『こうなる事は分かってたんだけどね。』

 

 カチュア・ブルースピリットは呟いた。

 

 ここは帝都スラム街にある華街。

 

 カチュアは久しぶりに我が家へと足を運んでいた。

 

 そこで待っていた物は、店のスピリット達に泣き顔だった。

 

 彼女達は1人の例外も無く、サーギオス軍の正式軍装ではなく、それぞれ色とりどりのドレスで美しく着飾っている。

 

 ここは所謂、娼館。幾ばくかの金を引き換えに、男達が一夜の夢を見る堕落した楽園である。

 

 加えて言えばここは、ただの娼館ではない。それは、カチュアに縋りつく少女たちを見れば一目瞭然だろう。

 

 青、赤、緑、黒。艶やかとも思える4色の独特の髪と目を持ち、人間では決して再現できない美貌を持っている。

 

 ここは、スピリットの少女だけを扱った、妖精趣味を目的とした娼館であった。

 

 退廃、禁忌の極みとも言われる妖精趣味。一般の倫理を持つ人間ならば、絶対に忌避するであろう行為。だが、それでもこうしてカチュアの店が立ち行っていると言う事はすなわち、需要が完全に確保されている事を意味している。

 

「カチュア様、どうしてもっと早く帰ってきてくれなかったんですか!?」

「お姉様、寂しかったです〜!!」

 

 少女達は涙目になりながら、カチュアの腕や腰に抱き付いてくる。

 

 ものの1分としない内に、カチュアは歩く事すら困難な程、少女達に抱きつかれていた。

 

 ここに帰ってくると、自分が慕われているという事を実感できる。

 

 確かに嬉しい。嬉しいのだが、

 

『もうちょっと、どうにかならないものかね・・・・・・』

 

 自分の両腕や腰に纏わり付くスピリット達を眺め、苦笑するしかなかった。

 

 辟易しながらも、彼女達を払い除けるほど非情にもなれない。

 

 カチュアはただされるがまま、彼女達が飽きるまで付き合うしかなかった。

 

 彼女達は皆、戦場に出るに辺り、カチュアが同道を許可しなかった娘達だ。

 

 なぜならば彼女達は、スピリットとして生を受けながらも一定以上の技能向上が見込まれず、処分を言い渡されそうになったところをカチュアが引き取った少女達なのだ。当然、自分達の神剣は持っているが、それを使いこなすだけの力は無かった。

 

『とは言え、』

 

 カチュアはスッと、少女達に悟られないように目を細める。

 

 こうして彼女達と会う事ができるのも、これが最後になるだろう。

 

 既に、ゼィギオス、サレ・スニル陥落から半月の時間が経過している。その間南下を続けるラキオス軍はユウソカを攻略。帝都サーギオスを完全にその包囲下に置いていた。

 

 ゼィギオス、サレ・スニル、ユウソカの3都市を落とされた事でマナ供給を断たれた秩序の壁は、ただ無能な木偶の棒よろしく、ラキオス軍の進路上に横たわることしか出来ない。ハードしての壁はまだ健在だが、ソフト面におけるマナ防御は完全に枯渇し、ラキオス軍の猛攻に耐えられないであろう事は、容易に想像できた。

 

 唯一幸いな事は、帝国軍は主力の大半を温存し、帝都における決戦の準備を進めていると言う事だ。

 

 カチュアの部隊も、近日中に秩序の壁防衛に出撃する事になっている。

 

 だが、既に勢いはラキオスにある。いかにカチュアでも、止められるかどうは微妙な所だった。

 

「お姉様、どうしたんですか〜?」

 

 スピリットの1人が、甘えたように抱き付いてくる。

 

 そのスピリットの髪をそっと撫でながら、カチュアは微笑みかけた。

 

 この子達に自分は何をしてやれるのか、答えはまだ分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地が謳う詩

 

 

 

第27話「死に行く者へ」

 

 

 

 

 

 

 視界の先に、帝都最後の守りである秩序の壁が見える。

 

 座ったままの髪に、風が流れていく。

 

 遠目にも、帝国軍が急ピッチで防衛線を展開しているのが見て取れた。

 

「・・・・・・すう。」

 

 傍らで眠りに付く少女の寝息が、鼓膜をくすぐる。

 

 フッと微笑を浮かべ髪を梳いてやると、くすぐったそうに笑みを浮かべた。

 

 今日はずっと一緒に起きてる。なんて言っていたのに、つい先程睡魔との戦いに敗れ、今は夢の揺り籠に揺られている。

 

 見上げる月はなおも、青い。

 

 既に友軍は南方より帝都侵入の機会を伺っている。機は熟しつつあった。

 

「セツナ。」

 

 呼ばれて、視線を戻す。

 

 誰かが近付いて来る足音があった。

 

「ここに居たのね。」

 

 声の主は、セリアだった。

 

「どうした?」

「さっき、ユウト様の本隊から早馬が届いたわ。明朝を期して、帝都突入作戦を決行するそうよ。」

「そうか、いよいよだな。」

 

 セリアはネリーを起こさないように、セツナの傍らへと腰掛ける。

 

「私達、随分遠くまで来たわね。」

「そうだな。」

 

 ラキオスは大陸最北に位置している。対してサーギオスは最南端にある。これより南は「果ての断崖」と呼ばれる険しい連山地帯が続き、誰もその先に何があるのか知らない。幾度か調査隊が送り込まれたと聞くが、誰1人として帰ってこなかったそうだ。事実上ここが、最果ての地と言って良かった。

 

「ねえ、セツナ。」

「ん?」

 

 傍らで眠るネリーの髪を梳きながら、セツナはセリアに目を向ける。

 

 その瞳は、まるで責めるような色を見せ、真っ直ぐにセツナを見据えている。

 

「この戦いが終わったら、あなたはどうするつもり?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは無言、ただ愛おしむようにネリーの髪を指で梳く。

 

 何となく、そろそろ誰かが切り出すのではないかと思っていた質問だ。

 

 この戦いが終わったら・・・・・・

 

 そう、既にそれを考える時期に来ていると言って良かった。

 

 元々、エトランジェ達はこの戦いの為に召還されたのだ。戦いが終われば、留まる理由は無くなる。それは軍の重職にあるセツナとて例外では無い。

 

 ふと、他の人間はどうするのか、と言う疑問が湧いた。

 

 ユウトは、カオリを取り戻せば間違いなくハイペリアに戻る道を選ぶだろう。彼はその為に戦ってきたのだ。そうする権利がある。

 

コウインとキョウコはどうだろうか?

 

 キョウコはともかく、コウインはかなりこの世界に順応している。となると、こちらに残ると言い出すかもしれない。そうなると、キョウコもなし崩し的に残ると言い出すかもしれない。

 

 では、自分はどうだ?

 

 半年前の自分ならば、躊躇無く戻ると言っただろう。向こうでは母が自分の帰りを待っている。帰ると約束したのだから、是が非でも帰る道を選んだだろう。

 

 だが、今は、

 

 視線を、ネリーに向ける。

 

 この世界に来て見つけた、掛け替えの無い存在。

 

 手に取らねば良かったと、あるいは後悔を呼び起こすほどの輝きを放つ蒼き宝石。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 失いたくない。できる事なら、向こうの世界に連れて帰りたい。

 

 だがそれはできない。スピリットであるネリーは、マナの希薄なハイペリアでは生きられない。彼女への執着は、彼女を失う事に直結する。

 

「私は・・・」

 

 無言のままのセツナに、セリアは続ける。

 

「できれば、あなたにはこちらに残ってもらいたい。そして、私達と一緒に、これからも陛下やラキオスを盛り立てて行って欲しい。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉に対する答えは、セツナは持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、

 

 ラキオス王国軍は満を持して帝都最終防衛ライン、秩序の壁に総攻撃を敢行した。

 

 対して、迎え撃つ帝国軍も主力隊を持って応戦。

 

 ラキオス王国と、サーギオス神聖帝国。

 

 遥か太古より、両国の間には連綿とした恩讐があり続ける。

 

 聖ヨトの御世より連なる因縁を断ち切るべく、両軍は最後の決戦へと臨んだ。

 

 

 

 彼方から聞こえる剣戟の音を耳にしながら、カチュアはゆっくりと目を開けた。

 

 既に前線はラキオス軍と接触。交戦に入っている。

 

 秩序の壁に篭って戦う帝国軍は、一見有利かもしれない。

 

 しかしマナ供給を失った事により、既にその守りは内面から瓦解しており、長くは持たない事は明らかだった。

 

「御頭。」

 

 その前に、2つの影が立つ。

 

《獄吏》のアンナに《退廃》のロレッタ。

 

 カチュアの手元に残った、最後の部下達だった。

 

「寂しくなりましたね。」

「ああ、フェリアとシャーレンが死に、そして今回はルルが離脱、か。」

 

 ロレッタの言葉に、アンナは頷いた。

 

 残る1人、《怨恨》のルルはこの場に居ない。カチュアの命により、帝都防衛の任に付いていた。

 

 帝都防衛、と言えば聞こえは良いが、要は手っ取り早く戦線から遠ざけたのだ。

 

 その采配に何かを感じ取ったのだろう。当然の如く、ルルは猛反発してきたのだが、最終的にはカチュアに諭され、泣く泣く帝都へと戻って行った。

 

「良かったんですか?」

「ルルの事かい? 何も、死出の旅路にまだ幼いあの子まで付き合わす事無いだろ。」

 

 そう言ってカチュアは苦笑する。

 

 自分達はもう充分に生きた。だが、あの子にはまだ未来がある。否、自分達の未来も背負って生きて欲しい。そう思ったから、逃がしたのだ。

 

 対してロレッタは柔らかく笑みを浮かべ、首を振る。

 

「ルルの事もそうですけど、御頭もですよ。」

「あたしが、何だい?」

 

 キョトンとするカチュアに、ロレッタは続ける。

 

「このままだと、ほんとにあのエトランジェさんと戦う事になりますよ。御頭はそれで良いのですか?」

「別に・・・あたしは・・・・・・」

 

 そう言い掛けて、脳裏にセツナの顔が過ぎる。

 

 鋭い眼光。揺るがぬ信念。若輩の身とは思えぬ程、強靭な格を持つ少年。

 

 正直に言おう、惚れた。

 

 女が男に惚れるのとは、少し違うかもしれない。どちらかと言えば、男が男に惚れると言う感情に似ているかもしれない。その容姿、立ち居振る舞い、そして内面における心理。その全てが、カチュアの心を惹き付けて止まない。

 

 まるでそう、自分がまだ年端も行かぬ小娘に戻ったかのように、気が付けばあの少年に夢中になっていた。年下の、それも敵将と言う立場にある少年に、である。

 

 何であれ、カチュアの人生において、セツナと接した時間はほんの一握りに過ぎない。しかし、自分が持つ全てを捧げても良いと感じた人間は、セツナが初めてであった。

 

 だが、いかにどれだけ焦がれようと、カチュアの精神はその一線を越える事を決して許そうとはしない。

 

「・・・・・・仕方ないさ。」

 

 さばさばした口調で、カチュアは答える。

 

 あいつはラキオス、自分はサーギオス。交えるのは心ではなく刃。

 

 人生がままならないなんて事は、これまで何度も感じた事だ。今更嘆くには値しない。

 

 傍らに立てかけて置いた《絶望》を掴んで立ち上がる。

 

 口から紡がれるは、勇ましき開戦のベル。

 

「行くよロレッタ、アンナ。第18特殊部隊最後の戦い、ラキオスの連中に見せてやろうじゃないのさ!!」

 

 ゆえに、蒼き戦女神は行く。

 

 愛する男が対峙する、戦場へ。

 

 

 

 数においては、今だに帝国軍が圧倒している。

 

 だが、その士気天をも衝かんとするラキオス軍の前に、多少の数の差など巨象の前の蟻の群れに等しいというものだ。

 

「い〜く〜ぞ〜〜〜〜〜〜!!」

 

 特大のオーラフォトンを放出し、キョウコは《空虚》の切っ先を帝国軍に向ける。

 

 既にラキオス軍は秩序の壁に取り付き、内部での戦闘を始めている。

 

 キョウコを先頭にした部隊は、大出力の神剣魔法を武器に、群がる帝国スピリット達を一掃していく。

 

「ライトニング・ブラスト!!」

 

 解き放たれる雷撃は、とっさに障壁を張ろうとするグリーンスピリット達を一瞬で消し炭にする。

 

 それだけに留まらず、背後で突撃の隙を伺っていたブラックスピリット達も雷撃の奔流に飲み込まれ、消滅していく。

 

 キョウコのオーラフォトンによって作り出された電撃は、秩序の壁のありとあらゆる場所を破壊していく。

 

 その様子を、城壁から少し放れた場所からセツナが見ている。

 

「・・・・・・何をやってるんだあいつは?」

 

 繰り出される攻撃をかわしながら、溜息混じりに呟く。

 

 戦っている事に変わりは無いのだが、これでは一見するとただの破壊活動に見えかねない。自分達は無差別破壊に来た訳では無いはずだが・・・・・・

 

 まあ、自分達の物でないから良いのだが、せめて周りの味方が巻き込まれない程度に加減してくれる事を祈るまでだった。

 

 そのセツナの視界に、3体のスピリットが飛び込んでくる。

 

 皆、一様に神剣に心を潰されている。帝国スピリットとしては標準的な光景である。

 

「フンッ」

 

 セツナは鼻を鳴らす。

 

 初めて戦場に出た頃なら、こいつらは十分過ぎるくらい脅威だった。バーンライト攻略戦で初めて遭遇した時は、セリアと共同でも一体倒すのがやっとだった。

 

 だが、今は違う。

 

「白虎、起動!!」

 

 あの時から比べて、自分は比べ物にならないくらい成長した。今更この程度の相手に苦戦するわけが無かった。

 

 セツナの視界の中で、3体のスピリットがスローモーションで動く。

 

 一息の間にその背後に回りこむセツナ。

 

 視界の中からエトランジェが消えた事で戸惑うスピリット達。

 

「遅い。」

 

 呟くと同時に振るわれる刃。

 

 一太刀で背中を斬られ、地面へと倒れ伏す。

 

 その姿を確認し、セツナは《麒麟》を鞘に戻した。

 

 その時だった。

 

 背後から、覚えのある気配と供に足音が聞こえて来たのは。

 

 ゆっくりと振り返る。

 

「やあ。」

 

 気さくに紡がれる声。それと同時に、木立の影から見慣れた蒼い影が歩み出た。

 

 

 

 

 

 

 門の前に、紅き女傑が立つ。

 

 手にしたダブルセイバーを地面に突き、迫る軍勢を見据える。

 

「おーおー、雑魚共が雁首揃えてぞろぞろとやって来やがった。」

 

 さも面白そうに、アンナは口元に笑みを浮かべる。

 

 その顔にも、そして精神にも圧倒的不利な状況から来る恐れなど、微塵も含まれていない。

 

 あるのはただ偏に、これから始まる戦いへの高揚感のみ。

 

 苛烈なる炎の申し子は、余計な事は一切考えずにこれから起こる戦いにその意識を集中する。

 

 その視界の先には、数人のスピリットが向かってくるのが見える。

 

 城門の前に立つのはアンナ1人。援護役のロレッタは城壁の上にいる。

 

「援護頼むぜ、ロレッタ。」

「了解です。」

 

 声を掛けられて、ロレッタはニッコリ微笑む。

 

 本来なら防御担当のロレッタが前に出て、遠距離攻撃担当のアンナが後方から支援するべきなのだが、この2人に限ってはそんな常識は通用しない。

 

 接近戦でも部類の強さを誇るアンナならではの布陣と言えた。

 

「行くぜ!!」

 

 アンナが吼える。

 

同時に戦いの息吹を感じ取ったマナが喝采を上げる。

 

 戦いの息吹は、そのままアンナの力となるようだ。

 

「炎よ踊れ、骨の髄までしゃぶり尽くせ!!」

 

 掌に集まったマナが炎にその身を変え、燃え盛る。

 

「インフェルノ!!」

 

 特大の炎が跳ね上がる。

 

 対して一斉にアイス・バニッシャーを放つラキオススピリット達。

 

 しかし、ネリー、シアー、セリアの3人が同時にかかっても互角に持っていくのがやっとだったアンナの神剣魔法を相手に、並みのスピリットが束になっても叶うわけがない。

 

 僅かな拮抗の後、炎はスピリット達を包み込む。

 

 3人のスピリットが逃げ送れて、炎の中に飲み込まれる。

 

 そこへ更に追い討ちを掛けるように、アンナは突撃、回転を掛けて充分に威力を乗せた《獄吏》を振るう。

 

「オラオラオラ、邪魔すんじゃねえ!!」

 

 炎のダメージから立ち直っていないスピリット達は、とっさに各々の神剣を構えようとするが、遅い。

 

 瞬く間に先頭に立っていたブルースピリット2名が斬り捨てられる。

 

 どうにか取り付こうとするスピリットもいるが、彼女達もアンナの勢いの前に弾き飛ばされる。

 

 まるで小規模の暴風が発生したかのようだ。

 

 更にアンナはラキオス軍の隊列の中に自身を割り込ませる。

 

「喰らえや!!」

 

 全方位に炎の礫を放つ。

 

 礫と言ってもその一撃一撃が、バレーボールほどの大きさもある。喰らった方はただでは済まない。

 

 次々と吹き飛ばされるスピリット達。

 

 僅かに神剣を翳して反撃しようとする者もいるが、例外無くアンナに斬り倒されていく。

 

 更に、遠距離からアンナに魔法で攻撃しようとするスピリットには、城壁の上に立つロレッタがエレメンタルブラストを放ち、ダメージを与えていく。

 

 息の合った連携攻撃の前に、ラキオス側のスピリット達はあらゆるレンジでの攻撃を防がれ、ただ2人のスピリットに翻弄されていく。

 

 物の数分で、ラキオス側の動けるスピリットは半分にまで減ってしまった。

 

「ハッ、どうしたどうした!?」

 

 1体のレッドスピリットの首を掴んで持ち上げながら、誇るように叫ぶ。

 

 対するラキオススピリット達は、ただそれを遠巻きにして見ている事しか出来ない。

 

「ケッ」

 

 吐き捨てるような舌打ちと供に、アンナは掲げたスピリットを投げ捨てる。

 

 視線に侮蔑を込めて、アンナは周りを囲むスピリット達を睨む。

 

 一見、完全に包囲されたアンナが不利にも見える。

 

 だが、彼女がその気になればこの程度の包囲網、数分と掛からず全滅させる事ができるだろう。

 

『面倒クセェな、やっちまうか。』

 

 そう心の中で呟き《獄吏》を構え直そうとした時だった。

 

「タァァァァァァ!!」

 

 凛とした叫びと供に、上空から蒼い影が飛び込んでくる。

 

「クッ!!」

 

 とっさに、刃で払いのけるアンナ。

 

 相手は弾き飛ばされながらも、空中で体勢を立て直し、地面に足を付く。

 

「・・・・・・・・・・・・テメェか。」

 

 既に何度も刃を交えている少女が、目の前にいる。

 

 忌々しげに視線を向ける。

 

 何度も自分の前に立ちはだかり、何度も半殺しにしてやったというのに、その度に立ち上がって来る少女。正直、アンナとしては目の前に虫が飛び交っているようで鬱陶しい事この上なかった。

 

 そんなアンナの内心を無視して、立ちはだかるネリーは《静寂》を構える。

 

 味方は既に、アンナ1人を相手に大損害を出している。この窮状を救うには、自分達でこの怪物スピリットを抑えるしかない。

 

 だが、過去の戦いでは、ほぼ3戦全敗に近い。

 

 果たして勝てるか?

 

『ううん、違う!!』

 

 迷いを払うように、激しく頭を振るネリー。

 

 『勝てるか?』ではない。『勝つ』のだ。

 

 ここには自分しか居ない。キョウコや他のスピリットは皆、別の戦線に散っている。いつも助けてくれるセツナも、今は別の所で戦っていて姿が見えない。

 

 《静寂》を握る手も汗が滲む。

 

 やるしかない。自分の持てる、全ての力を賭けて。

 

「行くよ!!」

 

 気合と供に紡がれる言葉。

 

ネリーは《静寂》を振り被った。

 

 

 

「これは、少々拙いですね。」

 

 城壁の上から状況を見守っていたロレッタは、常の柔らかい態度をかなぐり捨て焦りと供に舌打ちを放つ。

 

 アンナの前に《静寂》のネリーが立っている。2人は今にも激突しようとしているのは、城壁の上からでも手に取るように判る。

 

 まさか、1対1でアンナが負けるとは思えない。だがこれまでの戦績から見て、倒すまでに時間が掛かるのは明らかだ。その間に他のスピリットが黙っているとは思えない。確実に、戦う2人を迂回して突破を図るだろう。つまり、ここでパワーバランスが崩れるのは拙い。アンナがネリーと戦っている間に城門を突破されればこちらの負けだ。

 

 急いで傍らに立て掛けておいた《退廃》を取る。作戦変更だ。こうなったら、自分も城門前に下り、ラキオスのスピリットに対する阻止線を張る。取り合えずアンナがネリーを倒すまで場を持たせる事が出来れば、こちらの勝ちは動かない。

 

 槍を手に階下に降りようとした。

 

 その時だった。

 

ウィング・ハイロゥを羽ばたかせ、見覚えのあるスピリットが舞い降りる。

 

 ロレッタの進路を阻むように降り立った少女は、手にした長剣を掲げ、騎士同士の一騎討ちを始めるように宣誓する。

 

「あなたの相手は私よ。」

 

 凛とした声でセリアは告げる。

 

「クッ・・・」

 

 舞い降りたセリアを見て、唇を噛むロレッタ。

 

『この、時間が無いと言う時に・・・・・・』

 

 無粋な乱入者相手に、焦燥感が募る。

 

 だが、目の前の少女も無視できるほど弱い相手ではない。現にセレスセリスではフェリアを討ち取られている。どうあっても、相手をするしかなかった。

 

 スッと半身になり《退廃》を構える。

 

 それに合わせた様に、セリアもウィング・ハイロゥを広げる。

 

 全力で掛からねば、倒せない。

 

 次の瞬間、両者は同時に動いた。

 

 

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 大上段からの急降下。自身の着地を無視するほどの勢いを込めた斬撃を振り下ろす。

 

 しかし、

 

「フンッ!!」

 

 その攻撃を、アンナはあっさり受け止めて、押し返す。

 

 その力の凄まじい事に、それだけでネリーの華奢な体は空中に投げ出されてしまった。

 

「うわわっ!?」

 

 どうにか空中でバランスを取り戻そうと、ウィング・ハイロゥを広げるネリー。

 

 しかし、ようやくバランスを取り戻した時、

 

「遅いぜ!!」

 

 膂力によって同高度まで上昇したアンナが斬り掛かる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに《静寂》を構えて防ごうとするネリー。

 

 しかし、

 

「だから遅いって!!」

 

 次の瞬間、その腹にアンナの拳が叩き込まれる。

 

「ングッ!?」

 

 思わず胃が逆流しそうな感覚に襲われるネリー。

 

 その無防備になった背中へ、すかさずアンナは蹴りを落とす。

 

「キャァァァァァァ!?」

 

 衝撃と供に完全にバランスを崩され、地面に向けて落下するネリー。

 

 そのまま背中から地面に叩き付けられる。

 

 空中戦でブルースピリットを圧倒するレッドスピリットなど聞いた事が無かった。

 

 今にして思えば、第18特殊部隊のスピリットはあらゆる意味で規格外が揃っていた。接近戦も魔法戦も無敵なレッドスピリット。接近戦でブルースピリットをも上回るグリーンスピリット。戦略的な攻撃を仕掛けてくるブルースピリット。魔法に頼らず、己の技量のみで他者を圧倒するブラックスピリット。逆に、魔法のみで戦うブラックスピリット。そして、スピリットの身でエトランジェと互角に戦うカチュア。

 

 まさに、帝国最強の部隊と言って良かった。

 

「つっ・・・つっ・・・・・・」

 

 痛む体に顔を顰めつつ、どうにか顔を上げるネリー。そこへ、

 

「死ねェェェェェェ!!」

 

 アンナが膝を落として来る。

 

「クッ!?」

 

 とっさに地面を転がり、回避する。同時に身を起こして《静寂》を構え直した。

 

 一方で、手応えが無い事に気付きアンナは再びネリーを見据える。

 

 しかし今度は、ネリーの方が先に動いた。

 

「行くよ!!」

 

 《静寂》を肩に担ぐように構えると、低空を飛行しアンナに接近して行く。

 

 対してアンナは右手を掲げると、接近するネリーを迎撃するように炎の砲弾を放つ。

 

 嵐のような炎の弾丸が、水平に放たれて行く。

 

 しかし、それらはネリーを捉える事は無い。

 

 いや、捉えてはいるのだが、その全てがネリーの体をすり抜けていく。

 

「残像かよ!?」

 

 相手の正体を悟り、舌打ちするアンナ。

 

 ランサ攻防戦以来、対戦する事3度。これがこの少女の常套手段である事は、先刻承知している。そして無論、対策も考えてある。

 

 すぐに攻撃方法を切り替えてネリーを迎え撃つ。

 

「喰らえ!!」

 

 炎を上空に放つ。

 

 ネリーがハッとそれに気付いた瞬間、打ち上げた炎は細分化し、礫となって降り注ぐ。

 

「フレイム・シャワー!!」

「クッ!!」

 

 上空から降り注ぐ炎は、満遍なくばら撒かれ、ネリーの退路を片っ端から制圧する。いかに残像で相手の照準を逸らしたとしても、面その物を制圧されては意味が無い。

 

 とっさに体を反転させ、背面飛行を行いつつ、左手にマナを集中させる。

 

「アイス・バニッシャー!!」

 

 掌から放たれる冷気が落ちてくる礫を迎撃していく。

 

 だが、全てを撃ち落す事はできない。

 

 数発の炎が、ネリーの吹雪を掻い潜ってその体を直撃する。

 

「あ、グッ!?」

 

 直撃弾は3発。

 

 衣服が焼かれ、肌に火傷を負う。

 

 低空を飛んでいたネリーは地面に叩きつけられた。

 

「そこだ!!」

 

 ネリーの動きが止まった事で勝機と取ったアンナは、一気に距離を詰める。

 

「クッ!?」

 

 対してネリーも、痛む体を引きずって立ち上がる。

 

 振り下ろされる刃を、辛うじて防ぎとめる。

 

 今にも崩れ落ちそうになる膝に力を入れ、どうにか堪える。

 

「しぶといんだよ!!」

 

 アンナはさらに腕に力をこめる。

 

 だがネリーも、傷付いた体でどうにか踏ん張る。

 

「負けない。絶対に負けないもん!!」

 

 

 

 一方でその頃、城壁の上でもセリアとロレッタが激しく応酬を繰り返していた。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 《熱病》の刀身にマナを込め、一気に切り込む。

 

「フューリー!!」

 

 振り下ろされる刃。しかし、その一撃はロレッタが掲げた《退廃》の柄によって防がれる。

 

「クッ!?」

 

 舌打ちするセリア。

 

 その視界の先には、なおも平然と立つロレッタの姿がある。

 

「言った筈です。スピードの速さが勝敗を決めるわけではないと!!」

 

 言い放つと同時にロレッタも仕掛ける。

 

 鋭い3段突きがセリアに迫る。

 

「クッ!?」

 

 対してセリアは1撃目をかわし、2撃目を《熱病》で弾く。だが、3撃目を防ぎきる事は出来なかった。

 

 鋭い突きがセリアの左肩を刺し貫いた。

 

「ああっ!?」

 

 激痛と供に鮮血が迸る。

 

 セリアは傷口を押さえ、後退する。

 

 ここを勝機と取ったロレッタは、刃元を短く持ち接近戦に対応すると、間合いを詰めて切り込んでくる。

 

「ッ!?」

 

 対してセリアは左腕が使えない。右腕だけで《熱病》を構え、迎え撃つ。

 

 だが、

 

「ッ!?」

 

 思わず息を飲む。

 

 ロレッタは正面から迫ると見せかけて、セリアの左側に体を滑り込ませた。

 

 決して速い動きではないのだが、それでも傷を負ったことにより左側が動作の死角になっている為、動きが一瞬遅れる。

 

 傷口を抉るように《退廃》の柄尻が強打する。

 

「グッ!?」

 

 激痛が全身に走り、セリアはよろける。

 

 そこへ更に、ロレッタは連続攻撃を仕掛ける。

 

 対してセリアは、刃が届く前にウィング・ハイロゥを広げ、辛うじて上空に逃れる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 肩の傷口を押さえながら、セリアは考える。

 

 相手はグリーンスピリットにも拘らず、自分よりも強い。

 

『まともな戦い方じゃ、勝てない。』

 

 頭の中で、素早く計算する。

 

 闇雲に力で攻めることは、深みに嵌まる事になる。戦略を立てて相手を罠に追い込むのだ。

 

 無事な右腕だけで《熱病》を構える。

 

 ここを突破する。必ず。

 

 セリアは再び、斬り込んだ。

 

 

 

「燃え盛れ。地獄の炎の中で、のた打ち回れ!!」

 

 アンナの掌の中で、炎が増大する。

 

 対してネリーもマナに呼びかけ、集中する。

 

「マナよ、我に従え。氷となりて力を無にせしめよ!!」

 

 プラスとマイナスの力が一気に増大し、解き放たれる。

 

「アークフレア!!」

「アイス・バニッシャー!!」

 

 ぶつかり合う炎と吹雪。

 

 だが、結果は予想の通り。あっという間に吹雪を突き破った炎はネリーの体を押し包んだ。

 

 ネリーは目を見開く。

 

 とっさによけようとウィング・ハイロゥを広げるが、既にその時には炎は目の前まで迫っていた。

 

「ああァァァァァァ!?」

 

骨すら焼き尽くさんとする程の熱量を込められた炎である。

 

 ネリーの体など、一瞬で灰になるかと思われた。

 

「フンッ」

 

 吹き上げる炎を見上げ、アンナは鼻を鳴らした。

 

 アークフレアの直撃を受けたのが、アンナの位置からでもはっきり確認できた。しつこい奴だったが、これで終わりだ。唯一助かる可能性があるとすれば、セレスセリスの時みたいに例のエトランジェが防御魔法で援護を行う事だが、あのエトランジェは今、カチュアが抑えているはずだ。

 

 今度こそ終わり。

 

 そう思って踵を返そうとした時だった。

 

 燃え盛る炎の中で、爆発的な力の高まりを感じた。

 

「何だ?」

 

 もう一度、振り返る。

 

 力は加速度的に大きく膨らみ、炎を内側から押し戻していく。

 

 視界の端で、炎が揺らいだように見えた。

 

「何?」

 

 揺らぐ炎の中から、人影が現れる。

 

 体全体に火傷を負っているが、それでもしっかりと2本の足で立ち、ネリーは前に進み出る。

 

 その手にした《静寂》は、異様な程輝き、光の幕を形成する事でネリーの体を包み込んでいる。

 

『神剣の力を一時的に全開まで引き上げ、障壁に回す事で耐え切りやがったか?』

 

 自身の存在を構成する分も含めて、持てるマナの全てを障壁に回せばあるいはアンナの魔法にも耐え得るかもしれない。だが、それは危険な賭けだ。一時的に己の精神を神剣に呑ませる事でようやく可能になる、言わばスピリットにとっての最後の切り札。下手をすれば永久に精神を神剣に飲まれ、ただ戦うだけの人形と化すだろう。

 

 だがネリーは生き残った。そして、まだ正常を保っている証拠に、瞳には眩いばかりの光がある。

 

 アンナは、慎重に《獄吏》を構え直す。

 

 戦いはまだ終わっていない。

 

 しかもどうやら、この土壇場に来て何やら雲行きが怪しくなり始めている事に気づいた。

 

 一方でネリーは、戸惑い気味に自身の永遠神剣を見る。

 

 そこには、普段では考えられないようなマナの輝きに満ちていた。

 

「《静寂》?」

《無事なようですねネリー。良かった。》

 

 優しさに満ち溢れるかのような、やわらかい女性の声が響いてきた。

 

 ネリーはなおも戸惑う。《静寂》の声が、これ程はっきり聞こえたのは初めての事だった。

 

 普段はせいぜい、その意志が伝わってくる程度である。それが今、はっきりと自我を表に出してネリーに語り掛けてきていた。

 

《ごめんなさい。もう少し早く力を貸せていたら、こんな事にはならなかったのだけれど。》

「え?」

 

 《静寂》が力を貸してくれたから、先程の攻撃を防ぎきれたと言う事が、ようやく理解できた。

 

 だが果たしてこれが、第八位の永遠神剣が放てる力だろうか? 今まで感じた事も無いような力に、誰よりもネリー自身が戸惑う。

 

 そんなネリーに《静寂》は優しく告げる。

 

《構えなさい、ネリー。戦いはまだ終わっていません。》

「う、うん。」

 

 《静寂》に促されるまま、ネリーは構える。

 

 不思議と傷の痛みは無く、普通に体を動かす事が出来た。

 

《あなたの心の中にある、一番大切な物を素直な気持ちで望みなさい。それこそが、あなたの力となるでしょう。》

「うん!!」

 

 頭の中に思い浮かべる物は、純粋なる想い。

 

 それは、大好きな少年への愛。

 

 ネリーが愛し、そしてネリーを愛してくれる少年。彼の存在こそが、ネリーの力の源流と言える。

 

 力が満ち溢れる。

 

 かつて無いほど強大で、暖かい力が包み込む。

 

 翼に力が篭る。

 

 そこに輝ける光は常の白ではなく、薄く赤、否、桃色に染まる。

 

 それだけではない。髪も、そして瞳にも薄桃色の輝きが灯る。

 

「な、何だ!?」

 

 その変貌振りに、対峙するアンナの瞳も驚愕に染まる。

 

 ただ容姿が変わっただけでは無い。圧倒的な力の収束。それが今、現実に目の前で起ころうとしている。

 

 次の瞬間だった。

 

 ピンク色の光を纏ったネリーの体は、瞬きする一瞬の内にアンナの眼前に現れる。

 

 手にした《静寂》を振りかぶり、今にも斬り掛からんとしている。

 

「クッ!?」

 

 どうにか後退する事によってかわし切るが、驚愕すべきスピードだ。目で追う事は不可能に近い。

 

だがそれは所詮副次的な要素に過ぎない。結局のところ接近戦で物を言うのは、速さではなく力である。

 

「オラァ!!」

 

 全身の膂力を生かした一撃を、ネリーに叩き込む。

 

 脳天からの唐竹割り。これを振り下ろせば、ネリーの体は真っ二つになるはずだ。

 

 しかし、

 

「なっ!?」

 

 思わず絶句するアンナ。

 

 何と、ネリーはアンナの斬撃を真っ向から受け止めたのだ。

 

 これまで、このような事は無かった。アンナの長い人生でも、自分の斬撃を真っ向から受け止めたものなど、片手の指で足りるほどである。

 

 カチュア、シャーレン、セツナ、あとはせいぜい、かつて手合わせした時ウルカに止められた程度である。

 

 だが今、彼等とは比べ物にならないくらい非力な少女が、アンナの剣を防いでいた。

 

「やァァァァァァ!!」

 

 ネリーはそのまま、アンナの剣を弾いた。

 

「クッ!?」

 

 勢いでよろめくアンナ。そこへネリーは更に斬り込む。

 

「クッ!?」

 

 腹部を浅く斬られ、アンナは呻く。

 

 違う。

 

 明らかに、先程まで対峙していた少女とは違う。

 

 それに、何だあの羽は? 目は? 髪は? なぜ、ブルースピリットであるはずの少女が、ピンク色に染まっているのだ?

 

 意味不明な姿に変貌したネリーを見て、驚愕は止まらない。

 

 ただ姿が変わっただけではない。力も、速さも、先程までと比べて桁が、否、次元が違う。

 

「クソッ!!」

 

 マナを集める。

 

 加速度的に周囲の温度が上昇し、たちどころに炎が舞い上がる。

 

 蹴りを付けるのだ。かき集められるだけのマナを一発の魔法に込める。これで目の前の少女は灰も残らず消滅するはずだ。

 

「炎よ、天高く舞い上がれ。紅蓮となりて全てを薙ぎ払え!!」

 

 炎が渦となって吹き上がる。

 

「アポカリプス!!」

 

 螺旋となった炎は、凶悪な牙を剥き、ネリーへと向かう。

 

 対してネリーは、動かない。

 

 迫る炎に対し、ただスッと、右手を差し伸べる。

 

 次の瞬間、炎は見えない壁にぶつかったかのようにその勢いを止める。

 

 不可視の障壁は、猛り狂う炎の牙を受け止め、小揺るぎすらしない。

 

 セツナの玄武ですら、これ程の力は無いのではと思えるほどの完璧な防御魔法。それをネリーは、ほとんど意識しないで操っている。

 

「馬鹿な!?」

 

 やがて、媒体であるマナを使い切った炎は形を留める事ができずに霧散する。

 

 炎の中から平然と現れたネリーを目にし、今度こそアンナは愕然とする。

 

 自身が全開まで振り絞って放った魔法を、この少女はあっさり受け止めたのだ。

 

 ネリーが《静寂》を構えた。

 

 対抗するようにアンナも《獄吏》を構える。

 

 完全に防がれた以上、最早ネリーに魔法は通用しない。だがアンナにはまだ鍛え上げた肉体が存在する。これがある限り、まだ勝機はある。

 

 スピードを全開にしてネリーが突撃してくる。

 

 対してネリーも、ウィング・ハイロゥを広げて突撃する。

 

 ぶつかり合う剣戟。

 

 だが、これまでのようにアンナがネリーをあしらう、と言う光景は現れない。ほぼ互角の力を持って、ネリーはアンナに対峙していた。

 

「クッ、このっ!!」

 

 少女の有り得ない力に対抗するように、アンナも腕に力を込めて弾く。

 

 だがネリーは、力で互角と悟ると、一旦身を引くようにして相手の剣から逃れ、持ち前のスピードを生かして宙返りを打つと、今度は低空から斬り上げるようにして攻撃してくる。

 

「チッ!?」

 

 そのスピードの前に、アンナは対応できない。

 

気付いた瞬間には肩を切り裂かれていた。

 

 激痛が走り、手にした《獄吏》が地面に突き立つ。

 

「グッ!?」

 

 肩の傷口を押さえて後退するアンナ。

 

 骨まで達した斬撃は、既にアンナから剣を振る力を奪い取っていた。

 

 その視界の先で、薄桃色の翼を広げた少女が、手にした神剣を翳して迫ってくる。

 

「クッ!!」

 

 対してアンナは、最後の反撃に出る。

 

 残された全てのマナを炎に転換、急降下してくるネリーに向けて放つ。

 

 ネリーが一瞬、目を剥く。

 

 そこへ、炎が直撃した。

 

「ッ!?」

 

 眼前の空中で起こる爆発。

 

その炎から顔を背けつつ、戦禍を確認すべく顔を上げる。

 

「やったか!?」

 

 出力は弱いが、先程のように防御する暇は無かったはずだ。

 

 今度こそ、

 

 そう思った瞬間だった。

 

「何ッ!?」

 

 炎を突き破り、ネリーが急降下してくる。

 

 防御は、完全に間に合わない。

 

 ネリーの斬撃は、アンナを真っ向から切り裂いた。

 

「ガッ・・・・・・ハッ・・・・・・」

 

 鮮血が、口から零れる。

 

 傷口は、肩から袈裟懸けに刻まれていた。

 

 疑いようの無い致命傷を刻まれた体から、力が抜けて行くのが判った。

 

 膝が崩れる。

 

 そのまま、前のめり倒れ込んだ。

 

「・・・す・・・済みません・・・・・・御頭・・・・・・あたしは、もう、駄目みたいです・・・・・・・・・・・・」

 

 ゆっくりと消え行く意識の中、アンナが最後に見た物は、薄桃色の翼を持つ蒼き少女の姿だった。

 

 綺麗だな。

 

 自分ではそう呟いたつもりだった。

 

 だが、それが言葉として外界に出る前に、マナの塵となってその身は崩れていった。

 

 

 

 ネリーVSアンナの決着が着く頃、セリアとロレッタの戦いも決着が着こうとしていた。

 

「アンナ・・・・・・」

 

 低く呟く。

 

 彼女の気配が急速に弱まっていくのが、ロレッタにも判った。

 

 スッと槍を構える。

 

 目の前に立つブルースピリットの殺気が膨らむのを感じたからだ。

 

 既に秩序の壁各所で、帝国軍は押され始めている。

 

 大勢は決しつつあった。

 

 帝国は、負ける。

 

 ロレッタの中に残る冷静な部分が、そう告げた。

 

『これまで、ですね。』

 

 事がここまで及んだ以上、この命を永らえらせる事に意味を見出す事は出来なかった。

 

 後はいかに有終の美を飾れるか。それこそが、帝国軍人としての自分の矜持。

 

 セリアが神剣を構える。

 

 同時にロレッタも《退廃》を構えた。

 

 両者は動かない。

 

 どちらも、次の一撃が最後になる事を感じていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 両者無言のまま、睨みあう。

 

 ただ、己が内に眠る力のみを高める。

 

 セリアは右手で《熱病》を構え、剣先がブレないように傷付いた左手で無理やり添えて切っ先を向ける。

 

 技量では敵わない。ならば、全ての力をこの一刀に掛けるのみ。

 

 対してロレッタは中腰に《退廃》を構え、切っ先をやや落としてセリアに向ける。こちらはどのような攻撃にも対応できるような構え方だ。

 

「あなたとも、長いですね。」

 

 不意に、ロレッタが口を開く。

 

 確かに、と思う。

 

 ネリーがアンナと宿敵同士の立場にあったように、自分もまた、ロレッタとのそう言う立場にあるようだ。

 

「そうね。」

 

 ランサ攻防戦、首都防衛線と、何度も煮え湯を飲まされて来た。

 

 ならば自分とロレッタも宿敵と呼んで差し支えないかもしれない。

 

 だが、

 

 両者、期せずして同時に、摺り足で前に出る。

 

 その因果もここで終わり。

 

 次の瞬間、両者は動く。

 

 マナの高まりが最高潮に達し、空間その物が悲鳴を上げる。

 

「ハァァァァァァ!!」

 

 気合と供に、セリアは《熱病》を振り下ろす。

 

 込められたマナにより、その刀身は青く輝く。

 

 対してロレッタはその攻撃を捌き、返しの一撃を放つべく身構える。

 

 相手の力が強ければ強いほど、動きが速ければ速いほどその効果を増すカウンター攻撃。今までロレッタの戦いを支え続けてきた必勝の戦術である。

 

 この場に及んで賭けるべき物は、自身の経験と力。それこそが勝利へと導く鍵となる。

 

 ぶつかり合う《熱病》と《退廃》。

 

 溜め込んだマナが光を発し、両者の視界を射る。

 

「クッ!?」

 

 これまで感じた事も無いようなマナの量に、ロレッタは《退廃》を握る腕が痺れるのを感じる。

 

 だが、懸命に力を入れ、暴風のような力に耐える。

 

 一方でセリアも、ここでロレッタを打ち砕かんと、あらん限りの力を込める。

 

 両者、一歩も引かずに迸る光の中で対峙する。

 

 やがて、セリアの攻撃にも翳りが見え始める。

 

 マナの光が消え始め、抑え込む力も弱まり始めたのだ。

 

『今だ!!』

 

 勝機を感じ取り、刃を返す。

 

 刃の元を持ち、接近戦に対応させる。

 

 これで終わり。

 

 そう思った時だった。

 

「掛かったわね。」

 

 不敵な、セリアの声が響く。

 

 その声が、攻撃に転じようとするロレッタの動きを僅かに止める。

 

 そこで気付いた。

 

 《熱病》を持つセリアの手は右手1本のみ。先程まで添えられていたはずの左手はどこに?

 

 気付いた瞬間、セリアの左手がロレッタの口を掴んだ。

 

「なっ!?」

 

 驚愕に染まるロレッタに対し、セリアの口が釣り上がる。

 

「知ってた? 人の体って、外よりも中の方が脆い物なのよ。」

「ッ!?」

 

 セリアの意図を悟り、とっさに離れようとするロレッタ。

 

 しかしその前に、セリアは己が内に溜め込んだ最後の力を解放する。

 

「アイス・バニッシャー!!」

 

 口中から勢い良く注ぎ込まれる圧倒的な冷気。放れていても相手を氷漬けに出来るほどの冷気を体内に直接注ぎ込まれたのである。堪ったものでは無いだろう。

 

 自身が内側から破壊されていく事が、ロレッタにも判った。

 

 判っていて、どうする事も出来ない。

 

『御・・・・・・かし・・・ら・・・・・・・・・・・・』

 

 僅かに残った意識が、敬愛すべき上官に向けられた瞬間、ロレッタの意識は分厚い氷の下に落ちて行った。

 

「ふう・・・・・・」

 

 徐々に崩れ行くロレッタの体を見据えながら、セリアは溜息を吐く。

 

 技量においては確かに、ロレッタはセリアを上回っていた。だが、最後の戦略の段階で、セリアはロレッタを凌駕したのだ。

 

 ロレッタがセリアの主攻撃だと思っていた《熱病》には、わずかな量のマナしか込められていなかった。セリアは初めから《熱病》を囮にして、魔法で止めを刺すつもりでいたのだ。

 

 しかしまさか、ブルースピリットの自分が、魔法で敵を倒すとは思わなかった。

 

 そのまま最後の力を振り絞って城壁の影まで行くと、その場に背中を預ける。

 

 最早、一滴も力は残っていなかった。

 

 ゆっくりと目を閉じる。

 

 気だるい感覚が押し寄せてくるのを感じた。

 

 寝るわけにはいかない。幾ら優勢とは言え、ここは敵地なのだ。こんな無防備な所を敵に襲われたらひとたまりも無いだろう。

 

 そう考えて、せめて味方が来るまでの間は起きていようと思った。

 

 そんなセリアの耳に、城壁突破を知らせる歓声が聞こえて来た。

 

 

 

 

 

 

 その声は、主戦場から少し離れた場所にいるカチュアの耳にも聞こえて来た。

 

 振り返る視線の先には、ラキオスの旗が翻っていた。

 

 秩序の壁、陥落と言う事実は、否が上でもカチュアに認識された。

 

『そうか、敗れたんだね。アンナ・・・ロレッタ。』

 

 最後まで付き従ってくれた2人の仲間の死を悟り、暫し瞑目する。

 

 やがて、ゆっくりと開く視線の先には、刀を掲げる少年が立つ。

 

「どうした?」

 

 何事も無いかのように、セツナは尋ねてくる。

 

 その問いに含まれる疑問文は、「何を呆けている?」であると感じた。

 

 まるで自軍の勝利よりも、カチュアとの勝負の方が大事であるかのような口調に、カチュアは口元を緩める。

 

『嬉しいじゃないか。』

 

 自分が愛した男が今、何よりも自分を優先してくれている。例えそれが、戦いと言う凄惨な行為を交えてであったとしても、否、戦いと言う最も魂を交わらせる事のできる行為を介しているからこそ、カチュアと言う女はより一層、その身を歓喜に震わせる。

 

「・・・いや、何でもないよ。」

 

 口元に笑みを浮かべたまま、カチュアは《絶望》を構える。

 

 これが良い。やはり、これが最も自分らしさを表せる行為だと思った。

 

「さて、始めようか。」

 

 静かに、戦いの鐘が鳴る。

 

 死神の如き男と、絶望の名を持つ女。

 

 似ていないようでいて、芯の部分では酷似する2人は今、互いに決着を着けるべくぶつかり合った。

 

 

 

第27話「死に行く者へ」     おわり