大地が謳う詩

 

 

 

第12話「マロリガンへの道」

 

 

 

 

 

 

 ラキオス王城謁見の間。

 

 この場に集いし者達の表情は、皆一様に暗い。

 

 ここには今、新生ラキオス王国の上層部の面々が顔を揃えていた。

 

 壇上に座すは、先日、慌しく即位を済ませたばかりのレスティーナ新女王。

 

 それを見上げるのは、《求め》のユウト、《麒麟》のセツナ、両エトランジェ。

 

 過日の調査で、帝国軍の物によると判明した奇襲攻撃により、多大な損害を受けたラキオスは、その運営システムの早急なる建て直しが迫られた。

 

 特に痛かったのは、前国王の死亡だった。

 

 殊更、権力欲の強かった前国王は、己1人に多くの権力を集中させてしまっていた。

 

 そしてそれが失われた時、ラキオスは深刻な機能不全状態に陥れられた。

 

「さて、」

 

 切り出したのはレスティーナだった。

 

「この度の戦いで我々は、あまりにも多くの物を失いました。しかし、それを悲しんでいる暇はありません。卑劣な手段で多くの命を奪ったサーギオス神聖帝国。彼等を許してはなりません。この悲しみを刃に、怒りを炎に変え、帝国を倒す力とするのです。」

 

 レスティーナは、正面に立つ2人のエトランジェに向き直った。

 

「ユウト、セツナ。これまで我々があなた達にした仕打ちを考えれば、恨まれて当然だと思います。身勝手なお願いだと言う事も分かっています。それでも、この世界の為、そしてカオリを助ける為、あなた達の力を貸してください。」

 

 そう言ってレスティーナは、前国王ならば決してしなかったであろう行動をした。

 

 すなわち、2人のエトランジェに向って深々と頭を下げた。

 

 先に口を開いたのはユウトだった。

 

「分かっている。俺もまだ、レスティーナの事、本気で信用できるわけじゃないけど、それでも、佳織を助ける為に協力してくれるって言うなら、俺もレスティーナに協力する。」

 

 そう、先日の奇襲の折、別働隊を指揮して急襲して来た《拘束》のウルカの手により、佳織が拉致されると言う事件があった。

 

 その事実だけを取るならば、なぜウルカが、帝国が佳織を連れ去ったのか、判断する事は出来ない。だが、その場でウルカが言った言葉が、その疑問に解答を指し示した。

 

『佳織は僕の物だ。取り戻したかったら追って来い。僕の居るところまで這ってでも辿り着いて見せろ。僕の《誓い》でお前の《求め》を砕いてやる。』

 

 その瞬間、ユウトの感情は一気に沸点を突いた。

 

 佳織を攫い、ユウトに対してそのような言葉を吐く人間は、1人しか居ない。

 

 秋月瞬。

 

 佳織の幼馴染にして、病的なまでに彼女の独占を図ろうとする男。

 

 瞬も、この世界に来ているのだ。それも、サーギオスのエトランジェとして。

 

 ユウトとしても、気が気ではないだろう。瞬の性癖から言って、佳織に危害を加える事はあり得ないが、それでも嫌悪する人間の手の内にある以上は安心は出来ない。

 

 レスティーナは、ユウトの答えに満足したように頷くと、今度はセツナに向き直る。

 

 それを受けてセツナは、フッと笑う。

 

 セツナとしても、否やは無かった。と言うより、この状況の演出者が自分である以上、自分には付き合う義務もあるだろう。

 

「構わないぞ。俺としても、ここまで来て投げ出す気は無い。」

 

 迂遠な言い方だが、要するに肯定の意を表している。

 

 国内最大の戦力であるエトランジェ2人の信任を得る事が出来たレスティーナは、大きく頷いた。

 

「分かりました。では、引き続き、今後の我が国の展開について話し合いたいと思います。」

 

 新女王であるレスティーナにとって、課題山積の現状だった。

 

 国内の安定

 

 軍備の拡張

 

 占領地の人心掌握

 

 帝国、マロリガンとの交渉、及び開戦へ向けての準備。

 

 どれを取っても、一筋縄ではいかない事ばかりだった。

 

「それについて、」

 

 そう言って前に出たのはセツナだった。

 

「俺から2、3、提案がある。」

「何でしょう?」

「まずは、これを。」

 

 そう言ってセツナが差し出したのは、あの、国家戦略についてセツナがまとめた書類だった。

 

「先んじてやらなければいけないのは、国政の安定だ。特に、前国王に集約していた権限をいくつかに分散し、レスティーナ自身の負担を軽減する必要がある。加えて、これが重要な事だが、」

 

 セツナは、レスティーナに特定のページを開かせてから説明に入った。

 

「そこに書かれているのは、前国王の代の重臣達について書かれたページだが、何か気付く事は無いか?」

「・・・・・・」

 

 レスティーナは暫く考えてから言った。

 

「マナの配分が、異常ですね。取得総量に対し、各方面への配分量が少なすぎます。」

 

 その通り、とセツナは頷いた。

 

「現在、閣僚の地位にある人間の大半は、本来ならば必要に応じて配当されるべきマナの大半を自らの懐に押し込み、私腹を肥やしていたんだ。その総量は、調べてみたが全マナ量のおよそ5割。実に半分ものマナが、上流貴族達の懐に治められていた計算になる。」

「そんなにも?」

「ああ。連中はそうやって自分達の懐を肥やす一方で、残った半分の内、2割を軍需用に、3割を民需用に回していたんだ。」

 

 レスティーナは思わず絶句した。聞きしに勝るとはこの事だ。こんな状態で、よく北方を制する事が出来た物である。

 

「そこで、俺は進言する。現在の閣僚の内、汚職に関わっている者を罷免、新たに新任の閣僚を置くべきだと思う。そして、マナ配当率の見直しを図るべきだ。」

「具体的には?」

「軍需用に4割、民需用に5割、残り1割を王族用に回す。民需用の中には、閣僚等への配当分や、民間施設開発費用も入るし、軍需用の中には軍事施設開発費用も入るが、単純計算でこれまでの配当分の2倍から3倍になるわけだから、問題は無いだろう。加えて、バーンライト、ダーツィ、イースペリア、サルドバルトのマナも加算されるわけだから、トータルでの配当分はプラスになる事は間違いない。本来なら軍需用に4割と言うのは多すぎる数値だが、それはこの際、戦時中ということで割り切るしかない。」

「確かに、」

 

 レスティーナは頷きながらも、自らの危惧を口にする。

 

「このやり方で行けば、軍事面での強化と民需の活性を一度に出来るでしょう。しかし、問題が1つあります。」

「何だ?」

「罷免された閣僚達が、恐らくは黙っては居ないと言う事です。彼等の多くはラキオス建国当時から連綿と続く古い家柄の末裔達で、その分自尊心も強いです。このように強硬な人事を発令されて、黙って引き下がるとは思えません。最悪、内戦となって国を割る事にもなりかねませんよ。」

 

 その言葉にセツナは、フッと笑みを浮かべた。

 

「そうはならないさ。」

「なぜ?」

「答は、戦争とは軍人だけでする物ではないからだ。例え連中が怒りに駆られて反旗を翻したとしても、決して長続きはしない。なぜなら、実際に戦うのは兵士だが、それを支えるのは民衆だからだ。その民衆にとっては貴族のプライドよりも、自分達の実入りの方が大事に決まっている。有体に言えば、払いの良い方、つまりレスティーナ、お前の方を支持すると言う訳だ。加えて、兵士もまた下級貴族や民衆の出であると言う事だ。彼等だって自分達の生活が潤うと知れば、諸手を上げてお前に付くさ。」

「つまり、この政策は民衆に対する広告の役割も兼ねていると言う訳ですね。」

「そう言う事だ。確かにレスティーナの言う通り、貴族連中は必ず反乱を起こすだろう。だが、その準備の為に自領に戻る頃には既に、反乱軍は支えを失って空中分解してるって訳だ。万が一、連中が反乱ではなく、手っ取り早くクーデターによる政権奪取を敢行してきたとしたら、これはもう対処は簡単。俺とユウトで鎮圧すれば良い。」

 

 一呼吸置いてから、セツナは言った。

 

「レスティーナ、人材って言う物は手元の戸棚に入っているわけじゃない。大抵は足元の地面に埋まっている物だ。」

 

 必要な物は自分で発掘しなければ意味が無い。と、セツナは言った。

 

「・・・・・・分かりました。」

 

 レスティーナは、頷いて立ち上がった。

 

「直ちに人事の刷新と、マナの回収を行います。」

 

 かくして、レスティーナは、帝国やマロリガンとの開戦前に、大規模な国内クリーンナップを開始した。

 

 

 

 それから数日の間は、目まぐるしく時が過ぎていった。

 

 汚職に携わった閣僚達は、軒並み摘発され、その地位を追われて行った。

 

 もちろんその中の一部は、レスティーナやセツナが予想した通り、自らの肥大した自尊心を抑えきれず、結託してレスティーナを政権の座から引き摺り下ろそうと画策した。

 

 力ずくで事を断行しようとした彼等はまず、自分達の私兵を使って王城を乗っ取り、レスティーナを捕らえて政権交代を承諾させようとした。

 

 しかし、勇んで王城に乗り込んだ彼等の前に立ちはだかったのは、永遠神剣を構えた2人のエトランジェだった。

 

 セツナは言うに及ばず、相手が王族でないのならユウトとて力を振るえる。

 

 その姿に恐れを成したクーデター軍は、戦わずして逃げ散って行った。

 

 政権奪取に失敗した貴族達は、慌てて身の回りの物を集めると、我先にと自領へと逃げ帰っていった。

 

 その機を逃さず、レスティーナは動いた。

 

 クーデター派の貴族達が自領に逃げ込む前に、早馬をラキオス領全土に走らせ、自らの公言を振れて回ったのだ。

 

 汚職に関わった全閣僚の公表。不正着服されたマナの量。それらを合わせて、今後、自分が行う政策上でのマナ配当率と、一部の例を張り紙にして国中に張り出した。

 

 初めは、半信半疑にそのお触れを聞いていた領民達だったが、やがて、その内容を理解し、レスティーナを支持する姿勢を取る者達が加速度的に増えていった。

 

 そうして、クーデター派の貴族達が自領に入った頃には、彼等を支えるべき領民達の大半が、彼等の敵に回っていると言う有様だった。

 

 これで終了。

 

 程なく、捕縛の為に派遣された兵士達の手によって、クーデター派の貴族達は全員捕縛されるに至った。中には、兵士達が到着した頃には、既に領民の手で捕縛が完了していると言う所もあったくらいだ。

 

 こうしてレスティーナは、国内汚職官僚を一掃すると同時に、莫大な量のマナを確保する事に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 クーデター劇の失敗から数日後、ラキオス王国軍の中でも新たな組織改変が行われていた。

 

 これまでのようにスピリット隊を正規軍の下に置くのではなく、スピリット隊は女王であるレスティーナの直属配下として、以後は独立した戦闘単位として運用される事となった。これによりスピリット隊は正規軍の掣肘を受ける事は無くなり、戦術単位での機動性が確保される事となった。

 

 その具体的な編成表は以下の通りである。

 

 

 

最高司令官 レスティーナ・ダイ・ラキオス

 

国政に君主制を採用している以上、名義上の最高指揮官として国王が来るのは当然の事であり、また、政戦両略との連携からも必要な処置。

 

 

 

スピリット隊隊長 《求め》のユウト

 

将軍待遇。実戦部隊における最高指揮官。北方五国争乱において、終始スピリット隊を指揮してきた事から定められた人事。エトランジェは2人居るが、ユウトの方がカリスマ性、求心力に優れていると判断された事も大きい。

 

 

 

スピリット隊参謀長 《麒麟》のセツナ

 

主な任務は、戦略、戦術単位での作戦立案と隊長の補佐。望まれた場合、女王に対し意見を具申する事も許される。政戦両略における相談役。ただし基本的に配下に兵権は置かず、緊急時、指揮を掌握する場合は上位指揮官の承認が必要。(具体的に言えば、小隊長クラスのスピリットが指揮権を承認しても、隊長であるユウトが反対すれば、セツナの指揮権は成立しない。その場合は、より下位の指揮官3名以上の承認が必要)

 

 

 

スピリット隊参謀補佐 《熱病》のセリア

 

彼女の堅実な指揮能力、作戦立案能力を考慮しての人事。主な任務は作戦立案時における参謀長の補佐、及び、参謀長不在時におけるその代行。なお、兵権に関する条項は参謀長と同義。

 

 

 

スピリット隊副隊長 《献身》のエスペリア

 

セツナの参謀長就任に伴う横滑り人事。主な任務は戦闘時の隊長補佐、小隊指揮。平時においてはスピリット達の管理、各訓練士と折衝した上での訓練内容の立案。

 

 

 

小隊長格

 

《赤光》のヒミカ

《月光》のファーレーン

 

両名共に、指揮能力に問題は無く、戦闘経験も長い事から決まった人事。

 

 

 

以下

 

《存在》のアセリア

 

《大樹》のハリオン

 

《消沈》のナナルゥ

 

《理念》のオルファリル

 

《静寂》のネリー

 

《孤独》のシアー

 

《失望》のヘリオン

 

《曙光》のニムントール

 

 

 

 この人事発令と同時に、レスティーナは国内の身分、経験を問わず、優れた手腕を持つ文官達を王都に招集し、大クリーンナップで空いた閣僚の席を急速に埋めていく。

 

 それと同時に各建設士達に大号令を掛け、国内にエーテル変換施設、及び、軍事施設の建設を急ピッチで行った。

 

 特に、今後の戦いで前線となるであろう、旧イースペリア領ランサ、及び旧ダーツィ領ケムセラウトの増強を中心に進めていった。

 

 そうして、国内を急速に進める一方で、レスティーナは打倒帝国の為に次なる一手を実行に移した。

 

 

 

「マロリガンとの交渉?」

「ああ。」

 

 セリアの問いに、セツナは頷いた。

 

 国内世情安定の政策を一通り立案し終えたレスティーナは、ユウトを護衛に伴い、マロリガン共和国首都へと赴いたのだ。

 

 現在大陸は、ラキオス、サーギオス、マロリガンの3勢力が鬩ぎあっている状態にある。

 

 しかし、何もこの2国とまともに渡り合う必要は無い。

 

 最大の敵がサーギオス神聖帝国である以上、残る1国、マロリガンとは和睦し、両国の戦力を合わせて、大陸最大の国家である帝国と戦えば良いのだ。

 

 ここはスピリット第2詰め所、セツナの部屋。セツナはここを、己の執務室に改装して使っていた。

 

 そこに今、セリア、エスペリア、そして、新たに情報部部長に就任したエリオスが居た。

 

「この交渉がうまく行き、ラキオス、マロリガンの同盟が成立すれば、兵力的にはともかく、国力的には帝国を圧倒できるはずだ。そうなれば、勝率は格段に違ってくる。」

 

 そう言って、セツナはエリオスに向き直った。

 

「エリオス、マロリガンの現大統領について、何か情報はあるか?」

「ハッ、現大統領クェド・ギンは、以前はサーギオスの住民だったと言う程度の情報しかありません。その後、マロリガンに流れ着くと同時に政治的才能を開花させ評議会入り、大統領就任と同時に低迷気味だった国家予算を黒字に転換し、一挙に国民の支持を得るに至ったとの事です。その後も、比較的安定した政策を敷き、マロリガン国民からは高い評価を得ております。」

「善政を敷く宰相か。」

「ハッ。」

 

 エリオスの説明を聞いて、セツナは暫く考え込む。

 

『真に国民の支持を得られる程の実力者ならば、こちらの提案を受け入れる可能性は高いだろうな。』

 

 マロリガンとサーギオスも、友好とは程遠い外交関係にあり、過去に何度も激突を繰り返してきた。言わば、犬猿の仲と言える。対して、これまで北方の小国に過ぎなかったラキオスとは、国交自体が無かった。

 

 険悪な敵と、未知なる隣人。どちらと手を携えるべきかは、子供でも分かる理屈だ。

 

『だが、』

 

 セツナはそこで、疑問符を打つ。

 

「万が一の可能性だが、マロリガンが同盟を蹴る事も考慮しておこう。」

「それは・・・」

「可能性的には低いのではないでしょうか?」

 

 エスペリアが反対意見を述べた。

 

「現実に、サーギオスと言う敵対国家が存在する以上、マロリガンが我が国との同盟を拒否する事によって得られるメリットは少ないはずでは?」

「ああ、その通りだ。だが、万が一の可能性を考慮し、不測の事態には上官や君主を即座に補佐できるように準備しておくのも、参謀としての職責だと思う。」

 

 ようするにセツナが言いたいのは、選択肢は多いに越した事はない。と言う意味だった。

 

「分かりました。では、同盟成立、不成立の両方の状況を想定して、それぞれの善後策を練りたいと思います。」

「ああ、それからエスペリア。」

「はい?」

「訓練士達と折衝して、スピリット達の強化を急がせろ。レスティーナの政策で国内のマナ流通は安定しつつあるが、それが効果を発揮し始めるのはまだ大分先の話だ。それまでの間、前線を保持する為には、今のままではまだ足りない。」

「分かりました。」

「エリオスはマロリガンとサーギオスの動きを逐一見張れ。どんな些細な物でも、動きがあったら知らせるんだ。」

「承知しました。」

 

 エスペリアとエリオスが頷くのを見て、セツナはセリアに向き直る。

 

「セリア、お前はこれだ。」

 

 そう言ってセツナは、机の上に置いてあった書類を、セリアに差し出した。

 

「これは?」

「それは、俺が考えた国内における監視システムの概要だ。」

 

 先日の帝国軍侵入事件以来、セツナは現状の防衛体制の不備を痛感していた。

 

 寡兵であるラキオス軍が、急速に拡大した領地全体に兵力を配置する事は事実上不可能である。だが、先日のように、王都に簡単に敵の侵入を許していたのでは戦争どころの騒ぎではない。

 

 そこでセツナは、旧イースペリア国の防衛システムを参考に、新たな体制を構築した。

 

 それは、街道沿いの各都市に少数の監視部隊を配置し、敵の侵入があった場合、交戦を避けていち早くスピリット隊に連絡、防衛線を構築して王都進入を阻むと言う物だった。実際、スピリット隊が独立した戦闘単位になった以上、正規軍の受け持つ役割は大幅に縮小される事になる。その余剰兵力を、この監視システムに回そうと言うのだ。

 

「お前はこのシステムの構築を急いでくれ。万が一マロリガンと開戦した場合、帝国に対する備えが手薄になる。その時、これは必ず必要になるはずだ。」

「分かりました。」

 

 頷くセリア。それを見て、セツナは立ち上がる。

 

「頼んだぞ。できれば、レスティーナが帰ってくる頃には、具体的な行動に移りたい。」

「「「ハッ」」」

 

 3人は一様に敬礼し、部屋を出て行く。

 

 その様子を見送ってからセツナは、エリオスが置いていった報告書に目を落とす。

 

『マロリガン大統領クェド・ギン・・・さて、どう出る?』

 

 心の中で呟きながら、まだ見ぬ敵宰相に思いを巡らせた。

 

 

 

 

 

 

 そこは、昼間でも日が差さず、暗く、湿気が滞留しているような場所だった。

 

 道端に座り込んでいる者達も生気に薄く、ふとすれば死体と見紛ってしまいそうだった。

 

 時折、不躾な視線を投げてくる者もいる。恐らく、この場にそぐわない服装の人間が来た為に訝っているのだろう。

 

 サーギオス神聖帝国宰相ハーレイブは、それらの視線を無視しながら、帝都のスラム街を目的地に向って歩いていく。

 

 やがて、その最奥部、1軒の売春宿の前で足を止める。

 

 売春宿と言っても、あまり華やかな印象は無い。あばら家に露出度の高い服を着た女が数名たむろしている。そんな感じだ。

 

 ハーレイブは1度、そのあばら家を見上げてから、何の躊躇いも無く足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい。」

 

 すぐに、入り口付近に居た女が話し掛けてきた。恐らく彼女が、女将なのだろう。

 

 だが、慣れていない人間が彼女を見れば、まず驚くだろう。ハーレイブ自身は、事前に情報を得ていたので、何とも思わなかったが。

 

 跳ね上がった長い青髪に青い瞳。そう、彼女はブルースピリットだった。

 

 ブルースピリットは、しなだれるようにハーレイブにすがり付く。

 

「いい娘が揃っているよ。どんな娘が好みなんだい?」

「そうですね、」

 

 微笑を浮かべながら、口を開く。

 

「あなた、と言うのはどうでしょう?」

 

 その言葉に一瞬呆気の取られたブルースピリットだが、すぐに妖艶な笑みを浮かべた。

 

「へえ、見る目があるじゃないか。」

「お褒めに預かり光栄です。」

 

 そう言ってから、改めてブルースピリットに向き直った。

 

「と、まあ、茶番はこれくらいにして。」

「茶番?」

 

 眉を顰めてハーレイブを見るスピリット。

 

「あなたに、本業のお仕事ですよ。帝国軍皇帝妖精騎士団隠密頭カチュア・ブルースピリット。」

 

 その言葉に、カチュアと呼ばれたブルースピリットは、スッと目を細めた。

 

「・・・・・・来な。」

 

 短く言い捨てると、顎をしゃくって、ハーレイブを奥の部屋に招き入れた。

 

 皇帝妖精騎士団隠密頭と言う地位にあり、れっきとした帝国軍人であるカチュアだが、普段はこうして売春婦に身をやつし、市井に身を置いている。そして、彼女が営むこの売春宿は、とある事情からある筋の人間には絶大な人気を誇っていた。

 

 部屋の中はあばら家の外見に似合わず、豪奢な作りになっており、店の羽振りが良い事を示していた。

 

「儲かっているようですね。」

「まあね。こんな店じゃなかったら、とっくに城下の繁華街に店を移しているところだよ。」

 

 備え付けのティーポットからお茶を注ぎながら、カチュアは答えた。

 

 対してハーレイブは、戸口から廊下に居る娘に視線を送りながら言った。

 

「妖精趣味は禁忌とされているのはご存知ですよね?」

「知らないわけが無いだろう。でも、禁忌ってのは破るからこそ惹かれる者も居るって事さ。でなかったらこんな店、とっくに潰れているよ。」

 

 そう、カチュアの店は、売春婦全員をスピリットで構成していたのだ。

 

 もちろん、この世界で、そう言った行為は妖精趣味と呼ばれ、禁忌とされ、忌み嫌われている。が、それでも隠れた信奉者は多数存在し、一説ではサルドバルト最後の王となったダゥタスも、この妖精趣味の信奉者であったと言う話だ。

 

 カチュアは自分の分だけ茶を淹れると、さっさと席に座った。

 

「それで、何だい仕事って? 偵察かい? それとも・・・・・・」

「実戦です。」

 

 その言葉に、茶を啜る手を止めるカチュア。

 

「相手は?」

「ラキオス王国軍。」

「・・・・・・」

 

 カチュアはカップを机の上に置いた。

 

「なぜだい?」

「なぜ、と言いますと?」

「北方を制したとは言え、ラキオスの軍事力は高くない。あたしらを呼び出す程の物でも無いだろう。」

 

 そう言って、カップを再び口に運んだ。

 

「あたしは、つまらない仕事は御免だよ。」

「そうでもないですよ。」

 

 自身も腰掛けながら、ハーレイブは言った。

 

「ラキオスに現れた2人のエトランジェについてはご存知ですか?」

「まあ、噂程度には。」

 

 売春婦に身をやつしてはいるが、各国の情報収集は怠っておらず、カチュアの頭の中には、軍情報部の持つそれに匹敵する情報量が収められていた。しかも、褥の床では、客は意外な情報をこぼす事もある為、情報のレア度では軍情報部を上回っている。それが、売春宿を営んでいる理由だった。

 

「その内の1人、《麒麟》のセツナに会った事がありますが、彼はなかなか面白いですよ。」

「・・・・・・・・・・・・」

 

カチュアは黙って茶を啜る。

 

 正直、確かにエトランジェには興味がある。本当に噂通りの実力ならば、自分がどれほど出来るか、試してみたい気はする。

 

『でも・・・』

 

 カチュアの心には、1つだけ、気掛かりな事があった。

 

「どうでしょう、誓って、退屈はさせませんが?」

「・・・・・・2つばかり、条件がある。」

「何なりと。」

「戦場に行くのは、あたしを含めて実戦経験のある6名のみ。」

「承知しました。」

「残った娘達に関しては、帝国から助成金を出す。」

「良いでしょう。お任せください。」

 

 宰相として自由が利き立場にあるハーレイブは、それらの条件をあっさりと快諾する。

 

 その様を見て、カチュアはニッと凄みのある笑みを浮かべた。

 

「随分と気前が良いねえ、あんた。気に入ったよ。」

 

 そう言うと、部屋の片隅から細長い包みを取り出した。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 包みの中に手を入れ、中にある物を取り出す。

 

 それは、良く磨かれた、1振りの長剣。カチュアの持つ第六位永遠神剣《絶望》であった。

 

「ラキオスのエトランジェか。久しぶりに、楽しい戦が出来そうだよ。」

 

 

 

 

 

 

 セツナは疾風の如く地を蹴って駆ける。

 

 その身に宿した獣は、セツナに通常の10倍の身体能力を与え、その身を風よりも速く奔らせる。

 

 そのセツナの右手側に、併走する影があった。

 

「逃がさな、い!!」

 

 言い放つと同時に、ネリーは《静寂》を横薙ぎに振るってくる。

 

「・・・」

 

 セツナは無言のまま息を詰めると、身を屈めてネリーの斬撃を避ける。

 

 その正面に、今度は《孤独》を掲げたシアーが迫った。

 

「やァァァ!!」

 

 振り下ろされる刃。しかし、それがセツナの体に届く前に、掲げられた《麒麟》がシアーの攻撃を防ぎ切った。

 

 そこへ、再び距離を詰めたネリーが、横薙ぎに斬り掛かる。

 

「ッ!?」

 

 とっさにのけぞる事で回避するセツナ。しかし、その隙にシアーはセツナの背後に回りこみ、剣を振るってくる。

 

「・・・フッ」

 

 セツナは短く息をつくと、体捌きによってシアーの斬撃を空振らせ、空いた背中に剣を振り下ろす。が、その攻撃もまた、ネリーによって防がれる。

 

「へっへ〜ん。」

 

 得意げになるネリー。だが、

 

「良い気になるな。」

 

 短く言い置くと同時に、セツナの空いた腰の鞘を抜き放ち様に、ネリーの空いた脇腹を殴打した。

 

「うあぐ!?」

 

 吹き飛ばされるネリー。

 

「あ!」

 

 一瞬、そちらに注意を逸らされるシアー。しかし、すぐに視線を元に戻した。

 

 既に、セツナの剣が眼前まで迫っている。

 

「クッ!!」

 

 とっさに《孤独》の刃で受けるシアー。

 

「よっくも!!」

 

 そこへ、痛みを堪えて復活したネリーが、再び《静寂》を翳して斬り込んでくる。

 

 ウィング・ハイロゥまで広げたそのスピードは、かなりの高速だ。

 

 だが、白虎を身に宿したセツナにとっては、まだ遅い。

 

「タァァァァァァ!!」

 

 ほぼ同時に、反対側からシアーも切り込んできた。

 

 両側からの同時攻撃。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナはその様子を冷静に見据え。

 

「タァァァァァァ!!」

「ヤァァァァァァ!!」

 

 左右から同速で迫る2本の刃。

 

「フッ」

 

 余裕に満ちた表情で見据えるセツナ。

 

 と、次の瞬間セツナは、上体をのけぞらせる事によってシアーの刃をかわし、同時に繰り出した爪先でネリーの手首を蹴り、その手から《静寂》を弾き飛ばした。

 

「うっ!!」

「痛ッ!?」

 

 呆気に取られる2人、その瞬間を逃さずセツナは、左手の鞘を投げ、代わって腰からナイフを抜き放った。

 

 そして、刃を掲げた両手を水平に伸ばし、ネリーにはナイフを、シアーには《麒麟》を、それぞれの喉元に付き付けた。

 

「うわわ!?」

「キャッ!?」

 

 突如、目の前に出現した刃に、急ブレーキを掛けるネリーとシアー。

 

「・・・終わりだ。」

「うぅ〜〜〜」

「あぅ〜〜〜」

 

 首筋に刃を突きつけられたまま、呻く2人。

 

 セツナはスッと、刃を引いた。

 

 ここはラキオス軍の演習場。3人は今、訓練の最中だった。

 

 結果はご覧の通り、2対1でもまだ、2人はセツナに届かなかった。

 

「2人とも、初めて会った頃に比べれば上達しているが、まだ甘い。」

 

 セツナは《麒麟》とナイフを収めながら、訓練の評価を下す。

 

「ネリーは感情にムラが有り過ぎる。少し優位に立ったくらいで気を散らすな。」

「は〜い。」

「シアーは体の動きに比べて反応が鈍い。もっと積極的に掛かって来い。」

「はい〜」

 

 力無く頷く2人。

 

 その様子を見てセツナは、頷いて言った。

 

「よし、今日はここまで。2人とも、帰ってよく体を休めておけ。」

「「は〜い!!」」

 

 元気に返事をするネリーとシアー。

 

 駆け出す2人を追って、セツナも詰め所に向う道を歩き出した。

 

《良い子だよね〜、2人とも。》

「うるさいだけだ。」

 

 《麒麟》の笑みを含んだ声に、素っ気無く返事をするセツナ。

 

 しかし、《麒麟》の話はそこで終わらなかった。

 

《ねね、セツナ。》

「何だ?」

《君は、どの娘が好み?》

「好み?」

 

 セツナは不振そうな顔を作る。

 

 無論、セツナとてそこまで朴念仁ではない。《麒麟》の言いたい事は理解できる。だが、

 

「興味ないな。そんな事は。」

 

 吐き捨てるように言う。その手の事をこれまで意識した事など無かったし、その必要性も無かった。そして多分、これからもそれは変わらないと思う。

 

 だが、

 

《そんな事言わずにさ〜》

 

 今日の《麒麟》は、やけにしつこい。

 

《ん〜と、ハリオンは? よくお菓子とか作ってくれるじゃん。母性的だし。良いと思うけど?》

「・・・・・・・・・・・・」

《違うか。ならセリア。最初はあんなに嫌ってたのに、今じゃ君の副官だし、何だかんだ言っても、君の事嫌いじゃないと思うよ?》

「・・・・・・・・・・・・」

《これも違う、か。じゃあね〜》

「おい、いい加減にしろ。」

 

 いい加減うるさくなってきたセツナは、不機嫌な声を発する。

 

 しかし、次に放った《麒麟》の言葉に、思考が一瞬止まった。

 

《じゃあ、ネリーは?》

「ネリー・・・」

 

 その一瞬起こった僅かな揺らぎが、セツナの口から紡がれた。

 

《あ、今心が揺れた。》

 

 途端に喝采を上げる《麒麟》。

 

《そっかそっか。君はネリーが好きなんだ。うんうん、あの娘は素直だし、明るいし。ちょっと元気すぎるのが問題だけど、根暗な君とならバランスが取れて良いし。》

「・・・・・・・・・・・・」

 

 なおも言葉を引っ切り無しに吐き出す《麒麟》。

 

 対してセツナは、

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言のまま手近にあったゴミ箱に歩み寄ると、蓋を開けて《麒麟》を中に放り込んだ。

 

《あ、ちょ、ちょっとセツナ!!》

 

 悲痛な叫びを上げる《麒麟》を無視して、歩み去るセツナ。

 

《馬鹿ー!! 阿呆ー!! スカタン!! 戻って来い根暗男!!》

 

 がなり立てる《麒麟》。

 

 と、セツナは何歩も歩かない内に歩みを止めた。

 

 視界の向こうから、兵士が1人、こちらに走って来るのが見えたからだ。

 

「こちらにおられましたかセツナ様。」

「どうした?」

「すぐに謁見の間までお越しください。陛下がお戻りになられました。至急、閣議を開きたいとの事です。」

「分かった。」

 

 セツナは頷くと、ゴミ箱に突っ込んでおいた《麒麟》を持って、謁見の間に向った。

 

 

 

 セツナが謁見の間に着くと、既にユウト、エスペリア、セリアの3名が到着していた。

 

「すまない、遅れた。」

 

 自分の立ち居地に立つと、壇上のレスティーナに向き直った。

 

「それで、首尾は?」

 

 期待を込めた視線を送る。この同盟が成立すれば、帝国に対し優位に立つ事も夢ではないのだ。

 

 しかし、その期待を裏切り、レスティーナは首を横に振った。

 

「残念ながら、クェド・ギン大統領は、我々の申し出を受け入れてはくれませんでした。」

「・・・・・・」

 

 セツナは僅かに眉を顰めた。

 

 可能性の1つとして想定していた事ではあるが、それでもなぜ、クェド・ギンが同盟を蹴ったのか、セツナには理解できなかった。

 

「こうなっては仕方ありません。我々は、帝国よりも先に、マロリガンと雌雄を決しなければならないでしょう。」

 

 レスティーナの言葉に、その場に居た全員が一様に衝撃を受け止める。

 

 ラキオス、サーギオス、マロリガンの3国の中で、最も戦力的に劣るラキオスが、両国を同時に相手取る事は不可能。だが、こうなった以上、後へ退く事はできない。

 

「セツナ。」

 

 呼びかけに対して頷くと、セツナは前に出た。

 

「既に状況の1つとして、今回のケースは想定済みだ。これを、」

 

 そう言って、持っていた書類を差し出した。

 

「対マロリガン開戦に関する要綱を纏めておいた。参考にしてくれ。」

「分かりました。」

 

 書類を手に取って、流すように少し読んでから、レスティーナは顔を上げた。

 

「これより我が国はマロリガン共和国に対し、宣戦を布告します。皆さん。どうか私に、力を貸してください!!」

 

 

 

聖ヨト暦331年 コサトの月

 

ラキオス王国は、マロリガン共和国に宣戦布告。直ちに、国境の町ランサにスピリット隊を展開、南下の構えを見せる。

 

対してマロリガン共和国軍も、精鋭スピリット隊を中心とした大軍をスレギトに集結。眦を決してラキオス王国軍を迎え撃つ体勢を整えた。

 

 

 

今、かつてない死闘が、始まろうとしていた。

 

 

 

第12話「マロリガンへの道」