大地が謳う詩
第10話「陰謀多重奏」
1
「・・・・・・・・・・・・」
セツナは、書類とにらみ合いながら、筆を進めていく。
サルドバルト陥落から数日。ラキオス国内は、お祭り騒ぎの毎日を過ごしていた。
しかしそれは、無理からぬ事だった。
大陸北部統一
今までこの6文字が現す意味ほど重要な事は存在し得なかった。
かの、4神剣の御世より幾星霜。今だかつて誰も、それを成し得た者は存在しなかった。それを、現国王ルーグゥ・ダイ・ラキオスは成しえたのだ。その歓喜は天をも突こうという物である。
これで名実共に、ラキオスは大陸第3の強国へとのし上がり、マロリガン共和国、サーギオス帝国と伍するだけの国力を付けたことになる。
北方を制したラキオス王の目が、大陸南部に向く事は、そう遠い未来ではないだろう。
『だが、』
と、セツナは考える。
残念ながら今のラキオスの国力、そして軍務体勢では、この2国の内、1国を相手にするのも難しいだろう。
『まず問題なのは、スピリット隊が独立した戦闘単位として運用されていない点。いざと言う時に上から掣肘を受けていたら、敵に出遅れる可能性もある。』
筆が書類の上を走っていく。
『君主制を採用している以上、名義上の最高司令官として王族が来るのは当然として、それ以下の軍上層部の存在はこの際邪魔だな。』
セツナは、1つの書類を手にした。
これは先日、正規軍の事後処理に付き合って赴いた旧イースペリア領ランサで偶然手に入れた物で、内容はイースペリア軍の防衛体制に関する機密書類だった。
恐らく、戦後のどさくさで処分し忘れた物が残っていたのだろう。それを一読してセツナは、感心させられる物があった。
サルドバルトの裏切りで崩壊したとは言え、戦前は大陸一とまで囁かれたイースペリア軍の防衛システムに関しては、これからの戦い、攻めるだけでなく守る事も多くなると予想されるラキオスにとって、必ず必要になるだろう。
特にセツナを感心させたのは、正規軍とは別系統に、スピリット隊に対する指揮系統が存在し、スピリット隊が独自に行動する事を許されていた点だ。
これは恐らく、イースペリア最後の女王となったアズマリア・セイラス・イースペリアがスピリットに対して寛容な政策を取っていた事が大きいのだろう。
『保有マナ量の円滑な運用方法も含めて、やはり今早急に必要なのはトップの改変だな・・・・・・』
そう呟くセツナの脳裏に、つい先日王城で起こったとある事件の事が思い浮かんだ。
その日、セツナは突然王城から呼び出しを喰らい、謁見の間へと赴いた。
いつ見ても、謁見の間はセツナが来る時だけは仰々しいまでの警備が敷かれ、ラキオス王がどれだけ味方であるエトランジェを警戒しているかが伺える。
その中央にあって腕を組み、セツナは憮然とした表情を周囲に晒している。
無理も無い。既に来てから1時間以上も待たされているのだ。
『何なんだ、人が忙しい時に?』
まだ現れぬ呼び出し主に不満をぶつけつつ、時は無駄に過ぎていく。待たされるのはいつもの事とは言え、いや、いつもの事だからこそ、いい加減にして欲しい物だ。
余裕を持たせたラキオス王が現れたのは、それから暫くしての事だった。
「よく来たな。」
「疲れたから帰って良いか?」
第一声に対する回答がそれだった。
セツナとしては、皮肉の1つでもぶつけなければ収まりがつかない所だった。
「フン、威勢だけは相変わらずか。」
「・・・・・・」
その言葉に、僅かに眉を顰める。どうも、口調に引っ掛かりを覚えたのだ。
訝るセツナを置いて、ラキオス王は不快な声で先を続ける。
「しかし、いつまでもそのような態度ではいかんぞ。エトランジェよ。」
「・・・何が言いたい?」
ラキオス王は、肘掛に腕を置き、勿体付ける様に口を開く。
「聞けばそなた、先日のサルドバルト王都攻略の際、敵の指揮官に敗北したそうだな。」
「・・・・・・それがどうした?」
事実なので否定の仕様もないが、あまり気分の良い話題ではない。セツナは、憮然とした調子で答える
その様子に、ラキオス王は満足げな笑みを浮かべて続ける。
「そのような、弱き指揮官に、スピリット隊を任せる事にワシは大きな不安を感じざるを得ない。」
「・・・・・・・・・・・・」
「エトランジェよ。この、ラキオスの頂点に立つ、国王として命ずる。以後は勝手な行動をせず、軍上層部からの命令に忠実に従うのだ。エトランジェは余計な事など考えず、ただ剣を振るっておれば良いのだ。」
傲岸に言い放ち、胸を反らす。
どうやらラキオス王は、ハーレイブに負けたと言う一事のみを拡大解釈し、セツナを現在の立場から引き摺り下ろそうと画策したようだ。
それ以前に、セツナがラキオスの北方統一に大きく貢献した事など、頭から無視して掛かり、ただ一度の失敗に付け込もうと言う腹心算のようだ。
よほどこれまで、セツナの存在が目障りだったのだろう。その為の材料を、全力で探していた事は想像に難くない。
セツナは、冷笑を持って答える。
『滑稽だな。まさしくピエロだ。』
失敗して、人を笑わせる存在。ただ舞台を盛り上げる為だけに必死になる、前座の余興役。
セツナは更に、笑みを酷薄に歪める。
『ここで抵抗する事は簡単。だが、せっかくピエロが必死になって作り上げた舞台を、後出の真打が割り込んで汚すのも無粋、か・・・・・・』
セツナは笑みを消すと、乾いた表情をラキオス王に向ける。
「良いぞ。」
「抵抗するならば、こちらも容赦は・・・何?」
予想した解答では無かったのだろう。肩透かしを喰らい、思わず口を滑らせるラキオス王。
その様子を心の中で苦笑しながら、顔は冷静なまま言葉を紡ぐ。
「俺は以後、作戦に関し口を挟まない。兵権はあんたに返す。それで良いか?」
その宣言に、ラキオス王のみならず、謁見の間に居た全員が唖然とし、顔を見合わせる。誰もが、セツナはこの命令を拒絶するだろうと思っていたからだ。
「そ、そうだ。それで良い。」
過程はともあれ、結果的に自分の思い通りになった事に満足したらしく、ラキオス王は轟然と胸を張って頷く。
「話は、それだけでしょうか?」
とりあえず服従の証として、慇懃な調子で尋ねるセツナ。
「う、うむ。」
対してラキオス王は完全に毒気を抜かれた調子で返事を返す。
「では、私はこれで、訓練の時間が迫っておりますので。」
そう言って一礼すると、謁見の間を後にした。
やがて、セツナの姿が消えると、ラキオス王はその口元から笑みを漏らし始めた。
「フ、フフフ。まさか、こうもあっさり折れるとはな。そうと分かっていれば、もっと早く実行に移しておれば良かった。」
これで、国内における唯一の障害が取り除かれた。名実共に、ラキオスは国王の名の下に統一されたのだ。
多分、あの賢しらなエトランジェの事だ。どうせ、こちらに従う振りをして裏では何か良からぬ事を企んでいるに決まっているが、それはそれ。こちらに兵権を取り戻した以上、後でどうとでも料理できる。最悪こちらとしては、永遠神剣さえあれば良いのだ。エトランジェなら、もう1人代わりが居る。
「見ておれ。今こそこのワシが、大陸全ての国々を制してくれる。」
その時の様子を思い出し、セツナは含み笑いが止まらなくなる。
『古来より、陰謀とは、深く静かに進行するものなり、か。』
御山の大将がやりたいのならやらせておけば良い。表向き従順になった振りをしておけば、こちらとしても水面下で事を進めやすいと言う物だ。
殊に、この一件により、ラキオス王に国内における全ての権限が集中した事は大きい。
『これで、国内重臣の関心の目は、ラキオス王に向けられるだろう。ユウトは奴に逆らえないから、当然の流れだ。』
まさに、積み木の如き、虚構を糧にできた栄光。後は土台を崩すのみ。それで、この国の体制は崩壊する。
『残る問題はタイミング。事が公になってしまえば、後に禍根が残る事は必定だ。何か、きっかけが有れば良いんだが・・・・・・』
セツナは思考を外し、視線を傍らに置いてある書類に移す。
そこに書かれているのは、現状のラキオス政権を打破し、セツナ達が実権を握った時に提示する政戦両略の国政大綱。言わば、これからラキオスが実施していく国家戦略の青写真と言うべき存在だった。
『こいつを提示するその時、玉座に座っているのはあのルーグゥ・ダイ・ラキオスではない。そこにいるのは・・・・・・』
セツナが、その人物に思いを馳せた時だった。
部屋の片隅で、カタッと小さな音が響き、セツナは顔を上げる。
「・・・・・・お前か。」
「ハッ」
振り返らずに声を掛けるセツナ。
部屋の片隅で、1人の男がセツナに向って片膝を突いている。顔立ちから言って20代後半だろう。釣りあがった瞳と、気配を感じさせない物腰が、実力の程を伺わせる。
男の名はエリオス。ラキオス軍情報部に所属し、つい先日までサルドバルトに潜入していたベテラン諜報部員である。
「首尾はどうだ?」
「ハッ、上々です。私の子飼いの部下は全て、セツナ様の配下に加わる事を快諾いたしました。」
「そうか。」
エリオスは、サルドバルト開戦に当たって詳細かつ有力な情報をラキオスにもたらした功労者であった。しかし、苦労して持ってきた情報を根拠の薄い理由からラキオス王に却下され落胆していた所を、情報部に出入りしていたセツナにその情報を、たまたま取り上げられたのだ。
数日後、セツナはより詳しい情報を得ようと、城下にあるエリオスの自宅を訪れた。
その時初めて、セツナはこの情報がラキオス王によって棄却されていた事。その事で襟オスが失意を覚えていた事を知った。
そこでセツナはエリオスに対し、自分の計画に参加しないかと持ちかけた。
その内容を聞き、初めエリオスは難色を示した。
自分はラキオスに仕える身であり、その忠誠の対象はラキオス王だけだと言った。
しかしセツナは、根気良く説得を続けた。その結果、エリオスはセツナに協力する旨を承諾したのだ。
セツナとしても、これは満足の行く結果だった。
現在、セツナの真の目的を知り、協力しようと言う人間は1人も居ない。言わばエリオスはセツナにとって、最初の味方だった。
「だが、1つ間違ってはならない所がある。」
「何でしょう?」
「お前達が忠誠を誓うのは俺個人ではなく、あくまでラキオス王家だという事だ。」
「・・・・・・・・・・・・」
「一軍人に忠誠を誓うという事は軍閥化の始まりであり、そこから国を割る事になりかねない。」
「では、」
「ああ。」
セツナはエリオスに向き直った。
「お前達はあくまで、これまで通り国と王家に忠誠を尽くしてくれれば良い。その上で俺の要請に応じて、敵国、及び国内の情報を集めてくれ。」
「ハッ、分かりました。」
かしこまるエリオス。
その様子を見て、セツナは思わず音を立てて笑う。
「どうしました?」
「いや・・・」
笑うのをやめて、エリオスに向き直る。
「ラキオス王には、こうまで人望が無い物なのかな、と自問してみたところだ。」
「はあ・・・・・・」
我が事なので、曖昧に頷くエリオス。
それを見てセツナは、彼に興味を無くした様に背を向けた。
「お前達にはこれから、存分に腕を振るってもらう事になる。期待しているぞ。」
「ハハッ」
来た時同様、音も無く立ち去るエリオス。
それを確認し、セツナは机の上の書類にもう一度目を落とした。
『さて、これでこちらの陣容は整いつつある。俺、ユウト、スピリット達、そしてエリオス達情報部員。できれば正規軍の方にも根回しをしたかった所だが、さすがにあの頭の固い連中に声を掛けるのは無理か。と、言うより、あの中から優秀な奴を探し出す方が難しい。ならいっそ、消えてもらった方が手っ取り早いしな。』
そこまで考えた時だった。
「あ、居た居た。」
開け放たれた窓から、明るい声と青いポニーテールが顔を覗かせた。
「ネリーか。」
セツナを見つけたネリーは、開け放たれた窓から身を乗り出してくる。
「ねえねえ、セツナ。今、暇?」
勢い込んで尋ねるネリー。これまでの経験から、大抵こう言う場合はろくな事が起きないと分かっているセツナは、にべも無く首を振る。
「忙しい。」
「じゃあ、それでも良いから来て。」
「・・・聞いた意味あるのか?」
「良いから良いから。細かい事は気にしな〜い!!」
言うが早いか、狭い室内でウィング・ハイロゥを広げると、セツナの腕を引っ張る。
「こ、こら!」
「早く早く!」
言いながらネリーは、強引にセツナを引っ張って行った。
セツナが連れて来られたのは、城の裏手にある草原だった。
日当たりの良いこの場所は、スピリット達がよく鍛錬や洗濯物を干したりするのに使っている。
その場所に着いた時、そこには先客が居る事に気付いた。
面子はシアーとオルファ、ヘリオン、そして・・・・・・
「あ、朝倉先輩。」
そこに居たのは、顔に不釣合いな大きな眼鏡を掛け、頭には奇妙な形の帽子を乗せた少女。ユウトの最愛の妹、高嶺佳織だった。
「お前も居たのか。」
「はい。」
佳織はつい先日、サルドバルト攻略と北方平定の功績により、王城での軟禁状態から解放され、今はユウトと一緒に第1スピリット詰め所で暮らしている。
解放されたその日には、セツナも同席して言葉を交わしたが、それ以来セツナも多忙で顔を合わせていなかった。
聞いた話ではオルファ達と仲が良いと言う話だった。
「で、俺をこんな所に呼び出して、一体何の用だ?」
「うん。『オニゴッコ』やるから一緒にやろう!!」
・・・・・・・・・・・・
「は?」
「だから、オニゴッコ。セツナ知らないの?」
いや、勿論知っている。が、
「その為に俺を呼んだのか?」
「うん。」
何を今更。と、言わんばかりの笑顔で頷くネリー。
「・・・・・・・・・・・・」
次の瞬間、セツナはクルッと回れ右をし、元来た道を帰り始めた。
「ちょ、ちょっとセツナ!!」
慌てて引き止めようとするネリー。
「あのな、そう言う事ならユウトにでも頼めば良いだろ。俺は忙しいんだ。」
「だって〜、ユウト様は今訓練中なんだもん。」
「だったら諦めろ。」
「やだやだ。一緒にやろうよ!!」
傍から見ていると、仲の良い兄妹の微笑ましい喧嘩に見えない事も無い。
鬱陶しく思ったセツナは、無視して立ち去ろうとした。
が、
「?」
妙に両足が重い。
振り返ってみる。
「やろうよ〜」
「よ〜」
「・・・・・・」
思わず絶句した。
右足にはネリーが、左足にはシアーが腹ばいになってしがみ付いている。
それを見て、オルファもしがみ付いてきた。
「ねえねえ、セツナやろうよ。こう言うの『据え膳食わねば男が廃る』って言うでしょ。」
「・・・・・・使い方が違う。」
見ると、いつの間にか、ヘリオンも空いている左腕にしがみ付いている。
「・・・・・・おい。」
「あ、あの、セツナ様・・・・・・」
「・・・・・・」
ヘリオン、お前もか。
古代エジプト王が放った断末魔の言葉が、対象を変えて脳裏に過ぎった。
「・・・・・・・・・・・・」
大きく溜息を吐く。
佳織だけは、困ったような笑みを浮かべてその様子を見守っている。
どうやらこの子鬼共は、相手をするまで自分を放さないらしい。
かくしてセツナは、限りなくやる気の低い鬼ごっこを興じる羽目になった。
『ジャーンケーン、ポン!!』
グー、グー、グー、グー、グー、セツナだけチョキ。
「あ、じゃあ、セツナがオニだね!!」
そう言うと、子鬼達はワラワラと散っていく。
そんな中で、佳織だけが困ったような申し訳ないような、複雑な表情をしている。
「・・・・・・良いから行け。」
顎をしゃくりながら、溜息混じりにそう告げる。
乗りかかった船。今更下りる事はできない。
佳織の背中を見送りながら、セツナはふと考える。
もしかしたら、もう、こんな風にのんびり過ごせる時間は無いのかもしれない。
そう思うと、彼女達にこうして付き合っている時間でさえも、貴重な物に思えてくる。
「・・・・・・・・・・・・」
フッと、自嘲気味に笑った。
ほんの少し前、そう、ハイペリアに居た頃の自分では、絶対にこんな風には思えなかった。むしろ、嫌われるのを承知の上で拒絶の態度を取っていた事は間違いない。
『人間、変われば変わる、と言う訳か。』
考えてみる。
何が、自分をこうまで変えたのだろう。
その時だった。
「セツナー!! やる気あるの!?」
少し離れた所から、ネリーが声を張り上げる。
『こいつのお陰、か?』
ネリー。
気が付けば、いつも自分の傍で走り回っている少女。
まるで、吹き抜ける風のように、捉えられず、1つの所に留まらず。それでいて、いつも気が付けば、傍に立っている。
彼女の奔放さが、ひょっとしたら心の底に滞留していたセツナの闇を、切り裂いてくれたのかもしれない。
「セツナ?」
いつまで立っても動こうとしないセツナを訝るように、ネリーが近付いて顔を覗きこんでくる。
「どうしたの?」
「・・・いや。」
セツナはフッと微笑を浮かべると、ネリーの頭にポンッと手を置いた。
「はいタッチ。次はお前が鬼な。」
「あ〜〜〜!! ずるい〜!!」
「ちゃんと10数えろよ。ルールなんだから。」
「こら〜!! 卑怯者〜!!」
声を張り上げるネリーに背を向けて、セツナは走り出す。
その顔に、これまでとは少し違った笑顔がある事に気付いた者は、今の所、誰も居なかった。
第10話「陰謀多重奏」 おわり