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「これってやっぱり、こういう事態を予測してあいつはこれを用意してたと見るのが妥当、か…」

シルスは全身を包む薄地のインナースーツから長髪を掻き上げて服を身体に完全に密着させる。
流麗な身体を包む服の微調整を手で細かく施し、上着の制服に手を伸ばす。

「そうですね。元々坑道の開通自体はそうそう珍しい事でもなかった様ですし、今回の準備は想像に難くないですね」

フィリスはアンダーウェアを袖に通し、備え付けられている調整用の紐でしっかり固定。
身体の動きの阻害にならない様に紐の強弱を調整し、胸の膨らみを保護して隠す。

「でもピンポイントで、しかもこの鉱山に私たち全員が一緒に居るなんて勘が良すぎるとは思うけどね〜」

リアナはインナースーツで全身を覆っていながらも、更にハイソックスを足に通す。
若干、関節の動作に鈍さを感じさせるが、肉体保護には致し方ない。
質感のある両足に通すとそのまま脇に置いていた短パンを履いて立ち上がる。

「それは確かに私たちの予測の範疇を大きく超えてますね。
実際に坑道開通作業はその時の都合次第らしいですし、設けられた平均採掘量で安定した採掘は出来ていますがその日次第で採掘量は変化してます。
今日行われたのは予定よりも早く今日の分を採掘し終えたという理由から開通を決行したに過ぎませんし…」

下着を上下着終えたフィリスは皮製の底が厚い靴を片方履いて紐で足の甲に合わせ、紐そのものをチャック付きの保護皮で隠す。
逆足も同様にし、最後に立ち上がって足応えの具合を確かめて軽やかに跳ねる。

「予めあたしたちを待機させていた、だったらまだ納得はいくけどこれは“解っていた”の領域かもね」

靴の調整を終えているシルスはマントを手にしてタンクトップが腰に固定されている要因のベルトで固定。
足の脛まで覆い隠すマントは煌びやかに彼女の足取りに合わせて映えた。

「まぁ何にしても、行く事には変わりないよねっ」

マントを着付けたリアナは最後に上半身の服の出っ張りを抑える上着に手をかけて羽織る。
腕がさらに窮屈になるが、全体的に流線を描いているのでコンセプト重視の服装であった。

「それは当然です」

最後に指半ばに穴が空いているグローブに手を通し、フィリスは手の甲に装着しているモジュール型の金属プレートの位置を調整。
そして着替えの全行程を終え、自身の神剣に手をかける。

「面倒だけど、やるしかないわね」

フィリスとリアナと同じ程のタイミングで着替え終えたシルスも『連環』を手にして外へと飛び降りる。
今まで着替えの場所としていた荷馬車の荷車より――。


Before Act - Aselia The Eternal -
三章 サルドバルト  第五話 - 鉱石の輝き - 中編


「ちっ、面倒だな…」

アルヘストは焦った。今回もいつもの様に崩落を起こした坑道を開けようと発破をかけた。
だがそれは大きな失敗となって彼の責任担当を任されている鉱山全体に被害を現在進行形でもたらしている。
彼自身、発破のために現場へと直接立ち会うつもりがなかったので難を逃れてはいるが、現場は既に大崩落で閉鎖。
発破をかけていた者たちの安否など考えるまでもなかった。

鉱山労働そのものは危険で死ぬ可能性が非常に高い職業。
崩落で死ぬぐらい予定調和の内だが、スピリットにも被害が出ているのが手痛い。
崩落が起こる際、奴らは例の部屋の奥で身体を洗っていた様で、その数はアルヘストの鉱山に居る全員に近い。
お陰で部屋全体が度重なる地震で完全に塞がっているので確かめようもなく、生存は絶望的。
例え生きていたとしても救助できるまでの時間を鑑みれば生き埋めとしか言い様が無い。

スピリットは国ないし国王の私有物。
こんな事でみすみす失ったと知られれば、自身の未来の光景を楽に見る事が出来る。
私腹を肥やした財産は全て没収され、そして今まで積み重ねた功績・地位を剥奪された上で死刑が待っている。
そんな破滅は誰もが望まず、アルヘスト自身も今までの楽しめる生活を簡単に諦めるつもりはなかった。

「どんな筋書きが一番自然にお偉い方を納得させられるかだが…あの調査官は金でどうこう出来る。
問題はスピリットの対処、か。あんな余計な行動を黙認していたのが痛かったな…。
――起きちまった事は後回しにしてだ。筋書きを考えねぇと…」

子供の頃から悪知恵が働き、ことごとく都合の悪い事を煙に巻いたり身代わりを立てたりしてきていた。
その甲斐もあって現在のような貴族に媚を売る商人よりも楽な鉱山責任者となっている。
女日照りで孤立環境なのが不満ではあるが、後の事を鑑みれば安い代償であり、女はスピリットでも賄えている事もある。

だが、その生活にも終止符を打たんとする事態に、過去に見ない焦りを感じている。
頭の中で絶え間なく都合の良い筋書きを描き続けているが、条件が悪すぎた。
死刑そのものを免れるであろうシナリオを見出したが、死ぬ事は無いだけである。
後の人生は今のと似つかない貧相な生き様。そんなのをアルヘストは御免被るのだった。

「随分と苦労している様じゃのう」

「!?」

思考に没頭していたアルヘストは傍らからの声に驚いて振り向く。
そこには顎鬚を擦って笑っているクレス老人が居た。
彼のその後ろに控える三人の女性。顔を知っているので彼女たちはレイヴンのスピリットだと判る。
しかし、いつもと異なるその服。身体に密着する下着にした全身を包むような印象を与える線が垣間見える服装であった。

「…何だジジイ。あんたみたいな老いぼれが居るような場所じゃねぇ」

「まぁ、そう言わずとも。わしは彼女らの男について聞きに来ただけじゃ」

見張りは何をしていたと使えない奴らに舌打ちをするつもりだったが、現状のお陰で走り回しているので苦虫を潰した顔をする。
クレス老人はアルヘストのその様子に気が使ったのか、目を細めたいつもの眼差しで問いかけを続ける。

「先ほどの揺れは酷いもんじゃったな。
お陰で現場の坑道に入ったっきり姿が見えん男の行方をお主なら知らぬかと聞きに来た次第じゃ」

「旦那がか…? そういや報告の中で黒服の男が居住区域の最奥に行ったって言ってたな」

「おお、おそらくそれじゃろう。そこは今何処に?」

情報があった事に安堵した声を上げるが、アルヘストはそれをぶった切る。

「さっきの揺れで完全に塞がっているよ。いや、あれは埋まっちまってるな。
隅から隅まで落石の岩で部屋にぎっしり詰まってやがるから無駄だろうな」

「何と! では助かっている見込みは――」

「あるわきゃねぇだろ」

眉間に皺を寄せてクレス老人は唸り、予想以上に深刻な事態に言葉が出ない。
その代行の様に背後に居たシルスはクレス老人の前に出る。

「現在の復旧状況はどうなっている?」

しゃしゃり出て来たスピリットにアルヘストは顔を顰める。

「何だよてめぇは? スピリットは引っ込んでろ」

「質問に答えろ。現状はどうなっている?」

「はぁ? スピリットが人様に何を言いやがる。犯して捨てるぞ」

「今言った部屋は元々坑道として使われるはずではなかったのか?
だからあそこの部屋だけ他よりも広く、荒い作りとなっている。
原因は恐らく最奥の横穴と見えるが、あの先には何があった?」

スピリット風情が人を詰問している。
アルヘストでなくとも激情を買うには十分な条件であった。

「…スピリットはすっこんでろ。てめぇらが喋っていいのは喘ぎ声だけで十分なんだよ。
ヒィヒィ言って精々俺達を悦ばしまくれや」

「そうやって喘がせていた妖精たちを崩落の下に埋めた奴がよく言う。
それは新しい何かのプレイか? 実に命を手玉に取った御遊戯だ事で。
“国の長の持ち物”でその様な事をする度量に感服するよ」

アルヘストは思いっきり睨むが、シルスは涼しい表情のままで見詰め返している。
立ち位置はアルヘストが椅子に座っているためにシルスが見下ろす構図となっている。
お陰で見下されている様にも見えるので、アルヘストの怒りは増長していく。

だが、言葉を返すにも行動に移すにしても、シルスの言葉に反論できない事柄が多すぎた。
特に『国の長の持ち物』と強調された現在彼の頭を悩ませている最有力問題は言葉を返そうにも返せない。
安直に言葉に出来るだけの余裕や猶予は少ない。鉱山の大規模な崩落問題だけでも一週間もせずに多くの査察官がこの地に遣って来る。
流石のアルヘストも全員を買収するだけの金銭・人脈は存在しない。
ましてやスピリットの全てに近い人員を喪した事で弁解の余地は無きに等しいだろう。
この場でのこの問題に対する発言は現実問題からの逃避に思考の阻害になるので閉口して睨み上げるしかなかった。

「………」

「………」

両者は無言で視線を交差し、時間を過ごしていく。
上記の文章だけを読めば甘美なる意味合いとなるが、実際には険呑とした雰囲気を醸し出していた。
後ろのフィリスとリアナは事の成り行きを今は静観して発言の時を待つ。
彼女たちもスピリットであるので、人間であるアルヘストへに時を見誤った発言は事態の悪化を招くしかないのを理解していた。
なので、この場で最も安易かつ、絶大な発言が出来る人物が口を開く。

「ほっほっほ。お互いに時間は惜しい身の上じゃ。こんな所で時間を潰している余裕はおぬしも無かろう。
ここはお互いに引き、わしらは必要な事をおぬしに聞いて直ぐに退散するので穏便に頼めんじゃろうか?」

「…爺。寝惚けんのにもほどほどにs――」

睨む相手をクレス老人へと下げた所でシルスが背を向けて下がっていく。
フィリスたちの同じ位置に戻って一度だけ視線を向けたがそのまま鎮座する。
相手であった対象が勝手に離れたので気分が殺がれ、舌打ちをして誤魔化した。

「老人の戯言を少しばかり耳を傾けて貰えんじゃろうか…。
何でもいいのじゃ。彼の者に関する情報を元より、この坑道の地図を見せて貰えれば後はこちらでどうとでするので――」

「ああ、鬱陶しい! んだったらこれを持ってさっさと出て行きやがれ!!」

そう言うや否や、彼はテーブルに広げて置かれていた大きな紙を払い除ける様にクレス老人の方へと弾き飛ばす。
彼にしてみれば完全に興を殺がれてしまい、非常に面白くない。
ましてやそうした最大の原因がスピリットのなのだから、許容するのは無理な話である。

「おお、何と言う御慈悲。ありがたやありがたや…」

「さっさとそれ持って消え失せろ、老い耄れ」

頭を何度も下げるクレス老人に唾を吐き捨てる。
宥和に微笑んでクレス老人は紙を折り畳んで出入り口へと向かい、シルスたちもその後を追う。
アルヘストが出て行こうとするシルスを改めて睨むが、今度は一度たりとも目を向けずに出て行った。
扉が閉じられて再び一人となった彼は、椅子に深く腰をかけて深い息を吐く。

「…糞がっ!!」





『ワタシ』は眠っている間も常に冷めた身体の感触を感じていた。
鉱山の中だからなのか寝ると体温が低くなる体質なのか、分からない。
例え人の欲の捌け口にされている最中でもよく冷たさを感じているので、違うのかもしれない。
だけれども、どうしようもなく感じる冷たさが消える日は来ず、果て無き無気力な日々を過ごしてきた。
決して慣れる事のない冷たさ。この冷たさが『ワタシ』にとっては最も身近な感覚であって当然の感覚。

何処まで冷たく、何時までも温まる気配は無い。
焚き火を炊いて身体を温めた時。地下水の川ではなくて温かい温度のお風呂に入った時。
情事で部屋が熱気で蒸している時。体力を大幅に消耗した娘と添い寝をした時。
どんな温かさを呈する行為を行ったとしても身体自体は温まったが、それだけだった。

冷たさは肉体的なモノではなく、決して物理的なモノではなかったのが解っただけ。
これでは何かで対処を取る方法を見出せる可能性は低く、閉鎖されて鉱山生活で知る術もない。
例え知りえたとしても、それを実行する術を『ワタシ』は持たないだろう。
『ワタシ』はスピリット。人に従い、実行する労働人形。雄の性処理道具。
そんな存在の一つに過ぎないのだから何もする事は出来ないのだ。

何も知らず、考えず。ただ人に従う事が最良な生き様。
…違う。そう“在るべき”だからだろう。そしてそれを『ワタシ』たちは認めていた。
人間によるそういった教育や環境がそうあるべきだと仕向けているだろうが、そういった根源を知ったとて益は無い。

知ればこの大地での存在意義から逸脱し、逸れ者となって心は虚無になるしかない。
それを知っている『ワタシ』は…存在意義を逸脱する思考を有しながらも、それを心に封じ込めて生きている。
他の娘たちと同じ様に人間に従って――。

「………」

『ワタシ』は目を覚ました。頬を伝う冷たい雫によって。
おそらく天井の突き出している突起物から滴り落ちてきたのだろう。
軽く息を吐くだけで白い息が視界に映る。
息が白くなるほどの外気の冷たさ。滴った雫の冷たさで覚醒に至ったのだ。

目の先には天井そのものが暗くて見えず、突起する物体がチラホラ見えるのみ。
視界を保っている灯りが『ワタシ』の隣りからだが、灯り不足で仕方が無い。
寝ていた身体を起こすと、身体に白い薄生地の布が被せられていたのに気がついた。
身に覚えの無い物。何故こんな物を被っていたのか、見当もつかない。

「此処は――」

『ワタシ』、エリシアは周囲を見渡すが、ほんの近くしか見えないので判断をつけ辛い。
灯りの灯火は一つだけ。照明を最低限にして長持ちをさせているためか、心許ない光り方をしている。
それでも視界に映されるモノに受け止め、そして理解して思い出した。

視界には、というよりもエリシア自身の傍ら近くには知っているスピリットの娘が二人眠っている。
二度の地震で生き残れた二人。半分以下にまで減った人数を見てもエリシアの表情は変わらない。
しばらく静かに眠っている二人の健やかな寝顔を見ていたが、もう一人の生き残りが闇より出でた。

「何を、していた?」

「少々散策を。此処の灯火が視認範囲だけだったが、状況はそれほど変わっていないな」

レイヴンは灯火を挟んだエリシアの対面に腰を降ろした。

「…生き残りは、この二人だけ?」

「そうだ。お前が気絶してからしばらく待ってみたが、這い出てきたのはそこの二人だけだ。
お前よりも満身創痍だったのでな、外傷はそれほどでもないが内臓への衝撃で身体機能は低下している。
少しだけ寝かせれば回復するだろうが、現状では気休めにもならないだろう」

「これから、どうする?」

「風上へ。そこの地下水道の流れに沿って移動する」

耳に聞こえる水の流れる音。その流れに身を任せる他ないのだろう。
ミスル鉱山の一体何処にこの様な場所があるのか、検討のつけようがない。

「食え」

そう言って放ってきた物を手にして見ると、それは干し肉。
携帯食としては定番なのだが、エリシアはその様な食べ物を見た事はなかった。

「干し肉は見た目通りに硬い携帯食だが、口の中の唾液で柔らかくなって噛み切れる。
よく噛んで胃に送り込めばちゃんとしたたんぱく質の栄養源となる。
歯ごたえがある事で満腹中枢を刺激して必要最小限の食欲に出来るので重宝できる」

しげしげと干し肉を弄くっていたエリシアにレイヴンは声をかけて食を勧め、更に二つを投げ渡してきた。

「ついでにそいつらも起こして食わせておけ」

そろそろ行動を開始するのだろう。
エリシアは無言で答え、寝ていた二人を起こして干し肉を渡して食事をさせる。
現状を理解しているのか不思議な程に現状の中で勢いよく干し肉を頬張る二人。
エリシアは二人のその様子を少し見詰めたが、直ぐに自身の分の食事に専念した…。


………


鉱山まで連れてきた荷馬車の中で着替えを終えた一行は手始めに手に入れた地図を確認する。
しかし、それも直ぐに頓挫してしまった――。

「何よこの適当な図面は…!」

テーブルの代用をしている木箱をシルスは今にも叩いて粉砕しそうな憤慨を見せる。

「困りましたね…。これでは立案の道具は皆無になりますね」

珍しく流麗な眉を寄せるフィリスは溜め息混じりにそう言った。
彼女たちは木箱の上に開いている地図はアルヘストから手に入れた物だが、役に立っていない。
その理由はこの坑道地図は正確な寸法ではなく、崩落前までの道案内図の様な物であったためだ。
正確な形ではないお手軽かつ誰にでも解り易い構図で構成されているので、崩落による封鎖個所の実際の状況判断が出来ない。

シルスとフィリスは今までに何度か中を通っているので知っている個所の補正は行えなくも無い。
だが、それも“知っている”場所に限った事なので、地図に描かれている崩落した別の場所の予測は出来ないのだ。
崩落現状を把握できれば、崩落した規則性を見出して崩落した奥の現状を知り、適切な対処の可能性を上げられる。
レイヴンが今何処に居るのか。それを知ることが出来たとしても、下手な行動が取れないのは事実であるが…。


「――Anfang」

青緑色の魔方陣を足元に展開し、リアナは細めた眼差しで魔方陣に絵柄を追加していく。
魔方陣の円面積は徐々に広がっていき、リアナを中心に直径5m近くになっていた。
崩落現場鉱山内の無事な坑道内。そこではリアナが展開している陣の輝きが周囲を照らしている。

「――Flash-movement lader, Stand by ready…」

『彼方』の矛先で陣を手で届く範囲でなぞる様に軽やかに回転して一周する。
そこに新たな黄金色の円陣が組み込まれ、その円も徐々に大きさを広げていった。
初めに展開していた陣の外円に近づくにつれて魔方陣の輝きが増し、重力を逆さまにした様に魔方陣から光の粒子が舞い上がっていく。
中心に居るリアナの腰マントと尾っぽの様な髪も柔らかく揺れ動いている。

黄金色の陣が青緑色の魔方陣を覆っていき、全てを黄金色の染めた瞬間に小麦色の輝きが瞬いた。
彼女の居る坑道内の空間全てがはっきりと視認できる程に照り煌き、魔方陣は当然眩い金を発している。
その中心に居るリアナの姿を真下から照らしている光景はまさに妖精の名に相応しい。

瞳の琥珀は眩い輝きに反射して透明な宝石をそのまま嵌め込んだのではないかと思えるほどに美しい。
その瞳は真下へと向かれ、光の風によって緑の前髪が舞い上がる。

「――Explosion」

中心のリアナから急速に離れる光は弾けて離れていく。
弾けた光は周囲の光を押し出して消えていくが、形があるかの様に光が光を押して光度を増して消えていく。
言葉として矛盾が存在するが、それ以外に適切な表現は無い。
事実、光は物理的な障害――壁面に触れると通り抜けるように消えてしまっていた。

後に残されたのはリアナを囲う小さくなった魔法陣のみ。
描かれている陣の絵柄は小麦色なのだが、奇妙な事に光を発しているのに眩くない。
改めて薄暗くなったこの空間の中ではっきりと見える光は、そこに在って希薄であった。

「――――」

小さな呼吸をして陣の真上で静かに佇み、何かを待つかの様に身動ぎをしない。
崩落を起こしたこの坑道内では既に人は全員退去し、余計な雑音は皆無であった。
天井から滴った雫が床で弾けた音が酷く機敏に感じられてしまう程に静けさが包み込んでいる。
先ほどの輝きの消失で音までもが奪い去られてしまったのではないかと言わしめる事が出来る静寂。
しかし、その時間はやがて終焉を迎える事となった…。

『彼方』を数回だけ軽く回転させ、周囲に金色の光子を振り撒いた。
するとその行為に呼応するかの如く周囲の壁面から光が戻ってくる。
その光景を見れば、光は消えたのではなくて壁を通り抜けていった様である。

「――For Divine」

戻ってきた光は撒いた光子へと集まって来、光を溜めた光子は『彼方』へと還っていった。
全ての光子を取り込み終えた後に魔法陣は一瞬だけ瞬いて溶け込むように消えていく。
本来あるべき光景の坑道内の空間は余震が再び小さく起きて天井より破片がこまめに落ちてくる。
その光景にリアナは普段のおどけた様子と異なる厳しい目つきで見上げた。

「生存の確認は取れたけど……芳しくないのね」

自身のウイングハイロゥを展開して、リアナは仲間の所へと弾けるように飛翔していく。
飛ぶには窮屈な道を軽々しく飛行していき、直ぐに夜の空へと羽ばたいた――。





普段から坑道内での作業をエリシアたちはしていたために時間の概念はそれほど持ち合わせていなかった。
あるのは朝と夜の時間だけ。それは朝は人に起こされて仕事の始まりだから。それは夜の情事のために採鉱仕事が終わるから。
この二つの他にも朝と夜はご飯の時間であるからなのかもしれないが、実際には本人達が認識していないので確かめようがない。
なので、鉱山から脱出を図ろうと穴という穴を通ってどれ程の時間が経過しているのか判断できない。

何処までも続く地下水脈の流れ。それに沿って蛇行する道というには苔の豊かな道なりを進んでいく。
レイヴンが先頭なのは当然として、エリシアは最後尾で生き残った二人の後押しをしている。
初めての探検行為に疲労は目に見えて溜まっていき、神剣の加護を受けていても肩で息をしているのがハッキリ映っている。

幾多の分岐点を通り、合流する穴を通ったり逆に横穴へと足を踏み入れては新たな地下水脈へと辿り着く。
どうやらこの道全てが地下水脈の流れる道なのかもしれない。

「――少々、手間が掛かるか」

「?」

「走るぞ」

急に足を止めたかというと、レイヴンは駆け出した。何があったのか理解できないが、エリシアは二人に後を追うように急かす。
人間である彼に追いつく事は容易だと思っていたが、意外に速くてなかなか追いつけなかった。
それでもスピリットは身体能力は非常に優れているので追いつく事ができ、エリシアは二人を追い越してレイヴンと並ぶように調整する。
顔を見上げれば疲れの顔も呼吸の乱れが一切なく、ハイペースではない様だ。

「何故、走る?」

「聞こえんのか? いや、この場合は鼻に感じるというべきだな」

「…理解、出来ない」

「水の匂いが濃厚になっている。そして風の流れが重くなった」

「――洪水…?」

「キス」

背後を振り返る。追走する二人の背後を見るが、レイヴンも持っている灯火が前方を向いているので暗闇が広がっているだけ。
しかし、先ほどまで感じなかった圧迫感が聞こえてくる。
此処は地下水脈なのは確かなのだ。なれば苔の存在も納得がいくが、それが天井近くまで蔓延っている。
つまり、天井近くまで本来届いていると考えるのが妥当なのだろう。

やがて微振動が走る足に伝わり、崩落の際の振動よりも振動量が多いのが身体で判った。
振動は空間そのものも揺るがして伝わってくるため、圧迫感をより一層強めてきている。

「助かる術は?」

「無駄口を叩かずにより早く走る事だ」

また一段、レイヴンは走る速度を上げ、エリシアも負けじと足を速めるが後ろの二人が遅れ出してしまう。
元々力を仕事で走る、という行為をしていないので早く走り続けるのは難しかったのだ。
エリシア自身もかなりの無理をしてレイヴンを追走しているが、ウイングハイロゥの補助をかけて誤魔化していた。

――ゴバッ…

ハッキリと背後から音が聞こえてきた。それは先ほど曲がった急勾配の角に多量の水が衝突した音なのだろう。
だが、その音からどれほどの水が流れてきているのか判別できない。
どんな形容をすればあれほどまでのおどろおどろしい音が成せるのか、エリシアは背筋が寒くなった。

走り続けるが、分岐点や横穴は姿を一向に現す様子を見せない。
洪水が押し寄せてきる現実を感じさせる段々と大きくなる音を感じながらでは、思考もままならない。
元々考えるという行為をしないでいる時間が多かったのだが、今は感覚が妙に冴えている。

洞窟自体が怒り狂い、空間を怒りの雄たけびで震わせている。
その怒りの鉄槌として我々に襲い掛かろうとする水龍の化身。
突き刺されば自然の猛威の前ではスピリットとて無事なはずはない。

――ざっ

「…?」

誰よりも速く疾走していたレイヴンは急制動をかけて立ち止まった。
それに追随してエリシアも足を止めるが、他の二人は横を駆け抜けていってしまった。
本能が後ろから迫る洪水に恐怖したのだろう。怯えた表情を通り抜ける一瞬だけ垣間見た。

しかし、灯りはレイヴンの手元にあるので闇の中を無闇に突き進むのは無謀なだけだ。
故にエリシアが声を出そうとしたが、既にその姿は遥か遠く。
神剣の加護を受けた身体能力では声を張り上げても声が届く範囲を既に脱している。

「―――っ」

「諦めろ。そんな事よりも、あれが先だ」

彼女たちが消えていった方角から名残惜しげに振り返る。
確かに気にしていても、自分が死んでしまっては元も子もない。

「…一体どうする?」

「障壁を張って直撃を緩和して流れに乗る。これを咥えて口呼吸に切替え、オーラフォトンを最大出力で張れ」

手渡される管の様な物体。レイヴン自身も同じ物を特徴的な咥え方をしたので、それに倣って咥える。
すると不思議な事に、自然な呼吸が口で出来ていた。管の大きさから窮屈な呼吸を想像していたので違和感はある。
だが、そんな疑問よりも成すべき事があるので、その感覚と感情を排除する。

「っ」

両手を走って来た穴の先へと翳して力を集中させる。
目に見える形で正面に円形のフィールドが形成され、エリシアの全身を包み込む大きさで展開する。
所々で紫電現状が起こり、不完全な形を如実に物語っていた。

彼女自身は正規の戦闘訓練を受けておらず、鉱山での仕事の日々なので最大出力の障壁など慣れていない。
顔を顰めて障壁を維持しているが、見えない水の槍を受け止め切れるのか甚だ疑問であった。
しかし、そんな彼女背中から両手に重ねられる両手。背中に感じる暖かかな感触。
背後に顔を向けるとレイヴンがエリシアに覆い被さるように同じ恰好でエリシアの身体を抱いている。

「何、をっ、?」

「展開の維持に集中しろ。でなければ、直撃で貫かれるぞ」

言葉に従って正面に向き直り、障壁の展開に意識を集中。
視界の隅で蒼と赤の光を見たようにも思えたが、先程よりも大きくなった力の感じの前に打ち消された。


障壁の出力が向上していく。

展開するフィールドの密度が濃厚になっている。

神剣が吼え、ウイングハイロゥが強い光を発しているのを感じる。


――心が、温かさを感じる…。




そして――


数瞬の間もなく――


絶対的な圧力がエリシアの障壁を食い破らんと水の鉄槌が降り注いだ。


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