今、1つの戦いが終わりを告げようとしていた。

 

 純白の12翼をはためかせ、少年は天を駆ける。

 

 対して黒衣を纏った帝王は、一歩も引かずに剣を振りかざす。しかしその身は度重なる戦いによって傷付き、どうにか最後の力で踏みとどまっている状態である。

 

 既に帝国軍の主力部隊は掃討され、残るは帝王ただ1人を残すのみ。

 

 仲間達が命懸けで繋いでくれた千載一遇のチャンス。それを逃す訳にはいかない。

 

 帝王の剣が、風を巻いて少年へと迫る。

 

「クッ!?」

 

 とっさに羽ばたく翼が風を捉え、少年を上空へと舞い上げる。

 

 しかし、少年の身も消耗が激しい。

 

 果たして、後どれくらい戦えるか?

 

「次で、決める」

 

 呟きは物理的な力となって、手にした刀に注がれる。

 

 帝王もその意を感じ取ったのか、地上に降りて剣を構え直す。

 

 放つべき最後の一撃に、残された力の全てを掛ける。

 

 この一瞬。

 

 この一瞬が全てだ。これを逃せば帝王を倒すチャンスは永久にやって来ない。世界は再び闇に閉ざされてしまう。

 

 12翼が、花弁のように開く。

 

 次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第9話「朱に染まる蒼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪原の上に立つ人影は2つ。

 

 いずれも異様な気配と存在感を持って、眼下の街を見下ろしている。

 

「あそこか?」

 

 さも面白く無さそうに発せられた言葉は少女のそれ。しかしその声は、いかにも尊大な口調である。

 

 対して傍らに立つ大男も、面白げに口を曲げて応じる。

 

「何の取り得も無い、つまんねえ街だよ。問題の酒場以外はな」

「関係無いな。そんな事は」

 

 男の言葉を、少女は一言で切り捨てる。

 

 対して男も、面白く無さそうに肩を竦める。

 

 とは言え情報では、敵方のエターナルは2人。決して侮って良い戦力ではない。

 

「さて」

 

 少女の掲げる右手。

 

 同時に、周囲を取り巻くように銀の光がたゆたう。

 

「狩るとするか」

 

 少女の口元は、三日月のように釣り上がった。

 

 

 

 

 

「それでね、お姉ちゃんったらね、」

「ん、それは面白いな」

 

 酒場のテーブルを陣取って、2人の少女が談笑に花を咲かせている。

 

 ユウトやレンは朝から出掛け、ナーリスも休憩時間になるなり《陽炎》を持っていそいそと出て行った為、酒場内はガランとしている。

 

 アセリアも、どうやら今日は調子が良いらしく、ロミナの介添え付きながら起き上がって少し屋内を歩いたりもしていた。

 

「それでそれで、」

 

 今はロミナが、向かいに座ったアセリアにまくし立てるように言葉を紡いでいる。

 

 そんなロミナの様子を、アセリアは苦笑気味に目を細めながら眺める。

 

 妹。

 

 かつて、自分にも妹のような存在の少女がいた。

 

 もっとも、その頃の自分は、戦いと永遠神剣以外の事には殆ど興味を持てない女だった。

 

 剣の為に行き、戦場で死ぬ以外に己の存在意義を見出せずに居た。

 

 だがそんな自分でも、その少女は他と変わらず接してくれたのを覚えている。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 今となってはその事も、二度と見る事の叶わぬ夢のように思えてくる。

 

 自分がいて、ユウトがいて、エスペリアがいて、オルファがいて、他の多くの仲間達に囲まれていた青春時代。

 

 色褪せる事の無いその思い出は、今もこの胸に焼き付いて離れない。

 

 その時、

 

「ア〜セ〜リ〜ア〜おね〜ちゃん!!」

 

 ハッと我に返ると、ロミナの顔がドアップで迫っていた。

 

「聞いてるんですか、もう」

「ん、すまない。少し、別の事を考えていた」

 

 そう言うと、伸ばした手でロミナの頭を撫でる。

 

 この娘は、少しオルファに似ていると思った。勿論、外見は全く相似点が無いし、性格もだいぶ違う。しかし何と言うか、雰囲気的な物がすこし被るような気がした。

 

 その時扉が開いて、買い物に行っていたメヴィーナが帰ってきた。

 

「お帰り、お母さん!!」

「はい、ただ今。って、起きてて大丈夫なのかい?」

 

 座っているアセリアを見て、目を丸くする。

 

「大丈夫だ。今日は少し、気分が良い」

「そうかい。どれ?」

 

 そう言うとメヴィーナは、アセリアの前髪を押し上げて額に手を当てる。

 

 かつては宮廷に仕え、今も酒場を切り盛りするその手は大きく、そして暖かかった。

 

「なんだい、まだ少し熱があるじゃないか」

 

 困った娘を見るような目をアセリアに向けるメヴィーナ。

 

 だが、すぐにその顔は溜息と供に、優しく崩れる。

 

「まあ、調子が良いんだったら、多少動いた方が体には良いかもね」

 

 そう言うと、買って来た物を持ってキッチンの方へ引っ込んで行く。

 

 その姿を見送ってから、アセリアはロミナに向き直った。

 

「ロミナは、ナーリスやメヴィーナの事が好きか?」

 

 急な質問。

 

 ロミナは一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐに笑顔になる。

 

「うん、勿論だよ」

 

 迷いも曇りも無い瞳と返事。

 

 その返事に、アセリアも硬い表情に僅かに微笑を浮かべた。

 

「そうか。なら、大切にするんだぞ」

 

 そう言って、もう一度ロミナの頭を撫でた。

 

 その時、再び扉が開いた。

 

「失礼するよ」

 

 えらく慇懃な言葉と供に入って来たのは、ロミナよりも更に小さいのではと思える女の子だった。

 

 長い金髪に緑色の瞳をしたその少女は、どこか精巧な人形めいた印象を見る者に与える。

 

「あ、ごめんね。まだやってないんだ」

 

 珍しい時間の来客に、ロミナはすぐに対応する。ここら辺は幼くても、さすがは酒場の娘である。

 

 少女はロミナの言葉に驚いたような顔をして少し考え込む。

 

「ふむ、そうだったのか。それは失礼な事をしたな」

「もう少ししてから来たらやってるかもよ」

 

 少女達のやり取りを聞くともなしに聞きながら、アセリアは何気なく振り返る。

 

 次の瞬間、その蒼の瞳が大きく見開かれる。

 

 少女が発する強烈な違和感が、鈍った感覚を一気に研ぎ澄ます。

 

「そうか、それじゃあ、」

 

 高まるオーラフォトン。

 

「先に用件を済ませてしまうとしよう」

 

 とっさに立ち上がる。

 

 衰弱した体は、思った以上に重い。

 

 だがそれでも、何とか両脚は体重を支えてくれた。

 

「ロミナ、下がれ」

 

 弱々しくも張りのある声。その声に振り向くロミナ。

 

 その背後に、銀の光が揺らぐ。

 

 舌打ちする間もなく、アセリアは全力を持ってロミナに体当たりを掛ける。

 

 間一髪、光は2人を捉える事無く過ぎ去る。

 

「ど、どうしたの、アセリアお姉ちゃん?」

 

 事態が判らず戸惑うロミナ。そんな彼女を気遣う余裕も無く、アセリアは右手を掲げた。

 

「顕現せよ!!」

 

 戦人の声に応え、揺らぐ空間。

 

 飛び出した光は手の中で形作られ、一振りの剣をその手に宿す。

 

 同時にアセリアの服装も寝巻き姿から、普段の着慣れた戦装束へと変わる。

 

 《永遠》のアセリア。

 

 カオス・エターナルの誇るエースアタッカーが、剣を手に立ち居出る。

 

 空間から引き抜かれた《永遠》を一振りし、その切っ先を少女へと向ける。

 

『・・・・・・大丈夫』

 

 周囲のマナを吸収すれば、まだ体は動く。戦うのには支障が無いはずだ。

 

「アセリアお姉ちゃん?」

「メヴィーナの所に行っていろロミナ」

 

 少女を背に庇いながら、アセリア前に出る。たとえ万全の状態であっても、一般人を抱えて未知の相手と戦闘を行うのは避けたい所である。ましてか今は、お世辞にも万全とは程遠い状態。ほんの僅かでも勝率は上げておきたかった。

 

 剣を構えるアセリアの姿を見て、少女は薄く笑った。

 

「ほう、不調と聞いていたが、どうやらさほどでもないようだな」

 

 吊り上がる瞳の先に、奥へ逃げていくロミナの姿が映る。

 

 まあ良い。あちらはあちらに任せるとしよう。こちらはこちらで楽しませてもらう。

 

 そう呟き、少女はアセリアに向き直った。

 

「そう言えば、自己紹介がまだであったな。私はロウ・エターナル《千里》のジュリアだ。以後、お見知り置きを、《永遠》のアセリア」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 余裕を見せるエターナルの少女に、アセリアは油断無く《永遠》の切っ先を向ける。

 

 元よりアセリアのバトルスタイルに「無駄」と言う要素は無い。相手の言動に唱和して惑わされるような愚かな真似はしない。

 

「ところで、」

 

 少し話題を変えるかのように、ジュリアは話しかけてくる。

 

 その顔には、既に勝利を確信したかのような笑みが浮かべられている。

 

「あなたは既に、私の巣の中に取り込まれている事には気付いているか?」

「なに?」

 

 あまりに唐突過ぎるその言葉にアセリアが目を剥いた瞬間、

 

 何かに掬われるように足を持ち上げられ、床に転倒した。

 

「クッ!?」

 

 テーブルや椅子を弾き飛ばしながら、アセリアは背中を強打する。

 

 それでもどうにか、体をすぐに起こして第2撃に備える。

 

 しかし、一体何があった? なぜ、自分は転がってしまったのだろう?

 

 当惑するアセリア。

 

 その目の前で、ジュリアが左手を掲げる。

 

 次の瞬間、《永遠》を握る左腕が、ひとりでに持ち上がっていく。

 

「なっ!?」

 

 自分の意思を無視して動く左腕に、戸惑うアセリア。

 

 そんなアセリアを、ジュリアは笑みを浮かべて見据える。

 

「どうした? もう戦いは始まっているのだ。呆けている暇は無いぞ。それ、」

 

 声と供に掲げられる左手。それと同時に、今度はアセリアの右腕が持ち上がる。

 

 何をされているかは判らない。だが、これがジュリアの攻撃であると言う事は理解できた。

 

 とっさにオーラフォトンを放出、同時に両腕は自由を取り戻した。

 

「行く!!」

 

 《永遠》を振り被り、ジュリアへと斬り込む。

 

 相手が何かをする隙は与えない。一瞬で距離を詰めて一刀両断にする。

 

 必殺の気合を込めた一刀。

 

 しかし振り下ろす刃は、ジュリアを捉えるには至らない。

 

 その眼前によって見えざる壁に阻まれ、それ以上はいくら力をこめても1ミリも前へは進まない。

 

「ッ!?」

 

 障壁も無しに自身の剣を止められたと言う信じられない光景に、目を剥くアセリア。

 

 だが同時に、戦士としての瞳が敵の正体を捕らえる。

 

 《永遠》の刀身を支える物。

 

 それは、

 

「・・・糸?」

 

 たった1本の細い糸が、アセリアの剣を止めている。そしてこれこそがジュリアの永遠神剣、第三位《千里》。その形状は、数万に枝分かれした銀糸から成り立っている。

 

 神経を通せば名前の通り千里先の相手を知覚する事が可能で、オーラフォトンを込めればたった1本で物理攻撃を防ぐ事も可能となる。勿論、攻撃にも使える。

 

 ピッと言う短い音と供に、アセリアの右頬が切れる。

 

「驚いたか? 我が攻撃は変幻自在。普通のやり方では防御できぬぞ」

 

 どうする? と問うジュリア。

 

 対してアセリアは、密着状態から刀身にオーラフォトンを注ぎ込む。

 

 この距離なら、ダメージを与えられなくても弾き飛ばす事はできる。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

「うっ!?」

 

 膨れ上がるオーラフォトンに、目を晦ませるジュリア。ついで襲ってきた衝撃波が、その小柄な体を吹き飛ばした。

 

 ジュリアの体は勢いに押されて壁を突き破り、そのまま屋外へと放り出される。

 

 狙い通り。室内では戦いづらい。屋外に出て戦った方が有利と判断しての事だった。

 

 しかし、

 

「良いのか、私を外に出しても?」

 

 吹き飛ばされながらも、嘲るようなジュリアの言葉が聞こえてくる。

 

 アセリアは構わず、ジュリアを追って外に飛び出す。

 

 飛び出すと同時に《永遠》を構える。

 

 それを待ち構えるように、視線の先に佇むジュリア。その態度には余裕以外の何者も無い。

 

 対してアセリアは、既に肩で息をし始めている。

 

 今のアセリアは、立つだけでも多大なマナを消耗しているのだ。そこに加えての戦闘である。内蔵オーラフォトンはあっという間に底を突いてしまう。

 

 目の前が霞む。平衡感覚が損なわれ、視界が妙に揺れる。

 

 そんなアセリアを前にして既に勝利を確信したジュリアは、無防備とも取れる仕草で目の前に立っている。

 

 だがその無防備さと余裕が、僅かに残ったアセリアの理性に警鐘を鳴らしてくる。

 

「良くがんばったな、アセリア。不調の身で、この私にそこまで抗うとは。しかし、どうやらもう立っているのも限界のようだな」

 

 そう言われる傍から、手に持つ剣の重さに耐えかねて切っ先が下がってくる。

 

 必死に堪えようと力を込めるのが、既に足からも力が失われ始め、最早歩く事も叶いそうにない。

 

「せめてもの慈悲だ。一瞬で勝負を付けてやろう」

 

 そう宣告するとジュリアは、オーケストラの指揮奏者のように両腕を掲げる。

 

 同時に、周囲一杯に広がるオーラフォトン。

 

 緊張に身を硬くするアセリア。

 

 だが、

 

「遅いな」

 

 嘲りの言葉と供に周囲のオーラフォトンが一気に膨張し、アセリアに襲い掛かった。

 

 とっさにマナを吸収し、自身のオーラフォトンを展開しようとするアセリア。

 

 しかし不調である為にチャージは通常よりも遅い。更に言えば外での戦闘を予め予期して、万全の体勢でアセリアを罠の中におびき寄せたジュリアを前にしては、たとえ不調でなかったとしても対抗するのは難しかったかもしれない。

 

「シルバリア・マリオネット!!」

 

 周囲の空間が一気にざわめく。

 

 降り積もった雪の白銀世界にカムフラージュされて気付かなかったが、周囲の空間は全てジュリアの《千里》によって満たされていたのだ。

 

 視界を覆っていた数万に及ぶ銀糸が、細い蛇のように一気にアセリアに襲い掛かる。

 

 その腕に、足に、胴に、首に巻き付き締め上げて行く。

 

「うっ・・・ぐっ・・・・・・」

 

 一気に増した圧力に、手から《永遠》が零れ落ちる。

 

 ジュリアは身動きが取れなくなったアセリアの体を宙吊りにすると、満足そうに眺める。

 

 尚ももがいて逃れようとするアセリア。しかし《千里》の拘束はきつく体に食い込み、アセリアの自由を許さない。

 

「これで任務完了。実に容易かったな」

 

 こうなる結果は判っていた事だ。驚くには値しない。全てが予定通りに事を運んだ。

 

「さて、それでは我等が主の元へご招待と行こうか。なに、不自由はさせんよ」

 

 そう言うと同時に、銀糸を伝ってオーラフォトンがアセリアの体へと流れ込んだ。

 

「アァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 電流にも似たその感覚により、一瞬で刈り取られるアセリアの意識。

 

『ユウト・・・・・・』

 

 最後に残った意識が、愛しい夫の名を呼んだ。

 

「フンッ」

 

 グッタリと力無く項垂れたアセリアを見上げ、ジュリアは鼻を鳴らした。

 

 後は城まで連行すれば、この任務も終了だった。

 

 アセリアを運びやすいように拘束し直すため、もう一度《千里》を伸ばした。

 

 その時だった。

 

 まるで、身の内から膨れ上がるかのようにアセリアの体から光が漏れ、《千里》の糸を弾き飛ばした。

 

「ッ」

 

 一瞬、目を剥くジュリア。

 

 別段、強い力であったわけではない。ただ、既に抵抗力を失っていると思った為、意表を突かれる形となった。

 

 弾かれた糸を引き戻し、もう一度、注意深く糸を伸ばして行くが、今度は何かが起こる気配は無かった。

 

「何だったのだ?」

 

 訳が判らぬまま、ジュリアは慎重にアセリアの体を拘束して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 表の喧騒が収まり、メヴィーナとロミナの親子はゆっくりと顔を出した。

 

「ど、どうなったのかね?」

「アセリアお姉ちゃん・・・・・・」

 

 1人残してきたアセリアの事が気になって仕方が無かった。

 

 しかし長年、神秘の力を身に宿した娘を育ててきた関係から、既に気付いていた。これが、自分の力の及ばぬ次元にある戦いであると言う事が。

 

 とは言え、この酒場を守る主として、これ以上の狼藉を許すわけには行かない。とにかく、様子だけでも確認しなければならないだろう。

 

「ロミナ、あんたはここで隠れてな」

「お母さん!!」

 

 不安そうに声を上げるロミナを残して、メヴィーナは酒場の方へ向かう。

 

 つい先程まで整頓された雰囲気のあった店は、アセリアとジュリアの戦いのせいで破壊の限りを尽くされている。更に壁には大きな穴が空き、寒風が容赦なく吹き付けてきている。

 

 これは、今日の開店は無理だなと思いつつ、視線を外へと向ける。

 

 その時だった。

 

「お久しぶりですね、メヴィーナ様」

 

 野太い声と供に、壁に空いた穴から入ってくる大柄の男。その手にした斧が、不気味な光を伴っている。

 

 その男の顔を見知っていたメヴィーナは、思わず絶句した。

 

「あんたは、ゼノン・・・・・・」

 

 かつて領主に仕えていた頃から見知っている男である。その、黒い噂と供に。

 

 ゼノン。

 

 騎士団長を務め、カイネル配下の軍を統括する男である。しかしこの男、略奪や殺人の容疑が一度ならず掛かっている人物である。だが同時に戦いの際には非常に有能であるため、カイネルも、その父親である前領主も手放す事ができないでいる人物である。

 

「何の用だい? ここにはあんたが欲しがるような物は何も無いよ」

「フンッ、俺だって用が無きゃこんな所に来やしねえよ」

 

 身構えるメヴィーナ。

 

 言葉から察するにゼノンは、何らかの意図があってここに来たという事になる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手は自然と、隠し持っていた包丁へ伸びる。

 

 全ての六感が、この男が危険である事を示していた。

 

 そんなメヴィーナの様子に気付かず、ゼノンは続ける。

 

「うちの領主様はな、お前の娘にゾッコンなんだと。だからそいつを釣る為に、もう1人、つまり妹の方が必要なんだよ」

「なっ!?」

 

 メヴィーナは思わず絶句した。

 

 カイネルの事は仕えていた頃から知ってるし、彼がナーリスに気がある事も、何となくだが知っていた。そしてメヴィーナ自身その事は名誉であり、またカイネルの温厚な人柄からありがたいことだと思っていた。

 

 だと言うのに、このような強引な手段で訴えてくるなど。幻滅も良い所である。

 

「判ったら、ロミナを大人しくよこしな。テメェには用は無ぇんだよ」

「うるさいんだよ。そう言われて『はいそうですか』なんて言えるかい!!」

 

 言うが早いか、ゼノンに向かって斬り掛かるメヴィーナ。

 

 だが、

 

「ハッ」

 

 鼻で笑うと供に手にした斧が包丁を弾き、同時にメヴィーナの体も吹き飛ばした。

 

「テメェなんぞが、俺に敵う筈ないだろババァ」

 

 床に倒れ、気を失ったメヴィーナを見下ろし、唾を吐くゼノン。

 

 その時厨房の扉が開いて、中から小柄な影が飛び出してきた。

 

「お母さん!!」

 

 その姿に、ゼノンは思わず口元を歪めた。これで探す手間が省けたと言う物である。

 

 そんなゼノンの思惑も知らずロミナはメヴィーナに駆け寄ると、必死に縋りついた。

 

「お母さん、お母さん、しっかりして!!」

 

 力一杯揺するが、弾き飛ばされたショックで僅かに唸る事しかできないメヴィーナ。

 

 その時、ロミナの小さな体を、ゼノンが背後から抱き上げた。

 

 視界の中で遠ざかっていく母の姿に、悲鳴を上げる。

 

「離して!! 離してよ!!」

「おっとと、姉に似て随分と乱暴なガキだな」

 

 暴れるロミナに苦戦しつつも、その鍛え上げられた腕は少女の細い体をしっかりと捕らえて離さない。

 

「悪いがな、お前の姉貴に領主様が御執心なんだよ。ちょっくら付き合ってもらうぜ」

「イヤ、イヤー、お姉ちゃぁぁぁん!!」

 

 泣き叫ぶロミナ。

 

 その声が癇に障ったゼノンは、手っ取り早く眠らせてしまおうと、腕を振り上げた。

 

 その時だった。

 

「ロミナを離しなさい!!」

 

 鋭い声と供に、窓ガラスが砕け散る。

 

 その中から飛び出す、2つの影。

 

 それは異変に気付いて城から全速力で駆け戻ってきたレンと、彼に抱えられたナーリスだった

 

「お姉ちゃん!!」

 

 信頼する姉の登場に、涙に濡れたロミナの顔に笑顔が指した。

 

 対してゼノンは、苦々しく舌打ちする。まさかこのタイミングで、姉の方が戻って来るとは思わなかった。

 

 そんなゼノンを前にして《陽炎》を抜き放つナーリス。

 

「レン君、援護お願い」

「任せて」

 

 頷きながらレンも、弓矢を出して構える。

 

「チッ」

 

 舌打ちしつつ、ゼノンは乱暴にロミナを床に下した。

 

 この少女の実力は知っている。荷物を抱えたままで戦える相手では無い。

 

 その手にした斧型の、永遠神剣第五位《大牙》を構える。

 

 一方、解放されたロミナは、慌ててナーリスとレンの後ろに隠れる。

 

「ゼノン、よくも母さんを!!」

 

 《陽炎》の切っ先から迸る炎が、室内の温度を一気に上昇させる。

 

 その炎に、一瞬たじろくゼノン。

 

 その瞬間を逃さず、ナーリスは斬り込んだ。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 だが、その剣閃にはいつもの鋭さが無い。

 

 先程カイネルから受けたダメージが残っているのか、その動きはかなり鈍い。

 

「ハッ、遅いぜ!!」

 

 その斬撃を余裕でいなすゼノン。

 

 ナーリスは体勢を崩され、よろける。

 

 笑みを浮かべるゼノン。いきなりのイレギュラーで戸惑ったが、これなら簡単に任務の遂行が可能かもしれない。

 

 そう思った時、視界の端、ナーリスの影から現れる人影に気付いた。

 

 それは、弓を構えたレン。番えられた矢が、淡い光を放っている。

 

 矢が放たれる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに障壁を張るゼノン。

 

 だが矢はあっさり障壁を貫通、ゼノンの右肩に突き刺さった。

 

「グオッ!?」

 

 室内と言う事で大出力のオーラフォトンを込める事はできなかったが、それでもゼノンの巨体は宙を舞って壁に叩き付けられた。

 

「ハッ!!」

 

 そこへすかさず斬り掛かるナーリス。

 

 しかしゼノンもすぐに身を起こし、残った左手に《大牙》を持ってナーリスの攻撃を払い除けた。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちする。

 

 どうやらナーリスはともかく、もう1人の少年を相手にするのは無謀だと言う事が判った。

 

 ここはやはり一度出直すしかないだろう。

 

 素早く身を起こし、入り口に向かって駆け出す。

 

「待て!!」

 

 素早く二の矢を番えるレン。

 

 しかし、

 

「母さん!!」

 

 倒れているメヴィーナに、駆け寄るナーリス。

 

 ナーリスの声に我に返り、レンは矢を放つタイミングを逸する。その隙にゼノンは屋外へと逃げ出した。

 

 仕方なく弓を下ろすレン。

 

 しかし、

 

『ここが狙われたって事は、敵は形振りを構わなくなってきてるって事かな?』

 

 急がないといけない。

 

 城で見た宝玉とあの祭壇。あれが発動すれば、きっと良くない事が起きる。そうなる前に止めないと。

 

 かつて経験した苦い記憶と供に、レンは改めて決意を固めた。

 

 

 

 

 

 ユウトが戦場に到達した時、既に全ては終了していた。

 

 視界に飛び込んできたのは気を失って拘束されたアセリアの姿と、その足元に立つ金髪の少女の姿だった。

 

「アセリア!!」

 

 ユウトの声にも、アセリアは全く反応しない。

 

 そんなユウトに対し、冷笑を向けるジュリア。

 

「待っているぞ、《聖賢者》ユウト」

「クッ!?」

 

 言葉の意味を察し、斬り掛かるユウト。

 

 しかしその前に門が開き、アセリアとジュリアを包んでいく。

 

「我等が城で、な」

 

 そう言うと同時に門が閉じ、2人の姿は消え去った。

 

 後に残ったのは呆然と立ち尽くすユウトと、墓標のように地面に突き刺さった《永遠》のみであった。

 

 

 

 

 

第9話「朱に染まる蒼」     おわり