光の回廊

 

 形容するなら、まさにそれだった。

 

 その中を、セツナはゆっくりとした足取りで歩く。

 

 その腕に、眠り続ける妖精を抱いて。

 

 手に入れかけた、安息の地を捨て、

 

 再び、戦乱渦巻く大地を目指し、一歩、また一歩と近付いていく。

 

 後悔は無い。

 

 あるのは、ただ偏に、頑なな決意のみ。

 

 すなわち、生き残る。

 

 そして、必ず帰る。と言う、

 

「ん・・・んん・・・・・・」

 

 腕の中で眠る少女が身じろぎしたかと思うと、ゆっくりとその目を開いた。

 

「・・・・・・あれ?」

 

 目を開けるネリーのすぐ目の前に、セツナの顔がある。

 

「セツナ?」

「起きたか。」

 

 血色は良い。どうやら、マナ欠乏による死から、完全に脱したらしい。

 

「ここは?」

「門の中だ。今から俺達は、ファンタズマゴリアに帰るところだ。」

「ええ〜〜〜」

 

 ネリーは不満げな声を上げた。

 

「ネリー、もっとハイペリアに居たかったんだけど・・・」

「・・・・・・死にたいのか?」

 

 マナが薄いハイペリアでは、戦闘が無くともどの道ネリーは、長くは生きられない。ざっと概算しただけだが、恐らく持って5日前後が限界だろうとセツナは思っていた。

 

「むう、それはやだなあ。」

「だろ? 諦めろ。」

「・・・・・それより、セツナ。」

「ん?」

 

 ネリーが、ほんのり、頬を赤く染めて言った。

 

「ネリー、1人で歩けるんだけど・・・」

 

 ネリーの今の状態は、所謂「お姫様抱っこ」。される側としては、少し恥ずかしい。

 

 だがセツナはフッと笑って言った。

 

「良いから。」

「・・・・・・うん。」

 

 頷くと、ネリーもセツナに身を預ける。

 

 やがて暫く歩く、光が途切れ、緑溢れる光景が目に飛び込んできた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 マナが遊ぶように風に乗り、舞っているのが分かる。

 

 不足していたマナが体を急速に満たしていく。

 

 ここがどこか、などと考える必要も無かった。

 

「帰って来たな。」

「うん。」

 

 2人は再び、ファンタズマゴリアの大地に立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大地が謳う詩

 

 

 

第18話「騎士の誓い」

 

 

 

 

 

 

「以上が、セツナ様不在の際の報告です。」

 

 目の前に立つエスペリアは、そう言って報告を締め括った。

 

 レスティーナの執務室には、セツナ、エスペリア、セリア、エリオスの3人が集まっている。

 

 感覚的には3日ぶりに、セツナとネリーの2人は、ラキオスに帰り着いた。

 

 予想した通り、ハイペリアとファンタズマゴリアの時間の流れは一定ではなく、セツナ達が消えてから、3週間の時が流れていた。

 

 その間、対マロリガン戦線は大した動きも無く、ランサ周辺で数度に渡る小競り合いが頻発した程度だった事には、セツナも胸を撫で下ろした。

 

 1ヶ月近くも不在にしていたせいで、仕事が溜まっているかとも思ったが、さ程でも無い事は意外だった。どうやら、参謀補佐の立場にあるセリアが、代行として立派にこなしていてくれたらしい。

 

 お陰でセツナは、無用な雑務に捉われる事無く、スムーズに対マロリガン戦線に集中する事が出来た。

 

 ただ驚いた事に、セツナとネリーの帰還と前後するように、今度はユウトとアセリアが失踪してしまったらしい。

 

 セツナに続いてユウトの失踪に、ラキオス中が混乱の極みに達した事は言うまでもない。失踪直前、何者かと交戦していたと言う目撃情報と、その後、エトランジェ来訪の際とほぼ同様の光が観測された事から、既にこの世界から離れた事が予想されていた。

 

 ただ、セツナには2人の行く先は何となくだが想像が付いた。

 

『恐らく、行き先はハイペリア。ユウトもロウ・エターナルからの襲撃を受けたんだろう。』

 

 そして、カオス・エターナルによって救われた。もちろん、死んで居なければの話だが。

 

 セツナはフッと笑う。

 

『あいつが、死ぬはずが無いか。そして、死んでさえ居なければ、あいつは必ず帰ってくる。いかなる手段を用いてでもな。』

 

 ならば、自分のする事は決まっている。

 

 ラキオス軍参謀長として、可能な限り軍備を整え、ユウトが戻って来た時に、戦い易い環境を構築しておくのだ。

 

 心の中でそう呟いているセツナの前に、今度はセリアが進み出た。

 

「国内における早期警戒監視システムの構築はほぼ完了いたしました。ヨーティア様が開発されたエーテルジャンプシステムとの併用により、当初の計画より、迅速な防衛網構築が可能となりました。」

 

 セリアの報告に、セツナは頷く。

 

 マナで構成されたエトランジェやスピリットの体を一旦エーテルに変換し、設置された母機と子機の間を一瞬で移動させる、所謂、瞬間移動が可能となるこのエーテルジャンプシステムのお陰で、ほぼ前線と王都の距離はゼロになったと言っても過言ではない。

 

 当初の監視システム計画の段階で、この装置を考慮に入れていなかったセツナとしては、前線と王都との距離が最大のネックとなっていた。最悪、機動力の高いブルー・ブラック両スピリットを防衛戦闘の主戦力にし、その他は予備、もしくはシフトのサイクルを厳密に作成しようかとも考えていた。

 

その悩みも、この装置の導入によって解消された。これさえあれば、前線の町から、いかなるスピリットでも一瞬で戻って来れるのだ。

 

「セツナ様、これを、」

 

 エリオスが前に出て、セツナに書類を差し出す。

 

 それは、セツナが以前から情報部に依頼していたサーギオス神聖帝国に潜入している密偵からの報告書だった。

 

「ご指示通り、宰相ハーレイブ、エトランジェ《誓い》のシュンの情報を中心に、軍事力、民衆に対する政策等の情報を集めてみました。」

「ご苦労。」

 

 セツナは報告書を受け取ると、一読してみる。

 

「やはり、軍民のマナ配当率の対比が極端に悪いな。」

「はい、有体に申し上げますと、軍用のマナが全体の7割、民間用が3割となっております。」

「確かあの国は、大陸中の国で最も人口密度が高かったはずだ。この状態でよく、国を維持できるものだな。」

「その点に関しては・・・次のページを、」

 

 エリオスに促され、次のページを開く。

 

「《誓い》のシュンも来訪当初は、それまでと同様の政策を進めてきたようです。つまり、軍備拡張路線の方針を、です。しかし、ハーレイブは宰相就任と同時にマナ配当率を見直し、税率の引き下げを進言し、民衆の負担を緩和、国力の活性化を図り、それを成し遂げました。」

「ほう。」

 

 セツナは、ハーレイブの余裕ぶった顔を思い出し、感心した声を上げる。

 

「と、なると、現状のサーギオスは、大陸最大の軍事力を誇ると同時に、それを維持するために必要な国力も充分に備えた、真の意味での強国にのし上がっていると見て良いな。」

「はい、残念ながら。」

「分かった。」

 

 セツナは、報告書を閉じると、エスペリアに向き直った。

 

「エスペリア、ヨーティアが製作中の対マナ障壁用の装置は、あとどれくらいで出来る?」

「はい、ヨーティア様のお話によりますと、既に試作品は完成、あと数度の試験を終えれば、実戦投入は可能、およそ半月の内には目処が立つとの事です。」

「そうか。」

 

 セツナは立ち上がる。

 

 サーギオスが国力を整えつつある以上、これ以上マロリガン戦に手こずっている余裕は無い。早期に決着を付け、サーギオスとの戦いに備える必要がある。

 

 セツナは、そこまで聞いてから、レスティーナに向き直った。

 

「レスティーナ。どうやら、機は熟しつつあるようだ。」

「そうですね。」

 

 レスティーナも頷く。

 

 それを受けて、セツナは傍らに立つエスペリアとセリアに向き直った。

 

「エスペリア、セリア。」

「「ハッ」」

「明朝、スピリット隊はラキオス王都を出撃、ヨーティアの装置完成を待って、マロリガン共和国に総攻撃を敢行する。」

「復唱します。明朝、スピリット隊は各小隊毎にラキオス王都を出発、ランサに終結後、ヨーティア様の装置完成を待って、マロリガン共和国に対し総攻撃を敢行します。」

 

 エスペリアの復唱に次いで、セリアが口を開いた。

 

「でも、現状で私達はユウト様とアセリアを欠いているわ。あなたの言うとおり、2人が戻ってくるなら、その到着を待ってからの方が、良いのではないかしら?」

「いや。」

 

 セツナは首を横に振る。

 

「確かに、あの2人が居ない事は苦しいが、現状の機を逃したくは無い。最悪、俺達だけでマロリガン攻略を行う事も、覚悟しておいてくれ。」

「分かりました。」

 

 一礼して、セリアは引き下がった。

 

「頼むぞ、みんな。」

 

 

 

 「セツナ。」

 

会議が終わって、セツナ達が退出しようとした時だった。

 

 レスティーナが、退出しようとするセツナを呼び止める。

 

「どうした?」

「いえ。」

 

 レスティーナは微笑を浮かべて、椅子から立ち上がった。

 

「報告では、不在の間ハイペリアに行っていたと言うことですが?」

「ああ。」

「では、少し、その時のお話を聞かせて欲しいのですが。」

 

 そう言えば、レスティーナはハイペリアの事にも興味があり、軟禁中にも色々と尋ねられたと、佳織が依然言っていたのを思い出す。

 

 どうやらそれで、今度の一件に興味を持ったようだ。

 

「別に構わないぞ。」

 

 そう言うと、レスティーナに向き直る。

 

 他の3人は、レスティーナに気を使い、部屋から出て行く。

 

 それを確認してから、セツナは口を開いた。

 

「しかし、何を話せば良い? 断っておくが、聞いてもあまり楽しい話では無いと思うぞ。」

 

 ハイペリアでセツナがした事と言えば、母親との和解と、ハーレイブとの戦い、後はせいぜい、遊園地で遊んだくらいだろう。

 

 取り立てて、話すような事でも無いと思う。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 しかしレスティーナは、無言のまま窓の外を眺め、セツナに背を向けている。

 

「レスティーナ?」

 

 怪訝な面持ちで声を掛けるセツナ。

 

 そんなセツナに、レスティーナはゆっくりと口を開いた。

 

 その内容は、予想とは大きく外れていた。

 

「あなただったんですね、セツナ?」

「何がだ?」

 

 突然の疑問文に、声を低めて尋ね返すセツナ。

 

 そこでレスティーナは振り返った。

 

 その口から出た言葉が、無形の槍となってセツナを貫いた。

 

「お父様、いえ、前国王を殺害した真犯人は、あなたですね。」

 

 凛然たる声、迷いの無い瞳が、真っ直ぐにセツナを見据える。

 

 それは確認ではなく、確信。

 

 レスティーナの声に、迷いは一切無かった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは無言のまま、レスティーナと向かい合う。

 

 あるいはこの瞬間は、いかなる強敵と対峙するよりも緊張を強いられたかもしれない。

 

 それでも、その緊張をおくびにも出さず、セツナは無表情のまま問い返した。

 

「証拠は、あるのか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「証拠が無いのなら、どれほど正当な真実も詭弁に成り下がるぞ。」

 

 セツナはスッと目を細める。

 

「それとも、不確かな情報だけで、俺を断罪するか? 確かに、お前にはその権限があるが・・・」

 

 レスティーナは専制君主。全ての政に対する決定権を持ち合わせている。それは、高官の人事のみの留まらず、その生殺与奪にまで及ぶのだ。

 

「・・・証拠は、ありません。」

 

 レスティーナは言葉を紡ぐ。

 

「ですが、あらゆる状況が、あなたが犯人である事を指し示しています。」

「・・・・・・聞こうか。」

 

 セツナは、腰を落ち着けてレスティーナを見る。

 

 欺瞞やハッタリの類は、目の前の少女には通じない。

 

 それだけの威厳を、レスティーナは備えていた。

 

「きっかけは、後日、聞いたスピリット達の証言です。」

「・・・・・・・・・・・・」

「あの時あなたは、敵襲の半鐘が鳴ると、スピリット達を城下の防衛に向かわせ、自分1人で城に向かったと聞きました。」

 

 確かにそうだった事を、セツナは思い出す。

 

「そこでわたくしは疑問に思いました。『敵が何者で、どれくらいの規模で、城に何人侵入しているかも分からない状況で、なぜ、あなたは1人で城に向かったのか』と。いかにエトランジェと言えど、敵の規模が不明である以上、警戒してある程度の人員は連れて行くはず。そうでなくても、人手はあるに越した事は無いはずです。」

「・・・・・・・・・・・・」

「次に、確信を持たせたのは、生き残った兵士の証言です。」

 

 セツナは軽く驚いた。

 

 まさか、あの状況で生き残った兵士が居るとは思わなかった。

 

「その兵士の証言で、侵入した帝国軍スピリットは3名。緑、黒、青。その内、緑と黒はあなたが倒したと聞きました。となると、単純な計算で残るスピリットはブルースピリット1人。」

「・・・・・・・・・・・・」

「しかし、後日、傷口を見た検査官の報告で、『ブラックスピリットのような刀型の神剣』で貫かれた跡という報告が上がりました。」

 

 レスティーナは視線を、セツナの腰にある《麒麟》に向けた。

 

「あなたの《麒麟》も、ブラックスピリットと同じ刀型。そこで、わたくしは確信しました。あなたが、前国王を殺害した犯人である、と。」

「・・・・・・・・・・・・フッ」

 

 セツナは鼻を鳴らす。

 

 そこまで分かっているなら、これ以上言い逃れする事は不可能。

 

『これまで、か・・・・・・』

 

 セツナは、前国王を殺した事を、今でも後悔していない。

 

 前国王の欲望は、遅かれ早かれ、いずれは己が身を滅ぼすであろうと、セツナは確信していた。現にあの日も、あと数秒セツナが来るのが遅ければ、犯人はセツナではなく侵入したブルースピリットになっていたはずだ。

 

 言わば、セツナは結果に過ぎないのだ。

 

 だがそれでも、これ以上、欺瞞で彼女を欺き続ける事は不可能だろう。

 

 仮に欺けたとしても、今後の政策に支障が出る事は間違い無いだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 潮時、かもしれなかった。

 

 何だかんだ言いつつ、セツナ自身も強引なやり方でここまでやって来た。それが、誰かを不幸にしていたとしても不思議ではない。

 

 現に目の前に1人、自分の行動で不幸になっている人物が居る。

 

 心残りは大いにあるが、これが自分の信じた行動がもたらした結果ならば、受け入れねばならない。

 

 それが、策謀を弄した者の義務だった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは腰の裏側からナイフを抜き放つ。

 

 そして、それの刃を持って、レスティーナの方に差し出した。

 

「な、何を?」

「・・・お前に、チャンスをやる。」

 

 戸惑うレスティーナに、セツナは告げた。

 

「お前の想像通り、前国王、ルーグゥ・ダイ・ラキオスを殺したのは、俺だ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 もはや、迷いは無かった。

 

 この少女が自分を断罪するなら、それも良いと思った。

 

「俺が憎いと思うなら、これで俺を刺せ。俺は抵抗する気はない。それなら、いかにエトランジェでも死ぬ事が出来るだろう。」

 

 エトランジェやスピリットが一般の武器で殺せないのは、その耐性や身体能力にある。つまり、本人に抵抗の意思が無ければ、別段普通の武器でも殺せるのである。

 

「自分で出来ないと言うなら、他のスピリットを呼べば良い。ただし、」

 

 セツナはキッパリと言った。

 

「チャンスは1度だけだ。そう何度も命を捨ててやれるほど、俺はお人好しじゃないからな。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 レスティーナは無言のまま、目の前に差し出されたナイフを見詰める。

 

 自分の父を殺した仇。

 

 それが今、目の前に居る。

 

 確かに、父ルーグゥは、欲に目を狂わせ、他者を省みないおよそ人としての黒い部分を集合させたような人物であった。

 

 だがそれでも、レスティーナにとってはたった1人のかけがえの無い父親であった事は確かなのだ。

 

「どうした? やるなら早くしろ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 まるで囃す様に、セツナは言う。

 

 このナイフを取り、相手の胸に突き入れる。それで終わりだ。

 

 それで、自分は父の仇を取る事が出来る。

 

 そうしろと、

 

 お前にはその権利がある、と、

 

 自身の心にある、黒い部分が叫んでいる。

 

 だが、

 

 レスティーナは目を瞑る。

 

 そして、大きく息を吸い込んで言った。

 

「あなたを、殺すような事は、しません。」

 

 キッパリと言い放った。

 

「・・・・・・なぜ?」

 

 その言葉に、セツナは意外な面持ちになった。

 

 唖然とするセツナを見て、レスティーナは言葉を続ける。

 

「確かにあなたは、我が父を殺した、憎い仇でもあります。しかし、それと同様、いえ、それ以上の事を、父はしてきました。それを思えば、あの結末は当然だったのでしょう。」

「レスティーナ・・・・・・」

「ですが、ここでわたくしがあなたを殺せば、また、誰かがわたくしを恨む事となるでしょう。憎しみは憎しみを呼び、それは連鎖となってどこまでも連なります。」

「・・・・・・」

「・・・どこかで、断ち切らねばならないのです。憎しみの連鎖は。」

 

 毅然とした眼差し。

 

 憎いはずなのに。

 

 殺したいはずなのに。

 

 その全てを己が内に飲み込み、レスティーナはセツナを許すと言っているのだ。

 

 セツナは自分が相当、この少女を見縊っていた事に気付いた。

 

 レスティーナは続けて言葉を紡ぐ。

 

「その代わり、あなたはこれからもスピリット隊の参謀として、以後もこのラキオスの為に尽くす事を命じます。」

「・・・・・・」

「これは、このラキオス王国女王としての、正式な命令です。拒否は許しません。」

 

 セツナは目の前の少女を見る。

 

 やはり、自分の目に狂いは無かった。

 

 彼女はやはり王たる才を持ち、人の上に立つ資質を備えた人間なのだ。

 

「分かった。」

 

 セツナはナイフを仕舞う。

 

 徐にレスティーナの前まで行くと、片膝を突いた。

 

 そして、腰から《麒麟》を抜くと、その腹に手を添えて頭上に掲げる。

 

「セツナ・・・」

「策謀の為とは言え、あなたの御父上をこの手に掛けた事、深くお詫び申し上げます。」

 

 普段では決して聞く事の無いような、礼を重んじる口調。

 

 心からの誠意が、言葉となって紡がれる。

 

 セツナは頭を垂れる。

 

「そして、この魂が燃え尽き、肉体がマナの塵と化すその瞬間まで、我が忠誠の全てをあなたに捧げます。レスティーナ・ダイ・ラキオス陛下。」

 

 それは、誓いだった。

 

 騎士から君主への、

 

 己が全存在を賭けて誓う言葉だった。

 

 レスティーナはそっと、《麒麟》の刃に手を置いた。

 

 そして、今や自身の頼もしい忠臣となった少年に言った。

 

「あなたの忠誠、嬉しく思いますセツナ。以後もわたくしの理想の為に、その力をお貸しください。」

「ハッ」

 

 

 

 

 

 

 ラキオス軍がマロリガン共和国との決戦に向けて動き始めた頃、

 

 遠く南の地、ダスカトロン大砂漠を縦断する少数の一団があった。

 

 全員が砂漠迷彩を兼ねた砂色のマントに頭から身を包み、顔を伺う事は出来ない。

 

 数は6。

 

 かなりの移動速度である。

 

「なあ、方角は合ってるんだろうな?」

 

 そのうちの1人が、口を開く。

 

「うん、大丈夫、ランサはこっちで間違いないよ。」

「でも、いくら何でも、砂漠を踏破しようなんて、無理がありすぎるのではないかしら、御頭。」

 

 言われて、先頭を走る者が口を開いた。

 

「仕方ないだろ。ダーツィ領はラキオスの支配下にあるから街道は使えない。なら、こっちを行くしかないじゃないのさ。」

「その通り、それに、ソーマ殿との合流を急ぐ必要がある。」

「え〜〜〜」

 

 一際小柄な者が声を発する。

 

「ルル、あいつ嫌〜い。」

「ルル、好き嫌いで戦争をやってる訳じゃないんだよ。」

「ぶ〜」

「ま、何はともあれだ、」

 

 初めに口を開いた者が言う。

 

「久しぶりの実戦だ。俺は楽しめるんだったら、それで良いよ。」

「そうだな。」

 

 口々に頷き合う。

 

 と、先頭を行く者が、少し考え込んで言った。

 

「待てよ、本隊との合流の前に、少し楽しんでみないかい?」

「御頭?」

「聞けば、ソーマの奴、既に一度ラキオス軍と接触してるって言うじゃないか。なら、あたし等も挨拶しとかなきゃいけないんじゃないかね?」

「成るほどね。」

「確かに。」

「依存はありませんわ。」

「さっすが御頭。話が分かるぜ!!」

「ルルはオッケーだよ!!」

 

 口々に賛同の声が上がる。

 

「よっしゃ。そんじゃ、本隊との合流の前に、ラキオス軍と挨拶しとくかね。」

 

 そう言うと、6つの影は速度を落とさず走り続けた。

 

 一路、ラキオス王国軍前線司令部のあるランサに向けて。

 

 

 

「それでねそれでね、すんごかったんだから!!」

「・・・はあ。」

「えっと・・・」

「ん?」

 

 興奮した調子で話すネリー。

 

 その前には、怪訝そうな顔をしたウルカとヘリオン、シアーが座っている。

 

「こう、さ、ギューンっていう感じで下りて来て、グルグルって回るんだよ。もう、凄いんだから!!」

 

 何やら身振り手振りを加えて、必死に何かを表現しようとしている。

 

 どうやら、ハイペリアで行った遊園地について説明しているようだ。

 

 が、

 

 どうにも、要領を得ない説明に、前に座った3人は、揃って首を傾げながら聞いている。

 

「・・・それで、ネリー殿。」

「何?」

「その『じぇっとこーすたー』なる乗り物は、この世界でも実現できるのでしょうか?」

「ん〜〜〜」

 

 ネリーは少し考えてから、顔を上げた。

 

「よし、やってみよう!!」

「ほえ?」

 

 言うが早いか、ネリーは傍らのシアーの腕を取る。

 

「いっくよ〜〜〜!!」

「え、え、ネリー!?」

 

 ウィング・ハイロゥを広げたネリーは、戸惑うシアーを抱えて一気に急上昇、限界まで高度を稼いだ後、一気に急降下に入った。

 

「キャァァァァァァァァァァァァ!?」

 

 悲鳴を上げるシアー。

 

 そんなシアーを他所に、一気に加速するネリー。

 

 しかし、ここでネリーは1つ、大きな計算違いをしていた。

 

「・・・・・・あれ?」

 

 体を引き起こそうとしても、引き起こせない。

 

 戦闘機等が急降下爆撃をする場合、胴体部に搭載した爆弾を投下せず、抱えたまま機体を引き起こそうとすれば、エンジン出力が弱まり失速してしまう事がある。同様に今のネリーは、シアーを抱えたままである為、とっさに体を引き起こせなくなっていたのだ。

 

「わ、わわわ!?」

「キャァァァァァァ!?」

 

 2人は頭から落下して行き、

 

 ドッカーーーーーーン!!

 

 そのまま地面に激突した。

 

「むぎゅ〜〜〜」

「きゅ〜〜〜」

 

 仲良く目を回す2人。

 

「う〜む・・・・・・」

 

 そんな2人の様子を、ウルカは困った顔で眺めつつ言った。

 

「これが『じぇっとこーすたー』ですか。確かに、スリルはあるでしょうが、その為に命を懸けるのはいかがな物かと思うのですが。」

「こ、怖い所なんですね、ハイペリアって。」

 

 完璧に勘違いした答えを発するウルカとヘリオン。

 

 そこへ、

 

「何やってるのよあなた達は・・・・・・」

 

 呆れた声と共に、セリアがこちらに歩いてくるのが見えた。

 

 その傍らに立つセツナも、やれやれといった感じに首を振っている。

 

「これはセツナ殿、セリア殿。」

 

 ウルカは居住まいを正して礼をする。

 

 そんなウルカに視線を向けて、セツナは言った。

 

「調子は良さそうだな。」

「は、お陰様で。この通り、神剣の声も聞こえるようになりました。」

 

 そう言うと、自身の永遠神剣を翳してみせる。

 

《あれ?》

 

 疑問符を発する《麒麟》。

 

『どうした?』

《いやね、何か彼女の神剣、前と違うような・・・・・・》

「?」

 

 訝りつつ、セツナは尋ねてみた。

 

「ウルカ、お前、神剣が変わったのか?」

「はい。」

 

 ウルカは頷いた。

 

「以前、手前が持っていました《拘束》は、言わば卵の殻、この《冥加》こそが、手前の真の神剣です。」

「殻?」

 

 そう言えば、とセツナは思い出す。

 

 以前《麒麟》が、ウルカの神剣の声がひどく聞き取りにくいと言っていた事があった。

 

 本来の神剣の精神を別の神剣が覆っていたのなら、その理由も頷ける。

 

『これも、ロウ・エターナルの策略の一環か・・・だが、なぜ、ウルカを?』

「あの、セツナ殿。」

 

 考え込むセツナの前に、ウルカは膝を突いた。

 

「どうした?」

「ハッ、手前はユウト殿とオルファ殿に命を救われ、セツナ殿の言葉により、こうして再び剣を取るきっかけを掴む事が出来ました。その恩義に報いる為、ラキオスで剣を振るう事をお許しください。」

 

 セツナは苦笑した。

 

 既に、ウルカをラキオス軍に編入した旨は、エスペリアから報告を受けている。

 

 今更と言う感もあるが、今までウルカはランサ駐留軍に身を置いていた為、セツナと顔を合わせる機会が無かったのだ。まあ、それを別にしても、わざわざ改めて言ってくる辺り、ウルカの律儀さを再確認させられる。

 

「好きにしろ。俺としても、お前が仲間に加わってくれるなら、これ程ありがたい事は無い。」

「ハッ」

 

 何しろ、2度も剣を交えた相手である。その実力は良く分かっている。セツナとしても、ウルカ諜略が狙い通りに完了し、満足の行く結果となった。

 

 その時、

 

「あ〜〜〜〜〜〜!!」

 

 ムクッと顔を上げたネリーが大声を発した。

 

「生きていたか。」

 

 素っ気無く放たれたセツナの言葉を無視して跳ね起きると、ネリーはセツナとセリアの間に割り込んで、前者の腕に抱き付いた。

 

「駄目!!」

 

 主語、述語、修飾語を思いっきり省いた抗議に、その場に居た一同は「?」マークを浮かべながら首を傾げる。

 

「セツナはネリーの物なんだから、他の人がネリーより仲良くしちゃ駄目!!」

「誰がお前の物なんだ?」

 

 突っ込んではみたものの、ネリーはまったく耳を貸す様子は無い。

 

 その抱きつく手には、更に力を込めて来る。

 

 そんな2人の様子を、セリアが冷ややかな目で見詰める。

 

「いつの間にか仲良くなったみたいね。」

「さあな。」

 

 どう答えていいのか、そもそも模範解答が存在するのかどうかすら分からないこの状況に、セツナも投げやり気味に答えるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 ランサより僅かに南に下った砂丘の上に、黒と緑、2つの影がある。

 

 ファーレーンとニムントールの姉妹である。

 

 マロリガン共和国との決戦に備え、戦力の終結を図るラキオス軍は、常時斥候を放ち、マナ障壁、及びマロリガン軍の動向を監視していた。

 

 今回、その任に就いていたのが、この2人であった。

 

「はあ。」

 

 ニムントールの口から溜息が漏れる。

 

「面倒。」

 

 このラキオス軍きっての面倒くさがりは、暑さに耐えつつそれでも、視線を凝らしてマナ障壁を見詰める。

 

 先の侵攻作戦で、自分達の進撃を見事に阻んでくれた忌々しいオーロラはなおも健在で、まったく衰えるそぶりを見せない。

 

 ニムントールは、後ろに立つファーレーンに向き直る。

 

「ねえ、お姉ちゃん。もう帰ろうよ。」

「だめでしょ、私達は交代が来るまでここにいなくちゃいけないのよ。」

「だって、面倒なんだもん。」

「もう。」

 

 覆面から僅かに見える目に、苦笑を含ませて、ファーレーンは言った。

 

 一見、ニムントールがファーレーンに甘えて我侭を言っているようにも見えるが、それを叱る事の出来ないファーレーンにも大きく問題がある。

 

 兎にも角にも、この甘甘姉妹。自分達が泥沼に嵌まっている事にも気付いていないのだった。

 

 まあ、当人達が幸せなら、特に言うべき事も無いのだが。

 

「とにかく、もう少しの辛抱よ。そろそろ、交代のセリアさん達が来るはずだから。戻ったら、一緒にお昼寝しましょうね。」

「うん。」

 

 ニムントールがそう言って頷いた時だった。

 

 突然、視界の隅に影が躍った。

 

「ハッ!?」

 

 ファーレーンがとっさに、腰の《月光》に手を伸ばした。

 

 次の瞬間、

 

「ハッハー!!」

 

 耳を劈くような大音量の声と共に、凶刃が振り下ろされた。

 

「クッ!?」

 

 居合い気味に《月光》を抜き放ち払いのける事で、その斬撃を回避する。

 

 相手の勢いに負けたファーレーンの体は後方へと流されるが、それでもどうにか、ウィング・ハイロゥを広げて空気抵抗を捕まえる事で体勢を整える

 

「お姉ちゃん!?」

 

 ニムントールの声を聞きながら、距離を取りに掛かる。

 

「ニム、下がって!!」

 

 《月光》を鞘に戻しつつ、居合いの体勢に入るファーレーン。

 

 敵は頭から爪先まで、砂漠迷彩用の砂色のマントに身を包んでいる為、その表情、出で立ちを伺う事はできない。

 

 だが、その腕に持つダブルセイバーが、目の前の人物がスピリットである事を如実に表している。

 

「・・・・・・」

 

 ファーレーンは無言のまま、相手を見据える。

 

 一合して悟る。

 

 この相手は、強い。

 

 だが同時に、疑問も頭に浮かぶ。

 

『でも、何者?』

 

 視界の彼方に、今だその濃度を保つマナ障壁の姿がある。

 

 このマナのオーロラは、対峙するラキオス軍を防ぐのに絶好の防壁となっている上、マロリガン軍が任意で停止する事が可能な為、一方的にラキオス軍が攻められるという状況を作り出しているが、たった1つだけ、ラキオスに有利な恩恵をもたらしている。

 

 障壁が展開している間はラキオスはもとより、マロリガンも軍事行動を起こす事が出来ない。つまり、障壁の停止はマロリガン軍の行動開始を告げている事を意味する。ラキオス軍はマナ障壁が消えると同時に警戒ラインを構築すれば、早期に迎撃体勢を整える事が出来るのである。

 

 今、視界の先でマナ障壁は変わらず勢力を保っている。と言うことは、ラキオス軍が攻められないのと同時に、マロリガン軍がランサに攻めて来る事も事実上不可能と言う事になる。

 

 では、このスピリットは一体何者なのか?

 

『まさか・・・』

 

 とある可能性に行き着き、ファーレーンは背中に汗が滲むのを感じた。

 

 だが、考える時間は無い。

 

 次の瞬間、敵のレッドスピリットは動いた。

 

 手にした双剣を翳して突っ込んでくる。

 

「ウオリャァァァ!!」

 

 怒声に近い掛け声と共に、旋回しながら迫る刃。

 

「クッ!?」

 

 その攻撃と気勢に、思わず気圧されて後退するファーレーン。

 

 攻撃魔法主体のレッドスピリットが、いきなり接近戦を仕掛けて来るとは思わなかった。

 

 ファーレーンは全速で後退しつつ、前傾姿勢を取ると居合いの構えをする。

 

「行きます!!」

 

 ウィング・ハイロゥを広げて疾走するファーレーン。

 

 一気に距離を詰めて《月光》を抜き打つ。

 

 しかし、

 

「させませんよ。」

 

 柔らかな言葉と共に、2人目の影が目の前に出て、手にした槍を掲げる。

 

「2人目!?」

 

 思わず斬撃を止めて急ブレーキを掛けるファーレーン。

 

 その時、

 

「お姉ちゃん、右!!」

 

 ニムントールの声と共に振り向くと、そこには刀を掲げて迫る3人目の影がある。

 

「クッ!?」

 

 そのスピリットの一撃を、辛うじてのけぞる事で回避するファーレーン。

 

 しかし、体勢を崩したファーレーンに更に、長剣を翳した4人目が迫る。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 姉の危機に、とっさに飛び出すニムントール。

 

 自身の神剣《曙光》を翳してシールドを形成、迫る刃を弾いた。

 

「ニム!!」

「お姉ちゃんは、やらせない!!」

 

 自身の体の倍以上ある槍を軽く振りながら、迫る敵を追い払うニムントール。

 

 現われた4人のスピリットは、2人を囲むようにして立つ。

 

 ニムントールと互いに背中を守りながら、ファーレーンは素早く状況を計算していく。

 

 相手は4人でこちらは2人。何とかランサに戻って増援を呼ばないと不利だ。

 

「ニム。」

 

 背後に立つ妹に話しかける。

 

「どうにかして、突破するわよ。私がニムの背中を守るから、ニムはランサに走って、みんなを呼んできて。」

「でもそれじゃ、お姉ちゃんが!!」

 

 声を上げるニムントールに、ファーレーンは優しく自分の言葉を被せる。

 

「私は大丈夫だから。ニムが戻ってくるまでは持たせるつもりよ。」

 

 選択の余地は無かった。

 

 一見、移動速度の速いファーレーンがランサまで飛べば救援も早く呼べるのかもしれないが、その場合だとニムントールが1人で敵の猛攻を支える事になる。

 

 2人一緒に逃げるのは、敵に包囲される可能性があるので論外。2人で踏み止まって戦うのも無謀。となるとやはり、ニムントールが救援を呼びに行くしかないわけである。

 

「・・・わ、分かった。」

 

 姉の言葉に頷くニムントール。

 

 次の瞬間、敵スピリット4人が一斉に襲い掛かってきた。

 

 迫る、4本の刃。

 

 しかしその前に、ファーレーンが動く。

 

「ダーク・インパクト!!」

 

 黒いマナを凝縮した魔法が、迫る4人の鼻先で炸裂、散開を余儀ない状態に追い込む。

 

「今よ、ニム!!」

 

 姉の言葉に、弾かれるように走り出すニムントール。

 

 そこへ、

 

「おっと、行かせないよ!!」

 

 長剣を翳したブルースピリットが、ニムントールの背後から迫る。

 

 しかし、

 

「やらせません!!」

 

 それに倍するスピードで追いついたファーレーンの剣が、ブルースピリットの攻撃を弾く。

 

「チッ!?」

 

 素早く繰り出される斬撃を、後退することでかわすブルースピリット。

 

 彼女達の前に立ちながら、決然と《月光》を掲げるファーレーン。

 

「へえ。」

 

 その様子を見て、ブルースピリットがほくそ笑む。

 

「僕達相手に、たった1人でやろうっての?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 挑発交じりの言葉にも、ファーレーンは動じない。

 

 仮面の下の眼差しを吊り上げながら、攻撃のタイミングを測った。

 

 

 

 砂に足を取られながら、ニムントールは走った。

 

 足が重い。

 

 なぜだろう?

 

 普段は何でもないはずの、ランサまでの道が、今日はひどく遠く感じる。

 

『早く、早く行かなきゃ!!』

 

 一秒進む毎に、最愛の姉の命が削られて行く。

 

 その焦燥感が、更に足を鈍くしているようにも錯覚する。

 

 だが、間に合うのか、自分の足で?

 

『違う。間に合わせるんだ!!』

 

 萎えそうになる意識を、そう言って奮い起こす。

 

 間に合わなければ、大好きな姉が死んでしまう。

 

 だから、絶対に間に合わせるんだ!!

 

 駆ける足に力を込める。

 

 その時だった。

 

「えッ!?」

 

 思わず、息を詰める。

 

 絶望が、視界を覆った。

 

 彼方の砂丘の上に、複数の人影がある。

 

 手にはそれぞれ永遠神剣を持ち、ニムントールの行く手を遮るように立っている。

 

「あ・・・あ・・・・・・・あ・・・・・・」

 

 今のニムントールには、その影はバルガ・ロアーの悪霊にも見える。

 

 もう、駄目だ。

 

 ニムントールは、ガックリと膝を突いた。

 

 

 

「月輪の太刀!!」

 

 ファーレーンは包囲しようとする敵スピリットに、必殺の居合いを仕掛ける。

 

 だが、狙ったブラックスピリットは、ファーレーンのそれを遥かに上回るスピードで回避すると、逆に居合いの体勢を取る。

 

「行くぞ、居合いの太刀!!」

 

 太刀筋を返すように放たれた一撃が、一息の間にファーレーンの首筋に迫る。

 

「クッ!?」

 

 どうにかかわそうと、身を捩るファーレーン。

 

 だが、かわしきれない。

 

 切っ先が頬を霞め、鮮血が舞う。

 

 相当なスピードだ。

 

今ので致命傷を負わなかったのは、運が良かったとしか言いようが無かった。

 

 一瞬、気が抜ける。

 

 その瞬間、鼓膜を柔らかい声が包んだ。

 

「だめですよ、余所見をしちゃ。」

 

 いつの間にか、槍を持ったグリーンスピリットが迫っていた。

 

 そこへ、言葉遣いとは裏腹に鋭い槍の一撃が繰り出される。

 

 しかし、今度は先程のブラックスピリットのような速さは無い。これならいくら鋭くとも、かわすことが出来る。

 

「遅い!!」

 

 ファーレーンはその攻撃を鞘で防ぎながら、視線は目の前のグリーンスピリットの背後に居る陰に集中する。

 

「ハァッ!!」

 

 グリーンスピリットの背後からブルースピリットが姿を現した。

 

「まだです!!」

 

 対して、これを予期していたファーレーンは、《月光》を素早く振るい、その斬撃を跳ね除ける。

 

 ファーレーンの動きに、体勢を崩すブルースピリット。

 

 反撃のチャンスが、訪れる。

 

 しかし、その動作のせいで、ファーレーンの動きが一瞬止まった。

 

次の瞬間だった。

 

「ライトニング・ファイア!!」

 

 それまで距離を保っていたレッドスピリットの魔法が、突如放たれる。

 

「クッ!?」

 

 その瞬間、ファーレーンは自分が罠に嵌まった事を知った。

 

 敵は初めから、自分をレッドスピリットの魔法の範囲内に閉じ込めようとしていたのだ。

 

「ッ」

 

 最早、逃げ場は無い。

 

『ニム・・・』

 

 脳裏に浮かぶのは、先に逃げた妹の姿。

 

 無事であってくれ、と願う。

 

 次の瞬間、炎がファーレーンを包んだ。

 

「ヒャッハー!! 燃えろ燃えろ!!」

 

 吹き上げる火柱を見て、喝采を上げるレッドスピリット。

 

 その様子を、他のスピリット達も眺める。

 

「決まったな。」

「ああ。あの火力で生きていられるとは思えん。」

 

 炎はなおも勢いを強め、ファーレーンに火葬を施していく。

 

「終わったかい?」

 

 そんな彼女達の背後から、別の人影が現われた。

 

「ああ、御頭。遅かったっすね。この通りですよ。」

 

 そう言って、背後の火柱を指す。

 

「ああ!!」

 

 首領の隣に立った、小さい人影が声を上げた。

 

「もう終わってる。ルルの分は!?」

「焦るんじゃないよルル。こいつは前座だ。獲物はまだまだたくさん居るさ。」

 

 そう言って、その頭に手を置く。

 

「しかし、随分と呆気なかったな。」

 

 ブルースピリットが、ぼやくように言った。

 

「僕、もっと強い奴と戦いたいのに。」

「そうだな。出来れば、噂のエトランジェ殿は、もう少し歯応えがある事を期待していよう。」

 

 彼女達の中で、既にここでの戦いは終わった物として扱われようとしていた。

 

 だが、その時だった。

 

「ん?」

 

 一同が見守る中で、目の前の火柱が真っ二つに裂かれる。

 

「何ッ!?」

 

 6人の目が、驚愕に見開かれる。

 

 ハイペリアの知識がある者がその様子を見れば、こう評するだろう。

 

 まるで、モーゼの十戒のようだ。と。

 

「お姉ちゃん!!」

 

 割れた炎の中に倒れ伏すファーレーンにいち早く駆け寄ったのは、救援を呼ぶべくランサに走ったはずのニムントールだった。

 

 ファーレーンの体を、その小さな腕で抱き起こすニムントール。

 

 そんな2人を護る様に、黒衣の死神がユラリと立ちはだかる。

 

「貴様等、」

 

 手にした刀を掲げ、切っ先を向ける。

 

 迸る殺気と共に、セツナは言い放った。

 

「生きて地獄に堕ちるか、死んで地獄に堕ちるか、どちらでも好きな方を選べ。」

 

 

 

第18話「騎士の誓い」   おわり