大地が謳う詩

 

 

 

第2話「月下に舞う」

 

 

 

 

 

 

 朝の光が、網膜を刺激する。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 2、3度瞼をしばたかせてから、セツナは目を開けた。

 

「・・・・・・ここは?」

 

 周囲を見回すと、気に囲まれた壁が見える。その事から、ここがどこかの屋内であると推測された。

 

 そこまで確認してから、セツナはベッドの上で上半身を起こした。

 

 それを待っていたかのように、頭の中に声が響いてきた。

 

《おっはよう! セツナ!!》

 

 寝起きに、突き抜けるような声。思わずセツナは頭を抱える。半覚醒状態の頭に、こいつの声は、普段の目覚まし以上の効果がある。

 

「《麒麟》・・・・・・」

 

 契約相手の名前を、不機嫌いっぱいの声で呼びかける。

 

《な〜に?》

 

 相手の機嫌などどこ吹く風と言った感じに、いつもの軽い調子で問い返す日本刀《麒麟》。それに対してセツナは、何か言いかけてやめた。寝起きで頭ががんがんするせいか、うまく思考がまとまらない。その為、頭に浮かびかけた文句の羅列を片っ端から消去して、頭の中身をまっさらにする。

 

 変わって、まず当然とも言える質問を口にした。

 

「ここはどこだ?」

《ラセリオって言う町だよ。王都ラキオスの南、リュケイレムの森を抜けた先にある街道の町。》

 

 セツナの質問に対し、《麒麟》は、聞いた事の無い地名を並べて説明する。当然、分からない。

 

「・・・・・・つまり、どこだ?」

《だから、えっと〜・・・何って言ったら良いかな?》

 

 返答に困る《麒麟》。

 

「地図とか無いのか?」

 

 それがあれば説明も楽なのだが、あいにくと備え付けの地図は無いようだ。

 

 セツナは溜息をつくと、質問を切り替えた。

 

「俺をここに運んだのは誰だ。お前か?」

《あたしがどうやって運ぶって言うのよ?》

 

 そりゃそうだ、刀なんだから。自分でもつまらない事を言ったと思い、セツナは溜息をついた。

 

《あの時、あの場に居たスピリット達が運んでくれたの。》

「スピリット?」

 

 またも聞きなれない単語が飛び出し、セツナは首を傾げる。

 

《ああ、もう!!》

 

 進まない会話に、さすがに焦れたのか、《麒麟》が声を上げた。

 

《分かった、最初から説明してあげるわよ!!》

 

 それから、《麒麟》はいろいろと説明を始めた。

 

 この世界が、セツナがいた世界のほぼ隣にある世界である事。ここには人間以外にスピリットと呼ばれる戦闘種族が暮らしている事。スピリットは皆、女性である事、彼女達は、大抵の場合奴隷並みに扱われている事。自分のように異世界から来訪した人間は、この世界では「エトランジェ」と呼ばれており、永遠神剣を操れば、スピリット以上の力を発揮する事。この大陸には8つの国があり、ラキオスは最も北方に位置している事。そして、イースペリア王国、サルドバルド王国の3国で、「龍の魂同盟」を結成している事。隣国、バーンライトとは緊張状態にある事、等が説明された。

 

 《麒麟》が一通り説明を終えた頃だった。廊下の方で、パタパタと歩く音が聞こえてきた。

 

「・・・・・・」

 

 そちらを振り返るセツナ。それと同時に、扉が開き、青く長い髪をポニーテールにした少女が入ってきた。その手には、正体は不明ながら、なにやらうまそうな匂いのする料理が湯気を上げている。

 

 少女は、セツナが眼を覚ましているのを見て、ニッコリ微笑んだ。

 

『こいつは・・・・・・あの時の、』

 

 セツナの記憶ライブラリが、1発で少女の存在を割り出した。間違いなく昨夜、気を失う直前に見た少女だ。生意気そうに釣りあがった目も、長いポニーテールも見間違いない。

 

 少女はテーブルの上に料理をおきながら、セツナを見て何事かを口に出す。

 

 が、

 

『分からん・・・・・・』

 

 先日の事から既に予想していた事だが、セツナには彼女が何を言っているのかまったく理解できなかった。この一事だけとっても、異文化同士の交流の難しさを思い知らされる感じだった。

 

《セツナ》

 

 そんな感じに途方にくれていると、何か提案があるのか《麒麟》が話しかけてきた。

 

《言葉が分からないなら、あたしを持って。》

『お前を持てば何が変わるというんだ?』

《良いから良いから。持てば分かるよ。》

「・・・・・・」

 

 《麒麟》の言葉にセツナは半信半疑ながらも、その柄に手を伸ばした。

 

 すると、

 

「ねえねえ、起きて大丈夫なの?」

 

 それまで理解できなかった少女の言葉が、まったく唐突に理解できた。

 

『ほう・・・』

 

 素直に感心するセツナ。言葉自体は確かに聞き覚えが無いのだが、それらは頭の中で自分にも分かる言葉に変換されていく。

 

『自動翻訳機みたいな物か。』

《何、それ?》

『気にするな。それより、こっちの意思も向こうに伝わるのか?』

《うん。大丈夫だよ。》

 

 それを聞いて頷くと、セツナは少女に向かって口を開いた。

 

「昨日は助けてもらったようだな。すまない。」

「気にしない気にしない。困った時はお互い様って言うじゃん!」

 

 何やら、不必要なまでにテンションの高いしゃべり喋り方である。聞いている傍から、耳の奥に響いてくるようだ。それを抑えて、セツナは話を続ける。

 

「お前は、スピリットなのか?」

「そだよ。」

 

 少女はニッコリと笑みを浮かべる。

 

「ネリーって言うの。よろしくね!!」

「あ、ああ・・・・・・」

 

 ネリーと名乗ったスピリットの少女のテンションについて行けず、心持ち引き気味に対応するセツナ。

 

「で、」

 

 そんなセツナに、ネリーが期待を込めた熱い眼差しを向けて来た。

 

「は?」

 

セツナは一瞬意味が分からず、疑問符を浮かべた顔を向ける。それに対し、ネリーはセツナが何か言う前に質問を補足する。

 

「ほらほら、あんたの名前は?」

 

 促されて初めて、自分がまだ名乗っていない事に思い至った。

 

「セツナだ。」

 

 短く。それでいて素っ気無い口調で答える。これ以上の馴れ合いはごめん蒙りたかったから、あえて突き放した口調で話す。が、どうやらこのネリーという少女は、その程度で引き下がるようなやわな精神はしていないらしい。

 

「セツナ、変な名前だね。」

「・・・・・・放っておけ。」

 

 何か言ってやろうと思ったが、何気に相手をするのも面倒なので、やめにする。

 

 替わりに、頭を掻きながらそっぽを向いた。これ以上、ペースを乱されるのも癪だったからだ。

 

「そう。じゃあ、ご飯にしよう。他の料理も、そろそろできると思うから。」

 

 そう言って、ネリーはテーブルの上にあるパイか何かを切り分け始める。料理の味に関して、さして興味の無い上に、それがどんな料理かもも分からないセツナだが、それでも、食欲がそそられるであろう事は理解できた。

 

 ネリーが切り分けたパイを皿に盛り始めると同時に、扉が開いて別の少女が姿を現した。今度は、腰まである緑色の髪をお下げにした、少し年上風の少女だった。

 

「あらあら〜、起きたんですねえ〜」

「・・・・・・」

 

 こちらはまた、えらく間延びした口調をする少女である。

 

「お前も、スピリットか?」

「はい〜、ハリオン・グリーンスピリットです〜。よろしくお願いします〜」

「・・・・・・」

 

 セツナは、今度こそ本気で肩を落とした。不必要なまでにハイテンションのネリーと、逆にオットリマッタリ、スローマイペースのハリオン。この2人が同時に現れた事によるギャップに、それこそ全身から掃除機か何かで力が抜かれていくようだった。

 

「あ、ハリオン、こっちはセツナ!! よろしくね!!」

「・・・・・・何でお前が紹介するんだ?」

 

 いい加減、突っ込むのにも疲れてきた口調でセツナは言った。そんな事はお構い無しに、ハリオンとネリーは食事の準備を進めていく。

 

「まあまあ、積もる話はご飯を食べながらにしましょう〜」

 

 そう言うと、手際よくサラダを中央に置き、皿を並べ、次いでパイを切り分けていく。

 

 そこでふと、ハリオンは自分の仕事ぶりを眺めているセツナに目を向けた。

 

「あ、そうでしたセツナ君。お暇なら〜、上にもう1人女の子が居ますので、呼んで来て貰えますか〜?」

「なぜ俺が?」

 

 不満そうに口を尖らせるセツナに対し、ハリオンはやんわりと微笑み掛けて言った。

 

「働かざる者、食うべからず。ですよ〜。何もしないと、ご飯抜きですからね〜」

 

 ウフフと笑うハリオンの顔を、溜息混じりに見つめると、やる気なさそうにベッドから立ち上がって廊下に出た。

 

 廊下に出て気付いたことは、ここが1階だったと言うことだ。右手側に玄関があり、そのまん前に階段が存在した。それを上ると、2階に行けるようだ。

 

 階段を上る途中で、ふと、セツナは探す相手の部屋がどこなのか知らないことに気付いた。戻ってハリオン達に聞き直そうかとも思ったが、すぐに面倒なのに気付いて思い直した。まあ、さして広い家でもない事から、2階もそれなりの広さだろうと思い、わざわざ戻る程の事も無いだろうと判断した。

 

 幸いと言うか、予感は的中し、2階は廊下の先に部屋が2つあるだけ。しかもそのうちの1つが、扉が開け放たれ中から人が動く気配がした。

 

「ここか。」

 

 部屋の中に足を踏み入れるセツナ。すると、その視線の先に1人の少女が居た。年齢はネリーと同じくらいだろうか? 髪は肩の所で切りそろえられている。髪や瞳の色は青で、ネリーと同じブルースピリットだろうと言う事は、一目見て分かった。

 

「おい、」

 

 しかし、セツナが声を掛けた瞬間だった。

 

 突然、何の前触れも無く、少女は一目散でセツナに背を向けて机の陰に隠れてしまった。そのスピードたるや、初めの「お」を言った瞬間には既に相手は机の影だった。

 

「・・・・・・」

 

 さすがにセツナも唖然として、その様を見つめるしかなかった。一方で少女の方はと言うと、机の影から頭の上半分だけ出して、こちらの様子を伺っている。臆病なのか、はたまた単に人見知りしているだけなのか? 小動物を連想させる光景だった。

 

「・・・俺にどうしろと言うんだ?」

 

 そう呟きながらセツナは、この日何度目かになる溜息を付いた。

 

 

 

 結局その後、事情を説明してネリーに呼んで来て貰った後、改めて自己紹介に移った。それによると、彼女の名前はシアー・ブルースピリットと言うそうだ。

 

 取り敢えず4人揃ったと言うことで、食事が始まった。席順は、セツナの隣にハリオンが座り、正面にはネリー、シアーはセツナの斜め向かいに座っている。まだセツナに慣れていないシアーは、一番距離のある席を取ったようだ。しかし物珍しいのか、気が付けばこちらをチラチラと見ている。しかし目を合わせると、慌てて食事に専念すると言った具合だ。

 

『どうしろと?』

《取り敢えず、声でも掛けてみたら?》

 

 心の中でボソリと呟いてみると、《麒麟》は底抜けに能天気な返事を返してきた。

 

「・・・・・・」

 

 それができれば苦労は無い。この状況から考えて声を掛けて逃げ出されることは無いだろうが、それでもまともな会話が成立することは無いだろう。対照的に良くしゃべるのは、やはりネリーだ。とかく黙っていれば果てしなく言葉を吐き出してくる。食事中なのだから、せめてもう少し黙って欲しいと思わずにはいられなかった。ハリオンはと言えばそんな年少2人の様子をニコニコと眺めながら、自分の食事に専念している。さすがに時折マナーを逸脱しようとするネリーをやんわり注意しているが、それ以外では、特に口を出すようなこともせず、騒ぐに任せている。

 

セツナも仕方なく食事に専念することにした。さすがに、昨日の昼に、悠人からもらったパンを食べて以来の食事である。時差的な物を考えると、更に長いかもしれない。そんな訳で、セツナの胃袋も悲鳴を上げる寸前だった。普段はさして味に拘らないセツナの舌にもうまいと感じてしまう。

 

 ネリー、シアー、ハリオン。この3人はいずれもラキオス王国に所属するスピリットで、ラセリオには緊張状態にある、隣国バーンライトに対する備えとして派遣されたとか。両国を跨ぐリモドア山脈の西側の玄関とも言うべきラセリオは、言わば最前線と言っても過言ではなく、ラキオス軍上層部としても、この場にスピリットを3人配置し、バーンライト侵攻の際の備えとしていたようだ。もっとも、間もなくその任期も切れ、王都へ帰還する日も近いらしい。

 

「そう言えば〜」

 

 食事も中盤に差し掛かった頃、ハリオンが口を開いた。

 

「ちょっと前にも、別の所でもエトランジェ様が見つかったそうですね〜」

「・・・ほう。」

 

 話の内容に、セツナは顔を上げた。自分以外に、異世界から来訪した人間が居た事が正直驚きだったからだ。しかし、セツナが何か言う前に、案の定と言うか何と言うか、ネリーが先に身を乗り出してきた。

 

「ねえねえ、それって、あのサードガラハムを倒した人でしょ!!」

「はい〜。もうすっかり、国中の有名人さんですよね〜」

『サードガラハムって何だ?』

 

 またも飛び出す聞きなれない単語に、セツナは《麒麟》に説明を求めた。

 

《ラキオス北方の洞窟に住んでた守り龍の事だよ。伝説では、ずっと昔からラキオスを守っていたんだって。》

『そんなのを倒して良いのか?』

《さあね。人間の考えてることなんて良く分かんないよ。》

 

 確かに。とセツナは心の中で呟いた。人間は時に、後先考えずに行動を起こす事がある。その結果がどうなるかと言うことは、一切考えずに。その結果、自分が傷付くのは勝手だが、他人に迷惑をかけるのは愚の骨頂だった。

 

「・・・・・・」

 

 一瞬、苦い記憶が蘇り掛けて、セツナは顔をしかめた。そんなセツナの様子に気付いたネリーが、怪訝そうな顔で話しかけた。

 

「どうしたの、セツナ? 顔色悪いよ。」

「あらあら、お口に合いませんでしたか〜?」

「・・・どうしたの?」

 

 ハリオンがオットリと、シアーもやや躊躇いがちに尋ねてくるのを、セツナは首を振って真顔に戻る。

 

「・・・・・・いや、何でもない。」

 

 個人的な事情を不必要な者に話す気は無かった。それ以上は何も話す気は無いとばかりに、セツナはそれ以上何も語らず、少女達はただ、首を傾げるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

ベッドに寝転がりながら、セツナは見るとも無しに外の光景を眺めていた。

 

 あれ以来、セツナは一言も発する事無く、ネリーやハリオンが話し掛けて来ても生返事を返すだけだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 そっと、左頬に手が触れる。そこには、確かに大きな傷がある。医者からは一生消える事が無いだろうと言われた。恐らく、この忌まわしい記憶と共に。

 

「チッ!!」

 

 激しく舌打ちすると上体を起こす。どうにも、モヤモヤした感覚が抜けない。気持ちがすっきりしないのだ。

 

 学生服の上着だけ羽織り、《麒麟》を手に取る。

 

《どこ行くの?》

 

 怪訝そうな声で尋ねてくる《麒麟》を無視して、セツナはそのまま部屋の外に出た。

 

 

 

 空には、青い月が浮かんでいる。微妙に真円とは言い難いその月に煽られるように、夜風が衣服の隙間から入り込んでくる。昨夜はそれ程感じなかったが、微妙に肌寒い。まあ、昨夜は緊張のせいもあったのだろうが。

 

 風が強いのだろう。顔を覗かせた月はあっという間に雲に隠れてしまう。

 

 玄関先から見渡す建物はどれも中世ヨーロッパ時代的で、この光景を見ても、ここが自分の居た世界ではないと言う事実が実感できた。もっとも、《麒麟》やハリオン達から事実を説明されていなければ、映画のセットか何かと勘違いしていたかもしれないが。

 

「・・・・・・」

 

 そのまま夜風に導かれるように、月が隠れた闇の中をセツナはゆっくりと歩き出す。何かアテがあったわけでもないし、遠くに行く気も無かったが、取り敢えず散歩がてら家の周りでも歩いて頭を冷やしたかった。

 

 セツナの心中を察したのか、昼間はあれだけ騒がしかった《麒麟》も何も言ってこない。《麒麟》自身の思惑はともかく、その事はセツナにとって有難かった。

 

 そんな事を考えながら家の裏手までやってきた。

 

「・・・・・・」

 

 そこで少し、意表を疲れた気がした。家の裏には、広大な広場があった。この家がスピリット達の詰め所として使われている以上、訓練場か何かなのだろう。

 

 セツナはゆっくりと広場に向かって歩き出した。

 

 と、その時、視界の前方、広場の中央付近で何かが輝いたような気がした。

 

「?」

 

 スッと目を細め、闇夜に慣らしてみる。どうやら、人間らしいと言うのはこの位置からでも分かった。その人物が何かを振るい、その度に輝いているようだった。

 

 やがて新たな風が吹き、月は己の光を取り戻す。それにつれて、相手の姿が月光に照らされ、闇夜に彫刻のように浮き出される。

 

「っ」

 

 思わず息を呑んだ。

 

 相手の正体はハリオンだった。

 

 月下の祝福の中、ハリオンは身の丈よりも長い槍を振るっている。見た感じ、その槍は相当な重さだと思われるが、ハリオンはその事をまったく感じさせない優雅さで振るっている。いや、舞っていると言った方が正しいかもしれない。月下の元、槍を手にするハリオンの姿は、神に捧げる舞を踊る巫女を思わせるほど美しかった。

 

「あ、」

 

 と、短い声と共にハリオンは動きを止めた。そこでセツナは気付いた。いつの間にやらハリオンのすぐ間近まで歩み寄っていた事を。

 

「すまない。邪魔をしてしまったようだな。」

 

 気まずげに口を開くセツナに対し、ハリオンはやんわりと微笑みかけた。

 

「いえいえ〜、でも、ちょっと驚きましたね〜」

 

 流れる汗を、肩に掛けたタオルで拭いながらハリオンは言う。

 

「この時間なら、誰も来ないと思ってましたから〜。ネリーとシアーはもう寝てますし〜」

「・・・少し、寝付けなくてな。」

 

 そう言って、セツナはハリオンから視線をはずす。

 

 そんなセツナに、ハリオンは少し歩み寄って言った。

 

「何か、お悩みのようですね〜」

「・・・・・・」

 

 心の中を見透かされたようなハリオンの言葉に、セツナは思わず目を剥く。その顔を見て、ハリオンはしてやったりとばかりに微笑を浮かべた。

 

「ウフフ〜、お姉さんに〜、隠し事はできませんよ〜」

 

 さあ吐け、と言わんばかりにハリオンは興味本意を満面に浮かべた顔を寄せてくる。そんなハリオンの追求から逃れるように、セツナは視線をはずした。

 

「人に、話すような事じゃない。」

「そうですか〜? でも、話したほうが気持ちが楽になりますよ〜」

 

 分かっている。ハリオンはセツナを気遣ってこんな事を言っているのだ。だが、それが分かっていてもセツナは、首を横に振った。

 

「済まないが、自分の事はあまり他人に話さない事にしている。」

「そうですか〜」

 

 ハリオンは少し残念そうに肩を落としたが、すぐに顔を上げて言った。

 

「それじゃあ、仕方ありませんね〜」

 

 あまり他人の事に深く踏み入らない性格なのか、それともこちらを気遣ってくれたのか。ハリオンはそれ以上この話題に触れようとはしなかった。

 

「ところで、」

 

 替わりにセツナは、ふと頭に浮かんだ疑問を口に出してみた。

 

「こんな時間に訓練か?」

「はい。そうなんです〜」

 

 ハリオンはおっとりと答えた。

 

「ここに来てから、あの子達の面倒を見ててあまり自分の訓練はしてなかったんです〜。だから、少し、鍛え直そうと思いまして〜」

 

 戦争も近いみたいですし。

 

 最後は少し、悲しそうな顔で言った。そんなハリオンにセツナが何か言う前に、ハリオンの方から先を続けた。

 

「わたし〜、本当は戦うの苦手なんです〜、戦えば、相手の方を殺してしまいますし〜」

 

 それは、戦闘種族スピリットとしては失格の烙印を押されるような言葉だった。この世界で、主に人間の思考ではスピリットは戦う為の存在と認識されている。そのスピリット自身が戦いを否定するなど、恐らく背徳にも等しい行為だと言うことは、セツナにも理解できた。

 

「・・・・・・嫌なら、逃げれば良い。」

 

 やがてセツナは、ボソリと口を開き言った。そんなセツナを、ハリオンは驚いたような顔で見詰めて来る。

 

「嫌な事を続ける必要性がどこにある? 逃げて別の道を探すと言う選択肢は無いのか?」

「・・・聞いた事がありません。」

 

 俯いたように、ハリオンが告げた。

 

 スピリットは人間に絶対服従。《麒麟》に聞いたこの世界のルールが、嫌でも思い出される言葉だった。

 

「・・・・・・そうか。」

 

 そう言うと、セツナはハリオンに背を向けた。らしくも無い説教をしてしまった事を後悔した。

 

「いずれにせよ。避けられないのなら、後は全力で切り抜けるしかないだろう。」

 

 そう言うと、詰め所の方に向かって歩き出す。これ以上の深入りは御免だった。だが、そんなセツナをハリオンが呼び止めた。

 

「あの〜、セツナ君。」

「何だ?」

 

 素っ気無い口調で振り返るセツナに、ハリオンはやんわりと笑って言った。

 

「お暇なら〜、ちょっと付き合ってください〜」

「?」

 

 一瞬、言っている意味が分からなかったが、少し距離を取るハリオンを見て、ようやく理解した。要するに彼女は、訓練に付き合って欲しいと言っているのだ。

 

「ネリー達じゃあ、ちょっと物足りないんです〜。その点セツナ君は〜、エトランジェ様ですから〜、多分私よりも強いと思うんですよ〜」

 

 そう言うとハリオンは、手にした第六位永遠神剣《大樹》を構える。

 

 刃の方をセツナに向け、切っ先はやや下に向ける。一部の隙も無い構えだ。

 

それに対してセツナも、丁度良い暇つぶしになると判断し《麒麟》鞘から抜いて構える。こっちは剣道の正眼より少し刃を下に落とした感じの構えになった。

 

「あら〜」

 

 そんなセツナを見て、ハリオンは首をかしげた。

 

「セツナ君、何か武術をやっていたのですか〜?」

「真剣は持った事は無い。ただ、向こうの世界では剣道を少しやっていた。」

 

 剣だったら多少自信がある。

 

「そうですか〜」

 

 そう言うとハリオンは、改めて《大樹》を構え直した。

 

『さて、』

 

 セツナは心の中で《麒麟》に話し掛けた。

 

『どう見る《麒麟》?』

《無理だね。勝ち目は無いよ。》

 

 あまりにもあっさりした声で《麒麟》は返してきた。

 

《向こうは大分修練を積んでるみたいだし。君は多少剣ができるかもしれないけど、所詮素人レベルでしょ? まともに遣り合えば、ハリオンには勝てないね。》

『まともに、か。』

 

 少し考えてから言った。

 

『つまり、まともじゃない方法なら勝機はある、と。』

 

 セツナがそこまで考えた時だった。

 

「では、行きます〜」

 

 次の瞬間、ハリオンは地を蹴る。と思った瞬間には既に、セツナはハリオンの間合いに捉えられていた。

 

『速い!?』

 

 本能的に《麒麟》を振るう。そこへ、ハリオンが翳した《大樹》が突き出される。両者の刃の部分で擦れ合い、セツナはどうにかハリオンの鋭い突撃の軌道を逸らした。

 

「やりますね〜」

 

 少し関心したようなハリオンの声が聞こえてくる。だが、正直今のは危なかった。もし反応が遅ければアウトだっただろう。

 

「では、今度はこれで〜」

 

 そう言うとハリオンは、刃の付け根を短く手に持って切り返してくる。接近戦に対応しようと言うつもりらしい。

 

「クッ!?」

 

 とっさに距離を置こうとするセツナ。しかし、ハリオンはそれを許さない。バックステップで逃れようとするセツナを、容赦なく追い詰めていく。

 

『どうする?』

 

 こちらも接近戦で対応するか? だがそれではハリオンの思う壺だ。さりとて、距離を置くことも叶わない。

 

 槍は基本的に、リーチで剣に勝っている分、有利となる。距離を取る事はセツナにとって不利だった。

 

「そこです〜!!」

 

 口調とはかけ離れた、鋭い突きが放たれる。昼間のおっとりした少女とは思えない、動きだ。

 

「チッ!!」

 

 とっさに地面にころがり、回避するセツナ。だが、そこへハリオンの突きが襲ってくる。その攻撃は、どうにか地面を転がる事でよける事ができたが、立ち上がる前に逃がさないとばかりにハリオンが襲い掛かってくる。

 

「まだまだですよ〜!!」

「クッ」

 

 セツナは今、片膝をついたまま、起き上がる体勢にある。だが、ハリオンのスピードを考えると、起き上がるまでの時間は無かった。では、どうする?

 

「・・・仕方が無い。」

 

 呟くように言うとセツナは、制服の襟に手を掛ける。そこへ、ハリオンが迫る。

 

 次の瞬間。

 

「食らえ!!」

 

 脱ぎ捨てた制服を、突進してくるハリオンに投げつけた。

 

「あら〜?」

 

 さすがに意表を突かれたのか、ハリオンの動きが止まる。その間にセツナは動いた。一気に距離をつめ、間合いに入った瞬間《麒麟》を振るう。目の前には無防備に立ち尽くすハリオンの姿がある。

 

『取った。』

 

 勝利を確信するセツナ。しかし、

 

「ウフフ。甘いですよ〜」

 

 例によって緊迫感を感じさせない声と共に、セツナが振るった《麒麟》は、防がれてしまう。

 

「アイデアは良かったんですがね〜」

 

 では、とどめです。とばかりにハリオンは《大樹》を突きつけてくる。

 

「クッ!!」

 

 その一撃を、辛うじて防いだセツナだが、次の瞬間、受け止めた体勢のまま吹き飛ばされ、無様に地面を転がる。

 

「か・・・ハッ!?」

 

 口の中に血の味が滲み、全身が強打する。

 

『何だ・・・この力の差は? 人間とスピリットと言うだけで、ここまで違うものなのか?』

《それもあるんだけどね。》

『・・・どういう事だ?』

 

 愕然とした呟きに対して返された言葉を聴き、セツナは訝るような瞳を《麒麟》に向けた。

 

 そのセツナに対して《麒麟》はまだ語っていない事実を告げる。

 

《あの娘の場合、永遠神剣の加護を受けて戦っているからね。もちろん、それ無しでも普通の人間より強いんだけど、でも、条件が同じなら、君のほうが強いはずだよ。》

『・・・・・・なぜ、今まで黙っていた?』

 

 自然、口調が責めるようになる。それを知っていれば、ここまで苦戦することも無かっただろうと思っているだけに、それは当然の反応だった。

 

《ごめんね。でも、こう言う事は口で説明するよりも実際に体験してもらった方が良いと思ったから。》

 

 その回答に、どうにも釈然としない物を感じるセツナだが、言っている事に間違いはないので、否定はできない。

 

『まあ良い。それで、つまりお前が力を貸してくれれば、条件は五分に成る訳だな?』

《少なくとも、パワーに関してはね。》

『そうか・・・・・・』

 

 セツナはゆっくりと立ち上がり、目の前に《麒麟》を掲げた。その様子を、交戦の意思と取ったのだろう。ハリオンもまた、《大樹》を構え直す。

 

 2人は無言のまま見据え合う。

 

 無言のまま時は過ぎ、ただ青白い月の光だけが、舞台の観客となって地に影を落とす。

 

 ハリオンは、突きの態勢を取ったまま刃をカチャリと鳴らした。

 

 次の瞬間、四肢に蓄えられた力の全てを解放し、ハリオンは突撃する。その切っ先はまっすぐにセツナに向けられ、刺し抜かんとしているかのようだ。

 

 その様を冷静に見据えつつ、セツナはゆっくりと溶ける様に言葉を紡ぎ出す。

 

「・・・契約の名の下、エトランジェ《麒麟》のセツナが願い、命ずる。永遠神剣第四位《麒麟》よ、」

 

 ハリオンの刃は既に目の前まで迫っている。だが、今のセツナの目にはそれが見えている。否、スローモーションとなって完全に捉えられている。

 

「我に、力を!!」

 

 次の瞬間、体内において爆発的に力が増加するのが分かった。体の底、魂の奥から焼き尽くされるような力が全身の毛細血管を伝って体中を満たすようなそんな感覚に支配される。

 

「っ!?」

 

 その様子を見て取ったハリオンが、とっさに急ブレーキを掛けて後方に跳躍する。

 

 その目の前で、セツナはゆっくりと両目を開眼する。その体は金色の光に包まれ、闇夜を明るく照らし出す。この光こそ、エトランジェがスピリットを上回る力を持つとされる所以、オーラフォトンである。

 

 その様を見て、ハリオンはクスリと笑みを浮かべた。

 

『成る程〜、ここからが本気、と言うわけですね〜』

「では、私も〜」

 

 ハリオンも周囲のマナを吸収し、己の内に秘めた力を解き放つ。風が舞い、ハリオンの体を包み込む。

 

 その様に、セツナは息を呑む。ハリオンも、今まで力をセーブして戦っていたのだ。そのセーブした力で、自分をあれだか圧倒してのけたのだ。その事実は正に、戦慄に値する。

 

「・・・行くぞ。」

「・・・はい。」

 

 2人は互いに頷き合う。次の一撃が勝負になることは分かっていた。それだけに、全ての力を込める。

 

 次の瞬間、2人は同時に地を蹴った。

 

『・・・軽い!?』

 

 これまでとは比較にならないくらい、体が軽かった。まるで、自分自身が風になったかのような感覚だ。

 

 自分に向かって槍を振りかざすハリオンの姿が見える。スピードはほぼ互角のようだ。

 

「ウオォォォォォォ!!」

「ハアッ!!」

 

 2人は同時に神剣を繰り出す。そのスピード、パワー共にほぼ互角。突き出された一閃は、同じような軌道を描いて、互いの頬を掠める。

 

 すれ違う瞬間、凄まじい衝撃によって砂埃が舞う。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 2人とも、刀と槍を翳した体勢のまま、無言のまま背を向け合う。互いに、傷は負っていない。刃は体に触れる事無く通り過ぎたのだ。

 

 やがて、残心を終えたセツナは、ゆっくりと《麒麟》を引く。

 

「大した腕だ。それで戦うのが嫌いだなどといわれても、冗談にしか聞こえないな。」

「体を動かすのは〜、別に嫌いじゃないんですよ〜」

 

 そう言ってハリオンはほのぼのとした笑みを浮かべる。

 

 2人は、どちらとも無しに振り返り、互いの目を正面から真っ直ぐに見据える。

 

 やがて、セツナの方から口を開く。

 

「改めて、よろしく頼む。エトランジェ、《麒麟》のセツナだ。」

「私は〜、ラキオス王国軍スピリット隊所属、《大樹》のハリオンです〜。」

 

 2人は互いに名乗ると、手を握り合った。

 

 

 

第2話「月下に舞う」   おわり