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「はぁはぁはぁはぁ!!!」

「ハァハァ五月蝿い!!!!」


「ああ、何をするのじゃ!!? もの凄く癒されていたというのに!!」

「何が癒しよ! おもいっきり興奮してるじゃない!! しかも何よこの豊満な体つきを表現した夜光鈴は!!?」

「うむ。わしが今年製作した夜光鈴じゃ。毎年夜光鈴を一回作るのが楽しみでの〜。今年も力作が一回で作れたわい」

「去年も一昨年もそうだったわね…。何で円球が出来なくてこんな精巧な女体の器を一発で成功させられるのよ」

「あやつが言うには『夜光鈴の製作過程で作品そのものに製作者の想いが込められる』からだそうじゃ」

「……………」

「それは当然のことじゃぞ。わしの女体…もとい、麗しい女性に対する敬愛の想いはマナの結晶の如く美しく儚いものでな」

「ていっ」

「ぬぉおお゛おおお゛!!!!? わ、わしのおにゃにょ娘の女体が砕け散った〜〜〜!?」

「ええいっ、老人は老人らしく大人しくしなさい!!」

「あうちっ!!?」


Before Act - Aselia The Eternal -
三章 サルドバルト  第三話 - 天女の羽衣 - 後編


「今年も見事に玉砕されてるねー」

「そうですね。ですが、毎年流石にあれだけ見事に粉砕されているのは気の毒に感じます…」

「まぁそれは確かにそうだけど。でも、叩かれて少し気持ちよさそ〜にしてるから損得はイーブンじゃないかな?」

「…それもそうですね」

フィリスたちのクレス家での日常は大抵こんな感じである。
クレス老人が老人らしからぬ行動にシルスが突っ込み、それを遠めでフィリスとリアナが眺めている。
時折クレス老人とリアナは配役が代わるだけという平和で少し賑やかな一つの家庭であった。
そしてもう一人。この家に在住している男、レイヴンは――

「………」

窓際で読書をしていた。自前の椅子に腰を据え、背もたれて手元の本を静かに眺めている。
窓は開放されており、時折微かな香る潮風が吹き込んできてその艶やかな黒髪を撫でる。
本の頁は空いている方の手で常時乗せるように押さえているので風で捲れる事は無い。
賑やかな家中の日常に慣れているか、それとも気にしていないのかはその別空間を醸し出している表情からは計り知れない。

彼の肩には蒼い鳥が足を折って休んでいる。そして足元にも真紅の毛並みが艶やかな子狐が一匹身体を丸めて寝ていた。
吹き込んでくる風で毛がなびく度に尖った耳がぴくぴく動き、大きな筆のような尻尾がふりふり振られる。
レイヴン自身はそれらの行動を邪険にする様子も無く、むしろ当たり前の事と受け入れているようでもあった。
その風景をフィリスとリアナは紅茶を飲みつつ眺め、既に幾年も何百回も見ていても不思議と見惚れてしまう。

――クレス老人とシルスの漫才も見飽きる事が無いのも追記しておこう。

「シルスー。もうそれぐらいにしておいてもいいんじゃないかなぁ?」

「…それもそうね」

ズタボロの雑巾の如く叩きのめされたクレス老人は床でぴくぴくと痙攣している。
リアナはそれを屈みこんで幾度かつつくと反応があった。

「――嗚呼。いと儚きことかな、遠き夢の理想郷…」

反応はあった。だが夢を散らした、ただ屍のようだ。

「ちょっとハイペリアの世界の逝っちゃっているみたいかな?」

「それぐらいが丁度いいんじゃいの? もう高齢なんだから」

「ですが、その割には顔がニヤけてますね。それにお爺様の視線が――」

フィリスの言葉にシルスの視線は即座に床に転がる屍に向けられる。
確かにニヤけている。先程よりかは幾分かマシだが、気味が悪い。
しかもその視線は屈みこみ、リアナ自身の太腿で当然捲れてしまうスカートの必然空間に――

「ふふふふふふふふふ。良い脚線美じゃ。その根元のムッチリ感がなんとも堪らn」

――どげしっ!

シルスはその物体を蹴り上げ、そのままレイヴンがいる方向へと蹴り飛ばした。
レイヴンとぶつかる飛来軌道ではあったが、それを事も何気に足に力を入れて椅子の後ろ二本で立たせて上半身を反らす。
その分、太腿が持ち上がるのだが、飛来物を避けるのには十分な空間が目の前に出来た。
そして当然レイヴンにぶつかることなくその場を通過し、開いている窓からその物体は飛んでいってしまった。
元の姿勢に戻っても今の出来事がなかったかのようにレイヴンは再び読書に耽る。肩の鳥もずっと固定されている。

「おー、お見事っ」

「リアナ。分かってて屈み込んでたでしょ?」

「少しは労ってあげないと。流石に割っちゃうのはいただけないなー」

「……まぁ。確かに。少しは反省するわ」

「うむ、それでよしっ」

シルスは少し眉を寄せて叱咤するリアナに素直に反省の意を表した。
普段は明るく元気なリアナであるが、その実はちゃんとしるのでシルスは反抗しない。
フィリスもそれを知っているので目の前で少し落ち込むシルスの様子に微笑んでいる。

「で。回収しに行く?」

「嫌よ」

しかし、誰一人とて救援に行こうとする者は居なかった。お茶場にシルスも加わり、一人抜けた日常が舞い戻る。
誰もが窓に掛けられている夜光鈴の音色に耳を傾け、静かな時間を過ごす。
その音色は幾重にも重なっており、此処には一つしかないので重複している違和感を覚えた。

「二個増えてるね。それも段々大きくなってきている」

「来客ですね。誰でしょうか…夜光鈴を購入した人は片手で数えられる程度ですし――」

「ああ、この音色ならあたし知ってる。首都に行った時に売れた二個ね」

聞き覚えのある音色に、シルスはレイヴンの方を見やる。
見られているレイヴンも見返してまた直ぐに読書に戻った。つまり接客は任せる、と。
少し面倒くさそうに席を立ち、玄関へと向かう。

「知り合い?」

「まぁ、そうね。だって今日は例の日でしょう?」

「おお、そっか。来てくれる人なんだ」

「それは聞いてみないと判断しかねるからリアナが直接会って確かめてみて」

「ん。わかった」

リアナが顔を引っ込めると、丁度玄関先にまで夜光鈴の音色と人の気配が立ち止まった。
相手が呼び鈴を鳴らすよりもドアをノックするよりも早く、シルスは玄関の扉を開け放つ。
ゆえに来訪者は挙動の先を起こされてしまって呆気にとられてしまっている。

「今日来れる都合が出来たのかしら?」

「――あ、はいっ。
丁度滞在日数が明日まででしたので、少し無理を言いましてお招きに預かる事にしました」

シルスの開閉一言に正気を取り戻した金髪の少女、リースは少し恥かしげに答える。
そして伸ばした手をようやく引っ込めた少女、ネイファは一つ小さく咳払いをして気を取り直した。

「そうですよ。…リース様は本来多忙な方ですから、こういった息抜きは必要ですから」

「硬いですよ、ネイファ。今はもっと素でいていいんですよ」

「いえ、これは私がそうしたからでして…」

「むぅ…」

少し不満顔をするリースにネイファは少し困惑する。

「え、あの、その――きゃっ!?」

おろおろ視線が彷徨っていると、突然ネイファは悲鳴を上げた。
顔を真っ赤に染め、尻を抑えて振り返って後退るその様子にリースは疑問符を浮けべている。
シルスは原因が即座に分かったために重い溜め息を吐いた。
案の定、先ほどネイファが居た地点の下方、しゃがみ込んでいるクレス老人が恍惚した表情で居た。

「うむ。なかなかの安産型じゃのう。しかし今一つ引き締まりが足りん。
何か不満でも持っておるのかのう…どれ。わしが手解きをしてやろう」

「な、な、な――なにすんのよ、この爺ーーー!!!!」

陽気に笑うクレス老人に数瞬口をぱくぱくさせて羞恥で言葉を失っていたが、直ぐに激昂する。
その怒りに親近感を抱いてシルスは同情の意で同意して頷く。

「女性の身体を、しかもお尻に触るとは何と破廉恥なの!!」

「良いではないか。これも呆け呆けの老人が呆けてやってしまったささやかな手違いじゃ」

「その手違いで人を安産型とか悩みを看破しようとしないぞ!」

「ではそれはきっとわしのボケなんじゃろう。
確かにお主の尻よりもそちらのお嬢ちゃんの尻がとても気になって――」

「それ以上の破廉恥な言動は許されんぞ!」

相手の怒気に当てられても何のその。何も堪えない破廉恥行為を行った老人は笑っていた。
あまりの展開にリースは事態に着いていけず、おろおろするばかり。
なので、ここで唯一対処法を有しているシルスが行動に移る。
まずはクレス老人の頭を引っ掴み、そのまま遠心力を駆けてその場で一回転。

「他所様にまで手を出すんじゃないの!」

――めこっ

そのまま玄関口横の壁面に顔面から突き刺す。
何の躊躇いも無く老人を叩きつけた現場を目の当たりにしたリースは呆然とし、怒り心頭のネイファさえも驚愕して沈黙。
当のシルスはクレス老人を叩きつけた手を放すも、頭全部が壁に突き刺さったままなので老体もぶら下がったまま。
自身の仕事に満足したのか、シルスは手に付いた木片を払い落として呆ける二人に微笑みかける。

「御免なさいね。この物体はいつも事だから気にしないで」

「あの、でもこれは――」

「大丈夫。勝手直ぐに復活してるから」

「ですけど、どう見ても――」

「問題は全くないので、立ち話も何だから、中に入って」

リースはどう見ても全然平気じゃない老体の安否を気遣うが、シルスは放置。
流石に加害者のネイファも哀れに思うも、背中を押されて家の中に案内されてしまう。
玄関の扉は閉められ、表玄関には新たなオブジェクトが壁面に飾られていた…。



「いらっしゃ〜い。どうぞこちらに掛けてね」

「いらっしゃいませ。遥々ようこそお出で下さいました」

リアナに席を勧められ、席についた二人にフィリスが紅茶を二人分用意した。
言われるままにリースとネイファは席についたはいいものの、二人を交互に見たまま視線が固定されている。

「どうかしましたか、紅茶に何かご要望でも?」

二人は紅茶に手をつけない様子にフィリスが少し首を傾げる。
その際に蒼く長い髪が細かな砂が手から零れ落ちるように流れた。
今度は違った意味で二人は視線が固定するも、リースが首を横に振る。

「いえ、違いますっ。少し見惚れてしまいまして…」

「不覚ながら私も失礼しました。シルスさんはスピリットだと窺いましたけども、やはりお二方の様に顕著ではなかったので…」

ネイファはリースの同様の考えを抱いていたのでそれを代弁するように語る。
その言葉を聞いたリアナとフィリスは納得し、シルスも自身の黒の前髪を弄って理解した。

肌に顕著として現れていれば別だが、ブラックスピリットは総じて人間と区別が付き難い。
一部の研究ではブラックスピリットはどの色とも異なる特徴的な色を表するらしいが、シルスは宝石のような藍色の瞳である。
しかし、軽く見ただけでは分からないので、二人はフィリスとリアナの明らかなスピリット色を見るまで漠然とした認識しかなかった。

「そうね。確かにあたしの容姿じゃ分からないか。じゃあ、これならいいでしょう」

シルスは言い終わるのと同時にハイロゥを展開させる。
ハイロゥはまず、頭上で円盤状に光の環が展開してから各々属性ごとの形を作る。
しかし今、シルスはそんな行程をせずに二対の光球が背中に発生し、そこから光の翼が生み出された。
突き出るように羽ばたいて展開したウイングハイロゥに、余波のように散らばる光の粒子が舞う。

「これでどう? あたしがスピリットだってはっきりしたでしょう」

「「………」」

シルスがウイングハイロゥを展開する一部始終を見ていた二人は目を見開いて見入っていた。
あまりの美しさに言葉に出来ないで居る。シルスがスピリットであるという認識よりも、その美しさの前では塵も同然であった。

「シルスのあまりに華麗なハイロゥを目の当たりにして言葉も出ないみたですね、お客さん」

「…あのぅ、あまり呆けられていられますと紅茶が冷めてしまうのですが……」

リアナが自慢げに二人の肩に手を置いて正気に戻させ、フィリスの言葉に慌てて紅茶を口にして舌を軽く火傷をさせる。
少しドタバタするも、直ぐに順応して二人は席についたシルスたちを軽く雑談を交える。
スピリットは総じて兵舎という閉鎖社会となるのだが、目の前の三人は違った。とても豊富な知識と品行を有している。

フィリスは言動ともの上品だが、決してお堅いわけでもなくて軽い冗談も受け答えできる。
一見して活発で明るいリアナは砕けた印象を持たせるが、少し観察すれば品行は非常に良い。しかも受け答えに不快感を感じさせない。
シルスに関しては言いたい事はハキハキと言え、それは物腰も同様に気品の高さと高潔さを呈している。
スピリットだと分かっていても、嫌悪感を抱かせないのはその人物の個として認識しているからだと二人は感じた。
故に話は弾み、談笑だけで日が傾いて茜色に染まるまで夢中で話し続けた。だからであろう、

窓際に居るレイヴンはリースとネイファに気付かれる事無く読書をし続けていたのは。

夕暮れになった空に気がついた一同が窓の外を見ようと振り向いた時にその存在に気が付いた二人は猛烈に恥じた。
シルスが居たのだからあの時一緒にいた彼が居ないはずが無い、と。そして猛省して二人は謝罪する。
レイヴンは一言「気にするな」と言ったが気にしないわけにもいかず、謝罪し続ける。
そこに「だったらわしに成長過程の胸を触診させt――」という声が聞こえてきたが、複数の打撃音と共に幻聴と化した。

「――時間だな」

手の本を閉じて椅子から立ち上がったレイヴンは薄暗く成り出した空を一瞥して言った。
窓枠の夜光鈴とリースたちの二つの夜光鈴がほのかに光を点している。
頭を下げていた二人は一瞬何かと思ったが、直ぐに思い至った。

「海という所に行かれるのですねっ?」

「海は初めてなのですか?」

瞳を輝かせて言った言葉にフィリスが反応し、ハッとなってリースは少しおたついた。

「そんなに驚かないで下さい。海と言いましてもそんなに大したモノでもありませんし、内陸が大半を占めるこの大地ですから初めてでもおかしくありませんしね。
首都の人でも海を生まれて此の方、見た事のない人は大勢居るでしょうし…」

「そうですっ。この国初めての訪問ですので、色々とリース様の気になっていたのですよ!」

何故かネイファは勢い良くフィリスの考えを肯定し、リースも便乗して何度も頷く。
フィリスは微笑を浮かべて同意し、それ以上の詮索はしなかった。

「行く準備を整えのないのか?」

そんな事をしているうちにレイヴンは白い外套を纏って肩には蒼い鳥、足元には小狐を連れて外出の準備を完了させていた。

「そうじゃのう、わしも既におっけえじゃぞ」

クレス老人もいつの間にか復活&仕度を整えて優越感たっぷりにこちらを見ていた。
とりあえずシルスがその顔に一発お見舞いして自分たちも即座に仕度をして家を出る。
既に夜食の準備も整えていたので食べ物を詰めた少し大きめの荷物籠をフィリスが携えていた。
元々軽装で来ていたリースたちは談笑をしながら先頭を行くレイヴンの後をついていく。
個々の夜光鈴の音色と灯っている灯りがいつもより明るいのは気の所為ではない。
途中で夜光鈴の屋台を引くオヤヂと合流していざ海岸へ――




空が完全に日の光を失い、星が煌き出した頃にはレイヴンたち一行はバートバルト海沿に到着した。
日光の影響がまだ多い浅い時間にはそれほど多くの星を視認できないが、徐々に食性が薄れていって見える数が増えていく。
月も星が増えるに従って淡い輝きの光度が増していっている。
海が初めてというリースとネイファは広大な海原に絶句し、冷たい潮風を肌に感じていた。

「――凄く、広いですね…」

「…はい」

初めての海に見入っている二人に妖精たちは微笑し、レイヴンとオヤヂの準備を手伝っていた。
十人は乗せられる船舶一隻を浜から波打ち際へと運搬し、その中に小船を幾つも乗船させる。
既に夜光鈴を積載したオヤヂの屋台は船舶に搬入・固定していた。

「―――」

浜辺ですべき行程は終わり、レイヴンは浜を一瞥した。
まるで何かを確認するかのように。他の面々もレイヴン同じく周りを見回す。

「来てない、か。まぁ、来る方がおかしいか」

数少ない中でシルスがより印象的だった少女を思い出した呟きに、リアナは目を光らせる。

「なになに? シルスは来て欲しかったの?」

「…そうね。あたしの自腹を切ってまで売ってあげたんだから来てくれないのは残念ね」

「も〜、素直じゃないんだからっ」

リアナはシルスの頬っぺたを指でつつく。されている本人は明後日の方の星を見てされるがまま。
現れた星が既に数えるのが億劫になるほどになった時点でレイヴンは船舶に乗り込んだ。
誰も来ないと判断したのだ。シルスも少し溜め息を吐いて彼に倣う。
フィリスとリアナはリースたちを呼び、波で足元を汚さないように細心の注意を払って客人を乗船させる。

既にオヤヂも乗船しているため、誰が浜から海へと船を押し出すのかというと、それは蒼い鳥と小狐の役割。
まずは小狐が浜側から船舶を身体全体で押し出そうとする。無論、体格差で不可能と思われる。
しかし、小狐は海に足をつけておらず、海面に小さな波紋を起こしてその上に立っていた。
その足が少し海面にめり込み、押している船舶が徐々に海へと移動していく。
そして船底が完全に砂浜から離れたところで小狐は跳ねて船に乗船、次は蒼い鳥の番。

船頭に括りつけられている繋留の紐をくわえ込み、羽ばたいて海へと飛んで行く。
この鳥の場合も不思議な事に紐が張り詰めてそこで終わらず、大きく羽ばたく事に徐々に船舶は加速していく。
それを何度か繰り返すうちに船は風を軽く切って沖合いへと進路を取っていた。
その段階になって鳥は船上へと舞い戻り、紐を放して船の上に置いた。

「そういえば、どうやってあたしたちの居る家を探し当てたの?」

目的地まで時間のある中で、シルスは素朴な疑問をぶつける。
彼女たちに住んでいる家を教えていなかったのだから、当然であった。

「本当でしたら私たちは夜に海へと向かう算段でしたのですが、予定を組むに当たって余裕が出来てしまったんです。
それでも予定よりもかなり早くバートバルトに着いてしまいまして観光で時間を有効利用するつもりでした。
街をネイファと共に歩いていると少し奇異な目で見られてしまい、少し不安に思っているととある人に声を掛けられたんです。
それで、その、あの――」

「あー…何となく予想はついたわ」

何故か流暢に話していたリースが突然言葉を濁したので、シルスは直ぐに思い至る。
彼女達は街の中を散策している中で、その手に夜光鈴を持っていた。
バートバルトを中心にレイヴンとシルスたちスピリットがよく露店を開いている。
当然リースたちが夜光鈴を持っているということは、スピリットから売り物を買った事になる。
そして声を掛けた人というのは何かしらの警告でもしたのだろう。

『あの妖精趣味者たちの物など直ぐに手放した方が良い』とかなんとか。

そこからリースたちはレイヴンたちの住んでいる家を話の過程で知った。そういう事である。
この街でクレス老人の家に近づく者は少なく、『妖精屋敷』と影で呼ばれているらしい(リースが言ったわけではない)。

「すみません…」

「そんなの気にしてないわよ。そんな事よりもほら、周りの海を見て見なさい」

気分を害するだろう発言にネイファともども頭を下げたので、周りを観るように勧める。
その言葉どおり周囲を見渡してみると、目を大きく見張ってしまう。

「「…うわぁ〜」」

思わず言葉を漏らしてしまう絶景が船の周りにはあった。
船より見える全ての光景が星。星の海が広がっていたのである。
雲一つ無い晴れ渡る空には数多の星が自己主張し続け、星雲まで見てとれた。
そして澄み渡る海は何かの前触れのように静寂を保ち、鏡面の様に空の星々を映している。
既にかなりの沖合いまで来ており、ミスル山脈の切れ端である外の海まで直ぐ其処。

バートバルトの街の灯りが星の輝きの中で埋め尽くされ、周りの全てが星の世界。
まるで星の海原に漂う小さな小船のようにレイヴンたちの船は点在している錯覚に陥る。
見入ってしまったリースとネイファは今いる船の中より一歩たりとも動く事を躊躇う。
その場で身動ぎ一つでもしてしまえば、そのまま星の中に吸い込まれてしまう気がしてならなかったのだ。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫ですっ。大丈夫ですけど…動けそうにありません」

「私も…同じです。目が離せないですよ」

あまりに一生懸命に外を見詰める二人にフィリスが声をかけ、その返答に嬉しそうに微笑む。

「あまり見入ってしまいますと後が大変ですよ。この後は更に綺麗に彩られるんですから」

「そうそう。今年は一段と綺麗な空と海だからってこの程度でお熱になっているとお楽しみの時になって気絶しちゃうと勿体無いよ♪」

「ええ?! これ以上にまだ美しくなるんですか!!?」

ネイファが代表して裏返った声を上げる。

「うむ。それはもう失禁しちゃうかもってぐらいにっ」

得意満面にリアナは答え、自分の事の様に胸を張る。
あまりに自信がある態度に二人は信じられないと口を開いたまま閉じられないで居る。

「リアナ。あまりお二人を驚かしてないでこっちを手伝って」

「ほ〜い♪ リースとネイファも手伝ってみる? 皆で楽しく、ね」

「そうですね。皆でやりましょうか」

何かの作業をしているシルスに答えたリアナはリースたちを誘う。
そしてその提案にフィリスも賛成した。

「そうそう。いいよね、シルス?」

「…いいんじゃないの、ねぇ?」

さらに同意を求められて、シルスは傍らで同じ作業をしているレイヴンを見やった。
彼はシルスを見ずに作業を黙々と進めていく。更に隣りのオヤヂ共々、である。

「構わん」

「いいってさ。早くこっちに来て手伝って頂戴」

しかしそれでも声だけははっきりと返ってくる。
故にシルスは何の文句もなしにリアナたちを呼び寄せ、乗船員全員で作業に取り掛かる。

「…これはどうするんですか?」

「そこはこうして、こうするの。ほら、こうすればお手軽簡単♪」

「ああ、なるほどです。流石です」

「むっ。リース様の手を煩わせないように私が…っ!?」

「失敗ですか? ……そうですね。これならこうすれば問題ありません」

「…お手数掛けます」

「いえ、楽しんでやりましょうね?」

「はい…」

「「……………」」

「――こっちは沈黙男二人で会話は無いわ…」



「「―――――」」

共同作業を終え、とある準備も終えて目の前の光景に再び二人は見惚れてしまう。
いや、今度は息をする事さえ忘れてしまう程の幻想が広がっていた。

――海が星空になったのである。

乗船している船を基点に、小船を幾つも周囲に散らばらしている。
その一つ一つに細くて頑丈な紐で繋いでおり、さらにその紐には夜光鈴が等間隔に吊るされている。
先ほどの作業というのが、夜光鈴を紐に括り付けていたのであった。
夜の闇の中では細い紐など無いに等しいほど見え辛く、夜光鈴の輝きと音色が海原に広がる。

極めつけは海の底より淡く輝く青白い光。
何がどうなっているのかはわからないが星雲が映えているのではなく、本当に海の中から光っているのだ。
まるで空の星雲に対抗するかのように、その輝きは船の壁面を淡い輝きで覆っている。

「この時期になると、夜光鈴の原材料となる夜光石が活性化する。
詳しい原理は多分に含んでいるマナに関係しており、この時期になると鉱石内のマナが変異を起こしているのだろう。
鉱石内のマナが活性化することで、鉱石自体が海面上からも余裕で確認できるほどの光エネルギーに変換される。
その際に鉱石自体も融解して古い表層は無くなり、新たな表層の夜光石の純度を上げさせる。
今ある夜光鈴はこの毎年の周期を見越して少量を頂いて作っている」

その横でレイヴンがこの現象の説明をしてくれているが、世界の神秘を目の当たりにしてる二人には聞こえていない。

「――この周期は全ての夜光石に影響するため、毎年この時期になると全ての夜光鈴も同様な現象となる。
ゆえにこうして夜光鈴を海に返すのが慣わしとして、行事を行っている」

「…もうそろそろね」

「うん、そうだね。ほらほら、二人とも自分の夜光鈴を手の持って」

何かの空気を感じたのか、シルスの呟きにリアナが頷いて未だに海を見詰めるリースたちを起こす。
そして夜光鈴を手にして持っている手を海面に突き出させた。

「あの…何が起こるんですか?」

「見てれば直ぐに分かるよ――ほら、あれ…」

リアナの視線を追って見ると、宙に浮いている夜光鈴が次々と盛大に光り輝き出した。
それは手に持っている夜光鈴も例外ではなく、リースはあまりの神々しさに腰を引いてしまう。
ネイファに至っては手を放しそうなり、フィリスに支えられていた。

「これはね。夜光鈴の最後の輝きなの」

「最後の…?」

リアナの不可思議な物言いに言葉をリースは反復する。

「うん。夜光石特有のマナが光って溶けるのよ。
夜光鈴に含まれている夜光石の量は微量だから跡形も無く消える。
だから最後くらいは元の海に返してあげよう、っていうのがこの行事の意図なの。
ああ、溶けるって言ってもそんなに熱くならないから大丈夫♪」

「不思議ですね…。私たちが身近に使っているマナがこんなにも神秘に満ちているなんて」

「それはちょっと違うよ」

「…え?」

疑問符を浮かべて輝く夜光鈴からリアナの顔を見つめる。
その表情はとても優しい慈愛に満ちた表情で自分の手の持つ夜光鈴をどこまでも優しく見ていた。

「マナはね。いつも不思議で神秘に満ちてるよ。私たちがいつも使っている灯火だって元はマナ。
形をエーテルにしてだけど、それもとっても不思議で一杯。だってほら、火がなくて光ってるんだよ?
何気なく使ってる物の中にはみんな不思議が一杯。それに気が付いてる人は少ないし、それはマナの身体のスピリットでもそう。
みんな不思議で、みんな神秘。人は皆、それに気がついていないだけ…」

「………」

リースはリアナが夜光鈴の輝き以上に眩しく感じられた。
何気ない事でも、当たり前の事でもそれは不思議で神秘。
何かがリースの中で大きく広がっていくのをはっきりと感じ取れた。

「おっ。ウレーシェっ!」

気が付くと、リアナの持っていた夜光鈴が輝きと共に海へと落ちていった。
宙に浮いている夜光鈴も同様で、次々と先を争うように海の中へと沈んでいく。
とても不思議な光景。星が星の中へと還っていくその様は、とても人が踏み込める領域では無いとどうしても感じてしまう。
他の面々の夜光鈴も海へと落下していき、各々「ウレーシェ(ありがとう)」と言っている。
確かにこの輝きを見せてくれた日々を思えば、一言では足り切れない。
けれども、その一言だけに全てを託すのが一番だと思えるのは間違いではなく、決して不足はしない。

『『…………』』

ついに手に持つ夜光鈴はリースだけとなり、時期に落ちるのを待つのみ。
他の一同も見守る中、リースは礼を述べるその瞬間を固唾を飲んで見守る。
しかしその瞬間がなかなかやって来ず、海面上に輝くのがリースの夜光鈴のみとなってしまった。

「…?」

不思議に思ってリースは小首を傾げ、先ほど落ちると説明したリアナ本人も不思議だという顔をしている。
そして遂には輝きが収まるまで落ちることはなかった。
周囲の星の輝きの下で、リースの手のある夜光鈴は溶けて器の形ではなくなっていた。

――水の雫を包み込むようにさらに大きな雫が守っていた。

大きさは掌に小さく乗せられるぐらいで、それの手にしてリースはおろおろ困惑する。
リアナもどうしてこの様な結果になったのか見当がつかず、それはフィリスとシルスも同じであった。

「おそらくそれはマナ結晶なのだろう」

その声に全員が振り向く。レイヴンが少し遠くから夜光鈴の発生物を眺めていた。

「これがマナ結晶、ですか…?」

「確かに高純粋なマナの波長は感じられるけど…でも――」

リースは改めてそれを眺め、シルスはレイヴンの言葉にその要素を感じているがこの結果に納得しかねている。

「理屈でいけば奇跡に近い確率だが、不可能ではない。夜光石の光はマナだ。
他の物質が昇華して発光しているマナが凝固したのだろう」

「へー。凄い物を手に入れたね、リースっ」

「は、はい…?」

リアナの感嘆の声に今一反応できないで居る。この奇跡の欠片にリース自身、神秘を手にしている様で少し恐縮してしまっていた。
ネイファに至っては「流石はリース様!! 貴方様ならばそれぐらいの奇跡の祝福を受けられても不思議ではありませんっ!」と狂喜している始末。
フィリスたちも大いに好意的なので、リースは困惑の度合を深めてしまう。

「その奇跡を手にしたの貴様自身。ならばそれを受け入れるのも、資格を有するのも貴様だ。
謙遜や卑下はその奇跡を否定するのと同等。棄てるも手にするもそれは貴様が自由に出来る。
なんならばこのまま海の投げ入れるのもお前の自由だ、リース」

レイヴンのその言葉にリースは再度手元のマナ結晶を見詰める。
周囲の光が淡い青なので分かり辛いが、きっとこのマナ結晶も藍なのだろう。
まるで星の涙をこの手にしていると考えればとても名誉な事に思え、自然と笑みを浮かべる。

「いえ。私はこれを手にし、共に歩みます。
散り行く小さな星の欠片は奇跡の祝福のよって私を選んでくださいました。
ならば私もその祝福を受け入れ、共に歩みます。

どんな辛い未来があったとしても、どんなに悲しい道を行くとしても――

私はこの星の奇跡と共に歩みます」

マナ結晶を両手に包んで胸に抱き絞めてリースは宣誓した。
星の海の中でその証人は彼らだけでなく、無限の星の煌きが目撃していた。

「ほっほっほっほっ、うむうむ。いと善きことかな」

「……乗船してから何処にいるかと思いきや、何て所にいるのよっ!!?」

いち早くリースの言葉に反応したのは先ほどからずっと姿を見せなかったクレス老人。
彼はリースの長いスカートの中から現れ、それに気が付いたリースは顔を真っ赤にしてネイファの後ろに隠れた。
そしてそれにいち早くシルスが動き、星の海の上で悲鳴が木霊した。



「うわ〜。綺麗だな〜」

少女は自分の部屋の窓を開けて、夜光鈴の輝きに瞳を輝かせていた。
シルスの言うと通りに海に行こうとしたのだが、親に外出禁止を言われて仕方なく窓を開けての夜光鈴の最後を見届けている。
実際、夜光鈴を取り上げられそうになったが、流石の少女もそれには頑なになって阻止した。
両親はこれがスピリットから買ったのを知っており、海に行かない事で納得するしかなった。

そして今、新たな一つの終わりに夜光鈴が窓から落ちていった。




「今日で最後ですね…」

リースは荷馬車に揺られながら外の風景を眺めていた。その服装は質素な物ではなく、純白のドレス。
余分な装飾の類は少なくて少女としての雰囲気を損なっていない。
頭に被っているカーシェは役割を損なう見た目ではない銀の装飾。
結っていた髪を下ろした金髪は白を基調とした服装によって黄金色を引き立てている。

「はい、そうですね。今回の長期訪問は様々な出来事に巡り会えましたでしょうか?」

対角線状の対面に座っているネイファは小さく微笑んで答えた。
こちらは黒を基調としたドレス。しかし、リースのドレスと比べるとドレスの種類が違う。
しっかりとした縫い目と生地の厚み、白のエプロン状の前掛けを身体に密着させて着付けている。
スカート部分は脛の上辺りで揃えられており、ネイファに合った活動的な動ける服である。

「そうですね…。それはネイファも知ってるでしょう?」

「ええ。今回の訪問ではよくお叱りを受けていましたね」

リースは外に広がる草原からネイファに顔を向け、その時の事を思い出し笑いをする。

「ふふっ。それはネイファもそうでしょう?」

「それは、確かに。『姫様をお引止めできずに何をしておったー!?』とそれはもうみっちりお叱りを受けました」

「私の我が侭に付き合わせてしまって、本当に御免なさい」

すまなそうに顔を伏せたので、ネイファは慌てて言い繕う。

「それは違いますっ! 今回はリース様の初めての我が侭でしたので、私はとても嬉しい思いでしたよっ」

「そうですか?」

ネイファは大きく頷いてここぞとばかりに思いを告げる。

「ええっ。いつもリース様は作法・ご勉学に励んでいます。愚痴の一つや二つとて言わずに。
皆の期待を裏切らなぬようにと、自ら率先して毎日自身を厳しく律してまで。
その御様子を見守り続けてきた私としましては少し不安を感じていたんですよ。
ですが、今回の事でちゃんと少女らしい一面もある事が分かって嬉しい限りです」

「――つまり、ネイファは私が少女らしくないと常々思っていたのですね…」

ハッとなってネイファは自身が失言してしまった事に気が付く。
しかし時は既に遅く、リースは頬を小さく膨らませて窓の外に視線を向けていた。

「えええっととと、そ、それはですね。言葉のなんというかそのあのえっとおおおお……!!?」

取り乱すネイファの姿を横目で見やり、リースはくすくすと笑う。

「冗談ですよ、ネイファ。ですが私とてちゃんと女性ですから好きな事を嗜んでいます。
それはいつも共に居るネイファも知っていますよね」

「は、はいっ。でも、それにしてはあれはあれで寂しいのでは…?」

機嫌を損ねているわけではないを知って安堵するが、綺麗に整っているが逆に落ち着かないあの部屋では寂しさを感じさせる。
ネイファの言い分にリース自身もそう思っているためか、同意する。

「…そうですね。ですけど、今度からはこれも一緒ですから映えますよね?」

リースは自身の片耳に触れ、耳たぶから吊り下げられている蒼い雫のイヤリングを弄る。
それを見たネイファは柔らかく微笑んで話題を変える。

「リース様としては今回のサルドバルト王国の訪問は如何でしたか?」

改まって聞いてきた言葉にリースは少し思案し、そしてとても楽しげな笑顔で答える。

「…とても有意義で楽しめました。王族の方々との交流はとても良い経験となりましたが、一番の経験はあの方達との交流でしたね。
私の知らない世界の神秘や生き方。虐げている妖精たちの美しい心は私たちと変わらない、むしろより高潔なモノだと知りました。
世界が在る様に在るために見失ってしまっているその事実。私がすべき事の新たな可能性に気が付く事が出来ました――本当に来て良かったです」

「そうですか…」

今回の訪問が決して無駄ではなかった事を、彼女達と出会えた事はリースの新たな道しるべとなった事をネイファは感謝する。
彼女の残り少ない自由の時間となるだろう現実を憂い、その中で最大限の助力をネイファは惜しむつもり全くない。
ネイファは心の底から目の前の少女の幸福を願っているが、それが叶う望みはあまりに薄い現実。
それでも今の彼女の笑顔を守っていこうと気持ちを新たに心に刻んだ。

「それと、ネイファ?」

「はい?」

「私の呼ぶ名前、『リース』のままですよ?」

「あっ」と手を自分の口に当て、間違いを指摘されて初めて気が付いた。
目の前の少女に笑われるも、ネイファは小さく咳払いをして言い直す。

「失礼しました。イースペリア国第一王女殿下、アズマリア・セイラス・イースペリア様」


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