「完全だという事は、既に終わっているという事だ」
先生はそう言った。この人の言う事はいつも哲学的でよく解らなかったけど、私はいつものように耳を傾けて聞いていた。
「完全であるという事と、不変であるという事は潜在的に同じなんだよ。そして永遠という存在は、得てして不変であり、その大半がつまりは終わっているという事だ」
先生は続ける。相変わらず意味不明にして意図不明の話題。これだけで私と先生の最後の日が終わってしまったら、私は取り敢えずそこの椅子を先生に向かって投げるだろう。
「近いうち、私の存在は永遠になる。これは、存在の段階では完全になってしまうという事だ。つまり私は存在としては終わってしまう事になる。非常に悲しいね」
「先生、死ぬんですか?」
何となく嫌な予感を感じていたので、私はそう訊いてみた。先生はいつものように穏やかな微笑みを私に向けて、
「似たようなものだね。でも、存在が無くなる訳じゃないんだ。 ――まあ、私以外の人にとっては、私は死んでしまうのだろうけどね」
そう呟くように先生は言って、右腰に吊っている細い剣に目を遣った。先生は剣や槍などの名手だそうで、何故か武器に名前を付ける変な癖があった。ついでにそれを神の剣だとか何だとか呼んでいた事もあった。
先生の事を知らない他人さんが、名前を付けた剣に話し掛ける先生の姿を見たら、さぞかし気違いに見えただろう。知っていても気違いに見えるぐらいだし。
「クー。君は完全になってはいけないよ? 勿論、永遠になってもいけない。時間を軽んじてはいけない。未来も過去も切り捨てて永遠になる事にどれほどの意味も無い。私達、人間にとって――ああ、君は少しだけ違うけれど、それでも永遠というのは過ぎた代物なんだ。そんな事よりも――」
先生は私を抱き締めて、囁くように言った。
「愛する者を全力で護り抜く事の方が、はるかに意義のある事だ。私には出来なさそうだから、代わりに君がやって欲しい。君もいつか誰かを愛するだろう。恐らくその時、君は自らの意思で私の代役を努めてくれる筈だ。 ――そうだ、君にこれをあげよう。お守りだと思って大切にしてくれ」
先生は私を離し、壁に立て掛けてある長柄の槍を執ってから、それに面と向かって何事かを呟き、それから私に手渡した。
その後、先生は私に口付けをした。初めてのきすは、何だか甘い匂いがした。
私は先生から離れて、取り敢えず椅子を叩き付けた。
「――痛いよ、クー。まあ、当然の仕打ちか。不本意とは言え、私は君を捨て置いて逝ってしまうのだから。私は君を拾い、武器を与え、知恵、技術を授け、今日まで育ててきた…… その責任を放り出して逝ってしまうのだから。こうして物を投げつけられても、それは当然――」
私の投げ付けた辞書が先生に直撃し、そこで言葉が切れた。
***
「ん……」
夢から目覚めると、厚い布の隙間からから差し込んでくる木漏れ日が眼に突き刺さった。眩しい。
……変な夢だった。私のファーストキスが誰か見知らぬ男の人に奪われる、なんていう、出来る事なら正夢にはなって欲しくない内容だった。
「――クー、起きてる? そろそろ時間だよ。あの隊長は……怒られはしないと思うけど、それでも遅刻は厳禁だよ? 早くね」
「分かった」
不意に天幕の向こうから飛んできた同僚の声に、私は毛布の傍ら――そこに置いてある大きな長柄の槍を執った。戦闘装束を着込み、邪魔にならないよう髪を整える。
そして手鏡を覗き込めば、そこには何時もの私がいる。死ねばマナの塵へと還る、自慢の若草色の髪と、戦闘装束に包まれた華奢な身体。そして巨大で長大な長柄槍。この三つを持った私が。
「……変な夢」
私は先程まで見ていた夢の内容を思い出し、ふと、手に持った槍――正確には槍とは呼ばないけれど――にそっと手を触れる。これは私が物心付いた時から持っているものではない。これは□□に――違う。何時だったか、何処かで手に入れたものだ。
さて、そろそろ行かなくてはいけない。決戦は近いのだから――
***
走る奔る疾る。
繰り出した槍の一閃で敵の剣を払い、返す刃で牙突を繰り出す。その先端は正確に敵の喉を深く抉り、途端、その感触が、私に降りかかった血液ごと金色の霧となって失せた。
マナが身体を巡り、刹那、大きな奔流が全身を舐める。瞬時に気配を察して、咄嗟に飛び退いた。
降り注ぐ紅炎が私のいた空間を貫き、焼き焦がす。見上げれば、まだ幼い敵が両刃の剣を構え、臆する事無く私を睨み付けていた。不意に彼女は踵を返し、私の視界から消える。私は追わずに、ふと周囲を見渡した。
戦況は悪くはなく、かといって良くもない。相手が相手だ。ここまで来た勢いがある所為か、少数精鋭でよくやっている。お陰で待ち伏せたというのに、残ったのは私だけだ。他の場所でも苦戦しているらしく、あちこちから剣戟と、魔法による破壊の轟音が聞こえる。
押し返せるかどうかは五分だと隊長が言っていたのを思い出す。そういう隊長は何処へ行ってしまったのだろうか。指揮の半分ほどを私に押し付けて何処かへ行ってしまったけれど…… 敵方の隊長を止めに行ったのだろうか。愚痴愚痴と、かの隊長について漏らしていた事もあったし。
聞いた話によると、敵方の隊長とは何かしら因縁があるらしい。以前ちらと目にした事があるが、さすがに異邦人――もしくは来訪者と呼ばれているだけあって強そうだった。それを言えば私達の隊長もそうなのだけど。
あの人は真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない時があって、その上「本気で行くぞ」とか言っておいて、実は半分ほどしか出していないような人だから、何となく心配だった。
なんちゃって好敵手――とは違うような気がするけれど、少なからずその気があるのは間違いない。
「はあ…… ――ん?」
――そんな下らない事を考えていると、ふと、刺すような鋭い殺気に気付いて、私は舌打ちをして振り向いた。
ぱっと見、一対三。蒼、翠、黎の三人。流石にこれは分が悪い。どうしようか半瞬だけ逡巡して、逃げ――もとい、撤退する事に決めた。
が、敵は半瞬だけとはいえ待ってはくれなかった。
「やああああああああああっ!」
「――っ!」
鋭く、それでいて重い一撃を辛うじて切り払う。敵は蒼の少女。やけに長い柄を持った肉厚の剣による一撃が、的確に私の防御の隙間目掛けて振り払われる――!
二度、三度。柄を振り四撃目を受ける。
直線的な動きが多い分、その軌跡を見切るのは容易い。 ――が、彼女自身の素早さが互いの間合いを詰め、私に反撃を許さない。跳ねて後退するのが精一杯だ。
「くっ、はっ、やっ!」
「っ、くっ、――はあっ!」
咄嗟の判断で後退を止め、力任せに下段から槍を叩きつける。武器の重量の差か、それとも体勢か――どちらにせよ敵の身体は思いのほか吹き飛び、しかし隙なく着地した。この距離なら十分に槍の間合いだけれど、勿論、睨み合っている暇も戦っている暇もない。
そう警戒し、判断している傍から、突然に足元が闇に染まった。咄嗟に跳んだその刹那、無数の手がそこから生えて私を追う。
堪らず一閃。生理的嫌悪感を催すその手を薙ぎ払い、返す柄で蒼の少女の素早い袈裟を間一髪、防ぐ――!
「――貰った!」
「――っ、この!」
横からの、空間を裂くような速度の袈裟斬り。辛うじて反応した私は柄でそれを受け止め、返す刃で弾き返す。
相手の得物は――刀! 翠の彼女はまだ追い付いてないらしい。それにしたって一対二。蒼と黎。「剣」の力の差はあまり無いように感じるけれど、手数の違う戦闘は絶望的だ。戦闘に対する意欲が強く感じられる――そんな澄んだ瞳を持った蒼と黎の彼女らと、戦って勝てるようには思えない。
故に――
「――はっ!」
「……っ!」
「くっ!」
横薙ぎに一閃。蒼の彼女は刃で受ける。その隙に柄を返し、黎の彼女に牙突。防御が間に合わなかったか、黎の彼女は柄の先端をまともに受け、大きくバランスを崩す。本来なら仕留める事が出来るその大きな隙を、私は迷わず離脱に使った。
***
希望的観測である事は言われずとも理解していた。
私達の国は落ちた。決して一方的な敗北ではなかったけれど、それでも落ちたものは落ちた。それは間違いない。
最後に何だか大変な事態が起きたらしいが、隊長はそれに関して何も言わなかった。つまり知らなくてもいい事なんだろう。 ――ちなみに私達の隊長は、やはり敵方の隊長を止めに行っていたようで、私が駆け付けた時にはえらくボロボロで、それでもいつもの軽い口を叩いていたから、その時にはひどく安心した。
私は□□と過ごしたあの国に未練が――違う。未練はない。噂に聞く北の国は暗殺された先代とは打って変わって、人ではない――おまけに敵同士だった私達を快く受け入れて――表向きはやはり帝国に対抗する為、戦力への組み入れだったけれど――くれた。私達の元隊長もかの新隊長と仲良くしている――訊いて見た所、元々、来訪者になる前は友人だったらしい――ようで、心残りは、北国に属した私達の新しい敵となった帝国だけとなった。
それからは背後から矢を射掛けられているような忙しい毎日が続いた。
元隊長の補佐。分隊として割り振られた私達の戦力の管理。自己鍛錬。大した間もなく開かれた帝国との戦争。
息をつく暇もなく、私の毎日は仕事にのみ忙殺されていった。
他の同僚達と違って、新しい隊長がいいだの、いや元隊長の方がいいだの、そんな風に恋を抱く暇もなく、ただ与えられた役割を果たす為だけに日々、街を、詰め所を、戦場を動き回っていた。
そして帝国の崩壊。実態の露出。永遠なる者という存在の出現。
帝国との戦争が終わるや否や、休む間もなく私達は敵と目的が変わっただけの戦いに狩り出された。いや、多分そう考えていたのは私だけだったろう。少なくとも他の皆は、この私達が住む大地を護ろうと士気に溢れていた。
――私だけが、戦いに疲れ果てていた。
だからなのかも知れない。
神が住むとされる極寒の大地――永遠なる者との決戦の地。圧倒的な戦力差を前に、私は小隊長として義務だけで突き進んでいた。その道程を遮る、無数の紅、蒼、翠、黎の人々。そして私達にとって絶対的な強さを持つ、永遠なる者。
「クーさん! 逃げてください!」
殿を務める私に、黎の人が言う。私はその言葉に応じず、眼前の、虚ろな瞳を持った紅の人を睨み付けた。
力を込めて槍を振るう。上段から振り下ろされる両刃の剣を弾き飛ばし、返す柄で身体の中心を貫く。同時に左肩に焼けるような痛み。柄でそれ以上の刃の侵略を押さえ、腰を落とすと同時に背後の黎の人を胴から両断。
時間にして五秒ほどの攻防。こういった事態の為の対集団戦闘の自己鍛錬が私を生き長らえさせていた。常に障壁を維持し、ダメージを軽減。同時に魔法の気配にいつも以上に気を配る。そして一人ずつ、確実に素早く排除する。基本中の基本ではあるが、これで一対多数の状況になっても、多少はまともな戦いが出来るはずだった。
――問題は、その「多数」があまりにも多かった事だ。私の視界内だけでも残り六人。
背後を振り向く。まだ幼げな印象を持つ黎の人はまだ何か言いたそうにこちらを見ていたが、不意に踵を返し、こちらを振り向く事なく駆けて行った。そうだ。それでいい。私も向き直り槍を構え体勢を整え、六人の敵と対峙した。
そして私は――
***
ある日、たまたま自己鍛錬に付き合って貰った、ある翠の人に、こう言われた。
「こう言っては悪いですけど…… 貴女の剣には意思が感じられません。確かに技術も力量も高く、素晴らしいものだと思います。けれど、その意思の欠如はいつか必ず、貴女の枷になるでしょう」
落ちていく。
堕ちていく。
私の意識は闇に沈んでいる。いや、どちらかというと進行形。沈んでいっている。
身体の感覚は既にない。空間と自己の境界がひどく曖昧になっている。
指があるのか分からない。
腕があるのか分からない。
身体があるのか分からない。
顔があるのか分からない。
自分の全てを把握できず、見失い、喪失し、
暗黒の虚空に放り出される。
後は堕ちていくだけの甘美な時間。
――ああ、これが。
これが「死」なんだな、と。
遅まきながら実感していた。
そして私は――考えていた。私に許された、最後の時間を使って。
私の意味。
私の意義。
私の存在。
私は、何のために。
「私は、何の為に戦っていたのだろう……?」
――ただ、そんな中、何故か、
先生にあの日貰った「剣」の感触だけが、
ずっと、傍らにあった。
This is tale of a certain spirit.
Her fights an ostensible reason was “Because of a duty”.
Time flowed; she lost sight of a good reason of fight.
She falls to an abyss, she thought of herself then.
「For what purpose did I fight……?」
[Aselia of the eternal ~Spirit of eternity sword~] another person story [Aim obscure]
Chapter.00 埋没する意識 ~No aim, No mind~