大地が謳う詩

 

 

 

第28話「受け継がれる絶望」

 

 

 

 

 

 

 ネリーは肩で息をする。

 

 さすがに、有り得ない量の力を放出したのだ。疲労は際に達していると言って良かった。

 

 しかし、その姿を見た者は一様に怪訝な表情を浮かべる事だろう。

 

異様だった。

 

 その髪、その瞳、そして翼、

 

 本来であるならば、目が覚めるような青であるはずの髪と瞳、純粋である事を示すかのような白であるはずの翼。

 

 それらは今、薄桃色に染まっていた。

 

《大丈夫ですか、ネリー?》

 

 そんなネリーに、《静寂》が優しく語り掛ける。

 

 今まで聞いた事も無かった自身の神剣の声に、ネリーは戸惑いながらも頷く。

 

「う、うん。」

《そう、良かった。》

 

 《静寂》が微笑んだような気がした。

 

「ねえ、《静寂》。」

 

 疑問がいくつも湧いて出る。

 

 それを確かめない事には、納得がいかなかった。

 

《何かしら?》

「これ、どういう事?」

 

 自分の髪やウィング・ハイロゥを指し、尋ねる。さすがに目の変化には気付いていないようだが、それでも自身に起こった変貌には戸惑いがある。それに、降って湧いたような莫大な力。これを無邪気に喜ぶほど、ネリーも間抜けではない。

 

 そんなネリーに対し《静寂》は無言のまま、答えようとしない。

 

 ただ、どこと無く哀しんでいるような感じが、ネリーには伝わってきた。

 

「あ、あの、答えたくないなら、別に良いんだけど・・・・・・」

 

 慌ててフォローする。

 

《いえ、そうではないのですが・・・・・・》

 

 少し躊躇うようにしてから、《静寂》は言った。

 

《でも、この事はもう少しの間秘密にしておきましょう。》

「ええ〜、何それ〜?」

 

 答えを直前でお預けにされ、不満げに頬を膨らませるネリー。

 

 そんなネリーに、《静寂》は優しく笑いかける。

 

《フフフ。ごめんなさいね。けど、まだその時ではないと思うの。》

「どういう意味?」

 

 訳が判らず首を傾げる。

 

《ナイショ。けど、そう遠い未来では無いと思うわ。》

「え?」

 

 言っている端から、元の色に戻り始める。髪が青に、ウィング・ハイロゥは白に戻っていく。そして最後に瞳が青になる。

 

《今、幾星霜の時を経たこの時代に、私が目覚めた事にはきっと、何か意味があるのだと思うの。その時が来たら、あなたにもきっと判るはずだから。》

「《静寂》?」

《それよりも、早く行ってあげなさい。あなたの大切な人が今、戦っているわ。》

 

 最後の土産とばかりに、ネリーの体をピンク色の風が包み込む。

 

 その風はネリーの傷付いた体を優しく撫でる。

 

 目を見張る。

 

 アンナから受けた傷や火傷が、風が撫でる度にその範囲を縮小して癒えて行く。

 

《いずれ時が来たら、私とあなたは再び出会う事になるでしょう。その時まで、元気でいなさいね。ネリー。》

 

 その言葉を最後に、《静寂》の意識は消えて行った。

 

「《静寂》・・・・・・」

 

 初めて声を聞く事ができた自身の永遠神剣を、マジマジと見詰める。

 

 そうしていればまた不意に、神剣が喋りだすのではないかと思っているのだ。

 

 だがそれっきり、《静寂》が口を開く事は無かった。

 

「あ、そうだ!!」

 

 最後に《静寂》に言われた事を思い出す。

 

 今頃セツナは戦っている。あの、カチュアと言う帝国スピリットと。

 

 すっと目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。

 

 戦場後方、少し離れた場所でセツナの《麒麟》の気配を感知した。

 

 戦っているのが判った。相手は、考えるまでも無い。

 

「待ってて、セツナ。今、行くからね。」

 

 《静寂》を鞘に収めると、ネリーはその方向に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 鳴り響く剣戟と供に、マナの光が飛び散る。

 

 眩いばかりの光は視界を染め上げ、昼の光すら闇へと変える。

 

 射抜く閃光に込められし殺気は、存在その物が刃と化して空間を切り裂いているかのようだ。

 

 その迸る閃光の中を、2つの影が奔る。

 

 黒と青。

 

 死神の男と絶望の女。

 

 両者は互いに駆け、撃ち、切り結ぶ。

 

「ハッ!!」

 

 木立の合間を縫うように接近したカチュアの剣が、セツナに迫る。

 

 対してセツナは迫る刃の軌跡を冷静に見据え、吹き抜ける一瞬に紙一重で回避する。

 

 その手にして第四位永遠神剣《麒麟》は、鞘に収められたまま抜刀の瞬間のみを待ちわびる。

 

「フッ!!」

 

 セツナは鞘に収まったままの《麒麟》を、そのまま横殴りに繰り出す。

 

 鉄拵えの鞘と、エトランジェの膂力による攻撃である。収めたままとは言え、まともに受ければただでは済まされない。

 

 とっさに後方に跳び、カチュアはセツナの攻撃を回避する。

 

 着地後の両者の距離はほぼ10メートル。既に剣の間合いではない。

 

 だが、警戒は解けない。

 

 カチュアはセツナがなぜ、《麒麟》を収めたままなのか、その理由に気付いていた。

 

 その鞘の内から高まるオーラフォトンは、全てを薙ぎ払う斬断の意思が込められている。

 

 セツナの狙っている技は十中八九、彼の持つ技の中で高位の威力を誇る鳴竜閃に違いない。

 

 セツナは本来ならチャージに多大な時間を要する為に、戦術的な実用性の低いこの技を、鞘に収めたままチャージし、なおかつ防御攻勢的に反撃を繰り返し時間を稼ぐ事で、解決法としたのだ。

 

 つまり、カチュアの立つこの場所は、既にセツナの射程圏内である事を意味している。

 

 そのカチュアの目の前で、セツナは《麒麟》を抜き放つ。

 

「ッ!?」

 

 その刃に込められた膨大な量のオーラフォトンにより、既に刀身を確認する事は出来ない。

 

 あの、法皇の壁攻防戦時には遥かに劣るものの、それでも驚異的な力だ。

 

「喰らえ。」

 

 静かに告げるセツナ。

 

 とっさに逃れようとするカチュアだが、とてもではないが射程圏外に逃れられるものではない。

 

「鳴竜閃!!」

 

 放たれる月牙の軌跡。

 

 迸る真空の刃は、真っ直ぐにカチュアに向かう。

 

「チィッ!?」

 

 舌打ちと供にウィング・ハイロゥは風を受けて羽ばたく。

 

『かわしきれるか!?』

 

 これまで鳴竜閃を直接喰らった回数は2回。1度目は威力を逸らす事で回避。2度目はヘブンズ・スウォードで相殺した。

 

 だが3度目の今回はスピード、威力供に前2回とは桁が違う、いなす事も相殺する事も出来そうも無い。

 

 最大戦速で急上昇。回避に入る。

 

 迫る、凶風。

 

「ッ!?」

 

 隣接する死の恐怖を振り払い、カチュアは全速で駆け抜ける。

 

 その足元を、真空刃が駆け抜けて行った。

 

「チッ!?」

 

 舌打ちするセツナ。

 

 最大威力には程遠いものの、相当量のオーラフォトンを込めた必殺の一撃だ。これをかわしきられるとは思わなかった。

 

 第2撃を放つべく、構えを解くセツナ。

 

 そこへ、今度はカチュアが斬り込んで来る。

 

「喰らいな!!」

 

 急降下の速度をそのまま斬撃に上乗せする。

 

「チッ!!」

 

 対してセツナは鳴竜閃を放った直後の硬直が残り、すぐには動けない。

 

 《麒麟》を水平に掲げて防ぎに掛かる。

 

 だが、

 

「ハッ!!」

 

 振り下ろされる《絶望》の刃。

 

 降りかかる重圧のような斬撃に、セツナは膝が撓む。

 

 思わず腰が砕けそうになるのを、どうにか耐える。

 

 だが、カチュアの攻撃は終わらない。

 

「ハアァッ!!」

 

 動きを止めるセツナに、鋭い回し蹴りが入る。

 

「クッ!?」

 

 カチュアの蹴りを肩に喰らい、セツナはよろめく。

 

 そこへ、ダメ押しとばかりにカチュアが斬り付ける。

 

「ッ、玄武!?」

 

 とっさに自分とカチュアの間に障壁を張り巡らして防ぐと、その隙に距離を取る。

 

「・・・・・・フンッ」

 

 笑みを浮かべるカチュア。

 

 対してセツナは《麒麟》を地摺り八双に構える。

 

 手首を返した瞬間、刃が擦れて鳴り響く。

 

「白虎、起動!!」

 

 知覚速度、反応速度、運動速度が一気に10倍に跳ね上がる。

 

 同時にカチュアも地を蹴る。

 

 こちらは勢いを乗せたフルスイング。

 

「「ハッ!!」」

 

 振り抜かれる2本の刃がぶつかり合う。

 

「チッ!?」

 

 弾くと同時に、カチュアはマナに呼びかける。

 

 大気に溶けるマナがカチュアの叫びに呼応し、刃に収束する。

 

 《絶望》の刃が青く染まる。

 

「まずい!!」

 

 その高まりに気付いたセツナは、白虎の力を借りて地を駆け、一気に距離を詰める。

 

 間合いに入った瞬間《麒麟》を振りぬく。

 

 しかし、

 

「甘い!!」

 

 斬ったと思った瞬間、カチュアの体が掻き消える。

 

「ッ!?」

 

 殺気は上から降り注ぐ。一瞬の内にカチュアは、セツナの後方に回り込んだのだ。

 

 対してセツナは、振り仰ぐ時間すら惜しい。

 

 とっさに柔道の受身の要領で前方に転がる。

 

 そこへ、カチュアが《絶望》を振り下ろした。

 

「インパルス・ブロウ!!」

 

 地面に叩き付けられ、迸るマナの光。

 

「クッ!?」

 

 衝撃に対し、膝を突いて堪えるセツナ。

 

 だが、眩いばかりの光の中にあって、目だけは閉じない。

 

 殺気によって彩られた瞳は、猛獣の如く勝機を伺う。

 

 静かに満たされるオーラフォトン。

 

 対してカチュアも《絶望》を構え直し、次の動作に備える。

 

 光が晴れる。

 

 両者は同時に神剣を振り上げた。

 

「雷竜閃!!」

「フューリー!!」

 

 瞬間的に爆発力を解放した一撃と、ハイロゥの力をも上乗せした攻撃が同時にぶつかり合う。

 

 両者、威力は同じ。

 

 一瞬の均衡の後、互いの力に弾かれて両者後方に下がる。

 

「「クッ!?」」

 

 吹き飛びながらも、どうにか体勢を整えたセツナ。同時に白虎を再起動、後方に着地した状態のカチュアを見据える。

 

『行けるか!?』

 

 互いの技に込められた威力の差だろう。すぐに攻撃準備が整ったセツナに対し、カチュアはようやく膝を突いて体勢を立て直したところだ。今なら先手を打てる。

 

 勝機と感じ、セツナは地を蹴った。

 

 数10メートルの距離を僅か1秒で駆け抜け、一瞬後にはカチュアを間合いに捉える。

 

 振り上げた《麒麟》を、今だ膝を付いているカチュアに向けて振り下ろす。

 

「もらった!!」

 

 迫る刃。

 

 対してカチュアは顔を上げてセツナの接近を認識するが、動作は間に合わない。その時には既にセツナの刃はすぐ目の前まで迫っていた。

 

「ッ!? まだ!!」

 

 とっさにカチュアは、手元に残っている分のマナ全てを足元に叩き付けた。

 

 叩き付けられたマナは空気に反応し、爆発を起こす。

 

「なッ!?」

 

 これにはセツナも意表を突かれた。

 

 とっさの事でバランスを崩し、吹き飛ばされる。

 

 一方でカチュアも自身の攻撃の反動で吹き飛ぶが、こちらはウィング・ハイロゥを広げて風を捉え、舞い上がる。

 

 対してセツナも、至近距離での爆発ではあったが威力事態は差ほどでもなかった為、すぐに体勢を立て直す。

 

 対するカチュアは、その手の内に、急速にマナを集める。

 

「マナよ、吹雪へと変われ。永遠の氷河の中に、彼の者を閉じ込めよ!!」

 

 冷気へと変換されていくマナは、その手の内で凶暴な牙へと変貌する。

 

「アイス・バニッシャー!!」

 

 放たれる冷気。

 

 対するセツナは、とっさに《麒麟》の刀身にオーラフォトンを込める。

 

 押し寄せてくる吹雪を睨みつけ、振り抜く。

 

「蒼竜閃!!」

 

 空気分子を断ち切るほどの高速剣が、放たれる。

 

 迫る吹雪は分子結合を強制的に断ち切られ、その構造を維持できずに四散していく。

 

 だが、次の瞬間、セツナは目を剥いた。

 

 目の前にいるはずの、カチュアがいない。

 

 どこに?

 

 とっさに視線を周囲に走らせる。

 

 その時だった。

 

「こっちだよ。」

 

 背後から声がする。

 

 振り返った先には《絶望》を振り翳すカチュアの姿。

 

『アイス・バニッシャーは、ただの目晦まし!?』

 

 気付くと同時に、防御を取るべく《麒麟》を持ち上げる。

 

 だが、遅かった。

 

 摺り上げるような軌跡を描いた《絶望》が、セツナの手から《麒麟》を弾き飛ばした。

 

 その衝撃で、セツナの体は背後にあった立ち木にぶつかる。

 

 その喉元へ、カチュアは切っ先を突き付けた。

 

 ややあって、少し放れた場所に放物線を描いて転がる《麒麟》。

 

「チェックメイトだよ。」

 

 カチュアは薄く笑った。

 

 

 

 

 

 

 ウィング・ハイロゥを広げ、ネリーは全速で飛翔していた。

 

 先程からマナの高まりが激しくなっている。恐らくセツナとカチュアの激突はヒートアップしているのだろう。

 

「ッ!!」

 

 更にスピードを上げる。

 

 とは言えそのスピードは、本来の半分にも満たない。

 

 傷自体は《静寂》が治してくれたが、ろくな補給も無しに出てきたせいで、既にネリーは飛んでいるだけで精一杯の状態だった。

 

 セツナ達の戦場は目まぐるしく移動しているらしく、なかなか補足する事が出来ない。

 

 眼下には広大な森林地帯がある為、視覚による捜索は困難。2人が発する神剣の気配のみが頼りだった。

 

 主戦場である秩序の壁からは、既に小規模な気配しか感じない。どうやら戦闘は終結に向かいつつあるらしい。

 

 南北から挟撃された帝国の最終防衛ラインは、ついに崩壊したのだ。

 

 後は帝都に突入してシュン、ハーレイブ、そしてサーギオス皇帝を討てば終わる。

 

 その時だった。

 

 高速で飛翔するネリーに向かって、後方から追って来る影があることに気付いた。

 

「え?」

 

 振り返る。

 

 次の瞬間、

 

「ヤァァァァァァ!!」

 

 鈍い打撃音が背中に走り、激痛の為にネリーはバランスを崩す。

 

「うぁッ!?」

 

 どうにかバランスを取り戻し、墜落を免れるネリー。

 

 その視界に飛び込んできたのは、自分と同い年くらいのブラックスピリットの少女だった。

 

 滞空したまま、手には鞘に収まったままの永遠神剣を持ち、ネリーを指差してくる。

 

「アンタ、ラキオスのスピリットだよね。」

 

 質問をぶつけてくる少女。

 

 その姿に、ネリーは見覚えがあった。

 

「あんた、確か・・・・・・」

 

 《怨恨》のルル。それが少女の名である。

 

 カチュアから帝都での待機を命じられたルルだが、激化する戦場の気配を感じ取り、居ても立ってもいられずに飛んで来たのだ。命令無視を承知の上で。

 

「アンナも、ロレッタも気配が無い。カチュアはまだ戦ってるみたいだけど・・・・・・」

 

 ルルはネリーを睨む。

 

「あんた達が、殺したんでしょ?」

 

 ルルは、その年齢からは信じられないような低い声で、ネリーに言う。

 

 「あんた達」と言うより、アンナに限って言えばネリー本人が殺したのだが、それを指摘する前にルルは鞘に入れたままの《怨恨》を掲げる。

 

「許さないからね!!」

「な、ちょっ・・・」

 

 人の話をまったく聞こうとしない態度に呆気に取られるネリーを他所に、ルルはマナを集める。

 

「クッ!!」

 

 とっさに《静寂》を抜くネリー。だが、勝てるのか? 否、勝負にすらならない可能性がある。たった今参戦したばかりで力のほとんどを温存しているルルと、アンナと戦って消耗しきったネリーである。戦う前から勝負は見えていた。

 

 ネリーが行動を起こす前にルルは動く。

 

「カオス・インパクト!!」

 

 広がる闇が口を開けてネリーを飲み込もうとする。

 

「うわわっ!?」

 

 空中に広がる闇を前に、ネリーはどうにか回避しようと全速で空中を逃げ回る。

 

 それを追撃しつつ、ルルも第2撃を放ってくる。

 

「まっだまだー!! もう1発、カオス・インパクト!!」

 

 再び放たれる闇。

 

 第1撃を回避するために旋回中のネリーには、それをかわす術は無い。

 

「うぐぁッ!?」

 

 闇がネリーを飲み込む。

 

 まるで体の芯から侵食されるような攻撃に、ネリーは悲鳴を上げる。

 

 事によるとルルの攻撃魔法は、アンナの魔法の威力すら上回っているかもしれない。

 

「ウワァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 翼から揚力が失われ、ネリーの体は地面へと叩き付けられる。

 

 ショックで背中に激痛が走る。

 

 落下時のショックで意識が飛び、数秒の間自失状態になるネリー。

 

 そこへ、ルルは上空から襲い掛かる。

 

「アイアン・メイデン!!」

 

 通常のアイアン・メイデンならば無数の針が現出する所だが、ルルが出した針は4本のみ。そこに可能な限りのマナを注ぎ込み、倒れ伏すネリーの両手首、両足首に向けて撃ち出した。

 

 寸分の狙い違わず、ネリーの各部位を撃ち抜く4本の針。

 

「アァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 本来なら消滅するはずの針は、多量のマナを込められた事により現界したままその場に存在し、ネリーを地面に磔にしてしまった。

 

 両手両足を拘束されてしまった上にその針自体も深々と刺さっている為、ネリーは完全に身動きが取れなくなってしまった。

 

「アハハハハハハ、面白い格好。」

 

 磔にされたネリーの傍らに、ルルが降り立った。

 

 その傍に落ちていた《静寂》に足を掛けると、ネリーから遠ざけるように蹴り飛ばした。

 

 武装解除を完了してから、ルルはゆっくりとネリーに歩み寄った。

 

「さってと、どうしようかな〜?」

 

 今のルルにとってネリーは、まさに真名板の鯉。調理を待つだけの獲物だった。

 

 鞘の先で、なぶるようにネリーの体を突く。

 

「クッ・・・・・・」

 

 身動きが取れないネリーには成す術がない。

 

 そんなネリーの体を、ルルはじっくりと眺め渡す。

 

「ん〜、ほんとは色々やって遊んであげたいんだけど・・・時間も無いしな〜」

 

 そう言いながら、《怨恨》を掲げる。

 

掌にマナが収束され、徐々に黒く染まっていく。

 

「と言うわけで、もう死んでね。」

 

 そう言ってルルは無邪気な笑顔を浮かべる。

 

 ネリーは苦悶の表情を浮かべ、迫り来る死から逃れようと体を捩じらせるが、磔にされた体は全く言う事を聞かない。

 

「それじゃ、さ・よ・な・ら。」

 

 振り下ろされる掌。

 

 次の瞬間、

 

「駄目ェェェェェェ!!」

 

 上空からの声と供に、蒼い影が急降下してくる。

 

 影はネリーを守るようにして手にした永遠神剣を構える。

 

 その姿を、ネリーは誰よりも見知っていた。

 

「シアー!!」

 

 ネリーを守るべく、凛とした出で立ちで立ちはだかる少女は、間違いなく彼女の妹の姿だった。

 

「は〜、やっと追いつきました〜」

 

 やや遅れて、後伸びした声が聞こえて来た。

 

 そちらに首を向けると、これまたよく見知ったグリーンスピリットが走って来る所だった。

 

「ハリオンも!!」

 

 追いついて来たハリオンは、倒れているネリーの傍らに膝を突いた。

 

「大丈夫ですかネリーさん。すぐ助けますからね〜」

「ど、どうして、ここに?」

 

 あまりにもタイミングの良すぎる登場に、ネリーは戸惑う。

 

「森の方にネリーがフラフラ飛んでいくのが見えたから、追いかけて来た。」

 

 ルルと対峙したまま、シアーが答えた。

 

「ちょっと待ってくださいね〜。」

 

 そう言うとハリオンは、マナに呼び掛ける。

 

 幸いにしてここは森の中。グリーンスピリットであるハリオンにとって最も有利な戦場である。

 

「ア〜スプライヤ〜。」

 

 集めたマナを治癒魔法に変換してネリーに注ぎ込む。

 

 ネリーを拘束していた針は消え、その傷も徐々に塞がっていった。

 

「ありがとう。」

 

 ためしに手を開いたり閉じたりしてみる。どうやら、問題は無いようだ。

 

「はい、どうぞ〜」

 

 そう言ってハリオンは、拾っておいた《静寂》をネリーに渡した。

 

 それを見届けてから、シアーは1歩前に出た。

 

「ネリー、行って。」

 

 大人しいこの少女らしい、短い言葉だ。

 

「え?」

「セツナ君が待ってますよ〜、ここは私達が引き受けますから〜」

 

 そう言うとハリオンも《大樹》を構えた。

 

 2人とも、事情を知った上で追いかけてきたらしい。

 

 だが、

 

 ネリーも前に出ると、《静寂》を構える。

 

「ネリー?」

「そんな事できないよ。」

 

 消耗し切った瞳に、闘志が宿る。

 

 2人が折角助けに来てくれたのに、それを置いていくなんて自分には出来なかった。

 

 だが、

 

「勘違いしないでくさい〜」

 

 ハリオンはその決意をやんわり否定する。

 

「今のネリーさんには、もう戦う力は残っていないのでしょう?」

「それは・・・・・・」

 

 それはイヤと言うほど自分がよく判っている。このまま戦っても、2人の足手纏いになるだけだろう。

 

「ここは私たちに任せて、行ってください〜」

「・・・・・・判った。」

 

 残念だがハリオン達が言っている事は正しい。

 

 ネリーは頷くと、踵を返して走り出す。

 

 だが、その前に黒い影が躍った。

 

「ど〜こに行くのかな?」

「ッ!?」

 

 ルルが笑みを浮かべて目の前に居る。一瞬の内に、3人の背後に回り込んだのだ。

 

「逃がさな、い!!」

 

 鋭い蹴りがネリーに向けて放たれる。

 

 だが、その前に割って入ったシアーが《孤独》を振るい牽制、ネリーを守る。

 

「シアー・・・」

「大丈夫。」

 

 傷付いた姉に対し優しく微笑むと、シアーはキッとルルを睨む。

 

 その傍らにはハリオンも立つ。

 

 対して、ネリーを仕留め損なったルルは、軽く舌打ちしつつ、目の前に立つ2人を見据える。

 

「ふ〜ん。2対1って訳・・・・・・」

 

 その手はゆっくりと《怨恨》に伸ばされる。

 

「そんじゃあ、少し本気出してみよっかな〜」

 

 そう言うと《怨恨》の鯉口を切った。

 

 

 

 喉元に突きつけられた刃は、僅かでも動こうものなら即座にセツナの首を切断する事だろう。

 

 セツナは目の前に立つカチュアを睨みつけつつも、微動だにできずにいる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 視線を落ちている《麒麟》に向ける。距離にして大体7メートルから8メートル。いかに俊敏さには自信のあるセツナでも、白虎無しに一瞬で到達できる距離ではない。かと言って白虎を起動するには2〜3秒は掛かる。それだけあればカチュアは、容易にセツナの命を奪えるだろう。

 

「下手な事考えるんじゃないよ。」

 

 セツナの挙動を見て取り、カチュアは告げる。

 

 その切っ先からは、いつでもセツナの命を断つ意思が見受けられる。

 

 セツナはただ無言のまま、僅かな隙を探るしかなかった。

 

 そんなセツナに、カチュアは笑いかける。

 

「なあ、セツナ。」

「・・・何だ?」

 

 笑いながらも、切っ先は油断無くセツナの喉元に突き付けられている。

 

 カチュアは続ける。

 

「あんたとは何度も戦ってきたけど、今回はどうやらあたしの勝ちみたいだね。」

「・・・・・・・・・・・・」

「あたしがあと少し力を込めれば、あんたの首からは大量の血が噴出し、あんたは死に至る。」

「・・・・・・何が言いたい?」

 

 尋ねるセツナ。

 

 対してカチュアは、これまでの強気な態度とは打って変わってやや躊躇いがちに口を開いた。

 

「・・・・・・あたしの物にならないかい?」

「何?」

 

 セツナは眉を顰める。

 

 まさか、このような事を言ってくるとは、思いもよらなかった。

 

 カチュアは先を続ける。

 

「こう見えても、あたしはアンタの事、結構気に入ってるんだよ。」

「・・・・・・・・・・・・」

「どうだい。あんたがあたしの物になるなら、あんたの命、助けてやらないでもないよ。」

 

 そう言うと《絶望》の刀身にマナが充填され、蒼く発光する。

 

 言う事を聞くなら良し。さもなくば生かしては置かない。その意思の表れだった。

 

 ある意味、これ程不器用な女も珍しいのでは無いだろうか。気に入った男に対し、愛を囁くのではなく、力で奪い取ろうとする。ただ純粋に、1つの方法のみに固執する。それが、カチュアと言う女だった。

 

 セツナはスッと目を閉じる。

 

 その脳裏に浮かぶ物は、愛しい少女の笑顔。

 

 自分の命が惜しくないと言えば、嘘になる。だが、彼女のこの笑顔を裏切る事など出来そうも無い。

 

 答えなど、初めから決まっていた。

 

「断る。」

 

 ハッキリと、よく通る声で告げた。

 

 対してカチュアは口元の笑みを消し、スッと目を細める。

 

 動揺が見られない所を見ると、恐らくこの答えは予想していたのだろう。

 

「そうかい・・・・・・・・・・・・」

 

 《絶望》を握る手に力を込める。

 

「なら、ここまでだよ。セツナ!!」

 

 切っ先を押し込む。

 

『今だ!!』

 

 半瞬、身を逸らす。

 

 間一髪のところで《絶望》の刃はセツナの首筋を掠める。

 

 大丈夫。動脈には達していない。

 

 セツナは腰の裏に両手を回すと、そこから2本のナイフを抜き放ち、とっさに込められるだけのオーラフォトンを込めて振りぬいた。

 

「オーラフォトン・クロス!!」

 

 軌跡を交差する斬撃。

 

 交差点での威力は通常の威力の5倍にも達する。

 

「ウワァァァァァァ!?」

 

 とっさの事で最大放出とは行かなかったが、それでも至近距離でセツナ最強の技を喰らい、カチュアは吹き飛ばされる。

 

 背中から地面に当たり、2度、3度とバウンドして止まる。

 

「クッ・・・・・・」

 

 途切れそうな意識を辛うじて引き戻す。

 

 直撃を喰らった胸に、激痛が走る。

 

「チッ、何って技だい!?」

 

 頭を振って、ダウンしかけていた視界を回復させると、顔を上げる。

 

 その視線の先には、落ちていた《麒麟》を拾い直したセツナの姿があった。

 

「これで最後だ。」

 

 セツナは静かに告げた。

 

 

 

 木立を縫うように低空で飛行する影が2つ。

 

 青と黒の両者は、隙を見ては接近し、斬撃を振るいまた離れると言う行動を繰り返す。

 

「ハッ!!」

 

 シアーは木立を避けながら急速に接近、勢いをつけて《孤独》を薙ぐ。

 

 しかし、刃が捉える前にルルはウィング・ハイロゥを羽ばたかせて後退。シアーの攻撃は虚しく空振りに終わる。

 

 かわってルルは、掌にマナを集めて解放する。

 

「アイアン・メイデン!!」

 

 今度は先程ネリーを磔にした時とは違う。無数の針となってシアーに飛んでいく。

 

 その時、

 

「駄目です〜」

 

 おっとりした声と供にハリオンが間に入り、障壁を張る。

 

 不可視の壁に当たった針は、その場で砕け散っていく。

 

 だが、それを見てルルは無邪気な笑みを浮かべる。

 

 と、手にした《怨恨》の柄に手を当てる。

 

 ルルはこれまで、あらゆる戦闘において自身の永遠神剣である《怨恨》を抜く機会は無かった。

 

 それは数年前、ルルが帝国に拾われた当時に遡る。訓練中にスピリットの1個中隊が全滅すると言う事件が起こった。相手は入隊したばかりの幼いブラックスピリット。そんな年端も行かぬ少女相手に、精鋭の1個中隊が消滅させられたのだ。

 

 報せを聞いて訓練場に駆けつけたカチュアは見た。

 

 一面真っ赤に染まった地面。その中央に立つ、まるでバルガ・ロアーの悪魔を連想させるほどの雰囲気を作り出した、血染めの少女。

 

 この凄惨な事態に驚愕した帝国軍上層部であったが、同時にこの稀有な力量を持つ少女を惜しいと感じ、当時既に特殊部隊を率いる身であったカチュアに預ける事にしたのだ。

 

 強力な戦力であると同時に、普段は市井に溶けて城から離れているカチュアの部隊ならば、万が一の事態にも安心と考えたのである。

 

 ルルを引き取ったカチュアは、彼女に娼婦としての性技を仕込むと同時に、その永遠神剣の封印を命じたのだ。いざと言うとき意外、決して抜いてはいけないと。

 

 幸いにして今までは仲間達がフォローに回ってくれた為、ルルが神剣を抜くような事態は無いまま時は流れた。

 

 だが今、仲間達はことごとく倒れ、ルルを援護する者はいない。

 

 ルルは、神剣魔法だけでも充分以上に戦う力を持っている。だが、真に彼女が実力を発揮する戦闘スタイルは、接近戦に他ならなかった。

 

 かつて、最強のスピリットに悪魔に例えられた少女の封印は解かれた。

 

「行くよ。」

 

 何かを告げた気がした。

 

 次の瞬間、シアーとハリオンは見た。

 

 自分達の視界が黒く染まるのを。

 

「雲散霧消の太刀!!」

 

 速い。

 

 速すぎて、ただ黒い風が周囲を吹き荒れているようにしか見えない。

 

「クッ!!」

 

 堪らずシアーが前に出ようとした瞬間、

 

 吹き荒れる風は暴風となってシアーに牙を剥いた。

 

「ああァァァァァァ!?」

 

 瞬間、まるで無数の刃に斬り付けられたかのように、シアーの体は刻み込まれる。

 

 力を失い、前のめりに倒れるシアー。

 

「シアーさん!!」

 

 とっさに、倒れるシアーを支えようとするハリオン。

 

 しかしそのハリオンにも、狂風が迫る。

 

「クッ、駄目!!」

 

 とっさに障壁を張り、風を防ぐハリオン。

 

 その障壁に、ルルの斬撃は容赦なく襲い掛かる。

 

「ちょっと我慢してくださいね〜、すぐ回復させますから〜」

 

 そう言いながら、腕に抱いたシアーに回復魔法を掛けていく。

 

 出血はひどいが、傷事態はそれほど深くない為、シアーの傷は徐々に塞がっていく。

 

 だが、その前に異変は起こった。

 

 ハリオンが張った障壁は、ルルの狂風を前に、徐々に削られ始めたのだ。

 

「そ、そんな・・・」

 

 思わず絶句するハリオン。

 

 そんなハリオンの目の前で、障壁はその構造を維持できずに霧散した。

 

「アハハ、もう終わり!?」

 

 嘲るようなルルの声が響くと同時に、狂風は2人を襲う。

 

 とっさに、直接攻撃に対し耐性の強いハリオンが、シアーを庇うように抱きしめる。

 

 その背中に、容赦ない斬撃の嵐が降り注ぐ。

 

「アグッ!?」

 

 悲鳴を上げるハリオン。

 

 その背中はあっという間に衣服を切り裂かれ、ボロボロになる。

 

「ハリオン!!」

 

 ハリオンの腕の中で、シアーは泣き声を上げる。

 

 その瞳には、激痛に歯を食いしばって耐えるハリオンの姿がある。

 

「だ・・・大丈夫ですよ〜」

 

 想像を絶する激痛に耐え、それでもハリオンは普段通りの笑顔を浮かべる。

 

 だが、ルルの狂風は更にその勢力を増し、徐々にハリオンの体を刻んでいく。

 

 眦を決する。

 

 守っていてはやられる。例え勝率は低くても攻めないと。

 

 確信があったわけでは無い。だが、シアーは本能的にそう感じると、ハリオンを突き飛ばして前に出た。

 

「シアーさん!!」

 

 シアーの突然の行動に驚くハリオンを他所に、シアーは《孤独》を構える。

 

「わざわざ死にに来たんだ。間抜けだねー!!」

 

 その声と供に、ルルは速度を上げる。

 

 狂風は更に勢いを増し、2人を包み込む。

 

 対してシアーは、立ち上がったもののあまりのスピード差に、立ち尽くすことしか出来ない。

 

 敵が来るのは、前か? 後ろか? あるいは左右どちらかか?

 

 その攻撃方向すら読むことは出来ない。

 

 それでも立ち止まる事が死に直結する事は判る。

 

「やあ!!」

 

 ほとんど当てずっぽうに近い勘で、斬り掛かる。しかし、当然その攻撃はルルの体に掠りもしない。

 

「アハハ、ハッズレー!!」

 

 その声と供に、ルルは間合いを詰める。

 

 狂風は渦を巻いて、シアーを包み込んだ。

 

 繰り出される刃が、シアーの小さな体をあっという間に切り刻んでいく。

 

「ウグッ!?」

 

 思わず《孤独》を取り落とし、その場に膝を突く。

 

 ハリオンが倒れ、今またシアーも動けなくなった。

 

どうにか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。

 

 そこへ迫る、狂風。

 

「これで止めだよー!!」

 

 無邪気なルルの声が耳に響く。

 

 その時だった。

 

「シアー、後ろ!!」

 

 よく聞き慣れた声が、鼓膜を包む。

 

 とっさに地面に転がるシアー。

 

 そのすぐ脇、つい先程までシアーが居た場所を、ルルが駆け抜けて行った。

 

「ムウッ!!」

 

 不満そうに声を上げるルル。そのまま、声がしたほうに視線を向ける。

 

 そこには、心配になって戻ってきたネリーの姿があった。

 

 無粋な乱入者の存在に、ルルは眉を顰めた。

 

「よっくもルルの邪魔をしてくれたね!! お前なんか、死んじゃえー!!」

 

 そう言い放つと同時に、ルルは攻撃の矛先を戻ってきたネリーに向ける。

 

『大変!!』

 

 シアーは、どうにか体を起こす。

 

 今ネリーがあれを喰らったら。確実に死んでしまう。

 

 だが、同時に勝機でもあった。

 

 先程までルルは、ランダムに位置を変えて攻撃して来た為、その位置を掴む事が出来なかった。

 

 だが今、ルルはネリーを標的と定めて一直線に向かっている。今ならその姿を捉える事ができる。

 

 傍らに落ちていた《孤独》を掴む。

 

 これが最後のチャンス。これで外せば、もう勝機は無い。

 

「ええェェェェェェい!!」

 

 気合と供に、思いっきり《孤独》を投げつける。

 

 狙うのはルルの背中。回転しながら飛んでいく《孤独》。

 

 ルルはネリーに標的を定めている為、後方から高速で飛んでくる物に気付いていない。

 

『やった!!』

 

 勝利を確信するシアー。

 

 しかし、命中する寸前でルルは後ろを振り返った。その視界には、旋回しながら飛んでくる《孤独》が映る。

 

「クッ!!」

 

 とっさに《怨恨》を振るい、飛んできた《孤独》を弾き飛ばした。

 

「あっ!?」

 

 思わず声を上げるシアー。

 

 最後の勝機を賭けて放った一撃は、その寸前で防がれてしまった。

 

 そのシアーに目を向け、ルルはニッコリと笑う。

 

「惜しかったねー。けど、そんなんじゃルルは倒せないよ。」

 

 強い。事によると、カチュアよりもその戦闘力は上かもしれない。

 

 万事休す。

 

 この場には既に、戦闘力を残している者はいない。

 

 ルルは、スッと《怨恨》を掲げる。

 

「それじゃあ、そろそろ死んでね。」

 

 凄惨な殺気と無邪気さを兼ね備えた声で、そう告げた。

 

 

 

 

 

 

 幾度にも渡る応酬を繰り返し、現在に至る。

 

 セツナとカチュアは互いに一歩も引かぬまま、剣戟を繰り出す。

 

「雷竜閃!!」

 

 一点に威力を爆発させ、カチュアに襲い掛かる。

 

 対するカチュアは、受け切れないことを悟り、体を捩じらせて回避。カウンター気味に《絶望》を突き出す。

 

 鋭い突きに対し、セツナは顔を傾ける。

 

 間一髪のところで、カチュアの突きはセツナの首筋を掠めて行く。

 

 なおもカチュアは攻撃を止めない。

 

 すぐに攻撃を突きから払いに切り替え、再びセツナの首を狙う。

 

 対してセツナは、体を屈み込ませ、カチュアの斬撃を回避。その体勢からカチュアの胴を狙っていく。

 

「フンッ」

 

 カチュアは鼻で笑いつつ、後退する事で回避。一見余裕のある行動にも見えるが、既にその動きは先程までの切れは無く、限界が近い事を如実に表している。

 

「チッ!?」

 

 対してセツナは、攻撃失敗を悟り構え直す。

 

 こちらも既に疲労の色は濃い。

 

 実力がほぼ拮抗している以上、消耗戦になる事は避けられない。

 

『とは言え・・・』

 

 セツナは油断の無い視線でカチュアを見る。

 

 こちらが苦しいのと同様、カチュアも相当苦しいのだろう。隠し切れない疲労が呼吸になって現れている。

 

 互いに悟る。

 

 次が、最後の一撃になる、と。

 

 正直、もう立っているのもつらい状態だった。

 

 セツナは《麒麟》を平正眼に構え、カチュアは《絶望》を八双に構える。どちらも防御を捨て、攻撃に全てを賭けるつもりだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 両者、終始無言。ただ、最後の一撃に向けて己の力を高める事にのみ集約させる。

 

 高まるマナが場を圧し、オーラフォトンの光が荒れ狂うように輝く。

 

 光は2本の永遠神剣に収束されていく。

 

 高まる機運に大気すら呼応し、嵐のように風が吹き荒れる。

 

 そんな中で、セツナとカチュアはただ己の相手のみを見据える。

 

「・・・・・・・・・・・・ねえ、セツナ。」

 

 これで最後と悟ったカチュアが、不意に口を開いた。

 

「何だ?」

「さっきの話だけど・・・」

 

 それは、カチュアがセツナに持ち掛けた話の続きだった。

 

「あたし結構、本気なんだけどね。」

「・・・・・・・・・・・・」

「どうだい、あたしと一緒に来る気は無いかい?」

 

 カチュアの問いに、セツナは目を閉じる。

 

 暫しの間沈黙が流れ、吹き荒れる風の音だけが2人の鼓膜を刺激する。

 

 やがて、セツナは目を開いた。

 

「・・・・・・済まない。」

 

 口を突いて出た言葉は、肯定でも拒絶でもなく謝罪であった。

 

 対してカチュアも、諦めたように目を閉じた。そして、乾いた口調で頷く。

 

「・・・・・・そう、かい。」

「ああ。悪いが・・・・・・」

 

 その脳裏にあるのは自分が最も愛おしいと思う少女の姿。

 

 それ以外の影が入り込む余地は無い。否、入り込む事を心が否定している。

 

「俺の心を独り占めにする権利を持った女は、この世に1人だけなんだ。」

 

 臆面も無く言い放つ。

 

 その言葉が逆に、カチュアの笑みを呼ぶ。

 

「参ったねえ。そんなんじゃあ、あたしが入り込む隙なんかありゃしないじゃないのさ。」

 

 カチュアは《絶望》を握る手に力を込める。

 

 対してセツナも、摺り足で前に出る。

 

 最早語るべき言葉は尽きた。

 

 次の瞬間、カチュアは地を蹴る。

 

 神剣の力を全開まで引き出し、セツナに斬り掛かる。

 

 吹き荒れる蒼き突風が、辺りの樹木をなぎ倒しながらセツナに迫る。

 

「喰らいな!!」

 

 手にした《絶望》を振り上げる。

 

「ヘブンズ・スウォード!!」

 

 あらゆる物を切り裂く力を与えられた剣が振り下ろされる。

 

 対してセツナはその身に光を纏い、カチュアを迎え撃つ。

 

「青龍、起動!!」

 

 その身の内に蒼き龍王が咆哮を上げ、あらゆる可能性の未来を読み取り宿主にダイレクトに伝えてくる。

 

 望むべき未来はただ1つ。

 

 勝利、それあるのみ。

 

 豪風を纏い、振り下ろされる《絶望》。

 

 天衝の如く突き出される《麒麟》。

 

 両者の影が交差する。

 

 次の瞬間、光が弾けた。

 

 

 

 その光景は、少し離れた場所で戦っているネリー達の目にも見る事が出来た。

 

 眩いばかりの光が弾け、風が一点目指して吹き荒れる。

 

「あれは・・・・・・」

 

 その光景に目を覚ましたハリオンが呟く。

 

 一方、今にもネリーに止めを刺そうとしていたルルは、呆然とした面持ちで手を下げる。

 

「カ、カチュア・・・・・・」

 

 よろよろと、光の方向に向かって歩き出す。

 

 やがて視界の中で、光が収まっていく。

 

「カチュア!!」

 

 ウィング・ハイロゥを広げると、その方向に向かって飛び出した。

 

「ど、どうしたんだろう?」

 

 今にも止めを刺されそうになっていたネリーは目を開けて、怪訝な顔付きになる。

 

 話を振られたシアーも、訳が分からない顔付きで首を傾げる。

 

「もしかしたら、」

 

 ハリオンが口を開いた。

 

「決着が、着いたのかもしれません〜」

「決着って、セツナ達の?」

「はい〜」

 

 だとすれば、こうしてはいられない。

 

 ネリーは力の入らない足でどうにか立ち上がる。

 

「ネリー達も行こう!!」

 

 そう言うとネリーは、よろめくように走り出す。

 

 それに続いて、シアーとハリオンも傷付いた体を引きずって走り出した。

 

 

 

 風が止んだ戦場の跡。

 

 既にこの場に、マナの狂乱は無い。

 

 あるのは穏やかな静寂のみ。

 

 その中で、2つの影は重なり合っている。

 

 カチュアの剣は地面を抉り、止まっている。

 

 そしてセツナの剣は、

 

 カチュアの右胸に深々と鍔元まで突き刺さっている。

 

 勝敗は、決した。

 

「・・・・・・・・・・・・悔しいねえ。」

 

 カチュアはフッと笑う。

 

「あと、一歩及ばないってのは・・・・・・」

「・・・・・・本当に、紙一重だったがな。」

 

 そう告げるセツナの右肩からも、血が噴出している。

 

 交差の一瞬、セツナは半身引いてカチュアの斬撃をかわし、左腕一本で《麒麟》を持ってカチュアに突き出したのだ。

 

 ただ刃にオーラフォトンを込めての一撃。シンプルだが、それだけに威力も信頼度も高い攻撃だった。

 

 崩れ落ちるカチュア。

 

 その体を、セツナは抱き止める。

 

 しかし、体重を支えきれず、そのまま膝を折る。

 

「あたしの負けだよ、セツナ。」

 

 さばさばした口調で、カチュアは告げる。

 

「カチュア・・・・・・」

「そんな顔しないでおくれ。あたしを破った男が、みっともない真似するんじゃないよ。」

 

 そう言われて、セツナは気付いた。

 

 自分が、この女の死を哀しんでいる事を。

 

 何故だろう?

 

 思えばこの女に対し、良い思い出など有りはしない。

 

 マロリガン戦への介入から始まって、今日まで何度も刃を交えてきた。一度などはネリーを奪われた事もあった。憎む事はあっても、哀しむ事など無いはずだ。

 

 だが、セツナは今、明らかに哀しんでいた。この、ライバルとも言える女が逝く事に。

 

「ねえ、セツナ。」

 

 カチュアは不意に、口を開く。

 

「1つ、頼みがあるんだけど。」

「何だ?」

 

 尋ねるセツナに、カチュアは腕を持ち上げる。

 

 その手には、自身の神剣である《絶望》が握られている。

 

「あたしの永遠神剣、あんたが貰ってくれないかい?」

「《絶望》を?」

 

 突然の申し出に、セツナは戸惑う。

 

 だが、カチュアの瞳には真剣な色がある。

 

「・・・あんたに、使って欲しいんだよ。」

 

 セツナは言われるままに、《絶望》の柄に手を伸ばす。

 

 すると、セツナに握られた《絶望》は、まるで歓喜に打ち震えるように光を発する。

 

 それを見て、カチュアは薄く笑う。

 

「フフ、どうやら、この子もアンタの事が気に入ったみたいだね。」

「カチュア・・・・・・」

「頼んだよ・・・・・・」

 

 自分は、この少年の心を掴む事が出来なかった。ならばせめて、自分と幾多の戦場を供にした半身を、彼に連れて行って欲しかった。

 

 言い終えると同時に、カチュアの体は端から順に崩れ、マナの塵となっていく。

 

 これまでセツナが倒してきた幾多のスピリット同様、この女もまた、再生の剣へと還ろうとしていた。

 

「どうやら、お別れみたいだね・・・・・・」

「ああ。」

 

 セツナはそっと、カチュアの唇に自分のそれを重ねる。

 

 少し驚いたような顔をするカチュア。

 

 だが、すぐに受け入れ、瞳を閉じる。

 

 ややあって、セツナは唇を離した。

 

「・・・・・・良かったのかい?」

「散り行く者への、せめてもの手向けだ。」

 

 尋ねるカチュアに、セツナは素っ気無い口調で答える。

 

 その口調がよほど可笑しかったのか、それともセツナの行為に感謝してか、カチュアは笑みを浮かべる。

 

「ありがとう・・・セツナ。」

 

 その体は金色の塵となって、徐々に失われていく。

 

 その時だった。

 

「カチュア!!」

 

 空から、黒い影が舞い降りてくる。

 

「ルル・・・・・・」

「カチュア・・・カチュア!!」

 

 今にも消えかかりそうなカチュアに、ルルは縋りつく。

 

「嫌だよカチュア・・・・・・お願いだから・・・ルルを置いていかないでよ。」

 

 カチュアの死が受け入れられず、ルルは涙を浮かべる。

 

 だが現実は残酷に時を刻む。

 

 ルルが見ている前で、カチュアの体は消えていく。

 

 足は既に消え去り、右腕も指の先から解け始める。

 

「泣くんじゃないよ、ルル。例えあたしが死んでも、あたしの心は、アンタが継いでくれる。なら、あたしは、アンタの中で生き続けるんだから。」

「カチュア・・・・・・」

 

 残った左手で、ルルの目にある涙を拭ってやる。

 

 その瞳は、セツナへと向けられる。

 

「セツナ、済まないけど、もう1つ頼みがある。」

「ああ、判ってる。」

 

 皆まで言うなとばかりに、セツナはカチュアの言葉を遮った。

 

「彼女の事は任せておけ。俺が責任持って、ラキオスで預かる。」

「済まないね。」

 

 そう言うとカチュアは、目を閉じる。

 

 急速に訪れる虚無感が、妙に心地よく感じられる。

 

 迷い無くそれに身を委ねた瞬間、カチュアの意識は飲み込まれて行った。

 

 セツナとルルが見守る中、カチュアの体は急速に溶けて行く。

 

 その顔は、まるで眠っているように穏やかであった。

 

『カチュア・・・・・・』

 

 この戦争を通して、セツナのライバルだった女が、今逝ったのだ。

 

 セツナは立ち上がる。

 

 右手には自身の永遠神剣《麒麟》を、左手にはカチュアから託された《絶望》を持ち。

 

 ルルは、完全に戦意を喪失し、地に座り込んだままうなだれている。最早、戦う気力も無いのだろう。

 

 その時だった。

 

「セツナ!!」

 

 木立の間から、ネリーが転がるように駆けて来る。

 

 その後ろから、シアーとハリオンもやって来る。

 

「セツナ・・・」

 

 その前まで来て、ふと、立ち止まる。

 

 自分もそうだが、セツナの体もあちこちボロボロに傷付いている。

 

 この男がここまで傷付くほどの戦いだったのだ、想像を絶する死闘であった事は疑いない。

 

 そんなネリーに、セツナはフッと笑いかける。

 

 その笑顔に釣られるようにネリーも、満面の笑顔を浮かべ、その胸に飛び込む。

 

 セツナも、やさしく自分の彼女を受け入れる。

 

「あらあら、仲良しさんですね〜」

 

 その様子を見ていたハリオンが、微笑ましそうに笑みを浮かべる。

 

 セツナはネリーを抱いたまま、ハリオンを見る。

 

「ハリオン、済まないが、」

 

 そう言って、視線を背後に向ける。

 

 そこには、まだ項垂れたままのルルがいる。

 

 放って置けば、いつまでもその場に座り込んでいそうだ。

 

「彼女の事、頼めるか?」

 

 カチュアとの約束でもある。ルルは、ラキオスで面倒を見ると。

 

「あの娘、ですか? でも〜」

 

 先程まで死闘を演じていた相手だ。さすがにハリオンでなくても、その保護には二の足を踏むだろう。

 

「そこを曲げて頼む。」

「・・・判りました〜」

 

 そう言って、ハリオンはルルの方へ駆けて行った。

 

 その背中を、セツナは見送る。

 

 何となく、この場にハリオンが居てくれて良かったと思う。彼女なら、例え敵であった相手にも優しく接してくれる事だろう。

 

 セツナはネリーを地面に下ろす。

 

 その瞳の先には帝都を守る最後の盾であった、秩序の壁がある。だが、それは既に墜ちた偶像と化し、ただ視界の妨げになる事でしか役割を果たせていない。

 

 ついに、道は開けた。後は、突き進むのみ。

 

「行くぞ。」

 

 静かに告げる。

 

 自分に全てを託した女の意思を胸に、ゆっくりと歩き出す。

 

 最後の決戦へ向けて、

 

 

 

第28話「受け継がれる絶望」     おわり