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Before Act - Aselia The Eternal -
三章 サルドバルト  第五話 - 鉱石の輝き - 前編


「ふーむ、なるほどのぅ…」

顎鬚を撫でながら、細い瞼の内側より前方の光景を眺めて唸る。
彼の目の前にはミスル鉱山の作業風景が広がっており、神妙な顔で見つめていた。
日が暮れ始めているために帰途に着き始めている者がチラホラ現れ出している。
そんな中でも変わらない働きをしているのはスピリットのみ。彼の目にはその妖精たちに注がれていた。

「いい尻j――」

「こんな所まで来ておいてそれを言うか」

背後から頭を押されて地面に伏した彼、クレス老人はシルスに踏み潰された。

「なんじゃいなんじゃいっ。良いではないか」

足を退けられて解放されたクレス老人は額を擦りながらシルスに文句を言う。
その際に地面に這い蹲るように見上げていたので、シルスは後退してスカートの中が見えない角度へと退避。

「クレス爺さんの場合は駄目よ。あんな連中と同じみたいに見えるじゃない」

「そうだよ、お爺さん。お爺さんが此処でそんな行動をして欲しくないんだよ?」

「私も同じ気持ちです」

シルスの言葉にリアナとフィリスが同意する。
ミスル山脈に訪れたこの組み合わせは非常に珍しく、特にクレス老人が居るのだから尚の事であった。
そんなクレス老人を神妙な顔をする彼女たちにクレス老人は思案する。

「うーむ…。しかしの、所詮わしもただの人。おぬしらを使っている者の一員なのじゃ。
今でこそ引退した身ではあるがの、若かりし頃にはわしも彼女らを利用しておった…」

クレス老人の若い時代はこのミスル鉱山で働いていた過去があった。
当時は今より坑道は幾つも開拓しておらず、この国の建国当初から財政難の伝手として汗水流していた。
その際にスピリットも起用されていたが、物の数ではなかった。
まだ同盟を結んで居らず、ラキオスからの独立で国全体が緊張状態が続いていたのだ。
スピリットに多くを委託していたのは事実。だがそれでも圧倒的に足りない部分は人に手によるモノであった。
今ほどスピリットに対して高圧的で自堕落的に接する機会はない。それこそ同じ穴に暮らす同族として大事に扱われていた。

暗い世界は視界を殺し、穴という狭い世界は自意識や五感を多い狂わせる。
坑道で働き始めなどそれこそ使い物にならなくなった人は数知れず。スピリットが重宝されるのは必至。
しかし今、クレス老人の眼下の風景はどうであろう。彼が現役の頃と比べるまでもなく、極端に粗悪な扱いである。
汗を大量に流している傍らを軽い汗を拭って見向きもせずに通り過ぎて行っている。
クレス老人の時代ではスピリットと共同で運搬か採掘主体で機能していた。人の手で運ぶだけで事足りたのだから効率的である。

「おぬしらの気持ちはとても嬉しい。だがの――」

だが、世代が幾つか変わった鉱山は既にその意志は途絶え、堕落してしまっていた。
クレス老人はその現状を前にして申し訳ない気持ちで彼女達の言葉は受け止められないと感じた。
その事を告げようとするが、細い指がその口を塞いで閉ざされた。

「それ以上は必要ありませんよ、お爺様」

それをやったフィリスは柔らかく微笑んでいる。
彼の言わんとしたした事を汲み取り、それでも言う必要はないと行動で示した。

「そうそう。昔があって今がある。
お爺さんだって悲しい事や悔しい事を経験しているんだから、それでいいんだよ?
お爺さんはお爺さん。私たちはそれで十分認めてるよ」

いつもの晴れやかな笑顔だが、その瞳には真剣な眼差し。
それはどこまでも真っ直ぐで深い慈愛に満ちていた。

「そういう事。クレス爺さんが気に病む必要がある時はこっちから言うしね」

シルスは率直に文句がある時は即座に抗議すると言った。
これは裏を返せば何も自分達に言う必要はないと示唆している。

「――ありがとうのぅ…」

珍しく小さな声でそう言うクレス老人。
彼女たちは微笑みでそれに答え、彼が夕焼けを眺めて頬を煌かせているのを見ないでいた。
それが幸いなのか、周囲の人たちの動きが少し変化し始めたのを目視する。

「妙ですね…」

「そうね。まるで何かに備えようとしているようにも見て取れるけど…?」

「――なんじゃと…?」

フィリスとシルスの呟きに近い発言にクレス老人は目を鋭くして振り返った。
先ほどまで安穏としていた男達が次々と巣穴から出てきてある一区画の坑道から離れていく。
その様子に少し困惑している少数の男達に他の男達が何かを話すと少し呆れた顔をして他の者達と同じ坑道を取っていく。

「聞き取れた?」

シルスは隣りに確認を取る。自身も耳を澄ませたが、如何せん距離と山から吹き降ろりる風で聞き取れなかった。
案の定、フィリスが首を横に振った。

「駄目です。距離が少し遠くて――口の動きを捉えてもそれほど具体的な事を言っていませんでしたし…」

「私も駄目だった。近くで他のスピリットの娘も居たからエーテル干渉しての傍受も出来なかった」

普段より大きめな円盤を先端に『彼方』の切っ先を男達の集団へと向けていたリアナも同じであった。
声は空気振動なので、大気中のエーテルに干渉から情報を取ればかなりの距離と精度で音を捉えられる。
だが近くには強力にエーテルを駆使してるスピリットが居たために音だけを拾う事は叶わなかった。
無論、リアナがその気になれば難しくないが、その行程を完成させる前に会話は終えている事となる。
今の会話時間では、今のリアナの行動が最も早くて精度が高かった。

「あたしは『またあそこの大将が……最近よくやって…』っていう風に捉えたわ」

「私はそこに『潰した坑道――』というのが判りました」

「私はー…『再開する』ってノイズ交じりに聞こえてきたよ」

三者が理解できた会話内容を確認しあうと、クレス老人の目つきが一層険しくなった。

「イカンな。はよわしらも避難するぞいっ」

「どうしてですか?」

普段はお茶目なクレス老人には似つかわしくない言動にフィリスが声をかけた。
彼の声色を察してその点に関してではない次行動の理由を尋ねている。

「おぬしらの聞き取れた会話だけで十分じゃった。
どうやら崩落で塞がっていた坑道を爆破して再び使えるようにしようとしているようじゃな」

「それってかなーり危ない選択じゃないかな〜? 生き埋めフラグの匂いがぷんぷんだ」

「リアナ。それって洒落になってないから。それにあの坑道にはあいつが居るし!」

シルスが指差したのは男達が距離を取っている行動の入り口。
そこはレイヴン行き付けの鉱山。今居ないのは彼は指差している鉱山の中へと入っていったから。
彼女たちの場所からはその鉱山は一望でき、複数ある出入り口は視界に収めているので出てきていないのは確かなのだ。

「今は仕方がなかろう。わしらも此処から退避じゃ、退避。下手をすれば周辺でも落石が起きる場合もあるからの」

自分達がいる小高い山から上へと軽く見上げるクレス老人。
なだらかながらも決して滑らかではない斜面。大きな振動があれば突起していた岩が崩れる恐れが多分にある。

「過去にも実例があったのですか?」

「わしが知る限りでは、ない。だが逆に無いという事は蓄積した亀裂などがあるかもしれん。
最悪の場合にはその“ツケ”が纏めて来る可能性も否めんからのぅ。
わしらの時代はまだまだ小さく浅い坑道だったから良いものの、今となれば如何ほどまで掘り進めたか…」

フィリスの質問に思い出すように語るクレス老人。
話を聞いてシルスは思案し、リアナを見る。

「リアナ。パッシブにパイオ、それに各種エナジー探知は直ぐに出来る?」

「出来るけど、少し時間がかかるよ」

「じゃあ、安全な場所に退避してからお願い」

「任せんしゃい」

「任せたわよ。さっさと移動しましょうか」

リアナの返答に頷き、フィリスとクレス老人に後半の言葉を投げ掛ける。
二人は分かっているのでこちらは神妙に頷き、全員移動を開始する。
しかし、小刻みに揺れ出した地面と、振動で揺れる小石に全員が息の飲む。

「Caution!!」

フィリスがいち早く声を上げ、クレス老人を抱いて跳躍。
他の二人も間髪入れずに同じ様に跳んだ。直後――

――ずんっ!!!!!!!

空中に跳んだ彼らの目に大地が大きくブレたのがハッキリと映った。
少しでもズレるという事は、大地のかなりの広範囲が考え付かない程に蠢いた事になる。
フィリスたちの様に跳べない人々はその一撃で全員が大きく転倒。頭から落ちた者は少なくない。
作業中だったスピリットも転んではいるが、怪我は無いようである。
そしてまだ揺れているのか、立ち上がろうとする人々が再び転んでいる。

「かなりの揺れね。一体どうすれば大地を揺るがす程の力を出させたのやら…。
――経験者としてはどう解釈する、クレス爺さん?」

シルスは隣りのフィリスの抱えられているクレス老人に尋ねた。
現在、各々ウイングハイロゥを展開する事によって滞空し、被害を免れている。
揺れている足場に居るよりも、ハイロゥ機動の方が動き易いためである。

「……おそらくは今までの“ツケ”が今回ってきたのじゃろう。
過去幾度となく起きていた崩落。特に埋蔵量が豊富だった個所ならば早めに再度開通させておった。
当然、崩落が起きたという事はその個所の岩盤には亀裂の類は存在する。
じゃがそれを意図的に抑える手法で強引に開かせていたからのう…わしが離れてからどれほどそれをやったかによるが――」

「現状を見るに、希望的観測が出来ませんね」

フィリスの言葉にクレス老人は苦々しい顔をする。
見た目では何も変化が見られない鉱山一帯ではあるが、大気にまで振動を伝えている大地の唸り声は今の大きい。
揺れが小さくなったのか、立ち上がってふらふらと歩く人が増え始めている。

「これだけ激しい振動だったんだから何も被害は無かった、っていうのは虫が良すぎるわね。
現場で発破をかけた奴らはまず助かってないと見て問題ないかも。レイヴンは――放置ね」

「やっぱりなんやかんやでシルスは生存を信じ切ってるね。私もその意見に賛成。
でも、最初の意見は違うみたいだね〜」

「その様ですね…」

フィリスとリアナが近くの山を見上げ、その行動にシルスは舌打ちをしてその意図する光景を見上げた。
案の定、小石がまばらに振り落ちてきているが、更に高い高度から大量の岩が迫ってきていた。
此処ミスル鉱山付近には森林関係は生えておらず、乾いた山である。
そのため、激しい揺れは山に亀裂を生み、止める要素も無く崩れて山から下ってくる証明が現在起こっている。

「今の落石軌道だと下の鉱山の人たちにホールインワン。あ、でも複数だからスペアかな?」

「私はストライクだと思いますね」

「あたしもストライクが良いわね。無駄口はこの程度にして、あたしがやるわ」

「ヨロシク。私の砲撃だと振動で被害が大きくなっちゃうしね」

ひらひらを手を振ってリアナはシルスがハイロゥを鋭角に広げ、高度を上げていくのを見送る。

「私たちはシールドの展開に降りるとしますか」

「はい」

フィリスに呼びかけてリアナたちはシルスとは逆に高度を落としていく。
その間にもシルスは山肌との距離を一定に保ったまま上昇を続け、転がって落ちてくる岩の少し先で滞空。
少し見上げた山肌には大小様々な岩が大きな回転を伴って落下してきている。
少し目を細めてキビしめに睨むも、直ぐに疲れた顔で溜め息を吐く。

「やっぱり人間って面倒な事ばっかりやるのね…」

自身のウイングハイロゥを斜め下に下げ、徐々に自身の高度を下げて山肌に近づく。
それと同時に彼女の腰に淡い黄金色の光の粒子が灯った次瞬に『連環』の鞘へと収束していく。
鞘全体が黄金色で覆われ、光ならば輝いていいはずなのだが全く眩くない。
シルスの足が山に接すると同時に彼女を中心とした魔方陣が展開。
ウイングハイロゥも呼応して大きく羽ばたき、シルスは自身の剣の柄に手をかける。

「厄介事は自分達で如何にかして欲しいものね」

目線を上げた先には自身を踏み潰して下に行かんとする岩の魚群。
左右に強い人の視界では真っ直ぐ近づく物体の把握には弱く、具体的な距離感が判らずに恐怖するが、彼女は静流が如し。
腰を落とし、翼は一際光沢を放って煌く。

「――…一閃」

腰を最大限に捻って抜刀。そのまま一歩踏み出して横一文字に振り切る。
鞘に纏っていた光が刀身の軌道に沿って綺麗な弧を描いて離れた。
それは徐々に周囲に広がって『連環』の振った軌道に沿って山肌を滑るように上昇。

――…zizi

黄金色の軌道を見据えているシルスの翼が一瞬、黒く帯電。
直後、先頭の落石に接触しようとした光は黒い闇の爆発を起こした。
その際の音は皆無。つまり無音。爆発した闇は黒い津波となって山肌を登って次々と落石を飲み込んでいく。
黒波の圧力に負けて落石は逆に押し上げられ、落下してこない。
その様子を見据えたまま、シルスは『連環』を納刀。小さく呼吸を整え、目を細める。

「――弾けろ、叢」

その言葉を待っていたかの様に、闇は文字通り弾けた。
瞬時に弾けた闇に巻き込まれて包まれていた岩全てが細かく粉砕爆発。
小粒な小石となり、粉塵と化してシルスに降り注ぐが、自身に纏っている障壁で弾く。
リアナたちの所までも幾つか届いているのだが、フィリスとリアナが各々の魔法で払っているので被害は実質皆無となった。

シルスの所業は地面に尻餅をついている鉱山の男達からも視認が出来、全員が沈黙して見上げていた。
落石を黒い闇が覆い、そして弾け飛んだ。自分達を押し潰すはずだった物が見る影も無く粉砕されていた。
茜色の空は薄れ、変わりに夕闇となって黒の世界へと移って行く。

――余震は今もなお、断続的に起きている…。





水が傍らを流れる音。ワタシはそれ以外にこの音を表現する術は無い。
流れる音と間接的に感じる水の温度に冷たさを肌で感じる。
辺りは暗闇のために今、自身がどんな状況なのかは分からない。
分かるのはワタシは横たわっている事。身体を動かそうにも、自身の意思に従って身体が上手く動かせない。
何故なのかは、判断できない。頭がぼんやりとして耳鳴りが激しくて思考があまり上手く働いていないからだ。

「………」

どうにか上半身を起こす事に成功するが自分が今、起きているという確証が得られない。
目を開けている筈なのだが、何も映らない。それは即ち、辺りが闇に包まれているのか…それとも夢なのか。
もし夢ならば、夢を見るのは一体何時以来であろうか。あまりの遠い過去の様に思えて、思い出せない。
夢かそうでないかを確かめるまでも無く、地面についている片手を少しずらした所で水溜りに触れて冷たさが頭を起こした。

耳を澄ませるまでもなく、水流の音色は耳につく。片手を冷やす冷たさに触感を振るわせる。
視覚は殺されているがそれ以外の情報でワタシが起きて生きている事を教えてくれた。

静かであるはずだが、どうしてか身体が世話しなく蠢く。
四肢は未だに上手く動かせないので上半身だけが起きたままの状態でいる。
闇の中で目を開けていても意味は無いので、瞼を下げて少し集中すると直ぐに分かった。
地面が揺れていたのだ。地面が揺れれば当然その上の物体であるワタシは直接揺れで作用しないので蠢いてしまう。
不思議な感覚ではあるが、お陰で直ぐに最新の記憶を思い出すことが出来た。

崩壊していく天井。降り注ぐ岩。噴き回る粉塵。
そこまで見ることが出来たがその後は粉塵の圧力に押された所で意識を失ってしまって途絶えている。
頭が依然として機能が低下しているのでこれ以上の思考がし難い。

――かちっ

隣りで高い金切りの音が一瞬聞こえた。顔を向けてみるが、見えないと身体が動いているか判らない。
しかし、目の前の下から仄かな淡い蒼の光が灯り出していた。
それは直ぐにワタシ自身の身体を見るまでとなり、灯りが灯火である事。
そしてそれを着火させた人物も目に入った。人間。男。黒い人。
…レイヴンは静かに佇んでエリシアを見下ろしていた。

「運が良かったな。今お前が居る場所が先ほどの空間内で最も被害が少ない場所。
衝撃や粉塵などで軽傷で済んだ。とりあえずは喜べる状況ではある」

狭く密閉に近い空間特有の反響音も交じっているレイヴンの声にエリシアは気が付いて周りをも見回す。
すぐ近くに積み重なった岩の壁。他の場所も似たり寄ったりで先ほどまでの広い空間が見る影もなくなっている。

「記憶に混乱はあるか?」

「…無い」

「何が起きたか、言えるか?」

「激震の後、天井が崩れて生き埋めに」

何処が出入り口かは分からなくなっていたが、この状況ではそれは絶望的であろう。
エリシアは視線を彷徨わせるのは数瞬だけで後は一点を見詰めている。
その先には少女達の眠っている姿。一部の者は身体からマナの粒子が昇っているが、今は生きているらしい。

「現存するのは俺とお前にそこに居る者たちだけだ。他は…俺よりもお前の方が分かっているだろうな」

レイヴンに言う言葉にエリシアは肯定する以外に術は無い。
今までなかったこの空間内での高いマナ密度。それは即ち、下敷きになったスピリットたちのマナ。
感じられるスピリットの気配は見える彼女たちのみ。他に反応があっても、直ぐに途絶えた。
現存している者。それは即ち、生き埋めを免れて尚且つ肉体活動を行える者である事。
ならばレイヴンの言葉は正しい。

「さて。では脱出に移るが、お前達はどうする?」

顎でとある方向を示す。その先には大きな空洞が続いており、先の地震で開いたと思われる。
手前にある灯火が唯一の灯りなためにその先がどうなっているのか知れない。
しかし、八方塞のこの状況下では可能性があるだけマシであった。

エリシアは未知への領域を少し眺め、そして地に伏して眠っているスピリットたちを見る。
表情は相も変わらずに色が無い。何かを考えていたとしても、その顔からは読み取れない。
やがてそのままレイヴンを見上げ、頷く。

「行く。彼女たちも共に」

「手を貸すとしてもあの人数は不可能だ。叩き起こすしかないぞ」

「やる。これはこっちの問題」

そう言って地面に手をついて力を込め、立ち上がる。
頭もようやくはっきりしたので足腰への力はまだ完調ではないがふらついてはいない。
足取りもしっかりしているので、転倒の恐れは無い。

「待て」

エリシアは背後からのその声に振り返る。すると顔目掛けて真っ直ぐ飛来する物体が。
即座に反応してそれを片手で掴み止め、手の中の物を見て眉を潜めた。
淡く青白い光を発する物体、マナ結晶。何故これを投げつけてきたのか、判断しかねている。

「その状態ではお前も今後の脱出に支障が出るだろ。自身の調子も今の内に整えておく事だ」

「…何故、そんな無駄な事をする?」

「無駄? それはつまり、貴様らがこの鉱山から脱出する事は不可能とお前が思っているからか?」

「―――」

「ならばそのまま投げ返してもらおうか。死ぬのが確定して者に慈悲を与えるほど、俺は裕福ではないのでな」

小馬鹿にしている様な素振りは無い。だが、あまりも余計な意味を含まない純然たる自身の意思。
エリシアは人間がこの様なスピリットを助ける行為を疑問視していたに過ぎないが、それ以上の返答が来て沈黙。
彼はただ助けようとしたわけではない。助かるための要素にテコ入れをしたに過ぎない。
助からないのならば、初めから無駄な事をこの様な行為をせずに自分だけで脱出を試みれば良いのだから。

彼女は手元のマナ結晶を見やり、そして足を動かす。
彼ではない、スピリットたちが居る方へと、マナ結晶を持って。
至近距離で彼女たちの容態を軽く見てみると、大した怪我ではなかった。
マナが先ほどまで立ち上っていた者は既に傷は自己治癒で応急処置が施されていた。

エリシアは自身の背負っている神剣を抜く。彼女に不釣合いな程の長さを有する刀。
ブラックスピリット典型の刀なのはいいが、その全長は1.5mはあろうか。
しかし自身の神剣に振り回される事無くそのまま振りかぶった。

彼女たちの頭上で、エリシアは自身の神剣でマナ結晶を砕く。
金色のマナへと形を崩していくそれはエリシア自身の神剣に、そして足元の彼女たちの神剣へと吸い込まれていく。
神剣にマナが供給されると直ぐにエーテルが身体中を駆け巡り、肉体の修復がなされて完治する。
彼女たちの顔色も、徐々に赤身に帯び出して命を確実に繋ぎとめた。

だからと言って、このまま自然に起きるのを待つだけの時間はない。
今も断続的に揺れは起きているので、ここに留まっていても安否の確率は判らないまま。
なのでそのまま足で蹴って強制的に起こす。怪我は既に治っているのだ、この程度は問題なし。

――げしげしげしげしっ

『あうっ』「うぎゃっ」「「はうっ」」「うあっ」

次々に蹴りで唸って置き出す面々。周囲を見回して状況が飲み込めずに居る。

「生き埋めになったから、これから此処から脱出する」

全員が起きたのを確認したエリシアは簡素にそれだけ言うと後ろ向いて歩き出した。
その後姿を眺めたスピリットたちは、立ち上がって後をついていく。
愚痴も疑問も出ないのは、自身で何かを成すだけの思考回路が極端に低下しているも要因だろう。
長きに渡る鉱山労働と性行為。教養など彼女たちに与えられるはずもなかった。

「親鳥の後をついていく雛鳥だな。差し詰めアヒルの行進」

「アヒルとは、何?」

「ものの例えだ」

灯火をこちらに投げ渡し、レイヴン自身は円筒の様な奇妙な形の灯火を手にしている。
周りを所構わず照らすのではない、円筒の向けた先だけを円形の照らす。
穴の中を進む上でそういった物は確かに有効かもしれない。これから行く穴には灯火設備などないのだから…。





穴の中は思った以上に彼らの予想を裏切る程に大きかった。
足元は当然安定しない歪な形状の空洞で、昨今の年月では在り得ないほどの存在感がある。
長年外気に触れていた事と尖った角は山水の不純物で覆われて丸棒の様に丸い。
湿った空気は何処までもヒンヤリとして呼吸をする度に肺が冷たさを訴える。
手元の灯火は蒼い光の為に周囲の風景も青白いが、黄色い色も見受けられるのでこの辺りは赤みに帯びた壁面の様であった。

エリシアは自分の後ろを見て、皆が着いて来ている事を確認する。
これまで一本道ではあるので逸れる事はないが、遅れたり立ち止まっている可能性も否めないためだ。
再び前を向くと、先頭を行くレイヴンの後姿が。彼は世話しなく手元の筒灯火(エリシアの見解で)を通行先の穴を照らして確かめている。
おそらく、地震が続いている中でこの空洞に亀裂や脆くなっている個所を見逃さないようにしているのだろう。
一体この人間は何がしたいのかはそういった知識を持ち得ないエリシアの知る範疇を越えているので理解していない。

この中の人員でお喋りな者は皆無。レイヴンは基よりエリシアも質問以外に言葉を発する事は無い。
他のスピリットたちは会話の類は無い。お陰で人が居るのにあまりの静寂で不気味である。
そんな事を気にせずにエリシアは周りを改めて見回す。

既に何十分も歩き続けているが、一向に先が見えない。
時折大きな段差で上り下りをして右左へとくねった空洞を進んでいる。
今になって気が付いた事態で、空洞がかなり狭まってきていた。
小走りに走って十秒という広さが今では数秒という半分以下の広さ。
何処かに横穴や亀裂の類があるわけでも無く、このまま行き先は行き止まりという可能性も否めないが…。

「………」

レイヴンはここに来て初めて足を止めた。エリシアも同じ様に止まり、後ろの皆もぞろぞろと足を止める。
筒灯火の先には壁。空洞の終着点であるのだが、幸いにも壁の下方に小さな空洞が続いていた。
一人ずつ入るのが限界な穴の大きさ。レイヴンは屈みこんで筒灯火で中を照らして確かめる。

「風はある。この先に続きは存在しているな」

「だがそれが人が通れる大きさとは限らないのでは?」

風はある、という事は空気の流れがこの先にもあるという事。
だがその空気の流れが必ずしも人が通れるだけの大きさを有しているとも限らないのだ。
人に手首が通るだけの小さな穴かもしれないし、逆にとても大きな空洞があるのかもしれない。
それが分かるのは実際に行ってみるしかないのだ。

「他に選択肢はあるとでも思うのか?」

「無い」

「ならば、そういう事だ」

「―――」

レイヴンは臆する事無くその穴を四つん這いで入っていく。
エリシアは彼が完全に穴に入ったのを見届け、自身も入ろうとした。
そこでふと気が付いた。自分が手にしている灯火を持ったまま入れば、直ぐに後ろの皆の視界は無くなってしまう。
穴から這い出し、立ち上がって振り返る。自分たちも後を追おうとしていたので不思議そうにこちらを見ている。

「最後に穴を通る人がこの灯火を持って来て」

そう言うと傍らに灯火を置いて、エリシアは穴を再度潜っていく。
中は何も見えない暗闇。灯火を手元に無くして始めて実感した闇の中での移動の難しさ。
坑道作業では常に近くに灯火が幾つもあったので苦労しなかったが、今は非常に厳しい。
完全に手探りで穴の先を確かめながら四つん這いで進むが、先に進んでいるレイヴンの筒灯火など、見せる影も無い。

進み始めはよく頭を上にぶつけたので、今では地面に這うように進んでいる。
闇の中でも風を感じる事が出来ているのがかなり助けとなり、大まかな進路は肌で感じて迷う事は無い。
穴は大きくなる事も小さくなる様子も無い。多少は変化しているだろうが、這うように移動しているのでその差異は分からない。
地面の湿気で完全に服はずぶ濡れとなり、地肌に冷たさが直に伝わってくる。
このままでは生き埋めになる前に凍死しかねない可能性が出てきていた。

「―――っ」

だがそんな些細な事には意味もなく、天は何処までも彼女達に試練を与える。激震がまた轟いてきていた。
地面に直接、接しているので直ぐに気が付いたが、良し悪し両方が即座に伝わった。
良い方は直ぐにその地震に備えられる点。事前に察知できれば対応が取り易い。
しかし、今の状況下では最悪。これは悪い方に影響する。
悪い方は現状では打開どころか対応すら出来ないという絶望感のプレゼント。
狭い穴。地べたを這うしかない。出入り口は遥か前後(前は未知の領域)。
ここが崩落すれば、助かる可能性は皆無。今度こそ絶対に助からない。

胸元に寄せている神剣から加護を受けてエリシアは進む速度を上げる。
何度も頭や肩を角にぶつけ、傷ついても速度を緩めない。ここで緩める事は死ぬ可能性を上げる事となる。
だが無情にも激震がエリシアを襲い、彼女の身体は天井に跳ね付けられた。
エリシアの身体が跳ねたのではなく、山そのものが蠢く振動の結果で穴が数十cm動いたのだ。

――――!!!!!!
「――っぅあ!?」

エリシアは身体全体で叩きつけられて意識が飛びかける。頭から行かなかったのは幸運であった。
叩きつけた相手は人と比較するは間違っている存在の山。
山を揺るがす振動を抑える術も手段も制限されている現状で受け身を取る事も叶わなかった。
ぶつかる衝撃も然ることながら、相手は振動。容赦なく叩きつけが連続して襲い掛かってくる。
エリシアはオーラフォトンを展開してどうにか衝撃を緩和できるが、相手の質量の前には微々たるものでしかなかった。

「っ!っ!っ!?――っ!!!!!」

この地震は一体いつ終わるのか。
僅か数秒の時間の中でも激しい叩きつけの連続で彼女の力に精神、そして体力までも根こそぎ消耗してしまっている。
しかし、初まりがあれば終わりもある。地震は徐々に収まっていき、やがて収まった。
耐え切れたエリシアは息も絶え絶えに再び前身を開始する。しかし、指一本動かすだけで激痛と極度の疲労感を襲ってくる。
だが、ここで先に進まなければ再び同じ状況で今のを味わうのは必然。進まなければならない。

穴の先に仄かな輝きを、エリシアは目にした。
穴の形状の先に青白い輝き。エリシアは身体を引き摺る様に這って進む。
あと少しで片手が穴から出るところで穴の先から腕が伸びてくると腕を掴まれた。
そのまま引っ張られ、穴から脱出する。穴を出た先には新鮮な空気がエリシアを待っていた。

狭い穴では空気が篭り、呼吸音と相まって息苦しかった。
今出られた穴はかなり広いらしく、清々しい空気に身体が脱力して休息を求めてくる。
片腕を掴まれてぶら下がっている状況で、それをしている人物をエリシアは見る。
先頭を行っていたレイヴン、その人。全身が汚れているのを見ると、先ほどの地震を彼も被っていたようだ。

「どうやって先程のを生き延びた…?」

純粋な疑問。人間があれを耐えられるはずが無い。
スピリットであるエリシア自身はスピリットとしての頑丈さと神剣の加護で生き延びられた。
それでもこのザマだ。降ろされても身体はあらゆる疲労で立ち上がれない。
人間が生き延びられる理由など思い至るはずも無い。

「俺が着ている服そのものが特殊でな。衝撃関係は特に優れている。
例えブルースピリットの剣戟でも衝撃そのものはかなり殺せる。最も、切り裂かれれば意味は無いがな」

「………」

「だが、俺とても消耗していないわけでもない。しばらくここで休憩だ。
幸いにも地下水脈が傍を流れているしな」

確かに傍らから水が流れる音が聞こえ、レイヴンの筒灯火が少し遠くの地面をきらきらと流れる水模様を映していた。
だが、彼女にはある気掛かりがあった。後続のスピリットたちである。
先ほどの地震を耐えられた者は何人居ただろうか? そして崩落は起きなかったのだろうか?
懸念材料となるのはマナの気配。出てきた穴から感じられているので、マナに還った者は確実に居る。

「―――」

「この休憩時間内に誰も出てこなければ死亡扱いにする。選択の余地は無しだ」

「――…心得た」

差し出された柔らかな布と湯気が立ったコップ水。
甘い香りがするそれを受け取り、コップの温かさに手を温める。
布は直ぐ顔を髪の毛を拭いてから全身を拭く。
服の身体に張り付く冷たさが緩和し、中身は知らない水は心地良い甘さと温かさを身体に染み込ませる。
その心地良さにエリシアは強烈な眠気に襲われ、抗う事無く意識を手放した――。


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