大地が謳う詩
第37話「予兆 〜Limit〜」
1
堕ちていく。
果てしない奈落が口を開け、この身を飲み込もうとしているかのようだ。
目を開けても光は無く、耳を澄ましても音は無い。
ひょっとしたら底すら無いのかも知れない。
ただ、ふと思う。
こここそが、自分に相応しい世界なのではないのだろうか?
この何も無い深遠の空間こそ、本来自分が生きる世界なのではないだろうか?
《死神》の名に、これ程相応しい世界も、あるいは無いのかも知れない。
目を開けた。
見慣れぬ天井、と言ってしまえば長く戦場に居て、天井に見慣れる事が無かったのも事実だ。
頭を振って状況を整理する。確か自分はマロリガン攻略の特殊部隊に加わり、そこで敵のエターナルと戦い・・・・・・
そっと、胸元に手を伸ばす。そこには傷の感触と、上から巻かれた真新しい包帯があった。
「俺は・・・・・・」
戦闘が終わってからの記憶が無い。と言う事はどうやら、気を失ってしまったらしい。
ふと、ベッドの横に目を転じる。
そこには椅子に腰掛けたまま、寝入っている少女が居た事に、今更気付いた。
まだ幼さの残る蒼き少女。
捨て去っても、捨て切れなかったたったひとつの宝珠。
どうやらずっと看病してくれていたのだろう。座ったまま熟眠している。
ゆっくりと体を起こし、立ち上がる。
戦闘で受けたダメージが今だに抜け切らず、間接ひとつ動かすだけで体が軋む。
それに耐え、少女の傍らまで歩み寄った。
と、少女も人が動く気配に気付いたのだろう。ゆっくりと瞼を開けて見上げてきた。
「あ、」
短い声に驚きと歓喜が混じる。
少年は笑い掛けた。
「そんな格好で寝ると体が痛くなるぞ、ネリー。」
「セツナ!!」
一気に覚醒する意識を直にぶつけるように、ネリーは椅子から立ち上がる。
その勢いのまま、セツナに向かって飛びついた。
「ッ」
普段ならいざ知らず、傷付いた今のセツナではネリーの勢いを受け止める事はできない。
そのまま背中から床に倒れ込む。
衝撃が全身を駆け抜け、セツナは苦痛に苛まれる。
だがそれでもネリーの前という手前、歯を食いしばって激痛に耐え抜いた。
そんな事はお構い無しに、ネリーは倒れ込んだセツナの胸に顔を埋める。
彼女には、随分心配を掛けてしまったようだ。
そっと、その頭を撫でる。
ポニーテールのサラサラした感触が流れる水のように指の間を流れる。
「セツナ・・・・・・」
「ん?」
顔を上げたネリーと目が合う。
その目には涙が浮かんではいるが、それでもなお有り余る嬉しさに、顔には笑顔がある。
「おかえり、セツナ。」
旅立つ折、セツナは「行って来る」と告げた。あの時は、言葉を反す者はいなかった。
だが今、こうしてセツナを迎え入れてくれる人が居る。
その事実が、空虚になりかけていたセツナの心を急速に埋めて行くのが判った。
「ああ、ただいま。」
それに答えるように、セツナも笑みを浮かべた。
ここは、旧マロリガン首都。
辛うじて勝利を得たとは言え、ラキオス軍特殊部隊も多大なダメージを受けて行動不能状態に陥っていた。
エターナルであり、防御力、回復力共に優れているセツナの傷でさえ、一夜明けても完全には治り切っていない事から見ても、その激しさを伺わせた。
そこで、戦いによる被害が比較的少なかった市街地に仮設の野戦病院を設置してそこへ怪我人を収容すると同時に、神剣通信でラキオス本国に連絡、回復魔法が得意なグリーンスピリットを数人送ってもらったのだ。
「はい、セツナ、あ〜ん。」
そう言ってネリーは、セツナの口元にスプーンを持っていく。
手にした皿には、煮詰めたスープが程好い匂いと湯気を立てている。
体がほとんどまともに動かないセツナは、腕一本動かすのも難儀である。その為、ネリーが身の回りの世話を申し出たのだ。
一応、名誉の為に言っておくと、セツナ自身は最初断ったのだが、結局ままならぬ体に根負けし、ネリーの申し出を受け入れたのだった。
「・・・・・・・・・・・・」
無言のまま口を開けるセツナ。
その中に、スープが流し込まれる。
「美味しい?」
「・・・・・・・・・・・・ああ。」
ややぶっきらぼうに答えるセツナ。
だがそんなセツナの様子にも、ネリーの笑顔は絶えない。
あの、焦燥にも似たもどかしさに心を囚われていた日々。
当のセツナが現れても、その想いから逃れる事はできなかった。
その全てを取り戻すかのように、ネリーはセツナから離れようとしない。
「あ、セツナ、口元にスープ付いてる。」
そう言うとスープの皿を置く。
「ちょっと動かないでね。」
そう言ってセツナに顔を近付けると、口元に付いたスープの雫を舌で舐め取った。
「ん、おいし。」
「・・・・・・・・・・・・」
絶対に誰にも見せられないような光景である。
もし、誰かに見られた日には・・・・・・
「あらあら〜、仲良しさんですね〜」
ドアの方から、後伸びした声が聞こえてきた。
振り返る2人。
そこには満面の笑みを浮かべたグリーンスピリットと、巫女服を着た女が立っていた。
「は、ハリオン!?」
「トキミ・・・・・・」
ネリーは急速に頬を赤くし、セツナは頭を抱える。
何でこんなタイミングで入ってくるんだ、この2人は。
上半身をはだけたセツナの体に、真新しい包帯が巻かれていく。
傷の具合を調べ、神剣魔法を掛けて失われたマナを補充。内部のダメージは完治していないが、既に表面の傷は塞がっている。
ハリオン達に加え、ネリーも回復魔法を上掛けした集中治療だった。
にも拘らずセツナの傷は全快せず、その激闘の凄まじさを、戦場に居なかったハリオン達に伝えていた。
「その後どうですか〜?」
「ああ、大分楽になって来た。」
そう答えると、包帯を巻き終えた体に軍服を羽織った。
その様子を見ながら、ハリオンはふと首を傾げた。
「でも〜、おかしいですね〜」
「何がだ?」
セツナの問いに、ハリオンはなおも首をかしげながらその体を見る。
「これだけ〜、回復魔法を掛けているのに〜、まだ完治しないなんてちょっと変です〜」
「確かにそうですね。」
それまで黙って見ていたトキミが口を開いた。
同じエターナルとして何か思う所があるのか、トキミ自身もハリオン以上に険しい表情をしている。
「エターナルは普通の人間よりもあらゆる面で勝っているはずです。そこには当然回復力も含まれます。にも拘らず今だに全快しないのはおかしいです。」
当然、トキミもアーネリアと戦った時の傷は既に完全に回復している。確かに傷自体はセツナの方が深かったからこの対比は当然と言えば当然なのだが、それでもセツナの状況はトキミの目から見ても異常だった。
「タキオスの攻撃をまともに受けてしまったからな。そのせいだろ。」
確かに、とトキミは思う。
数いるロウ・エターナルの中でも、タキオスの剣技と直接攻撃力は五指に入るとまで言われている。そんな怪物的な存在を相手に致命傷に近い傷を受け、なおも現界していられる事自体が既に奇跡に近いのだ。
「経過も良いみたいですし〜、後数日で治るんじゃないでしょうか〜?」
そう言うとハリオンは、立てかけておいた《大樹》を取って立ち上がった。
「後は、安静にしていてくださいね〜、それと、」
そう言うと笑みを浮かべつつ、セツナに顔を近付ける。
「ネリーさんと仲良するのは良いですけど〜、ほどほどにしないと〜、メッ、ですからね〜」
「・・・・・・・・・・・・」
無言のまま睨み返してくるセツナに笑みを反し、ハリオンは踵を返した。
それに追随するように、トキミも部屋を出て行く。
だが扉を閉める直前、トキミはほんの一瞬だけ、誰にも気付かれる事無くセツナに目を向けていた。
2人が退出したのを見計らって、セツナはネリーに向き直った。
「ネリー、悪いんだが、少し喉が渇いたから水を汲んできてくれないか?」
「うん、判った。」
ネリーは頷くと、駆けるように部屋を出て行く。
それを確認してから、セツナはゆっくりと両手を持ち上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
まず右手から。
軽く握っては離し、また握る。
次の左手、やはり同じ動作をする。
「・・・・・・・・・・・・」
その動作の後、両手をベッドの上に下ろした。
険しい目付きと共に、溜息が漏れる。
そのまま起こしていた上体をベッドの上に投げ出す。
「・・・・・・・・・・・・たった4回でこの様か。」
自嘲気味な呟きと共に、疲れたように掌で瞼を覆った。
2
カードを1枚めくる。
その瞳に映る絵柄を前にして、《冥界の賢者》ハーレイブは笑みを浮かべる。
手にしたカードは3枚。1枚はスペードのエース。1枚はダイヤの9、そしてもう1枚はクローバーの4。
「皹の入った刃、ですか。」
この組み合わせは、ハーレイブにとって予想外の事ながら、好機へと転じる事の出来る材料だった。
その脳裏に浮かぶ、ある少年の顔。
正直これまで、彼の行動が予想しづらかったのは事実だ。戦闘能力もエターナルになった事で飛躍的に上昇し、例え自分であってもまともに戦えばどう転ぶか判らないだろう。
まさに、天運を味方に付けたかのような少年。いや、相手が《死神》である以上、ここは「悪魔に魅入られた」と言っておくべきか?
いずれにせよ、この戦争が始まって以来幾度と無く対峙してきた相手は、今や名実共に侮る事のできない存在へと変貌を遂げていた。
だがここに来て、どうやら運はこちらに傾きつつあるようだ。
「ハーレイブ様・・・・・・」
座する椅子の背後に設置されたベッドの上から、低い声が聞こえてきた。
振り返る先には、シーツに包まった女性の姿がある。
そのシーツの下には、生まれたままの姿がある事は知っている。
忠実な従者であり愛人でもある女性は、今はその顔を俯かせ、ハーレイブの顔を正視できずにいる。
「申し訳ありません、ハーレイブ様。先の戦いではとんだ失態をお見せしてしまい・・・・・・」
恐縮するように身を縮める《忠節の騎士》アーネリア。
そんなアーネリアに、ハーレイブは無言のまま近付く。
その頬をそっと撫でてやると、戸惑いがちに顔を上げる。
ハーレイブは微笑む。
「良いんですよ。あの、《時詠》のトキミが相手では仕方の無い事です。それに、まったくの無収穫だった訳では無いので。」
「と、申しますと?」
言葉の意味が判らず問い返すアーネリアに、ハーレイブはそっと口付けを押し付ける。
瞳を閉じて受け入れるアーネリア。
エターナルになってからの長き放浪の末、自身の忠節に見合った人物を捜し求めてようやく得た主君は、同時に彼女自身を自らの傍女とする事を望んだ。
アーネリアに、拒む意思は無かった。
主君が望むなら、何でも差し出す事が忠誠の証であり、また彼女自身の意思でもあった。
「どうやら、セツナ君に何か異変が起こったようです。」
「・・・《黒衣の死神》に?」
その名を口にする事すら汚らわしいと言いたげに、アーネリアは口調を荒くする。
事実、彼女はセツナを毛嫌いしていた。
その理由はただ1つ、彼がこれまで、数度に渡ってその刃をハーレイブに叩き付けて来たからだった。
彼女にとって主君であるハーレイブは神にも等しき存在であり、それを傷付けんとする者は、その身分貴賎を問わず全てが畜生に等しい存在だった。
そんな彼女がセツナを毛嫌いするのは当然の帰結と言える。
アーネリアに笑みを向けつつ、ハーレイブは自身の宿敵となり得る少年に思いを馳せる。
彼は今頃、恐らく苦しみの中であがいている事だろう。
その苦しみを乗り越えた先に、自分達の決戦がある。
ハーレイブはそう確信していた。
数日の後、セツナはようやくながら自力で歩けるほどの回復を見せた。
まだ本格的に戦える程ではないが、日常生活に支障は無いはずだ。
その傷付いた体を押して、セツナはマロリガンの市街地を歩く。
既に戦略目的であったエーテル変換施設の接収は終わり、技術者達が最終調整に入っている段階だった。
今は夜半。
眠ろうと思ってベッドに入ったものの、寝付く事ができずに散歩がてら外に出たのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
溜息を吐く。
まさか・・・このような事になるとは・・・・・・
セツナは掌を見詰める。
見た目は何も変わる所は無い。
だがその内面は、既に侵食が始まる。
「・・・・・・・・・・・・」
無言のまま顔を上げる。
これで何度目だろう、戦場で月を見上げるのは。
蒼き月は、やはり無言のまま見下ろしている。
セツナに残された時間は、あまりにも少ないと言わざるを得なかった。
もう一度溜息を吐いて、歩き出す。
その時、
「セツナさん。」
背後から声を掛けられ、振り返った。
「寒ッ」
ネリーは羽織ったガウンの前を合わせる。
薄手の寝巻きの隙間からは容赦なく寒風が入り込んでくる。
本来ならネリーもこんな寒い時間に出歩きたくなどないのだが、先程まで隣で眠っていたセツナの姿がいつの間にか見えなくなっている事が気になり、探しに来たのだった。
セツナの体が心配だった。
ようやく動けるくらいまで回復したとは言え、つい先日まで歩く事すらままならなかった身だ。
「もう・・・」
頬を膨らませる。
ネリーの彼氏は、随分と恋人を蔑ろにしがちである。まあ、今に始まったと言うわけでもないが。
だが、あんな体でセツナは一体何処に言ったのだろう?
そう思って角を曲がった時だった。
「あっ」
短い声と共に、視界の先に目的の人物を見付ける。
蒼い月光に映える《黒衣の死神》。
彼は、ネリーをして蒼き宝珠と称した。
ならば、月光に映える彼は闇を宿した黒真珠と言った所だろうか。
すぐに歩み寄ろうとする。
だが、その足は半歩進んだところで止まる。セツナのすぐ後ろに、別の人影が見えたからだ。
赤い袴に白い上衣。
月下に佇む巫女は、セツナの背中を見詰めている。
「・・・トキミ?」
なぜこんな時間にセツナとトキミが一緒に居るのか?
まさか、逢引き?
一瞬浮かんだその考えを、すぐに否定する。
彼がそのような事をする人間ではない事は、自分が一番よく判っている。
「じゃあ、何やってんだろ?」
疑問は尽きず、後から湧いてくる。
ネリーは2人に気付かれないように、そっと近付いた。
背後に立つトキミには、その背中しか見えない。
こうして見ると、決して強そうに見える相手ではない。
撫で肩に華奢な四肢。剣道をやっていた関係で程好く筋肉は付いているが、それも今だに未熟な少年の域を出ていない。
このような体で、今まで激しい戦いを乗り切ってきたのだ。
「話って何だ?」
月を見上げながら、背中越しに語り掛けてくる。
まるでこれから話す内容を拒絶したいかのような態度に、トキミは顔を伏せる。
どれだけ人外な力を得たとしても、決して逃れられない『現実』という物は確かに存在する。
目の前の少年は今正に、その壁に直面していた。
「・・・・・・判っているはずです。」
ややあって、トキミは口を開いた。
「あなたの、体の事です。」
「・・・・・・・・・・・・」
トキミが思ったとおり、予想していた事なのだろう。セツナは無言のまま先を促した。
「初めは私も、全く気付きませんでした。でも、今回の戦いから今日に至るまでの経過を見て、確信しました。」
一呼吸置くトキミ。
これから話す内容は、あまりにも衝撃的に過ぎ、恐らくセツナにとっては死刑宣告にも似た重みがあるはずだからだ。
「セツナさん・・・・・・あなたの体は恐らく、内部から崩壊を始めているはずです。」
トキミの話した内容により、場の空気は確実にその圧力を増した。
不死の存在であるエターナルの体が崩壊を始めるなど、基本的にあり得る筈がない。
だが、トキミの瞳には確信の光があり、セツナ自身、その言葉を否定する意思が見られない。
「多分初めは、ほんの小さな違和感だったはずです。それが徐々に大きくなり、体を蝕み始めた。違いますか?」
「・・・・・・・・・・・・よく、判ったな。」
セツナは振り返らずに答えた。
やはり同じエターナル。隠し通すことは、できなかったようだ。
「直接の原因は恐らく、あの技ですね?」
「ああ。」
トキミの言葉に、セツナは頷いた。
だが心なしか、先程よりもセツナの心の揺れが激しくなっているような気がする。
「クロスブレード・オーバーキル。白虎と青龍を並列させ限界値までその能力を引き出す事でようやく可能となる技。つまり、肉体的にも精神的にも酷使しなければならない技。」
「お前が言った通り、初めはほんの僅かな違和感から始まった。だが、回を重ねる毎に、まるで体に入った亀裂が大きくなるような感覚を覚えるようになった。」
そこで、セツナは振り返る。
抜き身の刃を思わせる鋭い目付きに、剣呑さを表す頬の傷。
だがその表情には戦士としての絶対的な自信は無く、人として当然持つ、未来への不安が垣間見られるばかりであった。
「お前なら、原因が判るか?」
セツナ自身、自分の体に何が起こっているのか判らなかった。
だが、自分よりも遥かに長く生きているトキミならば、あるいは答を知っているかもしれなかった。
「・・・・・・これは、あくまで推測の域を出ません。何しろ、私自身、エターナルがこのような症状に陥る事など、聞いた事が無いからです。」
「構わない。」
先を促すセツナ。
不安を抱えたままでは戦う事などできない。例えそれが絶望の門を開く鍵であったとしても、前へ進む為に手に取らねばならなかった。
「存在情報の、欠損では無いかと思われます。」
あらゆる生物は生きる上で、いくつかの変えようの無いルールに縛られている。エターナルも一応の「生物」である以上、決して変えようの無いルールを抱えている。
その1つが、存在情報である。
存在情報、それは、エターナルが現界する為に最も必要な要素の1つと言える。
生物に限らず、あらゆる物質は情報の羅列で構成されている。それは、人の枠から外れたエターナルであったとしても例外ではない。
エターナルの場合、まず自分の存在情報(この場合、姿形、内面、性格等)を世界側に認識させ、そこに必要量のマナを注ぎ込む事で始めて現界が可能となる(これらの作業は全て、門を通る際に自動で行われる)。
例えるなら、テーブルの上に水の入ったコップがあるシーンを想像してもらいたい。この場合、世界はテーブル、水はマナを表し、コップは存在情報を差している。このコップが破損すれば、マナである水が流出し、人は死に至る。
本来であるならば、エターナルの存在情報が傷付く事など在り得ないだろう。例え体を破壊しマナを全て奪ったとしても、その存在情報が健在な限り、エターナルはその世界から放逐されるだけで、時間が経てば別の場所で情報を元に再構成される事となる。故にエターナルを殺す場合、エターナル自身と永遠神剣の繋がりを物理的に断ち切り、その上でとどめを刺すと言うプロセスを踏まねばならない為、かなりの困難を要する。
だが今、セツナの存在情報が崩壊を始めている。と言う事はすなわち「エターナルとしてのセツナ」が死に掛けている事になる。
「多分、心身ともに酷使するクロスブレード・オーバーキルを使う度に、僅かずつ存在情報が削られていったのでしょう。ただ技だけが要因なら、緩慢な崩壊を続けながらも、時間さえあれば回復の手立てもあったでしょう。しかし・・・」
「この間の戦いで、その崩壊が加速されてしまった。」
セツナの問いに、トキミは頷いた。
あの戦いでセツナは、タキオスの一撃をまともにその身で受けてしまった。
とっさに急所をはずした為即死は免れたものの、そのせいでセツナの「寿命」は一気に縮まってしまった事になる。
無言で見上げる空。
なんと言う皮肉だろう。
戦う為にエターナルになったと言うのに、今やそのエターナルとしての力がセツナから戦う力を奪おうとしていた。
「・・・・・・俺は、あとどれくらい生きられる?」
「判りません。これからの戦い次第と言う事になるのでしょうが。今後大きなダメージを受けなければ、生きる道も開けるかもしれません。」
慰めのつもりで言ったのだろう。
だが今のセツナにとって、トキミの言葉は慰めにはなり得ない。これから戦っていく以上、今回以上の傷を負う事は充分に考えられる。
その時だった。
「・・・・・・ネリー?」
物陰に微かに見えた人影に、セツナは声を掛けた。
闇夜に顔は見えないが、薄っすらと浮かぶシルエットを見間違えるはずが無い。
どうやら当たりのようで人影は一瞬肩を震わせると、オズオズと姿を現す。
月の蒼さに決して負けることの無い色彩を放つ髪が、視界の中に浮かび上がる。
気まずそうに瞳を逸らしながら、ネリーはセツナの前まで歩み寄った。
「・・・聞いてたのか?」
「・・・・・・」
静かな問いに、ネリーは無言のまま頷いた。
セツナに宝珠と称されるその顔は、闇の色を圧して暗く染まっている。
セツナが力を得るきっかけになったのは、自分の大事な全ての物を護る為。当然、ネリーはその括りの中の頂点に位置している。
穿った見方をすれば、ネリーの存在がセツナを追い詰めていると言えなくも無い。
そのことが判っているからこそ、ネリーは底知れぬ辛さに苛まれていた。
セツナはそっと、ネリーの小さな体を抱き締める。
「・・・・・・セツナ?」
その体が僅かに震えている事に気付いた。
「ネリー・・・・・・俺は、どうしたら良い?」
その声は、今まで聞いた事も無いほど弱々しい物だった。
「セツナ・・・・・・」
「俺はただ・・・・・・皆を護りたかっただけなのにな・・・・・・」
ネリーを抱く腕に、力が篭る。
痛いほどの抱擁。
気を利かせたのだろうか、いつの間にかトキミの姿は無く、セツナとネリーだけが月下の住人となっていた。
ふと、
ネリーの頬に、暖かい雫が零れるのを感じた。
それが、涙だと気付くのには暫く掛かった。
セツナが、泣いている。
どんな苦しい時も、
どんな悲しい時も、
決して弱い姿を見せなかったセツナが、
戦えなくなりつつある体が悔しくて、涙を流していた。
そんなセツナを、ネリーは優しく抱き返すしかできない。
そんな2人を、
月はやはり、無言で照らし続けていた。
第37話「予兆 〜Limit〜」