夢を見ていた。
まだ、小さい頃の夢。
「ねーさま!!」
無邪気に追いかける先に立つのは、憧れの人。
「ねーさま!!」
もう一度呼びかけると、振り返ってくれた。
銀色の髪が、風を受けて靡く。
その光景が、とても格好良かった。
だからこそ、憧れた。
どこまでも厳しく、でも、自分にはとても優しい女性。
全力で、飛びつく。
撫でてくれる頭が、とてもくすぐったかった。
嬉しかった。
誰よりも、この人を近くに感じる事が出来た。
喧騒に引き戻されるように、夢から覚める。
開いた瞳に映る物は、硝煙と爆炎。
虚ろな瞳は、まだ幻想を彷徨う。
「・・・・・・ねーさま。」
呟きは、誰にも聞き取られる事無く、戦場の響きに掻き消された。
大地が謳う詩
第25話「夜の舞踏」
1
城壁の向こうから、炎の礫が嵐のように降り注ぐ。
複数のレッドスピリットが同時に放つフレイムシャワーが、居並ぶラキオス軍の頭上から襲い掛かった。
「固まれ!!」
前線で剣を振るうセツナが、鋭く指示を飛ばす。
広域制圧用の魔法であるフレイムシャワー相手では、何処に逃げようと大差は無い。それよりもできるだけ陣を狭め、集中的に防御したほうが回避しやすいだろう。
起動した玄武に呼応して展開される障壁。
降り注ぐ炎の雨は、貫く事も叶わず消滅していく。
「行くぞ!!」
攻撃が止んだのを見計らい、突撃命令を下した。
セリアを先頭に、ブルースピリット、ブラックスピリット達がウィング・ハイロゥを広げて突撃して行く。
セツナも白虎を起動すると、一気に地を蹴って疾走、城壁の前まで来ると跳躍によって飛び越える。
その時、
「オラ!!」
横薙ぎに振るわれる、ダブルセイバーの刃。
とっさに後ずさる事で回避するセツナ。
その視界の中に、妙に筋骨隆々なレッドスピリットが立ちはだかる。
「お前は・・・」
《獄吏》のアンナが、ニヤッと笑ってセツナを見る。
「テメェには何度も煮え湯飲まされてるからな。ここで死んでもらうぜ!!」
「舐めるな、貴様如きに。」
互いに挑発的な言葉を投げ、同時に斬り掛かった。
マナを刀身に込め、斬撃と同時に解き放つ。
「雷竜閃!!」
「オォォォォォォ!!」
対してアンナは、己の膂力のみで向かって行く。
ぶつかり合う剣戟。
飛び散るマナ。
アンナは、ニヤッと笑う。その体は、小揺るぎすらしていない。
セツナは軽く眉を顰めた。
エトランジェであるコウインですら吹き飛ばした雷竜閃を、アンナは正面から受け止めたのだ。
「おっらァァァァァァ!!」
全身をバネのようにしならせ、セツナの体を押し返す。
細身のセツナの体は、軽々と弾かれる。
それを見計らい、アンナは数発の火球をセツナに向けて放つ。
対してセツナは、後退しながら《麒麟》を振るい、火球を弾き飛ばす。
だが、場所が悪い。後退した関係上、セツナの体は城壁の端に追い詰められている。
そこへ連続で迫るアンナの火球。
どうやら小技を連発して、セツナの足を止める事が目的のようだ。
そこへ、アンナの背後に控えたレッドスピリット2名が集めたマナを炎に変えて解き放つ。
「チッ!?」
玄武を起動する時間も、蒼竜閃を使う暇も無い。
セツナはとっさに城壁の下に身を躍らせる。
間一髪のところで、炎が頭上を掠めて行った。
膝を撓めて着地するセツナ。
対して、アンナは追撃しない。
セツナは軽く舌打ちした。
ゼィギオスを臨んで既に4日目。総攻撃も3度目になる。
だが帝国軍は、城壁の内側に篭り、打って出ようとはしない。徹底的に守りを固め、ラキオス軍の進行を阻んでいる。
このゼィギオスは、帝都をグルリと囲む秩序の壁を臨む場所に位置し、壁にマナを供給している重要拠点でもある。帝国軍としても精鋭部隊を配置して、頑強にラキオス軍を喰いとめていた。
「セツナ様。」
別働隊を指揮していたヒミカが駆け寄り、膝を突いた。
「搦め手からの攻撃も失敗に終わりました。人的損害は軽微ですが、これ以上の攻撃は不可能と思われます。」
「・・・・・・そうか。」
第3次ゼィギオス攻撃作戦も、どうやら失敗に終わったらしい。
既に味方にも負傷者が出始めている。ヒミカの言う通り、これ以上の戦闘は悪戯に損害を増すばかりになるだろう。
セツナは《麒麟》を鞘に収めて踵を返した。
「全軍一時撤退!! 陣まで戻って体勢を立て直す!!」
苦渋の決断だった。
2
トーン・シレタの森。
サーギオス中原に広がる大森林地帯。
ここに、ラキオス王国ゼィギオス方面攻略軍の本陣があった。
その周囲は、喧騒としていた。
食事の準備をする者。神剣の手入れをする者。傷の手当をする者。また、それを治療する者達が、それぞれ動き回っている。
その陣内で、セツナを中心とした主要メンバーが、今後の方針に付いて頭を悩ませていた。
「とにかく、」
セツナは静かに切り出す。
一見冷静を装っているようにも見えるが、その内心では焦りを伴った衝動が吹き荒れていた。
正直、ここまでの苦戦を強いられるとは、セツナも予想していなかったのだ。
「総攻撃の失敗もこれで3度目。次で決めないと、皆の疲労も限界に近いだろう。」
議長役として、皆に意見を求める。
居並ぶのは、セリア、キョウコ、ウルカ、ヒミカの4名。
しかし、誰もが難しい顔をしたまま、黙り込んでいる。
既に3度の戦いで策は出尽くしていた。
一度目は全軍での総攻撃。レッドスピリットの火力支援の下、抜刀隊が切り込んだが、失敗。
二度目はブルー、ブラック両スピリットが後方から撹乱、その隙に本隊が突入を図るも、またも失敗。
そして三度目、別働隊を編成して同時攻撃を仕掛けたが、やはり失敗。
「ね、セツナ。」
何かを思いついたように、キョウコが身を乗り出す。
「前に壁を斬った時に使ったアレ、もう一回やってみない?」
アレ、と言うのは法皇の壁を破壊した時に使った鳴竜閃だろう。あの時セツナは、通常の鳴竜閃にマナの刃を上乗せし、巨大な質量を作り出して長大な壁を一刀両断にした。
しかし、
「却下だ。」
何の躊躇も無く、セツナは言い捨てた。
「何でよ?」
「あの時とは、条件が違う。」
「条件って?」
頬を膨らませるキョウコに変わって、セリアが尋ねた。彼女もキョウコに言われた時、それが最適だと思ったのだ。
「あの時、法皇の壁にはカチュアが居なかった。現状、あの女を抑えられるのは俺だけだが、アレをやって消耗しきった所にあいつに襲われれば、俺でも勝てないだろう。更に言えば、あの勘の鋭い女の事だ、俺が鳴竜閃の準備を始めればその気配を察知して先制攻撃を掛けてくるぐらいはやるだろう。そうなると、俺はチャージで動けないから無防備で奴と対峙する事になる。」
以上の二点から、セツナはキョウコの意見を却下した。
もっとも、セツナ自身使えるのだったら初めから使っていたのだが。
「こう言うのは、いかがでしょうか?」
ウルカが、控えめに発言した。
「何だ、言ってみろ。」
今はセツナとしても、藁をも縋りたい心境だった。殊にウルカは元帝国軍人。何かしら、有益な情報をもたらしてくれるかもしれないと言う期待があった。
「帝国はここ数年、慢性的な水不足に悩まされております。それを解消する為に、近年、近くの川から水を引く、大規模な水路工事を行いました。当然、ゼィギオスにもそれはあるはずです。そこを伝って行けば街の中心部にまで辿り付けるはずです。」
「・・・・・・・・・・・・」
セツナは、ウルカが言った策に付いて頭の中で検証を始める。
この作戦を実行するとなると、小数精鋭のコマンド部隊を編成する事になる。その少数のメンバーで、敵のど真ん中に侵入するわけだから、当然その危険性はこれまでの比ではない。加えて、敵がそれを見越して待ち構えている可能性も否定できない。そうなると、コマンド部隊の全滅もあり得る。
しかし、これまで力攻めを行っても敵の防衛網を破る事は出来なかった。正攻法で駄目となると、奇策に頼らざるを得ないのではないだろうかとも思う。
セツナはしばし黙考してから、目を開いた。
「よし、それで行こう。」
スッと立ち上がる。
「潜入部隊は少数精鋭で行く。万が一、敵に察知された場合にも備えて、指揮は俺が直接執る。ウルカ、お前も案内役として付いてきてくれ。」
「ハッ。」
青い月の光に、神剣を翳す。
反射した光が、刃に反射して視覚を埋める。
うっとりするような青が、室内に満ちた。
「・・・・・・・・・・・・」
無言のまま翳す刃に見入る。
思考の中に浮かぶのは、かつての幻影。
「シャーレン。」
突如、背後から声を掛けられ、思考を中断した。
「お頭。」
振り返った先に居たのは、カチュアだった。
対するカチュアの声は、面白い物を見つけたように弾んでいる。
「何だか、心ここにあらずって感じだったね。」
「・・・・・・・・・・・・」
事実なので、黙るしかない。
そんなシャーレンの脇に立ちながら、カチュアは言う。
「彼女の事、考えていたのかい?」
「・・・・・・はい。」
短く頷く。
カチュアは、空に浮かぶ月に目を向ける。
釣られて、シャーレンも見上げる。
「何でこう、物事うまく行かないのかね、お互い。」
「そうですね。」
3
「ここか。」
アーチ状の入り口を前に、セツナは言った。
足元を流れる水は、アーチの中へと吸い込まれていく。
背後に立つウルカは頷いた。
「はい。ここが入り口となっております。流れに沿っていけば、町の中心部に行き付くはずです。」
「なるほど。」
セツナは頷く。
その背後には、ウルカの他に影が2つ。
ネリーとシアーだ。
セツナ、ウルカ、ネリー、シアー。この4人が、セツナの選んだ精鋭メンバーだった。
万が一の事を考えると、機動力に優れる面子を連れてきた方が撤退時に有利と考えての人選だった。セリアを除外したのは、セツナが不在となると、本隊を指揮する人間が居なくなるからである。
作戦は至ってシンプル。
街の中に潜入後、持参したエーテル結晶爆弾で帝国軍司令部を爆破。それを合図に郊外で待機しているラキオス軍本隊が総攻撃を敢行。内部に居るセツナ達と合流して、内と外から敵を食い破るのだ。
「それじゃあ、張り切って行ってみよー!!」
「おー」
「うるさい。」
気合も露に、ガッツポーズを上げるネリーとそれに続くシアーの頭を、セツナは軽く叩く。
「痛ッ、痛いな、もう・・・」
恨みがましくセツナを見上げてくるネリー。
「潜入任務だと言う事を少しは自覚しろ。敵に見付かったらどうするつもりだ?」
「あう、ごめん。」
叩かれた頭を抑えて頬を膨らますネリー。
その様子に、ウルカは笑みを浮かべる。
今やセツナとネリーの間柄は、ラキオス軍では公認となっている。それだけにウルカとしても、見ていて微笑ましい物があった。
幸いな事にセツナはその笑顔に気付いていない。
「さあ行くぞ、時間が無い。ウルカ、先導頼む。」
「承知。」
ウルカは頷くと、先頭に立って歩き出す。その後を、セツナ、ネリー、シアーの順で続いく。
地下水道は、意外に入り組み、迷宮の様相を呈していた。
先頭を進むウルカが居なければ確実に迷って、2度と出て来れなくなったのでは無いだろうかという恐怖感が脳裏を過ぎる。
そのウルカにしたところで、ここに入るのは初めての事だろう。道順の知識などあろうはずも無く、恐らく勘と方向感覚のみを頼りに進んでいるのだろう。
セツナは歩きながら、頭の中で時間を計算する。
恐らく今頃、セリアに指揮された本隊が森林地帯に展開し、出戦準備を進めているはずだ。ただ、今回は帝国軍に気付かれるわけには行かないので、篝火も最小限に押さえ、慎重に行動しているはずだ。そう考えれば、準備が整うまでには暫く掛かるだろう。
今の所、順調と言えた。
その時だった。
「ワブッ!?」
突然珍妙な声が響き、それと同時に派手な水音が背後から鳴り響く。
「ネリー!!」
シアーの声が響く。それと同時に見やった水面を、青い物体が流れていくのが見えた。
どうやら、ネリーが足を滑らせたらしい。
そのネリーを助けようと、手を伸ばすシアー。しかし、速い水の流れにシアーの短い腕が敵う筈も無く、
「わっ!?」
そのまま同様の水飛沫を上げて流されていく。
「クッ!!」
舌打ちしつつ自身も水の飛び込もうとするセツナ。
しかし、それよりも早くウルカが動いた。
「セツナ殿、ここは手前が。」
そう言うとウィング・ハイロゥを広げ、流れに従って2人を追う。
セツナも溜息をしつつ、その後を追いかけた。
暫くすると、ネリーとシアーを小脇に抱えたウルカが戻ってきた。
「ふい〜、助かったー」
「た〜」
「・・・・・・・・・・・・」
ホッと溜息を吐く2人。
そんな2人にセツナは無言のまま近付き、容赦なくゲンコツを落とした。
「「痛ッ!?」」
叩かれた頭を押さえ、涙目になる。
「充分注意しろと言っただろ。何をやってるんだ、お前達は。」
「「ごめんなさ〜い。」」
2人揃ってシュンッとなる。
その時だった。
「セツナ殿。」
ウルカの鋭い声が狭い水道にこだまする。
「どうした?」
「シッ」
人差し指を唇に当て、沈黙を促す。
聞き耳を立てる4人の鼓膜に、何やら上の方から人が歩き回る足音や、話し声のようなものが聞こえて来る。
どうやら、町の上に出たようだ。
「急ぐぞ。」
セツナの言葉に頷くと、4人は歩く足を早めた。
4
橋の下から、セツナはゆっくりと顔を出した。
周囲の気配を促す。
どうやら表通りから外れているらしいその場所は、うまい具合に周囲に見張りのスピリットもいない。
下から続く3人に頷きかけると、素早く橋の上に上がる。
続いてウルカも上がり、周囲への警戒態勢に入る。
セツナは上がってくるネリーとシアーに手を貸しつつ、もう一度作戦を洗いなおす。
既に何度かの市街戦で、敵司令部の位置は掴んでいる。後はそこへ行き、エーテル結晶爆弾を仕掛けて吹き飛ばすだけだ。
「ウルカ、ここはどの辺だ?」
まずは現在位置を把握しなければならない。
「は、恐らく町の中心部からやや東側に来た辺りかと。」
敵の司令部は街の中心近くだ。
「よし、行くぞ。」
頷きあうと、セツナ達は足音を殺して歩き出した。
帝国軍司令部の周囲には十重二十重の警戒ラインが敷かれ、数名のスピリットが神剣を手に、常に監視の任に就いている。
無数の篝火が焚かれ、不審者の接近を頑なに拒んでいる。
「フン・・・・・・」
その様子を見て、しかしセツナは慌てない。
この程度の事は当初から予想済みだ。今更驚くには値しない。これあるを見越し、準備を万端だった。
「やるぞ。」
無言のまま、頷く3人。
それぞれ荷物の中から、紅い結晶を取り出す。
ネリーとシアーが水に落ちた時、導線を濡らしていなかったか心配したが、どうやら無事だったようだ。
セツナは導線に指を掛け、それを引き抜く。3人もそれに倣う。そして、一気に投擲する。
数人のスピリットがそれに気付き、振り仰ぐ。
次の瞬間、媒体のエーテル結晶は空中で炸裂。炎が帝国軍司令部を一気に吹き飛ばす。
その音は、ゼィギオス全体に轟いた。
「何ッ!?」
城壁の上で見張りを行っていたカチュアは、その轟音に思わず振り返る。
次いで襲い掛かってきた街全体を揺るがす程の振動に、思わずよろける。
「ッ!?」
周囲のスピリット達が軒並み倒れる中、辛うじてカチュアはバランスを保ち、転倒を免れる。
その視界の先には、炎に包まれるゼィギオスの街がある。
そこは間違い無く、司令部のある場所だった。
「奇襲!?」
まさか、と思う。この厳戒態勢の中、ラキオス軍がどうやって奇襲を掛けて来たのか。
舌打ちすると同時にウィング・ハイロゥを広げる。
あの炎の様子からして、司令部は間違いなく壊滅状態。仮に壊滅を免れていたとしても、事態の収拾の為に大混乱になっているであろう事は疑い無い。
とにかく一刻も早く取って返して、指揮権の建て直しを図らねば。
そう考えた時だった。
「カチュア様!!」
斥候に出ていた味方スピリットの1人が、傍らに立つ。
「トーン・シレタに展開したラキオス軍が、進行を始めました!!」
「ッ!?」
してやられた。内部に奇襲を掛け、司令部を壊滅させると同時に、本隊が総攻撃を敢行。セオリー通りの連携攻撃だ。
ゼィギオスは陥ちる。
一瞬、そう思う。
しかし、それを簡単に許すわけには行かない。
「全軍、迎撃準備!!」
今だに事態を飲み込めていない味方を叱咤する。
司令部が壊滅した以上、組織的抵抗は不可能。後出来る事と言えば、味方の損害を減らし、可能な限り迅速に撤収する事だ。
ゼィギオス陥落。
その事実は、単に地方都市の喪失に留まらない。
ゼィギオスは、帝都サーギオスの北の守りであると同時に、秩序の壁にマナを供給するシステムの一部でもある。
つまりこれで、帝都の北は丸裸に等しい状態になるのだ。
「してやられたよ、セツナ。」
またしても自分を出し抜いたエトランジェに、溜息にも似た言葉を投げる。
その耳に、進撃を開始したラキオス軍の足音が聞こえてきた。
白虎を起動したセツナを補足するのは、並みのスピリットでは不可能に近い。
通常の10倍のスピードで地を駆け、気付いた時には既に間合いの中。
近くした瞬間には既に首が胴から離れている場合が多い。
よしんば第一撃を防ぎ得たとしても、続いて繰り出される連続攻撃を防ぐ事は事実上不可能である。
司令部を爆破され、狼狽するスピリット達を迅速に斬り捨てて行くセツナ。
砲弾のように撃ち放たれる炎を、巧みにかわしながら距離を詰め、すれ違う瞬間に一閃、レッドスピリット2名を斬り捨てる。
背後からの気配に振り返る。
そこには、ブラックスピリット1体が、魔法の詠唱に入っていた。
次の瞬間、空間に黒い針が現出する。
アイアン・メイデン。こちらの攻撃力を削ぐ気でいるようだ。
「ハッ!!」
降り注ぐ黒い針をかわして跳躍、腰からナイフを抜き放って投げる。
ナイフは風を切って飛翔し、ブラックスピリットの肩を貫く。
肩に走る激痛に、思わず動きを止めるブラックスピリット。
その間にセツナは一気に距離をつめ、胴薙ぎに斬り捨てた。
ネリーとシアーは互いに連携し、倍以上の敵と対峙している。長く続いた戦乱で培った技術が、1対多の戦闘方法を2人の体に教え込んだようだ。
ネリーが敵の攻撃を防ぐと同時に、素早く相手の後ろに回りこんだシアーが一撃の下に仕留める。
2人は同時にウィング・ハイロゥを広げると、低空で交差するように飛行する。
その行動に幻惑された敵スピリットは一瞬、己の目標を見失った。そこを左右から同時に攻撃。斬り捨てた。
息の合った連携攻撃だった。
一方でウルカは、と視線を巡らした時、
「あれは・・・」
視界の中に、見覚えのある人物が飛び込んできた。
ウルカと同じブラックスピリット。
長い黒髪が、炎に煽られ舞い踊る。
「シャーレン殿。」
ウルカはその名を、呟く。
「あなたでしたか、ウルカ様。」
どこか、乾いた口調でシャーレンは言う。その声音はどこか達観し、ただ無心にこの状況を受け入れている感がある。
ゆっくりと伸ばされる手は、腰の《新月》を掴む。
対してウルカは納刀したまま、無行の位。なお逡巡があるのか、その瞳は静かに閉じられている。
「抜いてください。もはや我等の進むべき道にあるのは、刃で出来た修羅の道。避けて通れるものではございません。」
「左様でしたな。」
答えるウルカ。しかし、なおもその手は動かない。
シャーレンは前傾姿勢となり、居合いの構えを取る。その放つ殺気は、今にもウルカを包もうと触手を伸ばす。
その時だった。
「シャーレン!!」
仲間の危機を察知し、アンナが駆けてくる。
その瞬間、炎が吹き上げる熱気を断ち割り、シャーレンが動く。
放たれる高速の抜刀術。
しかしその一瞬前にウルカは《冥加》を鞘走らせ、シャーレンの斬撃を相殺する。
その間にセツナは身を翻すと、駆け寄ろうとするアンナの前に立つ。
「どけよテメェ!!」
繰り出される斬撃を、《麒麟》を翳して受け止める。
「邪魔はさせん。」
腕に力を込めて、押し返す。
その力の前に、アンナの巨体は数歩後ずさる。
「うおっ!?」
明らかに自分よりも小柄な男に体を弾かれ、アンナは軽く驚いた表情を浮かべる。
だがすぐに《獄吏》を構え直す。
あの2人の邪魔はさせない。今セツナが考えている事はまさにそれだった。
ウルカとシャーレン。2人の間には何か、他人の立ち入る事の出来ない深い絆がある。それを感じ取ったセツナは、最終的な結果がどうなるにしろ、この一騎打ちに介入しない事を決めた。そしてそれは、他人にも言える事。
「白虎、起動!!」
10倍に流れる時間の中、セツナはアンナとの距離を一気に詰める。
自分の役目はただ1つ。この炎に彩られた舞台を守り切る事だった。
その間にウルカとシャーレンは、徐々に攻撃速度を吊り上げて行く。
「ハッ!!」
「フッ!!」
炎に反射され、2本の刃が煌く。
接触と同時に弾けるマナ。
衝撃を利用して、距離を置く2人。
刀を鞘に納め、ウィング・ハイロゥを広げる。
一瞬早く疾走するシャーレン。
出遅れたウルカは、しかし慌てない。
掌にマナを集中させると、一気に解放する。
「アイアン・メイデン!!」
空中に現出する無数の黒い針。
一斉に標的を定め、シャーレンに向かって降り注ぐ。
しかし、
「ハッ!!」
シャーレンは巧みに身をくねらせ、アイアン・メイデンを回避して行く。
「愚かな!!」
嘲笑が口を突いて出る。
「同じ手が2度も通じると御思いか!?」
全ての針をかわしきり、体勢を戻そうとするシャーレン。
しかし、それよりも一瞬早くウルカが間合いを詰める。
「居合いの太刀!!」
放たれる必殺の居合い。
「クッ!?」
体勢を立て直したばかりのシャーレンは、すぐには動けない。
その一撃がシャーレンの頬を掠めた。
「ッ!?」
攻撃失敗を悟り、ウルカは距離を取る。
後の先。ウルカはあえてシャーレンに先手を取らせ、自身はその進路上に罠を仕掛けて相手の動きを限定した上で必殺の攻撃を繰り出したのだ。
「小賢しい真似を・・・」
頬の血を指で払いながら、シャーレンはウルカを睨む。
一方でウルカは《冥加》に手を掛けつつ、ただ静かにシャーレンを見据えている。
シャーレンも《新月》に手を掛けて、ゆっくりとマナを刀身に注ぎ込む。
今度は、ウルカの方から先に動いた。ウィング・ハイロゥを使い一気に距離を詰める。
「月輪の太刀!!」
スピードがそのまま威力に変換され、シャーレンに襲い掛かる。
対してシャーレンも、相殺するように剣を繰り出す。
「雲散霧消の太刀!!」
刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす。
ぶつかり合う瞳と瞳。殺気が迸り、互いに相手を刺し貫く。
「ハッ!!」
ウルカは腕力を持って、シャーレンの体を押し戻す。
体が後方に流れるシャーレン。
その隙にマナを掌に集め、炸裂させる。
「ダーク・インパクト!!」
広がる闇が、シャーレンに向かって掴みかかる。
「クッ!!」
舌打ちすると同時にシャーレンはウィング・ハイロゥを羽ばたかせて魔法の効果半径から逃れる。
それに対しウルカもウィング・ハイロゥを広げ、上空に向かって追撃する。
迎え撃つシャーレン。
互いの刃が炎に照らされて煌いた。
炎が眼前から迫る。
周囲の炎と同化したそれは、一個の怪物と化してセツナに襲い来る。
対してセツナは無心のまま、手にした《麒麟》を振り抜く。
「蒼竜閃!!」
今にもセツナを飲み込まんと牙を剥いていた炎は、神速の刃によって両断され、形を保てずに霧散する。
その機を逃さずにセツナは動く。
一気に間合いを詰めると、アンナの懐に飛び込んで斬り込む。
「チィ!?」
対するアンナも《獄吏》を旋回させるようにして、セツナに向けて斬りかかる。
速さで攻めるセツナと、力で対抗するアンナ。
じりじりと、セツナの体は押し戻される。
『おいおい・・・』
セツナは内心で呆れる。
力が強い事は先刻承知していたが、ここまでとは。これでは早晩押し潰されかねない。
「・・・・・・・・・・・・」
セツナは無言のまま、タイミングを計る。
力負けしていると言うことは、決して不利な要素ではない。相手がこちらよりも強いなら、自分は別の選択肢を選べば良いのだ。
セツナはスッと腕から力を抜くと同時に、体を横滑りさせる。
そこへ、一気に押し潰そうとアンナが迫る。
しかしセツナは、向かってくるアンナの足に自分の足首を絡めると、そのまま蹴り上げる。
「おわっ!?」
バランスを崩され、そのまま前のめりに倒れるアンナ。
そこへ、背中から串刺しにせんと、セツナの刃が迫る。
「クッ!?」
とっさに、地面を転がってその刃から逃れるアンナ。
セツナはそれを追撃しない。
今、アンナと雌雄を決する必要性を、セツナは感じてはいない。ようは、ウルカとシャーレンの決着が着くまで時間を稼げば良いのだ。
しかしその態度は、アンナには自分に対する侮辱と映った。
絶対的強者。高みから見下ろす者の余裕。
それは、アンナの矜持を激しく傷付けた。
「こっの野郎!!」
憎悪と供に《獄吏》を振り上げた。
高度が高まるにつれて、地上の熱気が遠のく。
かわって、身を切るような豪風が戦場上空を支配する。
その風を切りながら、2つの影は交錯する。
「ハッ!!」
放たれる斬撃。
ウルカは上昇を掛けて回避すると同時に、自身もウィング・ハイロゥを羽ばたかせて攻撃態勢に入る。
「雲散霧消の太刀!!」
繰り出される刃を、シャーレンは《新月》で受け流す。
だが、そこでウルカは止まらない。畳み掛けるように斬撃を繰り出し、シャーレンに対し反撃の隙を与えない。
かつてセツナと戦った折、ウルカは居合いの弱点である間合いを突かれた事がある。
その時の戦訓を生かしたのが、この連続攻撃だった。居合いに拘らず、手数を増やす事で相手に対抗する。一撃必殺の威力こそ無いが、部類のスピードを誇るウルカならでは戦法と言えた。
「クッ!!」
耐えかねたように後退するシャーレン。
それを追撃するウルカ。
スピードに乗せて繰り出される《冥加》の刃。その剣光は、確実にシャーレンの胴を狙う。
『取った!!』
ウルカが確信した瞬間だった。
突如、シャーレンの体が視界から消え去る。
「ッ!?」
一瞬の事でシャーレンの姿を見失うウルカ。
次の瞬間、その背中に衝撃が訪れた。
ウルカの斬撃を見極め、高速で背後に回りこんだシャーレンが、その背中を蹴りつけたのだ。
そのまま錐揉みするように落下していくウルカ。
だが、落下の直前にバランスを取り戻し、辛うじて水平飛行に戻る。
「クッ!!」
体勢を立て直したウルカは、一気に自身の速度を上げる。
下から突き上げるように飛翔するウルカ。その速度は音速の壁を破り、炎を吹き散らし、家屋を破壊する。
対してシャーレンは、上から急降下を掛ける。
「ハァァァァァァ!!」
「オォォォォォォ!!」
全力でぶつかる両者。
速度は同じ、技量も互角。ただ、違うのは互いの位置関係。
下から来るウルカに対し、上から覆いかぶさるシャーレン。
自由落下を味方に付ける事の出来るシャーレンの方が、どうしても有利になる。
「クッ!?」
再び空中でバランスを崩し、墜落するウルカ。
それをシャーレンは、更に追撃する。
墜落直前、どうにか上昇気流を捉えて墜落を免れるウルカ。しかし、その前にシャーレンは《新月》の切っ先を下にしてウルカに迫った。
「しまった!?」
一瞬の油断を突かれるウルカ。
とっさに《冥加》を構えるが、遅い。
腹部に、熱い衝撃が走った。
「グッ!?」
そのままの勢いで、シャーレンは地面に向けて突撃する。このままウルカを地面に叩き付けるつもりのようだ。
「ハァァァァァァ!!」
落着と供に、盛大に煙が立ち上る。
その落着地点に立つのは、闇の名を持つ永遠神剣の主。
「・・・・・・勝ちました。」
シャーレンは、静かに呟く。
その背後には、倒れ伏すウルカの姿。墜ちた漆黒の翼を見やり、シャーレンは息を吐く。
きわどい戦いではあった。
だがこれで、自分はこの人を越える事が出来た。
「・・・・・・さよなら。」
最後にもう一度一瞥し、背を向ける。
その時だった。
「さよなら・・・か。」
聞き慣れた声に、足を止める。
その背後で、ゆっくりとその身を起こす、この世界で最も夜に祝福されし少女。
腹の傷は貫通して背中まで達している。だが、まだ戦えないほどではない。
《冥加》を杖代わりにして、ようやく立ち上がる。
「教えたはず。敵の生死を確認するまで気を抜くなと。」
「まだ、やる気ですか。」
ゆっくりと振り返るシャーレン。
「愚問。」
短く答え、ウルカは《冥加》を鞘に収め、構える。
対してシャーレンも、《新月》を構える。
2人の少女の周りで、黒きマナが旋風のように吹き荒れ、戦いの息吹に喝采を上げる。
アンナの攻撃を弾きながら、セツナはその様子を見守る。
間違い無く、これが最後の攻撃だ。この一撃で勝負は決まる。
次の瞬間機先を制するようにシャーレンが動く。
ウィング・ハイロゥを広げ、限界までスピードを上げ、ウルカへと襲い掛かる。
かつてシャーレンは語った。
戦いに必要な物は、磨き上げた技と他者を凌駕するスピード、そして必殺の気合だと。
この一撃は、まさにその全てを体現した最高の一撃と言ってよかった。
対してウルカは、動かない。
その腹からはなおも鮮血が流れ、金色の塵となって消えていく。
『貰った。』
勝利を確信するシャーレン。
ウルカの手元にあるマナは微々たる物だと言う事は分かっている。それを攻撃に回しても防御に回しても、シャーレンの攻撃を防ぐ事は叶わないだろう。
今度こそ終わり。
そう思った瞬間だった。
突如、
周囲のマナがざわめく。
急速に、
足りない物を補うかのように、一点を目指して流れ込む。
「なっ!?」
思わず目を見張る。
その流れ行く先にある、ウルカ。
ウルカはただ静かに、マナの祝福を受け入れる。
急速に、ウルカの元へ集うマナ。まるで彼女こそが自分達を統べる者であると分かっているかのように。
「クッ!!」
その常軌を逸した集束の速度に、思わず気圧されるシャーレン。
次の瞬間、ウルカは動く。
全ての力を解放し、駆ける。
「奥義・・・」
とっさに防御しようとするシャーレン。しかし、遅い。既にウルカの手元にはシャーレンのそれを上回る量のマナが集まっている。
必殺の意を込めて放たれる居合いは、夜の闇を切り裂き大気を震わせる。
「星火燎原の太刀!!」
周囲で燃え盛る炎が、煽りを受けて吹き飛ぶ。
解放されたマナが、無形の刃となって迸る。
来ると分かっていても、防ぐ事ができない。
シャーレンの視界を、光が射た。
掌の中でクルリと回し、《冥加》を鞘に収める。
勝負はあった。
それを示すように、ウルカの背後でシャーレンが地に倒れ伏す。
ハッと振り返り、駆け寄る。
「シャーレン殿!!」
抱き起こす。
既にシャーレンの体は崩壊を始め、体の端からマナの塵となって消えていく。
その手が、ゆっくりとウルカへ差し出される。
その手を握り返すウルカ。
「・・・・・・ねーさま。」
シャーレンの口から紡がれる響きは、かつての呼び方になっていた。
あの頃、
まだシャーレンが幼く、ウルカも訓練中だった頃、
シャーレンにとってウルカは、姉であり、目標であり、そして母であり、世界その物であった。
誰よりも親しく、誰よりも傍に感じていた。
「シャーレン・・・・・・」
ウルカも、かつての呼び方に戻る。
シャーレンは、ニッコリと微笑む。
「うれしい・・・ねーさまが、またわたしを抱いてくれている。」
誰よりも好きだった姉。
だからこそ、許せなかった。裏切った事が。
帝国を裏切った事が、ではない。
シャーレンは「自分を裏切った」ウルカが許せなかった。
だからこそ、シャーレンは自分の手でウルカを討とうとした。
「ねーさま・・・・・・」
シャーレンの瞳に、批難の色が浮かぶ。
「どうして・・・どうして裏切ったのですか?」
「それは・・・・・・」
ウルカが回答するよりも早く、シャーレンは先の言葉を続ける。
「どうして、わたしも連れて行ってくれなかったのですか?」
実際、帝国を離反する時そんな暇が無かったのは分かっている。
だがあの時、ランサで再会した時にウルカが一言「来い」と言ってくれれば、シャーレンは迷い無く着いて行っていたかも知れない。
「ねーさまは、意地悪です。いっつも、わたしを置き去りにして、先にどんどん進んで行ってしまわれる。」
拗ねた様に唇を尖らせる。
その口調は幼い頃を思い返させ、思わず口元が綻びそうになる。
だが、現実は容赦なく襲い来る。
急速に崩壊していくシャーレンの体。
それを現世に留め置こうとするかのように、ウルカはシャーレンの体をきつく抱きしめる。
「済まぬ、とは言わぬ。だが、あるいはこうなる事が、手前達の運命であったのかもしれぬ。」
「・・・うん、そうだよね。」
体の半分以上が消えたにも関わらず、シャーレンは微笑をやめない。
「でも、うれしい・・・・・・」
体は既に崩壊し、首だけになる。
「こうして・・・最後に・・・・・・ねーさま・・・が・・・・・・・・・・・・」
やがてそれさえもマナの塵に飲まれ、消えていく。
後には、抱かかえた状態のまま硬直するウルカの姿があるのみ。
空になった手を、ギュッと握り締めるウルカ。
覚悟はしていたはずだ。あの、ランサでの激突の時から。
「シャーレン・・・・・・」
自分を姉と呼んで慕ってくれた少女。
彼女は、もう居ない。
自分が、殺した。
「シャー・・・レン・・・・・・」
真紅の瞳より、雫が零れる。
「ウルカ・・・・・・」
その背後に、セツナが立つ。
既にアンナを含めて帝国軍は撤退。混乱を避ける為にラキオス軍は追撃を控えていた。
涙を拭う。
これ以上泣くまい。少なくとも彼女は、後悔はしていなかったはずだ。嘆きは時として、死者への侮辱となる。ならば自分は前を見て、進まねばならない。
ウルカはゆっくりと振り返る。
その視界の遥か先には帝都が、全ての元凶が座す居城がある。
「行きましょう、セツナ殿。」
その瞳に、既に嘆きは無かった。
ウルカはそっと、自分の胸に手を当てる。
彼女はここにある。変わらず、今も。
差し当たって今は、それで充分だと思った。
第25話「夜の舞踏」 おわり