作者のページに戻る
Before Act - Aselia The Eternal -
三章 サルドバルト  第三話 - 天女の羽衣 - 前編


夜光鈴の生産は完全なる職人技であり、それを知るのはレイヴンとオヤヂは基よりフィリスたち五人のみ。
元々レイヴンの趣味の域なために売買による損得は除外されている。オヤヂへの協力料は夜光石である。
身内枠なのでそれほど大きく露店販売をしていないながらも、バートバルトの町の一角で日がな一日を過ごしてはいなかった。

――ちりーん…

レイヴンの現在の本業は剣術指南役。つまり、サルドバルト国内に存在するスピリットに様々な教育・訓練を行う。
フィリスたちの職を全て一人で請け負っていると考えてもらえればいい。
一年の内に東はアキラィス、南は首都サルドバルト。国内の有数な街へと出向いている。
なので販売期間中に出向があればその街へでも販売を行うのである。

――りりーん…

サルドバルト王国の首都サルドバルト。
中枢の城は街の中央ではなく、西のミスル山脈に面してそれを補うように城壁が囲っている。
城から東へとなだらかに広がるように城下町は広がり、自国の食料自給率が低いのもあって露店は主に金属細工関連が多い。
そんな中でも涼やかに鳴り響く音色。路地裏近くの商売にはそれほど適さない場所でレイヴンは店を展開していた。
今は単独で、店の前で黒の長髪の女性が佇んでいるだけである。

「それじゃあ、あたしは必要な物を買出しに行って来る。何か必要な物はある?」

「昼食用を軽めに何かを。物は任せる」

「そう。じゃあ適当に何かを見繕ってくるわ。たぶん帰ってくるのは一時間後くらいだから」

レイヴンと言葉を交えた女性はお客ではない。歩き始めて棚引く柔らかな黒髪の女性はシルス。
彼女は今、人間の女性ならば特に特徴のない長いスカートにゆったりとした服装である。
スピリット各々の属性を示す色のラインの類は一切ない。しかしシルスはブラックスピリット。
瞳も藍色と正面からよく観察しなければとても美しい人間の女性にしか見えない。

シルスは颯爽と人が往来する街道を進み、その綺麗な顔立ちと服の上からも分かる整った容姿に人々は思わず振り返る。
だが、人が多いために完全に顔を覚える前に消えてしまい、誰もが曖昧な記憶しか持ち得ない。
例え目をつけた男が彼女に話し掛けようと迫ろうとも、結局は無駄骨となって捉え切れないのだ。
それはシルスが意図的に行っている行為で、接触を最低限に抑えているのである。

「食事は買い物の最後にするとして…まずは用具の補充と貴金属のサンプルね。
用具はあそこでするとして、貴金属はどうしようかしら――そういうのを扱ってる所の男に限って嫌なのよね…」

眉間に皺を寄せてシルスは唸る。人間という存在をシルスは好きではないのだ。
レイヴンは人間ではあるが他の人とは一線どころか特殊な存在。長い付き合いもあり、クレスとも良好な関係ではある。
だが一般の、スピリットを嫌悪している人々の有している気配を嫌悪している。
あまりにも雁字搦めにされてそれを許容しているという雰囲気や喜怒哀楽の中の黒い靄のようなモノを感じるのだ。
そうでなくとも人のスピリットを見る、自分を物としか見ない存在そのものが嫌いなのであった。

特に今のシルスに話かけてくる男は揃いも揃って美人の女性として見、関係を迫ろうとする。
結局は己の固定概念のみでスピリットを卑下にし、愚か者という意識をより強固にしていっている。
今だって少しでも気を許せば近寄ろうとする輩がそこら中に居り、気が抜けない。
それでも必要な物を手に入れ、時には絡まれて撃退し、それを繰り返して大半の目標は達成。時間にして一時間半が経過している。

「あーあ、30分も時間が過ぎちゃってる。人間の男って本当に嫌になるわ。
あいつはこれぐらいの時間オーバーはものともしないけど、ご飯は少し自腹を切ってやろうかな…」

小脇に抱える少し大きな袋にはぎっしりと用具と貴金属が詰まり、大の男でも持ち上げられない重量となっている。
神剣は携えておらず、神剣の加護無しでもこの程度の事は彼女『たち』には容易な事であった。
適当に見繕うとして目に止まったお菓子屋へとそのまま足を運び、幾つかの香ばしい香りのお菓子を購入。
レイヴンより渡されていた金額より高かったが、そこは自腹で解決させていた。

その後は人気を避けて小道を抜けていく。手荷物で「荷物を持つよ」と寄って来る蝿を考慮しての判断である。
密集した建物の隙間を縫うように無数に存在するその道は全く知らないルートではあるが目的地までの進路と距離感で補えた。
このままジグザグに進んでいけば移動距離は長くなるが、街道で足止めを喰らうよりは断然速いのは既に実証済み。

しかし今回は、ちょっとしたハプニングが存在していた…。

「あら…」

少し先の角から複数の人の気配と喚き声が聞こえてきた。
運が悪く、その角を曲がるしかなかったので気にせず角を曲がる。そこで見た光景に少し感嘆の声を上げたのだ。
目の前の光景は一人の金髪の少女を背に庇い、勝ち気な少女が自分達を囲んでいる男どもの一人に蹴りを丁度喰らわしていた。
その蹴りは蹴り上げるように、というよりもその一人の股間を思いっきり蹴っていた。
蹴られた男は足腰が立たなくなり、その場で前屈みに蹲って盛大に悶える。周りの男どもは一瞬慄いたが直ぐに蹴った張本人を罵倒する。
シルスが見てきた男の典型的な脅し文句が炸裂しているのに妙に感心してしまう。

「うるさーーーーーーーい!!!」

耳を塞ぎたくなる音量で女(股間を蹴った勝気な少女)は黙らせる。
背後の少女も間近で大声を聞いて被害を被っているのが見えていないから女は気が付いていない。

「何よ野蛮で下品な事しか言えない愚か者達が。あんたらが話し掛けるだけでも畏れ多い!
こんな辺鄙なところに連れてくるなんて品の無さがありありを見えてくるわ。
どうやったらそんな風に下品になれるのか不思議だわ。女を誘うならもっと鏡の中の自分を見直してからにしな。
そんな不細工な顔じゃ誰も相手にしてくれはしないでしょうがね!」


胸を張って堂々と言い張る女。あまりよくない物言いの女の勝ち気さにシルスは頭を抑える。
今の状況でなら連れの少女の腕を引っ張って逃げるとかすれば問題はなかっただろう。
女が植え付けた恐怖の一瞬と大きな一声でそれは十分に可能だったはず。
その絶好のチャンスを不意にし、なおかつ男達を中傷する言葉を矢次に連発した。

(…それになんで言葉の内容が幼稚というか、単純というか――)

もの凄く罵倒し返しているようでその内容は批判しているというカテゴリーだった。
シルスの見る限りでは相手は頭が悪そうで怒らせる事は出来るが、状況は悪くなるのは目に見えている。

「てめぇ…! 好き勝手言いやがって!」

「何よ、文句あるって言うの!!? あんたらが声をかけていいような人じゃないよ!!
こんな事をしてる暇があるなら汗水流して働きなさい!!」

「うるせぇ!!」

「ネイファ!?」

男の一人が女を平手打ちで頬を殴る。殴られた勢いで女は地面に転がってしまう。
それを見た背後にいた少女はその光景に少し怯えるもしゃがみ込んで助けようとする。
少女は見た目通りの線の細さを際立たせる声色で透き通る様な音程の持ち主である。

「おっと。お嬢ちゃんはこっち」

他の男に腕を引かれ、少女は強制的に立たされる。
線の細い身体にはそれは少し強かったらしく、少女は苦悶の表情をさせた。

「ア――その方にそんな汚い手で触るなーーっ!!?」

「残念だけど、お前の相手は俺だから」

その光景を見た女が激昂して立ち上がろうとするも、再び地に伏せさせられる。
頭を地面に擦り付けられて苦悶の表情の他に屈辱で顔を赤くさせ、それをしている男はその様子に嘲り笑って他の男たちに声をかける。

「どうする?」

「決まってるだろ。お痛が過ぎた可愛い子にはきっちり教え込むしかないだろ」

「だな」

以心伝心というには下心丸出しの表情でお互いに確かめ合う。
こういった事に関しては男たちは妙な連携を見せ付けるので、シルスは呆れてしまっている。

「は、離して下さいっ」

「だーめ。これから俺と遊んでもらうんだからな」

「放せといってるんだ――っぁ!!?」

「まだ言ってるよ、こいつ」

「さっさとやろうぜ?」

どうやらお楽しみタイムらしい。と同時に、シルスの堪忍の尾も限界であった。
少し離れているだけでシルスの存在が見えていないほどに男たちは二人の少女に気を取られていたのだろう。
間近に接近しても、男達は気がつかない。好都合だったので丁度少女の腕を掴んで拘束している男に近づく。
首筋に手刀で沈黙させるなどというもので相手に楽を与えるつもりは毛頭ない。故に――

――ごすっ

手荷物の袋を遠心力を使って脳天に叩きつけた。

「びほっ?!!」

妙な声を吐き出して男は地面に倒れ伏す。
手荷物には貴金属や硬いのは当たり前の用具がぎっしり詰まっている。
それをスピリット力で振って不意打ちで叩き込んだのだからその威力は想像に難くない。
助けられた形の少女は地面に転がった男とシルスを交互に眺めて呆然としている。
他の面々も奇声に気がついてこちらを見ているが、全員が状況を飲み込めないでいた。

「――な、なんだ手前ぇは!?」

「黙れ俗物」

手空きの男が一人、シルスに掴みかかろうと不用意に近づいたために今度を振り上げの動作で手荷物を股間の急所に命中させる。
ついでに逆回転で回して前屈みで膝を着こうとしているのを手伝って頭を叩いて身体全体で地に着かせた。

「先ほどから道先で下品極まりない行いを見せ付けられてこっちは迷惑よ。
女を強引どころか玩具で遊ぶかのように身勝手でしか行動できないちっぽけな脳味噌を披露しないでよね」

「何だよ綺麗な姉ちゃん。俺たちと遊びたいのかよ〜?」

にたにた笑いながら男がシルスの肩に馴れ馴れしく手を置く。状況を見極められていない。
先ほどシルスの攻撃をまるで考慮しない浅はかで無謀な行為に彼女の中でさらに評価が落とされる。
シルスは視線だけで男を見やり、その手を弾いて払う。

「人の身体に触れるな下衆。話の内容を鑑みる事の出来ない輩に用は無い。消え失せろ」

「おいおい。誰に向かってそんなことを言ってんの?」

「他に誰がいる。言葉が理解からないのならばもう一度幼児から人生をやり直せ。
その時は二度と悪さが出来ないように去勢でもさせてもらえ」

「…調子に乗ってるのか?」

男の声色が沈む。威嚇しているようだが、所詮は小物。見掛けだけである。
女(確かネイファとか呼ばれていた)を押さえつけていた男もその手を放してシルスへと寄って来る。
背後からも来ており、完全に囲まれる形でもシルスは微動だにしない。
最初に助けられた少女はどうするべきか思案していた。そして何かを思いついたのか口を開けようとした、が。

「――目障り」

次瞬には全ての男たちが操り糸が切れた人形のように地面に転がった。
中央にいたシルスは軽やかに一回転を終えたところで、長いスカートと髪を柔らかく舞い上げている。
何が起きたのか全く判断できないほどに一瞬の事だったので二人の少女は驚愕の表情。
シルスは周囲を一瞥して全てが地に伏しているのを確認し、あまりの呆気なさに溜め息をする。

「どいつもこいつも口先ばっか。つまらないわね」

この程度の事でやられているようでは、人がスピリットに勝つなど雲泥の問題以前の話。
レイヴンならば反撃で足払いでもされて逆に転倒をさせられていたであろう。
そんな事を考えて、ふと手荷物の袋を見下ろして気がついた。

「――お菓子、入れてたんだった…」

購入したのはスポンジ系のケーキなので最悪な状態にはなっていないだろう。
股間に蹴りを入れたくないばかりに失念していた事に後悔をする。
だが既になってしまったのならば仕方がない。気持ちを切替えて地面に腰を降ろしたままの二人を見やる。

「次からはこういう輩には気を付けることね」

それだけを言うと彼女達から意識を離し、さらに経ってしまった時間を取り戻そうと早歩きで立ち去る。

「…あ――」

金髪の少女がシルスに声をかけようとしたが、あまりの颯爽とした歩行速度にタイミングを逃してしまった。
短時間でその背中はもう非常に小さくなっているのに慌てて立ち上がって追いかけ始める。

「あ、ちょ――a様どちらに!?」

ネイファと呼ばれる少女は名前を呼ぼうとして出掛かった途中で中途半端に飲み込んしまう。

「今の方にお礼を言ってませんっ!」

「そのような事はする必要は――」

「駄目ですっ。今ならまだ私自身が直接お礼の言葉を言えます!!
ネイファも助けて頂いたのですから、きちんとお礼を言うべきじゃないですか?」

ネイファは苦虫を潰した顔をし、口を噤む。
目の前を駆け出す少女を守ろうとするも逆襲にあい、見ず知らずの女性に助けられてしまった。
長いスカートを両手で摘み上げて走っていく少女に追随するように後をついていく。
反論も出来ず、そしてこうなってしまった目の前の少女には融通が全く利かないのである。




見た目に違わずに少女の体力はそうそう長くは持たなかった。
半刻もしないうちに疲弊し切り、ネイファに介抱されつつ近くにあった複数の木箱で即席のベッドを仕立てる。

「見失ってしまいましたね…」

「彼女の歩く速さが尋常じゃなかっただけですよ。それよりも…足の方は大丈夫ですか?」

宙ぶらりんとぶら下げる恰好の少女足を腰を屈めて見据える。
普段から外で遊んでいた時期もあったが今ではそれも無くなり、こうして走るのもかなり久しい。

「大丈夫ですよ。それよりも、この辺りは小道が多いですね…」

「先ほどの方は地元の人なのかもしれませんね。もう諦めてた方が懸命では…?」

「いいえ。まだこの辺りの何処かにいるはずですっ」

シルスの姿を見失った最大の要因が脇道の多さにあった。
初めの時のシルスは直進だったのが近くに脇道へと入り、後に続いて曲がってもまた曲がり角。
初めはどうにか姿を捉え続けて追いすがったものの少女の体力不足で完全に見失い、迷走の果てが現状である。
どうしてもお礼が言いたいという少女の願いは今でも健在であった。

「…お言葉ですが、私たちは既に迷子になってしまっています。
それにもうそろそろ戻らなければ色々と大変な事とになってしまいますよ?」

「うう、どうしましょう…」

戻るのならばこの場所からも見つけられる建物のシンボルを頼りに道を行けば彼女たちが帰るのは問題ない。
しかし少女はお礼を言いたく、今でなければ次は確実にないと確信して悩む。

――ちりーん…

「……?」

何処からともなく鼓膜に触れるように響いてきた音にネイファは気が付いた。
ほんの一瞬だけだったが、とても印象的な涼しい音だったため、顔を上げて周囲を見渡してしまう。
突然のネイファの行動に少女は少し不思議がるが、彼女は耳に集中して周囲を探る。
街道から随分と離れてしまっているためか、風に揺られて生い茂る木々の合唱が心地良い音色を聴かせる。

――りーん…

また聞こえた。今度のは先程のよりもくぐもった低めの音だった。
そして今の音の中には他にも色々な音色が混じっていたのを今度は耳に出来た。

「――あ。綺麗な音色ですね…」

少女も気が付いて耳を澄ませ、走った疲労が溶けて消えていくような錯覚を覚える。
音色が気に入ったのか、ネイファは少女の声に反応しなかった。それに気が付いた少女はクスリと笑う。

「気になりますか、ネイファ?」

「………」

「―――くす」

虚空を見つめて全く反応を見せないネイファに少女は嬉しそうに笑った。
休んだ事で幾分か楽になった足を立たせ、少女は歩き出す。
壁面を反射する音に少し迷うも、見当をつけて歩みを止めない。

「……――はっ! あ、あれ!?」

ようやく聞こえてくる音色を聞き止めて視線を降ろすとそこには先ほどまで居たはずの少女がいない。
慌てて周囲を見回して少女の姿を探すと、かなり離れた路地を曲がっていく姿がぎりぎり目に入れる事が出来た。
声を上げようとしたが何を思ったのか口を慌てて噤んみ、爆走という表現が正しいような走りで追いかける。
この時、少女に全ての意識を向けていたので気がついていないが、先ほどの音色が大きくなっていた。

そして路地の角を曲がった先に見えた光景に、ネイファは目を丸くする。
そこにはネイファと共にいた少女が自身の純白のスカートを摘み上げてお辞儀をしていた。
お辞儀の行為は挨拶と謝礼の意を表し、少女の目の前には先ほどの女性、シルスが居たのでお礼を言っているのだろう。
シルスが少し困った顔をしているがニ・三の言葉を少女に発し、少女も顔を上げて言葉を発している。
ネイファの場所からは遠くて何の会話をしているのかは分からないが、別段危惧した事態にはなっていなかった。

シルスがネイファに気が付き、少女に声をかけると彼女はこちらを見て手を振る。
嬉しそうな顔から察するに出来ないと諦めた御礼が言えたのが嬉しかったのだろう。
ネイファはその場でお辞儀をし、小走りにシルスと少女の下へと向かった。

「私はネイファと申します。先ほどは危うい所は助けていただき、ありがとうございました」

「いいわよ、もう。彼女からもう礼は聞いたし、あれはあたしが勝手にした事だから気にしないで」

「改めて私からもお礼を言わせて貰います。助けて頂き、有り難う御座いました」

「うーん。それじゃあ――謹んでその意を承ります」

少し困った顔をするシルスだったがその意を受け入れ、宥和に微笑んで柔らかくお辞儀をした。
この一連の動作に二人の少女は見惚れてしまう。彼女達が今まで見てきたお辞儀の中で、最も美しいためである。
なのでどうすればこの様な動作を可能に出来るのか考えさせられてしまう。

「今さらだけど、お礼を言いたいが為にあたしを追いかけてこなくてよかったのに…」

「助けて頂いたのですから、きちんと御礼を言いたかったんです。ですが貴方様の――えっと、その…」

「シルス。あたしはシルスよ」

名前を知らないので言葉に詰まると空かさずシルスは名前を告げる。

「こちらも自己紹介がまだでした。私は――えっと…「リース様です」――リース、と申します」

何故か自分の名前で詰まり、ネイファの援護で名乗った。

「改めまして、私はネイファと申します」

ネイファは半歩前に出てお辞儀をした。
再び半歩戻ってリースの少し後方に待機し、リースは先ほどの話を続ける。

「それでシルス様…では変ですね。シルスさんの姿が見つからなくなって少し迷っていました。
少々諦めかけた矢先に不思議な音色をネイファが気が付きまして、気になっていたようでしたので私が探しに行きました」

「え!? それではa――リース様が私の傍を不用意に離れたのは…!?」

「それはネイファが私の言葉に気が付かないほどの聞き惚れていたからですよ」

ネイファは俯き、自身の失態を呪った。
普段は滅多にその様なことがないのを知っているリースは珍しかったので発信元を特定しようとした。
ネイファはそう推理をし、なおかつそれは真実であった。

「音を辿ってみましたら、そこに丁度シルスさんが居たのです」

「そう。その音っていうのはこれの事ね」

そう言って小脇を示し、二人はその先を見やる。
そこには夜光鈴が連なって展示販売がされているも、それが何かを知らない彼女たちには硝子容器を逆さまにしているようにしか見えない。
硝子の透明度及び精巧さには目を引かせる要素はあるが、余計な付属品がついているので評価は低いと判断してしまう。
今は風が吹いておらずに本来の目的は発揮されていないのだから、それは仕方の無いことではある。
しかし、吹き抜けの良いこの小道では風は頻繁に通り過ぎているので、直ぐに分かる。

――ちりーん…
――りりぃーん…
――ぃいいん…


「この音は――此処だったんですね。…綺麗な音色」

風を受けとめて容器を鳴り響かせている。重複しているも、個々に微細な差があるので耳障りにはなっていない。
耳を澄ましてはっきりと聞き入るリースは横を見る。ネイファは穏やかな表情でリースと同じく聞き入っていた。

「気に入った?」

二人の反応に少し満足げにシルスが尋ねてリースが微かに頷いた。

「はい、とても澄み渡る音色ですね。これは売っているんですか?」

「そうよ。買って行く?」

「買いますっ!!」

ネイファが唐突に返事をして彼女たちが面食らったので自身の行為に気がついて顔を赤くする。
新鮮な反応をしたネイファにリースは微笑み、シルスは苦笑する。

「それじゃあ、好きなのを選んでちょうだい。ここにあるのは全て売り物だから」

それを聞いてネイファは品定めするべく、即座に様々な夜光鈴の見回し始める。
リースも同じく探し始めると、ふと思ったことをシルスに尋ねる。

「――あの、これだけ素晴らしい物を製作されるのには大層な時間がかかっていますよね?」

「…そうね。確かにこれを作れるのはあたしたち数人だけだし、製作工程も職人技。
これの原材料そのものも特殊な鉱石から抽出しているからこの店以外に出回っていないわね」

「シルスさんもこれを作ってるのですか!?」

リースは声を上げて驚き、ネイファは目を見開いている。
完全に男仕事であるはずの硝子製作を女性が成したというのは衝撃となった。
女性が肉体労働をするとすれば、飲食店や露店での客引き商売ぐらいであり、文字通りに汗水流す仕事など在り得ないのだ。

「その辺はそちらの想像に任せるわ」

「…それではやはり、値がかなり張るのですか?」

その反応と言葉にシルスは少し苦笑をし、リースは再度尋ねる。
女性が製作に手間をかけているのなら、自ずとその製品の価格も高くなろう。
それでなくとも、目の前の硝子細工は今まで見た中で最高の透明度と精巧技術が盛り込まれていた。
どんな高価なものでも、ここまで純真な物は無いだろう。

「それほどでもないわよ。これだけよ」

「え…、たったそれだけですか!? そ、そんな安価でなんて――!!?」

シルスが立てた本数の指を見て、今度はあまりの安さにリースは絶叫に近い驚きの声を上げていた。
示された数ならば一日の食費を費やすだけでこの硝子細工が二個購入する事が出来るだけの金額だったためだ。
これほどまでに洗練とされた硝子細工が他の硝子装飾品より破格の安さには驚きたくもなる。

「これに関してはあたしの管轄外。全部あいつが決めてる事だし、あたしももっと上げてもいいとは進言したけどね」

シルスも同意見だったために嘆息交じりに展示物の奥にある空き空間を示した。
リースはそこで、シルス以外にこの場に人が居たのに気がつく。ネイファは硝子細工に釘付けで、奥が見えていない。

「価格を変えたところで、買う奴が居なければ何の意味も価値も出ない。
見る者が見ればこれは確かに高価で美しいものだろう。だが、それでも他の要素によって逆の意味として捉えられる。
所詮はそれを作る者、何かを見出して買う者、後にそれを評価する者によってそれは初めて価値がおまけで付いてくるだけだ」

いきなり目の前からの声にネイファは飛び上がる。
そこいたのは黒髪をした男性。目を瞑ったままだった瞼を開いてリースを見上げた。
彼は今まで木箱の上に座ってなにやら寝ていたようだが…。

「そのためには売る際には破格にする必然性もある。これは趣味の領域だ、値段などは元より視野に入れていない」

「後者が本音ね。あたしとしても売買関係は気にしてないし、問題は無いのよ。
こんな訳でこの夜光鈴(ワルト・ラスレーコン)はお買い得な値段になってるの」

「精霊光の星、ですか…? 確かに美しく星のように窺えますね」

日光を反射して煌く夜光鈴の様相にリースは納得した。
このほど透明に近い硝子を軽く叩く雫玉の音色も、星の光の代わりに福音の音の輝きを響かせているのだろう。
手近な夜光鈴の一つに触れ、その繊細な指で硝子を弾く。氷が割れる様な涼やかな音色が鳴った。
確かに星の名に相応しい硝子細工に触れられて、満足げな笑みを浮かべる。

「あー…多分、リースが考えているのとは違う理由だと思う」

自分達が手掛けた作品を褒められて悪い気はしてなかったので、シルスは少し言い辛そうに切り出す。

「この夜光鈴は夜になると本当の魅力を発揮するの。
昼間でもその透明感と音色で楽しめるけど、夜になると本来の名前の意味が顕著になるのよ」

「夜に、ですか…。それはどういった理由からでしょうか?」

「それは夜になってからのお楽しみ♪ これ以上の事は買ってみて実際に夜になってみれば直ぐに解決するわよ」

答えをはぐらかし、夜光鈴の本質を言わない。
そして『知りたければ買ってみてくだされ』という含みを持たせた物言いにリースは微笑んだ。

「ふふふ、商売上手ですね。それでは私も選びますね」

そう言ってあれこれ迷っているネイファと同じく選び始める。レイヴンは既に瞑想の状態に戻っていた。
シルスはする事がなくなったので、奥へと引っ込んでレイヴンの横に座る。
夜光鈴が鳴らす音色と暖かな日の光を乱反射させて煌かせる風景。喧騒もなく、一つの平和がここには出来ていた。

「これだけの良質なものでしたらば、さぞ人気があるのでしょう。
ですがこの街に滞在して間もない私たちですけども、一度とて街中で見かけた事がありませんね…?」

「ああ、それは買いたがる人間がいないからよ。例え良い物でも、スピリットから何かを買おうなんてしたくないから」

「―――え…?」

何気ない言葉の返答に、リースは新たに手にしようとしていた手を止めた。
奥に座って手持ち無沙汰にしているシルスは雑談を交えるような気軽さで続ける。

「人間はスピリットの事を優しく言えば快く思っていないじゃない?
例えばスピリットが買い物をしに街へと出向けば人間は近寄りたくないから離れて嫌がる目を向ける。
そして何かを買おうにもスピリットに売りたくないから拒否するでしょう?
もし仮にスピリットが何かを売ろうとして店を出したとしても、どんなに良い物でも買おうとする人間はいないじゃない」

「あの、それって…もしかするとシルスさんは――」

今のシルスの説明でリースは直ぐに思い至ったが、黒髪藍瞳の美麗な女性の姿だけでは判別がし切れなかった。
その様子を察して、シルスはこれまたあっさりと言う。

「単刀直入の方が良かった? あたし、スピリットよ。

名はシルスティーナ・ブラックスピリット。
ここには今は無いけど、永遠神剣第六位『連環』の所持者よ」

世話しなく選び続けていたネイファの動きも今の言葉で止まり、リースは絶句していた。
先ほど絡まれていた男どもを退治し、颯爽と去っていった綺麗な女性がスピリット。
問い掛けたという訳でもないリースの一言で思いも寄らない結果を生んでしまった。

「…スピリット」
「…………」

どう反応していいのか判断しかねて言葉が出ないでいる。
二人の人間の少女のその反応に全く気にした風もなく、シルスはレイヴンの肩に頭を乗せて目を瞑る。
夜光鈴の音色が鳴り響く中、両者完全に沈黙して時間だけが過ぎ去っていく。

「それで。買うのか、買わないのか」

沈黙を破ったのはレイヴンだった。
目は未だに開いておらず、再び彼女達の時間を呼び戻させた。

「え、あ。はいっ。えっと〜…」

その言葉に再び選び始める二人。だが先ほどのシルスの驚愕の告白で眠っている様な彼女が気になってしまう。
選ぶのに集中力がないためか、二人が思うように選べていない状況にレイヴンは腰を上げる。
シルスは起きていたようで肩が離れるのと同時に姿勢を直して静かに座っている。

「――これならば、どうだ?」

そう言って表に出てきたレイヴンの手元には二つの夜光鈴。
淡いサファイアブルーを基調とした何処までも澄んだ空を連想させる硝子。
片や黄金色の川が流れているように錯覚させる横線が硝子容器に引かれていた。
リースとネイファはそれを見せられた瞬間、これ以外の物が選択肢から除外されていた。

「有り難う御座います…」

ネイファは黄金色の線が引かれている夜光鈴を受け取り、それを洸悦した表情でそれを見詰める。
サファイアブルーの方を手にしたリースもネイファほどではないがこれで喜びの表情を浮かべていた。
リースが勘定をしようとしたのだが、ネイファは断固として自分が払うと主張をして一悶着。
最終的には此処は各々自分の分を払う事でネイファは妥協をしてその場を収まった。

「――あ、あの…」

レイヴンにソネスの月の夜にバートバルト湾に来るのを勧められ、出来なければその夜に夜光鈴に注目するのを勧められた。
そして必要事項をものの一分もせずに終わり、リースは言い辛そうに口を開く。
その視線の先は展示物の奥、シルスへと向けられていた。彼女自身、視線を感じているはずだが微動だにせずに目を瞑っている。

「…リース様」

諌めるようにネイファが言葉をかけるが、その先が出てこない。
恩人であり、先ほどまでリースと人と変わりの無い会話をしていた存在に、否定し切れないでいた。
視線を彷徨わせ、ここでかけるべきであろう言葉を模索する。

「――リース様。恥じる事も、控える事もありません。
今此処に居わす貴方様は“リース”という“一人の少女”ですので」

「あっ…」

リースは振り返ると、優しい微笑を浮かべているネイファの姿があった。
それをしばし見詰めてその意図を理解して微笑み返して頷く。
そして再度シルスへと視線を向ける。何の迷いも無い、澄んだ瞳で。

「何をどう言って良いのか、今の私には言い繕う言葉は御座いません。
ですが、私はシルスティーナ・ブラックスピリットという女性と出会い、助けて頂いた事を感謝しておりますのは紛れも無い事実。それは今も変わりません。
先ほども言葉を交わし、私たちと変わらない気持ちを持っているのを改めて実感させられました。
今日私たちとシルスさんが出会った事実。そして言葉を交えた喜びは、生涯忘れ難き一つの思い出となるでしょう。
故に私はまたこの言葉をシルスというスピリットに贈ります――」

少女というには凛とした佇まいと言葉の重さ。そして慈愛。
年齢を越えた一人の存在は、この世界では正気を疑われる言葉を紡いだ。
紛れも無い本心を、包み隠さず言葉とした。ネイファはそれを何も咎めず、ただただ静かに傍で佇んでいた。

「有り難う御座いました。そして話せて楽しかったです。
ソネスの月の初めての夜にまたお会い出来る様、私も尽力してみます。

それではまた――」

言うべき事を言い切ったリースは緩やかにお辞儀をし、ネイファもそれに続いた。
最後にレイヴンにもお辞儀をし、去っていく。その手に夜光鈴を吊るして。

「…だそうだ。何も言わなくても良かったのか?」

「――分ってて言ってるでしょう…?」

姿が見えなくなり、奥へと戻ったレイヴンは開閉の一言にそう言った。
表からは影で見えなかったが、シルスは顔を真っ赤に染めていた。
先ほどのリースの御礼の言葉に顔に出るほど顕著に恥かしがっていたのだ。

「何よ、あの危ない言葉は。どこまでも真っ直ぐにあんな事をすらすらと言い切るなんて正気を疑うわ」

「――ふっ」

苦し紛れの反論に、レイヴンは微笑してその頭を撫でてやる。
するとさらに顔を赤くし、耳まで赤くなった。

「何よっ!!?」

「昼飯の礼だ。必要経費以上を越える分を自腹を切ってくれた、のな。
それ以外の意味があるとすれば、それはシルスの考えに任せる」

「うう〜〜〜…!」

さらにくしゃくしゃと撫でられて唸るシルスだが、嫌な気分になれずに為されるがままとなっていた。


作者のページに戻る