ある、晴れた昼下がり。

 

「よう」

 

 いきなり頭を叩かれ振り返ると、そこにはいつもの見知った顔があった。

 

 思わず、盛大に溜息を吐いてしまった。

 

「な、何だその顔は?」

「別に・・・・・・」

 

 まったく、こっちはやりなれない仕事を押し付けられて気が滅入っているというのに。

 

 そんな事は構わず、男は少年に並んで歩き出す。

 

「近衛騎士団長だってな。大抜擢じゃないか」

「そう言うそっちは大将軍? 柄にも無い物引き受けたね」

 

 互いに身に余る役職を負わされた物である。

 

「帝王は倒したが、まだ治安が良いとは言えないからな。気は抜けないさ」

 

 今や自分達の王国は、滅亡した帝国に代わってあらゆる世界を統治している。しかし今だに帝国を信奉する民や、統治されるのを良しとしない者達が後を絶たず、それらが頻繁に蜂起を繰り返している。

 

 戦いが終わったとは言え、まだ油断は出来そうになかった。

 

 だがこの仲間達と一緒なら、たとえどんな困難に遭っても乗り越えていけると信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第10話「混乱と、未来への創造」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り合えず、当然の事ながらその日は急遽開店取り止めとし、2人で散らかった物を片付けてから、テーブルを挟んで向かい合った。

 

 壁の穴は最優先で塞いだが、それでも隙間風は吹き込んできて肌寒い。

 

「それじゃあ、説明して」

 

 切り出したのは、ナーリスの方だった。

 

 あまりに急激な状況変化と昼間の連戦により、その顔には疲労の色が見える。

 

 その向かいに座ったレンも、やや疲れた顔をしている。

 

「ユウトさんは?」

「今、ロミナについてもらっている。母さんの方は目を覚ましたけど、あの子の方はかなりショックみたいだったから」

 

 あの後が大変だった。

 

 目の前でアセリアを攫われたユウトは、そのまま我を失ったように敵の城へ取って返そうとした。それをレンとナーリスは羽交い絞めにして押さえつけ、なだめすかしてようやく落ち着けたのだった。

 

 とにかく、連れ去ったと言う事はすぐに動く気は無いと言う事だ。何しろ殺されても滅多な事では死なないエターナルは、人質としての価値は著しく低い。それでも連れ去ったと言う事は、敵は確実にこちらをおびき寄せる餌として使うのだろうと推察した。

 

 洗脳と言う可能性も無くは無いが、その儀式にはそれなりに時間と準備がかかる事、今すぐにでもこちらから攻め込んでいくかもしれない事等を考慮すれば、優先順位はそれ程高くないかもしれない。

 

「アセリアさん、その、大丈夫なのかな? 神剣と離れて」

「それは大丈夫だと思う」

 

 既に自分達の事、エターナルの事はナーリスに話してあった。

 

 エターナルと言う存在を殺すには、まず永遠神剣との繋がりを断ってからとどめを刺す必要がある。その繋がりとは、物理的な物だけを指す訳ではない。エターナルと永遠神剣は心でも繋がっている。その繋がりをも断たない限り、エターナルを殺す条件は揃わない。よって、もう暫くは無事だろうと言う判断が下された。もっとも、物理的な距離が離れれば、当然心の繋がりも徐々に薄れていく。その為、繋がりが完全に消える前にアセリアを救出する必要があった。

 

「それで、」

「その前に」

 

 話し始めようとしたナーリスを遮って、口を開くレン。

 

「いくつか確認したい事があるんだ」

 

 レンにも、これまでの事情を鑑みて考えは纏まっていたが、それを打ち明ける前にいくつか、ナーリスに確認しなければならない事があった。それを確認しなければ、レンも確証がもてないのだ。

 

「ナーリス、君は昔城に住んでいた。そして現領主カイネルとは、何らかの親しい関係にあった・・・違う?」

 

 それは城の地下で対峙した時から感じていた事である。

 

 あの2人の会話はどう考えても、かつて深い関係、少なくとも幼馴染であったのではないかと言う事を推察させた。更にその前、街外れで出会った少女騎士エレンとの会話も、その考えを前提とすれば辻褄が合った。

 

 問い掛けに対して、ややあって頷きが返された。

 

「そう、あたしとカイネル。それに、この間会ったエレンの3人は幼馴染と言っても良い関係だった」

 

 苦い想いと供に吐き出される告白が成される。

 

 かつて、まだメヴィーナがメイド長を勤めていた頃、幼いナーリスはエレンと供に、領主就任前のカイネルの世話役、要するに遊び相手を務めていた。

 

 目を閉じれば今も浮かんでくる。何を気兼ねする事も無く、3人仲良く遊びまわっていたあの頃。

 

 カイネル、エレン、ナーリス。

 

 しかしその中でただ1人、ナーリスだけが決定的に歩む道を違えてしまった。

 

 先代領主の死去に伴い、メヴィーナが引退した事も大きい。

 

 しかしそれ以前にカイネルの目指す「ある事」が、ナーリスにとって受け入れ難かったのだ。

 

「その、カイネルさんが目指す物って?」

 

 それこそが、あの祭壇の意味なのだろうと言う事を察する。

 

 やや躊躇うかのように、ナーリスは語りだした。

 

「前に、話したよね。あたし達の先祖が邪神を奉じた一族だったって」

「・・・・・・うん。それで、この世界に流刑にされたんだっけ?」

 

 微かに起こる胸の痛みを抑えながら、先を促す。

 

 ナーリスもまた、顔を伏せるようにして頷く。

 

「そう。そして、カイネルの目指している物は、その邪神を復活させる事なの」

「邪神を?」

「うん。どうやるのかは知らないけど、あたしがあいつと最後に話した時はその方法が見付かったって言ってたから、多分、昼間に見たあの祭壇がそれなんだと思う」

「成る程」

 

 この説明で、大体の事情は察する事が出来た。

 

『それにしても、邪神、か・・・・・・』

 

 聞けば聞くほど随分な言われようだと思わなくも無いが、同時に仕方ないと言う諦めも起こる。どの道、今更言っても仕方が無い類の事だ。

 

「それで大体の事は読めたよ」

「判ったの?」

 

 封印された邪神の復活。成る程、そんな大それた事を考えているのなら、あれほど大規模な儀式の祭壇も納得ができると言う物だ。

 

 そして、あの宝珠がなぜ必要なのかも。

 

「あれって、一体何なの?」

 

 ようはあの祭壇さえ壊せば、これ以上気に病む必要は無くなるわけだ。

 

 あの一種禍々しさすら感じる輝きを放つ宝珠は、見ているだけで心を奪われるような、そんな危険な感覚があった。

 

 苦いものを吐き出すように、レンは説明する。

 

「あれは『破断の宝珠』って言って、その中に無限の力を内包してるって言われるいクリスタルなんだ」

 

 例えば、山1つ分の巨大なマナ結晶があったとしよう。

 

 その巨大なマナ結晶が長い年月をかけて地脈によって高圧縮され、掌に乗るサイズになる頃には、通常のマナ結晶の何千倍と言うエネルギー量を内包する宝珠が完成する。それが破断の宝珠である。

 

 ただし、これらの行程には何100周期もの年月が必要であるとされる為、発見は困難で、大抵の場合は完成する前にマナ結晶のまま発掘されてしまうことが多いのだ。

 

「ちなみに人工的に作り出す事も出来ないみたい。昔僕がいた国でも研究はされてたけど結局うまく行かなかったし」

「それを、カイネルが手に入れたって言うの?」

「多分。ロウ・エターナルが用意したんだと思う」

 

 邪神の復活には、多大なエネルギーが必要と判断して用立てたのだろうと推察する。

 

 しかし、その考えは予期していなかった方向から否定される事となった。

 

「て、事は、そのロウ・エターナルってのの目的も、邪神の復活って事なのかな?」

「ちょっと違うな」

 

 ナーリスの疑問に答える声は、別の方向からあった。

 

 振り返る2人。

 

 そこには、階段から下りてくるユウトの姿があった。

 

「ユウトさん」

「大丈夫なんですか?」

 

 先程のユウトは、明らかに怒りで我を失いかけていたが、今は多少冷静さを取り戻したようにも見える。

 

 とは言え先程は、本当に危なかった。何しろ2人掛りでも押さえつけるのがやっとだったのだから、その苦労は押して知るべしである。

 

「ああ、済まなかった。もう大丈夫だ」

 

 幾分、まだ声音に不安定感があるものの、大分落ち着きを取り戻したのは確かなようだ。

 

「それで、何が違うんです?」

 

 レンは先程の話に戻した。

 

 破断の宝珠を使って、カイネル達は何をしようとしているのか。それが気掛かりである事に変わりは無かった。

 

 邪神の復活でないとしたら、一体何なのだろう?

 

「ロウ・エターナルが望む物はあくまで、世界を破壊して第一位永遠神剣に帰化させる事だ。現に俺とアセリアはこの世界に来る前、そう言う関連の施設を破壊してきた」

「つまり、実際には彼等はこの世界を破壊する事を狙っている?」

 

 レンの返事に頷き、ユウトは続ける。

 

「領主が何を考えているかは判らないが、ロウ・エターナルの奴等は間違いなくそう考えているはずだ」

 

 その根拠として、ユウトは自分達がこの任務に就く事になった理由に付いて語った。

 

 それは今から訳100年近く前、ユウト達の上司である時読みの巫女が、連鎖的に崩壊する辺境世界の映像を見たと言うのだ。そしてユウト達は、その滅びの歴史を変える為にやって来たと言う。

 

「もっとも、初めからカイネルに目を付けていた訳じゃないだろう。何しろ、俺達の戦いが始まったのは100年も前。対して話を聞くとカイネルが計画を開始したのは10年かそこらだ。これじゃ計算が合わない事になる。恐らくタウラス達は別口で計画を進めていたが、そこにちょうど良いカムフラージュとしてカイネルが現れたから利用してるってところだろう」

 

 考えようによってはあの地下祭壇は、破断の宝珠を掘り出した跡なのかもしれない。

 

「ふわあ」

 

 聞き終えてから、ナーリスは少し抜けたように息を吐いた。

 

「何だか壮大すぎて、あたしの理解を超えてるよ」

「だろうな。大抵の人間はそんな反応だ」

 

 苦笑するユウトとレン。

 

 実際、今この場に2人の存在が無かったら、ナーリスは決して信じようとはしなかっただろう。

 

「でもさ、そうなるとカイネルが復活させようとしている邪神って言うのは、ひょっとしたらエターナルなんじゃないかな?」

「それは・・・」

「在り得るだろうな。実際エターナルの歴史を完全に記録できる奴は少ない。そう考えれば、俺たちの知らない戦いがあって、その戦いの中で封印されたエターナルがいるかもしれない」

 

 ユウトはそう答えてから、手を打ち鳴らした。

 

 心なしか先程よりも顔色が良い。どうやら語っている内に、調子が戻ってきたのかもしれない。

 

「さて、それじゃあ俺達の勝利と敗北の条件を、ついでにこっちと向こうの戦力差を纏めて置こうぜ」

「そうですね、最終的に敵の計画を止めれば勝ち、止められなければ負け。と言う感じでどうでしょう?」

「あと、アセリアさんの救出も加えておきましょう」

 

 纏めると、アセリアを救出し計画を止めれば大勝利。アセリアの救出がならなくても、計画を止めれば勝利。計画阻止に失敗すれば敗北と言うわけである。

 

「よし」

 

 立ち上がるユウト。

 

 その手には既に《聖賢》が握られ、既に戦闘準備が完了している。

 

「レン、ナーリス、傷の具合はどうだ?」

「僕は大丈夫です。いつでも行けます」

「あたしも、もう万全よ」

 

 頷くユウト。

 

 こちらの戦力はエターナル2人に、第七位の神剣を持つナーリスのみ。

 

 対して敵は、確認した限りではエターナル3人に第四位と第五位の神剣を持つ人間が併せて3人、更に城の兵士達とも戦う事になるかもしれない。

 

 事態はかなり不利。

 

 しかし、そんな事はいつもの事である。今更気にする程の事では無い。

 

「行くぞ」

 

 ユウトの言葉と供に、3人は再び吹雪の中へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労だった」

「なに、大したことではなかったよ」

 

 タウラスの労いの言葉に、ジュリアは手を上げて答える。

 

 北方の民壊滅、更に《永遠》のアセリア拉致と、これまで守りの局面が多かったロウ・エターナル達は、初めてカオス側に先手を打った事になる。

 

 北方の民はこの地方より高い軍事力を誇り、これから行う一大儀式の際に邪魔に入られるのを避けたかった為、先手を打って壊滅させておいた。

 

 そしてアセリア。彼女をこちらの手中に収めておく事によって、確実に、かつ早期に《聖賢者》ユウトをおびき寄せる事が出来る。勿論、ここが本拠地である以上いずれは来るだろうが、アセリアを手中にする事で、ユウトは拙速な判断をせざるをえなくなる。つまり、体勢を整える余裕がなくなるのだ。

 

「随分せこいね」

 

 そう言ったのは、壁に寄りかかったまま聞いていたレイチェルだった。

 

 その顔は僅かに顰められ、微妙に今回の件に納得していない様子が伺えた。

 

「勝利を確実にする為には、僅かな要因も無視できない。それが俺の方針であるのは知っているはずだが?」

「知ってるから言ってるのよ」

 

 言っても無駄だと言う事は、レイチェルも判っている。判っていても、やはり言わずに置けないこの性格が悪いのか? あるいはこんな自分をいつまでも配下に置いているタウラスが悪いのか?

 

 とにかく戦う事を至上とするレイチェルにとって、人質などと言う手段はまどろっこしい上に、生理的に受け付けない類の物だった。もっとも、彼女の崇拝するタキオスならば、その程度の些事など歯牙には掛けないのだろうが。

 

「それで、今後の方針は?」

 

 言っても仕方ない事は判っているので、それ以上追求はしない。しかし相変わらずレイチェルの顔には、不機嫌さが張り付いて離れなかった。

 

 対してタウラスは、そんなレイチェルの様子などまるで意に介さずに話を進めた。

 

「作戦は簡単。ここまでお膳立てした以上、敵は数日中、いや、恐らく数時間の内には、またこの城に攻め入ってくるはずだ。そこを待ち構えて討ち取る」

 

 今や戦力は圧倒的に、ロウ・エターナル側に分がある。ユウト達が攻めてくるにしろ今暫く静観するにしろ、勝ちは動かないはずだ。唯一不安材料があるとするならば、この状況を察したカオス・エターナルが援軍を送ってくる可能性だが、この辺境世界に援軍を送ってくるとなると暫く時間が掛かるはず。その間にロウ・エターナル側は計画を終える事も可能なはず。

 

 攻めるカオス・エターナルと守るロウ・エターナルと言う対戦構図となる。

 

「そう言えばもう1人、正体不明の奴がいるんだけど、そいつは?」

「奴か・・・・・・」

 

 ここ数日の作戦で姿を見せ始めた謎のエターナルの少女。空間から武器を作り出すと言う奇妙な能力を持っていた。

 

 だが、

 

「大した事では無いだろう。奴とは何度か戦って実力の程は判っている」

 

 スナイパーとしての能力は確かだし攻撃力もそれなりに高い事は判っている。しかし総合的に戦闘力と言う観点で見た場合は、ユウトの方が遥かに脅威であると言うのがタウラスの結論であった。

 

「ジュリア、先鋒はお前に任せる。お前のやり方で奴等を出迎えろ」

「任せろ」

 

 喜々として笑いながら、頷くジュリア。

 

 そんな2人のやり取りを見ながら、レイチェルはそっと部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 エレンの憤りは、それこそ周囲の人間すら無自覚のまま圧していた。

 

 カイネルの気持ちは判る。エレンとて一応の幼馴染である。若き領主がナーリスの事を好いている事は判っていた。

 

 しかし、それとこれとは話が別である。

 

「どう言う事か、説明していただきたい!!」

 

 詰問口調を向けられたのは、先程ジュリアと供に帰還したゼノンだった。

 

 少女騎士の突然の剣幕に驚きつつも、すぐに嘲るような笑みを浮かべてエレンを見るゼノン。

 

「一体何の事だ?」

「ナーリスの妹、ロミナを拉致しようとした件です。なぜ、そのような事を」

 

 それが成功しても失敗しても、カイネルの信頼は地に堕ちる事だろう。それが判っていて、ゼノンはなぜそのような事をしたというのか。

 

 だが当のゼノンは、シレッとしたまま答えた。

 

「そうは言うがな、こいつはカイネル様自ら言い出した事だ。いくらお前でも、それに口を挟む事は許されないぜ」

「そんな馬鹿な、カイネル様が!?」

「嘘だと思うなら、本人に確認してみるんだな」

 

 それだけ言うと、ゼノンは興味を無くしたようにエレンに背を向けて歩き出す。

 

 エレンは暫くの間その背中を苦々しく見詰めていたが、やがて事の次第をカイネルに問いただすべく踵を返した。

 

「・・・・・・・・・・・・あの女、邪魔だな」

 

 突然の声に振り返るゼノン。

 

 振り返った先の壁に寄り掛かるジュリアの姿を見て、笑みを浮かべた。

 

「あんなんでもカイネルの忠臣だ。消すにはそれなりに理由が要るぜ」

「なに、それでもチャンスはあるだろう。こちらとしても、計画の段階で後方から動き回られるのは、目障りだからな」

 

 計画は順調。後は邪魔なエターナル2人と低位永遠神剣を持つ少女を排除すれば、計画執行まで障害は無いはず。タウラスの言葉ではないが、不安の芽は摘んでおくに限る。

 

 と、ジュリアがスッと身を起こした。

 

「どうした?」

「いや、客が来たようだから、出迎えねばならん」

 

 そう言うと、門の方に足を向けた。

 

 

 

 

 

 憮然としたまま歩いていると、ついレイチェルの足はここへ向いてしまった。

 

 見上げる扉の先には、先程ジュリアが捉えてきたエターナルが軟禁されている。

 

 《永遠》のアセリア。既に戦うどころか、起き上がる事すらできないほど衰弱したこのエターナルに対し、カイネルは拘束の必要を認めず、数人の世話係と監視を付けて後は客人として遇するよう言い渡した。

 

 その為アセリアは拘束もされていなければ、ドアに鍵も掛かっていない。逃げようと思えば逃げれるのだろうが、上記の通りの様子ではそれも無理そうだった。

 

 扉を開く。

 

 そのベッドの上に横たわる、青髪の少女の目が、こちらに向いた。

 

 交錯する視線。

 

「お前は・・・」

「やっ、気分は・・・・・・良い訳無いか」

 

 殺気を僅かに滲ませて起き上がろうとするアセリア。しかし果たせず、その体は再びベッドへ沈む。

 

 一度だけだが対峙した事のある両者。だが一方は今、殺気を完全に解いて歩み寄る。

 

「無理しないの。あなた、体中ボロボロだったんだから」

 

 そう言うと脇に置かれた洗面器でタオルを絞り、アセリアの額に置いた。

 

 だがアセリアは、警戒の色を解かない瞳でレイチェルを見上げてくる。

 

『ま、しょうがないか・・・・・・』

 

 彼女は混沌、自分は秩序。いや、それ以前に自分は何度も彼女の夫である《聖賢者》ユウトの前に立ちはだかっている。彼女からすれば、その視線だけで射殺したくなるほど憎い敵であるに違いない。

 

 頭を掻きながら、視線を外して巡らせる。

 

 廊下の外に見張りの兵がいる以外はレイチェル達に宛がわれている部屋とほぼ同じ造り。調度品に若干の違いがある程度である。

 

 そこで再び、視線をアセリアに戻す。

 

 相変わらず殺気を込められた視線は、体さえ動けば今にも掴みかからんとしている事が伺えた。

 

『は〜、やれやれ』

 

 取り付く島も無いアセリアの態度に肩を竦めた時、扉が開いてメイドが入ってくるのが見えた。

 

「失礼致します。食事をお持ちいたしました」

 

 手にしたワゴンには、軽めの食事が乗っている。どうやら料理長の方でも体調の悪いアセリアに気を利かせた食事を用意したようだ。

 

 それを見て、レイチェルはスッと場所を空ける。起きれないならメイドが付き添いで食べさせる事になるだろう。そうなるとベッドの脇に立っていると邪魔になるだろう。

 

 どの道、これ以上ここに居てもコミュニケーションが取れるとは思えない。

 

 後日、少しでもアセリアの気分が落ち着いてから出直す事にしてドアに向かった。

 

 その時、

 

「キャアッ!?」

 

 メイドの悲鳴に、振り返るレイチェル。

 

 そこには、脇にある洗面器に嘔吐しているアセリアの姿があった。

 

 何が起こったのか判らないメイドは、ただオロオロと立ち尽くしている。

 

「どうしたの!?」

 

 あまりに一瞬の事だったので、レイチェルも訳が判らないまま問いただす。

 

「わ、判りません。わたくしはただ、お食事のお手伝いをしようとしただけです」

「食事を?」

 

 慌てて駆け寄り、アセリアの背中をさすってやる。

 

 元々胃の中に物が無かったのか、アセリアはそれ以上吐く事は無かった。

 

 だが、アセリアが落ち着きを取り戻すのとは逆に、レイチェルが今度はうろたえ始める。

 

 かつて、遥か昔の忌まわしい記憶と供に込み上げる言葉が、紡がれる。

 

「あなたまさか・・・・・・・・・・・・」

「え?」

 

 見上げるアセリアに、渡されるパンドラの鍵。

 

 それは果たして希望への種子か? それとも絶望へ至る旋律か?

 

「妊娠・・・してるの?」

 

 

 

 

 

第10話「混沌と、未来への創造」      おわり