大地が謳う詩
第１話「凍土の如き瞳」
８歳の時、父が死んだ。交通事故だった。
本来なら、遺族である自分達には慰謝料が支払われるはずだった。
だが、父を轢いた相手は有名国会議員の息子で、父親の権力を使い事件をもみ消し、謝罪どころか線香の１本も上げには来なかった。
１２歳の時、母が失踪した。
町で知り合った若い男との駆け落ちだった。
自分はその男が嫌いだった。率直に言って、生理的に受け付けなかった。刃物で顔を傷つけられた事もある。左頬を外側に向かって斜めに。
その傷は今もある。あまりに深くて、医者からは一生消えないと言われた。
だが、その事に自分は、悲しいとは思わなかった。
なぜなら、その時既に、自分は母を必要とはしていなかったから・・・・・・
１
【お疲れ様でした！！】
部員達が一斉に礼をして、稽古で使った防具や竹刀を片付けていく。
「朝倉！！」
そんな中で、キャプテンが朝倉と呼ばれた少年に声を掛けた。
その少年は、誰の目から見ても、異様と言って良かった。
容姿は、現役高校生としてはまずまず普通と言ってよかった。やや小柄で撫で肩、すっきりした体格の少年だ。異様なのは彼の顔だった。目は肉食獣のように細く吊り上り、左頬には外側に向かって大きな切り傷があった。
「・・・・・・何ですか？」
ややあって少年―朝倉刹那は顔を上げた。
その瞳を見た瞬間、キャプテンは息を呑む。ただ睨むだけで殺気を発散しているかのような眼光に、文字通り蛇に睨まれた蛙状態となってしまう。それでも勇気を奮い起こし、先を続ける。
「ほら、あれだ、お前この間の試合で良い成績だっただろ。その打ち上げをやろうと思ってるんだが、お前の都合をまだ聞いてなくてさ。」
しどろもどろな状態ながら、どうにか自分の用件を相手に伝える事は成功したようだ。
この間の試合と言うのは、地方で行われた剣道の全国大会である。この試合で個人代表で出場した刹那は、ベスト４に進出し、見事３位入賞を果たしたのだ。
その時の打ち上げを、キャプテンは開くと言っているのだ。
「どうだ、お前の都合の良い日を聞かせてくれ。」
「・・・・・・・・・・・・興味ありません。勝手にやってください。」
暫くして刹那が放った言葉は、それだった。
そう言うと刹那は、用件は終わったとばかりにキャプテンに背を向けて歩き去った。
「あ、おい！！」
慌てて呼び止めようとするが、やがて無駄と悟ったのかキャプテンはガックリと肩を落とした。
「だめでしたか？」
そんなキャプテンに、別の部員が声を掛ける。
「ああ。予想はしてたんだがな。」
「そういう騒がしいことって、好みませんからね朝倉の奴。」
「まったくだ。どうしたら心を開いてくれるのかね？」
そう言うとキャプテンは、深く溜息をついた。
季節は冬に差し掛かり、寒風は合わせたコートの隙間から容赦無く入り込んでくる。
「・・・・・・・・・・・・」
刹那はポケットに手を突っ込むと、家路へと足を進める。
他人なんて信用できない。
そう、心に誓って生きてきた。母が失踪する前、そう、父の事故が、個人の権力によって揉み消されてからは。
学校では、常に他人との距離を保ちながら生活している。
人は所詮、己の利益の為に生きている。友情などと言う言葉ほど、この世で信用できないものは無いと思っていた。だからこそ、主将からの誘いはにべも無く断ったのだ。
『俺は、１人で生きていく。今までも、そしてこれからも・・・・・・』
その時、
「お先に失礼します！！」
コンビニの前を通った時、良く通る声と供に刹那と同じ学校の生徒が飛び出してきた。
「あ、」
「・・・・・・」
その相手は刹那に気付くと、立ち止まってこちらに目を向けた。
「よう、朝倉じゃないか！」
そう言って笑顔を浮かべる。
癖のある短い髪に、力強さを感じさせる瞳をしている少年だ。
「高嶺か。」
高嶺悠人。クラスメイトの１人だ。確か、妹と２人暮しをしているはずだ。
「お前、ここでバイトしていたのか？」
「ああ。知らなかったのか？」
「・・・・・・ああ。」
このコンビニは、何度か使った事があるのだが、その時は顔を合わす機会が無かった。多分、悠人がシフト外だった時なのだろう。
「うちの店に寄るのか？」
「・・・・・・いや、前を通り掛っただけだ。」
実も蓋も無い返事をする刹那。
そんな刹那を見て、悠人はふうん、と頷く。
「じゃあな。」
そう言うと、刹那は悠人に背を向ける。
「あ、待った。」
そんな刹那を、悠人が呼び止めると何かを放ってよこした。
受け取ってみると、それは賞味期限間際のクリームパンだった。
「お前、確か１人暮らしだったよな。それ店長からもらったんだ。良かったら食えよ。」
そう言うと、悠人は刹那に背を向けて歩き去る。
「・・・・・・・・・・・・・フンッ」
刹那は鼻を鳴らすと、コートのポケットにパンを突っ込んだ。
２
「・・・・・・やられ、ましたね。」
巫女服を着た少女は、苦い響と供に言葉を紡ぐ。その手には小刀と扇を持っている。
周囲一体は焦土と化し、くすぶる煙は今だに立ち上り、鼻を付く匂いに満たされている。
「リュトリアムが手に入ったのは幸いでしたが、まさか黒の守護者があちらの手に落ちるとは・・・・・・」
悔しそうに唇を噛む少女。そんな少女の傍らに、白銀の鎧を着込んだ少年が膝を付く。
「すぐにローガス様にご報告を。」
「そちらはよろしくお願いします。」
「ハッ」
頭を垂れると、少年は風のように消え去った。
「黒の守護者の喪失、こいつは痛かったな。力を抑えられたリュトリアムは今じゃ、そこらのガキと変わらん。差し引きはマイナスと見るべきだな。」
背後からの声に、巫女服の少女は振り返った。
「どうする、トキミ？」
少女の名は、《時詠》のトキミ。混沌の永遠者、カオス・エターナルの１人で、時見の力を持った少女である。
トキミの視界の先に、灰色のローブに身を包んで青年が居る。その手には木製と思われる歪な形をした、身の丈ほどもある杖が握られている。
「愚問でしょう、キリス。」
名前を呼ばれた青年は、肩を竦める。
《鮮烈》のキリス、それが青年の名である。カオスでも、それに対するロウ側でもない、あくまで中立を保ち、必要とあらば両者に対し敵にも味方にもなる者、中立の永遠者、ニュートラリティ･エターナルである。
「すぐに追撃を掛けます。」
「無理だな。」
トキミの言葉を、キリスは即座に否定する。
「テムオリン達の用意はかなり周到だ。恐らく、あの世界には何らかの結界が張られていると見ていいだろう。」
「では、どうしろと？」
「うん・・・・・・」
トキミの言葉にキリスは暫く考え込むと、空間から１振りの刀を取り出した。
刃渡りは１メートル強。程よいバランスの取れた刀と言える。
「それは確か・・・・・・」
その刀を見て、トキミは記憶を掘り起こす。
「確か、先程の戦いで得た物ですね。」
「ああ。この神剣を使って、こちらの駒を新たに作る。」
そう言うと、キリスは口の端を吊り上げて笑った。
３
「きりーつ、礼！！」
終業の挨拶と供に、生徒達は解放の翼を広げる。必要以上に抑圧された自我が、新鮮な空気を求めて羽ばたく。
いわゆる昼休みになった教室内では、自前の弁当を広げる者、購買、もしくは食堂に行く者に分かれる。
刹那も彼等の後を追う様に、先日悠人からもらったパンを持って教室を後にした。
部活の関係から、昼はしっかり摂る事にしている。普段は学食に行って食べるのだが、今日はパンがあるので、屋上辺りで食べようと思ったのだ。もちろんこの時期、昼とは言え外で食べるなど、無謀のきわみである。だが、人との関わりを煩わしく思っている刹那にとって、誰も居ないと言う事は限り無く魅力的だった。パンの味が分からなくなるかもしれないが、それは取り合えず重要ではない。所詮、食事など栄養摂取が主目的なのだから。
屋上に続く階段に向かおうとした時だった。
「あの、放してください！！」
昼の喧騒の中でもはっきり聞こえるほど、異常を知らせる声が耳を打つ。
「？」
何気なく、そちらの方に目をやると、中等部の女の子が、高等部の少年に絡まれている場面に出くわした。
絡んでいる少年に、刹那は見覚えがあった。
白い髪に異様に吊り上がった瞳、たしか、同学年の秋月瞬とか言う少年だった。有力者の息子で、学科、実技供に成績優秀、なのだが、どうにも性格に問題がある少年で、とかく人を見下した態度をとることが多い人間だと聞いていた。
「・・・・・・・・・・・・」
そこまで考えて、刹那は苦笑する。自分がそれを言うか？ と、
一方で、絡まれている少女に目を転じると、面白い事にこちらにも見覚えがあった。
眼鏡を掛けた可愛らしい瞳に、やや癖のある明るい色の髪。何度か教室に来ているのを見掛けた事のある少女。悠人の妹で、高嶺佳織と言ったはずだ。
『・・・・・・・・・・・・ああ。』
刹那は心の中で合点が行き、納得する。
確か、悠人達が話していたのを聞くとも無しに聞いた事がある。瞬が、佳織に対して異常な執着を見せていると言う事を。そして、悠人がそれを快く思っていない事も知っていた。
「ああ、佳織、どうして君は僕の事を理解してくれないんだい？」
「そういう訳じゃないですけど・・・・・・」
妙に芝居がかった感じの瞬の言葉に対し、佳織は困ったような返事を返す。
「・・・・・・・・・・・・」
刹那は、そんな２人に背を向ける。自分には関係ない。やるなら勝手にやってくれ。ただし俺を巻き込むな。そう心の中で呟くと、屋上に向かう。
が、そこでふと、足を止める。
「・・・・・・・・・・・・」
廊下を曲がった向こうでは、まだ佳織と瞬が言い合っている。
刹那は息をひとつ付くと、踵を返して廊下を曲がった。
「・・・・・・おい、何やってんだ？」
限り無くやる気無さそうに、刹那は声を掛けた。その声に、瞬と佳織は同時に振り返った。
「何だお前は？」
不機嫌そうに尋ねる瞬。その声が、さらに刹那のテンションを削いでいく。それでも刹那は、なけなしのやる気をかき集めて前に出る。
刹那は、佳織を顎でしゃくった。
「そいつの兄貴の、クラスメイトだ。」
「お兄ちゃんの？」
佳織が意外そうな声を出す。対して瞬は、一気に不機嫌の度合いを強める。
「あいつの仲間か？ 邪魔するんじゃない。これは、僕と佳織の問題だ！！」
憎悪を直接叩きつける様な声。直接会うのは初めてだが、この一言で、秋月瞬という人物がどういう奴なのか理解できた気がした。
それに対し刹那は、スッと肩をすくめる。
「別に、俺は奴の事は何とも思っちゃいない。ただ、お前の為に言ってやってるんだ。」
「僕の為、だと？」
訝る瞬に、刹那は揶揄するように続ける。
「こんな所で騒ぎを起こすのは控えた方が良い。いくら良いトコの息子でも、不祥事はまずいんじゃないのか？」
「・・・・・・・・・・・・」
黙る瞬。常の彼なら、この程度の言葉は脅しにすらならない。同じ生徒はおろか、教師ですら彼にとっては流れ行く風景のひとつでしかない。だが目の前に居る同学年の少年。こいつの射抜くような視線に貫かれた瞬間、若干の圧迫感を感じた。
気にしなければ大した物ではない。だが、勘の端に妙に引っ掛かる物を感じた。
「チッ」
瞬は軽く舌打ちすると、佳織に向き直った。
「佳織。じゃあ、僕は行くよ。君が早く真実に気付いてくれる事を心の底から願っているよ。」
「・・・・・・秋月先輩。」
瞬は佳織に笑顔を浮かべてから、刹那を睨み付けると、わざと肩をぶつけて去っていった。
「・・・・・・・」
その背中を見送ってから、刹那は自分も階段のほうに向かう。その刹那に、佳織が話しかける。
「あの！！」
「・・・・・・・・・・・・」
足を止めて振り返る刹那。そこへ、佳織が駆け寄って、そのまま前転してしまうのではないかと思えるほど頭を下げる。
「ありがとうございました！！」
「・・・・・・・・・・・・気にするな、」
そう言うと、佳織に背を向ける。
「こいつの礼だ。」
そう言って、クリームパンを掲げて見せた。
４
困った。
やはり、やり慣れないことはすべきではなかった。
学校が終わり、刹那達は下校している。
そう、「達」である。
今、刹那の周りには２人の少年と２人の少女が居る。
高嶺悠人と、その妹である佳織、そしてクラスメイトの碧光陰と岬今日子である。
『・・・・・・やれやれ。』
刹那は心の中で溜息を付いた。
「ん、どうした朝倉？」
光陰がやや高校生離れした顔を近づけて、刹那の顔を覗き込んでくる。
この男、寺の住職の息子と言う話だが、だらしなくブレザーの前をはだけ、光物を身につけた容姿は、完全にその立場を否定していた。まったく、最近の寺院はこういう手合いを放し飼いにしているのかと、半ば感心してしまう。
今日子の方は、とにかく活発。この一言に尽きる。悠人と並んで遅刻、成績不振の常習者で、ペナルティが一定以上になった者もれなくに贈呈される罰掃除当番のレギュラーでもある。ちなみに、彼女を怒らせるとどこからとも無くハリセンが飛んでくるのだが、このハリセン、一体どこから取り出されるのか今だに謎だったりする。これは恐らく永遠の謎だろう。ちょうど永遠世界もあることだし。
話が逸れた。で、なぜこのような話の運びになったかというと、昼間に佳織を助けたことで、悠人の方から刹那に近付いてきたのだ。光陰と今日子は普段から悠人と一緒に居ることが多い為、当然の如く顔を並べている。
「あの、ほんと昼間はありがとうございました。」
佳織はしつこいと言いたくなる程、何度も頭を下げてくる。
そんな佳織に、刹那は溜息をつく。
「頭を下げすぎだ。」
「え？」
「頭を下げると言う行為は、一見、礼儀正しさを強調するかのようだが、その反面、自分を貶める行為にも繋がる。だから無闇に頭を下げるな。」
言うだけ言うと、刹那は口を閉じた。
「な〜にえらそうに説教してんのよあんたは！ せっかく佳織ちゃんがお礼を言ってるんだから、屁理屈言ってないでもっと気の利いた事言いなさいよ！！」
「そうだぞ朝倉。この世で最も大切な物は『人の和』だ。人と人との繋がり、これこそが、人が生きていく上で、重要な事なのだ。つまり、佳織ちゃんは今、お前に手を差し伸べた。その事は、お前が生きていく上でとても意義のあることなんだぞ。」
「・・・・・・・・・・・・」
今日子の抗議と、光陰の説教を無視して刹那は悠人に向き直る。
「時に高嶺。噂程度には聞いていたが、秋月がお前の妹に執着してるって言うが、」
「あいつは・・・・・・」
瞬の名前を出したとたん、悠人はギリッと歯を鳴らす。
「あいつだけは、許せないんだ俺は。絶対に・・・・・・」
「・・・・・・」
「あいつの態度、俺だけに憎しみをぶつけるんだったらまだ分かる、」
何度か耳にした事がある。悠人が、自分が疫病神だと呟いている所を。それは、幼少の頃に実の、物心付いてから義理の両親を失ったことに起因しているらしい。その際、必ず自分だけが生き残る。生き残ってしまう。
ただ生きて、呼吸をするだけで周囲に死を撒き散らす存在。疫病神、いや、死神と言っても良いかもしれない。しかも、２度目の時は義妹の佳織すら巻き込むところだった。
奇跡的に佳織は一命を取りとめ、回復して今日に至るが、この事故で佳織は実の両親を失ったのだ。見ようによっては、悠人が不幸を呼び込んだと言えなくも無かった。
聞いた話によると、瞬と佳織は幼馴染だと言う。佳織と仲が良かった瞬が、その事で悠人を恨んでもおかしくは無いかもしれない。だが瞬は、悠人を憎む一方で、他の人間すらも蔑んだ目で見ている傾向がある。その癖、昼間見た通り、佳織にだけは異常な執着を見せている。その事が悠人には気に食わないらしい。
そんな悠人を、刹那は醒めた目で見詰める。
「お前が妹を溺愛するのは勝手だが、」
「で、溺愛って・・・・・・」
「いつまでも兄貴が作った籠の中に閉じ込めておくのは、そいつの為にならないぞ。」
そう言って、佳織を顎でしゃくる。
「俺が、佳織を閉じ込めているだと？」
悠人の言葉に熱が纏われ始める。
両親の死以来、佳織を１人で養ってきた悠人に、その事を非難するのは禁句といってよかった。
「お前に、そんな事言われる筋合いは無い！！」
「ちょっと悠、熱くならないでよ！！ 朝倉、あんたも何挑発してんのよ！！」
危険な空気を感じ取った今日子が、２人の間に割って入った。
その様子を見て、刹那は溜め息を吐く。
「確かに、俺にお前らをどうこう言う権利はない。」
悠人の言葉を都合の良い様に解釈して、刹那は４人に背を向ける。
やはり、人と馴れ合うべきではない。
慣れない事は、すべきではなかった。
刹那はそのまま、振り返る事無く歩き去った。
それから、数分後のことだった。
自分の家まで、あと少しという所まで来たときだった。
《見つ・・・・・・・けた・・・・・・》
突然、頭の中に自分の物とは違う声が聞こえた。
「え？」
とっさに辺りを見回すが、声の主に該当しそうな人物の姿は無い。
そこへ、更に声が響く。
《わらわは・・・そなたを・・・・・・待っていたぞ・・・・・・》
「誰だ！？」
叫ぶが、返事は無い。
その瞬間、視界が弾ける。
光の奔流が溢れ、明るい闇が辺りを包む。
「クッ！？」
とっさに右腕を顔の前に掲げ、視界をガードするが、視界はいささかも回復しない。
やがて、溢れた光は失った酸素を補うように刹那を吸い込み始める。
「な、」
『何だ、これは！？』
後は、言葉にする事ができなかった。
刹那はそのまま光の中に吸い込まれていく。
刹那を吸い込んだ光は、そのまま収束していった。
光がなくなった後には、何も残っては居なかった。
５
『ほう、こいつが選んだ奴か。』
「・・・・・・んっ・・・・・・うっ」
何かの声がしたような気がして、刹那は顔を上げる。
透き通るように涼しい空気が、襟元から入ってきて心地よかった。
自分はどれだけの間眠っていたのだろうか？ いずれにせよ、夕暮れ間近とは言え道のど真ん中で人が倒れているのを、跨いで通るほど薄情な人間など、そうはおるまい。かく言う自分だって、さすがにそこまで事態が進んだら、蹴り起こすくらいの誠意（？）は見せる。と言うことは、良くて数分と言ったところだろう。
『しかし・・・・・・』
ようやく覚醒を始めた脳で、先ほどの事態を検証してみる。
『声』、『光』、そして『衝撃』
『あれは一体、何だったんだ？』
どれも不可解な現象だった。
『まあ、世の中、不思議なこともある。俺の気のせいって事もあるしな。』
そう考えてから身を起こした。
「・・・・・・ん？」
目を開けると、なぜか辺りは木々に囲まれていた。
「いつの間に、森の中に？」
確か自分は、住宅街を歩いていたはずだ。
考えられる可能性はひとつ。道で倒れていた自分がなかなか起きなかったので、誰かが近くの林の中に運んだか、
『まさかな。』
刹那は即座にその考えを否定した。その考えには相当な無理がある。もし本当にそういう事態になったのなら、迷わず救急車を呼ぶだろう。
ではなぜ、自分は森の中に居るのだ？ その説明が付かない。
「ちょっと待て・・・・・・」
思わず独り言が漏れた。刹那は自分がある事に強烈な違和感を感じている事に気付いたからだ。
半覚醒状態の脳を無理やり覚醒状態に叩き起こすと、急いで情報の整理に取り掛かる。
何だ？ 一体、何が違和感の元になっている？
森の中に居る事か？ 倒れる前に出会った超常現象の事か？ 覚醒前に聞いた声の事か？
どれも違う。それらも違和感に違いないが、もっとこう、決定的に感じる違和感が他に存在する。何だ？
「っ！？」
そこで気付いた。
それは、肌に感じる空気。ひんやりとして涼しい空気だった。
今、日本は全国的に冬を迎えている。刹那達の町も、雪こそ降っていなかったが相当寒かった。つまり、このような空気を感じる事など、気象学的にも地政学的にも有り得ないことだった。
その時、
《あ、やっと気が付いた！！》
『っ！？』
突然、頭の中で声がして、刹那は体を震わせる。そしてとっさに、辺りを見回した。しかし、周囲には誰も居ない。
《どこ見てるの、下だよ下。手元見て。》
言われるままに手元に目をやる。そこには、１振りの刀が転がっていた。
《初めまして！！ あたしは永遠神剣第四位、名前は『麒麟』！！ よろしくね！！》
「・・・・・・」
あまりに突発的な事態に、さしもの刹那も呆気に取られる。
その間にも《麒麟》（だと思われる刀）はしゃべり続ける。
《いや〜、まさか召還してから３時間も眠りっぱなしだとは思わなかったからさ。ひょっとしたら死んじゃったかな〜とか思い始めてたんだよね。てぇ、さすがにんな訳ないか？ アハハ、こっちに来た時も、ちゃんと軟着陸させたしさ！！ あ、説明が遅れたけど、ここは君がいた世界じゃないから。だいたい、隣くらいにある世界かな？》
「・・・・・・・・・・・・」
《てな訳で、これからよろしくね、契約者さん！！ あ、あたしの事は《麒麟》って呼び捨てにして。なんだったら『キーちゃん』とか『リンちゃん』とかでも良いよ。でも、名前に直接ちゃん付けは無しね。長いから。》
「・・・・・・・・・・・・」
どうでも良い事をまくし立てる《麒麟》（と思われる刀）。
そんな彼女を置いて、刹那はスクッと立ち上がった。
《ああ、ちょっと、どこ行くのよ！？》
そんな《麒麟》の悲痛な叫びを無視して、刹那は歩き出す。背後で彼女がなおも喚いているが気にしない。
脳は完全に覚醒している。だが、事態は刹那の理解力を完全に凌駕している。
一体、ここはどこなんだ？ なぜ、こんな所に居るんだ？
世の中には、人間には理解できない事がたくさんある。
そんな怪奇特集にでも出てきそうな有り触れたキャッチフレーズが、頭の中によぎった。
その時だった。
すぐ脇にある茂みの中で、何かがざわめく。
『？』
そちらに目を向ける刹那。茂みを掻き分ける音は、なおも大きくなり、何かが接近してくると言うことは分かった。
『獣か？』
そう思った瞬間だった。
茂みの中から、人が飛び出してきた。これには予想してなかった刹那も、少し意表を突かれる。だが、視覚が相手の存在を認知した瞬間、刹那の顔は怪訝な色に染まる。
相手は少女である。恐らく、自分と同じくらいの年齢の。だが、その容姿は異様だった。
青髪に青い瞳、着ている服まで青だった。そしてその手には、西洋風の両刃剣が握られている。
「何だ、お前は？」
刹那の問い、それに対し、少女は何事か答える。が、分からない。言葉の意味がまったく理解できない。
外国語かとも思ったが、テレビで聞いたことのあるどの外国語とも、微妙にニュアンスが違う気がする。
だが、刹那にそれ以上思考することは許されなかった。
突如、手にした剣を振りかぶると、少女は刹那に斬り掛かって来た。
「ッ！？」
とっさに体を沈めて斬撃をかわす刹那。それに対し少女は、すぐに再び斬り掛かる。
「クッ！！」
無様に地面を転がりながらも、どうにかかわす刹那。そのまま起き上がると、背中を向けて走り出す。
『何なんだ、一体あれは！？ なぜ、俺を狙ってくる！？』
疑問は次々と湧いてくる。
《ここは君がいた世界じゃないから。》
先ほどの《麒麟》の言葉が思い出される。どうやらあれは、本当の事で、《麒麟》が言った事は全て真実だったのだ。そう考えれば、全ての違和感が整合できる。
『事実を、直視しろ。これ以上は、単なる現実逃避でしかない！！』
意を決すると刹那は、元来た道を全速力で戻り始める。目指すは自分が倒れていた場所だ。
そこまで駆け戻った刹那は、走りざまに転がっていた刀を拾い上げた。
「おい！！」
《契約する気なった？》
《麒麟》の質問を無視して、刹那は逆に自分の質問を浴びせる。
「あいつは一体何だ！？」
《ああ、あれはね・・・》
「いや、やっぱり良い！！ お前が説明すると長そうだ！！」
《自分から聞いてきたんじゃん。》
「そんな事より！！」
刹那は、『麒麟』に顔を近づける。
「力を貸せ！！ この際、話は全部、奴を倒してからだ！！」
《・・・それは、契約成立と考えて良いよね？》
「・・・・・・・・・・・・」
《麒麟》の質問に、刹那は少し黙ってからもう一度口を開いた。
「・・・・・・契約したら、力を貸すか？」
《オフコース！！》
「・・・・・・良いだろう。」
低く呟いて刹那は頷くと、足を止めて納刀したまま《麒麟》を腰に構える。背に腹は変えていられない。いかに現実離れした世界だろうと、ここで座して死を待つのは愚の骨頂だ。
「・・・・・・刹那だ。」
《え？》
「朝倉刹那、俺の名前だ。まだ名乗ってなかったからな。」
《オッケー、セツナ！！ そんじゃ、改めてよろしくね！！》
「ああ。」
頷くセツナ。その耳に、地を蹴る足音が聞こえてくる。
《来るよ、セツナ。意識を手元に集中して！！》
「・・・・・・」
《麒麟》の言葉に、セツナは黙って頷くと、意識を手元に集中する。すると、《麒麟》の刃が青白く輝き始めた。
「これは・・・・・・」
《来る！！》
足音が更に大きくなる。
次の瞬間、視界の先に、先ほどの少女が現れた。その手には剣が握られている。
純度１２０パーセント。混じりっ気無しの殺気がひしひしと伝わってくる。
次の瞬間、
《今だ！！》
《麒麟》の声に合わせて、セツナは刀を鞘走らせる。
疾走すると同時に抜刀された刃は、交差方気味に少女の腹を切り裂いた。
鋭い。あまりの速さに、気付いた時には既に刃は振り切られていた。
「・・・・・・・・・・・・」
手応え有り。ややあって、背後で少女が倒れる音がした。対してセツナは傷ひとつ負っていない。
「・・・・・・やったか？」
《みたい・・・・・・》
呟いてから、セツナは改めて《麒麟》の刃に目をやる。
木々の隙間から漏れる光に反射して、銀色の刃が光り輝いている。惚れ惚れするほど美しい姿が、そこにあった。
《やったね。》
《麒麟》が明るい声で語りかけてくる。かなり緊張していたらしい、その声を聞いて我に返ると、自分が全身にびっしょり汗を掻いている事が分かった。
「フッ。」
そんな自分がひどく滑稽に見えて、セツナは小さく笑った。
その時だった。
再び、今度は背後の茂みから音がする。
「っ！？」
とっさに振り返るセツナ。しかし次の瞬間、激しい眩暈が体を襲い、膝を突く。
「な・・・」
《まずい、来たばっかりで、いきなり無理するから限界が来ちゃったみたい！！》
「何・・・・・・」
必死に頭を振るがセツナの意識は、徐々に暗転していく。
《セツナ、しっかりして！！》
《麒麟》が耳元でがなり立てるが、最早それに答える気力もセツナには残っていない。
やがて、茂みの影から音の主が姿を現した。
予想した通り、それは先ほどの少女と同じ格好をしていた。違う点があるとすれば、髪がポニーテールに結ばれている事。先程の少女よりも幼い感じがすること。
少し生意気げに釣り上がった、澄んだ青い瞳が印象的だな。
そう思った瞬間、セツナの意識は漆黒の中にその身を委ねた。
第１話「凍土の如き瞳」 おわり