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英雄は人々に認知されて初めて英雄たりうる。
どんな偉業を達成した人物でも、それを他人が褒め称え、敬意を払わなければ凡人と変わりは無いのだ。
例えば――異世界で事を成した人間。
召喚された異世界で建国の英雄と崇められ、人々の畏怖の対象となった人物も、事が終われば元の世界へと還り、元の生活に戻っていく。
元の世界に戻れば彼らはどこにでもいる高校生で、殺し殺されとは無縁の、バイトに部活に学業に打ち込む怠惰と惰性に満ちた日常生活に。
日々は何事も無かったかのように過ぎていく。
まるで異世界――ファンタズマゴリアの出来事など夢であったかのように。
しかし彼らは長い夢を見ていたとは思わなかった。
ファンタズマゴリアで仲間と出会い、共に戦った日々は紛れも無い現実だという確信があった。
忘れがたい喜びや悲しみ、痛みがあった。
そんな思い出を糧に三人の元英雄とその妹――高嶺悠人、高嶺佳織、碧光陰、岬今日子は日常の生活を送っていた。
さしあたっては年明けに行われる学園祭の出し物である演劇の練習を。
ハイペリアにやってきました
written by DU-JO
「だぁかぁらぁっ! なんで未だに台詞が覚えれないわけっ!?」
バシィン! と、部屋の中に乾いた音が響く。
そう広くも無い部屋を家具を動かして無理やり広げ、急遽こしらえた簡易舞台の中央で頭を押さえて蹲るこの部屋の主。
彼の名前は高嶺悠人。
元ラキオス王国スピリット隊隊長にしてファンタズマゴリア統一王国ガロ・リキュア建国最大の功労者の一人である。
目の端に涙を浮かべて抗議半分、恐怖半分の視線を向ける姿はとてもそうは見えないが。
その視線を真正面から受け止め仁王立ちで弾き返すは、鼻息も荒く左手に台本右手にハリセンを握り締める岬今日子。
主と従。見下す側と見上げる側。この構図がそのまま二人の力関係を示していた。
「クライマックスで主役の犯人当て推理! このデキ如何でこの演劇の価値が決まるのよ! 最後の最後で主役が台詞をド忘れじゃ劇台無し! 観客席からため息が漏れるってもんよ!」
「そんな事言ったってなぁ……、普通に読んだら三分はかかるんだぞ。そんな台詞俺が覚えられるわけ無いだろ?」
「なに女々しい事言ってんのよ。役者は気合よ気合! 男だったらそのくらいさらっと覚えなさいっての」
べしべしとちゃぶ台が真っ二つになりそうな勢いでハリセンを叩きつける今日子。
そりゃ今日子ほど漢らしい女はいないだろうさ……と思わず喉元まで出た愚痴を慌てて引っ込める。
彼がファンタズマゴリアで身に着けた危機感知能力はまだまだ錆付いてはいない。
失言が減った、ただそれだけの事でも悠人はファンタズマゴリアの日々に感謝しているとか。
「ま、かれこれ4時間近くぶっ続けで稽古してたんだ。ここらで休憩にしようや」
「……はぁ。んじゃ少し休みにしますか」
悠人が目で助けを求めると、さっさと自分の出番を終わらせ部屋の隅で様子を見ていた――彼が時折見せるニヤリという笑顔で――碧光陰が助け舟を出す。
一つ呆れたようなため息を付いてそれを承諾する今日子。
それによって昼頃から永遠と続いていた稽古(うち2時間は最後の場面の練習)が一旦中断した。
「悠、あんたも喉、渇いてるんでしょ?」
「ああ、頼むよ」
「俺も茶を淹れるの手伝ってやるよ」
勝手知ったる親友の家、二人は既にこの家の茶菓子の戸棚まで完全に把握していた。
もしここに、悠人の妹である佳織が居れば、率先して飲み物なりおやつなりを持って来るのだが、あいにく今は親友宅に出かけている。
その理由の大半が、演劇の練習を見ては本番の楽しみが無くなってしまうからだというのは言うまでも無い。
ファンタズマゴリアで事を成した四人は元の世界――向こうで言うにはハイペリア――に戻っていた。
驚くべきことに戻ってきた場所は四人がファンタズマゴリアへ旅立つことになった神木神社であり、それから時間にして一時間ほど経過しただけであった。
ファンタズマゴリアでの出来事は全て白昼夢だった――そう言われても納得してしまうだろう。
神木神社の宮司に聞いても倉橋時深という巫女に覚えは無いと言われるし、秋月瞬は存在自体が無かった事にされていた。
この世界で彼らと思い出を共有している者、思い出を示す物は無いのだ。
それでも悠人たちは良いと思っている。
ただ彼女たちとの思い出を忘れずに胸にしまっておければそれで。
悠人は窓際へと歩み寄り、空を見上げる。
12月も下旬を迎え学校も明日からは冬休みに入るというこの時期、太陽は驚くほどの速さで西へ沈もうとしている。
あちらの世界もこちらの世界も夕陽の沈む時の美しさは変わらない。
あの世界でも今頃はきっと夕陽を眺めているだろう、悠人が感傷に浸っているその時だった。
窓の下からソレが現れたのは。
ニョッキリと、どこかで見たような薄紫色のソレが顔を覗かせる。
触覚を思わせるソレは初めは小指程度の長さだったが、雨上がりのたけのこのごとくずんずんと伸びていく。
ソレが人のクセッ毛であると気づいたのは窓から見える長さをどんどんと増やし根元まで到達して、頭のてっぺんが見えた時だった。
「――って! ここ6階だぞ!?」
悠人の部屋の外にはベランダは付いていない。
よじ登ろうにも足をかける雨樋すらないこのマンションを人が登れる訳が無い。
――翻せば人でなければ可能、ということだ。
薄紫色の髪の見える範囲が大きくなり、やがて顔全体が見えるようになる。
大きな紫色の瞳、艶のある薄紫色の長髪、整った顔立ちの少女。
人ならざるものの美しさだった。
注意して耳を澄ませれば僅かな羽音が。
なるほど、背中の辺りから生えている翼でここまで飛んできたのか。
いやいや、問題はそんなことじゃなくて。
問題はどうして“彼女”がこっちの世界に居るかであって。
あ〜ついにブッ叩かれすぎて頭おかしくなったか。
幻覚まで見えるようになったって事はそーとーヤバイんじゃないのか?
まいったな、冬休みはバイト学生にとっては稼ぎ時なのに……。
むしろ病院通いでマイナスか、まいったな……。
ただでさえここ二、三日は演劇の稽古でバイトの時間切り詰めてるのにとんだ災難だ……。
目の前のあり得ない光景に軽く現実逃避しかかっている悠人を尻目に、翼の少女はその無表情にほんの少しだけ微笑をブレンドした笑顔で。
「ん。ユート、久しぶり」
しゅたっと、右手を挙げて挨拶した。
「おはよう」や「さようなら」と同程度の気軽さである。
これが悠人と翼の少女――アセリア・ブルースピリットとの再会だった。
そして、ドタバタの始まりでもある。