大地が謳う詩

 

 

 

第47話「さらば、幻想の大地よ」

 

 

 

 

 

 

「ふむ、こんな物か。」

 

 手にした書類を机の上に投げ出し、セツナは大きく伸びをした。

 

 あの戦いから数日が過ぎ、既に大陸中に発令された動員令も解除されていた。それに伴い、疎開してきた人々も段階を追って故郷へ戻りつつある。

 

 戦時にあって、その許容人員を越える数の難民を抱えていたラキオス王都も、徐々に平静に戻りつつあった。

 

 ここは、王城内にある、セツナに宛がわれた私室である。ここで今、セツナは作成を頼まれた書類の最終確認を終えた所だった。

 

「まったく・・・・・・」

 

 溜息が漏れる。

 

「ここの連中、結局、最後の最後まで人をこき使いやがって。」

 

 思わず口を突いて不平が零れてしまった。

 

 改めて言うが、セツナのここでの立場はあくまで「客員将軍」である。それなりに高い地位ではあるが、「客員」の名が示す通りラキオス軍内部での実権は文字通り、掛け値無しにゼロである。かつては確かに参謀長の地位にあり、その事実はどこかの誰かさんのお陰で周知となってしまってはいるが、本来、このような仕事をする立場には無い。

 

 それでも「ラキオスに人無し」と言うのだったら、こうして仕事を頼まれる事も理解できなくは無い。だが、参謀長としては、セツナ自身がその後任に太鼓判を押したセリアがいるし、総司令官であるコウインにしても、この程度の事はそつ無くこなすだろう。

 

 ようするに、全員揃って面倒な仕事を一番投げ易い場所に放り投げた結果が、今のセツナと言うわけである。

 

「まったく、この国は本当にこれで良いのか?」

 

 戦勝のお祭り気分は判らなくもないが、もう少し引き締めてもらいたいと思うのが切なる願いである。

 

 とは言え、何だかんだと不平を言いつつもその仕事を引き受けてしまう辺り、セツナも相等お人よしなのだが。

 

「さて、」

 

 一声呟くと、セツナは壁に掛けて置いたコートを取り羽織る。

 

 今日はこのままレスティーナに参内し、この書類を提出する予定である。

 

 ベッドの上に置いておいた《絆》を背負い、書類のページを確認して部屋を出る。

 

「そう言えば・・・・・・」

 

 ふと、ネリーの事を思い出した。

 

 キハノレから戻って以後、ネリーもこの部屋で寝起きしてるのだが、今日に限っては用事があると言って朝早くから出掛けていた。

 

「確か・・・」

 

 第2詰め所に行くと言っていた筈である。

 

 ふと、考えが変わり、方向転換する。

 

 参内の時間まではまだ少しある。先にそちらへ行って、ネリーの顔を見てから行こうと思った。

 

 

 

 スピリット第2詰め所。

 

 かつて、セツナにとっても「家」だったその場所は、全てに決別を告げた、あの裏切りの日から、変わらずその場に在り続けていた。

 

 スッと息を吸い、感慨に耽る間に扉を開き、

 

 突然起きた轟音に、思わずその場に立ち尽くした。

 

「・・・・・・・・・・・・は?」

 

 扉を開けた瞬間に起こった、耳を劈くような轟音を前にして、セツナは思わず呆然と足を止めた。

 

 戦闘において炸裂した魔法もかくやと思える程の轟音を前にして、セツナは思わず入る場所を間違えたのかと思った程である。

 

 恐る恐る、首を出して中を覗き込む。

 

 廊下を満たす煙。

 

 ついでに、何やら異臭も漂っている。

 

「何だ?」

 

 勝手知ったるかつての我が家。セツナは足を踏み入れると、煙の出所を探ってみる。

 

 廊下を抜け、リビングを通り、煙は更に奥へと続いている。

 

 そして、厨房にその発生源を突き止めた。

 

「これで朝から、あなたが犠牲にした鍋の数はいくつかしらね?」

 

 そこから聞こえてくる、まるで暴発を必死で抑えているかのような声。

 

「あぅ〜・・・4つ目・・・・・・」

 

 更に、涙交じりの声も聞こえて来る。

 

 煙を掻き分けて、中を覗いて見る。

 

 中にいたのは、セリアとネリー。そして、今だに得体の知れない煙を吐き出し続けている鍋が1つ。

 

『・・・排気ガス? いや、駄目だろ自然破壊は・・・・・・』

 

 煙のせいか、そんな的外れな思考が働いてしまう。

 

「だ・か・ら・あ・れ・ほ・ど・手順を守りなさいって言ったでしょ!!」

 

 そう言うが早いか、セリアはネリーの頬を摘むと、思いっきり左右に引っ張る。

 

「い、いひゃいいひゃい、おえんあは〜い!!」(訳:イタイイタイ、ごめんなさーい)

「何をしてるんだ、お前等は?」

 

 とにもかくにも、2人が何をしているのか確認する必要がある。この美しいファンタズマゴリアの自然を守る為にも。

 

 声を掛けるセツナに、セリアはネリーの頬をつねり上げたまま振り返る。

 

「あ、セツナ様。」

「セツナ!!」

 

 一瞬セリアの指が緩んだ隙に脱出すると、ネリーはこちらに駆け寄ってきた。

 

「もう、女王様には会ってきたの?」

「いや、これからだが・・・・・・」

 

 もう一度、周囲を見回してみる。

 

 煙が晴れ、少しばかり周囲を見回せるようになってきたのだが、そこから見えたキッチンの惨状が、更にセツナを困惑させる。

 

 戦場でもこれ程ひどくは無いと思える程のそこは、さながらタキオスの空間断絶の余波でも喰らったのではないかと思える程である。

 

「で、何をしてたんだ?」

 

 先の質問を、もう一度繰り返してみる。

 

「見て判んない?」

「・・・・・・判らんから聞いてる。」

 

 呆れ気味に応えるセツナ。そもそも、何を判れと?

 

 そんなセツナの答えが気に食わなかったのか、ネリーは腰に手を当てて不満そうな顔をする。

 

「お料理だよ。決まってるじゃん。」

「決まってるのか?」

 

 思わず、真顔で問い返してしまった。

 

 どう見ても産廃物製造工場にしか見えないかつての厨房跡地だが、本人がそう主張する以上、料理をしていたのは確かなのだろう。ただし、第3者の視点からそれを理解するには、多重次元とのリンクが必要になりそうだが。

 

「まったく、困りました。」

 

 疲れ果てた顔で、セリアが口を開いた。

 

「朝早くから叩き起こすものだから何事かと思えば、いきなり料理を教えろですからね。まあ、それ自体は良いのですが、この娘が積極的に教えを請いに来る事なんて珍しいですから。でも、それがこんな事になるなんて・・・・・・」

 

 周囲を見回しながら、溜息を吐くセリア。

 

 まあ、言いたい事は理解できるので、セツナは適当に相槌を打っておく。

 

 だが、それを理解できない御方が約1名。

 

「う〜ん、やっぱり教わる人間違えたかな? エスペリアかハリオン辺りにでも教わっておけば良かったかも。」

 

 能天気に告げるネリー。

 

 次の瞬間、

 

 スコーーーーーーン

 

 なかなか景気の良い音と共に、セリアの手にあるお玉がネリーの頭にクリーンヒットした。

 

「あだっ!?」

「自分の事棚に上げてないで、あなたはさっさと後始末をしなさい。まったく、何回言っても人の言う事守らないくせに。」

「は〜〜〜い。」

 

 ノロノロと片付けに入るネリーだが、すぐに思い出したようにセツナに振り返る。

 

「待っててね、セツナ。上手になったらセツナにも美味しい物食べさせてあげるから。」

「いや・・・・・・」

 

 その後の言葉が続かない。

 

 何と言うか、この惨状からネリーの作る料理が想像できないのは致命傷と言ってもまだ足りないくらいだった。

 

 そんなセツナの窮状を見かねて、横からセリアが皮肉混じりに言った。

 

「ま、この状況を見る限りじゃ100年経っても無理かもね。」

「え〜〜〜〜〜〜」

「良いんじゃない? エターナルになって永遠の命も手に入った事だし、ちょうど良いでしょ。」

「ブーブー!! セリアの根性悪!!」

「良いから、さっさと片付けなさい。」

 

 そう言ってネリーを追い払うと、セツナに向き直る。

 

「座っていてください。こんな状態ですけど、お茶くらい出せますから。」

「いや、この後すぐに参内しなきゃならないから、これで失礼する。」

 

 そう言って辞する。そろそろ時間的にも良い頃合だ。

 

「あの、セツナ様。」

「ん?」

 

 出て行こうとするセツナを、もう一度セリアが呼び止めた。

 

 セリアはネリーに聞こえないように近寄ると、小声で話し出した。

 

「あんな風に、ちょっと手の掛かる娘ですけど、私にとっては可愛い妹分です。ですから、」

 

 そこでセリアは、現役時代なら決してしないような事をした。

 

 つまり、セツナに対し深々と頭を下げてきた。

 

「ネリーの事、宜しくお願いします。」

 

 対してセツナは、笑顔を浮かべる。

 

「ああ、判ってる。」

 

 彼女にとって、ネリーはかけがえの無い家族の1人なのだ。その大切な家族は、如何なる理由であろうと自分は奪っていくのだから、生半可な覚悟ではいられない。

 

 顔を上げるセリアの顔にも、笑顔がある。

 

 セリアからセツナへ、想いは受け継がれる。1人の少女を守り、共にあると言う彼等だけの、崇高な想いが。

 

 この想いは、決して裏切らないと、心の中に刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 謁見の間に参内すると、既にレスティーナとトキミが待っていた。

 

 セツナはレスティーナの前で一礼すると、手にした書類を差し出す。

 

 その内容とは、明日にでも行われる終戦宣言の内容を纏めた物であった。要約すると、こんな感じである。

 

1、ラキオスによるバーンライト侵攻に端を発し、キハノレの戦いで終結を見た一連の紛争を、以後「永遠戦争」と呼称し、本文を持ってその終結を宣言する。

 

2、今後、如何なる理由があろうとも、スピリットを戦奴として扱ってはならない。彼女達は我々人間と対等の友人達であり、我々の代わりにこの戦争を戦い抜いた英雄達である。

 

3、これまでの感謝の意を込めて、スピリット達全員に「ラスフォルト」の性を送るものとする。

 

4、今後、如何なる理由があろうとも、エーテル施設の建造、及び使用は、これを行ってはならない。エーテル及びマナはこの大地の生命そのものであり、我々人間の都合で無闇に消費してはならない。

 

5、今後の政治体系として、各地域から上院議員選出の上、最高評議会を設置、持って、立憲君主制へ移行する物とする。

 

6、以上を持って国号を「ガロ・リキュア」と改称し、当面の首都をラキオスに定めるものとする。

 

「ガロ・リキュア、『無からの始まり』か。」

「私達は一度、等しく痛みを味合わねばなりません。その上での再出発である以上、この名称こそが相応しいでしょう。」

 

 感慨深げに頷くレスティーナ。

 

 だがその顔は、どこか浮かない感じである。

 

「どうしました、レスティーナ様?」

「いえ・・・・・・」

 

 怪訝そうに尋ねるトキミに、暫し言い淀むレスティーナ。

 

 やがて、苦しそうに顔を上げる。

 

「あなた方には、本当に申し訳なく思っております。あなた方がいてくれたからこそ、今のわたくし達が、こうして平和に暮らせると言うのに。」

 

 セツナとトキミは、レスティーナが何を言いたいのか理解した。

 

 実は、数日の内に2人を含む6人のエターナル全員が、この世界から旅立つ事が決まっている。と言うより旅立たざるを得ないのだ。

 

 理由は、終戦宣言の4番に関係していた。

 

 この戦争の最大の目的であったエーテル技術廃絶に当たって、技術責任者でありプロジェクトの推進者であるヨーティアは一計を案じた。

 

 普通に施設の廃絶を行うだけでは、必ず裏で密かに建造を行う者達が出てくるだろう。

 

ではどうするか?

 

 この問題に対しヨーティアは、斬新なアイディアを提示して周囲を瞠目させた。

 

 施設の廃絶が無理なら、マナを使えないようにすれば良い。全てのマナをエーテルに変換できないようにしてしまえば、施設がいくらあったところで意味は無い。

 

 エーテルに変換できなくなったマナは「抗マナ」と名付けられた。この抗マナを発生させる装置の完成でこの世界でのエーテル技術は、完全にガラクタと歴史と埃の中に埋もれていくことだろう。

 

 だがそれは同時に、存在の媒体をマナに頼っているエターナルが世界の中に存在できなくなる事を意味していた。

 

 この装置の開発目的の1つとして、今後、少なくとも数周期の間はロウ・エターナルの侵入を防ぐと言うものもある。その為、同じエターナルであるセツナ達も、同様にこの世界から排除されざるを得ないのである。

 

 だが、

 

「そんな事か。」

 

 セツナは、なんでもないと言った風に、笑って見せた。

 

「え?」

 

 顔を上げるレスティーナ。

 

 そこには、セツナだけでなくトキミの笑顔もあった。

 

「いずれにせよ、私はすぐに次の戦いに備えなければなりませんから、長居は出来ませんよ。」

 

 常にロウ・エターナルとの戦いで最前線に立つトキミとしては、1つの世界に長居する心算は無いのだろう。もっとも彼女としても、そうそう戦場にばかり身を置いている訳でもないだろうから、今の言葉には若干のリップサービスも含まれているのだろうが。

 

 対してセツナはと言うと、スッと笑みを消してレスティーナに歩み寄る。

 

「それがあなたの考えであるならば、私はただそれに従うだけです。」

 

 その口調も、丁寧な物に変わっていた。

 

「あなたは、忘れたでしょうが、かつて私はあなたに対し、絶対の忠誠を誓いました。」

「え?」

 

 思わず驚くレスティーナに、トキミはそれを肯定し頷いてくる。

 

 それを見てセツナは、背中から右の《絆》を抜く。

 

「今一度、この場にて誓います。」

 

 膝を突き、手にした刀を掲げる。

 

「たとえこの身が、どれ程の変遷を遂げようと、たとえこの身が砕け散り、魂がマナの塵と化そうとも、我が忠誠はあなた1人に捧げます。レスティーナ・ダイ・ラキオス陛下。」

 

 かつて語られた騎士の誓いを、セツナは再びこの場にて繰り返す。

 

 その身は既に人ではなく、永遠を生きる放浪者。この世界を出たら、レスティーナの記憶からセツナの姿は排除されてしまう。だがそれでも、この先どのような偉人に会ったとしても、この忠誠を他に捧げる気にはなれないだろう。

 

 そっと手を伸ばし、《絆》を手に取るレスティーナ。

 

 その刃の腹を、セツナの肩に乗せる。

 

「あなたの忠誠、とても嬉しく思います。セツナ殿。」

 

 そして再び繰り返される、騎士と君主の神聖なる儀式。

 

「以後もわたくしと、そしてこの世界に生きる全ての人達の為に、その力をお貸しください。」

「ハッ。」

 

 その儀式が終わるのを待って、トキミが口を開いた。

 

「セツナさん。」

「ん?」

 

 《絆》を背にしまいながら振り返るセツナに、トキミは自分の用件を語る。

 

「今回、中立の永遠者としてこの戦争に参加したあなたとネリーさんには、カオス・エターナルから報酬を支払う事になりますが、何か御希望はありますか?」

「報酬?」

「はい。傭兵と言う立場で参戦するニュートラリティ・エターナルに報酬を払うのは、規則のような物ですから。何でも良いんですよ。マナ結晶や特定の世界での通貨、カオス側の支配領域にある世界への居住権。更なる報酬を求めて、次の戦場を指定してきた人も過去にはいましたし。」

「いや、だが、俺は正式にカオス側から依頼を受けたわけじゃないんだが、」

 

 確かに、セツナもネリーも途中から自分達の意思でエターナルとなって戦ったので、カオスと正式な契約を結んだわけではない。

 

「あ、その点は心配要りません。実は現在、カオスとロウのパワーバランスは非常に拮抗した物となっており、そのバランスを崩す為に、参戦してくるニュートラリティ・エターナルの価値が相対的に上がって来ているんです。ですから、後々の為に中立側との繋がりはある程度保つという方針が定められているんです。」

「成る程、将来的な先行投資といった所か。」

 

 頷いて、少し考えてみる。自分とネリーが望む報酬とは何か?

 

 だが、急に言われたせいもあり、良い考えが浮かんでこない。自分が望み、なおかつネリーも欲しがりそうなものと言うのが、なかなか考え付かない。

 

 悩むセツナに、トキミは苦笑気味に口を開いた。

 

「まあ、まだ少し時間がありますから、ゆっくり考えてください。」

「そう、だな。そうさせてもらう。」

 

 事は自分だけの問題ではない。ネリーにも相談してみて決めようと思った。

 

 

 

 レスティーナの元を辞し廊下を歩いていると、特徴のある赤毛が柱に寄りかかっているのが見えた。

 

「よっ」

 

 手を上げて挨拶してくるキリスに、セツナも頷いて返す。

 

 最終決戦では敵将テムオリンを退け、ラキオス軍勝利に大きく貢献したこの中立最強のエターナルもまた、この数日の内に出て行くという運命からは逃れられない。

 

 もっとも、この吹き抜ける風よりも捉え所の無い男からすれば、そのような事は些事にすら価しないのだろうが。

 

 脇に並ぶキリスに一瞥をくれて、セツナは口を開いた。

 

「お前には感謝しているよ。」

 

 言葉とは裏腹に、口調にはどこか冷気が漂っている。

 

「お陰さまで、随分貴重な体験をさせてもらったからな。」

「いやいや、そう褒めるな。」

 

 全然褒めてないのだが、キリスはそう言って笑顔を浮かべる。

 

 そもそも、この男が《麒麟》を見付けた事から、今回の騒動が始まっている。その最初の大前提が無ければ、セツナは今頃まだ、ハイペリアで平和に暮らしていた事だろう。

 

「ま、そんな事よりだ。」

 

 そう言って、キリスは話題を変える。

 

「明日、俺はこの世界を出る。」

「え?」

 

 その言葉にセツナは、思わずキリスの顔を見る。

 

 そんなセツナに、キリスはさばさばした口調で告げる。

 

「ここでの俺の役目は終わった。これ以上留まる意味は無い。」

「だが、せめて、式典くらいには出たらどうだ?」

 

 誰だって自分の成した事の結果くらいは知りたいはずだ。そう思っての言葉だったが、キリスは首を横に振った。

 

「柄じゃねえんだよ、そう言うの。それに、もう次の戦場は決まっている。これでも、傭兵の身は辛いんだよ。」

「そうか・・・・・・」

 

 どうやら、これ以上引き止める事は出来ないようだ。

 

 と、

 

 右手を差し出すキリス。

 

 少し戸惑いながらも、セツナはその手を握った。

 

「よく、生き残ってくれた。」

「え?」

 

 見詰めるキリスの顔には先程までの軽薄な雰囲気は無く、今この時、この場所にセツナがいてくれる事を本当に喜んでいる風だった。

 

「生き急ぐな。どんな事があっても、たとえ他人の生き血を啜ってでも生き残れ。自分と、大切な者の為にな。それが、真の強さだ。」

 

 そう言って、背中を見せる。

 

 その言葉と、背。

 

 そこにこそ、この最強の名を持つ男が歩んできた道の姿があるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 王城から少し離れた場所にある草原。

 

 風が吹き抜けるこの場所で、走り回る少女達の姿があった。

 

 ネリー、シアー、オルファリル、ヘリオン、ニムントール、ルル。

 

 大きな草原狭しと走り回っている。

 

 やがて、それにも飽きたのだろう、敷いてあった敷物の所に集まってきた。

 

「・・・・・・て、言うかさ。」

 

 皆が揃って座った所で、ニムントールがおもむろに口を開いた。

 

「何で、急にこんな事になってる訳?」

 

 その顔には、不満がありありと浮かんでいる。

 

 それもそのはず。彼女はファーレーンの部屋に向かおうとしていた矢先にネリーに拉致されたのだ。

 

「ニムはこの後、お姉ちゃんとお昼寝する心算だったんだけど?」

「ルルも、ハリオンからお料理教えてもらおうと思ってたのに。」

「私は街に遊びに行く予定だったんですけど・・・・・・」

「オルファはエスペリアお姉ちゃんから、お使い頼まれてたんだよ。」

 

 口々に不平が漏れる。

 

 その視線の先にある人物、ネリーに向かって。

 

 妹であるシアーの視線も何気に痛い。どうやら彼女も拉致されたクチなのだろう。

 

 で、当の加害者はと言うと、

 

「いや、まあ、ほら・・・」

 

 頭を掻きながら、苦笑している。

 

「たまにはこうやってさ、みんなで遊ぶのも良いかな、なんて思っちゃったりしたんだよね〜」

 

 当然、そんないい加減な説明で一同が納得するはずも無く、漂白された視線がネリーに突き刺さる。

 

「ほ、ほら、ちゃんとお弁当も用意したしさ!!」

 

 そう言うと、慌てて傍らに置いておいたバスケットを広げる。

 

 早朝から苦労して作った弁当は、努力を評価するかのような見事な出来である。

 

 しかし、

 

「それ、さっきセリアが作ってた。」

 

 ボソッと言う擬音が入りそうなシアーの突っ込みと同時に、ネリーの動きが静止画のようにピタリと止まる。

 

 ちなみにあの後、とうとう堪忍袋の尾を切ったセリアは、ネリーを厨房の隅に立たせると、後の調理を全部自分1人でやってしまったのだった。その間ネリーは、ボーっと突っ立っていただけである。

 

「あ、石になった。」

 

 ニムントールの冷静な突っ込み。

 

「ま、まあまあ、皆さん。」

 

 さすがに見兼ねたのだろう。ヘリオンがやや戸惑いがちにフォローに入った。

 

「ネリーさんだって、何も考えずにこんな事するはずが無いですし。きっと、皆さんに何か用があったんじゃないでしょうか?」

 

 的確なフォローではあるが、普段のネリーの行状を知っているだけに、一同の脳裏に「どうせロクな考えでは無いだろう」と言う想いが浮かんだのは、自業自得の成せる業であろう。

 

 一同の視線が、再びネリーに集中する。

 

「だって、みんなとこうしていられるのは、多分これで最後なんだもん。」

 

 ポツリと漏れた一言が、一同の心に小さな針を穿った。

 

「あ・・・・・・」

 

 誰かの声が漏れるのを聞いた。

 

 そんな一同を見て、ネリーは続ける。

 

「セツナが言ってた。ヨーティアが作ってるのが完成すれば、あたし達はこの世界を出て行かなきゃいけないんだって。あたしは、セツナについて行くって決めてる。だから多分、みんなで遊べるのは、これが最後だと思う。」

「ネリー・・・・・・」

 

 差し迫った別れの時間。

 

 誰もが目を背けていた事実。

 

 逃れるべくも無い運命を、少女達は否応無く自覚する。

 

 ひとつひとつの思い出が、まるで宝石の様に輝いている。

 

 一緒に遊び回った。

 

 お菓子の取り合いから、取っ組み合いの喧嘩をした。

 

 門限が過ぎるまで遊び過ぎて、みんな揃って叱られた。

 

 姉達を手伝って、家事をした。

 

 明日が来るのが待ち遠しくて、ベッドの入ってもなかなか寝付けなかった。

 

 戦場では、互いに背中を預けて戦った。

 

 連携で得られた初めての勝利。

 

 傷付いた時は、互いに肩を貸して励ましあった。

 

 終わった後、互いが生き残った事を、心の底から喜び合った。

 

 当たり前に、ずっとその場に存在すると思っていた風景画。

 

 その中から今、ネリーと言う色が抜け落ちようとしている。

 

「・・・・・・みんなの事・・・・・・絶対・・・絶対、忘れないから・・・・・・」

 

 ギュッと握った拳に、涙の雫が零れる。

 

 どうしようもない事でも、否、どうしようもない事だからこそ、ネリーは自分の感情が昂ぶるのを抑えられなかった。

 

 その手に、暖かい感触が重ねられる。

 

 顔を上げ、見上げる視線に飛び込むシアーの顔もまた、涙に濡れている。

 

 この世界に生を受けて以来、常に共にあり続けた双子の妹。

 

 純白の双翼の、片割れ。

 

 何よりかけがえの無いはずだった、自分の半身。

 

 その妹もまた、ネリーの小さな掌の中から失われようとしていた。

 

「シ・・・アー・・・・・・・」

 

 そのまま、妹に抱きつくネリー。

 

 彼女を連れて行く事は出来ない。ならばせめて、その温もりだけは決して忘れないようにしたかった。

 

 泣きじゃくる姉を、シアーもまた泣き崩れながら優しく抱き留める。

 

 いつしか泣き声は、周囲に伝染していく。

 

 吹き抜ける風に抱かれながら、少女達はいつまでも嗚咽を繰り返していた。

 

 

 

 グラスとグラスを打ち付ける音が、狭い室内に木霊した。

 

「取り敢えず、お疲れってところだな。」

「ああ。」

 

 気さくな言葉に、セツナは頷く。

 

 この場にいる人間は4人。

 

 セツナ、ユウト、コウイン、キョウコ。

 

 共に同じ故郷を持ち、そのうち2人が、決定的に行く道を違えてしまった4人。

 

 その4人が今、再び一同に介していた。

 

「ほんと、お前等には助けられたよ。お前等がいてくれなかったら、どうなっていたか。」

 

 ようやく掴み取ることが出来た勝利に、コウインもまた、深く噛み締める。

 

 嚥下するアルコールの熱さが、その勝利の味を象徴しているかのようだった。

 

「で、お前等はこれからどうするんだ?」

 

 気になった事を、セツナは聞いてみた。

 

 佳織がハイペリアに戻り、シュンが消滅した今、この、自分以外の3人の今後には多少気になるところだった。

 

「俺はこの世界に残るよ。」

 

 真っ先に応えたコウインの声は、達観したように迷い無く、さばさばしていた。

 

「戦争は終わったが、まだまだ混乱は続くだろう。俺も残ってレスティーナ達の復興作業を手伝う事にするよ。」

「あ、あたしも。」

 

 すぐに、キョウコが手を上げた。

 

「人手は多い方が良いだろうしさ!!」

 

 元気一杯に応えるキョウコ。

 

 対して、

 

「いや、キョウコ、人手はただあれば良いと言う訳じゃないぞ。」

「そうだな。何事も適材適所という言葉は重要な役割を果たすだろう。」

「足、引っ張るなよ?」

 

 男共の冷めた反応。

 

 次の瞬間、3連の雷が狭い室内において炸裂した。

 

 

 

「まあ・・・・・・」

 

 セツナは何事も無かったかのように、話を進める。もっとも、クールを装ってはいるが、その体からは焼け焦げたような煙が立ち上っている。

 

「何事も、猫の手も借りたいと言う状況もあるだろうし、」

「いないよりだったら、いてくれたほうが、って所か?」

「質より量が大切って時もあるだろうしさ。」

「もう一発行っとく?」

 

 剣呑な殺気を黙殺しつつ、セツナは残る1人に視線を向ける。

 

「ユウトは、やはりトキミ達と一緒に行くのか?」

「ああ。」

 

 迷い無く、真っ直ぐな瞳でユウトは頷いた。

 

 ユウトが《聖賢》を取った理由。それは、己を捨てでも他の全てを守りたいと願った事にある。ならばこそ、多くの世界を救おうとするカオス・エターナルの在り方こそが、理想なのかもしれない。

 

「セツナ、お前も来ないか?」

 

 ユウトが、身を乗り出すように尋ねてくる。

 

「お前なら、きっと歓迎してくれると思うぞ。」

「いや。」

 

 だがセツナは、苦笑気味に首を横に振った。

 

「残念だが、俺はもう暫く、中立のままでいるよ。」

「・・・そっか。」

 

 恐らく、こう答える事は予想していたのだろう。ユウトはアッサリと頷きを返した。

 

 ユウトの申し出は、正直嬉しくも思うが、それで自分の進むべく道を限定したくは無かったし、正直、個人的にやりたい事もいくらか残っている。

 

 それに何より、

 

「今の俺じゃ、どの道単なる足手まといだ。」

 

 先の戦いで大きく傷付いたセツナの体は、現状でこそ小康状態を保っているが、そのバランスも危うい尖塔の上に立っている程度のものでしかない。常にロウ・エターナルとの戦いの渦中にあるカオス・エターナルにとって、戦えぬ存在など必要ないだろう。

 

「だが、約束する。」

 

 そう言ってセツナは、真っ直ぐにユウトを見返す。

 

「いつかこの身が癒え、戦う力が戻ったその時は、必ずお前達の元へ駆けつける。」

 

 差し出される手。

 

 この永遠戦争で、常に互いの背中を預けて戦った2人の戦士は今、固く互いの手を握り合う。

 

「ああ、待ってる。」

 

 頷くユウト。

 

 その2人の手に、別の掌が重ねられる。

 

 振り返られる先で、笑みを浮かべて手を重ねているキョウコ。

 

その上に、やれやれと言った感じにコウインの手も重ねられた。

 

 エトランジェ2人と、かつてエトランジェだった2人。

 

 互いに行く道は違う。だがこの一時のみは、互いの心は確かに繋がっていた。

 

 

 

 

 

 

 それから数日は、慌しく過ぎ去っていった。

 

 レスティーナの宣言は、歴史上最後のエーテル通信を用いられ、大陸中に伝えられた。

 

 セツナが起草した文案を元に成されたこの宣言は、後に「ラキオス宣言」と呼ばれるようになり、これから連綿と続くファンタズマゴリアの歴史にあって、長く語り継がれていく事になるだろう。

 

 この世界には、いつか再び戦乱の嵐が吹き荒れる事になるだろう。

 

 だがきっと、この世界に住む人々なら、困難の果てにある答に辿り着き、平和を勝ち取れるのでは無いかと思えた。

 

 そして、

 

「本当に、良いんだな?」

「何が?」

 

 セツナの質問に、ネリーは振り返って尋ね返す。

 

 風に乗るマナが踊る草原を、2人は並んで歩いている。

 

 ついにこの日、2人はこの世界を出て行く事を決めた。

 

「何だったら、レスティーナに頼めば、もう少しこの世界に留まる事ができるんだぞ?」

 

 ネリーにとって、この世界は生まれ故郷に他ならない。

 

 ここには家族がいて、友達がいて、ネリーの全てがある。

 

 だが、一度この世界から足を踏み出せば、それは永久に失われてしまう。だからこそセツナは、もう少し残ってもいいといったのだが、

 

「ううん、良い。」

 

 ネリーは首を横に振った。

 

「もう、お別れは済んだから。これ以上一緒にいると、なんかね・・・・・・」

 

 後半部分はわざと切られたが、その内容は何となく察する事ができた。

 

 これ以上留まれば、思い出と同時に未練も募る事になるだろう。いずれ出て行くという運命は避けようが無い以上、その流れをどこかで断ち切らねばならないのだ。

 

「それにね。」

「それに?」

 

 ネリーはニッコリ微笑む。

 

「これからは、ずっとセツナが一緒にいてくれるんでしょ?」

 

 混じりっけのない、純真な瞳がセツナを包み込む。

 

「・・・・・・そうだな。」

 

 セツナも頷き、笑みを返した。

 

 ふと足を止め、振り返る。

 

 既にラキオス王城は、遥か彼方に小さく、その白亜の外壁を望む事が出来る程度である。

 

 闇雲に剣を振るい駆け抜けた北方の平原。灼熱の中で対峙したマロリガンの砂漠。生き血を啜るような思いで前へ進んだサーギオスの大地。運命を賭けて最後の決戦に臨んだソーン・リームの雪原。

 

 この戦乱に彩られたセツナ達の2年間は、熱く、激しく、この心の中に刻まれている。

 

 その中で出会った、数多くの仲間達と共に。

 

 多くの物を失い、ほんの一握りの、しかし掛け替えの無い物を得た。

 

「セツナァ!!」

 

 いきなり、腕を引っ張られる。

 

「ほら、行こうよ。門が来ちゃうよ!!」

 

 急かす様なネリーの声。

 

 それに微笑を浮かべつつ、自身も足を速める。

 

 その心の中で、そっと呟く。

 

『ありがとう、みんな。ありがとう、ファンタズマゴリア。』

 

 その視線の先にある光が、2人に大きく手を広げて待っている。

 

『また会おう、この、幻想の大地で。』

 

 

 

 

 

第47話「さらば、幻想の大地よ」