「う……ん………」
目の前に、メシフィアがいる。
二回目となると、寝息が鼻にかかるくらいの距離にいられても、別に驚かなかった。
上半身を起こして見回すと、ニヤニヤした顔を続ける女性………。
「あ……あっ……!」
「久しぶりね、啓太君?」
「か、かか……叶さん!!」
黒い髪を結い上げ、銀杏のかんざしをさしている。
その優雅で美しい振る舞いは、誰もよせつけない凛々しさとなって、いっそう彼女を引き立てた。
少し垂れ気味な大きな瞳は、まるで花のような明るい華やかさを持つ。
「叶さん……っ!」
「男の子でしょ?こんな、再会しただけで泣かないの」
「だって、すっごく嬉しくて……!ど、どうしてここに?」
「ん〜、仕事で、よ。それにしても、体は平気?ん〜、っと」
おでこをくっつけて、体温をはかる叶さん。
―――あ、あわわ……!そ、そんなくっつけたら……!!
「熱はないようね。良かった……って、何顔赤くしてるの?」
「だ、だって……!」
「あ、緊張?ふふっ、可愛いんだから♪」
「か、からかわないでくださいよ!俺はもう……!!」
―――ガキじゃないんですから!!
なぜか、それが言えない。
言えるだろうか?
今の叶さんの行動程度で緊張する俺に……
「それで、その隣で寝てる子は彼女?」
「え……!?いや、違います!!全然、まったく!!」
「そ、そこまでリキ入れなくても……」
「……あれ?そういえば……俺、出雲のシャルティって……助けてくれたんですか?」
「あぁ……彼女、亡くなったわよ」
「え?!どうして!?」
確か、彼女はメシフィアが相手にしてたはず……。
ってことは、メシフィアが勝ったのか?
いや、それはない。
いくらメシフィアでも、勝てる相手じゃない。
「いい?よく聞いて」
「え?」
叶さんが真面目な顔をした。
こういうときの彼女は、絶対にふざけることを許さない。
たった2,3回しか会ってなくても、それがわかる。
だから……俺は――――
「彼女には、戦女神の魂が封印されているわ」
「戦女神……?」
「ま、有名どころで言えば、北欧神話のヴァルキュリアってところね」
「……なんすかそれ」
「あら?知らない?ダメね……勇敢な者の魂を集め、ヴァルハラへ導くオーディンに仕えると言われる……」
「はぁ……全然知りません」
「じゃぁ私も御託はやめて、と。とにかく、その子にはその魂が封印されているの」
「……じゃぁ、シャルティを倒したのって……」
「十中八九、そのヴァルキュリアよ。それにしても啓太君」
「はい?」
ゴツッ!
頭をどつかれた。
「な、なにを?」
「あなた弱すぎ。それでエトランジェやってたわけ?」
「し、仕方ないじゃないですか!……ってあれ?なんでエトランジェって……」
「仕事よ。それより……どうして?」
「え?」
「どうしてそんなに弱いの?」
「……だって、訓練しなかったし」
「ウソ。それだけじゃないの、私だってわかるわよ」
「………」
俺が弱い理由?
訓練しなくて、それだけじゃない?
じゃぁ……なに?
「知らないのか、知らないフリなのか、知らないフリしてる自分に気づいていないだけなのかは知らないけど、言わないなら言ってあげる」
「………」
「あなたは、瞬のお父さんにはあんなこと言っておいて、まだ戦いたくない」
「……」
「一度戦って、自分が汚れるのが怖い。そう、あなたは誰かを殺すのがイヤなんじゃない。殺して、殺人者のレッテルを貼られるのが怖いのよ」
「………」
俺の中に、確固とした気持ちが出来た。
それは、恐怖。
誰かを殺して、怖がられるのが怖い。
エトランジェとして、恐れられるのが怖い。
「ねぇ、どうして?私の最大の誤算よ」
「え?」
「あなたは、もっと強い子だと思ってた。でも、どうして?」
「……じゃぁ、俺に誰かを殺せって言うんですか」
「……そうよ。殺さなければ、犠牲を出さなければ………いけないこともある」
「そんなの俺はイヤです!!誰かを殺して、また奪われて……そんな繰り返し、何になるって言うんですか」
「殺すのがイヤなら、いますぐ殺されなさい。あなたがいると、みんなが惑うわ」
「え……?」
叶さんの顔は本気だった。
甘えを許さず、一片の優しさも含まない、厳しい一言。
「みんなも、殺さないように努力して殺される。何かを失ってから気づいても遅いのよ?」
「……それでも、俺は嫌です!」
「わからずや、意地っ張り」
「なんで殺すことを強要するんですか!」
「じゃぁ、私が殺されそうになっても、死に掛けても、あなたは私を殺そうとした人と和解するって言うのね?」
「……っ!」
言われて気づく。
たぶん、そんなの無理だ。
意地でも俺はその人を殺すか、傷つけようとするだろう。
実際
俺は、何度もキレて……殺しかけた。
「あなたの考えはわかる。でも、それはあなた1人の場合でしょ?」
「……」
「誰かを殺されて、その人を恨んでる人が、もし……そこの寝てる子だったらどうするの?それでも、あなたは復讐を止めろという?」
「……言います」
「それで、逆にあなたが殺されそうになっても?」
「誰かを殺すより何百倍もマシです!!なら叶さんは、その人を殺すのを手伝うんですか!?」
「そうね。もし、そのメシフィアって子が、自分の命にも勝るくらい大切なら」
「え……?」
「あなたの考えは、押し付けがましいの。いい?啓太君?」
「………」
―――人は誰でも、一つくらい、命より大切な何かを持ってる。
―――それを押しつぶさせてまで、殺さないことが大事なのかしら?
―――本当に大事なことは、その人が思った通りに生きて、後悔してないってことじゃないのかしら?
―――それを感じ取れないで、あなたは世界に何を広めたいと思ってるの?
―――それじゃ、誰一人として、あなたの考えに賛同してはくれないわよ
―――少なくとも私は、そんな押し付けがましい考えはゴメンだわ
「………」
「あ〜ぁ、私を目指して真っ直ぐ成長してくれたら良かったのに」
「え……?」
「そうすれば、私の仕事だってやりやすくなったんだけどね。ま、しょうがないか……」
「ど、どういうことですか?」
「あなたが、この事件に絡むことはわかってた。だから、あなたを使ってはやく仕事を終わらせようと思ったんだけど……言ったでしょ?誤算って」
「え……じゃぁ………」
ウソだ。
そんなことはない。
そんなこと……ないはずだ。
必死に否定する心と、どす黒い心とで、完全に別れた。
「あなたを私に惚れさせて、私の思った通りに動いてくれるように……って思ったのよ」
「そんな……」
俺の何かが崩れていく。
今まで、俺のほとんどを占めていた何か。
それが、物音も立てず、あっという間に消え去っていく。
ロウソクの火が消えるように……あっさりと。
虚しさが、一気に汗となって出てきた。
「じゃぁ……その指につけてるリングは……?」
「あぁ、これは恋人の。あなたのはあなたが去ったあと、川に捨てたわ」
「ウソだ……なんでそんな………」
「バカねぇ。私があなたなんて相手にするわけないでしょ?」
「……っ!」
「あ〜ぁ、すっごい無駄骨。どうしてくれんのよ?地道に仕事しろって言うの?やんなっちゃう」
「……俺は……俺はっ!ずっと……ずっと………っ!!」
目の前にいる女性。
それが、さっきまでとは全く違って見えた。
綺麗で惚れ惚れしていた顔は、今は悪魔のように見える。
虚しさが心の中から消えて、悲しみと後悔が溢れてくる。
「ずっと……あなたを追ってきました。もし、姉さんに会わなければ、きっとあなたの思った通りの人になっていたと思います」
「……ふぅん?」
「今の今まで、俺はずっとあなたが好きでした。もう一度だけでいいから会いたいって、数え切れないくらい神様にお願いしました」
「女々しいのね、随分と」
「会ったとき、『奇跡が起きたんだ……神様が叶えてくれたんだ……』そう思いました」
「……で?」
「………全部、全部……仕事のためだったんですか?」
「そうだけど?」
「俺のためを思って行動してくれたことは、本当に一度もないんですか?微塵も、あなたの心に俺はいなかったんですか?」
「………」
叶さんは黙った。
それがわかれば……もう、十分………。
「ありがとうございました……俺があなたを好きでいさせてくれて……。あなたのおかげで、俺はこんなになれました」
「………」
「それだけです……そう、言いたかった……それだけです………」
「ウソね。私がにくいでしょ?よくも利用したな!とか思ってるんでしょ?カッコつけなくていいのよ?」
「憎いわけ……ないじゃないですか……。ずっと好きだったんですから……今でも、これは夢だって思ってるくらいに……」
「……」
「どうりで甘すぎると思ったんです。ピンチに助けてくれて、そのあと心の支えになってくれるなんて。まだ一桁の年齢の俺に」
「………そうね、ちょっと怪しかったかしら」
「だから……今まで、ありがとうございました……それだけです……。しばらくメシフィアのことお願いします」
ハハ………
バカみたいだ。
1人で舞い上がって、1人で好きだって言って………
こんな時まで、相手に憎しみをぶつけられないんだから………
――――ホント……バカみてぇ………
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「いつまで寝たフリしてるつもり?」
「………」
むくり、と私は体を起こす。
あれだけ大声を出されれば、誰だって起きる。
聞いていて……今にも、腹が煮えくり返りそうだ。
「何?文句あるのかしら?」
「文句どころじゃない……彼が恨み言の一つでも言っていれば、斬り殺すところだ」
「へぇ?」
「お前は……最低だ」
あくまで私を見ない叶。
背中を向けたまま、まるで拒絶するような雰囲気を出す。
それが、もっと許せない。
「あれだけ酷いことを言っておきながら、何かを言われるのはイヤか!」
「……」
「お前は知らないだろうがな……っ!あいつは、あいつはっ!!ずっと……ずっと……!!」
私は知ってる。
彼が、どれだけこの女性を想っていたか。
どれだけ好きで、どれだけ憧れていたか!!
「それをお前というヤツは……っ!!!何が仕事だ……何が誤算だ!!」
「………」
いつもいつも、彼の心の中には彼女がいた。
目の前の彼女が、ずっといたのに……!!
―――俺、ずっと追いかけてる人がいてさ………
―――彼女を探すために、生きなきゃいけないんだ………
「お前のために、お前を見つけるために……っ!さっきの言葉を言うためだけに、あいつはどんな苦労だって耐えてきたんだぞ!!」
「知ったことじゃないわ」
「そんな言い草があるか!!あいつはバカさ!たったあれだけを言うためにお前に会おうとして、私の親友だって助けてくれて……」
「………」
「そんなバカが、お前に会ってあれだけ喜んで!!少しでいいから気持ちを汲んでやろうって、なんで思わない!?」
「知らないわよ。こっちは何年もまってあげたんだから、こっちこそ気持ちを汲んでほしいものね」
「ゲスが……っ!!もう知るか!!」
私は飛び出した。
こんな女と話しても仕方ない。
それより、彼を探さなければ……
何を言えばいいかなんてわからない。
でも、何か言ってやりたい。
私だって……気持ちを汲めたらよかったのよ………
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「はぁ……はぁ……いた……」
川辺で、1人座っている。
夜の川辺で、川に浮かんだ月の姿を眺めている。
「ケイタ……」
「メシフィアか……はは、バカだね、俺」
「え?」
「また……あの人が来てくれるんじゃないか?って、ここで待ってるんだぜ?ホントバカだよ……俺」
「……」
違う。
最低なのはあの女だ。
「だが、今回のことは……」
「叶さんの悪口は言うなよ?」
「っ!でも……」
「違うよ」
「え?」
「違うんだ」
彼は違う、と繰り返す。
何を否定しているのか、皆目検討がつかない。
「あれが、叶さんの本心でないことくらい、わかる」
「なに……?」
「だけど、俺の気持ちには応えられない。それは変わらない。だから、初恋の人として未練がましく残らないように、あんな酷いフラれ方を演出してくれたんだ」
「そんな……」
それは違う。
アイツは、仕事のためだけにお前に近づいて………
なんでそこまでアイツを信じられる?
「ただ、さ……フラれたって、悔しいんだよな……へへ……」
「……」
なんて悲しい顔だろう。
必死に何かに耐えながら、笑顔を作る彼の顔。
長年培ってきた想いだからこそ、その喪失感は果てしない。
いつも気張っている顔が剥がれ落ち、彼の心の弱い部分がさらけ出される。
すごく、可哀想だ……。
「ケイタ……どうすればいい?」
「え……?」
「どうすれば、お前は素直に悲しめるんだ?」
「……」
「私は、ずっとお前に助けられてきた……最初の、出会ったときから………」
「………」
「お前はバカだ。だけど……そういう所は、嫌いじゃない。だから―――」
「お前の……支えになりたい。お前のしたいようにしていいから……」
「……黙っててくれないか?」
「え?」
「……これから見る光景、全部……ずっと、黙って……しまっててくれないか……?」
「………ああ」
「……ぐっあ…ちくしょぅ………っ!!ちくしょぅ……!!ちくしょぅ………ッッ!!!」
「………」
こんな所でも、声を押さえつけて泣く彼。
思い切り泣いていいのに……
泣ける人だから……彼は優しいんだから………
「泣いて泣いて泣いてしまえばいい。悲しみの涙が枯れれば、きっとまた…………」
「くそぅ……っ!!ぅあぁあぁぁッッ!!!ちくしょうぅっ!!!!」
何度も何度も地面を殴る彼。
大粒の涙を地面に落とし、それでも押さえつけられない何かを声に出して吐き出す。
ゆっくりと、刺激しないように彼を抱きしめる。
「………」
彼の体温と、爽やかな少年らしい匂い。
とても温かくて……こんな彼がずっと傍にいたのに、それにさえ気づけなかった自分を責めた。
本当に孤独だったのは、彼だったのかもしれない、と……今更気づいた。
今、彼に優しくするのは卑怯なのかもしれない。
でも……もう、決めたから。
二度と彼を泣かせはしない。
二度と、彼を悲しませない。
――――彼を護ってみせる。
彼を抱きしめながら、私はひそかにそう決意した………。