大地が謳う詩

 

 

 

第38話「選定の儀」

 

 

 

 

 

 

 風が吹いていく。

 

 心地よい風が、結った蒼髪を揺らし、頬に掛かった。

 

 背もたれにした立木から、木漏れ日が零れてくる。

 

 視線を下に転じると、聞こえてくるリズミカルな息使いに自然と頬が綻ぶのが判った。

 

 マロリガンの奪回に成功したラキオス王国は、エーテル枯渇によるジリ貧と言う、差し迫った危機から脱する事に成功した。

 

 その為だろうか? 作戦前よりも、街に活気があるように思えた。

 

 マロリガンを奪還し、足掛かりを得たラキオス王国軍は、いよいよ決戦に向けて準備を始めていた。

 

 目指すはソーン・リーム中立自治区最奥部、首都キハノレ。

 

 そこに、全ての元凶であるロウ・エターナル達の本拠地がある。

 

 これから始まる戦いは、これまでのような国の威信や領土を賭けた戦いではない。賭けるのはこの大陸の運命、そして、そこに住む30万から成る人々の命である。

 

 その時、どこからか名前を呼ぶ声が聞こえてきた気がして、顔を上げた。

 

 見ると、こちらに向かって歩いてくるコウインの姿がある事に気付く。

 

 コウインもこちらの姿に気付いたのだろう。こちらへ歩いてきた。

 

「何だここに居たのか。随分探したぞ。」

「コウイン、シーッ!」

 

 コウインの高い声に、ネリーは口に人差し指を当てて遮る。

 

 言われて気付く。ネリーの足元に誰かが寝転がっている事を。

 

「セツナ?」

「さっき寝たばっかりなんだから、起こしちゃ駄目。」

 

 小声で注意してくるネリー。

 

 ネリーの膝の上で、セツナが気持ち良さそうに寝息を立てている。

 

 そのあまりにも心地良さそうな寝顔にコウインは、思わず額を叩いてやりたくなる。

 

 実は今、今後の作戦行動に関して会議を開いている所であり、2人にも参加して欲しくて探しに来たのだが、まさか逆に怒られる事になるとは思わなかった。

 

『しかし・・・・・・』

 

 コウインはふと、苦笑する。

 

 考えてみればこれは、相当不可思議な光景だ。

 

 天使の膝枕で眠る死神。

 

 かなり、シュールである。

 

 だが、その寝顔は安心感に満ちており、とても気持ち良さそうだった。

 

 

 

 

 

 

 話は、遡る。

 

 エターナル達の間で「永遠世界」と呼ばれている虚数空間の中に、世界創生よりのあらゆる記録を残す書庫がある。

 

 曰く、「記憶の書庫」

 

 永遠神剣第一位《記憶》によって形成されたその場所は、資格無き者が決して辿り着く事が出来ない未踏の地。

 

 その場所に今、1人の客が訪れていた。

 

 年は10代後半くらい。

 

 鋭い目付きに、左頬にある大きな傷。どこか、抜き身の刃を思わせる、少年である。

 

 名は朝倉刹那。

 

 全ては力を得る為。

 

 その為に、全てを捨て去って来た少年である。

 

「永遠神剣第二位・・・・・・《絆》。」

 

 その口より反芻するように、言葉が漏れる。

 

 それが、求めた力の名である。

 

 セツナの前に座す青年、この書庫の管理者であるエターナル、《記憶の管理人》クラウスはその言葉を受けてニコリと笑う。

 

 彼は全てを記録し伝える者。

 

 伝えた時に相手が見せる反応を見るのも、彼の趣味なのかもしれない。

 

「えっと・・・・・・」

 

 クラウスは手元の本に目を落とす。

 

 この書庫全体が第一位永遠神剣《記憶》で形成されている。その本はその中の一部、《絆》の歴史について書かれた物である。

 

「記録によると、形状は両刃、刃渡り役70から80センチ程の長剣が2本。前所持者の名前は、オルファス。《絆》のオルファスと呼ばれ、君は権能は1回に1つしか使えないけど、オルファスは2つの権能を同時に使えたらしいね。」

 

 クラウスはセツナを見る。

 

 その、全てを見透かすような瞳は、既にセツナの心の内を見透かしているかのようだ。

 

「で、どうするセツナ君?」

 

 試すような言葉を吐く。それと同時に本を閉じる。

 

 手を離すと本はスッと浮き上がり、元の場所へと飛んで行き収まった。

 

 自分の役目は終えた。後の判断を下すのはセツナ自身。その動作はそう語っている。

 

 対してセツナ、

 

 その瞳は果てしなく真っ直ぐと伸び、正面からクラウスを見据えている。

 

 迷いなど、一切無い瞳だ。

 

「是非も無い。」

 

 澄んだ声。

 

 そう、迷いがあるくらいなら初めからここに来たりはしない。

 

 セツナに残された行動は、前進、それあるのみ。

 

「OK、判った。」

 

 初めからセツナがどう答えるのか判っていたかのように、満足そうな笑みを浮かべるクラウス。

 

 そう言うと、スッと立ち上がった。

 

「じゃあ、移動しようか。」

「移動?」

 

 てっきりこの場でエターナルになる方法を教えてくれるのかとも思っていたセツナは訝る。

 

 だが、当のクラウスはセツナを置き去りにして、さっさと歩いていく。

 

「ここじゃ何も出来ないでしょ。もう少し最適な場所に移動しよう。」

 

 そう言った時だった。

 

 思わず、セツナは目を剥いた。

 

 何と視界の中で、突然クラウスの姿が消え失せたのだ。

 

 瞬間移動!?

 

 と思った瞬間、

 

「オワァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 派手な悲鳴と共に、何かが転がる音が聞こえてきた。

 

 慌てて駆け寄ってみると、階段の下でクラウスが伸びているのが見える。どうやら、来た時同様、足を踏み外して階下に落ちてしまったらしい。

 

「・・・・・・・・・・・・ひとつ、尋ねるが、」

 

 痛くなり始めた頭を抑えつつ、セツナは取り合えず疑問を口にしてみる。

 

「この階段は、そんな風にして降りなきゃならない決まりでもあるのか?」

「そ、そんなこと無いよ〜」

 

 取り合えず、生きているようだ。

 

 セツナは轍を踏まないよう、ゆっくりと降りて行った。

 

 

 

 『記憶の書庫』を出て、また暫くあの何とも言えぬ感覚に身を任せていると、ふとした拍子に、いつの間にか空間が開けて居た事に気付いた。

 

「・・・・・・ここは?」

 

 何も無い空間。

 

 四方は鉄筋コンクリートに似た壁で覆われ、出口と言うものが見当たらない。

 

 そもそも、自分はどうやってここに入ってきたんだ? 入り口から入ったと言う記憶がスッポリと抜け落ちている。まるでこの場に転移してきたかのようだ。

 

 そんなセツナの様子を面白がるように、クラウスは笑って口を開いた。

 

「ここは『移ろいの迷宮』の中にある一室。主に、肉体的な鍛錬をする場所、かな?」

 

 成る程、『移ろいの迷宮』の一部であるならば、入り口が無いことも納得できる。理解は出来ないが。という事は、ここもまた、あのでたらめな法則の範疇なのだろう。

 

 広さとしては、学校にあった体育館程度だろうか?

 

 取り合えず、体を動かすには適度な広さと言えた。

 

「さて、」

 

 クラウスはセツナに歩み寄ると、右手を差し伸べる。

 

「《麒麟》を、貸してくれるかな?」

 

 突然の申し出に戸惑いながらも、何か意図があるのだろうと感じたセツナは、ラックから《麒麟》を外してクラウスに渡した。

 

 クラウスは《麒麟》を鞘から抜くと、スッと目を細めて刀身を見入る。

 

 セツナにとっては見慣れた刀身。

 

 この2年の間、共に戦い、立ち塞がる敵を斬り伏せてきた刃だ。

 

「今から僕が、この《麒麟》に眠る、4つの神剣、その本来の精神を呼び覚ます。セツナ君、君はその4つの神剣を打ち倒し、再び自らの物とする。それが、君がエターナルになる為の試練だよ。かつての《絆》のオルファスも、そうやって神剣を手に入れたらしいからね。」

 

 つまり、これから《白虎》《玄武》《青龍》《朱雀》の4本を呼び出すから、それと戦えということらしい。

 

「・・・・・・判った。やってくれ。」

 

 頷くセツナ。

 

 それを受けてクラウスは、スッと目を閉じた。

 

「先に言っておく。4神剣の精神を開放したら、《麒麟》は権能を使えなくなる。つまり、たんに切れ味の良いだけの日本刀になってしまう。その事を、よく覚えておいてね。」

 

 そう言うと同時に、光が放たれる。

 

 光は四方へ散り、消えていく。

 

 だが、その中で1つだけ、消えずに残り、形が変わっていく物がある。

 

「来るよ。」

 

 短いクラウスの声が響いた後、光が徐々に収束していく。

 

 その中で形作られる《何か》。

 

 ゆっくりと、光が消えていく。

 

 その瞬間、

 

「なっ!?」

 

 目を剥いた。

 

 正面に、巨大な影がある。

 

 一言で形容するなら。白い虎。それ以上は言いようが無い。

 

「白虎・・・これが・・・・・・」

 

 それは間違いなく、神話上に出てくる神獣。陰陽道における西の大道を守護する獣、白虎に他ならなかった。

 

 体躯は鯨ほどもあり、その口からは獰猛な牙を剥き出している。

 

《こうして、直接会うのは初めてか? もっとも、この体は思念体。触れる事も、動く事も叶わぬがな。》

 

 脳裏に響く声は、意外にも若い男のそれであった。

 

 対してセツナも、冷静に返す。

 

「ああ、世話になってる。」

《さて・・・・・・》

 

 少し笑みを含んだ声が返る。

 

《これまでは確かに、我等はお前に力を貸してきた。だが、これからもそうなるとは限るまい?》

「・・・・・・道理だ。」

 

 セツナはクラウスから《麒麟》を受け取る。

 

 普段から持ち慣れているそれからは、オーラフォトンの息吹を感じ取る事は出来る。だが、常の力強さを感じる事は出来ない。出会ったばかりの頃の、まだ権能が目覚めていない頃の《麒麟》に戻ったかのようだ。

 

『4つの権能が、離れたせいか。』

 

 空っぽになった愛刀を持って、片手正眼に構える。

 

 奪われたなら、取り返す。数倍にして。それだけの話だ。

 

 それに、権能など無くとも戦える。

 

 闘志を露にするセツナに対し《白虎》は、僅かに口元を歪めてみせる。どうやら、笑っているようだ。

 

《その意気、良し。だが、手加減はしない。》

 

 そう言うと同時に、白虎の足元に光が生まれ、像を結ぶ。

 

 やがて光は人型になる。

 

 手に槍を持ち、緑色の髪、緑色の瞳を持つそれは、記憶の中にあるグリーンスピリットのそれと同義であった。

 

《お前の相手は、それだ。そいつには、我が権能の全てを与えてある。見事、倒してみせよ。》

 

 白虎がそう呟くと同時に、グリーンスピリットは構える。

 

 セツナも《麒麟》を構えたまま、前に出る。

 

 次の瞬間、

 

 セツナの目の前で、

 

 グリーンスピリットが、

 

 消えた。

 

「なっ!?」

 

 認識した瞬間、左肩から鮮血が迸る。

 

 傷自体はまだ浅い。

 

 しかし、

 

「クッ!?」

 

 初めて、自分の技を自分で喰らう事に、戸惑いを感じる。しかもこれは、

 

《言い忘れていたが、》

 

 白虎が口を開く。

 

《『麒麟』の中にあった折は、我等はその力を大きく制限されていた。これは『麒麟』自身が持つオーラフォトンの量に、無理やり我等の力を押し込めたからに他ならない。それが開放された今、我が加速率は、》

 

 再び、殺気が迫る。今度は、背後から。

 

《60倍だ。》

 

 振り向いた瞬間、ほとんど勘で《麒麟》を振るう。

 

 金属音と共に、確かな衝撃が手首に走る。

 

 どうやら、払い除ける事には成功したらしい。

 

 振り向いた視界の先で、動きを止めたグリーンスピリットの姿がある。

 

 その表情には感情を読み取れない。恐らく、白虎が周囲に満ちるマナを使って擬似的に作り上げた為、感情など必要の無い物は省かれたのだろう。

 

《良く受けた。》

 

 《白虎》の声が響いてくる。

 

《だが、まだ終わらんぞ。》

 

 その言葉と共に、再びグリーンスピリットの体が消え失せる。

 

 対してセツナは五感を研ぎ澄まし、全身全霊で相手の姿を捉えようとする。

 

 どんなに姿を消そうと、決して消せない物がある。1つは攻撃の際に発する「殺気」。生物ならば大抵は持っている「体温」。そして、地に足を着く者ならば必ず立てる物、「足音」。

 

 それら全てを見極めるべく、セツナは気を張る。

 

 60倍のスピードと言うのは伊達ではない。この狭い空間全てから足音が響いてくるようだ。

 

 セツナの耳は、それらを聞き分け、慎重に相手との距離を測る。

 

 周囲を撹乱するように跳びながら、足音は徐々に間合いを詰めて来る。

 

 どんなに速く動こうと、攻撃の際にはスピードを落とさざるを得ない。そこを狙って、勝負を掛けるのだ。

 

 次の瞬間、足音が目の前の床を強く叩く。

 

 敵が今まさに、目の前に居るのだ。

 

「蒼竜閃!!」

 

 必殺の気を込めて、繰り出される最速の剣。

 

 空気分子をも寸断する一撃に、目の前に立った敵は何も出来ずに切り裂かれる。

 

 はずだった。

 

 しかし、

 

「何ッ!?」

 

 手応えが無い。

 

《忘れたか?》

 

 嘲笑うような《白虎》の声が響く。

 

《速くなるのは運動速度だけではない。反応速度も倍化されるのだ。》

 

 次の瞬間、背中に斬撃の衝撃が走る。

 

 反応速度、すなわち瞬発力が高まっているのだ。加えて知覚速度も通常の60倍。こちらが攻撃の動作をした瞬間には、既に相手は反応している状態だ。

 

 次の瞬間、横合いからすさまじいまでの打撃が肩に加えられ、セツナの体は大きく吹き飛ばされた。

 

「クッ!?」

 

 どうやら、グリーンスピリットの持つ槍に肩を強打されたと言うことは理解できた。

 

 どうにか空中で体勢を入れ替え、着地に成功するも、そこへ正面から再び殺気が迫る。

 

「クッ!?」

 

 辛うじて床に転がる事で回避を試みるセツナ。

 

 しかし、殺気が通り抜けた瞬間、傷が、胸を袈裟懸けに引かれる。

 

 どうする?

 

 必死に相手の気配を探りながら、セツナは反撃の手段を模索する。

 

 とにかく、知覚速度、反応速度、運動速度が低く見積もってもこちらの60倍以上の敵を相手に、まともに戦う事は不可能。

 

『手段としては、3つの内、どれか1つでも封じてしまう事・・・・・・』

 

 どれか1つを封じれば、そこで動きを止める事が出来るはず。

 

 どうする・・・・・・

 

 目隠しさえ出来れば、知覚速度を封じる事が出来る。捕まえる事が出来れば、反応速度と運動速度を封じる事が出来る。

 

 理想は後者だが、現実問題としては相手の姿が見えない以上、どちらも難しいと言わざるを得ない。

 

『どうする!?』

 

 今は飛んでくる殺気を頼りに辛うじて回避を繰り返しているが、このままではいずれ追い込まれる。

 

『待てよ・・・・・・』

 

 その時、脳裏に何か閃く物があった。

 

 三流の狩人は獲物を罠に追い込む。だが、一流の狩人は獲物を罠に誘い込む。

 

 ならば、

 

 セツナは静かに、刀身にオーラフォトンを込める。

 

 次の瞬間、左肩に激痛が走った。

 

「グッ」

 

 見ると、いつの間にか正面に回りこんだグリーンスピリットの槍の穂先が、左肩に突き刺さっている。

 

 肩から流れ出る鮮血が、マナの塵へと変わっていく。

 

 グリーンスピリットは、更にその状態からセツナの体を高々と持ち上げ、変則的な背負い投げの要領で投げ飛ばした。

 

 投げられたセツナの体は空中で回転しつつ、地面に叩き付けられた。

 

「クッ!?」

 

 着地に失敗し、倒れ込むセツナ。

 

《とどめだ。》

 

 仰向けに倒れたセツナの耳に、《白虎》の声が聞こえて来る。その声は僅かに低められ、微妙に苛立っているのが感じられる。

 

 実際《白虎》は苛立っていた。

 

 自分達の長である《麒麟》が認め、今まで自分達を使いこなしてきた男が、まさかこの程度だったとは、期待外れも良い所である。

 

 これでは《絆》を使いこなす事など、夢のまた夢だろう。ましてか、その力を持ってエターナルと戦うなど笑い話としか思えない。

 

《思い違いとは言え『麒麟』が認めた程の男。せめて、苦しまずに、逝け。》

 

 大きく跳躍し、セツナに迫るグリーンスピリット。

 

 60倍の速度で加速されたその体は、頂点から緩やかに自由落下に入る。

 

 次の瞬間、セツナは閉じていた目を見開いた。

 

 その手にある《麒麟》には既に、オーラフォトンが充填されている。

 

 その視線の先には、無防備に落下してくるグリーンスピリットの姿がある。

 

 それに対してセツナは《麒麟》を振りぬく。

 

「鳴竜閃!!」

 

 斬撃の軌跡に沿って放たれた月牙の真空刃が、交差法気味にグリーンスピリットに決まった。

 

 グリーンスピリットは一瞬驚いたように口を開いた後、そのままマナの塵と化して消えていった。

 

《・・・・・・何と。》

 

 《白虎》も驚いたように口を開く。

 

 それを受けて、セツナは起き上がる。

 

《あの状態から、あのような策を考え付こうとはな・・・》

「敏捷性も隠密性も、あくまで自由に動き回れる空間があってこそ効果を発揮するものだからな。」

 

 だから、セツナはあえて床に寝転がる姿勢を取ったのだ。こうすれば、相手は正面からしか攻撃が出来なくなり、必然的に接近経路は限られる訳である。

 

《成る程な。加えて、空中にあっては反応速度も運動速度もその用を成さない。》

「そう言う事だ。」

 

 地に足を付けてこその敏捷性であると言う訳である。

 

 これまでセツナはスピリットをも上回る高速性を武器に戦ってきたが、それはあくまで地上戦での話であり、空中戦ではその効力を発揮する事はできない。よって今回も、敵がすぐには方向転換できない空中に誘い込み、仕留めたのだ。

 

 《白虎》は笑みを浮かべて、セツナを見る。

 

《大した男だ。これは、認識を改めねばなるまい。》

 

 そう言うと《白虎》の巨体は、スッと降りて来る。

 

 その体は徐々に光と化し、《麒麟》の刀身へと吸い込まれていく。

 

《改めて、よろしく頼む。我が、主よ。》

 

 光は完全に《麒麟》へと収まる。

 

 それと同時、かけたピースが嵌まるように、《麒麟》から力が漲るのが判った。

 

《白虎の権能が戻ったよ、セツナ。》

 

 《麒麟》の、嬉しそうな声が聞こえてくる。

 

 しかも、戻っただけではない。力が解放された証として、白虎は本来の力を取り戻していた。

 

「これが・・・・・・上位永遠神剣の力・・・」

《の、一部ね。》

 

 セツナの驚く顔が面白いらしく、《麒麟》の声に笑みが含まれる。

 

 それを傍らで見ていたクラウスが、ゆっくりと近付いてきた。

 

「まずは、おめでとうセツナ君。」

「クラウス・・・」

 

 手の届く距離まで近付いたクラウスは、ゆっくりと右手を掲げる。

 

 その掌にオーラフォトンが集まり、ゆっくりとセツナの体を包み込んでいく。

 

「これは・・・・・・」

 

 暖かい光が、傷口を優しく撫でる。

 

 見る間に痛みが引き、体の傷が塞がっていくのが判った。

 

 全ての傷を塞ぎ終えてから、クラウスはニッコリと笑った。

 

「戦闘には全く向かない僕だけど、これくらいはね。」

「助かる。」

 

 正直、傷付いた状態のまま他の神獣達と戦う事に、半ば絶望しかけていたところだ。クラウスが回復してくれるのは、非常にありがたかった。

 

 そうしているうちに、再び光の収束が起こり始めた。

 

 

 

 

 

 

 2匹目の神獣は、玄武だった。

 

 全身黒々とした体躯の巨大な亀。そして、尻尾は蛇となっている。

 

 陰陽道では北の大山を守る水の化身である。

 

《行くぞ。》

 

 余計な事は一切言わない。

 

 《玄武》はただ一言、囁くような開戦の合図と共に、自身が即席で作り上げたブラックスピリットを召還、セツナに襲い掛かった。

 

「白虎、起動!!」

 

 対するセツナは、取り戻した権能を行使、そのスピードを持って対抗しようとする。

 

 しかし、

 

「なっ!?」

 

 思わず息を呑む。

 

 急速に速度を失う世界。

 

 自分が速く動いていると言う感覚は無い。セツナの中ではあくまで「世界が遅く動いている」という物だった。

 

 初めて体感する、倍速60倍の世界。それは既に人知を超越している物である。

 

 基本がエトランジェの身体能力程度でもこれ程なのである。これがエターナルになった時、どれ程になるのか、想像もできない。

 

 動きを止めるブラックスピリット。

 

 対してセツナは、一気に床を蹴り、斬り込む。

 

さしものスピード自慢のブラックスピリットも、その超スピードの前には反応を示せずに居る。

 

 セツナは大きく1歩踏み込む。

 

 そこは、《麒麟》の間合いまで後2歩の地点。

 

 そこで、ようやくブラックスピリットは右手を突き出す。

 

 更にセツナは1歩踏み込む。

 

 次の瞬間、セツナの目の前に障壁が出現する。

 

 玄武の権能は対魔、物理を問わずあらゆる攻撃をシャットアウトする絶対防御の障壁。

 

 それが今、セツナの前に出現していた。

 

「ッ!!」

 

 構わず、刀を振るうセツナ。

 

 しかし刃はブラックスピリットには届かず、空間に弾かれる。

 

「クッ!?」

 

 相当な強度。グリーンスピリットの持つ障壁など、及びもつかない硬さだ。

 

 体勢が崩れたセツナに対し、ブラックスピリットは刀を繰り出してくる。

 

 対してセツナは、崩れた姿勢ながらも辛うじてその攻撃を弾き、白虎の力を借りて間合いから離れる。

 

 その視界の先、ブラックスピリットの正面には相変わらず堅固な障壁が張られている。

 

『並みの攻撃ではあれは破れない。ならば!!』

 

 セツナは大きく旋回するように地を蹴ると、刀身にオーラフォトンを込める。

 

 60倍速の世界を一気に駆け抜け、セツナは間合いを詰める。

 

 振り上げた刃を、高速で振り下ろす。

 

「雷竜閃!!」

 

 障壁にぶつかる瞬間その一点にのみ威力を集中させ、威力を倍加。一気に突破を図る。

 

 しかし、

 

 それだけの威力をぶつけたにも拘らず、障壁は小揺るぎすらしていない。

 

 予想はしていたが、セツナがファンタズマゴリアで使っていた頃の障壁よりも、格段に強化されている。

 

《無駄だ。》

 

 それまで黙っていた《玄武》が口を開いた。

 

《そのような弱き攻撃で破れるほど、私の障壁は柔ではない。》

 

 次の瞬間、ブラックスピリットの攻撃がセツナの胸を掠める。

 

 辛うじて回避に成功するセツナ。

 

 だが、その間にブラックスピリットは次の行動に移っていた。

 

 刀を持っていない左手を掲げ、そこにオーラフォトンを集中させる。

 

《お前は、1つ勘違いをしている。》

 

 距離を取って構え直すセツナに対し、《玄武》は静かに語る。

 

《守るだけが障壁ではない。使いようによっては、攻撃に使う事も充分に可能なのだ。》

 

 言い終えると同時に、オーラフォトンが弾ける。

 

 次の瞬間、セツナの周囲に障壁が張り巡らされた。

 

「何ッ!?」

 

 全く予想できなかった行動に、呻きの声が漏れる。

 

 左右前後、そして上方。全てが障壁に囲まれ、逃げ場は無い。完全に捕まってしまった。

 

 そこへ、高速で迫るブラックスピリット。

 

《『白虎』の超スピードも、捕らえてしまえば意味は無い。》

 

 構える間もなく、ブラックスピリットの刃はセツナの脇腹を薙ぐ。

 

「グッ!?」

 

 脇腹の傷を押さえ、膝を突くセツナ。

 

 障壁を通常とは裏返しにし、空間に牢獄を作り上げたのだ。外からの攻撃は素通りするが、内側からの攻撃を完全にシャットアウトしている。

 

 身動きが取れないセツナ。

 

 そこへ、ブラックスピリットの嵐のような攻撃が加えられる。

 

 四方、僅か1メートル弱の空間では回避行動も取れない。ただひたすら、防戦に徹するしかない。

 

 ブラックスピリットの斬撃が、セツナに迫る。

 

 対してセツナの防御は間に合わず、左肩を袈裟懸けに斬られた。

 

「チッ!?」

 

 脇腹に続いて肩にも深手を負い、セツナは焦りを覚える。

 

 身動きが取れない上に反撃する事も出来ないのでは、どうする事も出来ない。

 

 この周囲を覆う障壁を何とかできれば、反撃の手はあると言うのに。

 

 そう考えて唇を噛んだ時だった。

 

《セツナ。》

 

 焦る脳裏に《麒麟》の声が響いてくる。

 

《あんたは気付いてないみたいだけど、今の白虎にはもう1つ能力があるんだよ。》

「もう1つの能力?」

《うん、それを使えば、多分この障壁は破れるよ。》

 

 説明を聞いている間にも、ブラックスピリットの攻撃は続く。

 

 それを辛うじて《麒麟》で弾くセツナ。

 

 しかし、全てを弾く事は出来ない。深手になる事は無かったが、それでも何発かは喰らい、浅手を負って行く。

 

《深層意識の中に棲む白虎に意識を集中して。イメージは鍵を開ける感じ。》

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは無言のまま、

 

 《麒麟》を正眼に構え、スッと目を閉じる。

 

 正面からブラックスピリットの刃が迫る。

 

 だがセツナは、回避も防御も取らない。

 

 どのみち、このままではやられるのは早いか遅いかの違いだけだ。ならば、今は集中して《麒麟》の助言に従うだけだ。

 

 意識はただ無心。

 

 心の中にある闇を見据え、イメージする。その中に浮かぶ、小さな鍵穴を。

 

そこに鍵を差し込み、ゆっくりと回す。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 体の中で、血流が急激に加速するのが判った。

 

 血が、ポンプに引き寄せられたかのように、腕へと集中される。

 

 同時に視界の中で世界がストップする。

 

 減速ではない。完全に止まっている。先程の60倍加速すら、遥かに上回る急加速である。

 

 セツナは気付いていないが、この時の加速倍率は通常の120倍。まさに、光の速度に手が届かんばかりのスピードまで加速されていた。

 

《白虎はフルドライブ状態に入った。今だよセツナ!!》

「フルドライブ!?」

 

 聴き慣れない言葉に、思わず尋ね返すセツナ。

 

 しかし、すぐに頭を切り替える。

 

 状況説明は後だ。今はこの状況で出来る事をするのみ。

 

「ハァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 気合と共に振り下ろされる《麒麟》。

 

 牢獄と化した障壁は、刃の侵入を阻むように輝く。

 

 その障壁と刃がぶつかり合う。

 

「クッ!?」

 

 さすがに、硬い。だが、

 

「切り、裂け!!」

 

 神速の域まで倍加された速度を懇親の力へと代え、振り抜く。

 

 次の瞬間、構造を維持できなくなった障壁は、斬撃の軌跡に沿って歪み、消失する。

 

《何ッ!?》

 

 その光景を見ていた《玄武》が、思わず呻く。

 

 慌てて障壁を張り直そうとするが、120倍の速力を前にそれは空しい行為でしかなかった。

 

 真っ向から額を割られ、そのまま真下まで切り落とされるブラックスピリット。

 

 手応えはあった。

 

 残心を取りつつ、顔を上げるセツナの前で、ブラックスピリットの体はマナの塵に分解されて消えて行く。

 

《見事。》

 

 それを見送ってから、《玄武》が口を開いた。

 

《良くぞ、我を破った。》

「《麒麟》の援護が無かったら負けていた。俺の力じゃない。」

 

 あれが無かったらやられていたのセツナの方だろう。

 

正直、選定を受ける身としてセツナは、《麒麟》の援護を受けて乗り切った事が不満ではあった。《玄武》さえ再戦を言い出せば、それを受ける気でいた。

 

 しかし、謙遜したように言うセツナに対し、《玄武》はその大きな首を振って見せた。

 

《良い。お前は白虎の力を見事に使いこなし、私を破った。それだけで、私は満足を得た。》

 

 そう言うと《玄武》の体は、先程の《白虎》同様、マナの光に解け、《麒麟》へと吸収されていく。

 

《これからもよろしく頼む。セツナよ。》

 

 その言葉を最後に、《玄武》の思念は消え去る。

 

 代わって《麒麟》から、力強い息吹が響く。玄武の権能が戻ったのだ。

 

「・・・・・・あと、2つ。」

 

 まだ、気を抜く事は出来ない。

 

 ため息のような呟きと共に、セツナは再び眦を上げた。

 

 

 

 予想はしていた。

 

 《白虎》、《玄武》の力が自分の使っていた物を遥かに上回っていたのだから、当然、こいつもそうであると。

 

 しかし予想していてなお、《青龍》の力は、セツナのそれを圧倒していた。

 

 トップスピードで剣を突き出してくるブルースピリットに対し、セツナは白虎を起動、体を横滑りさせて回避する。

 

 しかし刃の切っ先までは回避しきれず、胸を切り裂かれる。

 

「チッ!?」

 

 僅かに滲んだ血を指で払いつつ、舌打ちする。

 

 行動が読まれる。それも、かなり正確に。

 

《無駄じゃよ。》

 

 そんなセツナの脳裏に、柔和な老人を思わせる声が聞こえて来る。

 

 目を向ける先に浮かぶ、蒼き鱗を持つ龍。陰陽道に置ける、東の大河を守護する青龍である。

 

《そんな単純な攻撃では、我が予測を破る事はできんよ。もっと、頭を使わんと。》

 

 そう言うと同時に、ブルースピリットは動く。

 

 対してセツナはその攻撃を払い除けようと《麒麟》を繰り出す。

 

 しかし、セツナが払い除けようとした刃をすり抜け、ブルースピリットの剣はセツナへと迫る。

 

「クッ!?」

 

 とっさに体を後退させて回避を試みるセツナ。

 

 しかし、

 

《済まんが、それも予測の範囲内じゃ。》

 

 次の瞬間、繰り出された切っ先がセツナの脇腹を貫いた。

 

「グッ!?」

 

 こみ上げる嘔吐感を無理やり無視して、セツナはブルースピリットの間合いから逃れる。

 

 攻撃してはかわされ、こちらがかわしたと思ったら、それ以上の攻撃でダメージを食らう。先程からこの繰り返しである。

 

 開放された青龍の未来予測は正確無比を極め、セツナの行動を細部にわたって読みきり、最善の攻撃を行ってくる。

 

《やりにくいじゃろう?》

 

 愉快そうに《青龍》が口を開いた。

 

《我が予測はお前も知っている『時詠』のトキミが持つ物と違い、遥か先の未来まで見通す事など到底叶わぬ。せいぜいが時間にして10秒ほどで精一杯じゃ。じゃが、》

 

 そう言いながら、ブルースピリットは動く。

 

 振るわれる刃は、確実にセツナの体を斬り付け、僅かずつダメージを蓄積していく。

 

《一瞬の判断が勝敗を分ける戦いの場にあって、10秒と言う数字は大きい。それだけあれば、いかな不利な状況であったとしても、相手の出方さえ判っていれば逆転は可能じゃからな。》

 

 前2体と違って、《青龍》は随分しゃべる方である。どうやら、多少説教好きなきらいがあるようだ。

 

《いかな強大な能力であっても、必ずどこかに綻びがある。それを見付け、突く事こそ、勝利への最短であると知るのじゃ。》

 

 言い終えると、再びブルースピリットはセツナに斬り掛かる。

 

 その攻撃を紙一重で回避しながら、セツナは反撃の手を模索し始める。

 

 とにかく、自分のあらゆる行動が相手に対し筒抜けである事が、圧倒されている原因である。

 

 恐らく《青龍》には、自分が指一本動かす動作ですら予測できている事だろう。

 

 無論、常に未来予測を発動していられる訳ではない。攻撃の合間には予測を停止している状態にある。しかしそこを突こうにも、こちらが間合いに斬り込むよりも早く再発動される為、意味が無い。白虎の60倍速も、正確無比な未来予測の前には意味を成さない。

 

 フルドライブの原理も、既に《麒麟》から聞いている。ようするにオーバーブーストの類で、短時間に本来の倍の力を発揮すると言うものらしい。例えば白虎なら腕部か脚部に集中させる事で、運動速度と知覚速度を一時的に120倍まで加速する事が出来る。

 

 しかし、その力を持ってしても《青龍》の予測を破るには至らない。

 

『どうする!?』

 

 頬を掠める攻撃を辛うじて弾き、セツナは思案する。

 

 10秒。と言う数字を侮る事はできない。

 

 運命は変えられる物なのかもしれない。事実、トキミに聞いた所による、未来の情景とは千差万別存在していると言う。セツナ自身、青龍の権能を使った際、溢れる程の未来の情報に、精神が押し潰されそうになった事があった。その事からも、運命は僅かな判断の違いからガラリと様相を変える事だろう。

 

 だが果たして、僅か10秒先の運命を変えられる人間など、存在し得るのだろうか?

 

 答えは、限り無く不可能に近い。

 

『視点を変えるか・・・・・・』

 

 60倍速で回避行動を行いながら、思考をフルに回転させる。

 

『奴が未来予測を使い無敵でいられるのは、現時点から10秒先まで、それ以上先は奴にとっても未知の領域。そこから攻めれば、勝機はあるはず。』

 

 感じ的には、外堀を埋めていく感覚であろうか。

 

 急速に頭の中でプランを練り上げる。

 

 かつて、戦略を練るのに使われた思考が、今また、逆転の一手を得る為の作戦を組み上げる。

 

『・・・・・・やってみるか。』

 

 初めて使う能力に、急造の作戦。組み上げたプランは、あまりにも穴だらけな物でしかなかった。しかし、それでも現状で試して見るだけの価値はあると判断した。

 

 作戦を決定したセツナは白虎を解除、自身の動きを止める。

 

《ふむ?》

 

 その行動は予測の順序的に低かったのか、《青龍》は意外そうに声を発した。

 

 対してセツナは、《麒麟》を片手正眼に構える。

 

《何か、思い付く物があったようじゃな。よかろう、見せてもらうぞ。》

 

 《青龍》のその言葉を受けて、セツナは動く。

 

「玄武、起動!!」

 

 その内に眠る、1つの権能を呼び起こす。

 

 その行動に、《青龍》は更に訝る。

 

《ふむ? 確かに障壁を張り、空間を封じてしまえば我が攻撃は防げよう。だが、それは一時的な物に過ぎぬ。そもそも、そちらから攻撃できぬのでは、我を倒す事も出来ぬが?》

 

 その言葉を無視し、セツナは障壁を展開する。

 

 しかし、自分の前面に張るのかと思われていた障壁は、予想に反しててんで見当違いな場所に張られる。

 

 位置的にはセツナとブルースピリットが立つ、右方向。ちょうど、この空間を半分に分断するような形で展開される。

 

《そのような場所に障壁を張って、何の意味があるというのだ?》

 

 さすがにセツナの意図を掴み切れず、訝る《青龍》。

 

 だがそれでも攻撃の手は緩めず、セツナに斬り掛かる。

 

 起こり得る未来を完璧に予測し、セツナの逃げ道を塞ぐように繰り出される斬撃。

 

 回避しようと逃げた先には既に刃があるこの攻撃の前には、さしものセツナも対処のしようが無い。

 

 腕、足、腹がいっぺんに斬り裂かれる。

 

「クッ!?」

 

 膝が崩れ落ちそうになる。

 

 だが、それをどうにか堪え、何とか距離を取ろうとするセツナ。

 

 逃げながらセツナは、更にもう1枚、障壁を追加する。その障壁もまた、全く見当違いの場所に張られ、相変わらず意味を成そうとはしない。

 

 だがそれでもセツナは構わず、更に3枚、4枚と障壁を追加していく。

 

『気付くな・・・・・・まだ、気付くなよ・・・・・・』

 

 祈るように、心の中で唱える。

 

 この段階で気付かれたら、作戦が崩壊しかねない。

 

 ブルースピリットの攻撃をかわしながら、セツナは障壁を張り続ける。

 

 10枚ほどの障壁を張り終えた頃だった。

 

《むっ!?》

 

 《青龍》は思わず、驚愕の唸りを上げる。

 

 自身の僕であるブルースピリットが、動けずにいる。その周囲には、セツナが張り巡らした障壁が縦横に囲み、その動きを制限している。

 

「・・・・・・これで、『予測』はできても『回避』は出来ないだろう?」

 

 セツナはスッと《麒麟》を八双に構える。

 

 ヒントは、先程の玄武との戦いだった。

 

 障壁を利用した空間の牢獄。この中に閉じ込めて、動きを封じてしまおうと言う作戦だった。だが相手には絶対的な未来予測がある。直に仕掛ければ、逃げられて失敗する事は間違いない。そこでセツナは、初めは大雑把に障壁を仕掛けていく事で空間を徐々に狭めると同時に、相手にこちらの意図を感知させない作戦に出たのだ。

 

 10秒以内であるなら《青龍》は正確に未来を予測できる。だが逆を言えば、10秒以上先を見通す事は出来ない。ならば、その10秒以上先の未来から相手の領域に攻め込み、10秒間の予測範囲を無効化してしまおうと考えたのだ。

 

 《青龍》が気付いた時には既に手遅れ。張り巡らされた障壁によって逃げ場を失い、正確無比な未来予測も、その用を成せなくなっている訳である。

 

 120倍速に加速された剣が振り下ろされる。

 

 来るのは判っている。未来の情報は正確に把握している。

 

 だが、それが判ってなお、《青龍》にはどうする事も出来なかった。

 

 セツナはブルースピリットの体を袈裟懸けに斬り裂いた。

 

《ほう、見事じゃ。》

 

 感心したような《青龍》の声が響いて来た。

 

 その目の前で、ブルースピリットの姿が消えて行く。

 

《お前ならば、あるいは2万周期の時を超えて、『絆』を得るに相応しい人間になれるかもしれんのう。》

 

 これから起こる事が、さも面白いと言わんばかりの、笑みを含んだ声だ。

 

 その声を発しながら《青龍》の体が消えて行く。

 

《じゃが、まだ油断はするなよ。まだ、『朱雀』が残っておる。あ奴は、ひと筋縄ではいかぬぞ。心するのじゃ。》

 

 そう言うとマナの塵となった《青龍》の体は、《麒麟》の中へと吸い込まれていった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは《麒麟》の刀身を見る。

 

 これで取り戻した権能は3つ。後1つで、永遠神剣第二位《絆》が手に入る。

 

「・・・・・・待ってろ、皆。」

 

 幻想の大地で自身の帰還を待って戦い続ける仲間達を想い、セツナは再び前に進んだ。

 

 

 

 

 

 

 貰った飲料を嚥下し、ようやく一息ついた。

 

 既に受けた傷は全て塞がり、失ったマナも補充されている。今は体力の回復を待っている状態だ。

 

「ふう・・・」

 

 もう一口飲む。

 

 冷たい感触が、喉から下に下がっていくのが判った。

 

 そんな時だった。

 

《ねえ、セツナ・・・》

 

 傍らの鞘に収めた《麒麟》が声を掛けて来たのは。

 

「何だ?」

 

 少し不安げな口調の《麒麟》に訝りながら、セツナは問い返す。

 

 対して《麒麟》は不安から躊躇うように、ややあって口を開いた。

 

《あんた・・・ほんとに、エターナルになる事に躊躇いは無い?》

 

 《麒麟》は不安だった。

 

 ファンタズマゴリアに来た頃のセツナは他者との繋がりを否定し、孤高に生きる事を選んでいた。

 

 だが、戦いの中でユウトを始めとした仲間達との友情に芽生え、そして、ネリーとは愛を紡いだ。上辺はどうあれ、セツナがそうして築かれた他者との繋がりを、何よりも大事にしている。だからこそ、《絆》に魅入られられたのだ。

 

 エターナルになると言う事は、それらの繋がりを全て破棄するという意味だ。普通ならば、躊躇って当たり前である。

 

 そして契約し、精神的に繋がった存在である《麒麟》は気付いていた。セツナの中に、まだ僅かながら躊躇いがある事に。

 

 それ故、隠す事は無駄だと感じたのだろう。質問に対し、セツナはフッと笑みを浮かべた。

 

「さあな、判らん。」

 

 さばさばした口調で、答える。

 

「上辺を、取り繕う事に自信はある。だが実際の話、皆の記憶から自分と言う存在が消え去るという事に対する実感が、うまく湧かない。」

《セツナ・・・・・・》

「だが、これだけは言える。皆が俺の力を必要としてくれるなら、俺はどんな事でもする。その心に、偽りは無い。」

 

 そう告げるセツナの口元には、僅かに笑みがある。

 

 迷いはある。だが、それに立ち向かう勇気もまた、ある。それが、セツナの答えだった。

 

「さあ、休憩は終わりだ。」

 

 飲料を飲み干し、セツナは立ち上がる。

 

 不安や、迷いならいつだってあった。それが今は、自分の中に存在すると言うだけの話。

 

 ならば、恐れるべき物など、何も無かった。

 

 

 

 手首と足首をほぐす。

 

 どんな場合であろうと、準備運動の内容は変わらない。

 

 体を十全にほぐし、どんな動きにも対応できるようにする。

 

「準備は、良い?」

 

 待っていたクラウスが、声を掛ける。

 

 セツナは頷く。スラリと《麒麟》を抜き、無行の位に構える。

 

 それを受けて、クラウスも右手を掲げる。

 

 その掌にオーラフォトンの光が集まる。

 

 これを触媒に、最後の神獣を呼び出すのだ。

 

 光は雄雄しく翼を広げる。

 

 その体は、全体が眩いばかりの炎に覆われ、雄叫びは空を切る。

 

 陰陽道、南の大池を守る炎を纏う鳳、《朱雀》に間違いない。

 

 セツナの目の前まで舞い降りた《朱雀》は、ゆっくりと大きな翼を閉じ、その足元にあるセツナを見下ろす。

 

《良くぞ、俺を呼び出すまでに至った。その努力は、賞賛に値する。》

 

 透けるような、高い男の声である。

 

《貴公は『麒麟』が選び、他の3体が認めた程の男。その力、信念、魂、その全てが強き物であろう。だが、》

 

 《朱雀》は再び大きく翼を広げ、舞い上がる。

 

《その実力を持って俺を納得させぬ限り、『絆』へと至る道は開かぬと知れ。》

 

 その足元には、既にダブルセイバーを構えたレッドスピリットの姿があった。

 

 セツナはゆっくり、片手正眼に構え、切っ先をレッドスピリットに向けた。

 

《では行くぞ。見事、俺を破って見せろ!!》

 

 言い放つと同時に、レッドスピリットが駆ける。

 

 対してセツナは、これまで以上に最大限の警戒を持って当たる。

 

 これまでの3体はいかに強大とは言え、セツナはその能力の内容を知っていた。

 

 だが《朱雀》の能力は全くの未知数である。どんな力が飛び出すのか見当も付かない以上、警戒してもし足りると言う事はないだろう。

 

 間合いに入ったレッドスピリットは、ダブルセイバーを振り上げてセツナに斬り掛かった。

 

 対してセツナは無造作に剣を振るい、レッドスピリットの斬撃を払い除ける。どうじに刃を返し、逆袈裟気味に《麒麟》を繰り出す。

 

 対してレッドスピリットは、後退する事でセツナの攻撃を回避する。

 

『畳み掛ける。』

 

 相手がどんな能力を持っているか知らないが、手っ取り早い話がそれを出す前に仕留めれば良い。

 

 袈裟懸けに斬り下ろす刃に対し、レッドスピリットは更に後退する事で回避。

 

 その瞬間を逃さず、セツナは更に一歩前に出る。

 

 相手は後退直後で片足立ちの状態、バランスがひどく悪い。僅かな衝撃で体勢を崩す事が出来る。

 

「ハァッ!!」

 

 振り抜かれる、横薙ぎの斬撃。

 

 辛うじてダブルセイバーを掲げて防いだものの、セツナの目論見通りレッドスピリットの体勢は大きく崩れた。

 

『終わりだ!!』

 

 その隙を逃さず、斬撃を繰り出す。

 

 そして、

 

「えっ!?」

 

 絶句した。

 

 肩口に振り下ろされた《麒麟》の刃。

 

 それは、レッドスピリットの体を貫通している。にも拘らず、斬撃が通ったなら必ず存在するはずの軌跡がない。それどころか、肉体を切ったはずなのに、手応え自体がセツナの手元には無かった。

 

 例えるなら、立体映像に刀を突っ込んでいるような感じである。

 

《気付いたか?》

 

 それを見ていた《朱雀》が、口を開いた。

 

《自身の体を構成するマナの濃度を極限ギリギリまで薄め、あらゆる攻撃を透過させる。それこそが、俺の権能だ。》

 

 レッドスピリットは、ゆっくりとセツナから距離を取り、ダブルセイバーを掲げる。

 

 それに対抗するように、セツナも《麒麟》を正眼に構える。

 

 回転を掛けて威力を高められたダブルセイバーの刃が、セツナに迫る。

 

「白虎、起動!!」

 

 対して60倍の加速を得たセツナは、後退して間合いを取ると同時に、相手を撹乱するように高速移動、その背後に回りこむ。

 

「喰らえ!!」

 

 背後から突き入れるように、刃を繰り出す。

 

 だが、やはり結果は同じ。突き入れられた刃に手応えは無い。刃は空しく透過する。

 

《無駄だ。》

 

 振り返ると同時に、刃が一閃される。

 

 その一撃は、不用意に接近しすぎていたセツナの胸を深く抉った。

 

「ぐあっ!?」

 

 鮮血が傷口から迸る。

 

 致命傷に近い一撃を受けてしまった。斬撃は皮膚のみに留まらず、肋骨を幾らか断ち切っている。

 

「グッ・・・クッ・・・・・・」

 

 傷口を押さえて、辛うじて後退する。

 

 溢れ出た血が、急速にマナの塵に返って行く。

 

 だが、休んでいる暇は無い。

 

 セツナが体勢を立て直す前に、レッドスピリットが斬り込んでくる。

 

 振り下ろされる斬撃に対し、セツナは肩膝を突いたまま《麒麟》を振り上げこれを弾く。

 

 どうやら透過が可能なのは体のみで、永遠神剣の透過は出来ないらしい。

 

 セツナは気付いていないが、正確に言えば《朱雀》の権能は、自分のマナを永遠神剣に一時的に預ける事で透過を可能にすると言う物だった。

 

 回転が掛けられ、威力を高められたダブルセイバーが容赦なくセツナに襲い掛かる。

 

「ッ!?」

 

 それを払い除けつつ、白虎の力を借りて距離を取る。

 

 とにかく、あらゆる攻撃を透過してしまう以上、迂闊に接近は出来ない。距離を取りつつ、逆転の策を考えるのだ。

 

 だが、

 

《逃げるか。無駄な事を・・・》

 

 《朱雀》の言葉と同時に、レッドスピリットの掌に炎が生まれる。

 

 その炎の規模、マナの収束速度。いずれも並みのレッドスピリットの比ではない。

 

 次の瞬間、セツナの体を炎が包んだ。

 

 

 

《長かったよね。ここに来るまで。》

 

 暗く深い深遠の中に、《麒麟》の声が溶けて行く。

 

 その声に応え、深遠の主が口を開く。

 

《感慨深いのう。その苦労が、今まさに報わるともならば、尚更かえ。》

 

 だが、その言葉に対する《麒麟》の口調は、暗い。

 

《・・・・・・あなたは、本当に平気なの? 彼から、人としての幸せを奪い去る事。》

 

 セツナとの付き合いはたった2年でしかない。

 

 だが戦争の渦中にあって、2年間の間に築かれた信頼関係は、決して薄くはないと自負していた。

 

 だからこそ今、僅かでもセツナの中に残る苦渋に、《麒麟》は危惧を覚えていた。

 

 その事を察したのだろう、声の主も躊躇うように答える。

 

《・・・・・・あ奴が・・・自ら選んだ道じゃ。わらわ達が改めて口を出すべきことでもあるまい。》

《でもセツナは!!》

 

 《麒麟》は声を荒げる。

 

 あの少年が、どれだけ苦しんでいるか、自分は知っている。

 

 心身ともに強いとは言え、所詮は10代の子供。振り捨てても、捨て切れない事だってある。

 

《だが、それでもあ奴は、全てを捨ててこの道を選んだ。ならば、わらわ達に出来る事は、それを見守り、あ奴の願いを叶えてやる事だけではないかえ?》

《それは・・・・・・そうだけど・・・・・・》

 

 口ごもる。

 

 確かに、自分達に出来る事はそれくらいかもしれない。

 

 これは、セツナ自身が選んだ道。

 

 セツナ自身が欲した力。

 

《セツナ・・・・・・》

 

 囁きは、闇に溶ける。

 

《だって・・・・・・判ってても、辛い事って、あるじゃん。》

 

 

 

 体を炎が包んだのは、これで3度目。

 

 いかにエトランジェの強靭な肉体を持つとは言え、耐えられるものではない。

 

 既に肌は溶解を始め、全身から流れ出た血によって、白かった軍装は真っ赤に染まっている。

 

 伏せた顔の奥から荒い息遣いが漏れる。

 

 その全身から、金色の光が舞い上がっていく。

 

 セツナ自身の命が、失われていようとしているのは、手に取るように判る。

 

 ほとんど動けなくなったセツナに対し、しかし《朱雀》は手加減をしない。一気に間合いを詰めたレッドスピリットが、容赦無くセツナに斬撃を振り下ろした。

 

 袈裟懸けに切り下ろされるセツナの体。それでも斬撃の一瞬で身を引いて、ダメージを最小限に抑えたのだろう。

 

 衝撃で背後に吹き飛ぶセツナ。

 

 そのまま床に倒れ込む。

 

《・・・・・・終わりか?》

 

 拍子抜けしたと言わんばかりに、《朱雀》が呟きを漏らした。

 

 他の3体が認めたのだから、自身をも満足させ得ると考えていた。

 

 だが、見るからに死に掛けている今のセツナを見ては、落胆せざるを得なかった。

 

 そんな《朱雀》の見ている前で、セツナは《麒麟》を杖代わりにして立ち上がる。

 

 だが、新たな傷口からもマナが流れ出ている。失った分のマナ量を計算すれば、最早身体の構造維持も難しい状態だろう。

 

《よくぞ、ここまで持ち堪えた、強き者よ。》

 

 レッドスピリットがダブルセイバーを構える。

 

 対してセツナは相変わらず俯いたまま、それ以上動こうとしない。

 

《せめてもの手向けだ。苦しまずに、逝くが良い。》

 

 言い放つと同時に、レッドスピリットはダブルセイバーを回転させながら床を蹴った。

 

 一気に距離を詰め間合いの中にセツナを捉えると、刃を振り下ろした。

 

 次の瞬間、

 

 ガシッ

 

《な・・・・・・》

 

 思わず《朱雀》は呻いた。

 

 セツナの手が、レッドスピリットの手首を掴んでいる。

 

《ば、馬鹿な・・・・・・》

 

 権能は掛けたまま。本来ならそこで透過し、セツナの手は空を切るはず。

 

 にも拘らず、セツナの手はしっかりとレッドスピリットの手を握っている。

 

 その体からは、絶えず金色のマナが流れ出て、セツナの命を削っている。

 

《ま、まさか、貴公は!?》

「その・・・まさかだ。」

 

 セツナはニヤリと笑った。

 

 《朱雀》の権能は自身のマナ濃度を薄めて攻撃を透過させる事にある。よって、通常の状態では捉える事が出来ない。

 

 ならばどうする?

 

 答は、自身のマナ濃度を下げるしかない。

 

 その為セツナはかわせる攻撃を、致命傷を避けながらわざとその身で全て受け、自身の体を構成するマナを放出すると言う強引なやり方で、強制的にマナ濃度を薄めたのだ。

 

「オォォォォォォ!!」

 

 うなり声と共にセツナは掴んだ腕を担ぎ、レッドスピリットの体を背負い投げにする。

 

 その攻撃に対応が遅れたレッドスピリットは大きく放物線を描いて飛び、床に叩き付けられた。

 

 その間にセツナは、空いている左手で腰に差したもう1本の永遠神剣《絶望》を抜き、構える。

 

 スッと、目を閉じる。

 

 白虎の権能を得た時点で、イメージだけはしていた。

 

 フルドライブで起動した場合、自分と外界との時間差はおよそ2分。その時間差を利用すれば、より強力な攻撃法ができるはず。

 

「白虎、フルドライブ!!」

 

 加速箇所を腕に集中。同時に、世界が急速に動きを止めていく。

 

 目の前には、ようやく立ち上がりかけている獲物の姿がある。

 

 一気に間合いを詰める。

 

《しまった!?》

 

 唸る《朱雀》。

 

 先程のセツナの思わぬ反撃に権能は解除され、レッドスピリットの体は現界している。今の状態ではセツナの攻撃を透過させる事は出来ない。

 

 とっさに権能を再発動させようとするが、既に遅い。

 

 120倍まで加速された2本の剣は閃光と化し、レッドスピリットに襲い掛かった。

 

 正確にどれくらいの斬撃が叩き込まれたかは、とうのセツナですら判別は出来ない。

 

 ただ、気付いた時には既に、文字通り襤褸雑巾のようになったレッドスピリットの体が、マナの塵に帰って行くところだった。

 

「・・・・・・・・・・・・やり、過ぎたか?」

 

 何だか、不必要な攻撃を行ったみたいで、さすがのセツナも後ろめたい物を感じずにはいられなかった。

 

 だが、これで。

 

 セツナは振り返る。

 

 そこには、舞い降りてきた《朱雀》の姿がある。

 

《見事!!》

 

 含む所の無い、まっすぐな賞賛がセツナに送られた。

 

《よくぞ、4つの権能全てを揃えた。貴公の力の程、我等、しかと見せてもらった。》

 

 そう言いながら《朱雀》の体は徐々に薄れ、マナの塵に変わっていく。

 

 塵は流れ、ゆっくりと《麒麟》に吸い込まれていく。

 

《受け取れ、貴公こそ、4千万年の時を越え、我等の主に相応しき存在だ。》

 

 やがて、金色の光は全て《麒麟》の刀身に収まる。

 

 変化は、唐突に始まった。

 

 まず、《麒麟》が、

 

 そして《絶望》が、

 

 セツナの手元から離れ、宙へと浮き上がった。

 

 2本の神剣はゆっくりと光に包まれたかと思うと、その中で形を変えていく。

 

 生まれ変わろうとしている。いや、永遠神剣が元の姿に戻ろうとしているのだ。

 

 やがて、光が晴れる。

 

 そこにあったのは、2振りの日本刀だった。

 

 長さは《麒麟》とさ程変わらない。ただ、若干、日本刀の特長とも言うべき反りが少ないのが気になった。さらに、2つのうちの1つの鍔元には《絶望》の名残だろうが、青い宝玉が象嵌されていた。

 

 だが、伝承にあるのと、形状が違う。

 

 もともと《絆》は両刃の長剣2本と聞いていたのだが、どうやら日本刀を主武装にしてきたセツナ自身の情報と融合して、その姿を変えたのかもしれない。

 

 2振りの刀は、ゆっくりと降りて来ると、セツナの目の前で静止する。

 

《・・・・・・ようやく、出会えたのう。》

 

 古代の姫君を思わせるしゃべり方だ。

 

 その声は、聞き覚えがある。

 

 そう、あれは、ファンタズマゴリアに来たばかり、ネリーと初めて出会った時。

 

 2度目はネリーを助けようとした時、

 

 後は、旅立ちを決意した時に、セツナに話し掛けてきた声だ。

 

《今こそ、そなたに我が名を語ろう。》

 

 尊大な口調は相変わらずだ。しかし、どこか歓喜を含んでいるように聞こえるのは、セツナの空耳であろうか?

 

 恐らく、空耳ではないだろう。何しろ4千万年の時を越えて、ようやく自身を振るうに相応しい者が現れたのだから。

 

《わらわは、永遠神剣第二位『絆』。この世を統べる7つの理が1、友情を司る者じゃ。》

 

 そして1つだけ、確実に言える事がある。

 

《さあ、わらわを取るが良い。》

 

 それは、あれほど焦がれていた《力》が、今、形となって目の前にある事だ。

 

 迷う事無く、セツナは2振りの刀を手に取った。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 体の内側から、何かが燃えるような感覚に襲われる。

 

 朝倉刹那と言う人間が持つ存在情報が急速に書き換えられ、その身を燃やしていく。

 

 昇華する。

 

 人間、朝倉刹那から、エターナル《絆》のセツナに。

 

 体を苛む傷が急速に癒され、塞がっていく。

 

 自分が、生まれ変わる。それが、判った。

 

 開放された力が、形を成す。

 

 軍装の上から、黒いコートが羽織られる。デザイン的には、ベルトが多いつくりになっている。

 

 更に背中には1振りの鞘が現れる。

 

 両側に穴があるその鞘は、どうやら1本の鞘に2本の刀を収めるタイプであるらしい。

 

 全てが終わった時、黒衣を纏って立つ少年の姿があった。

 

「この、コートは?」

《そなたが以前着ておった物を再現してみたのじゃ。マナで加工した特殊防刃繊維で編んであるゆえ、並みの攻撃では傷も付けられん。簡易型の鎧とでも思っておるが良い。契約に当たって、わらわからのささやかな手向けじゃ。》

 

 少し摘んでみるが、普通の布繊維と重さも手触りも変わらない。これで本当に言う程の強度があるのか疑問だが、まさかこれから共に戦う者を相手に、いきなりそんな下らない嘘を吐く事もないだろう。

 

 セツナはフッと笑みを浮かべると、《絆》を目の前に掲げた。

 

「これから、よろしく頼むぞ。」

《無論じゃ。わらわとそなたの絆、それこそが、そなたの力を高めるであろう。》

 

 力は、これで手に入った。

 

 親を捨て、仲間を捨て、主君を捨て、恋人を捨て、最後には人としての生を捨ててまで欲した力が、ついにセツナの手に入った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 そよぐ風が、まどろみを払う。

 

 ゆっくり開く瞳の先に、愛おしい少女の顔があり、心の底から安心している自分が居た。

 

「おはよう、セツナ。」

 

 全てを捨て去ったはずだった。

 

 力を得る為に、

 

 だが今、こうして、自分が最も愛おしく思う蒼き宝珠が、掌中へと還ってきた。

 

「ああ、おはよう。」

 

 あの後、

 

 《絆》を得た後セツナは、旅立ちに当たってクラウスから1つの名を与えられた。

 

 曰く《黒衣の死神》。

 

 これから多くの魂を刈り取る存在。

 

 しかし、刈り取った命全てに敬意を払える存在。

 

 セツナはこの名前を気に入った。

 

 敬意を払うかどうかは判らない。だが、これから多くの命を刈り取る事を約束されている自分は、確かに死神の名が相応しいだろう。

 

 もっとも、《絆》は趣味に合わないとかで大いに不満そうであったが、それは無視してやった。

 

 セツナはそっと、ネリーの頬に手を伸ばして撫でる。

 

 柔らかい、綿のような感触が指に吸い付く。

 

 ネリーも嬉しそうに、ようやく取り戻した恋人の手に、自分の手を重ねた。

 

 

 

第38話「選定の儀」     おわり