Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第2話「咎人達の土地」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は腰にある剣に手を掛ける。

 

 こうしている時だけ周囲の吹雪は気にならず、陽だまりに身を投じたような温かさが身を包む。

 

 もっとも生まれてこの方、陽だまりに身を置いた事は少ないのだが。

 

 鞘から一閃、緋色の刀身が鋭い斬撃となって空間に一線引く。

 

 放たれた斬撃によって、スクリーンと化した吹雪が横に裂ける。

 

 更に、手を止めない。

 

 2度、3度と放たれる斬撃が吹雪を微塵に切り裂いていく。

 

 剣を振るう度にマナが飛び散り、白き空間の中で踊るのが見える。

 

 剣は白き空間の中にあって、僅かな光を捉えて輝く。

 

 ただひたすらに、それだけが自身の役目であるかのように。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 やがて、その動きも止まる。

 

 ゆっくりと息を吐きながら、切っ先を引いていく。

 

 いつもの鍛錬を終えたナーリスは、ゆっくりと剣を鞘に戻して行く。

 

 先祖伝来のこの剣はかつて伝説にまでその名前が上ったとされているだけあり、誰でも使えるというわけではない。

 

 ナーリスが扱えたのは、奇跡に近いと周囲の人間に持て囃されたのを今でも覚えている。

 

 永遠神剣第七位《陽炎》。両刃の形状をしたこの剣は、初めの頃こそ振り慣れる事が出来ず少女の手には重かったが、今ではすっかり体の一部と化したかのような一体感があった。

 

 と、その時、彼方の方で大きな鐘が鳴る音がした。

 

 慌てて時間を確認する。

 

「いっけない、もうこんな時間!?」

 

 ここへは別に鍛錬に来た訳ではない。そちらはあくまでついでだ。

 

 本来の目的を思い出すと、足元に置いておいた桶を取る。

 

 店で使う水を汲みに行く事がナーリスに課せられたお遣いである。

 

実家は酒場兼宿屋を経営しており、これから客入れもピークを迎える。看板娘であるナーリスがこれ以上無駄にする時間は無かった。

 

急いで駆け出す。すぐに水を汲んで戻らねばならない。

 

 この大陸は世界の中でも北方に位置し、万年雪に囲まれた土地である。その為、事が水に及ぶ限り不便になる事は無い。だがそれでもナーリスの店ではより上質な水に拘り、山奥にある沢へ毎朝汲みに来ているのである。そしてそれは、主にナーリスの仕事であった。

 

 父は既に無く、母は店の開店準備で忙しい。妹が居るには居るが、まだ幼く力仕事を任せる事はできない。そんな訳で水汲みはナーリスの仕事になっていた。

 

 滝の所まで来ると、手にした桶を流れる水に差し出す。

 

 水に関しては世界一とまで言われるこの大陸の中でも、至高とまで言われる水質を誇る滝であり、地元ではナーリスとその母、メヴィーナしか知り得ない秘密の場所であった。

 

 水が桶を満たし、徐々にその重さを増して行く。

 

 《陽炎》が扱えるようになってから、ナーリスは普通の少女とは比べ物にならないほどの力がその身に宿るようになった。その為、普通なら持って歩く事もできないような量の水が入った桶でも、軽々と持ち運ぶ事ができた。

 

「よしっと」

 

 予定量の水を汲みナーリスは踵を返す。

 

 後はこれを持って帰って母に渡せばお遣いは完了。夕方の開店時間までナーリスは自由時間になる。

 

 そう言って歩き出そうとした時だった。

 

 踏み慣れた雪の物とは全く異質の感触が足裏から感じる。

 

「え?」

 

 恐る恐る、足元を見てみる。

 

 そこには、半ば雪に埋もれるようにして何かが横たわっている。

 

 まるで降りしきる雪よりもなお白いと思える毛の下から見えるソレは、間違いなく人間の顔だった。

 

 つまりナーリスは今、他人の顔を踏んでいると言う事になる。

 

「わっ、わわ!?」

 

 とっさに下がろうとして更に足に力を込めてしまい、慌てて足をどかす。しかしその拍子にバランスを崩し思いっきり尻餅を突いた。

 

 お陰で折角汲んだ水が地面にぶちまけられてしまったが、今はそんな事を気にしているときでは無い。

 

 恐る恐る、その人物の顔を覗き込む。

 

 白い髪に、その下から覗く整った顔立ち。恐らく女の子だ。今はその瞳は静かに閉じられ、開く気配は無い。

 

「死んで・・・るの?」

 

 ピクリとも動かないその少女の顔は、確かに死んだように動かない。だがすぐに、ナーリスの鼓膜は僅かに漏れる空気の音を捉える。

 

 慌てて手袋を外し口元に手を当てる。

 

 その掌に僅かながら、少女が呼吸する感触が伝わって来た。

 

 すぐに胸に手を当てる。思っていた以上に薄い感触が伝わって来たが、そこまで気は回らない。

 

 動いている。少女の心臓は確かに生命の鼓動を刻んでいた。

 

「大変!!」

 

 少女の体を急いで雪の中から引きずり出す。どれだけここに横たわっていたのか、その体は氷のように冷たかった。

 

 軽い感触。少女の体は、先程まで持っていた桶より更に軽い。

 

 ナーリスはすぐに水を汲み直し、少女の体を背負うと山道を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の任務は、本当に長々と続いていた。

 

 多くの世界を渡り歩き、崩壊の兆しのある場所に行って時間を修正、崩壊の未来を食い止めると言う任務は、本来なら彼等の上司である巫女がやれば一瞬で終わるのだが、その巫女は何だかんだと理由をごね付けて、この面倒極まりない任務をこちらに投げて遣してきたのだった。

 

「うわっ」

 

 ユウトは船から下りると、思わず息を呑んだ。

 

 辺り一面の白。それ以外の配色は一切許されていないこの大地は、南から来たユウトにとっては目が痛かった。これまで幾つもの世界を回って来たが、こんな場所は初めてであった。

 

「俺達が送ってやれるのはここまでだ」

 

 背後からの声に、ユウトは振り返る。

 

 ここまで自分達を運んでくれた船長は、やや腰を引きながらユウトに近付いてくる。

 

「この季節、これ以上奥まで行くのは無理だ」

 

 その様子に、ユウトは苦笑する。ここに来る前に少々脅しすぎてしまったようだ。根は良い人物なのであろう船長は、恐々とした瞳でユウトを見ている。

 

「ああ、助かった。後は自分達で何とかするよ」

 

 そう言うと、懐から約束の報酬を取り出す。

 

 金貨の詰まった4つの袋を船長に手渡す。こう見えても、作戦遂行に当たる必要経費としてトキミから結構な額を受け取っている為、やろうと思えばユウトはこの世界で左団扇な生活も出来るのである。

 

「お、おいおい!!」

 

 慌てたのは船長の方だった。

 

「約束だと2袋のはずだろ。これじゃ多過ぎだ」

 

 当初の予定より倍に相当する額を受け取り船長は慌てる。

 

 そんな船長に、ユウト笑って言った。

 

「良いよ。無理を言ったのはこっちだし。それに、あっても困らないだろ?」

「それは・・・そうだけどよ」

 

 歯切れ悪く肯定する船長。

 

 そんな船長に対し踵を返そうとするユウト。

 

 だが、その前に船長はユウトを呼び止めた。

 

「なあ、あんた。この土地の曰くは知ってるのかい?」

「曰く?」

 

 振り返るユウト。

 

 実はこの土地に来るに辺り、ユウトは何の下調べもしていなかった。ただマナの流れを追って来たらこの地に辿り着いたのである。

 

 そんなユウトに船長は語り始める。

 

「ここはその昔、邪神を奉っていた一族が築いた土地だって言われているんだ。噂によると、今でもその邪神を崇めている連中が居るって話だぜ」

「邪神・・・ね」

 

 さすがに邪神に知り合いはいないな、などとどうでも良い事を考えながら船長の話を聞いている。

 

「あんたも充分気を付けな。連中は邪神に捧げる生贄を欲してるって話だ。あんたはともかく、アンタの奥さんは危ないかもしれないからな」

 

 多額の報酬を受け取った、船長なりの気遣いだったのだろう。

 

 ユウトは礼を言うと、船長と別れた。

 

 足を向けた先に佇む少女の下へ歩み寄った。

 

 アセリア。

 

 数千年に渡り共に過ごして来た戦友であり妻でもある少女は、防寒着に包んだ体を休めるように岩の上に腰掛けている。

 

 虚空を眺めるようなアセリアの視線と交差すると、ユウトは微笑みながら歩み寄る。

 

「取りあえず街へ出る道は判ったから、今日中に何とか辿り着けるようにしよう」

「私が」

「却下だ」

 

 アセリアの次の言葉を察し先回りするユウト。当然、アセリアは不満に頬を膨らませる。

 

「・・・・・・・・・・・・まだ何も言ってない」

「どうせ俺を抱えて飛ぶとか言いたいんだろ。駄目に決まってる」

 

 断固たる調子で、ユウトは告げた。

 

 図星を突かれたアセリアとしては、押し黙るしかない。

 

「・・・なぜ?」

 

 不満そうに口を尖らせるアセリアに苦笑しつつ、ユウトはその横に腰掛ける。

 

 彼女がここの最近酷く調子が悪い事は知っている。不調のアセリアにあまり無理はさせたくない。

 

「心配するなって、どうせ歩いても1日あれば辿り着ける距離だ。だからゆっくり歩いて行こうぜ」

「ん、ユウトがそう言うのなら」

 

 素直に頷くアセリアの髪を、ユウトはそっと撫でる。

 

 あの時からまったく変わる事のない蒼髪は、まるで彼女を象徴する属性である水のように、指の間から零れて掌をくすぐっていく。

 

「さあ、行こうぜ。何とか日が落ちるまでには着きたいし」

 

 そう言って見上げる空。

 

 辛うじて見える太陽はしかし、地上までその威光を届かせる事はできない。その前に白いスクリーンが立ちはだかり、あらゆる熱と光を吸収して行く。

 

 雪と氷に閉ざされた極寒の大地。

 

 ここにマナ流の異常を認めてやって来たのだ。

 

 ユウトの予想が正しければ、この土地にあらゆる騒動の元凶があるように思えた。

 

 ユウトはアセリアの手を取ると、柔らかい雪の感触を確かめながらゆっくりと歩き出す。

 

 だが、その様子を密かに見詰める目がある事にはユウトも、そしてアセリアも知る由も無かった。

 

 

 

 

 

「ほう」

 

 感嘆とも溜息とも取れる声が、他2人の注意を引く。

 

「これは驚いた。ちょっと強力なマナの揺らぎを確認したから探ってみれば、大した大物が釣れたようだね」

「数は?」

「1つ・・・いや、2つだな。あまり感じた事の無い気配のようだから、カオス側の新人かもしれんな」

 

 薄暗い空間に合って、互いの姿を確認する事はできない。ただその声のみが、彼等の存在を肯定する要素となり得る。

 

「聞けば例の戦巫女が今回、我等の方へ派遣されたと言う情報を得ているのだが?」

「じゃあ、その内1人は《時詠》かい?」

「いや。あの女の気配は判っているが、今回のはまた別のようだ」

「ふむ、ではその部下、と考えるべきか。そうなると、ここに来るまで我等の崩点を潰して来たのはそいつら、と言う事になるな」

 

 そこまで会話が続いた時、不意に人1人が動く気配があった。

 

「・・・・・・行くのか?」

「相手が誰であれ、まずは一当てしてみない事には判らないさ。威力偵察はあたしの専門でしょ」

 

 そう告げる女の声には、どこか楽しげな響きがある。

 

 そんな女の性格を良く知っているだけに、打つべき釘は打っておかねばならない。

 

「楽しむのは結構だが忘れるな。そいつらは、あの戦巫女が自信を持って送り込んでくるような連中だ。並みの相手では無いだろう。我等はまだ、この時点で貴様を失うわけには行かないのだからな」

「判ってるって」

 

 それだけ言うと、女の気配が消えて行くのが判った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの上にある「少年」は、ゆっくりと呼吸しながら眠りの世界を漂っている。

 

 その脇の椅子に腰掛け、ナーリスは少年の顔をジッと眺める。

 

 不意に、ナーリスは頬を赤くする。つい先程の事を思い出したのだ。

 

 まさか、この予期せぬ珍客の正体が男であったとは。

 

 それに気付いたのは、寝巻きに着替えさせる為に服を脱がせた時だった。

 

 女性なら決して持っていない物がナーリスの目に飛び込み、

 

「〜〜〜〜〜〜!?」

 

 声にならない悲鳴を上げて、ベッドの上に突っ伏した。

 

 勿論、見たのは初めてと言うわけでは無い。だから見慣れている心算ではあったのだが、

 

「違う違う、何考えてんのよあたし!?」

 

 思わず大声を出しそうになり、慌てて声のトーンを落とした。

 

 顔を上げ、改めて少年の顔を見る。

 

 今だ瞼に閉ざされた瞳を窺い知る事はできないが、その儚げな顔はどう見ても女の子のそれである。

 

 下手をすると自分よりも美人なのではないかと思えるその顔には、そこはかとなく嫉妬めいた感情が起きないでもない。

 

「・・・・・・これで男の子ってのは、ちょっと反則よね」

 

 結局着替えは母にやってもらい自分は空き時間を利用して、こうして看病しているわけである。

 

 その時、背後のドアが開いて人が入ってくる気配を感じた。

 

「どうだい、様子は?」

 

 入って来たのは母親のメヴィーナであった。

 

 ナーリスよりも確実に二周りは大きなその体は、しかし仕事の時には驚くほどの速さで動くのだから驚きである。これも女手1つで2人の子供を育てて来た故であろう。

 

「よく眠ってる。これなら大丈夫なんじゃないかな」

 

 ベッドで眠る少年の寝息は規則正しく呼吸を繰り返している。特に異常らしい異常は無いのだろう。これなら、案外すぐに目覚めるかもしれない。

 

 メヴィーナも少年の顔を覗き込み、安心したように頷く。だがすぐに、怪訝そうな顔になる。

 

「それよりさ、この子、」

「何?」

「どこから来たんだろうね?」

「どこから、て・・・・・・」

 

 言われて、ナーリスは思い出す。

 

 この少年の格好は比較的薄手の上下に、頭からスッポリ覆うタイプの砂色の外套だけである。

 

 この大陸は北方に位置し、万年雪に閉ざされている。住民ですら外に出るときには比較的厚着が必要だし、気候に慣れていない旅人なら尚更である。

 

 まったくもって自慢にならないが、この大陸を訪れる旅人は稀である。こんな所に来る物好きな旅人である為、当然の如く準備は万端に成す筈である。

 

 つまりこの少年の出で立ちは、住人としても旅人としても在り得ないのである。

 

「何で、こんな薄着なのかねえ?」

「うん」

 

 言われて見れば、かなり奇異である。

 

 それに少年の容姿、一体どうしたら、こんな真っ白な髪になれるのか?

 

 恐怖が極限に達し精神的に溜まったストレスが処理不可能になった時、人間の髪は真っ白に染まると言う。ならばこの少年も、そのようにして本来の髪の色を失ったのだろうか?

 

「何にしても、起きてくれない事にはね」

「うん、そうだね」

 

 そう言うと、再び少年の顔を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

 黄昏の焔が視界を満たす。

 

 佇む少年はただ哀しげに、立ち上る火柱を眺める。

 

 傍らに膝を突く騎士も、悔しそうに頭を垂れている。

 

「無念でございます、騎士長」

 

 既に大勢は決しつつあった。

 

 集った同志は多くが倒れ、殺意を持った刃は既に喉元に突き付けられていた。

 

 なぜ、こうなったのだろう?

 

 自分の事が正しかった、などとは露とも思っていない。

 

 ただ、理由も無く死に行く者達の在り方は絶対に間違っている。そう思っただけであった。

 

 間もなく、ここに《彼》が来る。その前に、済ませるべき事は済ませねばならない。

 

「味方は、どれくらい残っています?」

 

 道連れは、少なければ少ない程良いだろう。

 

「この本陣を守る部隊の他は、各戦線で抵抗を続けている者達がいくらか残っている程度かと」

 

 急がねばならない。1秒遅れれば救える命も救えなくなる。

 

 決断を下すべく、少年は振り返った。

 

 

 

 

 

 瞼に透けて、淡い光が溶け込んでくる。

 

 間もなく、自分が覚醒するのだと言う事が判った。

 

 徐々に開かれる瞼の隙間から、光が拡大して行く。

 

「ん・・・・・・」

 

 軽い呻きに、傍らで何かが反応するような気配があった。

 

「あ、起きた?」

 

 明るさを感じさせる声。

 

 その声に導かれるように、意識が急速に解凍されて行く。

 

 やがて、視界が色を取り戻す。

 

「おはよう。気分はどう?」

 

 自分を覗き込む少女。

 

 それが久しぶりのうつし世で見た、最初の光景であった。

 

 

 

 

 

第2話「咎人達の土地」     おわり