Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第15話「Wing Of Evil Deity」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと差し伸べる手が、アセリアの頬を撫でる。

 

 長く連れ添った男の事。それだけで彼女は、何事かを察する。

 

「行く、のか?」

「ああ」

 

 頷きながら笑い掛けるユウト。

 

 不安はある。自分にも、そしてアセリアにも。

 

 今まで、戦いの場にあっては必ずアセリアが傍らに立ってくれた。

 

 だが今回はそれが無い。必勝の堅陣を期待する事は叶わない。

 

 だがそれでもユウトは、アセリアを安心させるようにもう一度笑い掛ける。

 

「大丈夫だよ」

 

 その掌が、そっとアセリアの腹に当てられた。

 

「俺は負けない。必ず勝って、またここに戻ってくる。そしたら、今度は子供が無事生まれるようがんばるよ」

「うん」

 

 子供のように頷くアセリアの長い蒼髪を救い上げ、撫で上げる。

 

 寝たままでは気が治まらないのか、アセリアは何とか上体だけでも起こそうとする。

 

 ユウトはベッドに座り込むようにしてアセリアの体を支えると、その肩を抱いた。

 

「どんな子が産まれるかな?」

「ん、きっと元気な子だ。私と、ユウトの子供だから」

「そうだな」

 

 頷いてから、少し悪戯心を出して付け加える。

 

「あ、でもアセリアに似たら絶対、頑固な子供に育つだろうな」

「・・・それじゃあ、ユウトに似たら、無鉄砲な子になる」

「いや、それ、アセリアには言われたくないから」

 

 互いに言ってから、笑い合った。

 

 ひとしきり笑ってから、ユウトは声の調子を落とす。

 

「子供の名前も、考えないとな」

「そうだな」

 

 身を寄せ合う互いの体温が、温もりとなって伝わってくる。

 

 外の吹雪も寒さも、この2人に届く事は無い。

 

 そっと、唇を重ねるユウト。

 

 応じるアセリアも、目を閉じて受け入れる。

 

 ややあって、互いの唇を離す2人。

 

 戦地に向かう夫と、それを見送る妻。

 

「行って来る」

「ん、行ってらっしゃい」

 

 その言葉が、交わされる。

 

 立ち上がり、立て掛けて置いた《聖賢》を取るユウト。

 

 最後にもう一度だけ視線を交し、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 1階に下りると、そこには他の全員が揃っていた。

 

「良いんですか?」

「ああ」

 

 頷くユウト。

 

 レンとナーリスは既に出撃準備を整え、見送るメヴィーナ、ロミナ、フェルゼンも並んで見ている。

 

「お姉ちゃん、気を付けてね」

「怪我するんじゃないよ。それから、2人の足を引っ張らないようにね」

「わ、判ってるって」

 

 心配する母と妹を安心させようと微笑むナーリス。

 

 戦場に向かう娘を見送る光景とは思えない程微笑ましい光景の横で、

 

「僕はあなたを信用していません。もし万が一、アセリアさんやメヴィーナさん、ロミナに何かあったら、その首は胴から離れると思ってください」

「判ってる。判ってるって」

 

 何とも殺気を振りまかれた光景が展開されている。

 

 そのあまりの温度差に、ユウトは出撃前だというのに頭痛がしてくる思いだった。

 

「・・・・・・とにかく、」

 

 ユウトはフェルゼンを見た。

 

「レンがどう思ってるかはともかく、俺はあんたの腕を信用している。アセリアの事、頼むぞ」

 

 不満そうな顔を見せるレンの傍らで、フェルゼンが鷹揚に頷く。

 

「任せろ。頼まれた以上、仕事は確実にこなす」

 

 その言葉を待っていたかのように、ナーリスも2人の家族から離れる。

 

 今や、出撃の時は迫っていた。

 

 ここに帰る時は、勝利をその手にした時以外にありえない。

 

「行ってくる」

 

 ユウトを先頭に、レンとナーリスが続いて出て行く。

 

「行っといで。必ず、領主様を止めて来るんだよ」

 

 1人残った娘を抱き寄せながら呟くメヴィーナ。

 

 その言葉を背に、3人はゆっくりと雪原の上を歩き出した。

 

 

 

 

 

「動きがあったぞ」

 

 ジュリアの言葉にタウラスは、それまで閉じていた目を開く。

 

 儀式も最終段階を迎え、長かった任務もあと少しで終わりを迎える。

 

 しかしそれは当然、敵対するカオス・エターナル達との決戦も間近に迫っている事を意味していた。

 

「こちらの配備状況は?」

「城の兵は、既に展開を終えている。加えて私も城門前に布陣して奴等を迎え撃つつもりだ」

 

 向こうが決戦のつもりで挑んでくるのなら、こちらもまた決戦の準備は万端に整っている。

 

 しかし開戦当初と違い、その布陣に綻びがある事はどうしても否みようが無い。

 

「さても、物事が思い通りに行く事と言うのは稀なものだな」

「レイチェルの事を言っているのか?」

 

 この場より去った槍兵の存在は、確かに大きい。彼女が居てくれたなら、今回の戦いはより万全の状態で挑めたはずなのだが。

 

「失った物を嘆くとは、珍しく弱気だなタウラス」

「まさか」

 

 フッと笑う。

 

 この程度の計算外など、不利の内にも入らない。兵力的には、今だにこちらの方が有利なのだから。

 

「あらゆる物を、我が拳で粉砕すれば済む事。そこに迷いなど存在しない」

 

 鋼の如き力と体躯を持つ男。確かに、この男が居れば、レイチェル1人が抜けた穴を塞いでも、なお釣が出るだろう。

 

「して、例の事、カイネルには話さぬのか?」

「話す必要があるのか?」

 

 振り返らずに答えるタウラス。

 

 その反応に、ジュリアはフッと笑みを返した。

 

「まったく、貴様の腹黒さにはさすがの私も敵わぬ。あれ程純真に、ただ1つの事を願って止まない男を言葉巧みに騙すとは」

「敵を欺くにはまず味方からと言うだろ」

 

 悪びれも無い言葉。

 

 タウラスは、初めからカイネルとの約束を守る気は無かった。

 

 この世界は崩壊する。そして、塵の一片すら残らずに第一位永遠神剣の糧となるのだ。

 

 ロウ・エターナル達は、初めからそのつもりでカイネルに近付いたのだ。

 

 2人の話す内容は、僅かな空気の振動を伴って部屋の外へも漏れ聞こえていた。

 

 普通の人間であるならば聞こえる事は無かったであろう。

 

 しかしその人間がある程度普通の人間よりも五感が発達し、なおかつ盗み聞きの意図を持って聞き耳を立てていたのなら話は全く別となる。

 

 扉の前に立つエレンは、全身の血が一気に引いていくのを感じた。

 

 彼女は初めから、ロウ・エターナル達を信用していなかった。故にこれまで、警戒の目を怠らずに来たのだが、この大事な局面にあって、その不安が一気に噴出してしまった。

 

『そんな・・・・・・こんな事が・・・・・・』

 

 既に儀式は最終段階に入り、今更止める事は出来ない。

 

 これまでエレンはカイネルの理想に共感を抱き、この苦難に満ちた運命を供に変えたいと思ったからこそ、その下で剣を振るってきた。

 

 しかしまさか、そのカイネル自身が騙されていたなんて。

 

『早く、カイネル様に知らせないと』

 

 そして踵を返した時だった。

 

 その進路を塞ぐように、斧を持った大柄な男が立ち塞がった。

 

「どこへ行くんだ、エレン?」

「ゼノン!?」

「いけねえな、盗み聞きは」

 

 口の端を吊り上げて笑みを浮かべるゼノン。

 

 その言葉と態度に、一瞬で理解する。この男は、初めから知っていたと。知っていて自分達を欺いていたのだと。

 

「クッ!!」

 

 とっさに、背中に負った《流泉》を抜こうとする。

 

 しかし、

 

「遅ェよ」

 

 次の瞬間、《大牙》の刃が、エレンの体を袈裟懸けに斬り捨てた。

 

 そのまま力を失い、前のめりに倒れるエレン。

 

 その物音を聞き、部屋の中から2人のエターナルが出てくる。

 

「ネズミの警戒くらい自分等でやってくれよ。俺が居なかったらやばかったぜ」

 

 そう言いながら、倒れたエレンを足で付き転がして上向かせる。

 

「この女か」

「やれやれ、身の程を知れば、このように早死にする事も無かったろうに」

 

 一片の哀れみも感じない言葉を投げるタウラスとジュリア。

 

 しかし、

 

「これで、少しばかり厄介な事になったな。側近が死んだとなると、さすがのカイネルも警戒しだすだろう」

「なに、どのみちこれから戦いが始まるんだ。乱戦の中で誰が死のうと、知った事では無いだろう」

 

 確かに。タウラスの言葉に、残る2人が頷く。

 

「いや、しかし今回は助かった。礼を言わせて貰おう」

「なに、あんたらが負けるような事になったら、俺も困るからな」

 

 ゼノンはカイネルとは別に、ロウ・エターナル達と密約を交わしていた。

 

 すなわち、ロウ・エターナルの作戦遂行に当たり、カイネルを初め、城の人間が真の目的に勘付かないよう工作する。見返りとしてロウ・エターナルは、彼に上位永遠神剣を与え、エターナルにする。

 

 この連携はうまく行き、今の今まで誰も事の真相に気付く者はいなかった。兵士達は勿論の事、カイネルでさえも。

 

 ゼノンにしてみれば、世界の崩壊も邪神の復活もどうでも良い事だった。

 

 それよりももっと魅力的な物。神にも匹敵する強大な力や、永遠の命の方が喉から手が出るほど欲しかった。

 

『まあ、もっとも、』

 

 ジュリアは気付かれぬように、内心でほくそ笑む。

 

『エターナルになれるかどうかはこの男次第。しかも、パッと見立てた所、この男に素養があるようにも見えんがな』

 

 タウラスやジュリアにしてみれば、ゼノンも手駒の1つに過ぎないのだ。もっとも、素養の事も含めてそれを話す気は無いのだが。

 

 とは言え、これで計画が漏れるのも時間の問題になってしまった。

 

「タウラスとゼノンは、手筈通りカイネルの脇を固めろ。万が一私の陣が突破された時は、計画完了まで時間を稼ぐのだ」

「おうよ」

「任せておけ」

 

 2人の言葉を背に、歩き出すジュリア。

 

 その耳には既に、戦場に満ちる殺気の音が聞こえてきていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城門前の雪原には、既に数100からなる兵士で埋め尽くされていた。

 

 一様に物騒な武器を手にした彼等は、ただ3人を迎え撃つ為に集結した人数である。

 

 たかが3人。

 

 されど3人。

 

 うち2人が、次元の違うほどの力を持つ事は聞いていた。

 

 恐怖はある。

 

 だが、彼等に後退は無い。

 

 全ては領主カイネルの、崇高なる理想実現の為、たとえこの雪原を朱に染め上げようとも、その屍を持ってして盾となる覚悟であった。

 

 前線を守る兵士が焚き火に当たりながら、ふと顔を上げたその瞬間、

 

 飛来した光が、彼の足を貫いた。

 

「グアッ!?」

 

 堪らず、その場に倒れ伏す兵士。

 

「お、おい、どうした!?」

 

 駆け寄って抱き起こす仲間が見た物は、彼の足に突き刺さった光の矢だった。

 

「これは!?」

 

 敵襲!?

 

 頭の思考が追い付けたのは、そこまでだった。

 

 その兵士の肩にも矢が刺さり、もんどり打って倒れる。

 

 更に矢は間断無く飛来し、前線の兵士達に降り注いでいく。

 

 そのどれもが、狙うのは腕、肩、足、腿、あるいは手にした武器のみ。胴体や頭部は一切狙われていない。

 

 しかしそれでも高速かつ精密な射撃は、確実に兵士達の戦闘能力を削いで行く。

 

 遠方から弓を構えたレンは、倒れ伏す兵士達を見ながら次の矢を放っていく。

 

 レンが一息の内に放てる矢の数は13本。それを息も尽かさず放ち続ければ、数秒と待たずに敵を壊滅させる事も出来る。

 

 圧倒的な力を叩き付けて、反撃の間を与えずに戦闘力を奪い去る。

 

 殺さずに敵の大兵力を征圧するには、これが最も有効な手段と言えた。

 

 瞬く間に前線は崩れ、救援に来た兵士達も容赦無く撃ち抜いて行く。勿論、死者は誰もいない。

 

 半分くらいの兵士達が雪原に転がる頃には既に指揮系統が壊滅し、陣形はバラバラになっていた。

 

 退却する者、手にした弓で闇雲に応戦しようとする者、誰かに指示を仰ごうとする者。

 

 それらにも平等に、レンは矢を射掛ける。

 

 白い雪原は、彼らが流す血によって赤々と染め上げられ、無風の大気は呻き声で満たされた。

 

 その静かな開戦を迎えた戦場に、立つ影は3つ。

 

「うわぁ、すごいね」

 

 感心しているのか驚愕しているのか、ナーリスは呆れ気味に声を発する。

 

 今、数100いた敵兵は、1人の例外も無く地に伏している。

 

「何って言うか、えげつない?」

「何でも良いさ」

 

 ナーリスの言葉に、先を行くユウトが答えた。

 

「ようは、犠牲者を少なくして突破できればいいんだ」

 

 そう言いながら、朱に染まった雪原を歩き出す。

 

「ま、待て!!」

 

 足を撃ち抜かれた兵士の1人が、それでもレン達の進軍を阻もうと、落ちていた剣を拾って立ち上がる。

 

 その足からは血が絶えず流れ、そのまま行けば10分前後で失血死に到ってもおかしくないだろう。

 

「行かせん・・・行かせんぞ・・・・・・カイネル様の元には、絶対に・・・・・・」

「もう止せ」

 

 冷静な声で突き放すユウト。

 

「お前達ではたとえ1000人で掛かってきたって俺達には掠り傷1つ付けられない。それは今ので判っただろう?」

「黙れ!!」

 

 迸る激情のままに、男が叫ぶ。

 

「満足か? 満足だろうな。お前達はそうやって、高みから圧倒的な力で見下ろしていれば良いのだから。だが俺達はどんなに辛くても、限られた力で1歩1歩進んでいくしかない。そんな俺達の苦労を、辛苦を、貴様等はその傲慢から、阻もうというのか!?」

 

 兵士の目が、見る見るうちに赤く染まっていくのが判った。

 

「俺達は諦めない!! 必ずや戦い抜き、我等の信念を・・・理想を成就してみせる!!」

 

 赤き液体が、頬を流れ落ちる。

 

 ナーリスは顔を伏せた。

 

 彼等は必死だ。全てはカイネルの理想を成就させ、この大陸を頚木から解き放つ為に命を賭けている。

 

 確固とした信念が、揺らぐのを感じる。

 

 こうまでして信念を貫こうとする彼等を撃つ事が、本当に正しいのだろうか?

 

 その時、ナーリスの脇に立っていたレンがスッと前に出て兵士の前に立った。

 

 次の瞬間、華奢な腕が振り上げられ、兵士の頬を殴り飛ばした。

 

 その姿にナーリスも、そしてユウトですら目を剥いた。

 

 レンは、その少女のような顔を悪鬼のように引き攣らせ、倒れた兵士を見下ろしている。

 

「理想? 信念? 笑わせる。結局あなた達は、そうやって自己満足と自己犠牲の陶酔に浸って愉悦を感じたいだけなんだ」

「ち、ちがっ」

 

 兵士が口を開くまえに、その腹に蹴りを加えて黙らせるレン。

 

「違うって言うなら何であなた達は、誰もこの大陸以外の人間の事に目を向けないんです? この世界や周辺の世界には、この大陸に住む人間の数百倍に相当する人達が住んでいます。その数百倍の人達を犠牲にしてまで貫きたいほど、あなた達と信念とやらは高尚なわけですね」

「そ、それは、俺達の苦しみを考えれば、」

 

 言い終える前に、もう一発蹴りが入る。

 

「自分が被害者であるのを良い事に、無関係の人間を妬もうって訳ですか。大した信念だ」

 

 手を一振りすると同時に握られる刀を、兵士の喉下に突き付ける。

 

「この際だからはっきり言っておきます。僕はあなた方のように、被害者のフリをしたタカリ屋が嫌いです。そう言う人間に限って、事実に目を背けて、信念だの理想だのと言った言葉で誤魔化そうとする。今回は止められてるけど、本来ならあなたのような人は塵も残さず消し去りたいくらいです」

 

 告げるレンの瞳に殺気が篭る。

 

 そのまま刃を突き入れるかと思われた。が、

 

「それくらいにしておけ」

 

 その肩に手を置いて、ユウトが制した。

 

「ユウトさん・・・」

「俺達と彼等じゃ、目指す物が全然違う。一方がもう一方に価値観を押し付ける事ってのは、結構不毛だと思うぞ」

「そうですね」

 

 刀を納める。

 

 人の想いは千差万別存在する。ここでそれを議論する事は不可能だろう。

 

「・・・・・・行きましょう。もう、時間も無い」

 

 レンの静かな言葉に頷く2人。

 

 今は言葉で語るべき時ではない。カイネルの計画を止め、この世界を救う。議論の場を設けるのはそれからでも遅くは無い。

 

 3人が城門に向かおうとした。

 

 その時、

 

《簡単な事だ。一方がもう一方の価値観を完膚なきまでに粉砕すれば、残った方が侵される事無い絶対の真理となる》

 

 戦場を切り裂くような声。

 

 3人に緊張が走る。

 

 次の瞬間、

 

 足元の地面が揺れる。

 

「これは!?」

 

 増大するオーラフォトンが、戦場を満たしていく。

 

 だが、敵の姿が見当たらない。

 

 地鳴りは更に大きくなっていく。

 

 警戒を強めた。

 

 次の瞬間、大地が割れて足元から巨大な何かが突き出す。

 

 同時に現れる、巨大な影。

 

「これは!?」

 

 とっさにナーリスを抱えて跳ぶレン。続いてユウトも割れる地面から逃れる。

 

 着地する2人。

 

 見上げる視線の先。

 

「これは、一体・・・・・・」

 

 絶句する。

 

 そこには、全身が岩で出来た巨人が立っていた。

 

 大きい。全高は30メートル近くありそうだ。

 

《驚いたか?》

 

 嘲りを込めたその言葉には、聞き覚えがあった。

 

「《千里》のジュリアか!?」

 

 かつて目の前でアセリアを攫って行った憎き相手を前にして、ユウトは血液の温度が急激に上昇するのを感じた。

 

 だが、その肝心のジュリアは姿を見せていない。

 

 いるのは大地を割って現れた巨人だけである。

 

 その巨人は遥かな高みから、足元に立つ3人を見下ろしている。

 

 その表面は、いかにも土くれから出来た事を現すように岩肌を覗かせており、瞳は血を満たしたように赤い。

 

 凶悪さをむき出しにしたその巨人を前に、レンやユウトでさえも思わず息を飲む。

 

《驚いたようだな》

 

 そこへ再び響く、ジュリアの声。

 

 その声は空気の振動ではなく、オーラフォトンを使って頭の中に直接響いてくる。

 

《これがシルバリア・マリオネットの本来の使い方でもある。広範囲に散らせば数1000人からの人形を同時に操る事が出来、収束すればあらゆる物を持ち上げる事が出来る》

 

 声が拡散していて、どこからしゃべっているのか判別する事は出来ない。

 

 レンとユウトは瞳を閉じ、オーラフォトンの流れを探っている。

 

 だが、それを見越していたジュリアは、先手を打って行動を開始した。

 

《行くぞ。我が力の前に、ひれ伏せ》

 

 告げられる言葉とともに、巨人が腕を振り上げる。

 

「クッ!?」

 

 とっさにユウトが右に、レンがナーリスを抱えて左に走る。

 

 そこへ振り下ろされる腕が、強烈な震動を雪原に叩き付ける。

 

「クッ!?」

 

 波打つ大地。割れる地面。

 

 ユウトはとっさに跳躍し震動から逃れると、手を突き出す。

 

「応戦だ!!」

 

 その手に光が宿る。

 

 ほぼ同時に、ナーリスの腕から炎が発生し、レンは弓を構えた。

 

「オーラフォトン・ビーム!!」

「ハァッ!!」

「喰らえ!!」

 

 放たれる3種の力。

 

 その3種は、まっすぐに巨人へ向かう。

 

《フンッ》

 

 対してジュリアはあくまで余裕のまま、そのまま直撃するに任せる。

 

 閃光、炎、矢。

 

 それらは狙い違わず巨人を直撃する。当然だ、この図体である。外す方が難しいだろう。

 

 しかし、

 

《無駄だ》

 

 矢、閃光、炎は、巨人の体表に当たった瞬間にかき消される。

 

「えっ!?」

「そんな!?」

 

 巨人には傷どころか、痕跡すら残っていない。

 

 その巨木の如き豪腕が、風を巻いて振るわれる。狙われたのは、レンだった。

 

 巨大な拳が、目前まで迫ってくる。

 

「ッ!?」

 

 とっさに身を翻すレン。

 

 だが、その巨体に似合わず巨人は動きが素早い。

 

 その豪風のみで、レンを吹き飛ばしかねない勢いを備えて向かってくる。

 

「ハッ!!」

 

 とっさに飛び上がるレン。

 

 そのまま三矢、連続して放つ。

 

 矢は高速で突き抜け、巨人の胸に突き刺さる。

 

 しかし結果はやはり同じ。けんもほろろに弾き飛ばされた。

 

《そら!!》

 

 その瞬間を見逃さず、反撃に出るジュリア。

 

 豪腕は、空中で動きを止めたレンめがけてまっしぐらに向かってくる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに障壁を張り、防ごうとするレン。

 

 しかし、その大質量を伴った一撃を前に、急造の障壁など何の意味も成さない。

 

 一瞬で砕け散り、拳はレンを直撃する。

 

「レン!!」

「レン君!?」

 

 ユウトとナーリスが見ている前で、レンは視界の彼方まで弾き飛ばされていった。

 

《さて、次はどいつだ?》

 

 嘲りを込めたジュリアの声。

 

 ユウトとナーリスは剣を構え直し、巨人と対峙する。

 

「ナーリス。あいつの相手は俺がやる」

「俺がって、ユウトさん1人で!?」

 

 ユウトが強いのは知っているが、それはかなり無謀に見えた。

 

 しかしユウトは、考えを曲げずに続ける。

 

「お前はその間にジュリアの本体を探してくれ」

 

 ジュリアの能力は、糸を使った遠隔攻撃。先程の彼女の説明が真実なら、この木偶の坊も操り人形という事になる。ならばジュリア本人は、必ずどこか別の場所にいるはずだ。

 

「俺がこいつを抑えている隙に、お前がジュリアを探す。見付けたら何か合図をくれ。そこで俺が行ってとどめを刺す」

 

 そう言いながら、《聖賢》の刀身にオーラフォトンが纏われていく。

 

 眩い光に満たされ、輪郭さえぼやけた剣を構えるユウト。

 

「頼むぞ。それから、相手もエターナルだ。絶対に深追いとかするなよ」

 

 そう言うと同時に、ユウトは跳躍し巨人に斬り掛かる。

 

 掲げる刀身から放たれる光が、宵の闇を吹き散らす。

 

《フンッ!!》

 

 その姿に鼻を鳴らし、ジュリアは巨人をユウトに向かわせる。

 

 唸る拳。

 

 ユウトはとっさに空中を蹴り、巨人の拳を回避する。

 

 そして腕部に着地すると、そこを起点に一気に駆け上がっていく。

 

 流石の巨人も、ほとんど密着状態となっては対処のしようがない。

 

「喰らえ!!」

 

 振りかざされる刃は、叩き付ける様に巨人に振り下ろされる。

 

 しかし、

 

《無駄だ》

 

 振り下ろされた刃は体表を切り裂くには至らず、放出される光も空しく霧散した。

 

《こいつの防御力は私と同じ。つまり、エターナル級の能力を持っているのだよ》

 

 ジュリアの言葉とともに、巨人はユウトに掴み掛かってくる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに飛び上がるユウト。

 

 同時に、手にしたオーラフォトンを閃光にして、巨人の顔目掛けて放つ。

 

 しかし、やはり結果は同じ。光は巨人を傷付けるには至らない。

 

「ユウトさん!!」

 

 その様子を見ていたナーリスが叫ぶが、ユウトは振り返らずに対決の姿勢を崩さない。

 

「構うな。お前は早く行くんだ!!」

 

 巨人の攻撃を捌きながら叫ぶユウト。

 

 その様子に唇を噛みながらも、ナーリスに今できる事は何も無い。

 

 悔しさに唇を噛みながら、踵を返して走り出した。

 

 ジュリアの能力は、遥か彼方からでも物を操る事が出来る。しかしあれ程の質量となるとそうは行かない。必ず、近くにいて操作しているはずだ。

 

 それを求めて、ナーリスは走った。

 

 その間にも、ユウトは巨人に果敢に挑んでいく。

 

 その振りかざされる拳を、巨大な足による蹴りをいなしながら、隙を伺っていく。

 

 その頭の中では、既にプランが纏まりつつあった。

 

 相手の防御力が固いのなら、それ以上の力で吹き飛ばせば良い。

 

 その刀身に光を抱き、飛び上がる。

 

「コネクティドウィル!!」

 

 振り下ろされる剣が、圧倒的な力を解放する。

 

 かつてタキオスにすらとどめを刺した剣を叩き付けられ、さしもの巨人もその構造を維持できずに崩壊し、その腕が人間で言う所の肩甲骨の辺りで裂けて大地に轟音を上げて落ちる。

 

《ほう、やるではないか》

 

 崩壊していく巨人の前に立つユウトを見て、ジュリアは感心したように呟く。

 

 自分の手駒が破壊されたというにも関わらず落ち着いたその声音には、ユウトも訝るように眉を顰める。

 

《それで、それからどうするのだ?》

 

 落ち着き過ぎる言葉。

 

 次の瞬間、崩れた巨人の部位がまるで巻き戻し画像を見るかのように土砂が重力に逆らって巻き上げられ、再び腕を形成していく。

 

 その様子を見ながら、ユウトは舌打ちを隠せない。

 

 所詮は木偶人形。どれ程強大な力を叩き付けたところで、いくらでも再生は可能と言う事か。

 

 再び腕を振り上げて襲い来る巨人を前に、ユウトはただ回避に専念する以外できないでいる。

 

 振る拳をよけながら走るユウト。

 

 とにかく攻撃が通じないのだから、今は逃げるしかない。

 

 徐々に押され始め、ユウトは後退を余儀なくされる。

 

 その時だった。

 

 背後で、多数の人間がうごめく気配を感じ振り返る。

 

 そこには、先程レンの狙撃によって行動不能にされた無数の兵士達が、逃げる事もできずに蹲っていた。

 

「ッ!?」

 

 彼等は皆、一様に迫り来る巨人におののいている。

 

 舌打ちすると同時に、ユウトは障壁を張り巡らせる。

 

 そこへ振り下ろされる拳。

 

 オーラフォトン全開で迎え撃つユウトの障壁は、大質量の攻撃に辛うじて耐え抜く。

 

 そこへ何度も振り下ろされる拳。

 

 徐々にユウトの顔が、苦痛に歪んでいく。

 

 その姿を唖然としながら見詰める兵士達。

 

「あ、あんた、何で?」

「良いから、動ける奴は仲間を連れて早く下がれ!!」

 

 いかにユウトと言えど、そうそう長時間は持ちそうにない。

 

 それでもなお、歯を食いしばって打撃に耐えるユウト。

 

 その様子を見て、兵士達の間には動揺が広がる。

 

 なぜ、彼が自分達を助けてくれるのか? 敵である彼がなぜ?

 

 彼等は知らなかった。今でこそエターナルという超常の中に身を置くユウトが、かつては何の力も無い、ただただ平凡な少年に過ぎなかった事を。

 

 だからこそユウトは、力無い人間が無闇に死ぬ様を嫌うのだった。

 

 その事は「人間」として見た場合、限りない美点に繋がる事だろう。

 

 しかし戦士としてそれは、致命的な欠点にさえなりかねない部分でもあった。

 

 彼方でそれを見ていたジュリアが、密かにほくそ笑む。

 

《成る程、ならばこういう趣向はどうだ?》

 

 暗闇の中で、銀糸が僅かに奔る。

 

 異変は、すぐに現れた。

 

 ユウトのすぐ後ろで倒れていた兵士が、何の前触れも無く突然起き上がる。その手に剣を持って。

 

 振りかざされる銀光にユウトが気づいた瞬間には、刃は肩口を掠めていた。

 

「グッ!?」

 

 無防備に斬られた肩から鮮血が迸り、金色の塵へと変わっていく。

 

 一体何が起きたのか? 振り返った先に見えたのは、怯えた顔をした兵士の姿だった。

 

「ち、違う」

 

 その口からは、震える声音が大気に吐かれる。

 

「俺じゃない。俺は何もしていない・・・・・・」

 

 行動と言動が一致しない。そうしている間にも、兵士は第二撃を加えるべく剣を振りかざす。

 

 舌打ちすると同時にユウトは、《聖賢》を振るってその攻撃を弾いた。

 

 だが、攻撃はそこでは終わらない。

 

 見れば視界に収まる限り、無数の兵士達が手に武器を持ってユウトに向かってくる。

 

《驚いたか?》

 

 そこへジュリアの嘲弄が響く。

 

《お前達は奴等の身動きを封じる事で勝った心算になっていたようだが、我が能力を持ってすれば四肢が胴体に付いていさえすれば、たとえそれが死体であったとしても操る事ができる。もし完全に動きを止めたいのだったら、死体にして完全にバラバラにすべきであったな》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 勿論、そんな事は死んでもできない。

 

 だが今、ジュリアに操られた兵士達がゆっくりとした足取りで、こちらに向かってくる。

 

 その先頭集団が、一斉にユウトに襲い掛かった。

 

「クッ!!」

 

 とっさにユウトは、障壁をもう一枚張り巡らせて兵士達の侵入を阻もうとする。

 

 見えざる壁に阻まれる兵士達。いかにジュリアが操ろうと、人間の攻撃ではユウトの障壁を破る事ができない。

 

 だがそれは、同時にパワー配分を分割する事を意味する。1割る2の厳格な計算の元、障壁の硬度は確実に低下する。

 

 そしてそれは、微妙な均衡を保っていた巨人とのパワーバランスを崩すのに充分であった。

 

 異音と共に消滅を余儀なくされる障壁を前に、ユウトは唇を噛む。

 

 その目前で、巨人は凶悪な瞳を唸らせた。

 

 

 

 

 

 真っ暗な闇の中を、ゆっくりと降りていく。

 

 どこまでも続くのではないかと思われる闇の中、

 

 やがて1つの扉が現れる。

 

 巨大な扉。

 

 あまりに巨大である為、上を見通す事ができない。

 

 その扉に掛かる閂に手を掛ける。

 

「開錠」

 

 ただ一言、短く紡がれる言葉。

 

 次の瞬間、広がる光。

 

 少年はそれをまっすぐに見詰め、身動ぎひとつしなかった。

 

 

 

 

 

 振り上げられる拳。

 

 同時に、背後の兵士達も斬りかかって来る。その顔はどれも苦悩に満ち、彼等の大半が望まぬ戦いを強いられているのがわかる。

 

 対してユウトは、何もできずにただ立ち尽くす。

 

 迫る拳と、無数の剣。

 

『アセリア!?』

 

 その脳裏に浮かぶのは、今も自分の帰りを待っているであろう少女の姿。

 

 笑顔で振り返るその腕には、まだ見ぬ我が子が抱かれている。

 

 今ここで自分が倒れれば、彼女達は一体どうなるのか?

 

「クッ!?」

 

 消せぬ闘争心が、ユウトに再び剣を取らせる。

 

 その瞬間だった。

 

 空間一杯に、オーラフォトンが満たされる。

 

 視界一杯に銀色が弾け、それらは兵士達を、そして巨人をも拘束していく。

 

「これは!?」

 

 目をこらせば見える、無数に広がる銀の糸。

 

 それは間違い無く、ジュリアの《千里》である。

 

 しかしなぜ、彼女の神剣が彼女自身の攻撃を阻害しているのか?

 

《ば、馬鹿な!? これは一体!?》

 

 ジュリア自身も驚愕した声を発している。あまりに想定外の事態に、次の対応を取る事すら忘れている節がある。

 

 その時だった。

 

「ユウトさん!」

 

 傍らに降り立つ声。

 

 それは、先程吹き飛ばされたはずのレンだった。

 

「急いでください。この質と量を相手に、拘束しておけるのはせいぜい数分程度です」

 

 その言葉から、ユウトはこれがレンの手による物だと察する。

 

 確かにレンは様々な武器を複製できる。しかしそれが、他人の永遠神剣まで複製できるとは、驚愕に値する。果たして、本当にそんな事が可能なのだろうか?

 

 だが、考えている時間は無い。ここが千載一遇のチャンスである。

 

 ユウトはありったけのオーラフォトンを、刀身に注ぎ始めた。

 

 一方で当のジュリアは混乱の極みにあった。

 

 少女の姿をしたエターナルはその顔を歪め、必死に事態の収束に勤めようとする。

 

 当然の事ながら彼女の《千里》は彼女自身の管理下にあり、その全ての動きをジュリアは把握している。

 

 にも拘らず今、《千里》は彼女の思惑と異にして動いている。

 

 兵士達を操っていた糸には別の糸が絡み付いて動きを阻害し、巨人にも糸が絡み付いて拘束されている。

 

「馬鹿な・・・馬鹿な・・・馬鹿な!?」

 

 熱にうなされたように、言葉が断続的に紡がれる。

 

 その視界の彼方で、ユウトが放つオーラフォトンが膨れ上がるのを感じる。

 

「クッ、させるものか!!」

 

 すぐに、予備戦力として残してある別の糸を呼び寄せようとした。

 

 その時、

 

 出し抜けにジュリアの傍らで、炎が弾けた。

 

「見付けたわよ!!」

 

 闇に潜むジュリアの存在を感知し、ナーリスは炎を飛ばす。

 

 自分の力ではエターナルに傷ひとつ付けられない事は判っている。だからこそ、今のは攻撃ではなく合図。彼方にいる2人の味方にジュリアの位置を教える為の大掛かりな花火だった。

 

 ジュリアは、城の尖塔の上に立っていた。恐らくそこから戦況を見渡し、巨人や兵士達を操っていたのだろう。

 

 しかし、

 

「お人形ごっこはこれで終わりよ!!」

 

 その声に応えるように、ユウトのオーラフォトンが増大して行くのが判った。

 

 

 

 

 

 かつて、高嶺悠人と言う、ごく普通の少年がいた。

 

 能力は平凡か、それを若干下回る程度。境遇にこそやや特異性が認められるものの、それでも、そこらにいる友人達と何ら変わらない性格の持ち主であった。

 

 彼の人生が激変したのは、彼が17歳の時であった。

 

 第四位の永遠神剣に魅入られた悠人少年は、否応無く戦いの道へと引き摺り込まれていくことになる。

 

 以来数周期。エターナルとして幾多の戦いを経験したかつての悠人少年は、名実共に戦士として立派な成長を遂げていた。

 

 弾けるオーラフォトンが、周囲を満たす。

 

 光が暴風となり、荒れ狂っている。

 

 その中心にあるユウトは、ただ一点を見据えて《聖賢》を構える。

 

 相手はどれだけ攻撃しても、一瞬で再生してしまう。

 

 ならば、一撃で再生も出来ないほど粉々にするまでである。

 

「ウオォォォォォォォォォォォォ!!」

 

 振り翳される剣。

 

 無数の糸によって拘束された巨人は、身動きすら出来ない。

 

 光の剣が、振り下ろされる。

 

「インフィニティ・レヴォリューション!!」

 

 高圧縮された光が奔流となって迸る。

 

 あらゆる物を破壊し尽くす力は、圧倒的な力でもって巨人を飲み込む。

 

 巨人にも、そしてそれを操るジュリアにも、出来る事は何も無かった。

 

 光に飲まれた巨人は、成す術も無く崩壊していく。

 

 大質量のオーラフォトンを高圧縮する事で刃に変え、斬撃と共に撃ち出す。その光の中ではあらゆる物が死に至る、破滅を呼ぶ閃光である。事実上、斬れない物は存在しない。

 

 やがて巨人は徐々に消滅し、光が晴れた時、その場には何物も存在し得はしなかった。

 

 同時に兵士達を縛る糸も切れたらしく、皆一様に呆然としている。

 

 その様子を見て、ジュリアは歯噛みする。

 

 万全に近い策を弄したはずだというのに、気が付けば惨めな敗残者に自分がなり掛けている。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちすると同時に踵を返す。

 

 これ以上ここに留まり、エターナル2人を相手にするのは得策ではない。ここは一旦後退して、体勢を立て直そう。

 

 そう考えた時だった。

 

「あれだけやっといて、逃げる心算ですか?」

 

 涼やかな声。

 

 顔を上げる先、まるで宙を歩くような軽やかさでこちらに向かってくる人影がある事に気付いた。

 

「お、お前は!?」

 

 それは前にも戦った事があるエターナルの女だった。あの時にしろ今回にしろ、たいした相手ではないと高を括っていたのだが、

 

「ま、まさか、今回の事態は、全てお前がやったと言うのか?」

「だとしたら、何です?」

 

 他人の永遠神剣を複製し、あまつさえ「本物」と同等の力を発揮させる力など、聞いた事も無い。

 

 もっとも、当のレンは平然と空中に足を付き、冷ややかな瞳でジュリアを見据えているが。

 

 その表情を見た瞬間、ジュリアに怯えが走る。

 

「お前は・・・お前は一体何なのだ!?」

 

 恐慌が足元を徐々に浸していくのが判った。

 

 逃げようと心では思うのだが、体が言う事を聞かない。

 

「僕が何者かなんてどうでも良い事ですよ・・・これから消える人にはね」

 

 冷たく告げられる言葉。

 

 同時に「それ」が始まる。

 

 レンの背中に宿った白い光。

 

 それは徐々に広がり、空中に花開く。

 

 一種荘厳とも言える光景は、同時に宇宙創成にも匹敵し得る力を伴ってこの世界へ顕現する。

 

 一瞬の間を置いて、一気に広がる。

 

 立ち尽くすジュリアの間合いに、一瞬で接近するレン。

 

 その手には長柄の先に曲刀を誂えた武器、いわゆる薙刀を持っていた。

 

 容赦なく下される一閃。

 

 次の瞬間、ジュリアの首は音も無く宙を舞った。

 

 彼女がこの世界で最後に目にした物は、12枚に及ぶ純白の翼を背に宿し、神々しさと禍々しさを同時に湛えた堕天使の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「始まったか」

 

 窓の外を眺めやりながら、アセリアはポツリと呟いた。

 

 震えるマナの伝導が、遠く戦場の彼方にある彼女にまで開戦のベルを伝えて来た。

 

「何が?」

 

 ベッドの傍らに立っていたロミナが、不思議そうな目を向けてくる。

 

 しかしアセリアは一瞬ためらった後、何でも無いと首を横に振った。

 

 戦いが始まった事を告げれば、きっとこの娘は不安にかられる事だろう。どうせ話すのなら、全てが終わって皆が帰って来てからでも遅くは無いだろう。

 

 かく言うアセリア自身、その身に不安の種が息付いている。自分が付いていけたらどれだけ安心だっただろうと、何度も考えた。

 

 作戦会議の場では、戦えなくても魔法を使って支援くらいはと提案して見たが、予想通りと言うか何と言うか、満場一致で却下された。

 

 もう一度、窓の外に目をやった。

 

『ユウト・・・みんな・・・・・・』

 

 無事で帰ってくるように。

 

 そう祈った時だった。

 

 僅かな蟠りが、腹部に走るのを感じた。

 

 それは、徐々に、しかし急速に広がっていく。

 

「ウッ・・・クッ・・・・・・」

 

 痛みが広がり、堪えきれずアセリアは腹を押さえる。

 

「お姉ちゃん!? お姉ちゃんどうしたの!?」

 

 異変を感じ取ったロミナが慌てて駆け寄るが、それに答える余裕すら今のアセリアには無い。

 

 尋常な事態ではない事を悟ったロミナは、階下にいる母とフェルゼンを呼ぶべく部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

第15話「Wing Of Evil Deity」     終わり