風が吹く。

 

 赤錆びた匂いが残るその風が鼻を突き、激しい嘔吐感を苛む。

 

 大地を埋め尽くす屍の山が、戦いの激しさを物語る。

 

 流れ出た血は大河となり、大地を腐食する。

 

 男は槍を携え、ゆっくりと歩を進める。

 

 敵味方、多くの英霊が見守る中、対峙する。

 

「・・・・・・・・・・・・何故だ?」

 

 問い掛けの先にいる、少年。

 

 築き上げた屍の山の上に座す、少年。

 

 その背に従う、純白の12翼。

 

「何故、このような事をした?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少年は無言。ただ視線のみを、男に向ける。

 

「答えろ!?」

 

 声を荒げる男。

 

 対して少年は、ようやく口を開く。

 

「許せなかった、じゃ、理由にならない?」

 

 その声は、淡々とし、事務的な感が否めない。

 

 その視線は虚空の先、どこか、ここには無い何かを見詰めている。

 

「王の犯した罪、それを僕は許す事ができなかった。それが理由かな。」

「罪じゃない!!」

 

 声を荒げる男。

 

「人間共が何をしでかしたか、お前とて知らぬはずはあるまい。」

「・・・・・・」

「王が下された採決は、言わば必然。我らにはそれに従わねばならぬ義務がある。いや、あったはずだ!!」

 

 激高する男を見て、少年はクスリと笑う。

 

 彼は好きだった。男の、こういう所が何よりも。

 

「あなたは、変わらないね。」

「何?」

「敵となった今でも、僕の身を案じてくれている。」

 

 少年はスッと立ち上がる。

 

 その手には、鞘に収まったままの刀を握り。

 

「でも、僕は退かないよ。」

「・・・・・・」

「何故なら、僕は自由だから。」

 

 少年は優しげな、そして儚げな笑みを浮かべる。

 

「自由とは、何物にも縛られない事。そして、自らを戒める事。だから、僕は僕であり続ける限り、王に剣を向ける事をやめるつもりは無い。」

 

 言っている内に、背にある12枚の翼が、まるで花開くように広がっていく。

 

「止めるんだったら、僕を殺すしかないね。」

「・・・・・・・・・・・・元より、そのつもりで来た。」

 

 男も、手にした槍を構える。

 

「悪辣なる反逆者。多くの罪を重ねし、神をも恐れぬ邪神よ、我が槍にて下す貴様への判決は、死罪だ。」

「謹んでお受けする・・・訳にはいけないよね。僕が、自由である為には、」

 

 少年も、刀を鞘から抜いて構える。

 

 そして、光が包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、

 

 そう、かつて、戦争があった。

 

 人と神、悪魔と邪神とが入り乱れ、

 

 その業火は天上をも焼き尽くした。

 

 多くの命が、光の下へ失われていった。

 

 それは、まだ天土すら定まらぬ、世界の始まりの物語。

 

 人々の記憶より薄れ、消え行く中で、

 

 消せぬ灯火が、今再び大火を呼ぼうとしていた。

 

 

 

 

 

Wing Of Evil Deity

 

 

 

 

 

第1話「宿星の煌き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深遠。

 

 ただひたすらに暗く、

 

 ただひたすらに静寂。

 

 光は差さず、

 

 時間さえ、その動きを永久に止める。

 

 そんな亜空間の奥底に鎮座するように、

 

 1つの人影が瞳を閉じて横たわっている。

 

 眉1つ動かさず、呼吸さえ止めたその姿は、生命の動きを止めて久しいようにさえ見える。

 

 静かに、

 

 ただ静かに、

 

 胸の前で手を組んで眠り続ける姿は、御伽噺の眠り姫を想起させる。

 

《ねえ・・・・・・》

 

 夢現の中で聞こえてくる声は、とても懐かしく、心の中に響く。

 

《ねえ・・・起きなよ・・・・・・ほら・・・・・・》

 

 もう、どれくらいこの声を聞いていなかっただろう?

 

 ふとすると、この声の主すら忘れてしまいそうなほど、自分は眠っていた気がする。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと目を開く。

 

 そこにあるのは、闇。

 

 ただひたすらの、黒。

 

《やっと起きた。おはよう。》

 

 その声に、思考はようやく巡り始めた。

 

「君か・・・」

 

 長く共にある存在の声に、自然、口元が綻ぶ。

 

 懐かしい、

 

 本当に、懐かしい。

 

「・・・僕は、どれくらい眠っていたのかな?」

《さあ、何しろここには時間的な概念が一切通用しないからね。》

 

 お手上げといった感じの声が返る。

 

 ゆっくりと、記憶がリフレインされていく。

 

 なぜ、自分はこのような場所にいるのか?

 

 自分の最後の記憶は、一体何なのか?

 

「・・・・・・・・・・・・そうか。」

 

 全ての記憶が手繰り寄せられ、1人頷く。

 

 ここは牢獄。

 

 自分という禁忌を封じ込める為の、常しえの闇なのだ。

 

 どれだけの時間眠っていたのかは判らないが、予想が正しければ100や200の周期では効くまい。

 

『でも・・・・・・』

 

 ゆっくりと身を起こす。

 

 自分がこうして目覚めた以上、最早このような場所にい続ける理由は無い。

 

 ゆっくりと、意識を掌に集中させる。

 

《出るの?》

 

 歓喜の響きが満たす。

 

 対して笑顔で頷く。

 

 自分を縛る事は、何人にも許されない。

 

 そうそれが、例え、

 

 神であったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙は1つではない。

 

 多重世界、多重次元、平行世界、回帰世界、様々な世界が存在する。

 

 その多くの世界を戦場にして、合い争う2つの勢力が存在する。

 

 1つは第一位永遠神剣への回帰を目指し、多くの世界を滅ぼし、マナに返す事を目的とした集団。

 

 今1つは、回帰する事を良しとせず、今ある世界をあるがままに存続させる事を目的とした集団。

 

 前者をロウ・エターナル、後者をカオス・エターナルと言った。

 

 気が遠くなるほどの太古より合い争い続けるこの2つの勢力は、既に多くの者達が、その戦いの意義を失いつつあった。

 

 ただひたすらに剣を振るい続け、

 

 敵の、そして自らの血を流し続けた。

 

 

 

 

 

 光を囲む影は3つ。

 

 大柄の男

 

 小柄な少女

 

 そして女

 

「して、首尾の方は?」

 

 重々しい声に、残る2人は振り返る。

 

「上々だな。向こうは快く受け入れてくれた。」

「快く・・・ね。」

 

 揶揄するような女の声に、残る2人は視線を上げた。

 

「何だ、何か不満があるのか?」

「いや、別に。」

 

 皮肉な笑みを浮かべつつ、そっぽを向く。

 

 この連中のやり口は知っているし、自分もそのやり方にこれまで加担してきた。今更それを否定する事はできない。

 

「しかし、恐ろしいものだな。人の恩讐と言うのは。」

 

 含み笑いを浮かべながらの言葉に一瞬眉を顰めながらも、その意見には賛成なのであえて何も言わない。

 

 恨みから生まれえる物など何も存在しない。恨みはただ、悲劇の連鎖を繰り返すのみである。

 

 だがそれが判っていてなお、人は自らの内に燃える黒き炎を絶やそうとはしない。

 

「邪神を奉ずる一族の末裔達か。この度の仕掛けを施すに当たり、これ程最適な者達も他には居ないだろう。」

 

 既に下準備は済んでいる。

 

 後は、その道筋を制定し、当然の如く現れるであろう邪魔者達を排除するのみである。

 

「では、行くとするか。」

 

 重々しく発する宣言に、他の2人は肯定の言葉の代わりに身を起こす。

 

「全ては、第一位永遠神剣の為に。」

 

 

 

 

 

 その男女を見れば、長く旅をして来たであろう事は一目瞭然である。

 

 ボロボロに擦り切れた外套に、重い足取り。まるで何かを求めるような視線は、行く当てを無くした獣のようだ。

 

「ここに行って欲しいんだ。」

 

 差し出された紙に書かれた地名に、船乗りは一瞬眉を顰める。

 

「おいおい、あんた正気かよ?」

 

 正直、御免被りたかった。

 

 男が示した場所は、この時期の旅人なら誰も近付こうとはしない場所であったからだ。

 

 勿論、自分とてその例外では無い。こう言った手合いには、今まで関らないようにして生きてきた。

 

 今度も断ろうと、口を開きかける。

 

 だが、まるでそれを予想していたかのように、男は船乗りの前に革の袋を投げ出す。

 

 重たらしい音と共に、金属が無数に擦れ合う音が響く。

 

 恐る恐る口を開くと、その中から眩い光が零れてくる。

 

 中にあったのは、恐らくはこの世界の時価でも相当な額になるであろう金貨の山である。とてもではないが、一介の旅人が持ち歩くような代物ではない。

 

 呆気に採られる船乗りに、男は更に告げる。

 

「前金として1袋。うまく向こうに渡れたら、報酬として同じ物を更に2袋渡す。」

 

 どうだ、とこちらを伺ってくる。

 

 正直驚いた。今時こんな額を、小銭感覚で投げ渡してくるような輩が居るとは思わなかった。

 

 この袋の中にある額だけで、普通の一家が5年は遊んで暮らせるだろう。成功すれば、これが3倍になるのだ。

 

 確かに向かう場所は危険だが、それを補って余りあるだけの報酬である。

 

「・・・・・・判った。引き受けよう。」

 

 これ程美味しい話、断る理由は無い。

 

 それに、

 

 もし万が一ヤバくなったら、この男女を殺して金だけを奪えば良いのだ。

 

 だが次の瞬間には、船乗りはそのような不遜な言葉を木っ端微塵に粉砕された。

 

「判っていると思うが、」

 

 男の低い声と共に、喉元に銀色に光る刃が当てられる。

 

 それと同時に、周囲の空気が濃度を上げたような感覚に襲われる。

 

 息が詰まる。

 

 違う。

 

 上がったのは空気の濃度ではなく、この男が放つ殺気だ。

 

「妙な考えを起こせば、命は無いからな。俺の腕ならお前が気付かない内にその首を落とす事もできるぞ。」

「は・・・はひ・・・・・・・」

 

 声が裏返る。

 

 間違っていた。

 

 こいつらは、ただの無知で間抜けな成金ではない。

 

 誰もが尻込みする虎口の地へと、自らの意思で踏み込んで行くだけの胆力を備えた存在なのだ。

 

 壊れた人形のように何度も頷くと、船乗りは自分の船の準備をする為に駆け出した。

 

 

 

 

 

 少し、やり過ぎたか?

 

 慌てて駆け去っていく船乗りの背中を見送りながら、男は溜息と供に自分の行為を苦笑気味に反省する。

 

 最近、この地方では窃盗や海賊行為が横行していると言う前情報を得ている為、警戒するに越した事が無いと言う事を宿屋で言われた為、必要以上に過敏になってしまったようだ。

 

あの船乗りには悪い事をしたなと思いつつ、少し離れた場所で座って待っている妻の所へと戻った。

 

「どうだ、調子は?」

 

 男の気遣うような言葉に、女は顔を上げる。

 

「大分良い。もう充分戦える。」

 

 予想通りの回答に、男は苦笑する。この女のこう言うやせ我慢気味の性格は、まったく改まる様子が無い。

 

「だ〜め。そんな事言って、どうせまた無茶する気なんだろ?」

「そんな事、無い。」

 

 まるで自分がいつも無茶な事をしているような言われ方に、女は少しむくれて見せる。

 

 その表情に、男の顔が一瞬引き攣る。

 

 形式だけとは言え婚儀を挙げたが、幾星霜の月日を少女の頃の容姿そのままで過ごしてきた妻のこのような顔は今もって可憐である。知らずの内に頬が緩むのを必死で堪えようとする。

 

 一方で女の方も既に男のそうした態度はお見通しな訳で、すぐに抗議の声が上がる。

 

「私は怒っている。何を笑っている?」

「あ、ああ、済まない。」

 

 とは言え一度顔に張り付いた笑みは、なかなか取れない。

 

 それをごまかす為、強引に話を戻した。

 

「とにかく、不調の原因もまだ判らないんだ。向こうに行っても暫く戦うのは俺がやるよ。」

 

 断固たる調子で言うが、女はなおも納得が行かない。

 

 自分と男の大切な誓い。それを守る為に自分は剣を振るい続けなければならない。

 

 だが今、自分はその誓いすら守れなくなりつつある。それがあまりにも悔しかった。

 

 そんな女に、夫は優しく笑いかける。

 

 だが今の女にとっては、その笑顔が何よりも辛かった。

 

 

 

 

 

 混沌、中立、秩序

 

 様々な思惑が重なり合い、宿星達は約束された地へと集う。

 

 かつて、邪神を奉った一族の住む雪に囲まれた地、

 

 『忘れ去られた大地』へと。

 

 

 

 

 

第1話「宿星の煌き」     おわり