ファルス・ロンドの朝は早い。
時間で言うと五時半くらいであろうか、毎日のようにその時間に起きる。
目が覚めると、彼は朝食も摂らずに訓練場へと向かう。
使者としての仕事をやるときと過去の悪夢を見たとき以外は、早朝からの修練は彼の日課である。
ファルスは訓練場で二、三時間ほど居合いと剣の素振りを行う。
その間、ファルスは一人ではない。
彼の隣には黒髪の少女――――ヘリオン・ブラックスピリットが一緒に訓練をしている。
「じゃあ、朝はこれくらいにしようか」
「………は〜い」
ヘリオンは肩で息をしていて、答えるのもやっとだった。
ファルスにも珠のような汗が流れている。
「疲れ…ました」
ぺた、とヘリオンは床に座り込んでしまった。
「それにしても、練習熱心だねヘリオンは」
「…私は…未熟ですから………」
「でも、練習を続けられるのは実力とは別だよ。それに、ヘリオンはそんなに弱くないと思うけどね」
未熟だが努力家の彼女は、自分の力のなさに悩んでいたため、夜遅くまで練習するのが少なくなかった。
それを見ていた訓練士のセラス・セッカは親友のファルスが訓練場で朝早くから練習をしていることを教え、ファルスに練習付き合うことを薦めたのだ。
それから、ファルスとヘリオンはお互いが仕事で居ないとき以外は二人で早朝の練習をしている。
ファルスは自分の荷物の中から、水筒を取り出し、持っていたタオルを濡らした。
「ヘリオン、使いな」
ファルスは彼女に水筒の水で濡らしたタオルを渡した。
「ありがとうございます………ひゃあ、冷たい」
「ゆっくり休んでなよ」
ファルスはヘリオンから少し離れると、一枚の紙を取り出した。
特に何の変哲もない紙である。
ファルスはそれを宙に放り投げた。
ひらひらと落ちてくる紙。
その紙がファルスの目の前にまで落ちてきた時、
きん、と鞘に剣が仕舞う音がした。
一枚の紙が二枚に分けられている。
ファルスは居合いで紙を真っ二つにしたのだ。
宙に浮いている紙を斬るということも凄いことだが、それよりも、納める速さも尋常の速さではなかった。
「相変わらず、凄い居合いですね。私よりも速いんじゃないですか?」
ファルスの居合いを見ていたヘリオンの感想だ。
実際、ファルスの居合いの速さは神剣の強化をしたスピリットの速さに匹敵する。
「いいや、居合いの速さだけで言ったらヘリオンの方が速いよ」
「そうですかー、嬉しいです!」
「調子にのらない。それに、重大な欠点もある」
「け、欠点ですか!?」
先ほどとはうって変わって不安に怯える表情を見せるヘリオンだった。
ファルスの言葉を息を呑んで待つ。
「ハッキリ言って、ヘリオンは一つ一つの技術が高いけど、それがかみ合っていないんだ。だから、力が上手く発揮できない。そこが重大な欠点だな」
「た、例えば………?」
自分の欠点を指摘され、いささか緊張が見られる。
だが、ファルスはそれを無視して問いに答えた。
「構えたままの状態での居合いは上手くできるけど、移動しながらの居合いは失敗するだろ? 戦闘ではありとあらゆる角度から敵の攻撃が来る。その状況に応じた行動が必要となるけど、今のヘリオンでは対応できない」
ヘリオンはこくん、と頷き、それからはぁーとため息を見せる。
すっかり自信をなくしたヘリオンの様子を見て、ファルスは頭を軽く掻きながら「失敗したかな」と思いながら、ヘリオンに微笑を見せた。
「まあ、これからは移動しながらの判断や居合いを練習すればいいから、今後はそれを重点的に練習しよう――――セラスにも伝えておくよ」
「はい、がんばります」
ヘリオンの明るい返事につい、笑顔になるファルス。
ファルスは立とうとするヘリオンの目の前に手を差し伸べる。
「?」
突然で、何のことか彼女にはわからなかった。
「立つんだろ」
「あ、はい」
ヘリオンはファルスの手を掴み、立ち上がる。
ぱたぱた、とスカートに付いた土を払うヘリオン。
その間、ファルスは自分の荷物を閉まっている。
「それじゃあ、俺は先に帰っているから」
「はい、わかりました」
ヘリオンに別れを告げしばらく歩いていると、青い髪の女性――――セリア・ブルースピリットと出会った。
「おはようセリア」
「おはようございますファルス様」
明らかに敵意を込めた挨拶を返すセリア。
ファルスはそれに気にせず、自分が先ほどまでいた訓練場の方向を指差し、
「ヘリオンなら、あそこの訓練場にいる」
「ありがとうございます」
「じゃあね」
セリアの横を通り、歩き始めるファルス。
数歩歩いたとき、振り返ると、セリアが元の場所にいた。
「どうしたんだ?」
ファルスが訊ねると、セリアは怪訝な表情を浮かべた。
「それを訊きたいのは私の方です」
「?」
ファルスは何か自分がセリアにしたかを考えたが、特に覚えていることはない。あるとすれば、セリアがヒミカと二対一での模擬戦を行い、勝ったことぐらいしかない。
「何で、あなたはスピリットを差別していないんですか? 何故、人間と同じように接しているんですか!?」
「ああ、そのことか」
納得がいった。
それは、ファルスを知る多くの人間が不思議に感じていることだ。
ファルスという人間はスピリットを差別しないという事実。
そこから、妖精趣味ではないかという噂まで出来ている。
だが、ファルスは特に弁明もしない。
誤解されてもいいと思っている。
彼が差別をしない理由を知っているのは、ごく僅かな人間だけだ。
「スピリットも人間も生まれが違うだけで、同じように生きている。だから、差別する理由にならない。ただ、それだけだ」
「…………」
ファルスはそれから何も言わずにその場を去った。
その間、セリアは何も言えなかった。
禍根のファルス 第三話
ファルスの食事は主に自炊である。
ラキオス周辺にある野草や動物、昆虫を食材としている。
本日はエヒグゥの干し肉とパンが朝食である。
たまに友人のバトランドが手作りのお菓子を持ってくる。
今日の朝はそれがなかった。
――――訊きたいことがあったんだけどな。まあ、夜にでも会いに行けばいいか。
ちなみに、この食事で彼が所持していた干し肉はなくなった。
食後、書類の制作に追われる。
先日、イースペリアで親書を届けた件に対する報告書を書かなくてはいけなかった。
かかった日時や食費や宿代の計算をする。
驚くほど0に近い。
野宿や狩りがほとんどだったのをファルスは報告書を書くたびに実感する。
書類制作には昼までかかった。
昼時なので小腹もすいている。
だが、食材は現在一切ない。
今から裏の山に行って食材を採りにいくのも面倒である。
近くの食堂で食事でもしようかと思うが、やめる。
――――オルファたちにネネの実のパイを買ってあげるんだったな。
臨時収入(夜盗の死体から奪ったもの)をオルファやネリーたち年少組みに使うと決めていたのでその選択肢は消えた。
どうするか考えていると、とんとん、とドアをノックする音がする。
「はーい、開いてるよ」
ぎぃ、と音がしてドアが開く。ファルスはドアの開きが悪いので近いうちに蝋でも塗って滑りを良くしないとと感じる。
ドアの先には無愛想なした顔をした友人――――バトランドがいた。
「どうした?」
バトランドは問いに答えず、右手に持ったバスケットを見せる。
甘い匂いがする。何かお菓子を作ってきたようだ。
「今日は何を作ったんだ?」
「……ヨフアルだ」
「ちょうど、仕事が終わって食事にするところだったんだ。いいタイミングだよ」
フ、と微笑んでバトランドは部屋に入り、テーブルにバスケットを置いた。
バトランドの作ったヨフアルを手に取る。出来て間もないのか、温かい。
――――レスティーナ王女も『ヨフアルは焼きたてが一番』って言っていたな。
そのときはお忍びでレムリアって名乗っていたのを思い出して頬が緩む。
「…………食べないのか?」
「あ、ああ」
ヨフアルを手に持ったままだったので、何かミスがあったのかとバトランドは不安そうな顔をした。
気を取り直してヨフアルを食べる。
一口食べるたびにヨフアルのおいしさが口に広がる。
「上手い。また腕を上げたな」
「まあな」
そうはいうが、とても嬉しそうである。
用意されたヨフアルを全部食べるとバトランドは帰る用意を始めた。
用事が終われば、すぐに次の行動に移る。
合理的な行動を好むバトランドらしい。
「なぁ、ちょっといいか?」
「…どうした?」
手が止まる。
バトランドはファルスの真剣な様子に気づき、作業を中断した。
「お前さ………もう、他のヤツとか大丈夫か?」
バトランドは首を横に振った。
「まだ……無理だな。店のほうで努力しているんだが、どうも駄目だ」
「……そうか。なら、いいよ。今のことは気にしないでくれ」
ファルスはバトランドという人間の過去を知っている。
彼は合理性を好む子供で、他者と交流をするのが下手だった。また、それが原因で子供のときに虐められてきたことがある。
だから、彼はファルスやセラスといった心を許せる人間以外は現在でも交流を持つことは少ない。
「……すまないな」
「いや、いいんだ」
ファルスはそう言いながら、昨日のことを思い出していた。
昨日、レスティーナ王女とエトランジュ・タカミネ カオリと話をしたことだ。
『お土産にヨフアルはないの?』
レスティーナの発言だ。
アズマリアのレスティーナ宛の手紙を渡された後、ファルスが親書以外何も持っていなかったの言ったことだった。
最近、忙しくてお忍びで街に出れないから、ヨフアルが恋しくなっているようだった。
――――もっと後だよ。帰りのときだ。
自分の回想にツッコむファルス。
『………私やオルファがこれない場合を考えて、ファルスやファルスの友人も来るように誘っておいていただけますか?」
『友人ねぇ』
『私の周りには、ファルスのようにスピリットやエトランジェを差別しない人はいませんから……』
『そうですね……』
この時、セラスとバトランドの顔が頭に浮かんだ。
だが、ある理由で却下した。
――――バトランドは差別以前に人間嫌いだし、セラスに至ってはレスティーナに………
『……胸の方を見ているようですが、どうかしましたか?』
『あ、ごめん』
『いえいえ、何か気になるようなことがあるのですか? この年にしては小さいだとか、母親と違い発育が悪いだとか、まるで子供の様な大きさだとか』
『なんでもありません、本当にすいません』
明らかに怒りを込めた発言にファルスは恐怖を感じていた。
レスティーナ王女が自分の胸にコンプレックスを抱いているのは、ファルスも知っている。
だから、ファルスはセラスを却下した。
――――お得意の巨乳理論を聞かれたら、アイツ処刑されるんじゃないか。
自分の友人が処刑される光景を見るのは嫌だった。
釘を刺しておけば大丈夫だと思いたいが、いつ、スイッチが入って理論を語り始めるかわからない。
そんな理由でセラスは選択肢から排除された。
「――――ルス、どうした?」
バトランドが心配そうに声をかけている。
そこで、ファルスは自分が声をかけられていたことに気づいた。
「悪い、少し考え事をしていた」
「いったい、何を考えていたんだ?」
ファルスはふ、と微笑みながら「内緒だ」と答えた。
昼食が終わり、バトランドと別れて書類を提出した。
その日のやる業務も終わったので、ファルスは訓練場でまた剣の練習を始めることにした。
訓練場へ歩いていると、数人の男が一人の少女を囲んでいる。
囲んでいる男たちは皆鎧を着ており、その中心に金色の鎧を着た男が居る。
男たちは一人の少女に対し、因縁をつけている。
周囲の人間はその様子を見て、げらげらと嘲笑をしていた。
「まったく、スピリット風情が人間様にぶつかるとは、いい度胸だな」
「そうそう、スピリットの分際でアナムス近衛隊長様の鎧を汚すとは何事か!」
「す、すいません……」
少女――――よく見ると、ヘリオンが頭を下げる。
体が震えていることもあり、この状況に恐怖を感じているようだ。
金色の鎧を着た男がヘリオンの前に出る。
「このスピリットには、人間様に危害を加えたということで罰を与えないといけないなぁ」
「ひぃ…」
男が手を振り上げる。
ヘリオンは思わず目を閉じる。
しかし、数秒たっても何も起こらない。
「き、貴様、何をしている!」
ヘリオンが目を開けると、振り上げられてた手はファルスによって止められていた。
「何って、見てのとおりですよアナムス第二近衛隊長殿」
特に感情を出さず、笑顔で返答し、握っているアナムスの手を離す。
「ファルス、いつもいつも人の邪魔をするな!」
感情をあらわにするアナムス。
彼とファルスの付き合いは兵学校時代からだ。
貴族のエリートであるアナムス・タンジェルトと平民のファルス・ロンド。
本来ならエリートであるアナムスの実力ならば、他の貴族ならばともかく、平民の連中とは比べほどにならない。
それは、剣技や座学といったものを貴族は幼い段階で学ばされる。そのため、兵学校でも優秀である。
だが、ファルスは違った。
多くの科目を並みの貴族以上の成績で卒業した。
特に、剣技は他の追随を許さないほどで、セラスも含め誰も勝てる人は居なかった。
それが、アナムスのプライドを傷つけた。
ラキオスでも有名な貴族であるタンジェルトの子息のアナムスは自分のやりたい放題であった。
そして、周りの人間もアナムスを中心に動くようにしていた。
今彼の周りに居る男たちも学生時代からの取り巻きである。
だが、この平民の存在によって、自分が中心で居られなくなった。
自分のやりたいようにやるとき、自分が輝くであるときには、いつもファルスが居たのだ。
それ故に、ファルスのことをアナムスは嫌っていた。
「邪魔? 邪魔なんかしていませんよアナムス第二近衛隊長殿」
明らかに白々しい台詞である。
ファルスの方もアナムスを嫌っていた。
自分のやりたい放題に行動するアナムスに泣かされた人は少なくない。
そういう人間を庇うことやアナムスからの被害を受けることも少なくなかったからだ。
「いいや、邪魔だね。このアナムス様にとって、ファルスという人物は邪魔な存在でしかないね」
あっさりと敵意を口にするアナムス。
それに対し、ファルスは笑顔のままで、
「邪魔か。そりゃあ、学生時代に十人がかりで闇討ちに来るよなぁ」
「十人じゃない、八人だ」
その発言が、自らの自白になっていることを本人は気づかない。
ファルスは気づかれないようにフ、と苦笑した。
「ああ、そうだった。八人だった。――――八人がかりでかかっておきながら、返り討ちにあったんだよなぁ」
「それがどうした?」
ファルスの眼光が鋭くなる。
「近衛隊の数人が、補給部隊の人間一人に倒されましたってことになったら大問題だと思っただけさ」
それは脅しである。
『この場を去らなければ痛い目を見る』と脅している。
フン、と言うと、アナムスたちは背を向けて去っていった。
「ふにゃ〜」
ぺたりと、緊張が解けたヘリオンは地面に座り込んでしまった。
数名の男に威圧された後、ファルスとアナムスの争い。
ヘリオンにとってその緊張には、未だ耐えられるものではなかった。
「ごめんね、ヘリオン。怖がらせちゃったみたいだね」
「あ、いいんです。私の余所見もあったし………あ!」
何かを思い出したヘリオンは、立ち上がると凄いスピードで訓練場に走っていった。
「?」
訓練場に用があったファルスは、ヘリオンの後を歩いて追いかけていった。
訓練場に着くと、ヘリオンは居なく、代わりに悠人が大の字で寝っころがっていた。
その悠人の額の上には一枚の濡れたハンカチが置かれている。
ファルスはそのハンカチが誰のものかわかっていた。
「ユートさん、大丈夫ですか?」
「…ファルスか」
答えるのも辛そうな声で悠人は答えた。
悠人が本格的な訓練をやることは知っていたので、この状態になることは予想していた。
エスペリアはともかく、アセリアやオルファは手加減をしない。
武術を学んでいないものがスピリットと実践訓練をすると、このような状態になることは当然だ。
「妹さんからの伝言がありますけど、聞けますか?」
「佳織から! いったいどうしたんだ!? それに、佳織は元気なのか!?」
疲れがどこかにいったのか、悠人はファルスに食ってかかった。
ファルスは悠人の肩に手を乗せ、
「まずは落ち着きましょう」
すーはー、すーはーと深呼吸をする。
悠人が落ち着いたのを確認すると、ファルスは口を開いた。
「カオリさんですけど、特に問題はありません。誰かに危害を加えられるということもないでしょう」
「そうか……それで、伝言っていうのは?」
「それは、『私のほうは大丈夫だから、義兄ちゃんは心配しなくて大丈夫』だそうです」
ファルスの伝言を聞き、少し安心する悠人。
ファルスは立ち上がって、転がっている模擬刀を拾い、
「ユートさん」
悠人に投げ渡した。
「カオリさんに頼まれたんですけど、『義兄さんの力になってください』ってね。それで、俺が力になれるってものはこれぐらいなんですよ」
「これって?」
「剣の相手」
自分の木刀を取り出し、構えるファルス。
「ユートさんが生き残れるように、剣の技術向上を手助けする。それが俺の仕事です」
「………相手、頼めるかな?」
「喜んで」
その日は夜まで二人の訓練が続いた。
あとがき
第三話終了です。気づいたら、特にバトルをしていません(笑)
レスティーナたちと会話するのはカットしちゃいましたけど、許してください。
この作品では、スピリットよりも人間の方に視点が置かれています。スピリットの差別はあるが、人間同士でも差別はあります。
士農工商の例がわかりやすいのですが、あれには、士農工商の四つ以外にも、「えた」「非人」というのがあってスピリットがその位置に居ます。
この作品では王族が一番上で貴族、平民となっている設定になっています。
今回、ヘリオンの口調がわからず、時間がかかりました。他のスピリット陣の時はどうしよう………
ちなみに、ハンカチはヘリオンの物です。PS2版をやった人にはわかると思いますが、ヘリオンのあのイベントを意識して作りました。
ヘリオンは逆の方向から行ってしまいましたので、ファルスと再会せずに詰め所に行ってしまいました。
次回は第一章最終回(予定)です。
サード・ガラハムの死亡まで持っていけるのかわかりません(笑)
早く戦闘シーンいれなきゃ。