不愉快な任務は続いていた。
焚かれた火をただジッと眺めながら、何も考えずに座り込む。
一体いつまで、こんな事を続ければ良いのだろう?
その疑問に応えてくれる者は、誰も居ない。
あの頃が懐かしい。
いっそ、普通に戦っていた方が楽だった。
だが、もうすぐこの任務も終わる予感がしていた。
ある噂を耳にしたのだ。
それは、民を扇動する存在が居るという話。
革命思想家を名乗るその存在は、様々な世界を渡り歩いては、多くの勢力を扇動して歩いているとか。
許せない。
何の目的か知らないが、ようやく手に入れた平和を、なぜまた乱そうとするのか。
絶対に止めなくてはならない。自分の神剣に掛けてでも。
Wing Of Evil Deity
第12話「反旗は風を受けて翻る」
1
静寂が・・・・・・室内を包んだ。
アセリアは目を見開いたまま、ただ一点を見詰めている。
自分の胸、スレスレに突き付けられた槍を。
「・・・・・・なぜ、止めた?」
刃の主である女性は額に盛大な脂汗を掻きながら、その全力を持って、己が繰り出した刃を止めていた。
その手は小刻みに震え、今もレイチェルの中では葛藤が鬩ぎ合っているのが判る。
感情が暴発する直前に理性が追いついた。そんな感じである。
訳が判らなかった。なぜ、殺そうと思ったのかも、そしてなぜ、止めたのかも。
だが、次に自分自身が取る行動、それは自覚する事ができた。
「・・・・・・逃げるわよ。起きれる?」
《寂寥》を収めると、アセリアの背に手を差し込んで身を起こさせる。
僅かに体力が回復した体は、支えがあればどうにか立ち上がれる程度にはなっていた。
少女の身でエターナルとなったアセリアの体は、レイチェルよりも頭ひとつ頭身が低い。その為、レイチェルが抱えるような格好となる。
「なぜ?」
「そんな事、聞かないでよ。私だって判らないんだから」
捕虜となった敵エターナルを逃がそうとしている。
本当に、自分はなぜこんな事をしているのか。そんな事も判らないまま、レイチェルは扉を開ける。
念の為周囲を伺う。
どうやら兵士達は皆外に向かったらしく、周囲に人影は無い。今がチャンスだった。
「行くわよ」
そう言うと、アセリアを支えて歩き出す。
仲間はユウト達と交戦中、脱出するなら今しかチャンスは無い。
足音を殺しながら、廊下を慎重に歩いていく。
先行偵察要員として鍛え上げられた穏形が、この時ほど頼もしく思った事は無かった。
そして、廊下の角を曲がった時、
「どこへ行く気だ?」
見上げるような巨体が、行く手を阻むように立ちはだかった。
緋色の焔と蒼雷が激しくぶつかり合う。
互いの剣は供にプラスのオーラフォトンを宿し、雪原の夜空を赤く染め上げる。
ナーリスとカイネルのぶつかりにより、足元の雪が融解して行く。
「剣を収めてよ、カイネル。邪神の復活なんてどっかの黒魔術じみた事、アンタには似合わないわよ」
「似合う似合わないの問題ではない。これは誰かがやらねばならない事。そうでなければ、私達のみならず、その子々孫々に至るまで永劫の闇の中をさ迷い歩く事になる」
雷の出力が増し、徐々に押され始めるナーリス。
「そのような事、断じて許されないのだ!!」
振り抜かれる刃。
ナーリスの体は空中高く弾き飛ばされる。
「クッ!?」
とっさに空中で体勢を立て直すナーリス。
しかしそこへでカイネルが斬り込んでくる。
光の属性を持つ稲妻は文字通り光速で駆け抜ける。その稲妻を身に纏う事によって、カイネル自身も光速に近い速度で移動する事ができるのである。
「クッ!?」
とっさに払い除けるのが精一杯。次の動作まで手が回らない。
「貰ったぞ!!」
その隙を突き、剣を繰り出すカイネル。
だが、次の瞬間、
カイネルの聴覚が、風を切って接近する物の存在を感知する。
「クッ!?」
飛んできた矢を、とっさに《迅雷》で払い除けるカイネル。
見るとジュリアと交戦中のレンが、その片手間でナーリスの援護も行っていた。
既にジュリアの攻撃を受けているレンは、ナーリスには視線を向けず、自分の戦いに集中している。
そんなレンに感謝しつつ、体勢を立て直すナーリス。
炎を纏った緋色の刃が唸り、稲妻を蹴散らし斬り込む。
「これで!!」
振るわれる炎の剣。
真っ向からカイネルに向かう刃は、致死量の威力と炎を纏って迫る。
しかしカイネルは、眉1つ動かさずにナーリスの攻撃を払い除ける。
「無駄だよ」
静かに、
諭すような声がナーリスに告げられる。
崩れた体勢を元に戻しながら問い返すナーリス。その間にも再び炎を生み出し、カイネルに向かって放つ。
対してカイネルは、殆ど身動きしないまま炎を払い除けた。
「何が!?」
「君では・・・私には勝てない」
斬り込むカイネルの剣は速く迸り、ナーリスに反撃の隙を与えない。
徐々に押され始めるナーリス。
迸る放電が頬を焼き、僅かに顔をしかめる。
「君と私とでは、背負っている物が違う」
「だから、何が!?」
とっさに全力を込めて払い除ける。
その勢いを殺しながら退くカイネルは、数メートル後方に跳んで、危なげなく着地する。
「私はこの大陸にいる人間の全て、その命、魂、現在、過去、未来全てを背負って戦っている。君ごときに負ける訳にはいかない!!」
次の瞬間、一気に剣速を増すカイネルの《迅雷》。
ナーリスはとっさに防ごうとするが、そのスピードに追随する事ができずに肩を切り裂かれた。
「アァァァ!?」
「ナーリス!!」
2人の戦いを横目で見ていたレンが思わず声を上げる。
思わず、弓を放とうとしていた手を止めてしまう。
しかし、
「余所見をしている場合では無いぞ」
ジュリアの声が、一瞬耳を打つ。
とっさに照準を付け直そうとするが、既に遅い。
次の瞬間、レンの周囲をジュリアのオーラフォトンが包囲した。
「しまった!?」
脱出しようとするが、手遅れである。
「シルバリア・マリオネット!!」
弾ける銀糸が奔流となってレンへ迫る。
とっさに刀を取り出して払い除けようとするが、圧倒的な物量差を前にしてはその程度の防御は気休め程度の効果しか発揮し得ない。
糸はあっという間にレンの華奢な体を巻き上げ、縛り上げた。
「レン!!」
自身も糸による攻撃から逃れながらユウトが叫ぶが、すぐに助けには入れないほどユウトも無数の糸に包囲されている。
状況は悪化の一途を辿っている。ナーリスは大ダメージを負い、頼みのレンは捕縛されてしまった。
対して敵には今だ、ロクなダメージを与えられていない。
『どうする?』
ジワジワと迫る敗北の予感の中、ユウトは自身の中で焦燥が募り始めているのを感じていた。
2
タウラスはその豪腕に装着された手甲を掲げながら、立ち尽くす2人を睨みつけてくる。
「それで、どうする心算だ?」
低く唸るような声には、既に微量ながら殺気が込められている。返答次第では、たとえ仲間であってもその剛拳の餌食にする事を辞さない心算のようだ。
対してレイチェルは無言のまま、タウラスを睨み付ける。
正直、戦えば勝負にすらならない。タウラスの実力はレイチェルと隔絶している。唯一勝っているのはスピードくらいの物だが、それもアセリアを抱えた現状ではどこまでアドバンテージとなるか補償できない。いかにアセリアが小柄でも、動けない以上、それは荷物となる。
「まさか、とは思うが、裏切る心算では無いだろうな?」
「・・・・・・だったら、どうだって言うのよ?」
精一杯の虚勢。しかしそれでも、目の前の巌の如き男は微動だにしない。
「馬鹿な考えは止せ。テムオリン様やタキオス殿に逆らって、無事で済む訳がないだろう」
その名前が出た瞬間、僅かにレイチェルの肩が震えた。
テムオリンにタキオス。どちらもレイチェルにとっては雲の上にも等しい存在だ。そんな存在に逆らいでもしたら、生きて行くことすら難しい。たとえエターナルであっても死を覚悟しなければならないだろう。
そのような事態を想像すると、悪寒が増してくる。
それでもなけなしの勇気で虚勢を構築するレイチェル。
「知ってるでしょ、あたしがこう言う事嫌いなの。あんたのやり方には、もううんざりなのよ」
1番の物を除けば結局の所、それが最大の理由のような気がした。
これまでタウラス、ジュリアと3人でチームを組み任務に当って来た為、タウラスが策略家として最善の策を講じている事は理解しているし、敗北の許されぬ実戦の場にあって、形振りに構う方が狂っていると言う認識もある。
だがそれでも、戦場にあって一応の道理を通したいと思うのはレイチェルの甘さであり、確固たる信念だった。
そして今回に限って言えば、アセリアとそのお腹の中に居る子供の存在も大きい。
この娘と、その腹の中にいる子供。
何としても助けたかった。
かつて、それを経験している者としては。
「・・・・・・・・・・・・顕現せよ」
固い決意が形と成し、低い言葉と供に、空いた右手に握られる《寂寥》。
本来なら両手で扱うべき槍を、片手で構える。
だがそれは、紛れもない造反の意思に他ならなかった。
それに対するように、タウラスも腰を落として両腕を構える。
両腕の《逆鱗》は手甲状態のままだ。鎧状態にする必要性は無いのだろう。
「・・・・・・これが最後だレイチェル。この事は見なかった事にするから、その女を置いて任務に戻れ」
「断る」
即答した瞬間、衝撃が襲ってきた。
空間その物をオーラフォトンで歪曲した質量弾。
何度も間近で見てきたその攻撃だから、レイチェルには判る。あの攻撃には物理的な防御が一切通じない事を。
「ッ!?」
とっさに壁を蹴り攻撃を回避、そのままジャンプしてタウラスの背後に着地する。
このまま逃走。そう思った瞬間、
「逃がさん!!」
剛風を巻いた裏拳が、レイチェルに迫る。
とっさに障壁を張り、その攻撃を防ぐ。
しかし、レイチェルが形成できる柔な障壁では、タウラスの攻撃を防ぐ事はかなわない。
一瞬の内に障壁を破られ、拳が迫ってくる。
「クッ!?」
障壁が稼いでくれた僅かな隙に安全圏まで後退するレイチェル。とは言え、同時に体勢も崩れて動きが鈍る。
アセリアのお腹の事を考えれば、無闇に転ぶ事も許されない。
「ハッ!!」
《寂寥》の穂先が枝分かれしつつ、四方からタウラスに向かう。
しかしタウラスは、その刃を軽く蝿でも払うようにして突撃してくる。
「オォォォォォォォォォォォォ!!」
振り上げられる拳。
対してレイチェルは《寂寥》の柄で防ごうとする。
しかし、
「うあっ!?」
「ああっ!?」
防ぐ事には成功したものの、その衝撃までは殺せない。
レイチェルはアセリアを抱えたまま、廊下を大きく吹き飛ばされる。
「クッ!?」
とっさに《寂寥》を離すと、アセリアの頭を抱え込むようにして抱きしめる。
次の瞬間、レイチェルは背中から壁に叩き付けられた。
「くっ・・・たたた・・・・・・」
どうにか意識を保ちつつ、背中の激痛を堪える。
開かれた視線の先には、ゆっくりとした足取りで接近してくるタウラスの姿が見える。
だが、既にレイチェルに反撃の手段は無い。《寂寥》は数メートル離れた場所に転がっていて手が届かないし、拾いに行く時間をタウラスがくれるかどうか微妙な所だった。
『万事休す・・・か?』
額から一筋の汗が流れ落ちた。
その時、
「もう、良い」
腕の中のアセリアから、か細い声で告げられた。
ハッとして振り返るアセリアの瞳からは、意志の強い真っ直ぐな眼光が放たれている。
「私を置いて逃げろ。それなら、うん、お前だけは助かる」
「馬鹿言わないで。そんな事するくらいなら初めから裏切りなんてやらないわよ!!」
相手が半病人なのも構わず怒鳴りつけるレイチェル。
しかし、逡巡している暇は無い。
タウラスがこちらにとどめを刺すべく、床を踏み砕いて向かって来る。
「ッ!!」
反撃手段は無い。
しかしそれでも、迎え撃つ為に立ち上がろうとした。
その時、
「・・・・・・・・・・・・え?」
その衰弱しきった体の、どこにそんな力が残されていたのか?
アセリアはレイチェルの体を突き飛ばした。
そのまま床に倒れるレイチェル。
反対にアセリアは、タウラスの剛拳の前に無防備に立ち尽くしている。
大質量の攻撃が、致命的なレベルのスピードで迫ってくる。
駄目だ。もう、間に合わない。
「ダメェェェェェェェェェェェェ!!」
レイチェルの叫びが、空しく鳴り響いた。
光が、爆ぜた
次の瞬間、タウラスの巨体は何かに弾かれたように吹き飛ばされ、廊下の反対側まで押し戻された。
「え?」
突然の出来事に、思わずレイチェルは目を見張る。
弾き飛ばされたタキオスは壁をぶち破り、その瓦礫の下に埋もれていた。
一体、何があったのか?
視線を転じる。
そこでレイチェルは、息を呑んだ。
アセリアの体が、光り輝いている。
では、彼女が何かやったのか?
『ううん・・・違う・・・・・・』
これをやったのはアセリアじゃない。彼女が何かやったようには見えなかった。
となると、考えられる答えは1つしかない。
向けた視線は、服に隠れたアセリアのお腹を見る。
まだ兆候は見えないが、その中に宿った小さな命が密かに息づいている。
『・・・・・・母親を、守った?・・・・・・お腹の子が?』
俄かには信じられないが、それ以外に考えようが無かった。
呆然としたまま、立ち尽くすアセリアを見詰める。
そこには、言葉も無かった。
『何て・・・・・・強い子なの・・・・・・・・・・・・』
開いた口が塞がらなかった。だがひとつだけ、確実に言える事がある。
アセリアの腹の中に居る子供は間違いなくエターナル。それも、古今において最強の名を冠する可能性を秘めた存在に間違いない。何しろ胎児の状態で、第1級の実力を持つエターナルを吹き飛ばしたのだから。
呆けているのはそこまでだった。
レイチェルは素早く立ち上がり《寂寥》を拾い上げると、アセリアに駆け寄った。
「さ、今の内に逃げるわよ」
そう言うと、再びへたり込んだアセリアを抱き起こす。
さすがにダメージの大きいらしいタウラスは、すぐには動けずにいる。取り合えず、時間稼ぎ程度は期待できるだろう。
2人は頷き合うと、可能な限りの速さで走り出した。
さしものユウトも、限界が近付きつつある事を感じていた。
銀糸は切り払っても切り払っても、後から後から湧いて出てくる。
「・・・・・・・・・・・・」
「良くがんばるな。私の攻撃にここまで耐えられた奴は久しぶりに見たぞ」
今だに余裕を崩さないジュリアは、薄笑いを浮かべてユウトを見ている。こちらの限界が近い事は既に悟られているようだ。
『どうする・・・・・・』
ナーリスはカイネルと交戦中。そもそも、人間のナーリスでは、ジュリアへの対抗は難しい。そしてレンは捕らえられて身動きが取れないでいる。
「・・・・・・・・・・・・」
手詰まりになりつつある事を実感し、ユウトは唇を噛む。
せめてレンがフリーハンドだったなら逆転の目もあるのだが。
残る作戦は、ジュリアへの直接攻撃なのだが、それをするには、どうしても銀糸の包囲網を破らねばならない。
逡巡するユウト。
それを見てほくそ笑むジュリア。
「どうした、来ないのならこちらから行かせて貰うぞ」
再びざわめき立つ無数の糸。
それらが一斉にユウトに向かって来る。
「クッ!?」
とっさに地を駆け、糸の攻撃範囲から逃れようとするが、ジュリアはどこまでも追撃しユウトを追い詰めて行く。
わざわざ恐怖を煽るかのように、ユウトの周囲にある木々を薙ぎ払いながら迫ってくる。
「クッ、オーラフォトン・ビーム!!」
振り向き様に5連射、オーラフォトンの光線を放ち迎撃する。
光線が当った瞬間、糸の先頭集団が弾けて怯むが、次の瞬間にはその糸の影から別の集団が現れる。
キリが無かった。
その時、ユウトの逃げる方向を塞ぐように先回りした銀糸の一団が向かって来る。
「チッ!?」
舌打ちしつつ、自分を包囲する糸の大群を睨む。
最早、これまで。
そう思った瞬間、
光が、流星のようにユウトの周囲に降り注いだ。
「何ッ!?」
ユウトを囲むように降り注ぐ光は、着弾と同時に爆発エネルギーを開放、銀糸を蹴散らす。
呻くように足を止めるユウト。
光は尚も連続で降り注ぎ、ユウトを包囲していた糸を吹き飛ばしていく。
目を凝らすと、その正体が見えてくる。
それは、無数の槍。
天空から降り注ぐ槍が着弾する毎に爆風を散らし、糸を吹き飛ばしている。
「何ッ!?」
一瞬、ジュリアの顔が驚愕に歪む。
槍が飛来した方向に目を向ける。
そこには、自分の糸によって拘束されたエターナルが1人。
しかしその周囲には、無数の槍が出現して取り巻いていた。
「ストレイト・ランサー、展開完了」
空間に装填された無数の槍を構え、レンは低く呟いた。
究極的に言って、レンは自分の手足を動かさなくても戦う事ができる。それを読み違えた時点で、ジュリアのアドバンテージは失われていると言って良かった。
「射出!!」
無数の槍が、一斉に流星の如く流れ出す。
目標はジュリア本体。
「クッ!?」
降り注ぐ槍を回避、あるいは糸で弾くジュリア。
だが、その為に僅かに隙が生じる。
「今です、ユウトさん!!」
レンにとっては、この攻撃でジュリアに致命傷を負わせる必要はない。ようは、一瞬の隙さえ作り出せれば良いのだ。
レンの声と供に、地を駆けるユウト。
その手にした永遠神剣《聖賢》にオーラフォトンを込め、間合いを詰めに掛かる。
それに気付いたジュリアは、すぐに糸を展開しなおそうとするが、既に遅い。
ユウトは中天高く跳び上がり、月光を背に《聖賢》を振りかざす。
振り下ろす剣光の軌跡は、全ての人間の目を鋭く射る。
「コネクティドウィル!!」
其れはかつて、ひとつの戦争を終わりに導いた剣。
其れはかつて、黒き剣士にとどめを刺した剣。
大質量のオーラフォトンが迸り、あらゆる物を吹き飛ばす。
その先にいる、ジュリアに向けて。
「クッ!?」
とっさにジュリアは全ての糸を巻き戻し、防御に専念する。
凄まじいまでの光の突風。あらゆる物を薙ぎ払う死の閃光は、障壁を突き破ってジュリアへと迫る。
「クッ」
利在らずと感じたジュリアは、とっさに背後に門を開き、その中へと飛び込む。
後に残った空間を、衝撃波だけが駆け抜けていった。
「逃がしたか・・・・・・」
着地したユウトは、淡々とした口調で言った。
いつの間にかカイネルの姿も消え、周囲にはレンとナーリス以外には存在しなかった。
そこへ、2人が駆け寄ってきた。
「大丈夫かナーリス?」
「このくらいなら、何とか」
肩を斬られたナーリスは、今も傷口から血を流している。
「見せてみろ、回復してやる」
「すいません」
ユウトはナーリスの肩に手を当てながら、ゆっくり傷口にマナを流し込む。
そして視線はやや不満げに、レンに向けた。
「あのなあレン。ああいうのが出来るんだったら、もっと早くやってくれよ」
あの攻撃をもっと早くやってくれていたら、戦いはもう少し楽だったと思うのだが。
対してレンは、悪びれた様子も無く答える。
「すいません、あれは展開に時間が掛かるんです」
嘘は言っていない。
空間にアクセスし、大量のマナを支配下に置くと言う手順を踏まねばならない為、通常の武器を造り出すのとは訳が違う。消費するマナの量だけでも桁が違うのだ。
もっともそれは通常状態での話。奥の手を使えば一瞬なのだが、その事を今話す気は無かった。
「さて、」
ナーリスの治療を終えたユウトは、2人に向き直った。
「これからどうするか、ですね?」
3人とも消耗が激しいが、無理をすればもう1戦出来ない事もない。もっとも、敵に与えた損害が皆無に近い以上、ここでの攻勢は自殺行為に近いのでは無いだろうか。
そこまで考えた時、こちらに向かって近付いてくる気配があるのに気付き、3人は警戒態勢を取る。
やがて、月明かりに照らされて、その輪郭がハッキリしてくる。
「お前は!?」
その人影を見て、ユウトは呻く。
《寂寥》のレイチェル。
何度も剣を交えた槍使いの女と、こんなにも早く対峙する事になるとは思わなかった。
この場で連戦になるのか? そう考えた瞬間、ユウトの目はレイチェルが抱えている存在に気付き、そして今度こそ絶句した。
「ア・・・アセリア!?」
最愛の少女は、ユウトに向かって微笑みを向けていた。
3
いささかならず拍子抜けな感は否みようも無いが、
取り合えず目的の半分は達したと言う事で、レン達は衰弱したアセリアを護りつつ雪割亭まで撤退した。
そして今は、ユウト達の部屋に一同は集まっていた。
「こ・・・子供?」
驚愕に満ちた表情のまま、まずは発言者のレイチェル、そして当の本人であるアセリアへとユウトの視線は移動して行く。
アセリアの表情は嬉しさに溢れ、上気してピンク色に染まった頬をユウトに向けている。
「ユウト、赤ちゃんができた。わたしと、ユウトの赤ちゃん・・・」
その後、ユウトは言葉が続かなかった。
何度か口を開いたり閉じたりしているあたり、どれだけ困惑しているかが伺える。
それはそうだろう。普通の人間の男ですら、子供が出来たと知らされれば驚天動地である。ましてかそれが、著しく生殖能力に劣るエターナルの身の上での話である。驚くなと言うほうが無理な話であった。
あのファンタズマゴリアの戦いから連れ添って数周期。
正直な話、ユウトもアセリアも子供の事はとうに諦めていた。
その上でのこの朗報である。
「アセリア・・・」
ユウトはベッドの上に横たわるアセリアの手を取り、微笑みかける。
この世で最も愛おしい存在。
ユウトにとって唯一無二の価値を持つ少女が今、2人の愛の結晶とも言うべき存在をその身に宿していた。
だが、話は美談のみで語られる訳ではなかった。
「問題が無いわけじゃないわ」
鋭い声で発言したのは、今回の最功労者とも言うべきレイチェルだった。ロウ・エターナルを裏切った彼女もまた、レン達と一緒にこの宿へ逃げてきていた。
「まず、エターナルが出産するなんて事は今まで聞いた事が無いから、正直どんな問題を抱えているか判らないわ」
確かに。普通の人間が出産するようにはいかないだろう。
それでなくても出産とは、女性が命を賭けてするものである。どんな危険が潜んでいるか、予測も出来なかった。
「第二に、彼女の異常な衰弱。普通、人間の出産する場合でも、母体はそれなりに体力が必要よ。それなのに彼女は、子供がお腹の中に居ると言う段階でこんなにも衰弱してしまっている。これじゃあ、いざ出産の段階になった時、最悪の事態が起こる可能性もあるわ」
レイチェルの警告に、一同は黙り込む。
探せばこの街にも、人間の医者はいる。
しかしその医者の常識が、必ずしもエターナルに適応するとは限らない。
医者。ともかく医者が必要だ。それも普通の医者ではなく、エターナルを診る事が出来る医者が。
「そんなの、居る訳ないですよ」
レンの絶望的な言葉が、全てを如実に物語る。
一口でエターナルといっても、その総数を把握している者は存在しない。その為もしかすると、探せばエターナルの医者が存在するかもしれない。そうでなくても、エターナルの治療を行った事がある医者がいるかもしれない。
しかし現実的に考えて、それらを探している時間は無かった。
「レンも、心当たりは無いか?」
「ええ、すいませんが・・・・・・」
正確に言えば心当たりならいくらかある。かつて自分が所属していた組織には、そう言う存在が何人かいたのは確かだ。だが彼等が今どこで何をしているのか、そもそも生きているのかすら判らなかった。
と、その時、成り行きを見ていたレイチェルがスッと立ち上がった。
「任せておいて」
「え?」
一同の視線を受けながら、レイチェルは緋色のコートの裾を翻す。
「あたしに一つ、心当たりがある。もっとも偏屈な奴だから、多少の交渉が必要だろうけど」
それだけ言うと、レイチェルはドアを開けて出て行く。
その後を慌てて追うユウト。
「待ってくれ!!」
廊下ですぐに追いつき、呼び止める。
「レイチェル。お前が心当たりがあるのは嬉しいけど、その前に聞かせてくれ」
「・・・・・・・・・・・・」
質問の内容は語らずとも察していたので、無言のまま振り返る。
「何でそこまでしてくれるんだ? ロウ・エターナルのお前が、敵である俺達に」
予想通りの質問。
レイチェルは苦笑気味に口を開く。
そう、それは、遥か昔に捨て去った記憶。
今尚自身を苛む、罪の証。
「私も、同じだったから」
「同じって・・・・・・」
答えの意味が判らず問い返すユウトに、寂寥感の篭った瞳を向けた。
「まだ人間だった頃、私も子供を身篭った事があったの。でも、産んであげれなかった」
だから、
「あの娘には、ちゃんと元気な子を産んで欲しい。それが理由、かな?」
レイチェルは踵を返した。
「とにかく、医者の件は任せて。悪いようにはしないわ」
そう言って、宿を出て行った。
第12話「反旗は風を受けて翻る」 おわり