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アルヘストは此処まで来るのに長い道のりを歩んできた。 生まれは極平凡な悪ガキ――ではない。路地裏のこじんまりとしたぼろ屋である。 サルドバルトは根っからの財政難の国なので、貧富の差は大きかった。 貴族や商人は贅の限りを尽くし、金のない平凡な国民は彼らの生活の為の金づる。 生きていく上で必要な物はどうにか下に回され、餓死だけは免れていた。 ――しかし、それだけだった。 彼の父親だった男は、アルへストの事を金食い虫としか見ていなかった。 精々ある程度成長させて人身売買で金を得ようとしていたのだろう。 母親は、何処とも知れぬ売春婦。…これ以上の言葉は言うまでも無い事だ。 母は父の考えを怖れ、アルヘストだけを連れて家を逃げた。 母性本能・母親になって気が付いた至宝・命の尊さ――どれかだったのかは今となっては知る事は出来ない。 アルヘストを養うために、それこそ心と体をすり減らして仕事に励んだ。 女性の働き口など極めて限られていたので昼は表の仕事をし、夜は夜にしか出来ない高給な仕事をしていた。 そんな母親の働きを見、仕事の忙しさで愛情を満足に得られなかった彼は、冷めた瞳でその様子を常に観察し続けた。 ――ああ。墜ちた人は何処までも墜ちるのだな、と。 ある程度成長したアルヘストは母親が彼を見る事の出来ない時間に独自のお金稼ぎに出かけるようになった。 盗み・食い逃げ・密輸・強盗。やれる事は何でもやって、金を手に入れてきた。 無論、母親の惨めな生き様にならぬ様に自己保身のための安全は常に確保し続けた。 小慣れてきた時には女を手篭めに出来るまでに成長し、体つきもそこいらの男よりも男らしくなっていた。 そんなある日。盗み仲間とたむろしていた場所に、後から来た男たちが女たちを連れてきた。 そういった事はいつもの事なので、その日も「またか」と思い、どうやって遊ぶか値踏みしようと目を向けた。 女の一人と目を交差させた時に、運命が決定付けられた。 ――女は、母だった。 アルヘストはその後の事を、あまり思い出したくなかった。 その後、家に帰り、数日経っても母は帰って来ず、少しした後に仲間から先日の一人の女が投身自殺しているという話を聞いた。 どうやら時間的に彼らの相手をして少ししてからぐらいだったらしく、見つけられた時の姿はとても見せられたものではなかったという。 話を聞いた彼は、その時は適当に相槌を打っただけだったが、何処か心が虚無だったのを今も鮮明に覚えている。 まともに話をした時間など、それこそ数えられる位の時間だったが、心の何処かで母を今までの生活から助けたかったのかもしれない。 だけれども死んでしまい、その時の彼は生きる目的を失ったのだ。 それからというものの、彼は財産を肥やそうと商売に手を染め始めた。 それこそ真っ当な仕事から汚れた事まで幅は広かった。 しかし、結局は若造の商売など本物の商人の圧力の前に間単に捻り潰されて廃業させられた。 彼はそれでも考え、なれば商売の根幹である、物資の供給元に着目した。 サルドバルトの商売の大半は国交貿易であり、その内容は食料物資と鉱石類の物々交換。 食料関係は外国からであり、潰された商売でこれに関わるのは凶と知ったので鉱石の付け入る隙を知った。 ミスル鉱山は国の中で完全に隔離された地域で、関わるべきではないスピリットも働いている場所。 商売も鉱山道一本なので、自己管理自体は非常に目が行き届く。そして何より誰もが本来なら行きたくない場所とされているのだから。 アルヘストは直ぐには飛びつかず、商売のノウハウと他人の目を掻い潜る隙を丹念に調査して悠々と責任者の地位にまで登りつめた。 後の事は最早言うまでもなく、思い通りの事は進んで順調に生を謳歌していった。 「――――」 だが、今目の前に広がる光景は一体なんだ? アルヘストは母を失った時の様に、二度目の虚無を感じていた。 入り口は最早完全に塞がれ、彼の鉱山が潰えた姿を目の当たりにして膝をついていた―――。 |
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Before Act - Aselia The Eternal - | |||
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「――ぷはっ」 やっとの事で沈んでいた水の中から這い出したのはエリシアであった。 落石を迎撃していた際にレイヴンによって危機は脱したのだが、その時の扱いが粗悪で五感が狂ってしまった。 安全を確保するために横穴の地底湖に思いっきり突っ込んで助かったものの、お陰で浮き上がるのに苦労をする羽目となった。 水面が明るかったのが幸いしたので感覚が鈍くて苦労はしたが迷う事は無かった。 そして今、軽く堰をして呼吸を整えて辺りを見回す。 波打ち際(といっても波は自分がたてたものだけ)である岸は滑らかな岩石で一帯を覆い、縦横の幅ともにかなりの広さがある。 地底湖は途中で切り崩れたような境界線を境に深い水深で半分以上の範囲でこの空間を占めている。 エリシアが今居る波打ち際は陸の岩盤が緩やかな斜面を描いて水面下へと沈んでいたのでよじ登って岸に上がる必要性はなかった。 「―――」 大きな雫が垂れる前髪を頭を振って飛ばし、水気をなくす。 ミスル山脈内を移動し続けて濡れていた服は今はもう無く、手には神剣のみ。 何故なら乾かしている最中に足場が崩れて服を回収する間もなく落石の相手をしたのだから仕方が無い。 今のエリシアは上下共に薄手の白の下着のみで、低下している体温に身震いをする。 地下水の冷たさも然ることながらも空洞内の大気の冷たさは肌に突き刺さってくる。 身体を縮こまらせて今度は詳しく周囲の状況を確かめると、この冷たさの原因に行き当たった。 近場の壁面が岩や鉱物ではなく、氷で形成されていたのだ。 その面積はこの空間の三分の一を軽く占めている割合なので、この冷たさに納得がいく。 ――ざばっ 地底湖から水を多分に肌につけて陸に上がる音が聞こえてくる。 この空気に触れてから、エリシアは猛烈な耳鳴りに襲われていたのだが、今の音は聞き取れた。 実際、それはあまりにも無音な静寂に鼓膜がマイナスの要素で振動して耳鳴りとい現象を引き起こしている。 音に気が付いて振り返ると案の定、上半身裸のレイヴンが湖から出て立ち上がっていた。 「貴様の服だ」 灯火も無いのに見える視界で投げつけられた何かを受け取る。 それは紛れもなく失ったはずの彼女に割り当てられた服。 「―― 一体、何処から…?」 「この程度の芸当は簡単だっただけだ」 そう言って自身の黒の上着を絞って水気を滴り落とすのを見て、エリシアも返された自分の服を眺めて搾り出す。 かなりの水分を含んでいるのでいつもの二〜三倍は重いと感じた。 完全に水気を取るのは自然と蒸発するのを待つか天日干ししかなく、冷気の漂う空間に日の光も届かない遥か地底。 乾くための要因が完全に存在しないので叩き、裾を広げて皺の無い綺麗な見た目だけは維持した。 そしてそのまま上下一環のワンピース形状の服を着ていつもと同じ恰好に戻った。 身体に張り付く不快感は拭えないが、冷たい外気を直に浴びるよりかはマシである。 レイヴンを見れば既に上は着終わって今は白いマントの水気を取ろうとしている。 あいも変わらず耳鳴りが酷いので、視界がはっきりしている様でボヤけている感じがして目を細める。 視界は問題ないので意味を成さない行為だが、自然とそうなるのは身体の反射の様なものであった。 その様子に気がついたのか、レイヴンは外套を羽織り直して近づいてくる。 「耳か」 自身の耳を指で軽く叩いてこちらの耳の調子が悪いのを尋ねている事を示す。 聞こえている様で聞こえていない様な現状で非常に判り易いので直ぐに頷いた。 すると顔を近づけ、耳元で何かを囁くようにエリシアの耳にレイヴンは口を近づけた。 何をするのか分からないが、治療をしようとしているのだけは理解する。 ――Let's Partyぃいいいいいいいいいいい!!!!!(幻聴です) エリシアは自分の耳が死んだと思った。 あまりの怒声とも奇声とも言える声色で叫ばれたその音に完全に聴覚を麻痺させる。 最早強烈な耳鳴りが頭にがんがん響き、蹲って身震いをしてしまう。 何とか頭痛だけは収まり、頭を振って正気を取り戻す。 「何を――する」 眉を顰めてレイヴンを見上げ、今の行動の意味を図りかねている。 「一度聴覚器官を麻痺させて現状に合わせて再調整させただけだ。その際に少々荒療治になるがな」 「…………………」 やった後でその事を知らせるのはどうかと思われる。 耳鳴りが止んでようやく立ち上がれたエリシアは無言でレイヴンを見据え続ける。 表情が出ない彼女なりの非難の眼差しなのかもしれないが、如何せん色がわからない。 「それで、調子はどうだ?」 「……聴覚、回復」 だが、確かに耳の機能が回復していたのは事実。 先ほどまで耳鳴りで上手く聞こえなかったレイヴンの声がはっきり聞こえ、周囲の冷たい空気の音も聞き取れている。 「そうか」 そう言ってレイヴンは傍を離れていく。 行く先には大きな天井の頂にまで到達する氷壁があり、氷から主に光が発している。 氷壁を見上げ、同じ様に近づいていくとふいに足を止めてしまった。 エリシアの瞳は見開かれており、神剣を持つ手も微かに震えている。 「あれは――」 氷壁を構成しているのは無論、氷である。 そして氷壁の内部よりも光は発しているので奥の光が手前の光を照らす絢爛な輝きを放っている。 構成物質である水にマナが含まれるのはこの大地で確認された事はないが、成分に含まれているのは確かなようだ。 だからより一層、氷壁内部に“存在するモノ”がより一層煌びやかに映えているのだろう。 氷の中は永久(とこしえ)に眠り続けるために用意された神の寝床。 深遠の寝床にして侵される事も邪魔をする虫けらも存在し得ない隔絶された聖域。 光をその闇の光沢で全てを奪い去りながらも質感を絶対に失われない表面。 この場所を生命の生誕場所にせんばかりに氷の子宮を連想させる胎児の如く自身を包み込む巨体。 死んでいるかの様でありながらも、今にも脈動しそうな完成された氷から賜れた生物の神秘。 ――黒き龍が、氷壁の中で静かな眠りについていた。 「――――――」 何処までも静かな眠りを連想させるその姿に、エリシアは言葉も無い。 同時に今にも目を覚まし、自分を瞬間にして死を与えるという錯覚を見せ付けてくる。 氷壁の中の龍は何もしていない。だが、その姿を認知した瞬間から自身の死が脳裏を駆け巡る。 圧倒的なまでな存在感――この大地に存在する龍もスピリット同様マナで構成されている。 エリシアは鋭敏ではないにしろ、眠る龍のマナを感じ取って恐怖していたのだ。 何もしてこないと分かっていないがらも、まだ壁にまで距離があるのに動かせない。 ――ズッ 「――っ?」 微震が聞こえてくる。振動そのものを感じるが、音が非常に乏しいこの世界ではただの振動も音として捉えられる。 恐怖していて少々失っていた意識を取り戻し、周囲を見渡す。 この空間そのものに変化は無い様に思えたが、先ほどの落石が隣でまた始まったのかと思ったが、違った。 封鎖された出入り口の一角が崩壊し、何かが飛び込んで来る。 エリシアが今居る場所からでは闇を見据える状況なのでうまく視認できなかった。 ましてやその物体の移動速度そのものが非常に速く、その行く先にはレイヴンが―― そしてそのまま衝突。レイヴンの身体は仰け反り、そのまま衝突で勢いを殺せているがまだまだであった。 突っ込んできた物体とレイヴンとの配置の上で丁度岸の浅瀬を何度も跳ねて水飛沫を上げていく。 最後には盛大に着水し、大きな水飛沫を上げてようやく止まった。 一体何が出てきたのか? エリシアは神剣の柄に手をかけて警戒を露わにしようとしたが、直ぐに霧散した。 何故ならば、レイヴンに突っ込んできた物体が彼に抱きついて頬擦りをしていたのだ。 突っ込んできておきながら何故その様な行動をしているのか計りかねる。 「無事でしたか、レイヴンっ」 蒼い髪が着水してお陰で滑らかに肌に身体に張り付き、扇情的に身体のラインを映す一人の女性。 お互いに尻を地面につけており、突っ込んできた女性は黄金色の瞳を嬉しそうに細めている。 身体をレイヴンの胸に埋め、両手でしっかりと身体を抱き締めて抱擁をして擦り付く。 背中に展開している蒼銀のウイングハイロゥを見る限り、彼女はスピリットで抱きつくために突撃をした様だ。 「…フィリス」 「はいっ」 フィリスと呼ばれた女性は抱きついているので彼の顔を下から見上げる恰好となる。 前髪は頬に張り付き、水気に帯びた顔と肌は艶やかで薄く紅潮させている姿は誘っているとしか言いようが無い。 現に彼女は完全にレイヴンに密着し、何重にも保護している服の上からも密着で胸の膨らみが潰れてその大きさを強調させている。 レイヴンはフィリスの両頬に手を伸ばして張り付く前髪を親指で掻き分ける。 それを今にも喉を鳴らしそうに身を委ねるフィリスの姿にレイヴンは―― 「俺を殺す気か」 ――頬を思いっきり両側に引っ張った。 「ふにゃあ?!!」 柔らかな頬を指先で抓り、両手を大きく動かしてあらゆる可変を実行させる。 指を曲げているのが追加効果をさらに生み、動かす度に痛みを伴っていた。 「理由はどうあれ、先ほどの抱擁の突撃は吹き飛んだ際の場所が悪ければ俺は死んでいたかも知れんぞ?」 「ひょ、ひょめんみゃひゃい、へす〜!!!」 わたわたと両手をばたつかせて謝罪の言葉を口にするが、頬を引き伸ばされているので発音が上手く行かない。 だが意味がちゃんと通じたようで、抓りくねらせられていた手が離される。 赤く腫れた自分の頬を軽く擦り、涙目になりながらも未だにその表情は嬉しそうだった。 「………」 ――ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり 「ひに゛ゃに゛ゃに゛ゃに゛ゃに゛ゃに゛ゃに゛ゃ!!!?」 今度は無言で側頭部(こめかみ横)を拳(中指第二関節)で挟まれてぐりぐりされる。 先ほどとは比較にならない強く染みる痛みにレイヴンの腕を叩いてギブアップを示す。 しかしそれでも止めてもらえず、頭をしっかり固定されて悶絶する。 本格的に涙が瞳に溢れ出しているのだが、未だに顔を泣き笑いをしていた。 フィリスはレイヴンが無事であった事を嬉しく思い、今の痛みも受け入れている。 事前に生存を確認しているはずだが、それでも直接確かめるとでは感情の変化が違ったのだ。 … 悶絶し続けるフィリスとその彼女にぐりぐりし続けるレイヴンの様子をエリシアはじっと見つめる。 あまりの難解な一連の出来事にどの様に動けばいいのか分からないでいた。 元々何もしない時は徹底的に何もしない生活をし続けていたので、この様な動けないという事態に反応できない。 だからといって呆けているのでもないが、その視線は主にフィリスの注がれているのみである。 蒼い髪の黄金色の瞳、そして青白いウイングハイロゥと神剣から彼女はスピリットであるのは一目瞭然。 だが、彼女の豊かな言動と自発的な行動概念にエリシア自身の琴線に触れる何かを感じた。 それは一概に先ほどレイヴンに問い掛けた自身への回答の何か。 ――“ワタシの存在意義の肯定の何か”が…。 「まったく。…勝手に先に進んじゃってどうすんのよ」 ふと聞こえた声に振り返ると、そこには艶やかな黒の長髪をした女性が少し呆れた顔をしてレイヴンたちの向けられていた。 その傍らには特徴的に結った緑の長髪の小柄な女性が嬉しそうな表情でうんうんと頷いている。 新たな闖入者に小さく小首を傾げるが、目の前の彼女たちは構わず話をしている。 「よっぽど嬉しかったんだよね、フィリスは。 レイヴンの生存は確認できたけど、直に触れ合えるのは歓喜の極みじゃない」 「…だからって連携して漸く此処まで来て、最後の最後で一人で勝手に先行されるのは気分は良くないわね」 草の根の様に張り巡らされた坑道を突き進み、下へと続く道がなくなったら三人で強力して強引に開通させた。 流石に後半すべてとはいわないが(だがかなり穴を開けている)、レイヴンたちが通った地下水道を伝ってきている。 細心の注意を払いながらも高速飛行で大胆に下層へと進んでいる。それでもやはりかなりの時間を要し、今漸く合流できた。 「そんな事を言って〜、本当はシルスもやりたかったんじゃないのー? 喜びの、ほ・う・よ・う♪」 「――なっ…!?」 悪戯心丸出して『抱擁』の単語を強調して言うと、予想に反さずに顔を朱に染めて絶句している。 「ちょっとリアナ!! 何であたしがあいつにそんな事をすると思うのよ!?」 「じゃあ聞いちゃうけど。シルスも無事なのを目で確かめて安心しない?」 弄る表情をそのままにリアナは問い掛けると、シルスは少し声を詰まらせる。 「…確かに無事なのを見るのは安心するけど――」 「もしもフィリスがああやって抱きつきに行ってなくて、最初にレイヴンと話せる機会だったら何してた?」 「そりゃあ、こっちをこんだけ心配させてたんだから一発殴ってやってるわよ」 あの仏頂面の事だ。救助に来た事を無下にするのは目に見えている。 でも実際、必要かどうかは別として、救援は彼女たちの完全な独断である事は否めない。 それでもやはり、むかつくのはむかつくのであるので一発は入れなくもなる。 「じゃあ、その後は?」 「…その後?」 「そうそう。その後だよ、肝心なのは!」 ずずいとドアップで迫るリアナは顔を近づける。 少し後ずさるシルスに眉を顰めて真剣な色を混ぜてさらに覗き込む。 「殴った後、レイヴンとシルスは会話をする。主にシルスが文句を言ってレイヴンがそれをあしらう形で。 そして一通り話し終えるとレイヴンはきっと労ってくれるんだな、これが。そんで頭を撫でられたシルスは―――どうする?!」 言葉を進めるにつれてどんどん語調が上がっていき、最後には顔を思いっきり強張らせて問い詰めている。 その様子に飲み込まれてしまっているシルスは冷や汗を流しつつも、律儀にその様子を妄想してみる。 「……………いいかも」 頭を撫でられている妄想内の自分を羨ましく思ってしまう。 「そうそうっ。それで、そのままレイヴンの身体に両腕を回して――!」 「――ぅぁ…」 顔から湯気が出んばかりに紅潮させて顔を抑えるシルス。 彼女の様子にとても満足そうに眺めるリアナ。 そしてその二人の様子をじぃいいーと見詰めるエリシア。 ――何、このアホウな二人組みは。 「うーん? ちょっと失礼な事を考えなかったかな、君〜?」 読めるはずも無いエリシアのささやかな思考を読み取ったかの様にリアナは笑顔で声をかけた。 内心少し震えたが、別段表情に変化はない。鎌を掛けている可能性すら、ありえる。 「何を?」 「ふふふ。ううん、何でもないよー。昔の私に少し“似てた”から分かっただけだけどねー」 「………」 「さってと。シルスー、丁度終わったみたいだから行こう」 「――ええ、そうね…」 見ればぐりぐりは既に終わっており、今はレイヴンがフィリスの頭を撫でて戯れていた。 まだ赤い顔をしていたシルスは足元の水を掬い上げて顔を洗い、気分を変える。 「貴方も来るんでしょ?」 「…はい」 数瞬前までは惚気ていた人物とは似ても似つかない毅然とした表情と物腰にエリシアは少し魅入る。 さっさと背を向けてレイヴンの所へと歩いていく後姿を見詰めてると、リアナが擦り寄う様に近づいてきた。 「ああいうのを“クーデレ”っていうみたいだよ。俗称は“ツンデレ”」 「…『くーでれ』とは、何?」 「そこっ!! 事実無根の変な事を吹き込まない!!!」 |
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「――という出来事が地上では起きていました。 幸いにも現場以外での怪我人は少なく、復興作業には時期を見合わせないといけませんが」 全員が一箇所に集まって現状報告。報告は主にフィリスたち側からの激震の原因とそれに伴う被害状況を聞く形である。 地震の現場に巻き込まれ、脱出を目指して下層へとひたすら進んでいたレイヴンたちには知ることは出来なかったのだ。 「以上です」 「そうか。こちらは話す事は無い。では――「ちょい待った」」 話を終えて脱出に取り掛かろうとするレイヴンをシルスが声で制する。 そして指を傍ら――エリシアに向けて不審な眼差しでレイヴンを見る。 「彼女は誰よ?」 「崩落したこの鉱山のスピリットだ。それ以上は知らん」 三人の視線を浴びるエリシアは顔を変えずに逆に見回す。 「――エリシア・ブラックスピリット…」 それけ言うと、沈黙。少ない口数だけでシルスたちは口が詰まる。 自己紹介をした様ではあるが、あまりの抑制のない口調と発音に今のが自分の名前を告げたと認識し辛かった。 「あー…、シルスティア・ブラックスピリットよ」 「リアナ・グリーンスピリットでーす♪」 「フィリスティア・ブルースピリットです。宜しくお願いします」 自前の髪を弄くって気を取り直したシルスが初めに口を開いて自己紹介をし、リアナとフィリスがそれに追随して自己紹介。 エリシアは顔を声と名前を照合するように順に見詰め、再び声が途切れること数秒の後、 「――どうも」 聖ヨト語では『――キス』としか言っていない日本語訳。 これでまた沈黙が舞い降りるかと思いきや、今度は違った。 「ほーい、宜しくねっ」 「リアナ。少し馴れ馴れし過ぎじゃない?」 「そう? シルスは少し堅過ぎなんじゃないかな。 さっきだって素直にレイヴンの胸に飛びk「蒸し返すなっ」」 「もっと素直で良いじゃないですか。レイヴンは逃げませんよ?」 「…フィリスまでリアナと同じ事を――」 「そんなこと言ってないで、シルスもほらほら」 「―――…そうやって抱きつきながらこっちに見せ付けるように強調させてる胸は何かな、リアナさん?」 「えー、何の事かなー? 私って背の替わりに胸が大きくなったから分からなーい♪」 「…(怒 」 「くすくすくすっ」 リアナが反応し、それに呼応してシルスとフィリスが会話に花を咲かせる。 一人が持ち上げると周囲へと波紋を広げてそれを他者が新たな波紋を呼び起こして小波となった。 小波はそれ以上変化はしないだろうが、それでも確かな変化をこの場に産み落とした。 「………」 その様子を間近でありながらも、蚊帳の外でエリシアは観察し続ける。 レイヴンに抱きついて面白がるリアナにシルスが眉を上げて食って掛かる。 それを傍らで上品にフィリスが笑って間に入って仲裁をし、レイヴンは始終無言で突っ立っている。 傍目からはスピリット三人の楽しげな会話であり、実際にそうである。 だが、常時人を観察し続けたエリシアには少し違う事に気が付いていた。 彼女たちは会話を楽しんでいながらもその実、常時構えを取り続けている。 それはこの鉱山の中という危険な世界に警戒し続けているという気配り。 例え今この洞窟で崩落が発生しても、彼女たちは瞬時に対応できる事であろう。 (―――言い訳…) 心の中で、自分が自分を欺こうとしているのには気が付いていた。 彼女たちの言動が、エリシア自身が求めていた心の突っ掛かりを氷解させていくのだ。 人間に虐げられて生き続ける存在が、それ以外の生き様を求める。 ――あまりに滑稽で、世界の理に反する愚考。 だが、目の前に広がる光景がそれを否定していた。 苦しみも哀しみも全てを吹き飛ばす様に楽しげに話す彼女たち。 人である存在を囲んでいながらも、スピリットの間で馴染んでいる彼。 (――――) ――羨ましい。 心が恋焦がれるかの様に、彼女たちの持っている物を欲していた。 一つだけでも、ほんの一欠けらでも触れてみたい程に望んでいたであろう物が今そこに。 しかし、それは他人の、自身が持てる物理的なモノではないのだ。 小さく開いた唇をまた閉じて閉口する。再び今までのエリシアに戻った。 頭に過ぎるのは、ほんの短時間で起きた脱出探検。降りかかる猛威。そして―― ――蹂躙される毎日… 「――その程度か」 ――交差する、漆黒の瞳。 瞳孔が瞬時に細大にまで縮小する。見上げて見るが、レイヴンは眼下のリアナに応対している。 そんな彼にリアナはより一層抱き付き、シルスを炊き付けていた。 (――幻聴…?) それにしてもあまりにもはっきりとした声が頭に響いている。 だが、それを耳から聞こえた言葉なのか自身が思い描いた言葉なのか、はっきりと判断が下せない。 それほどまでに自身は求めを否定できないのか? それほどまでに自身は望んでいるのか? 今という理想の時を、何時までも知り続けていたいのか――? …… 「では脱出について話をするぞ」 少しの間続いた会話も終わり、レイヴンが現状の打開を進言する。 どんなに悠長な事をしていても、決して変わることのない死という現実からの脱出劇。 今いる場所も、いつ崩壊しても不思議ではない深淵の世界なのだ。 「それならあたしたちが通った道を逆に進めば良いだけの事よ。 さっきの崩落で幾つも閉じていても記憶した坑道の情報を駆使すれば問題ないわ」 三人が別行動で行動内を飛翔し回った要因は此処にあった。 より多くの坑道情報を得る事により、帰還の際の道作りに利用できるのだ。 たとえ最速で理想な道が全て封じされても、必要な分だけ道を新しく開拓すればいいだけなのだから。 「無駄だな」 即座に否定された。全てが徒労だったという物言いにシルスは眉を吊り上げる。 「元より救助は必要なかった。なのに何故ここまできた?」 「随分とご立派な生き残り宣言ね〜? 現状であっても出られると考えてるのかしら?」 声のトーンが急激に下がったシルスの声。 何やら彼女の身体から黒い瘴気が湧いてきそうな程に暗雲じみている。 「無論、そのつもりだ。死ぬつもりなどないからな」 「まぁ、そうでしょうねっ。あたしたちなんて勝手に助けに来ただけですもんねっ!」 「そんな事よりも、だ」 拗ねて食って掛かるシルスをスルーして、レイヴンは顎でシルスたちが来た穴を示す。 シルスが言った脱出ルートでは、まずはあそこから出ることが前提である。 「あの岩の雨の中を何百メートルも昇る事になるが、出来るのか?」 … … … (゚A(゚д(゚Д゚) ア… 「ましてや此処まで派手な崩落を起こしている始末だ。 坑道の殆どが潰れて陥没している可能性も高いのでないか?」 「「「―――――」」」 微妙に気まずい沈黙が三人降り注ぐ。エリシアは悟り、珍しく労わりの眼差しを向ける。 彼女たちにとって第二の発破は完全に予想の範疇外であった。 故に欠落してしまった情報にまで頭が回らず、失策の可能性の高さにシルスも言葉が出ない。 その様子を眺めていたエリシアは、不意にある言葉が脳裏に過ぎる。 「………馬鹿ばっか」 |
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