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サルドバルトがバートバルト海に面しているバートバルト湾。 本来ならば水が豊かな地域は重宝されるものだが、この海の水は異なっていた。 最たる原因は塩分濃度が異常に濃い事。海水を飲むと逆に喉がさらに乾き、下痢や腹痛に侵される。 川から流れてくる過程に置いて様々な物質が混入し、作用し合うために人間の消化能力では対処出来ない。 ましてや生物にとってなくてはならないはずの塩分が逆に枷となってしまっていた。 海の幸がその塩分を好むのも生物の進化の過程ではあるだろうが、この海には存在しない。 飲めない水であり、尚且つ食材となる魚すら生息していない。いるのはテミのみ。話にならないのだ。 そのため人々はこのバートバルト海を『死の海』と呼び、テミを取る漁師以外にあまり寄りたがらない。 今でこそスピリットの訓練の場としてバートバルト湾が利用されているが、それも浜辺である。 誰もその沖合いへと進んで入りたがる存在など居ない…はずであった――。 |
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Before Act - Aselia The Eternal - | ||||||
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バートバルト海の海は大抵の場合、静かな海で通じている。時折大嵐となるがそれが起こるのは珍しい。 ミスル山脈とラジード山脈の間の窪みのように湾岸が存在しているために外の海の影響を受け難いのが起因しているのであろう。 それを差し引いたとしても、あまりの静かさにさらに人を近寄らせない。たとえ川でも大雨が降れば氾濫するというのに。 そして海底でも海面とは異なる流れが存在しているのは当然の事。浅瀬では波となって気が付かれ難いが、必ず存在する。 だが、それすらもない。海底の水の流れ――海流は豊かな養分を運び、海洋生物の生態にはかかせない。 それがあまりにも微弱な流れなのである。流れが小さければ、当然養分も微量。魚が生息できる状態ではなかった。 湾岸よりスレスレ内側のバートバルト湾の海底では誰も知らない物が存在している。 この湾の歴史は人よりも古いために知られておらず、元々ミスル山脈とラジード山脈は繋がっていたと推察される。 何故ならば海の底が深ければ深いほど光は減衰して暗黒の海となってはずなのだが、此処ではある一定以上の深度に達すると光が海中を照らす。 上からではなく、下から。マナを多量に含んだ鉱石が照らしているのである。その光の行方を調べれば二つの山脈が繋がってかのように。 しかしここは未開の地。人がこの水圧に耐え、潜水で呼吸が持つという次元ではない深さ。気が付かれないはずであった。 海底で晒している鉱物らしき物に纏わり付く光が一つ。正確には蒼と真紅の光を合わせて四つ。 ほぼ人間大の範囲内で一点だけ存在し、それは小刻みに動いている。 やがてそれは新たな光、鉱物の小さな光と共に海面へと真っ直ぐ昇っていく。 天の星が足元に、まるで湖の中に消え行く小さな星の灯火を上下逆転させたような神秘的な光景である…。 「あ、来たようね」 海洋上に浮かぶ小船が一艘。かなり沖合いの場所で小さな波に揺られて存在しているため、遭難しているようにも見えるが違う。 船の端で海中にぶら下がっている紐の変化に黒髪の女性、シルスは気が付いて海を覗き込んだ。 少しの間は何の変化が起こる兆候は無かったが、直ぐに海の中に一点からぼんやりと光が見えてくる。 「フィリスー。容器の準備は出来てる?」 「出来てますよ」 船の奥で何かの作業をしていた蒼い髪の女性、フィリスは頑丈な皮袋の口を大きく開けていつでも物を入れられる体勢を整える。 「リアナは?」 「どーんと来い。シルスだったらいつでも私の胸にk「来るわよ」」 緑の髪の女性、リアナは自身の神剣である槍『彼方』を携えて腕を大きく開けていたが、シルスはそれを無視。 直後に船の真横の海水が吹き上がり、大きな物体が船上に舞い上がっていた。 「ほいっ、とな」 『彼方』の先端が発光し、矛を軽く振ってその光の雫を舞い上がった物体に接触させた。 背面へとへばり付くように密着し、万有引力の法則(この世界でも通用するという過程の基)を無視ししてそのまま緩やかに落下。光も徐々に薄くなっていっている。 海中より上がったその物体はゴツゴツした岩。だがその大半の表面は半透明状で何かの鉱物が多量に含ませているのを匂わせる。 光を纏った鉱石はまるで粉雪が舞い散るような速さで船上に降りてくる。 そして直下で待っていたフィリスはそれを手にした袋で包み、鉱石の重さで船が少し沈んだのを確かめて口を閉じて回収。 船上の突起に紐で結って固定し、行程を終了したのを二人の知らせた。 「こっちは問題はなしよ。それで、まだ採掘するの?」 シルスは先ほど海水が吹き上がった地点で顔を出している男、レイヴンを見下ろす。 漆黒の髪が海水に濡れてより一層映えてシルスの目に留まらせる。 「次で最後だ。引き続きこの地点で待機。時間はかからん」 「了解」 簡単に言葉を交わらし、レイヴンは数度深呼吸をして再び海中へ。 海上からその姿が見えなくなり、シルスは顔を上げる。 「次が最後だって。毎年の事ながらよくやるわよね」 「これに関しては流石の私たちでも専門外ですし、何より知識も技術もなく海底深く潜るのは死活問題ですからね。 だからレイヴンは私たちに取って来いって言いませんもの」 「私だったらもしかして片道なら出来るかもしれないけど、戻ってくる時は息絶えてぷかーって流れに身を任せて運がよければ浮上できるかも」 「洒落になってないわよ、リアナ。あたしだってそのくらいわかってるわよ。 だからこうして船上で夜光石の引上げに手伝ってるんじゃない」 「そうですね。別段手伝ってくれなんて事も言ってませんでしたし、シルスも暇をみて志願してましたしね」 「…見てたの?」 「その時のシルスは可愛かったなぁ〜。 要領の得ない言葉で時間を潰して最後には少し逆切れ気味で『手伝うっ』って言ってよね♪」 リアナの回想に絶対なる覚えがあるために、シルスは顔を赤くして伏せる。 「あ、今のそれぐらい最後は赤かったよ〜」 「不覚だわ…。道理で今回の航海で二人があまりにも示し合わせたかのように搭乗したのそれが要因なのね」 「私はいつも暇をみてレイヴンのお手伝いをしていますけど、今回はリアナの話に合わせてました」 小さく舌を出してフィリスは悪戯に成功させた笑みを浮かべる。 リアナも思惑通りに事が進んで空いている片手でブイサイン。 「――今日の青空がとっても眩しいわね…」 今日も今日とて青い空をシルスは仰ぎ見た。 … 一方のレイヴンは、蒼い翼より小さな気泡を発して海中へと深度を随時下げていく。 身体を潜る際の水圧に押されない様に最小限の姿勢を取り、日の光から徐々に遠ざかっている。 初めはそれほどでもなかった光源の減少もある深度を越えると途端に消滅。 前後左右どころか完全に平衡感覚を整えるための光情報が遮断された。 周囲より加圧される水圧をこじ開け、真紅の翼で見えなき道の軌道修正を行う。 光を失って既に何秒が、それとも何分が経過したかさえも判別がつかないのが常。 しかしレイヴンはこの状況さえも平然とし、現在は水圧の影響を考慮してか瞑目している。 光のない状況であるのもそうだが、既に人の肉体が潰れている深度のなのだからそれをする事自体への意味は不明。 さらに時間が経過し、レイヴンは薄く瞼を開く。この時点で口元にはなにやら管の様な物が咥えられている。 彼の目の前には暗雲した暗黒世界だけが広がっていたのではなく、進行方向に光が映っていた。 先ほどの鉱石がある海底であり、歪曲した直線状に光は帯び、湾の内外を隔てる境界がはっきりと見える。 そしてこの領域こそ、レイヴンとレーズが常に戦闘を繰り広げてきた場所なのだ。 レーズは元来、この海底で長い時を過ごしてきていた。そこにレイヴンというちっぽけな存在が介入してきた。 別段敵対心を持ちえていなかったレーズは興味本位で接触を試みようとした。 しかしここで考えてもみよう。全長10mはあろう巨大物体が数p平方の面範囲で数dの圧力が掛かっている環境で接近するのを。 近づくのを極力避けるべき状況である。というよりも、接近の際に水圧が先に接触をして近づけるはずもない。 初めだけは興味だけだったものの、幾度も繰り返すうちに苛立ち、近年では戦闘にまで拡大したという始末なのである。 そういった因縁も過去のものとなり、発光源を肉薄したレイヴンはゆっくりと鉱石へと接触。 流石に素の背中を今むき出しにできないため(服への加圧で)に腰で結っていた『凶悪』を手に持ち、曲がっている先端を鉱石の側面に宛がう。 すると空洞であるはずのその宛がった先端より紅い光が小さく灯り、軽く接触をしている鉱石部分が削られていく。 徐々に削る小さい箇所をずらしていき、その箇所だけ切り取るように光を宛がっていく。 再び始めに削りはじめた個所へと戻ると光は途切れ、手で軽く触れると小刻みに揺れてその部分だけ脱落した。 新たに出来た空洞は一際半透明状の光が眩く発光し、それを気にせず目的の鉱石を海面から引っ張っていた紐でくくって上昇をする。 こういった採掘は海流や地平変動に影響があるのだが、彼には問題ないようである。 再び暗闇がレイヴンを迎え入れるも、今は手元に発光する鉱石があるために自身の周囲のみ明るい。 何もない、全てを奪われたかのような闇の中で漂う小さな光の欠片。 どこまでも続きそうな暗闇の中のその光はあまりに小さく、そして自己を主張し続けて灯っている――。 「―――」 そして明るくなる周囲。見上げる先には幾重もの光の筋が風で棚引くカーテンのように煌いている。 塩分濃度が非常に高いために光の屈折率も高く、小さな波で広がる光の景色を魚も遊泳しない海の中でレイヴン一人が独占する。 光のカーテン内に入ると海面で眩く光る日の光がレイヴンを照らし、鉱石の光を覆い尽くす。 数秒もすれば海面に出るであろうタイミングで抱えた鉱石を手放す。上昇の勢いをそのままに鉱石は浮上を続ける。 以下は先ほどシルスたちがした事の反芻。だが、そのままレイヴンも浮上するには、身体に加圧が掛かりすぎていた。 体内の血液循環の機構が高圧で血脈を圧迫していた状況下からの緊急解放は肉体だけに関わらず、血液内に気泡を発生させてしまう。 気泡は血圧の妨害となり、血流そのものや酸素供給に弊害が生じ、脳死を引き起こしかねないのだ。 しばらく海洋光の揺り篭に揺られ、血液循環が低圧への許容範囲になってレイヴン自身も直上に見える船を目指して上昇を始めた…。 ……… 「今日の分で何日分のが作れますか?」 「三〜四日分だろう。数にすれば四十前後の個数が精製出来る」 「おお。それなら今年も綺麗な音色がいっぱい聞けるね」 「それって単に小うるさいだけじゃない。ニ・三個あれば十分よ」 「シルスがもっと素直に聞き入ればいろんな楽しみ方があるんだよー。楽しみ方の幅をもっと広げればいいのに」 海岸へと帰路についた船の上での談話。 船そのものの動力は三枚翼のスクリューを回転式のハンドルで回して回転させて進ませている。 ちなみにその回転方法は動力そのもに直結した回転盤をレイヴンが足で漕いで回している。 腰を用意した土台の上で座り、手は舵取りのハンドルを握って前屈み。有体言えば自転車漕ぎ。 あまり進みそうにない方法ではあるが、スクリューの羽が大きいためにか速かった。 その速さは時折少し高い波を横断すると小さく跳ね上がり、海を軽く切り裂いているのを想像して貰えれば良い。 スピリット三人の三者三様の長い髪が置き去りにされ掛けて横に揺れ、風を切っているは当たり前であった。 ――最早そのことに突っ込む者は既にいない。 岸にたどり着いた一行は船より袋詰めにした鉱石を荷降ろし、レイヴン一人は船を停留場へと再び海を滑走する。 「さて、あたしたちはこれらを運んじゃいましょうか」 遠ざかる姿を見送らず、シルスは鞘に納めた自身の神剣『連環』に袋を幾つかと空いている片手にもう一つ担ぐ。 他の二人も習って神剣ともう片手で全部残らず持ち上げた。 単体でも相当な重量であるが、体内エーテル循環効率化を軽く駆使すれば容易な事。 「そうですね。今回はシルスもやります? 面白いですし」 「うーん。今はあんまりやりたいとは思わないのよね。データ解析とかはあるけど、そんなに急いでるわけでもないしなぁ…」 「えー、やろうよシルス」 力を行使する重量だからといっても鉱石そのものの硬度はそれほど硬くない。 ゆえに足場の悪い場所ではより一層力の行使を精密に操り、下手に鉱石を刺激しない繊細な足取りが必要であった。 三人は軽口を喋りながらそつなく歩くその姿からはその様子を微塵にも感じさせない。 「一緒には行くつもりだから、その時に考えとくわ」 シルスはそう言って考えを先送りにするも、決める時間そのものはそれほどないのは全員知っている。 場所は所変わってバートバルトの街の少し郊外。レイヴンと三人は次の目的地へとたどり着いていた。 「今回の経費と払いは先ほどので」 「…毎度」 同伴していつもの屋台車で鉱石の運搬を手伝うオヤヂはレイヴンに先ほど渡された一際透明度のある鉱石が報酬と契約。 こちらも毎年の事なので、既にこの謎の人物に対しても疑問は欠片もない。 「…何時見てもこの情景は綺麗ですね」 フィリスの言葉に他の二人も同様な気持ちであった。 丁寧に削って整えた石を幾重にも重ねて積み上げた倉庫のような建物。 既に建築されて年を重ねているために苔が生え、大切に使用されている洗練された趣きがある。 大きめに開けられている入り口からは少々熱気が発せられ、屋根の突き出ている煙突からはもうもうと煙がたち昇っていた。 レイヴンは三人を促して室内へ。オヤヂも屋台を引いて続く。中は一室のみで、見ため以上に閑散として広く感じられる。 所々に陶磁器製造用の道具の類が床に放置されており、一番奥の影には大きな暖炉のような釜が唯一の調度品のように存在していた。 「オヤヂ」 「…あいよ」 そう言って屋台に積んでいた鉱石を降ろし、手にしたナイフで余計な石部分を削り出した。 レイヴンもそれに倣うかののように手近な鉱石を削る。三人もそれに倣う。 今回採掘した鉱石を全て削り終えると、今にも透明になって透き通りそうな半透明な淡い結晶体がその全容を現す。 この結晶こそが海底で発光していた物そのもの。彼らの俗称は夜光石。岩石の中でもマナを多分に含み、高圧で圧縮された結果である。 盛り上がるように突き出た暖炉の口は並んで複数個ある。 箇所が多くする理由は穴が大き過ぎては出来ない吹き出る熱量の変化を可能にするため。 「「……………」」 レイヴンとオヤヂは無言。 先ほどの結晶を削り出す作業を終えてからというものの、暖炉に向かいっぱなしである。 その手には『凶悪』を二倍にしたようなパイプ棒を暖炉の中へと傾け、回し続けている。 暖炉に中へと続いている先端には熱で溶解した何かの粘性のある個体。膨大な熱量でその物体を整形しているのだ。 彼らは頻繁に棒を回転させて、形を丸めに整える。そして暖炉より取り出して咥え、赤く発光する球を――。 ――ぷぅー… 大きな息を棒の中に流し込んで一気に物体を膨らませる。 拳大ほどに膨らんだそれは綺麗な円を描いていた。そして手元の大きな挟み棒で楕円へと押し潰す。 穴を開け、綺麗なお椀状の形へと変化したのである。 その後も何度も回転をさせて冷えるまで形を整えつつ何度も続け、棒と口部分を挟み棒で挟んで接合部分を小さくする。 「………」 熱はまだ保持しているが、見た目からは完全に赤は消えているそれを見詰める。 整形し終わった物体を最寄の水の中へと漬け込んで最期の熱を奪う。立ち上る蒸気の煙が傍に立ち込める。 水から引上げ、透明となったそれには見詰める自身の姿が鮮明に映し出される。 そして近くに広げている布地の上へと持っていき、挟み棒で棒を叩いて落とす。細かった接合部分から整形した物体が脱落したのだ。 「ふわぁ…綺麗だなー」 その出来上がったばかりの物にリアナは覗き込んで感心する。 完全に終始無言と化した彼らには言葉を返すことなく、黙々と整形し続けている。 「あたしたちがするとどうしても気泡が混ざるのよね。何がいけないのかさっぱり…。 これぐらい綺麗な形を作りたいのに悔しいわね」 「でもそれもそれで応用するのも立派な技術で芸術に出来るって言ってましたよ?」 外気で冷えて持てるようになったそれを手にとり、どこまでも綺麗な楕円球をフィリスは回して眺める。 「ええ、分かってる。でもやっぱりこんだけ綺麗な物、作ってみたいじゃない」 「確かにその意見には賛成ですね。私もこんなに綺麗な透明、作りたいです」 「じゃあ、さっそくやらない? 私は二段の円を形作ろうかな〜♪」 手近な所か棒を選び、リアナは暖炉の空いている口へと向かった。 「…私たちもやりましょうか?」 「そうね。やるだけやってみるわ。今後でも思い通りに作るためにも」 彼らが整形している物は結晶をある特殊な手法で溶かし、不純物を取り除いた超粘液を硬化させた硝子。 高熱で炙り、冷却すると粘液に戻らずに硬質物へと変化するのを応用した陶磁器を作っているのである。 マナを含んだ結晶は少々の特殊で、普通の熱では溶けにくい。 そこで他の結晶をある特定の環境下で蒸発させ、その影響化で個体を粘液へと変化させたのである。 一度では不純物を取り除けないので、何度か同じ作業を繰り返す事になるために量は1/2。 そして整形は一度しか出来ないために一発勝負で成功させる必要があり、最終的には結晶総量の30%ほどとなるのだ。 ――パキィイン… 「………」 レイヴンが整形した硝子は棒より落として少しすると真っ二つに割れてしまった。 これは元の結晶の性質に急冷却による分子間の結合力の縮小、そして外気との関係なで仕方のない自然現象。 これも相まって最後の最後まで成功するとは限らないため、総量が少なくなっているのだ。 |
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バートバルトの町が茜色に染まる時間には、仕事を終えた男達が帰宅していく。 子供たちが遊びを終えて帰っていき、母親たちも子供と夫が帰ってくる前に露店で買い物をする。 買い物をする者。酒を豪遊する者。はしゃいで馬鹿騒ぎをする者。 皆が皆、一日の終わりを象徴する空の色の下に過ごしていた。 ――ちりーん… そんな人の活気が程よい中でも一際耳を通り抜ける高い音。 鼓膜を突くような甲高さであるが、そのまま逆の耳より通り抜けるような錯覚さえも覚える。 ――…りーん―― 音が鳴るのは決まってそよ風が吹く前か後。風の音色を前後で代弁しているようで、風をよりその身に感じさせる。 ゆえに普段ならばどうとも感じずに気付かないぐらい小さな風も感じられ、涼しい気持ちになる。 ――ちゃりーん…… ――…こりーん… 音色は一つではなく、様々な音が奏でられており、その音を耳にする人々は清々しさに気持ちを和らげていた。 思わず、ついっ、と音の鳴る場所に目を向けてしまう。そして直ぐに目を見張り、視線を逸らす。 音を奏でているのは硝子細工の容器。それを逆さまにして容器の口を中央でぶら下げている水滴状の粒が叩いていたのだ。 その粒にはさらに長方形の用紙が吊り下げられているため、風が吹き抜ければ用紙が揺れて粒も連なって揺れる。 それが容器の口へとぶつかり、音を奏でる。容器の中は円であり、中で反響して甲高いながらも通り抜ける音を形成していた。 その容器の形も様々な物がある。楕円や球体は勿論の事、二段式の球体にエヒグゥの形をして耳すらも垂れている物。 色にも種類があり、蒼い物、黄金色の物、紅い物、紺色の物が透明な硝子容器に淡く映えていた。 この世界においてここまで鮮やかで透明な物は極稀であり、手が出せる金額ではない。それが街の露店で売っていた。 「………」 何段にも貼り付けられている様にそれを木箱に吊り下げて屋台で売っているのはオヤヂ。 硝子容器の向こうで無言で道行く人々の姿を見据えている。 皆は鳴る音に誰もが目を向けるも、オヤヂの濃い視線に誰もが目を背けてしまう。 今日という日のこの場所で店を構えてから、誰も買おうとしない原因の一旦である。 それだけならば実際問題は無い。オヤヂの視線にさえ耐えられれば、この美しい音を奏でる硝子容器は手に入るのだから。 「「…………」」 オヤヂが構える屋台の横で茜色の空の下の石畳の床で同じ様に硝子容器を広げ、オヤヂと並行して販売しているレイヴンも居る。 こちらは瞑目し、木箱に腰を掛けて時を過ぎるのを待つかのように鎮座している。 オヤヂと違って気配が極端に小さく、同じ物を販売しているならこちらで購入すればいい。 だけれども、問題は更にその真隣り。 「「「………(ほへ〜〜〜…)」」」 レイヴンと同じ様に木箱に座り、完全に脱力している女性三人。 黒髪の女性だけだったら全く問題なかったのかもしれない。だが、その隣りの蒼と緑の髪の女性が良くなかった。 あまりの鮮やかな色の髪は、人間には在り得ない色。彼女たちがスピリットである明確な証。 この世界のスピリットは人は受け入れていない。そして戦うためだけの存在定義ゆえに嫌悪されている。 人が寄り付かない最大の原因、それはフィリスたちスピリットが販売に携わっていた事にあった。 彼らがこうして硝子細工を売り始めて数年になるが、あまりに好評ではない。 その理由が売り出し当初より彼女たちスピリットも店員として横に置いていたためだった。 奇異の目を数え切れないほど浴びせられ、陰口を叩いて去っていく者も少なくは無い。 それでも毎年、コサトの月(数値で8の月)初旬より半月ほど販売を続けてきていた。 シルスが率先して身を引く事を提案していたが、居ても居なくてもどちらでも良いというレイヴンのお達し。 今では道行く人の目に見える好奇の視線と言葉は何処吹く風。完全に耳を通り抜けて逆の耳から出ていっている。 ――……ぃぃりぃーん… 「いい音色だねー…」 ふやけた様な表情で奏でる音色に心地良さを感じるリアナ。 「そうね。雑音がホントに気にしたくなくなる音色。 一つ一つ違うからどれに耳を澄ませればいいか迷うわね…」 目の前で何十もの音が風で合唱をして小うるさいが、いくつかに絞ればそれもまた乙なモノ。 シルスは頬杖をついて、好みの音色を聞き分けている。 「耳を澄ませるのもいいですけど、こうして茜色の光で輝く硝子を眺めるのもいいですね」 風でゆらゆら揺れる容器の粒たちは各々の色で光り、容器も日の光の模様を映し出している。 フィリスは日の光で小麦色となっている瞳を細めて眺める。 既に何時間もそうしているのだが、風によって奏でられる音の色は違う。 何度も聞いている彼女たちは聞き飽きる事もなく、作る度に異なる音を楽しんでいる。 「今日も一つも売れないのかもね。まあ、こうして聞いてる邪魔が入らないのはいい事だけど」 「それだと売れて欲しくないみたいな言い方だよ、シルスー。 こうして作って露店に出してるのも皆売るためだし、他の人にも楽しんで欲しいしね」 「そうですよ。私もこの音を独占するのもいいですけど、独り占めだけだと勿体無いです」 「いいじゃない、どっちだって。どうせスピリットが居る店で買い物しようとする変態じゃなきゃ買わないし。 どんなに思ったって望みは薄い願いでしかないのよ? だったらこのままいつも通り閉店を迎えようじゃない」 「むー、シルスの薄情者ー。だから胸が薄いんだー」 「………胸は関係ないわよ」 いつも通りの会話。何もする事もなく、また同じ様に日が暮れていく。 空が暗くなるのと反比例して、彼らがいる周辺は淡く仄かに光り出す。 その光は硝子容器から。そして容器に吊り下げられている粒からでもあった。 その光景に周囲の人々は目を見張るが、それと同時に背けるのはお約束。 これは硝子の原料である海底鉱石の結晶のであり、夜光石の性質によるもの。 日が昇っている間は光り負けをして見えないが、周囲が暗くなれば仄かな輝きを放つ。 色は容器の色に呼応して蒼・黄色・赤・藍の四色。灯火にはない、温かさのある灯りが音色を奏でている。 沿岸に近い町のため、年中海風が吹いているので音色にこと欠く事がない。 「――閉店だ」 日が山の向こうに完全に沈み、後は地平線の向こうに沈めば夜空となる。 そんな刻になってレイヴンは宣言をして立ち上がる。隣りのオヤヂもその言葉に店終いの準備に掛かった。 「シルスの言う通りに今日もお客さんはラロ(零)かー。残念」 「逆に客が来たら珍しくなってるわね。それもまた変な事だけど」 シルスたちも片付けを手伝い、軽口を交し合わせる。 数が減る事のないその硝子細工は屋台に全て吊り下げられた。 器材も積み込み、オヤヂが先頭に立って引いていつものように撤収が始まる。 一斉に鳴り響く硝子の光を尾に引いて、今日もまた終わりを告げる。 「――あ、あの…」 「ん?」 か細い声に気が付いたシルスがそちらを見やる。 するとそこには小さな女の子が立っていた。 レイヴンはシルスの反対側。屋台の押しと品物の安全を守っている。 そのためシルス自身が応対する事になった。 「何か御用? 見ての通り、あたしはスピリットだけど」 「えっとその…。その綺麗なアカリ、まだ買えますか…?」 スピリット宣言をしても物怖じしないのはまだスピリットに対する概念が固まりきっていないからであろう。 身体をもじもじさせ、シルスを見上げて尋ねていた。 チラチラと屋台を見ているのは、あの光が気になってい仕方がないのがありありと窺える。 「…うーん」 不安そうに見上げる女の子を他所に、シルスは考える。 既に閉店をしているので、少し迷っているのだ。 「……だめ、ですか」 「――そうね…お金はあるの?」 「わたしのおこづかいぜんぶだから、これしか…」 そう言って掌を開いて見せてきた中には一桁の枚数しかない硬貨。 少し高めのお菓子を幾つか買ってしまえば直ぐに使い果たしてしまうだけの金額。 それを見たシルスは微笑んで受け取る。 「いらっしゃいませ。どれかお一つ自由に選んでね」 「え…いいのっ?」 少し驚く女の子に、シルスはウインクをする。 「もちろん。売値ぴったりの代金だもの。買いたいのなら早くね。見ての通り、今日はもう帰る途中だから」 「うんっ!」 そう言うや否や屋台の周りを小走りをしながら「うーんと、えーと…」と言って選び始める。 この硝子細工は評価的をするとすれば非常に貴重と成り得るだろうが、販売価格はそんなに高くない。 シルスが手にした金額ほど安くは無いが、食器を買うぐらいの金額範囲内で事足りる。 それを知らない者が多いながらも、知る者でもスピリットから買うのを拒否している。 「ありがとう、お姉ちゃんっ!」 「ええ」 選んだ硝子細工を手に、女の子ははしゃいでいる。 曲がった串の先端から吊り下げる容器は夜の暗さの中で淡く綺麗に光っていた。 「これって何て言う物なの?」 「それはね。いつも見ている灯火の光と同じ、マナで光っているの。 でもこれは硝子そのものにマナが含まれてるからそんな風に光っている。 真ん中の粒がまるで夜空の星のように輝いている。例えるなら星の精霊光。 つまり″ワルト・ラスレーコン(夜光鈴)″。それがこの硝子細工の名前よ」 「わると、らすれーこん?」 「そうよ。ほら、空の星も綺麗に輝いているでしょ?」 既に星も煌き出している空。女の子は星と手元の夜光鈴を比べて顔を輝かせる。 「うん、ほんとだ!」 「でしょ? 夜になるといつもこんな風に光るわよ。窓際の窓枠に掛けておいて音を楽しむのが夜光鈴の使い方。 割れ易いから落とさないように気をつけなさい」 「うん」 「それと、ソネスの月(9の月)初めになったら夜に海に来てみなさい。面白い事やるから」 「? なにするの?」 女の子が小首を傾げるのをシルスは含み笑いをして答える。 「それは来てからのお楽しみ。もし来れなかったら今みたいにそれを持って観察してみなさい。面白い事が起きるから」 そう言って女の子と別れ、走りながら手を振ってくるのをシルスは注意しながら返した。 少し離れてしまった屋台に直ぐに追いつき、リアナたちと合流する。 「むふふふふふふふふ〜♪」 「――何よ。その含み笑いは…」 そしてリアナのとても愉快気で、とても珍しいものを見た輝きの瞳をシルスに向けていた。 シルスも大体何を言いた気でいるのかは察しがついている。 「シルスって結構面倒見がいいもんねー。いいお母さんになれるよね」 「うるさい」 「照れない照れない。――代金結構足りてなかったよね。それでも足りてるっていうんだもん、私感激しちゃった」 リアナの素直な感想にフィリスも同調して微笑む。 「私もリアナと同じ気持ちですよ」 「いいでしょ、別に。どうせ売れずにまたいつもみたいになるんだから」 照れくさくなってそっぽを向くも、ちくちく刺さる視線に向きたくないけど目を向ける。 その先にはレイヴンの横目がシルスを見ていた。 言わずもがな。言われる言葉の予測はついているのだった。 「シルス。今回の手伝い賃はなしだ」 「…ケチー」 頬を小さく膨らませるが、特に不満はなかった。 |
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