大地が謳う詩

 

 

 

第22話「巷に降る、雨」

 

 

 

 

 

 

 静かな音が、耳の中を満たしていく気がした。

 

 深い深い闇の中に沈んでいく感覚。

 

 ふと、頬を撫でる冷たい感触が、意識を優しく持ち上げていく。

 

「・・・・・・ん・・・」

「気が付きましたか?」

 

 目を開けると、緑色の髪の女性が居た。

 

「エスペリア?」

 

 セリアは虚ろな口調で、相手の名を呼ぶ。

 

 彼女が、今まで自分を看病してくれていたのだろう。

 

「大分、傷は深かったですが、処置が早かったおけがで、どうにかなりました。シアーに感謝してくださいね。」

「シアーに?」

「はい。あなたが傷付いて倒れていると、必死になってわたくし達を引っ張ってきたんですから。」

「そう・・・シアーが・・・・・・」

 

 呟きながら、その脳裏には、自身の最後の記憶がリフレインされる。

 

 そう、確かあの時、自分はロレッタと戦っていてその刃に貫かれ、そして・・・

 

「そうだ、ネリー!?」

 

 勢い良く身を起こす。だがすぐに腹から激痛が走る。

 

「グッ」

「まだ、動いては駄目です。傷は魔法で塞ぎましたが、内部にはまだダメージが残っているのですから。」

 

 そう言ってセリアを寝かしつけるエスペリア。だがセリアは、連れ去られる妹分の姿が脳裏にこびりつき、精神を急き立てて止まらない。

 

「エスペリア、ネリーは・・・・・・ネリーはどうしたの?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 黙りこむエスペリア。

 

 その沈痛な表情は、何よりも現状を物語る。

 

「ネリーは・・・戻らないままです。わたくし達が駆けつけた時には、現場には彼女の神剣が落ちていただけでした。」

「そんな・・・・・・」

「今、セツナ様達が、現状の把握と善後策を講じている所です。その報告を待ちましょう。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 部屋の中に沈黙が訪れる。

 

 気が付くと、外から一定音量で水の音が聞こえて来ている事に気づいた。

 

「雨、降ってるんだ?」

「・・・ええ。」

 

 

 

 

 

 

 降りしきる雨が、衣服にしみ込んで体を冷やす。

 

 今着ているのは、白地に青いラインの入ったラキオス軍の正式軍装。

 

 前に軍服代わりに着ていた学ランはハイペリアに置いて来てしまったので、今はこれが普段着だった。

 

 その上から羽織った愛用の黒いロングコートも、既にずぶ濡れの状態にある。

 

 本来なら風邪をひいてもおかしくない状況だと言うのに、この体と、頭を支配する熱は一向に引こうとはしなかった。

 

 その視界に、良く見知った人物が立った。

 

「お待ちしておりました。」

 

 情報部部長のエリオスが、一礼してくる。

 

「仰せの通り容疑者を確保、拘束してあります。」

 

 その言葉に頷くと、セツナは目の前の建物へと足を踏み入れた。

 

 

 

 あの、王都襲撃事件から既に4日が過ぎていた。

 

 その間セツナは、混乱した王都の治安回復に努めると同時に、今回の一件における原因究明を早急に行った。

 

 なぜ、敵の王都侵入を許したのか? なぜ、国内に張り巡らした監視システムはその機能を発揮し得なかったのか?

 

 その結果が、今、セツナの目の前に居た。

 

「こいつ等は?」

 

 縄で縛られ、椅子に座ったまま気を失っている2人の兵士を見下ろして、セツナは尋ねる。

 

 鎧の形からして、ラキオスの兵士である事は分かった。

 

「ケムセラウト監視哨に詰める兵士です。実は・・・・・・」

 

 エリオスの説明を聞き、セツナは眉を顰めた。

 

「・・・・・・成る程。」

 

 説明を聞いたセツナは、兵士達の前に立った。

 

「起こせ。」

「ハッ」

 

 命じられるまま、傍らに立った兵士が水を掛けた。

 

 そのショックで、2人は目を覚ました。

 

「な、何だ!?」

 

 見上げる先に現われた人物に、思わず目を逸らす2人。

 

 だが、容赦無くセツナは口を開く。

 

「自己紹介はいらないな?」

 

 この顔は有名すぎるくらい有名だ。今更名乗る必要も無いだろう。加えて言えば、自分はこの2人の素性などに興味は無い。

 

 2人は無言のまま、顔を逸らす。

 

「単刀直入に聞く。なぜ、このような事になった?」

 

 怒りを押し殺した声だ。傍らで聞いているエリオスですらその殺気に当てられ、震え上がる。

 

「っざけんなよ。」

「・・・何?」

 

 訝るようなセツナの問いに、兵士は言葉を紡ぐ。

 

「たかが、卑しいエトランジェの分際で今は参謀長様? 大した出世だな、おい。」

「それに比べて俺達は、今や貴様のくだらない采配で辺境の監視任務だ。良い面の皮だよな。」

 

 その言葉は、罵りの形を取ってセツナの鼓膜を叩く。

 

 セツナは悟る。

 

 この男達が何を思い、今回の事件に繋がったのか。

 

「俺達はな、あの政権交代が起こるまでは王宮の近衛兵として花形の出世コースにいたんだ。それを、あの事件のせいで、面白くも無い閑職に回されちまったって訳だ。」

「まったく、女王陛下も何をお考えなのか。このような卑しき者や、下賎なスピリットごときを重用するとは。所詮はルーグゥ陛下に及びも付かぬ子供、と言う訳か。」

「・・・それで、帝国と通じたと言うわけか?」

 

 彼等の罪状、それは帝国軍との内通。正確に言えば、賄賂を受け取り、帝国軍の国境通過を見過ごした事にある。監視システムが全く機能し得なかったのも、その為だった。

 

「あんな辺境に飛ばされたんだ。少しくらい楽しんだって罰は当たらないだろう?」

 

 そう言って嘯く兵士達。

 

 その様を見て、セツナは自身の精神を侵す黒い感情が、広がっていくのを感じた。

 

 こんな奴らに・・・・・・

 

 そう、

 

 こんな奴らのせいで、ネリーは・・・・・・

 

「まあ良い。」

 

 吐き出される言葉は妙に平坦で、感情の起伏を無理やり抑えているのが分かる。

 

「お前達は、職務怠慢の咎で軍から放逐する事になる。今夜中に荷物を纏めて出て行け。」

「へ、願ったりだね。」

「そうだそうだ。こんな糞みてぇな場所、これ以上いたくもねえよ!!」

 

 2人の罵りを聞きながら、セツナは背を向ける。

 

 と、何かを思い出したように、出て行こうとする足を止めた。

 

振り返るセツナの瞳には、怒りと共に残虐な色がある。だが、2人の兵士はそれに気付かない。

 

「お前達が出て行くというのなら、俺は止めはしない。だが、その前にある物を貰っておこう。」

「ある物?」

 

 訝る2人に、セツナは笑みを見せる。

 

 その笑みはあるいは、地獄の悪魔が見せるそれよりも、凄惨で残忍だったかもしれない。

 

「何、お前達には必要の無い物だ。だから、構わないだろう?」

「一体、何、」

 

 最後まで言い切る事は出来なかった。

 

 その前に煌いた閃光が、彼等の視界を射る。

 

 そしてその閃光こそが、彼等がこの世で見た最後の光景となった。

 

「なっ!?」

 

 次いで、激痛が両者の顔面に走った。

 

「グギャァァァァァァアアアァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 鮮血を迸らせる目。

 

 両腕を縛られている為、傷口を押さえる事すらかなわず、ただ床を転がりまわる事で気を散らす事しかできない。

 

 セツナは無言のまま、《麒麟》を鞘に収めた。

 

 床が迸った血で濡れる。だがその量は、意外なほど少ない。

 

セツナの刃は光速の勢いで抜き放たれ、2人の目を切り裂いたのだ。

 

「たかが監視もこなせない目だ。お前等には必要無いだろうから、俺が貰っておいてやる。」

 

 冷たく言い放ち、両名に背を向ける。

 

「エリオス。」

「ハッ」

 

 それまで無言のまま見守っていたエリオスが、セツナの傍らに立て。

 

「この2人の身元を洗い、身内が居るようなら、そいつ等の市民権、及び財産の一切を没収し難民に落とせ。敵と通じ王都を、ひいては女王陛下の身を危険に晒した罪だ。」

 

 せいぜい生き地獄でのたうってもらう。その後どうなろうが、自分の知った事ではない。

 

 言葉の後半を、口に出さずに呟いた。

 

 その言葉に、何も告げずに頭を垂れるエリオス。

 

 その姿を背に、セツナは雨の中に歩き出した。

 

 

 

 レスティーナを中心に、ユウト、コウイン、キョウコ、ヨーティア、イオが集まっていた。

 

 先の襲撃で執務室が破壊された為、急遽別の部屋をその代わりに当てていた。

 

「まさか・・・こんな事になるなんて。」

 

 口を開いたのはユウトだった。

 

 彼は今回の襲撃に際し第1詰め所に居たのだが、出ようとしたところで帝国軍の襲撃にあい、足止めを喰らう羽目になった。

 

 コウインとキョウコも同様。足止めによって分断され、ラキオス軍は完全に連携を欠いた状態で各個に応戦せざるを得ず、結果として多大な被害を出してしまった。

 

「だが、解せないな。」

 

 顎に手を置き、コウインが口を開く。

 

 本来なら客将であるコウインに発言権は無いのだが、今回の襲撃でセツナを含む軍部幕僚の半数が負傷、もしくは事後処理で手が放せない為、急遽この場に席を設けたのだった。

 

「何がでしょう、コウイン。」

「ああ、話を俺なりに纏めてみたんだが、」

 

 レスティーナに促され、コウインは自身が感じた違和感を口にする。

 

 今は客将の身に甘んじているとは言え、ついこの間まではマロリガン共和国で一軍を率い、ラキオスを翻弄してのけたほどの名将である。その意見には耳を傾けるだけの価値がある。

 

「連中の動き、妙に整然としていた。あれ程の動きをスムーズに行うとなると、単に訓練するだけでは不可能だろう。他に、何か要素があるはずだ。例えば、」

 

 コウインはやや声を落とし、躊躇うようにしてその単語を吐く。

 

「内通者・・・とか、」

「ちょっと、コウイン!!」

 

 その言葉に誰よりも速く反応したのは、意外にも同じく客将の身分にあるキョウコだった。

 

「あたし達の中に裏切り者が居るって言うの!?」

「落ち着けよ、あくまでも可能性の話だって。」

 

 飄然と答えるコウインだが、自身、仲間を疑うような発言をした手前、歯切れが悪い。

 

 そんなコウインを援護するように、レスティーナが口を開いた。

 

「内通者に心当たりなら、あります。」

「え?」

「どういう事なんだ、レスティーナ殿?」

 

 ヨーティアに促され、レスティーナは口を開いた。

 

「かつて、我がラキオス軍でスピリット隊隊長を務め、その後、戦力の大半をその手中にして帝国に裏切った者がいます。」

 

 ゴクリ、と、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。

 

「ソーマ・ル・ソーマ。彼が手引きした事は疑いありません。」

「その通りだ。」

 

 突然の声に、一同は視線を巡らせる。その先には全身をずぶ濡れにしたセツナがいる。

 

「おいおい、その格好・・・」

「セツナ様、これを、」

 

 イオが手早くタオルを渡してくる。

 

 だがセツナはそれを辞し、一同の前に立つ。

 

「いくつかの証言から、内通者がソーマである事は疑い無い。そして問題なのは、今回の作戦は恐らく、帝国全体の意思ではないと言う事だ。」

「どう言う事だ?」

 

 意味が分からず問い返すユウト。

 

「連中の狙いは、レスティーナではなく、俺だ。」

 

 そう、セツナはカチュアとの戦いの後、帝国軍がレスティーナを狙ってくるものと思い、その護衛に就いた。

 

 だがその予想は大きく外れ、帝国軍は水が引くようにサッと撤退していった。ある物を持って。

 

『ネリー・・・・・・』

 

 口には出さず、セツナは呟く。

 

 その脳裏には、ある男の存在が思い浮かばれる。

 

 金髪碧眼に、不気味なほど純白な法衣を纏った青年。

 

 高貴な外見だけに、その内部における精神がゾッとするほどの不気味さを持っている。

 

「ユウト、レスティーナ。俺はこれから、撤退する帝国軍を追撃する。この4日で可能な限り王都の防衛力を強化したが、敵の別働隊が侵入している可能性もある。充分に注意してくれ。」

「待てセツナ!!」

 

 その言葉に、思わずユウトは立ち上がる。

 

「追撃って、お前1人でか!?」

「ああ。」

 

 事も無げに頷くセツナ。

 

「既に、密かにファーレーンを追跡に当てている。一緒に行かせたマロリガンスピリットの報告では、連中はまだ国境を越えていない。急げば追いつけるはずだ。」

「そういう問題じゃないだろ!」

 

 ユウトはセツナに詰め寄る。

 

「俺も一緒に行くぞ。お前1人じゃ返り討ちに会うかもしれないだろ。」

「いらん、これは俺の問題だと言ったはずだ。」

 

 素っ気無く断るセツナ。

 

「おい、待てよ!」

 

 その肩を、ユウトは掴む。

 

 しかし次の瞬間、セツナは《麒麟》を高速で抜き放ち、ユウトの首筋にその刃を押し付けた。

 

「うっ・・・・・・」

「いらないと言っているだろう。俺とお前が同時に王都を離れている隙に、レスティーナの身に何かあったらどうするつもりだ?」

 

 純粋な殺気をあてられ、黙り込むユウト。

 

 そんな2人の間に、レスティーナが割り込む。

 

「お止めなさい。ユウトも、それにセツナも剣を収めなさい。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 言われるままに《麒麟》を鞘に収めるセツナ。

 

 それを見て、レスティーナはセツナに向き直った。

 

「行くのですか?」

「ああ。」

 

 例えレスティーナでも、止める事は許さない。

 

 セツナの瞳は無言でそう語る。

 

 その目を見てレスティーナは息を吐くと、苦笑混じりに言った。

 

「分かりました。今回の件に関し、あなたに一任します。」

 

 一拍置いて、レスティーナの瞳に強い光が宿る。

 

 明確な色を映し出すそれは、怒り。かつて自分達を裏切り、今また、自分達の前に立つ男に対する静かな怒りが、レスティーナを満たしている。

 

「必ずや、ソーマ・ル・ソーマを討ち取り、かつての、そして今回の代償を支払わせるのです。」

「任せろ。」

 

 セツナは背中越しにそれだけ言うと、部屋を出る。

 

 その瞳に映る、かつて無い殺気を閃かせて。

 

 

 

 

 

 

 一目で、そこが既に廃墟であると言う事が分かる。

 

 その機能を停止して久しい場所において、今、襲撃者達が集結していた。

 

「クッ」

 

 指揮官であるソーマ・ル・ソーマは、舌打ちと共に不満を吐き出す。

 

 無理も無い、貴下戦力の大半を投入し、絶対の自信を持って敢行したラキオス王都奇襲作戦だった。にも関わらず、予想以上に頑強に抵抗したラキオス軍の反撃に逢い、最大の標的であるレスティーナ女王の首を取り損ねると言う失態を犯してしまった。ラキオス軍に与え得た損害は軽微であり、蒙った損害と掛け合わせれば、収支は完全に赤字と言えた。

 

 辛うじてラキオス軍の追撃を振り切ったものの、旧ダーツィ領まで逃げ帰ってくるのが精一杯だった。

 

 このまま帰れば、確実に自分の命は無い。

 

 ソーマは、現在帝国の実権を手中にしているシュンとは、あまり折り合いが良くない。今回の作戦は宰相のハーレイブが主導して立案されたのだが、実行を買って出たのはソーマ自身だ。

 

 成功に絶対の自信があった。勝算もあった。にも関わらず、この体たらくである。

 

「荒れてるようですね。」

 

 そんなソーマを嘲笑うかのように、冷めた声が室内を貫いた。

 

 顔を上げた視線の先に居るのは、今回の作戦で支援部隊の指揮を取ったブルースピリットだった。

 

「カチュア!!」

「あら〜、いつもの余裕振りはどちらに行かれたのですか? 隊長殿。」

 

 明らかに侮辱した物言いに、言葉を詰まらせるソーマ。

 

 カチュアは、完全にソーマの焦りを感じ取っていた。それを知った上で、その状況を楽しんでいる。

 

「これは大変な事になりますね。作戦失敗の咎は、その責任者たる隊長殿がお取りになるのが通例です。言い訳は考えて有りますか? いえ、この場合、遺書の文面になりますか?」

 

 そう言って、さも可笑しそうにクスクスと笑う。

 

 そんなカチュアの様子に、ソーマはいきり立つ。

 

「そう言うあなたはどうなのです!? あなただって今回の作戦に参加した指揮官の1人。連座での責任は免れませんよ。」

「あら? あたしは隊長の支援と言う任務をきちんとこなし、なおかつ、戦果も立派に上げましたよ。ほら。」

 

 そう言って指し示した先、そこには鎖で繋がれ、天井から吊るされた少女が居る。

 

「ネリー・ブルースピリット。宰相殿の話では、エトランジェ《麒麟》のセツナが特別視しているスピリットですか? この娘の捕獲と言う任務を立派にこなしましたのですから、文句を言われる筋合いは無いと思いますが?」

「それをやったのは、あなたの部下でしょう。」

「部下の手柄はあたしの手柄も同じ。横取りする気はありませんが、指揮官としてのあたしの功績はプラスされる訳ですよ。お分かりですか?」

「グッ・・・」

 

 一部の隙も無い正論に押し黙るソーマ。

 

 その時だった。

 

「まあまあ、その辺にしましょう。」

 

 廃墟には場違いなほど、柔らかい声が響く。その事が却って、不気味さを際立たせているようだ。

 

 振り返ったカチュアとソーマの視線の先には、白い法衣を羽織った金髪碧眼の青年が居る。

 

「宰相殿!?」

 

 突如、この場に現れたハーレイブに、慌てて膝間づくソーマ。それに倣うように、カチュアも膝を突いた。

 

「こ、このような所にお越し頂くとは・・・・・・」

「私自身が立案した作戦です。その成果を確認したかったものでして。」

 

 そう言うと、2人の背後に目を向けた。

 

 その視線の先には、気を失ったままのネリーがいる。

 

「ほほう、どうやら、うまく行ったようですね。」

「ハッ」

 

 額に汗を滲ませ、頭を垂れるソーマ。その内心では気が気では無いだろう。何しろ、作戦は完全に失敗したのだから。

 

 その心を見透かしたように、ハーレイブは話を振る。

 

「それで、レスティーナ女王の方は?」

「ッ!!」

 

 ソーマの全身から血の気が引き、体温が急降下する。心拍数が上がり、心臓が口から飛び出るような感覚に襲われる。

 

 殺される。確実に、殺される。

 

「・・・・・・失敗、しました。」

「はい?」

 

 か細い声に、尋ね返すハーレイブ。

 

 それに対してソーマは、途切れ途切れに語り始めた。

 

「作戦は・・・失敗、しました。・・・女王レスティーナを討ち取る事は叶わず・・・我々は、この地に、逃げ帰るので精一杯・・・でした。」

 

 ソーマは死を、覚悟した。

 

 相手は帝国でもシュンに次ぐ権威を持ち、なおかつその実力は、並みのエトランジェを遥かに上回るとされている人物である。

 

「そうですか。失敗ですか。」

 

 紡がれる言葉からして既に、殺気の塊である。

 

 その塊が今にも、ソーマの頭の上に落ちてきそうな気がしてならなかった。

 

 次の瞬間、

 

「それでは、仕方ありませんね。」

「え?」

 

 突然、室内を包んでいた殺気が綺麗さっぱり消え失せる。

 

「まあ、私の依頼はこなしてくれたみたいですし。それで良しとしましょう。」

「し、しかし、今回の最大の目的は女王では・・・・・・」

「敵地に乗り込み、勇敢に戦った部下を切り捨てるほど、私は非情ではありませんよ。あなた達は良くやってくれました。」

 

 その言葉に、ソーマはホッと胸を撫で下ろした。

 

 まったく、自分の上司がこのように寛容で良かった。

 

 だが、話はそこで終わらなかった。

 

「ただ、そうですね。この分だと、エトランジェ殿を説得するのは難しいかもしれませんね。」

 

 確かに。

 

 と、ソーマとカチュアは同時に思った。

 

 シュンのあの気性だ。ハーレイブが良くとも、シュンは納得しないだろう。

 

 少し考えてから、ハーレイブは言った。

 

「では、こうしましょう。あなた方には再度の任務を申し付けます。」

「再度、ですか、しかしご覧の通り既に私の隊は・・・」

 

 ラキオス軍の反撃に遭い、ソーマ隊は著しく消耗している。この状況では新たな任務に就くなど、到底不可能だろう。

 

 それを読み取って、ハーレイブは笑った。

 

「何、そんな大層な任務ではありません。現状の戦力でも充分に成功しますよ。」

 

 そう言って、請け負った。

 

 

 

 降りしきる雨の中を、常人を遥かに上回る速度で走る影がある。

 

 弾丸は勇者を避けて通るの故事が真実であるならば、この時雨は、彼の体に当たっていなかったのかもしれない。

 

 吼え猛る白き獣を従え、漆黒の死神はラキオスの大地を駆ける。

 

 駆けるセツナの背中には、自身の物とは違う神剣が括り付けられている。

 

 ネリーの《静寂》だ。彼女を助けた後に必要になると感じた為に持ってきたのだ。

 

『ソーマ・ル・ソーマ・・・・・・カチュア・・・・・・』

 

 その脳裏には、憎むべき者達の顔が浮かぶ。

 

 そして、その背後で糸を引く存在にも、

 

『ハーレイブ・・・・・・』

 

 あの男の薄笑いを思い浮かべるだけで、全身が総毛立つようだ。そして、その手中にあるネリーの事も、

 

『待っていろネリー。すぐ、助けてやるからな。』

 

 その時、駆けるセツナの前方に、黒い影が舞い降りる。

 

 一瞬、敵かと身構えるが、すぐに殺気が無い事に気付き、思いとどまった。

 

「セツナ様。」

 

 声の調子から、先行して追跡させたファーレーンである事が分かった。

 

 ファーレーンはセツナの傍らまで来ると、膝を突く。

 

「奴らの居場所は、分かったか?」

「はい。旧ダーツィ領アト山脈山中に、数年前に放棄されたエーテル技術の実験施設があります。帝国軍はそこに逃げ込んだものと思われます。」

「アト山脈か・・・・・・」

 

 かつての激戦区でもある。

 

「分かった。ご苦労。お前は王都に戻り、ユウトの指揮下に入れ。」

「なっ、しかし、セツナ様!!」

 

 引き止めようとするファーレーン、しかしセツナはその言葉を無視して駆け出した。

 

 

 

 突然のショックで、ネリーは目を覚ました。

 

「ん・・・う?」

 

 目に当てられた強い光によって、強制的に意識が覚醒する。

 

 体の感触から、床に転がされているのが分かった。

 

「ここ・・・・・・」

 

 どこ?

 

 殴られた頭が痛み、思考が混濁している。

 

 揺れる視界の中で、複数の人間が蠢いているのが分かった。

 

「ようやくお目覚めですか?」

 

 肌に纏わり付くような、声が聞こえた。

 

「・・・・・・誰?」

 

 ようやく視界が光に慣れ始める。

 

 その視界に映った物は、

 

「ああッ!?」

 

 かつて一度だけ会った事のある、帝国軍指揮官の顔があった。

 

 とっさに逃げようとする。だが、腕を後ろ手に縛られている為、身動きが思うに任せない。

 

 それでもどうにか、身を捩って逃げようとする。

 

 しかし、

 

「おや、逃げては困りますね。」

「ッ!?」

 

 気が付くと既に、ソーマは目の前に立っていた。

 

 その手が、ネリーの剥き出しの足に伸びる。

 

「ヒッ!?」

 

 途端に、悪寒が全身を駆け巡った。

 

『怖い・・・・・・』

 

 この男は人間のはずだ。まともに戦えば自分に敵うはずが無い。

 

 にも拘らずネリーの体は恐怖に竦み上がり、動こうとしない。

 

 そんなネリーの体を、舐めるようにソーマの手が蠢く。その度に、ネリーは鳥肌が立つのが分かった。

 

 やがて胸元に達したソーマの手が、軍装のファスナーを思いっきり引き下ろす。

 

 その下からは、発展前の小さな胸が顔を見せる。

 

「ヒッ、や、止めて・・・・・・」

 

 恐怖に彩られたネリーを楽しむように、ソーマは薄笑いを浮かべて見詰める。

 

「妖精趣味は退廃の極みと言う愚か者が居ますが、誰だってこのような官能を知れば、止められなくなるものですよ。」

 

 爬虫類のような瞳が、今や無力な獲物に成り下がったネリーを見据える。

 

「あなたもすぐに、それを味合わせてあげましょう。なに、痛いのは初めだけ。すぐに、感じた事も無いような快楽があなたを包んでくれますよ。」

「い、イヤ・・・」

 

 言い終わると同時に、ソーマの舌はネリーの幼い乳首に這い回り始める。

 

「い、イヤ・・・ん、んあ・・・な、何、これ・・・・・・あぁ・・・・・・い、イヤ、こ、こんな・・・・・・こんなの、イヤ、だ・・・・・・」

 

 初めて経験する感覚に、戸惑うネリー。

 

 やがてソーマの手はネリーのスカートの中に侵入を始め、秘所を守る白い下着を引き下ろしていく。

 

 抵抗しようにも、体が言う事を聞かない。

 

 そんなネリーをいたぶるようにソーマはゆっくりと、下着をその細い足から抜き取る。

 

『いや・・・イヤだ・・・・・・こんなのイヤだ。怖い・・・・・・助けて・・・・・・』

 

 下着を剥ぎ取られ、秘所に直接愛撫を受けるネリー。

 

 電撃がネリーの体を駆け抜けていく。

 

 初めて知る感覚に成す術も無いネリー。

 

 ソーマは幼く未成熟なネリーの肢体と精神を、容赦なく蹂躙していく。

 

『助けて・・・・・・セツナ!!』

 

 悲痛な叫びはしかし、恐怖の為に喉に閉じ込められる。

 

 そんな陵辱劇の様子を横目に見ながら、部屋を出て行く影があった。

 

 

 

 雨は先程から激しさを増している。

 

 アト山脈の深い山中に分け入ったセツナは、ぬかるむ地面に足を取られながらも、走るスピードを緩めようとはしない。

 

 アト山脈。

 

 旧ダーツィ大公国首都キロノキロの西側に連なり、イースペリアとの国境を形成していた山脈。北方五国争乱時の激戦区でもあり、ラキオス軍とダーツィ軍が一進一退の攻防を繰り広げた古戦場である。

 

 よく見ればそこかしこに木々が倒れ、癒えぬ戦乱の爪跡を残している。

 

 それらの木々を跳び越えながら、セツナは道無き山中を進む。

 

「ネリー・・・」

 

 駆けながら、募る思いが口から零れる。

 

 愛しい少女。

 

 掛け替えの無い、存在。

 

「無事で、居てくれ。」

 

 祈るように、呟く。

 

 背負った《静寂》が、セツナの想いに呼応するように光る。

 

 その時だった。

 

「ッ!?」

 

 突然降り注ぐような殺気が、セツナを襲った。

 

 理由を調べるよりも先に体が反応し、身を翻らせる。

 

 そこへ振り下ろされる、蒼き刃。

 

 間一髪でよけたセツナは、後退しつつ《麒麟》を抜き放つ。

 

「へえ、熱くなってても、頭の中は冷静なようだね。」

 

 その耳に、聞き慣れた声が飛び込む。

 

「・・・・・・カチュア。」

 

 帝国軍第18特殊部隊隠密頭。そして、ネリー拉致を指揮した張本人。憎むべき存在。

 

 それが、目の前に立ちはだかった。

 

 セツナは切っ先をカチュアに向ける。

 

「ネリーはどこだ?」

 

 静かに紡ぐ言葉。しかし、そこに含まれる殺気は声音だけで絞め殺されそうな錯覚に陥る。

 

 カチュアの額に、雨粒とは違う雫が滴った気がした。

 

「大した殺気だ。そんなに、あの娘が大事かい?」

「質問に答えろ。」

 

 殺気が更に膨らむ。

 

 これ以上韜晦する気なら、斬る。

 

 語らずとも、その言葉はセツナの全身から発せられる。

 

 しばしの睨み合い。

 

 降りしきる雨音だけが、場を奏でる戯曲となる。

 

 カチュアは緊張を誤魔化す様に、溜息を吐いた。

 

『こいつは確かに、宰相殿が言った通りみたいだね?』

 

 そう呟いて、苦笑する。

 

 ネリーはセツナにとって特別な存在。

 

 作戦前にハーレイブはカチュアに、そう告げたのだが、目の前にセツナの様子を見れば、それが間違いではなかったと頷ける。

 

 そのセツナが焦れたように切っ先を動かした時、

 

「あの娘なら、この先の廃墟に居るよ。」

 

 あっさりした口調で、カチュアが告げた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その言葉を聞き、なおもセツナは切っ先を下げない。

 

 信じられるはずが無かった、敵の言葉など。

 

「何だい? 聞かれたから答えただけなんだけどね。」

「信じると思うか、そんな事?」

 

 セツナの問いに、カチュアは肩を竦める。

 

「無理だろうね。でも、あたしは事実を告げただけ。信じる信じないはあんたの勝手さ。」

 

 カチュアの言葉に、セツナは黙り込む。

 

 確かに、この先の廃墟と言うのは、ファーレーンの報告とも符合する。と言う事は、カチュアが言っている事は真実と言う事になるのだが、

 

「なぜ、それを俺に教える?」

 

 それが分からなかった。その事実をセツナに伝えて、カチュアが得する事など何も無いはずだ。

 

 対してカチュアは、口元に笑みを浮かべる。

 

「まあ、その疑問はもっともだね。確かに、あたしにメリットなんて何も無い。」

「・・・・・・・・・・・・」

「けど、まあ、しいて言うなら、あたしはあのソーマって男、嫌いでね。はっきり言って、消えてもらえるとありがたいのさ。」

 

 自軍の同胞を、事も無げに切り捨てるような発言をするカチュア。

 

 セツナは逡巡する。これは罠か? あるいは真実なのか?

 

 判断が付きかねる所だった。

 

『だが・・・・・・』

 

 虎穴に入らねば、話が始まらないのもまた、事実だ。

 

 セツナは切っ先を下ろすと、鞘に収める。

 

 ここまで来たのだ。疑いに意味は無い。罠があるなら罠ごと食い破るまでだ。

 

「・・・・・・今は、感謝する。」

 

 そう言って、カチュアの脇を通り抜ける。

 

 カチュアはと言うと、何をするでもなくセツナが通り抜けるのを見守る。

 

 やがて駆ける足音が遠のくと、初めて振り返ってその背中を見送る。

 

「やれやれ、行ったか。」

 

 正直、セツナと睨み合ってる瞬間は生きた心地がしなかった。

 

 カチュアとてこれまで幾度も戦場を駆け抜け、修羅場を潜って来た女傑だ。そのカチュアをして、殺気のみで黙らせたセツナに、戦慄せずにはいられなかった。

 

『しかし、あれ程の男にこうまで想われるスピリットか・・・・・・』

 

 その脳裏には、ネリーの可憐な表情が浮かぶ。

 

「正直、羨ましいね。」

 

 セツナの背中は、もう見えなかった。

 

 

 

 気配が近いのは、セツナにも感じる事が出来た。

 

 既に戦場の跡は無く、鬱蒼とした木々が行く手を遮るように縦横に折り重なっているだけだった。

 

 一息の躊躇いも無く、それらを飛び越えて駆けるセツナ。

 

 やがてそれも抜け、目の前に大きな建物が飛び込んできた。

 

 いかにも秘密の研究所を髣髴とさせるその建物は、禍々しい雰囲気をかもし出していた。

 

 このような山奥に人知れずひっそりと建てなれているところを見ると、間違いなく非合法な実験を行う施設であったと見て間違いない。

 

 おぞましい過去の怨念が、建物全体から滲み出ているようだ。

 

 入り口の前に立つ。

 

 身の内を静かに、オーラフォトンが満たしていく。

 

 中にある気配が動く。どうやら、こちらの接近を感知したようだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 構う必要は無い。ここまで来れば、秘匿に意味は無い。

 

 オーラフォトンを乗せて、セツナは《麒麟》を抜き放った。

 

「雷竜閃!!」

 

 縦に一線、切り裂かれる扉。

 

 その向こう側には、戦闘体勢を整えて待ち構える帝国軍のスピリット達。そして、

 

「ようこそ、エトランジェ殿。」

「ソーマ・ル・ソーマ・・・・・・」

 

 余裕ぶったソーマの顔に、セツナの顔が歪む。

 

 しかしすぐに視線は、その背後に移され、驚愕に染まった。

 

 そこにいたのは、自身が想いを寄せる少女。しかし、その強烈な印象である奔放さは、今の彼女から感じる事は出来ない。

 

 全裸に剥かれ、両手を鎖で縛られて天井から吊るされている。

 

 何度も殴られたのか、小さな顔は赤く染まり、腫れている。体中が擦り傷だらけで、相当抵抗した事が伺えた。

 

 そして、その両足の間からは一筋の血が流れ出ている。

 

「セツ・・・ナ?」

 

 か細い声が、鼓膜を打つ。

 

 朦朧とした意識の中でもなお、求める存在を認め、少女は微笑を浮かべる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 ドクン・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 体の中から、何かが湧き上がる。

 

 

 

 ドクン・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 目の前が、赤く染まる。

 

 

 

 ドクン・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 思考がスッキリとし、何も考えられなくなる。

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 何かを、叫んだ気がした。

 

 後は、何がどうなったのか、気が付けば《麒麟》を掲げていた。

 

 横合いから、ブルースピリットとブラックスピリットが斬り掛かって来る。

 

「邪魔だ!!」

 

 無造作に振るった刃が、両者の首を一刀の元に斬り飛ばす。

 

 キッと顔を上げる。

 

 睨む視線の先にいる、ソーマ。

 

 そこへ、3人のレッドスピリットが一斉に神剣魔法を放ってくる。

 

 視界を埋め尽くすほどの炎。

 

 しかし、そんな物は今のセツナにとっては毛ほどの障害にもならない。

 

「蒼竜閃!!」

 

 一閃。

 

 炎は真っ二つに裂かれ、霧散する。

 

 次の瞬間セツナは一気に距離を詰め、3人のレッドスピリットを目にも留まらぬ速さで切り伏せる。

 

 そこへ、横合いから槍を突き出してくるグリーンスピリット。

 

 しかし、

 

「・・・・・・」

 

 セツナは無言のまま、それ以上のスピードで切っ先を突き出し、グリーンスピリットの顔面をぶち抜く。

 

 ソーマズフェアリーと言えば、指揮官であるソーマに従順で、なおかつその精神を神剣に呑まれており、およそ集団戦闘においては最強と目されている。

 

 そのソーマズフェアリーが、エトランジェ1人の進撃を阻めずにいる。

 

「クッ、押し包んで討ち取りなさい!!」

 

 ソーマの命を受けて、3人のブルースピリットが三方からセツナに斬り掛かる。

 

 振るわれる3本の刃。

 

 対するセツナは白虎を起動、10倍に自身を加速し、3本の刃をかわしていく。

 

 包囲からの脱出が難しいと悟ったセツナは、左手で鞘を抜き放ち、振るわれる刃を弾く。

 

 たじろくブルースピリット。

 

 その機を逃さず、セツナは《麒麟》を振るう。

 

 標的となったブルースピリットは後退しようとするが叶わず、その胴を深く抉られ、床に倒れる。

 

 残る2人は仲間の死にも顔色を変えずに向かってくる。

 

 対するセツナは沈み込むようにして、相手の足元に出る。

 

 ブルースピリット2人がセツナの動きを知覚した瞬間には、既に遅かった。

 

 セツナは無防備な4本の足を、一気に切り捨てる。

 

 激痛が走り、床に転がるブルースピリット。

 

 それらを無視して飛び越えるセツナ。

 

 その目は既に、次の目標を捕らえる。

 

 スピリット達はソーマの命を受けて動いているだけ。ならば、ソーマ自身を潰せば全てが終わる。

 

「これで終わりにする!!」

 

 セツナは白虎の力を借り、一気に床を蹴る。

 

 スピリット達が振るってくる刃をかわし、ソーマとの距離を詰める。

 

 対するソーマもセツナの接近を感知し、腰の剣を抜いて身構える。

 

 この時、セツナは自身の内を殺気で滾らせながらも、ある事を考えていた。

 

『こいつは人間に過ぎない。』

 

 と。

 

 人間であるならば、エトランジェである自分に敵うはずが無い。

 

 その慢心が、最強であるはずのセツナの心にほんの僅かな隙を作った。そしてソーマ・ル・ソーマという男は、そう言った心の隙を突くと言うことに長けた人間でもあった。

 

 セツナの鋭いまでの切っ先。

 

 しかしソーマは、僅かに体を傾けてかわすと、返しの一撃をセツナに放つ。

 

「クッ!?」

 

 とっさにかわそうとするセツナ。

 

 しかしソーマの剣は、セツナの肩口を掠める。

 

「チッ!?」

 

 必要以上に熱くなり過ぎていた事に気づき、セツナは一旦後退を掛けた。

 

 そんなセツナに対し、前に出るソーマ。

 

「油断しましたね。エトランジェ殿。」

 

 笑みを浮かべるソーマ。

 

「不思議でしょう? なぜ、私があなたの剣をかわせたか? なぜ、反撃できたか?」

 

 ソーマは自慢たらしく、説明する。

 

「私はね、エトランジェ殿。この体に半分、あなたと同じ血が流れているのですよ。」

「何?」

「私の片親はエトランジェなんです。だからまあ、この程度の芸当は可能なのですよ。」

 

 セツナは立ち上がる。

 

 なるほど。片親がエトランジェとは。召還されたものの永遠神剣に選ばれず、野に下ったエトランジェがいたと言うのは聞いた事があったが、考えてみればエトランジェが普通の人間と結ばれて、その血を受け継いだ子供が並以上の剣士になる事はありうる話だ。

 

 だが、

 

「それがどうした?」

 

 セツナは《麒麟》を掲げる。

 

 次の瞬間には、その体はソーマの目前に現れる。

 

「クッ!?」

 

 放たれる斬撃を必死の思いでかわすソーマ。

 

 対するセツナは、斬撃の手を緩めない。四方八方から連続で斬撃を叩き込み、ソーマを追い詰めていく。

 

 対するソーマは必死に剣を振るい、セツナの斬撃をいなす。

 

 セツナの鋭いまでの斬撃に、ソーマは防戦一方である。その体は徐々に押され、後退していく。

 

 やがてソーマの踵が、壁際を叩く。

 

 セツナの目が、勝機を捉えて光る。

 

「死ね、ソーマ!!」

 

 繰り出される斬撃。

 

 しかし、

 

「フッ」

 

 追い詰められているはずのソーマの口元に笑みが浮かぶ。

 

 次の瞬間、目にも止まらぬ速さで繰り出されたソーマの剣がセツナの頬を掠めた。

 

「クッ!?」

 

 とっさに体を傾けて斬撃を回避するセツナ。

 

 しかし、ソーマはセツナの剣速を上回る速さで、斬撃を繰り出してくる。

 

「何ッ!?」

 

 ソーマの急激な変化に、戸惑うセツナ。その戸惑いが剣を鈍らせ、ソーマの剣はセツナの体を掠めていく。

 

「クッ!?」

 

 とっさに後退して間合いの外に逃れるセツナ。

 

 それを追い、斬撃を繰り出すソーマ。

 

「ほらほら、どうしたんです。エトランジェ殿? 先程までの勢いは何処に行かれました?」

 

 嘲笑うような口調と共に繰り出されるソーマの斬撃。セツナは後退しながらそれを受けるので手一杯となる。

 

『何だ? 一体何故、急に強くなったんだ!?』

 

 先程の光景を巻き戻ししているかのように、今度はソーマがセツナを追い詰めていく。

 

「クッ!!」

 

 苦し紛れにセツナは、《麒麟》を横薙ぎに振るう。

 

 しかし、

 

「ッ!?」

 

 その剣に、手応えは無い。

 

 そこへ、

 

「隙だらけですよ。エトランジェ殿。」

 

 嘲るような声と共に、セツナの脇腹にソーマの剣が突き刺さった。

 

「グッ!?」

 

 激痛が、全身を走る。

 

 傷口から流れ出た血が、金色のマナへと変わっていく。

 

「馬鹿、な・・・・・・」

 

 驚愕するセツナ。

 

 そんなセツナに追い討ちを掛けるように、ソーマは突き刺さったままの剣を捻り込む。

 

「グアァッ!?」

 

 激痛と共に全身から力が抜け、手に握った《麒麟》が零れ落ちる。

 

「セツナ!!」

 

 崩れ落ちるセツナの姿に、吊るされたままのネリーが悲痛な叫びを上げる。

 

 倒れ伏すセツナ。

 

 そんなセツナを、ソーマは冷たく見下ろす。

 

「・・・・・・いやはや、まさかこれ程の力をお持ちとは。間に合わなかったらどうしようかと思いましたよ。」

 

 冷や汗を拭いながら、ソーマが語る。

 

「不思議でしょう? 明らかに能力で劣る私が、あなたに勝てたか?」

「クッ・・・・・・」

 

 体を起こそうとするが、全く力が入らない。

 

 まるで神経伝達への信号を断たれてしまったかのように、セツナの体は木偶のように床に倒れ伏すしかできない。

 

 そんなセツナの体を、ソーマが踏み付ける。

 

「教えてあげましょう。私の剣にはね、ある薬が塗ってあるのですよ。」

「クス・・・リ?」

 

 途切れ途切れに問い返すセツナを見下ろし、ソーマは続ける。

 

「そうです。我が帝国の研究所が開発した薬品でしてね。マナを有害な毒に変えるという代物なのですよ。効果は、本来なら即死するはずなのですが、どうもまだ未完成品らしく、即死には至らなかったようですね。」

 

 その言葉に、セツナは納得した。

 

 つまり、初めに肩を斬られた時、既にその毒がセツナの体内を侵していたのだ。その効能が徐々に効き始め、セツナの感覚が知らずに鈍っていった。

 

 つまりソーマが強くなったのではなく、セツナの力が徐々に落ちていったのだ。

 

 ソーマは、セツナの脇腹にある傷を蹴り上げた。

 

「グアッ!?」

 

 さすがに堪らず、声を上げるセツナ。

 

 毒のせいで体が全く動かないセツナに、生き残っていたスピリット達が神剣を突き付け、動きを封じる。

 

「さて、あなたはもうすぐ死ぬでしょうが、このまま死なれてしまっては、正直趣向に欠けますね。」

 

 思案するように、ソーマは視線を巡らせてから、名案を思いついたように言った。

 

「そうだ、こうしましょう。あなたには、死ぬ前に最高の絶望を味わってもらいましょう。」

 

 そう言うと、視線をネリーに向ける。

 

「彼女を下ろしなさい。」

 

 命じられるままに、スピリット達はネリーを下ろしていく。

 

 訳が分からず、困惑するネリー。

 

 そんな彼女に、ソーマはゆっくりと近付いていく。

 

「今から彼女に、私の相手をしてもらいます。もちろんあなたは毒のせいで動けないわけですから、その場で無様に這いつくばって見てるしかない訳です。」

「クッ!!」

 

 ソーマの意図を、理解した。

 

 ソーマは動けないセツナの目の前でネリーを犯し、セツナに絶望を味あわせようとしているのだ。

 

 ソーマは、拘束されているネリーに覆いかぶさる。

 

「さあ、先程の続きをやりますよ、ネリーさん。」

 

 その言葉に、何をされるかを悟ったネリーは、あの時の恐怖を思い出して震え上がる。

 

「い・・・イヤ!! もう、イヤ!!・・・・・・止めて、お願いだから・・・・・・」

 

 哀願するように、首をイヤイヤと振るネリー。

 

 破瓜の恐怖と、得も知れぬ快楽がフラッシュバックし、ネリーの細い体を蔦の様に絡まって拘束していく。

 

 怖い。

 

 あの恐怖が。

 

 そして何より、あのような恥ずかしい姿を、セツナに、好きな男に見られる事が。

 

 そんなネリーの様子を楽しむように、先程と同じ愛撫を始めるソーマ。

 

 陵辱と言う名の蹂躙が、ネリーを侵し始める。

 

「イヤ!! イヤ!! お願い、もう許して!!」

 

 普段の快活さなどかなぐり捨てて、ネリーは幼児のように泣き叫ぶ。

 

「クッ・・・ネリー・・・・・・」

 

 そんなネリーの様子に、セツナは動かぬ体を引きずって前に出ようとする。

 

 ネリーが侵される。

 

 ネリーが、

 

 ネリーが、

 

 だが、這って前に出ようとするセツナの体を、スピリット達は容赦なく神剣で刻みつけ、動きを封じる。

 

 這いつくばる視線の中で、ソーマの陵辱は続く。

 

 望むと望まざるとに関わらず、ソーマの陵辱にネリーの体は反応を示し、その幼い口からは拙い嬌声が漏れ始める。

 

 神経が焼き切れそうなほど、セツナは凝視する。

 

『俺は、何って、無力なんだ・・・・・・』

 

 目の前にいる好きな女1人救う事ができなくて、何がエトランジェだ!? 何の為の力だ!?

 

『動け・・・・・・』

 

 祈るように、念じる。

 

『動け!!』

 

 今動かずして、いつ動くと言うのだ!?

 

『動け!! 動け!! 動け!! 動け!! 動け!! 動け!! 動け!! 動け!!動け!! 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け!!』

 

 その時だった、

 

《煩いのう。》

 

 そう

 

 全くの唐突に、

 

 何の前触れも無く、

 

《それ》は応えた。

 

『な・・・・・・』

 

 思わず、呆気に取られるセツナ。

 

 その脳に、誰の物ともつかぬ声が響いてくる。

 

《わらわを叩き起こしたのは、そなたかえ?》

『お、お前は、一体?』

 

 質問しようとするセツナ、

 

 しかし、

 

《痴れ者が。》

 

 声の主は、ピシャリと言ってのける。

 

《今質問しておるのはわらわじゃ。そなたの問いには後で答えてやる故、今はこちらの問いに答えよ。》

 

 そう言って、質問をやり直す。

 

《で、わらわを叩き起こしてくれたのは、そなたか?》

 

 セツナはしばし考え込む。

 

 この相手が何者で、なぜ自分に話し掛けてきているのか分からないが、状況から考えて肯定と見て間違いないだろう。

 

『そうだ。』

 

 答えるセツナに、相手はあからさまに溜息を吐く。

 

《やれやれ、余計な事をしてくれたの。そなたが起こさねば、今しばし眠っておるつもりだったものを。》

 

 随分な物言いである。

 

 しかし、その感情を引っ込めて、セツナは自身の質問をぶつける。

 

『それで、お前は一体何者だ?』

《何と・・・・・・》

 

 今度は、相手が驚く番であった。

 

《わらわを知らぬと申すか?》

『知らぬも何も、話す事自体、今が初めてだと思うが?』

 

 セツナは呆れたように返す。

 

 微妙に会話が噛み合っていない。と言うか、初めの言葉と裏腹に、まったくセツナの質問に答えていない。

 

《まったく、何たる不覚じゃ。このような、わらわの名も知らぬうつけに起こされようとは・・・・・・》

『・・・・・・・・・・・・』

 

 噛み合わぬ会話に、現状も忘れて呆れ始めるセツナ。

 

 そんなセツナに構わず、相手は話を進める。

 

《まあ、良いわ。時にそなた、何やら困っておるようじゃな?》

『ああ、』

 

 短く答えるセツナ。

 

 こんな馬鹿らしい会話をしている事自体、既に時間の無駄に思えてくる。

 

 そんなセツナに、相手は含み笑いを浮かべたような声で問いかける。

 

《助力が必要かえ?》

『・・・・・・・・・・・・』

 

 助力、つまり、助けてくれると言っているようだ。

 

『本気か?』

《愚弄する気かえ? わらわに二言は無いわ。もっとも、代償の無い奇跡は存在せぬ。そなたにも、相応の代価を払ってもらうがのう。》

『・・・・・・・・・・・・』

 

 何だって構わない。

 

 この状況を切り抜けられるなら、

 

 ネリーを助けられるなら、

 

 この身は何を失っても構わない。

 

『良いだろう。力を、貸せ。』

《契約成立じゃ。》

 

 その瞬間、声の主は妖艶な笑みを浮かべた気がした。

 

《いずれその身、その血、その魂、そして、現在、過去、未来、その全てをわらわが喰らう事となる。セツナよ、それまで命冥加にのう。》

 

 

 

「さて、」

 

 腕の下で、食われるのを待つ料理を見下ろし、ソーマは唇を舐める。

 

 ネリーは既に、抵抗の意思を放棄したかのようにグッタリとしている。

 

 舌なめずりをする。

 

 こんな活きの良いスピリットは久しぶりだった。これが終わったら帝国に連れ帰り、自分好みに調教してやろう。

 

 そう考えたときだった。

 

 突然、ソーマの背後で爆音が響いた。

 

「何ッ!?」

 

 思わず振り返るソーマ。

 

 そこにいたのは、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 金色のオーラフォトンを纏い、立ち上がる死神の姿。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・」

 

 先程まで死に掛けていた筈のエトランジェの姿に、ソーマは驚愕の表情を作る。

 

 だがすぐに、我に返り、配下のスピリットに命を下した。

 

「何をしているのです!? すぐに奴を殺しなさい!!」

 

 ソーマにも分かった。目の前に立つエトランジェが、どれだけ危険な存在であるかを。

 

 幸いにして奴は今、自分の永遠神剣を持っていない。背中に括り付けてある神剣は、彼自身の物ではあるまい。ならば、自分のスピリットにも勝機はあるはずだ。

 

 三方から襲い掛かるスピリット。

 

 次の瞬間だった。

 

「・・・・・・」

 

 セツナは横合いから接近した2人のスピリットに対し、裏拳を繰り出す。

 

 その一撃により、2人のスピリットは壁に叩きつけられた。

 

「なっ!?」

 

 呆気に取られるソーマ。

 

 吹き飛ばされた2人は、そのままマナの塵となって溶けて行く。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・」

 

 いかにエトランジェとは言え、今は神剣を持たない身。ならば、多少強かろうと、「人」と言う枠に囚われているはず。

 

 にも拘らずセツナは、素手で2人のスピリットを殴り殺したのだ。それも、1撃で。

 

 残った1人は、その様子に呆然と立ち尽くしている。

 

 そのスピリットに向かって、セツナはゆっくりと振り返る。

 

 殺気に満ちた瞳。無言の言葉。

 

 それらが無色の霧となってスピリットを包む。

 

 既に心を潰され、恐怖を知らないはずのスピリットが、慄いて後ずさる。

 

 そのスピリットの顔面を、セツナは鷲掴みにしそしてそのまま、持ち上げる。

 

 足が地から離れ、顔面を押す万力のような力に、スピリットは全身を震わせてもがく。が、セツナの握力は、決して放そうとしない。

 

 次の瞬間、セツナはスピリットの顔面を握り潰してしまった。

 

 シャワーのように降り注ぐ鮮血。それすらも、金色の塵となって消えて行く。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは消え行くスピリットの死体をゴミのように床に投げると、ゆっくりと振り返った。

 

「ヒッ!?」

 

 思わず仰け反りながらも、剣を抜いて構えるソーマ。

 

 そんなソーマに対し、セツナはゆっくりとした足取りで近付いていく。

 

「死」と言う名の漆黒を身に纏って。

 

「く、来るな。来るんじゃない!!」

 

 切っ先を向けたまま、喚くソーマ。

 

 それを無視して近付くセツナ。

 

 間合いまで入ったセツナはソーマの剣の刀身を掴み取った。

 

 刃を掴む事で掌が切れ、傷口から再び毒が侵入を始めるが、もはやセツナは、そのような事を気にしない。

 

「な、何をする、放せ!!」

 

 セツナは強力な力でソーマの剣を抑え、放そうとしない。

 

 次の瞬間、ソーマの剣はセツナの握力によって真っ二つにへし折られた。

 

「なっ!?」

 

 そのあまりな光景に、腰を浮かしかけるソーマ。

 

 しかし、セツナはそれを許さない。

 

 倒れようとするソーマの腹を容赦無く蹴り上げた。

 

「グフォウ!?」

 

 腹筋が断裂し、骨が砕け内臓が裂ける。

 

 崩れかけたソーマの体は、強烈な蹴り上げによって再び浮き上がった。

 

 それを見逃さず、セツナは腰のナイフを抜き放つとソーマの腕に突き刺し、そのまま壁に縫い止めた。

 

「グアァァァ!?」

 

 腕に走る激痛に、喚くソーマ。

 

 対してセツナは、煩いとばかりにその口に容赦なく拳を叩き込む。

 

 ソーマの顎は変形し、口が閉じなくなる。口内を覗いて見れば、前歯は完全に全滅。舌も千切れかけている。

 

 それを見詰めるセツナの瞳には、残酷な光が宿っている。

 

 自分を、

 

 自分とネリーを絶望の淵に叩き落した男。

 

 それを許す気は、セツナには微塵も無かった。

 

 自分が絶望の淵に叩き落されたのなら、自分はその足を引っ張り、さらにその下に叩き落してやるまでだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナはもう1本のナイフを抜き放つと、ソーマの片目に突き刺した。

 

 もはや原型を留めぬ口から、声にならぬ悲鳴を上げるソーマ。

 

 しかし床にのた打ち回ろうにも、手を縫い止められている為それも出来ない。

 

 そんなセツナを、意識を持ち直したネリーが見上げている。

 

『・・・・・・・・・・・・誰?』

 

 目の前で死と破壊を振り撒く存在。

 

 漆黒の衣に身を纏った死神。

 

 あれは、誰?

 

 視界の中で死神は、止めとばかりにナイフを振り上げている。その切っ先は、真っ直ぐにソーマの胸を指向している。

 

 セツナじゃない。

 

 あんなのは、セツナじゃない。

 

 セツナはいつも、憎たらしいくらい余裕の表情を浮かべていて、

 

 周りに人を寄せ付けないで、

 

 素っ気無くて、

 

 くーる、で

 

 でも、誰よりも皆の事を考えていて、

 

 あんなの、

 

 あんなの、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あんなの、あたしのセツナじゃない!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目ェェェェェェェェェェェェ!!」

 

ネリーのあらん限りの絶叫が、室内に木霊する。

 

「はッ!?」

 

 その声に、セツナは我に返った。

 

 瞳に正気が戻り、全身を包む殺気が霧散する。

 

 目の前には、既に半死半生のソーマがいる。

 

「・・・・・・お、俺は?」

 

 一体、何を?

 

 分からない。

 

 記憶が完全に抜け落ちている。

 

 そこで我に返り、声の主に振り返る。

 

「・・・・・・ネリー?」

 

 振り返る視線の先には、這うようにして近付いて来るネリーの姿がある。

 

「駄目、だよ、セツナ・・・・・・そんなセツナ・・・ネリーは、見たくないよ・・・・・・」

 

 涙を流しながら訴えるネリー。

 

 その言葉に、手にしたナイフを取り落とす。

 

「ネリー・・・・・・」

 

 駆け寄って、抱き起こす。

 

 掌に感じる、少女の小さな体。

 

 その体は至る所に傷を負っている。否、体だけではない。心も、大きく傷付いている。

 

 だがその瞳だけは真っ直ぐに見開き、輝きを失っていない。

 

 それは、少女の示す抵抗の証。

 

 陵辱を受けながらも、恥辱を刻まれながらも、ネリーは決して自分の愛と、誇りを失わなかったのだ。

 

「・・・・・・済まない。」

 

 この小さな少女の、何と強い事か。怒りに我を忘れた自分の方こそ、余程無様だ。

 

「俺のせいで、お前をこんな目にあわせてしまった。」

 

 しっかりと、その体を抱きしめる。

 

 ネリーは、ゆっくりと首を振る。

 

「ううん良い。だってセツナ、ちゃんと助けに来てくれたもん。」

「ネリー・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナはネリーの裸体を抱え上げると、スッと立ち上がる。

 

 これ以上、このような場所に居る必要は無い。これ以上この忌まわしい場所に、ネリーを留めて置きたくなかった。

 

《麒麟》を拾い、鞘に収めるセツナ。

 

 そのまま、入り口の方に足を進める。

 

 だが、まだ終わっていなかった。

 

 卑劣なる男は、残された力の全てを振り絞り、手を縫い止めているナイフを引き抜く。

 

 このままでは、済まさない。

 

 自分にこのような屈辱を味合わせて、ただで帰れると思ったら大間違いだ。

 

 幸い奴は今、背を向けている。今なら殺れるはずだ。

 

 その手にナイフを持ち、振り被る。

 

 その瞬間、

 

「セツナ!!」

 

 腕の中のネリーが、声を発する。

 

 セツナが振り返ろうとするが、遅い。

 

 ソーマの手にあるナイフが、振り下ろされる。

 

「ッ!!」

 

 その瞬間、

 

 ネリーは滑るような手付きで、セツナの背に括り付けられた物。自分の永遠神剣《静寂》を鞘から抜き放つ。

 

 そして、迫るソーマに向かって投げつけた。

 

 主の意を受けて、飛翔する《静寂》。

 

 その湾曲した切っ先は回転しながら飛翔する。そして、

 

「うっ!?」

 

 ソーマの目が、見開かれる。

 

 その胸には、刃が生えている。

 

 ネリーが投げた《静寂》が、ソーマの胸に突き刺さったのだ。

 

「う・・・グッ・・・・・・馬・・・な・・・・・・こ・・・・・私が・・・・・・このよ・・・な、場所・・・・・・」

 

 断末魔の呟きを残し、ソーマは前のめりに倒れ込んだ。

 

 これが、かつてラキオス軍でスピリット隊隊長を務め、その後ラキオスを裏切り、サーギオスにおいて名を馳せた、ソーマ・ル・ソーマの最後だった。

 

「ネリー・・・・・・」

 

 腕の中に居る少女に呼びかけるセツナ。

 

 ネリーは、力無く笑う。

 

「ど、どう? ネリーだって、役に立つでしょ。」

 

 セツナは、フッと笑った。

 

「ああ、そうだな。」

 

 王都襲撃以来、立ち込めていた暗澹たる空気。

 

 それが今、ほんの少しだけ、払拭された気がした。

 

 

 

 降りしきる雨をシールドで遮りながら、中天に浮いて、眼下の状況を見下ろしている。

 

「いや、これはなかなか良い見世物でした。ソーマを捨て駒にした甲斐がありましたよ。」

 

 愉快そうに笑うハーレイブ。

 

 彼は初めから、こうなる事はわかりきっていた。分かりきった上で、ソーマにセツナ迎撃を命じたのだ。

 

 目的はただひとつ。セツナの本気を見定める事。

 

 絶望の中でこそ、人は真の実力を発揮する。

 

 長すぎる生の中で、その事を悟っていたハーレイブは、今回の罠を思い付いたのだった。

 

 その為の王都襲撃であり、その為の捨て駒だった。

 

「まあ、これで楽しみが1つ増えました。」

 

 そう言うと、背を向ける。

 

「帝都で待っていますよ。セツナ君。」

 

 

 

第22話「巷に振る、雨」   おわり