大地が謳う詩

 

 

 

第32話「歴史の彼方より出でし者」

 

 

 

 

 

 

 上に進んでいるか、下に進んでいるのか?

 

 前に進んでいるのか、後ろに戻っているのか?

 

 目は閉じているのか、開いているのか?

 

 立っているのか、座っているのか?

 

 起きているのか、眠っているのか?

 

 そもそも自分は、死んでいるのか、生きているのか?

 

 あらゆる感覚が麻痺し、情報は意味を無くす。

 

《来る者の人格、歴史、心情、想い、その時々で、まったく違う姿を見せる。》

 

 頭に響く声が、淡々と説明する。

 

《来る者は拒まず、されど、辿り着く事はできない。故に、誰が詠んだか『移ろいの迷宮』。》

 

 この先には、何があるのか?

 

 誰が、待っているのか?

 

 全ては闇のベールに包まれたまま、セツナは歩き続ける。否、歩くような感覚に身を任せる。

 

 後戻りは、出来ない。戻る気など、初めから無い。

 

 その為に、自分は全てを捨ててきたのだ。親も、主君も、仲間も、そして恋人も・・・・・・

 

 戻っても、待っていてくれる者は居ない。

 

 だから進む。新たなる力を、手に入れる為に。

 

《着いたよ。》

 

 不意に、《麒麟》が声を掛けた。

 

 どれくらい歩き続けたのだろうか? 

 

 1分か? 1時間か? 1日か? 1週間か? 1ヶ月か? あるいは1年か?

 

時間的な感覚も欠如していた為、それすらも判らない。

 

 ただ気が付くと、セツナの目の前に1つのドアがあった。

 

 見た目は木目調、人が1人は入れるくらいの、何の変哲も無い普通のドアである。ちゃんと、ドアノブもある。

 

「ここが?」

《そう、ここが『記憶の書庫』。》

 

 セツナはゆっくりと、ノブに手を伸ばす。

 

 ここが、終着点。この先に、自分が求めるべき力がある。

 

 ドアノブを回す。

 

《がんばって、セツナ。あんたなら、きっと手に入れる事ができるはずだよ。》

 

 最後に《麒麟》が囁く。

 

 セツナは頷く。

 

 そして、ドアを内側に押し込んだ。

 

 

 

 目を見開く。

 

 視界には、それを埋め尽くす程の書棚が、壁面一杯にビッシリと立っていた。

 

 その書棚には全て本で埋められ、ただの1箇所として空いたスペースは存在しない。顔を上げれば、テラスのような中二階があり、その奥も、本で埋まっているようだ。

 

 とてもではないが、果てを確認する事は出来そうも無い。

 

 その時だった。

 

「あ〜、ごめんごめん、もう来ちゃったんだ!!」

 

 中二階から、男の声が聞こえて来る。若い声だ。恐らく、セツナよりも年上だろうか、だが、どこか慌てた感じがある。

 

「やあ、お待たおわァァァァァァ!?」

 

 勢いの良い叫びと供に、斜め向かいの階段から何かが転げ落ちてくる。

 

「・・・・・・」

 

 その様子を、セツナは呆然と見据える。

 

 その「何か」は、床に落ちるとそのまま目を回して起き上がれなくなる。

 

 人、思った通り若い青年だ。白い髪に、目を回している以外は端正な顔立ちをしている。ひょろりとした痩せ型な感じだ。

 

「あっ、たたたたたた。」

 

 ぶつけた後頭部をさすりながら、青年は立ち上がる。

 

「ごめんごめん、そろそろ来るだろうと思っていたから待ってたんだけど、つい慌てちゃって。」

「大丈夫か?」

 

 名乗るよりも尋ねるよりも、取り合えず気遣ってみる。

 

 何となく、空気的にそうだった。

 

 セツナの質問に、青年は笑みを浮かべる。

 

「大丈夫大丈夫、いつもの事だから。」

「・・・・・・・・・・・・・」

 

 いつも、こんな事をしてるのか?

 

 疑問が形を成して口から出る前に、青年は立ち上がる。

 

 白いワイシャツにブルージーンズ、どこにでもいそうな格好だ。

 

「みっともない所見せちゃったね。」

 

 青年は笑みを浮かべて、名乗った。

 

「僕の名前はクラウス。エターナル、《記憶の管理人》クラウス。永遠神剣第一位《記憶》の主、全てを記録し、伝える者。」

「記憶の、管理人?」

「そ、よろしくね、朝倉刹那君。」

 

 そう言って、右手を差し出してくる。

 

 だが、その手を取る前に、セツナは質問をぶつける。

 

「なぜ、俺の名前を知っている?」

 

 自分はまだ名乗っていない。と言うか、あまりにインパクトのある登場シーンに名乗るタイミングを逸していたと言うのが、正しいのだが。

 

 だが、青年は平然と答える。

 

「何でも知ってるよ、僕はね。」

 

 そう言うと、書棚の中から本を1冊取り出す。

 

「朝倉刹那、ハイペリア、惑星地球。日本国生まれ。人間、現在19歳、男。8歳の時に父親死亡、12歳の時に母親が愛人がらみで失踪。以後、長らく1人暮らしが続くが、永遠神剣第四位《麒麟》の召還により、ファンタズマゴリアに赴き、スピリット隊を指揮、ラキオス女王レスティーナの元で、大陸統一を成し遂げる。」

 

 クラウスは本を閉じた。

 

「合ってる?」

「あ、ああ・・・」

 

 完全に毒気を抜かれた感じで、セツナは頷く。

 

 そんなセツナの様子に、クラウスは満足したように笑みを浮かべた。

 

「僕は、第一位の神剣を持つ者だけど、戦闘力は皆無に等しい。その代わり、」

 

 言い終える前に、書棚から無数の本が舞い上がる。

 

 空中に浮き上がった本は、クラウスを取り囲むように螺旋旋回する。

 

「人物、動物、国家、民族、組織、世界。あらゆる存在の誕生から終焉までの歴史をつぶさに集め、記録に残す事ができる。」

「だから、全てを記録し、伝える者・・・・・・」

「そういう事。」

 

 クラウスが手を振ると、取り囲んでいた無数の本が元の場所に綺麗に戻っていく。

 

「君が来るって聞いてたから、お茶を用意しておいたんだ。冷めない内に飲もう。」

 

 そう言うとクラウスは、先導するように中二階に上がって行く。

 

 セツナは逆らおうとせずに、それに続いた。

 

 

 

 

 

 

 男同士と言うまったく華の無い茶会も、無言のまま過ぎていく。

 

 セツナはと言うと、カップの半分ほどまで茶を飲んで手を止めている。

 

 不味い。と言うわけではない。

 

 急く気持ちが、手を止める。

 

 対してクラウスはさっさと1杯目を飲み干し、2杯目に取り掛かる。

 

「飲まないの?」

 

 それに気付いてクラウスが声を掛けて来るが、セツナは謝辞する。

 

 クラウスはと言うと、相変わらずニコニコと笑っている。

 

 何が楽しいのか、先程から笑みを消そうとしない。

 

 クラウスは先程、セツナが来るのは知っていたと言った。

 

 ならば、来た目的も知っているはずだ。

 

「クラウス。」

 

 満を持して、セツナは口を開いた。

 

「俺は、《ある奴》からここに来るようにと言われた。ここに来れば、新たなる力を得られると。」

「うん、知ってる。」

 

 予想した通り、事も無げに答えるクラウス。

 

 セツナは身を乗り出した。

 

「教えてくれ。俺は何としても、その力を手に入れて仲間達の下に戻らねばならない。」

 

 身を乗り出した拍子にセツナのカップが倒れ、中身が零れるが、セツナも、そしてクラウスも気にした様子が無い。

 

「・・・・・・確かに、このままじゃあの世界は持たないだろうな。」

 

 カップをソーサーに置いて、クラウスは身を乗り出す。

 

「現在、実質的にロウ・エターナルを指揮している《法皇》テムオリンは、相当、用意周到に今回の計画を進めたみたいだ。緒戦で、カオス・エターナルが出し抜かれたのも、そのせい。準備万端でテムオリンが待ち構えている所に、《時詠》のトキミは、ほとんど準備不足の状態で飛び込んじゃったって訳。」

 

 《法皇》テムオリンとは、初めて聞く名前であった。

 

「ロウ本来のリーダーである《宿命》のミューギィがその有り余る力を制御しきれず、とある事件が元で精神崩壊を起こしてしまって以来、テムオリンは組織を率いて着々と世界の破壊を行っているんだ。対してカオス側は、リーダーである《運命》のローガスがあまり積極的に打って出ない事もあり、やや緩慢になり勝ちなんだ。だから、戦いは結構中盤くらいまでロウ側が優位に進む場合が多いんだ。」

「中盤まで?」

「うん。テムオリンって言うのも結構良い根性しててね、面倒臭くなるとすぐ計画を投げ出す癖があるんだ。だから、カオス側が完全に危機的状況に陥ったとしても、その奮戦しだいでは逆転勝利してしまうって言うケースが結構あるんだ。だから、全体的な両者の戦績は今の所五分、ややロウ寄りって所かな。」

「ふむ・・・」

 

 それで、今回テムオリンが目を付けたのが、ファンタズマゴリアだった訳である。

 

「でも、正直、今回は君にとってまずいかもしれない。」

「どう言う意味だ?」

 

 セツナは眉を上げる。

 

 微妙に、クラウスの口調が変わった気がしたのだ。

 

「僕は、未来を視る事は出来ない。あくまで、過去に積み重ねられた莫大な量のデータから導き出した客観的な分析を話すけど、テムオリンは何周期も前からこの計画を練っていたようだ。加えて、既に派遣される予定だったカオスの部隊は壊滅。頼みのニュートラリティ・エターナル《鮮烈》のキリスは隣のハイペリアで足止め状態。ファンタズマゴリアの戦力では、ロウ・エターナルに対抗する事はできない。流れは完全に、テムオリン達の側にある。」

 

 確かに。トキミはシュンを一時的とは言え退けたのだから、相応の実力を有していると言う事が伺える。だが、所詮は1人でしかない。

 

 対してロウ・エターナルは確認しているだけで、シュン、ハーレイブ、アーネリア、そして今回名前が出てきたテムオリンと、最低でも4人いる事になる。とても、勝ち目があるとは思えなかった。

 

「そこで、重要になってくるのは、君と言う存在。」

「俺?」

 

 クラウスは、セツナの脇を指差す。

 

 そこには、2本の永遠神剣が立て掛けられている。

 

「君は、もう知っているよね。君の《麒麟》が、普通の永遠神剣では無いって事を。」

「ああ。」

 

 トキミからも、キリスからも言われた事だ。

 

 だが、どう普通でないのかと言う問題がまだ残っている。

 

 キリスにしろトキミにしろ、《麒麟》の雰囲気からそれを感じ取ったのか? いや、未来視の出来るトキミならば、あるいはセツナの描く未来の情景を知っていたとしても不思議ではない。

 

 おおよその見当はついている。そこに至るまでに支払わねばならない代価も。だが、2人とも口を閉じ、その内容に付いては触れようとしなかった。

 

 願う答は。自分で掴み取らねばならないと言う事か。

 

「少し、昔話をしようか。」

 

 クラウスは緊張を解くように、背もたれに上体を預けた。

 

 その右手をスッと、横に伸ばすと、書棚から1冊の本がゆっくりと飛んで来て、クラウスの手に納まった。

 

 クラウスは、少しイタズラっぽい笑みをセツナに向ける。

 

「君は、気付いてた? この書庫。その全てが《記憶》その物なんだ。」

「これが?」

 

 思わずセツナは腰を浮かし掛け、辺りを見回す。

 

 周り中、見渡す限り本の山。先程は気付かなかったが天井にまで書棚があり、そこにも本がぎっしり詰まっている。

 

 落ちて来ないのか、と言う疑問が一瞬湧くが、つい先程『移ろいの迷宮』の出鱈目さを感じたばかりである。それを考えれば不思議ではなかった。

 

「僕が初めて《記憶》に出会った時は、まだ1冊の本だった。それから、いくつもの世界が生まれ、星の数でもまだ足りないほどの生物が生まれ、そして滅びていく中で《記憶》は増殖を続け、こんな形になったんだ。つまり今、僕達は永遠神剣の中にいるんだ。」

 

 クラウスは説明を終えると、手にした本を開く。

 

「では、本題に入ろうか。この世に1つとして同じ歴史は存在しない。全てが違う歴史、違う物語、恐らくこれこそが、君が目指すべき力であり、未来への道標だと思う。」

 

 ページを繰り進める。

 

 厚革の表紙を開き、中表紙を過ぎる。

 

 そこで、クラウスはゆっくりと説明を始めた。

 

「かつて、下位永遠神剣の中に、5本の神剣があった。」

 

 高く、良く通る声が、2人以外誰もいない空間に響き渡る。

 

「第六位《白虎》、第七位《玄武》、第五位《青龍》、同じく第五位《朱雀》、そして、第四位《麒麟》。」

「それは!?」

 

 それは間違い無く、セツナがこれまで使って来た権能の名前だ。

 

「うん。君が権能として使って来た能力と《麒麟》は、元々別々の永遠神剣だったんだ。これによると、能力もそれぞれ、今君が使っている物と同じだったみたいだね。」

 

 驚愕の新事実と言って良かった。セツナはまだ朱雀を覚醒させていないが、それぞれが別々の永遠神剣だったのは素直に驚いた。

 

 続けるよ。と言って、クラウスは再開する。

 

「ある日彼等は、より強大な敵と戦う為に、力を合わせねばならない事態になった。その方法とは、5本の神剣を融合させ、強力な1本を作り上げようというものだった。」

 

 それが現在の《麒麟》の元となったのだろう。と、セツナは予想した。

 

「だけどここで、予想外の事が起こった。」

 

 クラウスはページを進めながら説明する。

 

「力を合わせた5本の神剣は、周囲にあるマナを急速に吸い上げ、当時のそれぞれの使い手達が予想もしなかった姿へと変貌したんだ。」

「予想もしなかった、姿?」

 

 セツナの質問に、クラウスは続ける。

 

「そう、人間が持つ力を超越し、それを取るだけで神の領域にまで押し上げる事のできる存在、上位永遠神剣にね。」

 

 上位永遠神剣。

 

 エターナルのみが持つ事の許される、第一位から第三位までの強大な力を秘めたえ永遠神剣である。

 

「その名を、第二位《絆》。」

「《絆》?」

 

 反芻する。

 

 己が内のどこかで、歓喜の感情が上がったような気がした。

 

 そこでクラウスは、一旦本から顔を上げた。

 

「セツナ君、君は、世を統べる7つの理と言うのを知っているかい?」

「ああ。」

 

 知っている。別称「7つの善」とも呼ばれ、キリスト教の聖書か何かで定められていたはずだ。あいにく朝倉家は仏教徒だったし(さほど敬虔ではない)、その手の訪問勧誘は、来て5秒経つ前に追い返していた。だからセツナも、うろ覚えの知識でしかなかった。

 

 確か内容は、平等、正義、愛、友情、自由、人権、勇気だったはず。

 

「その1つ1つを司る、永遠神剣が存在するんだ。」

 

 クラウスは再び、本に視線を戻した。

 

「平等を司る《神威》、正義を司る《神炎》、愛を司る《純潔》、勇気を司る《毅然》、人権を司る《審判》、自由を司る《天舞》。そして、友情を司る《絆》。」

 

 クラウスは本から目を離さず、話し続ける。

 

 どうやら興奮気味になっているようだ。案外、このあらゆる存在の歴史を集めた書庫の管理人と言うのは、彼の天職なのかもしれない。

 

「新たな持ち主を得た《絆》は他の6本と供に、1つの組織を作った。その規模は、まあ、今のロウとカオスを足したくらいの数かな。当時としても、最大級の物だったらしいよ。創設は、えっと・・・・・・ああ、僕が《記憶》と出会った頃と同じだ。って事は、相当古いな。考えるのも面倒臭くなる。」

 

 そう言いながら、クラウスはページを捲る。

 

 そして次の瞬間、その表情に変化が生じた。

 

「でも、程なく彼等の中で内乱が起こった。」

「内乱?」

「うん。自由を司る《天舞》が、彼等の長である絶対神に反旗を翻したんだ。そして、彼等の組織を構成するエターナルの内、約3分の1が《天舞》とその主であるレンの側に加わった。世に言うこれを、『創世記戦争』って奴かな。」

 

 その歴史は確か、少し違う形だがハイペリアにも繋がっていた。

 

 いつだったか、興味本位で寄った学校の図書館で、これまた興味本位で開いた本を立ち読みした際に乗っていた。恐らく七つの善云々の話も、そこで仕入れたのだろう。

 

 大まかな事情はハイペリアにも伝わっている。だがそこには「永遠神剣」「エターナル」と言う、ある意味最も重要な単語が省かれていた事から推察して、恐らく想像の規模を絶する戦いが、俗に永遠世界と呼ばれる虚数空間全域で行われたという事が想像できた。そしてそれが断片的な情報として、1つの形に結実したものがハイペリアに残る伝説なのだろう。

 

「《天舞》のレンの力はすさまじく、その戦いで《毅然》《純潔》、そして《絆》の使い手は倒され、各々の神剣も大きなダメージを受けた。最後の戦いで出陣した《神威》とその使い手が、ようやく《天舞》のレンにダメージを与える事に成功し、虚数空間の最深部『無限回廊』の奥底に封印、これによって創世記戦争は終結を見た。」

 

 クラウスは、本を閉じる。

 

 顔を上げて、セツナを見た。

 

「この戦いは、永遠世界の歴史でも、最大規模の戦争と言われているよ。息絶えたエターナルも、相当な数に上ったらしい。以来、約2万周期の長きに渡り、《絆》は傷付いた体を癒すと同時に、新たな契約者を探していた。」

 

 そう言うとクラウスは、本を書棚に戻した。

 

「さて、ここまで言えばもう判るよね。」

 

 クラウスは、再び笑みを浮かべた。

 

「君は永遠神剣第二位《絆》の主、つまり、エターナルになる資格を持っているんだ。」

 

 

 

 

 

 

 地図を囲んで、数人の人間が難しい顔を突き合わせている。

 

 一番上座に居るのは、スピリット隊隊長であると同時に、全軍の総指揮官に任命されたコウインである。

 

 先のサーギオスとの戦いで大きな損害を受けたラキオス王国軍だったが、既に新たな人事を発令、決戦に向ける準備を進めていた。

 

 まず、スピリット隊隊長にコウインが就任。副隊長にはエスペリアが留任、参謀長にはセリア、客員将軍としてトキミ、そして、新たに新設された対決戦用特殊部隊『ヴァルキリーズ』の隊長としてキョウコが抜擢された。

 

「避難状況はあまり芳しくありません。特に、サーギオス地方の住民は、そのほとんどが積極的に動こうとせず、説得に向かった兵士達も途方に暮れている状況です。」

 

 報告したのは、元情報局局長で、現在は正規軍司令官の任にあるエリオスだった。かつてセツナによって見出され、その辣腕を振るった凄腕情報将校も、順当に出世を果たしていた。

 

「まあ、仕方ないな。あの辺は特に、無気力な人間が多かったし。」

 

 溜息混じりに、コウインは呟いた。

 

 この大陸にあって、スピリットと言う存在は、あくまで奴隷に過ぎない。《誓い》の支配下にあり、その影響を色濃く受けていた帝国住民は特にそれに依存する傾向が強く、自分達が積極的に動く事自体が少なかった。

 

 このような状況である。住民の避難は一刻も早く完了させたいところなのだが、南部の状況は遅々として進まず、コウイン達の頭を悩ませていた。

 

 エリオスの報告は続く。

 

「対照的に、マロリガンの住人は、着々と大陸北部への避難を進めています。ただ、こちらも、ダスカトロン大砂漠を越えねばならない現状から、あまり芳しいとはいえません。」

 

 スピリットの命ですら危険に晒すダスカトロン大砂漠である。より脆弱な人間では、足を踏み入れる事すら憚られるであろう。

 

 だが、何としても急いでもらわねばならない。既にロウ・エターナルの尖兵達が、その姿を現し始めている。間も無く、この大陸始まって以来最大と言っても過言ではない戦いが始まろうとしている。コウインの予想では、はじめの内は、戦力の整わないラキオス側が防戦一方になるだろうが、戦力さえ整えられれば、反撃に打って出る事ができる。その時主戦場になるのが、大陸南部だろうと踏んでいた。その為の住人避難なのだが。

 

「とにかく、兵士達に以下の2点を徹底させてくれ。まず第1に、危険だと判断したら、自分が逃げる事を優先する事。住民の避難は大事だが、それでミイラ取りがミイラになったんじゃ笑えないからな。次に、矛盾するようだが、確実に住民を救えると判断したら、多少無理をしてでも任務遂行を優先させろ。以上だ。」

「了解いたしました。」

「しかし、困ったわね。」

 

 セリアが口を開いた。

 

「戦力が乏しい上に、こっちは敵の本拠地も分かっていないなんて。」

 

 ジレンマだった。

 

 敵はいつでもこちらを攻めてくる事ができるのに対し、こちらは打って出る事ができない。加えてトキミの見立てでは、敵はエトランジェ並みの力を持つ、エターナル・ミニオンを多数戦力として保持、その数は1000近くに及ぶとさえ言われている。

 

 対してラキオス軍は、精鋭とは言え僅か50。泣きたくなるような戦力差であった。

 

 唯一、希望があるとすれば、トキミが語った援軍の件だった

 

 時間さえ経てば2人、否、3人の援軍が期待できる。

 

 たかが3人だが、その3人は皆、強大な力を秘めたエターナルである。期待は出来るはずだった。

 

「仕方ないさ。」

 

 こればかりは、コウインも苦笑して肩を竦めるしかなかった。

 

「今、ヨーティアとイオが、必死になって敵の本拠地の解析をやってる。それを信じて待とうぜ。」

「そうね。」

 

 セリアが頷いた時だった。

 

 背後にあるドアが開き、2つの影がおずおずと言った感じに首を出した。

 

「あの〜」

 

 入ってきたのはヘリオンとシアーだった。

 

「どうしたの、今は会議中よ。」

 

 咎めるようなセリアの口調だが、2人の様子からして何かしら急を要すると察し、先を促す。

 

「それに、あんた達今、訓練中じゃないの?」

 

 キョウコが訝るように言った。

 

 この2人も、キョウコが指揮するヴァルキリーズのメンバーに上げられていた。

 

「ネリー見なかった?」

「ネリー?」

 

 一同は顔を見合わせた。

 

 そして、エスペリアが溜息を吐いた。

 

「またですか、あの娘は。」

「またって事は、良くある事なの?」

「ええ。訓練をサボる事は前から珍しくなかったのですが・・・」

「どうかしたのか?」

 

 歯切れの悪いエスペリアの言葉に、一同は顔を向ける。

 

「何と言うか最近、訓練中も私生活の間も、ボウッとしている事が多くて、心ここにあらずという感じなんです。」

「それは、私も感じていたわ。何かいつも、別の事を考えているって言うか・・・・・・」

「ふうん、そいつは少し、考慮に入れとかなきゃいけないだろうな。」

 

 セリアまで同意するに至って、コウインが顎鬚を撫でながら言った。

 

 ネリーもヴァルキリーズの隊員に選抜されている。しかし、今の状態で果たして戦場に出て役に立てるのかどうか、やや疑問を残さざるを得なかった。

 

 総司令官としてコウインは、可能な限り不安な要素を取り除く必要がある。

 

 このまま行けば、ネリーを出撃停止処分にする事もあり得るだろう。

 

「判った。会議が終わったら私達も探しに行くから、それまで2人は手分けして心当たり探しておいて。」

 

「判りました。」

「は〜い。」

 

 返事をして出て行く2人。

 

「・・・ほんとに、どうしちゃったのかしら。あの娘。」

 

 それを見送ってから、セリアは溜息混じりに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 流れ行く小川の傍らで膝を抱えて座り、ネリーはただ何をするでもなく水面を見詰めていた。

 

 その口から漏れる溜息が、風に吹かれて舞って行く。

 

 今頃、城では訓練が行われている事だろう。

 

 ネリー自身、ここで油売っている場合ではないことくらい理解している。

 

 帰ったらまた、お説教&お仕置きが待ってるかなあ。

 

 溜息、二度目。

 

 理解はしているのだが、どうしても体が動いてくれなかった。

 

 自分は何がしたいのか、どうしたいのか、それすら迷っているような状態だった。

 

 傍らにおいてある《静寂》に目を向ける。

 

 かつて一度だけ声を聞かせてくれた自分の半身は、今は何も語らずにいる。それがちょっと腹立たしくなる。いっその事《静寂》から《沈黙》に改名してやろうかと思ってしまうくらいだ。

 

 溜息を吐く。三度目。

 

 そんな事をしても、何の意味もないし、少しも気が晴れることは無いだろう。

 

 大体、なぜ、自分がこんな気分にならねばならないのか。何となく、理不尽を感じる。

 

 四度目の溜息を吐こうとした時、背後から足音が聞こえて来た。

 

「ネリー?」

 

 呼ばれて振り返った先にあったのは、妹の姿だった。

 

 シアーはネリーの傍らに立つと、同じように膝を抱えて座った。

 

「どうしたの? セリア達、怒ってたよ。」

「う・・・・・・」

 

 思わず、頭に角を2本生やしたセリアを想像してしまった。

 

・・・・・・

 

 ハッキリ言って、かなり怖い。

 

「ネリー、最近変。」

 

 そんなネリーに構わず、シアーは続ける。

 

 シアーに知られているくらいだ、自分がおかしい事は、既に大半の人間が知っているのだろう。

 

「判ってる。」

 

 ボソッと呟く。

 

 そう、判ってはいるのだ。自分がおかしい事くらい。

 

 ただ、その原因が判らないから、こうして悩んでいる。

 

 そんなネリーの横顔を、シアーは覗き込んでくる。

 

「何があったの?」

 

 妹の案じてくれる視線が、今は少し痛く感じる。今のネリーとしては、それが少し鬱陶しい。

 

 どうして放って置いてくれないのか?

 

 自分だってたまには、1人で考えたい時があるというのに。

 

 だが、これ以上心配を掛ける事もどうかと思うわけで、

 

「あのね、」

 

 良い機会かもしれないと思い、自身の胸を締める物を吐き出してみようかと思った。

 

 いっそ吐き出してしまえば、少しは楽になるかもしれない。

 

「ネリーにも、よく判らないんだ。」

「うん。」

 

 頷いて、先を促す。

 

「でもね、何だか、胸におっきな穴が開いたみたいな、そんな感じがするんだ。」

 

 それは言い表せば、虚無。

 

 幼き少女の心に穴を空け、侵食していく存在。

 

 その根源にも、ネリーは気付いていた。

 

 瞳を閉じれば、それは浮かんでくる。

 

 1つの人影。

 

 逆光で顔はよく見えない。

 

 黒い服を着て、曲刀を手にしている。

 

 常に自分に背を向けて前を歩き、追いつこうとしても追いつけない。

 

 しかし、時折振り返っては、気遣うように笑いかけてくれるのが判った。

 

 一体何なのか?

 

 この人物はなぜ、こうも自分の心を縛ろうとするのか。

 

 ネリーには判らなかった。ただ心が、異様なまでに寂しかった。

 

 と、その時、自分の胸を何かがまさぐるような感触があり、目を開いてみる。

 

 見ると、何を思ったのかシアーが、ネリーの胸をペタペタと触っていた。

 

「えっと・・・何をしているのかなシアー?」

 

 暫くその行為を続けた後、訝るように首を振って、シアーは顔を上げた。

 

「穴、無い。」

「いや、あのねシアー、そういう意味じゃなくてね・・・・・・」

 

 ネリーは先程とは違う意味で、溜息を吐いた。

 

 さすがに、この妹の行く末に一抹の不安を感じずには居られなかった。

 

 その時だった。

 

 街の方角から、半鐘の音が聞こえて来たのは。

 

 

 

 半鐘の音は、会議室まで聞こえて来た。

 

「これは・・・」

「敵接近!?」

 

 3度づつ区切って鐘を鳴らす三点鐘は、敵が王都に接近している事を意味している。

 

 その時、会議室のドアが開いて、正規兵が駆け込んできた。

 

「申し上げます!! ただ今入った報告によりますと、ランサ、ダラム、ケムセラウトの3都市が陥落。敵はそのまま3方向から北上。王都を目指しているとの事です!!」

 

 一同に、衝撃が走る。

 

「敵の規模は?」

 

 コウインは地図を睨みながら、先を促す。

 

「およそ300前後と思われます!!」

 

 300前後。ランサ、ダラムを落としたのが本隊で、ケムセラウトから北上してくるのが別働隊と見るべきか。加えて敵は3隊に分かれているのなら、ラキオスに繋がる3都市に同時攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。

 

 どうする、こちらも隊を3つに分けるか? しかし寡兵のこちらがさらに分力しては、防衛線の維持すら難しい。では、このラキオスでの篭城戦を行うか?

 

『駄目だ。』

 

 コウインはその考えを、即座に否定した。

 

 今、ラキオスには地方から逃れてきた難民が多数収容されている。ラキオスでの篭城は、彼等に被害を及ぼす可能性が有る以上、執るべきでは無い。それに、古来より彼我戦力が開ききった上での篭城は、成功した例が少ない。それよりだったら、すこしでも打って出て、野戦としての戦場を設定し、有機的に兵力を動かしたほうが良いだろう。

 

「兵力を分散する。」

 

 コウインは決断し、口を開いた。

 

「こちらも隊を3つに分け、ラセリオ、ラース、エルスサーオの防衛に当てる。」

 

 苦しい決断では有るが、それ以外に道は無い。

 

 後の問題は、兵力をどう配置するかである。

 

「キョウコ。」

 

 コウインはマロリガン時代からのパートナーを見た。

 

「お前に、ラセリオの防衛を頼みたい。」

 

 コウインは地図上のラセリオに印を付ける。

 

「ラセリオは東にサモドア山道、北にリュケイレムの森があり、寡兵での防衛が比較的容易だ。お前の隊にここを任せたいんだが。」

「判った。まっかさなさい!!」

 

 ドンと胸を叩く。

 

 その姿に、コウインは苦笑した。こんな時、キョウコの明るさは、非常にありがたい。

 

 元々、こういう状況はヴァルキリーズにとっても想定外ではあるが、この際贅沢は言っていられない。こうなったら他の方面を手早く片付け、応援に行く必要がある。

 

「でだ、残るラースとエルスサーオだが・・・」

「ちょっと良いですか?」

 

 発言したのは、トキミだった。

 

「私は、このエルスサーオの防衛に行きたいと思います。恐らく、この3都市の中では、一番防御力が低いでしょう。」

 

 確かに、エルスサーオは平原のど真ん中にある中継の街である。周囲に遮る物も無く、防衛の為の拠点も存在しない。バーンライト戦開始直後、ラキオス軍があっさり同都市を落とせたのも、そうした背景があった。

 

「私がここの防衛に加わります。コウインさんはラースの方へ。」

「判った、頼む。」

 

 コウインは頷くと、今度はエスペリアとセリアに向き直った。

 

「エスペリアは部隊を連れて、トキミと一緒にエルスサーオに向かってくれ。そして敵を撃退した後、すぐに反転してラセリオの防衛に向かってくれ。」

「判りました。」

「セリアは俺と一緒に来てくれ。ラースの防衛に就く。」

「判ったわ。」

 

 かくて、作戦方針は決した。

 

 コウインは立ち上がる。

 

「みんな、ここが正念場だ。頼むぞ。」

 

 全員は一斉に立ち上がり、敬礼した。

 

 

 

 ネリーとシアーが急いで城門前に来ると、既に他の皆は揃っていた。

 

「遅い!!」

 

 隊長のキョウコが、怒鳴る。

 

 手にしたハリセンが、異様な迫力をかもし出していた。

 

 幸いにして、それで殴られるような事はなかったが。

 

 集まった顔ぶれは6人。これが、ラキオス軍精鋭特殊部隊ヴァルキリーズのメンバーだった。

 

 隊長にキョウコ、副隊長にウルカ、以下、ネリー、シアー、ヘリオン、そしてルルが加わる。

 

 キョウコ以外の全員がブルー・ブラック両スピリットで構成されているのは、この部隊の任務が、単独での敵陣突入、撹乱にあるからだ。その為、火力や防御力よりも速力が求められたのだ。

 

 もっとも今回の任務は、部隊単独での長期防衛戦が予想される為、他の隊からグリーンスピリットを1人ずつ借り受け、補給体勢を整えていた。

 

「よっしゃ、揃ったわね!!」

 

 キョウコは一同の前に経つ。

 

 こうしてみると部隊の隊長と言うより、部活動のキャプテンと言った風情がある。

 

「良い、あたし達の任務は、ラセリオの防衛よ!! ちょっと大変だけど、しばらく持たせれば、コウイン達が助けに来てくれると思うから、みんな頑張ってね!!」

 

 一同は頷く。

 

 誰の顔にも緊張の色がある。誰もが、これから起こる戦いに不安を感じているのだ。

 

 そんな一同の気持ちを吹き飛ばすように、キョウコは高らかに宣言する。

 

「さあ、行くよ皆!! ロウ・エターナル達に、あたし達の実力、見せてやろう!!」

 

 それが、事実上の開戦ベルとなった。

 

 

 

 悲壮な覚悟で出撃していくラキオス王国軍。

 

 これが、永遠戦争最終幕「ガロ・リキュア統一戦争」の開幕だった。

 

 

 

第32話「歴史の彼方より出でし者」     おわり