはあるかもな」
ダンは秋也の皮肉などものともせずに笑った。
―同日 夜
酒場
「姫。酒の追加くれ」
「はーい!」
「こっちも頼む」
「わかりましたー!」
男たちが酒を飲み交わすテーブルの間を、エプロン姿の秋也が舞っていた。
ここに来た頃は毎日忙しかったが、今は一度に大勢の人間が町を出入りすることも無いので仕事は比較的楽だった。
やがて客も減り、時刻も日付が変わる頃。
「ダン。たまにはお前も少しどうだ?」
残っていた常連客の1人がグラスを持ち上げながら声をかけた。
「悪いが、まだ片付けが残っているんだ。お前らが前よりもよく来るせいで仕事が増えたからな」
ダンは手を休めずに答えた。
「そりゃ当然だ。姫の顔見に来てるんだからな」
男は酔いで赤くなった顔で秋也に満面の笑みを見せた。
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、男の顔なんか見に来て面白いですか?」
ダンの隣で手伝いをしていた秋也は愛想笑いを返しながらも少し気だるそうに口を開いた。
「俺達は故郷を離れて頑張ってる姫を応援しに来てるんだ」
「そう。きっとそうしなきゃいけない理由があったんだろ?」
「それなのに毎日笑顔で」
酒の勢いもあって男達はかなり盛り上がっていた。
「はぁ、まぁ」
秋也は少し首をかしげながらもうなずいた。
俺、いつの間に薄幸少年になったんだ? 確かにツいてなかったと言えばそうなんだけど…いいか、別に。
それから秋也はダンにグラスを差し出した。
「とりあえず僕が仕事増やしているようなので、その分は自分でやりますから。どうぞ」
「え? あぁ」
ダンが戸惑っていると、
「あーあ。ダンが余計な事言うから姫が気ぃ遣ってるじゃないか」
男がわざとらしく叫んだ。
「いや。そういうつもりで言ったんじゃ…スマン」
謝るダンの手に秋也はグラスを持たせた。
「別に気にしませんよ。というより、オヤジさんは僕と違ってそういう事言わない人だ、ってのは解ってますから」
「いいのか?」
「ええ。どうせほとんど終わりですから」
それだけ言うと、秋也はまた片付けに戻った。
―秋也の部屋
秋也は片付けを終えるとダン達を残して仕事を終えた。
風呂から上がり、部屋に戻るとベッドに倒れこんだ。
【今日も1日お疲れ様でした】
《真理》の労いの言葉に、ああ、と答えながら秋也は仰向けに寝返る。
「ああ。それより、明日からどうしようか? ようやくここがどういう世界なのかが分かってきたし、帰るためのヒントが掴めるかもしれないと思ってたら、いきなり道を閉ざされた」
この町を出るのも時間の問題か。とはいえ、行く当ても金も無いし。
【とりあえず先の事は追々考えましょう。いずれにしても焦って動かない事ですね】
「だな」
言いながら秋也は布団にもぐりこんだ。
【よい夢を】
「おやすみ」
秋也は目を閉じて一言、早く帰りてぇ、と呟いた後すぐに眠りに落ちた。
【……必ずあなたを無事に帰してみせます。それが私達の望みでもありますから】
to be continued