そこに平穏は無かった。

 

 そこに安息は無かった。

 

 あるのはただ、只管に続く地獄の道。

 

 地上を覆い尽くすほどの野獣の群れは、逃げ惑う人々の背後から襲いかかり、蹂躙して行く。

 

 朱に染まる焔は血の色を満たし、一切を飲み込んでいく。

 

 虐殺。

 

 何の意味もなく、ただ自分達の欲求満たす為だけの行為。

 

 いつの時代であっても、それは虫唾の走る光景でしかなかった。

 

 人型をした魔獣の1体が、眼下に倒れた女性を見下ろしている。

 

「お、お願い、この子だけは、この子だけは助けて!!」

 

 必死に叫ぶその腕の中には、まだ幼い娘が抱かれている。

 

 健気な母娘の姿。

 

 それを見て魔獣は、その口元を歪めて笑みを浮かべる。

 

「おうおう、随分必死だな」

 

 指の先で女性の体を突きながら、いたぶるように言葉を掛ける。

 

「だがな。悪いのはお前達なんだぜ?」

「え?」

 

 涙に濡れた目に映る、下卑た笑い。

 

「俺達の通る場所に住んで進軍を妨げたんだ。当然、死を持って償うべきだろう?」

「そんな!?」

 

 最早理屈にすらなっていない論法。要するに彼等にしてみれば何でも良かったのだ。虐殺を行う理由さえあれば。

 

「と言う訳で、とっとと死にな!!」

 

 振り上げられる斧。

 

 しかし、その理不尽な刃が振り下ろされる事は無かった。

 

 一瞬の間を置いて、その額に突き刺さる白銀の矢。

 

 魔獣は首から先を吹き飛ばされて、残った巨体のみがそのまま仰向けに倒れた。

 

 巡らされる視線。

 

 その先に立つ、弓を構えた少年。

 

 その神々しいまでの姿は母娘にとって、まさに神の使いにすら見えた事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第4話「気高き者達」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外を覆う吹雪は、まだ止みそうにない。

 

 その猛威は例え室内にあっても、気を抜けば容赦無く体温を奪っていく。

 

 リセンベルの街から北へ暫く行った場所に、その建物はあった。

 

 高い尖塔がいくつも立ち並び、天へと突き出されている。

 

 周囲をグルリと囲む外壁が、吹きすさぶ吹雪を押し留めようとするかのように立ちはだかっている。

 

 白き暴風に対するように黒々とした外観を見せ付けるその城は、古来からこの地方を治める領主が代々管理している物である。

 

 その廊下を今、レイチェルは冷えた靴音を立てて歩いていた。

 

 自分達の領域に侵入した正体不明のエターナルに対する偵察を終え、自分達が拠点にしているこの城へと帰還した。

 

「戻ったか」

 

 背後から掛けられる声に振り返る。

 

 そこに立つのは、鎧を着た少女を従えた青年だった。

 

 端正な顔立ちのその青年は、この地方の何代目かの領主、つまりこの城の城主であり、レイチェル達が協力する人間でもある。

 

「偵察に行っていたそうだな。何か気になる事でもあったか?」

「これはカイネル様」

 

 頭を垂れ、臣下の礼を取るレイチェル。

 

 だがそんなレイチェルに、カイネルは笑顔を浮かべて制する。

 

「良い、お前達は私の理想を成就する為の大切な協力者。言わば客人も同然。そのように堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ」

「左様ですか」

 

 顔を上げるレイチェル。

 

 だが、カイネルの後ろに控える少女は、面白く無さそうにレイチェルを睨んでくる。

 

 その顔に一瞥してから、レイチェルはカイネルに向き直った。

 

「確かに偵察には出ましたが、さしたる収穫があった訳ではありません。所詮は瑣末事に過ぎません」

 

 抵抗勢力の出現は正直な所瑣末事ではないのだが、自分にしてもまだ相手の実力を完全に測り切れた訳ではない。威力偵察要員として、曖昧な報告をするのは避けたかった為、このように答えた。

 

 だがやはり傍らの少女は気に食わないのだろう。その視線に警戒の色が帯び始めている。

 

 だが少女が激発する前にカイネルが口を開いた。

 

「そうか、ではゆっくり休んでくれ。また何かあったら報告を頼む」

 

 それだけ言うとカイネルは、レイチェルを置いて歩き出す。

 

 従う少女も一瞬だけレイチェルを睨んだが、すぐにその後を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 レイチェルの姿が見えなくなってから、エレンはカイネルと並ぶようにして歩き出す。

 

「カイネル様は、無用心過ぎます」

「何がだ?」

 

 言っている意味が判らないとばかりに振り返るカイネル。そんなカイネルに、エレンは畳み掛けるように言う。

 

 もっとも、世話役として幼い頃から接して来ただけあり、それが単なる韜晦である事を少女騎士は見抜いている。

 

「なぜ、あのような得体の知れない者達を信用して城に入れてしまわれるのです?」

「それは、さっきも行ったはずだが?」

「・・・・・・確かに、カイネル様の理想を成就する為には、あの者達の力は貴重かもしれません。しかしですね、」

「エレン」

 

 忠実な騎士の言葉を遮るように、カイネルは言う。

 

「彼等の出自がどうとか言うのはこの際、今の私にはさして重大な事ではないのだよ。問題なのは、彼等のような存在をいかに御するかが、私には求められているんだ」

「カイネル様」

「今は良い。だが気候がもう少し落ち着けば、北方の民達が再び攻めて来る事になるだろう。そうなった時にも、彼等が居てくれればこの領地と領民を守りきる事も出来る筈だ」

 

 この地方の民と、ここから更に北方に住む民とは、遥か昔から領土を巡って争っていた。だが近年、急速に増強された北方の民の前に劣勢に立たされていた。このままでは、次回の激突では戦線を突破される事になるだろう。

 

 そんな中でのエターナルの来訪である。

 

 神にも等しいと豪語するその力は、劣勢だった戦況は僅か一晩で覆し、押し戻してしまった。

 

 彼等が何者であるかどうでも良いと言う言葉は、紛う事無きカイネルの本心である。自分の考えに同調し協力してくれるなら、相手が人であろうが神であろうが悪魔であろうが関係は無かった。

 

「・・・・・・確かに、そうですが、しかし、」

 

 なおも承服しかねる口調で言葉を濁すエレン。

 

 カイネルは、そんなエレンの顎に手を当てて顔を持ち上げる。

 

 不意を突かれた形となったエレンは、思わず頬を朱に染めてカイネルの瞳を見詰め返すことしかできない。

 

「そう心配する事もあるまいよ。私とて、この程度の危機は何度も乗り越えてきたのだ。今度も、きっとうまく行くさ」

 

 そう言って、安心させるように髪を撫でた。

 

 その蕩けるような手付きに、エレンはいつしか酔うような感覚に包まれていった。

 

 

 

 

 

「では、報告を聞こうか」

 

 自分達に宛がわれた部屋に入ると、既に先客がレイチェルを待っていた。

 

 見上げるような巨躯は、かの《黒き刃》タキオスにも匹敵する。

 

 その身より発せられる雰囲気により、この部屋の空気密度は倍になったかのような感覚を味わう。

 

 《逆鱗》のタウラス。第三位の永遠神剣を持つ強大なエターナルであり、レイチェル達のリーダーでもある。

 

「現れたのはカオス・エターナル《時詠》のトキミの配下、《聖賢者》ユウトと《永遠》のアセリアの2人よ。どうやらカオスはジョーカーではなくエースのカードを切ってきたみたいね。」

「ふむ、それで手応えは?」

 

 戦略家としての側面も持つタウラスにとって、不安要素の情報と言うのは何よりの貴重である。その為の人材としてレイチェルは、非常に貴重な存在であった。

 

 エージェント的な役割を持つ彼らのチームは少数精鋭で各世界を回り、人知れず滅びの種を撒いて行く。種は気付かれない内に僅かずつ成長を続ける。時間こそ掛かるものの、成功の暁には多大な利益を見込む事が出来る。

 

 だが最近になって、彼らの苗場を荒らし回る存在がいる事を感知していた。仕掛けた種は悉く潰され、せっかく築いた勢力図は日を追う毎に縮小していった。

 

 その事態に考えられる可能性はただひとつ。抵抗勢力であるカオス・エターナルの介入以外に考えられなかった。

 

 ついに周辺世界以外の拠点を全て潰されたタウラスは、計画の中心となるこの地でカオス・エターナルを迎え撃つ決意を固め、世界中に索敵網を広げていた。そして現れたのが先述の2人と言う訳である。

 

「《聖賢者》ユウトの方はそれなりに出来る模様。本格参戦してきた以上、少々目障りになる事は充分に予想できるわ」

「ふむ、前情報はあながち誇張の類でもないと言うことか。して、もう1人の方は?」

「《永遠》のアセリアの方は物の数では無いわ。万が一ノコノコ出てきても、大した脅威にはなり得ないわね」

「ほう」

 

 意外な報告を聞き、タウラスは目を細めた。

 

「そこは前情報とは違うな。直接的な戦闘力は《永遠》のアセリアの方が高いと聞いていたのだが、何かあったか・・・・・・」

「さあ、そこまでは流石に探れなかったわ」

 

 レイチェルの情報は、これまでもかなりの正確性を誇っている。と言う事は今回の情報も概ね正しいのだろう。

 

 自分達にとって脅威となり得るのは《聖賢者》ユウトただ1人。それが2人の共通認識だった

 

 そこまで話してから、レイチェルはふと気付いた事を口にした。

 

「ところで、ジュリアは?」

 

 今この場にいないもう1人の存在に想いが至る。

 

 彼らの他にもう1人、《千里》のジュリアと言うロウ・エターナルが、この世界には来ていたが、少女の姿をしたそのエターナルの姿は今はここには無い。

 

「奴は偵察任務で前線へ行っている。今頃は本隊と合流している事だろう」

「あ、なる〜」

 

 自分達の目的も大切だが、契約の方もこなさねばならないのだ。その辻褄を合わせる為に動いているようだった。

 

 そして間もなく、北方の民との最後の戦いが起ころうとしていた。

 

 既に当初よりも戦線を押し返し、味方の優勢は動かないだろう。そこにジュリアも加われば布陣は必勝となる。

 

 とは言え、カオス・エターナルの本格参戦により、事態は急加速しようとしている。ロウ側としても、若干計画を早める必要性が出始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナーリスから、夕方以降が掻き入れ時だと聞いていたが、これ程とは予想できなかった。

 

 下から突き上げてくるような喧騒に押され階段を下りてみると、そこには熱気と共に彩られた活気が満ち溢れていた。

 

「うわっ」

 

 思わず感嘆の声が漏れる。

 

 蟻が歩く隙間すらないような光景がそこにある。

 

 仕事帰りの男達が、1階の酒場を占拠して飲食に明け暮れている。

 

 聞きかじった話では、この地方でもちゃんとした産業があるようだ。主な物は地下に眠る天然資源を掘り起こし、精製して他国に出荷すると言う物である。特にこの地方の地下には、船舶などの大型の乗り物の燃料に乗る素材が取れるらしく、それを狙って北方地方に住む人達と領土争いが勃発しているとの事だった。

 

 この万年雪に閉ざされた土地で取れる資源を採掘する作業である。当然その作業は過酷を極める物である。その為、1日の仕事を終えた作業員達が酒場へ殺到してくるのは半ば以上当たり前の光景なのだそうだ。

 

 取り合えず水が飲みたかったので、1階に下りるレン。

 

 だがすぐに、周囲を屈強の男達に押されて身動きが取れなくなってしまった。

 

「あ、あの、ちょっと・・・痛、痛いです! と、通してくださ〜い!!」

 

 叫んでみるが、まったく聞こえている様子は無い。

 

 何しろ少女と見紛わんばかりの華奢な容貌と体付きをしたレンと、日々過酷な労働で鍛えられた屈強な男達である。押し競饅頭をしてどちらが勝つかなど、議論するだけ時間の無駄であった。

 

 それでもどうにか包囲を突破して安全地帯に抜けると、ホッと息を吐いた。

 

 だがその拍子に、足に軽い衝撃を感じた。

 

「わっ!?」

 

 次いで、軽い悲鳴。すぐに、誰かにぶつかった事に気付いた。

 

 慌てて相手に手を伸ばして支えてやる。

 

 手に伝わってくる、意外と細い感触。

 

 そこで、ようやく相手が自分よりも更に小さい女の子だと言う事に気が付いた。

 

 朱の掛かった髪に、クリッとした瞳が印象的な女の子だ。

 

「イッター!?」

「ご、ごめん」

 

 ぶつかった女の子は頭を押さえながら顔を上げる。

 

 慌てて少女を抱き起こすレン。

 

 そのレンの顔をジッと見てから、少女は口を開いた。

 

「て言うか、もう起きて大丈夫なの?」

「え?」

 

 予想していなかった質問に、レンは一瞬キョトンとする。どうやらこの女の子は、レンが倒れていた事を知っているようだ。と言う事は、

 

「君、ここの家の子?」

「そうだよ、ロミナって言うのよろしくね、お兄ちゃん」

 

 そう言ってレンの手を無理やり取ると、上下に乱暴に振り回す。

 

 そう言えばナーリスが、妹がいるみたいな事をいっていたような気がするのを思い出した。と言う事は、この子がそうなのだろう。言われて見れば、姉や母とどことなく印象が似ている気がする。

 

 その時、厨房へ続く入り口から、両手にトレーを持った少女が出てきた。

 

「ほらロミナ、遊んでないで手伝いなさい。忙しいんだから。」

 

 ウェイトレス姿のナーリスは、通路の真ん中に突っ立っている妹に注意を飛ばす。

 

 だがすぐに、その視界にもう1人見覚えのある人物が居る事に気付き、目を丸くする。

 

「あれ、レン君、もう起きて大丈夫なの?」

「うん、何とかお陰さまでね」

 

 戦闘はまだ無理だろうが、それでも立って歩くくらいは支障が無い。

 

 とは言えこの並外れた回復力は普通の人間から見れば、奇異に映るものなのだろう。何しろレンはつい先日まで雪の中で行き倒れていた事になっていたのだから。

 

「体、丈夫なんで」

「そ、そう?」

 

 苦しい言い訳を笑顔でするレンに納得の行かない物を感じながらも、本人がこうして元気に立っている以上、ナーリスとしてはそうなのかと納得する意外に無かった。

 

 レンとしてもこれ以上追求されてボロを出したくなかった為、早急に話題を元の目的に切り替える。

 

「水、良いですか?」

「あ、うん。ちょっと待ってね。汲んできてあげるから」

 

 そう言うと手にしたトレーを持って、注文のあったテーブルへと危なげなく歩いて行く。

 

 慣れた物で、テキパキと配膳を済ませる。

 

「おうナーリス、今日も可愛いねえ。」

「ナーリス、こっちにオーダー追加頼む!!」

「ナーリス、この間の話の返事、そろそろどうだ?」

「おいナーリスあの娘、新しいウェイトレス候補か?」

「腹減った〜、ナーリス〜、何でも良いから持ってきてくれ〜」

 

 矢継ぎ早に振られる注文やナンパに対応し、あるいはあしらいながら的確に自分の仕事を捌いていく。

 

 その様子に感心したように、レンは鼻を鳴らした。

 

「大したもんだね」

「当たり前でしょ、何て言っても私のお姉ちゃんなんだから」

「あは、そだね」

 

 子供らしく自慢げに胸を張るロミナに、レンも笑顔で応じる。

 

 そこへ、オーダーを取り終えてナーリスが戻ってきた。

 

「待ってねレン君、すぐ水あげるから」

 

 そう言って厨房に下がろうとした時だった。

 

 突然店の戸が開き、外の吹雪が店内に舞い込む。

 

 一斉に振り返る店内。

 

 その戸口には、2つの影が立っていた。

 

 相当な距離を歩いてきた事が判る2人の男女は、くたびれたような顔を向けてくる。

 

「すまない、ここが宿屋だって聞いてきたんだが?」

 

 男の方が尋ねる。その肩に身を預けるようにして立つ女は、まるで魂が抜けたようにグッタリとしていた。

 

「そうです、けど」

 

 そのあまりの異様振りに、ナーリスも言葉が続かない。

 

 それには構わず、男はホッとしたように笑顔を浮かべる。

 

「良かった」

 

 それだけ言うと男は、女を床に下す。

 

 慌てて駆け寄り、その体を支えるナーリス。

 

 だが女の方は、意識はあるものの瞳は虚ろで、甚だ生気が欠いていた。

 

「大変、ロミナ、母さん呼んで来て。それからお湯と部屋の準備!!」

「う、うん!!」

 

 ナーリスの手の中にある蒼き髪と瞳を持つ女性は、スッと力無く微笑むと、そのままゆっくり気を失っていった。

 

 

 

 

 

 メヴィーナがドアを出ると、そこにはレンとナーリスが待ち構えていた。

 

「どう?」

「どうもこうも、」

 

 娘の問いに、メヴィーナは困惑したように口調を濁す。

 

「何があったのか知らないけど、女の子の方はひどい消耗振りだよ。まあ、今は落ち着いているし旦那さんが着いてやっているから良いけどさ」

 

 実際、彼女の体があまりにも軽かった事は、ナーリスも感じていた。

 

 ひょっとしたら、何か病気を患っているのかもしれない。だが、それならそれで、なぜこの吹雪の中を旅して来たのかが判らなかった。

 

「とにかく、暫くは食べ易い食事を出して養生させる事にするよ。休めばまた違ってくるかもしれないし」

「そうだね」

 

 そう言いながら親娘は新たな客の食事を作る為に、厨房へと下りて行く。

 

 そして1人残されたレンは、2人の背中が見えなくなってからそっと扉へ近付く。

 

 しかしその動きに反応するように、扉は内側から開いた。

 

「「あ、」」

 

 思わず、互いに同じ声を発した。

 

 レンを見据える鋭くも温かみのある瞳が、まるでこの人物の性格を雄弁に語っているかのようだ。

 

「えっと、宿の人か?」

「い、いえ、僕も客ですけど」

 

 金を払っている訳ではないが、一応客と言う事になるだろうか。取り合えず、そう名乗る。

 

「そっか」

 

 アセリアを寝かしつけたユウトは、取り合えず金銭交渉をしようと出てきたのだが、その前に廊下でレンと出くわしたのだった。

 

「そんじゃ、俺たちと一緒って訳だ。よろしくな。俺はユウトだ。あっちはアセリア」

「あ、僕はレンです」

 

 差し出される手を、レンは握り返す。

 

 途端に流れ込んでくる違和感。

 

 レンはユウトに気付かれないように、そっと目を伏せる。

 

「それじゃあ俺は店の人に会ってくるから、また後でな」

 

 それだけ言うと、ユウトは階段のほうへと消えていった。

 

 それを見送ってから、レンは息を吐く。瞳の見下ろす先には、先程ユウトと握手を交した掌がある。

 

《間違いないね》

「うん」

 

 内なる声に頷く。

 

《彼はエターナルだよ。それに多分、奥さんの方も》

「うん、でも、『彼等』の仲間じゃないみたいだね」

《うん、でもさっき戦っていたのがユウト達なら、その相手がそうって可能性もあるからね。油断は出来ないよ、まだ》

「うん」

 

 とにかく1つの可能性が排除された事に、ホッと息を吐いた。もしユウトが追っ手だとしたら、この状態で戦っても勝ち目は無かっただろう。

 

《ま、時間的に考えにくい事も確かだけどね》

「まあね、追ってくるにしても、もう少し時間掛かるだろうしさ」

 

 『脱獄』からの時間を考慮すれば、向こうが気付くにしても暫く猶予があると踏んでいた。

 

 その間に、どれだけ体勢を整えられるかが勝負の鍵と言えた。

 

「情報の方は?」

《収集は完了。でも、僕等が知ってた頃から見るとあらゆる事が変遷しちゃってるから、解析と変換、それに整理に時間が掛かると思う》

 

 その時だった。

 

 階下から喧騒が響く。

 

「ん?」

《何だろ?》

 

 けたたましい音と共に、尋常でないざわめきも聞こえてくる。

 

 ただ事では無いと感じたレンは、急いで階下へと駆け下りた。

 

 

 

 

 

 酒場に残っていた客は、僅かであった。だがその客は皆、壁際へと追いやって遠巻きにしている。

 

 その視線の先に、入り口から入ってきた一団がある。

 

 揃いの黒い制服に身を包み、腰には皆それぞれ剣を差している。

 

 一目で彼等が、何らかの軍事集団である事が伺えた。

 

「この店に、領主カイネル様に反逆する者が入ったとの報告があった。速やかにその者をここへ出せ。隠し立てすると、ためにはならんぞ。」

 

 店中に聞こえる声で、先頭に立つ兵士が言った。

 

 反逆者。

 

 その言葉に、レンは首を傾げる。

 

 店の中にはまだ10人以上の客が居る。この中に、その反逆者とやらが居るとでも言うのだろうか?

 

 その時、厨房の方でガタッと言う音がする。

 

 一斉に振り向く一同。

 

 その扉の向こうでは出て行こうとするユウトと、それを押し留めようとするメヴィーナが押し問答をしていた。

 

「放してくれ、奴等は俺達を追ってきたんだ。俺が出て行けば済む話だ」

「馬鹿言うんじゃないよ。大事なお客を、そんな危険な目に合わせられるはずないだろ?」

「だが、このままじゃ、この店や客達に迷惑が掛かる」

 

 物音を聞いた兵士達の意識も、厨房に向き始めている。彼等がここに踏み込んでくるのは時間の問題だろう。

 

 だが、メヴィーナは優しく笑いながらやんわりとユウトを押し留める。

 

「良いから良いから、ここはうちの娘に任せておきな」

 

 その言葉を待っていたかのように、兵士達の前にナーリスが立ちはだかった。

 

「帰りなさい、ここにはあんた達が探しているような人間はいないわ」

 

 立ちはだかるウェイトレス姿の少女を前に、しかし兵士達も一歩も譲る気は無い。

 

 それに対して兵士達も、まったく退く気配を見せずに向かい合う。

 

「そうは行かんな。俺達も仕事できているのだ。その言葉だけで納得して帰れるわけが無いだろう。子供の遣いじゃないんだからな」

 

 笑みを含んだ言葉と共に前に出る兵士。

 

 周りを取り巻いている他の兵士達にも、失笑が漏れる。明らかに小娘と判る相手を前にして、彼らの油断を責める事は誰も出来ないだろう。

 

 そう、相手がただの小娘であるなら。

 

 対してナーリスも退かない。

 

「警告は2度まで。3度目は無いわよ」

「ほう?」

 

 ほとんどムキになって、兵士達も前に出る。このような小娘にここまで言われては、彼等も引っ込みが付かなくなったのだろう。

 

 場の雰囲気が一気に緊迫し、空気が張り詰める。

 

《あ〜、あれまずいんじゃない?》

「だね」

 

 短く頷くと同時に、軽やかに階下に身を躍らせるレン。

 

 そのままナーリスと兵士達の間に割って入る。

 

「レン君?」

 

 突如、自分を護るように割って入った宿泊客の少年に、ナーリスは目を丸くする。

 

「待ってください。何があったのか知りませんが、乱暴な事は、」

「うるさい、どけ!!」

 

 最後まで台詞を言わせて貰う事も出来ず、兵士の拳によってレンを殴り飛ばされた。

 

 レンの華奢な体は空中に舞ったかと思うと、テーブルを2、3台倒して床に激突する。

 

「レン君!!」

 

 倒れた机の下に埋もれるレンの姿を見て、ナーリスの血管が一気に沸騰する。

 

 急加速させられた血流はアドレナリンと化学反応を起こし、痛い程のスピードで肌の内を駆け巡る。

 

 スッと細められる瞳、その内に燃える炎が室内に真空空間を築き上げる。

 

「言ったわよね、3度目は無いって」

 

 紡がれる言葉は、外を吹き荒れる吹雪よりもなお冷たい。

 

 その時、

 

「お姉ちゃん!!」

 

 階段から顔を出したロミナが、階下に向かって細長い物を投げる。

 

 それを受け取るナーリス。一息の内に抜き放つ。

 

 緋色の刀身を持つ両刃の剣。少女の細腕にはアンバランスな存在が、人々の目を射る。

 

 途端に、客達の間から歓声が起こる。

 

 人外なる力を具現するその剣の登場により、パワーバランスが逆転していた。

 

 剣を持つたった1人の少女。

 

 そのたった1人の少女に、居並ぶ屈強な兵士達が気圧されていた。

 

 怯む兵士に、線上にあるギャラリーが沸き立つ。

 

「やっちまえナーリス!!」

「ぶっとばせ!!」

 

 客達の歓声に背を押され前にであるナーリス。それに併せて、兵士達が後ずさる。

 

 だが次の瞬間、全てが終わっていた。

 

 一瞬で室内を駆けた炎が、精密機械の如き正確さで居並ぶ兵士のみを覆い尽くす。

 

 途端に広がる、悲鳴の重奏。

 

 兵士達は炎にまかれてのた打ち回る。

 

 わずか一閃。それだけでナーリスは、10数人から成る兵士達を一掃してしまった。

 

 やがて、ナーリスが剣を収めると同時に炎も晴れる。

 

 その中から、床に転がって呻く兵士達の姿が現れた。どれも酷い火傷を負ってはいるが、死に至っている者はいない。どうやらナーリスは、ある程度手加減して攻撃したようだ。

 

「ま、これに懲りたら、2度とその汚い顔、見せないでよね。」

 

 決然と言い放つナーリスの声と、それに伴って起こる大歓声が酒場を支配する。

 

 兵士達はその声を背にしながら、比較的軽傷だった者が仲間達を背負いながらスゴスゴと退却して行く。

 

 敗者の惨めな背中と、勝者たる少女の凛々しい姿。

 

 その両者の姿を、ようやく這い出してきたレンは視界に納める。

 

 だがレンは、そのどちらも見ていない。

 

 その少年らしからぬ可憐な瞳が映す物は、少女が持つ緋色の剣。

 

 剣位はそれ程高くは無い。だが、間違いなく永遠神剣だ。

 

 それに、

 

「あ・・・あの剣は・・・・・・・・・・・・」

 

 運命の悪戯か、あるいは何かの天罰か。

 

 少なくとも少年は、自分を取り結ぶ因果の糸が未だに断ち切られていないのを実感する。

 

 レンの瞳はただ、その剣の鮮やかな刀身に吸い寄せられて離れなかった。

 

 

 

 

 

第4話「気高き者達」      おわり