大地が謳う詩

 

 

 

第23話「晴れ渡る空」

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・んん。」

 

 軽い呻き声と共に、ネリーはゆっくりと瞼を開いた。

 

 耳に、薪が爆ぜる音が聞こえてくる。

 

「ここ、は?」

 

 見覚えの無い天井だった。

 

 ゆっくりと身を起こすネリー。

 

 そこで、自分が眠っているのは粗末なベッドの上だと言うことに気付く。

 

 薄汚れたシーツに穴の空いた毛布。傍らには自分の《静寂》が置いてある。

 

 そして毛布の上からもう一枚、黒い布が掛けてあった。

 

 その布にネリーは、見覚えがあった。

 

「これ・・・セツナの・・・・・・」

 

 それはセツナが良く着ている、彼のトレードマークとも言うべき漆黒のロングコートだった。

 

 そう、自分はソーマに捕まり、あの廃屋で・・・・・・

 

「ッ・・・」

 

 トラウマが、ネリーを襲う。

 

 あの時の恐怖と恥辱が、容赦なくネリーを貪る。

 

 そして、あの生き地獄から自分を救い出してくれたのが、

 

「そうだ、セツナ!!」

 

 救い主の姿が見当たらない事で、ネリーは不安に駆られてベッドから起き上がった。

 

 幸いにして体の傷は軽傷で、動く事に支障は無い。

 

 その時だった。

 

「起きたか。」

 

 部屋にある唯一の扉が開き、そこから探し人が入ってくるのが見えた。

 

「セツナ!!」

 

 駆け寄るネリー。

 

 だが、その足は、セツナの姿を見て止まった。

 

「あ・・・・・・」

「どうした?」

 

 怪訝な顔で覗き込むセツナ。

 

 対してネリーは、視線を合わせる事すら躊躇っている。

 

「セツナ、その、体・・・・・・」

 

 セツナの体は上半身をはだけ、腹に包帯を巻いている。その上から軍服を肩に掛けている。

 

 その腹の傷は、ネリーを助ける為にソーマから受けた傷だった。

 

「ごめ・・・ごめん、なさい・・・・・・ネリーのせいで・・・・・・」

 

 ポロポロと涙を零すネリー。

 

 そんなネリーに、セツナはそっと近付き、そして、

 

「馬鹿。」

 

 その頭をそっと抱き寄せる。

 

「お前の命が助かったんだ。この程度で済めば安いものだ。」

 

 その言葉を聴いた瞬間、ネリーは火が付いたように泣きじゃくる。

 

 ソーマに捕まり、陵辱され、それでも堪えていたものが、今切れたのだ。

 

 そんなネリーを、セツナは優しく抱き締めた。

 

 セツナの胸の中で、ネリーは小さい子供のように涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 暫くしてネリーが泣き止んだ後、セツナは彼女を連れて居間の方に移動した。

 

 先程起きた部屋は、どうやら寝室だったらしいというのが分かる。もっとも、その荒れ具合から、最近ではほとんど使われていないのだろうが。

 

「ねえセツナ、ここ、どこ?」

「ああ、どうやら、地元の猟師の退避小屋か何からしい。場所的にはまだ、アト山脈の山中だ。」

 

 あの後、研究所跡を脱出したセツナは、傷付いたネリーを抱え、自身も傷付いた体を引きずって麓を目指した。

 

 暫く歩けばキロノキロが見えるはず。そこの駐留部隊と合流できれば、一息つけるはずと考えたのだ。

 

 だが、ネリー同様、セツナの傷も相当深く、体力の消耗も激しかった。加えて雨は容赦なく降り付け、ぬかるんだ大地が残り少ない体力を削り取っていく。

 

 下山を待たずに力尽きると予想したセツナは、それでも残された体力を振り絞って歩き続けた。

 

 その時目の前に現れたのが、この小屋だった。

 

 まさに、天の助けだった。

 

 セツナはすぐに内部に誰も居ない事を確認すると、ネリーをベッドに寝かせ、自身も治療を行うと、ようやく休息を取る事が出来たのだった。

 

「ふうん、そうなんだ。」

 

 周囲を見回しながら、ネリーは言った。

 

 良く見れば、狩の道具や野菜を掘る道具その他、非常時の工具類等が棚に置かれている。

 

「お前が寝ている間に食糧庫を調べてみたが、非常用の食糧があった。井戸もあるようだし、3日くらいなら軽く凌げるだろう。その間に体力を回復させて山を下りるぞ。」

「分かった。」

 

 セツナ自身、傷のせいで体力の戻りが遅い。そしてネリーも、今は休息が必要だった。

 

「さて、起きたところで飯にしよう。有りあわせの物で少し作ってみた。」

 

 そう言いながら、ネリーをテーブルの方へ誘う。

 

「言っておくが、味はあまり期待するなよ。」

 

 そう言ってセツナは、微笑を浮かべた。

 

 

 

 小さなテーブルを向かい合い、食事を始める。

 

 干し肉の燻製を切り揃えた物と、倉庫の奥にあった漬物。それに木の実。

 

 どれも鮮度よりも保存を第一に考えた食材である為、お世辞にも味は良いとはいえない。

 

 だが2人、特にネリーにとっては、これまで館で食べたどんな食事よりも、美味しいと感じることが出来た。

 

 その目の前で、同様に口を動かしているセツナに目を向ける。

 

 大好きなセツナが目の前に居てくれるからこそ、粗末な食事もご馳走に勝るというものだ。

 

「美味いか?」

「まずい。」

「だろうな。」

 

 そんな呆気無い会話にも、自然と笑みが零れる。

 

 そんなネリーの笑顔を見てセツナは、

 

「何をニヤニヤしている。気持ち悪いぞ。」

「別に。」

 

 そっぽを向くネリーを見て、セツナは含み笑いを浮かべる。もちろんこちらは、相手に気付かれないようにして。

 

 何だかんだと言いつつも、セツナ自身、ネリーが居てくれる事は好ましいと感じていた。

 

 

 

「ね、セツナ。」

 

 食事が終わって、暫くした頃、ネリーが尋ねてきた。

 

 セツナは上半身をはだけ、傷の具合を確かめている。

 

「いつまで、こうしてるの? 皆は、ネリー達がここに居る事知らないんでしょ。」

「ああ。長くても2〜3日って所だろう。それくらいになれば、俺も動けるくらいには回復するはずだ。」

 

 そう言うと、包帯を巻き直して軍服を羽織った。

 

「そっか。」

 

 何が嬉しいのか、ネリーは笑みを浮かべる。

 

 そんなネリーに怪訝な目を向けながらも、セツナはテーブルに立てかけておいた《麒麟》を取った。

 

「さて、俺は少し、見回りがてら食糧の調達をしてくる。」

「あ、ネリーも行く!!」

 

 そう言うとネリーは、自分も《静寂》を持ってセツナに続く。

 

 対してセツナは、特に拒否する風も無く、先に立って小屋を出た。

 

 

 

 アト山脈。

 

 かつて魔龍シージスがその住処とし、ダーツィの無謀な軍備拡張のあおりを受けた「呪い大飢饉」の引き金となった土地。

 

 その怨念がそうさせたのか、内部は昼間でも鬱蒼として薄暗い。

 

 だがそれは逆に、人の手が全く加えられず、手付かずの自然がそのまま残っている事を意味している。

 

「あ、ネネの実!!」

 

 落ちていた木の実に向けて、ネリーが駆け出す。

 

 セツナはその後から、ゆっくりした足取りでついて行く。

 

 腹の傷がまだ塞がっていない為、急激な運動は控えているのだ。

 

「ほら、セツナ。」

 

 拾ったネネの実をセツナに渡すと、自分も齧り付く。

 

 程好い甘みが口中に広がっていくのが分かった。

 

 セツナもネネの実を齧りつつ、ネリーを見る。

 

 食べる事も、遊ぶ事も、笑う事も。何をするのにも、全力な少女だ。

 

 だからこそ、こうまでセツナの心を惹きつけたのだろう。

 

 その時、

 

「ん?」

 

 セツナの耳に、微かに物音が聞こえた。

 

「これは・・・・・・」

 

 一定の音量で聞こえてくるその音は、どこか安らぎを覚える。

 

「水の音。」

 

 セツナは、水の音がする方向に向けて歩き出した。

 

 その後を、ネネの実を食べ終えたネリーも続く。

 

 少し歩くと、小さな小川が見えてきた。

 

 恐らく湧き水が流れ出たものなのだろう。周囲の緑と情景が溶け合い、1つの風景としてその場に存在していた。

 

 その中を、セツナはそっと覗き込む。

 

「・・・・・・フム。」

「どしたの?」

 

 怪訝な表情のネリーに向き直る。

 

「ちょっと、待ってろ。」

 

 そう言うとセツナは、何やら作業を始めた。

 

 暫くして、セツナは用意した道具を持って小川の前に立った。

 

 適度の長さと太さの枝。その辺の弦を細く削ったもの。そして、枝を削って造った鈎針。

 

 即席の釣り道具だった。

 

 針の先に餌を括り付けると、セツナは水の中に入れた。

 

「セツナ、釣りなんかできるの?」

「子供の頃に、父に教えてもらった。最近はやってなかったが、何とかなるだろう。」

 

 そう言うとセツナは、針の先に神経を集中し始めた。

 

 ネリーはと言うと、興味深そうに四つんばいになって水の中を覗き込んでいる。

 

 暫くすると、竿がしなり始める。

 

 そこを見計らって、セツナは持ち上げる。

 

「あ!」

 

 声を上げるネリーの視界を踊るように、小振りの魚が宙に吊り上げられた。

 

「やったやった!!」

 

 はしゃいだネリーは、セツナの肩をバンバンと叩く。

 

 吊り上げた魚を見てみる。

 

「これ、食べれるの?」

「さてな。一応、調理はしてみるが、食べれない事は無いだろう。」

 

 そう言うと、再び糸を垂らした。

 

 

 

 2匹目も同じくらいの獲物が釣れ、3匹目も掛かった時、元々急増に過ぎなかった竿は、中途から真っ二つに折れ、吊り上げた魚も水の中へと逃がしてしまった。

 

「あ、あ〜あ。」

 

 逃げていく魚影を目で追い、残念そうに溜息を吐くネリー。

 

「逃げちゃった。」

「まあ、良いさ。取りあえず2匹は釣れたんだ。俺とお前の分としては上出来だよ。」

 

 大きめの葉っぱを敷いた受け皿の上には、吊り上げた魚が2匹横たわっている。先程拾ったネネの実と合わせて、これで今晩の食事としては充分なはずだ。

 

「さて、」

 

 セツナは葉っぱに包んだ魚をネリーに持たせると、自分も立ち上がった。

 

「俺は、もう少し見回ってみる。お前は先に小屋に戻っていてくれ。」

「え〜、何でネリーだけ?」

 

 不満そうに口を尖らせるネリー。そんなネリーの頭をポンッと叩いて言った。

 

「お前の体だって、まだ万全じゃないだろ。良いから先に戻って少し休んでろ。」

 

 ネリーは納得がいかない表情をしていたが、それを無視してセツナは森の奥へと分け入っていく。

 

 暫くするとネリーも、諦めたように小屋へと続く道を戻り始めた。

 

 それを確認してから、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは膝から崩れ落ちるようにして、地面に倒れ込んだ。

 

 《麒麟》を杖代わりにして、手近な木に上体を預けると大きく息を吐く。

 

 額から、堪えていた汗が一斉に噴出し吐く息も荒くなる。

 

 限界だった。あの時竿が折れてくれなければ、正直どうなっていたか。

 

 そっと、軍服を捲ってみる。

 

 そこに巻かれた包帯が、赤く染まっていた。

 

 ソーマにやられた傷だ。まだ塞がりきっていない傷口から、再び血が噴出していた。

 

「クッ・・・」

 

 痛みを堪え、大きく深呼吸する。

 

 気が落ち着いていき、痛みも少し和らいだ気がした。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 少しばかり、焦りが胸に去来する。

 

 こんな山奥で力尽きてしまうとは、今更ながら冷静さを欠いて単独行動した自分に腹が立つ。

 

 だが、どうにか体力を回復させる事ができれば、山を下りる事ができる。山さえ下りられれば、エーテルジャンプサーバーを使って王都に戻り、治療を受ける事が出来る。それまでの辛抱だ。

 

 セツナは汗を拭い、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そろそろ戻らないと。あまり遅くなれば、ネリーに怪しまれる。

 

 セツナはおぼつかない足を踏み締め、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 緊急用だろうか、調理器具も一式揃っていた事も幸いした。

 

 昼間釣った魚を適度に捌いて、備え付けの調味料で味付けして火に炙る。

 

 その間にネリーは、ネネの実と干し肉を適当に切る。

 

 朝に比べれば、それなりに彩を揃える事ができたと思う。

 

 こうして、テーブルを埋めた食材が、2人の前に並んだ。

 

 苦労した甲斐があったのだろう。味の方もまずまず満足の行くレベルと言って良かった。

 

「ね、セツナ。」

「ん?」

 

 食事も大分進んだ頃、ネリーが話し掛けてきた。

 

「明日は、山下りれるかな?」

「そうだな・・・・・・」

 

見たところ、ネリーの体調はほぼ回復している。まだ完調ではないだろうが、それでも普通に動く分には問題が無いようだ。

 

 問題があるとすれば、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは脇腹に、そっと手を触れた。

 

「セツナ?」

 

 そんなセツナを、怪訝に見詰めるネリー。

 

 その視線に、セツナはすぐ顔を上げた。

 

「あ、ああ、そうだな。多分、大丈夫だろう。」

 

 どのみち、山を下りない事には助かる道も無い。このままここで消耗していくよりも、生存率の高いほうに賭けるべきだろう。

 

「明日、山を下りよう。」

「うん。」

 

 笑顔で頷くネリー。

 

 その笑顔を見て、セツナは立ち上がった。

 

 その時だった。

 

「ッ!?」

 

 激痛が、全身を駆け巡った。

 

『まず、い!?』

 

 膝から力が抜けるのを、抑えられない。

 

 そのまま。前のめりに倒れ込む。

 

「セツナ!!」

 

 さすがに尋常じゃないと感じ取ったのだろう。ネリーが慌てて駆け寄ってくる。

 

「セツナ、しっかりして!!」

 

 崩れ落ちようとするセツナの体を支えようと、小さな手を伸ばすネリー。

 

 その掌に、何か熱い物が付着した。

 

「え?」

 

 ゆっくりと掌を返してみる。

 

 そこには、赤い液体がベットリと付いている。

 

 ネリーは慌てて、セツナの軍服をめくってみる。

 

 そこには、血で濡れた包帯が見られた。

 

「ちょ、セツナ、これ・・・」

 

 セツナは軽く舌打ちした。

 

 ただでさえネリーは、今回の事を気に病んでいる。そこへ自分の重傷を知れば、余計に落ち込むだろう。だからこそ、黙っていたと言うのに。

 

「セツナ、これ・・・・・・」

「・・・大した事じゃ、無い。」

「大した事って・・・」

 

 全く説得力が無かった。

 

 緊張が解けたせいだろう、セツナは呼吸も荒くなる。

 

 出血量もひどい。このままではセツナの命が失われるのは目に見えていた。

 

 とにかくネリーは、少しでもセツナの苦しみを和らげるために、必死に力を振り絞ってその体をベッドまで運んでいく。

 

 細身とは言え、高校生相応の体格を持つセツナの体は、小さなネリーの体には荷が重く、何度も躓きながら、ようやくベッドに横たえる事ができた。

 

 次にネリーは、セツナの腹を覆う包帯をナイフで切ってみる。

 

 案の定と言うか、そこからは今だに鮮血を流し続ける傷跡が見て取れた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 思わず息を飲むネリー。

 

 あの時、ソーマにやられた傷が、今だに尾を引いている。

 

 かつて、セツナにここまでの傷を負わせた敵が居ただろうか? あのハーレイブでさえ、セツナをここまで傷付けた事はない。

 

「・・・どうだ?」

 

 弱々しい声で、セツナが尋ねる。

 

 今にも消え入りそうな声に涙を流しそうになるネリー。だが、泣いている場合ではない。

 

『何か、治療・・・・・・』

 

 そこでハッと気付く。

 

 ここには、何も無い。治療する道具も、回復をしてくれるグリーンスピリットも。

 

 ネリーはブルースピリット。直接的な戦闘に特化しており、回復など出来ようはずも無い。それは、セツナも同じ。ユウトならば回復系の神剣魔法を使えるが、セツナの魔法は、その全てが戦闘用となっている。

 

『ど、どうしよう・・・・・・』

 

 途方にくれるネリー。

 

 こうしている間にも、一秒毎にセツナの命は削られていく。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 傷口と、セツナの顔を交互に見る。

 

 苦しそうに息を吐くセツナの目は、硬く閉じられている。

 

「・・・・・・」

 

 ネリーは意を決すると、傷口に顔を近付ける。

 

「・・・?」

 

 何をしようというのか、セツナが薄く目を開けたとき。

 

「ッ!?」

 

 ネリーの口が、傷口に張り付いた。

 

 ネリーはそのまま、舌でセツナの傷口を舐め始める。

 

「ネ、ネリー?」

 

 戸惑うセツナを他所に、ネリーは小さな舌で傷口を清めていく。

 

 それはまるで、獣が傷付いた仲間をいたわるように、丁寧に舐め上げる。

 

 暫くして顔を上げたとき、ネリーの口の周りにはセツナの血がベットリと付いている。

 

 ネリーは含んだ血を吐き出すと、再び傷口に口づけをする。

 

 それを何度か繰り返すと、出血は少しずつ収まっていった。

 

 ネリーは顔を上げて、口元を拭った。

 

「ふう、これで安心だね。」

「だが、傷が塞がったわけじゃない。このままだと、少し歩いただけでまた出血が始まるだろう。」

 

 今は表層を塞いでいるが、それは言わば、ティッシュ1枚で水を塞き止めているような物だ。当然、長続きはしないだろう。

 

「ど、どうしよう?」

 

 再び途方に暮れるネリー。これでは時間稼ぎにしかならない。

 

 ネリーが今からキロノキロまで飛んで行ったとしても、間に合わない可能性の方が高い。そもそも、今のネリーには、長距離を飛ぶだけの体力が無い。

 

「・・・・・・1つだけ、手はある。」

 

 セツナが口を開いた。

 

「ネリー、お前、魔法力は残ってるか?」

「うん、少しだけど。それがどうしたの?」

 

 その答えに、セツナは僅かな希望を賭ける。

 

「なら、俺にアイス・バニッシャーを掛けろ。」

 

 その言葉に、ネリーは驚いた。

 

 当然だろう。本来なら攻撃に用いる魔法を瀕死の人間に掛けるなど、正気の沙汰とは思えない。

 

 だが、そんなネリーに、セツナは諭すように言う。

 

「内蔵魔法力は、少し弱めにして、傷口だけにピンポイントで掛けろ。」

「え?」

「凍気で痛覚を麻痺させ、傷口の血流を止める。多少、細胞が壊死するかもしれないが、それは後で回復してもらえば良い。」

 

 決死の判断。セツナにとっては起死回生の選択と言って良かった。

 

「・・・・・・分かった。」

 

 ネリーは神妙に頷くと、傷口にそっと手を当てる。

 

 2人は互いに見詰め合う。

 

 その間に流れる、互いの信頼感。

 

 ネリーは、ゆっくりと口を開いた。

 

「マナよ、我に従え。氷となりて、力を無にせしめよ。」

 

 いつになく慎重に、マナを集める。

 

「アイス・バニッシャー。」

 

 静かな詠唱と共に、掌から冷気が放たれた。

 

 ゆっくりと凍結していく傷口。それに伴い、凍傷のような感覚に冒されていく。

 

 その心地良い冷気に晒されながら、セツナはゆっくりと意識が沈下していくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 セツナが目を覚ますと、辺りには夜の帳が下りていた。

 

 どのくらい眠っていたのだろう?

 

 傷口に手を当ててみると、痛覚は全く無く、痺れるような感覚だけがそこにあった。

 

 どうやら、荒療治は成功したようだ。

 

 と、肘が何か柔らかい物に触れた。

 

「?」

 

 目を向けてみると、そこにはベッドに突っ伏して眠るネリーの姿があった。

 

 どうやら今まで、看ていてくれたらしい。

 

 セツナは微笑を浮かべると、ネリーの髪をそっと撫でた。

 

「・・・・・・ん。」

 

 その感触に、ネリーはゆっくりと目を開く。

 

「セツナ?」

「・・・起こしたか?」

 

 ネリーは眠い目を擦りながら、上体を起こす。

 

「どう?」

 

 傷の様子を尋ねてくる。

 

「ああ、大分良いようだ。」

 

 そう言って微笑むセツナ。

 

 だがその笑顔に対し、ネリーは眉間に皺を寄せる。

 

「セツナ。」

 

 声にも何となく、険がある。もっとも本来の子供っぽい容姿と相まってまったく迫力が無い点に関しては、もはや笑うしかないが。

 

「どうして怪我してる事、ネリーに黙ってたの?」

 

 体調が戻ったのだから、説教タイム。そんな感じだ。どこかセリアに似た調子になっているのは、自分が普段説教される側だからだろうか?

 

「ちょっとセツナ、聞いてる?」

 

 ズイッと、顔を近付けて来る。

 

 ネリーの可愛い顔が、アップになる。

 

「ああ、聞いてるよ。」

 

 セツナは、苦笑交じりに答えた。

 

「もう。手遅れになったら、どうするつもりだったの?」

「ああ、だから、お前には感謝している。」

 

 ネリーの目をしっかりと見返し、セツナは言った。

 

「え?」

 

 見返される瞳。

 

 ネリーは、自分の頬が熱くなるのを感じた。

 

「お前が居てくれなかったら、俺は死んでいたかもしれない。」

「セツナ・・・・・・」

「ありがとう、ネリー。」

 

 きっかけは、どちらだったかは分からない。

 

 明かりの消えた室内。

 

 鬱蒼と茂る森の中では、月の光も差さない。

 

 だがセツナとネリーは、暗がりの中ではっきりと互いを認識する。

 

 2人はどちらからとも無く目を閉じる。

 

 近付く互いの顔。

 

 その唇が、ゆっくりと重ねられた。

 

 甘さと、気だるさが入り混じったキス。

 

 何より互いに寄せられる、信頼と、そして愛情の証。

 

 今、世界中の誰よりも、2人は互いを必要としていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 顔を放す2人。

 

 だが、互いの目だけは、しっかりと交差させる。

 

 セツナはゆっくりと、ネリーの胸にあるファスナーに指を掛ける。

 

「あっ・・・」

 

 短く声を上げるネリー。

 

「良いだろ?」

 

 不要な主語を交えず、問いかける。

 

「でもセツナ、怪我・・・・・・」

「大丈夫だ。お前が治してくれた。」

 

 そう言うと、ファスナーを下ろす。

 

 まだ未成熟で、ささやかな胸が外気に晒される。

 

「や・・・は、恥ずかしいよ〜」

 

 セツナの視線から逃れようと、身を捩らせるネリー。だが、捉えたセツナの手が、それを許さない。

 

「そんな事は無い。」

「でも、ハリオンとかエスペリアとかと比べたら・・・」

「あれと比較するほうがそもそも間違いだ。」

 

 そう言うと、揉み解すようにネリーの胸に指を這わせる。

 

「ん・・・んん・・・」

 

 優しく揉みしだくセツナの指に、ネリーの口から声が漏れる。

 

 ソーマなどと違い、セツナはネリーを気遣いながら、ゆっくりと指を進めて行く。

 

 その手は、ネリーの下腹部にも伸びていく。

 

 ネリーの体が一瞬震えるが、すぐに瞳は熱っぽく染まる。

 

「セツナ・・・・・・」

 

 呼びかける声にも、熱が帯びられる。

 

 セツナはゆっくりと、ネリーの服を脱がせていく。

 

 ネリーはされるがまま、セツナに従う。

 

 やがて、生まれたままの姿でベッドに横たわるネリーが、セツナの視界を支配する。

 

 その状態で、2人はもう一度、口付けをかわした。

 

「・・・・・・良いか?」

「うん、来て。」

 

 ゆっくりと体を合わせる2人。

 

 何者にも侵されず、何者も現れない。

 

 静寂が包む空間の中で、2人はただゆっくりと、愛を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

「あ、ほらセツナ。見えてきたよ!!」

 

 はしゃぐように、ネリーが指を指す。

 

 その先には、キロノキロの城壁がそびえている。

 

「ああ、そうだな。」

 

 ネリーの笑顔につられて、セツナも微笑む。

 

 ようやく、ここまで来た。

 

 セツナは、ネリーに目を向ける。

 

 ネリーはウィング・ハイロゥを広げて宙に浮いている。

 

「調子はどうだネリー?」

 

 尋ねられてネリーは、頬を赤く染める。

 

「ん、何だか、何か挟まってるみたいで落ち着かないよ。」

 

 そう言うと、恥ずかしそうに股をモジモジと摺り合わせる。

 

 そう言えば、そういう風になると言う事を、前に聞いた事があったな。

 

「ね、セツナ。」

 

 セツナの目線まで下りて来たネリーが、尋ねる。

 

「これで、ネリーとセツナは恋人同士になったんだよね。」

 

 満面の笑顔で尋ねてくるネリーに、セツナもまた、笑顔で頷き返す。

 

「ああ、そうだな。」

「やったぁ!!」

 

 ネリーは嬉しそうに、セツナの腕に抱き付く。

 

 その時だった。

 

【お〜〜〜い!!】

 

 遠くから、2人を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 顔を上げて視線を向ける。

 

 そこには、2人の姿を見つけて走ってくる、仲間達の姿があった。

 

 どうやら帰りの遅い2人を心配して、探しに来たようだ。

 

 セツナとネリーは、互いに顔を見合わせて、微笑む。

 

 地獄を脱し2人はまた、ここへ帰ってきた。

 

 信頼すべき、仲間達の下へ。

 

 2人は仲間達に向けて、手を振り返した。

 

 

 

 間も無く、戦いが始まる。

 

 サーギオス神聖帝国との戦い。この大陸の未来を掛けた決戦が。

 

 だが、セツナは負ける気がしなかった。

 

 自分には仲間達がいる。

 

 そして、愛する恋人がいる。

 

 今、セツナは、自分が幸せの中にある事を強く感じた。

 

 

 

第23話「晴れ渡る空」