大地が謳う詩
第７話「音速の決闘」
１
サルドバルト王国。龍の魂同盟を離反。イースペリア国へ侵攻。
このニュースは、大陸全土を駆け巡った。
ラキオス軍主力の、キロノキロ攻略にほぼ時を同じくして、密かにイースペリア国境を突破したサルドバルト軍スピリット隊は、首都北方を守るロンドに奇襲を掛けた。
イースペリア軍は、現女王アズマリア・セイラス・イースペリアの主導の下、専守防衛を国策に組み込み、防衛力の強化に努めてきた。その鉄壁ともいえる防衛システムは大陸随一とも噂され、これまで敵対するダーツィ大公国、マロリガン共和国と言った強国の侵攻を頑なに阻み続けてきた。
しかし残念な事に、今回はそうは行かなかった。
首都を守護する要地とは言え、北方にあるのは友好国であると信じていたサルドバルトのみ。その為、北からの侵攻は無いと踏んでいたイースペリア軍上層部は、この地には申し訳程度の守備隊しか配置されていなかった。
そこへ、サルドバルト軍の主力が襲い掛かった。
後方という事で油断もあったのだろう。ロンド守備隊は、ろくな抵抗も見せる事無く、駐留スピリット隊ともども壊滅。僅かに、生き残った兵士が、首都に救援の早馬を走らせる事ができたのみだった。
これに対しイースペリア軍は、ただちに国境線に張り付かせている主力部隊を、首都防衛の為に呼び戻そうとした。
しかし、それが罠だった。
引き返そうとランサを出たイースペリア軍スピリット隊を、街道沿いで待ち受けていたサルドバルト軍スピリット隊が奇襲を掛け、これを全滅に追い込んだ。
これにより、イースペリア首都は北と東の街道を封鎖され、孤立状態に陥っていた。
首都に残されたスピリットは、大半が技量未熟な訓練中のスピリット。対するサルドバルト軍は、北と東からイースペリア首都に圧力をかけ始めた。
対して、主力を失ったイースペリア軍だが、アズマリア女王直接指揮の下、首都決戦の体勢を整え、１歩も引かぬ構えを見せた。
そんな、混乱する状況の中、龍の魂同盟の残る１国、ラキオス王国は、イースペリア救援を決定。ダーツィ攻略が完了したばかりのスピリット隊主力を直ちに回頭させ、イースペリア領へと急行させると同時に、首都からも急遽別働スピリット隊を編成し、同じくイースペリアへと向かわせた。
今、龍の魂同盟は、混沌と狂乱の瓦礫の中に、音を立てて崩壊しようとしていた。
２
首都の怪物騒動を鎮圧したセツナとネリーは、サルドバルト反乱の報を受けて、直ちに首都を進発。ラセリオを経由して一路、イースペリア領ダラムを目指していた。
既に、キロノキロを経ったユウト達もイースペリア領内を目指している事は聞いている。距離的には向こうの方が近いのだが、ユウト達がアト山脈を迂回しなければいけない事を考慮すれば、ダラム到着は恐らくセツナ達の方が早いだろう。
ダラムを橋頭堡としてイースペリア首都へ進行。同地攻撃中のサルドバルト軍の背後を突く。と言うのがセツナの基本戦略だった。
首都攻撃に戦力の大半を投入しているサルドバルト軍は、ダラムには僅かな兵力しか置いていない。エトランジェ２人を擁するラキオス軍ならば、容易く打ち破れる相手だろう。
『しかし、』
セツナは戦場へ続く道を駆けながら、ふと、ラキオス王と言葉を交わした時の事を思い出す。
『あの男、一体、何を考えている？ 今回のイースペリア救援も、恐らく字面通りの意味ではないだろう。』
僅かに会っただけなら、ラキオス王の思考基準は分かっている。
あの男は、決して他人の為に何かをしてやろうと言う柄ではない。本来なら、イースペリアを捨石として、自国の防御を固めるところだろう。
しかしそれをしなかった。
と言う事は、それを置いてもなお、得られる物が今のイースペリアにはあると言う事だ。
『だが、自国の防衛すらおいてもなお、重要な物とは何だ？』
判断を下すには、あまりに情報が少なすぎる。
そんな風に悩むセツナに、併走する黒い影が語り掛けてきた。
「どうしました、セツナ様？」
仮面で顔を隠したその女性は、ラセリオで合流したブラックスピリットで、名をファーレーンと言う。
「何か、考え事でも？」
「ああ、大した事じゃない。」
セツナは視線を動かさずに答えた。
２人の後方には、ファーレーンと一緒に合流したニムントール・グリーンスピリットの姿もある。
セツナ達４人は既に、イースペリア領ミネアを越え、ダラムに迫りつつある。
かなりの強行軍で、セツナとファーレーンはともかくネリーとニムントールの２人は肩で息をしている。
「でも、何で急に、サルドバルトが？」
憂いを秘めたファーレーンの声が耳朶に響く。憂いと共に放たれる声音は、怒り。
そのファーレーンを横目で見ながら、セツナは同速で走りつつ答える。
「お前達スピリットはどうか知らないが、俺を含めて人間と言う物は欲という渇望の上に立って生きている。他者より強く。他者より偉く、そして、他者より豊かに。サルドバルト王が、今回の反乱劇を催したのも、そう言った欲が根底にある。」
「欲、ですか・・・」
「加えて、サルドバルト王には、国民を豊かにすると言う義務もある。そうなると、必然的に払いの良い方に着くのは自然の摂理だ。」
帝国には随分と甘い言葉を吐かれた事だろう。と、セツナはその時の様子を想像する。
所詮はラキオスに対する捨て駒に過ぎないと言う事も知らないで。
『しかし・・・』
セツナはふと、先日の王都に置ける騒動の原因となった男の事に意識をやった。
『あいつは俺達に、暫くサルドバルトに滞在すると言った。まさかとは思うが・・・・・・』
突然のサルドバルトの反乱。背後にチラつく帝国の影。そして、客分としてサルドバルトに居る謎の男。
僅かではあるが、真実を隠す霧を払えたような気がした。
しかし、思考はそこで中断された。
「・・・」
セツナは、走っていた足を止め、前方を注視する。
ほぼ同時にファーレーンもその存在に気付き、足を止める。
「気付いたか？」
「ええ。」
頷いて、腰の神剣《月光》に手を掛ける。
後ろから走って来た２人も。すぐに周囲からマナを吸収して体勢を整えた。
「何、敵？」
「はァ〜、面倒。」
ネリーは素早く、ニムントールは気だるげにそれぞれの神剣を構える。
「３、４人か。」
《惜しい、５人。》
セツナの認識を《麒麟》が訂正する。
それに頷くと、セツナは素早く指示を下す。
「俺とファーレーンは単独で敵に当たる。ネリーとニムは２人一緒に当たれ。」
「分かりました。」
「任せて！！」
「仕方ないなァ」
それぞれが呟きながら、戦闘態勢を整える。
次の瞬間、相手方の気配が動くのを感じた。
「来るぞ！！」
セツナが言い放った瞬間、４人は同時に地を蹴った。
「さて、」
セツナは短く呟くと同時に《麒麟》を鞘走らせる。
向かう刃の先には、槍を翳して迫るグリーンスピリットが居る。
「フッ！！」
セツナは短く息を吐くと、剣の軌道を僅かに変え、下から斬り上げるように斬撃を変化させる。
「グッ！！」
そのとっさの変化に、相対したグリーンスピリットは、とっさに柄で受けるが、衝撃までは流しきれずに、体勢が崩れる。
「ハッ！！」
そこへ、刃を返したセツナの第２撃が襲う。
「クッ！！」
とっさにディフェンススキルを展開してその攻撃を防ぎに掛かるが、セツナは張られた障壁を強引に力で切り裂いて刃を繰り出す。
威力を大幅に減殺されたセツナの攻撃は、グリーンスピリットの頬を傷付けるに留まった。
『やはり、グリーンスピリットの前では、威力低下は否めないな。』
《ま、無理無い事だけどね。》
相手との距離を保ちながら、慎重に間合いを計る。グリーンスピリットは、遠距離攻撃魔法をほとんど持たないが、それでも刀と槍のリーチの差は無視できない。
「《麒麟》、あれをやるぞ。」
セツナはそう告げると同時に、《麒麟》を鞘に収める。
その視界の先で、再び障壁を展開するグリーンスピリット。
しかし、セツナは構わず疾走する。間合いに入ると同時に刀を鞘走らせた。
「喰らえ！！」
音速を超えて繰り出された抜刀術は、障壁を張ったグリーンスピリットを、その障壁ごと斬り裂いた。
この技は、以前から試してみようと思っていた物だ。
きっかけとなったのは、ヘリオンが使っていた居合いの太刀だった。同じ刀型の神剣を操るヘリオンに出来るのだったら自分にも可能なはず。と思い、少しずつではあるが、研究を進めていた。
元々剣道をやっているセツナだが、居合い技は完全に門外漢で、今まで試してみたことすら無かった。しかし、オーラフォトンを上乗せしたその威力は、スピリットの使う居合いに比べて、威力、速度共に比べ物にならない物を秘めている。
そして、セツナ自身、初めてという事もあり、本気で放ったわけではない。にも拘らずこの一撃は、最強の防御力を誇るはずのグリーンスピリットの障壁を薄紙のように切り裂いた。
『ひとまず成功、か。だが、まだ改良の余地はある。』
技の出来栄えを確認しつつ、周囲に目を走らせる。
さすがに慣れているのだろう。ファーレーンは１人倒し、次の目標に向かっている。
しかし、３人は真っ直ぐにネリーとニムントールに向かっていた。
３対２ではあの２人には厳しいだろう。
「《麒麟》！！」
《ラジャー！！》
セツナは八双に構える。同時に体内で牙剥く獣が目を覚ます。
「白虎、起動。」
反応速度、知覚速度、運動速度が一気に１０倍に跳ね上がり、視界の中の事象の全てがスローモーションで認識される。
セツナは一気に地を蹴ると、約３０メートルの距離を僅か１秒で駆け抜けると３人の内２人を１刀の元に斬り捨てた。
残り１人は、それよりも一瞬早く、ニムントールに剣を振り下ろす。
しかし、その攻撃はニムントールが張った障壁の前にあえなく弾かれ、体勢を崩す。
そこへ、刃を返したセツナが胴を切り裂き倒した。
「ニム！！」
そこへ、残る１人を倒したファーレーンが駆け寄ってくる。
「大丈夫だった？ 怪我は無い？」
「うん。大丈夫だよ。お姉ちゃん。」
怪我が無い事を確認したファーレーンはホッと息を吐き、セツナに向き直る。
セツナも視線だけでネリーに怪我が無い事を確認してから言った。
「時間が無い。行くぞ。」
「はい！！」
４人は頷くと、再びダラムに向けて駆け出した。
３
ダラムに到着して程なく、セツナ達はダーツィ方面から急行してきたスピリット隊主力と合流する事が出来た。
どうやら、あちらもランサでサルドバルト軍の待ち伏せにあったようだが、度重なる戦いで歴戦の勇士にまで成長しているラキオス軍スピリット隊はこれを撃破、ダラムまでの道を確保したのだ。
「セツナ！！」
警戒に当たっていたサルドバルトのスピリットを斬り倒し、ユウトはセツナに駆け寄ってきた。
「無事だったか。」
「今のところな。」
素っ気無い口調で答えるセツナ。
既に視界の中では、合流したスピリット隊が神剣を構えて周囲の警戒に当たっている。既にダラムは制圧下にあるが、それでも伏兵の存在は否定できない。
そんな中で、隊列から抜けたシアーとネリーが互いに再会を祝して抱き合っている姿が見えた。
シアーが目に涙を浮かべ、ネリーがそれをあやしている。
そんな光景を僅かな微笑と共に眺めやりながら、ユウトに向き直る。
「ユウト。再会を祝して、と言いたいところだが、今はとにかく時間が惜しい。すぐに部隊を再編してイースペリア首都を目指すぞ。」
「ああ。分かってる。」
答えるユウト。その傍らで、テキパキと部隊の再編を進めていくエスペリア。特に今回、セツナ、ネリーの原隊復帰に加え、ファーレーン、ニムントールの両名も加わっているため、より良い戦力のバランスを考える必要があった。
「セツナ！！」
そこへ、駆け寄ってくる２つの影に気付き、セツナは振り返った。
「ねえねえセツナ。」
影の正体はネリーとシアーだった。
「今さ、王都での話、してたんだけどさ。」
「ネリー・・・」
シアーが何やら不安げにネリーの袖を引っ張っている。
「ネリー達、こ〜んな目ェした化け物と戦ったんだよね〜」
そう言うと、両手の人差し指と親指を使って顔を一杯に広げて見せた。
「・・・・・・・・・・・・」
まあ、そんな顔はしていなかったと思うが、確かに化け物と戦ったのは事実だった。
「まあ、な。」
「ええ〜〜〜〜〜〜！？」
シアーが声を上げて身を震わせる。どうやらネリーは、シアーに王都での話を聞かせ、怖がらせて喜んでいるようだ。
「それでねそれでね、目がこ〜んなでね、手がこ〜んなでね、口がさ・・・」
ネリーが楽しそうに言う度に、シアーは恐怖で身を震わせる。
『やれやれ・・・』
《楽しそうだね〜》
溜息を吐くセツナと、微笑ましそうな声を出す《麒麟》。
そんな２人の傍らで、部隊の再編が完了しつつあった。
「よし、俺達はこれから、イースペリア首都の救援に向かう！！」
皆の前に立ったユウトが、大声で告げる。
「中央の敵は俺とセツナを中心にした部隊で対応する。アセリア、セリア、ファーレーンは敵部隊の後方に回り込んで撹乱を頼む。レッドスピリット３人は、後方から火力支援をしろ！！」
的確に指示を下すユウト。その姿にセツナは、素直に感心した。
「なかなかどうして。指揮官振りが板に付いて来たじゃないか。」
「お前ばっかりに苦労させるわけには行かないからな。」
そう言って笑うと、《求め》を抜いて戦場へ駆け出した。
４
包囲網を突破し、イースペリア首都に入ると、そこは既に炎と瓦礫の山で埋もれようとしていた。
そこかしこで戦うイースペリアとサルドバルトの兵士達。
スピリットの姿があまり見当たらない。イースペリアのスピリットは既に壊滅し、サルドバルトのほうは包囲と突入に大半を割いた為だろう。
遠くに見える王城は、各所から火の手が上がっているのか、煙で覆い隠されている。
まさに、落城は時間の問題と言って良かった。
「よし、俺とユウト。それからエスペリアは王城へ行ってアズマリア女王の救助を行う。その他は周辺の鎮圧と退路の確保を頼む。」
セツナがそう言ったときだった。
「待ってくださいセツナ様。」
横から、エスペリアがその声を静止した。
「今回の作戦にあたり、陛下から特別指令が下されています。」
「王から？」
その名を聞いた途端、セツナは眉を不快げに寄せる。
「はい。第１の目的として、イースペリアにあるエーテル変換施設を速やかに機能停止にせよ。との事です。」
「おい、それじゃあ、女王の救出はどうなるんだ？」
口を開いたのはセツナではなくユウトだった。セツナ自身、同じ気持ちであったため、あえて、それ以上何も言わなかった。
「いえ、ただ、命令書にはそれ以外の事は・・・」
「でも、それじゃあ！！」
なおも言い募ろうとするユウトの肩に、セツナは手を置いた。
「ここで仲間割れをしても始まらないだろう。取り合えず、女王救出には別の人間を行かせるとして、俺達は変換施設の方に行くぞ。」
それで良いな。と言うセツナの問い掛けに、エスペリアは頷いた。
納得が行かないのはセツナもユウトも同じだが、ここでの議論で空費する時間のほうが遥かに惜しい。そう感じたセツナは、ユウトを促す。
「・・・・・・分かった。」
不承不承に頷くとユウトは、それぞれの部隊に役割を告げ、自身はセツナ、エスペリアと共にエーテル変換施設へと向かった。
「それ」を見上げ、セツナとユウトは、素直に驚きの表情を見せていた。
正八面体の巨大な水晶に、これまた巨大な永遠神剣が突き刺さり、その周囲に、何やら無骨な印象のある機械が添えつけられている。
これが、エーテル変換施設。この世界における国の心臓だった。
「驚きましたか？」
そんな２人の反応が可笑しいのか、僅かに微笑交じりにエスペリアが言った。
「これが、エーテル変換施設の動力中枢です。」
「・・・・・確かに、驚いたな。こんな物があったなんて。」
「ラキオスにも同じ物がありますよ。」
そう言うとエスペリアは、操作盤のような物に歩み寄った。
「お２人は、周囲の警戒をお願いします。その間にわたくしが停止作業を行います。」
手帳を片手に操作を始めるエスペリアの背中を眺めながら、ユウトはセツナに歩み寄ってきた。
「なあ、セツナ。これ、どう思う？」
「どう、とは？」
ユウトは変換装置に目を向けながら、自身の内に燻る疑問を口にする。
「これは一体、何だ？ なぜ、こんな物が存在するんだ？」
「・・・・・・・・・・・・」
ユウトの言葉を受けて、セツナはもう一度変換施設を眺め渡す。
正八面体の水晶に突き刺さった巨大な永遠神剣。そして、それに付属する無骨な機械群。
「おかしいだろ、これ。この世界の文化レベルで、何でエーテル技術だけ、こんな風に進化しているんだ？」
「・・・・・・確かに。」
ユウトの言いたい事を理解し、セツナは頷いた。
この世界に住む人間の生活レベルは、見た目の通り中世ヨーロッパと同レベルだ。２１世紀のハイペリアからやってきた２人から見れば、原始時代と大差が無い。
であるのに、事エーテル技術に関してだけは、ハイペリアを凌駕している。
これは、明らかにおかしかった。
なぜ、エーテル技術だけが？ これも異世界故の法則とでも言うのだろうか？
『果たして、それだけだろうか？』
セツナが考え込もうとしたときだった。
《セツナ。何か来るよ！！》
「ッ」
突然の《麒麟》の警告に、とっさに警戒の行動を取るセツナ。
「誰が来るんだ？」
《分かんない。けど、ラキオス軍の娘じゃない。それに、かなり強いよ。》
いつに無く緊張した声を発する《麒麟》に、自身も警戒の色を強めるセツナ。
そのセツナの傍らに、《求め》を正眼に構えたユウトが立つ。
「気付いたか？」
「ああ。」
頷くユウトの顔にも緊張がある。
「俺が正面に立つ。お前は援護を。」
「分かった。」
そう言って、セツナが入り口正面に立って、《麒麟》の柄に手を掛けた時だった。
《来る！！》
《麒麟》の鋭い警告音と共に、漆黒に彩られた殺気の塊が斬り込んで来た。
「ッ！？」
とっさに、抜刀する勢いのまま、影に向かって斬り付ける。
ギィン
金属同士がこすれる異音が、施設内に響く。
次の瞬間、《麒麟》を持つ手に鋭い痺れを感じる。
「・・・・・・・・・・・・」
無言のまま、セツナは悟る。
第一撃を防ぎ得たのは、奇跡だった、と、
改めて、相手に目をやる。
長い銀色の髪に真紅の瞳。手にした日本刀型の永遠神剣。身に纏った黒衣。そして、闇の色よりなお暗い、漆黒の翼。
これまでに無いくらいの存在感を誇示する、敵。
次の瞬間、漆黒のスピリットは刀の柄に手を掛けると同時に、前傾姿勢を取る。
「白虎、起動！！」
来る。と思うより先に、本能が、身の内に眠る獣を叩き起こす。
反応速度、知覚速度、運動速度が１０倍に跳ね上がり、全ての事象がスローモーションに認識される。
その１０倍に引き伸ばされた時間の中で、
「ハッ！！」
相手は「普通に」動いて見せた。
「クッ！！」
速過ぎる斬撃を、《麒麟》で受けるセツナ。
しかし、相手は手を緩めない。
二度、三度、と、高速で斬撃を繰り出してくる。
それらを、紙一重でかわし、または防ぐセツナ。
と、敵スピリットは漆黒のウィング・ハイロゥを広げると、上昇、即座に急降下をかけつつ抜刀、垂直に放たれた一閃がセツナを襲う。
「チッ！！」
セツナはとっさに後退してその一撃をかわすと同時に、後の先としての返しの一撃を放つ。
しかし斬撃が届く前に、敵スピリットは後退、セツナの間合いから逃れた。
「すげぇ・・・」
ユウトは思わず、溜息を吐いた。
既に、両者の戦闘はエトランジェであるユウトの視覚を持ってしても追いきれない。
通常の１０倍の速度で駆けるセツナと、それに軽々付いて行く敵スピリット。ユウトの能力を越えた戦いが、目の前の不可視領域で展開されている。
「あれは、《漆黒の翼》ウルカ！！」
作業を進めていたエスペリアが、声を上げた。
「知ってるのかエスペリア？」
「はい。帝国軍遊撃隊に所属する中で最強のスピリットです。」
その言葉に、ユウトは改めてウルカの方を見る。
「帝国のスピリットが、なぜ、こんな所に？」
「それは分かりません。が、いくらセツナ様でも、」
敵わない。と言う言葉を発する前に、両者は動く。
先に動いたのはセツナだ。
僅か１秒で間合いを詰めると、居合いの体勢にあるウルカに斬り掛かる。
「ハッ！！」
それを、自身の永遠神剣《拘束》で弾くウルカ。
しかし、そこがセツナの狙い目。
切り上げた体勢のまま、無防備になったウルカの脇腹目掛けて蹴りを繰り出す。
「フッ！！」
しかし、それを素早く回避するウルカ。
「甘い！！」
言葉と共に繰り出される斬撃は、セツナの前髪を１房断ち切る。
だが、その攻撃が振り切られた瞬間を、セツナは見逃さない。
「そこだ！！」
接近しすぎているため、まともに《麒麟》を振るう事は出来ない。
セツナは柄尻をウルカの喉元目掛けて繰り出す。
「クッ！！」
その予期せぬ攻撃方法に、一瞬たじろいた後に後退して回避するウルカ。
セツナはそれを見逃さない。
「ハァ！！」
気合と共に、八双からウルカの肩目掛けて《麒麟》を繰り出す。
「フッ！！」
対するウルカは、とっさにウィング・ハイロゥを広げ、上空に逃れる。そして、急降下と同時に《拘束》を抜き放ち、居合いによる攻撃を繰り出す。
「ッ！？」
確実に首を狙ってくる一撃を、辛うじて防ぐセツナ。
だが、ウルカは即座に第２撃を放つ。
「居合いの太刀！！」
高速で放たれた斬撃が、逆袈裟にセツナに迫る。
「クッ！！」
とっさに、のけぞるようにして回避するセツナ。しかし、攻撃はそれで終わらない。
すぐに柄を両手で持ったウルカは、斬り上げた体勢を生かして今度は斬り下げてくる。
「チッ！！」
防御、回避は完全に間に合わない。
『なら！！』
セツナはのけぞった体勢をそのまま継続。そのままバク転の要領で床に手を着くと、弓反りのようにしなった体の反動を利用して、爪先で《拘束》の鍔元を蹴った。
刀に限らず、刀剣と言う物は、剣先に行くほど切れ味を増し、鍔元に来るほど鈍くなる。どうやら永遠神剣でもその法則は有効らしく、ウルカの剣はセツナの靴の爪先を僅かに斬るにとどまり、弾かれる。
「・・・・・・ほう。」
その動きに感心したのか、初めてウルカは、感嘆の声を上げた。
しかし、それも一瞬。すぐに前傾姿勢を取り、次の攻撃の構えを見せる。
対してセツナも、《麒麟》を鞘に収め、居合いの体勢をとる。
次の瞬間、両者は同時に地を蹴った。
発揮しうる限りの最大戦速で距離を詰める両者。
「これで！！」
「雲散霧消の太刀！！」
一瞬で繰り出される互いの刃。
しかし、威力は互角。
「チッ！！」
「ッ！！」
両者は舌打ちと同時に放れる。
互いの技の衝撃が、体を後方に圧し戻す。
「「ハッ！！」」
両者はほぼ同時に、背後の壁を蹴ると、空中を飛翔するように突撃する。
再び切り結ぶセツナとウルカ。
しかしここで両者に、完全に対照的な事が起こりつつあった。
僅かではあるが、セツナは肩で息をし始めた。
限界が、迫りつつあった。
対して、ウルカはなおも涼しい顔を保っている。
元々、白虎を使う事でスピードを保っているセツナと、己の身体能力のみでそのスピードについて行くウルカでは、元から体力の消費量が違うのだ。
これまで、接近戦においては部類の強さを発揮してきたセツナ。しかし今、それでは敵わぬ相手が、目の前に立っていた。
《セツナ！！》
『・・・ああ・・・分かってる。』
苦しげに、それでも闘志を失わない瞳で答えるセツナ。その、身の内のオーラフォトンも、後、僅かしか残っていない。
『次で、決める。』
セツナは、鋭い目付きでウルカを睨む。
狙い目は一点。ウルカが技を放ち、一瞬動きが止まった直後、最大出力で技を放つのだ。
『勝負だ！！』
次の瞬間、ウルカは全速で地を蹴り、間合いを詰める。
白虎によって強化された視力は、辛うじてその速度に追い付く。
「雲散霧消の太刀！！」
放たれる、必殺の居合い。
『今だ！！』
次の瞬間、《拘束》の刃はセツナの体を薙いだ。
しかし、
「ッ！？」
手応えが無い事に、ウルカは訝る。
その視界の先にあるのは、地面に突き刺さった《麒麟》のみ。では、自身の敵はどこに？
「捉えたぞ。」
降り注ぐ声に誘われて、振り仰ぐウルカ。
その視界の中で、両手にナイフを構えたセツナの姿がある。
ウルカが技を繰り出す直前、セツナは床に《麒麟》を突き刺し、それを踏み台にする事で上空に舞い上がり、サブウェッポンとして腰に装備しておいたナイフを抜き放ったのだ。
「これで終わりだ！！」
両手に掲げたナイフに、鋭く光るオーラフォトン。
「クッ！？」
技後の硬直で、すぐには動けないウルカ。そこへ、押し寄せる圧倒的質量の力。
次の瞬間、解き放たれる。
「オーラフォトン・クロス！！」
斬撃が空中で交差し、大気を薙ぎ払いながらウルカに迫る。
光が施設内を飲み込み、衝撃が建物を揺るがす。
次いで、セツナが着地する。
それと同時に、手にしたナイフが掌の中でボロボロと崩れ、灰となって床に落ちた。
人間が使う武器に過ぎないナイフでは、エトランジェが持つ大出力のオーラフォトンに耐え切れなかったようだ。
それは良い。どの道、消耗品として考えていた武器だ。
だが、問題はそこでは無かった。
「・・・化け物か、お前は？」
苦笑交じりに呟くセツナ。
その視界の先で、ウルカが平然と立っているのが見て取れた。
一方でウルカも、セツナの呟きに苦笑で返す。
「いえ、今のはさすがに危なかった。」
見ると、ウルカの衣服やウィング・ハイロゥは、所々ボロボロになっている。恐らく、オーラフォトン・クロスの余波だろう。
命中の寸前ウルカは、ウィング・ハイロゥを羽ばたかせ、自身の出し得る最高速度でオーラフォトン・クロスをかわしきったのだ。
やはり、《漆黒の翼》の異名は伊達ではなかった。
「・・・・・・続き、やるか。」
口元に虚勢の笑みを浮かべながら、セツナは床に刺さったままの《麒麟》を取る。
はっきり言って、セツナは限界だった。既に白虎は解け、知覚速度も通常に戻っている。そして、もう一度起動するだけの余力は無い。
だが、
ウルカはスッと腕を上げてセツナを制した。
「手前の役目は終わりました。戦いの最中で無粋とは思いますが、これにて失礼させていただきます。」
「・・・・・・ほう？」
内心で安堵しつつ、それでもおくびにも出さずに、セツナは《麒麟》を構える。
「断る。と言ったら？」
セツナの問いに、ウルカは微笑を浮かべた。
「機会は、いずれまた。それに、貴殿もこれ以上戦えるとは思えませぬ。」
冷や汗と共に苦笑をもらすセツナ。
誤魔化したつもりだが、ウルカには見抜かれていた。
「・・・良いだろう。これ以上の戦闘は、俺も本意ではない。」
そう言って、構えを解く。
「エトランジェ殿。できれば、貴殿の名を聞かせてもらえぬか？」
「・・・セツナだ。」
素っ気無く答えるセツナ。
「セツナ殿。次に、戦場でまみえる時を、楽しみにしております。」
そう告げると、ウルカは背を向けて変換施設から出て行った。
その瞬間、張り詰めた緊張が解けた故だろう。
常のセツナななら、決して他人には見せないような姿を晒した。
すなわち、床にへたり込むと、そのまま大の字に寝転がった。
５
異変が起こったのは、ラキオス軍が郊外まで退避した後の事だった。
結局、アズマリア女王は救う事が出来なかった。
救出部隊が赴いた時には既に、敵兵によって命を奪われた後だったという。
落胆したラキオス軍の面々は、ひとまず城下にあって退路の確保に当たっている部隊と合流。包囲するサルドバルト軍を突破して戦火にもまれる首都を脱出する事に成功した。
敗北
全てが後手に回ったとは言え、得るべき物の何も無い、虚しい戦いであった。
唯一、戦死者が出なかった事は不幸中の幸いと言えるが。
サルドバルト軍の追撃を振り切ったと判断したユウトは、一時、部隊を停止させ、小休止を取る事とした。
「・・・・・・・・・・・・」
そんな中でセツナは、立ち木を背にして地面に座り込んだ。
脳裏に浮かぶのは、先程のウルカとの一騎討ちだ。
負けた。
終始、互角の戦いを演じたとは言え、結果的に先に息切れを起こした時点であの戦いは自分の負けだった。
「ッ！！」
力一杯、地面に拳を叩きつける。
相手は強いとは言えスピリット。基礎的な部分ではセツナの方が勝っていたはずである。なのに、結果は辛うじて引き分けに持ち込むので精一杯。しかも、時間切れ、タイムアウトでのそれだ。
『クソッ！！』
心の中で己を罵りながらも、思考は既に先の段階を見据えて回転を始めている。
とにかく、開戦からこちら、セツナは持ち前の技術とエトランジェとしての大出力オーラフォトンを背景に、力押しに近い戦いを演じてきた。しかし、それでは敵わぬ敵が、ついに現れたのだ。
セツナがそこまで考えたときだった。
《セツナ、まずいよ！！》
「・・・・・・・・・・・・」
警告するような《麒麟》の声。しかし、今は答えるのも億劫なセツナは、首だけ上げてその声に答える。
《ここに居ちゃ危ない。もっと、イースペリアから離れないと！！》
「何？」
その瞬間、セツナはハッとした。同時に自分が、ある重要な事を失念していた事に気がつく。
それは、ラキオス王の思惑。
あの男は、自国の防衛まで放り出して、自分達をイースペリアに終結させた。その真意が、今だにベールの向こう側にあることを、すっかり忘れていたのだ。
セツナは跳ねるように飛び起きる。
「ユウト！！」
張り上げる声に答えるように、ユウトが《求め》を抜く様子が見えた。
「駄目だ。もう間に合わない！！」
言うが早いか、オーラフォトンで障壁を展開する。
それに呼応して、セツナも《麒麟》を抜き、同時に、まだ地面に座ったままのスピリット達に大急ぎで指示を飛ばす。
「エスペリア、ハリオン、ニム。前面に出て障壁を張れ！！ ウィング・ハイロゥを持つ者は、負傷者を連れて後方に下がれ！！」
突然の命令にキョトンとした顔を見せる一同。
「グズグズするな。時間が無い、急げ！！」
その声に、弾かれたように動き出すスピリット達。
次の瞬間、
それは襲ってきた。
一言で表せば、生命の嵐。
全てを吹き飛ばさんとする意思。
命ある物を飲み込み、自らの糧としてまた別の物を飲み込む力とする。
生物に留まらない。植物が、建造物が、ありとあらゆる物が、目の前で消滅していく。
マナ消失、と呼ばれる現象が、牙を剥いてセツナ達に襲い掛かった。
「クッ・・・」
セツナ、ユウト、エスペリア、ハリオン、ニムントールの５人は、全力で障壁を維持しつつ、嵐に対抗している。
『これが・・・これが奴の意思か！？』
セツナは全てを理解した。
ラキオス王がなぜ、自国の防衛を放り出してまで、イースペリア救援にこだわったか。
全てはこの為。イースペリアを糧として、サルドバルト、そしてイースペリアをも平らげてしまおうと言う意地汚い欲が産んだ策略。自分達は、その為に生贄の１つに供されたのだ。
「クッ・・・グッ・・・・・・」
障壁を維持する力が弱り始める。
既にウルカとの戦いで消耗し尽くしたセツナの体力が、ここに来て悲鳴を上げる。
「き、《麒麟》・・・」
《駄目・・・これ、以上は・・・・・・》
《麒麟》も、震える声で答える。
体の血液が沸騰し、筋と言う筋が断裂しそうなほど悲鳴を上げる。
視界がぼやけ、腕から力が抜けていくのが分かった。
『ここまで・・・か・・・・・・』
膝が崩折れそうになった瞬間だった。
「情けないわね。こんな物なの？」
蔑むような、それでいてどこか凛然とした声が鼓膜に飛び込んできた。
同時に《麒麟》を持つ手に、上から別の人間の手が添えられる。
「え？」
思わず振り返る。その先にある人物を見て、思わず息を飲んだ。
「セリア？」
セリアが、後ろからセツナを抱きすくめるような格好で、《麒麟》の柄を掴んで、マナを注ぎ込んでいる。
「しっかりしなさい。ここであなたを失う訳にはいかないのだから！！」
「・・・・・・・・・・・・」
セツナは無言のまま、残る力を掻き集めるように障壁に力を注ぎ込む。なぜ、などとは問わない。時間の無駄だし、今はありがたい事に変わりはないからだ。
その姿に勇気付けられたのか、辛うじて持ち返す一同。
しかし、それも一瞬の事だった。
すぐにまた、荒れ狂う生命の牙が、障壁を削り取っていく。
「クッ・・・・・・」
援軍に来たセリアも、今では《麒麟》にしがみついているのがやっとの状態だ。
他のスピリット３名や、ユウトの表情も険しい。彼等もセツナ程でないにしろ、これまで連戦続きで消耗の激しい身だ。これ以上、どう考えても長くは持ちそうに無い。
『何とか・・・何とかできないのか！？』
こんな所で、あのような俗物の陰謀に供され朽ち果てるのか？
『そんなのは、御免だ！！』
セツナは、全力で叫ぶ。
「俺の中で、何を失っても良い。今、この一時、切り抜けるだけの力を！！」
次の瞬間、セツナの中で何かが目覚める。
《・・・・・・え？》
その事にいち早く気付いたのは《麒麟》だった。
自身の身の内に眠る権能が、まるでセツナの叫びに答えるかのように目を覚ましたのだ。
《そんな・・・あたしの権能を、無理やりこじ開けたって言うの！？》
驚愕に染まる《麒麟》。そんな《麒麟》を置いて、セツナの口は自然と、召還の詩文を読み上げる。
「厳山鳴り響きて、我は立ち居出る！！」
声に呼応するかのように、オーラフォトンが溢れる。
「玄武、召還！！」
次の瞬間、一同の視界に無数の光球が浮かぶ。それらがそれぞれ線で結ばれたかと思うと、空間に強固な障壁が展開された。
空間に現出させる絶対防御の盾。これこそが、玄武の権能だった。
現れた障壁は、これまで暴威を振るい、今にもセツナ達の命を奪おうとしていた嵐を、けんもほろろに弾き返し、小揺るぎすらしない。
「す、すごい・・・・・・」
《麒麟》から手を放したセリアが、溜息混じりに呟く。
やがて、マナ消失は徐々にその勢力を弱め、収束していく。
それに伴い、一同も障壁を解いてその場にめいめいへたり込む。
「助かったよ、セツナ。」
ユウトも、安堵の溜息と共に言った。
しかし、そんなユウトの言葉に答えず、セツナは虚空を一心に見据える。
その瞳に浮かぶ色は、疑いようも無い「怒り」。
これが、ラキオス王の意思。そして、欲望が産んだ顛末なのだ。
やはてセツナは、ゆっくりと告げた。
「ユウト、俺は決めたぞ。」
「え？」
問い返そうとするユウトを無視して、セツナは立ち上がる。
その瞳には、暗く、しかし、強固な意志を秘めた光が宿っていた。
第７話「音速の決闘」 おわり