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※注意 今回も聖ヨト語と日本語の二ヶ国語でお話は展開します。特に会話文で聖ヨト語は白色、日本語はレモン色で色分けされますので気に留めていただければ幸いです。
あっという間に冬休みも過ぎ、物語の暦は2009年の1月。
私立浅見ヶ丘学園も今日から授業が始まるということで、休み惚けの抜けない生徒たちは普段よりゆったりと登校していた。
餅を何個食っただとか、正月番組のあれが面白かっただとか、年末は海外で過ごしたとか、冬休みの話に花を咲かせながら校門をくぐる生徒たち。
そんな弛緩した気分を引き締めようと、新年早々生活指導の教師が校門の前で目を光らせていた。
自由が校風の中高一貫校といっても規則は規則、違反者への指導は手を抜かない。
といってもこのマンモス学校の広い校門に教師一人は少なすぎて、人ごみに紛れてしまえばいくらでも誤魔化しは利くのだが。
休みの間に少しだけオシャレになった一部の生徒への指導も終わり、時間は後5分で始業のチャイムが鳴るというところ。
もう登校してくる生徒はいないだろう、そう思った生活指導の教師が校門に手を掛けると、それを遮って聞こえるバカみたいに大きな声。
「あぁ先生! ちょっとタンマ!」
学校の前に伸びる一本道に目を向けると、人通りの絶えた道を土煙でも上げる勢いでやってくるつんつん頭の爆走2人組。
そんな声は一切無視して神経を集中させるべきは始業のチャイムの音。
鐘の電子音が聞こえた瞬間、無慈悲にこの冷たい鉄の門を閉ざせばいいだけなのだ。
「あぁもう! なんだって新年早々マラソンなんかしなきゃいけないのよ! それもこれもぜぇ〜んぶ悠のせいだからね!」
「そんな事、言ったって、今日は、いつもより、早く、出てきたぞ……」
「家が遠くなったんだからあったりまえでしょうがっ!」
「今日ちゃんそんなに叩くと! お兄ちゃんの口から泡が!」
「そんなもん垂れ流しにさせときゃいいの! 今は遅刻回避が最優先! 人命は二の次!」
いや、ゴール前残り1ハロンで一杯なのにジョッキーではなく調教師にケツを鞭で引っ叩かれてるサラブレッドを見ると思わず同情しちゃいそうになるけどこれも職務って事で。
三人のうち二人はこの学園の問題児にして現罰掃除の最有力候補。
遅刻か否かこの教師と水際の攻防戦を繰り広げたのも100や200では効かないだろう。
それはそれとして、声の届く範囲までやって来た所で生活指導の本分を果たす必要がある。
聞く聞かない(絶対に聞かないだろうが)に関わらず一応は。
「コラおまえら! もっと余裕を持って登校しろっていつも言ってるだろ!」
「間に合ってるんだからそんな事言いっこなし!」
教師の脇をすり抜けてトップスピードを維持しつつそのままゴールイン。
タイムは当然今年の暫定1位。
陸上部スーパーホープの脚力は今年も健在である。
まだまだ元気元気な今日子と反対に、悠人は必死に息を整え、佳織は心配そうにその顔を覗き込んでいた。
「それに先生、アタシたちだって少しは進歩してますよ」
「あ?」
まだ呼吸の整わない悠人を引きずって行く今日子。
ぺこりと一礼してその後を追う佳織に手だけで答えて時計を見てみる。
……なるほど、いつもは秒単位の戦いを繰り広げていたのが今日は1分“も”時間がある。
進歩といえば進歩だろう。
悲しいぐらいに小さな一歩だが
さて、最後尾も無事遅刻せずに済んだので門を締める。
腐ってもここは名門学園、遅刻してくる生徒はあれを除けば皆無なのだが、規則と防犯上の理由で。
気にかかる事といえば、いつもは4人組の悠人たちが今日は3人だった事だが、これは問題無いだろう。
残りの一人――碧光陰はあの二人とは比べるのも気の毒なぐらい成績優秀で素行も良いのだ(噂では女子の嗜好に致命的な欠陥があるらしいが学校側の知った事ではない)。
軽く伸びをして朝の空気を肺に吸い込み、続いて始まる教師の仕事への英気を養う。
そして生徒指導の教師――悠人達の担任は職員室へ向かうのだった。
ハイペリアにやってきました
written by DU-JO
「だけどホントに冬休みって短いわね。昨日クリスマスだと思ったらあっという間に学校始まってるし」
「……ああ。大掃除もやったし初詣にも行ったはずなんだけど記憶に残ってない。なんでだろうな?」
中庭で中等部へ行く佳織と分かれて高等部の校舎へ。
遠まわしにここには居ない誰かにプレッシャーをかける会話をしながら教室へ入る。
「みんなオィ〜ッス! 休みの間元気にしてたかね……ってあれ?」
新年初日の教室は閑散としていた。
もうすぐ朝のSHRが始まる時間だというのに、空席が10近くある。
今日子の挨拶に答える声もまばらだ。
「なんだよ、こんなに人がいないなら急いで来る必要なかったじゃないか……」
「んなわけないっての。今度遅刻したら問答無用で来期も罰掃除だっての」
あくびを噛み殺している悠人としては冬休みの間は天国だった。
お日様が高く昇った頃、ファーレーンに布団を揺すられてゆるゆると起き出す。
寝惚け眼のままぼぉ〜っとしていると、ニムントールの少々キツイ目覚めのすね蹴り。
洋室から和室へと向かうにしたがって匂いの強くなる味噌汁の香り。
佳織にハイペリアの料理を教わったエスペリア、セリア、オルファが作った朝食だ。
アセリア、ウルカも料理の手伝いをしながら少しずつ腕を上げている。
朝食を食べ終わった後は、主にレスティーナと時深が提案して街の散策に出かける。
あまり遠くには出かけられないけど、それでもネリー、シアー、ヘリオンを筆頭にとても喜んでくれていた。
時々ハメを外し過ぎて迷子になる者もいたが、ヒミカ、ハリオン、ナナルゥが協力して探してくれる。
バイトも休みをもらっていたから行かなくてもいい、そんな生活だった。
グッバイ夢の冬休み、こんにちは現実……。
しかしそんな悠人の生活の糧になった人物も確かにいる訳で。
「……悠人に今日子か……。おはよう……」
それがこの碧光陰で。
辛うじて顔を二人の方に向け挨拶した後、そのままコテンと机に突っ伏してしまう。
焼き魚のような目の下には真っ黒なくまが浮かび、不精髭の無くなった顔は死相が浮かんでいた。
「ちょっとどうしたの? 顔色悪いわよ」
「……なに、ちょっと世俗の荒行に揉まれただけさ。労働基準法とかこどもの権利条約に真っ向から喧嘩売るような修業をな……」
「?」
常に生気の溢れていた光陰はもうそこにはいない。
いるのは他人からの施しで生きる坊主ではなく、生きる為に身を削る労働者が一人だけ。
ただ悠人だけは光陰の気持ちを理解していた。
「……もしかして冬休みの間ずっと……?」
「あぁ。だが心配するな悠人。オルファちゃんたちの為ならこの身体、惜しくは無い……!」
存在自体すっかり忘れてましたとは口が裂けても言えない。
実はハイペリア慰安旅行最大の功労者はこの光陰なのかもしれない。
「……あ〜何て言って良いか分かんないけど……とりあえずゴメン。今日からは俺も行くから」
「……スマン。そうしてくれると助かる……」
「ねぇ二人とも、何の話?」
「今日子には恐らく一生縁の無い話だよ」
身内に厳しく、接客態度は優しくがモットーのあの人の恐ろしさは働いてみないと分からないのだ。
時々部活の備品を買ってくれるお得意様に対しては絶対尻尾を出さないだろう。
やがてチャイムが鳴ってSHRの時間が来たが、一向に担任の来る気配は無い。
担任が来なければ誰も席に着く訳はなく、教室中は冬休み中の出来事を話す雑談の場と化していた。
それでも全員が心得たもので、隣の教室の教師が怒鳴り込んで来ない程度に声は潜めていたが。
チャイムが鳴って5分ほどして、一人の女生徒が教室に入って来て教卓の前に立つ。
檀上に立っても悠人に届くか届かないか、そのぐらい小柄な少女だ。
目がぱっちりとしていて髪はストレートの長髪。
それを肩辺りで黄色いリボンでまとめているのでより幼く見えた。
まさか1時間目は自習なのでは? そんな期待の篭ったクラス内の視線を受けて、女生徒は意地の悪い笑みを浮かべた。
「センセからの伝言や。「もう少ししたら行くから、ちゃんと席に着いて自習してろ」だそうや。残念やったなぁ」
生徒たちの不満の声をものともせず、さっさと自分の席――ちょうど光陰の隣だ――に座ってしまう。
教室の中は未だざわついたままだ。
担任からの連絡事項を聞いてくるということはクラスを纏める役に就いているのだろうが、彼女に教室内を静めようという気はさらさら無い。
「おっはよ〜風梨。朝っぱらからお仕事ごくろう」
「おはよう、ついでに明けましておめでとさん。そう思うなら席に着いて自習でもしてくれると助かるんやけど」
「まっさか。アタシが好き好んで勉強なんかするワケないじゃない」
「ま、そらそやな。ウチも初めから期待してへんわ」
軽く冗談を交えつつそのまま雑談に入る二人。
女生徒は悠人と光陰の存在など初めからスルーである。
「……なぁ光陰、うちのクラスにあんな娘いたか?」
「いたかって、お前なぁ……。どれだけお前の友好関係が狭いかよ〜く分かったぞ。悠人って学校に俺と今日子以外で友達いないだろ?」
「な! んなことあるか! 俺だって友達の一人や二人……」
言いながら頭の中を検索してみて……悲しくなってきた。
知り合いは少なからずいる、いるけど一緒に遊びに行ったりするかといえば否だ。
休日にばったり会っても十中八九挨拶すらしない、その程度の関係だ。
「……いるんだ。俺だって一人や二人絶対に……」
「悪かった! そうだよな、お前はバイトが忙しくて友達なんか作る暇無かったもんな! それにエロゲーの主人公は男友達少ないのが普通だよな! それで縁野の話だったな!」
ずーんと落ち込んでいる悠人へのフォローと、ついでに話題の転換をする光陰。
この辺りは自己嫌悪癖のある悠人の親友として慣れたものだ。
「本名縁野風梨。うちのクラスのクラス長であだ名は『プリン』。見ての通りちびっこいが俺たちと同い年の高校二年生で関西出身者。んで特筆事項としては……」
そこで声を忍ばせて悠人を近くに呼び寄せる。
急に元気になった光陰を訝しがりながらも耳を近づけた。
「『プリン』のあだ名が示すとおりその身長に不釣合いなほどの巨乳だ」
「なんだそりゃ……」
「呆れるのはまだ早いぞ。俺の見立てでは彼女のバストは81〜82、エスペリア、ハリオン、ナナルゥクラスの巨乳ちゃんだ。トップとアンダーの差を測ればきっとナンバーワンに違いない」
「隣の席でそんなとこばっかり見てたのかよ……」
口ではそう言いつつも悠人はちらりと横を盗み見てしまう。
未だおしゃべりに興じている風梨だが、その相手である今日子とは揺れ方が違う。
笑った時の今日子の揺れ方を「ぷる」とするならば風梨の揺れ方は「ぷるるん!」である。
レベルが二つか三つほども違う。
「バカにするな悠人。彼女は完全に俺の守備範囲外だ。童顔で巨乳はロリッ娘とは認めん!」
「お、おい光陰、声がデカイって……」
先ほどまでの眠そうな顔は何処へやら、常人には無いスイッチが入ってしまった。
徹夜明けの光陰は潜在的にはナチュラルハイだったのだ。
「悠人に分かるか! これまで背格好で喜び、胸を見てションボリした女の子の多いこと! 胸なんて飾りだ! お前にはそれが分からんのだよ!!」
「……知らねーよ。分かりたくも無い」
そういえば、と思い当たる節がある。
ファンタズマゴリアから気になってはいたのだが、光陰はナナルゥとニムントールには全くちょっかいをかけないのだ。
ナナルゥはともかくスピリットの中で最年少であるニムントールに手を出さないのは明らかにおかしい。
以前まではあのキツイ性格を敬遠しての事だと思っていたが……これでハッキリした。
コイツ、モノホンのペド野郎だ……。
「重力に引かれ垂れ下がった乳をこの碧光陰が粛正しようというのだ! ジィィィィィク ロリッ娘ォ! ハイィィィィィィル貧乳ゥ! つるぺたマンセーーーーーッ!!」
「……危ないぞ」
とりあえず悠人は光陰から離れる事5メートル、被害から逃れる最低距離だ。
今日子は何処から取り出したのか、いつもより2倍ほども大きいハリセンの素振りに余念が無い。
一方の風梨はコメカミをヒクつかせながら助走距離を取っていた。
一応義理で警告はしておくがトリップした光陰は当分こっちの世界に戻って来そうに無い。
ならばと言う事で見よう見まねの念仏――ナンマイダブしか言って無いが――を唱えてやる。
今日子の準備が終わったのを確認して、風梨は十二分に加速――重力の枷を解き放ち斜め上方に飛び上がる――必要なのは飛距離では無く破壊力、詰まるところ質量と速度――質量不足は速度で補えば問題ない。
狙いは光陰の重心である腰――得た力を正確に伝え対象を転ばせる事なく加速させる。
「ウチが聞いてないと思うたら大間違いやで!!」
要するに身体を張ったドロップキック。
蹴り飛ばされた光陰は一直線に吹き飛んで行く。
その先には今日子が待ち構えていた。
半身になった今日子は左足を上に持ち上げてタイミングを図る――重心を後ろに下げて身体を限界まで捻り力を蓄える。
スイングの基本はあくまでも腰――力んで腕の力に頼るのではなく腰の回転、重心の移動、インパクトの瞬間の踏ん張り、手首の返しで溜め込んだ力をロス無くハリセンのスイングスピードに変換する。
「煩悩 退・散ッ!!」
ぶっちゃけ豪快な一本足打法。
この場にメジャーのスカウトがいればゴジラを超える超大物助っ人が誕生していただろう。
厚紙で作ったハリセンでは絶対に出ない轟音を響かせ、断末魔の叫びを上げる間も無く光陰は盛大に机を巻き込みながら教室の反対側まで飛ばされていった。
「悪は絶対に滅びるんや。高嶺クンもよう覚えとき」
「は、はぁ……」
風梨は飛び蹴りの際に乱れたリボンを結び直してフンと鼻を鳴らす。
ちなみに助走する時にこれでもかというほど乳が揺れていた。
あだ名に嘘偽り無しである。
「あ、そやそや。忘れる前に言うとくわ。帰りに練習の成果見せてもらうさかい、帰らんと待っとってな」
「……成果?」
何か非常に大事な事を思い出しそうな気がする。
しかし一方で本能が思う出すなと警告を発している。
その情報は高嶺悠人に不利益しかもたらさない、即刻完全消去すべきだ、そう訴えかけている。
「……高嶺クン、ウチが冬休み前に言った事、覚えとる?」
「な、何か言ってたっけ……?」
「ドアホッ! 休みの間に台詞を完璧にしてこい言うたやろ! それとも何や、高嶺クンの頭は鳥頭か!?」
ちっこい身体と幼い顔でどうにか凄んで見せるのだが全然恐くない。
むしろここに来てようやく2年前の記憶と現在の記憶が繋がりつつある。
そういえばコイツが演劇の台本書いた総監督で、初日の顔合わせの時に挨拶してたな、とか割と重要な事を。
「本番まで一週間やで!? 事の重大さが全く分かってないやろ!? たかが学園祭のクラスの出し物やと思ったら大間違いやぞッ!!」
「悠は知らないと思うけど、高等部の学園祭って毎年すごい盛り上がりなの。それこそ遠くからわざわざ人が集まってくるぐらい」
「ウチらのクラスはわざわざ体育館借り切ってやるぐらいやから、さぞ注目されとるやろなぁ。半端な演技や許されへんで」
「……え?」
今日子と風梨の説明にさぁ〜っと血の気が引いていく。
体育館を借り切る、それは即ち佳織たち吹奏楽部の演奏会と同程度、もしくはそれ以上の客が入る事になる。
ペンギンのように手をパタパタと動かしていた佳織の姿が明日の自分というわけだ。
「絶対無理! そんな事聞いて無いぞ! 詐欺だ、弁護士を呼べ!」
「もう決まった事だっての。今さら変更なんかできるわけないっしょ」
「その事なんやけどな、ちょびっとだけ問題があってな……」
「俺は嫌だぁーーーー!! 絶対にやりたくない!!」
「問題って何が?」
「……ま、それについては放課後にでも話すわ。今は席に着き」
ドアが勢いよく開き、多少息を切らした一時間目の数学教師――悠人のクラスの担任が教室へ入ってくる。
担任が注意する声にせき立てられ、席を離れていた生徒達はぞろぞろと席に着く。
喚いていた悠人も担任の鶴の一声でピタリと黙り、すごすごと自分の席に戻っていく。
簡単な出席を取った後、遅れた理由も話さないまま授業が始まった。
結局クラス内には空席が目立っていた。
◆
「……と、言う訳でハイペリアにはこのような習慣があるのです。同じような考え方に「妻は三歩下がって影踏まず」や「女性は家庭を守るもの」といったものもあります。もっとも今は男女平等ということで、こういう習慣は無くなりつつありますけどね。分かりましたか?」
所変わってここはスピリットの館ハイペリア出張所。
離れの板張りの床には机が整然と並べられている。
そこに生徒役のアセリアたちが正座し、先生役である時深が上座に立って授業を行う。
やっている事は日本語を教え、ハイペリアの文化を学ぼうという趣旨のものだ。
悠人たち4人がファンタズマゴリアで一番苦労した事、それは戦闘では無く意思の疎通であった。
特に初めの一ヶ月は食事のお礼一つ伝えるにも事欠く有様だった。
言葉で自分の意思を伝える大切さ、それは言葉の通じない国へ行って初めて痛感するものだ。
身振り手振りでも大体の意思を伝える事は出来る、しかし言葉でしか通じないものも確かに存在するのである。
だから出かけない日はこうやって午前中は日本語の勉強、午後はハイペリアの文化の理解に時間を費やしているのだった。
「では休憩にしましょう。10分後に再開します」
時深のその言葉で緊張していた離れの雰囲気がふっと緩む。
レスティーナもスピリットたちも時深の言葉を一語たりとも聞き逃さぬよう真剣に授業を受けている。
だから始めてから10日あまりで既に多くの日本語が理解できるまでに進歩していた。
休憩時間に入り、各自が思い思いの格好で凝った身体を解している中、ヘリオンだけは机にへたり込んで必死に何かに耐えていた。
隣で授業を受けていたヒミカがそれに気づく。
「どうしたのヘリオン? 小刻みに震えてるけど寒いの?」
「い、いえ……その……おトイレに行きたいんですけど……足が痺れて……」
「……しょうがないわねぇ。ほら、手を貸して」
ヘリオンの腕を掴み片手で軽々と引っ張り上げる。
神剣の力を使わずともこのぐらいは朝飯前である。
「じゃ、行ってらっしゃい」
「あ、あの……どうも歩けないみたいです……」
かくかくと震えている足は膝に手を置いてなければ今にも倒れそうだ。
ヒミカはヘリオンの名誉を傷つけぬよう全員の視線――特にネリシア姉妹、オルファが見て無い事を確認して、そっと肩を貸して離れから連れ出した。
「あ、あのヒミカさん、先に帰らないでくださいよぉ……」
「分かってるから早く済ませちゃいなさいって」
トイレのドアの前で待つヒミカはため息の一つでもつきたくなる気分だった。
真昼間の明るい時間帯なのに一人で用も足せないヘリオン・ブラックスピリット。
本人曰く穴の底が真っ暗で見えない(この屋敷のトイレは昔ながらの和式汲み取り便所だったりする)から恐いそうだが――仮にも夜と月の加護を受けたブラックスピリットなら暗闇を恐れないで欲しいものだ。
「だってもしもですよ! もし穴から「赤い紙が欲しいか〜? それとも青い紙が欲しいか〜?」なんて聞こえてきたらどうするんですか!?」
「襲い掛かって来たなら斬ればいいんじゃない?」
「そんなの無理ですよぉ! 幽霊さんに呪い殺されちゃいます!」
確かトイレの穴からその声が聞こえてきて、赤い紙と答えると全身血だらけになって死ぬ、青い紙と答えると全身の血を抜き取られる、だったか。
悠人が以前教えてくれたハイペリアに伝わる怪談だそうだ。
その話をされた時は面白がる者と信じてない者が半々だった――当然ヒミカは後者だが。
真に受けていたのは佳織とこのヘリオンと――あとレスティーナ。
レスティーナは口では「信じてない」だの「非現実的だ」と言いながらも、その後トイレに行くのにセリアに付いてもらっていたのを目撃されている。
質実剛健、見えるもの以外は信じなさそうなレスティーナ女王の意外な弱点見たり、といった感じである。
ヒミカが手持ち無沙汰になってそんな事を考えていると、廊下の突き当たりのT字路を玄関の方に駆けていくピンク色のうさぎ帽子を被った赤髪の女の子――オルファだ。
佳織が被っているのと色違いのあの帽子、去年のクリスマスにサンタから貰ったプレゼントである。
いたく気に入ったオルファはあの帽子に『タラコ』(ナポリたんと同じくスパゲティの種類らしい)と名づけて内外構わず四六時中被っているというわけだ。
他にもネリーが被っている水色の『ペペロ』、シアーが被っている黄緑色の『カルボ』がある。
「パパおかえりっ!」
玄関の方から聞こえる元気一杯の声。
オルファがパパと呼ぶ人物をヒミカはひとりしか知らない。
「ねぇヘリオン、ユートさまが帰って来たみたいよ。お迎えに行かないと」
「え!? あわわわ! ちょ、ちょっと待って下さい!」
急にどたばたと扉が外れそうな勢いで揺れるトイレ。
何やら玄関の方が騒がしく、聞き覚えの無い声――それも女性の――が聞こえる。
悠人の友好関係に口出しする訳では無いが、何となく面白くない。
急がなければ。
「お、お待たせしました! さ、早く行きましょう!」
「……とりあえず、手を洗ってから行きましょう」
「あ……」
駆け足体勢のヘリオンにヒミカの冷静なツッコミ。
相変わらずヘリオンは悠人の事になると周りが見えなくなるのだ。
◆
屋敷に向かう悠人の足取りは重かった。
このままいっそ帰らずバイト先のコンビニに直行しようかと思うほどに。
しかし今の時間帯は確実に店長がいるだろう。
屋敷に帰るかコンビニに向かうか――屋敷に帰る道を選んだ以上、牛歩戦術を取った所で北風が身に染みるだけだ。
足取りは重いが確実に屋敷へと向かっている、精神と身体のアンバランスが起こっていた。
同じ穴のムジナである今日子は部活で欠席、光陰は授業が終わって即自宅へ帰ってしまった。
結局の所この事態を打開するには独力しか無い訳だ。
「なぁ高嶺クン、今日はエライ寒いなぁ」
悠人の後ろでダッフルコートの裾をすり合わせて震えている女生徒がいる気がするが完全無視。
屋敷への道をひた歩く。
「高嶺クンの家はこっから遠いんか? このままだとウチ凍えてしまいそやわ」
無視ったら無視。
「なぁなぁ」
歩くったらただ歩くのみなのだ。
「無視するなやアホっ!」
無視はしていたが背後への警戒は怠っていなかったので、ひょいと横にずれて飛び蹴りを避ける。
勢い余ってたたらを踏んだちっこい女生徒――風梨はそのまま悠人の前に立ち塞がった。
「五月蝿いなぁ。だいたいなんで縁野が付いて来るんだよ? 本読みぐらいひとりで出来るだろ?」
「高嶺クンひとりやと絶対にやらんからウチが監視するんや! さっきでも全く覚えてへんやったやないか!」
「……これから覚えれば良い事だろ?」
「台詞覚えるんは最低条件や! それに加えて台詞の強弱も動きも覚えにゃならんのやで? ホンマのギリギリだって事分かってないやろ?」
「駄目だったら他のヤツに代わってもらえばいいさ」
「高嶺クン! ちょっと待ちぃや!」
脇を通り過ぎて歩き始める悠人を風梨は慌てて追いかける。
悠人としてはこの少女があまり好きではなかった。
少しずつ外堀を埋めながら距離を縮め、段々と親しくなっていくのではなく、いきなり堀を飛び越えてこっちの心に踏み入ろうとするタイプの人間。
無意識に人との壁を作ろうとする悠人にとって、風梨のようなタイプは出来れば関わりたく無い人種であった。
だから態度も自然冷たいものになってしまう。
そうやってぞんざいに扱われて、大半の人物は悠人と友達になるのを諦めてしまう。
それでもめげずに悠人に纏わりついて振り回したのが今日子と光陰――悠人にとって親友と呼べる存在というわけだ。
「第一、やるかどうか分かんないんだろ? そんなものに時間使ってる暇なんて俺には無いよ」
「それはそうやけど……。でもせっかくの学園祭なんやで? ここまで準備したならもったいないやないか」
放課後に風梨からされた話、それは朝方話していた“問題”であり、教室で空席が目立っていた理由でもあった。
一言で言ってしまえば――役者の大半が病欠したのだ。
悠人がアセリア達とよろしくやっていた冬休みの間、演劇で役を与えられた者はちゃんと練習をしていた。
年が明けて冬休み最後の練習という時、一人の生徒が風邪をおして出てきて、それが練習中の生徒に蔓延してしまった。
しかもその風邪、ただの風邪ではなくインフルエンザだったりする。
役者で生き残っているのは練習に参加しなかった悠人、その日たまたま部活で休んでいた今日子、バイトで忙しかった光陰、そして数人の脇役だけである。
演劇は中止になるかも知れないと聞かされて、悠人のやる気は大暴落していた。
「なんや、えらいゴッツイ家やなぁ。もしかして高嶺クンて金持ちなん?」
「ただの借家。俺の家庭事情は知ってるだろ?」
「……そやな。軽はずみな発言だったわ。堪忍な」
「別に気にして無いからいい」
それでもこの高嶺悠人、特に女の子に対して冷たくし切れない性質なのか、屋敷に着く頃にはだいぶ態度を軟化させていたりする。
そんな所が悠人の良い所であり、女性陣をやきもきさせる所ではあるのだが。
「ただいまぁ〜」
「パパおかえりっ!」
玄関を開けた瞬間、大きなピンク色のうさぎが悠人の胸に飛び込んできた。
自ら選んで買ってきた帽子だから間違えるはずもない。
「オルファ、ちゃんとエスペリアたちの言う事聞いて良い子にしてたか?」
「もっちろん! オルファはいつも良い子だよ!」
うさぎ帽子越しに頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めるが、それとは別の意味で後ろの風梨の目は細くなっていた。
「……高嶺クン、ウチの耳が腐ってなきゃ、『パパ』って聞こえたんやけど?」
オルファを撫でていた手がぴたりと止まる。
つい条件反射的に動いてしまったが、今日は事情を知らない一般ピーポーが混じっているのだ。
「いや、だからこれはオルファの言葉のアヤってやつで!」
オルファを床に下ろして弁解するのだが、もう扉側に風梨の姿は無い。
膝を曲げてオルファと目を合わせ、ゆっくりと聞き取れる速さの日本語で質問する。
この風梨、さすがクラス長を任されるだけあって成績優秀で聡明なのだ。
オルファの容姿を一目見て日本人で無いと判断し、悠人とのやり取りで多少の日本語力があると推測していた。
「高嶺クンと、オルファちゃんは、どういう、関係ですか?」
「え〜っと……パパは、オルファの、パパです」
ニュアンスも関西混じりではなく標準語に合わせて問いかけると、たどたどしいが確かに聞き取れる日本語が返って来た。
「良くできたなぁ。エライエライ」
「えへへ……」
にっこりと笑った風梨は頭を撫でるとオルファは満面の笑みで答えた。
風梨は笑顔そのままに悠人の方へ振り返る。
しかしその笑顔の質は180度異なっていた。
「オルファちゃんはこう言ってるようやけど?」
「だからそれはオルファが好きで言ってる事で俺とオルファの間に血の繋がりは!」
「男はみんなそう言うんやこの外道! 汚い手で触らんでくれるか! ウチまでニンシンしたら大変や!」
まるで一度男に捨てられたような事があるような台詞だ。
そんな経験はもちろん無く、多分にドラマの受け売りである。
「なぁオルファちゃん、ママは誰なん?」
「う〜ん……」
多少変な語尾だったがオルファはちゃんと言葉の意味を掴む事ができた。
ママ、というのは女性の方の親という意味だ。
スピリット共通の親という意味では永遠神剣『再生』だが、ママというのは少しニュアンスが違う気がする。
う〜んとオルファが唸っていると廊下の奥からパタパタとスリッパの音。
一向に玄関から戻ってこない事を心配してエスペリアが見に来たのだった。
「オルファの、ママは、エスペリア、です」
エスペリアを指差し自信を持って答える。
確かにオルファの母という意味では一番近いだろう。
「ほぉ〜……」
「絶対オマエ何か勘違いしてるだろ!?」
「いや、エエんやで隠さんでも。ウチも高嶺クンの家庭の事情は知っとるつもりや。そうやな、学も徳も無い高嶺クンがまともな仕事に付けるワケあらへんかったな。妹さんを養う為になりふり構ってられへんわな。高嶺くんのバイト先がホストクラブで、エスペリアさんのヒモになっててもウチはアンタを責めれへん。アンタが売りに出来るのはその青い果実だけやもんな。ただ無計画に夜の生活に励むのは高嶺クンの罪悪感を強めるだけで……」
「だから違うって言ってるだろ! オルファもエスペリアも日本にホームステイ中の外国人で!」
「あ〜分かった分かった。冗談やからそんな興奮せんでも」
「あのユートさま、私がオルファのママってどういう事でしょうか? それでその……ユートさまがパパという事は私とユートさまはそのふ、夫婦って事に……(真っ赤っか)」
「??」
勝手にシナリオ作って勝手に納得している風梨とか、それを正そうとする悠人とか、真っ赤になって照れてるエスペリアとか、状況が把握できていないオルファで玄関は大混乱。
既に収集がつかなくなっていた。
悪い事は重なるもので、ヒミカ、ヘリオンが玄関にやってきたのはちょうどその時だった。
悠人とエスペリアとオルファともうひとり見かけない顔――あれが友達なのだろう。
しかも悠人はその友達に構うのに一生懸命でヒミカ、ヘリオンには気づきもしない。
何となく面白くない。
悠人をこちらに注目させるには――そうだ、今日習った“あれ”をやってみよう。
上手く出来るか分からないけど、きっと悠人は喜んでくれるはずだ。
本式に乗っ取るのならばファンタズマゴリアで使っていた作業着か、または“カッポウギ”なるものに着替える必要があるらしいが、あいにく着替えている時間は無い。
ヒミカが膝を折って座る――正座するのを見て何をやるか察したオルファ、ヘリオンは同じように座る。
人差し指、中指、薬指――三つ指を付いた姿勢のまま悠人を見上げて、そして。
「「「お帰りなさいませ、御主人さま」」」
床に頭が付くすれすれまで腰を折る。
首だけを曲げるのではなく、背筋をピンと伸ばした和式作法に乗っ取った美しい座礼だった。
「お食事にしますか?」
まずヒミカが口火を切り。
「先にお風呂にいたしますか?」
その後にオルファが続け。
「それともわ・た・し?」
最後にヘリオンが締める。
特に最後の台詞、あれははにかみながら言うのがポイントだそうな。
相当練習したのか、実に流暢な日本語であった。
これも大和撫子、倉橋時深の授業の賜物だ。
過去の忌まわしき思い出が甦る。
一度目はファンタズマゴリア。マロリガン共和国攻略戦の後、確か今日子がアセリアたちと初顔合わせしたとき。
二度目はハイペリア。クリスマスの時に同じく玄関で。
同じ過ちを繰り返すのは人の性なのか?
進歩が無いのは自分のせいなのか?
これから起こる惨事をまるで他人事のように見つめている悠人の姿があった。
「言っても無駄だと思うけど……全部縁野の勘違いだからな」
「こ、こ、こ……こぉの鬼畜がぁーーーーーっ!! いっぺん真面目に死んどきっ!!!」
「パパすっごーい! 鳥さんみたいに飛んでるよ」
「あの……止めなくていいんですか?」
「キョウコさまが言ってたわ。ああいうのはハイペリアでは当たり前の挨拶なんだって」
「そうなんですか? じゃ、わたしが言ったあの最後の台詞って、どういう意味なんでしょうかね?」
「さぁ? 多分「お帰りなさい」の丁寧な言い方じゃないの?」
ちなみに3人はおろか、教えた時深以外全員がこの動作の意味は当然理解していない。
そしてどうでもいい事だが、エスペリアはこの騒ぎにも動じず未だトリップしていた。
◆
「なんや、そういう事だったんか。そうならそうと早よう言うて欲しいわ」
「……これっぽっちも聞く耳持ってなかった奴の言う事か?」
「あ、エスペリアさん。お茶の、お代わりを、お願いします」
「わかりました。少し、待って、ください」
「だから……聞けよ」
憮然とした表情でぶちぶちと小言を言う悠人などそ知らぬ顔だ。
風梨はコタツに足を突っ込んで、まるで自分の家のごとくくつろいでいた。
状況が一応の終息をみた後、居間に場所を移していつものようにエスペリア達の身の上の説明――外国から悠人を頼ってやって来た女の子というやつだ――をして、納得させた所だ。
納得させるまでにかかった時間と被った被害は決して小さくはなかったが。
そして悠人の近寄りがたいイメージ作りも根底から崩され、あまつさえ弱みまで握られてしまった。
「あわわわ……ユートさま、あまり動かないでください。傷の手当てが出来ませんよぉ」
そんな悠人の顔に出来た擦り傷に絆創膏を張るのはヘリオン。
神剣魔法を使えばこのぐらいの傷はすぐに良くなるのだが風梨がいる手前使うことが出来ず、こうやって応急処置だけで済ませている。
現在この場にいるのは先ほど玄関にいた六人――悠人、エスペリア、オルファ、ヘリオン、ヒミカ、そして風梨である。
他の者は話がややこしくなるので今も離れで授業を続けてもらっていた。
「じゃあ高嶺クンはどっかその辺で本読みの練習でもしとってや。ウチはやる事があるさかい」
「……お前帰れ」
本読みの練習に付き合わなければ風梨がここに来た意味は皆無である。
お帰りはあちらだ! とでも言いたげに玄関の方を指差すのだが、風梨は鞄からノートを取り出して何やら作業を始めてしまう。
ま、適当にバイトの時間まで寝てればいいか、そう思って悠人は居間を出て行く。
「ユートさま、何をするか分かりませんが、人手がいるなら私が手伝いましょうか?」
「全力で遠慮しとく! それから、くれぐれも俺の近くに来ないように。声の届く範囲まで来るなんて厳禁だからな」
「あ、ユートさま……」
ヒミカに向かってそう言うと、さっさと自室のある洋間の方へ行ってしまった。
台本の入った鞄を置いたままで。
「やっぱ高嶺クンてアホやなぁ……。ズルするならもっと上手くしいや。
オルファちゃん、これを、パパに、渡して、ください。そして、パパを怒って、ください」
「? わかりました。オルファは、パパを、怒ります」
頭にはてなマークを浮かべながらもオルファは渡された鞄を受け取り、悠人の部屋へと向かった。
これであの真面目さの欠片も無い男も少しは懲りるだろう、そう思って風梨は再びノートに目を落とした。
無言が支配する居間で、ヒミカはどうしようも無い居心地の悪さを感じていた。
オルファが悠人の部屋に向かってからこっち、この客人は一心不乱にノートに向かうだけで一言も言葉を発しない。
この目の前にいる客人との共通の話題は悠人だけであり、その悠人がいなければ風梨との接点は皆無となる。
場を持たせようと話題を振るのは苦手だし、元よりそれほどの日本語能力は持ち合わせていない。
エスペリアがいれば多少なりとも雰囲気が変わるかもしれないが、彼女はお茶を淹れに台所へ行ったままだ。
そんな状態はヘリオンも同じであり、先ほどからオドオドと落ち着かない。
にぎやかさが欲しくてテレビのスイッチに手を伸ばすが、真剣な表情でノートに書き込んでいる風梨の姿を見てはその手を引っ込めてしまう。
何か話題は無いか――まさか大きな胸ですね、などと言うワケにはいくまい。
進退窮まったヘリオンは話題になりそうなもの――風梨のノートを覗き込む。
ヒミカはヘリオンの無作法ぶりを注意しようかと思ったが、覗き込まれている本人が嫌そうな顔をしていないので止めておいた。
嫌っていないのならば何をしているか気になる、ヒミカも風梨が書いているノートを覗き込んだ。
「……これは舞台……?」
ノートには演劇の一場面での役者の配置、動作に対する説明書きがびっしり。
日本語で書かれている説明は全く読めないが、絵の部分から演劇の舞台だとわかった。
もっともヒミカ自身一度も演劇など見たことは無く、想像でしかなかったのだが。
ヒミカの言葉に風梨は顔を上げて小首を傾げる。
日本語で舞台という言葉をまだ知らなかったヒミカは、慌てて知ってる言葉の羅列と身振り手振りで何とかその意を伝える。
「そや。これはお芝居の舞台や。高嶺クンが大活躍する本格派ミステリーなんやで」
「ユートさまが出る? みすてりー?」
断片的な情報しか聞き取れなかったが、二人にも悠人が重要な役に就いている事ぐらいは分かった。
お芝居というのはよく佳織や時深が見ているドラマのようなもの、そう聞いている。
昨夜見ていたドラマの主人公、それを悠人に置き換えてみる。
……そのお芝居はさぞ面白いに違いない!
「えっとえっとえっと! わ、わたしは、そのお芝居が、とっても見たいです! 絶対、見たいです!」
「そ、そりゃ願ったり叶ったりなんやけど……出来るかどうか分からんのや」
突然立ち上がって物凄い勢いで迫るヘリオンに圧倒されながらも風梨はそう答える。
先ほどの時間で台本を見直してみたが、やはり台本を多少書き換えた所で役者の大半が休んでいる現状では演劇の続行は難しい。
仮に役者たちが復帰したとしても練習不足で本番を迎える事は確実。
中途半端な劇を見せるぐらいなら中止した方が良いのではないか、そんな弱気が風梨を掠めた時だった。
光明が差したのは。
「ヘリオン、フウリンさまが困ってらっしゃるではありませんか」
急須とポット、そして人数分の湯のみをお盆に乗せたエスペリアが現れる。
何気なくその姿を見て、そこでふと思う。
エスペリアさん、綺麗やなぁ。彼女が劇に出てくれたらさぞ盛り上がるやろなぁ、と。
戯れついでに役柄も考えてみる。
ヨーロッパ系の顔立ちをした彼女が生えるシチュエーションは――現代劇じゃ駄目だ、ファンタジー、剣と魔法の世界でなくては。
エスペリアどこかの国のお姫様に仕える次女で、ヒミカはお姫様を守る騎士、うん、面白くなりそうだ。
そう言えば、没になった台本でそういうファンタジーものがあったなぁ。
今から路線変更しても、もしかしたら間に合うかもしれない。
エスペリア達は留学生、そう悠人は言った。
その言葉を額面通りに受け取る気はさらさら無いが、今はその言葉をせいぜい利用させてもらおう。
悪いのは全て真面目に練習しない彼なのだ。
そして自分はクラス長、担任の教師から絶対の信頼を受けている優等生である。
いかなクラス長とて学校単位を誤魔化す事はできない、しかしクラス――ましてや世話好き担任ならばいけるのではないか?
てんでばらばらだった要素という名の破片を加工してピースを作り、組み上げて一枚の絵を作る。
その絵に何が必要で、何が足りないのか、彼女の優秀な脳みそは答えを既に導き出していた。
思わず笑みがこぼれる。
その笑みはエスペリア達を一歩引かせるほどに輝いていた。
「突然やけど――みんな、演劇やってみーへんか?」
「「「……はい?」」」
◆
おかしい、何がとは言えないが決定的に何かがおかしい。
まず今朝の教室の雰囲気、どことなく浮かれているようだ(特に男子が)。
風の噂によると美少女(しかも複数)が転校してくるらしい。
ま、これはいいだろう。
時期外れの転校生だってあり得ない話ではない。
次に風梨の様子だ。
一昨日はあれだけ五月蝿く自分に纏わり付いていた彼女の姿がとんと見えない。
二、三度バイトに行く途中、屋敷の近くでバッタリ会ったが何か忙しく走り回っているようだった。
最後に今朝のみんなの様子。
朝早くに叩き起こされ朝食もそこそこに屋敷を追い出されてしまった。
理由を尋ねると、女性は色々と準備に時間がかかるから、らしい(何のこっちゃ)。
そのせいで授業開始30分前、今日子も光陰も体験した事が無い時間に到着するという快挙を成し遂げてしまった。
やる事も無いので日々の睡眠時間の不足を補うことにする。
今朝の悠人の心情を要約するとこのようになる。
身近に陰謀が渦巻いていたりするのだが、周りの変化に敏感に反応するには悠人は鈍感すぎた。
ましてや惰眠を貪っている状態では時間ギリギリに登校してきた今日子、光陰、風梨がほくそえんでいる事に気づくはずもない。
やがてSHRのチャイムが鳴り担任がやって来る。
「今日はみんなに転校生を紹介する」
「イェーイ!」だの「ウォー!」だの、発情期の獣のような雄たけびが聞こえる。
しかし教室の盛り上がりも悠人の眠りを覚ます程ではない。
「では――と、――はあそこの席、――はここに。残りの席は外に用意してあるから誰か運んで並べてやってくれ」
割と大きな音を立てながら机等を動かしているのだが、この程度で目覚めるのならば毎朝ハリセンなど食らっていない。
机にタオルを敷いて快適な居眠り空間を形成していた。
「準備ができた所で授業を始める。――、高嶺を起こしてくれ」
「はい。分かりましたわ」
ゆさゆさと揺すられて悠人の意識がまどろみからゆっくりと表層に上ってくる。
薄目を開けるとぼんやりとお団子頭の女の子が見えた。
……懐かしい。
最後に会ったのはファンタズマゴリアのラキオス城下町でデートした時。
デートはスピリットの襲撃があってうやむやになってしまったが、彼女は無事に逃げられただろうか?
そして今も元気にヨフアルを食べているだろうか?
もう会うことは出来ないけど、願わくば彼女に幸福な一生を。
「…………うん?」
「おっはよ! ユートくん♪」
……夢のまた夢というのは本当にあるらしい。
ブレザー姿のレムリアが夢に出てくるなんて、よほど自分は彼女に焦がれていたようだ。
後の祭り書き
最後に投稿したのは今から約2ヶ月前、そして口約から遅れること2週間、ようやく三話を書き上げる事ができました。
時事ネタをタイムリーに書くと最初に言っておきながら三話にして既に1ヶ月の遅れ……。
うにうにと構想を悩んでいる内に正月はとっくに過ぎ、ネタを一個潰しました。
楽しみにしてくれていた人、本ッ当に申し訳ない!!
全ては勢いでものを言う私が悪いのです……(´Д`)
もし来年まで連載が続くようなら(そんな事にならないよう願ってますが)そこで正月ネタは使いたいと思います。
さて、話題は変わって第三話、いかがでしたでしょうか?
今回は言わば『ハイペリアにやってきました』中の、『学校にやってきました』編、それの『起』にあたるお話です。
やたらと“濃い”オリキャラが大暴れしていますが気にしないでください。
彼女はあくまでもお話を円滑に進める為のサブキャラクターです。
悠人とくっ付けてどうこうという考えは今のところありません。
んで、最後に謝るべき事。
それは……。
学校編はやりませんなんて大嘘でしたすんませんっ!!
初めっから学校には行かせるつもりでした! でも展開読まれたからには裏切ってやろうと躍起になってネタを考えましたが結局浮かびませんでした!
お茶は二番でも出がらしでも美味しければいいんですっ!
不味かったらそれは全て私の技量の無さです、すいませんっ!
そんな意味不明の後書きを残しつつ、次回また会いましょう。
ん? 明日は2月14日? 時事ネタ? チョコレート? ギブミーチョコレートの時代は終わりました。もはや戦後ではないのですよ(´・ω・`)