大地が謳う詩

 

 

 

第17話「目覚めよ、蒼き龍王」

 

 

 

 

 

 

 

 白亜の城のバルコニーに立つハーレイブは、暗くなり始めた眼下の光景を見やる。

 

 まがい物ながら、こうして城の上に立つと、思い出す事がある。

 

 かつて、自分がまだ王族として何不自由なく暮らしていた時代を。

 

「・・・・・・さて。」

 

 感傷を振り払うように、背後に目をやる。

 

 そこには、丸い球体のような結界に囚われた千波の姿があった。

 

 その瞳は眦を決し、自分を捕らえた存在を睨みつけている。

 

「おやおや、そう怖い顔をなされては、美しいお顔が台無しですよ。」

「・・・・・・私を、どうする気です?」

 

 千波は震える声で、しかし勇気を振り絞り尋ねる。

 

「どうやら、セツナ君はあなたに何も話してはいないようですね。」

「ッ!?」

 

 息子の名前が出た途端に、千波の表情が変わった。

 

「あの子に、何をするつもりなんです!?」

「そうですね・・・・・・」

 

 少し勿体つけるような口調で語る。

 

「まあ、あなたにとっては、あまり心臓に宜しく無い事である事は確かですよ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 その時、背後の部屋で、微かに床を鳴らす音が響いた。

 

「・・・・・・来ましたか。」

 

 振り返るハーレイブ。

 

 その視界の先に、各々の神剣を手にしたセツナとネリーがいる。

 

「・・・約束通り来てやったんだ。そいつを放せ。」

 

 《麒麟》を鞘から抜きながら、セツナが言う。

 

「放す? なぜ?」

 

 挑発するようにおどけるハーレイブ。

 

 セツナは《麒麟》を無行の位に下げたまま、いつでも斬りかかれる準備をする。

 

「これから始まるのは、この世界においては誰も目撃した事の無い最高のショーですよ。観客は1人でも多い方が良いじゃないですか。」

「戯言を。」

 

 言い放つと同時に、セツナは動いた。

 

『行くぞ、《麒麟》。』

《オッケー。それにしても、この世界って随分マナ濃度が薄いよね。おかげで回復に随分時間が掛かっちゃったよ。》

 

 ぼやくような《麒麟》の声が聞こえて来た。

 

 こちらの世界に来てから沈黙を続けていたのは、回復に専念する為だったらしい。どうやらハイペリアはファンタズマゴリアに比べてマナの濃度が薄いらしい。まあ、緑豊かな向こうの世界に比べて、こちらは無秩序な開発が続いている。世界の命とも言うべきマナに影響があったとしても不思議ではなかった。

 

「白虎、起動!!」

 

 反応速度、知覚速度、運動速度が通常の10倍に跳ね上がり、事象の全てがスロー認識される世界で、セツナは駆ける。

 

『さて、どう攻める・・・・・・』

 

 ハーレイブとの直接的な激突はこれで3度目になる。

 

 だがセツナは、今だにこの恐るべき男の攻略法を見出していない。

 

 自分の持つ今の能力だけで、どう戦うか。

 

 逡巡するセツナの心を見透かしたかのように、ハーレイブも動く。

 

 掲げた掌からオーラフォトンを放ち、セツナを牽制しに掛かった。

 

「クッ!?」

 

 白虎の運動力を利用して、間一髪で回避するセツナ。

 

 そして一気に距離を詰めると、《麒麟》を横薙ぎにふるって斬りかかる。

 

 しかし、その斬撃は僅かに身を引いたハーレイブによって回避される。

 

「クッ!?」

 

 返す刀で再び斬りかかる。が、その斬撃も回避された。

 

『前から思っていたが・・・』

 

 セツナは斬撃を繰り出しながら、考える。

 

『なぜ、10倍の運動速度を持ってしてもこいつに追い付く事ができない!?』

 

 エトランジェの人間離れした身体能力に加え、その10倍のスピードである。普通ならその動きを知覚する事すら出来ないはず。

 

 なのにハーレイブは、余裕でその動きに付いて行く。

 

『一体、なぜ!?』

「不思議ですか?」

 

 そのセツナの疑問がさも可笑しいかのように、ハーレイブが口を開く。

 

「なぜ、君のスピードを持ってしても私を捉えられないか、君には不思議で仕方ないでしょう?」

「ッ!?」

 

 舌打ちしながら繰り出した斬撃も、掠りもしない。

 

「簡単な話ですよ。」

 

 言いながら、セツナの背後に回る。

 

「クッ!?」

 

 その動きも、セツナの知覚速度を遥かに上回っている。

 

 振り返りざまに連続で繰り出されるセツナの斬撃。

 

 しかし、ハーレイブは僅かに体を傾けるだけでその攻撃をかわして行く。

 

「この世界、いや、宇宙と言っても良いですね。そこには、人とは次元を異にする、超越した存在が居るんです。」

「・・・・・・・・・・・・」

「そう、まさに、神と呼んで差し付けない存在が、ね。」

「貴様がそうだとでも言うのか?」

 

 セツナの質問に、ハーレイブは肯定の意を表す。

 

「その通りですよ。」

「ハッ」

 

 セツナは鼻で笑う。

 

「自分が神だと? どこの新興宗教の教祖様だお前は?」

「信じる信じないは、まあ、あなたの自由です。しかし、」

 

 言いながら、ハーレイブは動く。

 

 気付いた瞬間には、既にセツナの正面に立っていた。

 

「現実は直視しないとね。」

 

 杖による一撃が、セツナを襲う。

 

 辛うじてその攻撃を防ぐセツナ。

 

 そこへ、

 

「タァァァ!!」

 

 《静寂》を翳してネリーが斬り込んで来る。

 

 同時にセツナも、刃を返して斬り込む。

 

 その様子を、ハーレイブは笑みを浮かべて見据える。

 

「諦めない事は良い事ですよ。」

 

 2人分の斬撃を繰り出されながら、ハーレイブは先程と変わらず、余裕に満ちた物腰で捌いていく。

 

「『希望』を持つ事は、若者の特権ですからね。」

 

 と、次の瞬間、

 

「ハッ!!」

 

 手にした杖を高速で回転させ、その一撃でネリーを弾き飛ばした。

 

「キャアァ!?」

 

 弾かれ、壁面に激突するネリー。

 

 しかし、その空いた背中に、セツナの刃が迫る。

 

『タイミング良し。もらったぞ!!』

 

 勝利を確信するセツナ。

 

 しかし、命中の直前、斬撃は何か壁に阻まれるように急停止した。

 

「なっ!?」

 

 セツナの見ている前で、《麒麟》の刃は空中で受け止められている。

 

「驚きましたか?」

 

 ゆっくりと振り返るハーレイブ。

 

「何の事は無い。オーラフォトンを全開にしただけですよ。」

「・・・・・・・・・・・・」

「この私の体から出るオーラフォトンを全開で放出すれば、君程度の攻撃、身動きせずとも受け止められます。」

「クッ!?」

 

 とっさに放れようとするセツナ。

 

 しかし、完全に間合いを取る前にハーレイブは掌を翳した。

 

「高貴なる黒き閃光を持ちて全てを滅ぼし、混沌たる闇を持ちて染め上げよ。」

「クッ!?」

 

 とっさに玄武を起動しようとするセツナ。

 

 しかし、間に合わない。

 

「ノーブル・ケイオス。」

 

 放たれた黒き閃光は、体勢の整わぬセツナを直撃した。

 

「グッ!?」

 

 閃光をそのまま背後の壁を破壊し、セツナを空中に放り投げた。

 

「セツナ!!」

 

 倒れていたネリーは、とっさにウィング・ハイロゥを広げると、落下するセツナを追い駆ける。

 

「クッ!?」

 

 飛行能力の無いセツナの体は、重力に従い、地面に向かって落ちて行く。

 

 追いつけないと判断したネリーは、とっさに翼を畳むと、自身も重力に任せて急降下に入る。

 

「セツナ、手!!」

「ッ!!」

 

 伸ばされるネリーの小さな手を、空中で掴み取るセツナ。

 

 セツナの手の感触を確かめると同時に、ウィング・ハイロゥを広げるネリー。

 

 しかし途端に、空気抵抗によって減速したネリーの細腕に、人1人分の体重が一気に掛かる。

 

「うあァァァ!!」

 

 伸びようとする筋に、思わず悲鳴を上げるネリー。

 

 しかし、ネリーの必死の行動により、2人の落下速度は確実に鈍る。

 

「掴まれ!!」

 

 セツナはとっさにネリーの体を引き寄せると、そのまま抱え上げて体勢を入れ替え、順路の上に降り立った。

 

「大丈夫か?」

「う、うん。」

 

 ネリーを地面に下ろしながら尋ねる。

 

 ネリーは少し左肩を回してから、顔を顰めた。

 

「くゥ・・・」

 

 どうやら、筋を痛めてしまったようだ。

 

「すまない、俺の為に。」

「ううん、ネリーは大丈夫。それより・・・・・・」

 

 ネリーは視線を上に向ける。

 

 そこには、宙に滞空しながら高度を下げてくるハーレイブの姿があった。

 

「あいつ、強過ぎだよ。」

「ああ・・・」

 

 まさに、攻防走、遠近。あらゆるレンジにおいて隙と言う物を見出す事が出来ない。

 

『何か、何か打つ手は無いか?』

 

 いや、あるにはある。

 

 あるのだが・・・・・・

 

『今、切り札を切れるほど、こちらは有利じゃない。』

 

 切りどころを間違えれば、切り札はこちらに不利を招く恐れがある。

 

『どうする・・・・・・』

 

 周囲に居る人間も、3人を奇異な目で見ている。

 

 恐らくまだ、何かのアトラクションの一環と思っているのだろうが、こうして地上に降り立った以上、彼等に被害が及ぶのは時間の問題だ。そうなる前に、何としてもハーレイブを倒さねば。

 

「おい、君。」

 

 そんな時に、騒ぎを聞きつけた警備員が駆けつけてきた。

 

「これは一体何の騒ぎだ? こんなアトラクションがあるなど、聞いてないぞ。」

「丁度良い。」

 

 警備員の言葉を無視して、セツナは自分の用件を伝える。

 

「ここら一帯に居る人間を、すぐに退避させるんだ。」

「何を言ってるんだ、君は?」

 

 事情を知らない人間の言葉は、苛立たしいまでに緊張感に欠けている。まるでこちらがキチガイか狂人であるかのような目で見てくる。

 

「とにかく、ちょっとこっちに来たまえ。そっちの君もだ。」

 

 そう言って、セツナとネリーの腕を掴みに掛かる。

 

 しかし、次の瞬間、

 

「邪魔ですよ。」

 

 低い声と共に、警備員の顔面が細い棒に貫かれた。

 

「ガッ!?」

 

 短い悲鳴と共に、鮮血を振り撒いて倒れる警備員。

 

「観客が舞台に上がるなど、無礼千万。観客は観客らしく、黙ってショーを見ていれば良いのです。」

 

 落ち着き払ったハーレイブの言葉。

 

 警備員の顔面から杖が引き抜かれると同時に、見ていた観光客たちは悲鳴を上げながら逃げ散っていく。

 

「おやおや。」

 

 その様子を、ハーレイブは薄笑いした目で見送る。

 

「さて、これで少しはやり易くなりましたね。」

「ハーレイブ・・・」

 

 呟くと同時に、セツナは地を蹴った。

 

 一息で間合いを詰め、上段から剣を降り降ろす。

 

「蒼龍閃!!」

 

 大気中の分子を切り裂きながら迫る高速剣が、ハーレイブに迫る。

 

 が、

 

「まだ、分かりませんか?」

 

 囁くように言いながら、ハーレイブはセツナの背後に回りこむ。

 

「君では、私に敵わないという事が。」

 

 振り上げる杖。

 

「セツナ!!」

 

 そこへ、ネリーが斬り込んでくる。

 

 しかし、

 

「おっと。」

 

 ハーレイブはさりげない調子でその斬撃を回避する。

 

「ッ!!」

 

 体勢が崩れたところに、再び斬り込むセツナ。

 

 しかし、その攻撃も、流れる水のような体捌きを行うハーレイブの前に掠りもしない。

 

「つまりませんね。」

 

 不意に、ハーレイブは言った。

 

 視線の先には、並んで剣を構えるセツナとネリー。

 

「2人掛かりで、この程度ですか。」

 

 そう言うと、掌を地面に翳す。

 

「あなた方には、別の相手を用意してあげましょう。」

「別の?」

 

 言い終わる前に、ハーレイブの足元に黒い穴が出現する。

 

『これは!?』

 

 以前に見た。

 

 ハーレイブが魔物を召喚する時に使う門。

 

 しかも規模は、あの時の比ではない。

 

「私は、俗に魔王と呼ばれる存在の何柱かとも契約を結んでいます。彼は、その内の一体。」

 

 門から出現する、黒いマントに身を包んだ紳士風の男。しかし、その瞳は血走ったように赤い。

 

「破壊の王、アスモデウス!!」

 

 次の瞬間、紳士然とした顔は砕け、牙がビッシリと生えた口が出現する。

 

マントの下から出現した手は、異様なまでに爪が長かった。

 

「ッ!?」

 

 その爪の一撃を、辛うじて《麒麟》で防ぐセツナ。

 

 しかし、

 

『防ぎ・・・切れない!?』

 

 次の瞬間、セツナの体は大きく吹き飛ばされる。

 

「クッ!?」

 

 どうにか体勢を整えて着地の姿勢を取るセツナ。

 

 しかし、次の瞬間、開いたアスモデウスの口から、凝縮した光の砲弾が放たれた。

 

「クッ!?」

 

 着地した直後のセツナに、回避の余裕は無い。

 

 そして、玄武を起動する時間も無い。

 

 次の瞬間、砲弾はセツナを直撃し、その体を業火が飲み込む。

 

「セツナ!!」

 

 その様子に、ネリーが《静寂》を構えて斬り込んでいく。

 

 一方でアスモデウスも、この小さき妖精に振り返り、再び爪で切り刻もうと近付いて来る。

 

「ええい!!」

 

 しかしネリーは、自身の小さな体を最大限に利用してアスモデウスの懐に飛び込む。

 

「喰らえェ!!」

 

 フルスイングの要領で《静寂》を振るう。

 

 その一撃は、僅かにアスモデウスの皮膚を掠る。

 

「ほう。」

 

 その様子に、ハーレイブは感心したように声を上げた。

 

「やりますね、あの妖精。」

 

 ハーレイブがセツナと戦う時には、常に付き従うように姿を現していたネリー。

 

 強烈な印象を他者に与える、まさに影の如き存在であったネリーだが、これまでの戦闘経過から、実力的にはそれ程高くは無いと踏んでいた。

 

 しかし今、その敵し得ないと踏んでいたネリーが、意外な伏兵としてハーレイブの前に立とうとしていた。

 

「まったく、」

 

 ハーレイブは、視線をセツナのほうに向ける。

 

 燃え盛る炎の中。その中でセツナは、片膝を突いた状態で蹲っている。

 

 魔王が放つ炎は地獄の業火。四位の神剣を持つエトランジェと言えど、喰らえば骨も残らず灰燼と帰すはずだ。それが今だに原型を保っていると言うことは、間一髪の所で防御の魔法が間に合ったと言うことだろう。

 

「やはり君は、私を楽しませてくれますね。セツナ君。」

 

 呟く視界の先で、ネリーが動いていた。

 

 両手で持った《静寂》を翳して、大上段から振り下ろす。

 

 だが、その爪の一撃も、アスモデウスの爪によって防がれ、反対に、その小さな体は空中に弾き飛ばされる。

 

「クウッ!?」

 

 とっさにウィング・ハイロゥを広げ、風を捕まえるネリー。

 

 アスモデウスも、風を呼び寄せて空中に舞い上がり、ネリーを追撃する。

 

「ッ!?」

 

 アスモデウスの一撃を、沈み込むようにしてかわすと、ネリーは懐に潜り込んで斬りかかる。

 

 リーチが短いと言うのは一見不利とも思えるが、裏を返せば懐に入りさえすれば、相手は対応できなくなる事を意味する。要は、フットワークの問題なのである。

 

 もっとも、ネリーがそこまで深く考えているかどうかは分からないが、

 

「タァァァァァァ!?」

 

 先にハーレイブが感じた通り、ネリーが意外な伏兵となりつつあるのは確かなようだ。

 

「さて、」

 

 その光景を見ながら、ハーレイブは目をスッと細める。

 

「その威勢、いつまで持ちますかね、ネリーさん。何しろ、あなたは・・・・・・」

 

 ハーレイブが言葉を紡ぐ内にも、ネリー達の空中戦は熱を帯びていく。

 

 一旦ネリーを引き離したアスモデウスは、接近される不利を悟り、今度は距離を取っての魔法戦に切り替えてきた。

 

「ッ!?」

 

 その掌から、あるいは口から放たれる炎を、旋回しながらかわしていくネリー。

 

 外れ弾が地上の建造物を破壊していくのは、取り合えず気にしている余裕が無い。

 

 相手の実力が上である以上、隙を見せる事は出来ない。

 

 一瞬でも気を抜けば、その瞬間にも直撃を喰らいそうだった。

 

「クッ!!」

 

 ウィング・ハイロゥを羽ばたかせ、慌てて高度を取るネリー。その足元を、一瞬の間を置いて光弾が駆け抜けていく。

 

 しかし、その回避の為に取った隙を突き、アスモデウスが斬り込む。

 

「うわぁ!?」

 

 とっさに翼から力を抜き、体を自由落下させることで、回避するネリー。

 

 そのネリーを追ってアスモデウスも炎を放つが、ネリーは再び翼を広げ、錐揉みするようにしてかわす。

 

『まっずいな〜』

 

 ネリーは内心で舌を巻く。と同時に、視界を眼下で燃え盛る炎に目を向ける。

 

『せめてセツナが復活するまでは持たせたかったけど、これじゃあネリーが先にやられちゃうよ。』

 

 今のところ、ネリーの機動力が勝っている為、辛うじて対抗できているが、スタミナの少ないネリーは、そろそろ限界に近い。

 

『それに・・・』

 

 ネリーは先程から、妙な違和感が自身の体を包んでいる事に気付いた。

 

 本当に時折だが、視界が波打つように揺れる事がある。同時に、今まで感じた事もないような吐き気に襲われるのだ。

 

『何だろう・・・気持ち悪いなァ・・・・・・』

 

 心の中で呟く。

 

 とは言え、今の所戦闘に支障があるわけじゃない。

 

『次で、全力を掛けるよ、《静寂》。』

 

 旋回を止めたネリーは、滞空しながら《静寂》を正眼に構える。

 

 湾曲した刀身に、マナが注がれ輝いていく。

 

 一方のアスモデウスも、両手の爪を掲げ、ネリーを切り刻もうと隙を伺う。

 

 と、両者同時に空中を疾走する。

 

「タァァァァァァ!!」

 

 掛け声と共に、《静寂》を振り被るネリー。

 

 対するアスモデウスも、爪を振りかざす。

 

「必殺!!」

 

 掲げた刀身から、光が迸る。

 

 その光に、アスモデウスが一瞬たじろく。

 

 その一瞬の隙に、ネリーは《静寂》を振り下ろした。

 

「ヘブンズ・スウォード!!」

 

 その一撃は、アスモデウスの爪をへし折り、頭部を真っ向から叩き割った。

 

「やった!!」

 

 断末魔の悲鳴と共に、霧散していくアスモデウスの体。

 

 永遠神剣の力を全開にする事で繰り出されるブルースピリット最強の奥義は、魔王と呼ばれる存在に辛うじて勝利を収めたのだ。

 

 フラフラになりながらも、どうにか地上で待つハーレイブの前に立つネリー。

 

 そのネリーを、ハーレイブは満面の笑顔で迎える。

 

「いやいや、まさかあなたがここまで出来るとは思いませんでしたよ。」

「と、当然!! ネリーは、くーるなんだから!!」

 

 そう言うと、ゆっくりと《静寂》を掲げる。

 

 しかし、先程の一撃で力を使い切ったのか、既に持ち上げるだけでも精一杯の様子だ。

 

「さ、さあ、今度は、お前の番だよ!!」

「良いですよ。」

 

 余裕を湛えた動きで、一歩前に出るハーレイブ。

 

「しかし、そんな状態で私と戦えますかね?」

「な、何を・・・・・・」

 

 言ってる傍から、視界が上下に揺れだす。

 

「え?」

 

 次第に、足に力が入らなくなり、膝が震えだす。

 

「あ・・・・・・あ・・・・・・」

 

 視界が霞む。腰が砕け、地面に尻餅をつく。

 

「あなたはスピリット、その体はマナで構成されています。そして、もうお気付きかもしれませんが、この世界のマナ濃度は極端に薄い。そんな世界で全力を出せばどうなるか、結果はその通りです。」

 

 聞いている傍から、耳も遠のいていく。

 

「マナを消耗し尽くしたあなたに待っているのは、死です。」

 

 その言葉と同時に、ネリーの意識は暗転した。

 

 微かに、自分の名を呼ぶ声を聞きながら。

 

 

 

「ネリー!!」

 

 ようやく、炎の牢獄から脱出したセツナが、ネリーに駆け寄った。

 

 その体はぐったりとして生気が無く、まるで死体のようだ。

 

 辛うじて息がある事を確認し、ホッと息を吐いた。

 

 動かないネリーの体をそっと地面に横たえ、セツナはハーレイブに向き直る。

 

「ようやく、お出ましですか。」

 

 ハーレイブはやれやれと言った感じに、肩をすくめる。

 

「しかし、少し遅かったですね。既にその娘の死は確定的です。」

「・・・・・・貴様、」

 

 セツナは眉を顰めながら、ハーレイブを睨む。

 

 手にした《麒麟》の切っ先を、ハーレイブに向ける。

 

「殺す。」

「結構。」

 

 怒るセツナに、微笑むハーレイブ。

 

「ですが、君では私を倒せませんよ。どうするつもりです?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 確かに、ハーレイブの言う通り、今のセツナに、ハーレイブを倒せる決定的な力は無い。

 

『どうする・・・・・・』

 

 力が、欲しい。

 

 常々、心を支配する願望が、

 

 この時、肥大するように膨れ上がり、己を包む。

 

 次の瞬間、

 

「ッ!?」

 

 唐突に、

 

 まったく何の前触れも無く、

 

 うねる様な力が、己が身を満たしていくのが分かった。

 

「これは、」

《セツナ、詠んで!!》

「何?」

 

 突然の《麒麟》の言葉に、戸惑うセツナ。

 

 そんなセツナに構わず、《麒麟》は続ける。

 

《今の君なら、第3の権能を、扱えるはず!!》

「ッ!?」

 

 白虎、玄武に続く、3つめの権能が、今まさに、セツナの中で目覚めようとしていた。

 

 迷わず口は、召還の詩文を読み上げる。

 

「濁流唸りて、全てを流し、我1人、舞う。」

 

 セツナは叫ぶ。

 

 その、名を。

 

「青龍、召還!!」

 

 次の瞬間だった。

 

「え?」

 

 その目に飛び込んできたのは、自身がハーレイブの杖によって貫かれる瞬間だった。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・」

 

 リアルに鮮血が舞い、痛みが全身を駆け巡る。

 

「そんな・・・・・・これで・・・・・・・終わりなのか?」

 

 しかし次の瞬間、別のシーンが視界に飛び込む。

 

 今度は、ハーレイブが放ったノーブル・ケイオスによって、自身が消滅させられる場面だった。

 

 今度も、溶けていく自身の体の感覚が、はっきりと分かった。

 

「こ・・・これは?」

 

 さらにまた別のシーン。

 

 今度は光弾によって貫かれるシーン、次は体をバラバラに切り裂かれるシーン、その次はハーレイブが召還した悪魔に食い千切られるシーン・・・・・・・・・・・・

 

 映像は、絶え間なくセツナの視界を埋め尽くす。

 

「クッ・・・グッ・・・・・・あ・・・・・・・・・・・」

 

 次第に、脳が焼かれていくのが分かった。

 

「はて?」

 

 その様子を、ハーレイブは首を傾げて見据えている。

 

 自分は何もしていないのに、セツナは苦しんでいる。

 

「これは一体、どう言う事でしょう?」

 

 あの詩文を読み上げてから、セツナの様子がおかしい。

 

 首をだらりと下げ、体全体から力が抜けている。

 

 向こうから仕掛けてくる様子も無かった。

 

「ま、良いでしょう。来ないのなら、こちらから行かせて貰いますよ。」

 

 そう言うと、今だに立ち尽くすセツナに光弾を放つ。

 

 セツナは微動だにしない。

 

 そして光弾が貫くかと思った瞬間。

 

「・・・・・・」

 

 セツナはのけぞるようにして、光弾を回避した。

 

「おや?」

 

 ハーレイブの視界の先で、セツナは相変わらずだらりと体から力を抜いた状態でいる。

 

『まぐれ、でしょうか?』

 

 とてもではないが、あの様子ではまともに戦えるようには見えない。

 

 訝るように、再び光弾を放つ。

 

 頭部目掛けて迫る光弾。

 

 しかし、今度も回避される。

 

「これは・・・」

 

 続けざまに数発、光弾を放つが、そのどれもがセツナの体に命中する事は無い。

 

 セツナは最小限の動作で体を動かし、それらの攻撃をかわしていく。

 

「馬鹿な!?」

 

 叫んだ瞬間、セツナは動いた。

 

 跳ねるように顔を上げる。

 

 猛き闘志を孕んだその瞳は、ただ偏にまっすぐ、己が怨敵を見据える。

 

一挙動の内に、《麒麟》を片手正眼に構えた。

 

「行くぞ!!」

 

 言い放つと同時に地を蹴り、一気に間合いを詰める。

 

 しかし、白虎を使っていない通常のスピードなど、ハーレイブからすれば容易に回避できる。

 

「この程度で、」

 

 しかし次の瞬間、ハーレイブの顔が凍り付いた。

 

 既に、目の前にセツナの姿があった。

 

「ハッ!!」

「クッ!?」

 

 横薙ぎに振られる《麒麟》の刃を、辛うじて杖で防ぐハーレイブ。

 

 しかし次の瞬間には、セツナは刃を返して反対方向から斬り込んでいた。

 

「クッ!?」

 

 法衣の胸の部分を切り裂かれながらも、辛うじて回避するハーレイブ。

 

 しかし、回避した先を塞ぐ様に、既にセツナは先回りを果たしていた。

 

「これは!?」

 

 その斬撃を辛うじて回避しながら、ハーレイブは呻いた。

 

 セツナの動きは決して速い訳ではない。

 

 むしろ、ダメージを負っている分、普段よりも若干遅いくらいである。

 

 だと言うのに、気が付けば行動を先回りされている。

 

「これは・・・一体!?」

 

 一方で、セツナは、先程と違い、自分がハーレイブを追い詰めている事を実感していた。

 

 セツナは、青龍の能力を理解していた。

 

 それは、単純に言えば未来予測。

 

 もっとも、正確に予測できるわけではない。

 

 そもそも、自身の行動の未来とは、無数に存在する。手を右に動かすか、左に動かすか、そんな些細な違いだけで、進む未来の情景と言うのは変わって来る。

 

 そんな風に数万パターンある「可能性の未来」の中から、自分が最も望むべき未来を選び取り、実行に移す。

 

 これが青龍の権能であった。

 

 とは言えこれは、口で言う程単純な事ではない。

 

 初めにセツナが見た、ビジョン。あれは、ハーレイブの攻撃によってセツナが死ぬ未来の光景だった。

 

 ハーレイブと戦っている以上、当然そう言った未来もあり得る訳である。

 

青龍はそれらの未来も含めて、無差別にビジョンを見せてくる上に、あらゆる感覚が、それを現実のものとして認識してしまうのである。そんな中から、最適なパターンを選び取らねばならない訳であるから、並大抵な精神力では耐え切れずに押し潰されてしまうのは必定である。

 

「クッ、小癪な!?」

 

 常の余裕もかなぐり捨て、ハーレイブは掌に黒きオーラフォトンを集める。

 

「高貴なる黒き閃光を持ちて全てを滅ぼし、混沌たる闇を持ちて染め上げよ。」

 

 閃光が収束し、放たれる。

 

「ノーブル・ケイオス!!」

 

 対するセツナは、地摺り八双に《麒麟》を構えると、迫る閃光に振り上げた。

 

「蒼竜閃!!」

 

 大気中の分子と共に切り裂かれた閃光は、真っ二つに裂かれて四散する。

 

「クッ!?」

 

 たじろくハーレイブ。

 

 その隙に、セツナは距離を詰める。

 

「クッ、おのれ!!」

 

 杖を使った、鋭い3段突きが、セツナに迫る。

 

 しかし、

 

「フッ」

 

 セツナは短く息を吐くと、まるで舞い踊るかのような軌跡を残し、全ての突きをかわし、ハーレイブの懐に飛び込んだ。

 

「クッ!?」

 

 斬り上げるように放たれたセツナの斬撃を、間一髪で回避するハーレイブ。

 

『これは・・・明らかに不利ですね。』

 

 セツナの剣位は四、しかも、実戦に置ける技量、経験共にハーレイブの方が圧倒的に有利。

 

 ハーレイブに負ける要素はまったく無いはず。

 

 にも拘らず、セツナはハーレイブを追い詰めていた。

 

『ケリを付ける。』

 

 セツナは呟く。

 

『今、俺は奴に対し僅かだが優位な状況に立った。今なら!!』

 

 疾走するセツナ。

 

 その左手が、腰の鞘に掛かる。

 

 対してハーレイブも、とっさに光弾を放つが、それらも全て、青龍を身に宿したセツナを捕らえる事は適わない。

 

 左手に鞘を構え、右手の《麒麟》と合わせて、翼を広げた猛禽のように水平に構える。その刀身には、溢れんばかりのオーラフォトンが注ぎ込まれる。

 

「クッ!?」

 

 とっさに自身のオーラフォトンを、防御に回すハーレイブ。

 

 間合いに入った瞬間、セツナは斬撃の軌跡を交差させる。

 

「終わりだ、ハーレイブ!!」

 

 大質量のオーラフォトンが、ハーレイブに迫る。

 

「オーラフォトン・クロス!!」

 

 軌跡を交差させる事で、威力を倍加させたセツナ最強の必殺技が、ハーレイブを捉えた。

 

「う、ウオォォォ!?」

 

 閃光に包まれるハーレイブ。

 

 その光を背景に見ながら、セツナは《麒麟》を掌で一回転させると、目の前に翳した鞘に収める。

 

 完璧に決まった。

 

 オーラフォトン・クロスはセツナの持つオーラフォトンを最大限に放出する技。これで決まらなければ、打つ手は無い。

 

「・・・・・・どうだ?」

 

 セツナは振り返る。

 

 その視線の先に、自身のオーラフォトンが作り出した光がある。

 

 と、光の中で何かが揺らいだ。

 

「なっ!?」

 

 揺らぎは徐々に大きくなり、やがて、内部から光を粉砕する。

 

「・・・・・・・・・・・・やってくれましたね。」

 

 光の中から、ボロボロの法衣を纏ったハーレイブが立ち居出る。

 

 法衣だけでなく、体中から血を流し、見るからに満身創痍と言った感じだ。

 

「まさか、これ程とは。正直、あなたを見くびっていましたよ。」

 

 そう言うと、杖を掲げる。

 

「こうなった以上、最早容赦は無用。全力で、あなたを叩き潰します。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 対してセツナも、青龍を起動し、《麒麟》の柄に手を掛けた。

 

 その時、

 

「それぐらいにしておけ。」

 

 突如、両者の間に割って入るように、声が響いた。

 

 今にも互いに切り結ぼうとしていた2人は、声の方向に振り向く。

 

 そこには、1人の男が立っていた。

 

 緋色の髪に、青い瞳、ハーレイブの物とまた違う、見る者に強烈な印象を与える微笑を湛えた青年だった。

 

「あなたは、」

「よう、ハーレイブ。久しぶりだな。」

 

 青年は、気さくな感じに語り掛ける。

 

「現われましたか、《鮮烈》のキリス。」

 

 キリスと呼ばれた青年は、そう言うと、手に抱えていた物を、地面に下ろした。

 

 それは、城のバルコニーに囚われていたはずの千波だった。

 

「刹那!!」

 

 キリスの腕から下りるとすぐに、千波は息子の下に駆け寄った。

 

「大丈夫、怪我は無い?」

「ああ。俺よりも、ネリーが。」

 

 そう言うと、地面に倒れているネリーに視線を向ける。

 

「ネリーちゃん!!」

 

 慌てて駆け寄り抱き起こすが、既にマナを消耗し尽くしたネリーは反応を返す事も出来ない。

 

 そんな3人を他所に、キリスとハーレイブは向かい合う。

 

「まさか、あなたが混沌の側に付いているとは、聞いた時は正直驚きましたよ。」

「そう言うお前は秩序側か。弱い者いじめとは、相変わらず趣味の悪い事をしているな。」

 

 そう言うと、空中に手を翳す。

 

「顕現せよ。」

 

 短く呟くと、その掌に光が生まれ、中から歪な形をした杖が現われた。

 

「さて、どうする? その消耗した体で、俺と一戦やり合うか? それとも、この場は大人しく引き下がるか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 しばし睨みあった後、ハーレイブはキリスに背を向けた。

 

「良いでしょう。今日の所は、負けを認めておいてあげますよ。」

 

 そう言うと、目を閉じる。

 

 すると、風がハーレイブを取り巻くように起こり、それが晴れた時、セツナの攻撃で受けた傷は綺麗に無くなっていた。

 

「セツナ君。」

 

 ハーレイブは、セツナに向き直った。

 

「今回は、私の負けです。」

 

 そう言うと、自身の背後に門を作り出す。

 

「今度会う時、私に油断はありません。全力で、あなたを叩き潰します。」

 

 そう言うと、門の中へと消えていった。

 

「さて、」

 

 消え去る門を確認しながら、キリスはセツナに振り返った。

 

「お前さんには、色々と話さなければならないようだな。」

「・・・ああ、是非。」

 

 そう言うとセツナは、スッと立ち上がり、いつでも《麒麟》を抜けるようにする。

 

 助けてくれた所を見ると、敵ではないようだが、それでも、あのハーレイブを舌先三寸で退かせた男である。並みの実力ではないと言うことは容易に想像できる。

 

 それを見てキリスは、フッと笑った。

 

「おいおい、そう物騒な顔するなよ。俺は別に、お前に危害を加える気は無いさ。」

「信用できると思うか、この状況で?」

「ま、そりゃ、そうか。」

 

 そう言うとキリスは肩を竦めた。

 

「それよりどうだ、《麒麟》との相性は? 見たトコ、結構まともに戦ってるみたいだが。」

「・・・・・・なぜ、こいつの事を知っている?」

「そりゃ、知っているさ。」

 

 キリスは苦笑する。

 

「何しろ、そいつをあの世界に放り込んだのは、この俺なんだからな。」

「・・・何?」

 

 その意外な言葉に、セツナは軽く驚いた。

 

 確かに、ファンタズマゴリアの伝承に《麒麟》の名は出てこない。

 

 普通の神剣ではないと思ってはいたが、まさか、作為的に作られたものであった事までは、考えが及ばなかった。

 

「つまり、間接的とは言え、今のお前の立場がある元凶は、俺にあるとも言えるな。」

「・・・・・・ほう。」

 

 セツナは乾いた声で返事をする。

 

 その声に、キリスは軽く驚いた顔をした。

 

「驚かないんだな?」

「驚いてはいる。が、ここで取り乱す事に意味は無いだろう?」

「確かに。」

 

 セツナは、話題を変えて質問する。

 

「お前は、いや、お前達は、一体何者だ? ただの人間では、無いのだろう?」

「まあな。」

 

 そう言うとキリスは、手にした杖を目の前に掲げた。

 

「俺の名は、キリス。中立の永遠者、ニュートラリティ・エターナル。永遠神剣第三位《鮮烈》の主だ。」

「三位?」

 

 三位以上の剣位を持つ神剣など、聞いた事が無い。

 

「一位から三位までの神剣を、俗に上位永遠神剣と呼んでいる。それらの神剣と契約した者はエターナルと言う存在になる。」

「エターナル・・・・・・」

「そう。俺やハーレイブは、その中で中立の立場を取る者の1人という訳だ。もっとも、今回俺達はそれぞれ、敵対する組織の依頼で行動しているわけだがな。」

「と言うと、何らかの組織があるのか?」

「まあ、大小色々とあるが、その中でも大きいのが今回俺達が雇われた、カオス・エターナルとロウ・エターナルだ。俺は、カオス・エターナルに雇われている。」

 

 その時だった、

 

「刹那、ネリーちゃんが!!」

 

 千波の声に振り返ると、その腕の中に横たわるネリーが、苦しげな呼吸を吐いている。

 

「ネリー!!」

 

 駆け寄って声を掛けるが、ネリーは苦しげに息を吐くだけで、反応は無い。

 

 ハーレイブが言った通り、既にマナを消耗し尽くしたネリーの死期が迫っているのかもしれなかった。

 

「セツナ。」

 

 セツナの背後に、キリスが立つ。

 

「お前に、選択肢をやる。」

「・・・・・・・・・・・・」

「1つは、あの世界に戻り、再び《麒麟》を手に戦う事。もし、それを選ぶならば、これを受け取れ。」

 

 そう言って差し出した手には、青色に輝く結晶体がある。掌に乗るそれは、相当大きく、ソフトボール大もあった。

 

「それは・・・」

「マナ結晶だ。これ1つで、お前等が消耗したマナ分は補えるだろう。」

 

 北方争乱中に1度だけ見た事があったが、それは、その時の物よりも大きく、莫大な量のマナを内蔵しているであろう事は容易に想像できた。

 

「もう1つの選択肢は、全てを忘れて、この世界に留まる事だ。その時は、その娘だけは、俺が責任持って送り届けてやる。」

「・・・・・・・・・・・・」

「さあ、どうする?、選ぶのはお前だ。」

 

 セツナは無言のまま、考え込む。

 

 当初は、戻る以外の事は考えていなかった。

 

 だが、こうして、母が自分の元に戻り、またかつてのような、あの、自分が幸せの絶頂にあった頃の生活を送れるかもしれないという期待が、僅かに胸の内に芽生えつつある。

 

 今、その希望を捨てて、またあの血で血を洗う戦乱の中に身を投じて良いのか、と言う想いが胸を締め付ける。

 

 だが、そう思う一方で、今だファンタズマゴリアにあって戦い続ける仲間達の顔が、脳裏から離れようとしない。

 

 ユウト、レスティーナ、アセリア、エスペリア、オルファリル、ウルカ、ヨーティア、イオ、セリア、ヒミカ、ファーレーン、ハリオン、ニムントール、ヘリオン、ナナルゥ、シアー、そして、ネリー。

 

 皆の顔が、次々と掠めていく。

 

 セツナは目を瞑る。

 

 こちらに残る。

 

 それも良いかもしれない。

 

 だが、しかし、

 

 それでも、自分は。

 

「・・・・・・母さん。」

 

 セツナはゆっくりと、口を開く。

 

「すまない、俺は、行く。」

「刹那。」

「母さんには、悪いと思う。だが、向こうでは、今も戦火と戦いながら、仲間達が俺の帰りを待っているんだ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 千波はしばし無言のまま、

 

 やがて、ゆっくりと微笑んだ。

 

「行ってらっしゃい。」

「え?」

「私は、5年もあなたを待たせてしまった。だから、今度は私があなたを待つ番よ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 母子は暫くの間、見つめ合う。

 

 何も聞かず、何も語らず。

 

 戦地に向かう息子と、それを見送る母は、ただ絆でお互いを理解し合う。

 

「・・・・・・ありがとう。」

 

 セツナは頷くと、キリスからマナ結晶を受け取る。

 

 それを、《麒麟》の柄尻で砕く。

 

 飛び散った光は、半分は自分の体に吸収され、もう半分は、苦しげに呻くネリーに吸収される。

 

 やがて、ネリーの顔は安らぐように穏やかになった。

 

 消耗していたマナが急速に補充されたのだろう。

 

 それを確認してから、キリスは門を開く。

 

「さあ、こいつを使え。これを通れば、向こうの世界に行ける。」

 

 セツナは頷くと、傍らに落ちていた《静寂》を拾い上げ、ネリーの腰にある鞘に収めた。

 

 ネリーはと言うと、まだ穏やかな寝顔で眠っている。

 

 マナだけでなく体力も消耗してしまった為だろう。

 

「ネリー・・・・・・」

 

 セツナはそっと、語り掛ける。

 

「帰ろう、ファンタズマゴリアへ・・・お前の、世界へ。」

 

 そう言って、眠ったままのネリーを抱き上げた。

 

「刹那。」

 

 千波が、語り掛ける。

 

 セツナは振り返った。

 

「必ず・・・・・・必ず、帰って来る。」

 

 そう言うと、千波に背を向ける。歩き出した。

 

 そんなセツナに、キリスが話し掛けた。

 

「気を付けろよ、セツナ。既にハーレイブを含めて、ロウ・エターナルの何人かは、向こうの世界に入り込んでいる。奴等はその内、必ずお前を邪魔しに現れるだろう。そして俺は、この門を開く事で結構なマナを消耗してしまう。そのせいで、最悪、これ以上戦いに介入する事は出来なくなるだろう。」

 

 セツナは頷く。

 

「だが、《麒麟》を信じろ。その剣は、普通の永遠神剣じゃない。必ず、お前に力を与えてくれるだろう。」

「分かった。」

 

 セツナは頷くと、門の中に、踏み込む。

 

「刹那!!」

 

 そのセツナの背中に、千波が呼び掛けた。

 

 振り返るセツナの視界に、手を振る母が映り込む。

 

「行ってらっしゃい。刹那。」

「ああ、行って来ます。」

 

 そう言うとセツナは、母に向かってぎこちなく微笑み掛けた。

 

 そして、今度こそ振り返らず、光の中へ体を沈めて行く。

 

 自らの故国に、背を向けて。

 

再びあの、戦乱と野望渦巻く世界へと向けて。

 

 

 

第17話「目覚めよ、蒼き龍王」   おわり