大地が謳う詩

 

 

 

第11話「革新への凶刃」

 

 

 

 

 

 

 深夜

 

 誰もが寝静まり、静寂のみが世界を満たす。

 

 スピリットの館とて例外ではない。

 

 少女達は皆、ベッドの上の住人となり、安らかな寝息と共に夢の世界の住人となっていた。

 

 そんな中、月に雲が掛かるのを待っていたかのように、第2詰め所に迫る数体の影があった。

 

 数は2。

 

 不審者の男達は2人とも、一様に頭から黒尽くめで覆い、闇に溶け込むように走っている。

 

 やがて、扉の前まで来ると、複雑な道具をいくつか使い、外側から鍵を開ける。

 

 ゆっくりと開かれた扉の内側に人の気配は無く、不気味な程に静まり返っている。

 

 大丈夫。自分達ならやれる。彼女達は戦闘のプロかもしれないが、自分達は隠密のプロだ。

 

 そう言い聞かせて、綺麗に掃除された廊下の上を音も無く歩き出す。

 

 目指す部屋は1階にある為、すぐに見つかった。

 

 今度は鍵が掛かっておらず、すぐに開く。

 

 対象となる人物は、何も気付かずにベッドの上で毛布に頭から包まって寝入っている。その人物の永遠神剣は枕元のベッドの脇にあり、気付かれても、すぐに抜かれる心配は無いだろう。

 

 しかし、今回の任務は暗殺ではない。この人物の持つ、ある物を手に入れる事が目的なのだ。

 

 それも、すぐ見つかった。

 

 机の上に纏められた紙の束。これこそが、今回の任務の目的だった。

 

 これを主の元も持ち帰れば終わりだ。

 

 そう思って、手を伸ばし掛け、

 

「月夜の晩に、随分と無粋な客が来たものだな。」

 

 突然の声に、思わず振り返る。

 

 その時、月に掛かっていた雲がスッと晴れ、蒼い月の光が室内に差し込んだ。

 

 そこに居るのは、黒髪に獰猛な獣を思わせる鋭い双眸。左頬に大きな切り傷を持ち、黒いロングコートに身を包んだ少年。

 

 エトランジェ《麒麟》のセツナ。

 

「馬鹿な・・・」

 

 思わず漏れた声と共に、男の1人がベッドの毛布を跳ね上げる。

 

 そこにあったのは、他の布団を丸く纏めて、人が寝ているように見せかけた、有り触れた偽装だった。

 

「生憎、普通の人間よりも眠りは浅い方でな。」

 

 壁に上体を預けたまま、言葉を紡ぐ。

 

「お前達の気配は、屋敷の外からでも感じ取る事ができたぞ。」

 

 言いながら、上体を起こす。

 

「目的は何だ? 誰に頼まれた?」

「クッ!!」

 

 質問に答えず、腰に差した剣に手を伸ばそうとする。

 

「喋らないか。それも良いだろう。」

 

 男達が剣を抜くのを見ても、セツナはなお余裕の態度を崩そうとしない。

 

 いかにエトランジェと言えど、今は神剣を持っていない。ならば、恐れるには値しない。

 

 そう思い、満を持して斬り掛かる。

 

 しかし、その考えは甘すぎた。

 

「遅い。」

 

 囁くように放たれた言葉と共に、セツナの腕が跳ね上がる。

 

 その手から放たれる銀の閃光。それは、抜き手も見せず放たれたナイフだった。

 

「グハッ!?」

 

 ナイフは狙い違わず、片方の不審者の胸を貫いた。

 

 胸を貫かれた男は、その場に崩れ落ちるように倒れる。

 

「クッ・・・・・・」

 

 仲間の死に、もう一方の不審者は、迷うように視線を巡らせる。

 

 このエトランジェは強い。神剣を持たなくても、並みの人間では相手にならないだろう。

 

 後ずさる男を追い詰めるように、セツナは1歩前に出る。その手には、抜き放たれたもう1本のナイフが既に握られている。

 

「さて、どうする? 大人しく吐くか。それとも、死体になって語るか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「どっちでも良いんだぞ。お前の顔が判別できれば、どこの手の者かくらいすぐに割れる。」

「クッ!!」

 

 とっさに決断した。

 

 まともにやり合っても敵わないのは明白。ならば、いっそ、

 

「ッ!?」

 

 とっさに机の上にあった書類を掴むと、窓ガラスを割って庭に転がり出ると、一散に駆け出す。

 

「チッ」

 

 その様子をセツナは、舌打ちしながら見送った。

 

『仲間の仇よりも任務を優先。いや、この場合、実力差を計ったと言う点も考慮の内か。』

 

 既に侵入者の姿は闇に紛れ、確認する事ができない。

 

 その時、

 

「今の音、何ですか!?」

「セツナ様!!」

 

 廊下の戸が開け放たれ、セリア、ヒミカ、ファーレーンの3名が駆け込んできた。

 

 そして、すぐに目にした物は、床に転がった不審者の遺体。

 

「これは・・・」

「ちょうど良い所に来たお前等。ちょっと確認してくれ。」

 

 セツナはそう言うと、遺体を足で蹴り転がして上向かせると、顔を覆う覆面を剥ぎ取った。

 

 その下から出てきたのは、恐らく20代前半と思われる男の顔だった。

 

「どうだ、見覚えはあるか?」

「確か・・・・・・」

 

 口を開いたのはファーレーンだった。

 

「情報部に所属する方ですね。何度か、見掛けた事があります。」

「・・・そうか。」

 

 やはり。と、内心で思う。今、自分が持つ書類に興味を持つ人間など、国内の一部の者に限られる。

 

「それで、セツナ様。何か取られた物は?」

「ああ。」

 

 ヒミカの質問にセツナは、ざっと机の上を確認してから答えた。

 

「俺がここ数日掛けて作成した書類だな。」

「その内容は?」

「詳しい事はまだ言えないが、俺達の今後の行く末について大きく影響のある物だ。」

「え?」

「ちょ、ちょっと!!」

 

 声を上げたのはセリアだった。

 

「そんな物、どうして取られるのよ。まずいじゃない!!」

「心配無い。」

 

 そう言うとセツナは、ベッドの下に手を入れ、何かを取り出した。

 

「取られた方は、あくまで下書き。本物はこっちだ。」

 

 そう言って掲げて見せたのは、先程取られた書類とほぼ同じ大きさの物だった。

 

「そうですか。なら、安心ですね。」

「で、でも、取られてしまったのだし。」

「ああ。それならなおの事、心配は要らない。」

 

 そう言いながらセツナは、訝る一同に構わず、さも可笑しそうに笑みを浮かべる。

 

「何しろ、あの書類を読んで理解できる人間は、ラキオスでは俺を含めても3人しか居ないからな。」

 

 

 

「・・・・・・よ、読めん。」

 

 額に脂汗を浮かべながら、ラキオス王は手にした書類から目を放す。

 

 その手の中にあるのは、先程セツナの部屋から盗まれた書類であった。

 

 そう、書類を盗むよう命じたのは、誰あろうラキオス王本人であった。

 

 兵権から遠避けたものの、天性の奇才でスピリット隊を指揮し、北方五国を平定してのけたセツナの頭脳は、警戒しておかないといつ寝首をかかれるか分かったものではない。そこで、セツナが作成していると言う書類を秘密裏に入手し、その真意を密かに探ろうと画策したのだが、

 

「・・・・・・読めるか?」

「ハッ」

 

 書類を、持ってきた情報部員に見せる。彼が、危険を賭してセツナの部屋から書類を盗み出した本人だった。

 

 しかし、

 

「よ、読めません。」

 

 書面の上には、彼等が見た事も無いような文字の羅列がビッシリと埋まっている。

 

 そう、セツナはこの下書きを、日本語で書いたのだ。

 

 一応機密文書であるから、誰かに見られるのはまずいと思ったセツナは、ファンタズマゴリアに来た当初、自分が言葉や文字で苦労した事を逆手に取り、下書きを日本語で書く事を思い付いたのだ。

 

 セツナ達が聖ヨト語を理解できなかったのと同様、この世界の住人に日本語が理解できるはずも無い。言わばこの世界において日本語は、精巧かつ極めて秘匿性の高い暗号に等しい存在だった。

 

 つまり、セツナが書類を理解できると言った残り2人とは、ユウトと佳織に他ならなかった。

 

「おのれ、あの小僧が〜〜〜」

 

 形相は醜いまでに歪み、手にした書類を力任せに捻る。

 

「どこまでもワシをコケにしおって!!」

 

 床に叩きつけられた書類が、バラけて散らばる。

 

「奴は・・・奴の目的とは一体、何なのだ!?」

 

 ラキオス王の失策は、この時点で既に、謀略戦が始まっていると言う認識が薄かった事だ。

 

 目先の権力、もしくは先にある栄光にのみ目を奪われてしまったラキオス王は、彼の足元に息を潜め、徐々にそのよって立つ土台を削っていくシロアリの力を、あまりにも軽視し過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 北方五国を治め、流通が活性化したラキオスの城下町は、サルドバルトへ向けて出陣する前よりも活気に溢れていた。

 

 水面下における謀略戦が苛烈を増す中、仕掛け人たるセツナは、全ての策を仕掛け終え、後は発動のタイミングを待つばかりとなった今、暇を持て余す結果となってしまった。

 

 そんな折だった、ユウトが佳織とオルファを伴って、第2詰め所へ遊びに来たのは。

 

 

 

「それで、結局犯人の追及はしなかったのか?」

「ああ。」

 

 ハリオンが淹れてくれた茶を飲みながら、セツナは頷く。

 

 先日押し入った賊に関して、ファーレーンの証言で情報部の人間であると言う事は分かったが、セツナはあえて、この件に関する深入りを避け、スピリット達にも内密にするよう緘口令を敷いた。

 

「今、この国で俺の立場は微妙な物だ。できれば、もう暫くの間は、波風は立てたくない。」

「王の事か?」

「ああ。」

 

 セツナとラキオス王が不仲な事は、ユウトも知っている。と言うよりも、ユウトだってあんな奴は好きにはなれないが、セツナの持つ不快感は、ユウトのそれとは少し次元が異なる気がした。

 

 ユウトがラキオス王から受けた数々の言われ無き屈従が反感の元となっているのに対し、セツナが持っている感情は、反感と言うよりもラキオス王個人に対する、存在の全否定。言わばユウトの反感感情が後付けに過ぎないのに対し、セツナは理由も何も無しにラキオス王を嫌っている。と言った感じだった。

 

「お前の、」

 

 そんな風に考えているところに、セツナの方から口を開いてきた。

 

「妹の様子はどうだ? こっちの生活には慣れたか?」

「ん、ああ。」

 

 出足を挫かれた感があるが、ユウトはすぐに返事を返す。

 

「オルファとは仲が良いし。エスペリアも良くしてくれるからな。みんなとはすぐに打ち解けたみたいだ。」

「そうか。」

 

 頷いてセツナはカップを口に運んだ。

 

 その時、厨房の扉が開いて、中からエプロン姿のハリオンが出てきた。

 

「お待たせしました〜、お口に合えば良いんですけど〜」

 

 そう言って、手にした皿をテーブルの中央に置く。

 

 乗っていたのは、湯気のたったヨフアルだった。

 

「作ってみたのか?」

「はい〜、お店の物みたいに〜、美味しくはできませんでしたけど〜」

 

 言いながら、廊下の方に出て行くと上の階に向って叫んだ。

 

「みんな〜、おやつの時間ですよ〜」

 

 程なくして、複数の足音と共に、喧騒のような声が聞こえてきた。

 

「おなか減った〜!!」

「た〜!!」

「あ、ヨフアルです!!」

「何だか、ワッフルみたいだね。」

「ワッフルじゃないよカオリ。ヨフアルって言うんだよ。」

「あーお腹すいた。」

 

 ネリー、シアー、ヘリオン、オルファ、ニムントールの年少組プラス佳織が、ワイワイと食堂に駆け込んできた。

 

 どうやら上の階で遊んでいたらしい。どうりで、時々騒音が聞こえてきたと思った。

 

「みんな〜、まず手を洗ってからですよ〜」

『は〜い。』

 

 ドタバタと厨房に駆け込んでいく一同を見やりながら、ユウトはハリオンに向き直った。

 

「でも、ハリオンはすごいな。こう言うお菓子まで自分で作ってしまうなんて。」

「わたしは〜、みんなのお姉さんですから〜」

 

 相変わらず意味が分からない。

 

 その言葉には、セツナもユウトも、互いの顔を見合わせて苦笑するしかなかった。

 

 やがて、厨房から年少組みが帰って来て慌しく自分達の席に付くと、我先にとヨフアルに手を伸ばし始める。

 

「駄目だよネリー。これはオルファが先に狙ったんだから!!」

「だって、ネリーが最初に取ったんだもん!!」

「モグモグ。」

「美味しいですね。ニム。」

「うん。」

「美味しい。」

 

 思い思いに騒がしく口を動かす中、ハリオンは佳織に声を掛ける。

 

「美味しいですか〜?」

「あ、はい。とっても美味しいです。」

「良かったです〜」

 

 そう言って微笑むハリオン。どうやら、先程本人が言った通り、味の方に少し自信が無かったのだろう。

 

 試しに、セツナも1つ摘んでみる。

 

『ふむ。』

 

 ワッフルと同じような甘みと食感が口の中で広がっていく。

 

 まずくは無い。と言うより、とても美味しい。焼き加減も味も問題なしだ。ただ、店の物よりも少し甘く感じるのは、超甘党なハリオンの味覚を反映したゆえだろう。

 

「良いんじゃないか。充分美味いぞ。」

「嬉しいです〜」

 

 そう言ってハリオンは、もう一度微笑んだ。

 

 たくさん焼いたヨフアルも、この人数で食べればあっという間に無くなってしまう。

 

 セツナが2つ目を口に付ける頃には既に、皿の上には3枚を残すのみとなっていた。

 

 事件は、最後の1枚になった時に起こった。

 

 その1枚に、同時に伸ばされた手が2本。

 

「ん!?」

「む!?」

 

 《静寂》のネリーと《理念》のオルファリル。

 

 何やら、分不相応な名前の神剣を持つ2人は、自らの獲物を狙う不遜な狩人の存在を認め、互いに火花を散らす。

 

「ネリー、これはオルファが先に手を付けたんだよ。」

「そんな事無いもん。どう見たってネリーの方が早かったもん。」

「《しょうこ》はあるの?」

「そんなの、オルファにだって無いじゃん。」

 

 途端に、周囲の予想通り言い合いを始める2人。

 

 その光景を周りの人間は、微笑ましく、あるいは白けた目で見つめる。

 

『やれやれ。』

 

 後者組のセツナは、そっと溜息を付いた。

 

 どうしてこう、この2人はこうまで事態を騒がしく出来るのだろうか。いっその事《喧騒》のネリーと《熱血》のオルファリルとでも名前を変えたら周囲の人間も納得するのではないだろうか?

 

 そんなどうでも良い事を考えているセツナを他所に、言い合いは徐々に熱を帯び始める。

 

「大体、オルファなんて5つも食べたじゃん。ネリーなんて、まだ4つしか食べてないんだよ!!」

『おいおい・・・・・・』

 

 セツナは心の中で突っ込みを入れる。こいつら、2人でそんなに食ったのか。それでは、他の者は1枚か2枚しか食べていない計算になる。

 

「ふ〜んだ。そう言うのを、『千里の道も一歩から』って言うんだよ。」

『・・・違う。それを言うなら「五十歩百歩」だ。』

 

 呆れ気味に突っ込みを入れて見る。

 

「とにかく、これはネリーが食べるの!!」

「オルファが食べるの!!」

 

 先に手を上げたのはどちらだったか、周囲の人間には知覚出来なかった。

 

 しかし、片やスピード自慢のブルースピリット。片や、つぼに嵌れば勢いのあるレッドスピリット。互いにぶつかれば惨劇は免れない。

 

「このー!!」

「喰らえ〜〜〜!!」

 

 さすがに殴りあうのはまずいと思ったらしく、両者とも手近にあった物を相手に投げつける。

 

 互いの獲物はオルファが皿で、ネリーがティーポット。

 

「おい、いい加減に・・・」

「やめろよ2人とも。」

 

 さすがにまずいと思ったセツナとユウトが仲裁に入ろうとした。

 

 しかし、両者の行動開始は些か遅すぎた。

 

 放物線を描いて飛んでいく2つの凶器。

 

 そして、

 

「ただ今。」

 

ガンッ!! バシャーーー

 

シ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン

 

 皿とティーポットは、突然扉を開けて入ってきた人物の頭にぶつかり、見事にその中身をぶちまけていた。

 

「あ〜・・・」

「う・・・」

 

 思わず絶句するオルファとネリー。

 

 と、言うよりも、その場に居た全員。それこそセツナですらも、入ってきた人物を見て絶句していた。

 

「セ、セリア・・・」

 

 入り口に立っていたのは、頭にティーポットを乗せた(器用な)セリアだった。その全身は、ティーポットの中に残っていたお茶がぶちまけられ、濡れ鼠状態になっている。

 

『お茶も滴る良い女?』

 

 本人が聞いたら、確実に怒りの矛先を変えるであろうセリフを思い浮かべるセツナ。

 

「フッ・・・フッ・・・フッフッフッフッ・・・」

 

 まるで地獄の底からでも這い出してくるかのような笑い声に、当事者2人のみならず、その場に居た全員が後ずさる。

 

「随分と、楽しそうね?」

「え〜と・・・」

「ア、アハハ・・・」

 

 その迫力に、乾いた笑いを上げるしかないネリーとオルファ。そんな2人を、アイス・バニッシャーを遥かに上回る凍気を湛えた双眸で見下ろすセリア。

 

『最悪な瞬間に、最悪な奴が帰って来たな。』

 

 蚊帳の外に居るセツナは、至極冷めた瞳で、成り行きを見守る。

 

「私も仲間に入れてくれないかしら?」

 

 セリアの口から紡がれる皮肉も、寒い。部屋の空気は確実に低下している。

 

「あ、で、でも、もう終わる所だったから。ね、オルファ?」

「う、うん。」

 

 ガクガクと、必死に首を振るオルファ。

 

 そんな2人に、満面の笑みを向けるセリア。しかし当然、目は笑っていない。

 

「あら、そう。なら、今度は私が新しい遊びをするから、2人とも、一緒にやりましょう。」

「ど、どんな?」

「簡単よ。2人がまず、私の前に座るの。」

「そ、それから?」

「そして私の話を聞いているだけ。ね、簡単でしょ。」

 

 それは俗に言う「お説教」と言う物だろう。

 

「つ、謹んでご辞退・・・・・・」

「え、何か言って?」

「・・・ご拝聴、させて頂きます。はい。」

 

 最後の抵抗も虚しく、床に正座させられたネリーとオルファの頭上に、セリアの雷が落ちた。

 

『あ〜あ。』

 

 その様子を、新たに淹れた茶を啜りながら眺めていたセツナは、溜息を吐いた。

 

 既に正座している2人は涙目になっている。

 

 見ているセツナ達の目からも、セリアの説教は迫力があった。

 

 まあ、無理も無い。頭から茶をぶっ掛けられて、冷静で居られる人間などそうは居まい。

 

「とにかく、2人には罰として、1週間トイレ掃除を命じます!!」

「「え〜〜〜」」

「お返事は?」

「「・・・はい。」」

 

 シュンとなって頷く2人。

 

 2人を片付けたセリアは、テンションもそのままに今度は、座って茶を飲んでいるセツナとユウトに向き直った。

 

「それから、ユウト様にセツナ!!」

「はい?」

「何だ?」

 

 互いにキョトンとした顔でセリアを見る2人。

 

 そんな2人に、セリアは舌鋒も鋭く切り出す。

 

「見てたのなら、どうして2人を止めないのですか!?」

「いや、止めようとはしたよな。」

「ああ。」

「何よ、止まってなければ同じでしょ!!」

 

 怒りの矛先が、今にも突き出されようとしたときだった。

 

「ハッ・・・ハッ・・・クシュン!!」

 

 突然、セリアの口からくしゃみがこぼれ出た。

 

 そこでふと思い出す。セリアがまだ、濡れ鼠状態で居る事に。

 

「はい、どうぞセリア〜」

 

 それを見計らったように、ハリオンがお茶を差し出す。

 

「そろそろ終わる頃だろうと思って〜、淹れておきました〜」

「あ、ありがと・・・」

 

 そのスローマイペースに巻き込まれたセリアは、そのままうやむやの内に怒りの矛先を失い、テンションを急速に鎮火させていった。

 

「・・・ヘリオン、すまんが風呂を沸かしてやってくれ。」

 

 それを見て、セツナは命じた。

 

 

 

 

 

 

 昼間の騒動もひと段落した頃、セツナは《麒麟》を片手に庭に出てみた。

 

 頭上には、蒼い月が出ている。

 

 その月光の元、セツナはスラリと刀身を抜き放つ。

 

『近い将来・・・』

 

 セツナは刀身を見詰めながら、物思いに吹ける。

 

『確実に帝国や共和国との戦いが始まる。軍事的に劣るラキオスがこれらの国と伍するには、俺やユウトと言うエトランジェの存在が不可欠だ。』

 

 刀身に月光が煌いて、一瞬視界を遮る。

 

『俺が使える《麒麟》の権能は白虎と玄武の2つのみ。順当に行けば残り2つ。青龍と朱雀があるはずだが・・・・・・』

 

 これからの戦い、あの、ウルカやハーレイブと言った強大な敵が必ずや自分達の前に立ちはだかってくるだろう。

 

 そうなった時、自分が彼らと互角以上に戦って見せねば、ラキオスに勝利は無い。

 

《焦っちゃ、駄目だよ。》

 

 その時、心を代弁するように《麒麟》が口を開いた。

 

「《麒麟》・・・」

《過ぎた望みは身を滅ぼすって言うじゃん。君が自分達の主に相応しいと判断したら、青龍も朱雀も、自分達のほうから必ず力を貸してくれるはずだよ。だから、それまでは焦っちゃ駄目。》

「・・・・・・そうか。」

 

 刀を鞘に収めながら呟くセツナ。

 

 確かに、焦って手に入れた力は、必ず何らかの歪みを抱えてしまうだろう。

 

 雷竜閃、蒼竜閃に次ぐ、第3の奥義もまだ完成していない。

 

 問題は山積だが、1つずつ地道にクリアしていくしかないだろう。

 

 そう思って、セツナが踵を返した時だった。

 

 突如、耳障りな金属音が空間を震わせて響いてきた。

 

「ッ!?」

 

 思わず振り返る。

 

「この音は!?」

 

 それは、間違いなく警報用の半鐘の音、しかもこれは、敵襲を告げる乱打。

 

 その音を聞いたのだろう。館の中からスピリット達が神剣片手に飛び出してくる。

 

「セツナ様!!」

 

 真っ先に飛び出してきたヒミカが傍らに立つ。

 

「どこの手の者でしょう!?」

「分からん。帝国か、それともマロリガンか・・・」

 

 続々とスピリット達が出てくる。

 

「どうしますか、セツナ様?」

「よし、隊を2手に分けて、1隊は俺が・・・」

 

 そこまで呟いてセツナは、ハッとする。

 

 あるいはこれは、自分自身が待ち望んでいた千載一遇のチャンスなのでは無いだろうか。

 

『そうだ・・・今なら・・・・・・』

 

 セツナは、自身の心の中に暗い火が宿るのを感じた。

 

 火はやがて大火となり、焔となって燃え上がる。

 

「どうしましたセツナ様?」

 

 傍らに立ったファーレーンが、怪訝な顔付きで尋ねてくる。

 

「あ、いや。」

 

 すぐに気を取り直し、スピリット達に向き直った。

 

「俺はすぐに王城に向かい、王と王女の救出を行う。お前達は城下に降りて防衛線を張れ。」

「城下に、ですか?」

「ああ。」

 

 怪訝な顔で命令を復唱するスピリット達。それらを無視するセツナ。

 

「敵の総数は分からん。注意して掛かれ。指揮はセリアに任せる。」

「・・・分かりました。」

 

 不審に思いながらも頷くセリア。

 

 この時セリアは、明らかに不振な態度を取るセツナに、違和感を覚えていた。

 

 セツナはこれまで自分達を率いて戦場を駆け巡り、多くの勝利に貢献してきた。

 

 当初こそ、その存在に警戒心を抱いていたセリアも、不承不承ながら心の隅では信頼感を抱くに至っていた。

 

 しかし結果的に、僅かに芽生えたその信頼感が、セツナの真の意思を見抜く目を鈍らせてしまった。

 

「頼むぞ。」

 

 それだけ言い置くと、セツナは白虎を起動し、駆け出した。

 

 

 

 場内は既に、至る所に兵士達の遺体が転がり、戦場跡の様相を呈していた。

 

『これは・・・』

 

 それらの1つに触れてみる。

 

『永遠神剣の切り口。それも、規模から言って進入したスピリットは複数か・・・』

 

 しかし、

 

 と、セツナは考えた。

 

『驚いたな。スピリットは人間を殺せないと思っていたが・・・・・・』

 

 スピリットは人間に逆らえない。これは、セツナの意識の中で半ば常識と化していた。しかし今、その常識は根底から覆されていた。

 

『これは、今後の作戦行動で、留意しておかなければな。』

 

 そう呟きながら、再び駆け出す。

 

 目指すはラキオス王の私室。

 

 今なら誰にも気取られる事なく、事を実行出来ると確信していた。

 

 あるいはこの状況ならば、手間が省ける事も期待できる。

 

 そんなセツナの前に、2つの影が躍り出る。

 

 黒と緑。

 

 いすれも、見覚えの無いスピリットだ。

 

「・・・どこの手の者だ?」

 

 無駄と知りつつも、取りあえずは聞いておく。

 

 しかし案の定、相手は何も答えずに黙って神剣を構える。

 

「そうか、なら・・・」

 

 セツナは《麒麟》の柄に手を掛けた。

 

 次の瞬間、2人のスピリットはセツナに斬り掛かってくる。

 

 しかし、

 

「遅い。」

 

 白虎を身に宿したセツナにとって、並みのスピリットの動きなど、止まっているに等しい。

 

 居合い気味に抜き放たれた《麒麟》の刃は、逆袈裟にブラックスピリットの体を斬り捨てた。

 

 仲間の死に、一瞬怯むグリーンスピリット。

 

 しかし、その時には既に、セツナは自身の間合いに彼女を捉えていた。

 

「奥義、」

 

 呟きと共に、繰り出される剣光。

 

「雷竜閃!!」

 

 命中の瞬間、腕に蓄えた全ての力を解放、威力を爆発的に加速させる。

 

 スピリット中最硬を誇るはずのグリーンスピリットの防御障壁が、紙のように真っ二つに断ち切れた。

 

 くず折れるスピリット。

 

 セツナは血振るいして刀を鞘に収めると、再び目的地に向けて駆け出した。

 

 

 

 死体折り重なる廊下を駆け抜け、セツナは目的地の前へと辿り着いた。

 

 一息で扉を開け、中に飛び込む。

 

 そこでは、今にもラキオス王に斬り掛からんとしているブルースピリットの姿が飛び込んできた。

 

「チッ!!」

 

 その姿に、舌打ちするセツナ。

 

 どうしてこう、物事は思い通りにスムーズに行ってはくれないのか。

 

 相手のスピリットも、新手の出現にその剣先を変えて向ってくる。どうやら、より脅威となり得る存在の方を先に排除しようと考えたのだろう。

 

「フンッ・・・」

 

 1つ鼻を鳴らすセツナ。期待通りには行かなかったが、これは充分に想定の範囲内だ。

 

『なら、邪魔者には先に消えてもらう。』

 

 呟くと同時に抜刀、翻る刃が一刀の元にブルースピリットの腹を薙いだ。

 

 断末魔の悲鳴を上げて倒れ伏すブルースピリット。

 

 その体は、徐々に金色のマナへと変わっていった。

 

「お、おお!!」

 

 救援者の存在に、ラキオス王は目を輝かせる。

 

 今にも彼の命を断とうとしていた敵スピリットを、間一髪の所で間に合ったエトランジェが排除してくれた。

 

「よ、良く来た。エトランジェよ。助かったぞ。」

 

 震える声で労いの言葉を掛ける。

 

 彼にしても、スピリットが人を襲うなど、予想外の事だったのだろう。

 

 額には冷や汗が滲み、体が震えている。

 

 極限状態であったためだろうか、今のラキオス王に、正常な判断力は失われていた。

 

 そう。自身を助けた人物が何者であるか、ラキオス王の頭は理解する事ができなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは無言のまま、ラキオス王に背を向けている。

 

 ただ、静かに、待ち望む物は一瞬のタイミングのみ。

 

「とにかく良くやった。このスピリット共がどこの手の物がすぐに調べ、」

「陛下。」

 

 ラキオス王の言葉を遮るように口を開くセツナ。

 

「ん、何だ?」

 

 セツナは、ラキオス王に振り返る。

 

 そして、

 

 ズッ

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 異音と共に、ラキオス王の胸に刃が生える。

 

「なっ!?」

 

 その、まったく予期し得なかった行動に、目を開く。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナは無言のまま、その醜くしわがれた顔を見据える。

 

 その手にあるのは、自身の永遠神剣《麒麟》。その刃が今、ラキオス王の胸に深々と突き刺さっていた。

 

 その顔には、遠慮、容赦、呵責、躊躇。一切の感情は見受けられない。

 

 ただ機械的に、あるいは作業的に1人の人間の命を刈り取る死神が居るだけだった。

 

「き、貴様・・・何を!?」

 

 今だ事態が信じられず、震える声で問い質そうとするラキオス王。

 

 そんなラキオス王に対し、冥土への餞とばかりに、セツナは口を開いた。

 

「悪いが、俺達がこの国を掌握する為には、お前と言う存在はいかにも邪魔だ。」

「な、何?」

 

 セツナはあの、イースペリアのマナ消失以来、この瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。

 

 セツナは、自分達を自身の欲望の生贄にしようとしたラキオス王を許す気は、初めから無かった。加えて、ラキオスと言う国を食い物にする害虫どもを一掃するには、まずそのトップを斬り捨てて挿げ替える必要があると考えたのだ。

 

 その結果が、今回のラキオス王暗殺に繋がっていた。

 

「消えろ、ルーグゥ・ダイ・ラキオス。貴様にこの国は、高嶺に過ぎた。後は、俺達が有効に活用してやるから安心しろ。」

 

 そう告げると同時に、刃を更に深く突き刺す。

 

「グッ、ガッ・・・き、貴様・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 セツナはそれ以上何も言わなかった。

 

 無言のまま《麒麟》の刀身を引き抜く。

 

「ガッ・・・あっ・・・・・・」

 

 支えを失ったラキオス王は、断末魔の力を振り絞り、セツナに向かって1歩よろめく様前に出る。

 

 しかし、それが限界だった。

 

 その老いた体は、中身の抜けた抜け殻と化し、豪奢な絨毯の敷かれた床に倒れ伏す。

 

 それが、北方五国を平定し、曲がりなりにもラキオスと言う国の土台を築き上げたルーグゥ・ダイ・ラキオスの最後だった。

 

「・・・・・・地獄に堕ちろルーグゥ・ダイ・ラキオス。己の醜い欲望を種に、な。」

 

 吐き捨てるように呟くセツナ。

 

 あらかじめ持っていた紙で刀身の血糊を拭うと、《麒麟》を鞘に収める。

 

 その顔には、最後まで感情らしい感情が浮かぶ事は、無かった。

 

 

 

第11話「革新への凶刃」   おわり