「一体、どう言う事なんですか!?」

 

 激高は、留まる事を知らなかった。

 

 少年がその報告を受けたのは、全てが終了した後だった。

 

 反乱軍の存在に手を焼いた味方は、その禍根を一気に断つ大作戦に打って出た。

 

 作戦名「ノア」

 

 王の持つ強大な魔力を借り、反乱の起きた辺境世界全てに洪水を引き起こし、一気に水没させてしまおうと言う作戦だ。

 

 この事を少年は、一言も聞いていなかった。

 

「お前に話せば、必ず反対すると思ったからな」

 

 久しぶりに会った友の言葉は、必要以上に冷たく感じた。

 

「何ですか・・・それは・・・・・・」

 

 怒りに体が震える。

 

 確かに辺境世界には反乱軍の拠点も多数存在し、本拠地の場所も確認されていた。

 

 だが同時に、何の罪も無い無辜の民も多数存在したのだ。

 

 それを全て、理不尽な嵐が押し流してしまった。

 

 だが男は、あくまで冷たく少年を突き放す。

 

「こうなった原因の一端は、私達にもある」

「え?」

「私達が任務を全うし、反乱軍の殲滅を完了していれば、王もこんな作戦を実行する必要は無かったんだ。彼等を殺した責任は、私やお前にもある」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 怒りの収まらぬ肩を叩かれる。

 

「自分の仕事を果たせ。近衛騎士団長殿」

 

 そう言うと男は、少年に背を向けて歩いていく。

 

 その背を見送りながらも少年は、心の中に湧き上がるどす黒い感情を押さえ込む事ができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第16話「槍騎士 絢爛」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表で派手に暴れてくれたお陰で、自分の方はどうにか見付からずに乗り込む事ができた。

 

 見知った廊下が連なる先を見据えながら、少し早足で歩く。

 

 歩く者の目を楽しませる為に飾られた観賞用絵画や緻密な造りの廊下などは、何らとして興味を引くような存在ではない。

 

 彼女の目的と欲求の帰結点は、偶像としての情景よりも、戦場における武技にこそあるのだから。

 

 しかも、ここは既に敵地。

 

 この城、否、この世界には既に自分の味方は1人もいない。

 

 故にこそ急がねばならない。これ以上邪魔が入る前に、何としても自分の目的を達してしまいたい。

 

 鋭い感覚によって伝わってくる戦場の空気は既に凍結し、外での戦闘の幕が下ろされた事が理解できた。

 

 自然、元から速い足は更に速まる。

 

 同時に心を打つ鐘の音も、うるさいぐらいに速くなるのを感じた。

 

 高揚、いや、興奮している。

 

 当然だろう。彼等がここに来て以来、長く願っていた事がようやく適おうとしているのだから。

 

 沸き立つ心を闘争心に変え、女は自分の求める戦場を目指して走った。

 

 

 

 

 

 少数ながら兵士達の内から何人か回復させたのは、ユウトの発案であった

 

 何しろ数百人からなる兵士が身動きできずに呻いている。彼等を治療する上でも必要な処置であると言える。

 

 レンの狙撃を受け、更にジュリアに操られた兵士達の大半が負傷に加えて衰弱も激しい。とはいえレン達はすぐに進軍せねばならない事を考えれば、誰か治療できる人間がほしいのも事実であった。

 

「・・・・・・しかし」

 

 遠くで駆け回る兵士達を眺めやりながら、ユウトは傍らに腰掛けたレンに話しかけた。

 

 予想外の戦闘で消耗した2人も、これからの戦いを前にして僅かでも回復に努めていた。

 

 その間に手の空いているナーリスは城の内部を偵察しに行っている。もっとも敵にはまだエターナルが2人も残っている。くれぐれも無理をしないように言い含めてある。

 

「すごいな、お前の神剣。何でも出来るのか?」

 

 武器を作り出すだけでなく他人の永遠神剣まで複製するに至り、ユウトとしては開いた口が塞がらない思いであった。

 

 それに対するレンは、苦笑で答えを返す。

 

「多分、そんな思ってる程便利な能力でもないですよ」

「そうか? 色んな能力が使えるのは便利だと思うけどな?」

 

 ユウト自身その能力は多彩を誇り、遠中近のいかなるレンジで戦っても戦況を互角に持っていける自信があるが、そのユウトにしてもレンの能力の幅広さには遠く及ばない。

 

 形だけを真似する訳ではない。レンの能力はその内面における能力まで模倣しているのだ。

 

「この能力は、対象となる神剣の能力が高ければ高いほど現界させておく時間が短くなるんです」

 

 力と時間のグラフはやや歪ではあるものの、ほぼ反比例のグラフを描いていると言って良い。

 

 第三位の神剣ならば持ってせいぜい数分程度。第二位の神剣ならば数秒程度ではないだろうか? そしてもし第一位の神剣を複製したとしたら一瞬持てば良い方だろう。逆に低位永遠神剣ならば、ある程度の時間は現界させておくことが出来るのだが、

 

「大抵の神剣は僕より弱いですからね。複製する意味があまり無いんですよ」

「そんなものか?」

 

 そういう経験が無いユウトとしては、曖昧に頷いておく事しかできない。

 

 そこへ、2人の背後から走ってくる足音を感知する。

 

 その体重を感じさせない軽快な足音が誰であるかは、振り返るまでも無く判った。

 

「ただいま」

 

 2人の傍らに立ち、上気した息を整えるナーリス。

 

「城内に人の気配は無いわ。今ならカイネルの所まで真っ直ぐ行けると思う」

「よし」

 

 ナーリスの報告を聞き、ユウトは立ち上がる。

 

 機は熟した。

 

 あとはただ、只管に前進あるのみだ。

 

 その脇に立つレンとナーリス。

 

「行くぞ」

 

 低い呟きと共に3つの影は雪原を後にし、敵地へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急に苦しみだしたアセリア。

 

 その傍らに寄り添い、フェルゼンとメヴィーナが処置を施していく。

 

「どうなんだい?」

 

 どだい相手が人外とあっては、メヴィーナでは判らない事が多過ぎる。だからこそ、あらゆる医術を身に付けたフェルゼンの存在はこの上無く頼もしいはずなのだが、

 

 今やそのフェルゼンも、額に汗を浮かべて診察している。

 

「こいつは・・・まずいな・・・・・・」

 

 いつに無く、その声が震えているのが判る。

 

 エターナルとしては有史上初めて子供を身篭ったアセリアには、ただでさえ問題が多々存在する。そして今の所フェルゼンは持てる技術と経験を最大限に活かして、問題には的確に対処してきたのだが、ここに来てまったく予想外の壁にぶち当たろうとしていた。

 

「破水が始まっている。こいつは、予定より早く出てきちまうぞ」

「そんな、でもまだ予定日には少しあるはずじゃ・・・・・・」

 

 考えられるのはただひとつ、

 

「早産だ。まさか、こんな事になるとはな」

 

 予想できなかった事を悔やみ、苦々しくした打ちするフェルゼン。

 

 しかしそれでも、藪であろうがモグリであろうが医者を自称する以上、現実を直視して手を打たねばならない。

 

「おい、聞こえるか?」

 

 苦しむアセリアの顔を覗き込むようにして語り掛ける。

 

 その声に反応し、アセリアは喘ぐ瞳を僅かに開く。

 

「お前の腹にいる子供は、予定より早く、もうすぐ出てきちまう」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 潤む瞳に、僅かに光が刺す。もうすぐ自分の子供に会えるかもしれないのが嬉しいのかもしれない。

 

 しかしフェルゼンは、喜色を浮かべようとするアセリアの出鼻を挫き、事実を冷酷に告げる。

 

言ってしまえばこれからアセリアは戦場に赴こうとしているのだ。現実にはしっかりと向き合ってもらわねばならないし、認識させるのは医者としての義務である。

 

「だがな、このままいけば、無事に生まれる可能性は極めて低いだろう」

「・・・・・・・・・・・・え?」

「そしてお前自身も危ないかもしれん」

 

 患者に対してありのままに告知する。それがフェルゼンのスタイルでもある。そのことに妥協した事は無かった。もしこれを怠れば、その時は良くても後に必ず手痛い目に遭うことになるだろう。

 

「良いか、よく聞けよ。今から出産の為の処置に入るが、これから先はお前自身の戦いだ。勿論俺が全力でサポートするが、正直どうなるか判らん」

「・・・・・・・・・・・・」

「腹を括れ。母子共にくたばるか、それとも2人とも生き残るか、道は2つに1つだ」

 

 レイチェルに誘われた時は成功率5割以下と答えたが、今はそれよりも更に落ち込んでいる。だが既に賽は投げられた。退路は存在しない。

 

 喘いでいたアセリアの口が、酸素を求めるようにパクパクと2、3度開かれる。

 

「た・・・の、む」

 

 微かに漏れ聞こえた言葉は、確かにそう言っていた。

 

 それに対し、不敵に笑うフェルゼン。

 

「任せろ。俺も、あいつに殺されるのは勘弁だからな」

 

 そう告げた脳裏には、遥か昔に刃を交えた事のある少年に馳せられた。

 

 もしこの出産に失敗すれば、レンはフェルゼンを生かしては置かないだろう。それは出発前に彼自身がはっきり明言した事であり、彼がその手の約束を違える性格ではない事は、4000万年前の昔から判っている。

 

 さて、今の自分とレン。戦えばどちらが勝つだろう?

 

 そんな事を一瞬夢想し、そしてやめた。

 

 結論。

 

 多分、勝負にならない。

 

 実力的には遥かに隔絶している事がかつての戦いで判っているし、今もそれは変わらないだろう。

 

 ならばフェルゼンのすべき事は1つ。それは勝算ゼロの戦いに赴いて武人としての美学に陶酔する事ではなく、自分の本来の領分である医学と言う戦場に馳せ参じ、より確実性の高い勝利を物にする事だった。

 

 

 

 

 

 無人の門を突破し前庭を駆ける。

 

 目指す地下室は後宮の下にある。そこに辿り着く為には普段兵士達が生活する官舎街を通り抜け更に本館を通り、中庭を通る必要がある。

 

 最も今、この城にはレン達の進軍を阻む存在は何人もありはしないようだ。

 

 どうやら非戦闘員の使用人達には前もって暇を出されていたらしく、先のナーリスの報告の通り、人の気配は感じない。

 

 3人はそのまま本館をも通り抜け、中庭に至る入り口を目指す。

 

 だが、3人は既に気付いていた。

 

 空気が重い。

 

 淀む瘴気のような物が、空間を満たしている。

 

 マナがこの城に集まっている。それも膨大な量が。

 

 この事に3人の中でいち早く気付いたのはユウトだった。

 

 この感覚には覚えがある。

 

 あれはもう何1000年も前、ユウト自身がカオス・エターナルとして駆け出しであった頃に経験した戦争。あの時の戦いでもロウ・エターナルは似たような戦略を用いて世界を破壊しようと企んだ。

 

 そのときと全く同じ感覚が身を包む。

 

 薬も与えすぎれば毒と言う。マナはエターナルの体を構成する重要な要素であるが、ここまで集中すれば逆に不快感が募る一方である。

 

 だが同時にそれは、タイムリミットまで時間が無い事を表していた。

 

 焦る足が、更に速くなる。

 

 程なく、中庭へ抜ける扉が見付かる。

 

 その扉を蹴破るようにして3人は躍り出る。

 

 そして、歩みを止めた。

 

 中庭の中央、人の形をした銅像が置かれている前に佇む影がある。

 

 夜目にも鮮やかな赤いコートを羽織ったその女性は、手にした長柄の先から殺気を惜しげもなく迸らせ、3人を待っていた。

 

「待っていたよ」

 

 「元」ロウ・エターナル《寂寥》のレイチェルは、薄く浮かべた口元を3人に向けた。

 

 その姿に3人は、絶句と共に相手を見やる。

 

 なぜ彼女が今この段階になって姿を現したのか? その真意を測り得る者は誰1人として存在しない。

 

「・・・・・・戻っていたのか?」

 

 口を開いたのはユウト。彼女がここに居ると言う事はすなわち、自分達を止める為にきたと言う事になる。最大限好意的な見方をすれば味方になる為に馳せ参じたと言う風に見れない事も無いが、そう見解を下すには、こちらに指向された身を切るような殺気の説明が付かなかった。

 

 ならばその姿から得られる答えは1つ。彼女自身が旧に復し、ロウ・エターナルの陣営に戻って自分達を阻みに来た。そう考えるのが自然であった。

 

 ユウトよりも早く、レンとナーリスの2人が激発しそうになる。

 

 抜かれた《陽炎》には炎が舞い、レンの手には刀が握られる。

 

 しかしその事実は、対峙するレイチェル自身の口によって否定された。

 

「まさか」

 

 自嘲と哀惜を含んだ口調は妙に穏やかで、ともすれば雪原の中に沈みそうになる。

 

「一度裏切った者を許すほど、テムオリン様は甘くは無いわ。もし間抜けな顔をしてノコノコ戻ったら、その瞬間命が無いでしょうね」

「ならなんで、ここに?」

 

 尽きぬ疑問が大気を震わせた瞬間、レイチェルの手にある槍が唸りを上げてこちらを向いた。

 

「この世界に来る前から、ずっと思っていた。テムオリン様直属の部隊を退け、あの《黒き刃》タキオス様をも破ったカオス・エターナルのエース」

 

 その切っ先は、真っ直ぐにユウトに向けられる。

 

「すなわち《聖賢者》ユウト。あんたとの決着だけを、私は望む」

「・・・・・・・・・・・・」

「是非、受けてもらいたい」

 

 緊張は淀む大気をも押しのけて増大する。

 

 緊張が、各々の身を震わせた。

 

 想定外。まさしくイレギュラー。

 

 今この時点でレイチェルが介入してくる事は、レン達はおろかロウ・エターナル達でさえ予測できなかっただろう。

 

「・・・・・・判った」

「ユウトさん!!」

 

 ややあって発せられたユウトの言葉に、レンが抗議の反応を返す。それと同時にナーリスも驚きの視線を向ける。

 

 今はこんな事をしている場合ではない。一刻も早くカイネルの計画を止め、世界の崩壊を防ぐべきだろう。

 

 そう言いたげな2人の視線を制し、ユウトはレイチェルと向き合った。

 

「だが、今じゃない」

「・・・・・・・・・・・・」

「今、俺達にはやらなければならない事がある。それを果たすまで待ってほしいんだ」

「嫌よ」

 

 ユウトの申し出は即答で返される。

 

「私は、今あんたと戦いたいの。追い詰められて本気になっているあんたとね」

 

 一呼吸置いて続ける。

 

「仮に今あんたを見過ごし、後日に再戦を期したとして、それであんたは本気になれるわけ?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 沈黙は迷いを表す。

 

 確かに彼女の言う通り、心理的な面から言って今程の実力が出せるとは考えにくい。

 

 それを見抜いているからこそレイチェルは、危険を冒してまで戦いに介入する事を決断したのだろう。

 

 どうやら、この場はどうあっても退いてはくれないらしい。

 

「・・・・・・判った。相手をしよう」

 

 諦めにも似た口調でユウトは頷くと、背後の2人を見やった。

 

「済まないが、先に行ってくれ」

「良いんですか、本当に?」

 

 ただでさえ少ない戦力を更に割くのは、自殺行為に思えた。

 

「良くは無いが仕方ないさ。そもそも理屈で止まるような奴なら、初めから俺達の前に現れたりしないだろ」

 

 この上は、なるべく早くレイチェルを片付けるしかないだろう。

 

「判りました」

 

 頷くとレンは、レイチェルに目配せして後宮へと走り出す。

 

 そんな2人の姿を、そのまま見送るレイチェル。どうやら本当に、ここにはユウトだけを目当てで来たようだ。

 

「さて、はじめましょうか」

 

 レイチェルの言葉と共に、ユウトは《聖賢》を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェルゼンにとって幸いだったのは、メヴィーナに助産婦としての経験があった事である。

 

 何しろこのような土地柄である。出産ともなると多くの人間が協力し合わねばならない。

 

 メヴィーナはメイド長であった時代、現領主カイネルの誕生にも立ち会った事がある事から考えても、その経験は充分であると判断できた。

 

 フェルゼンにとって頭の痛い事に、早産と言う最悪に近いトラブルに続いて、またしても胎児が子宮の中で自己主張を始めていたのだ。

 

 今にも溢れ出しそうなオーラフォトンを調整しつつ、何とか出産まで漕ぎ着けねばならない。

 

 そこで役割を分担し、フェルゼンがオーラフォトンの調整を行い、メヴィーナが赤ん坊を取り上げる事にした。

 

「ほら、がんばるんだよ。もう少しだから!!」

 

 メヴィーナの言葉に、くぐもった悲鳴が返ってくる。

 

 舌を噛む可能性を考慮し、アセリアの口には布を噛ませてあった。

 

 それでも苦しさは緩和できず、アセリアの顔が耐え難い苦痛に歪む。

 

 今経験している痛みはアセリアにとってまさに未知の痛みである。そして、本来であるならば一生経験する事の無いはずであった痛みである。

 

 アセリアの腹に手を添え、ゆっくりと自分のオーラフォトンを流し込むフェルゼンの手も、汗で濡れている。

 

 既にあらゆる意味で余裕はない。僅かな失敗も許されないのだ。

 

 慎重にオーラフォトンを調整、一種の信号と化して胎児へと送り込む。

 

 この信号を受信した胎児が自分のオーラフォトンを緩めてくれれば、後は通常の出産と変わりなく運ぶ事ができるはずだ。

 

 開く目に、苦悶の表情を浮かべたアセリアが映る。

 

 助けたい。何としても。

 

 柄にも無く熱くなっている自分に気が付き、思わず苦笑を漏らす。

 

 こんなに熱くなったのは、いつ以来だろう?

 

 そうだ。あれは確か4000万年前、自分がまだ革命思想家を名乗っていた頃、

 

 背中に12枚の翼を従えた少年騎士と対峙した時以来じゃないだろうか?

 

 

 

 

 

 仕掛けたのは、ほぼ同時だった。

 

 地を駆けると同時に、互いの得物を繰り出す。

 

 自然、リーチの長いレイチェルの方が先に攻撃を開始する事になる。

 

 五月雨の如き突きの嵐を、ユウトは自分の間合いに入った端から捌き、打ち払っていく。

 

 間合いに入らねばユウトに勝機は無い。それが判っているだけに、ユウトも猪突を避けて後の先を狙う戦術を考える。

 

 しかし、

 

「それ!!」

 

 高速の連撃は、ユウトに踏み込みの間を与えない。

 

 レイチェルの攻撃は、まるで突きの壁のようになってユウトに迫ってくる。

 

「ッ!!」

 

 とっさに後退し、レイチェルの間合いから逃れるユウト。

 

 槍を相手に後退する事は戦況を不利にしかねないが、それでも現状反撃の手段が無い以上、仕切り直す必要があった。

 

 だが、

 

「甘い!!」

「クッ!?」

 

 鋭い踏み込みから成される突きを、ユウトは辛うじて回避する。

 

 レイチェルの攻撃はそこで収まらない。間合いに捉えたと見るや、すかさず薙ぎ払いを掛けて来る。

 

「チッ!?」

 

 ユウトの鼻先を掠める《寂寥》の刃。

 

 だが、そこにこそユウトの待ち望んだ隙が生じる。

 

 逆撃を掛けるユウト。

 

 踏み込むと同時に横に払い、レイチェルの胴を狙う。

 

「ッ!?」

 

 逆に後退する事でレイチェルは回避。

 

 それを追うユウトは更に踏み込む。

 

 全膂力を振るった一撃を、袈裟懸けに繰り出すユウト。

 

 対してレイチェルは《寂寥》を地面に突き立てると、棒高跳びの要領で跳躍。ユウトの斬撃から逃れると同時に、その背後へ着地する。

 

 とっさに振り返るユウト。

 

 そこへ繰り出される横薙ぎの一閃。

 

 頬を掠める一撃を回避し、ユウトは間合いの外まで後退する。

 

 さすがに今の一撃によって体勢を崩したのか、レイチェルも追撃は掛けない。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対峙する両者。

 

 切っ先を向けて向かい合う。

 

 無言。

 

 両者を包むオーラフォトンの幕が、自己主張しあう。

 

 次の瞬間、吹き上がる雪風。

 

 機を逃さず、両者が動く。

 

 神速の突きと、突風と化した斬撃が衝突し、衝撃波を容赦無く撒き散らす。

 

 周囲に観戦者はいない。

 

 しかしもしこの場でこの戦闘を見守る者がいたとしたら、その衝撃波によって暫く視界が塞がれた事だろう。

 

 中庭全てを覆う程の突風の中、果たして2人は幾度の応酬を繰り広げた事だろう。

 

 その数は恐らく、当の本人達も知りえない。

 

 ただ1つだけ言える事は、その応酬では決着は着かなかったと言う事。

 

 その証拠に、突風が晴れると2人の姿が見えてくる。

 

 突撃と同時に振るわれる斬撃。

 

 対するナーリスは、《寂寥》を掌の中で回転させて受け流す。

 

「ハッ!!」

 

 回転の勢いをそのまま斬撃に繋げるナーリス。

 

 同時に体も高速で動き、2人の距離が一気に詰まる。

 

「クッ!?」

 

 その一瞬の動きに、ユウトはとっさには対応できない。

 

 縦回転を加えられた槍の一撃に、ユウトの回避は間に合わず肩を斬られる。

 

「クッ!?」

「チッ!?」

 

 両者同時に舌打ち。

 

 片方はダメージが僅かとは言え先制を許した事、片方は必殺に近い一撃を回避された事から互いに苛立ちを募らせる。

 

 両者、一拍の間を置いて再度動く。

 

「「ハァッ!!」」

 

 ぶつかり合う大剣と大身槍。

 

 火花はオーラフォトンの雫となって飛び散る。

 

「・・・・・・良いわね」

 

 愉悦が含まれた笑みは闘争心に彩られて大気を震わせる。

 

「本当に良いわ、あんた。さすがは、私が見込んだ男よ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 油断無く、《聖賢》を正眼に構えるユウト。

 

 レイチェルが抱いていた欲求は戦端を開く前に聞いたが、その欲求を飽食しながら彼女の闘争心が際限無く肥え太って行く事が判る。

 

 稀に、その身に持て余した闘争心が戦えば戦うほど増大していく人物がいるが、彼女はまさにその典型だ。タキオスの信奉者と言うのも、今なら淀みなく頷ける。

 

 スッと、ユウトは足を前に出す。

 

「無駄口を叩いている暇は無いんだけどな」

「判ってるわよ」

 

 ユウトの皮肉に不敵な笑みで応じるレイチェル。

 

 再び両者は動いた。

 

 直進するユウトに対して、レイチェルは宙を舞いつつ体を高速回転させ、その勢いでダイレクトに槍を繰り出す。

 

 叩きつけられた槍の一撃により、花のように舞う地吹雪の雪。

 

 その白いカーテンを破り、斬り掛かるユウト。

 

 魔法を使う事ができれば、あるいは簡単に勝つ事が出来たかもしれない。しかしこの時ユウトは、ただ只管に剣での勝負に固執した。

 

 それはもしかしたら、アセリアを助けてくれたレイチェルに対する礼儀だったのかもしれないが、武人としての戦いを望むレイチェルへ、結果としてユウトが答えた事になる。

 

 鋭い一閃を弾き、ユウトはレイチェルの懐に飛び込む。

 

 既に数度の打ち合いを経て、ユウトにはレイチェルの癖が読めていた。その間隙を突けば決して勝てない相手ではない。

 

「うっ!?」

 

 短い呻きと共に、守勢に回るレイチェル。その動きは相変わらず鋭いものの、当初は互角以上に進めていた戦いの主導権がユウトの側に傾きつつある事を、既に察していた。

 

 しかしそれでもなお、その口の端に浮かべられた笑みは消えない。

 

 戦いの結果ではなく、その過程をこそ楽しむ。まさに典型的な戦闘凶の顕れである。

 

 とは言えユウトとしても、そろそろ幕と行きたいところであった。

 

 たとえ魔法を使わずとも、ユウトの実力はレイチェルのそれを凌駕している。今ならばその剣は槍騎士に届くと確信していた。

 

 そんなユウトの心情を汲み取ったわけではないだろうが、レイチェルもスッと笑みを消して槍を構える。

 

 正眼に構えられた《聖賢》の切っ先からオーラが立ち上る。

 

 同様に《寂寥》からもオーラフォトンの陽炎が上がり、場の空気を容赦なく締め付けていく。

 

 次の瞬間、両者は同時に突撃する。

 

 傍から見れば光速に近い動きであるその突撃はしかし、当の本人達からすれば、ほとんどスローモーションの光景でしかない。

 

 互いの目をしっかりと交し合いながら駆け抜ける。

 

 あと数コンマの差で間合いに捉える事になる。

 

 レイチェルの無意識が移動から攻撃に移行した、

 

 まさにその瞬間、

 

 ユウトのスピードが更に加速した。

 

 時速に換算すればほんの10キロかそこらであった事だろう。

 

 しかしその動きは、確実にレイチェルの視覚を惑わせ、タイミングを外させる事に成功した。

 

 目を見開くレイチェル。

 

 最早、回避も防御も不可能。

 

 振り下ろされる斬撃は、袈裟懸けにレイチェルを切り裂いた。

 

 崩れ落ちる視線の中、レイチェルは手から滑り落ちる《寂寥》の感覚を覚えながら、自分が斬られた事にようやく想いが至った。

 

 

 

 

 

「気分はどうだ?」

「・・・・・・最高、かな」

 

 地面に仰向けに倒れたレイチェルは、そう行って、柔らかく笑みを浮かべる。

 

 先程までの闘争心に彩られた笑みではなく、戦いが終わって満足しきった笑顔であった。

 

「そうか」

 

 頷いてからユウトは、ふと気になった事を尋ねてみた。

 

「これからどうするんだ?」

 

 これが人間だったのなら、つまらない質問だっただろう。致命傷を受けた人間に今後を尋ねるなど、川の流れに行き先を尋ねるようなものである。

 

 しかし相手がエターナルならば事情が変わってくる。仮に致命傷を受けたとしても、永遠神剣との繋がりが断たれない限り、その身が滅びる事は決してない。このレイチェルにしても然り。見たところ、まだ完全消滅の域には達しているようには見えない。

 

「さあね。もうロウ・エターナルには戻れないしさ」

 

 途方に暮れているのかそうでないのか、判断のつきかねる口調でレイチェルは答えた。

 

 もともと未来より現在を重視し、刹那的な生き方を良しとする女の事。先の展望など無いに等しかった。

 

 そこでふと、レイチェルは思い出したように口を開いた。

 

「・・・・・・あの娘、ちゃんと元気な子を産めるかな?」

「え?」

 

 突然の言葉に一瞬意味を図りかねたユウトだが、すぐにアセリアの事だと察して笑みを浮かべた。

 

「当たり前だろ」

 

 誇らしく、それでいて静かに頷くユウト。

 

 その根拠の何も無い返事を聞きながら、それでもどこか澄み渡るように心の中が晴れて行くのを感じた。

 

「そっか・・・・・・」

 

 低い呟きは雪に溶けて消えていく。

 

 瞳はここではないどこか、遥か遠くを見ている気がした。

 

『・・・お母さん、がんばったよ。これで、許してもらえるかな?』

 

 かつて、自分がまだ人間だった頃、

 

 ついに出会う事の出来なかった我が子に向けて微笑みかける。

 

 あの日、産まれて来るはずだった子供を失って以来、レイチェルの心はまるで凍りついたかのように冷え切り、何も感じる事ができないほど麻痺してしまった。

 

 それは《寂寥》と契約しエターナルになってからも変わらなかった。

 

 レイチェルは戦うしかなかった。

 

 戦いにおける高揚だけが、凍て付く心をほんの一時でも忘れさせてくれたのだ。

 

 それは麻薬の持つ誘惑に似ていたかもしれない。

 

 戦場にあっては只管に戦い続け、戦いが終われば志願してまた次の戦場へ行く。

 

 その身を常に危険に晒し続ける事が、唯一の願いであった。

 

 そんな生活は、ロウ・エターナルに入るまで続いた。

 

 エターナル同士の抗争に身を起き、その身が擦り切れるまで戦い続ける日々に身を置けば、この鬱陶しい呪縛から逃れられると思った。

 

 しかし、現実はそうもいかなかった。

 

 戦いが終われば、また言いようの無い苦しみに襲われるだけであった。

 

 しかし今、戦いが終わったというのに、レイチェルの心は意外な程晴れやかであった。

 

 それまで自分を縛っていた何かが解かれたように、心から軽やかに笑う事ができた。

 

「良い子に育ててね・・・誰もが羨むような、そんなの子に・・・・・・」

 

 言っている内に、体の形が崩れて行く。どうやら、この世界から去る時間が迫っているようだ。

 

 そんなレイチェルの手を取るユウト。

 

「約束する、必ず」

 

 その言葉を聴きレイチェルは、満足したように頷く。

 

「・・・・・・ありがとう」

 

 告げられる感謝の言葉はこの場にはそぐわない気もしたが、なぜかユウトも、そして今しも消えようとしているレイチェルも、それ以外の言葉が浮かんでは来なかった。

 

 やがてその表情も徐々にかすれ、立ち上る金色の霧が、天へと上っていく。

 

その様子を見やりながら、ユウトはフッと笑った。

 

 そう言えば結局、彼女には説明する暇がなかった。あの時、ファンタズマゴリアでタキオスと対峙した時、自分には仲間がいた。対してタキオスは1人だった。その事が勝敗に大きく貢献していた事を。

 

 しかしまあレイチェル本人にしてみれば、あるいはそんな事はどうでも良かったのかもしれない。ようは楽しく戦う事さえできれば。

 

 だがこれからの彼女の人生において、願わくばそのような生活とは無縁であってほしい。

 

 天に上っていく光を見上げ、ユウトはそんな事を考えた。

 

 

 

 

 

 そこは既に、溢れ出るマナと言う水に満たされた海底であった。

 

 その奥に座する3人の人影は、既に狂ったような輝きを放つ目の前の宝珠を見やっている。

 

 その瞳に移る願望は3者3様なれど、急く思いは同じであった。

 

 もう少し、あと少しで完了する。

 

 1人は悲願を、1人は任務達成を、今1人は野望を胸に秘め、その瞬間を待ち望む。

 

 その時ふと、カイネルがある事に気付いて顔を上げた。

 

「そう言えば、エレンはどうした?」

 

 常に忠実に自分の傍らにあった、忠義の少女騎士の姿が見えない事に不審を感じていた。

 

 その言葉が紡がれた瞬間、加害者たるゼノンの顔が引き攣るのを感じた。

 

 しかし襤褸を出す前に、別方向からタウラスが援護の言葉を発した。

 

「彼女は自ら部隊を指揮してカオス・エターナルを迎え撃つと言って前線へ向かった。だが音沙汰が無い所を見ると、恐らく、」

 

 言葉の最後をわざと切って、相手の感情を増幅させる。それだけで極限状態にある人間は勝手に物語を完結してくれる。

 

 案の定カイネルは「そうか」と哀しげに答えて後、それ以上は何も言っては来なかった。

 

 タウラスはゼノンを睨み付ける。

 

 侮蔑に満ちたその視線からは「小心者」と言う愚弄と「策を弄するなら、これくらいの言い訳は用意しておけ」と言う忠告めいた言葉が言外に含まれていた。

 

 その言葉を感じ取り、歯軋りするゼノンを無視して、地下室の入り口へと目を向けた。

 

 その時、まるで示し合わせたかのように階段を踏み鳴らす音が彼等の鼓膜に飛び込んできた。

 

 誰が来たかなど、今更首肯する必要性は認められない。

 

 蹴破られるドアから入ってくる小柄な人影。

 

 1人はカイネルが良く見知った少女。そして今1人は、ここの所何度か見かけた事のあるエターナルの少女であった。

 

「来たのか」

 

 諦めたようにゆっくりと紡がれる言葉には、相手の愚かさに対する呆れが多分に含まれている。

 

 対してナーリスは、その身から発する怒気を隠そうともしないで口を開く。

 

「ええ来たわよ・・・来てやったわよ・・・あんたの、そのくっだらない野望にピリオドを打つ為にね!!」

 

 言葉の勢いのままに抜き放った《陽炎》が、激情に応えて燃え盛る。

 

 今、最後の戦いが幕を上げようとしていた。

 

 

 

 

 

第16話「槍騎士 絢爛」     終わり